No.13 戸山キャンパス②...

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戸山キャンパスに散在する辻晋堂の彫刻作品 ――建築家・村野藤吾と彫刻家・辻晋堂の関わり―― 戸山キャンパスには旧33号館を設計した村野藤吾との縁によって制作された作品が複数設 置されており、旧33号館が解体された今でも構内で鑑賞することができる。 辻晋堂(19101981年) 辻晋堂は1910年鳥取県生まれの彫刻家である。独立美術協会研究所で素描を学ぶ傍ら独学で 彫刻を志し、1933年、23歳で第20回日本美術院展に《千家元麿氏像》が入選、実質的なデビ ューを飾る。初期は写実的で温かみのある人物像が多いが、 1941年頃から荒々しい素材そのも のの表現へと移り、その後は素材の特性を活かした抽象的な作品を制作した。 1960年代からは ヴェネツィア・ビエンナーレ、サンパウロ・ビエンナーレに日本代表作家として参加、グッゲ ンハイム美術館(ニューヨーク)でのグループ展に選出されるなど国際的にも活躍した。 辻と言えば、陶彫の制作が有名である。陶彫はテラコッタとも呼ばれ、成形した土を火で焼 く、古くから伝わる手法である。京都市立芸術大学の教授だった辻は、古くから多くの窯があ り、陶芸家が集まる京都の土地柄を活かして陶を使用した。大型の陶彫を作ろうとすると崩れ たりたわんだりする恐れがあり、また厚く作ると割れやすくなるため、辻は扁平な形態で成形 している。また京都芸大では同僚の彫刻家・堀内正和と共に造形的、幾何学的構成と材料の性 質を重視して学生たちを指導し、それに伴って辻自身も細部をそぎ落とした抽象的な表現を志 向している。この素材自体の主張の強さ、扁平な形、抽象表現が辻の作品を構成する大きな特 徴である。 村野藤吾(18911984年) 戸山キャンパスの旧校舎を設計した村野藤吾は1891年に生まれ、1918年に早稲田大学理工 科建築科を卒業した。主な作品に「丸栄百貨店」(1953年、愛知県)、「世界平和記念聖堂」 1954年、広島県)、「日本生命日比谷ビル」(1963年、東京都)があり、数多くの賞を受 賞している。1973年には早稲田大学名誉博士の称号を授与された。

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戸山キャンパスに散在する辻晋堂の彫刻作品

――建築家・村野藤吾と彫刻家・辻晋堂の関わり――

戸山キャンパスには旧33号館を設計した村野藤吾との縁によって制作された作品が複数設置されており、旧33号館が解体された今でも構内で鑑賞することができる。

★辻晋堂(1910−1981年) 辻晋堂は1910年鳥取県生まれの彫刻家である。独立美術協会研究所で素描を学ぶ傍ら独学で彫刻を志し、1933年、23歳で第20回日本美術院展に《千家元麿氏像》が入選、実質的なデビューを飾る。初期は写実的で温かみのある人物像が多いが、1941年頃から荒々しい素材そのものの表現へと移り、その後は素材の特性を活かした抽象的な作品を制作した。1960年代からはヴェネツィア・ビエンナーレ、サンパウロ・ビエンナーレに日本代表作家として参加、グッゲ

ンハイム美術館(ニューヨーク)でのグループ展に選出されるなど国際的にも活躍した。 辻と言えば、陶彫の制作が有名である。陶彫はテラコッタとも呼ばれ、成形した土を火で焼

く、古くから伝わる手法である。京都市立芸術大学の教授だった辻は、古くから多くの窯があ

り、陶芸家が集まる京都の土地柄を活かして陶を使用した。大型の陶彫を作ろうとすると崩れ

たりたわんだりする恐れがあり、また厚く作ると割れやすくなるため、辻は扁平な形態で成形

している。また京都芸大では同僚の彫刻家・堀内正和と共に造形的、幾何学的構成と材料の性

質を重視して学生たちを指導し、それに伴って辻自身も細部をそぎ落とした抽象的な表現を志

向している。この素材自体の主張の強さ、扁平な形、抽象表現が辻の作品を構成する大きな特

徴である。 ★村野藤吾(1891−1984年) 戸山キャンパスの旧校舎を設計した村野藤吾は1891年に生まれ、1918年に早稲田大学理工科建築科を卒業した。主な作品に「丸栄百貨店」(1953年、愛知県)、「世界平和記念聖堂」(1954年、広島県)、「日本生命日比谷ビル」(1963年、東京都)があり、数多くの賞を受賞している。1973年には早稲田大学名誉博士の称号を授与された。

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★辻晋堂による公共空間の作品 辻の作品は役所、公園、学校など公共的な性格を持った場所に多く設置されている。横浜

市役所庁舎の市民空間にある《陶壁「海・波・船」》(1959年、神奈川県)、日本生命日比谷ビル《露台ギルト》(1963年、東京都)、日生劇場《外壁モニュメント》(1963年、1970年に京都オリエンタルホテル(現・京都東急イン)の前庭に移動したのち、現在は兵庫県の

グランドオークゴルフクラブに設置)などが代表的である。これらの作品は依頼によって制

作されたものと、村野藤吾設計の建築物の装飾または附属モニュメントに大別でき、後者は

7ヶ所12点の作品がある。 2人の出会いは1958年に遡り、村野が陶彫制作の依頼について京都市立美術大学の竜村謙に相談を持ちかけた際、竜村が辻晉堂を推薦したことに端を発する。村野の建築は打ちっぱなしのコ

ンクリート建築ながら、タイルや陶壁を使ってコンクリートの冷たさを解消し、親しみのあるも

のに仕上げている。特に横浜市庁舎は辻の作品も相まってその傾向が強い1。 辻は、大阪府豊中市千里ニュータウンの野外彫刻《日と風と雨に》(1970年)の制作意図について、以下のように語っている。 意図といふほどの意図はない。私は気のきいた彫刻を作らうといふ考へはない。記念 碑的彫刻は単純な形がよいと私は考へてゐるので、この仕事についてもその考へで作る。記念碑

的彫刻は耐久性をもつてゐなければならない。このことは材質の問題であるばかりでなく形体と

も関係がある。形体と材質と全体の大きさと、それを支へる構造とが緊密に結合するやうにした

いと思ふ2。 ここでの「耐久性」は物質的問題だけでなく、作品が存在する場所との関係、存在する時間、

それに伴う形体の「耐久性」につながっている。村野建築との調和、耐久性のある材質、更には

いつの時代も記念碑として存在感を放ち、かつ長く耐えうる形体、といった条件を緊密に結合さ

せたものが辻の公共的な作品である。また文中の「気のきいた彫刻」というのは、パブリック・

アートにおける作品と場所の親和性にも通じる言葉であるが、辻の作品は設置される場所との関

係が最初から考慮されているものでありながら、作品が見る者に寄り添うのではなく、両者が対

峙するような空気感も併せ持っていると感じられる。 建築家と美術家が共に仕事をすることは珍しくなく、同時代の日本では丹下健三と猪熊弦一郎、

谷口吉郎と海老原喜之らが有名である。木村重信は、その中でも村野と辻の組み合わせが最も成

功していると発言している。このような公共空間の作品は建物の耐震問題や老朽化によって失わ

れたり、あるいはその存在自体が忘れられており、本学に残る作品は改築した後も見ることがで

きる貴重なものである。 執筆者:山﨑奈々子

1 同書、p.324、p.331 2 同書、p.225

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①旧33号館

設計者:村野藤吾 竣工年:1962年 キャンパス中心に位置し、高層棟と低層棟から成る建物である。現在の新校舎は地上 16 階、地下 1階建て(高層棟)だが、旧校舎は 11階建てであった。他の講義棟へ繋がる渡り廊下は村野の得意とした構造であり、新校舎となった現在でもその部分は残されている。また以前の 1、2 階部分はピロティであった。 旧校舎の外観は、柱が上に向かって細くなっていくつくりになっており、これは村野の他の作

品である「横浜市庁舎」や「大阪ビルヂング八重洲口」にも見られる特徴であった。加えて、外

観の窓部分の一部に珪藻土で作られた特製煉瓦が貼られていたが、現在その部分は撤廃され、以

前より窓が大きくとられている。他にも、建物内外に白色が多用されているが、汚れやすいとい

う理由から当初大学側はこれに反対した。しかし村野は学生によって「色付かせる」という意味

を込めて白を使うことを主張した。 33号館はその姿を変えつつも、キャンパスの中心から学生たちを見守る、戸山キャンパスのシ

ンボル的建築物である。 執筆者:杉田美穂

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②《レリーフ(陶彫)》シリーズ

制作年:1960年 サイズ:235×566cm 素材:タイル 場所:33号館1階 タイルによるレリーフ作品で、元々は1962年竣工の旧33号館に展示されていた。横長の壁面には白い長方形のタイルが規則正しく並び、その合間に大きさの異なる複数のタイルが置かれ、

抽象的な形態を形成している。 辻は始め人間や動物を抽象化した制作していたが、徐々に陶の物質性を前面に押し出した無

対象の抽象彫刻へと移行していった。本作はそうした変遷の過渡期に制作された作品である。

複数の形態が抽象的ながらもどこか生物のように見えるのはそうした時期に制作されたため

ではないであろうか。 執筆者:竹ヶ鼻真理子

制作年:1960年 サイズ:236×295.5cm 素材:陶 場所:33号館低層棟屋外(中庭の時計の近く) 碁盤の目状に敷き詰められた光沢のある黒い陶製のタイルを地に、やや大きめの土色のタイ

ルによる不定形な形態が浮かんでいる。辻が頻繁に用いる陶の物質性を前面に押し出した作品

である。

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辻はモデルに基づくロダン風の制作方法を批判して、「写す彫刻もあつたつていいだらうが、

又一方に表はす彫刻といふものがあつていい筈であるという風に考えた」と述べており、「表

わす彫刻」とも称される。辻作品における「表わす彫刻」とはモデルに頼らないだけでなく、

素材そのものを「表わす」ことも意味する。この作品ではそうした素材そのものの表現も見て

取れる。 執筆者:五十嵐多喜

制作年:1960年 サイズ:171×341.5cm 素材:タイル 場所:33号館と39号館の間の中庭 この作品は2つの教室棟の間の中庭に位置している。煉瓦状に敷き詰められた茶色のタイルを地に、配置のズレやタイルに刻まれた溝、小さな白いタイルの挿入によって様々な形態が表

されている。抑制された色彩からはキャンパスの中庭という設置場所との親和性への考慮が伺

える。 同一の素材の中で異なるサイズや形によって抽象的な形態を表す点は33号館1階に設置して

いる作品と一致する。また凹凸を用いた表現は辻の陶彫作品によく見られる特徴であるが、陶

の割れを防ぐために空けた穴がきっかけである。 執筆者:深見明日香

制作年:1960年

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素材:石 場所:戸山キャンパススロープ斜面の側面 このレリーフは戸山キャンパスのスロープの石垣と一体化しており、作品であると気づかない

人も多いのではないだろうか。石垣と同じ色・素材が用いられている一方、直線的な輪郭や他の

石と比べて凹凸の少ない表面を持った形態が突出する様は、自然の石に対して人工的な存在感を

放っている。 辻は彫刻家として伝統的な陶芸作品の様式を踏襲せず、独自のスタイルで現代彫刻のあり方を

示してきた。その中で辻は彫刻に様々な異なる素材を用いた。そして辻は自身の作品を「気のき

いた彫刻」、すなわち他社の反応に気を配る彫刻ではなく、独立し自立した存在であると称して

いる。見過ごされがちでありながら独自の存在感を持つこの作品には、こうした辻の美学があら

わされている。 執筆者:陽田彩美

参考資料 浅田康夫『辻晉堂』1989年、セキ工芸社 『生誕 100年 彫刻家辻晉堂展』(美術館連絡協議会、2010年)より 村野藤吾研究会編『村野藤吾 建築案内』2009年、TOTO出版 松隈洋監修『村野藤吾の建築 模型が語る豊饒な世界』2015年、青幻舎 「戸山キャンパス新33号館が竣工 旧館の面影残した新たなシンボルへ」 〈https://www.waseda.jp/top/news/13449〉、2018年1月23日最終閲覧 神奈川県立近代美術館 公式ホームページ 〈http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2010/tsujishindo/〉、2018年 1月24日最終閲覧 東京文化財研究所 公式ホームページ 〈http://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9946.html〉、2018年 1月 23日最終閲覧 『生誕 100周年彫刻家辻晋堂展』2010年、美術館連絡協議会、神奈川県立近代美術館