辻 本 俊...
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ロー カ ーヤ タ派 と唯 物論
辻 本 俊 郎
1.問 題 の 所 在
ロ ー カ ー ヤ タ(Lokayata),あ るい は,チ ャー ル ヴ ァー カ(Carvaka)と 呼
ば れ る こ の学 派 は,正 統 バ ラ モ ン学 派 とそ の 思 想体 系 に 真 っ 向 か ら対 立 す る の
み な らず,仏 教 や ジ ャイナ(Jaina)教 と もそ の思 想 体 系 の趣 を異 にす る。 そ
の た め,い つ の時 代 に お い て も,そ れ らの 学 派 か ら論 駁 され るべ き対 象 とな っ
て い た 。
さ て,こ の ロー カ ー ヤ タ派 を 研 究 す る際 に 最 も痛感 され る 困難 な 点 は,こ の
一 派 の 自 ら の教 義 を 体 系 的 に 記 述 して い る 独立 した論 書 が 全 く伝 わっ て いな い
こ とで あ る。 ロー カ ーヤ タ派 に 属 す る唯 一 の文 献 と して 『タ ッ トヴ ァ ・ウパ プ
ラ ヴ ァ ・シ ンハ 』(Tattvopaplavasimha:JayarasiBhatta,C.650-700)が
あ る。 そ れ は,そ の 内容 が ロ ー カ ーヤ タ派 の 祖 ブ リハ ス パ テ ィ(Brhaspati)
の学 説 の み に 従 って,他 の す べ て の 哲学 学 派 の認 識 論 に 関す る主 張 を批 判 して
い る の で あ るが,残 念 な こ とに そ の 内 容 は ロー カ ー ヤ タ派 の思 想 全 体 を 対 象 と
して い る も ので は な い 。
そ れ で は,ロ ー カー ヤ タ派 は 『タ ッ トヴ ァ ・ウパ プ ラ ヴ ァ ・シ ンハ』 以 外 に
そ の思 想 体 系 を文 字 に残 さ な か った の で あ ろ うか 。 現 在,こ の一 派 の根 本聖 典
と考}xら れ る 『ロー カー ヤ タ ・ス ー トラ』(Lokayata・sutra,あ るい は,Ca-
rvaka-sutra,Barhaspatya-sutraと も言 う)と 名 付 け られ るべ き も のが 存在 し
な い ので あ る 。 しか し,そ の こ とは 『ロー カ ー ヤ タ ・ス ー トラ』 が か つ て一 度
も著 され な か った とい うこ とを 意 味 す る ので は 決 して な い 。 とい うの は,『R
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一 カ ーヤ タ ・ス ー トラ』 な る経 典 の名 称,あ るい は 引 用 が イ ン ド哲 学学 派 の諸
文 献 の中 に,多 く見 られ るか らで あ る 。 そ の例 を い くつ か あげ る と,
『百 論 』 巻 上 で は,
「如 有 経 名 婆 羅 呵 帝 」1)
とあ る。 こ こにい う婆 羅 呵 帝 とはBarhaspatyaの 音 写 で あ る。 また,『 ラ ソ
カ ー ヴ ナタ ー ラ ・ス ー トラ(Lankavatara-sutra)で1よ,
Satasahasrammahamatelokayatam2)/
マ ハ ー マ テ ィ よ,ロ ー カ ー ヤ タは 百 千 〔か ら成 る 句や 音 節 〕 を 有 して い る。
とあ り,こ れ1Y対 す る相 当漢 訳 で は,
「大 慧 。彼 世 論 者 乃 有 百 千 」3)(求 那 跋 陀 羅訳)
「大慧 。盧 迦 耶 陀 婆 羅 門所 造 之 論 有 百 千 偈 」4)(菩 提 流支 訳)
「大慧 。 彼世 論有 百 千 字 句」5)(実 叉 難 陀 訳)
とあ り,R一 カ ーヤ タ派 の論 書 は,百 千 とい う数 字 が示 して い る よ うに 大 部 で
あ った よ うで あ る。 ま た,A.D;8世 紀 以 降 に 著 され た イ ン ド哲 学 論 書 に は
『Rカ ー ヤ タ ・ス ー トラ』 の 引用 が しば しば 見受 け られ る。 例 え ば,『 タ ッ
トヴ ァ ・サ ム グ ラバ ・パ ン ジ カー』(Tattva-samgraha-panjika:Kamalasila
700-750A.D.)に は,
Tathacatesam(lokayatanam)sUtram_6)/
とあ り,ま た,『 ア ドヴ ァイ タ ・ブ ラ フマ シ ッデ ィ』(Advaitabrahmasiddhi:
Sadananda,15c.)に は,
Tathacabarhaspatyanisutrani_7)/
とあ る 。 こ の よ うに,か つ て ロ ー カ ーヤ タ派 に は 『ロー カー ヤ タ ・ス ー トラ』
と名 付 け られ るべ き経 典 が 存 在 して い た とい うこ とは 明 らか で あ る 。
ロー カ ー ヤ タ派 の根 本 経 典 『ロ ー カ ー ヤ タ ・ス ー トラ』 が,何 らか の事 情 に
よっ て現 存 しな い今,ロ ー カ ー ヤ タ派 の思 想 理 解 のた め に は,イ ン ド哲 学 学 派
の論 書 な どの諸 文 献 に伝 え られ る ロー カ ー ヤ タ派 の思 想 を よ り多 く収 集 し,か
つ,整 理 す る こ とが不 可 欠 で あ る と考 え られ る。
た だ し,イ ン ド哲学 学 派 の諸 文 献 に 見 られ る ロー カ ー ヤ タ派 の思 想 は,そ れ
ぞ れ の 学 派 が 自己 の立 場 に基 づ い て,ロ ー カ ー ヤ タ派 の思 想 を批 判 し,こ れ を
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ローカーヤタ派 と唯物 論
論 駁 し よ う とす る もの で あ る か ら,ロ ー カ ー ヤ タ派 の思 想 に 対 して 曲 解 が 含 ま
れ て い るで あ ろ うこ とは十 分 に予 想 され うる こ とで あ る。.そ の た め,ロ ー カー
ヤ タ派 の思 想 を 客観 的 に捉xよ う とす る場 合,ロ ー カー ヤ タ 派 の 思 想 を取 り巻
い てい る 曲解 を取 り除 く必 要 が あ る。
そ の よ うな状 況 に あ っ て,生 井 衛 氏 は,ロ ー カー ヤ タ派 の思 想 を 取 り巻 い て
い る曲 解 を 取 り除 くた め,他 学 派 の 諸 文 献 に 引 用 され た 『Rカ ー ヤ タ ・ス ー
トラ』 の断 片,ま た は,ロ ー カ ーヤ タ派 の祖 ブ リハ ス パ テ ィに 帰 せ られ る詩 頌
な どを 収 集 整理 し,そ の理 論 体 系 を 再 構 成 す る こ とに成 功 して い る 。8}
生 井 氏 に よ る と,そ の主 要 理 論 は 以 下 の七 項 目で あ る とす る 。9}
(1)正しい 認 識 を もた らす 手 段(pramana)と して妥 当 な の は,直 接 知 覚
(pratyak§a)の み で あ る。
(ii)地水 火 風 の四 物 質 要 素(bhuta)の み が 真 の実 在(tattva)で あ り,万 物
はそ の 四 物 質 要 素 の 仮 の集 合 にす ぎ な い。
㈲ 精 神 作 用(caitanya)は 四 物 質 要 素 か ら生ず る。
(iv)〈見}な い 力〉(adrsta)が 世 界 の創 造 に関 与 した り,<善 悪 の 行為 の余
力 〉(karmasaya)と して多 様 な現 象 を 秩 序 づ け た りす る ので は な い 。
現 象 の 多様 性 は本 性 に基 づ く自然 発 生 的 な もの(svabhavika)で あ る。
(V)人間 存 在(puru§a)と は 身体 に ほ か な らず,い わ ゆ るatmanと は 身 体 の
こ とで あ る。
(vi)他世(paraloka)は あ りえ な い 。
(vii)人間 の 目的 は 快 楽(kama)と 利 益(artha)で あ り,宗 教 的 義 務(dha-
rma)は 無 益 で あ る。
以 上 の よ うな 七項 目は,イ ン ド哲 学 論 書 に み られ る ロー カー ヤ タ派 の 次 の諸 理
論 に 対 応 す る とす る 。
(i)pratyaksaikapramanavada.
(ii)bhutamatravada.
(iii)bhutacaitanyavada.
(iv)svabhavavada,svabhavikajagadvada...
{v)dehatmavada,dehamatratmadarァana.
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佛教 大學大學院紀要 通巻第23號
(vi)paralokapavada.
(vii)kamarthavada.
前 述 した よ うに,こ れ ら の思 想 は,『 ロ ー カー ヤ タ ・ス ー トラ』 の断 片 を 収
集 す る こ とに よ り再 構 成 され た も ので あ る。 した が って,『 ロー カー ヤ タ ・ス
ー トラ』 の 断 片 よ り明 らか とな っ た思 想 は体 系 化 され た ロ ー カ ーヤ タ派 の それ
で あ る こ とは 言 を俟 た な い 。1°)しか しなが ら,当 然 ロ ー カ ー ヤ タ派 が そ の初 期
形 態 よ り 『ロ ー カ ーヤ タ ・ス ー トラ』 を 編纂 す る に至 る まで 発 展 的 変 遷 が あ っ
た こ とは 十 分 に予 想 され る こ とで あ る。
で は,ロ ー カ ー ヤ タ派 の思 想 体 系 は,イ ン ド哲学 史 上,い か な る変 遷 を た ど
っ て発 展 して きた の で あ ろ うか 。 この こ とは,も と よ り,ロ ー カー ヤ タ派 の成
立 の問 題 と関 わ る もの で あ るが,小 論 で は,こ の よ うな 疑 問 か ら端 を 発 し,い
つ 頃,ロ ー カー ヤ タ派 が 「唯 物 論 的傾 向を 有 す る一 学 派 」 と して 形 成 さ れ た の
で あ ろ うか とい う点 に関 して資 料 に基 づ い て若 干 の考 察 を 加 え た い 。ω 従 って,:
『ロ ー カ ーヤ タ ・ス ー トラ』 成 立 以 前 の,す なわ ち,体 系 化 され る以 前 の ロ ー
カ ー ヤ タ派 に 関 し て考 察 す る こ とに な る。
なお,こ の小 論 で 扱 う原,典は,次 の通 りで あ る。
AN.=Anguttara-Nikaya.
AN.A=AN.Atthakatha(IYIanorathapurani).
DN.=Digha-Nikaya.
PN.∠4=DN.∠4蜘 α々 α〃za(Sumangalavilasinの.
MN.=ハ7aガ1z伽 α一Nikaya.
MN.A=MN.Atthakatha(Papancasudani).
SN.=Samyutta-Nikaya.
SN.A=SN.Atthakatha(s伽 観 勿 ρα妬s勿 の.
Sn.=s厩'α ηψ耐 α.
こ れ らパ ー リ原 、典に 関 して はPTS本 を 使 用 す る。
Isibhasiyaim;Isibhasiyaim,L.D.Series45,ed.byW.Schubring.
Ahmedabad.1974.
Mahabhayata;TheMahabhayata,forthefirsttimecriticallyed.by
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ローカ ーヤタ派 と唯物論
V.S.Sukthankar(22vols.)Pogna, ,1927-1966(批 判 校 訂 版)
Bhagavad-gita;TheBhagavad-gitawithanIntroductionEssay,
SanskritText,EnglishTranslationandNotes,ed.byS.
Radhakrishnan.London,1989.
Lankavatara-sutra;Saddharma-lankavatara-sutram,BuddhistSamskrit
SeriesNo.3,ed,byP..L.Vaidya,Darbhanga,1963.
2。 パ ー リ伝 に み る ロ ー か 一ヤ タ派
パ ー リ伝 『沙 門 果 経 』(Dighanikaya第 二 経 ,Samannaphalasutta)セ こは
仏 教 興 期 時 代 に 活 躍 した 自由思 想 家 を 代 表 す る,い わ ゆ る,六 師 外 道 の名 とそ
の 説 が 紹 介 さ れ て い る 。 そ の六 師 とは,
1,プ ー ラ ナ ・カ ッサ パ(PuranaKassapa)
2,マ ッカ リ ・ゴ ーサ ー ラ(MakkhaliGosala)
3,ア ジ タ ・ケ ー サ カ ム バ リン(AjitaKesakambalin)
4,パ ク ダ ・カ ッチ ャ ー ヤ ナ(PakudhaKaccayana)
5,サ ンジ ャ ヤ ・ベ ー ラ ッテ ィプ ッタ(SanjayaBelatthiputta)
6,ニ ガ ン タ ・ナ ー タ ブ ッタ(NiganthaNataputta)
で あ る。 そ の 中 で,ア ジ タ ・ケ ーサ カ ムパ リンは唯 物 論 者 で あ って,そ の主 張
が ロ ー カ ー ヤ タ派 の思 想 と接 近 して い る た め,従 来,ロ ー カ ーヤ タ派 の先 駆 者
で あ る といわ れ て きた 。 ア ジ タ の主 張 は 次 の四 点 に 要 約 で きる 。
(1)布施,祭 祀,供 儀 の否 定
(2)現世,他 世 の否 定
(3)善悪 業 の果 報 の否 定
(4)人間 は 四 大 種 か ら構 成
ア ジ タ の これ らの 思想 は断 滅 論(Ucchedavada)で あ る と,『 沙 門 果 経 』 は マ
ガ ダ(Magadha)国 王 ア ジ ャー タサ ッツ(Ajatasattu)の 言 葉 を 借 りて 伝 え て
い る。 しか し,な る ほ ど,ア ジ タの 思 想 は ロー カー ヤ タ派 の 思 想 と近 しい 関 係
に あ る ので あ るが,彼 が ロー カー ヤ タ派 の先 駆 者,あ るい は ロー カー ヤ タ派 の
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佛教大學大學院紀要通巻第23號
系統 で あ る とは,パ ー リ伝 『沙 門 果 経 』 を初 め,漢 訳 『沙 門 果 経 』,異 訳 『寂
志 果経 』,ア ッタ カタ ー(Atthakathの な どの諸 資 料 に はそ の記 述 を 見 出す こ
とは で き な い 。
また,ア ジ タだ け に限 らず,唯 物 論 に 近 しい,あ るい は唯 物 論 に 基 づ く と考
え られ る 見解 を抱 い て いた 思 想 家 は 他 の五 師 の 中 に も見 出せ る。 す な わ ち,パ
クダ ・カ ッチ ャー ヤ ナ,プ ー ラ ナ ・カ ジサ パ,ラ ッカ ウ ・ゴ ーサ ー ラで あ る 。
お よそ 彼 らは,「 善 悪 業 の異 熟 果 は な し」 とい う見解 を 有 し,中 で もパ ク ダ ・
カ ッチ ャ ー ヤナ は純 粋 な唯 物 論 者 で は ない が,七 要 素 説(地 ・水 ・火 ・風 ・苦
・楽 ・霊 魂)を 説 き,唯 物 論 的 思 想 を主 張 して い た こ とは否 定 す べ くも ない 。
しか しなが ら,彼 ら も また ロー カ ㌣ ヤ タ派 の 系 統 を くむ もの で あ る とは,パ
ー リ伝 『沙 門 果 経 』 を 初 め ,漢 訳 『沙 門果 経 』,、異 訳 『寂 志 果 経 』,ア ッタ カ タ
ー な どの諸 資 料 に は そ の 記 述 を 見 出 す こ とは で きな い 。
一 方,ア ジ タ の よ うな 断 滅 論 者 が い た こ と准 ジ ャ イナ 教 の 文 献 で あ る 『イ シ
ノミー シ ャ ーイ ム』(lsibhasiyaim)の 中 の ウ ッカ ラ(Ukkala)章 は 伝 えて い る 。
そ こで は,次 の五 種 の断 見 説 が 紹 介 され て い る。1
(1)杖の 断 見(Dand'ukkala)
(2)縄の 断 見(Rajj'ukkala).
(3)盗の 断 見(Tan'ukkala)
(4)部分 的 断 見(Des'ukkala),'・.
(5)一切 断 見(Savv'ukkala)
こ の中 の⑤ 一切 断 見 は,高 木 諍 元 氏 に よって ア ジ タ説 と比定 され て い る。12)こ
の 説 は,
Uddhampaya-talaahekes'agga-matthaka,esaata-pajjavekasine
taya-pariyantejive,esajivejivati,etamtamjivitambhavati/
Sejahanarratedaddhesubiesunapunoankur'uppaitibhavati,
evamevadaddhesarirenapunosarir'uppattibhavati,tamha
inamevajivitam,n'atthipara-loe,n'atthisukada-dukkadanam
kammanamphala-vitti-visesei3>/
足 の 裏 よ り上,髪 の毛 や 頭 よ り下,こ の 自身 に関 す る皮 膚 の終 わ りまで,、
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ローカーヤ タ派 と唯物 論
霊 魂 で あ る。 この霊 魂 は生 命 で あ る。例 え ば,種 子 が 焼 か れ る時,再 び,
芽 の生 起 は な い 。 同様 に,身 体 が焼 か れ る 時,再 び身 体 が 生 ず る こ とは な
い。 そ れ故,こ れ こそ が 生 命 で あ り,他 世 な く,善 悪 業 の 特殊 な 果報 は存
、在 しな い 。
.と あ る。 この説 は次 の三 項 目に要 約 され よ う。
(1)身体 は霊 魂 に他 な らな い とい うこ と。
(2)他世 の否 定 。
(3)善悪 業 の異 熟 果 の 否 定 。
こ こで,わ れ わ れ は,こ の 一切 断 見説 が ア ジ タ の説 と近 しい関 係 を もつ とい う
こ とを 窺 い 知 る こ とが で き るが,こ こで も また,ロ ー カー ヤ タ派 との確 実 な 関
わ りを 見 出 す こ とは で きな い。
次 に,ニ カ ー ヤの 中 に 見 られ る 「ロ ー カ ーヤ タ(lokayata)」 とい う文 字 に
検 討 を加}た い 。 そ の 内 容 はお よそ 四 種 に分 け る こ とが で き る。
(1)種々 な る低 俗 な 術(tiracchana-katha)と して列 挙 され て い る論 議 の 中
に(lokakkhayika」(世 間論)が 数}ら れ てい る。・4)
(2)「lokayata-mahapurisa・lakkhanesuanavayo」(世 間 論及 び大 人相 に関
し て通 達 した こ と)を バ ラモ ン(Brahmans)の 資 格 の一 つ に挙 げ られ て
い る。15)
こ こで は 厂lokayata」 とい う文 字 が 見 られ るが,唯 物 論 との関 連 を 見 出す こ と
は で きな い 。 また,そ れ の み な らず,学 派 として の ロー カ ー ヤ タ派 が成 立 して
い た こ とを 証 明す る もの で は ない 。 これ に 対 して,次 に あげ る(3),(4)は 注 目す
べ き資料 で あ る と考}xら れ る。
(3)SN・12-48「 ロ ー カー ヤ テ ィ カ(Lohayatika)」 経(相 当 漢 訳 欠)。
Ekamantamnisinnokholokayatikobrahmanobhagavantametad
avoca/
KimnukhobhoGotamasabbamatthiti/
Sabbamatthitikhobrahmanajetthametamlokayatam/
KimpanabhoGotamasabbamnatthiti/
Sabbamnatthitikhobrahmanadutiyametamlokayatam
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KimnukhobhoGotamasabbamekattariti/
Sabbamekattantikhobrahmanatatiyametamlokayatam/
KimpapabhoGotamasabbamputhuttanti/
Sabbamputhuttantikhobrahmanacatutthametamlokayatam/16)
実 に,一 辺 に座 った ロ ー カ ーヤ タ派 のバ ラモ ソは世 尊 に 次 の よ うに言 った 。
「友,ゴ ー タ マ よ,実 に 一切 は存 在 す る のか 」
「バ ラモ ソ よ,実 に 一 切 は 存 在 す る とい うの は これ は 第 一 の ロ ー カー ヤ タ
で あ る」
「友,ゴ ー タ マ よ,実 に一 切 は 存 在 しな い のか 」
「バ ラモ ン よ,実 に一 切 は存 在 しな い とい うのは これ は 第 二 の ロ ー カー ヤ
タで あ る」
「友,ゴ ー タマ よ,実 に一 切 は一 で あ るの か」
「バ ラモ ン よ,実 に 一切 は一 で あ る とい うの は これ は第 三 の ロー カ ーヤ タ
で あ る」
「友,ゴ ー タ マ よ,実 に 一切 は 異 で あ る のか」
「バ ラモ ソ よ,実 た 一 切 は 異 で あ る とい うの は これ は 第 四 の ロ ー カー ヤ タ
で あ る」
と あ る。 この経 典 に は 「ロー カ ー ヤ タ派 のバ ラモ ソ」 とあ るか ら,す で に ロー
カ ー ヤ タは一 派 を形 成 してい た と考}ら れ る 。 しか し,こ の経 典 か らは そ の 内
容 に関 して は知 りえ な い。 そ のた め,こ こで も ロー カ ー ヤ タ と唯 物 論 と.の関わ
りを 見 出す こ とは で きな い 。
(4)AN.IX.厂 ブ ラ ー フ マナ ー(Brahmana)」 経(相 当 漢 訳 欠)。
あ る時,二 人 の ロ ー カ ーヤ タ派 のバ ラモ ンが世 尊 の許 に 至 り,次 の 中で い
ずれ が 真 実 で あ るか を 問 う。
PuranobhoGotamaKassaposabbannusabbassaviaparisesafianada-
ssanampatijanati/.../Soevamaha`ahamanantenananena
antavantamlokamjanampassamviharamiti
AyarnpibhoGotamaNiganthoNataputtosabbannusabbassavi
aparisesananadassanampatijanati/.../Soevamaha`ahamanta-
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ローカーヤタ派 と唯物論
vantenarianenaantavantamlokamjanampassamviharamiti/1?)
友,ゴ ー タマ よ,プ ー ラナ ・カ ッサ パ は 一切 智 者(sabbannu)で あ り,
一 切 見 者(sabbassavi)で あ り,一 切 智 見(aparisesananadassana)を 有
す る と 自認 す る。彼 は次 の よ うに 言 う。
「私 は 無 辺智 に よっ て有 限 な る世 間 を知 見 して,時 を す ごす 」
友,ゴ ー タマ よ,か の ニガ ン タ ・ナ ー タ ブ ッタ も一 切智 者 で あ り,一 切 見
者 で あ り,一 切 智 見を 有 す る と 自認 す る 。彼 は 次 の よ うに言 う。
「私 は 有 辺 智 に よっ て有 限 な る世 間 を知 見 して,時 をす ごす 」
とあ る。 この経 典 に よっ て も ロー カ ー ヤ タ派 のバ ラモ ソが どの よ うな思 想 を 抱
い て い た の か は 見 出す ことは で きな い。 た だ,そ の 内 容 か ら見 て,彼 らが ロー
カ(loka,世 間,世 界)に 対 して関 心 を 抱 い て い た こ とだ け は 肯 定 され て よ
い 。 しか し,こ こに 至 って も ロー カ ー ヤ タ と唯物 論 との接 点 を 見 出す こ とは で
きな い 。
そ こで,以 上 取 り上 げ た資 料 に 対 す る 『ア ッタ カ タ ー(註 釈 文 献)』 を 見 る と,
(1)Lokakkhayikati`ayamlokokenanimmito"`Asukenanamanim-
mito'/`Kakosetoatthinamsetatta,balakarattylohitassarattatta'
tievamadikalokayata-vitanda-sallapakatha/18>
世 間論 とい うの は,「 この世 間 は何 人 に よ って創 造 され た のか 」 〔と問わ れ
る と〕 「ま さ に,そ の よ うな人 に よ って 創 造 され た」 〔と答 え る 。 それ は〕,
「烏 は 白 い 。何 となれ ば,彼 らの骨 は 白 いか ら。 鶴 は赤 い 。何 となれ ば,
彼 らの血 は赤 い か ら」 とい うよ うな世 間 の説 に 従 う詭 弁 論 の説 で あ る。
(2)Lokayatamvuccativitanda-vada-sattham/19)
ロー カ ー ヤ タ とは詭 弁 論 の教 えを 言 う。
(3)Lokayatikoti,vitanda-satthelokayatekataparicayo/zo)
ロー カ ー ヤ テ ィカ(ロ ー カー ヤ タ派)と は 世 間 の 領域 の詭 弁 とい うr'に
関 し て巧 み な る者 とい う意味 で あ る 。
(4)Lokayatikatilokayatapathaka/21)
ロ ー カ ー ヤ テ ィカ(ロ ー カー ヤ タ派)と は ロ ー カー ヤ タを 専 門 とす る者 の
こ とで あ る。
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佛教大學大學院紀要通巻第23號
とあ り,『ア ッタ カ タ ー(註 釈 文 献)』に お い て も,ロ ー カ ー ヤ タ派 は 唯物 論 老 で あ
る とい う記 述 を 見 出す こ とは で きな い。 む しろ,ニ カ ー ヤ に お い ては す で に雲
井 昭 善 氏 に よっ て 明 らか に され た よ うに詭 弁 論 に 関 わ りが あ る よ うで あ る。22》
3.ロ ー カ ー ヤ タ と唯 物 論
さ て,次 に 紀元 前 後 か ら六 世 紀 に か け て成 立 した 資 料 に 基 づ い て 検討 してみ
た いQ
『マハ ー/ミー ラタ 』(Mahabharata)の 中に 「Carvaka」,「Lokayatika」 と
い う語 を 見 出 す こ とが で き る。 それ は次 の ご と くで あ る。
Carvaka:1-2-63.
12-39-22.
12-39-33.
12-39-39.
12-39-47.
Lokayatika:1-64-47.
しか し,こ れ らの中 に あ って は 「Carvaka」,「Lokayatika」 とい う名 のみ
が 挙 げ られ て お り,唯 物 論 との関 わ りを 見 出す こ とは で き な い。23》ま た,そ の
反 対 に 『マ ハ ーバ ー ラ タ』 の中 に 唯 物 論 に基 づ く と考}ら れ る思 想 も見 られ る
が,・ ロー カ ーヤ タ との 関わ りを 見 出 す こ とは で き な い 。一 例 を あげ る と,
Avinaso'syasattvasyaniyatoyadibharata/
Bhittvasarirambhutanamnahimsapratipatsyate24)//12-13-6//
バ ー一ラ タ よ,も し,か の生 あ る もの が不 滅 で あ り,不 変 で あ るな らば,生
あ る もの の身 体 を滅 して 〔も〕,殺 生 とは な り得 な い だ ろ う。
な ど とあ る。 また 『マハ ーバ ー ラ タ』 の一 節 を なす 『バ ガ ヴ ァ ッ ド ・ギ ー タ ー』
(Bhagavad=gato)16-8セ こ,
Asatyamaprasthamcajagadahuranisvaram/
Aparasparasambhutamkimanyatkamahaitukam25》//
世 間 は,真 理 な く,根 拠 な く,自 在 神 な し と言 う。
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ローカーヤタ派 と唯物論
順 次 に発 生 した もので は な く,愛 欲 に起 因 す る もの に他 な らな い。
と あ り,唯 物 論 に 立 つ 者 の 主張 が 見 られ る。 しか し,「 ロー カ ーヤ タ」,あ るい
は 「チ ャ ール ヴ ァ ー カ」 とい う語 は見 当 た らな い 。 そ の ため,こ こで も ロ ー カ
ー ヤ タ と唯 物 論 との 接 点 を確 認 す る こ とは で きな い。
この 中 に あ って 次 に取 り上 げ る 『ラ ン カー ヴ ァタ ー ラ ・ス ー トラ』(Lanka-
.vatara=sutra:A.D.400年)に 伝 承 され て い る ロー カ ー ヤ タ派 は注 目 され る
資 料 の一 つ で あ る。26》従 来,こ の経 に 伝 承 され た ロー カ ー ヤ タ派 は詭 弁 論 者 で
あ る と言 わ れ て きた 。 しか し,そ の 内 容 を仔 細 に検 討 す る と詭 弁 論 の み な らず,『
唯 物 論 の 思 想 も見 られ る の で あ る。 そ れ は,次 の如 くで あ る。
Lokayatikovicitramantrapratibhanonasevitavyonabhaktavyona
paryupasitavyoyamcasevamanasyalokamisasamgrahobhavatina
dharmasamgrahaiti27>/
kな る 言辞 や弁 才 を有 す る ロー カー ヤ タ の徒 は,仕 え られ るべ きで は な
く,供 養 され るべ きで は な く,尊 敬 され るべ きで は な い 。そ して,そ れ に
仕}る 者 に は世 間 的 な欲 望 の 獲 得 が あ っ て も,法 の 獲得 は な い と。
と あ る。 ロー カ ー ヤ タ の徒 に 仕}る もの に は世 間的 な欲 望 の獲 得 が あ る とい う'
こ とは,詭 弁 論 と して よ りも,む しろ,唯 物 論 に関 わ りが あ る と考 え られ るの
で は ない か。 ・
また,次 の よ うな記 述 も見 られ る。 、 ・ノSarirabuddhivisayopalabdhimatramhimahamatelokayatikair
desyatevicitraihpadavyanjanaih28)/
実 に,マ ハ ーマ テ ィ よ,ロ ー カ ー ヤ タの徒 は種kな る句 や 音 節 に よっ て 身
体 に 基 づ く認 識 に よる対 象 の把 握 の み を説 く。
と あ る。 また,そ の 相 当漢 訳(菩 提 流 支 訳)で は,
「盧 迦 耶 陀 婆 羅 門所 説 之法 。但 見 現 前 身 智 境 界」29)
と あ り,菩 提 流 支 は,「 現 前 」 とい う語 を補 って訳 してい る。 この こ とか ら,
この 一文 は 知 覚 の み を認 め る ロ ー カ ーヤ タ派 の思 想 を 意 味 して い るの で は な い
:だろ うか 。
さ らに,他 世(paraloka)の 存 在 を め ぐっ て龍 王 ク リシ ュナ パ クシ ィカ
ー11'一
佛教大學大學院紀要通巻第23號
(Krsnapaksika)が 世 尊 と議 論 した とす る記 述 が 『ラ ン カー ヴ ァタ ー ラ ・入
一 トラ』 に お け る ロー カ ー ヤ タ派 に 関す る一 連 の解 説 の中 に 見 られ る。
Athakhalukrsnapaksikonagarajobrahmanarupenagatyabhaga-
vantametadavocat/tenahigautamaparalokaevanasamvid-
yate/tenahimanavakutasteamagatah/ihahamgautama.
svetadvipadagatah/saevabrahmanaparalokah/athamanava
nispratibhanonigrhitoantarhito…30}/
実 に,そ の 時,龍 王 ク リシ ュナパ ク シ ィカ は,バ ラモ ソ の姿 を して世 尊 に
近 づ き,次 の よ うに言 った 。
「ところ で,ガ ウタ マ よ,他 世 とい うもの は存 在 しな い」
「そ れ な らば,青 年 よ,あ なた は ど こか ら来 た の か」
「ガ ウ タマ よ,私 は 白 い 島 か らこ こに や って来 た 」
「バ ラ モ ン よ,そ れ こそ が他 世 で あ る」
そ こで,青 年 は弁 才な く,負 か され,隠 れ 去 った 。
とあ る。 こ こで は,龍 王 ク リジ ュナパ ク シ ィ カは 他世 の存 在 を否 定 した の で あ
る が,こ の他 世 否 定 とい う思 想 は,詭 弁 論 と して で は な く,唯 物 論 に 基 づ くも
の で あ る 。
また,『 ラン カ ー ヴ ァタ ー ラ ・ス ー トラ』 に は ロ ー カ ー ヤタ派 に 関す る一 連
の 解説 の箇 所 以 外 に も唯 物 論 者 と して の ロ.一カ ー ヤ タ派 の 思 想 が 見 出せ る。 無
常 性(Anityata)品 に 「無 常 」 に関 して 八種 の外 教(tirthakara)の 説 が 見 ら・
れ るが,そ の 中 の一 説 に,
Tatrasamsthananityanamayadutayasya,rupamevanityamtasya..
samsthanasyanityatanabhutanam/athabhutanamanityatasyat,.
lokasamvyavaharabhavahsyat/lokasamvyavaharabhavallokaya-
tikadrstipatitahsyat,vagmatratvatsarvabhavanam,napunah_
svalaksanotpattidarsanat31>/
そ め 中 で,形 の無 常 とい うの は,す なわ ち,お よそ 色 そ の もの が無 常 で あ
る そ の もの に は形 の無 常 性 が あ るの で あ っ て,〔 四〕大 種 に 〔無 常 性 が あ る
の で 〕 は な い 。 も し,〔 四 〕大 種 に 無常 性 が あ る のな らば,世 間 的 な言 語 習
一12一
ローカーヤタ派と唯物論
慣はな くなるであろ う。世間的な言語習慣がないからローカーヤタ派の見
解に陥るであろ う。何となれば,す べての存在には言葉のみとい うことが
あって,決 して本性の生ずることを見るからではない。
とある。 これは四大種のみが常住であり,そ れに対して四大種か ら成る集合体
は無常であ り,「 瓶」などとい う言葉は四大種から成る集合体に与}ら れる仮
の名称にす ぎないとする唯物論思想である。
以上のように 『ランカーヴァターラ ・スー トラ』には,
(1)ローカーヤタ派に仕}る 者には世間的な欲望の獲得がある。
(2)知覚のみを認める。
(3)他世存在の否定。
(4)四大種のみが常住であり,四 大種か ら成る集合体は無常である。
という唯物論の思想が見出せる。ここで初めて 「ローカーヤタ」 と 「唯物論」
との接点を確認できるのである。
次に 『ランカーヴァターラ ・スー トラ』 より後の資料であるが,『 大乗広百
論釈論』(護法Dharmapala,A.D・530-560)を 取 り上げねばならない。その
理 由はここには体系化 されたローカーヤタ派の思想の幾つかを確認することが
で きるか らである。それを見ると,
「復次順世外道作如是言。諸法及大種為性。四大種外無別有物。即四大種和
合為我及身心等内外法。現世是有。前後世無。有情数法如浮泡等」32)
云 々とある。順世外道,す なわち,ロ ーカーヤタ派の主張は次の三点に要約す
る ことができる。
(1)四大種のみが真の実在である。
(2)我(ア ート`7ン)や 心,身 体などの内的,あ るいは外的な存在は四大種か
ら成 っている。
(3)現世のみが存在し,前 世 ・来世といった他世は存在 しない。
これらの思想は,前 述 した 『ランカーヴァターラ ・スー トラ』に見られる思
想 の幾つかと共通する。
さらに,『 金七十論』巻中(真 諦訳,訳 出年代A.D.54$-569)に もローカ
ー ヤタ派 の思想が見られる。
-13一
佛教大學大學院紀要通巻第23號
「路歌夜多論説。此云世入。
〈能生鵝白色。鸚鵡生緑色。孔雀生雑色。一我亦従此生〉」33)
とある。この思想は,現 象の多様性は本性に基づ く自然発生的なものであると
い ラ唯物論に基づ く思想である。また,「 路歌夜多」(Lokayataの 音写語)
とあることから,わ れわれは,ロ ーカーヤタと唯物論 との接点を確認すること.
ができる。34)
このように 『マハーマミーラタ』にはローカーヤタと唯物論の接点を確認でき
なかったものの,『 ランカーヴァターラ ・スートラ』,『大乗広百論釈論』,『金
七十論』においてローカーヤタと唯物論の接点を確認することができるのであ
る。それ らの諸文献の成立年代 より見て,西 暦後400年 にはローカーヤタは唯
物論的傾向を有する一派として成立していたと考}ら れる。
4.結 論 にか えて
以上,ロ ーカーヤタと唯物論との接点を探ってみた。その結果,『 ラソカー
ヴァターラ ・スー トラ』に至って初めてローカーヤタと唯物論との確実な接点
を確認できることをわれわれは知ったのである。35}
また,(1)ロ ーカーヤタ派に仕える者には世間的な欲望の獲得があるとい うこ
と,(2)知 覚のみを認めるとい うこと,と い う思想はローカーヤタ派の思想史を
考察する上で重要な位置を占めていると考}ら れる。その理由は,こ れ以前に
おける唯物論の伝承は,前 述したように仏教資料 と して はパーリ伝 『沙門果
経』に伝承 されるアジタ ・ケーサカムバ リン説,ジ ャイナ教資料 としては 『イ
シバーシャーイム』第20章 「ウッカラ」などに見られるが,そ れらの中にあっ
ては,世 間的な欲望を得るということ,知 覚のみを認めるとい う思想は見出す
ことはできないか らである。ただ,唯 物論 という立場か ら考えていくとアジタ
な どの唯物論者が世間的な欲望の獲得を人々に説き,正 しい認識手段 として知
覚のみを認めていたとい うことも全く理解できないわけではない。しか し,こ
れらの思想は 『沙門果経』などの資料に徴する限 り見 られない。また,前 述 し
たようにそれ らの資料のいずれも唯物論が ローカーヤタ派の思想であるとは晦
一14-一
ローカ厂 ヤタ派 と唯物論
記 して い な い。 従 って,『 ラ ンカ ー ヴ ァタ ー ラ ・ズ ー トラ』 に至 っ て初 め て,1
世 間 的 な欲 望 の獲 得,正 しい 認識 手 段 と して知 覚 のみ を 認 め る とい う理 論 を 確
認 す る こ と がで き る ので あ る。
さ らに,『 ラ ソ カ ー ヴ ァ タ ー ラ ・ス ー トラ』 が 体 系 化 され た ロー カ ー ヤ タ派
の 思 想 を 伝xる 資 料(『 サ ル ヴ ァ ・ダル シ ャナ ・サ ム グ ラバ』,『 タ ッ トヴ ァ ・
サ ム グ ラバ 』 な ど)に 見 られ る ロ ー カー ヤ タ派 の思 想 の 幾 つ か を早 くか ら伝 承
して い る こ とか ら,『 ラ ン カ ー ヴ ァ ター ラ ・ス ー トラ』 の 成 立 した 頃,す なわ
ち,西 暦 後400年 に は ロー カー ヤ タ派 は 「唯物 論 的 な傾 向を 有 す る一派 」 と し
て す で に 成 立 して いた ので は な いか と考xら れ る。 そ の 意 味 に お い て も 『ラ ソ
カ ー ヴ ァ タ ー ラ ・ス ー トラ』 に 見 られ る ロー カ ー ヤ タ派 の 伝 承 は そ の思 想 史 を
探 る上 で 貴 重 な資 料 で あ る とい え る。
最後 に,体 系 化 され た ロー カ ーヤ タ派 の理 論 と こ こで 取 り上 げ た資 料 との対
照 表 を 掲 げ て この小 論 を 終 え る こ とにす る。
Lankavatara-
sutra
大乗広百
論 釈 論 金七十論
沙門果経
アジタ説
Isibhasiydiam
一 切 断 見説
(の1
(ii)
0
O
i/O
i..
/1 0
1//
(iii)/ 0 / /1/(iv)ノ i
ト
○ / /(v) △ ※ 0 / /1 0
(vi) O 0 / 0 O
(vii)1 O 1/!/ i/1/(i)Pratyaksaikaparmanavada
(li)bhutamatravada
(lii)bhutacaitanyavada
(iv)svabhavavada,svabhavikajagadvada
(v〕dehatmavada,dehamatratmadarsana
(vi)paralokapavada
(vii)kamarthavada'
※Lankavatarasutra(p.47)にtirthakara(外 教)の 説 と してrSajivastac
一15一
佛 教 大 學 大 學 院 紀 要 通 巻 第23號
chariram」(か の霊 魂 それ は身 体 〔そ の もの 〕 で あ る。)と あ り,Dehatmavada
の思 想 が 見 られ る。 しか し,こ れ が ロー カ ー ヤ タ派 の思 想 で あ る とい う明記 は な
い の で△ 印 と した 。
註
1)大 正30,168c.
2)Lankavatara-sutra,p.71.
3)大 正16.503b,
4)大 正16.547c.
5)大 正16.612c.
6)文 脈 に した が っ て理 解 の ため にlokayatanamを 補 充 した 。Tattvasamgraha-
panjika,ed.DwarikadasShastri,BauddhaBharatiSeries,Varanasi,1968,
p.634.
7)Advaitabrahmasiddhi,ed.VamanSastri,ParietalSanskritSeriesNo.5,
Delhi,1993,p.99.
8)生 井 衛 「後 期 仏 教 徒 に よるBarhaspatya批 判 〔1〕Barhaspatya思 想 の概
観 」,『 イ ソ ド学 報 』2号,1976.
9)生 井 前 掲,論 文pp.45-46.
10)雲 井 昭善 罠 は 「マ ー ダ ヴ ァの チ ャー ル ヴ ァー カ ・ダル シ ャナ は,極 めて ま とま っ
た紹 介 書 とし て,〔 中略 〕 そ こに 伝xら れ る ロ ーカ ー ヤ タ 思 想 は,そ れ 以 前 に も の
され た,イ ン ド哲 学 のそ の他 の文 献 〔中 略 〕 に 伝 え られ る ロー カ ー ヤ タ(=チ ャー
ル ヴ ァー カ)と 一 致 してい る」 か ら 「ダル シ ャ ナY'伝 承 され た ロー カ ー ヤ タ思 想 は, 、
マ ー ダ ヴ ァの著 に お い て集 約 され て い た 」 と見 る。 雲 井 昭 善 『仏 教 興 期 時 代 の思 想
研 究 』 平 楽 寺 書 店,1967,pp.100-101
11)龍 山章 真 氏 は 「確 定 的V'は 言 えな い が,西 紀 前 第三 世 紀 か ら唯 物 論 的 な 学 派 名 と
し て用 い られ る」 とす る。(龍 山 章 真 「lokayataに 関す る研 究 」 『大 谷 学 報 』11
-1)し か し,龍 山氏 の論 証 は推 測 の域 を 出ず,内 容 の検 討 も不 十 分 で あ る。
12)高 木誅 元 『初期 仏 教 思 想 の研 究 』法 蔵 館,1991,P.153.
13)Isibhasiydin2,p.38
14)長 部第 一 経BYahmajala・suttaDN.vol.1,P.11.第 二Sdmannaphala・sutta
I)N.vol.1,P.66,中 部Sandaka・suttaMN..vol.1,P.513な ど。
15)長 部第 三経Ambattha-sutta.1)N.vol.1,P.88.第 四 経Sonadanda-suttaDN.
vo1.1,P.114.第 五 経Kutadanta-suttaDN.vo1.1,P.130.Sn.P.105な ど。
16)SN,vol.2,p.77.
17)AN,vol.4,p.428.
-16一
mカ ー ヤ タ派 と唯物 論
18)DN.A;vol.1,pp.90-91.MN.A,vol.3,p.223.SN.A,vol.3,p.295.
AN,A,vol.4,pp.46-47.
19)DN.A:vol.1,p.247.MN.A,vol.3,p.362.
20)S1丶TA.vo1.3,P。76.
21)AN.A,vol.4,p.200.
22)雲 井 前 掲 書,pp.96-125.
23)厂12-39」 に お い て チ ャー ル ヴ ァー カ(Carvaka)と い う文 字 が ま とま っ て 見 ら
れ るが,こ こで は,チ ャール ヴ ァー カ とい う名 の ラー ク シ ャサ(Raksasa)が ユ デ
ィシ ュ テ ィラ(Udhisthira)王 を 罵 る とい う内 容 で あ り,唯 物 論 との接 点 を見 串す
こ とは で きな い 。
24)Mandbhayata,13vo1.p.47.
25)Ehagavadgitd,p.336.
26)拙 稿 「ラ ン カ ー ヴ ァタ ー ラ ・ス ー トラに 見 られ る ロー カ ー ヤ タ派 」 『印度 学 仏 教
学 研 究 』43-1.pp.446-444参 照 。
27)Lankavatara-sutra,p.70.
28)Lankavatara-sutra,p.71.
29)大 正16,547c.
30)Lankavatara-sutra,p.73.
31)Lankavatara-sutra,p.84.
32)大 正30,195c.
33)大 正54,1252a.
34)こ の 他 『有 部 毘 奈 耶 』巻35に 「是盧 迦 曳 多 説 無後 世 」(大 正23,817b)と あ り,
ロー カ ー ヤ タ派 の 他 世 否 定 の 思 想 が 見 られ る。
35)前 掲 拙稿 参 照 。
-17一