辻 本 俊...

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ローカーヤタ派と唯物論 1.問 題の所在 ロ ー カ ー ヤ タ(Lokayata) ,あ る い は,チ ャ ー ル ヴ ァ ー カ(Carvaka)と ば れ る こ の学 派 は,正 統バラモン学派とその思想体系に真っ向から対立するの み な ら ず,仏 教 や ジ ャイナ(Jaina)教と もそ の思 想 体 系 の趣 を異 にす る。 そ の た め,い つ の 時 代 に お い て も,そ れ らの 学 派 か ら論 駁 され るべ き対 象 とな っ ていた。 さ て,こ の ロ ー カ ー ヤ タ 派 を 研 究 す る 際 に 最 も 痛 感 さ れ る 困 難 な 点 は,こ 一派の自らの教義を体系的に記述している独立した論書が全く伝わ っていない ことである。ローカーヤタ派に属する唯一の文献として 『タ ッ トヴァ ・ウパ プ ラ ヴ ァ ・ シ ンハ 』(Tattvopaplavasimha:JayarasiBhatta,C.650-7 あ る。 そ れ は,そ の 内容 が ロ ー カ ーヤ タ派 の 祖 ブ リハ ス パ テ ィ(Brhaspati) の 学 説 の み に 従 っ て,他 のすべての哲学学派の認識論に関する主張を批判して い る の で あ る が,残 念なことにその内容はローカーヤタ派の思想全体を対象と しているものではない。 そ れ で は,ロ ーカーヤタ派は 『タ ッ トヴ ァ ・ウパ プ ラ ヴ ァ ・シ ンハ』 以 外 に そ の 思 想 体 系 を 文 字 に 残 さ な か っ た の で あ ろ うか 。 現 在,こ の一派の根本聖典 と考}xられ る 『ロー カー ヤ タ ・ス ー トラ』(Lokayata・sutra,あ る い は,Ca- rvaka-sutra,Barhaspatya-sutraと も言 う)と 名 付 け られ るべ き も のが 存在 し な い ので あ る 。 しか し,そ のことは 『ロー カ ー ヤ タ ・ス ー トラ』 が か つ て一 度 も著 され な か った とい うこ とを 意 味 す る ので は 決 して な い 。 とい うの は,『R -1一

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ロー カ ーヤ タ派 と唯 物論

辻 本 俊 郎

1.問 題 の 所 在

ロ ー カ ー ヤ タ(Lokayata),あ るい は,チ ャー ル ヴ ァー カ(Carvaka)と 呼

ば れ る こ の学 派 は,正 統 バ ラ モ ン学 派 とそ の 思 想体 系 に 真 っ 向 か ら対 立 す る の

み な らず,仏 教 や ジ ャイナ(Jaina)教 と もそ の思 想 体 系 の趣 を異 にす る。 そ

の た め,い つ の時 代 に お い て も,そ れ らの 学 派 か ら論 駁 され るべ き対 象 とな っ

て い た 。

さ て,こ の ロー カ ー ヤ タ派 を 研 究 す る際 に 最 も痛感 され る 困難 な 点 は,こ の

一 派 の 自 ら の教 義 を 体 系 的 に 記 述 して い る 独立 した論 書 が 全 く伝 わっ て いな い

こ とで あ る。 ロー カ ーヤ タ派 に 属 す る唯 一 の文 献 と して 『タ ッ トヴ ァ ・ウパ プ

ラ ヴ ァ ・シ ンハ 』(Tattvopaplavasimha:JayarasiBhatta,C.650-700)が

あ る。 そ れ は,そ の 内容 が ロ ー カ ーヤ タ派 の 祖 ブ リハ ス パ テ ィ(Brhaspati)

の学 説 の み に 従 って,他 の す べ て の 哲学 学 派 の認 識 論 に 関す る主 張 を批 判 して

い る の で あ るが,残 念 な こ とに そ の 内 容 は ロー カ ー ヤ タ派 の思 想 全 体 を 対 象 と

して い る も ので は な い 。

そ れ で は,ロ ー カー ヤ タ派 は 『タ ッ トヴ ァ ・ウパ プ ラ ヴ ァ ・シ ンハ』 以 外 に

そ の思 想 体 系 を文 字 に残 さ な か った の で あ ろ うか 。 現 在,こ の一 派 の根 本聖 典

と考}xら れ る 『ロー カー ヤ タ ・ス ー トラ』(Lokayata・sutra,あ るい は,Ca-

rvaka-sutra,Barhaspatya-sutraと も言 う)と 名 付 け られ るべ き も のが 存在 し

な い ので あ る 。 しか し,そ の こ とは 『ロー カ ー ヤ タ ・ス ー トラ』 が か つ て一 度

も著 され な か った とい うこ とを 意 味 す る ので は 決 して な い 。 とい うの は,『R

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佛教大學大學院紀要通巻第23號

一 カ ーヤ タ ・ス ー トラ』 な る経 典 の名 称,あ るい は 引 用 が イ ン ド哲 学学 派 の諸

文 献 の中 に,多 く見 られ るか らで あ る 。 そ の例 を い くつ か あげ る と,

『百 論 』 巻 上 で は,

「如 有 経 名 婆 羅 呵 帝 」1)

とあ る。 こ こにい う婆 羅 呵 帝 とはBarhaspatyaの 音 写 で あ る。 また,『 ラ ソ

カ ー ヴ ナタ ー ラ ・ス ー トラ(Lankavatara-sutra)で1よ,

Satasahasrammahamatelokayatam2)/

マ ハ ー マ テ ィ よ,ロ ー カ ー ヤ タは 百 千 〔か ら成 る 句や 音 節 〕 を 有 して い る。

とあ り,こ れ1Y対 す る相 当漢 訳 で は,

「大 慧 。彼 世 論 者 乃 有 百 千 」3)(求 那 跋 陀 羅訳)

「大慧 。盧 迦 耶 陀 婆 羅 門所 造 之 論 有 百 千 偈 」4)(菩 提 流支 訳)

「大慧 。 彼世 論有 百 千 字 句」5)(実 叉 難 陀 訳)

とあ り,R一 カ ーヤ タ派 の論 書 は,百 千 とい う数 字 が示 して い る よ うに 大 部 で

あ った よ うで あ る。 ま た,A.D;8世 紀 以 降 に 著 され た イ ン ド哲 学 論 書 に は

『Rカ ー ヤ タ ・ス ー トラ』 の 引用 が しば しば 見受 け られ る。 例 え ば,『 タ ッ

トヴ ァ ・サ ム グ ラバ ・パ ン ジ カー』(Tattva-samgraha-panjika:Kamalasila

700-750A.D.)に は,

Tathacatesam(lokayatanam)sUtram_6)/

とあ り,ま た,『 ア ドヴ ァイ タ ・ブ ラ フマ シ ッデ ィ』(Advaitabrahmasiddhi:

Sadananda,15c.)に は,

Tathacabarhaspatyanisutrani_7)/

とあ る 。 こ の よ うに,か つ て ロ ー カ ーヤ タ派 に は 『ロー カー ヤ タ ・ス ー トラ』

と名 付 け られ るべ き経 典 が 存 在 して い た とい うこ とは 明 らか で あ る 。

ロー カ ー ヤ タ派 の根 本 経 典 『ロ ー カ ー ヤ タ ・ス ー トラ』 が,何 らか の事 情 に

よっ て現 存 しな い今,ロ ー カ ー ヤ タ派 の思 想 理 解 のた め に は,イ ン ド哲 学 学 派

の論 書 な どの諸 文 献 に伝 え られ る ロー カ ー ヤ タ派 の思 想 を よ り多 く収 集 し,か

つ,整 理 す る こ とが不 可 欠 で あ る と考 え られ る。

た だ し,イ ン ド哲学 学 派 の諸 文 献 に 見 られ る ロー カ ー ヤ タ派 の思 想 は,そ れ

ぞ れ の 学 派 が 自己 の立 場 に基 づ い て,ロ ー カ ー ヤ タ派 の思 想 を批 判 し,こ れ を

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ローカーヤタ派 と唯物 論

論 駁 し よ う とす る もの で あ る か ら,ロ ー カ ー ヤ タ派 の思 想 に 対 して 曲 解 が 含 ま

れ て い るで あ ろ うこ とは十 分 に予 想 され うる こ とで あ る。.そ の た め,ロ ー カー

ヤ タ派 の思 想 を 客観 的 に捉xよ う とす る場 合,ロ ー カー ヤ タ 派 の 思 想 を取 り巻

い てい る 曲解 を取 り除 く必 要 が あ る。

そ の よ うな状 況 に あ っ て,生 井 衛 氏 は,ロ ー カー ヤ タ派 の思 想 を 取 り巻 い て

い る曲 解 を 取 り除 くた め,他 学 派 の 諸 文 献 に 引 用 され た 『Rカ ー ヤ タ ・ス ー

トラ』 の断 片,ま た は,ロ ー カ ーヤ タ派 の祖 ブ リハ ス パ テ ィに 帰 せ られ る詩 頌

な どを 収 集 整理 し,そ の理 論 体 系 を 再 構 成 す る こ とに成 功 して い る 。8}

生 井 氏 に よ る と,そ の主 要 理 論 は 以 下 の七 項 目で あ る とす る 。9}

(1)正しい 認 識 を もた らす 手 段(pramana)と して妥 当 な の は,直 接 知 覚

(pratyak§a)の み で あ る。

(ii)地水 火 風 の四 物 質 要 素(bhuta)の み が 真 の実 在(tattva)で あ り,万 物

はそ の 四 物 質 要 素 の 仮 の集 合 にす ぎ な い。

㈲ 精 神 作 用(caitanya)は 四 物 質 要 素 か ら生ず る。

(iv)〈見}な い 力〉(adrsta)が 世 界 の創 造 に関 与 した り,<善 悪 の 行為 の余

力 〉(karmasaya)と して多 様 な現 象 を 秩 序 づ け た りす る ので は な い 。

現 象 の 多様 性 は本 性 に基 づ く自然 発 生 的 な もの(svabhavika)で あ る。

(V)人間 存 在(puru§a)と は 身体 に ほ か な らず,い わ ゆ るatmanと は 身 体 の

こ とで あ る。

(vi)他世(paraloka)は あ りえ な い 。

(vii)人間 の 目的 は 快 楽(kama)と 利 益(artha)で あ り,宗 教 的 義 務(dha-

rma)は 無 益 で あ る。

以 上 の よ うな 七項 目は,イ ン ド哲 学 論 書 に み られ る ロー カー ヤ タ派 の 次 の諸 理

論 に 対 応 す る とす る 。

(i)pratyaksaikapramanavada.

(ii)bhutamatravada.

(iii)bhutacaitanyavada.

(iv)svabhavavada,svabhavikajagadvada...

{v)dehatmavada,dehamatratmadarァana.

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佛教 大學大學院紀要 通巻第23號

(vi)paralokapavada.

(vii)kamarthavada.

前 述 した よ うに,こ れ ら の思 想 は,『 ロ ー カー ヤ タ ・ス ー トラ』 の断 片 を 収

集 す る こ とに よ り再 構 成 され た も ので あ る。 した が って,『 ロー カー ヤ タ ・ス

ー トラ』 の 断 片 よ り明 らか とな っ た思 想 は体 系 化 され た ロ ー カ ーヤ タ派 の それ

で あ る こ とは 言 を俟 た な い 。1°)しか しなが ら,当 然 ロ ー カ ー ヤ タ派 が そ の初 期

形 態 よ り 『ロ ー カ ーヤ タ ・ス ー トラ』 を 編纂 す る に至 る まで 発 展 的 変 遷 が あ っ

た こ とは 十 分 に予 想 され る こ とで あ る。

で は,ロ ー カ ー ヤ タ派 の思 想 体 系 は,イ ン ド哲学 史 上,い か な る変 遷 を た ど

っ て発 展 して きた の で あ ろ うか 。 この こ とは,も と よ り,ロ ー カー ヤ タ派 の成

立 の問 題 と関 わ る もの で あ るが,小 論 で は,こ の よ うな 疑 問 か ら端 を 発 し,い

つ 頃,ロ ー カー ヤ タ派 が 「唯 物 論 的傾 向を 有 す る一 学 派 」 と して 形 成 さ れ た の

で あ ろ うか とい う点 に関 して資 料 に基 づ い て若 干 の考 察 を 加 え た い 。ω 従 って,:

『ロ ー カ ーヤ タ ・ス ー トラ』 成 立 以 前 の,す なわ ち,体 系 化 され る以 前 の ロ ー

カ ー ヤ タ派 に 関 し て考 察 す る こ とに な る。

なお,こ の小 論 で 扱 う原,典は,次 の通 りで あ る。

AN.=Anguttara-Nikaya.

AN.A=AN.Atthakatha(IYIanorathapurani).

DN.=Digha-Nikaya.

PN.∠4=DN.∠4蜘 α々 α〃za(Sumangalavilasinの.

MN.=ハ7aガ1z伽 α一Nikaya.

MN.A=MN.Atthakatha(Papancasudani).

SN.=Samyutta-Nikaya.

SN.A=SN.Atthakatha(s伽 観 勿 ρα妬s勿 の.

Sn.=s厩'α ηψ耐 α.

こ れ らパ ー リ原 、典に 関 して はPTS本 を 使 用 す る。

Isibhasiyaim;Isibhasiyaim,L.D.Series45,ed.byW.Schubring.

Ahmedabad.1974.

Mahabhayata;TheMahabhayata,forthefirsttimecriticallyed.by

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ローカ ーヤタ派 と唯物論

V.S.Sukthankar(22vols.)Pogna, ,1927-1966(批 判 校 訂 版)

Bhagavad-gita;TheBhagavad-gitawithanIntroductionEssay,

SanskritText,EnglishTranslationandNotes,ed.byS.

Radhakrishnan.London,1989.

Lankavatara-sutra;Saddharma-lankavatara-sutram,BuddhistSamskrit

SeriesNo.3,ed,byP..L.Vaidya,Darbhanga,1963.

2。 パ ー リ伝 に み る ロ ー か 一ヤ タ派

パ ー リ伝 『沙 門 果 経 』(Dighanikaya第 二 経 ,Samannaphalasutta)セ こは

仏 教 興 期 時 代 に 活 躍 した 自由思 想 家 を 代 表 す る,い わ ゆ る,六 師 外 道 の名 とそ

の 説 が 紹 介 さ れ て い る 。 そ の六 師 とは,

1,プ ー ラ ナ ・カ ッサ パ(PuranaKassapa)

2,マ ッカ リ ・ゴ ーサ ー ラ(MakkhaliGosala)

3,ア ジ タ ・ケ ー サ カ ム バ リン(AjitaKesakambalin)

4,パ ク ダ ・カ ッチ ャ ー ヤ ナ(PakudhaKaccayana)

5,サ ンジ ャ ヤ ・ベ ー ラ ッテ ィプ ッタ(SanjayaBelatthiputta)

6,ニ ガ ン タ ・ナ ー タ ブ ッタ(NiganthaNataputta)

で あ る。 そ の 中 で,ア ジ タ ・ケ ーサ カ ムパ リンは唯 物 論 者 で あ って,そ の主 張

が ロ ー カ ー ヤ タ派 の思 想 と接 近 して い る た め,従 来,ロ ー カ ーヤ タ派 の先 駆 者

で あ る といわ れ て きた 。 ア ジ タ の主 張 は 次 の四 点 に 要 約 で きる 。

(1)布施,祭 祀,供 儀 の否 定

(2)現世,他 世 の否 定

(3)善悪 業 の果 報 の否 定

(4)人間 は 四 大 種 か ら構 成

ア ジ タ の これ らの 思想 は断 滅 論(Ucchedavada)で あ る と,『 沙 門 果 経 』 は マ

ガ ダ(Magadha)国 王 ア ジ ャー タサ ッツ(Ajatasattu)の 言 葉 を 借 りて 伝 え て

い る。 しか し,な る ほ ど,ア ジ タの 思 想 は ロー カー ヤ タ派 の 思 想 と近 しい 関 係

に あ る ので あ るが,彼 が ロー カー ヤ タ派 の先 駆 者,あ るい は ロー カー ヤ タ派 の

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佛教大學大學院紀要通巻第23號

系統 で あ る とは,パ ー リ伝 『沙 門 果 経 』 を初 め,漢 訳 『沙 門 果 経 』,異 訳 『寂

志 果経 』,ア ッタ カタ ー(Atthakathの な どの諸 資 料 に はそ の記 述 を 見 出す こ

とは で き な い 。

また,ア ジ タだ け に限 らず,唯 物 論 に 近 しい,あ るい は唯 物 論 に 基 づ く と考

え られ る 見解 を抱 い て いた 思 想 家 は 他 の五 師 の 中 に も見 出せ る。 す な わ ち,パ

クダ ・カ ッチ ャー ヤ ナ,プ ー ラ ナ ・カ ジサ パ,ラ ッカ ウ ・ゴ ーサ ー ラで あ る 。

お よそ 彼 らは,「 善 悪 業 の異 熟 果 は な し」 とい う見解 を 有 し,中 で もパ ク ダ ・

カ ッチ ャ ー ヤナ は純 粋 な唯 物 論 者 で は ない が,七 要 素 説(地 ・水 ・火 ・風 ・苦

・楽 ・霊 魂)を 説 き,唯 物 論 的 思 想 を主 張 して い た こ とは否 定 す べ くも ない 。

しか しなが ら,彼 ら も また ロー カ ㌣ ヤ タ派 の 系 統 を くむ もの で あ る とは,パ

ー リ伝 『沙 門 果 経 』 を 初 め ,漢 訳 『沙 門果 経 』,、異 訳 『寂 志 果 経 』,ア ッタ カ タ

ー な どの諸 資 料 に は そ の 記 述 を 見 出 す こ とは で きな い 。

一 方,ア ジ タ の よ うな 断 滅 論 者 が い た こ と准 ジ ャ イナ 教 の 文 献 で あ る 『イ シ

ノミー シ ャ ーイ ム』(lsibhasiyaim)の 中 の ウ ッカ ラ(Ukkala)章 は 伝 えて い る 。

そ こで は,次 の五 種 の断 見 説 が 紹 介 され て い る。1

(1)杖の 断 見(Dand'ukkala)

(2)縄の 断 見(Rajj'ukkala).

(3)盗の 断 見(Tan'ukkala)

(4)部分 的 断 見(Des'ukkala),'・.

(5)一切 断 見(Savv'ukkala)

こ の中 の⑤ 一切 断 見 は,高 木 諍 元 氏 に よって ア ジ タ説 と比定 され て い る。12)こ

の 説 は,

Uddhampaya-talaahekes'agga-matthaka,esaata-pajjavekasine

taya-pariyantejive,esajivejivati,etamtamjivitambhavati/

Sejahanarratedaddhesubiesunapunoankur'uppaitibhavati,

evamevadaddhesarirenapunosarir'uppattibhavati,tamha

inamevajivitam,n'atthipara-loe,n'atthisukada-dukkadanam

kammanamphala-vitti-visesei3>/

足 の 裏 よ り上,髪 の毛 や 頭 よ り下,こ の 自身 に関 す る皮 膚 の終 わ りまで,、

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ローカーヤ タ派 と唯物 論

霊 魂 で あ る。 この霊 魂 は生 命 で あ る。例 え ば,種 子 が 焼 か れ る時,再 び,

芽 の生 起 は な い 。 同様 に,身 体 が焼 か れ る 時,再 び身 体 が 生 ず る こ とは な

い。 そ れ故,こ れ こそ が 生 命 で あ り,他 世 な く,善 悪 業 の 特殊 な 果報 は存

、在 しな い 。

.と あ る。 この説 は次 の三 項 目に要 約 され よ う。

(1)身体 は霊 魂 に他 な らな い とい うこ と。

(2)他世 の否 定 。

(3)善悪 業 の異 熟 果 の 否 定 。

こ こで,わ れ わ れ は,こ の 一切 断 見説 が ア ジ タ の説 と近 しい関 係 を もつ とい う

こ とを 窺 い 知 る こ とが で き るが,こ こで も また,ロ ー カー ヤ タ派 との確 実 な 関

わ りを 見 出 す こ とは で きな い。

次 に,ニ カ ー ヤの 中 に 見 られ る 「ロ ー カ ーヤ タ(lokayata)」 とい う文 字 に

検 討 を加}た い 。 そ の 内 容 はお よそ 四 種 に分 け る こ とが で き る。

(1)種々 な る低 俗 な 術(tiracchana-katha)と して列 挙 され て い る論 議 の 中

に(lokakkhayika」(世 間論)が 数}ら れ てい る。・4)

(2)「lokayata-mahapurisa・lakkhanesuanavayo」(世 間 論及 び大 人相 に関

し て通 達 した こ と)を バ ラモ ン(Brahmans)の 資 格 の一 つ に挙 げ られ て

い る。15)

こ こで は 厂lokayata」 とい う文 字 が 見 られ るが,唯 物 論 との関 連 を 見 出す こ と

は で きな い 。 また,そ れ の み な らず,学 派 として の ロー カ ー ヤ タ派 が成 立 して

い た こ とを 証 明す る もの で は ない 。 これ に 対 して,次 に あげ る(3),(4)は 注 目す

べ き資料 で あ る と考}xら れ る。

(3)SN・12-48「 ロ ー カー ヤ テ ィ カ(Lohayatika)」 経(相 当 漢 訳 欠)。

Ekamantamnisinnokholokayatikobrahmanobhagavantametad

avoca/

KimnukhobhoGotamasabbamatthiti/

Sabbamatthitikhobrahmanajetthametamlokayatam/

KimpanabhoGotamasabbamnatthiti/

Sabbamnatthitikhobrahmanadutiyametamlokayatam

-7一

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佛教大學大學院紀要通巻第23號

KimnukhobhoGotamasabbamekattariti/

Sabbamekattantikhobrahmanatatiyametamlokayatam/

KimpapabhoGotamasabbamputhuttanti/

Sabbamputhuttantikhobrahmanacatutthametamlokayatam/16)

実 に,一 辺 に座 った ロ ー カ ーヤ タ派 のバ ラモ ソは世 尊 に 次 の よ うに言 った 。

「友,ゴ ー タ マ よ,実 に 一切 は存 在 す る のか 」

「バ ラモ ソ よ,実 に 一 切 は 存 在 す る とい うの は これ は 第 一 の ロ ー カー ヤ タ

で あ る」

「友,ゴ ー タ マ よ,実 に一 切 は 存 在 しな い のか 」

「バ ラモ ン よ,実 に一 切 は存 在 しな い とい うのは これ は 第 二 の ロ ー カー ヤ

タで あ る」

「友,ゴ ー タマ よ,実 に一 切 は一 で あ るの か」

「バ ラモ ン よ,実 に 一切 は一 で あ る とい うの は これ は第 三 の ロー カ ーヤ タ

で あ る」

「友,ゴ ー タ マ よ,実 に 一切 は 異 で あ る のか」

「バ ラモ ソ よ,実 た 一 切 は 異 で あ る とい うの は これ は 第 四 の ロ ー カー ヤ タ

で あ る」

と あ る。 この経 典 に は 「ロー カ ー ヤ タ派 のバ ラモ ソ」 とあ るか ら,す で に ロー

カ ー ヤ タは一 派 を形 成 してい た と考}ら れ る 。 しか し,こ の経 典 か らは そ の 内

容 に関 して は知 りえ な い。 そ のた め,こ こで も ロー カ ー ヤ タ と唯 物 論 と.の関わ

りを 見 出す こ とは で きな い 。

(4)AN.IX.厂 ブ ラ ー フ マナ ー(Brahmana)」 経(相 当 漢 訳 欠)。

あ る時,二 人 の ロ ー カ ーヤ タ派 のバ ラモ ンが世 尊 の許 に 至 り,次 の 中で い

ずれ が 真 実 で あ るか を 問 う。

PuranobhoGotamaKassaposabbannusabbassaviaparisesafianada-

ssanampatijanati/.../Soevamaha`ahamanantenananena

antavantamlokamjanampassamviharamiti

AyarnpibhoGotamaNiganthoNataputtosabbannusabbassavi

aparisesananadassanampatijanati/.../Soevamaha`ahamanta-

-g一

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ローカーヤタ派 と唯物論

vantenarianenaantavantamlokamjanampassamviharamiti/1?)

友,ゴ ー タマ よ,プ ー ラナ ・カ ッサ パ は 一切 智 者(sabbannu)で あ り,

一 切 見 者(sabbassavi)で あ り,一 切 智 見(aparisesananadassana)を 有

す る と 自認 す る。彼 は次 の よ うに 言 う。

「私 は 無 辺智 に よっ て有 限 な る世 間 を知 見 して,時 を す ごす 」

友,ゴ ー タマ よ,か の ニガ ン タ ・ナ ー タ ブ ッタ も一 切智 者 で あ り,一 切 見

者 で あ り,一 切 智 見を 有 す る と 自認 す る 。彼 は 次 の よ うに言 う。

「私 は 有 辺 智 に よっ て有 限 な る世 間 を知 見 して,時 をす ごす 」

とあ る。 この経 典 に よっ て も ロー カ ー ヤ タ派 のバ ラモ ソが どの よ うな思 想 を 抱

い て い た の か は 見 出す ことは で きな い。 た だ,そ の 内 容 か ら見 て,彼 らが ロー

カ(loka,世 間,世 界)に 対 して関 心 を 抱 い て い た こ とだ け は 肯 定 され て よ

い 。 しか し,こ こに 至 って も ロー カ ー ヤ タ と唯物 論 との接 点 を 見 出す こ とは で

きな い 。

そ こで,以 上 取 り上 げ た資 料 に 対 す る 『ア ッタ カ タ ー(註 釈 文 献)』 を 見 る と,

(1)Lokakkhayikati`ayamlokokenanimmito"`Asukenanamanim-

mito'/`Kakosetoatthinamsetatta,balakarattylohitassarattatta'

tievamadikalokayata-vitanda-sallapakatha/18>

世 間論 とい うの は,「 この世 間 は何 人 に よ って創 造 され た のか 」 〔と問わ れ

る と〕 「ま さ に,そ の よ うな人 に よ って 創 造 され た」 〔と答 え る 。 それ は〕,

「烏 は 白 い 。何 となれ ば,彼 らの骨 は 白 いか ら。 鶴 は赤 い 。何 となれ ば,

彼 らの血 は赤 い か ら」 とい うよ うな世 間 の説 に 従 う詭 弁 論 の説 で あ る。

(2)Lokayatamvuccativitanda-vada-sattham/19)

ロー カ ー ヤ タ とは詭 弁 論 の教 えを 言 う。

(3)Lokayatikoti,vitanda-satthelokayatekataparicayo/zo)

ロー カ ー ヤ テ ィカ(ロ ー カー ヤ タ派)と は 世 間 の 領域 の詭 弁 とい うr'に

関 し て巧 み な る者 とい う意味 で あ る 。

(4)Lokayatikatilokayatapathaka/21)

ロ ー カ ー ヤ テ ィカ(ロ ー カー ヤ タ派)と は ロ ー カー ヤ タを 専 門 とす る者 の

こ とで あ る。

-g一

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佛教大學大學院紀要通巻第23號

とあ り,『ア ッタ カ タ ー(註 釈 文 献)』に お い て も,ロ ー カ ー ヤ タ派 は 唯物 論 老 で あ

る とい う記 述 を 見 出す こ とは で きな い。 む しろ,ニ カ ー ヤ に お い ては す で に雲

井 昭 善 氏 に よっ て 明 らか に され た よ うに詭 弁 論 に 関 わ りが あ る よ うで あ る。22》

3.ロ ー カ ー ヤ タ と唯 物 論

さ て,次 に 紀元 前 後 か ら六 世 紀 に か け て成 立 した 資 料 に 基 づ い て 検討 してみ

た いQ

『マハ ー/ミー ラタ 』(Mahabharata)の 中に 「Carvaka」,「Lokayatika」 と

い う語 を 見 出 す こ とが で き る。 それ は次 の ご と くで あ る。

Carvaka:1-2-63.

12-39-22.

12-39-33.

12-39-39.

12-39-47.

Lokayatika:1-64-47.

しか し,こ れ らの中 に あ って は 「Carvaka」,「Lokayatika」 とい う名 のみ

が 挙 げ られ て お り,唯 物 論 との関 わ りを 見 出す こ とは で き な い。23》ま た,そ の

反 対 に 『マ ハ ーバ ー ラ タ』 の中 に 唯 物 論 に基 づ く と考}ら れ る思 想 も見 られ る

が,・ ロー カ ーヤ タ との 関わ りを 見 出 す こ とは で き な い 。一 例 を あげ る と,

Avinaso'syasattvasyaniyatoyadibharata/

Bhittvasarirambhutanamnahimsapratipatsyate24)//12-13-6//

バ ー一ラ タ よ,も し,か の生 あ る もの が不 滅 で あ り,不 変 で あ るな らば,生

あ る もの の身 体 を滅 して 〔も〕,殺 生 とは な り得 な い だ ろ う。

な ど とあ る。 また 『マハ ーバ ー ラ タ』 の一 節 を なす 『バ ガ ヴ ァ ッ ド ・ギ ー タ ー』

(Bhagavad=gato)16-8セ こ,

Asatyamaprasthamcajagadahuranisvaram/

Aparasparasambhutamkimanyatkamahaitukam25》//

世 間 は,真 理 な く,根 拠 な く,自 在 神 な し と言 う。

-10一

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ローカーヤタ派 と唯物論

順 次 に発 生 した もので は な く,愛 欲 に起 因 す る もの に他 な らな い。

と あ り,唯 物 論 に 立 つ 者 の 主張 が 見 られ る。 しか し,「 ロー カ ーヤ タ」,あ るい

は 「チ ャ ール ヴ ァ ー カ」 とい う語 は見 当 た らな い 。 そ の ため,こ こで も ロ ー カ

ー ヤ タ と唯 物 論 との 接 点 を確 認 す る こ とは で きな い。

この 中 に あ って 次 に取 り上 げ る 『ラ ン カー ヴ ァタ ー ラ ・ス ー トラ』(Lanka-

.vatara=sutra:A.D.400年)に 伝 承 され て い る ロー カ ー ヤ タ派 は注 目 され る

資 料 の一 つ で あ る。26》従 来,こ の経 に 伝 承 され た ロー カ ー ヤ タ派 は詭 弁 論 者 で

あ る と言 わ れ て きた 。 しか し,そ の 内 容 を仔 細 に検 討 す る と詭 弁 論 の み な らず,『

唯 物 論 の 思 想 も見 られ る の で あ る。 そ れ は,次 の如 くで あ る。

Lokayatikovicitramantrapratibhanonasevitavyonabhaktavyona

paryupasitavyoyamcasevamanasyalokamisasamgrahobhavatina

dharmasamgrahaiti27>/

kな る 言辞 や弁 才 を有 す る ロー カー ヤ タ の徒 は,仕 え られ るべ きで は な

く,供 養 され るべ きで は な く,尊 敬 され るべ きで は な い 。そ して,そ れ に

仕}る 者 に は世 間 的 な欲 望 の 獲 得 が あ っ て も,法 の 獲得 は な い と。

と あ る。 ロー カ ー ヤ タ の徒 に 仕}る もの に は世 間的 な欲 望 の獲 得 が あ る とい う'

こ とは,詭 弁 論 と して よ りも,む しろ,唯 物 論 に関 わ りが あ る と考 え られ るの

で は ない か。 ・

また,次 の よ うな記 述 も見 られ る。 、 ・ノSarirabuddhivisayopalabdhimatramhimahamatelokayatikair

desyatevicitraihpadavyanjanaih28)/

実 に,マ ハ ーマ テ ィ よ,ロ ー カ ー ヤ タの徒 は種kな る句 や 音 節 に よっ て 身

体 に 基 づ く認 識 に よる対 象 の把 握 の み を説 く。

と あ る。 また,そ の 相 当漢 訳(菩 提 流 支 訳)で は,

「盧 迦 耶 陀 婆 羅 門所 説 之法 。但 見 現 前 身 智 境 界」29)

と あ り,菩 提 流 支 は,「 現 前 」 とい う語 を補 って訳 してい る。 この こ とか ら,

この 一文 は 知 覚 の み を認 め る ロ ー カ ーヤ タ派 の思 想 を 意 味 して い るの で は な い

:だろ うか 。

さ らに,他 世(paraloka)の 存 在 を め ぐっ て龍 王 ク リシ ュナ パ クシ ィカ

ー11'一

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佛教大學大學院紀要通巻第23號

(Krsnapaksika)が 世 尊 と議 論 した とす る記 述 が 『ラ ン カー ヴ ァタ ー ラ ・入

一 トラ』 に お け る ロー カ ー ヤ タ派 に 関す る一 連 の解 説 の中 に 見 られ る。

Athakhalukrsnapaksikonagarajobrahmanarupenagatyabhaga-

vantametadavocat/tenahigautamaparalokaevanasamvid-

yate/tenahimanavakutasteamagatah/ihahamgautama.

svetadvipadagatah/saevabrahmanaparalokah/athamanava

nispratibhanonigrhitoantarhito…30}/

実 に,そ の 時,龍 王 ク リシ ュナパ ク シ ィカ は,バ ラモ ソ の姿 を して世 尊 に

近 づ き,次 の よ うに言 った 。

「ところ で,ガ ウタ マ よ,他 世 とい うもの は存 在 しな い」

「そ れ な らば,青 年 よ,あ なた は ど こか ら来 た の か」

「ガ ウ タマ よ,私 は 白 い 島 か らこ こに や って来 た 」

「バ ラ モ ン よ,そ れ こそ が他 世 で あ る」

そ こで,青 年 は弁 才な く,負 か され,隠 れ 去 った 。

とあ る。 こ こで は,龍 王 ク リジ ュナパ ク シ ィ カは 他世 の存 在 を否 定 した の で あ

る が,こ の他 世 否 定 とい う思 想 は,詭 弁 論 と して で は な く,唯 物 論 に 基 づ くも

の で あ る 。

また,『 ラン カ ー ヴ ァタ ー ラ ・ス ー トラ』 に は ロ ー カ ー ヤタ派 に 関す る一 連

の 解説 の箇 所 以 外 に も唯 物 論 者 と して の ロ.一カ ー ヤ タ派 の 思 想 が 見 出せ る。 無

常 性(Anityata)品 に 「無 常 」 に関 して 八種 の外 教(tirthakara)の 説 が 見 ら・

れ るが,そ の 中 の一 説 に,

Tatrasamsthananityanamayadutayasya,rupamevanityamtasya..

samsthanasyanityatanabhutanam/athabhutanamanityatasyat,.

lokasamvyavaharabhavahsyat/lokasamvyavaharabhavallokaya-

tikadrstipatitahsyat,vagmatratvatsarvabhavanam,napunah_

svalaksanotpattidarsanat31>/

そ め 中 で,形 の無 常 とい うの は,す なわ ち,お よそ 色 そ の もの が無 常 で あ

る そ の もの に は形 の無 常 性 が あ るの で あ っ て,〔 四〕大 種 に 〔無 常 性 が あ る

の で 〕 は な い 。 も し,〔 四 〕大 種 に 無常 性 が あ る のな らば,世 間 的 な言 語 習

一12一

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ローカーヤタ派と唯物論

慣はな くなるであろ う。世間的な言語習慣がないからローカーヤタ派の見

解に陥るであろ う。何となれば,す べての存在には言葉のみとい うことが

あって,決 して本性の生ずることを見るからではない。

とある。 これは四大種のみが常住であり,そ れに対して四大種か ら成る集合体

は無常であ り,「 瓶」などとい う言葉は四大種から成る集合体に与}ら れる仮

の名称にす ぎないとする唯物論思想である。

以上のように 『ランカーヴァターラ ・スー トラ』には,

(1)ローカーヤタ派に仕}る 者には世間的な欲望の獲得がある。

(2)知覚のみを認める。

(3)他世存在の否定。

(4)四大種のみが常住であり,四 大種か ら成る集合体は無常である。

という唯物論の思想が見出せる。ここで初めて 「ローカーヤタ」 と 「唯物論」

との接点を確認できるのである。

次に 『ランカーヴァターラ ・スー トラ』 より後の資料であるが,『 大乗広百

論釈論』(護法Dharmapala,A.D・530-560)を 取 り上げねばならない。その

理 由はここには体系化 されたローカーヤタ派の思想の幾つかを確認することが

で きるか らである。それを見ると,

「復次順世外道作如是言。諸法及大種為性。四大種外無別有物。即四大種和

合為我及身心等内外法。現世是有。前後世無。有情数法如浮泡等」32)

云 々とある。順世外道,す なわち,ロ ーカーヤタ派の主張は次の三点に要約す

る ことができる。

(1)四大種のみが真の実在である。

(2)我(ア ート`7ン)や 心,身 体などの内的,あ るいは外的な存在は四大種か

ら成 っている。

(3)現世のみが存在し,前 世 ・来世といった他世は存在 しない。

これらの思想は,前 述 した 『ランカーヴァターラ ・スー トラ』に見られる思

想 の幾つかと共通する。

さらに,『 金七十論』巻中(真 諦訳,訳 出年代A.D.54$-569)に もローカ

ー ヤタ派 の思想が見られる。

-13一

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佛教大學大學院紀要通巻第23號

「路歌夜多論説。此云世入。

〈能生鵝白色。鸚鵡生緑色。孔雀生雑色。一我亦従此生〉」33)

とある。この思想は,現 象の多様性は本性に基づ く自然発生的なものであると

い ラ唯物論に基づ く思想である。また,「 路歌夜多」(Lokayataの 音写語)

とあることから,わ れわれは,ロ ーカーヤタと唯物論 との接点を確認すること.

ができる。34)

このように 『マハーマミーラタ』にはローカーヤタと唯物論の接点を確認でき

なかったものの,『 ランカーヴァターラ ・スートラ』,『大乗広百論釈論』,『金

七十論』においてローカーヤタと唯物論の接点を確認することができるのであ

る。それ らの諸文献の成立年代 より見て,西 暦後400年 にはローカーヤタは唯

物論的傾向を有する一派として成立していたと考}ら れる。

4.結 論 にか えて

以上,ロ ーカーヤタと唯物論との接点を探ってみた。その結果,『 ラソカー

ヴァターラ ・スー トラ』に至って初めてローカーヤタと唯物論との確実な接点

を確認できることをわれわれは知ったのである。35}

また,(1)ロ ーカーヤタ派に仕える者には世間的な欲望の獲得があるとい うこ

と,(2)知 覚のみを認めるとい うこと,と い う思想はローカーヤタ派の思想史を

考察する上で重要な位置を占めていると考}ら れる。その理由は,こ れ以前に

おける唯物論の伝承は,前 述したように仏教資料 と して はパーリ伝 『沙門果

経』に伝承 されるアジタ ・ケーサカムバ リン説,ジ ャイナ教資料 としては 『イ

シバーシャーイム』第20章 「ウッカラ」などに見られるが,そ れらの中にあっ

ては,世 間的な欲望を得るということ,知 覚のみを認めるとい う思想は見出す

ことはできないか らである。ただ,唯 物論 という立場か ら考えていくとアジタ

な どの唯物論者が世間的な欲望の獲得を人々に説き,正 しい認識手段 として知

覚のみを認めていたとい うことも全く理解できないわけではない。しか し,こ

れらの思想は 『沙門果経』などの資料に徴する限 り見 られない。また,前 述 し

たようにそれ らの資料のいずれも唯物論が ローカーヤタ派の思想であるとは晦

一14-一

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ローカ厂 ヤタ派 と唯物論

記 して い な い。 従 って,『 ラ ンカ ー ヴ ァタ ー ラ ・ズ ー トラ』 に至 っ て初 め て,1

世 間 的 な欲 望 の獲 得,正 しい 認識 手 段 と して知 覚 のみ を 認 め る とい う理 論 を 確

認 す る こ と がで き る ので あ る。

さ らに,『 ラ ソ カ ー ヴ ァ タ ー ラ ・ス ー トラ』 が 体 系 化 され た ロー カ ー ヤ タ派

の 思 想 を 伝xる 資 料(『 サ ル ヴ ァ ・ダル シ ャナ ・サ ム グ ラバ』,『 タ ッ トヴ ァ ・

サ ム グ ラバ 』 な ど)に 見 られ る ロ ー カー ヤ タ派 の思 想 の 幾 つ か を早 くか ら伝 承

して い る こ とか ら,『 ラ ン カ ー ヴ ァ ター ラ ・ス ー トラ』 の 成 立 した 頃,す なわ

ち,西 暦 後400年 に は ロー カー ヤ タ派 は 「唯物 論 的 な傾 向を 有 す る一派 」 と し

て す で に 成 立 して いた ので は な いか と考xら れ る。 そ の 意 味 に お い て も 『ラ ソ

カ ー ヴ ァ タ ー ラ ・ス ー トラ』 に 見 られ る ロー カ ー ヤ タ派 の 伝 承 は そ の思 想 史 を

探 る上 で 貴 重 な資 料 で あ る とい え る。

最後 に,体 系 化 され た ロー カ ーヤ タ派 の理 論 と こ こで 取 り上 げ た資 料 との対

照 表 を 掲 げ て この小 論 を 終 え る こ とにす る。

Lankavatara-

sutra

大乗広百

論 釈 論 金七十論

沙門果経

アジタ説

Isibhasiydiam

一 切 断 見説

(の1

(ii)

0

O

i/O

i..

/1 0

1//

(iii)/ 0 / /1/(iv)ノ i

○ / /(v) △ ※ 0 / /1 0

(vi) O 0 / 0 O

(vii)1 O 1/!/ i/1/(i)Pratyaksaikaparmanavada

(li)bhutamatravada

(lii)bhutacaitanyavada

(iv)svabhavavada,svabhavikajagadvada

(v〕dehatmavada,dehamatratmadarsana

(vi)paralokapavada

(vii)kamarthavada'

※Lankavatarasutra(p.47)にtirthakara(外 教)の 説 と してrSajivastac

一15一

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佛 教 大 學 大 學 院 紀 要 通 巻 第23號

chariram」(か の霊 魂 それ は身 体 〔そ の もの 〕 で あ る。)と あ り,Dehatmavada

の思 想 が 見 られ る。 しか し,こ れ が ロー カ ー ヤ タ派 の思 想 で あ る とい う明記 は な

い の で△ 印 と した 。

1)大 正30,168c.

2)Lankavatara-sutra,p.71.

3)大 正16.503b,

4)大 正16.547c.

5)大 正16.612c.

6)文 脈 に した が っ て理 解 の ため にlokayatanamを 補 充 した 。Tattvasamgraha-

panjika,ed.DwarikadasShastri,BauddhaBharatiSeries,Varanasi,1968,

p.634.

7)Advaitabrahmasiddhi,ed.VamanSastri,ParietalSanskritSeriesNo.5,

Delhi,1993,p.99.

8)生 井 衛 「後 期 仏 教 徒 に よるBarhaspatya批 判 〔1〕Barhaspatya思 想 の概

観 」,『 イ ソ ド学 報 』2号,1976.

9)生 井 前 掲,論 文pp.45-46.

10)雲 井 昭善 罠 は 「マ ー ダ ヴ ァの チ ャー ル ヴ ァー カ ・ダル シ ャナ は,極 めて ま とま っ

た紹 介 書 とし て,〔 中略 〕 そ こに 伝xら れ る ロ ーカ ー ヤ タ 思 想 は,そ れ 以 前 に も の

され た,イ ン ド哲 学 のそ の他 の文 献 〔中 略 〕 に 伝 え られ る ロー カ ー ヤ タ(=チ ャー

ル ヴ ァー カ)と 一 致 してい る」 か ら 「ダル シ ャ ナY'伝 承 され た ロー カ ー ヤ タ思 想 は, 、

マ ー ダ ヴ ァの著 に お い て集 約 され て い た 」 と見 る。 雲 井 昭 善 『仏 教 興 期 時 代 の思 想

研 究 』 平 楽 寺 書 店,1967,pp.100-101

11)龍 山章 真 氏 は 「確 定 的V'は 言 えな い が,西 紀 前 第三 世 紀 か ら唯 物 論 的 な 学 派 名 と

し て用 い られ る」 とす る。(龍 山 章 真 「lokayataに 関す る研 究 」 『大 谷 学 報 』11

-1)し か し,龍 山氏 の論 証 は推 測 の域 を 出ず,内 容 の検 討 も不 十 分 で あ る。

12)高 木誅 元 『初期 仏 教 思 想 の研 究 』法 蔵 館,1991,P.153.

13)Isibhasiydin2,p.38

14)長 部第 一 経BYahmajala・suttaDN.vol.1,P.11.第 二Sdmannaphala・sutta

I)N.vol.1,P.66,中 部Sandaka・suttaMN..vol.1,P.513な ど。

15)長 部第 三経Ambattha-sutta.1)N.vol.1,P.88.第 四 経Sonadanda-suttaDN.

vo1.1,P.114.第 五 経Kutadanta-suttaDN.vo1.1,P.130.Sn.P.105な ど。

16)SN,vol.2,p.77.

17)AN,vol.4,p.428.

-16一

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mカ ー ヤ タ派 と唯物 論

18)DN.A;vol.1,pp.90-91.MN.A,vol.3,p.223.SN.A,vol.3,p.295.

AN,A,vol.4,pp.46-47.

19)DN.A:vol.1,p.247.MN.A,vol.3,p.362.

20)S1丶TA.vo1.3,P。76.

21)AN.A,vol.4,p.200.

22)雲 井 前 掲 書,pp.96-125.

23)厂12-39」 に お い て チ ャー ル ヴ ァー カ(Carvaka)と い う文 字 が ま とま っ て 見 ら

れ るが,こ こで は,チ ャール ヴ ァー カ とい う名 の ラー ク シ ャサ(Raksasa)が ユ デ

ィシ ュ テ ィラ(Udhisthira)王 を 罵 る とい う内 容 で あ り,唯 物 論 との接 点 を見 串す

こ とは で きな い 。

24)Mandbhayata,13vo1.p.47.

25)Ehagavadgitd,p.336.

26)拙 稿 「ラ ン カ ー ヴ ァタ ー ラ ・ス ー トラに 見 られ る ロー カ ー ヤ タ派 」 『印度 学 仏 教

学 研 究 』43-1.pp.446-444参 照 。

27)Lankavatara-sutra,p.70.

28)Lankavatara-sutra,p.71.

29)大 正16,547c.

30)Lankavatara-sutra,p.73.

31)Lankavatara-sutra,p.84.

32)大 正30,195c.

33)大 正54,1252a.

34)こ の 他 『有 部 毘 奈 耶 』巻35に 「是盧 迦 曳 多 説 無後 世 」(大 正23,817b)と あ り,

ロー カ ー ヤ タ派 の 他 世 否 定 の 思 想 が 見 られ る。

35)前 掲 拙稿 参 照 。

-17一