アトムプローブ分析法...アトムプローブ電界イオン顕微鏡(Atom Probe Field Ion...

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1 連載 先端ナノへテロ金属組織解析法 第 15 回 アトムプローブ分析法 その1 電界イオン顕微鏡 物質・材料研究機構 宝野和博 1.はじめに アトムプローブ電界イオン顕微鏡(Atom Probe Field Ion Microscope, APFIM)は電界 イオン顕微鏡(FIM) に飛行時間型質量分析器を取付けたもので、FIM で金属表面の 個々の原子を観察して、これらを飛行時間型質量分析により同定することのできる局 所分析装置である。 1990 年後半まで使われていたアトムプローブの大部分は、現在次元アトムプローブと呼ばれている装置で、この装置では図 1(a)に示されるように針 状試料表面から電界蒸発によりイオン化される原子のうち、プローブホールとよばれ る分析用の絞りを通り抜ける原子だけを選択的に検出して局所領域の分析を行って いた。図 1(a)では原子を分析できるという特徴を強調するために試料サイズを誇張し て表示しているが、実際の試料の先端の半径は 50 nm 程度の非常に先鋭な針であり、 このため針の表面から電界蒸発するイオンは放射状に飛行する。後述するように FIM の投影倍率は約 10 6 、つまり 100 万倍に近くなるので、 2 mm のプローブホールの試料 表面での直径は 2 nm となる。つまり、1次元アトムプローブでは 2 nm の絞りを通 り抜ける原子の飛行時間分析を行っており、 2 nm 程度の絞りで覆われた局所領域内の 原子を深さ方向に収集することにより、その領域からの1次元の濃度プロファイルを 測定する。 1988 年に Oxford 大学の Cerezo らはアトムプローブに位置敏感型検出器を導入し、 1(b)に示されるように、個々のイオンの質量とともに検出器上でのイオンの位置を 同時に決定できる位置敏感型アトムプローブを開発した。この装置によって試料表面 に存在する合金中の全構成元素の原子レベルでの2次元マッピングが可能となった。 原子は常に試料表面からイオン化されるので、連続的に原子を表面から収集すること により、2次元マップを深さ方向に拡張していくことが出来る。全検出イオンの質量 とその座標をコンピューターに蓄積し、グラフィックワークステーションで3次元的 1 1次元アトムプローブと3次元アトムプローブの模式図。原子的な特徴をわかりやすく するために、試料サイズは誇張してある。

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連載 先端ナノへテロ金属組織解析法 第 15 回

アトムプローブ分析法 その1 電界イオン顕微鏡

物質・材料研究機構 宝野和博

1.はじめに

アトムプローブ電界イオン顕微鏡(Atom Probe Field Ion Microscope, APFIM)は電界

イオン顕微鏡(FIM)に飛行時間型質量分析器を取付けたもので、FIM で金属表面の

個々の原子を観察して、これらを飛行時間型質量分析により同定することのできる局

所分析装置である。1990 年後半まで使われていたアトムプローブの大部分は、現在1

次元アトムプローブと呼ばれている装置で、この装置では図 1(a)に示されるように針

状試料表面から電界蒸発によりイオン化される原子のうち、プローブホールとよばれ

る分析用の絞りを通り抜ける原子だけを選択的に検出して局所領域の分析を行って

いた。図 1(a)では原子を分析できるという特徴を強調するために試料サイズを誇張し

て表示しているが、実際の試料の先端の半径は 50 nm 程度の非常に先鋭な針であり、

このため針の表面から電界蒸発するイオンは放射状に飛行する。後述するように FIMの投影倍率は約 106、つまり 100 万倍に近くなるので、2 mm のプローブホールの試料

表面での直径は 2 nm となる。つまり、1次元アトムプローブでは 2 nm の絞りを通

り抜ける原子の飛行時間分析を行っており、2 nm 程度の絞りで覆われた局所領域内の

原子を深さ方向に収集することにより、その領域からの1次元の濃度プロファイルを

測定する。 1988 年に Oxford 大学の Cerezo らはアトムプローブに位置敏感型検出器を導入し、

図 1(b)に示されるように、個々のイオンの質量とともに検出器上でのイオンの位置を

同時に決定できる位置敏感型アトムプローブを開発した。この装置によって試料表面

に存在する合金中の全構成元素の原子レベルでの2次元マッピングが可能となった。

原子は常に試料表面からイオン化されるので、連続的に原子を表面から収集すること

により、2次元マップを深さ方向に拡張していくことが出来る。全検出イオンの質量

とその座標をコンピューターに蓄積し、グラフィックワークステーションで3次元的

図 1 1次元アトムプローブと3次元アトムプローブの模式図。原子的な特徴をわかりやすく

するために、試料サイズは誇張してある。

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に表示すると、合金中の原子の分布を3次元実空間中でほぼ原子レベルの分解能で再

現することができる。この手法は従来のアトムプローブ法で分析領域がプローブホー

ルのカバーする極めて微細な領域に限られるという欠点を克服しただけでなく、個々

の原子の位置をサブナノメーターの分解能で表示することの出来るユニークな分析

手法であり、元素分布を3次元的に表示することができることから3次元アトムプロ

ーブと呼ばれている。 アトムプローブは現在のところ汎用的な装置といえるほどには広く普及していな

いが、これまでに鉄鋼材料を含め多くの金属材料のナノスケールの微細組織解析に応

用されてきた。特に軽元素をナノスケールで定量的に分析できるためにその実用的な

利用価値は高く、マトリクス中に分散した微細析出物の定量的な解析に決定的な役割

を果たしてきた。また3次元アトムプローブの開発により、アトムプローブ分析法の

有用性が再認識され、今後3次元アトムプローブは金属系材料の研究機関で急速に普

及していくものと予想される。本章ではまずアトムプローブ法の基本となる電界イオ

ン化と電界蒸発の基礎を述べ、それを応用した顕微鏡として電界放射顕微鏡、電界イ

オン顕微鏡の原理を解説する。次号でアトムプローブの原理と装置の解説を、さらに

次々号で最近の3次元アトムプローブによる金属ナノへテロ組織解析の応用例を紹

介する。 2. 電界放射と電界放射顕微鏡

先鋭な針に電圧をかけると、針の先端には非常に高い電界がかかる。そのような高

電界で起こる表面現象を用いたのが電界放射顕微鏡(Field Emission Microscope: FEM)と電界イオン顕微鏡(Field Ion Microscope: FIM)であり、FIM を分析手法として進化さ

せたのがアトムプローブである。これら3つの手法はいずれも E. W. Müller によって

発明された。本章の目的はアトムプローブ分析法の解説にあるが、その基本はあくま

でも FIM であるので、すこし回り道になるけれども、FIM の基礎になる高電界下で

おこる表面現象について述べる。 先端の半径が r の針状試料に電圧 V を印加したときの試料表面での電界 F は

F = V/kr となる。ここで k は試料の形状による定数であり、通常 5 ~ 7 の値である。いま試料

に 5 kV の電圧をかけたとすると、針状試料の先端の半径が 1000 nm 程度であれば試

料表面での電界は 109 V/m 程度となる。このような高電界がかかった表面で起こる現

象で、電界放射(field emission)、電界イオン化(field ionization)、電界蒸発(field evaporation or desorption)の3つが重要である。電界放射は 109 V/m 程度の負の電界を試料表面に

かけたときに起こる現象で、それに反して電界イオン化、電界蒸発は数 5 × 1010 V/nm程度の正の電界を試料表面にかけたときに起こる。したがって、FIM やアトムプロー

ブで利用される電界イオン化、電界蒸発という2つの現象を観察するためには、針の

半径を電界放射で必要な半径よりもさらに小さくする必要がある。例えば 5 kV で電

界イオン化、電界蒸発を観察するためには、針の半径は 50 nm でなければならない。 真空中の金属表面のポテンシャルとそれに負の電圧をかけたときの変化を表した

のが図 2(a)である。電界をかけていないときに金属表面から電子を放出させるために

は仕事関数と呼ばれるポテンシャルを超えるための熱エネルギー(熱電子放出)や光

エネルギー(光電子放出)を与えなければならないが、金属表面に負の電圧をかける

と、図 2(a) に示されるように有限距離の表面近傍でポテンシャル障壁ができて、電

子のトンネリング現象によって電子放出が起こるようになる。これが電界放射と呼ば

れる現象であり、電界放射により放出される電子を蛍光板で観察できるようにしたの

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が電界放射顕微鏡である。 電界放射顕微鏡(FEM)は図 3 に示される

ように、高電界を得るための針(tip)を超高真

空チェンバーに保持しただけの単純な装置

で、低温に冷却された針に負の高電圧を印

加することにより試料表面の高電界から生

ずる電界電子放射を蛍光板で観察すること

ができる。電界放射に必要な電界強度は

109 V/m のオーダーであるので、前述したよ

うに試料先端の半径も数 1000 nm 程度で十

分である。このような針状試料は後述する

ように金属ワイヤーを電解研磨することに

より容易に作成することができる。FEM 観

察をおこなうためには試料先端が清浄表面

でなければならないので、通常は試料を超

高真空中で加熱して清浄表面を得た後に負

の電界を試料に加える。この場合、表面エ

ネルギーの面指数依存性を反映したファセ

ッテングが半球状の試料表面に生ずるので、

これらのファセットした面の仕事関数と局

所的な電界に依存する電流密度の差から像

コントラストが得られる。 電界放射される電子の電流密度 I は

Fowler-Nordheim の式 I/V2 = a exp(− b φ3/2/V) で与えられる。ここでφは表面の仕事関数、

V は試料に印加する電圧、a, b は実験的に

求められる定数である。この式から ln(I/V2)を 1/V に対してプロットた直線の傾きから

φ3/2 が求まり、それから試料表面の仕事関

数を求めることができる。一例として、

(001)面が中心にある Ni 試料から得られた

FEM 像を図 4 に示す。電界放射では点源か

ら干渉性と輝度の高い電子線を得ることが

できるので、最近ではハイエンドの電子顕

微鏡用電子線源として応用されている。 3. 電界イオン顕微鏡(FIM)

電界イオン顕微鏡(Field Ion Microscope, FIM)は 1951 年に E.W.Müller により発明さ

れた投影型顕微鏡で,レンズを用いないの

で収差の影響を受けない。このため、FIM により人類は初めて原子を観察した。FIMの装置自体は FEM と全く同じで、違いは FEM では針に負の高電圧をかけるのに対し

て、FIM では正の高電圧をかける。また FEM は超高真空中で像を観察するが、FIM

図2 (a) 真空中の金属表面のポテンシ

ャルとそれに負の電圧をかけたときの変

化、(b)正の電圧をかけたときの変化

図 3 FEM と FIM の装置の模式図

図 4 Ni の[011]方位の 50 nm 程度の tip か

ら得られた FEM 像

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は高電界下での結像ガスの電界イオン化現象を

用いるので、超高真空中に He, Ne, H2 などの結

像ガスを 10-3 Pa 程度導入する必要がある。正の

高電界がかかったときの金属表面のポテンシャ

ルは図 2(b)に示されるようになり、冷却により

運動エネルギーを失った結像ガスが表面から xc

の距離に達した時に、結像ガス原子は電子をト

ンネリングにより失いイオン化する。結像ガス

の電界イオン化に必要な電界は He で 4.4 × 1010 V/m、Ne で 3.7 × 1010 V/m、H2 で 2.3 × 1010 V/m程度であるので、それを実現するための針の曲

率半径はFEMのそれよりも1桁低い 50 nm程度

のものが必要である。また結像ガスのイオン化

による蛍光版の輝度は FEM に比べると著しく

低いので、FIM ではマイクロチャネルプレート(MCP)という2次元のイメージ増倍管

を用いて像を肉眼で観察できるようにしている。FIM が発明された当時は像は蛍光

板で観察されていたので、像は完全な暗室内で全神経を集中させてみなければ観察で

きないほど暗かった。そのため、像撮影に長時間の露出が必要であり、蛍光効率の高

い He ガスでの観察が可能な W, Mo, Pt, Rh, Ir, Re などの高融点金属の観察しか行われ

なかった。 FIM の試料表面での電界イオン化の様子を図 5 に模式的に示す。試料は 50 nm 程度

の曲率半径を持つ先鋭な針であり、その表面の原子レベルでの形態は図のようになる。

試料に高電界をかけると、分極した結像ガス原子が試料表面に引き寄せられて表面

の電界の特に高い突出した原子に強く電界吸着していると考えられている。分極した

原子が高い運動エネルギーで金属表面に引きつけられて衝突すると、試料が冷却され

ているのでガス原子は運動エネルギーを失いながら、跳ね返される。跳ね返されたガ

ス原子は再度表面に引き寄せられるというホッピングモーションを繰り返しながら

徐々に熱エネルギーを失って、いずれガスが吸着している電界の高いところから図 2で示される xc の位置に来たときに、電子をトンネリングにより失って電界イオン化

(Field Ionization)される。これらのイオンは試料表面と接地されたスクリーンの間の

電界により加速されスクリーンに衝突し輝点が観察される。試料表面の電界分布は

一様ではなく、図5中試料表面で黒く塗りつぶされたレッジやキンクの位置で原子が

突出していて局所的に電界が高くなりガス原子の電界イオン化の確率が高くなる。

毎秒 103 から 104 個の結像ガス原子がイオン化することによって、一つの輝点が形成

されると考えられている。その結果これらの半球状の試料先端で突出した原子を蛍光

板に投影した位置が明るく観察されることになる。像の倍率 M は試料とスクリーン

間の距離を D、針の曲率半径を r とすると M = kD/r で与えられる。ここで k は投影中心の位置と増の広がりの補正項である。典型的な

FIM の試料の曲率は 50 nm 程度であり、試料と蛍光板の距離は 5 cm であるので像の

倍率はおおよそ 106倍程度になる。このように FIMは投影型の顕微鏡であり、レンズ

により像を拡大しないので、像は試料の振動やドリフトの影響を受けにくい。した

がって装置の構成は非常に単純で、電子顕微鏡や STM で不可欠な除振機構が一切不

要である。 FIM では結像ガスの電界イオン化利用するので、FIM 像を得るためにはイオン化

図 5 針状金属表面からの電界イオ

ン化の模式図

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電界以上の電界を試料表面に加えなければならない。ところが高電界では試料原子

自体がイオン化される電界蒸発(field evaporation)とよばれる現象が生ずる。このため

結像ガスのイオン化強度が試料の電界蒸発強度よりも低いことが FIM 像を得るため

の条件となる。一般に高融点金属の電界蒸発強度は高い。低融点金属の場合、電界蒸

発強度は He ガスのイオン化強度を下回るので He での像観察ができない。そのよう

な場合は、イオン化強度の低い結像ガスを選ぶ。また電界蒸発は熱活性であるので、

試料を極低温に冷却すれば、電界蒸発強度も上昇し、He での像観察も可能になる。 電界蒸発現象は FIM を可能とする重要な現象でもある。つまり、FIM 用の針状試

料(tip)は通常金属線を電解研磨することにより得られるが,これらの表面は酸化被膜

でおおわれていたり、研磨ムラにより凹凸があったりする。しかし凸面では電界が高

くなり、その部分で優先的な電界蒸発が進行するので、電界蒸発を行っていくと自己

触媒的に原子的にスムーズな清浄表面ができる。また FIM 像を観察しながら表面原子

層を順次電界蒸発させることにより、試料表面から規則的に原子面を蒸発させて、試

料の3次元的な観察が可能となる。後述のアトムプローブ分析法では高電圧パルス

を同期させた電界蒸発を用いて原子のイオン化を行う。 図6に指数付けしたタングステンのHeによるFIM像と半球上の表面で突出した(配

位数の少ない)原子を光らせたモデル、さらに[011]晶帯軸のステレオ投影図が示され

ている。FIM 像は半球状の表面原子を平面に投影したものであるので、結晶面はほ

ぼステレオ投影と同じ対象性と位置関係で現れてくる。図6(b)に見られるような針状

表面で突出している原子(配位数の少ない原子)を平板スクリーンに投影したのが

FIM 像であるので、低指数面のレッジの原子列は FIM 像上では同心円状に見える。

図4のタングステン像では低指数面では原子ステップを表す同心円状のパターンが観

察されるだけであるが、高指数面においては個々の原子が分解されている。 4. FIM 試料作成法

後述するアトムプローブ分析では、FIM 試料から電界蒸発するイオンを検出する。

このため、アトムプローブ分析を行うためには分析を必要とする領域を試料先端に含

んだ針状試料を作製することが必要となる。FIM 試料を作製するのに最も適した試料

形状は 0.2 mm 径程度の線材であるが、金属材料のなかには線引きが困難な試料や、

すでに熱処理されたバルク状の試料を分析する必要が多々ある。そのような場合、分

析を必要とするバルク状試料から 0.3 mm × 0.3 mm × 10 mm 程度の角棒を切り出し、

図 6 (a) タングステンの FIM 像と(b)(011)面を中心として半球状になった表面原子の配位数の

小さな原子を光らせた模型と(c) [011]晶帯軸のステレオ投影図

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図7(a)でしめされるような電解研磨法

で針に仕上げる。この場合重要なのは、

角棒の断面が正確に正方形であるこ

とで、断面が長方形であると、電解研

磨後に扁平試料に仕上がってしまう。

多くの金属試料はこのような単純な

電解研磨法で十分先鋭な針状試料に

仕上げることができる。肉眼で針状に

なった試料を、200 倍程度の光学顕微

鏡で観察し、先端がほとんど観察でき

ないほど細く仕上がっていれば針の

先端の直径は 100 nm 程度であり、数 kV の電圧をかけると FIM 像を得ることができ

る。 またより効率的に試料を仕上げ研磨するために多用されているのが、図 7(b)で示さ

れるマイクロ電解研磨と呼ばれる方法である。白金線で直径 3 mm 程度のループ電極

を作製し、そのなかに表面張力で電解液を保持する。図 7(a)で予備研磨された針をこ

のループの中にいれて、光学顕微鏡で観察しながら研磨する。研磨されるのは電解液

の浸かっている 0.5 mm 程度の領域だけなので、試料ステージを前後させて任意の領

域を研磨することができる。FIM 観察、アトムプローブ分析では試料に高電界をかけ

るために、電界応力σ=F2/8πが加わると言われている。この応力は金属の理想強度に

近い値となるために、転位などが試料中に存在していると試料が電界応力により破壊

する可能性が非常に高い。実際、多くの実用材料でアトムプローブ分析が極めて困難

であることが知られている。たとえば転位を大量に含むマルテンサイト鋼やクラック

の発生源となるような大きな析出物を含む試料では電界応力による試料破壊のため

にアトムプローブ分析が行えないことが多い。このように FIM 試料は電界応力により

頻繁に破壊するので、統計的に意味のあるデータを収集するためには何度も同じ実験

を繰り返す必要がある。マイクロ電解研磨法を用いれば電界応力で先端の破壊した試

料を迅速に再研磨することができる。通常、試料の再研磨は5分程度の作業で終了す

るので、試料形状にもよるけれども、いったん作製された試料は5回程度は再研磨に

より再生することができる。 通常の金属試料は上記のような方法で簡単に FIM 試料に作製することができる。し

かし、アトムプローブで結晶粒界や異相界面を

観察するとか、薄膜を観察するとかいった用途

が増えてきている。さらに Ag や Ti 合金などで

電解研磨が極めて困難な材料の場合、電解研磨

法以外の試料作製法を用いる必要がある。この

ような場合に最近盛んに用いられるようにな

ってきたのが収束イオンビーム(FIB)法による

FIM 試料作成法である。この方法は Larson ら

が初めて金属多層膜の断面試料を作製するた

めに試みた手法で、最近ではそれを粒界試料作

製にも応用されるようになってきた。FIB 法で

は Ga イオンを試料表面に照射して発生する2

次電子像を得ることができるので(SEM 像と

図 7 電解研磨による FIM 用針状試料作成法

図 8 収束イオンビーム法(FIB)による

FIM 試料作成法と実際に作製された

試料の2次電子像

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ほぼ同じような画質が得られる)、試料を観察しながら任意の領域の試料研磨を行う

ことができる。SEM 像では結晶粒界のコントラストは現れないが、Ga イオンによる

スパッタ速度は結晶方位に依存するので2次電子像で結晶方位によるコントラスト

が現れて、結晶粒界を観察することができる。図 8 は FIB による試料作製方法の模式

的な説明図と、実際に作製された試料である。2次電子像で試料先端に結晶粒界があ

ることがわかる。電子顕微鏡試料作製法でイオンミルの開発により従来観察のできな

かったような試料からも TEM 観察が可能となり、TEM の応用範囲が飛躍的に拡大し

た。それと同じように FIB 法の進展により、アトムプローブにおいても従来分析が不

可能であったような試料へ応用範囲が広がりつつある。 5. 像解釈の基礎

FIM試料の先端は50 nm程度の曲率

を持つ半球状の形になっている。前述

のように試料形状は電界蒸発による

自己制御によって決まる。結晶面の表

面エネルギーに差があると、表面エネ

ルギーの低い面の曲率半径は高い面

にくらべて平坦になる傾向がある。ま

た高温になればなるほど、このファセ

ッテングが顕著になる。このように試

料表面は理想的な半球状とならず曲

率半径が結晶面によって若干異なっ

てくる。したがって、像倍率も結晶面により異なる。このような試料表面の曲率半径

は図 8 に示すように、おなじ FIM 像中の2つの指数面間の距離とその間の面の数から

評価することができる。今、FIM 像を観察して(011)極と(001)極の間に(011)面が何層

あるかを数える。図 8 では(011)面が6原子層観察される。曲率半径と2つの面の間の

角度には次のような関係が成り立つ

θcos1−

= hklndr

この関係から、例えば図 8 で試料をタングステンとすると、 (011)極と(001)極の間で

(011)面が6枚観察されるので、r=6×0.224/(1-cos45˚)=4.5 nm ということになる。 最後に様々な試料の FIM 像の実例を示して、実際の金属材料がどのように観察され

るかの理解の一助としたい。図 9(a)は結晶粒界を含むタングステンの He イオン像で

ある。このように高融点金属では個々の原子を分解できるような高い質の FIM 像が得

られる。さらに結晶粒界を隔てて2つの結晶方位の FIM 像が観察される。粒界部分は

原子が完全に接触して見える部分と、暗く像が抜けている部分がみられる。後者はこ

の部分で試料表面に凹部があるためと考えられる。図 9(b)は純アルミニウムの He イ

オン像である。一般に低融点金属では面の表面エネルギーの差によって試料が大きく

ファセットするために、(001)面や(111)面での曲率半径が大きくなり、この部分での

像が暗くなる。アルミニウム合金では(011)面の部分で試料が小さな曲率を持ち、像が

最も明るく結像される。このような像のファセットはタングステンでも、試料観察温

度を 100 K 程度に上げていくと観察される。図 9(c)は Ge を 1at.%含む L12 構造の Ni3Al金属間化合物である。L12 化合物の場合(011)面と(002)面は NiAl 面と Ni 面の交互の積

層になっているが、図 9(c)にもみられるように、NiAl 面は Ni 面に比べて暗く観察さ

れる。また電界蒸発強度の高い Ge 原子が(011)面のテラスに残って突き出しているた

図 9 FIM 像から試料の曲率半径の求め方

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めにこれらの原子4個が明るく観察されている。図 9(d)は時効処理した Cr-20Fe 合金

で、Fe のナノ析出物が Cr 母層中に析出している。Fe は Cr よりも蒸発電界が高いた

めに、Fe 析出物の部分が試料表面で突き出し、その結果、Fe 析出物が母相に比べて

明るく観察されている。析出物の蒸発電界が低い場合には全く逆のコントラストが現

れる。図 9(e)がその一例で、Al 母相中に析出した Al3Li (δ相)は Li の蒸発強度が低

図 10 さまざまな FIM 像。(a)タングステンの結晶粒界、(b) アルミニウムの He イオン、(c) Ge

を含む Ni3Al の Ne イオン像、(d) Fe の析出した Cr-20at.%Fe 合金の Ne 像、(e) Al3Li の析出した Al-6at.%Li 合金、(f) Sm2Co17母相中に析出した SmCo5セル境界相と c 軸に平

行な板状 Z 相を含む Sm(Co0.72Fe0.20Cu0.055Zr0.025)7.5焼結磁石の Ne イオン像。

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いために析出物のところで凹み、そのため析出物は母相に対して暗く観察される。図

9(f)は Sm(Co0.72Fe0.20Cu0.055Zr0.025)7.5 焼結磁石の Ne イオン像である。この試料には

Sm2Co17 母相と、相分解によって母相をセル状に囲むように形成された SmCo5 セル境

界相、c 軸に板状に析出する Z 相の3相が存在している。明るく観察されているのが

母相で、暗く観察されているのがセル境界相である。また試料の長手方向に垂直に析

出している板状試料は、特に明るいコントラストをもったリングとして観察されてい

る。このような FIM 像を得てから、原子をイオン化させてアトムプローブ分析を行う

ことにより、ここで観察されているようなナノ相の組成分析を行うことができる。 次回はその3次元アトムプローブの装置を詳細に説明する。本稿は学部4年生程度

の学生を対象として執筆しているので、参考文献を厳密に引用していない。本稿を執

筆するにあたって参考として文献をまとめて以下に列挙する。 1. T. T. Tsong, Atom-probe field ion microscopy, Cambridge University Press, 1990. 2. M. K. Miller, A. Cerezo, M. G. Hetherington, and G. D. W. Smith, Atom-probe field ion

microscopy, Oxford University Press, 1996. 3. M. K. Miller, Atom probe tomography: analysis at the atomic level, Kluwer Academic,

2000. 4. K. Hono, Nanoscale microstructural analysis of metallic materials by atom probe field ion

microscopy, Prog. Mater. Sci. 47, 621 - 729 (2002). 5. http://www.nims.go.jp/apfim/