第五十四回 文芸研全国大会 鹿児島大会走れメロス 教材分析編 二 … · 教...

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54 走れメロス 太宰治(中学 2 年生 東京書籍) 2019 8 4 日~ 5

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教材分析編

文芸教育全国研究大会

かごしま大会

【中学・高校分科会】

54

文芸研

高知サークル

石野訓利

走れメロス太宰治(中学 2 年生 東京書籍)

2019 年 8 月 4 日~ 5 日

作家と作品

作品と生徒達達

学級の実態

この作品をどう読んだか

1作品の構造(視点・筋・構成・場面)

①視点

②筋・構成・場面

【一の場面】

【二の場面】

【三の場面】

【四の場面】

【五の場面】

【六の場面】

【七の場面】

【八の場面】

2作品における虚構の方法

①呼称の変化

②題名(冒頭の《仕掛》)

3作品における美と真実

この教材でどんな力を育てるか

1認識の方法

2表現の内容

3認識の内容

授業の構想

1教授過程=学習過程

2授業の構想

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作家と作品

作家について

太宰治・・一九〇九(明治四二)年~一九四八(昭和二三)年。

青森県出身。本名

津島修治。

小説家。実家は津軽の大地主。父は貴族院の勅選議員。県立青森中、弘前高校を経て、東大仏文科中退。東大在学中からの左翼運

動から脱落して間もなく、ある人妻と心中を図り、彼だけが生き残ったが、「道化の華」はそのことを書いたものの一つで、従来の小

説形式からはみ出した、自身の生々しい経験の告白をつづる手法は、当時の文壇に新鮮な印象を与えた。この好評に自信を得た彼は、

従来の小説技法を打破する、独特の説話体や饒舌体を駆使し始めた。

通例、太宰治の文学は、次の三期に分けて考えられる。

(前期)

質問や自己を否定する考えと、それと矛盾する自己顕示欲との相克を表現し、さまざまな冒険的表現技法を取り入れた。

(中期)

前期の自己矛盾を内包しつつ、素材を口碑・古来の説話など、あらゆる方面を求め、それらに新解釈を施した創作をし

た。明るく健康的な文体の時期で、「走れメロス」は、この時期の作品である。

(後期)

こうした試みと、度重なる自殺未遂を経て、以前より持ち続けていた自己矛盾に対し「破滅の美」という概念は、当初

から持ち続けていた自己矛盾を解決しうるものであった。つまり、自己否定と自己顕示は同時には成立し得ないが、滅ぼすことを美

と考えれば、否定することはすなわち顕示になりうるのである。

彼の創作は、自己矛盾との戦いであったということができるが、この考えに達することにより、彼の文学は完成したのであろう。

(光村教科書・指導書下・・出典「太宰治全集

3」

筑摩書房・一九六七年)

作品について

この作品は、原典の末尾に「古伝説と、シルレルの詩から」と作者自身が明記している。「古伝説」とは、ギリシアの伝説「ダーモ

ンとフィンテヤス」の物語。「シルレル(シラー)の詩」とは、シラー(フリードリ・フォン・シラ

ドイツの詩人、歴史学者、劇

作家、思想家)の「人質

譚詩」のことだろうと言われている。

この詩はイタリアの伝説中に材料をとっている。「ディオニス」とはシラーの変えた名で、本名はディオニジウス。シシリー島の東

海岸にあるシラクスの支配者で、紀元前四百年ごろの人物。「友だち」とは、伝説ではセリヌンティウスという名の男になっている。

また、一説には、太宰治と交友があった作家檀一雄が、太宰の死後、その思い出などをつづった本の中に、「昭和十一年の暮れ、太

宰と檀らが熱海に遊んだ時、飲食代の不足により太宰が壇を「人質」として残し、東京へ借金嘆願に帰った。それきり戻ってこない

のに業を煮やした壇が井伏鱒二宅に出かけて行った」という記述がある。

さらに次のような一節もある。

太宰は井伏さんと将棋をさしていた。私は多分太宰を怒鳴ったろう。この時、太宰が泣くような顔で

「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」暗くつぶやいた言葉が今でも耳の底に消えにくい。この四年後、太宰は「走れメロ

ス」を書いている。

そして、檀氏は『私は、後日、「走れメロス」という太宰の作品を読んで、おそらく私達の熱海行きが、少なくともその重要な心情の

発端になっていはしないかと考えた』と書いている。

(光村図書教科書・指導書下より)

作品と生徒達

本校は、高知県中央部より少し東に位置します。海水浴場と海浜公園のある、海岸線が美しい風光明媚な土地であり、同時に近い

将来起こりうる南海大地震での津波の危険性を常に警戒しなければならない場所でもあります。全校生徒六〇名弱弱、温厚で素直な

性質の持ち主がほとんどの学校です。

本学年は、小学校時代に崩れを経験してはいるものの、中学校に入学して以来、活発で明るい学級として成長してきています。日

常の発言や個人日誌に出てくる言葉は、どれも他者を思い遣るものばかりで、担任としても心癒される場面が数多くありました。

けれども、多数のアンケート調査の結果を見てみれば、自己肯定感の低い生徒がかなりの割合で存在しているという結果もまた事

実です。

この作品は、一般的には「友情物語」としての認知が高く、生徒達もどこかで読んだり聞いたことのあるストーリーであることで

しょう。一見するとそうとも読める作品ではります。けれども、生徒達の感想の多くは「メロスはえらい。でも僕にはできそうにな

い。」というものであり、友情物語としての読みでこの作品を終わらせることは非常にもったいないと考えています。では、この作品

で生徒達にどんな人間認識を育てられるのか。まずは、作品の表現に基づいて教材分析を行い、生徒達の実態とも重ね合わせながら

より深く豊かな人間認識を生み出せればと願っています。

この作品をどう読んだか

「走れメロス」は数十年に渡ってほとんどの教科書に載せられていて、ある意味中学校国語の「定番教材」となっています。ネ

ット上にも数多くの教材分析や実践記録が載せられていて枚挙にいとまがありません。

けれども、どの分析や実践を見ても「友情物語」「愛と真実を守り通した話」「信じる心・あきらめない心の大切さ」といった内

容が主眼となったものばかりであり、僕としては胡散臭さを感じざるを得ない状況です。

確かにこの作品を一読したとき、最後の場面での〈メロス〉と〈セリヌンティウス〉のやりとり、そして〈ディオニス〉にのセ

リフから、読者としては大きな救いを感じ、友情の有り難さや人を信頼することの大切さがしみじみと胸に迫ってくることは間違

いないでしょう。だからといって、この作品を授業にかけるとき、一読して感じた内容とほとんど同じ内容に向かって、言語活動

や詳細な問答を行うということになっている現状を鑑みる時、そこにはある徳目に向けて、ただ生徒を引っ張って行く「特別な授

業道徳」のようなものでしかないのではと感じています。

文芸研では、国語教育では〈ことばで人間の真実やものごとの本質・法則・真理・価値・意味を認識表現する力を育てる〉とい

う目標を掲げています。優れた文芸作品は「人間学」とも言われ、その内容を豊かに読み、深く意味づけることでこの目標を達成

することが可能になると考えています。そのためには、ものごとの本質・価値・意味などを表現に基づいて見抜くことが必要です。

そしてその見抜く方法を「教育的認識論」として各学年でどんな力を育てればいいかを「関連・系統指導案(西郷試案)」として提

示しています。そして同時に、「西郷文芸理論」(以下、「文芸理論」と表記する)に基づいた論理的な教材解釈を持って授業を行っ

てきました。

今回の提案では、一般的解釈とは違った分析を「文芸理論」と「教育的認識論」を元に行い、生徒達と共に、「人間とは何か」と

いう問いをこの作品を通して考えて行きたいと考えています。

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作品の構造(視点・筋・構成・場面)

視点

この作品は、《話者》の《外の目》が〈メロス〉を《異化》しつつしだいに人物の《内の目》に寄りそい、重なり、《同化》し、

さらにはまた《話者》の《外の目》に返るという構成をとっています。

また、大きな特徴として、いきなり〈メロスは激怒し

た〉という読者からしてみれば驚かざるを得ない状況を想像させる、おおげさな一文からスタートしていることが挙げられます。

この冒頭の一文では《話者(語り手)》はメロスを外から語っています。いわゆる《外の目》の文章です。でも、すぐ次の文

〈必ず、かの邪知暴虐の王を除かなければならぬと決意した〉と、《話者(語り手)》は地の文において〈メロス〉の心中を語る

ので、明らかに〈メロス〉に寄り添って(メロス=《視点人物》)の側から語っていることがわかります。当然読者は、〈メロ

ス〉を外から見たり、その内なる心情の変化も手に取るようにわかりながら読むことになります。

ところが、急流を泳ぎ切り山を駆け上がり山賊を打ち倒し峠を駆け下りて〈天を仰いで、悔し泣きに泣きだした〉後、呼称が

〈私〉に変化します。これは〈メロス〉が再び立ち上がるまで、三五回も〈私〉という呼称(〈メロス〉という呼称は七六回)が

使われていることから、《話者》が〈メロス〉に重なって語っていると考えられる場面です。

そして、ほんの少しの睡眠と、一口の清らかな水によって、〈メロス〉が再び走り出した後、また呼称は〈メロス〉に戻ります。

大きくいえば、外の目(内の目)→内の目→外の目(内の目)へと視角が大きく切り替わっている作品だと言えるでしょう。

こういう《視点》の作品では、読者の体験は《視点人物》の〈メロス〉を《異化》したり〈メロス〉に《同化》したりすること

で、人物の内面と、読者の意味付けの両方を重ねながら体験していくことになるので、非常に複雑で豊かなものとなります。さら

に、冒頭の異常とも言えるおおげさな語りから、読者は一気にこの作品の中に引きずり込まれ、なおかつ高いテンションのまま読

み進めていくことにもなっている作品です。

構造(筋・構成・場面)

一場面〈

メロスは激怒した〉と、いきなり激しい語り口で冒頭の一節が語られます。題名で疑問や興味を持っていた読者は「いったい

何がどうしたんだろう。なぜ怒っているのだろう。しかも激怒とはかなりの怒りだから、きっと大変な事が起こっているのだろ

う。」などと、様々な疑問をさらにかき立てられることになります《仕掛》。また、《話者》は〈メロス〉を外から語っていること

も読者はわかります。

続いて〈必ず、かの邪知暴虐の王を除かなければならぬと決意した〉と、ある程度疑問に対する答えが得られます。でも、〈邪

知暴虐〉という聞き慣れない言葉に、いかにも悪辣な王をイメージしながらも、「それにしてもいったいどうしてそこまで〈メロ

ス〉が怒っているのか、〈除かねばならぬ〉というのは殺すということだろうから、非常に重大なことがあったに違いない。それ

はいったいどんなことだろう。」と疑問が解決することで、逆に知りたいことが強まることにもなるでしょう。これは、《仕掛》

の〈答え〉であると同時に新たな《仕掛》になっているという、見事な語りになっています。

さらに、〈メロス〉はと外から語っていた《話者》がその内面の気持ちを語っているので、読者には《話者》が〈メロス〉に寄

り添って語り始めていることもわかります。

〈メロスには政治が分からぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮ら

してきた。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった〉

ここで、〈メロス〉の人物像が説明されています。〈政治がわからぬ〉のは〈村の牧人〉

で〈笛を吹き、羊と遊んで〉いたような呑気な人物であればこそ、政治には興味も持たずに生きてきたのだろう、また他の人以上

に正義感を持って生きてきた真っ直ぐな人物であろうことが想像ができます。読者は〈メロス〉の《内の目》に寄り添いながら、

そんな呑気で正義感のある〈メロス〉にとって王の行いが許せないほどの行為があったに違いないと納得すると同時に、それはい

ったいどんなことがあったのだろうと、ますます疑問が膨れあがり次を読みたくなる《仕掛》になっているところです。

〈今日未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里離れたこのシラクスの町にやってきた。メロスには父も、母もない。女房

もない。十六の、内気な妹と二人暮らしだ。この妹は、村のある律儀な一牧人を、近々、花婿として迎えることになっていた。結

婚式も間近なのである。〉

読者の疑問を解決したいという欲求をさらりとかわす

かのように、再び〈メロス〉の人物像の説明が語られ

ます。ここで読者にわかることは〈メロス〉の人物像

だけでなく、〈シラクスの町〉が〈メロス〉の村から〈十

里〉離れていることです。十里といえば約四十キロメ

ートル、現在の道路で歩いておよそ九時間。ましてやこの時代背景から察すれば〈野を越え山超え〉とあるように、険しい道が続

いていたことでしょうから、もっと時間はかかってしまったことでしょう。〈メロス〉がかなりの健脚であろうことは容易に想像

できることでしょう。

また、〈メロス〉の家族構成や境遇〈妹〉の結婚式の準備をする優しい兄であろうことが次々とわかり、読者は〈メロス〉の優

しく強く正義感のあるそれでいて呑気な人物として好感を持って受け入れることでしょう。

〈メロスは、それゆえ、花嫁の衣装やら祝宴のごちそうやらを買いに、はるばる町にやってきたのだ。まず、その品々を買い集

め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。メロスには竹馬の友があった。セリヌンティウスである。今はこのシラクスの町で、石

工をしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。久しく会わなかったのだから、訪ねていくのが楽しみである〉

妹の結婚式のために十里離れた町まで買い物に来た〈メロス〉。読者は〈メロス〉の優しさをより強く感じながら、そんな〈メ

ロス〉が〈訪ねていくのが楽しみである〉と思っているのだから、

竹馬の友である〈セリヌンティウス〉もまた、きっと好人物

なのだろうと感じるところです。

ここまで読んできた読者には、まだ大きな疑問が残っています。呑気で正義感に溢れ優しい〈メロス〉が、そのイメージとは真

逆の〈激怒〉し、王を〈取り除かねば〉と考えた出来事はなんなのか、〈メロス〉の人物像がわかればわかるほど疑問は膨らんで

いくことでしょう《仕掛》。

〈歩いているうちにメロスは、町の様子を怪しく思った。ひっそりしている。もう既に日も落ちて、町の暗いのはあたりまえだが、

けれども、何だか、夜のせいばかりではなく、町全体が、やけに寂しい。のんきなメロスも、だんだん不安になってきた〉

町の様子をいぶかしがる〈メロス〉です。〈メロス〉がこうして感じられるためには、今の〈シラクスの町〉と比較すべきもの

があってのことでしょう。逆にいえば、以前はこの町は今のような寂しい状況ではなかったということです。これはこの後のセリ

《仕掛》

読者が興味・感心・疑問を持ち、次

を読みたいと思うような筆者の工夫

東書と光村の教科書では、〈シラクスの町〉と表記されていますが、青

空文庫では〈シラクスの市〉となっていました。この変更の原因は目

下調査中です。

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フでも語られます。

〈道で会った若い衆を捕まえて、何かあったのか、二年前にこの町に来たときは、夜でも皆が歌を歌って、町はにぎやかであった

はずだが、と質問した〉

〈二年前〉には〈シラクスの町〉は賑やかで

あったことが語られます。ここから何がわか

るのでしょう。通常は読み飛ばしてしまわれ

ている部分でもあります。この〈メロス〉の

セリフから言えることは、少なくとも二年前までは、町が明るく賑わうような政治が行われていたということではないでしょうか。

そして、その政治を行っていたのは、他ならぬ〈ディオニス〉であったはずなのです。ここには統治者が変わったということは一

切語られていません。だとすれば、読者は、二年前も今も同じ〈ディオニス〉の統治下にあったと考えるべきです。そして、こう

読むことで、〈ディオニス〉の人物像がラストで大きく変化することに納得性が出てくるのです。

〈若い衆は、首を振って答えなかった。しばらく歩いて老爺に会い、今度はもっと、語勢を強くして質問した。老爺は答えなかっ

た。メロスは両手で老爺の体を揺すぶって質問を重ねた。老爺は、辺りをはばかる低声で、僅か答えた。

「王様は、人を殺します。」〉

〈若い衆〉が答えなかったことで、次に〈老爺〉に訪ねるのですが、〈メロス〉の行為はだんだんエスカレートしていきます。

《同化》して読めば、正義感に突き動かされ、真相を知りたいという〈メロス〉の思いの高まりゆえの行為だと思えるところです

が、《異化》して読めば、〈老爺〉に対して少々強すぎる行為にも思え、後先考えない〈メロス〉の人物像がここにも見えてくる

でしょう。

また、「新しい王様」「今の王様」とも語らず、単に〈王様は〉と語られることからも、やはりこの二年の間に〈ディオニス〉

が大きく変わったと考えられます。

〈「なぜ殺すのだ。」

「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持ってはおりませぬ。」

「たくさんの人を殺したのか。」

「はい、初めは王様の妹婿様を。それから、ご自身のお世継ぎを。それから、妹様を。それから、妹様のお子様を。それから、皇

后様を。それから、賢臣のアレキス様を。」

「驚いた。国王は乱心か。」

「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずることができぬ、というのです。このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少し

くはでな暮らしをしている者には、人質一人ずつ差し出すことを命じております。ご命令を拒めば十字架にかけられて、殺されま

す。今日は、六人殺されました。」〉

ここはセリフだけで物語が進行します。〈ディオニス〉の王としての非道な行いが〈老爺〉のセリフから明らかになります。そ

れにしても、「妹婿→息子→妹→妹の子ども→妻→賢臣(と評価されている)アレキス」を殺していったという状況に、《初読》

では読者も身震いすることでしょう。《再読》で、《異化》してみれば、もっと外部の人間から殺していきそうなものを、身内か

ら殺すというのはあまりに異常だと感じるのではないでしょうか。そして、読者として、こんな状況になったのはいったいどうし

てなのか、〈ディオニス〉の身辺でどんな事が起こったのだろうと想像を巡らすことになるでしょう。ただ、〈ディオニス〉は

《対象人物》ですし、そのあたりのことはほとんど《話者》も語っていないので、おそらくここまでになってしまうような、ひど

い裏切りが何度もあったのではないかという想像はできますが、決め手はありません。

ただ、この残虐な行為を〈メロス〉は〈乱心〉からかと考えるのですが、そうではなく、〈人を、信ずることができぬ〉という

ことから始まっているという老爺の答えから、読者は〈ディオニス〉の行為の裏にあったであろう権力の中枢にいるが故に起きた

であろう〈ディオニス〉への裏切りの深刻な状況を思い遣ることにもなります。

聞いて、メロスは激怒した。「あきれた王だ。生かしておけぬ。」

〈聞いて、メロスは激怒した〉ここで読者は冒頭の〈メロスは激怒した〉ことの理由がはっきりとわかります。《初読》におい

て、ここまで冒頭の《仕掛》での疑問を持ち続けてきた読者は「なるほど、だから激怒したのか」と〈メロス〉の怒りを《同化体

験》し納得することになります。そして同時に、これから〈メロス〉は何をするんだろうという疑問も生まれてきます《仕掛》。

〈メロスは、単純な男であった。買い物を、背負ったままで、のそのそ王城に入っていった。たちまち彼は、巡邏の警吏に捕縛さ

れた。調べられて、メロスの懐中からは短剣が出てきたので、騒ぎが大きくなってしまった。メロスは、王の前に引き出され

た。〉

《初読》で《同化》して読めば、ここまでの呑気で政治のことにも疎く、正義感をもった〈メロス〉の人物像に、さらに〈単

純〉というイメージが加わり、〈買い物を、背負ったままで、のそのそ王城に入っていった〉というどこか滑稽な行動も、さほど

違和感なく受け入れられることでしょう。けれども、《再読》で《異化》して読めば、なんの策もなく王城に入ったところで王を

殺せるはずもなく、捕まってしまうのは当然であって、あまりにお粗末ともいえる〈メロス〉の行動に思わず苦笑してしまうこと

にもなるでしょう。

二場面

〈「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」暴君ディオニスは静かに、けれども威厳をもって問い詰めた。その王の顔は

蒼白で、眉間のしわは、刻み込まれたように深かった〉

ここで〈ディオニス〉の人物像が読者にもわかるようになってきます。〈暴君〉という言葉から受ける残酷で荒くれた人物のイ

メージから〈威厳をもって〉〈顔は蒼白で〉〈眉間のしわは、刻み込まれたように深かった〉というむしろ落ちついていて思慮深

い〈ディオニス〉のイメージが続くことで、あれほど残酷な殺しを行ってきた人物であるにもかかわらず、けっして平気で行って

きたのではなく、深い悩みを持って苦悩している人物なのかもしれないと感じられることにもなるでしょう。

〈「町を暴君の手から救うのだ。」とメロスは悪びれずに答えた。「おまえがか?」王は、憫笑した。「しかたのないやつじゃ。お

まえには、わしの孤独が分からぬ。」

「言うな!」とメロスは、いきり立って反駁した。「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、民の忠誠をさえ疑っておら

れる。」〉

優れた文芸作品は、必要にして十分なことが書かれている」という前提

不必要な表現があったり、必要があることが書かれていなかったりすればそれ

は後の世に残る作品とはなり得ないでしょう。

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〈「町を暴君の手から救うのだ。」とメロスは悪びれずに答えた。「おまえがか?」王は、憫笑した。〉

〈メロス〉は〈暴君〉と呼称しています。普通自分のことを〈暴君〉などと呼ばれれば激怒してもおかしくはないでしょう。し

かし、〈ディオニス〉はその言葉は否定したり怒ったりしていません。逆にいえば、自らの行為を〈暴君〉と呼べるものであると

いう自覚があるとも言えます。また、〈わしの孤独が分からぬ〉というセリフからも、〈ディオニス〉の人物像が膨らみます。あ

の、身内から殺し始めた虐殺行為を行ったこの人物は、そうした結果孤独にさいなまれていることを嘆いているのです。ただの残

酷な自分のことしか考えていないような悪辣な人物ではないのでは?という読者の意味付けも生まれてくるかもしれません。けれ

ども〈メロス〉は〈「言うな!」とメロスは、いきり立って反駁した。「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、民の忠

誠をさえ疑っておられる。」〉と聞く耳を持ちません。

〈「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、当てにならない。人間は、もともと

私欲の塊さ。信じては、ならぬ。」暴君は落ち着いてつぶやき、ほっとため息をついた。「わしだって、平和を望んでいるのだ

が。」〉

ここで注目されるのは、〈「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。」〉というセリフです。

〈メロス〉の側からすると、まるで人のせいにしているようにも思えるのですが、先ほどの、〈二年前にこの町に来たときは、夜

でも皆が歌を歌って、町はにぎやかであったはずだが〉という〈メロス〉のセリフと響き合わせたとき、読者は、もしかすると、

善政を行っていた〈ディオニス〉が、誰かのなんらかの〈私欲〉による背信行為のために、〈人の心は、当てにならない。人間は、

もともと私欲の塊さ。信じては、ならぬ。〉というような人間不信に陥っていったのではないか、その背信があまりにひどい内容

であったために、身内や家族を次々と殺していったのではないか、と考えることも出来るでしょう。そうすると、〈「わしだって、

平和を望んでいるのだが。」〉というセリフにも信憑性を感じることにもなります。

けれど、ここでも怒りに溺れている〈メロス〉は聞く耳を持ちません。

〈「何のための平和だ。自分の地位を守るためか。」今度はメロスが嘲笑した。「罪のない人を殺して、何が平和だ。」〉

《同化》して読めば、いかにも真正直で、正義感に溢れる〈メロス〉の言葉が繰り返され、読者には正義感が強く、悪に対して

ひるむことのない〈勇者〉としてのイメージが強くなってくるところです。《異化》して読めば、〈ディオニス〉の言葉やその裏

にあるかもしれない思いも全く無視し、一方的に批判する〈メロス〉の姿に、〈単純〉なという言葉がまさにぴったりな人物像を

ますます強く感じることにもなります。

〈「黙れ。」王は、さっと顔を上げて報いた。「口では、どんな清らかなことでも言える。わしには、人のはらわたの奥底が見え透

いてならぬ。おまえだって、今に、はりつけになってから、泣いてわびたって聞かぬぞ。」〉

おそらくこの二年間で〈ディオニス〉の身の回りでこのような事態が起こったのではないか、また、〈おまえだって〉という言

葉から、それは一度だけではなかったことだろうと想像できるセリフです。ただこれは、《対象人物》である〈ディオニス〉のセ

リフですから、その想像が正しいかどうかはわかりません。読者にとって〈ディオニス〉の人物像はこのセリフをどう読むかでず

いぶん違ってくるでしょう。

〈「ああ、王はりこうだ。うぬぼれているがよい。私は、ちゃんと死ぬる覚悟でいるのに。命乞いなど決してしない。ただ、--

。」

と言いかけて、メロスは足もとに視線を落とし瞬時ためらい、「ただ、私に情けをかけたいつもりなら、処刑までに三日間の日限

を与えてください。たった一人の妹に、亭主を持たせてやりたいのです。三日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず、ここ

へ帰ってきます。」〉

ここでは、〈メロス〉のセリフに違いが見て取れます。それまでの王に対するきっぱりとした口調の「常体」の文末から、三日

間の猶予を得ようとするところは、哀れみを乞うかのようなへりくだった言い回しで、「敬体」に変化しています。

《同化》して読めば、〈ディオニス〉の非道さに対し、〈メロス〉の潔いイメージが強くなります。さらには妹のことを思い遣り、

その結婚式の実現のために三日間の猶予を願い出る〈メロス〉を読者は同情的に読むことになるでしょう。

《異化》して読めば、さっきまでの勇ましさや勢いはどこかに消え、暴虐な王に願いをし始めていることに違和感を感じること

でしょう。あれほど残虐なことをしている王に、自分の都合で願いを言ったところで叶うはずもないのではないかと考えることも

できるでしょう。

〈「ばかな。」と暴君は、しわがれた声で低く笑った。「とんでもないうそを言うわい。逃がした小鳥が帰ってくるというのか。」

「そうです。帰ってくるのです。」メロスは必死で言い張った。「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許してください。妹が、

私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この町にセリヌンティウスという石工がいます。私の

無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いていこう。私が逃げてしまって、三日目の日暮れまで、ここに帰ってこなかったら、

あの友人を絞め殺してください。頼む。そうしてください。」〉

自身の願いが受け入れられないことを悟ると、〈メロス〉は竹馬の友、〈セリヌンティウス〉を人質に差しだそうとします。

《同化》して読めば、友を人質に差し出すという無茶な行為を犯すのは、それほどまでに妹のことを思い遣っているのだろう、

また、〈セリヌンティウス〉はこんな無茶なことでもきっと承諾してくれる関係を持っているだろうと、〈メロス〉の優しさや友

との厚い友情を築いてきたに違いないことに心打たれるかもしれません。

しかし、《異化》してみれば、自分の都合で王を殺そうとし始めたこと、さらにまた自分の都合で命乞いをしたかと思うと、た

だ旧知の仲というだけで、何も知らない友を人質に差し出すとは、どう考えても理解できない、ある意味暴挙といえる行動だと考

えざるを得ないでしょう。

〈それを聞いて王は、残虐な気持ちで、そっとほくそ笑んだ。生意気なことを言うわい。どうせ帰ってこないにきまっている。こ

のうそつきにだまされたふりして、放してやるのもおもしろい。そうして身代わりの男を、三日目に殺してやるのも気味がいい。

人は、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔して、その身代わりの男を磔刑に処してやるのだ。世の中の、正直者とかいうや

つばらにうんと見せつけてやりたいものさ。

「願いを、聞いた。その身代わりを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰ってこい。遅れたら、その身代わりを、きっと殺すぞ。

ちょっと遅れてくるがいい。おまえの罪は、永遠に許してやろうぞ。」〉

ここまで《話者》は〈メロス〉に寄り添って語ってきました。ところがここに至って、それまで《対象人物》であった〈ディオ

ニス〉の胸中を語っています。これは《視角の転換》と呼ばれ、《話者》が寄り添う人物を瞬時に切り替えているのです。「ごん

ぎつね」でも、ごんから兵十に切り替わる場面がありました。これによって、読者は、それまで寄り添っていた人物の気持ちと、

それまでは見られている側であって気持ちはわからなかった人物の気持ちを分かることになり、両者の思いが切実によくわかるこ

とになります。

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また、ここには表記の上で注意しなければならないところがあります。〈ディオニス〉の内なる言葉である〈生意気なことを言

うわい。・・・見せつけてやりたいものさ〉の部分には「

」がなく、地の文のままです。ところが〈「願いを聞いた・・・許して

やろうぞ」〉と今度は「

」つきで〈ディオニス〉のセリフが表記されています。一般的に「

」の部分は登場人物の言葉、それ以

外は地の文という区別がされていますが、そうすると地の文の言葉はいったい誰の言葉と言えばいいのでしょう。

時々耳にするのは、『「

」は登場人物のセリフで、それ以外は地の文(作者の言葉であるといわれることもある)』という分け方

です。でも、そう考えるとここは両方ともが〈ディオニス〉の言葉ですので、説明不能になってしまいます。

文芸学の視点論では、『「

」のセリフも地の文も全て《話者》の語りである。』と、考えます。そもそも、「登場人物」という用

語は演劇の世界の用語でした。確かに舞台(場)に人間が登って演技をしますから、それは真っ当な用語です。そして演劇では、

「ナレーター」が存在していて、セリフ以外の部分を語り進めています。この二つの用語はセットで使われていて、なんの不都合

もありません。

ところが、どこかで誰かが、この「登場人物」という用語だけを「文芸作品」に当てはめてしまったことが、日本における《話

者》の存在を忘れさせてしまってきた原因だと言えそうです。文芸作品において、《話者》という存在は、人物として表に出てこ

ない場合が多いこともあり、また、「私小説」というジャンルの流行も重なって、一般的に作品中で「私」とあれば、それは「作

者」のことであるという誤解が広がってしまいました。

文芸研では、「登場人物」という用語は使わないように心がけています。それは、《人物》という用語で全てが説明できるから

です。《人物》とは「その作品中で人間のように考えたりしゃべったりするもの全て」と規定していますので、とてもスッキリし

ます。

ここで重要なことは、作品を書いたのは「作者」であるということです。題名を書いたり、「

」を付けたりつけなかったりして

いるのも作者です。作品中での語りは、すべて音声で語られていると考えて、それを《話者》が語っていると考えます。話をして

いる人物自体は《話主》という用語で区別します。簡単に言えば《話主》の言っていることを、《話者》が語り、それを《作者》

が意図を持って漢字で表記したり平仮名片仮名を使ったりして書いていると考えるのです。(西郷竹彦

入れ子型構造)

さて、そうすると、次に、この〈ディオニス〉の心の中の言葉になぜ「

」が付いていないのかが問題になります。

よく見かけるのは、「心内語」という言葉です。〈ディオニス〉の心の中の語りだというのでしょうが、その説明だけでは、なぜ

心内語には「

」がないのかという答えにはなりません。口に出して言うセリフとの違いを意味しているのならば、(

)をつけて

もいいはずです。

ではいったい、〈ディオニス〉の心の中を語っている言葉を地の文のままで表記してあるのはなぜなのでしょう。

この作品の大きな特徴の一つは、《話者》が《外の目》から語る〈メロス〉という三人称の呼称から、〈私〉という人物の《内の

目》に寄り添った一人称の呼称に変化していることです。特に五場面では〈私〉という呼称が三五回も繰り返されます。けれども、

ほとんどの読者がなんの違和感もなく、この変化を受け入れ、すんなりと読んでいるのです。これまで何度も授業をしてきました

が、この違和感に気づいた生徒はいませんでしたし、何より僕自身がこのことに全く気づいていませんでした。なぜこのようなこ

とが起こるのでしょう。数十回も繰り返される〈メロス〉という呼称が、急に〈私〉になれば、普通なら違和感を覚えて当然です。

この三場面において、それまで〈メロス〉の側から語っていた《話者》が、急に《対象人物》であった〈ディオニス〉の側から

語り出し、またその心の中がまるでセリフであるかのように地の文で語っています。そして、本来なら違う記号でそれまでの地の

文と区別してもいいはずなのに、《作者》は無記号で表記しているのです。こうすることで、〈ディオニス〉という同一の人物の

言葉が地の文にも「

」にも表れていることになり、読者はほんの少しの違和感を持ちながらも、「ああ、ここは〈ディオニス〉

が言葉としては発せずに心の中で考えていることだ」と受け入れていくことになるのではないでしょうか。これによって、読者の

読みは、少しずつ、誰が語り、誰の言葉が「

」になっているのかが曖昧になってくるのです。これは、五場面で一人称の〈私〉

に切り替わっても、読者がほとんど違和感を感じないための布石としての《作者》の意図だったのではないかとも考えられるとこ

ろです。

〈「なに、何をおっしゃる。」

「はは。命がだいじだったら、遅れてこい。おまえの心は、分かっているぞ。」

メロスは悔しく、じだんだ踏んだ。ものも言いたくなくなった。

竹馬の友、セリヌンティウスは、深夜、王城に召された。暴君ディオニスの面前で、よき友とよき友は、二年ぶりで相会うた。

メロスは、友に一切の事情を語った。セリヌンティウスは無言でうなずき、メロスをひしと抱き締めた。友と友の間は、それでよ

かった。セリヌンティウスは、縄打たれた。メロスは、すぐに出発した。初夏、満天の星である。〉

〈メロス〉と王のやりとりのあと、《話者》は人物からすこし離れた位置から語っています。「物語る」と言われるのですが、こ

のことによって時間経過が割愛され、必要な情報がテンポ良く読者に伝わってきます。不必要なことが省かれていますので、〈メ

ロス〉と〈セリヌンティウス〉が命をかけるほどの事情があるにも関わらず、互いを信頼し合っていることが淡々と語られること

で、よけいに強く感じられます。

そして〈メロスは、すぐに出発した。初夏、満天の星である。〉と結ばれたとき、読者にとってはきっとこれから〈メロス〉は

王との約束を果たすことだろうという期待や希望を持つことになるでしょう。〈初夏、満天の星である。〉という一文はこれまで

の暗殺や人質といった暗鬱な雰囲気を、一気に払拭し夜空にきらめく星々がこれからの〈メロス〉の行動の行く末を暗示している

かのようです。

三場面

メロスはその夜、一睡もせず十里の道を急ぎに急いで、村へ到着したのは、明くる日の午前、日は既に高く昇って、村人たち

は野に出て仕事を始めていた。メロスの十六の妹も、今日は兄の代わりに羊群の番をしていた。よろめいて歩いてくる兄の、疲労

困憊の姿を見つけて驚いた。そうして、うるさく兄に質問を浴びせた。〉

〈明くる日の午前、日は既に高く昇って、村人たちは野に出て仕事を始めていた。〉とありますので、時間的には午前七時~八

時くらいでしょうか。深夜に王城を出発した〈メロス〉は出発を午前12

時と仮定した場合、七、八時間〈急ぎに急いで〉来たこ

とになります。妹が〈よろめいて歩いてくる兄の、疲労困憊の姿を見つけて驚いた〉のも当然のことでしょう。

〈「・・・明日、おまえの結婚式を挙げる。早いほうがよかろう。」/妹は頬を赤らめた。〉

いきなりの〈メロス〉の提案に、驚くこともなく〈顔を赤らめ〉る妹です。《内の目》に寄り添って読めば、それほど結婚式を

待ち望んでいたのだろうと考えられます。ただ、《外の目》で《異化》してみれば、〈メロス〉の素朴さ・単純さは妹も持ち合わ

せているのかもしれないとも思えるところです。

目が覚めたのは夜だった。メロスは起きてすぐ、花婿の家を訪れた。そうして、少し事情があるから、結婚式を明日にしてく

れ、と頼んだ。婿の牧人は驚き、それはいけない、こちらにはまだ何の支度もできていない、ぶどうの季節まで待ってくれ、と答

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えた。メロスは、待つことはできぬ、どうか明日にしてくれたまえ、と更に押して頼んだ。婿の牧人も頑強であった。なかなか承

諾してくれない。夜明けまで議論を続けて、やっと、どうにか婿をなだめ、すかして、説き伏せた。〉

〈夜明けまで議論を続け〉たのですから、残された日は後二日になっています。

ここでは〈メロス〉と〈婿〉の頑強さが繰り返し反復され強調されています。常識的には〈婿〉の言っていることの方が正当だ

と思えるところですが、読者は〈メロス〉に寄り添って、〈メロス〉の窮状を知っていますので、《同化》して読めば、ホッと胸

をなで下ろす場面です。また、《異化》して読めば、相手が正当なことを言っていても、こちらの都合を優先し、それを納得させ

るほどの頑固さと、あきらめない粘り強さを持つ〈メロス〉の人物像が膨らんでいくことでしょう。

〈結婚式は、真昼に行われた。新郎新婦の、神々への宣誓が済んだころ、黒雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降りだし、やがて車

軸を流すような大雨となった。祝宴に列席していた村人たちは、何か不吉なものを感じたが、それでも、めいめい気持ちを引き立

て、狭い家の中で、むんむん蒸し暑いのもこらえ、陽気に歌を歌い、手を打った。メロスも、満面に喜色をたたえ、しばらくは、

王とのあの約束をさえ忘れていた。〉

王との約束の三日の内、一日半経った昼間から夜にかけて結婚式が行われます。《内の目》に寄り添って読めば、〈メロス〉に

とっては念願が果たせたのですから大いに喜ばしく、その喜びの大きさが〈しばらくは、王とのあの約束をさえ忘れていた〉とな

るのも無理はないと感じるでしょう。一方、《外の目》で読めば、〈車軸を流すような大雨〉が降り出したことにこれからの不安

と、無事に王城に帰り着けるだろうかという不安が重なり、喜ばしくもあり、心配でもあるという相反する感覚を持って読むこと

になるでしょう。

〈祝宴は、夜に入っていよいよ乱れ華やかになり、人々は、外の豪雨を全く気にしなくなった。メロスは、一生このままここにい

たい、と思った。このよい人たちと生涯暮らしていきたいと願ったが、今は、自分の体で、自分のものではない。ままならぬこと

である。メロスは、我が身にむち打ち、ついに出発を決意した。明日の日没までには、まだ十分の時がある。ちょっとひと眠りし

て、それからすぐに出発しよう、と考えた。そのころには、雨も小降りになっていよう。少しでも長くこの家にぐずぐずとどまっ

ていたかった。メロスほどの男にも、やはり未練の情というものはある。〉

同化して読めば〈一生このままここにいたい、と思った。このよい人たちと生涯暮らしていきたいと願ったが、今は、自分の体

で、自分のものではない。ままならぬことである。メロスは、我が身にむち打ち、ついに出発を決意した〉という〈メロス〉の葛

藤が痛いほど分かることでしょう。自身の中にある、生き延びたいという思いは〈メロス〉がまさに人間であり、人間ならば誰で

も持つであろう普通の感情を持った人物であることの証です。こういう人間臭さがただの英雄ではなく、弱い感情を持ちながら、

それと向き合い・抗い・闘って勝利するという真の勇者としてあるべき〈メロス〉像を刻み上げていくことになります。

また、《外の目》で読んでも、〈メロス〉の中にある相反する感情を読者自身の中にも存在していることを自覚させられること

にもなるでしょう。どちらの読みをしても、〈メロスは、我が身にむち打ち、ついに出発を決意した〉ことにホッと胸をなで下ろ

すし、拍手を贈りたくもなることでしょう。

ただし、〈おまえの兄の、いちばん嫌いなものは、人を疑うことと、それから、うそをつくこと〉という〈メロス〉の言葉は、

《初読》では真っ正直で単純な〈メロス〉の人となりを語っていると読めるのですが、《再読》では、その後の彼自身の〈セリヌ

ンティウス〉との約束を反故にしてしまいかねない言動と響き合って、興味深く読めるところです。

四場面〈

死んだように眠った〉〈メロス〉が再び起き上がったのは〈あくる日の薄明のころ〉です。残された時間は約十二時間といっ

たところでしょうか。《初読》で、読者は間に合うかどうかハラハラしながら〈メロス〉の言動に注目しながら読んでいきます。

〈これからすぐに出発すれば、約束の刻限までには十分間に合う。今日はぜひとも、あの王に、人の信実の存するところを見せて

やろう。そうして笑ってはりつけの台に登ってやる。メロスは、悠々と身支度を始めた〉ところでホッとしたり、〈メロスは、ぶ

るんと両腕を大きく振って、雨中、矢のごとく走り出た〉〈メロス〉を頼もしく見守りながら読み進めます。

私は、今宵、殺される。殺されるために走るのだ。身代わりの友を救うために走るのだ。王の奸佞邪知を打ち破るために走る

のだ。走らなければならぬ。そうして、私は殺される。若いときから名誉を守れ。〉

ここで、呼称が三人称の〈メロス〉から一人称の〈私〉に変化します。しかも、ここは「

」がついていませんので、地の文で

す。地の文に〈メロス〉の心の中が語られているのですが、ここまでで一度、〈ディオニス〉の心中が地の文のまま語られていた

こともあって、読者はあまり違和感を感じずに読んでいくことでしょう。

〈メロス〉自身は自分がこうして走っている意味を〈殺されるため〉〈身代わりの友を救うため〉〈王の奸佞邪知を打ち破るた

め〉だと考えていることが読者にもよくわかるところです。

〈走らなければならぬ。そうして、私は殺される。若いときから名誉を守れ〉と続いた時、殺される決意はできている〈メロ

ス〉ではあっても、何か自分に対して鞭打っている、自分で自分に命令しているように感じることができるでしょう。やはりそれ

は、いくら自分で起こした責任があったとしても、正直者で他人想いの人物であったとしても、やはり自らの命が奪われることに

対しては簡単に受け入れられない人間の本質的な生への執着が見て取れるところです。自らの死のために走り続ける〈メロス〉の

心の中の葛藤に読者も同情を禁じ得ない場面です。

〈若いメロスは、つらかった。幾度か、立ち止まりそうになった。えい、えいと大声あげて自身を叱りながら走った〉

ここで、また、呼称が〈メロス〉に戻ります。〈メロス〉の苦悩を知っている読者は、〈メロス〉と《同化》しながら自身を叱

咤しながら走る姿に「なんとか無事に王城にたどり着いてほしい」と切実に思うことでしょう。

〈メロスは額の汗を拳で払い、ここまで来れば大丈夫、もはや故郷への未練はない。妹たちは、きっとよい夫婦になるだろう。私

には、今、何の気がかりもないはずだ。まっすぐに王城に行き着けば、それでよいのだ。そんなに急ぐ必要もない。ゆっくり歩こ

う、と持ち前ののんきさを取り返し、好きな小歌をいい声で歌いだした〉

一見すると、いかにも呑気な〈メロス〉らしくポジティブな思考が語られているように思える場面です。

ここで、〈私〉という一人称の呼称に変化していますが、それまでにあった呼称の部分的な変化と同様、読者はあまり気にせず、

〈メロス〉自身の心の内が語られているくらいの認識で読んでいくことでしょう。それもこれも、全ては《話者》によって語られ

ているのですから、違和感なく読めるのです。

ただ、〈私には、今、何の気がかりもないはずだ〉というところでは、やはりどこかで自分自身にそう言い聞かせていると読め

るところです。〈何の気がかりもない〉ではなく〈ないはずだ〉というのは、誰かに何かを確認するときの言い方です。さらに言

えば、自分自身が一抹の不安を持っている時に使う表現だからです。いくら呑気な〈メロス〉とはいえ、この事態の重要性は認識

しているはずです。そして、自分自身がもう二度と妹夫婦と会うことはできない、二度とこの善き人たちの暮らす故郷に帰ってく

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ることはないのだという切ない思いを抱きながら、自身を鼓舞しようとしている〈メロス〉の心中を垣間見ることができるところ

でもあります。

そんな〈メロス〉に、彼自身思いもしなかった災難が降りかかります。《初読》では〈全里程の半ば〉とあるので〈日は高く昇

って〉という表現と響合わせて考えると、初夏の日没までに残された時間は約六時間ほどで、八時間走りに走ってやっと故郷に帰

り着いたことを考え合わせると、のんびり歩いていてはギリギリの時間だろうし、ましてや橋が無くなってしまったほどの洪水状

態であれば、間に合わなくなるのではないかと、一気に不安が押し寄せてくるところです。

また、ここでも、大袈裟な表現が目立ちます。〈降って湧いた災難〉〈濁流とうとうと〉〈猛勢一挙に〉これらの表現は、実は、

いわゆる浪花節調のくだけた言葉と、漢語調の硬く高尚な言葉が入り乱れて使われているのです。このような表現はここ以外にも

多数認められ、それがこの作品の大きな特徴であるともいえるでしょう。

相反する表現をこれほどまでに織り交ぜて、本来ならば異質なものを感じるはずが、何の違和感も読者に与えないというのは、

感嘆せざるを得ません。

そんな読者の不安は、〈メロス〉自身も同様で、〈彼はぼうぜんと、立ちすくんだ。あちこちと眺め回し、また、声を限りに呼

びたててみたが、繋舟は残らず波にさらわれて影なく、渡し守の姿も見えない。流れはいよいよ、膨れ上がり、海のようになって

いる。メロスは川岸にうずくまり、男泣きに泣きながらゼウスに手を上げて哀願した。「ああ、鎮めたまえ、荒れ狂う流れを!

時は刻々に過ぎていきます。太陽も既に真昼時です。あれが沈んでしまわぬうちに、王城に行き着くことができなかったら、あの

よい友達が、私のために死ぬのです。〉と、この状況に対して神に祈るしかなかったのです。

ここで、〈彼〉という呼称が使われているのは、〈メロス〉と外から語ってきた《話者》が、〈メロス〉に寄り添い、困り果てて

いる心中も含めて語っているところでもあるでしょう。

〈濁流は、メロスの叫びをせせら笑うごとく、ますます激しく躍り狂う。波は波をのみ、巻き、あおり立て、そうして時は、刻一

刻と消えていく〉

濁流の激しさと時間の経過というこれも異質な内容を一つに繋いで表現しています。こうすることで、読者にはますます〈メロ

ス〉の置かれた状況の厳しさを感じることになるでしょう。

この後も、漢語と和語が入り混じり、〈メロス〉の必死の闘争が語

られていきます。読者はハラハラしながら、それでもなんとかこの苦難を乗り切って欲しいという思いに駆られることでしょう。

そういう読者の願いは、物語を突き動かす原動力となり得ます。見事に〈メロス〉は濁流を泳ぎ切ることができたのです。作者

は、読者の思いを汲み取りつつも、自己の言わんとする方向に物語を進めます。読者を意識せずに、作者だけの思いを書き綴った

文章は、悪文に他なりません。そういう意味で、この作品の表記と話の流れは、読者を巻き込み、またその読者の願いを作者が実

現するという双方向の働きを見せてくれているとも言えそうです。作者は作品を書く時、必ず一般的な読者のことを想定していま

す。そうでなければただの独りよがりな文章でしかなくなります。ここでいう「読者」は作者によって想定された読み手のことを

言います。

難関をくぐり抜けた時、〈日は既に西に傾きかけている〉のです。初夏の時期、日が西に傾きかけた時刻といえば、現代の日本

人である我々の常識で言えば、午後三時頃でしょうか。それよりも、〈傾きかけている〉という表現に読者は残り時間の少なさを

感じるところです。

〈ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠を登り、登り切って、ほっとしたとき、突然、目の前に一隊の山賊が躍り出た〉

一難去ってまた一難とはまさにこのことです。時間が無いという焦りの中で、山賊に襲われた〈メロス〉、読者はまたもや〈メ

ロス〉の行く末を案じざるを得ません。

ここで、〈「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな。」〉という〈メロス〉の山賊に対する認識が語られてい

ます。それに対して〈山賊たちは、ものも言わず一斉に棍棒を振り上げた〉と続きます。授業をしていると、生徒から、「山賊は

王の命令で待ち伏せしていたのかどうか?」という疑問が出されることがよくあります。どう考えればよいのでしょうか。

先述した通り、「優れた文芸作品には、必要にして十分なことが書かれている」のです。ここでは、山賊が〈ものも言わず〉と

いう返事をしない(返事が書かれていない)ことに意味があると考えられるのではないでしょうか。そこまでは、山賊は饒舌に語

っています。ところがこの〈メロス〉の問いには無言であるのは、それが王の命令であることの証明だと言えるのではないでしょ

うか。ただ、これは根拠としては薄いので、あまりここにはこだわらない方が賢明でしょう。はっきりと書かれていないことは、

深追いせず、はっきりとわかるところで勝負した方が納得性のある授業になることでしょう。

さて、ここまで〈メロス〉は〈濁流を泳ぎきり、山賊を三人も撃ち倒し、韋駄天(のように下り坂を走り)突破してきた〉。し

かも、濁流を泳ぎ切った後は、山道を〈ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠を登り、登り切って〉います。整理してみると、「濁流を

泳ぎ切った」すぐ後に、「山道(決して平坦とは思えない、むしろ急な道)を息が切れるほどに速く登った」と思った瞬間「山賊

を撃ち倒した」あと、さっさと「山を一気に下った」のです。

僕も学生時代、山登りの経験があるのですが、新入部員に先輩が必ず言うのは、「山道は絶対に走ってはならない」ということ

でした。誰か一人が根っこに足を取られて転び、怪我をすればその時点でパーティ全員の遭難の危険性が一気に高まるからです。

怪我をしなかったとしても、上り坂を走るという行為は、体力を消耗し、山小屋までたどり着けなくなるのです。また、下り坂は

体重を支えるために足に負担がかかるので、登りよりもむしろ下りがキツイというのはよく聞く話です。

そう考えると、この〈メロス〉の一連の行動は、通常の人間にはとうてい無理な行動であることは理解できることでしょう。尋

常ならぬ体力の持ち主であると言わざるを得ませんが、たとえそうだとしても、それを可能ならしめたのは、他ならぬ〈メロス〉

の正義感と友を救わなければならないという切なる思いがあればこそのことだということは間違いありません。人一倍正義感が強

い〈メロス〉だからこそここまでの行動ができたのではないでしょうか。

また、ここでは〈メロス〉という三人称の呼称が、〈おまえ〉という二人称の呼称に変わっています。一般的に、一つの作品の

中で、呼称がこれほど変わる作品は少ないのではないでしょうか。そしてこの《呼称の変化》は、次の場面において顕著に表れて

きます。

五場面

まず、表記にそって見ていきましょう。

〈私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、みじんもなかった〉この部分は読者も大いに納得できることでしょう。ここ

まで、《外の目》と《内の目》を通して、読者は〈メロス〉の奮闘ぶりやそのけなげなまでの思いを目の当たりにしてきています。

この言葉はなるほどそうだと思えます。

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でも、《再読》で、読者の《外の目》で《異化》して考えるとどうなるでしょう。考えてみれば、そもそも〈セリヌンティウ

ス〉を人質に差し出したのは他ならぬ〈メロス〉であり、いや、もっと遡って言えば、〈メロス〉が王を殺そうとしたことが発端

で、なおかつ自分の妹の結婚式を挙げるためという、非常に個人的な理由で彼は人質にされていたのです。〈これほど努力した〉

〈約束を破る心は、みじんもなかった〉と言われても、〈セリヌンティウス〉が殺されてもいいということにはなりません。《異

化》して見れば、この〈メロス〉の言葉は、「言い訳」をしていると映ってもしかたないのです。

続けて、〈神も照覧、私は精いっぱいに努めてきたのだ。動けなくなるまで走ってきたのだ。私は不信の徒ではない。ああ、で

きることなら私の胸を断ち割って、真紅の心臓をお目にかけたい。愛と信実の血液だけで動いているこの心臓を見せてやりたい〉

と語ります。〈メロス〉の《内の目》に重なって同化してみれば、〈メロス〉はけっして嘘をついてはおらず、本当の事実を語っ

ていると読めます。けれども、読者の《外の目》で異化してみれば、「確かにそうかもしれないが、だからといってここで走るの

を止めていいのか?」と疑問を呈したくもなります。やはりこれも〈メロス〉の「言い訳」と意味付けられる言葉です。

〈けれども私は、このだいじなときに、精も根も尽きたのだ。私は、よくよく不幸な男だ〉〈メロス〉に《同化》して、そこま

で必死の奮闘を行ってきたことを知っている読者は〈メロス〉に同情を寄せることでしょう。さらに、〈私は、きっと笑われる。

私の一家も笑われる〉という〈メロス〉の自戒の言葉には心から可愛そうだと感じることもあるかもしれません。

でも、《異化》してみればどうでしょう。自分のことを〈不幸な男〉と言い、〈私は、きっと笑われる。私の家族も笑われる〉と

まで言っているのを読むと、なんだか「自分のことを卑下して」いて、そして、そうすることで走らないことを許してほしいと言

っているかのようにも思えてくるのです。自分が不幸だから〈セリヌンティウス〉もそうであっていいはずはありません。さらに

〈私は友を欺いた。中途で倒れるのは、初めから何もしないのと同じことだ。ああ、もう、どうでもいい。これが、私の定まった

運命なのかもしれない〉と、いう言葉にはあきれてものが言えなくなりそうです。〈セリヌンティウス〉の命が〈どうでもいい〉

こととされ、〈メロス〉個人の運命論によって奪われていいはずがありません。そして読者として、ここまでを《類比》してみる

と、〈メロス〉は疲労し倒れた後、立ち上がれなくなった「言い訳」を始めているんだと読めるのではないでしょうか。

〈「セリヌンティウスよ、許してくれ。君は、いつでも私を信じた。私も君を、欺かなかった。私たちは、ほんとうによい友と

友であったのだ。一度だって、暗い疑惑の雲を、お互い胸に宿したことはなかった。今だって、君は私を無心に待っているだろう。

ああ、待っているだろう。ありがとう、セリヌンティウス。よくも私を信じてくれた。それを思えば、たまらない。友と友の間の

信実は、この世でいちばん誇るべき宝なのだからな。〉

〈メロス〉の《内の目》に寄り添ってみれば、自分が人質として差し出した友に対して、起き上がれなくなったことを詫び、こ

れまでの、そして今もそうであろう二人の友情をこれ以上ない美しいものとして痛恨の思い出語る〈メロス〉の心の美しさ・優し

さを感じることでしょう。

しかし、《異化》してみれば、このまま〈メロス〉が立ち上がらなければ、この祈りはけっして〈セリヌンティウス〉には伝わ

らないだろうし、ましてや「相手を持ち上げ・美化し、それと同時に自分まで美化し」て友情を語ったところで、だからといって、

ここで走るのを止める理由にはなり得ないことだと感じられます。

〈セリヌンティウス、私は走ったのだ。君を欺くつもりは、みじんもなかった。信じてくれ!

私は急ぎに急いでここまで来た

のだ。濁流を突破した。山賊の囲みからも、するりと抜けて一気に峠を駆け降りてきたのだ。私だから、できたのだよ〉

《同化》して読めば、〈メロス〉のここまでの奮闘の姿を知っている読者は、〈メロス〉の言葉に納得し、たしかに良く努力して

きたと共感しながら読むことでしょう。確かにあの濁流を泳ぎ切り、険しいであろう山を登り、そしてすぐに山賊と対決する、ま

してや山登りでは最も疲れると言われる下り道を走って降りてきたというのは、通常の肉体と精神を持った人間には不可能です。

それを見事にこなした〈メロス〉は、そして、自分の命を差し出すために行ってきた〈メロス〉は〈勇者〉と呼ぶにふさわしい人

物と言えるかもしれません。〈メロス〉だからこそこの窮地に対して勝ててきたのです。

一方、《異化》して読めば、確かに〈メロス〉の言っていることは事実だし、詫びようという気持ちはわかる。でも、ここまで

は出来たから、後は走れないというのでは、詰まるところ〈セリヌンティウス〉の命は奪われてしまう。だとすれば、ここもやは

り〈メロス〉が「自分がしてきたことを言い訳」にしていると読めることでしょう。

〈ああ、このうえ、私に望みたもうな。放っておいてくれ。どうでも、いいのだ。私は負けたのだ。だらしがない。笑ってくれ〉

《同化》して読んでみても、ここは〈メロス〉が走るのをあきらめてしまっていることを感じます。ただ、読者自身にもこうし

てあきらめてしまった経験は多かれ少なかれあることでしょうから、それほどまでに〈メロス〉の疲労は深く強いのだと同情する

かもしれません。

《異化》した場合ははっきりしています。〈どうでもいい〉〈笑ってくれ〉などと言ってる場合じゃない、こんな「捨てばちな態

度」は明らかに〈セリヌンティウス〉に対する裏切りだと読めることでしょう。

〈王は私に、ちょっと遅れてこい、と耳打ちした。遅れたら、身代わりを殺して、私を助けてくれると約束した。私は王の卑劣を

憎んだ。けれども、今になってみると、私は王の言うままになっている。私は、遅れていくだろう。王は、独り合点して私を笑い、

そうして事もなく私を放免するだろう。そうなったら、私は、死ぬよりつらい。私は、永遠に裏切り者だ。地上で最も、不名誉の

人種だ〉

《同化》してみましょう。〈王は私に、ちょっと遅れてこい、と耳打ちした。遅れたら、身代わりを殺して、私を助けてくれる

と約束した。私は王の卑劣を憎んだ。けれども、今になってみると、私は王の言うままになっている〉と、王の甘い言葉に翻弄さ

れている自分を心から嘆いている〈メロス〉。悔しくて悔しくてそれでも自身の身体が動かないことで、結果として、王の言葉通

りになってしまっていることに大きな悲しみを持っていることでしょう。そして、〈私は、遅れていくだろう。王は、独り合点し

て私を笑い、そうして事もなく私を放免するだろう。そうなったら、私は、死ぬよりつらい。私は、永遠に裏切り者だ。地上で最

も、不名誉の人種だ〉とその後起こるであろう事態を予想し、〈死ぬより辛い〉〈永遠に裏切り者〉〈地上で最も、不名誉な人種〉

と、自らを罰するかのような思いに苦しんでいるように読めます。

では、《異化》してみればどうでしょう。自分が約束を果たせなくなったとき、それがあたかも「王の甘言のせい」だと言わん

ばかりの〈メロス〉の言動にも読めるのではないでしょうか。そして、〈死ぬより辛い〉〈永遠に裏切り者〉〈地上で最も、不名誉

な人種〉と、大げさな誇張表現で自分のことを語っています。これはもう、自分の行いの結果を他人のせいにして、さらに自分は

哀れむべき存在だと、だからこれ以上走れなくてもしかたがないと言わんばかりの言葉として受け止められます。

続いて〈セリヌンティウスよ、私も死ぬぞ。君といっしょに死なせてくれ。君だけは私を信じてくれるにちがいない。〉と、《同

化》すれば、約束を果たせなかった自分の罪を、自分も死ぬことで償おうとしている〈メロス〉の言葉に、読者はその切ないまで

の〈メロス〉の心中を同情的に読まざるを得ません。

《異化》してみれば、死んで詫びたとしても、やはり〈セリヌンティウス〉の命は奪われてしまう。信じてくれている相手だと

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思うなら、よけいにここで走るのを止めるべきではないと考えることもできるでしょう。

次に〈いや、それも私の、独り善がりか?

ああ、もういっそ、悪徳者として生き延びてやろうか。村には私の家がある。羊も

いる。妹夫婦は、まさか私を村から追い出すようなことはしないだろう。正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらな

い。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか〉と、一転してやけっぱちな言葉が続きます。

さすがに〈メロス〉に《同化》してきた読者も、こうなってくると〈メロス〉に同情しづらくなってくることでしょう。それで

も、〈メロス〉に《同化》するならば、こうやって、否定的な思考に陥ってしまうまで〈メロス〉は自分を責め続けているのだろ

うと考えられなくもありません。

《異化》してみましょう。ここまで「言い訳」を繰り返し、「相手を持ち上げ美化し」て許しを請い、さらには「人のせい」に

責任転化し「自己弁護」をしたあとで、「あきらめ」てしまおうとしているのではないかと読むことができそうです。

〈ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬるかな。――四肢を投げ出して、

うとうと、まどろんでしまった。〉

ここに至っては、《同化》していた読者もさすがに〈メロス〉を《異化》することになるでしょう。〈メロス〉はここにきて、

「自己弁護」や「責任転嫁」「哀れみを乞う」ことの果てに完璧に「開き直って」しまいます。そしてあろうことか〈まどろん

で〉しまうのです。つまり、草原に大の字になって寝てしまったのです。自分が起こした王を殺そうとした行動によって捕縛され、

しかも自分の妹の結婚式を挙げんがために、人質として差し出された〈セリヌンティウス〉の生死は、〈メロス〉の行動にかかっ

ているというのに・・・。

ここまで《同化》《異化》を繰り返し読んできた読者は、なんの悪びれもなく開き直ってしまった〈メロス〉に対して、「このま

までは〈セリヌンティウス〉は死んでしまう。なんとかならないものか。」と心中穏やかではなくなることでしょう。そして読者

の心の内に「〈メロス〉に起き上がり再び走って欲しい」という願いを生み出すことになるでしょう。また、《話者》も〈まどろ

んでしまった〉と語っています。「〇〇してしまった」というのは、「〇〇しないほうがいいのに、してしまった」という意味で

す。つまり、《話者》もここで寝てはダメだという認識で語っていることがわかります。

ところで、ここまで読んでくると、《呼称の変化》が〈メロス〉から〈おまえ〉そして〈私〉になっていることの意味が見えて

きます。

《話者》はそれまでほとんどと言っていいほど〈メロス〉と《外の目》の呼称を使っていたのが、四場面で〈おまえ〉という二

人称が使われ、さらにこの場面に来てからは、《内の目》の呼称〈私〉となっています。その意味は何かを考えてみましょう。

まず一つは、呼称がこのような、三人称から二人称、そして一人称へと移っていく《視角の転換》が、〈メロス〉の内面の葛藤

(自己を否定する心と肯定する心の激しい葛藤)を見事に描いていることになるでしょう。〈メロス〉という人物の外と内がすべ

て明らかにされてくるわけですから、読者にとっては我がこととして〈メロス〉の思いを十二分に感じられることになるのです。

二つ目は、読者が《異化》して〈メロス〉の言葉を見てみたとき、「言い訳」「自己弁護」「責任転嫁」「哀れみを乞う」「あきら

めようとする」そして最後に「開き直る」という行動であると意味付けられます。考えてみれば、読者である我々も、今まで生き

てきた経験の中で、これと同じ行動を多かれ少なかれ経験しているのではないでしょうか。いや、むしろ、この経験が一度もない

という方が希有なものだと言えるでしょう。つまりこれらは、人間であれば誰もが行ってしまう行動だと言えるのです。しかも、

これらはけっして肯定されるものではなく、むしろ批判すべき人間の弱さを象徴しているものだとも言えるでしょう。

実際、初めの感想では、〈メロス〉を美化する内容が非常に多く見受けられるのですが、授業でこの部分を扱った時「〈メロス〉

はなんて勝手な人物だ」「ひどいヤツだ」という〈メロス〉批判が相次ぎ出します。そこで、「生まれて今まで、「言い訳」をした

ことが一度もない人」「責任を他者になすりつけようとしたことがない人」と問うと、さっきまで〈メロス〉批判で盛り上がって

いた学級が、水を打ったようにシーンとなります。

自分自身にも同じ経験があるはずなのに、そのことは棚に上げて、他者ばかり批判してしまう己の姿に気づく瞬間です。そこで

すかさず、「なぜ、呼称が〈私〉になっているんだろう」と問いかけると、一気にこのことの意味が見えてきます。

〈私〉というのは、〈メロス〉のことを言っていると同時に、《話者》も《作者》もそしてこれを読んでいる読者も含めた呼称で

あったのではないか。〈メロス〉の犯している愚かな行為を、読者自身も日々繰り返してはいないか、そういう人間の弱さを読者

自身も持って生きているのではないのか・・・と。

《呼称の変化》の意味を考えたとき、この作品がただの友情物語ではなく、人間であればおそらく誰もが持っている弱さとの闘

いを描いた作品ではないかという読みが可能になってくるのです。

こうして、読者の中に切なる願いが生まれたとき、次の文章が続くのです。

六場面

〈ふと耳に、せんせん、水の流れる音が聞こえた。そっと頭をもたげ、息をのんで耳を澄ました。すぐ足もとで、水が流れている

らしい。よろよろ起き上がって、見ると、岩の裂け目からこんこんと、何か小さくささやきながら清水が湧き出ているのである。

その泉に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。水を両手ですくって、一口飲んだ。ほうと長いため息が出て、夢から覚めた

ような気がした。歩ける。行こう。肉体の疲労回復とともに、僅かながら希望が生まれた。義務遂行の希望である。我が身を殺し

て、名誉を守る希望である。斜陽は赤い光を、木々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。日没までには、まだ間があ

る。私を、待っている人があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は、信じられている。私の命な

ぞは、問題ではない。死んでおわび、などと気のいいことは言っておられぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。今はただその一

事だ。走れ!

メロス。〉

読者の願いが、ここで叶います。あの開き直ってしかも寝てしまった〈メロス〉が、再び走り始めるのです。読者は拍手喝采す

る場面です。

ここで、ひとつの問いが生まれます。〈まどろんでしまった〉〈メロス〉が、再び走り始めることができたのは、いったい何が原

因だったのでしょう。

自問自答し哀れみを乞いもう無理だとあきらめてしまった〈メロス〉は〈四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった〉

のでした。〈まどろんでしまった〉という表現は、《話者》が「本当はそうすべきではないのにそうしてしまった」という意味で

語っているといえるでしょう。《話者》の願いも《読者》の願いも、やはりここで「あきらめてはならない」というものであるこ

とは間違いないことでしょう。そういう願いが根底に流れ、〈メロス〉が再び立ち上がったとき、思わず読者も心の中で拍手喝采、

〈メロス〉が立ち上がることに疑問を持たず再び応援するという心理的な作用が起こるのです。《話者》の語りに乗った読者の思

いや願いが、〈メロス〉が再び立ち上がり走り始めるという行為を生み出していると言っても過言ではないと考えます。

では、〈メロス〉が立ち上がるきっかけになったものを確認しましょう。〈まどろんで〉いるわけですから、これは寝たというこ

とです。そして〈清水〉を〈一口飲んだ〉のです。ほんの少しの睡眠と、たった一口の清らかな水。この二つのきっかけによって、

〈肉体の疲労回復とともに、僅かながら希望が生まれ〉〈走れ!

メロス〉となるのです。見方によってはあまりに単純なきっか

けだといえるでしょう。

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約束を守り、友の命を救うためには走らねばならない。眠ってしまうなどというのは以ての外、しかも〈メロス〉は約束を反故

にしようとさえしたのですから。けれども、その一眠りが疲労を取り、再び走り出すきっかけとなるのです。まさに矛盾の構造が

ここに見て取れます。

さらには、我々人間がどうしようもなく悩み落ち込み崩れてしまったとき、あるきっかけで再び立ち直るということはあり得る

話です。〈メロス〉に置き換えてみれば、そのきっかけというものは、「そうしない方がいいと思えること」であり「ほんの取る

に足りない身近なことやもの」であったと言えるのではないでしょうか。

そう考えてみれば、生徒自身の生活の中で何かのきっかけで変化が起きる可能性は数知れずあり、そのきっかけになり得るもの

は、なにか特別な出来事ではなく、身近にあって見落とされがちなものやことであるかもしれないといえるのではないでしょうか。

何気ない友達の一言や、自分の好きな音楽や書物・・・そういうものが自分を変えうるきっかけにできるかどうかは、自分自身の

認識の有り様によって違ってくるのだと言えそうです。そういう認識をこの作品で生徒達と共有してみたいと願っています。

そしてまた、呼称が〈私〉に変わります。

七場面

〈私は信頼されている。私は信頼されている。先刻の、あの悪魔のささやきは、あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ。五臓が疲

れているときは、ふいとあんな悪い夢を見るものだ。メロス、おまえの恥ではない。やはり、おまえは真の勇者だ。再び立って走

れるようになったではないか。ありがたい!

私は、正義の士として死ぬことができるぞ。ああ、日が沈む。ずんずん沈む。待っ

てくれ、ゼウスよ。私は生まれたときから正直な男であった。正直な男のままにして死なせてください。〉

〈私〉〈メロス〉〈おまえ〉〈私〉一人称から三人称へそして二人称から一人称へと呼称がくるくる変化しますが、先ほどまでの

〈メロス〉《話者》読者、そしておそらくは作者さえもが渾然一体となった《話体》を体験している読者は違和感なく受け入れら

れるでしょう。読者自身も〈メロス〉に同化し、再び走り出すことのできた喜びを拍手喝采したくなることでしょう。

〈道行く人を押しのけ、はね飛ばし、メロスは黒い風のように走った。野原で酒宴の、その宴席の真っただ中を駆け抜け、酒宴

の人たちを仰天させ、犬を蹴飛ばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も速く走った。〉

〈押しのけ〉〈はね飛ばし〉〈走った〉〈駆け抜け〉〈仰天させ〉〈蹴飛ばし〉〈飛び越え〉〈十倍も速く走った〉と、ここでは動詞

がテンポよく連ねられることで、〈メロス〉の必死に走る姿が読者にも手に取るようにわかることでしょう。

〈一団の旅人とさっと擦れ違った瞬間、不吉な会話を小耳に挟んだ。「今頃は、あの男も、はりつけにかかっているよ。」ああ、

その男、その男のために私は、今こんなに走っているのだ。その男を死なせてはならない。急げ、メロス。遅れてはならぬ。愛と

誠の力を、今こそ知らせてやるがよい。風体なんかは、どうでもいい。メロスは、今は、ほとんど全裸体であった。呼吸もできず、

二度、三度、口から血が噴き出た。見える。はるか向こうに小さく、シラクスの町の塔楼が見える。塔楼は、夕日を受けてきらき

ら光っている。〉

〈メロス〉はいまや、〈セリヌンティウス〉を救うことしか考えていません。〈風体なんかは、どうでもいい〉〈ほとんど全裸

体〉〈口から血が噴き出た〉という表現から、その思いが強く伝わってきます。そしてとうとう〈シラクスの町〉が見えるのです。

〈塔楼は、夕日を受けてきらきら光っている〉と語られた時、読者の心もほっとすることでしょう。

〈「ああ、メロス様。」うめくような声が、風とともに聞こえた。

「誰だ。」メロスは走りながら尋ねた。

「フィロストラトスでございます。あなたのお友達セリヌンティウス様の弟子でございます。」その若い石工も、メロスの後につ

いて走りながら叫んだ。「もう、だめでございます。無駄でございます。走るのは、やめてください。もう、あのかたをお助けに

なることはできません。」

「いや、まだ日は沈まぬ。」

「ちょうど今、あのかたが死刑になるところです。ああ、あなたは遅かった。お恨み申します。ほんの少し、もうちょっとでも、

早かったなら!」

「いや、まだ日は沈まぬ。」メロスは胸の張り裂ける思いで、赤く大きい夕日ばかりを見つめていた。走るよりほかはない。〉

〈フィロストラトス〉とのやり取りです。この人物の言葉は、あたかも〈メロス〉に走ることを諦めさせようとしているかのよ

うに思えます。〈「ちょうど今、あのかたが死刑になるところです。ああ、あなたは遅かった。お恨み申します。ほんの少し、も

うちょっとでも、早かったなら!」〉というセリフは、まるで自分が処刑される現場を見てきたかのようにも思えます。しかし、

まだ〈メロス〉は刑場からは、かなり離れたところにいます。今まさに見てきたかのような〈フィロストラトス〉の言葉は、やは

り想像の域を出ていないことは明らかです。

ですから、〈「いや、まだ日は沈まぬ。」〉という〈メロス〉の言葉は的を射たものだと言えるでしょう。それでもやはり、本当

に助けられるかどうかはわかりません。〈走るよりほかはない〉という〈メロス〉の思いが読者にも痛烈に伝わってきます。

〈「やめてください。走るのは、やめてください。今はご自分のお命がだいじです。あのかたは、あなたを信じておりました。刑

場に引き出されても、平気でいました。王様が、さんざんあのかたをからかっても、メロスは来ます、とだけ答え、強い信念を持

ち続けている様子でございました。」

「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私

は、何だか、もっと恐ろしく大きいもののために走っているのだ。ついてこい!

フィロストラトス。」

「ああ、あなたは気が狂ったか。それでは、うんと走るがいい。ひょっとしたら、間に合わぬものでもない。走るがいい。」〉

これまでいくつかの研究授業を見てきましたが、それら全てがこの場面を扱っていました。特に、〈私は、何だか、もっと恐

ろしく大きいもののために走っているのだ〉いうセリフに目をつけ、「〈メロス〉が言っている〈もっと恐ろしく大きいもの〉と

は何でしょう?」または、次に出てくる「〈訳の分からぬ大きな力〉とはなんでしょう?」という問いを考えるという授業でした。

教師側の答えとして持っているのは、「信頼」「友情」「信実」などの言葉が出てきて、それを説得的に生徒が語ればよしとしてい

ました。でも授業後の生徒達の表情はすっきりせず、なにかモヤモヤしているように思えました。

本当に、この答えでいいのでしょうか。確かに、〈セリヌンティウス〉が〈メロスは来ます、とだけ答え、強い信念を持ち続け

ている様子でございました〉という〈フィロストラトス〉の言葉に対して〈「それだから、走るのだ。信じられているから走るの

だ〉と答えています。走る理由は、まさに友に信頼されているからこそだと言っています。

ところが、すぐに〈間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ〉と言うのです。自らの行動によって人

質に差し出した友の命は問題ではないということなのでしょうか。だとすれば、信頼されているから走るということも不要になっ

てくるのではないでしょうか。「信頼されているから走る」ということだけでは解決する問題ではないように思えるのです。

続いて〈私は、何だか、もっと恐ろしく大きいもののために走っているのだ〉とあります。この〈恐ろしく大きいもの〉が「信

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頼」「友情」「信実」なのでしょうか。友の命よりも、誰かから信頼されることの方が、〈もっと恐ろしく大きいもの〉だと言える

のでしょうか。考えれば考えるほど矛盾を感じ、読者も悩む場面です。

ここで、もう一度〈フィロストラトス〉のセリフにあった〈セリヌンティウス〉の言葉〈王様が、さんざんあのかたをからかっ

ても、メロスは来ます、とだけ答え、強い信念を持ち続けている様子でございました。〉を考えてみましょう。人質である彼は、

〈メロスは来ます〉とは言っていますが、「メロスは間に合います」とは言っていません。〈メロス〉が間に合って自分も助かる

という意味とも取れますし、日没には間に合わなかったとしても、〈メロス〉はきっとここまで来るに違いないというどちらの意

味にも取れます。

そう考えてみると、当初は自分の都合で、人質に差し出した友を救うために、また、王との約束を果たすために、そして、その

結果自分は死ぬという結末のために、ひたすら走り続けてきた〈メロス〉でしたが、あの、一度は開き直りまどろんでしまった大

いなる自己との闘いを乗り越えた後、彼にとっての「走る」ことの意味が変質しているのではないかと読むことが可能になります。

これまでの〈メロス〉の行為は、全て現実の、あるいは常識の上に立った行為でしたが、その常識を覆すかのような自己矛盾の

葛藤の中、一度はあきらめてしまった彼が、再び走り出したのは、これまでの現実や常識を〈メロス〉自身が越えることができた

とも考えられます。

常識的に言えば、友の命を救うために走っているのです。王との約束を果たすために走っているのです。けれども、それは他な

らぬ自分自身は殺されるために走っていることにもなっています。死ぬために、必死で走り続けて来たのです。

つまり、当初〈メロス〉にとって「走る」ことの意味は、友の命を救うことであると同時に、自己の命の終わりであるというこ

とであったのです。他者の命を救うために己が死ぬという矛盾が見て取れます。その常識的な見方を超えて、今、〈メロス〉は走

っているのではないでしょうか。

〈間に合う間に合わぬ〉〈人の命〉も問題ではないというのは、明らかに常識はずれです。けれども、〈メロス〉の《内の目》

をくぐり、さらには《外の目》からも見てきた読者は、己の死に向かってひた走る〈メロス〉の姿を、むしろ感動を持って応援し

ていくことになるのではないでしょうか。そしてそれは、「生死を超えて、自己との闘いに勝利し、己の為すべきことを最後まで

貫こうとする人間の行為・姿」という人間の真実が美として描かれていると言えるのではないでしょうか。

ですから、〈もっと恐ろしく大きいもの〉というものは、人間として誰もが経験しそしてともすれば負けてしまうことの多い、

「自己との闘い」に打ち克とうとする心ではないかと考えるのです。矛盾を孕みながら矛盾を乗り越え、さらなる高みにいこうと

する姿を、我々読者も持ち続けたいと、痛切に願うのです。

よく使われる言葉、「信頼」「友情」「信実」は、これらは全て、そこに元々あるものではなく、それを為す人がいてこそ成立す

るものです。「信頼を失う」「友情を裏切る」「信実を語らない」人間は数え切れないでしょう。でも、そうしてしまった人たちも、

心の底ではそうなりたくはないという願いを持っているのではないでしょうか。この〈メロス〉の姿を見て、ほとんどの読者が心

から感動するのは、そういう人間の真実が描かれているからに他なりません。

また、呼称が〈メロス〉から〈私〉に切り替わった時のように、〈メロス〉の走り続ける姿を、作者も話者もそして読者も心の

底から走ってほしい、走り続けてほしいと願っているのではないでしょうか。自己との戦いに打ち勝ち、自己の死に向かってそれ

でも走ろうとする〈メロス〉を誰もが期待し願っているでしょう。もしかすると、それこそが、〈メロス〉にして〈私は、何だか、

もっと恐ろしく大きいもののために走っているのだ〉と言わしめているものなのかもしれないと考えてみると、〈信頼〉〈信実〉

などの単純な言葉ではくくりきれない〈メロス〉の行為の意味を感じられるのです。

八場面

言うにや及ぶ。まだ日は沈まぬ。最後の死力を尽くして、メロスは走った。メロスの頭は、空っぽだ。何ひとつ考えていない。

ただ、訳の分からぬ大きな力に引きずられて走った。〉

前文で、あれこれと書いてみましたが、

〈メロスの頭は、空っぽだ。何ひとつ考えていない〉のです。あくまでも、読者とし

ての意味づけです。ましてや、作者がそんな意図で書いていたかどうかなどという問題は、作者自身に問わぬ限りわかるはずもあ

りません。大切なことは、読者の意味づけに、納得性があるかどうかなのです。

〈ただ、訳の分からぬ大きな力に引きずられて走った〉と、《話者》も〈メロス〉に寄り添って語っています。〈訳の分から

ぬ〉ものなのです。けれども我々人間は、時として、意図せず、理由もはっきりしないまま、何かに突き動かされて行動してしま

うことは、誰でも経験があることでしょう。〈メロス〉にとっては、ただ、ひた走ることだけを実行しているのです。

〈日は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとしたとき、メロスは疾風のごとく刑場に突入した。間に

合った。〉

〈間に合う間に合わぬ〉〈人の命〉も問題ではないという表現から、「いったいどうなるだろう」とハラハラしていた読者は、

ここにきて、ホッと胸をなでおろすことでしょう。〈地平線に没し〉〈最後の一片の残光〉〈消えようとした〉という切羽詰まった

表現が反復され、読者の不安がますます高まって来た時、〈突入した。間に合った。〉と語るのです。読者は心からこの事実に喜

びを感じることでしょう。そして、またどうなるだろうという興味がわくことでしょう《仕掛》。

〈「待て。その人を殺してはならぬ。メロスが帰ってきた。約束のとおり、今、帰ってきた。」と大声で刑場の群衆に向かって叫

んだつもりであったが、喉がつぶれてしわがれた声がかすかに出たばかり、群衆は、一人として彼の到着に気がつかない。既には

りつけの柱が高々と立てられ、縄を打たれたセリヌンティウスは、徐々につり上げられてゆく。〉

〈群衆は、一人として彼の到着に気がつかない。〉せっかくたどり着いたのに、これでは刑が執行されてしまう。と、さらに読

者の不安は煽られます。

〈既にはりつけの柱が高々と立てられ、縄を打たれたセリヌンティウスは、徐々につり上げられてゆく〉ここでもますます不安が

高まることでしょう。

〈最後の勇、先刻、濁流を泳いだように群衆をかき分け、かき分け〉《話者》の語りは、濁流を泳ぎ切った時のことを読者に思

い出させます。あたかも広場の群衆の人混みが、濁流のごとく〈メロス〉の行く手を阻んでいるイメージが読者によく伝わってく

るところです。そしてまた、ここでも〈メロス〉は困難に打ち勝つのです。〈セリヌンティウス〉の縄が解かれた時、大いに安堵

し喜んでいるのは、〈群衆〉だけではありません。《話者》も「読者」も同じ思いになるでしょう。

〈「セリヌンティウス。」メロスは目に涙を浮かべて言った。「私を殴れ。力いっぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見

た。君がもし私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえないのだ。殴れ。」

セリヌンティウスは、全てを察した様子でうなずき、刑場いっぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。殴ってから優

しくほほえみ、

「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生まれて、初め

て君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない。」

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メロスは腕にうなりをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。

「ありがとう、友よ。」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それからうれし泣きにおいおい声を放って泣いた。〉

ここで大切なことは、〈メロス〉を信じて待っていた〈セリヌンティウス〉にも、〈途中で一度、悪い夢を見た〉という事実が

あったことです。ここは、浪花節的な場面ではありますが、この事実は後で問題にしたいと思います。

群衆の中からも、歔欷の声が聞こえた。暴君ディオニスは、群衆の背後から二人のさまを、まじまじと見つめていたが、やが

て静かに二人に近づき、顔を赤らめて、こう言った。

「おまえらの望みはかなったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わし

をも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」

どっと群衆の間に、歓声が起こった。

「万歳、王様万歳。」〉

この王の言葉から、「友情物語」「信実を貫いたことで王が変わった」などの、道徳的な解釈が出てきて、これが読者によって

は「胡散臭い」作品だということにもなっているようです。

確かに、あれほどまでに肉親を殺し、身近な家臣を殺していた王が、この〈メロス〉の行為によて改心したという意味づけは無

理があるでしょう。

ただ、この〈ディオニス〉が〈シラクスの町〉を二年前も統治していたと考えれば、その頃の町は賑やかで明るかったわけです

ので、むしろ善政を行なっていた人物であると考えられるのです。けれどもその人物が、たった二年間の間にここまで変貌してい

ることを考えた時、〈ディオニス〉の矛盾した人物像の変化のきっかけが、どこかにあったはずだと気づけるでしょう。それほど

えげつない裏切りや謀略を体験してきたのではないかと。

だとすれば、王が〈メロス〉に三日間の猶予を与えたのも、そしてその約束を守っていたのも、そもそもこの王自身の人として

の美しい部分があればこそではなかったかと考えられるのです。だからこそ、この二人の中にある矛盾・自己葛藤それを乗り越え

たところに生まれている今の現実を目の当たりにした時、〈おまえらの仲間の一人にしてほしい〉という言葉が出てきても不思議

ではないでしょう。

一人の少女が、緋のマントをメロスにささげた。メロスは、まごついた。よき友は、気を利かせて教えてやった。

「メロス、君は、真っ裸じゃないか。早くそのマントを着るがいい。このかわいい娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、

たまらなく悔しいのだ。」

勇者は、ひどく赤面した。〉

よく、この部分は必要ないのではないかという議論や、「〈メロス〉は〈勇者〉かどうか」という発問で授業を行うことがある

と聞きます。僕としては、「自己との闘いの敗北から立ち上がり、己の死に向かって走り続けた姿」は、人間にとって本当に困難

な問題で重要な闘いに打ち勝ったものであると思えます。そしてその結果、見事に生を勝ち得た姿です。それはまさに「勇者」と

しての姿であると言えるし、そうかと言って、ただ単に強者であるわけではなく、純真な恥ずかしさ・弱さという相反する側面も

持ちあわせているという矛盾した〈メロス〉の人物像が愛おしく感じられます。この場面があることで〈メロス〉の人としての魅

力が増すことになるのではないでしょうか。

作品における虚構の方法

呼称の変化

僕自身この作品は何度か読んだことがありましたが、呼称がこれほどまでに変化していることには全く気づかずにいました。文

芸研の学習会で、西郷先生から指摘され、初めて目が開かされたという感覚は今でも忘れられません。

考えてみれば、たかだか教科書の二ページほどの中に、〈私〉という一人称の呼称が三五回も繰り返されることや、全文では

(〈メロス〉という三人称の呼称が七六回、〈メロス〉を〈おまえ〉と呼称する二人称の呼称は二回ある作品という、人称がこれ

ほど変化する作品これまで体験したことがありませんでした。それなのに、全くもって僕は気づかずに読んでいて、実際何度も授

業をしてきましたが、生徒達も初読の段階では気づくことはありませんでした。

いったいなぜ、三人称の〈メロス〉から二人称〈おまえ〉、一人称の〈私〉と呼称が変化し、なおかつほとんどの読者がこのこ

とを自然に受け止め読んでいるのでしょう。このことを考えていきたいと思います。

まず、この〈メロス〉が倒れ、自問自答する場面での呼称の変化の意味について考えます。

ここまで《話者》は一貫して〈メロス〉と語ってきていますので、明らかに《外の目》です。ところが〈メロス〉が倒れ〈路傍

の草原にごろりと寝転がった〉後、呼称はずっと〈私〉となっています。つまり、《話者》が〈メロス〉に重なりその思い・考え

を語っていると言えるでしょう。あたかもセリフ部分であるかのようです。「

」でくくられていてもいいのではないかとも思え

ます。けれどもここに、「

」はありません。通常、読者は「

がついていれば、ある程度注意して読みます。逆に、地の文のま

まだと意識せず自然にそのまま受け入れる読みになります。ですからこの場面は自然な形で《呼称の変化》に気づかずに読んでい

くということにもなります。

では、なぜ、この場面を地の文のまま、しかも呼称を変えてまで語る必要があったのでしょう。作者が何気なく書いたなどとは

微塵も考えていません。「五場面」の分析に書いたように、〈メロス〉の内面の自己との葛藤は、〈メロス〉だけの問題ではなく、

〈ディオニス〉の中にも、〈セリヌンティウス〉の中にも、そして読者の中にも共通に存在する問題であると読んだとき、〈私〉

という呼称の意味するものの深さを感じることになると考えます。

我々人間にとって、最も困難で重要な闘いが、他ならぬ自己との闘いであることを、この作品が提示していると読めるのです。

また、この場面以外でも呼称の変化があるところでは、「

」が外されています(〈ディオニス〉の心内語とされる場面等)こ

のことによって、読者はその人物に同化し、いやでも《同化》と《異化》のドラマが起きることになります。つまり《共体験》の

ドラマが「

」がないことで引き起こされてくるのです。明らかに意図的な表記だと考えることができます。

題名

〈走れメロス〉とは、誰かが〈メロス〉に向けて〈走れ〉と命令形で言っている表現です。読者は、〈メロス〉とは誰なんだろ

う。誰がなぜ〈走れ〉と言っているのだろう。いったいどんなことがあったんだろう。などという疑問や興味が自然に生まれてく

る題名です。読者に疑問や興味を持たせることは、必然的に読者が次を読みたくなるという効果が生まれます。この作者の工夫を

《仕掛》と言います。この題名は見事な《仕掛》があり、読者は興味をもって作品世界に引きこまれていきます。

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作品における美と真実

芸術における「美」とは、「味わい深いおもしろさ」といえばいいでしょう。そしてそれは、「互いに相反するものが、同時

に存在し、しかも一つに溶けあう(アウフヘーベンされる)」ところに生まれているというのが西郷文芸学の「美」の定義で

す。(美の弁証法的構造)

ここでいう「美」とは、一般に我々がいうところの「自然の美」とは区別しなければなりません。

次に、西郷文芸学における「美」の定義を抜粋しておきます。

この作品は《初読》で〈メロス〉に《同化》して読むと、「友情の美しさ」「信実の大切さ」「人を信じることの素晴らしさ」な

どと一見すると徳目的とも読める作品です。しかし、《再読》で《異化》して読み、《呼称の変化》の意味を考えたとき、〈メロ

ス〉の姿に読者自身の自己矛盾との葛藤の闘いの物語として読むことが可能な作品です。

自分自身の弱さとの闘いは、おそらく誰もが敗北し、苦い思いをした経験は持っていることでしょう。他者や自然の猛威(自己

以外)には見事に勝ってきた屈強な〈メロス〉もまた己の心に巣くう自分の弱さに負けてしまいます。それほどこの問題は時や場

所を越え、人間にとって困難を極めるものだと言えるでしょう。まさに、人間の《真実》が語られている作品だと言えます。

けれども、己自身に負けた〈メロス〉を再び走り出させたきっかけを考えたとき、実はその負けたこと(まどろむ)によって生

まれたものでもあったことに気づくのです。自己との闘いは困難であるがゆえに、負け続けてしまいがちな僕たちの人生ですが、

実はその負けることが次へのステップを促すものであるのかもしれないと考えさせてくれる(マイナスがプラスを生み出す)とこ

ろに、この作品の《美》の構造が見て取れます。

この教材でどんな力を育てるか

認識の方法

☆類比・対比

☆弁証法

認識の内容

〇人間は、「他者との闘い」よりも、「自己との闘い」に打ち勝つことが非常に困難である。けれども、人間にとって、最も困

難でしかも重要な闘いは「自己との闘い」である。

〇我々は「自己との闘い」に敗北したとしても、敗北の中や、どこにでも転がっているものごとのなかに、再び立ち上がるき

っかけを見いだすことができる。

授業の構想

(今回は、各場面の《たしかめ読み》を、生徒達に任せて行いました。)

教授=学習過程(全十一時間)

・だんどり

範読・初めの感想

・たしかめよみ(場面ごとに一文読みをした後、生徒達が班会を行って意見を出す。)

・まとめよみ・おわりの感想

『参考文献』

・西郷竹彦文芸・教育全集(1巻、

巻)

15

・ユリイカ1975

年3

・4

月号

※太宰治

私とは何か●歩け、メロス(寺山修司)

・2014

年文芸研熊本大会レポート(小松小百合)

・虚構とは現実をふまえ、現実をこえた世界である。虚構を創出する方法を虚構の方法という。

・文芸は虚構であり、それは真実を美として表現する。したがって、文芸(虚構)の美は虚構された美である。

・文芸(虚構)の美とは、異質な(あるいは異次元の)矛盾するものを止揚統合する弁証法的な構造の発見・体験・認識・表現である。

異質

(美)止揚・統合

(弁証法的構造)

矛盾

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走れメロス

太宰

一場面

メロスは激怒した。必ず、かの邪知暴虐の王を除かなければならぬと決意した。

メロスには政治が分からぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮

らしてきた。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。今日未明メロスは

村を出発し、野を越え山越え、十里離れたこのシラクスの町にやってきた。メロス

には父も、母もない。女房もない。十六の、内気な妹と二人暮らしだ。この妹は、

村のある律儀な一牧人を、近々、花婿として迎えることになっていた。結婚式も間

近なのである。メロスは、それゆえ、花嫁の衣装やら祝宴のごちそうやらを買いに、

はるばる町にやってきたのだ。まず、その品々を買い集め、それから都の大路をぶ

らぶら歩いた。メロスには竹馬の友があった。セリヌンティウスである。今はこの

シラクスの町で、石工をしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。

久しく会わなかったのだから、訪ねていくのが楽しみである。歩いているうちにメ

ロスは、町の様子を怪しく思った。ひっそりしている。もう既に日も落ちて、町の

暗いのはあたりまえだが、けれども、何だか、夜のせいばかりではなく、町全体が、

やけに寂しい。のんきなメロスも、だんだん不安になってきた。道で会った若い衆

を捕まえて、何かあったのか、二年前にこの町に来たときは、夜でも皆が歌を歌っ

て、町はにぎやかであったはずだが、と質問した。若い衆は、首を振って答えなか

った。しばらく歩いて老爺に会い、今度はもっと、語勢を強くして質問した。老爺

は答えなかった。メロスは両手で老爺の体を揺すぶって質問を重ねた。老爺は、辺

りをはばかる低声で、僅か答えた。

「王様は、人を殺します。」

「なぜ殺すのだ。」

「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持ってはおりませ

ぬ。」

「たくさんの人を殺したのか。」

「はい、初めは王様の妹婿様を。それから、ご自身のお世継ぎを。それからさ、妹

様を。それから、妹様のお子様を。それから、皇后様を。それから、賢臣のアレキ

ス様を。」

「驚いた。国王は乱心か。」

「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずることができぬ、というのです。こ

のごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少しくはでな暮らしをしている者には、

人質一人ずつ差し出すことを命じております。ご命令を拒めば十字架にかけられて、

殺されます。今日は、六人殺されました。」

聞いて、メロスは激怒した。「あきれた王だ。生かしておけぬ。」

メロスは、単純な男であった。買い物を、背負ったままで、のそのそ王城に入っ

ていった。たちまち彼は、巡邏の警吏に捕縛された。調べられて、メロスの懐中か

らは短剣が出てきたので、騒ぎが大きくなってしまった。メロスは、王の前に引き

出された。

二場面

「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」暴君ディオニスは静かに、けれ

ども威厳をもって問い詰めた。その王の顔は蒼白で、眉間のしわは、刻み込まれた

ように深かった。

「町を暴君の手から救うのだ。」とメロスは悪びれずに答えた。

「おまえがか?」王は、憫笑した。「しかたのないやつじゃ。おまえには、わしの

孤独が分からぬ。」

「言うな!」とメロスは、いきり立って反駁した。「人の心を疑うのは、最も恥ず

べき悪徳だ。王は、民の忠誠をさえ疑っておられる。」

「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人

の心は、当てにならない。人間は、もともと私欲の塊さ。信じては、ならぬ。」暴

君は落ち着いてつぶやき、ほっとため息をついた。「わしだって、平和を望んでい

るのだが。」

「何のための平和だ。自分の地位を守るためか。」今度はメロスが嘲笑した。「罪の

ない人を殺して、何が平和だ。」

「黙れ。」王は、さっと顔を上げて報いた。「口では、どんな清らかなことでも言え

る。わしには、人のはらわたの奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、今に、は

りつけになってから、泣いてわびたって聞かぬぞ。」

「ああ、王はりこうだ。うぬぼれているがよい。私は、ちゃんと死ぬる覚悟でいる

のに。命乞いなど決してしない。ただ、—

。」と言いかけて、メロスは足もとに

視線を落とし瞬時ためらい、「ただ、私に情けをかけたいつもりなら、処刑までに

三日間の日限を与えてください。たった一人の妹に、亭主を持たせてやりたいので

す。三日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず、ここへ帰ってきます。」

「ばかな。」と暴君は、しわがれた声で低く笑った。「とんでもないうそを言うわい。

逃がした小鳥が帰ってくるというのか。」

「そうです。帰ってくるのです。」メロスは必死で言い張った。「私は約束を守りま

す。私を、三日間だけ許してください。妹が、私の帰りを待っているのだ。そんな

に私を信じられないならば、よろしい、この町にセリヌンティウスという石工がい

ます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いていこう。私が逃げてし

まって、三日目の日暮れまで、ここに帰ってこなかったら、あの友人を絞め殺して

ください。頼む。そうしてください。」

それを聞いて王は、残虐な気持ちで、そっとほくそ笑んだ。生意気なことを言う

わい。どうせ帰ってこないにきまっている。このうそつきにだまされたふりして、

放してやるのもおもしろい。そうして身代わりの男を、三日目に殺してやるのも気

味がいい。人は、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔して、その身代わりの

男を磔刑に処してやるのだ。世の中の、正直者とかいうやつばらにうんと見せつけ

てやりたいものさ。

「願いを、聞いた。その身代わりを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰ってこい。

遅れたら、その身代わりを、きっと殺すぞ。ちょっと遅れてくるがいい。おまえの

罪は、永遠に許してやろうぞ。」

「なに、何をおっしゃる。」

「はは。命がだいじだったら、遅れてこい。おまえの心は、分かっているぞ。」

メロスは悔しく、じだんだ踏んだ。ものも言いたくなくなった。

竹馬の友、セリヌンティウスは、深夜、王城に召された。暴君ディオニスの面前

で、よき友とよき友は、二年ぶりで相会うた。メロスは、友に一切の事情を語った。

セリヌンティウスは無言でうなずき、メロスをひしと抱き締めた。友と友の間は、

それでよかった。セリヌンティウスは、縄打たれた。メロスは、すぐに出発した。

初夏、満天の星である。

三場面

メロスはその夜、一睡もせず十里の道を急ぎに急いで、村へ到着したのは、明く

る日の午前、日は既に高く昇って、村人たちは野に出て仕事を始めていた。メロス

の十六の妹も、今日は兄の代わりに羊群の番をしていた。よろめいて歩いてくる兄

の、疲労困憊の姿を見つけて驚いた。そうして、うるさく兄に質問を浴びせた。

「何でもない。」メロスは無理に笑おうと努めた。「町に用事を残してきた。またす

ぐ町に行かなければならぬ。明日、おまえの結婚式を挙げる。早いほうがよかろ

う。」

妹は頬を赤らめた。

「うれしいか。きれいな衣装も買ってきた。さあ、これから行って、村の人たちに

知らせてこい。結婚式は、明日だと。」

メロスは、また、よろよろと歩きだし、家へ帰って神々の祭壇を飾り、祝宴の席

を調え、間もなく床に倒れ伏し、呼吸もせぬくらいの深い眠りに落ちてしまった。

目が覚めたのは夜だった。メロスは起きてすぐ、花婿の家を訪れた。そうして、

少し事情があるから、結婚式を明日にしてくれ、と頼んだ。婿の牧人は驚き、それ

はいけない、こちらにはまだ何の支度もできていない、ぶどうの季節まで待ってく

れ、と答えた。メロスは、待つことはできぬ、どうか明日にしてくれたまえ、と更

に押して頼んだ。婿の牧人も頑強であった。なかなか承諾してくれない。夜明けま

で議論を続けて、やっと、どうにか婿をなだめ、すかして、説き伏せた。結婚式は、

真昼に行われた。新郎新婦の、神々への宣誓が済んだころ、黒雲が空を覆い、ぽつ

りぽつり雨が降りだし、やがて車軸を流すような大雨となった。祝宴に列席してい

た村人たちは、何か不吉なものを感じたが、それでも、めいめい気持ちを引き立て、

狭い家の中で、むんむん蒸し暑いのもこらえ、陽気に歌を歌い、手を打った。メロ

スも、満面に喜色をたたえ、しばらくは、王とのあの約束をさえ忘れていた。祝宴

は、夜に入っていよいよ乱れ華やかになり、人々は、外の豪雨を全く気にしなくな

った。メロスは、一生このままここにいたい、と思った。このよい人たちと生涯暮

らしていきたいと願ったが、今は、自分の体で、自分のものではない。ままならぬ

ことである。メロスは、我が身にむち打ち、ついに出発を決意した。明日の日没ま

でには、まだ十分の時がある。ちょっとひと眠りして、それからすぐに出発しよう、

と考えた。そのころには、雨も小降りになっていよう。少しでも長くこの家にぐず

ぐずとどまっていたかった。メロスほどの男にも、やはり未練の情というものはあ

る。今宵ぼうぜん、歓喜に酔っているらしい花嫁に近寄り、

「おめでとう。私は疲れてしまったから、ちょっとごめんこうむって眠りたい。目

が覚めたら、すぐに町に出かける。大切な用事があるのだ。私がいなくても、もう

おまえには優しい亭主があるのだから、決して寂しいことはない。おまえの兄の、

いちばん嫌いなものは、人を疑うことと、それから、うそをつくことだ。おまえも、

それは、知っているね。亭主との間に、どんな秘密でも作ってはならぬ。おまえに

言いたいのは、それだけだ。おまえの兄は、たぶん偉い男なのだから、おまえもそ

の誇りを持っていろ。」

花嫁は、夢見心地でうなずいた。メロスは、それから花婿の肩をたたいて、

「支度のないのはお互いさまさ。私の家にも、宝といっては、妹と羊だけだ。他に

は、何もない。全部あげよう。もう一つ、メロスの弟になったことを誇ってく

れ。」

花婿はもみ手して、照れていた。メロスは笑って村人たちにも会釈して、宴席か

ら立ち去り、羊小屋に潜り込んで、死んだように深く眠った。

四場面

目が覚めたのは明くる日の薄明のころである。メロスは跳ね起き、南無三、寝過

ごしたか、いや、まだまだ大丈夫、これからすぐに出発すれば、約束の刻限までに

は十分間に合う。今日はぜひとも、あの王に、人の信実の存するところを見せてや

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ろう。そうして笑ってはりつけの台に登ってやる。メロスは、悠々と身支度を始め

た。雨も、いくぶん小降りになっている様子である。身支度はできた。さて、メロ

スは、ぶるんと両腕を大きく振って、雨中、矢のごとく走り出た。

私は、今宵、殺される。殺されるために走るのだ。身代わりの友を救うために走

るのだ。王の奸佞邪知を打ち破るために走るのだ。走らなければならぬ。そうして、

私は殺される。若いときから名誉を守れ。さらば、ふるさと。若いメロスは、つら

かった。幾度か、立ち止まりそうになった。えい、えいと大声あげて自身を叱りな

がら走った。村を出て、野を横切り、森をくぐり抜け、隣村に着いたころには、雨

もやみ、日は高く昇って、そろそろ暑くなってきた。メロスは額の汗を拳で払い、

ここまで来れば大丈夫、もはや故郷への未練はない。妹たちは、きっとよい夫婦に

なるだろう。私には、今、何の気がかりもないはずだ。まっすぐに王城に行き着け

ば、それでよいのだ。そんなに急ぐ必要もない。ゆっくり歩こう、と持ち前ののん

きさを取り返し、好きな小歌をいい声で歌いだした。ぶらぶら歩いて二里行き三里

行き、そろそろ全里程の半ばに到達したころ、降って湧いた災難、メロスの足は、

はたと、止まった。見よ、前方の川を。昨日の豪雨で山の水源地は氾濫し、濁流と

うとうと下流に集まり、猛勢一挙に橋を破壊し、どうどうと響きをあげる激流が、

こっぱみじんに橋桁をはね飛ばしていた。彼はぼうぜんと、立ちすくんだ。あちこ

ちと眺め回し、また、声を限りに呼びたててみたが、繋舟は残らず波にさらわれて

影なく、渡し守の姿も見えない。流れはいよいよ、膨れ上がり、海のようになって

いる。メロスは川岸にうずくまり、男泣きに泣きながらゼウスに手を上げて哀願し

た。「ああ、鎮めたまえ、荒れ狂う流れを!

時は刻々に過ぎていきます。太陽も

既に真昼時です。あれが沈んでしまわぬうちに、王城に行き着くことができなかっ

たら、あのよい友達が、私のために死ぬのです。」

濁流は、メロスの叫びをせせら笑うごとく、ますます激しく躍り狂う。波は波を

のみ、巻き、あおり立て、そうして時は、刻一刻と消えていく。今はメロスも覚悟

した。泳ぎ切るよりほかにない。ああ、神々も照覧あれ!

濁流にも負けぬ愛と誠

の偉大な力を、今こそ発揮してみせる。メロスは、ざんぶと流れに飛び込み、百匹

の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う波を相手に、必死の闘争を開始した。満身の力を

腕に込めて、押し寄せ渦巻き引きずる流れを、なんのこれしきとかき分けかき分け、

獅子奮迅の人の子の姿には、神も哀れと思ったか、ついに憐愍を垂れてくれた。押

し流されつつも、みごと、対岸の樹木の幹に、すがりつくことができたのである。

ありがたい。メロスは馬のように大きな胴震いを一つして、すぐにまた先を急いだ。

一刻といえども、無駄にはできない。日は既に西に傾きかけている。ぜいぜい荒い

呼吸をしながら峠を登り、登り切って、ほっとしたとき、突然、目の前に一隊の山

賊が躍り出た。

「待て。」

「何をするのだ。私は日の沈まぬうちに王城へ行かなければならぬ。放せ。」

「どっこい放さぬ。持ち物全部を置いていけ。」

「私には命の他には何もない。その、たった一つの命も、これから王にくれてやる

のだ。」

「その、命が欲しいのだ。」

「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな。」

山賊たちは、ものも言わず一斉に棍棒を振り上げた。メロスはひょいと、体を折

り曲げ、飛鳥のごとく身近の一人に襲いかかり、その棍棒を奪い取って、

「気の毒だが正義のためだ!」と猛然一撃、たちまち、三人を殴り倒し、残る者の

ひるむ隙に、さっさと走って峠を下った。一気に峠を駆け降りたが、さすがに疲労

し、

折から午後の灼熱の太陽がまともに、

かっと照ってきて、メロスは幾度とな

く目まいを感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、三歩歩いて、

ついに、がくりと膝を折った。立ち上がることができぬのだ。天を仰いで、悔し泣

きに泣きだした。ああ、あ、濁流を泳ぎ切り、山賊を三人も撃ち倒し韋駄天、ここ

まで突破してきたメロスよ。真の勇者、メロスよ。今、ここで、疲れ切って動けな

くなるとは情けない。愛する友は、おまえを信じたばかりに、やがて殺されなけれ

ばならぬ。おまえは、希代の不信の人間、まさしく王の思うつぼだぞ、と自分を叱

ってみるのだが、全身萎えて、もはや芋虫ほどにも前進かなわぬ。路傍の草原にご

ろりと寝転がった。

五場面

身体疲労すれば、精神もともにやられる。もう、どうでもいいという、勇者に不

似合いなふて腐れた根性が、心の隅に巣くった。私は、これほど努力したのだ。約

束を破る心は、みじんもなかった。神も照覧、私は精いっぱいに努めてきたのだ。

動けなくなるまで走ってきたのだ。私は不信の徒ではない。ああ、できることなら

私の胸を断ち割って、真紅の心臓をお目にかけたい。愛と信実の血液だけで動いて

いるこの心臓を見せてやりたい。けれども私は、このだいじなときに、精も根も尽

きたのだ。私は、よくよく不幸な男だ。私は、きっと笑われる。私の一家も笑われ

る。私は友を欺いた。中途で倒れるのは、初めから何もしないのと同じことだ。あ

あ、もう、どうでもいい。これが、私の定まった運命なのかもしれない。セリヌン

ティウスよ、許してくれ。君は、いつでも私を信じた。私も君を、欺かなかった。

私たちは、ほんとうによい友と友であったのだ。一度だって、暗い疑惑の雲を、お

互い胸に宿したことはなかった。今だって、君は私を無心に待っているだろう。あ

あ、待っているだろう。ありがとう、セリヌンティウス。よくも私を信じてくれた。

それを思えば、たまらない。友と友の間の信実は、この世でいちばん誇るべき宝な

のだからな。セリヌンティウス、私は走ったのだ。君を欺くつもりは、みじんもな

かった。信じてくれ!

私は急ぎに急いでここまで来たのだ。濁流を突破した。山

賊の囲みからも、するりと抜けて一気に峠を駆け降りてきたのだ。私だから、でき

たのだよ。ああ、このうえ、私に望みたもうな。放っておいてくれ。どうでも、い

いのだ。私は負けたのだ。だらしがない。笑ってくれ。王は私に、ちょっと遅れて

こい、と耳打ちした。遅れたら、身代わりを殺して、私を助けてくれると約束した。

私は王の卑劣を憎んだ。けれども、今になってみると、私は王の言うままになって

いる。私は、遅れていくだろう。王は、独り合点して私を笑い、そうして事もなく

私を放免するだろう。そうなったら、私は、死ぬよりつらい。私は、永遠に裏切り

者だ。地上で最も、不名誉の人種だ。セリヌンティウスよ、私も死ぬぞ。君といっ

しょに死なせてくれ。君だけは私を信じてくれるにちがいない。いや、それも私の、

独り善がりか?

ああ、もういっそ、悪徳者として生き延びてやろうか。村には私

の家がある。羊もいる。妹夫婦は、まさか私を村から追い出すようなことはしない

だろう。正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自

分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかし

い。私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬるかな。—

肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。

六場面

ふと耳に、せんせん、水の流れる音が聞こえた。そっと頭をもたげ、息をのんで

耳を澄ました。すぐ足もとで、水が流れているらしい。よろよろ起き上がって、見

ると、岩の裂け目からこんこんと、何か小さくささやきながら清水が湧き出ている

のである。その泉に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。水を両手ですくっ

て、一口飲んだ。ほうと長いため息が出て、夢から覚めたような気がした。歩ける。

行こう。肉体の疲労回復とともに、僅かながら希望が生まれた。義務遂行の希望で

ある。我が身を殺して、名誉を守る希望である。斜陽は赤い光を、木々の葉に投じ、

葉も枝も燃えるばかりに輝いている。日没までには、まだ間がある。私を、待って

いる人があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は、

信じられている。私の命なぞは、問題ではない。死んでおわび、などと気のいいこ

とは言っておられぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。今はただその一事だ。走

れ!

メロス。

七場面

私は信頼されている。私は信頼されている。先刻の、あの悪魔のささやきは、あ

れは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ。五臓が疲れているときは、ふいとあんな悪い

夢を見るものだ。メロス、おまえの恥ではない。やはり、おまえは真の勇者だ。再

び立って走れるようになったではないか。ありがたい!

私は、正義の士として死

ぬことができるぞ。ああ、日が沈む。ずんずん沈む。待ってくれ、ゼウスよ。私は

生まれたときから正直な男であった。正直な男のままにして死なせてください。

道行く人を押しのけ、はね飛ばし、メロスは黒い風のように走った。野原で酒宴

の、その宴席の真っただ中を駆け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴飛ばし、

小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も速く走った。一団の旅人とさ

っと擦れ違った瞬間、不吉な会話を小耳に挟んだ。「今頃は、あの男も、はりつけ

にかかっているよ。」ああ、その男、その男のために私は、今こんなに走っている

のだ。その男を死なせてはならない。急げ、メロス。遅れてはならぬ。愛と誠の力

を、今こそ知らせてやるがよい。風体なんかは、どうでもいい。メロスは、今は、

ほとんど全裸体であった。呼吸もできず、二度、三度、口から血が噴き出た。見え

る。はるか向こうに小さく、シラクスの町の塔楼が見える。塔楼は、夕日を受けて

きらきら光っている。

「ああ、メロス様。」うめくような声が、風とともに聞こえた。

「誰だ。」メロスは走りながら尋ねた。

「フィロストラトスでございます。あなたのお友達セリヌンティウス様の弟子でご

ざいます。」その若い石工も、メロスの後について走りながら叫んだ。「もう、だめ

でございます。無駄でございます。走るのは、やめてください。もう、あのかたを

お助けになることはできません。」

「いや、まだ日は沈まぬ。」

「ちょうど今、あのかたが死刑になるところです。ああ、あなたは遅かった。お恨

み申します。ほんの少し、もうちょっとでも、早かったなら!」

「いや、まだ日は沈まぬ。」メロスは胸の張り裂ける思いで、赤く大きい夕日ばか

りを見つめていた。走るよりほかはない。

「やめてください。走るのは、やめてください。今はご自分のお命がだいじです。

あのかたは、あなたを信じておりました。刑場に引き出されても、平気でいました。

王様が、さんざんあのかたをからかっても、メロスは来ます、とだけ答え、強い信

念を持ち続けている様子でございました。」

「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは

問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、何だか、もっと恐ろしく大きい

もののために走っているのだ。ついてこい!

フィロストラトス。」

「ああ、あなたは気が狂ったか。それでは、うんと走るがいい。ひょっとしたら、

間に合わぬものでもない。走るがいい。」

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八場面

言うにや及ぶ。まだ日は沈まぬ。最後の死力を尽くして、メロスは走った。メロ

スの頭は、空っぽだ。何ひとつ考えていない。ただ、訳の分からぬ大きな力に引き

ずられて走った。日は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消え

ようとしたとき、メロスは疾風のごとく刑場に突入した。間に合った。

「待て。その人を殺してはならぬ。メロスが帰ってきた。約束のとおり、今、帰っ

てきた。」と大声で刑場の群衆に向かって叫んだつもりであったが、喉がつぶれて

しわがれた声がかすかに出たばかり、群衆は、一人として彼の到着に気がつかない。

既にはりつけの柱が高々と立てられ、縄を打たれたセリヌンティウスは、徐々につ

り上げられてゆく。メロスはそれを目撃して最後の勇、先刻、濁流を泳いだように

群衆をかき分け、かき分け、

「私だ、刑吏!

殺されるのは、私だ。メロスだ。彼を人質にした私は、ここにい

る!」と、かすれた声で精いっぱいに叫びながら、ついにはりつけ台に登り、つり

上げられてゆく友の両足に、かじりついた。群衆は、どよめいた。あっぱれ。許せ、

と口々にわめいた。セリヌンティウスの縄は、ほどかれたのである。

「セリヌンティウス。」メロスは目に涙を浮かべて言った。「私を殴れ。力いっぱい

に頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君がもし私を殴ってくれなかった

ら、私は君と抱擁する資格さえないのだ。殴れ。」

セリヌンティウスは、全てを察した様子でうなずき、刑場いっぱいに鳴り響くほ

ど音高くメロスの右頬を殴った。殴ってから優しくほほえみ、

「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった

一度だけ、ちらと君を疑った。生まれて、初めて君を疑った。君が私を殴ってくれ

なければ、私は君と抱擁できない。」

メロスは腕にうなりをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。

「ありがとう、友よ。」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それからうれし泣きに

おいおい声を放って泣いた。

群衆の中からも、歔欷の声が聞こえた。暴君ディオニスは、群衆の背後から二人

のさまを、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔を赤らめて、

こう言った。

「おまえらの望みはかなったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、

決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どう

か、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」

どっと群衆の間に、歓声が起こった。

「万歳、王様万歳。」

一人の少女が、緋のマントをメロスにささげた。メロスは、まごついた。よき友

は、気を利かせて教えてやった。

「メロス、君は、真っ裸じゃないか。早くそのマントを着るがいい。このかわいい

娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく悔しいのだ。」

勇者は、ひどく赤面した。