pga00374.cocolog-nifty.compga00374.cocolog-nifty.com/blog/files/e696b0e38387e382b6... · Web...

Click here to load reader

Transcript of pga00374.cocolog-nifty.compga00374.cocolog-nifty.com/blog/files/e696b0e38387e382b6... · Web...

2018.04.23---2020.10.03 Ver.13.15

第1部 現代デザインの矛盾とその歴史的根拠

1. 問題提起

 筆者が十数年前にニューヨークに行った際、MoMAを訪れ、そこで1960〜70年代に登場した日本の家電メーカーの作った家電・音響機器が展示されているのを観たときに、自分の学生時代を思い出した。その頃、工業デザインという世界が新聞や雑誌に紹介されるたびにある種のあこがれを持ち、そういう仕事やってみたと願うようになった。その頃筆者があこがれを抱いたデザイン製品がいまこのMoMAに現代美術の一つの代表的「作品」として展示されている。確かにこれはすばらしいことである。

 しかしそれから半世紀近くの間に筆者は予想もしなかったさまざまな体験を経て、いまこうして現代デザインを批判せざるを得ない立場に立っている。それは人類の生活文化の上で大きな影響力を持ったデザイン行為がその背後に孕む、矛盾と歴史的運命を一人の人間の人生を通じて発現し、私に認識させてきた過程であるといえるのかもしれない。

1.1. 「デザイン商品」の矛盾1.1.1. アノニマスな生活用品から「デザイン商品」への道

 東京駒場にある日本民芸館は周知の様に柳宗悦氏が設立した民芸品を収集した博物館であるが、そこには柳の「民芸」に対する思いが込められている。

 そこにはまだ資本主義経済が浸透していなかった時代に生み出された無数の匿名の生活用具のもつ優れたデザインに対する驚きと賞賛の気持がある。

 著名な作家の名前が入った作品がそれゆえに「価値」が高いとされ、商業ベースに乗る様になった近代社会の中で、それは逆にある真実を物語っていたからであろう。

 民具のアノニマス性が取り上げられる様になったのは、むしろ工芸作品やデザイン商品などが市場で売買される近代以降になってからのことである。

 つまり普通に用いられる生活用品が、商品として市場で売買されるようになる以前は、ある地域社会の中で、必要とされる生活用具や食料衣類などは、ほとんど自給自足に近い形で生活者自身によって作られ消費されてきた。だからそこには生活用品を誰が作ったかということなど決して問題にはならなかったのである。

 そこでは、生活資料を生みだすために必要な道具(労働手段)や素材・原料などを含む生産手段は生活者自身の手もとにあり、生活者自身が自分たちに必要な生活資料を必要に応じて作り、小規模な地域社会的分業の中で互いに分担生産し合い需要し合っていた。

 だからそのデザインはその社会で支配的な階級の人々が自らの権威を象徴するために必要とした誇張や見せかけの華美とはまったく縁はなく、使用の目的に対してウソのない正直な形態のデザインであった。それが今日「民芸品」と呼ばれるものの美しさを生みだしていたのである。

 しかし、商品経済が全面化する近代社会が形成される中で、商人たちが単にモノを安く仕入れて高く売る商売だけではなく、商品としてのモノづくり(本書では人工物を「モノ」と表現する)を彼ら自身の手で行うことに目を付け始めてから、それを実行するために、農民の土地や職人組合の工房などの生産手段が彼らに買い取られ、商人たちは、みずから商品を生みだす資本家になっていった。

 そのためモノづくりの手立てを失った人々が労働者としてモノづくりの手立て(生産手段)を所有する資本家に雇用され、そこで自らの労働力(モノづくりの能力)を資本家の商品生産という目的のために消費させることでその「代償」として受け取る賃金によって生活しなければならなくなった。

 こうしてやがてすべての生活資料が資本家の支配のもとで「売るための商品」として生産されるようになったため、自分のモノづくり能力を資本家のために捧げてしまった労働者たちは自らが資本家の工場で生みだしたモノを含めてあらゆる生活資料を資本家から商品として「買い戻さなければ」生活できなくなったのである。こうして登場した資本主義社会はそれまでの「モノづくり」の在り方を根底からひっくり返してしまったのである。

 その結果、資本家の工場での労働者自身の内発的意図ではない疎外労働(「モノづくりの喜びと誇りを失った労働)によって大量に生みだされる商品は、生活に必要な資料でありながら同時に「売るための商品」という資本家の意図を代行するために雇用された「デザイナー」という新たな職能によって購買欲をそそるようにデザインされた商品となっていった。

 それは本質的に「売るため」の手段としてのデザインであり、「そそられた購買欲」による消費を生みだすのであって、本当の意味で生活に必要なモノとして生活者自身が自らの必要から生みだしたものではなかったのである。

 こうしていま、私たちが目にする生活資料がもつ「使うため」と「売るため」の間で生じる落差と矛盾の中で、それに気づいた人々から見ると、初めてそこにかつての「民芸品」が、つくる人と使う人が同じ目的のもとに置かれている、輝かしい匿名デザインの世界であったということに気づき始めたのであろう

1.1.2. いつの間にか生活必需品化される高額家電やクルマ

 東日本大震災直後の2011年5月2日、朝日新聞「声」欄に、Tさんという当時74歳の方が「私は原発つくらせた覚えない」という投書をしている。その内容は、4月23日に同欄に掲載された「事故の一因、我々の生活にも」への批判として書かれている。

 4月23日の投稿には、「電力会社に原発を造らせたのは誰か、自販機もネオンも高速道路の電灯もみな、私たちが要求し続けた結果だ」と書かれているが、Tさんはこれに反発して、以下のように言う。

 「私たちはエアコンなしでは暮らせぬ都会の家に住まざるを得なくてエアコンを買わされました。地デジテレビも要求したことはありません。私は布団カバーやシーツ以外は手洗いですから、二槽式洗濯機で充分。それが壊れて買い換えようとしたら、店頭にあるのは、ほとんどが全自動式で乾燥機付きです。業界の思惑で、ぜいたくな家電だらけの生活に追い込まれていると痛感しました。原発をなくすために、どのような生活をしなければならないか、よく考えようという意見には賛成です。しかし、もっと深く考えてもらいたいのは、原発を国策として推進してきたのは政官財で、私たちは二度とその口車に乗らないように心すべきです。」

 私は、このTさんの投書を読んで、まったくその通りだと痛感した。

 戦後間もない頃は、食うや食わずの耐乏生活だった人々が、やがて食料が出回り、小さなアパート暮らしで狭い台所で食事を作らねばならなかったとき、電気釜の登場は「革命」であった。やがて、トースターやオーブン、そして電気冷蔵庫が登場して食事作りは一変し、電気洗濯機が登場して洗濯時間も激減し、家事労働の負担は縮小した。その後、高度経済成長期にはルームクーラーとTVが登場、やがてクルマが家庭に入ってきた。それによって住宅建築や生活形態そのものが激変した。それまで夏は外気を採り入れて軒に日陰をつくって過ごしてきた人々の生活は、断熱壁で囲まれた閉じた部屋でエアコンなしには過ごせなくなった。生活消費財の流通は量販というスタイルが浸透し、TVコマーシャルで宣伝される品々をスーパーや量販店にクルマで行って購入する生活があたりまえになっていった。

 この時代、産業界の要請のもとで、こうした高額家電製品やクルマといった「耐久生活消費財商品」のデザインを受け持たされるようになったのが工業デザイナーである。

 賃金の上昇が続く中で、目新しい高額商品を次々に購入することが「夢の実現」とみなされ、こうした生活形態の変化を促進させるとともに、それがやがて標準的な生活スタイルにされていった。人々はこうして産業界や政府の政策によって「夢」を上から与えられ、その結果それを欲しがるようになったことを「社会的ニーズ」としてあたかも生活者側からの要求が最初にあってそれをデザイナーの力を借りて実現させるのが産業界や企業の役割であるかのように思わされてきたのである。

 しかし、この高額家電製品やクルマなどは、実は生活者を商品の「消費者(実は購買者)」として考えている資本家たちによって生みだされたモノであり、結局その高額な商品を生活必需品化することで、社会的にモノの消費量を増やし、その商品流通の過程で社会的富が貨幣資本という形で資本家の手元に環流し蓄積するシステムができながっていったのである。

 その過程で電気やガス水道は必須のインフラとなり、資源やエネルギー消費量もうなぎ登りに上がっていった。そして2011年3月11日、まるで大自然からの警告のような突然の大震災によって 原発は突然動かなくなり、放射能の恐怖が襲いかかり、電力供給が絶たれ、家庭生活はおろか企業の生産活動も医療活動もストップしてしまうという事態になったのである。多くの人々の命が奪われるとともに、大量の家電製品やクルマなどがあっというまに巨大な瓦礫の山と化してしまったのである。

 いったいあの高度経済成長で築かれてきた私たちの生活とは何だったのだろう?いったい自分たちが行ってきた仕事とは何だったのだろうか、と疑問を抱いたデザイナーもいるに違いない。

 この事態に対して、これほど危険な原発を「必要化」させるような社会経済システムを生み出してきた本当の原因を明らかにし、その誤りを正そうとするTさんの様な意見が出てくるのは当然である。

 これに対して「原発を全廃せよというのは非現実的だ」とか「ニッポン経済をもとのように元気にするには原発は必要だ」などという主張を掲げる人々が現実主義者の様に振る舞いながら、いかに生活者の視点から現実や社会の全体像を見ようとしない人々であるかが分かる。

 彼らは、「経済成長」という名の下に「新たな必要」を上から与えて生活者の欲求を引き出し、「消費拡大こそ経済成長の原動力」と叫びそれを実現することがあたかも豊かな社会の実現であるかのように思わせ、そのために原発推進の旗を振ってきたことへの反省の色がまったく見られないのである。

1.1.3. 均一化される生活スタイル

 こうして労働者たちは外見上「豊かな生活」を手にし、ほとんどの労働者がこのような資本主義社会をむしろ肯定的にとらえ、自分をその社会での「中間層」であると自覚するようになっていった。

 そして人々は、仕事が失われていく地方を捨て、就職の機会が多く、職場での情報のやりとりの利便性や「買い物」や娯楽を楽しむ機会も多い、都会にどんどん住むようになっていった。その結果、いまでは日本の全人口の半分以上が首都圏や京阪神、中京圏など大都市圏に住むようになり、地方は過疎化し衰退していった。

 しかし、この生活スタイルが進むにつれて、地方のかつての町並みは疲弊していくと同時に、首都圏などでもかつてその地域で長年商売を営んできた小商店が新たに進出してきたスーパーやコンビニなどの大資本のチェーン店によって駆逐され、耐久消費財商品は量販店によって行われるようになっていった。

 この波は全国に拡大し、そこには全国どこに行っても同じスタイルの商店が建ち並び、かつてあった町並みのローカル色は失われていった。いまではこうした状況で昔を懐かしむ気持ちが大きくなっていくことを新たなビジネスチャンスとして登場した観光業界によって、恣意的に昔の町並みが復活しているところも多い。しかしそれはもはや生活スタイルの表現ではなく、「地方名産おみやげ品」と同じでものでしかない。こうして資本の論理は画一化された生活スタイルを全国に拡大していった。

 これらの生活スタイルの変化は、「どんどん売ってどんどん買わせる」という資本の論理の浸透と合理化の結果である。生活者はいまでは自分で自分の生活を生みだすことができないので、商品を買うことでそれを行わざるを得ない。資本家企業の「売るために」つくった商品を「買う」ことが自分の生活スタイル表現になっているのだ。

 それは同時に画一化にあきたらない人たち向けに商品を「差別化」するという「別の売り方」も浸透させた。「商品の差別化」のために目新しいスタイルを「個性の表現」であるかのようにして売り込み、あまり必要でもない新機能を「欲しがらせるために」つけて高い市場価格で売り出すことが「価値創造」あるいは「付加価値を生む行為」とされるのである。

 そしてその商品市場では、「便利さ」「快適さ」などが売り文句となり、次々に売り出されるニューモデルはそれ以前のモデルに比べるといかに便利になりさまざまな新機能が付き、生活に快適さと目新しさをもたらすかが商品開発競争の目標となり、人々はそれらの商品を買うことで便利さや快適さを手に入れようとする。

 その結果、いまでは「新貧困層」といわれる人たちもスマホを持たねば生活できない様になり、アパートの部屋代は払えなくともスマホの通信費は払い続けるという生活を強いられている。

 また、一方でこうした生活スタイルの画一化が進むと、生活を基盤で支えるインフラなどが重要になってくる。しかし、このインフラ建設やそのメンテには莫大な資金が必要であり、巨大資本がこれを担うことになる。そのため出来るだけ効率よくインフラ経営を行うために極端な中央集中的管理が進み、いったん自然災害などでインフラが破壊されればたちまち人々の生活は危機に陥ることにもなる。現にこうした自然災害にともなう大規模な都市災害は近年急速に増えている。

1.1.4. 100円ショップとグッドデザイン・ショップ

 20世紀末から今世紀初頭にかけて、「価格破壊」といわれる現象が市場に現れ、生活資料商品の市場に大きな変化があった。21世紀に入る直前から、日本ではいわゆる100円ショップ(百均)が街に登場しだした。そこに並べられている商品は、これも100円で買えるのか!と驚かされるモノが多い。

 この100円ショップが街に登場しはじめた頃から、実は世の中の「格差」が目立ち始めたのである。つまり「格差社会」の進展にしたがって100円ショップの持つ社会的意味が大きくなってきたのである。

 100円ショップでは、品質やデザインを問わなければ最低限必要な生活用具はほとんどすべてそろうのである。これは収入の少ない人々にとってはまことにありがたい存在である。いわゆるワーキング・プアーの人たちや乏しい年金で生活する人々の多くは日々の暮らしに必要な生活用品を100円ショップで求めざるを得なくなっているのである。

 一方、お金に余裕のある人々は、100円ショップなどに用はなく、そのリッチな生活感覚に相応しい品質やデザインのよい商品を有名ブランド店やいわゆるグッドデザイン商品へと食指が動いていく。そのためわが国での「モノづくり」は一方では100円ショップに代表されるような低価格な商品へ、他方で「付加価値」の高い商品へと「デザインの二極化」が始まったといえるのである。

 それでは、なぜこのように安い商品が出回るようになったかといえば、それはグローバル化した市場で、労働力の安い国で作られた商品が、大量に進出しだしたからである。これら100円ショップで販売されている商品を生産している国の労働者たちは、驚くほど低い賃金で長時間働かされているのである。彼らがなぜそのような低賃金で暮らしていけるのかといえば、生活に最低限必要なモノ(食物・衣料費や住居費など)が彼らの国では驚くほど安く、また質素な生活なので、われわれのようにモノを次から次へと買い替えることも少ないからであろう。

 労働賃金というものものは、その基本となる労働力(すなわち労働者の能力)の価値が、労働力を生み出すために日々の生活の中で消費しなければならない生活資料(衣食住など)の価値によって基本的に決まるのである。

 雇用者である企業の経営者(資本家)にとっては「生産費用」の一部(人件費)でしかない労働者の賃金に決して無駄な出費はしない。つまり、安い生活資料でも生活できる人々には同じ労働時間であっても安い労働賃金しか支払われない。そしてそのことが、グローバル化した商品市場で激烈な価格競争に勝つため、出来うる限り安い労働力を得ることが必須の条件となったのである。

 資本のグローバル化が進むことで、かつて「モノづくり立国」を誇ったわが国で生産された生活資料や耐久消費財商品の多くが、アジアなどの賃金安い国の労働でつくられた安い商品との価格競争に負けて市場から駆逐され、わが国の多くの生活資料生産企業が倒産したり、生産拠点を海外のいわゆる低賃金国に移し、そこで自分の資本の維持発展のために現地の労働者を働かせる形を採るようになり、企業全体の業務内容の大幅な変更を迫られ、生産現場で働いていた多くの労働者は労働条件の良くない仕事に配置転換させられたり、解雇されたりして、貧困化していったと考えられる。

その結果生みだされた「新貧困層」の人々にとっては、逆にアジアの低賃金労働者の労働によってもたらされる100円ショップの商品が、いまや生活上必要不可欠になりつつあるという皮肉な結果を生じているともいえる。

 そしてこのような形でアジア諸国の低賃金労働者とわが国の「新貧困層」が実生活の上で実は密接な結びつきの元に置かれていることが見えてくる。つまり雇用を求める求職者の立場から見ると一見、「競争相手国の人たち」と見える国々の人々が実は互いに同じ様な立場で生活水準の低い位置に置かれていることが見えてくるのである。

 一方 グッドデザイン・ショップに並ぶ高価な商品を購買できるのはこうした労働者の淘汰の中で生き残った比較的高賃金の頭脳労働者や、自営業者、医者、法律家、公務員などのいわゆる「中間層」、そして新興資本家や投資家など「新富裕層」の人々であろう。

 この種の高価な商品はある意味で「ステータス・シンボル」としての機能をもっており、市場での「差別化」のため、実際の価値(それを作るのに投入された労働量)をはるかに超えた高い市場価格で売られる。いわゆる「付加価値商品」である(これについては6.2.3節で詳述する)。

 「高度経済成長期」や「バブル時代」には、資本家の資本蓄積が順調だったため、「中間層」の比率を高く維持できたが、資本のグローバルな競争が激化するにつれて資本家の財布も厳しくなり「人件費」削減を余儀なくなれることで「中間層」が減少し、一方でグローバル資本の競争での勝者であるリッチな「新富裕層」と、他方での「中間層」から脱落していった非正規労働者や、不安定な立場のもとに置かれた労働者、そして退職してわずかな年金で生活する高齢者、さらにそこからも蹴落とされ住む場所も失った路上生活者など競争社会から脱落した「ワーキング・プアー」、「ニート」などの人々による「新貧困層」に二極化されていったと考えられる。

そしてデザイン商品市場もこれに対応して二極化されつつあり、それがグッドデザイン・ショップと100円ショップとの関係に象徴的に現われているように思えるのである。

1.1.5. 生活の主体的創造ではなくなった労働の未来

 こうした生活スタイルの変化は、社会の土台である経済体制が資本によって動かされていることによるといえ、生活に必要な生活資料のすべてが資本界企業による商品として売り出され、それを買うことが生活を築くことになっているためであるといえる。

 このことは一方で、そのような生活資料を毎日働きながら生産現場で生みだしている労働者たちが、資本家の企業に雇用され賃金を受け取って生活しなければなくなっていることをも示している。

 労働者は働いてモノを生みだす自分の能力を資本家の要求に捧げ、その意図に従って働くことで賃金を受け取っているのである。そしてその賃金で資本家の工場で生みだした生活資料商品を買って生活するのである。

 したがって、労働者は自分の主体的な意図によってではなく資本家の意のままに労働する。その労働は生活のため賃金をもらうための一種の「苦役」であり、忍耐である。だから彼は仕事が終われば酒場で飲んで憂さ晴らしをしたり、休日には街に出て娯楽に興じたりしなければやっていけない。

 しかも彼の労働はときに資本家が企業間の競争に負けて経営が行き詰まったときには、資本の論理に従って「合理化」の対象となる。労働者の労働はロボットに置き換えられ、頭脳労働者の労働はコンピュータを用いた人工知能に取って代わられてしまうのである。

 こうして将来的にはモノづくりの現場でも人間に代わりAI装備付きの機械がデザインも含めてモノづくりをすべて自動的に行うようになり、生活では人々はただそこから生みだされたAI装備の生活用具にすべてを任せて、働きもせず、生活維持活動もせず、ただコンピュータの生みだすヴァーチャルな世界に浸り込んで生涯を送るということになるかもしれないという見方も登場した。いわゆる「シンギュラリティ」の世界である。これはまさにモノあるいは道具がヒトを支配する資本主義の論理の行き着く果てである。

 実際には社会的に必要な「生きた人間の労働」がなければ、経済的な「価値」は生みだされないので、このような社会は幻想に過ぎないのだが、こうした「シンギュラリティ」社会を「良し」とする識者(もちろんそれによって路上に放逐される労働者ではない)もいる。

 しかし、たとえこれが実現されたと仮定しても、それはまったく惨めな人類の「なれの果て」の姿であり、人類は、自らの存立を護るための主体的判断や行動を放棄することになり、それにもとづく生活行動や繁殖行動もできなくなり、やがてその生物学的な存続能力を失うことになるだろう。もしそのまま行けば人類はそれほど遠くない将来に絶滅することになるだろう。

1.1.6. 誰のためのデザインなのか?

 新しいデザインの商品が「消費者の立場で」「使用者の目線で」という宣伝で売りまくられていても、実際には、企業の宣伝によって掻き立てられる購買欲によって、この社会で生み出されるモノの大半は購入されたのち、次々とそれに代わる新しい商品を買わされることになり、買ったものはメンテもされずに「消費」あるいは「使用」されつくされないうちにどんどん廃棄されている。

 いまの社会では、モノは生活者にとって本当に必要だから作り出されるのではなく、むしろ恣意的に所有欲や消費欲が喚起され煽動された需要のもとで「買わせるために」作られるのであり、「消費社会」ではなく実は「購買欲煽動型経済」によって成り立つ社会なのである。

 このような社会にあっては、モノを生産する企業側は売ってしまえばそのあとのモノの所有権は買った人に移るのであって、その人が勝手に決めればいいのであり、基本的には自分たちの責任ではないという立場である。

 彼らは自分達(企業)の獲得する利益が増えればよいのであって、膨大な量の廃棄物が地球環境を悪化させてもその社会的責任は自分の企業に直接には関係ないと考えるのである。

 その責任はむしろ商品の「買い手」である「消費者」の欲求や消費の態度にあるといいたいようだ。これはいまの資本主義経済体制が、モノをつくる側とそれを消費する側とが分断され乖離していることの証しである。

 そのため一方で「消費こそが経済成長の原動力」と叫ばれながら、それによって、無駄な消費や大量の廃棄物による気候変動をもたらすような大規模な環境汚染が進み、莫大な資源とエネルギーの無駄使いをすることによって地球全体に危機をもたらしているという事実が誰のせいで起きているのかを見ようとはしないのである。

 一方でこうした状況に対して企業の社会的責任が叫ばれながら、市場での競争に勝ち残り続けるためには、まず利益を挙げねばならないという資本主義の「経済法則」のもとに置かれているいまの体制ではこの状況は根本的には解決され得ないと考えてよいだろう。

1.2. 誰が私たちの近未来社会をデザインするのか? 1.2.1. 持続可能な社会を実現できない現行の経済システム1.2.1.1. 「エコ・デザイン」は「地球にやさしい」のか?

 40年ほど前に企業へのクルマの有害排気ガスを減らすための法的規制が実施され排気ガス処理装置が組み込まれたクルマでないと売れないことになった際、メーカーはこぞってコスト高になって市場での競争力が落ちるという理由でこれに反発した。

 ところが、現実に地球規模での自然環境破壊が進んでいる事実が徐々に人々の認識するところとなった後は、今度はガソリンの消費量を減らし、有害排気ガスの少ないクルマのエンジンを各社競って開発するようになり、有害排気ガスが少なく燃費の良さがセールス・ポイントになっていったのである。

 「クリーン」や「省エネ」が、商品イメージを高めるキーワードと判断され、市場での競争に有利であると判断されるようになり、たちまち電気製品などにも「地球にやさしいエコ商品」というイメージ戦略が宣伝の中心となっていったのである。

 1970年代のオイルショック、そして2011年の東日本大震災の悲惨な原発事故の結果を経て、エネルギーを消費する耐久消費財メーカーの多くがいわゆる「エコ商品」を売り出すようになった。

 これ自体は大変結構なことであるが、その反面で今度は「地球温暖化を防ぐため一人一人の心がけを」とか「消費者の意識革命こそが必要だ」などと言ってあたかも一人一人の心がけ次第で地球温暖化問題が解決されるかのように、消費者に責任を負わせ、それを逆手にとって消費者に対し「地球にやさしいエコ・デザイン製品」への購買欲をそそる商法が一般化した。

 ほとんどの人々は、こうした世の中の流れの中で、「エコ製品」に買い換えることで自分は電気代を節約しながら地球環境を大切にするために貢献したという自負や満足感を感じるかもしれない。しかしそれによって地球全体の資源やエネルギーの消費量は本当に減少しているのだろうか?

 こうして省エネのために「エコ商品」に買い換える人が増えれば、たしかにそれまでよりエネルギー消費量は減るかもしれない。しかし社会的生産全体の視点から見れば「エコ製品」の販売促進によってモノの生産量と消費量は決して減らず、むしろ増えるだろう。

 そのため「エコ商品」を作るために用いられるエネルギーや原材料の消費は少しも減らずむしろ増え続けるのである。たとえ「消費大国」の人々がすべてエコ製品を使ったとしても、地球全体としてのモノの生産量・消費量が減らない限り石油やレアメタルなどの地下資源もいつかは枯渇するだろうし、廃棄物による地球全体の気候変動も進むだろう。

1.2.1.2. なぜSDGsはいつまでたっても実現出来ないのか?

 いま世界中で「持続可能な経済発展(SDGs)」のスローガンのもとでサステイナブル社会の必要性が叫ばれるようになり、世界的にこの運動が盛り上がっているように見える。

 世界の資本主義経済をリードする「先進諸国」の政権は、相変わらず「消費が拡大すれば経済が活性化され企業の収益も上がって労働者の賃金も上がり経済の好循環が生まれる」という「経済成長神話」を信奉しているようだ。

 しかし、もし人口14億以上の中国や13億ともいわれるインドや3億以上のインドネシアなどの国々やアフリカ諸国などが「経済成長」の結果、アメリカやヨーロッパそして日本と同様かそれ以上の「消費大国」になった場合、地球はどうなるか、結果はすぐに想像できる。資源の枯渇と自然環境の致命的な破壊である。

 しかしもちろんこうしたことは起こりえない。SDGsを本当に実現させるには、全地球でのトータルな資源やエネルギーの消費量を減らさねばならないのであって、それが本当の意味での「エコ」であり「サステイナブル」のはずなのだが、今のいわばアンコントローラブルなグローバル市場競争を前提とした資本主義経済体制は消費を増やすことこそが経済を(したがって資本を)潤し、労働者の雇用を増やしていけるという構造になってしまっており、基本的にそれができない仕組みになっているからである。

 実際には、消費拡大による「経済成長」がなければ、成り立たない経済システムは、一方で資本の成長による一握りの超富裕層を生みだしながら他方では、資本家企業に雇用されなければ生きてゆけないので、非正規で不安定な低賃金労働に甘んじるか、富裕層のおこぼれを頂戴しながら生活する観光・エンタメ業種などで働きながら貧困と不安定な生活にあえぐ人々の数を増大させているのである。

「持続可能な経済発展(SDGs)」といえば聞こえはいいが、いまの資本主義経済システムの下においては「経済成長」とサステイナブル社会の両立は不可能であるといわざるを得ない。

 この現代資本主義経済体制の「絶対的矛盾」に直面しながらそれに目をつむり人々を欺き続けているのが現代のグローバル資本主義のイデオロギーなのである。

1.2.2. COVID-19パンデミックがもたらす「経済成長」至上主義の破綻

 世界中が「グローバル資本」に支配され、「消費拡大による経済成長」を看板に、過剰生産・過剰消費を拡大させ、世界中の国々の経済を私的欲望の巨大な渦ともいえる資本主義経済体制の流れに巻き込んでいくいま、突然、思いもしなかった形でその体制を危うくさせるかもしれない相手が登場した。中国発の新型コロナウイルス(COVID-19)である。

 そのウイルスは中国から日本やヨーロッパ、そしてアメリカ大陸へと拡散し、その後ブラジル、インド、ロシアなどでも人口が集中する大都市圏を中心に爆発的感染拡大(オーバーシュート)が発生し、全世界で猛威をふるっている。

 世界のいわゆる先進資本主義諸国では感染拡大防止のため一時外出禁止令など日常生活が厳しく制限され、経済活動がほとんど停止した。そしてそこではまず医療体制のパンク状態の中で、医療従事者たちが犠牲となり、苛酷な医療現場から医療崩壊があちこちで生じ、悲劇的状況となった。

 日頃からこうした状況を想定せず、いつ起きるとも分からないパンデミック防止などに要する緊急時のための国家予算を「無駄な投資」として削減し、大企業の国際競争力強化ばかりに力を注いできた政策の重大な誤りがこうして表面化した。

 経済活動への制限でグローバル資本はその流れを一時停止してしまったが、このまま行けばまさに世界中で網の目の様に生産と消費のシステムが組み込まれている経済システム全体が危機に陥る。一国の経済破綻がまたたくまに全世界に波及し世界全体の経済・社会崩壊の危機がやってくるかもしれないのだ。

 そのため各国政府は感染拡大が収まっていないにもかかわらず、この封鎖状態を少しずつ緩めて経済活動を再開しようとしているが、それによって再び第2波、第3波のパンデミックが始まっている。

 今日の経済体制下では、ウイルスの感染拡大阻止と経済活動維持はいわばトレードオフの関係にあり、グローバル資本は重大なジレンマに立たされている。

 従来の不況時の様に、政府がどんなにオカネを市場に流し込んで消費を促しても人々の生活や行動が制限されざるを得ず、「モノ・カネ・ヒト」の流れは激減している。そのためまず小規模経営の商店や観光娯楽産業などが経営危機に立たされ、労働者の自宅待機による賃金カットや雇い止めが実施され、特にそれらの企業で働いていた非正規雇用労働者が真っ先にその犠牲となった。

 政府は彼らに対する生活費の一時金給付や雇い主への補助金支給などで対応しようとしているが、そのための法的な制度や財源も乏しく、赤字国債を発行することで何とか切り抜けようとしている。

 しかしその赤字国債を中央銀行が買い取ることで資金(貨幣)を市場にどんどん流し込んだところで、これ以上「経済成長」などは不可能であろう。現に、一部のIT、通販企業などを除いてグローバル企業も莫大な損失を出して、大幅な人員整理を行い始めており、政府の法人税税収は減少するであろうし、その国の国家財政の先行きが見えなければやがて国債の価値は大幅に下落し、市場に流し込まれた資金も貨幣価値の急速な下落によって、その「根無し草的価値」の本質を暴露することになるだろう。最悪の場合、国家破産という事態もありうる。

 また、このコロナの世界的パンデミックにたいして、先進諸国の製薬会社がこぞってワクチンを開発し始め、そのための資金を政府が支援するという事態が進んでいる。製薬会社は支援資金の額に応じたワクチンの供給を約束しており、支援をするカネがない貧困な国ではワクチンが入手できなくなりそうだ。

 いまこそ世界中の人々が連帯して助け合わなければならないときに、大資本や国家のエゴまるだしなのである。

 ここに、「企業経済活動維持」という場合の「経済」と、「人々の生活を維持する」という意味での本来の経済が実は対立的な形であることが明らかにされたといえるだろう。

 この矛盾を克服し、本来の生活者の生活維持活動としての経済活動とは何か、それを生活者自身の手に取り戻すためにどうすればよいのかという大きな問題が私たちに突きつけられているといえる。

1.2.3. いま私たちに問われているもの

 いま私たちに問われている最大の課題は、この人類社会の危機的状況において、「これからの社会はこうあるべきだ」という形で科学的・論理的な根拠に基づいて、次世代社会のデザインを行う必要があるが、それを行えるのはいったい誰なのかということだ。

 それを行うのは、決して自由競争市場の「神の手」に任せる資本家たちではあり得ず、その状況に業を煮やした強権的独裁政治家の手に任せるのでもなく、社会全体の維持発展のためにそれぞれの現場でそれに必要な労働を現実に行っている生活者自身がそれを行うのでなければならないはずだ。

 いまの資本主義社会は、日々の生活で用いる生活用具やデザインも生活者自身の手で行えない状態であり、さらにその生活自体を支える社会システム自体も、そのための労働を日々行っている人々の手にはなく、それを支配する「資本の法則」を経済活動の基盤として行う人たちの手にあるのだ。

 つくる人と使う人が本来の目的意識を共有し、ひとつの道具や生活用品を大切に使い、流行に追われ購買欲を掻き立てられて次々とモノやコトを買い換える必要もなく、それらの道具や生活用品を大切にメンテし、修理しながら出来うる限り長いこと使い切り、最小限の資源消費でも精神的にはゆたかな生活ができる、そういう当たり前の経済観や生活態度を取り戻せる様な社会・経済の仕組みが生活者自身の手によって実現されてこそ、本来の意味での「サステイナブルな社会」のデザインが可能になるだろう。

 そのためには、私たち生活者自身の手に自分たちの生活をデザインする能力を取り戻さねばならず、私たち自身が私たちの社会の在るべき姿をデザインすることができなければならないはずだ。そして、そこに向かって一歩一歩その実現に向けて歩み出して行ける様な社会システムを創りださねばならないはずだ。

 では私たちはいったいどうすればよいのだろうか?これを考えるための手がかりを探ることが本書の趣旨であるが、そのためにはまず、なぜこのような社会、特にその土台を支える「モノづくり」の在り方がこのような歪められた姿になってしまったのか、その歴史的根拠を検討してみる必要がある。存在の理由はその発生の根拠にあるのだから。

 注:本書では「モノ」は人工物を、「モノづくり」は生産的労働を意味し、「デザイン行為」は職能としてのデザイナーの仕事ではなく「モノづくり」一般に含まれる人間の思考や行為の中核的な部分として、その歴史を超えた普遍的な在り方を示す。

2. 職能としてのデザインの発生とその歴史的形態変化

 このようないまのモノづくりとデザインの矛盾と、その背景となっている社会のさらに大きな矛盾を考えるに当たっては、歴史の中でどのようにして人類のモノづくりが始まり、それがどのように発展し、やがて現代社会に至ってデザイナーという職業が生まれてきたのかを知る必要があるだろう。上述した「存在の理由は発生の過程にある」という生物進化における事実は人類の「モノづくり」の進化においても当てはまると考えられ、その人類の進化を間違った方向に向けないようにすることが必須であるからだ。

 そこでます、職能としてのデザイナー「誕生の秘密」までの歴史的背景を考えてみよう。

2.1. 共同体におけるモノづくリの発展がもたらしたもの2.1.1. 共同体内分業によるモノづくりの発展と支配階級の登場

 数十万年という長い歴史の中で、人類が獲得してきたモノづくりの技(わざ)は当然、共同体でのさまざまな形での共同作業(労働の分担)がなくては成立しえない。マルクスがいうように、人類は本質的に「類的存在」なのである。

 例えば、山で使用目的に適した木を見つけ切ってくる土地勘のよい人、切った重い木を運んでくる力の強い人、その木を削って槍を作る器用な人、動物を槍で突く勇気のある人、殺した動物を料理する腕のよい人、そしてそれらの仲間たちをまとめる統率力や包容力のある人などなどのように、それぞれの個体的特質をもつ人々が作業分担をして、協力し合う共同生活が前提となる。

 もちろんそれらの個人的分業能力の違いは、その分業体制がその共同体に適した形へと徐々に定着していく過程で、それに適した能力が育っていったという側面もある。

 結果的に共同体における固定化された分業体制ができあがりそれぞれの分業の中でその技術が伝承され洗練される。こうして共同体全体としては、バラバラな個人がそれぞれ生みだすモノよりはるかに優れたモノをより多く生みだすことができるようになっていく。

 目的が大きければ大きいほど大規模な共同作業が必要になる。したがって、モノづくりの発展によって人間は、あるモノをつくるためにはその手段として用いられるモノが必要であり、その手段をつくるためにはまたさらにその手段として別の手段が必要にある、という具合に「目的・手段関係の階層化」をどんどん拡げていったと考えられる。

 この共同体がある程度の大きさで限定されているときは、全体が見渡せるから、共同作業の分担形態も全体像が分かりやすかったであろう。しかし、だんだん大きくなるにつれて、一方では、モノづくりの集団的能力も高まり、社会的生産力が増大していくことにより他方では剰余生産物(共同体構成員がその労働力を日々生みだすのに必要最小限の消費財となる生産物を超えて生みだされる生産物)が生みだされるようになり、一握りの人々がそれらの剰余生産物の管理もする役割を果たすようになっていったと考えられる。

 やがて農業が共同体の生活様式になっていくにしたがって、生活消費財である農作物を生みだすために必要な土地は、生産手段として必須の存在となる。これは当初は共同体全体にとって必要な共有財であったと考えられるが、農業生産力が向上して剰余生産物がつねに生みだされるようになると、これを共有材として土地とともに管理運営する立場の人が必要になってきたと思われる。

 やがてこうした人は宗教的祭儀を仕切るようになり、特別の権利を与えられた存在となって、共同体全体を仕切る支配階級の役割を演じるようになっていっただろう。

 それにしたがって共同体の範囲は家族共同体から、「ムラ」や「クニ」といった大きなレベルに拡大させ、その「ムラ」や「クニ」の在り方や方針をとりまとめて代表する人と、それに従ってその全体の方針をそれぞれの持ち場で達成させていく人たちのグループが構成されることになったと考えられる。

 このようにして長い時間をかけて、人類は、共同体全体に必要な生産物の生産(モノづくり)に直接関係のない人々が特定の権威を持つようになり、上位階層を占め、直接それぞれの持ち場で必要な生産物を作っている多くの人々を統治しコントロールして行くという支配・被支配関係を生み出しながら、文明社会を形成して行ったと考えられる。

2.1.2. 私的所有形態の登場とそれがもたらしたもの2.1.2.1. 支配階級と男性中心家族による私的所有関係の登場

 階級社会化した共同体では、実際に労働によって生産物を生みだしている階級の人々(農民や工人)は、その労働力を維持し、日々労働を続けられるに十分な生活資料を消費しなければならないのでそれに必要な生産物はつねに確保しなければならない。これを生活消費財と呼べば、共同体で生産される生産物のうちこの部分は彼らが所有し消費することになるが、これは「私的所有」ではない。

 階級社会化した共同体は、分業化が進み、生産力が高まることで剰余生産物が常時生みだされるようになり、支配階級の人々は、それを管理支配し、自分たちの采配によってそれを使える立場にあり、いわばそれらを「私有化」出来る立場になったと考えられる。

 一方、エンゲルスがとりあげた人類学者モルガンの研究からの(注:エンゲルス著、戸原四郎訳「家族・私有財産・国家」、岩波文庫、1965,)原始共同体での婚姻関係の考察では、最初は共同体内雑婚というかたちで、子供の父親が誰か分からない状態が普通であり、家族は母親を中心とした女系家族であったが、やがて共同体の支配者が共同体間の争いなどで武力闘争を繰り返すようになると男性が優位な立場となり、男性中心の家族関係が生まれてきたと考えられる。そして、家族関係においても男性が自分の子孫をはっきりと残すために女性を囲い込むといった関係が現れてきたと考えられる。エンゲルスによればこれが「私有関係」というかたちの始まりであるとしている。

 古代社会では、王や貴族が剰余生産物の備蓄や管理運用の権利を得ることによって政治的な支配権や軍事的指揮権を確立し、他の共同体との利害対立などで戦争を起こす権限を持ち、男性が優位な共同体社会が形成されていったと考えられる。

 共同体間の戦いで敗れた側は、勝った側に支配されるかたちとなり、もっとも危険で厳しい労働は、戦争によって奪った地域の人々が奴隷として連行され、彼らに与えられた仕事として行っていたと考えられ、低い階級の人々ほど、自分の生活を維持するために必要な労働量を超えて行われる剰余労働に多くの時間と労力を支出させられていたであろうと考えられる。

 このようにして、生産力が向上した共同体社会の内部で、主として支配的立場にある人たちが剰余生産物や奴隷を占有する形態が常態化し、私的所有という形態が出来上がっていったと考えられる。

2.1.2.2. 私的所有関係が生みだした商人と貨幣

 そのような社会の中で、他の共同体との接触の際に、地域的文化的違いからA社会で作られていないものが、B社会で作られていたり、その反対だったりすることが分かってくる。こうして、異なる社会間で、「ないものどうし」を交換し合う交易が始まり、自分たちの共同体にないものを自分たちの共同体で余ったモノ(剰余生産物)と交換して獲得することが行われる様になったと考えられる。

 こうして共同体間での剰余生産物を交換してくることを生業とする人たちが登場するようになり、それが商人の原型になったと考えられる。商人の原型は古代文明の黎明期からすでにあったと考えられ、長距離を移動して手に入りにくい品々を探し、これを自分の所有する品と交換することで私的な富を増やし行ったと考えられる。支配階級とともにこうした人々が、商業の原型を生みだしていったのではないかと考えられる。

 商人たちの生業の運用は、一共同体内での統治関係によって行われる生産物の生産と分配のルールとは異なるルールで行われていたと推測される。なぜならそれは社会と社会の間で行われる「取引」であり、別なルールが必要であったと考えられるからである。

 そこでは、さまざまな産物の交換が行われはじめ、人間の交流も始まる。その過程で、偶然自分の欲しいモノを持っている他者同士が巡り会い、そこで交換が成立する形の取引から、いつでもあらゆるモノとの交換を媒介できるオールマイティーな交換媒体として必然的に「貨幣」が登場してきたと考えられる。

そのことにより交換の対象となるモノが暗黙の内にある「価値」として評価され、貨幣がその価値を表象した媒体として機能し、互いに交換されるモノの価値が比較されうる様になったと考えられ、貨幣は「モノとモノとの交換」を「商品の売買」として見る根拠をも明確にしたと考えられる。

貨幣の登場により一気に交易の範囲が拡大し、それまでは物々交換だった交易を「商品の売買」というかたちで行う本来の商人を登場させることになったと考えられる。彼らは遠い国から安く仕入れた商品を別の国で高く売って、貨幣の形で富を蓄えることを生業とする「商業」という職業を生み出し、そこに「私的所有の権利」という考え方が定着していったと考えられる。

 古代社会における商人の活動は、まだ王侯貴族などの支配的階級が自分たちの望む財を手に入れるために行われた異なる社会間での交易の段階にすぎなかったと考えられる。

 中世の社会では、領地の所有権を世襲的に与えられた封建領主によって生産手段としての土地を貸し与えられた農民が、そこで自分たちの生活に必要な資料としての農作物を生み出すとともに、領主に献納する租税分の作物を生み出すための労働(剰余労働)を行い、その収穫としての剰余生産部分を「物納」として差し出す義務を負わされていた。

 そのコミュニティー(領主の城を中心とした市街とそれを取り巻く農地という形態が一般的だったと考えられる)では王侯貴族やその配下の軍事担当の家臣団(武士階級)などのために家屋・家財の製造や武具の製造に携わる職人たちが一定の人口を占めるようになり、そうした小規模なコミュニティー内では職人たちの労働生産物が商品の形で流通するようになっていったと考えられ、それに携わる小商人も存在していたと考えられる。つまりコミュニティー間での通商とともに、コミュニティー内でも商品経済が定着しはじめていたと考えられる。

2.1.2.3. 商品経済の発展と商人資本家の登場

 こうして商品経済が発展して行く中で、共同体社会が大きくなれば、共同体内部においてさえ職能的分業によるモノづくりが発展し、分業種間での目的・手段連関の全体像が見え難くなると考えられ、当然、コミュニティー間での他の社会におけるモノづくりの目的・手段連関などは、見えない状態にあったと考えられる。したがって、商品の交換が行われる際には、交換の対象となっているモノがどのようにして作られたかなどということは分からない。

 そのため、商人たちは無数の商品交換が繰り返される間に、市場での商品の売れ具合(需要)によって経験的直感的にどのくらいその商品の「価値」があるのかが把握できるようになり、それによって貨幣を媒介した商品交換のレートが評定されるようになったと考えられる。これがのちに「交換価値」という概念を生み出すことになったと言えるだろう。

 そしてモノの本来の機能(有用性)を果たす使用価値ではなく、その交換価値という抽象化された価値がモノの価値であるという倒錯したとらえ方がここから登場したと考えられる。

 商人達はこのあらゆるモノを買うことの出来る貨幣をその交換価値の化身として万能の力をもつ神のように見るようになり、貨幣は「物神化」されるようになり、私的富の象徴としての貨幣を所有し増やすことに命を賭けるようになって行ったのである。この私的富の所有への飽くなき欲望がやがて資本家の登場をもたらす原動力となる。

2.2. 資本主義社会の登場

 私たちの暮らしている現代の資本主義社会は19世紀イギリスでほぼその基本形を確立した産業資本主義社会の生産様式の上に築かれた社会の延長上にあるといってよいだろう。

 その資本主義的生産様式は一方で生産技術を中心としためざましい技術革新をもたらし、同時にその基礎となる科学的研究の確立という成果をもたらした。それによって私たちの生活形態や社会のあり方がそれ以前と比較してどのように変わってきたかを見る必要があるだろう。そしてその中でどのようにして「デザイナー」という職能が生まれてきたのかを知ることによって、その職能の本質が見えてくるはずである。

2.2.1. 「市民(ブルジョアジー)社会」の登場

 ヨーロッパでは、15世紀頃までに最初は異なる共同体社会間での交易から始まった商業はやがて高度に分業化した一つの社会内部に深く浸透し、生産的労働に直接携わっておらず、支配的階級にも属していないにもかかわらず、モノの売買を通じて莫大な富の蓄財をした商人たちが社会の経済的実権を握るようになっていった。

 その過程で商品の交換を媒介する貨幣の流通が定着化し、安く仕入れて高く売ることで得る貨幣が単なる流通手段としてではなく、あらゆるモノを手に入れることを可能にする「万能の神」であり、あたかも「自己増殖する」富であるかのように見える存在となり、それを私的所有欲の対象とした資本家的商人たちによって社会の物流が支えられるようになった。 

 その結果、カネとモノが自ら一人歩きするかの様な「資本」という怪物が社会全体の経済を支配する体制が生まれてくることになった。これが資本主義社会発生の根拠である。

 ヨーロッパ中世封建社会崩壊の過程で、商人資本家と結びついた王族とその配下の軍事力と航海術を持った人々が世界中に富を求めて繰り出し、新大陸やアフリカ、インドなどへの航路を切り拓き、その地で侵略行為を行い、現地の資源の略奪や人々への略奪行為などで確保した地域の先住民たちの奴隷労働による搾取を繰り返すことで、資本の「元本」ともいえる本源的蓄積を行っていったのである。この間の「血塗られた歴史」はマルクス「資本論」第1巻の「本源的蓄積」の章に詳しく描かれている。

 こうして商人資本家たちの「富の獲得」への強烈なモチベーションによる商品経済の発展が世界規模での社会間商業交流をも発展させて行ったと考えられる。それにより蓄財した大商人資本家たちはやがてその富を武器として既得権階級であった封建貴族や王族に対抗する「ブルジョアジー(市民)」階級として私的所有の「自由・平等」を旗印に16〜18世紀西ヨーロッパでまず商品経済を定着化させることで経済的な主導権を確立し、やがて自らモノづくりの場を掌握することで、19世紀には実質的に社会経済的な、そして政治的な支配権をも確立していったのである。

2.2.2. 資本主義的生産様式(モノづくり体制)の確立

 その過程で、例えばイギリスではまず16世紀に小作農の耕作地が領主たちによって儲けの多い羊毛生産のための牧草地として強制的に囲い込まれるなどで多くの小農民は、生産手段である土地を奪われ、やがて18世紀には今度は当時の政府主導で、小規模農耕地を、より近代的な集中的農法に切り替えるために取り上げられ、一部の農民はそこで農業労働者として働かされることになったが、徐々に農業の生産性が上がるにつれて農民が余剰化し、仕事を失った農民たちが生活のために当時興隆してきた資本家企業の工場で労働者として働かざるを得なくなり、都会に流れ込むようになった。

 一方で中世から続いたモノづくりの世界では自立した職人の生産の場であったギルド工房が、17世紀頃から徐々に経済的実権を握った商人などによって経営を支配されるようになったことで、ギルド工房は「売るための商品」を生産する目的で経営される形態になり、職人たちは経営者に雇用され賃金労働者化され、労働内容が「合理化」のため再編されていった。

 モノづくり労働のプロセスは細分化・単純化され、同時並列化された作業による作業場内分業が進むとともに、作業ごとに特化された作業機が導入されて行き、いわゆるマニュファクチュア(工場制手工業)の時代となった。

 やがてそれら作業機全体を動かすための動力源として水力や蒸気力が導入され機械が作業場全体の労働がその動力源の動きに合わせて行われるようになり、労働者たちは完全にその機械の従属物にされていった。産業革命はこうして資本主義的生産様式の構築過程として始まったのである。

 やがて工場はさらに大規模化され、そこに土地から引き離された元農民たちや生産手段を奪われて失業した職人たちが賃金労働者として大量に流れ込み、労働者階級が形成されていった。

 このようにして出来上がってきた資本主義社会では、さまざまな業種の資本家企業が社会に必要なすべてのモノの生産と流通・販売を引き受け、各企業が、それぞれその役割的運営を維持するために、まず必要な生産手段と労働力をそれぞれの市場で購入するために必要な資金を得るために利益をあげ、その上で企業の所有者あるいは経営者である資本家グループはそこから上がる利潤を分配しあい、それによって自らの私財を形成してゆくという仕組みである。

 この仕組みは、資本家企業同士が自由な競争を行うことで、法人としての私的利益を最大限に追求しながらこの社会特有の方法で社会全体の利益を資本家同士で互いに分け合う形になっており、商品市場では競争によって特定の企業のみが不当に高い価格を付けられないようになっている。しかし、それは互いの激しい利益獲得競争によって結果的にそのようなバランスを保とうとする形であって、現実にはつねに「儲け頭」になる企業や損失に苦しむ企業が存在する。これは一般には「需要と供給のバランスによって適正な価格が形成される」という形で受け止められている。

 こうして資本家企業は「私的利益追求の自由」が社会的に保証された形で、投資家から資金を集め、それにより生産手段や労働力を自由に購入できるようになっている。

 しかし、自らの労働力しか財産を持たない労働者たちは、それを資本家に買ってもらい、その賃金で生活しなければならない立場であるために、資本家企業に就職し、その人間としての能力(労働力)を資本家企業の利潤増大のために提供しながら働くのである。

 そして彼らは資本家の工場で自らの手で生みだした生活資料を、市場で資本家から受け取った賃金と引き替えに買い戻すことで生活を営まねばならない。しかもつねに資本家企業同士の競争の中で、解雇され仕事を失う危険に晒されているのである。

 こうして資本家階級が労働者階級を支配する産業資本主義社会特有のモノづくり体制、つまり今日の社会の生産様式の原型である資本主義的生産様式の基礎が確立された。

 (注:この辺りの歴史的経緯についてはマルクス「資本論」第1巻第3編「絶対的剰余価値の生産」と第4篇「相対的剰余価値の生産」に詳しく述べられている。)

2.2.3. 資本主義的モノづくりの基本的な矛盾

 どのような社会においてもその社会に必要なモノを生産し、それをその社会の構成員が消費する仕組みが存在するが、資本主義社会では社会的生産と消費は流通場面での商品の交換を中心にして成り立っている。 

 それは、「商品(W1)」——「貨幣(G)」——「商品(W2)」--」という過程を繰り返し、ある使用価値をもった商品と別の使用価値を持った商品が貨幣を媒介として交換され流通するが、資本家はこの同じ流通過程を、G(貨幣資本)——W(商品資本)——G’(貨幣資本)--という面でとらえ、最初のGより量的に大きいG’を得るために商品を売り、その過程で資本を増殖する。

 つまり資本家にとって商品の使用価値(有用性)を生みだすことが第一義的目的なのではなく、商品の使用価値は、交換価値(価値量だけが問題となる抽象的価値)の媒介物としてのみ意味を持ち、第一義的目的は価値の量的増殖なのである。つまり、社会的生産の本来の目的と手段の関係が完全に逆転したのである。

 貨幣を持った資本家が、商品市場で機械設備や工場などモノづくりのために直接必要な手段つまり労働手段と原料や補助材料などを含めた「生産手段」を購入し、その生産手段を用いて商品を作るために必要な労働力を「労働力商品」として労働市場で購入(労働賃金と交換で雇用)し、その労働力を生産過程で生産手段と結合させ、労働として発揮させることによって、商品として売るための生産物を作り出す。

 一方で、自分の労働力を資本家に売り渡し、資本家のために労働した労働者は、その労働力を日々の生活において養い再び労働力として再生産できるために必要な生活消費財の価値に相当する貨幣つまり労働賃金を受け取る。資本家にとっては労働者に支払う賃金は自分に富をもたらすために必要な労働者の労働力を維持させるための労働力商品の価値なのであり、労働者にとってそれは、自分の労働力を資本家に再び売り渡せるようにその労働力を養成するために必要な生活消費財の価値なのである。

 その過程で如何にして価値の増殖がなされるのであろうか?

 その秘密は、G――W――G’の中身を見れば分かる。それはG――W――P――W’――G’という形(‘は増加分を表す)になっており、ここでW’> Wとなっていることが分かる。つまり資本家は生産手段と労働力という商品を買って自分の所有する生産手段を使わせて労働者に労働させる、つまり労働者を生産資本Pの一要素として機能させる過程で、その生産資本の価値より多くの価値を持った商品を手にするのである。したがってこのW――P――W’ の過程で何が行われているかが問題である。

 このP(生産資本)は生産手段と労働力という商品で形成されており、それらの商品の価値を生みだす源泉は労働である。その労働によってモノを作らせる過程で労働者の賃金分に相当する価値を生みだす労働時間を超えた時間の労働、つまり剰余労働によって生みだされた剰余価値部分も含めた彼らの労働の成果である生産物(商品)を、資本家自身の所有物として手にするのである。上述した様に価値は人間の労働が生みだすものであり、例えば、労働者が日々5時間労働すれば、自分に必要な生活消費財分の価値を生みだすことができるとしても、実際には例えば10時間働かされて、その倍の価値を生産物に対象化している。言い換えれば、資本家にとって、労働力という商品は、それ自身の価値以上の価値を生みだすという「使用価値」を持った唯一の商品なのである。

 この生活消費財価値の形成に必要な労働時間を超えて働くことで生みだされた剰余価値部分が生産物には含まれているが、生産物にはどこにもこの必要労働時間と剰余労働時間の区別は書き込まれていないので、これを商品として市場に出して売ることでたとえ「等価交換」のように見えてもこの剰余価値部分から得る価値は無償で資本家の獲得する利潤となるのである。こうして不当な「労働の搾取」が公然と行われているのである。

 資本家は、これを以て自分の生活費はもちろんのこと、再び新たな富を生みだすための生産手段と労働力を購入する資金を得ることができるのである。

 一方労働者の側から見れば、彼らが生きるために必要とする生活消費財商品も自分たちや別の労働部門で同じ様な立場のもとで働く労働者たちの手によって生みだされたモノである。

 労働者はもらった賃金によって本当は自分たちの労働が生みだした生産物(つまり社会的生産の目的となるべきモノ)である生活手段を資本家の商品として買い戻すことで自分たちはそれを消費して生活しなければならないが、その生活消費財商品の購買において労働者が支払った賃金分の貨幣は再び資本家の手に環流し、資本家たちの増大した富になるのである。

 労働者はその賃金で買った生活資料を生活の中で労働力を維持するために消費し尽くすが、彼らの手元には最初から剰余労働分の成果はなく、再び自分の労働力を生産手段の所有者である資本家に売り渡すことでしか生きて行けないのである。

 一方、つねに競争にさらされる資本家の立場からすれば、いかにして同じ労働時間であっても生産量を増やし生産物1個当たりの相対的な剰余価値部分を増やし、それをもって市場での価格競争に勝ちながら、利潤を最大限獲得できるかが大きな目標となり、そのためにできるだけ生産性を高め短い時間で多くの商品を生み出すための生産手段の改良や仕組みを「合理的」に考える。

 そのためこの相対的剰余価値の増大を目指して資本主義生産様式はその技術的生産力が著しく高められたが、その「合理化」は決して労働時間を短縮し労働者の労働を軽減するためではなく、「自由市場」での競争に勝ちながら最大限の剰余価値をもたらすために過酷な長時間労働や労働内容の強化が違った形で維持され、でき得る限り多くの利潤を得るという逆転した資本家のモノづくりにおける目的意識がつねに貫かれているのである。

 このことが産業革命に見られるように、資本主義生産様式特有の分業形態や労働形態によるモノづくりの特徴をもっとも顕著な形で顕在化させていくことになり、この体制が基礎となってその上に築かれるさまざまな輸送、流通、販売などの分野でのさまざまな資本主義社会特有の分業種の登場によって構成された生産・流通様式とその上に築かれた生活様式が「近代社会」といわれる歴史的に特有な社会形態の基盤を構成しているのである。

2.3. 資本主義的分業形態の発展とモノづくり労働の変質

 そこで資本主義生産様式の確立によってモノづくり労働の内容がどのような形態に変化し、変質していったかについて見ることにしよう。

2.3.1.「産業革命」による資本主義的分業体制の登場

 もともと西欧文明の歴史においては古代から中世までのヨーロッパでは、古代ギリシャ時代の”Tekne”やローマ時代の”Art”といった語は職人的モノづくりを意味し、その中には美的な芸術表現と設計的な意味の両者が未分化のまま含まれていたと考えられ、工人や職人の仕事に含まれる能力の全体的内容としてとらえられていたと考えられる。

 中世の職人工房ギルドにおける、親方と職人たちの協働体では、特定の生産物ごとに独立した分業の形(例えば靴工房、縫製工房、陶器製造工房など)を取りながら、工房内部では、作業の内容は分業的に別れて分担されていたが、一人一人の職人がローテーションによって一通りすべての仕事を経験してそれらに精通することで、一人前の職人として自立しそれぞれに適した役割が振り当てられ、その中でもっとも優れた職人は職人たちを統括し、そこで作り出されるモノの全体像を考えるマイスター(親方)になったと考えられる。

 しかしオランダなどに見られるような初期産業資本主義時代での分業化した家内制手工業の登場で、従来のギルド的職人工房が行っていた工房内作業分担の場合にように、持ち回りで順番にいくつかの分業化された作業をこなし、最後にすべての作業に精通した職人が育つという技能教育的効果を含んだシステムとはまったく異なり、最初から資本家による生産効率のみを目的とした作業の細分化が行われ、職人たちの仕事は技能養成が不要な単純作業に変質していった。

 このモノづくり体制の変化は家内手工業から、やがて工場制手工業(マニュファクチュア)と呼ばれるような各段階で単純化された分割労働に、それに対応した作業機が導入された生産体制をとるようになり、商品の価格を下げて商品市場での競争に勝つための必須な方法として、生活資料の商品化の進展とともに、ヨーロッパ全体に拡大していったのである。

 こうした細分化された単純労働によるモノづくりは必然的に一方でモノ全体のデザインをする仕事が生産的労働現場から切り離され奪い取られ、職人たちが持っていたモノの使用価値への目的意識は完全に失われ、質の高い使用価値を生みだすための「技」や職人的誇りも失われ、それとともにモノづくリの目的意識は売ることを目的とした資本家の意図に支配されることになっていった。

 モノづくりの目的意識は生産現場から離れ、それらを商人的立場で推進する資本家の頭の中にのみ存在するようになる。しかし資本家自身は元来、使用価値ではなく交換価値を求めているので、モノづくりそのものへの関心はなく、当然その経験もないから、あらかじめ作り出されるべきものの姿をしっかり描き出すことなどできるわけがない。そこで資本家は自分のために工場で生みだされる製品の全体像を自分に代わって考えてくれる新たな頭脳労働者を求めるようになったと考えられる。

 こうして一方で分断化された単純労働に従事させられ生産物全体の姿を考える能力を奪われた生産労働者たちが存在し、他方では分断化された労働内容を「売れる商品」という資本家の意図を生産物全体の姿として反映させるために、それをデザインする独立した職能として登場させることになったのである。いわば資本主義的生産労働の疎外の両極形態として。

2.3.2. 設計技術者と芸術家の乖離から生まれたデザイナー

 ギルドの親方がいなくなったとはいえ、生活消費財はこれまで生活において用いられてきたモノを参考にすればそれと同等のモノをマニュファクチュア工場で効率よく作るのはそれほど難しくはないと思われる。かつてのギルド親方的能力のある者が資本家に代わってそれを専門的に行うこともできたであろう。

 しかし、「産業革命」の過程では、生産過程に機械が導入される様になったため、工場などで用いられる生産手段として高度なメカニズムを持つ機械類や、増大する大量な物流の処理に必要な新たな運輸交通手段などの様にこれまで存在しなかった範疇のモノづくりへの需要が現れ、それまでの職人的経験や知識では到底それらの新しい範疇のモノの姿を描き出せなくなっていた。

 そこで、社会的に要請されたのが、それらの新しい使用価値を持つ生産手段を考え、全体の仕組みや構造を描き出せるような知識と技術を持った頭脳労働者である。彼らは一定の工学的知識を身につけそれらの知識を応用して作り出されるべきモノ(主とし生産機械や運輸交通手段)のメカニズムや構造、それを生産するために必要な方法やその姿などをも考案し、あらかじめ図面などとして描き出すことに専念する頭脳労働者として産業界に現れるべくして現れたのである。

 他方で、建築などの分野のように、中世以来職人の能力として設計的能力と美的表現が統一された領域から、ルネッサンス以降になって、王侯貴族や新興富裕層のための装飾品や美術品を制作する専門的美術家が現れ、室内内装や家具調度品などにその専門的能力を発揮する装飾美術家などが職能化されていったと考えられる。彼らは、貴族や豪商などをパトロンとして生計を立てていた。これは後述するようにやがて資本主義社会特有の奢侈品産業の一角を形成する分業種となっていったといえ、それら職業芸術家たちの生む芸術作品は一般庶民にはほとんど無縁な存在であったといえるだろう。

 やがて産業革命期には、大規模建築物などの世界では、近代的な建材などを使った建造物の構造を設計する技術者と外側(Faccade)や内部空間を装飾する応用美術家の仕事が異なる分業種による協業として行われる様になったと考えられ、それぞれの職能的立場の違いによる統一性を欠いたデザインの建築物も登場した。例えば、鋳鉄など近代的建材や技術を用いた構造でありながら、外観はギリシャ神殿の列柱の様なデザインの建物などが登場する。日本でも大正から昭和初期の銀行などの建物に多く見られた。

 やがて人々の日常生活用具(例えば家具や調度品など)が産業資本家による工場での量産商品として作られ売られるようになると、エンジニアが生産工程などを考慮しながらそれらの製品を設計し、応用美術家がその装飾などを考えるというつくられ方も登場したのである。

 そのため19世紀の西欧ではこうした建築物や、工場から生産される日常生活用具のデザインの質的な劣悪化が問題とされるようになり、この憂うべき状態がもっとも進んだイギリスにおいて、後述する様にこれを批判するモリスらの工芸運動が興ったのである。

 しかし、こうしたデザインを「醜い」と感じたのは、すでに教養を積んだ一握りのインテリ層など洗練された美意識を持った人たちであり、圧倒的多数の一般庶民はその装飾を付けたデザインでもそれほど違和感を感じていなかったと思われる。だからこそそのようなデザインが当時の市場では受け入れられていたのである。

 建築物や生活用具に関しては、近代以前の歴史の中では、その用途を実現させる方法とともに作り手である職人のモノのあり方に対する自己表現も含まれており、そこには直感的・経験的に理解できる比較的単純な物理的法則性(いわゆる「ナイーブ・フィジックス」)にもとづくモノの仕組みと作り方を考えることと同時に、作り手自身の美意識やクラフトマン・シップという形でその用途とともに表現される倫理観の表現も行われていたといえる。職人の仕事はいうなればエンジニアと芸術家の要素を兼ね備えていた、あるいはそれがまだ未分化な状態であったといえる。

 しかし資本主義生産様式の中で、その倫理観を含む美意識の側面が資本主義的生産様式特有の頭脳労働として労働手段の機能やメカニズムを考える設計技術者という分業種として特化され、生活手段としての生産物(生活消費財)をつくる労働からは切り離されてしまうと同時に、その作り手の美的倫理的表現の側面も失われてしまったのである。

 一方で家具や調度品などの生活資料を生み出す労働は、細分化された労働が機械を用いた工場生産が主流を成すようになったが、その生産物の作り方や形状などを考えるのは経験に基づけば工学技術者でなくともある程度は可能であり、生活空間での美的表現が要求される場合は、従来の装飾美術家(これをデザイナーと呼ぶ人もいるが)などがそれに当たったものも多かったと思われる。

しかしそこでは産業革命以前の職人的労働にあった生活用具としての機能と外観の統一された姿に表現される美や倫理性「用の美」は失われ、いわば「取って付けた様な」装飾となっていったと考えられる。そのため、生活用品においても工業製品として生み出されたモノはあとから装飾をくっつけるといった安易な形のデザインが出回るようになっていったのである。

 こうした当時の風潮に嫌悪感を抱く上流階級出身で「心ある人たち」の中に当時の社会主義運動の影響を強く受け、社会的倫理観に燃えたウイリアム・モリスもいたのである。

 モリスはこの不自然に分業化されたモノづくりに対して直接的に機械制工場生産そのものを否定し、中世社会の職人工房での民衆のための手作り製品を一つの理想的モノづくりの世界として対置し、社会倫理的には当時の社会主義運動の影響も強く受けつつ、その実現を目指して「アーツアンドクラフトムーブメント」を興していった。

 その運動は生活者の立場で良質の生活用具をつくるという意味でその後のデザイン運動に大きな影響を与えたが、反面で機械製造を否定して手作りを主としたため、すでにモノづくりを支配していた資本主義生産様式により生みだされる商品が市場を通じて供給される社会では、当然手づくりの高価な商品にならざるを得なくなり、皮肉にもモリスの意図に反して一部の上流階級の人々にしか受け入れられないものとなってしまった。

 資本主義経済は機械による工場生産という生産方法をその生産物の供給の場である市場競争に勝つための手段として開発してきたのであって、その生産方式の面だけを否定してみてもそれを支える経済的仕組みがある限り、その生産物は商品市場での競争に勝つことはできないのである。

 しかし彼の運動が残した遺産は後にイギリスの個人住宅デザインという一品製作的生活資料の世界において新しい流れを生み、やがて社会変革が訪れた20世紀初頭において大陸での工学的技術を積極的に採り入れたモダン・デザインの流れのきっかけをつくっていったのである。

 しかし、このモリスの運動は、当時は”Arts and Crafts movement”という表現であり、”Design movement”とは言われていなかったようである。これを近代的デザイン運動の先駆けと見るのは、1949年に”Pioneer of Modern Design”として近代デザイン運動の歴史的流れをとらえたN. ペヴスナーの影響が強いと思われる。

このモリスの運動を思想的に引き継いだと言われる20世紀初頭のドイツ工作連盟(”Deutsche Werkbund”)でもデザインという表現は用いられていない。そして第一次世界大戦の直後に登場した”Bauhaus”運動では近代的工業技術とクラフトマン的工芸の精神を統合した新しいデザイン観を打ち立てたが、それはあくまで「建築」というコンセプトで統合されたものであり、現代的な意味での「デザイン」とは若干異な