Title 支那奥地産鹽技術の技術史的地位 東亞經濟論叢 (1944), 4(1 … · Title...
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Title 支那奥地産鹽技術の技術史的地位
Author(s) 島, 恭彦
Citation 東亞經濟論叢 (1944), 4(1-2): 80-100
Issue Date 1944-09-12
URL http://hdl.handle.net/2433/128752
Right
Type Departmental Bulletin Paper
Textversion publisher
Kyoto University
_______.__I.___I.■■■▲
所 究 研 済 軽 亜 髄 雷 も 習 欝 嘉
教戒・萱第 雀 匹q箱
月二十・九年 九十和 昭
(蕪
鞄
載)
支那インフレイシオン亡其の封策・・・・-・・・・-・・・
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近岨初期に放ける克郎異.LLzFy・・・
貞
支部奥地産堕技術の技術史的地位…
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島
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彦
支
部
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小
卑
--≡----
--
---
穂
積
文
雄
孫
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の
民
生
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出
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東 毅 閣 斐 有 嘩 書
∴ ●' I、IL:・・・・ 帆 r J
=やし.I.: '-r- ~ _、/'.・‥.L
∴ .」 ・' ・-、.㌔ / T∵ . i.
支那奥地廃盤技術の技術史的地位
第匹塔
八〇
第
一粧
八〇
支那奥地塵崖技術の技術史的地位
鴎
「
四川省産堕業及び童塵技術の概観
支那奥地の産磨技術、特に四川省のそれは相昔古くから中国人のみならず'十九世紀末以乗遠-西南支部方面
を放行した猷洲人の間でも注目されてゐる。英は里に生括必需品たる壁の生産に関係LLrlゐるからではな-、技
術史
一般の問題から見ても興味深i封象だからである.支部では機械技術以前の技術で欧に早-手工聾的な域を
耽LP大規槙化し'産柴化してゐる例が少くないが、四川省の産屋技術は正にその通例であらう。
、
一般に支部の古代技術が達成した五大事糞として'寓里の長城'大連河'
杭州の海塘'
硬麻
(四川)の濯概工
事'そして自流井
(四川)
の蓮井があげられてゐる聖
これによっても四川省の産塵技術'
殊に蝶塵技術が支部
の倖枕的定菓技術の中に占める地位をほ2推察することが出来ると思ふ。それはあ皇息味で機械技術以前の技術
が到達し得る極眼を示すものであ-'書カはこ1
忙輿
へられてゐる適切な例を分析することによって'
]つの側
面から支部技術
l蝦のもつ早熱性
(それは他面から
見れば停滞性である)の原因をある程度明かにするととが出来る
.
.
..,
.
.:.‥
.
.㍉
、:.''.'''.'
'
.ミ
t
でもある。
問題であると同時に'また技術史
l股の問題
註
四川殊に向流井の国策及び技術を畢柳に侍へたのは英国人探陳家ギル大尉
(WLEtamGl)))の旗桁詑
(ThLIRiverof
GotdenSand.Vot.tr.)880)成都の英国領事ホ・・,hl
(AJexanderHosie)の試合
への朝舌苔(1885)である.
ヽヽ
さて四川省の産歴技術の特徴は所謂井塵の採取方法にあるのであって、これは河北'
山東、
江蘇、
析江、
摘
ヽヽ
達'席末等の滑岸諸省に行はれ
る潅輿の生産方法と比較すれば直に明かになる。青々
はまづ順序として海堕の生
産方法を見よう。/
1.
海腰の埠席
これは世界到る虞の滑海地方で行ほれてゐる天日梨嘘法であるO
まづ満水を
堅田に凍み上
-‖1
.-1lノ(
J.qノレ′・ー[-■La不~E.-.T
・.~、・月7人"日刊・.IT]′JU,I.L,、ュ):Tt
1741-_EuJ
AT.Y=T・-∫,.パ
,7日l・i,.
特に前者は最も原始的且つ簡革で生産費も低廉である。キングも「四
千
年
の農民」
の中で言ってゐる棟に.それ
は潮と日光も風とによる生産方法で'これら自然的諸要素の作用と季節の推移と'そJlてこれを補助する原始的
o7
な人間労働との競合の中に行はれるものである。だからこれは本質的に鼻糞生産の工程に等Li.この生産に用
ひられる勢働要具乃至補助具も潮水汲上げ用の大製風車'曙革.窪田耕起用の餓鍬.地ならし用の鞄軍
歴を掃
き寄せる掃帯等であって'これらは鼻糞に用ひられる努働要且あ
雁用乃至襲形したものに他ならない。
海塵の生産が、生産工程及び努働:*具より見て農業生産に類似してゐると云ふだけではな-、それは現管に農
業の兼業として農民の努働忙よって馨まれる可能性の多いものであるo蓋し聾田に於ける天日製盟は普通五日か
支部奥地養鰻技術の技術史的地位
策田巻
八
1
第
1親
八
l
2),King,FarmersofFortyCentur]・eS3) 中国国政賓録,罪-m。
支那奥地産嘩技術の技術史的地位
第四番
八二
第
1戟
八二
ら九月までのglヶ月乃至五ケ月間植捜し得るに過ぎないから'同株に季節的に繁閑の差あ
る農業労働と両立する
ことが出来るからであも
促令・1ルガシェフの棟に晒腰工税と前垂
工程との期間の合計が年聖
二
0日になる
■1
と見ても'其庭
に憧業努働者と云ふ準
且の範噂が生れるがどうか疑問である。何故と云ふにiこの二つの期間は
右
月も中断してゐ乙からである。塘するに縛姫先確は'季節に左右され'季節的な努
働亭列を以て行はれる顛
=l]一丁一ヽロ
t.TIT.I_IiT.・J
L
註
国光勢健が農業労働との無難である事案については、析江省、北藍壁場に関する攻S託銀を見よ
O
「坦戸非専以晒埋茶業O十九東作農工o加豊田化時。均冊垣埴停晒。如農事閑暇oaIj東壁可多lTm成
本
皮少o」(中国堅政箕録
等
.Ellp.I
2.井堕の生産
この場合まづ第
1に感ぜられることは'井盟の生産は捧蟹の生産の桜に単なる農業生産の延
7l]T]77々チr]丁
長
ではな-、
l地域
に集中して大規模化し'綿
工
業
化
し
てゐると言ふことであるO例
へば自流井を最初に訪れた
外囲人の印象がさうであった。
一八七七年英人ウイリアム
・ギ
ルは攻の棟に述べてゐるO
「この町に近づ-につ
れて、これをと11ま-高い櫓
の群がまづ旗行者の注意を引-。あるものは岡の頂上に'他はその中腹に立ち、下
め方の川岸にも少しぼか,=立
ってゐる。遠くから見ると'この櫓は恰も英国のある工業都市の高い煙突
の標に見
えるSJ
併しこれは軍なる放行者の印象に止るものではなく,菅際井賢の生宏工程の円部竺
笑
っても決して誤
-でないことがわかるのである。
B・Torgasheff・Saltin China andEIsew】ほ r 〔L,ChlneSeEconomicJournal.γol.4.1924.
6) W・Gill,TheRiverOfGoldenSand・vo日 .17)∴295
四川省井塵の生産はtm然門畢lrEの綜合作ttm・から出来上る梅盟の生苧
/一は違って、弊働封象の国難さを明かに
L..__I._I
.-
l
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I
t
t
雷
t雷■t
l
t雷
自覚し'これを克服しょうとする驚くべを人間労働とその鼓術的知識の集積の
上
に成立
つものである。即ち'地
下二千尺乃至二幸
尺にまで掘下げ棟とする腰井器具
-・現代珠油用若井磯を以てしても二千尺内外が経帝的眼界
であることに注意せよ・-・この深度の塵井から
水牛数十頭を交代に用ひて醤水を
改上げる地上
六'七十尺の柏
(天東).こ1から前蓮
場にまで'遷きは十七安里
(≡里)を数百本の竹製幹蓬管を以て塵水を送る装置'更にこの
盟水を地下から噴出する石油ガス昇
火)で以て多きは
六、七百佃の鍋を糊ひ節義
する工程'
これだけ述べたゞ
けでも'四川の産腰技術が機械技師以前の技術の達し得る極限を現す土石つた私の言葉が決して誇張でないこと
がわかるであらう。
更に経歴生庸S.城介JJ比拝して考へられる特色は.甥働二時が季節的に漣行せず'むしろ巷間的に"
或
は分菓
的
に鮒列r・-,れ;J
t;I{Bと】i==JでJ-Jt.rl.のろ。こ1.では勿論HqJ/En製矧昌
而はれ声
.牒僅工程
土E:噛
工程とは行機的咋縦
ムロしてゐる。
そ
れ誠にとの二づの工程は季節的に中断乃至交代することな
く
一年を通じて同時に営まれてゐ
tイコ
る。従って第
1に按摩工程定検富する井戸二
刑…塵工程に従事する仕戸'聾水冷遠
を管甥する鳩声等の社骨的分業
が生じ'第二にこれらの各生産工程の.E部に於ても'司機'産火'聞雪
山匠.
牛牌
(以上井戸)'燦撃
相子匠
匠'盟水挑夫
(以il仕EJ.鳩山匠'串水匠、巡硯匠
(以上偶戸)等の事業部分労働者が発生し'それ′川卜特別の労
働貸銀が定められてゐpd.〇これらの労働者こそ
トルガシ17の云ふ璽
芸
範噂として原発労働者であり・又近代
的な貸鍬労働者に近い性格をも持ってゐる。茸際四川塵業の駅路の梗塞が目立って衆た民図十八年以釆'塵工の
間にしぱく
同盟票
晋
へ起ってゐるのであTか・要する望
口々はこれらの事変を通じて非常に古い廉史を持つ支
支那奥地産室技術の技術史的地化
第四巻
八三
第
7前
八三
7) 額装週報,第四〇三葡鮎B) 鎖策週葦払 第五四所O
\
-
支那輿他産捌技術
の技術史的地什
第四番
八
E
n
罵
一光
.八
四
郭的な座業
マニュフ
ァクチ
ュア-の存在を感知することが出葬るのであるO
こ1で昔々に起る疑問は、何故に支那歴史の極めて古い時代よ-tJ。tE:謂
「腰井賓孝
三蕪化J
の現象が起って帝た
か
(四川師井の担源は薬代にあ-、hJS直属におも・.ひいたのは哨
光の頃である)圭
L1ふことであ-'
又伸統的確恥,.#技術
上しては極めて<
'規模な席傑技術が'何故:か
11・る古代よ-支那乃掛.他〝化よ-戎巨ぺし軒当山:LU朽1・.Jド-。LT・で-
yr:」11・′より,]ノ/lノ7
ー二]
・,JであJhJy)~
こかは云はゞ四川茄酌叔術の耗軒的基礎を淡叩することてもあ-T噸拙詫柴の仙壷
としての四川盟業
の性格を放鳥することであって.また別個の論題をなすので'紙面の都合上省略するとして'本稿の問題に必妥
な限れに於て極-簡単に述べて見よう。
1-
奥地控解に於ける堕の特殊性
豊富な梅腰の定する滑
満諸省
に較べて'支部輿地の素姓清にとって塵は粍
封的必需品であ-.普通の商品以上の地位を占める.其故に所熊'芸甫'所蔵、ビルマ
地方では塵の通貨が流適
し'塩の取引については収奪的商巣が行はれ'猫古的南米利潤が教生することは'
マルコ,ポーロの時代から謬
められてゐLJo四川の盟業及び産閤技術はか-る墳碓経緯の環境の裸にあって'其麿に生じた猫古的鷹巣利潤の
基礎の上に成i止したものである0
2.
奥地市場
の猫占
四川睡柴
の行鏑地域
(販路)は四川'貴州'内壁
廿軍
内蕗及び揚子江によ.る水道の及
ばない湖北、湖南の奥地である。この且へ他市場は山岳地帯や所謂三城の険等の自然的防部によって取り樹まれ'
東は諜塵
(河北撃
'惟歴
(江蘇g).山東讐
南は竹韓等の年.寮費の安い梅盟の托磐から護られてゐるD四川の聖
菜は虹常な市場で考へられない様な探耳鮎を越えた役立と瑞nJの精饗を粥てしてゐるために'お鯉に較べて透に
ウイ ッ ト7オ-ゲル,支那の紺 野と融合,下観 邦諸, 一三 三夷以下oTheBookofSerMarcoPolo.ed.byS]'rHer]ry、lruLevol・ITp・45,54・
9)10)
高い生産費を持つにも拘らず
(例へ'.Tf聖
PL-,ノ生産讃'長頭撃
C)・〇八一元.四川室
員軍
l二
元'垂向事冗).而もなはそ
の上に猫占利潤を収めて企業と
して成立ってゐるのは.か1る自然的倖件に基く奥柚市場狩占のためである.
3.産確の自然的集中
四川第
一の望場たる富乗場
(Em井'安井)には含讐
雪の盟富な聖水を出す壁井の大部
分'前垂
工粗の燃料に供する火井の70()パーセントが存在するO従ってこの窪場の年産額は全省産額の五三%
・T
に蓮するOこれだけの産額をもつ塑場が揚子江の支流柁江倍岸の1小地域に集中し二Eも人口六千六首肯を有す
る全国第この頃大在灯.錨地隈と持ってゐるのであるC井底に大規模産業の成立しない筈はない.
以上が四川の漣兼と岸壁技術を安
へてゐるf/・.a僻的な基盤であった。肝し私の常滑の閉講はこの度ar奴術の支那
政所史に放ける荘葛な地位と輝明すき′H,-LfJ・Jlめっか(.堕諾うれ咋
樫桝的*L凧に支持rJかて四日聖殿盟政術が如
何に早朝的な成育をしたかJJ11rTか捌kT=よ-も'それが外見上の大規模性にも拘らず、やはり支郡の傍流的産業技
術の
一環として如何に停滞的な性格を壌厚に持ってゐるかと云ふ側面を照し出すことにあった。そのために
1暦
順序として支部の億茂的崖蓑技術の嘩厩
を概親しておきた.So
〓
支部停
蹄的産業技術
の構成
さて支部の傍流的産業技術を仝盟に亘って展望すると云ふことは容易ならぬ問題である。けれども
と・
では現
川
にこの間題の周達にだけでも漏れて見るために'明末の稜術
書
「天工開物」
を
1つの手
耕-として利用しよう。
けだし
「天工開物」は支部の技術書中で可成り帝い範園に亘
って常時の民間
産光技術を
取扱ってゐることゝ'硯
支部奥地産塑技術の技術点的地懲
第四
箸
八五
第
一戟
八五
林振軌 圏政辞典。銭骨胎,四JIl細野参考更科。私の利用 し得T:末席星普 「天工開物」はELEr,I;1八年CJ日凍版九勅であるO これは和歌山高商圏書館坂のものであっ7:。,:れ以外に最近の三枚氏編の ものZL_f7も丞考に供 しT:0
支部奥地産藍技術の技術史的地位
第四番
八六
第
1就
八大
代支那の産業技術が仝鱈としてこの時代の水準を甚し-出てゐないことゝのため
に'
この書物は寡聞
的にも時間
的にもこの領域に封する便利な概観を典へてくれるからである。
この竜の取扱ふ技術は大隈食料生産部門'衣料生産部門'抹錦冶金親門'交通部門'軍事生産部門、特殊豪菓
部門のそれに分けられるであらうGこの中後の三者は前三者に此較して故術構成垂鰹の上からさして重き
をおか
かてね沿
いか
ii7-J
・Tl
で
枕
許
略
し
よ
7.-
.JJ.!J′CLで締三薄の中でも侍に&.鮎のおかれてゐるのは食料垂達技術
.殊に
農業技術である。それは招種ー耕街「.脱穀精白.港概等の各工程に関して多様化してぬるばかりでなく
水力や
獣力の利用の鮎から見て'枝械技術以前の技術乃至労働手段に関する重要な問題を提供してゐるC衣料生産技術
の中では縦横
(特に官皆工堤の花機印も故紙織機)が高度の樺横的精綬さ堅不してゐるが、それ以外に努働手段とし
て特別の興味を引くものも見られない.珠鏡冶金'特に金展乃至鏡石精錬に関して淑上げられてゐる努働手段刀
it
至装置は・その種類や教から見れば農具に劣らぬ程多いo併しそれはたゞ鋸石の種操によって多少異るが'精局
大同小異の熔鏡櫨や精錬蛙に過ぎないOこれ等の労働要具はフランツ
・マタレの言葉を借用して煎密に規定する
〓
ならば、道具に封する
「装置」であ-.これ凡その極めて古い塵史にも拘らず'近代の化畢工巣が襲達するまで
は道具乃至機械の敦達に較べて著しい停滞性堅不したと云ふ特徴を持つものfJある.たゞ支那人の技術的才能を
つィゴ
現してゐるものは、金嵐の熔融'精錬に用ひられる風箱や鋳造用の鋳型等であらう.珠錦技術については、珠腰
技術との関係上特に後に述べるが'結局は農業技術の延長に過ぎたいのであるO
ととろで菅J(は
「天工開物」を通じて見られる支那の停紀的技術に臨する個々の知識を整理して'その技術史
(軽
'-
葦
14) FranzMatare,DieArbeitsmittel,Machin(ラ,ApparatllTldWerkzeug,1913.
.
二
.
,
∴
.
.
.
.
T
.・J-
1
・J‥I.I/・.・・・
.∴
..-
.
.
-
...・
的段階を把握するために'技術のCLL達に関するゾ
ムバルトのテーゼを借用して来よう.JnL=Jち
「近代技術のとった
一新しい費展の特徴は'生きた自然の制約からの解放であるJ
と云ふ嶺の主張である.この主張てのもの簸
て伺
ほ批判の飴地はあるが'少-とも十九世紀の産業革命以釆進行した技術的凌展の特徴は'技術の立つ素材の鮎か
ら見れば∵有磯的自然即ち植物鼎、動物界に依存してゐた偉銃的産業技術が'無碑的自然打ち綿物界に依存する
近代的産業技術によって墜倒される過程であったと言
へようO
例
へば工作原料に於ては、木材、皮革
麻
(支部
に於では竹材が特に附加されねげ・'-I.らぬ)に代ふるに銭、銅、鋼板.鋼索等'
加熱照明原料に於
ては木材'木漠、泥
琴
植物性、動物性油忙代ふるに石茨'
コークス'石油'石漠ガス等、染料に於ては背'藍に代ふる忙アtLリン
.PV止TヽT7]吐「Ll/.(t一ゝ」力一i・-一¶Jヨト1._]人\A)〓\L1/I.□]吐」.I..)I).I口.I〓リbTTT]lヽ
,
</I:I;、肥け忙/il・・Tl=・,Ttif.∴.ll・・Fr=Lト・:・pや
p。1iJぺ肥‖・・'..J・(.I:7こ闇川fT:.〓t
J-∵
、iJ:I'.rj=]!・ii'-:頂
けや(,:T・-;.I-
Jl・1T:蒜.t繭
た
と
解しては
ならない。珠鏑冶金の技術は人類の歴史と共に古いのであるから'何れの時代をとっても有
機的生
産と置別される無磯的私産なるものは存在したと1耳はねばならない。たゞその何れが主であり従であるかによっ
て'抜荷史の段階を劃する標識が輿
へられるのである。
斯様な見地からすれば、支那の偉銃的産業技術は農業技循及び憂苦~棉花、麻の栽培を基礎とするところの衣
料生産技術よ-成る有機的生産技術と探錦冶金技術を根幹とする無機的生産技術との二系統に分れ'前者は後者
に封して正に支配的な地位空
芸
てゐると言へ渇だらう.
「支部人の用ひる殆んどあらゆるものは鼻糞によって
再生産され得る植物性原料よ-成るものであpQ.Jと言ふのは多少言払過ぎであるが'西洋文明は鋳物的基礎の上
I
支那奥地産塵技術の技術史的地位
第四窄
八七
第
1戟
八七
15) ゾム7iル ト,技術の馴致,邦諾,技所】弓議,-・丑頁以下。
16) FrankGoodno.W・Chlna・anana]ymS-P・4:】・
\
支那奥地産藍技術の技術史的地位
第四番
八八
第1択
八一八
に立ち'支部文明は植物的基礎の上に立つと云ふ言葉は両文明の性格を明かにする
上に或程度の展望
を食んでゐ
ると見なければなるまい。共は又西洋に於ては抹鋳及び製錬製鋼技術があらゆる産業技術の基礎をなすものであ
か'支那
に於ては劫に農業捉術がか1る稚位を占めてゐると言ふことでもある.
I!近世の西欧にA,て、抹鋭i指金技術'枯監制者が
T切の近代産渠陵術の兜編むなす皇
芸
時、苧
蒜
攻の様な
緒
張
憎
む
汚,、払0たブEiU)軽
■・、仁子に足
・。、ノー1.'「
…〆1.TJ小げ.ポわあ御l
鍔iJt.讃祁即詩ホIv,・L・・.・・・れLE・一
・TJ.
中世以前の弊働手段
は木
和顛伽粕物性
動
物
性
素
材
を重
要な構成部分とする。其
故に近代に於ては銑鉄の採掘'及
びこれ
の
精錬材とな少、又椴械的動力
の振兵となる石衆の採掘に関する技術こそ'あらゆる産米捷術中の最も基礎的なるものでなければなら率いo萱
m
に技術史家ノイブルガ-旦
二円ふ標に
「採録な-して技術なしO」
(OhneBe
rgbaukeineTechnik!)とさへ言'(るの
であるO併しこれは軍に近代的産業技術がその上に立つ素材の面にのみ安富する言葉なのではない。宜に栂物性
改術が鎮物性技術によ
っておきかへられた結果'あらゆる産業部門からの需要が探鍛部門に集中して'との部門
がまづ大規模産業化L
t其庭に始めて近代的棟枚が導入された事管も同時に考慮する必要がある.例
へぽ鉄山排
水梯'鍵石持上磯'鎖石粉砕機等が始めて近代的機械の形態をとり'これに水力'蒸気力等の動力が磨用された
亭軍
また近代的蒸気機関が交通械関や工場に動力を提供する以前'既に&'山の排水ポンプに利用されてゐた事
賢等の例は多いo責に錬山用機械は近代西欧技術の蟹展に封して主導的な役割を具したのであったoこれは近代
17) Neubllrger,D ieTechn]'kdesAltertumsIS・4・
.
、
.
1
/
‥
・・
-・・・.ir~・-.・・・す・・・・・・卓
明朝に互大な足跡を止めてゐるのである.孜の考案した鏑石持上磯'水力、風力'獣力を利用する碑堪'複雑な
機構を持つ動力偉達磯.銅鏡製の軸受や歯車等は近代的横械の萱達に封して多くの暗示を輿
へてゐる三
百位れて
ゐ.0-.
支那の侍銃的産業技術に於ては'これと全く封照的に'主導的地位を占めるものはあ-まで直接的な生晴姿料
生産の技術'殊に畠業技術であり'探錦冶金技術はその古い歴史にも拘らず従展的な地位にある。まづ素材的な
見地よりすれば'古瀬支那の鋳造接衝の提供して衆た鋳貸'鼎'備像'鐘等は再生運行憩より脱落するか、笹に
流通行梓に止るものであ-'鋼や釜は食料生産技術に含まれるべきものであるoまた鍛謹技術を基底とする頻.
碓
r縫
.斧等は木工用の道具であり.むしろ砥粒性接絹に不可快のものと考
へられF金頃加丁周の鎚、朝
子、.磨
等
もと
れ社用ぶる支部の錆冶崖が農村経緯の碓鴇物である限り'近代の西欧で工具に輿
へられた様な地位を.L-紘
に輿
へることは出奔ないであらう0鋳鍛造部門が斯様な事情であるとすれば'探錦部門の生産物秒多-はこれら
の部門に流れ込むよ-も'むしろ直接生清資料の生産、或は楕費財、賓移財の生産部門
へと向ふであらう。例
へ
ば石衆のエ柴的利用が畢初に考へられたのは支部の滑嘩
河川を航行する外囲汽胎の燃料問題に関して
あゞつた
とも言はsi..支部人白身は今伺小規模穣行によってこれを炊菱用'暖房用に供してゐる。
eLI]
託
「天工開物」に
「葛巻以レナ甜チ
薦レス租L」
三石ふ言葉がある.産業技術の根底を相普洞蒸した様生一一日菓であるが.「天工開
物」を貫-支那の技術思想
が相子に封して近世欧洲人の所謂。Toolstomaketools"と云ふ榎な地位を輿へてゐたと考へ
ることは出爽ないo金鹿利用の少い支那の誓
農業聖
買Jは叉
別の意味を考へねはなるまい・蔑肝的技能を持つLj支那の鍛
支那奥地産堕技術の技術史的地位
第四番
八九
第
1耽
八九
18) Feldhaus,KulturgcSChichtedcrT'∋ch'Lilく・Ⅰ】1S・13-1g・19) William Collins.MlneralEnterpr】S・∈、irLChLna・20) 宋頗星,天工開物,罪+懸,鍾;暇。.
′
支那典地産増技術の技術史的地位
第四巻
九〇
第
r讃
九〇
鹿屋は簡素な針子と鎚と稚だけを以T.小は釘よ-大は細に至るまで、あらゆる鉄製品を作る=とが出来ると芸ふ棟生息味
にJJの言葉を解した方が1そう適切であると私は考へてゐる0
最後に探鎖冶金部門の労働手段を見ても'これまた西欧に於ける棟に近代技術の先駆となり得る様なものは殆
ん
どなく'大多数のものは極度に単純雪
盲滞支那八はこの簡素な道具む秘僧的な熱練によって補足して雅たの
tトpl=
累出してゐる場合には'饗TUへも摺仏られ繁
との鮎では瀬しく農柴指節の難題と見てよい。勿論斯様な弊働手
段を以て+/規模室
仇道の掘撃は不可能である.例
へば土法探茨の場合を見るに'直径五択.深さ首択程度の堅坑
が掘られ'細長-さいた竹を編んでその間儀を補強する.
通常水平坑道は掘らないO
若しその必要があるなら
.
ば'
Tつの堅坑に近接した虞に同様な堅坑が掘られる。この塁坑の掘整技術は'真民が推概用の井戸を開撃する
技術に酷似してゐるし・また石茨の持揚韓櫨には濯概井戸の開藍に用ひられるものと殆んど同様のも伊が利用さ
れてゐる。斯様な事章から推して.支那の鼻民が濯概用の水を求めてやわらかい砂岩の地膚を掘-起してゐる中
幻
にたまく
石淡を後見したのであらうと想像されるのである。
一支部の産莫技術は何鹿まで行つても直接的な生活技術の問題から飛躍しない。西欧に於ては中世的な植物性技
術乃至農業技術の封立否定として襲展して行った探錬捷術は'此虎では反封に農業技術の延長であ-鷹用である
に過ぎない。其故にまた探錦業は農民によって営まれる副業の域を祝しなかったのであった。採鎖技術が他のあ
らゆる技術の先駆を務めると同時に'自らをも推進せしめて行Y土石つた様な関係は支部では全く見られないの
21) 宋庶星,天工開物,第十四管,五金022)RudolfHommeLChinaatWork・pL31
である。
託
石炭番場用又は井戸掘-用の唖姫の構造は衣の様である0石炭又は土砂を容れる琴
南
を指した二本の竹製の索が石塔.
左巻と互に反封に観規の回持軸に量n,つけられる。其故にその軸の南端にと-つけられた二本のハンドルを二<の工人がま
Pすと中味のある寵が昇-同時に空の鴇が降-るO
三
四川窪堕技術の地位
以上に概観した様な支部の層流的膏等妓術の構成中でtEl川の産腰技術
(殊に探憧技術)がどんな地位をitめ
LJrh.⊃ゝLI4.31I斤,,I..乙]1-/t),1.i..)o
]tくl]〓〓」].FUノヽ1.]EW.∫T71tD,T']∃.)〉一_J∫.ヽ
1-7))二三一すL,i.I′一..THwL,′..1」J)ノ
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匡臣q妻薪こ<ノJル叶と1屋上セ〃研♂
WiPpヰ匂サhJ-ノ,U
・
。st目鼻LJテレー
ハPL塵α
生産工程'特に採盟工程日照より見れば'それは探鏑壊術の1系統であるとしなければならないOこ1
把持錦披
術の形態をとり乍ら'その目的から見ればあくまで食料生産故術であると言ふ四川産塵技術の特殊な地位が見ら
れるのである。
先帝四川の井塵は岩歴或は地中の盟分が地下水によって捧解されたものであると言はれてゐる。もし岩層が霜
出してゐるか'地表に近
-戚存してゐる時には'現に等甫省のl部に見られる桂に、幼稚な抹錦道具を以て採取
せられたであらう。従って珠堕技術は固有の探錦技術の形態をとつたであらう.併し四川省の場合には'岩屋骨
は地下の深部にあ-'それが溶解して壁水となっ
てゐるので'その採取には喝特の技術を要すること1なったO
I
支那奥地産車技術の技術史的地位
第四番
九l
第
7競
九1
支那奥地産磨技術の技術史的地位
第四番
九
二
第
一軟
九二
地下二千尺乃至三千尺と云ふ深層部
へは'主として努働力に任存する簡素な億続的搾5'技術を以てしては到底達
せられない。そこに磐井や盟水の孜上げに猫特の手段を用払~且つ人力を獣力にrLEつ
ておきかへるところの進歩
した工夫が生み出されたのであった■)併し乍らこの事菅を以て支部の侍続的環鎖技術.菅む
しろ産柴技術
一位Iu
四川搾腫妓術との間に質的な飛躍があつ
たと云へるだらうか。吾q・は四川柿餅技術の特殊な高い地位を認めつ1.
両もこれむあ-ヰ董
償枕的産米技術の1l盟として近代的技術と隈別して把捉すべきである。
変づ第
1に'こJには極めて長
い
「TJ・,Tア的郷間
川の中に締付に累積して行った紘絹がめるのみLLll汀lEh山柁雅
.1._hト.メ.,一「ノ‖H⊥
は見られないO青々は四川階蒜
の中心
自
流井歴業の起床や歴史を確賀な賓料によって明確にすることは出奔ない
;
が
'その地名の現す棟にー畢初この土地には努力をからすに白邦に壁水が湧出してゐたものと思はれる
。
これに
よって人は地下に塵水が含まれてゐることを知-'幼稚な整井要具や井水汲上げの道具rlそれは農業港概技術
の延長であるー
を以て比較的洩い地層から塵水を採取したのであらう0この場合には大した技術的困難を伴ふ
ことはなかつたが'歴水の枯渇すると共に次第に深い地厚へ掘-進まねはならなかったDそれと共に資本投下は
増大し、技術的設備は大規模化Lt井戸が崩豪したり、堅い岩層に行昔つたりする不測の危険が斡加したであら
う0併しこれらすべての経費と損失とを償ふ有利な自然的偉件が自流井には存在したのであった。即ち腰井が深
くなるにつれてPその中より採取される腹水の鹸度が増し'等量の陸水もその慣格が高まることである。人々
は
これに期待をかけて塵井
一眼に二十年、三十年と云ふ繁くべき年月をかけて掘りつゞけたのであらうOLJれが恐
ら-現在の大規接化せる自流井の探塵技術の匿史であると思はれるO
林 振翰,担 政尉典,買,四三東。23)
/
註
地下百丈'二百丈以内で出る・Wの膏即水と云ひ'二百丈以上の,Nlのを照水Iu云
・5.的二百六十丈程度のものを頃岩水と云
ふ。最後山ものは岩撃で人工托水によ-溶解させたものであるO自流井に於ける
各嘩水の含有撞貴及び慣格を耶せば左の如
し.(法
官縦、四川滞滞容考資料)
甥
水
名
黄 黒 麹
水 71く7l(
両 帝 嗣 毎
絹 銀 星逗 備
品 晶 系 輔
cT,-C3岩 畳% プ∠,qo/
毎粗厚相
」ハ角九分
五角七分
三
角
自流井'香四川登場
一般
の産顔技術の「教展」は、従
って塵井
の深度
の進む忙つれて増大する妓術的国雄
に止む
を得ず規定されたものであって'恐ら-投下賛本乃至投下倍働
二単位常わノの生産畳を桝大させようとする近代的
産米資本
忙固有な積極的意欲によ?・て推進された・ilJのでriあL4--い')恨命熊斡菜
の増加が見られス芸
しこも'他
瀞に
斡カヤ獣
刀の溺T・薮
浪費誼代ふ弘のであるiJとは多-の賓判によ
って推定出蘇るのであるo
J7ト
ルガシ/.フ
,7.
の調査を基礎として'四川固皿場
の額働者
一人普り年産塵量を日本'米国、支部海塵
のそれ人1
と比較して見ようO
国名又ハ野島名
米
国
(7九二五年)
日
本
(一九二五年)
支那漸江首輪妹句境
(一九二九年)
四川嘩堤
1井平均
勢
働
音
数
六、三〇八人
四五tOOO人
目八'000人
至九'〇〇〇人
、
二つ人
年
産
嘩
量
七'三七〇tOOO米噺
六七〇tつOC.=E
自
1.'rTIJoO'000刷l
至二.つ(〕().()〇L1日T.i
1二〇1=.:
労働省
7人指-
1.つ六1選
一四・八椛
試
験挑塑堤の労働者数は晒塑H積だけに使ほれてゐるもので、鮒蜂h
P相
の勢働有数を加算すれ1.
下するであらう0
Z人漕-崖蚤はもつL低
トル ガ シエ7,支部頚業労働論,邦鼠 六 三 ,一六四見。24)
支那奥地産腰技術の技術史的地位
第四番
九三
第
7耽
九三
、
/〆
′
支那奥地産既技術の技術史的地位
第四巷
九四
茅
丁紫
九四
四川塵場に於ける技術的設備
の相皆瀬大なるにも拘らず'米幽'日本は勿論.設
備の極めて簡単な海運生産の
場合の労働能率よ-も劣るのである。四川の産廃技術が正常な意味に於ける産巣資本の生産技術でないこ
JJ様か
1
る事葺を通じて見ても窺はれようO
従
って推概肘或は接触印の原紙的陣場暁碇から自流井の天車
(株式輿水准錫装置)への経展過程
忙於で'
勿論
多
;Lfi苅
1Jrf・17T
に摘花柑蛸
Lil指御社紙に克即し去/Jただではな
-・F.判
って今た性と.れむ巨JElの基底としてゐそのであ
る。
この事賓を理解するためには.自流井の探塵技術は塵井の深度と盟水の産量及び濃度に規定された特別の事
例であ-t
か・1る自然的催件を映-小塵場では
依然として人力依存の足曙式鞭塩
(花車)が利用されてゐること
り
を考
へればよい.
菖
天卓は敷本の木材を視上手
,.FL,G上に櫓車
(天授)をおいたもの.である。滑草で通過する竹索の端に推水筒が吊
下げられ
て
みる。推水筒とは節を拭いた中空の竹筒で下端に開閉難があ-」これが井の中の墜水中に招すると、非が開いて野水を入
れ'\引上げる時には外
に伺って問も
る0竹索は天湊を通過して下-'
第二の滑車
(地涜)を,TGJ-、第三のローラー
型の滑重
耳
を通りて小屋の内の披蛇にまきつけられる。この小屋の床が地上よ-数択下にあるのは'観蛇の周囲につながれt{・水牛が竹
索によ
って妨害されないたゆでやIT-Dこの規櫨の特徴は垂直向轄軸を持つことである。普通のもの
(花車)は水平回持軸
も持ち、直接井戸の上にとJつけられてゐる。そして喜職の周囲につけられた踏木を
一人乃至
一人の労働者が簡八で回稚さ
ぜる。天車の特徴は第
7に細長い純水
情を吊上げるために特別の格を要すること、第二に水牛を動力とするので醜櫨の阿轄
軸を宰直にしたゞけで'原矧は仝-花虫と向
二・・'ある.
25) 中国堅1枚賓録,第三筋。
′
一
I
一t一
事
TJけJtt一tTl
四
貴
塑技
術
の日的
技術の志向する目的はその技術白鰹の性格にとって決して無閲係ではない。勿論技術はあ-まで目的に封する
I
手段であるとしても'技術の志向する目的が消費財特に食料の生産であるか'生産財の生産であるかによって'
技術の性格なり蟹展方向な-は大きな影響を受ける.第
一に食料生産に封して異状な熱意が示されるに反し'探
鎖部門に封する侍銃的な堆軸心が支配する社食に於ては'前者の目的に向ふ技術の外観が如何に進歩的であつて
も'技術重雄の水畔は低位にあると云ふべ-'従ってまたこの
l般的技術水準によって食料生産技術も制約され
ど[5Lr]D守lt.iハ01汚二こhJ斗「巨ともしこLlArTTT勺つ暴言可生首へや♪lltとH叫工主、虹ヽこ宙18日きtS」えい阿川卜を岨軽十」ゝnTこし1つ⊂一缶禁
‥小1JLi/VrtJLq-hTll寿.
〃し
]ii云」タ/∧■ロー
、コl賢
し
て
)J、7占
LTTl咋71計り
包-メ-1jiiEJrTT・ij即.LN腎.壬◆鼓州諸トしノ\一秒ソゾ茄h-TuHヒIIJ/.・割れ
/∴茸秤・tl7-l
日付
聯
に於て刺戟
を受け合
ふ棟
骨
を
少-するであらう〇四川の採崖技術は採録技術の形態をとり
乍
ら
'両も直
接的な
食料生産の技術としてのみ存在を許されて来たOしてみればこの技術の外観にも拘らず'それは膏技術的な停滞
的な性格を持ってゐると言
へよう0
[
勿論技術の目的が食料生産であるとしても'この技術の上に立つ産業満動が大規模化するにつれて、其虚から
技術の展開について多くの可能性が引き出されて来る場合も考
へられるC殊に四川の産腰技術の様に'その採塵
工程や歴水輸遥工程よ-見
て採油技術に酷似Lt且つ塵井の附近にガスや石油の地厚が存在してゐる場合には'
この捷柿の適用につ
いて新しい速が開けて凍ることも預憩されるのである.併し少-・Lrも従乗までのところは'
支那奥地産既技術の技術史酌地位
第四番
九五
第
一戟
九五
26) リ ムバル ト,技術論。
/
支那奥地産盤技術の技術史的地位
第四番
九六
弟
1城
九六
支部人の企業精神乃至投術精神は'特殊な境地商品たる堕の採取とそれの
もたらす掲占利潤の確保以上には出な
かった。例
へば四川の油井や火井(ガス井)の掘警
何等か新歪
術豪的・企栄泰的巽
計
要
されたのではな
-'歴井の掘饗に附隠して行ほれたものであれ
叉これよ11偶然に引出されね紀男に過ぎないのである.この新
については既にリヒトホ17ェンが攻の様に断定してゐる。「支部人を導いてこんなに深い地下を探索させた企紫
象的柿柵は.元帝盟邦の相渇にその起源を持ってわたしJm.=はれLr-おり付0矩杵のL=7布背
は
山肝探い柚鞘LEJ的加水を朗
「
り常てるつも-だつたのだが'膳水の代りにガスを鞍見したのである。」
この火封費兄の動機はまたその利用方
洪
(煎麟工程の燃料)をも規定するOそれは恰も支那の農民が沸瓶用の井戸を掘るつもりで偶然石競盾に行督り'
これを家庭の燃料に用ひてゐる屑係に等しい。
.
支部に於ては塵は長生宿に浩封不可紋のものとせられ'その最低量に封する需要は不断に存在する。従ってあ
らゆる技術的困難を克服してその生番を確保しょうとする努力が授けられる。こ・に産屋技術に封する云はゞ消
極的な刺戟が存在するわけである。けれども盟が絶封的な生滞必需品と考
へられる隈-'必要量以上に需要の増
大する可能性は少い。従って産塵技術に封する積極的な刺戟は存在しないわけであ
る。特殊な奥地商品として封
鎖的な猫古市場を持つ四川堕については特にさうであるQ先に四川崖担捷術の一度の喪展に封して有利な候作と
考へられた奥地市場の存在は.か1る見地からすれば逆にこの技術の停滞性を基礎づける要因となるであらう。
ド
元帝支那の産屠蘇
(一九二七年'三.7二二、八〇七延)は米国
二
九二七年.六.八七二、六九〇砥)に次ぐ世界第二の
互都を
不してゐるO併しこれを
1九二七年の拓銅の推定による四五雪
七八七tCOC人JJIhJふ人口敬で除せば'
BaronRichthoven'sL etter s, 1870- 1872.p.L7127)
▲Itt
t
一t一tt
雷
tJt雪
-
i
一人革
ハ・八雲
去
ふ節に過ぎたIj■\これは+,讐
嘉
に
空し克
ハよ豊
仙折られてゐ三
人首-キ拍警
芋
斤(l竃
)
l-U
と云ふ量に等しv
e.・
両も人間の生理耶最低必誓
富とされてゐる五定乃至七定と云ふ貴にもほゞ等しいのである.
さうであるとすれば'支那に於ては笹の生産はたゞ最低生活必要量を確保し'人間の景低生宿水準を維持すると
云ふ目的のためにのみ行れて来たと云
ふことになるo他方歴の濁占慣格を維持し、収奪的な塵棟の徴収を容易に
しょうとする政府の意圏にょつても'この生産制限の方針は強化された.
鏑山万(販路)を限定し.人口数を計っ
て
生
産
F
販車量の基準とし
(これ四川堕の駁君に於ける計岸なる言葉の建源であエ
'
販路の概況によって生産量を調
節す
る所謂
「以レテ蹄ヲ定レム普ヲLの原則はすべて盟の生産制限政策の現れなのである.題の生産従って生産接術が
都賀制度と結びつ-こと
にょつて.ます-
停滞的な性格を持つ比重つたことは容易に想像されるのであるC・
L-「ル′1ルー
T<も表封に摩聖にすべてが麿授賞伺
(所謂
葛
卓
瑚〇
忙明哲われしわるのではなく
そO.勺11⊃tQバ⊂蓬蓮
こノ
て用仏られてみるとt,茶ふ誼もある.併し.LJl
に所謂工実歴とは'よ-吟味して見れば'極めて贋義の加工用特
に
食料加工用の陸を意味するもので、魚類の府政
(魚塑)や醤油の製造
毒
盟)に使はれるものであるから、とれま
た食料生産の範囲を出ない皇1日つてよい。現代的な意味に於て工業塵と言ふ時には'化準工業'特にその中でも
最も基幹的な曹達工菜の原料としての歴を意味しなければならない.曹達工柴が堕を最も重要な原料として生産
する曹達次及び苛性曹達は化畢工業奪展の基底をなすものであサ
椅子'石鹸'人絹.染料'晒料、火薬其他多
ノ
J-1
種多歳な薬品製造の基本的原料乃至補助材となる。か1る近代化皐工糞の立場から眺めて'始めて腰は新しい産
業的意義を獲得し'産歴柴は近代的蓬莱竣構巧内部で基礎的原料生産部門たる地位せ確保するに至るであらう0
支那奥地塵既技術の黄浦史的地位
第四番
九七
.第
1親
九七
ヒ7L,P,支那古代乱 西山柴久妄執 二 三七頁 o
Torgasheff,ibid.橿木 簡苦,常連O
f
■tt!
.-
支那奥地産塵技術の技術史的地位
第四巻
九
八.第
l釈
九八
そし
てこの近代的化畢
H業'特
に曹
達工業
の致達
こそ歴に封する需要増大
の根本
的
な
原因
であ-
'産
旗畳
に封す
る嘗制度的制約を取除く強力な契機
であ-'産歴技術
の近代化を促進せしめる活力
でも
あるo
註
1園の漁網讃*Lを人口数で割った
仙人苦り缶粕費量の多少は'明確に一国の牝聾工業常連の得度を現はすもので雪
Oげ
.iJLH策用拍賓を除いた腰の油菜量も油老生精の向上によって多少帝大するか'大筋大差のないものたからであるG今
こゝ
∵
に糖界の各国につい
て愚直
二
九二Lに-・二一七年平均)の
l人常11年梢韓畳を見よう0
日本内地
フランス
英
本
国
アメリカ
≡
1・七月
五四・八放
六
7・九歳
六五・三聴
ド
T
I,/
茄四・.二放
イ
タ-1
三
丁
八鹿
ソ
聯
二四・1二稔
印 俳文
腔 印 軒
五 Fl七
八 三 七正巳正己耽
支那の壁
の用
途別村費額については民国二五年仇稽横線新年郭に左の如き統計がある.(単位千市税)
食用粗困
三六'二
一五
・(1・..:
食用精圏
一'四八四
三%
漁
墜
二'五六
一
六%
H業堕
二'九〇五
七%
副産堕
1.四三七
三%
倍睦の油単DZ[的
'従ってその生産目的の持換は日本白月が最近経験した事柄である。そしYこかは支那の産盟間鑑について
取離係では.'1・bいOけだしこれにょつて支那の輯堕が日本の牝畢工業の原料として封目輸出の
使命を頁はされるに至ったから
である。
全
室
用
途
別
油
菜
高
(単位砲)
食用その他
七二八'八三
一
七ETLOt0○○
輪
移
出
用
一五'九〇つ
二、五
八六
工
業
用
1〇三'一四
1
二〇八~六JEI
合
計
八四七'八七
二
九五
一、1九〇
合計に封する
工業用の比重
lI二・二rjl
二丁九
32) 東雷研究所朝,第二七紋に擦 る033) 佳書信雷,加藤哲太郎共著,中華墜米事情 に描,"J 【
-一圭
義
ttt雷一Tt暮一1■-・・」‥-・
一〇年
一一年
二一年
七七八三
二
一〇ー五五八
一、〇六七'七八三
一'八五六'五五二
五七・五
八二
三二二九
九'八八1
1ー7五九'九二三
1.九八7.]四三
五八・五
八二
'五四九
九'七七六
一、四四九'四四七
ニー二七〇'七七二
六三・八
備考
食
用其の他中には境物'衝油'疎略'麺類製造用'魚類堕潜'選種'肥料'家書.鮮魚度保存.儲兼用その他を
含む.(専票局統計表よ-作成)
1殻に岩塵は据腰に較べてマグネシウム'カルソサム共他化皐工業の原料として不適常な不純物を含むことが
少いので..岩盤の筆
昂た米聞及び英閑には曹達工業が大いに費達し'探塵工程も完全に機械化されてゐると言ば
れてゐr60然るに奥地経済の環境中に哩汚してゐる四川の岩飴荏
・工業盟としての純良性が認められてゐるにも
.可
.つ」i,JTbり」ヒ妄ヒTTTI,勺つ事象-「ニ丁.LこしてAHHJiL、戸、ヒ」と巨nE缶甘1/.ー」LとヒLbtu;干1A)レし)軒入.Jb/)iJ^/)「リハ小月E
hE一
7
㌧ノ′
二jL二/りしA--・‖b「..1~ノノも、J√EqLl
は、日本濁特の技術
によって化卑工兼の原料とされ'新な封日輸出の使命を荷はされ'着
々生産額を増大してゐ
」
るoそして関東州の墾田に於ては作業工程の
l部に或程度の機械化も行はれr北支の
一部に於ては増産計量と共
に原定藍毅は
1榔され'鏑岸制度も抹殺されね.この二つの封照的な事例は近代的産米技術の圏内に引込まれる
ことLによって'始めて産盛業及び産塵技術の質的夜襲革が行はれ'それを制約する傍流的制度の改努もなされる
ことを明瞭に物語ってゐるのであるヶ
尤も重慶政椎の呼栴する奥地経済の
「工菓化」の裡に'四川産塵技術の近代化やその目的の韓換に関する若干
の徴候が感知せられないことはないO例
へば艮圃廿八年重慶市で招集TUれた
「金団生産合議」に於ては'火井の
支那典地産墜技術の技術史的地位
第四馨
九九
第
1戟
九九
.1
.
",・■
34) 榎本倍吉,前掲書,七八頁。35) 破骨椿,前視普036) .車重研死月斤軸,第二八娩 D
支那典地産範技術の技術史的地位
第四番
一つつ
第
一親
700
エネルギIが塵の宥…沸以外に充分利鞘されてゐない葛篭が反省され'宮柴
の小夜電所でこれを利
用す
る可能性の
あることが指摘されてゐるLt叉盟が化畢工業原料として囲防民生とも密接な関聯を有Lt四川'雲南の教工場
で必要とする原料歴は年数百寓担忙上-、笹増産の急預なることが述べられてゐる。併しそれと同時に'・*I地の
食嬢は四川省
一省によって垂般的に供給l,tiれねばならな
い賓情が明かにされ..禦笛な油腫の琵地を施米した貢贋
・1
-
Lに.
諾
工、Llラ---ト-請-1上j昆是・1-
rTuL-,dL力士
ノて坪てたることが膚一芸
れL去
るのCJめ
観に過ぎるであらう。
追誰
本稿の所論をもつと具髄的にするには四川産塵技術を各生産H程に従って詳細に分析しなければ:仏らぬ。本稿はた+崖
埠技術の分析とその近代化の問題を取扱ふ筈の論文の序説をなすものであるJlとを附記しておきたい。
\
37) 束丑研究所,支那奥地資料真幸ほ,第六肝。
蕃
t■T-
A.・・∵.‥・.、‖tJ.
,圭
I_Lr,鼓.∴.,-
1・