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Title 醫學關係圖書展観目録

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Issue Date 1995-03

URL http://hdl.handle.net/2433/154779

Right

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Kyoto University

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U巻一

-5冊ー万延元二八六

O)年股刊

天元五〈九八二)年起稿レ永観二(九八四〉年寄成って)これを円融天皇に奏進したo

此書は惰

の巣元方の病源候論に依って説を立て隔、唐の方書百余家の論を収載している。実に九百余年前

に著述された我邦に現存する最古の方審で、これに依っ

τ隔庭医学の真相を窺ふことが出来る。

本金聞は安政元三八五四)年幕府が半井氏に其の家に伝わる足親町天皇御下賜の医心方を医学館

に提出せしめ多紀元竪等に命じてこれを校長模刻せしめて公刊したものである。

医薬

玉篇、西域記等、支那の古書に記載されている薬物を選出類来した平安朝時代の本草書である。編

者、筆者共に確証はないか奥書には「永万二年九月九日丹波抄五巻之内」とあるから典薬顕であ

った丹波家の何人かに依って摘録されたものであらラ。

本警は本草学の有力な資料であるばかりでなく採取されている原典がその当時に行われていたも

のであるから原典本来の姿も鋭ふことが出来本書の持つ価値は極めて大きい。

7

8t病

男女一向性の入一等世に厭しい脊病の数々を踊きつらねてその醜悪な形相がよく活写されている。原

本の詞は寂選、い一絵は土佐光長の筆と伝えられているが確誌はない。又地獄、餓鬼のニつの草紙と

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永万一一(一一六六)年鑑

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げ由一糸J

道絵の一つで平安末葉から鎌倉一初期の聞に絵仏仰の一派に依っ

τ製作されたものであ

主席われでいる。いF

J

mm彩闘の奥じは「糠疾画一巻、大館高門蔵也〔中略〕・寛政丙反ハ八(一七九六VU季冬初五日観之

理悦四位下土佐守藤原光ト貞春定園」とあるが本図ほごの年に模写されたものではなく光貞の

り模写壮一線λが更に複写したものであらう。術他の一本の白描画の巻末には「右脊疾草紙浅

忽日日米

E

一先生命総投一本於予〔中略〕干時元治元年春出中山川房」と一式ふ奥書がある。この奥警の筆

聞は絵画を止くし、又有職故実に精レく歴世服飾考の著述を以て有名である。八坂、北野両

州口司を歴任トJ

京都に於て明治、廿四年残した。

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建保一一一(一二一五)年将軍源実朝一が催病した時栄商は清茶一議を進めて、その病苦を医し又とれ

が為じ喫茶養生記を箸わして、これを献上した。本邦に茶を移植し、これを喫することを学だの

此-替は当時の医術の飲陥を挙けて支那及び印度の医風を学ぶべきことを説いている。

10

2

l一ニ伊沢閥幹自筆〕

此番は万安方と共に鎌倉時代に於ける代表的医書で共に性全の著作である。頓医書は嘉一冗元〈一

。一ニ

O一二)年に撰述せられ万安方六二巻は民和四(一三一五)年に撰述せられた。前者は邦文で後

者は漢文で普かれているが内容は略ぼ同じである。共に病源候論の自に依って病門を分け千金方

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和剤局方等の諮、書を参酌しこれに自家経験の説を加えたものである。

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本書は伊沢蘭軒の旧蔵書で五

O巻の中巻五至一二はその自筆である。向巻末に森立之自筆の駿文

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があり各冊にその蔵寄印がある点より見て本警は或る時期に立之の乎に帰しその手沢木となった

.

O冊永正五(一五O八)年〔自筆本・刃〕

坂浄雲は一明応年間ー(一四九二

l一五

oov.明に赴き漢の張仲景の方術を我邦に伝来して益々その

'盛名をラたわれた。永rr一五〈一五

O八)年浄雲がその骨祖父浄秀の鴻宝秘要抄を増“訂して続添鴻

宝秘要抄を著し張仲最の傷寒論の薬方を採用するに歪ヲて従来の宋医方は次第に衰退し、こ、れに

代って明一医方が鐘頭した。常本替の巻常に著述の由来を記じた永百五(一一九

O八)年の自序があ

り巻末に浄忠の花抑がある。浄忠は浄雲の二男で侍従宮内卿法印となった人で著書に家秘小銭紙

があるO、(京都博物館に陳列する〉

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勿聴子〉俗解八十一難経明・熊宗立撰一巻一冊末文五(一五一一一六〉年刊

熊均、、学は宗立、

AhJは勿穂子又は道軒と号じた。

明人だあるがその生没年は明ではない。、此書は築越人の八十一難経の肱訣を凶解註釈したもので

ある04γ

駿文に一依?て開板は越前国一乗谷の高島寺に於℃行れ、

ことが判るい。

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その校五者は入明の名医谷野一柏である

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寛汁

ノ、

七。年!刊

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長崎の医家、林道栄〔覚、氷一三(一六三六

)l宝、氷四(一七

O四〉年〕は又名撃を以て当時世にラた

われた儒者で二四才の時清館の大通詞に抜擢せられた。本書は外科医瀬尾昌宅に与えたその著外

科心鏡集の序文である。尚巻末、に次の奥書がある。「時寛文歳在了来ハ寛文七(二ハ六七)年U

陽月

上総林道栄撰於南憾之本慮記之L

道栄著

一巻

巻子

〔自筆】

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寛文七三六六七)年筆

一巻

巻五千

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'和蘭陀の外科医アルノテオト・ヂV

キセ

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宅へ与えた外科の免許状であるο

(krs。広口町長N)

が寛文七(一六六七)年瀬尾昌

黒川道祐編

一巻

官「文一ニ(一六六一ニ)年に編纂され国史、旧記を博索して我邦の医家の出処、術業及び叙位、摩擦

等のことを記述したもので我邦、医学の沿革を知ることが出来る一種の医学史であるo

なt.T

元紙六(一六九一一戸)年序刊

(外題・救民妙薬集)

18

水戸候〈光閤カ)は共の待医穂積甫庵に命βτ山野に於て容易に採取することの出来る品物に就

いで其の薬性・治方を記述せしめ救民妙薬と題して、これを広く民間に弘布した。

貝原益軒の大和本草によワて我邦本草学の基礎が築かれてより次第にこの学は隆盛に赴いたが、

菊水が足徳五三七一五}年この警を著し品物を挙。てその薬性を詳論するに至って此学は逐に

大成された0・最初の三六二巻は若水、ニ

O年の苦心に依って編纂され、以下一

000巻までを、

その門下丹生正伯が統轄して終に寛延二(一七五五)年これを完成したo本書はその中の鱗属の

,部一ニ冊に過ぎないが若水の自筆稿本である。

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林良適、丹羽一品伯著七巻三高享保一四(一七二九)年刊

事保一四(一七二九)年幕府は医官林、丹羽の二人に命じて山野に於て採取し易い薬物を選で、

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〔自筆稿本〕

稲生若水編

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23 AT

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o白山

-

寺益東澗説同

士山

山脇東洋著

士山

蔵「解休新虫同」が世に出る一七年前宝暦四(一七五四)年東洋は京都で死刑囚の死体を解剖して臓

附在調ぺ人体内臓に関する従来の妄説を指摘して宝暦九(一七五九〉年臓志を著した。前人未到

のこの快挙に依って従来の迷妄.が打破され、我邦実験医学の端緒はこL

に開かれた。んル日

室暦一

O(一七六

O}年刊・'明

佐野原泉著

一一軸ニ巻二冊

大字

写,行語:

1 自

筆¥....J

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山脇東洋の蔵志に依って・医説漸く一変し

τ古方家は・次第に漢蘭折衷家に転進せんJとずる時に当bJ

原泉がこれに抗レて臓志を反駁したことは興味深い。白

宝暦一一(一七六一)医官元丈は幕命を奉じて蘭学.を修めていたが当時江戸に滞在中一の和蘭医官

に就いて本草学のζ

とを質しこれを筆録したものが此番で洋説本草学の最初の著述である。

26

賀川玄悦著

一]巻二冊明和三(一七六六)年刊

玄悦は薬石のカの及ばない助践は芋術によらなければ功を奏しないことを惰

D前人未懇の底術の

境地を開拓して終に明和三(一七七六)年六七才にレて著述せられたものが此害である。これに

依ってその名は四方に喧伝せられ我邦産科の但と仰あに至った。.

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明和七(一七七O

)年信任はその師荻野一冗凱と共に罪囚の死休を解剖しこれを同洋一の解剖凶と対

照してその図説の足搬なることを椛認して常増作されたものが此寄である。

ω

和蘭陀金一瀬尚一外分合図…

MJV.悶暗号悌一禁一議次二巻二冊明和九(一七七一))年刊

和樹附陀の解剖替を長崎の通詞了窓が写して、これに訳字を附レたものである。

29

月卒

序図一巻

安永三(一七一七四}年刊

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多組元信網

一O

一巻一冊

寄:

寿

寿

麟寿館は明和二〈一七六四)年多紀元孝が江戸神問、に創立した医学の塾一であるo天明四〈一七六

六).年に鱗寿館百日教育の法が定められたJ

この法は二月十五日よ

b後百日の間生徒を入塾の上

勉学せしめることであった。講師は多紀一冗簡為太田錦城等で経学も講ぜられたo又此の百日中に

は施薬のこともあって務生に診療の方法をも

a

学習せしめた。諸生の数閉百入に及だと伝えられて

いるo寛政三(一七九.一)年幕府は命じて麟寿館を革めて国学とし官医習栄の場とした。名付

Uノ

て医学館rc一試ふ。

海保漁村冊補

一巻ー一冊

'

寛政一

O(一一七九八)年施薬院三雲蓉替等は官に請って下賜された罪囚

ρ死体を小石一克俊の指揮

の下に解剖じーに勺本書はその際観臓した吉村蘭洲等に依って模写された臓器一写生図の集成であ

る。毎凶一苅俊の註記があり又橋本宗士口は臓器じ蘭名た附記している。元俊の序、藤原孝の題言、

青山玄泰の践があるがいすれも皆自筆である。尚巻末には観臓の人員を附記して、ことの事情を

詳述している0

ov年刊

,寛政四{一七九一一一)年字国川椀閣は蘭医ヨハ

Yネストゴルテルの内科書〈一七四四)』;を訳し商説

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内科一機喪主一町ーして川公刊したが蘭粛は養父椀闘の遺志を鯛いで更にこれを校訂補設し増補軍訂内科

撰要注題レで文化七〈一八一

O)r年梓行ずあに至ってこの書の内容は漸く掛常備された。これが開

洋内科書の最初のものである。

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1

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C5一年刊

事和元八一八。二年帯わされた此書は姻虫病のことを説いもので姻虫病の専意向としては最初の

、↓ものであるo

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、ぺ

総本草ー網目啓象小野関山口授小野古品畝一等一制四氏巻二七冊文化一一(一八

O五Y年刊

事和二(一八

Oニ)年に帯はされた此害には一八八二時似の薬物が収載されている。その具名、・方

昔日形色、産地等の問問問に一五るまぜ詳説され我邦の本草学はこL

に於て完備された。寛政一一

p

一七九九)年蘭山は江戸に認されて医学館に於て本草学を講じた。

39

医範提綱銅版図

O八)年刊

榛斎の迭問医範は蘭医プラジカルツ等の解剖脊を訳輯した三

O巻の大部のものであったが一般に

認められなかった。後これを抄録し内景図版を付して文化ニ(一八

O五)年これを上梓にするに

及で此書は西洋医学を学ぶ者の軌範として広く世に行れた。内最図版の最初の銅版である。

一巻

40

)

-

文化一二(一九一五)年八十三才の時の乎記でその芳即日体制加害の上梓の時の苦心談を中心として

一一

杉田玄白著

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我邦蘭学の発端とその興隆を叙述した回想録である。‘

wuυ一銭杉田立卿裏献

間洋眼科の真相を我国の霞一学会に紹介したのは文化一一円(了八一五)年に帯わされた此審であ

る。眼目諸症の訳語は此時に選定せられたものが多い。

五巻

五冊J'

文化一ニ(一八一五)年刊

42

天保一一一)(一八四二)年,複写

巻予

43

交政の頃問洋解剖凶を参照して自己の経験に照らして筆写したもので凡て六四図、末尾に猿の解

剖凶を添えている。甫耐の引、大槻玄沢、.同磐阜の段、字国川榛一賞、杉田立卿の蘭文の践があ

るひ尚本図は桂川氏の旧蔵より天保一三〈一八四ニ)年に複写されたものである。

酷一烈一練考

'v

枝川甫賢訳釈大槻玄沢・萩島法繭一校一巻一冊写

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ゴレv

一?が我邦じ始めて入ったのは文政五〈一八一一二)年であるが暴潟病とよばれて大いに流行し

た。甫賢は玄、沢等と共に蘭人プロムホプから入手した蘭書に依って、この暴潟病がコレラである

ことを知

b音訳して酷烈疎と名付け此書を帯わした0

0

J

u

.

(

)

此害は天保一一一三、八三戸己年布連士ロの小外科を醗訳し外科の方術に関するものを列挙してその概

要を紋したものである。所説は簡略ではあるが和蘭外科の金書としては最初のものであb、これy

dン

二巻

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町山想定'滞洋持制竹のい真相が始めて明にされた。

必一括一四殴ハガ名物考)、宇田川榛一野訳述一一一五巻図政一巻一補遺丸山菅八二三年、弥

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問川崎??に専心した榛斎には和蘭薬鏡の著述があるが吏仁天保五(一八三四)・洋此番古著し西洋の

ym方剤、製煉等の諮術を明らにした。西洋薬学はこLに於て始めて整備される乙とになった。

t

折本(自筆本〕J

天保一一

O山(て八三九)年新宮涼庭は京都南禅寺畔に順応書院を創玄レ隆警一廷が儒書を蒐蔵し儒者

をふ

kk迎えで経学を講ぜしめ叉白から志傷策、論等の医書を講じで大いに諸生を薫陶一じた。本書

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は天保円一(一八三九)!嘉氷五(一八冗こ〉年に亙って当時の碩学斎藤拙堂等が涼庭の行実並

にその書院の来歴を讃美してこれを撰述し涼庭に献呈したものである。

Uυ病

.

病理を説明することは古くから行れていたが諸病の原因を究明して特別の学科としたのは弘化四

三八四七)年に訳編された此寄に始まる。病学通論は「アルゲマイネ、パトロギ」の訳語で此

車問以前には原病学と称せられていたが洪庵はこれを病学と改め病学通論と題して嘉永二(一八四

九)年に上梓した。

(

)

(一八四九)年間蘭陀船によって我邦に溺らせられた牛痘首を以てモ1ニツグは三名の小

48

牛嘉永二

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一問、

見に稜痘じで、その諮問'感に成功した。宗建はモ

1ニツケに貌突してその説を聞きこれ左筆録して

著わしたものが此寄である。我邦の牛痘種法はこの時に開始せられた。

O)年刊

嘉永三(一八五

O)年に訳述せられた此書は我邦に於七最初に刊行ざれた西洋婦卜八科医書'であ

る。しかレ此書は主としで産科のことを述ぺ婦人科的疾病の記載は金巻の約三分の一に過ぎない。

青木周弼重訳

病:

(

)

此警はヲ

Tフェラシドの著作を翻訳した診断書で顕微鏡的検有及びぞれ以後広行われたものはな

いが粗朱ながら今日応用されている方法は記載合れてい石。

-f江馬欝務〈一七四七1l

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