古代メソポタミアの神話と宗教 - CISMOR...【プ ロ グ ラ ム】 1)講 演 月本昭男 (立教大学教授・日本オリエント学会会長) 「古代メソポタミアの神話と宗教
No07オリエントの世界帝国 -...
Transcript of No07オリエントの世界帝国 -...
-
No07 オリエントの世界帝国
1No07 オリエントの世界帝国
1:リディア
都は2:サルディス
3:メディア
都はエクバタナ
4: 都はバビロン
5:エジプト
新バビロニア都はサイス
末期王朝
アッシリア滅亡後のオリエント 四王国分立時代BC7世紀末~BC6世紀末
BC612年 世界最古の打刻貨幣を造った国
1
メディアと新バビロニアがアッシリアを滅ぼした。
セム系、カルデア人の国。四国中、最強。
BC586年バビロン捕囚
征服民の強制移住はアッシリアから受け継いだ伝統的政策。
BC539年、ヘブライ人たちはアケメネス朝のキュロス2世によって帰国を許された。
BC586年ユダ王国を滅ぼす
ネブカドネザル2世
2
新バビロニアに注目 新バビロニアに注目
ネブカドネザル2世が首都バビロンに建設したとされるもの
BC575年空中庭園
3
イシュタル門
バベルの塔
リディア
メディア
新バビロニア
エジプ ト
BC7世紀 BC546
BC8世紀末
BC550
BC625 BC538
BC525?
アッシリア
ユダ王国
イスラエル王国
BC612
BC722
BC586
政権奪取キュロス2世
アケメネス朝はここに服属していた
BC922? 分裂解放
征服
征服
BC7世紀後半アケメネスの一族が建国
サルゴン2世
ネブカドネザル2世
ヘブライ王国
オリエントを二番目
に統一した世界帝国
アケメネス朝
ペルシア
BC550建国
4
バビロン捕囚オリエント統一BC539
カンビュセス2世
最初にオリエントを統一した世界帝国
初代
第2代
キュロス2世 位BC559-BC530 アケメネス朝ペルシア
BC539年、新バビロニアの首都バビロンの攻略に成功した際、バビロンに捕えられていたヘブライ人に帰国を許した。
翌BC538年、新バビロニアを滅ぼした。
BC550年、アケメネス朝ペルシアの初代国王
【6: 】はメディアの政権を奪取し、リディアを征服。
キュロス2世
5
2代目国王
【7: 】は、BC525年頃、エジプトを征服し、全オリエントを統一した。
首都はスサ(政治の中心)と
【8: 】(祭祀と外交の中心)
アケメネス朝ペルシア
カンビュセス2世
ペルセポリス
スサとペルセポリスの位置を確認せよ
スサ
ペルセポリス
パサルガダイ
バビロン
エクバタナ
6
3代目国王【9: 】の時、領土は最大となる。
アケメネス朝ペルシア
ダレイオス1世
西はエーゲ海北岸の【10: 】(現ブルガリア)、エーゲ海沿岸、エジプトから、東は
【11: 】川まで。
アッシリア帝国よりはるかに広い!どのくらい広いか、言葉で表現すると・・。
インダス
トラキア
位BC522~BC486
7
丸暗記
アケメネス朝ペルシア
独立時の領土
スサペルセポリス
トラキア インダス川
BC5世紀前半最盛期の領土
から まで
8
ダレイオス1世(着工)
9アケメネス朝ペルシア
兵舎
玉座殿(百柱の間)
謁見殿(アパダーナ)
テントは現代のもの
基壇の高さ
ペルセポリス宮殿遺跡
-
No07 オリエントの世界帝国
2No07 オリエントの世界帝国
ダレイオス1世の業績(1)
全国を20の【12: 】に分け、【13: 】(総督)を派遣して統治、徴税、治安維持に当たらせた。
州
サトラップ
ここまではアッシリアも同じ
サトラップを監視するのが
「【14: 】」王の目・王の耳10
アケメネス朝ペルシア ダレイオス1世の業績(2)
アケメネス朝ペルシア
約2400kmもの「【15: 】」と呼ばれる公道を建設。駅伝制を実施。
王の道
「王の道」
サルデス
スサ
《頻出》
《頻出》
111日(徒歩)→1週間
11
いつの時代も情報は力!
ダレイオス1世の業績(3)
金貨、銀貨を発行、商業・交易の条件は良くなった。
フェニキア人、アラム人、ギリシア人商人は、交易活動の範囲を西地中海からインドにまで広げた。
ペルセポリスに壮大な王宮の建設に着手(BC520年)したが在位中に完成せず。政治的にはスサが重要。BC331年、アレクサンドロス大王に破壊された。
王宮はスサ、バビロン、エクバタナにも建設された。
アケメネス朝ペルシア
12
ダレイオス1世の業績(4)
BC5世紀に【17: 】を始めたが、マラトンの戦い(BC490)に敗北、不調のうちに死亡した(BC486) 。
アケメネス朝ペルシア
息子クセルクセス王(クセルクセス1世)のギリシア親征
ペルシア戦争
実はギリシア諸都市が持つ東地中海(+黒海)の商業覇権をアケメネス朝ペルシア保護下の( )が奪取しようとした戦争だった。
フェニキア
13
アケメネス朝ペルシアの諸民族政策
服属した諸民族は寛容に扱われた。
征服した他の民族の法、習慣や宗教も、戦時の軍役、一定額の納税、特産品の貢納の義務が守られる限り尊重した。
公用語はペルシャ語だが強制はしなかった。
支配下のイラン高原、中央アジアには、カナートが造られ、灌漑農業が開発された。
小論で出題例あり
14
アケメネス朝ペルシアの宗教政策
当時のペルシア人の主要な宗教だった
【18: 】を保護したが、他の宗教にも寛大だった。
ゾロアスター教
開祖はザラスシュトラ(BC7世紀、BC1200年とする説もあり)。開祖の名が伝わる宗教としては人類最古と言われる。
ササン朝ペルシア(AD226-651)では国教。15
『ツァラトゥストラかく語りき』(リヒャルト=シュトラウス 1896)映画『2001年宇宙の旅』(キューブリック監督)のテーマ曲
ゾロアスター教
ゾロアスター教とは、世界を
光明神=【19: 】と暗黒神=【20: 】の対立抗争とみなす。
アフラ=マズダアーリマン
善神の勝利が予定されているので最古の一神教とも言えるという説もある。
北魏の頃、中国に伝来。中国名は【23: 】。聖典は『【22: 】』アヴェスタ
祆教(けんきょう) 16
ゾロアスター教でかなり重要なこと
「最後の審判」の思想は、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教に大きな影響を与えた。天国と地獄、天使、悪魔も同様である。
・・ (う)ゾロアスター教から大きく影響を受けて発達した( 1 )や天使と悪魔に関する考え方は,後のキリスト教やイスラームにまで大きな影響を与えた。・・ (2011年上智)
a 選民思想 b 最後の審判c 戒律主義 d 救世主待望
○17
a・c・d はユダヤ教の特徴
ユダヤ教では律法主義
アケメネス朝ペルシアの最後
【24: 】大王の遠征を受け最後の国王、ダレイオス3世(位BC336-BC330)はBC331年、アルベラの戦いに敗れ、BC330年家臣に暗殺され、アケメネス朝は滅亡。
アルベラ
BC5世紀前半、ギリシアへの遠征(ペルシア戦争と呼ぶ)に失敗。サトラップたちの反乱、エジプトも離反。
アレクサンドロス
18なお、ササン朝ペルシアはAD224~651である。