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224 (6)東日本大震災支援 【東京農業大学 東日本支援プロジェクトの取り組み-福島農業の復興に向けて-】 研究代表者 国際バイオビジネス学科 教授 渋谷 往男 1.はじめに 東日本大震災で津波・放射能被害を受けた土壌の復元,森林被害のメカニズムと除染方法さらには農業・農村の復興 方策を解明して,震災からの早期の農業再生を支援するという目的の下で,福島県相馬市を研究対象地域として実施して いる東京農業大学東日本支援プロジェクトも 6 年を経過した。平成 28 年度は津波被害を受けた相馬市の復旧農地面積 が 27 年度までの約 812ha から約 825ha に拡大し目標の 85%に達するとともに,放射能汚染地域における水稲,大豆生産 のための放射性セシウムの吸収抑制技術の開発,放射性物質のモニタリングシステムの開発による地域農業の早期復旧, 森林における放射性物質の動態メカニズムの解明などで顕著な成果を実現した。 以下,平成 28 年度に実施した東日本支援プロジェクトの取り組みと成果の概要について整理する。 2.平成 28 年度の主要研究成果 (1)土壌肥料畜産復興チーム ○畜産復興班:牧草地における放射性 Cs 吸収抑制に取り組んだ結果,放射性 Cs の牧草への移行はほとんどみられな かった。また,放射性 Cs への対策としてのカリやゼオライトの施用は必要なく,土壌中の K 2 O などの養分含量の低減を 図る必要がある。放牧については,刈り取り牧草を給与した牛と同様に,生乳への放射性 Cs の影響はみられず,時期 による相違もみられなかったため,少なくとも 4 月から 9 月までの放牧利用が可能であることが示された。この結果,本地 域での牧草の放射性 Cs 問題はほぼ克服できたと考えられる。しかし,放射性 Cs 吸収抑制対策として塩化カリウムを散 布した牧草地では,低マグネシウム血症(グラステタニー)と低カルシウム血症(乳熟等)が疑われる乳牛の事故(死亡や 流産)が多発しており,現場では大きな問題となっている。 ○土壌肥料班:畑ワサビの放射性 Cs 吸収抑制試験では,収穫したワサビの放射性 Cs 強度は地上部,地下部共に全て の試験区で検出下限値以下であった。表土はぎ取り+カリ多量施用(初年度のみ)により,再改植をしなくとも畑ワサビの 放射性 Cs 吸収抑制が可能であるといえる。また,水田・転換畑圃場での地力維持管理法の検討するために,転炉スラ グ施用区と無改良区の可給態窒素量を比べた。転炉スラグ施用後 2 年目ではアルカリ効果の影響が少なくなっている と考えられる。酸性改良圃場では次年度以降の収量減少が危惧されるため,有機物の補給が必要であるといえる。ダイ ズ転換畑圃場での調査からブロックローテション栽培体系での可給態窒素量維持には年間 1t/10a の以上の堆肥施用 が必要と考えられる。 (2)森林チーム ○森林復旧班:地震を経験した樹木を相馬市や茨城県から採取し,これら樹木の柾目薄片におけるヘミセルロースの状 況を調べた。また,放射性セシウムで汚染された樹木と,被爆樹との関係について,木部の化学分析を行うことで,森林 中のセシウムの動態について調べた。 ○森林再生班:南相馬市の森林の放射線量は全体的に低下傾向にあるが,中には,数値に上昇がみられる林分も散見さ れた。放射線量は,依然としてリター層(落葉層)で高い。また,新たに測定した地衣類では,高い放射線量が検出され た。これらのことから,放射性降下物による汚染の動態は,有機物相から菌類,無機物相への移行がうかがえた。また, 津波被害からの植生再生研究では,海岸部の草本類の植生が順調に回復をみせ,自然遷移も開始されているものの, 人工的な堤防の設置や,除染後放棄された場所などの植生遷移は中断をされている状況がわかった。 (3)農業経営チーム 風評被害調査として,消費者への意識調査と具体的な購買状況に関する日記調査を実施した。意識調査より,キュウリ では福島県産が忌避されていることが示唆された。日記調査では,福島県産の選択行動を分析した結果,キュウリについ

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(6)東日本大震災支援

【東京農業大学 東日本支援プロジェクトの取り組み-福島農業の復興に向けて-】

研究代表者 国際バイオビジネス学科 教授 渋谷 往男

1.はじめに

東日本大震災で津波・放射能被害を受けた土壌の復元,森林被害のメカニズムと除染方法さらには農業・農村の復興

方策を解明して,震災からの早期の農業再生を支援するという目的の下で,福島県相馬市を研究対象地域として実施して

いる東京農業大学東日本支援プロジェクトも 6 年を経過した。平成 28 年度は津波被害を受けた相馬市の復旧農地面積

が 27 年度までの約 812ha から約 825ha に拡大し目標の 85%に達するとともに,放射能汚染地域における水稲,大豆生産

のための放射性セシウムの吸収抑制技術の開発,放射性物質のモニタリングシステムの開発による地域農業の早期復旧,

森林における放射性物質の動態メカニズムの解明などで顕著な成果を実現した。

以下,平成 28 年度に実施した東日本支援プロジェクトの取り組みと成果の概要について整理する。

2.平成 28 年度の主要研究成果

(1)土壌肥料畜産復興チーム

○畜産復興班:牧草地における放射性 Cs 吸収抑制に取り組んだ結果,放射性 Cs の牧草への移行はほとんどみられな

かった。また,放射性 Cs への対策としてのカリやゼオライトの施用は必要なく,土壌中の K2O などの養分含量の低減を

図る必要がある。放牧については,刈り取り牧草を給与した牛と同様に,生乳への放射性 Cs の影響はみられず,時期

による相違もみられなかったため,少なくとも 4 月から 9 月までの放牧利用が可能であることが示された。この結果,本地

域での牧草の放射性 Cs 問題はほぼ克服できたと考えられる。しかし,放射性 Cs 吸収抑制対策として塩化カリウムを散

布した牧草地では,低マグネシウム血症(グラステタニー)と低カルシウム血症(乳熟等)が疑われる乳牛の事故(死亡や

流産)が多発しており,現場では大きな問題となっている。

○土壌肥料班:畑ワサビの放射性 Cs 吸収抑制試験では,収穫したワサビの放射性 Cs 強度は地上部,地下部共に全て

の試験区で検出下限値以下であった。表土はぎ取り+カリ多量施用(初年度のみ)により,再改植をしなくとも畑ワサビの

放射性 Cs 吸収抑制が可能であるといえる。また,水田・転換畑圃場での地力維持管理法の検討するために,転炉スラ

グ施用区と無改良区の可給態窒素量を比べた。転炉スラグ施用後 2 年目ではアルカリ効果の影響が少なくなっている

と考えられる。酸性改良圃場では次年度以降の収量減少が危惧されるため,有機物の補給が必要であるといえる。ダイ

ズ転換畑圃場での調査からブロックローテション栽培体系での可給態窒素量維持には年間 1t/10a の以上の堆肥施用

が必要と考えられる。

(2)森林チーム

○森林復旧班:地震を経験した樹木を相馬市や茨城県から採取し,これら樹木の柾目薄片におけるヘミセルロースの状

況を調べた。また,放射性セシウムで汚染された樹木と,被爆樹との関係について,木部の化学分析を行うことで,森林

中のセシウムの動態について調べた。

○森林再生班:南相馬市の森林の放射線量は全体的に低下傾向にあるが,中には,数値に上昇がみられる林分も散見さ

れた。放射線量は,依然としてリター層(落葉層)で高い。また,新たに測定した地衣類では,高い放射線量が検出され

た。これらのことから,放射性降下物による汚染の動態は,有機物相から菌類,無機物相への移行がうかがえた。また,

津波被害からの植生再生研究では,海岸部の草本類の植生が順調に回復をみせ,自然遷移も開始されているものの,

人工的な堤防の設置や,除染後放棄された場所などの植生遷移は中断をされている状況がわかった。

(3)農業経営チーム

風評被害調査として,消費者への意識調査と具体的な購買状況に関する日記調査を実施した。意識調査より,キュウリ

では福島県産が忌避されていることが示唆された。日記調査では,福島県産の選択行動を分析した結果,キュウリについ

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ては,産地の選択理由として「産地を応援したいから」「産地については意識していない」,職業がある場合,福島県に居

住していることが福島県産の購入に正の効果があった。トマトについては,いつも買っているから,産地を応援したいから,

福島県に居住していることが正の効果,職業がある場合が負の効果があった。また法人経営調査では,相馬市で津波被

災後に設立された農業法人と類似の性格を持つ宮城県の農業法人調査の結果,経営面で大規模であることが生かされて

いない,法人経営の経験が浅く組織の良さが生かされていない,経営知識がほとんどない,構成員として農業に自分の意

見が通らずに不満を抱えているなどの共通する課題点が見いだされた。

(4)昆虫チーム

福島県内の居住制限区域(2017 年 3 月に制限解除)に生息する節足動物から検出される放射性セシウム(Cs)の量を

2012 以降継続的に調査した結果,植食性または雑食性であるバッタ類とコオロギ類ではこの 5 年間で放射性 Cs 量はコ

ンスタントに低下し,2016 年 9 月にはいずれも検出限界以下のレベルとなった。一方,捕食性である造網性クモ類では 5

年間で顕著な低下はみられず,現在も 100Bq/kg(湿重)超のレベルにあることがわかった。

土壌から一年生植物へは Cs の移行が少ないことが知られており,こうした植物を餌とするバッタ類などでは放射性 Cs

の蓄積量が年々低下する一方,高濃度の放射性 Cs が蓄積している森林のリター層で繁殖する腐食性のハエ類などを餌

とする造網性クモ類では,放射性 Cs のレベルが低下しにくいものとかんがえられる。

3.今後の研究推進計画

平成 29 年度も退職された先生を除き,ほぼ前年度と同様の体制で研究を進めていく予定である。

土壌肥料畜産復興チーム-- 乳牛の放牧利用の実証試験,牧草のカリ過剰による牛の障害への対応方策の検討,継続し

た現地の状況把握,畑わさびでの放射性セシウム吸収抑制対策,農大方式による津波被災

水田の地力維持方法の検討などを行う。

森林チーム------------- 人工造林地における放射能汚染状況の調査,丘陵地帯の森林における自然植生,遷移状

況の調査,福島周辺の野生動物の分布拡大状況等の調査などを行う。

農業経営チーム--------- 津波被災地の農業法人の実態調査,営農再開モデル構築などを行う。

昆虫チーム------------- 中山間地域に生息する節足動物などから選定した指標種における放射性物質濃度や形態

的異常の出現頻度についてのモニタリング,圃場周辺の生物相に関する簡便な住民参加型

調査を実施する。

写真1 津波被害地における 写真2 相馬市で行われた平成 28 年度の 植生回復状況の調査(2016 年 9 月) 活動報告会の様子(2017 年 2 月)