ホフマンの創作原理に関する考察 - Osaka City...

21
- 35- ホフマンの創作原理に関する考察 「カロ一風」と「ゼラピオン原理 J ホフマンは己れの創作手法に就いて二度理論的説明を試みている。そのひ とつが, 1814 年刊行の彼の処火作品集『カロ一風の幻必作品集』に収められ 1819 から刊行された彼の最後の作品集『ゼラピオン同人集 J の枠物語の中で提唱 される創作原理である。前者は「カロ一風J (Callots Manier) と呼ばれ,後 者は「ゼラピオン原理J (Serapiontisches Prinzip)と呼ばれている。 一般に作家としての E.T. A.Ho mann という名前は,怪奇幻忽小説と 結びつけられて流布しているが,その実なかなか明日析な頭脳と徹密な構成力 を持った作家であると言える。本稿では彼の二つの創作原理を取り上げて, ホフマンが創出した様々な幻像の背後に働いていた「理性」の部分を考察の 対象とする。ただし,その理性も幻想作品の形成に仕えるものである事も 述べておかねばならなし、。またカロ ー風もゼ ラピオン原理も , そ の い か め しい名前とは裏腹に極めてさりげなく表明されている。乙乙ではそのさりげ ない言葉の背後に隠されて いる意味を解明するのであるが,その為には ホフ マンが各々の手法,原理に与えた定義以上のものを,彼の作品或はその構成 の中から読み とる必要がある。乙の考察に よって最終的に ホフマ ンの創作の 精神的原理と幻想形成の技法の特質を明らかにし得るのではないかと考え る。 i カ口一風に就いて 〔カロ一風の定義〕 『ジャ ック ・カ ロー』 とい う短 い文章は ホフマン が処女作品集につけ た事 (365 )

Transcript of ホフマンの創作原理に関する考察 - Osaka City...

Page 1: ホフマンの創作原理に関する考察 - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd...ホフマンの創作原理に関する考察 -37 一

- 35-

ホフマンの創作原理に関する考察

「カロ一風」と「ゼラピオン原理J

木 野 光 司

ホフマンは己れの創作手法に就いて二度理論的説明を試みている。そのひ

とつが,1814年刊行の彼の処火作品集『カロ一風の幻必作品集』に収められ

た『ジ ャ ック ・ カロ -~という短い論文である。そしてもう一方は, 1819年

から刊行された彼の最後の作品集『ゼラピオン同人集Jの枠物語の中で提唱

される創作原理である。前者は「カロ一風J(Callots Manier)と呼ばれ,後

者は「ゼラピオン原理J(Serapiontisches Prinzip)と呼ばれている。

一般に作家としての E.T. A. Ho妊mann という名前は,怪奇幻忽小説と

結びつけられて流布しているが,その実なかなか明日析な頭脳と徹密な構成力

を持った作家であると言える。本稿では彼の二つの創作原理を取り上げて,

ホフマンが創出した様々な幻像の背後に働いていた「理性」の部分を考察の

対象とする。ただし,その理性も幻想作品の形成に仕えるものである事も

述べておかねばならなし、。またカロ ー風もゼラピオン原理も,そのいかめ

しい名前とは裏腹に極めてさりげなく表明されている。乙乙ではそのさりげ

ない言葉の背後に隠されている意味を解明するのであるが,その為にはホフ

マンが各々の手法,原理に与えた定義以上のものを,彼の作品或はその構成

の中から読みとる必要がある。乙の考察によって最終的にホフマ ンの創作の

精神的原理と幻想形成の技法の特質を明らかにし得るのではないかと考え

る。

i カ口一風に就いて

〔カロ一風の定義〕

『ジャ ック ・カロー』とい う短い文章はホフマンが処女作品集につけた事

(365 )

Page 2: ホフマンの創作原理に関する考察 - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd...ホフマンの創作原理に関する考察 -37 一

- 36-

実上の「序文」であふ乙こには作家として立とうというホフマンの意気込

みと不安が反映されている。との文章に於いて彼は,精神的にも自分に近し

いと感じた17世紀の版画家カローの作風を紹介し?それとの類似によって自

己の創作手法を説明し,その手法が読者に惹き起すに相違ない異和感を除去

しようと試みているo まずカローの版画にホフマンが読みとった特徴を要約

して引用してみよう。

41

.

H

u

b

H

-J

ゲM

H

I

W

ぽH

P万多

民H

a

,,AV

一ρiuv

JSJSJ4F・

,t円nN'Tハ

vrL「吋

r

MHrau

リIl

AnMレ

aFfヮー

あなた〈カロー)の無数の異質きわまりない諸要素からなる構図群をじ

っと見詰めていると,幾千もの人物が生命を帯び,個々の人物が最初は

気付かない程の背景から勢いよく,自然な色合いを得て輝き出てくるo

(Fantasiestucke S. 12)

e

A

U

F一

恥,

arH4

.,UM

P---t aHu

7仇uv

kp

v

M

-

-J n

J

UFe

-

-J

hηJ

e

・JM,,

d'F

L

・,M副M

lza

ro

d

--e,,z-yf,

EEhd

リユ,h

員兇町川

,.

・hHt,

a

〔…〕或いはむしろ彼(カロー〉のスケッチとは,彼の活発な幻想の魔力

が呼び出した奇妙な幻影の反映 (Reflexe)に他ならない。(向上〉

l:E IbM2-

T377YijElfEM

-Fih

nqI

U

,, PaFf

aドリJ

凪・・・・・負UW

1

・ι.

日常世界の最も卑俗なもの一一農民の踊りや鳥のように木々に腰をおろし

て伴奏する楽士達一ーですら或る種のロマン主義的独創性の微光につつま

れて現われてくる〔…J(向上)

-司戸

、‘‘

E4

,,‘,

hぜ‘丹、

RMH句

Bd

pt闘ιEF

一,v}ω

-i

a

,,.

1

4A

44aF

'

• a '

• '

。、tnh

M出H

悶MW

ムH

骨川

爪川V

ー・面、

人間的なものを動物と交錯させる事によって,人間とそのみすぼらしい営

みを瑚弄するイロニィは,深い精神の持ち主にのみ宿っている。かくして

カローの人獣混清から成るグロテスクな形象は,真剣で洞察力に恵まれた

観賞者には,奇矯さのヴェーノレに隠されている秘められた暗示をすべて明

らかにみせてくれる。(向上)

喝"b

mり

AFHH1

M判刑制

円い困

ρ,---E,

,、

およ

・i

・11

nHHnwMh-Eり

い川

hv

=瓜

I

E

民叫

B仏リJ

-ド、古晶子

'

f

l

・-Aリ

79Lhuwt

hd引に日

?9wwM

jpad--一色

升川nJ

もH

U

+

齢、人別、

H

M

J

S

t

r・-』

A

F

E

A

H

K

k

e

p

-

-

4

d

h

hJ

f

MJFd

-

5

・Fbr

.rv

dl

カローの『聖アントニウスの誘惑J等の版画にこの様な特徴を読みとり,

カローが実生活に於いても作品同様に大胆な人物であったという逸話を述べ

た後,ホフマンは己れの作品もカローの精神と手法に則ったものであるとし

ている。

一人の詩人とか作家の内面というロマン主義的な精霊界 (Geisterreich)

に日常世界の形象が立ちあらわれ,彼がそれらの形象を,その精霊界でそ

れらが包まれている微光と一緒に,あたかも奇妙な見慣れぬ化粧を施され

たような様子として描き出す時,彼はこの巨匠を例にとって,自分はカロ

( 366)

Page 3: ホフマンの創作原理に関する考察 - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd...ホフマンの創作原理に関する考察 -37 一

ホフマンの創作原理に関する考察 - 37一

一風に創作したのだと申し聞きができるのではないだろうか ? (Fantasie-stucke S. 13)

-、長

読者に対する弁明の形で控え自に提出される乙の「カロ一風J~ζ対してホ

フマンが大きな意味を賦与していた事が,出版者クンツとの文通から明らか

になる。『カロ 一風の幻想作品集』の序文を依頼されたジャン ・パォノレが乙

の表題にけちをつけ,別の表題を出版者に提案してきたのに対して,ホフマ

ンは次の様に反論している。一一 iWカロ 一風』という付加語について私は

十分に熟考し,これによって色々なものの為の余地 (Spielraumzu Man-

chem)を確保したのだ。ベソレガンサやメノレ ヒェン (W賃金の壷』の事〉等の

事を考えてみて くれo あの魔友の場面や広間での騎采〈上の作品の一場面〉

は,本物のカ ロ一風じゃないかね。」一一出版者の有名作家への遠慮、をおそれ

... , . 、

~

てホフマ ンは更に次の械に念を押している。 「取り念、ぎ付け加えておき

たい。『ジ ャック ・カロー』という論文の中に表題の付加語「カロ 一風Jが

まさに説明されているのだ。即ち,著者が卑俗な日常の形象を観,把提す• • • • • • • •

る際の特殊な主観的方法 (die besondere subjektive Art--強調はホフマ

ン〉の弁明がなされているのだ。」一一元来自分の以稿に殆ど頓着せずすべ

て出版者任せが常のホフマンだけにこのこだわりは重要である。事実『カロ

ー風の幻想作品集』に収められた諸作品の特徴を包括的に表現しているのが

このカロ 一風であると言える。例えば『黄金の壷』の梢似を練っている段階

でホフマンが語っている事, i妖精めいて不思議ではあるが, 大胆に日常世

界に踏み込み, 日常の形象を取り込んだものに全体はなるはずだ。」という

説明もカ ロー風の考えから産れたものであると言える。そのカロ一風の要点

をまとめるならば次の様に整理しうるであろう :1.創作の対象になるのは主

に日常の形象である。 2.しかしその日常の形象の摘出のノj法は,それを写実

的に校倣する事ではなくして,作家の内面というロマン主義的精霊界に映じ

た形姿を写し とる事である。 3.その内面世界では日常の形象は幻似の働きで

微光に包まれ,ま るで奇妙な見慣れぬ化粧を施された秘になる。 4.また視点

を変えるならば,作品に描かれた形象は活発な幻惣がその魔力で呼び出した

像の反映である とも言える。一一乙の他にも人間と獣とを合成してできた形

象は人間を瑚ける イロニ ィの表現であるとも述べられているが,それは上に

約三した内面世界で 日常の形象が被る変容のー形態である と理解できるだろ

,..,..ヲ.. ,'.I ~

同,.・戸

,"

~h〆‘・・

O

-つ

( 367)

Page 4: ホフマンの創作原理に関する考察 - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd...ホフマンの創作原理に関する考察 -37 一

- 38-

以上の様にカロ一風を整理してみると,改めて乙の手法がホフマンの創作

に果した役割の大きさが実感される。ホフマンが手紙の中で強調していた通

り, カロ一風はその「特殊な主観的な方法Jと適用能力の大きさ ("Spiel-

raum zu Manchem“〉によってホフマン文学の基本的手法を形成している。

その割にはカロ 一風の特性は,その見かけのさりげなさに欺かれてか,研究

者達によって追求される事が少なかったといえる。その中にあってコノレフが

最も丁寧な考察を行っている。彼はカロ 一風を抽象化して「ロマン主義的含

蓄 (Hintersinn)を持つ幻想的リアリズム」と規定し,カロ一風による日常

形象の変容とはノヴァーリスの場合とは異なる「戯画化J(Karikieren)で

あると述べている。そして更に,その戯画化もロマン主義的精神に由来す

る,即ちその戯画化は滑稽な形象の背後に潜む深い意味,真剣かっ高貴なも

のを暗示する役割を坦うものである と説明しているO カロ一風の中にロマ ン

主義の精神の表われを観る乙の解釈は, wジャック ・カロー』の中のホフ マ

ンの説明と対応する点も多し、。特にカロ 一風の中の Ironie~r.関するホフマ

ンの説明と呼応しているといえる。しかしカロ 一風の言う日常の形象変容の

操作を戯画化であると限定する事は,カロ 一風を一面化する事になる。カ ロ

一風にはノヴァ ーリスの言う意味での現実の詩化 (Poetisierung)の能力も

含まれていると考えずには『黄金の壷』をはじめとする数々のメノレ ヒェンの

持つ清朗な雰囲気は理解できぬと考えられる。いずれにせよ日常の形象,俗

物や動物等々を基底にして,それらを幻想の中で詩化或いは戯画化して表現

するという ホフマンの最初の創作原理は,処女作品集を超えて彼の創作活動

の全期間にわたって通用する重要な手法となったと考えられるO

- 〔力口一風の絵画性〕

コノレフを代表として,カロ一風に言及している研究者の殆んどがカロ 一風

の規定とホフマンの作風との対比で考察を終えている。本稿では更にカ ロ一

風という規定そのものの特徴に視点を据えて考察を進めよう。それはカ ロ一

風の規定と絵画との親近性である。乙の特徴は改めて論じるまでもない当然

の事のように見えるが,ホ フマンの作品に共通して認められる特質を少く と

も創作原理との関係に於いて説明するものである と考える。即ち,ホフ マン

が版画家カロ ーを引き合いに出して己れの創作手法を語っ たと いう事は,興

味深い思いつき以上の事を意味しないと言えるかもしれない。しか しそうし

て形成された文学の創作理論にも絵画性という特徴が現われている とする な

( 368)

• 、,

~ ~

'

,マヲJ

,ー・ " , エ".i -J lv~.; •

• -F

a A

F

司'd

a-

.- -" ....,., ,二 ャ尽τ'. i 1-,r;:

h・・.

a-E

,L

.Ft

,,. F'l.

aF

'lhマ 今回画

、1)

可‘

‘・

-ー.. -合

... ・ーー『・ 陶句・

2 ‘・、.ζ

-n

、.

Page 5: ホフマンの創作原理に関する考察 - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd...ホフマンの創作原理に関する考察 -37 一

C7i

~

ホフマンの創作原理に関するち察 - 39ー

らば,これは重要な'$ではなかろう か。というのも ホフマンが提唱したカロ

一風は,絵画の理論としてもそのままで完全に通用するものであって,文学

作品形成の為の理論としての規定を何ら合んでいないのである。乙のカロ一

風の規定法の特徴に大きく関わるホフマン文学の特質と「34点」とを具体例

によって切らかにしたいとJS・える。ホフマンの叙泌が絵問的であ るという指摘は散μされるし,また彼が物語

のモティーフに絵両に拙かれた仙景をしばしば利用したという事もよく知ら

れている。『フェノレマータ~ (1815 {~) , W ア ーサ一宮~ (1815年),w総督と総

督ノミ人~ (1817年), wマノレティ ン親ノJ とその職人淫~ (1817/18) の四作品が

それぞれフンメノレ,コノレベ, メラーの描いた4一年定の絵のIt,!j景からHl援に物語

のモティーフを得ている:ホフマンはこれらの絵に表現されている ItIJj景 仰

の物日りのrl1でひとつのス トーリーへと作り 変えている。乙 の11<な手法はカ

ロ一風と絵阿と の直接的な関係をIリjらかにしている。しかし乙乙で指摘しよ

うとするカロ一風の特徴は,上の伐なih:践的な絵阿への依存に限定されるも

のではなく,ホフマンがiilげ1:を行う際の椛:恨のたてノi,その椛想を物語iζ形

成する際の特徴としての絵間性である。ホフマンが手紙のrl:1で述べている比

較的ぷしい『民金の返』の構偲と完成作とを対照する事によって乙の特徴を

切らかにしてみよう。 1813年 8月19日のク ンツ宛の手紙のrl:lでホフマンはよ

だぷ題も定かでないメノレヒェンのアイデアを次のように諾っている。

• l

aML

句.

-FEd-a・ド、

,司7

z Y

' ...

〔・…〕例えば枢密文占官リントホノレストは途方もなくひどい魔法使いで,

緑色の蛇の姿をした三人の1']分の娘をクリスタノレiZ:の巾に飼っている。け

れども聖トリニティの日には彼女らは三時間だけアンペノレの庭園のにわと

乙の薮で日光浴をする事を許されている。そのそばではコーヒーやビーノレ

を飲みに来る客達が大勢往き来している。と乙ろが翌日の講義の事を考え

ながら委託の蔭でバターパンを食べようとした晴れ着をまとった一人の青年

が,三円のl蛇のうちの一匹への激しい狂気じみた恋のとり乙になってしま

う。一一彼は婚約し一一結-婚し一一持参金として宝石に飾られた黄金のし

びん (Nachttopf)を貰う。そして彼がそれに小便を初めてするや否や,

l' "'1"'" w

,r. ... ,

彼は尾長猿iζ変身してしまう。等々,A

乙のアイデアが 8月19自に舎かれ, u黄金の壷Jが執筆されたのが同年11

月26円から1814年 3月 4日である。執筆開始までの三ヶ月余りの問にいささ

( 369)

, J' Jノ fj~

Page 6: ホフマンの創作原理に関する考察 - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd...ホフマンの創作原理に関する考察 -37 一

- 40ー

か品に欠ける滑格諦が後期ロマン主義を代表するメノレヒェンに変貌してい

るo 乙の絞な物語の展開の樋端な変化もホフマンの創作手法の特質とかかわ

っていると思われるのだが,その点は次に論じるすまとして乙乙では乙の構惣、

と完成作品との類似性に着目してみよう。そうすると乙のアイデアの断片で

しかないものの中から実に多 くのぷ材が完成作品の巾へ採用されている事が

判明する O 一一枢密文書官リントホノレスト,貧しい大学生,三匹の緑蛇等の

主要人物像のみならずクリスタノレJ2,にわととの薮,初夏の祝日の市民の生

態,学生の緑蛇への恋等々一一我々はこれらのけ1から『黄金の査Jの第一章

をはじめ幾つかの印象的な場面を読みとる事ができるo 乙の様なイメージの

形成がホフマンの創作の初期の段階を特徴付けていると言えるであろう。し

かし,乙の鮮明なイメージ群とは対照的にこの構想の中には『黄金の登』を

貫いているロマン主義的理念,純粋な心情を持つ青年アンゼノレムスが愛を設

りぬく事によってアトランティスという高次な領域へ到達するという理念、の

一端すら伺う事ができない。

そして ζ の事がまさにカロー風にみられる絵画性という特徴に対応してい

ると考えられる。即ちホフマンはひとつの作品を構想する際にまずその作品

に如何なる思想を表現するのか,如何なる主題を展開するのかについての内

ヂ?と思弁を行うのではなく,彼の心を捉えていた幻像或いは魅力的な場面

とかモティーフを様々に組みあわせて構図若手を形成し,その構図群をつなぐ

筋 (Handlung)を考案する事で物語を紡いでゆくように恩われる。そして

その為の系材をホフマンは到る所で採取している。カロ一風で強調されてい

るように現実の卑俗な情景からも彼は交った人物,奇妙な建物等を見出し得

るし,他の作家や画家の作品が彼の心を捉える事も多い。しかしホフマンは

これらの形象を更にカロ一風の操作によって変容せしめ, それらの像 (Bil・

der) を組み合わせる事で彼独自の物語世界を産みだしてゆくことになると

いえるO ホフマンは乙の殺な絵画的手法を適用して彼の「幻必画集J,I i父景

画集」を豊かにしていった。乙の様な同一手法の反復の結果カロ一風が悪し

き芯味での "Manier“と化した-I[Uも確かに認められる。『フェノレマータ』

や『アーサ一宮J等にこのカロー風の安院な適用が伺えると言えるだろう。

しかしまた乙の手法を徹底して用いた所に『プランビラ如~~の独創性がある

司王も否定できなし、。だがことでは個々の作品の検Jすは街路しておかなくては

ならない。

次に我々は乙のカロ一風の絵画性の裳市 (Kehrseite)とも言うべき弱点

(3iO)

, 〆

..,

-,.四

-ー..

..

...ー.

Page 7: ホフマンの創作原理に関する考察 - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd...ホフマンの創作原理に関する考察 -37 一

-

..

ホフマンの創作原理に関する考察 - 41ー

をも指摘しておかねばならなし、。先に触れておいた様に『黄金の壷』な らば

その中心理念はあくまでも主人公のアトランティスへの飛朔に到るまでの過

程に表現されていなくてはならないものであって,乙の「メノレヒェンの魂j

というべきものが読者によって受け入れられなければ,乙の作品は失敗にお

わるであろうiところが, 8月旧の構想が語るのは,意地の悪い魔法使い

リントホノレス トによる主人公の幻惑とその挙句に生ずる主人公の尾長猿への

変身であるo 乙のアイデアが忠実に作品へと完成されていたなら,その表題

は『黄金のしびん~ ("Deγgoldne Nachttopf“)となっていたかもしれなし、。

上の例はいささか品に欠けるものであるが,筋の変化によって作品の産み

だす念珠が極端な反転を被る事を示すものだといえるO ホフマ ンの作品問に

於いてもとの様な意味の反転はいくつか看取されうる。『黄金の壷』と『砂

男』が示す結末の対照的な性格にも『舷気催眠術師』と『無気味な客』 とい

うモティーフの酷似した作品の結末の対照性にもそれが伺える。乙の様な筋

の急変の可能性もまたカロ 一風の絵画性と密接に関わっていると考えら れ

る。つまりカロ一風は幻想の力による形象の知覚と変容の特質のみを規定す

るものであって,文学作品に特有の語りの過程で産まれてくる意味に関する• •

規定を含んでいないo 更には元来文学作品が表現する思想という作品を支え

る精神的な面でもカロー風は無力であるo 例外はあるにしろ,物語 (Erzah-

lung)は絵画とは異なりそれ臼体で安らう事は困難であって,語りの過程で

何らかの窓味が析出してくる事になる。読者の理解行為はその析出してくる

意味連関を保持しつつ形成してゆく事である。理論的には乙の様な意味形成

を拒む文学もありうるだろうが,ホフマンがその様な作家でない事は確実で

ある。

研究者によってはカロ一風の中にロマン主義的精神を観る人もいる。 コノレ

フもカロ ー風を「ロマン主義的含蓄を持つ幻想的リアリズム」と規定してい

たo Wジャック ・カロ ー』にも「ロマン主義的独創性」 とか「ロマン主義的

精霊界」という用語が使用されているo 確かに初期のホフマンの作品同 ロ

マン主義的な思想が作品の魂を成している場合が多いと言える。『クラ イス

レリアーナ~, W黄金の壷』等がそれを裏書きしている。けれどもその思想を

カロ一風の本質と見倣す事はできないo カロ ー風とは上述の如く創作の精神

を規定するものではないのである。またロマ ン主義思想がホフマンの中心理

念であったという事も断言できないであろう。『黄金の蚤』の例にみられる

通り,ホフマンの物語が紡ぎ出す窓味は常に反転の可能性を秘めているので

(371 )

Page 8: ホフマンの創作原理に関する考察 - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd...ホフマンの創作原理に関する考察 -37 一

- 42-

ある。ただし,どこでその様な反転が生じるのかという問題は微妙な性質の

ものであって容易に論じられるものではないが,少くとも乙のホフマン文学

に特徴的な意味の不安定さは常に意識しておく必要があると考える。

E ゼラピオン原理に就いて

カロー風がホフマンの作家としてのデビューを飾る斬新な手法の表明であ

ったならば,ゼラピオン原理は作家としての名声を確立し人生の頂点を迎え

ていたホフマンの精神を反映したものになっている。『ゼラピオン同人集』

に収められた二十数編の短編とメノレヒェンは,その多くが当時の娯楽雑誌,

文庫本に発表されたものの再録であってその主題もできばえも様々であるO

しかしゼラピオン原理はその成立に於いて収録作品の特徴とは無関係である

ので,乙乙では一部を除き考察の対象からはずしておく。本稿ではホフマン

が乙の作品集を編むにあたって新たに案出した枠物語 (Rahmengeschichte)

を対象とし,ゼラピオン原理が提唱されるまでの構成とそ乙に表現されてい

るホフマンの思想を扱う事にする。それでも尚乙の考察は錯綜したものにな

らざるを得なし、。ゼラピオン原理に到る道筋がその様なまわりくどい過程を

要求しているのである O

〔ゼラピオン原理の成立と定義〕

まず最初にゼラピオン原理の提唱に到るまでの枠物語の梗概を見ておこ

う。一一以前定期的に集っていた四名の作家が12年ぶりに再会した。しかし

12年という歳月は各人を変えてしまい,昔のうち とけた雰囲気に替って気詰

一 りな空気が場を支配している。四人はその不快な事実を認める事によって過

去を清算し,新たな原理によって会を形成しようと考える。しかし,そこで

作家の一人ロターノレが異議を唱える。規約を作り定期的集会を持つ事は現在

流行の俗物達のクラブ (Klub)と同じ性格の会になってしまうというのであ

る。乙の意見に触発されて各人が経験したクラブの例が面白おかしく披露さ

れる。法律書程もある細々とした規約を持つクラブ,美食家達の組織だった

クラブ等々。ここでクラブと俗物性 (Philisterei) についての意見が交され

た後に,ツュプリアンが今日彼の心を捉えて離さぬ『隠者ゼラピオン』とい

う狂人の話をする。自分は殉教から更生った聖人であるという固定観念にとり

つかれた伯爵の話である O 他の作家達はその様な狂気に嫌悪と戦傑を催す。

( 372)

厄 ・

Page 9: ホフマンの創作原理に関する考察 - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd...ホフマンの創作原理に関する考察 -37 一

.

' ..

ホフマンの創作原理に関する考察 - 43ー

しかしその嫌悪は二つ自の話『顧問官クレスペノレ』という変人の話が語られ

た後に一転して高い評価に変わる。隠者ゼラピオンに対する評価の急転は,

乙の人物と乙の集いの日付との聞の二重の暗合 (Koinzidenz)の発見に よ

る。つまり乙の会合の日付が11月14日であって,その狂人の命日に重なって

いて,それ故ツュフリアンの心を領していたのだとされる。更にカ トリック

の暦を開いてみると11月14日が本物の殉教者聖ゼラピオンの日である事も明

らかになる。ロターノレは乙の二重の暗合を認め,更に乙の狂気の隠者の存在

様態から「詩人J(Dichter)の規範を導き出すに到る。それは乙の狂人が体

現している詩人=見者 (Seher)という姿を作家の理念に据えようというも

のである。ロターノレは隠者ゼラピオン像の意味を考察した後に次の様な 「ゼ

ラピオン原理Jを提唱する。

「各人ともそれを朗読する前に自分が発表しようと考えるものを己れの

眼で本当に観得したのかという事を十分吟味する様に。少くとも自分の内

面に湧き上がった像 (Bild)をその形態,色彩,光と影に於いて把握する

事に努める様に。そして自分自身がその像に熱狂していると感じられたな

ら,その姿を形あるものに置きかえる事にしよう。J(Seration S. 55)

かくして新しい会の結成に反対していた当人が会の基本精神を提唱する事

によってゼラピオンクラブは成立する。乙の会では各人が自作の朗読を行う

傍ら,その作品の批評,芸術論が展開されるのみならず,酒をくみかわ しな

がらの雑談もお乙なわれる。その中では当初あれ程問題にされた俗物性すら

許容される事になるO 乙の様にして虚構の作家達の清朗なる楽しい集いが形

成される。

以上の稜概を踏まえて考察を進める事になるが,まずいわゆる「ゼラピオ

ン原理」 といわれているものを取りだしてみると,乙乙でもまた「観る」こ

とに関する規定が行なわれている。一言でいえば「内面に湧き上がった像」

を明瞭に観得する事が要請されている。それはまさにカロ一風が規定してい

た事と殆ど同じである。細かな相違点を挙げるならば,カロ 一風では繰り返

し言われていた「日常の形象」を内面で変容させるという知覚 (Wahrneh-

mung)の過程に関する言及が消去されて, 内面の像を作品に置きかえる際

の表現に関わる要請(形態,色彩,光と影〉が強調されているという点が自

につくぐらいである。乙の様iζゼラピオン原理の規定のみに注目するなら

( 373)

Page 10: ホフマンの創作原理に関する考察 - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd...ホフマンの創作原理に関する考察 -37 一

-ー-

- 44-

ば, コノレフが述べている通りカロ一風とゼラピオン原理は, 日常の形象から

出発しているか内面の精神から出発しているかの相違はあれ,結局同じ事態

を表明しているのだという事になるだろう。そしてまた「ゼラピオン原理Jとはそれだけの怠義しか持たぬと言われれば,それまでである。しかし乙の

様なゼラピオン原理の理解の仕方は,ホフマンが枠物語のヰqC乙の原理を埋

め込んだ事の芯味を捉えていないと私には思われる。そもそもカロ 一風の確

認をする為には, I隠、者ゼラピオン」 という人物像は必要なかったと言える

し,上の規定にゼラピオン原理などという大層な名称、を賦与する必要もなか

ったであろう。やはり乙乙には何らかの原理が含まれていると考えなくては

なるまい。そ乙で我々はゼラピオン原理を拡大して捉え,乙の原理が提唱さ

れるに到る過程までを合んだ考-察をお乙なってみたい。

〔創作の精神としてのゼラピオン原理〕

1. Gemutlichkeit

先の梗概から最も明瞭に浮かび上がってくるゼラピオン原理の精神的意義

は, Gemutlichkeitの確立である。そもそも乙の枠物語の中の作家達が新た

な会の中にもたらそうと試みているのが乙の打ち解けた雰囲気である。その

一例を挙げるならば,同人達が五番目の会員としてレアンダーという人物を

入会させるか否かという議論をしている場でオトマーノレが次の様に述べてい

る。一一「彼(レアンダー〉は全力をあげて我々の夕べを彼の果てしない作品

で満たそうと試みるだろう。そしてそれに対する抵抗を悪くとるだろう。そ

うする事によって彼は我々を結びつけている最良の粋 (dasschonste Band)

である Gemutlichkeitをだいなしにしてしまう乙とだろう。J(Serapion S.

103)ーーまた乙の Gemutlichkei tがゼラピオン原理の暗黙の前提になって

いる事も乙の原理を言い換えている場面から明らかになる。ゼラピオン原

理とは換言すれば, I ~決してくだらぬ乙しらえ物 (Machwerk) でお互いを苦

Lら志るぬ事J(SeγaPion S. 56強調は筆者)であるとも言われているので、

あるo 枠物語全体を見ると乙の打ち解けた清朗な雰囲気の醸成と維持に如何

に多くの配慮が払われているかも明らかになるo そうしてこの精神的な雰囲

気が乙の枠物語を書いた時の精神を表現していると推測する事も概ね誤り と

はいえないだろう o 丁度『カロー風の幻想作品集』の虚構の書き手である旅

( 374)

, •

. '

, " ・哩

ー-

"

-

-・.

Page 11: ホフマンの創作原理に関する考察 - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd...ホフマンの創作原理に関する考察 -37 一
Page 12: ホフマンの創作原理に関する考察 - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd...ホフマンの創作原理に関する考察 -37 一

- 46-

「丁度昨日アリオストが己れの想像力が産み出した像について語り,自分

は現実の時間空間の中にはかつて存在した事のない人物と事件を内面で創

造したと主張した。私はそんな事は不可能であると否定した。詩人が己れ

の特別な見者 (Seher)の才のお蔭で眼前に生きいきと観るものすべてを

自分の脳という狭い空聞に押し込めようとするのは,高次の認識が欠如し

ているからなのだとする私の考えに彼も承服せざるを得なかった。J(Sera-

Pion S. 26) 、

無論乙のゼ、ラピオンの庵を訪れるアリオストとても P伯爵の幻想が産みだし

た幻に他ならぬのであるが,そのアリオストの創作法を否定するゼラピオン

の主張は一見すると人間の想像力の独創性を一切認めない現実至上主義の様

な錯覚を与える。しかし事態はまさにその逆であって,ゼラピオンはアリオ

ストの説の非徹底性を非難しているのである O ゼラピオンの狂気を支える論

理とは次の様なものである。

-ー-、

iC…〕私の眼前では不思議な出来事が色々と起る。皆はそれを信じ難い

事だと考え,それは私の精神や私の幻想の産物として形成されたものを私

がかつてに外界に起った事だと思い込んでいるに過ぎないのだと言う。私

としてはそんな考えは小賢しいたわ事にすぎないと思っているふ我々の周

囲,時間空間の内に起る事柄を把握できるのは精神だけではないだろう

か。我々の内部で聞き,観,感じるのは何であろう。それは我々が眼とか

耳とか手などと呼ぶ死せる器官であって精神ではないとでも言うのだろう

か。(中略〉つまり, 我々の眼前のでき事を把握するのが唯一精神のみで

あるのならば,精神がそうだと認めた事は,現実に起った事なのである。J

(SeγaPion S. 26)

乙の確信に支えられて狂気のP伯爵は自分が更生えれる殉教者であるという

観念を護り続けているのであるが,乙の論理にはそれなりの一貫性があると

言える。彼の主張とは, すべての知覚を最終的に司るのは精神 (Geist)で

あるから,それの下した判断のみがすべての認識の規準となるという事であ

る。と乙ろがP伯爵の場合,その精神が狂気によってもたらされた固定観念

(eine fixe Idee)によって占拠されている。そしてこの固定観念はといえば,

正気の頃に彼の学識を成していた著名な人物や事件から作られているO 言う

( 376)

〆-,s

-aulu-

-E,uuu・

HA叶EM

ー州

WHW

州問

RTI-.

γ =、1 '''' J‘ぞ,膚1

-d・4

・Er

EFL

-f」

7rz -・3ロ

・4ル巳

a-zh

"dq

・り

, .1 I _ I

・勺I7r三二 J』ロ

h-ミhhhH

Z『,f

、、,ι

・一町

,.,aE

•• ?齢、

'

-da

、h-,

n'a ,,

Page 13: ホフマンの創作原理に関する考察 - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd...ホフマンの創作原理に関する考察 -37 一

ホフマンの創作原理に関する考察 - 47-

ならばP伯爵は,その動機は不明ながら,狂気への跳躍の過程で己れの Iden-

titatを内面像のひとつと取り換えてしまい,更に内面像を外化して知覚す

る機構を貯えてしまったのである。それ以降彼の精神の狂いを明らかにする

はずの現実の人物,事件はすべて悪魔が彼をたぶらかす為に創り出す幻像

(Trugbilder)として斥けられる事になる。

乙の様な狂気の様態が一方的に否定的意味を持つものではない事が,乙の

物語の展開とそれについての作家達の批評からも,更にはゼラピオン原理か

らも明らかになる。ホフマンの作品全体を概観するならば,乙の様な狂気の

在り方はホフマンの幻忽論と奥深い所でつながっているとさえ言 えるだろ

う。乙の両者をつなぐ鍵は,内面の幻想像と外界とを分かつ境界の喪失或は

撤廃という操作の中にあると考-えられる。先程触れた旅する熱狂家をホフマ

ンは既に「内面の形象と外界との境界を殆んど区別しておらぬJ(Fantasie・

stucke S. 256)人物と特徴づけていたし,wアーサ一宮』にもゼラピオンの狂

気と類似した狂気に捉われている画家が描かれている。乙の狂気の画家は地

を塗っただけのカ ンヴァスに向かい,毎日何時間もそのカンヴァスを凝視

し,乙の作業を「描くことJ(malen)と称している。そして訪問者に対して

何も描かれていないカンヴァスのそこここを指さしながら,彼の精神が確か

に観ている楽園の情景の素晴らしさを熱っぽく解説し続けるのである。絵画

の情景を語る ことと現実のでき事を語ることの追いはあれ,精神が観た内面

像を描写する点に於いてこの画家とゼラピオンは共通する。乙の両者に代表

される狂気の芸術家像がホフマンの詩学にとって特別な意味を持つものであ

る事は,彼の晩年の短編『従弟の隅窓』で乙の人物像に言及されている事か

らも伺える。無論ホフマンは当初から乙の様な狂気の在り秘を芸術家の勲章

として讃えている訳ではなく ,芸術家が己れの芸術の完成をめざす途上に待

ち構える深淵 (Abgrund)と捉えているのであるが,その深刻:uζ飲みこまれ

た芸術家は少く ともその芸術上の志向に於いて誤っていたとは考えられてい

なかったと言える。

それと言うのも,ホフマンの幻似を基本に据えた芸術観は乙の様な狂気へ

4・bt

、.

戸、

• s 11_ -.

• '" •

、.

の限りない接近を本質的に要訪するものである といえるからである。前章で

論じたカ ロ一風の中にもその要請が潜在的に含まれている。つまりカ ロ一風

とは外界の形象をそのままの姿で写す事ではなく ,それが芸術家の内面とい

うロマ ン主義的精霊界でとった形姿を描く事であった。乙の規定を切り詰め

てゆくならば,精霊界に映じた独創的形姿乙そが芸術の精髄であって外界の

(377 )

",

/

高.

Page 14: ホフマンの創作原理に関する考察 - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd...ホフマンの創作原理に関する考察 -37 一

-晒面画、

- 48-

形象は二義的なものとなる。更にこの理念、が芸術家によって芸術の為の要請

から彼の存在領域の全体へと拡大されて適用されるならば, 日常の形象とは

仮象であって,内面の精神の観たもののみが真実であるという倒錯に到るこ

とになろう。勿論乙の過程では,芸術上の理念が精神全体にかかわる理念に

拡大されるという途方もない飛躍が生じている。そしてその飛躍こそが,そ

れぞれ程度が異なるとはいえ,ホフマンの描く芸術家像,騎士グノレック,ク

ライスラー,旅する熱狂家,狂気の画家,隠、者ゼラピオン等に表現されてい

るのである。乙の跳躍を遂行せしめる潜在力は乙れら芸術家像に賦与された

幻想を旨とする芸術への無限の熱狂,宗教的なまでの崇拝の中に乙められて

いる。特に初期の作品に多く描かれる芸術家達はこの芸術=宗教の要請にひ

たむきに従い,全身全霊をもって内面の精霊界に映る像を純粋な形で作品に

表現しようとする。その没頭が極限に達する時に狂気の世界が聞かれるので

ある。乙の様な狂気への参入は確かに挫折のー形態である。しかしその様な

深淵の脇を通らぬ芸術家に比べれば,彼らはホフマンの幻想的芸術観にはる

かに忠実な人物像である。隠者ゼラピオンがその狂気の中で漸く見出した幻

想の楽園とそ乙での魂の平安は乙の様な芸術的企ての最終地点を示す象徴的

な在り方である。

3. 俗物性の否定と狂気の否定

ゼラピオン像を含む狂気の芸術家像が処女作以来ホフマンの幻想的芸術観

の中で占めてきた意義を明らかにした今,我々は『隠者ゼラピオン』とそれ

に続く考察が枠物語の中で果す役割を明瞭に見透す事ができるだろう。乙の

ツュプリアンの物語を再び枠物語の中に戻すことによって, iゼラピオン原

理」の提唱に到る最後のステップを完成してお乙う。

梗概では明瞭にならなかったが,ツュプリアンはクラブを巡る会話の後に

俗物 (Philister)の例として二人のカント主義者の逸話を紹介し, そ乙で突

然に体験の形で『隠者ゼラピオン』を語っている。作家達の会話の展開から

はこの俗物の話から狂人の話への急な移行は理解で、きない。しかしこの枠物

語の構成をゼラピオン原理の前提という視点からみると,乙の急転の意味が

明らかになる。一一作家達は新たに gemutlichな会を結成しようとしてい

る。しかしそうすると不可避的に乙の会にも現在流行のクラブと同質の俗物

性の色調が付随してくる事になる O この俗物性をどう解決するかという所に

( 378)

• 引

-•

..q -, . .. J 寸 l碑

'.

Page 15: ホフマンの創作原理に関する考察 - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd...ホフマンの創作原理に関する考察 -37 一

ホフマンの創作原理に関する考察 - 49-

乙の隠者の姿が提出される。乙の人物像乙そは,上~の通り俗物,市民の対

極に立つ精神を担うものである。乙の人物像を乙の集いの精神的支え,守護

神 (Schu tzpa tron)とし,その精神を会の原理とする事によって作家達のク

ラブは俗物性よりも高尚なものとなる事が保証される事になる。一一『隠者

ゼラピオン』はまさにこの会の成立問可欠な一歩を促しているのである:

ではとの人物像がそのまま同人達の芸術理念を体現する模範なのかという

とそうではなし、。ゼラピオンの狂気はゼラピオン同人達のそして乙の作品集

を編んだ時のホフマンの芸術の理念をもはや完全には代表しえないのであ

る。乙の人物像に対する正確な評価と批判を行う ロターノレの言葉を引用しょ

-M

一一

4

.

f』

.

7-d

句、

、,‘'•

o

v

つ• 、.

... 、 iC…〕ツュ プリアヌス君,君が出会った隠者は本物の詩人だった。彼は

己れの告げたものを事実観ていたのだ。だから乙そ彼の言葉は人の心情を

捉える事ができたのだ。気の毒なゼラピオンよ,君の狂気とは他でもな

い,或る悪しき運命が君から二重性の認識,それによってのみ私達人間の

現世の存在が規定されている二重性の認識を奪ってしまった事によるの

だ。内面世界は存在する。それを明瞭に,躍動する生命の完壁な輝きの中

で観る精神の力も存在する。しかし私達が押し込められてしまった外界

が, その精神力を始動させる挺子 (Hebel)の役目をするという事が, 私

達の現世での分け前なのだ。内面の形象は外界の現欽が私達の周囲に形成

する圏内でしか現われえず,私達の精神は決して明確な像とはなり得ぬ漠

然たる神秘的予感の中でしかその圏外ヘ飛朔する事ができないのだ。隠者

殿よ / しかし君は外界というものを定立しようとしなかった。 君は乙の

隠された挺子,君の内に作用する力を見なかった。君が,観,聞き,感

じ,行為と出来事を把握するのは只精神のみであると,即ちまた精神がそ

うだと認めた事は皆実際に起った事であると,恐ろしいまでの明敏さで主

張した時,君は外界が身体内に呪縛された精神を知覚という働きへと思う

がままに強制するのだという事実を忘却していたのだ。愛すべき隠者よ,

君の人生とは絶えざる夢 (einsteter Traum)であった。君はきっと痛み

なしに来世で目覚めたととであろう。J(Serapion S. 54 f)

• ,

..・d

.. e

..

, •

, ‘・

, 乙の箇所に於いて幻怨と外界との関係についての晩年のホフマンの認識が

最も明確かっ一般的な形で表現されていると断言しでも誤りはあるまい。そ

(379 )

, ..

Page 16: ホフマンの創作原理に関する考察 - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd...ホフマンの創作原理に関する考察 -37 一

- 50-

-事......

してその様な重要な考察の対象として隠者ゼラピオンが選ばれうるという事

実が,上に論じたようにこの人物像がホフマンの芸術観の中で占めてきた重

要性を裏書きするものである とも言えるだろう。際、者ゼラピオンはホフマン

の従来の芸術観に照らしてみれば,真の詩人であったといえるのである。しか

しまたその詩人像はもはや1819年のホフマンの詩人像ではありえなかった。

ロターノレの言葉が示す様にゼラピオンの在り様は部分的にしか真理を表現し

えていないのである。ロターノレが乙の人物に認めた能力とこの人物に欠けて

いるものとして挙げた認識との両方を兼ね備えたものが,ホフマンが新たに

目指す詩人像である事がここで明らかにされている。乙の様な詩人像,芸術

家像を定義する事はなかなか困難であるO その様な詩人とは,ロターノレの言

葉を借りるならば, 人間の想像力 (Einbildungskraft)に加えられた人間的

条件,身体性までも含めた制約を自覚しつつもその精神の観るものの真実を

明らかにする事を使命とする者であるといえるだろう。乙 の様な複雑な事態

はたしかに狭義の「ゼラピオン原理」の規定では明らかにぎれていない。し

かしこの原理の提唱に到る枠物語の会話と考察の中にホフマンは乙の深めら

れた認識を巧みに表現してみせているO ここでは外界に捉われ精神を喪失し

た俗物のみならず,その対極にある芸術的熱狂に由来する狂気もまた否定さ

れる事になっている。乙の様な錯綜した過程を通る乙 とによってホフマンは

己れの過去の精神と現在の精神とを結び直したのだと考えられるo-だが作家

達の会話の形式を借りて遂行されたこの操作も大変な綱渡りである事に変り

はない。ロターノレ・ケーンが枠物語の機能に認めている困難さは,その事と

かかわっていると言える O 一一「情動喚起の術 (Gemuterregungskunst)の

理論は『ゼラピオン同人集』では枠の確固たる現実とそこで再三描かれるポ

ンスとくつろいだ暖炉の火の雰囲気に支えられる Gemutlichkeitと緊張関

係にある。 そこでゼラピオン的作用美学は情動喚起と Gemutlichkeitを統

合する事を要請されている。」一一ケーンが枠物語と収録作品 (Binnenerzah-

lungen)との聞に見出した問題を我々の文脈に置き換えて言えば,ホフマン

は新たな詩人像にゼラピオン的想像力とその想像力の限界の認識という相

容れ難いものを求めていると言える。まさにゼラピオン的幻想は同人達の

Gemutlichkeitとは相容れないものである。その意味で打ち解けた雰囲気を

重視する枠物語の中に収められた「ゼラピオン原理」はカ ロ一風の要請と基

本的に同じものでありながら,その要請の絶対性を喪失していると言えるo

本当の意味で上に述べた相容れ難い要請の調停が表現されているのは,ひょ

(380 )

比rtuF

Page 17: ホフマンの創作原理に関する考察 - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd...ホフマンの創作原理に関する考察 -37 一

&B

v

b

m野晶hr

i

JHUH

i

:

ホフマンの間作

っとすると幻似 (Fantasie)と liumorの給協と

いる『プランピラ姫J等の作品lζ於いてであるかもしれ

編めて独!f!j:な{仇

-5・ー•

.-司-

-・,,,苛

f

『,J

噛削

-d

‘u

帽の

•• ,dag削

AJ,

.』

1eι

}川1

・a

、,

Ji

--可rh--

ごろう。

rカロ一風Jと「ゼラピオン民iP.llJというホフマンrl身の子になる二つ

創作3理論を拠り所にしてホフマンの創作の手法と精神的j志位をIYJらカ

うと試みてきたのだが,その両者の扱いゴjは随分史-ったものになってし怠っ

た。カロー凪ではその鋭定から出発して,その規定の特性としての 「絵画

性」の考然を行ったのだが,ゼラピオン原理ではその規定そのものより

る事になった。その見出にっし

り返さない。ただ残念なの

る実作の部分lζ殆ど触れられなかった事であるが,それは別の

誌に織りたいと考えるo1比後i乙結論としてカロー凪とゼラピオンJjji砲の閲{

ど製約するならば,コノレフやイノレゼ ・グインタ一等の考える

悦はその却定のufiではjJ:しいと2・えるが,その

け '~fO

A、

はphw

bゅ

JJ

R

E

7

}h

l

Jl

:

ddA1

・84

‘・

1

・・

H柑出

n

e--v

JJ

AV

なしているものであるから,この(111約を図鑑した後以降のホフマンの作品に

於いては狂気の芸術家に代袋される幻恕の無限定な鉱大過程が捕かれると品

ないとiJえる。カロー凪とゼラピオン阪躍は表而上は酷似している lカ

聞に介在する内省と総織が両原理の背捻iζ

忠雄弁に物321・っていると考えられる。

Muv

fyI、

.畑

〔註〕

ホフマンの作品及び研究のの出典の指示は下記の〈主要怠考文献〉からのものである。

ホフマンの作品からの引用は本文|中Ie:i目指己し,註釈でも著者名.頁叡等で|略記する。

1 絡に述べる様lと正式の序文はジャン ・パォルによって自かれている。ζれは|出

fグンツが作'!<<lmの売れ行きをi怒っての事であるが,その序文の内容はホフマン

ζ皇子窓的なもので‘はなかっ lた。Fallias;.esiuckeの序文及び Brief¥¥rechsel .Bd. l.

..IJ11 ff がま照。

ンツiとよオ'vtまホフマン』2 の ほ~ Vv.illiaI11 Hogath をモデ

ー鳴lー-JacquesCallotο59,2-

-LR

F

uv''a's

-RMhM

供HHu'

aH,T

ju

・MM

Jレにしようとしていたらしし、。 ¥Verner.S.

1635)の作|品をlホフマンはパンベルタの 宅で ザしていたらしいが フじl ザ

(381 )

Page 18: ホフマンの創作原理に関する考察 - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd...ホフマンの創作原理に関する考察 -37 一

- 52-

は持っておらなかったようである。乙乙で言及されているのは r聖アントニウス

の誘惑Jと rゴンドウノレヴィノレの歳の市j と推測される。 Fantasiestucke S. 775

及び Callot,Bd. 11, S. 1462 f, 1513 ff u. a. 参照。

3 Brief wechsel, Bd. 1, S. 413 序文にも書かれている通りジャン・ノマォノレは Kunst-

novellenという平凡な表題を推奨していた。

4 向上 S.416.

5 向上 S.408.

6 Kor妊, S. 592-597. クラーマーもコノレフに従ってカロ一風の意義を「歪められた

表現の背後に隠されてある理想の啓示としてのグロテスクなものJに見ているo

Cramer, S. 82参照、。

7 ホフマンの作品の絵画的 (bildhaft,bildlich)な特徴に関しては, Heilborn, S.

170, FeldgesjStadler, S. 50f, SeraPion S. 1050等を参照の事。しかしまたホ

フマンが音楽的に構想を表現している場合もある。例えば BriefwechselBd. 1

S.454の Elixiereの構想を参照されたし、。

8 正確に述べると, rフェノレマータj は Hummelの Gesellschafiin einer italie-

nischen Lokanda, rアーサ一宮j がダンツィヒの Mり11erの絵]ungstesGericht,

f総督と総督夫人Jが同名の Kolbeの絵そして rマノレティン親方jが Kolbeの

Die Bo・ttcherwer kstattという絵を下敷きにしている。

-ー.....

9 Brief wechsel Bd. 1, S. 408.

10 本稿で r幻想作品集Jとしている Fantasiestuckeとそれに続く作品集 Nachtstucke

はテクストの註釈者によれば『幻想画集J,r夜景画集j と訳すべきもの.である。

その解釈の根拠は十分ではあるが, rブランビラ姫』では音楽のジャンノレ名が用い

られている事もあるのでと乙では芸術の三分野が重ね合わせられていると理解し

ておく。 Fantasie-undNachtstucke, S. 776及び 794,Spate Werke, S. 211参照。

『プランビラ姫jの序文でホフマンは,メノレヒェンの魂は「何らかの哲学的人生

観から汲まれた中心理念Jによってはじめて獲得される旨を述べている。 Spate

11

Werke, S. 211参照。

12 ザフランスキィのホフマン伝によれば,ホフマンの幸福の絶頂期は1821年10月で

あったと書かれている。その幸福から彼はたった三ヶ月後に墜落する事になる。

しかし1816年の大審院への正式採用とそれに続くオペラ Undine上演の大成功以

降ホフマンは安定した地位を築いていったと考えられるだろう。 Safranski, S.

477参照一ーまた『ゼラピオン同人集j 成立の経緯は複雑であるが, ホフマンは

出版者の作品集出版の提案に応じて枠物語と『隠者ゼラピオンJ(1818年末執筆〉

を新たに書き, その枠の中に既発表の短編等を収めたのである。 Briefwechsel

Bd. 11, S. 155ff及び Serapion,S. 1032ff参照。

13 乙の梗概の詳細は Serapion,S.9-57を照会の事。一一尚乙の四名の作家の会に

(382 )

a'r .

.II!"

'回

'. 1.

-" ー.1・ir,.了--.4iI!:.. .. ..-~V 10・kl .

可.

、、

.、』“‘

...

• 、

• 、

';1マ、

Page 19: ホフマンの創作原理に関する考察 - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd...ホフマンの創作原理に関する考察 -37 一

ホフマンの創作原理に関する考察 - 53ー

は現実のモデノレが存在し,乙の集いの日付が1818年の11月14日である事は有名で

あるが,12年振りの再会という設定が虚構であるという事も事実である。またク

ラブの流行については,Saf ranski, S. 402fを,俗物性の許容については Sera-

Pion S.56等を参照されたい。

14 Kor百,S.597.ヴインタ ーもゼラピオン原理を作品の形式的評価の規準と理解す

る立場から両原理を同じであるとみている。 Winter,S.75-87参照。 しかし本

稿の考察はζ の形式的同一性を出発点に据えたものである。

15 i旅する熱狂家」が『幻想作品集Jで果す役割は一貫していないが,ホフマンは

乙の作品集の副題に f旅する熱狂家の日記からとられた文書Jと付けて虚構の著

者を仕立て上げ,自らは編者の仮面を被っている。

16 SeraPioη, S.156f

17 Spate Werke, S.597f乙乙では作家が自分をとの狂気の画家に日食えて己れの創作

力の沼渇を表現している。また隠者ゼラピオンと『従弟の隅窓Jの関係について

は Nachlese,S.99f参照。

18 例えば Kreisleriana中のクライスラーの考えや fG.のイ エズス教会jにそれが

表現されているだろう。

19 ケーンがとのゼラピオンの存在様式を Idyl1eという言葉で捉えようとしている。

筆者もゼラピオンの狂気を主観の力によって作り出された楽園 (Paradies)と考

えている。 Kりhn,S.133及び拙稿「ホフマンに於ける想像力の場J(,奈良県立

医科大学進学課程紀要」第 9号〉参照

20 r顧問官クレスペノレj の存在をどう理解するのかという問題が残されている。乙

の点に触れているのは筆者の知る限りではゼーゲブレヒトのみであるが,その説

に私は首肯し難いので一応乙乙では留保する。ゼーゲブレヒトの考えについて

は,Segebrech t, S. 11f参照。

21 ロターノレの言葉に表現されている 「二重性の認識」とホフマンの自我観について

は既に詳細に論じた事があるので本稿では省略させて頂く。拙稿「ホフマンに於

ける想像力の場」及び「ホフマン風の幻想物語J(,奈良医大進学視程紀要」第 9

号,第11号〉参照。

22 ゼラピオン原理を巡る研究者の定、見の分岐点は,ロターノレの言集を重視するか除

外するかという点にある。本稿は前者の立場に立つ。同傑の観点に立つものはマ

ット, プライゼンダンツ等である。例えば,Matt, S.14-33, Preisendanz, S.48妊

に重要な見解が含まれている。 •

23 Kりhn,S.140.

24 特に SpateWerke, S. 324f

25 1919年以降に描かれる狂気の例をみると,例えば fプランビラ姫j のジノレリオと

ジアチンタの慢性二元論とか夢想、への埋没もあくまでその後の目覚めのステップ

(383 )

Page 20: ホフマンの創作原理に関する考察 - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd...ホフマンの創作原理に関する考察 -37 一

- 54-

として描かれている。また隠者ゼラピオンと類似の病,乙の世界からすべての緑

が失なわれてしまったという固定観念に捉われ,実際に緑のない外界しか見えな

い老人を描いた「快癒J(Die Genesung)という作品では, ζの病いは単なる病

気として描かれている。乙の老人の狂気とゼラピオンの狂気との間の落差は明白

であろう。

〈主要参考文献〉

E. T. A. Hoffmann : Sa・mtlicheWerke in sechs Ba・ηden-MUnchen:Winkik,196041

1 Fanfasie-und Nachtstucke (gekurzt: Fantasiestucke)

2 Die Elixiere des Teufelsj Lebensansichten des Katers Murr

3 Die Serapions-Bruder (gekurzt: SeraPion)

4 Spate lVerke

5 ScJν2げγiσ♂fβten zu γ M凶げ;1ωz

6 Nσchlese

E. T. A. Hoffmann: Briefwechsel in drei Ba・nden,hrsg. von Friedrich Schnapp.

Munchen 1967-69.

Cal1ot, Jacques: Jacques Callot, Das gesamte Werk in zwei Banden, hrsg. von

Thomas Schrりderu. a., Herrsching o. J.

‘ • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • •

Cramer, Thomas: Das Gγofeske bei E. T. A.

Feldges, BrigittejStadler, Ulrich: E. T. A.

Munchen 1986.

Heilborn, Ernst: E. T. A. Hoff1nann, Der Kunstler und die Kun5t. Berlin 1926.

Kりhn,Lothar: Vieldeutige Welt, Studien zur Struktur der Erzahlungen E. T. A.

Hoffmann. Munchen 1966.

Hヒiffmann,Epoche-Werk-Wirkung.

ー-Hoffmanns und zur Eniwicklung seines Werkes. Tubingen 1966.

Korff, Hermann August: Geist der Goethezeit. Teil IV, Leipzig 1953.

Matt, Peter von: Die Augen der Automaten, E. T. A. Hoffmanns Imaginations-

lehre als Prinzip seineγEγzahlkunst. Tubingen 1971.

Preisendanz, Wolfgang: Humor als dichterische Einbildungskraft. Munchen

21976 (11961)

Safranski, Rudiger: E. T. A. Hoffmann, Das Leben eines skepfischen Phantasten.

Munchen u. Wien 1984.

Segebrech t, W ulf: Heterogenitat und Integration bei E. T. A. Hoffmann. In :

Interpretationen zu E. T. A. Hoffmann, hrsg. von Steven Paul Scher,

Stuttgart 1981.

Werner, Hans-Georg: E. T. A. Hoffmann, Darstellung und Deutung der Wirk-

(384 )

-VL‘

"し''lea .,‘ ・岬ιuF

dr

Page 21: ホフマンの創作原理に関する考察 - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd...ホフマンの創作原理に関する考察 -37 一

ホフマンの創作原理に関する考察 - 55一

lichkeil im dichterischen Werk. Berlin u. vVeimar 1971.

Winter, Ilse: Unlersuchungen zum serationtischen Prinzit E. T. A. Hoffmanns.

;pi The Hague u. Paris 1976 .

..

(385 )