新世代のビジネスリーダーに伝える、 九州鉄市政施行で福岡市が...

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70 西8Y1963(昭和38年) 1964(昭和39年) 1961(昭和36年) 1950(昭和25年) 1946(昭和21年) 1945(昭和20年) 1941(昭和16年) 1936(昭和11年) 1910(明治43年) 1897(明治30年) 1889(明治22年) 1877(明治10年) 明治以降、近代都市として発展する福岡の成長と共に、 福岡を代表する銘菓を生んだ老舗企業も次々と産声を上 げた。 1905(明治38)年には㈱石村萬盛堂が創業し、銘 菓鶴乃子の販売を開始。 1906(明治39)年には二○加 煎餅の㈱東雲堂が、 1929(昭和4)年には後に博多通り もんで全国に名を馳せる(株)明月堂が創業する。今や世 界進出を果たしたヤクルトも、 1935(昭和10)年に福岡で製 造・販売を開始した。明治から戦前の福岡で、未来を夢見て 新たな菓子作りに挑戦した創業者たちの思いは、今や全 国で愛される福岡の銘菓を生み続ける原動力となった。 博多港に引揚者が溢れ、板付空港から朝鮮半島への 米軍爆撃機が飛び立つ動乱期の福岡において、ジュ エリー業界の老舗㈱いのうえは現在の事業展開の きっかけとなるアメリカ兵との出会いがあり、現ロイヤル ホールディングス㈱は福岡空港での機内食搭載から 始まり、現在のレストランチェーン事業へと発展して いった。㈱ふくやは1949(昭和24)年に辛子明太子 の開発に成功。幾度となく戦火の廃墟からの復活した 福岡では、昭和20年代も瓦礫の中から新しい企業が 次々と立ち上がっていった。 明治維新後、福岡は再び大陸への窓口として近代化が進み大きく 発展していった。1910(明治43)年には武士の町福岡と商人の町 博多を結ぶ福博電気軌道が開通、現在の明治通りが形成され福 博の人々の交流点としてまずは中洲が発展した。1924(大正13)年 には現在の西鉄大牟田線の福岡~久留米間が開通。1936(昭 和11)年に九州初のターミナルデパートとして岩田屋百貨店が開 業し、福岡の中枢を担う天神の骨格は戦前には既に完成していた。 福岡を代表する銘菓を生んだ老舗企業も続々創業 グランドゼロ!! 廃墟から福岡の先駆企業の躍動が始まった 明治~福岡大空襲までの70年 1877 (明治10)年~1945 (昭和20)年 福岡大空襲~ゼロからの復興期 1945 (昭和20)~1965 (昭和40)年 福岡大空襲により明治から営々と築きあげた近代福岡は呉服町 から大手門まで見渡す限りの廃墟となった。終戦後、進駐軍のブ ルドーザーで瓦礫の山を切り開いた復興道路が昭和通りである。 1950(昭和25)年に勃発した朝鮮戦争により前線基地となった福 岡は終戦後も空襲警報が鳴り止まない中、猛然と復興に取り組 み続けた。戦後復興の節目となった東京オリンピックと相前後する 1963(昭和38)年旧博多駅の完成が福岡復興の節目となった。 焦土と化した天神~博多港方面(撮影者不明 福岡市博物館所蔵) 天神の焼け跡を行くどんたく隊(撮影者不明 福岡市博物館所蔵) 昭和40年頃の博多駅(福岡市観光課撮影 福岡市博物館所蔵) 九州沖縄八縣聯合共進会(福岡県立図書館所蔵) 戦前の中洲の風景(福岡県立図書館所蔵) 岩田屋百貨店開店予告の絵はがき(岩田屋百貨店発行 福岡市博物館所蔵) Story of Fukuoka Pioneer companies 福岡の 先駆企業の物語 1877~2015 エピソード 70 26 BIZ FUKUOKA

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新世代のビジネスリーダーに伝える、

福岡大空襲から現代までの70年の軌跡

西南戦争で有栖川宮が福岡に本営設置

市政施行で福岡市が誕生

九州鉄道(初代)が初代博多駅を開業

博多電灯が東中洲に発電所建設・完成

九州沖縄八県連合共進会開催で天神誕生

福博電気軌道が路面電車を運行

福岡市天神に岩田屋百貨店が開店

真珠湾攻撃で太平洋戦争に突入

福岡大空襲で壊滅的打撃、終戦

どんたく隊が8年ぶりに復活

朝鮮戦争が勃発

福岡市総合計画でY字構想

博多駅が現在地に移転・開業

東京オリンピックが開催

GNPで資本主義国世界第2位

日本万国博覧会が開催

沖縄が日本に返還される

新幹線が博多駅に乗り入れ

都市高速道路香椎〜東浜が開業

地下鉄室見〜天神が開業

百道浜で埋め立てが始まる

福岡ダイエーホークスが始動

アジア太平洋博覧会が開催

シーサイドももち地区に

福岡ドーム開業

阪神・淡路大震災が発生

キャナルシティ博多が開業

この頃にIT企業が一斉に創業

福岡県西方沖地震が発生

東日本大震災が発生

福岡市の人口が150万人突破

2020年の東京五輪開催が決定

福岡市が国家戦略特区に選ばれる

1963年(昭和38年)

1964年(昭和39年)

1961年(昭和36年)

1950年(昭和25年)

1946年(昭和21年)

1945年(昭和20年)

1941年(昭和16年)

1936年(昭和11年)

1910年(明治43年)

1897年(明治30年)

1889年(明治22年)

1877年(明治10年)

明治以降、近代都市として発展する福岡の成長と共に、福岡を代表する銘菓を生んだ老舗企業も次 と々産声を上げた。1905(明治38)年には㈱石村萬盛堂が創業し、銘菓鶴乃子の販売を開始。1906(明治39)年には二○加煎餅の㈱東雲堂が、1929(昭和4)年には後に博多通りもんで全国に名を馳せる(株)明月堂が創業する。今や世界進出を果たしたヤクルトも、1935(昭和10)年に福岡で製造・販売を開始した。明治から戦前の福岡で、未来を夢見て新たな菓子作りに挑戦した創業者たちの思いは、今や全国で愛される福岡の銘菓を生み続ける原動力となった。

博多港に引揚者が溢れ、板付空港から朝鮮半島への米軍爆撃機が飛び立つ動乱期の福岡において、ジュエリー業界の老舗㈱いのうえは現在の事業展開のきっかけとなるアメリカ兵との出会いがあり、現ロイヤルホールディングス㈱は福岡空港での機内食搭載から始まり、現在のレストランチェーン事業へと発展していった。㈱ふくやは1949(昭和24)年に辛子明太子の開発に成功。幾度となく戦火の廃墟からの復活した福岡では、昭和20年代も瓦礫の中から新しい企業が次 と々立ち上がっていった。

明治維新後、福岡は再び大陸への窓口として近代化が進み大きく発展していった。1910(明治43)年には武士の町福岡と商人の町博多を結ぶ福博電気軌道が開通、現在の明治通りが形成され福博の人々の交流点としてまずは中洲が発展した。1924(大正13)年には現在の西鉄大牟田線の福岡~久留米間が開通。1936(昭和11)年に九州初のターミナルデパートとして岩田屋百貨店が開業し、福岡の中枢を担う天神の骨格は戦前には既に完成していた。

福岡を代表する銘菓を生んだ老舗企業も続々創業グランドゼロ!! 廃墟から福岡の先駆企業の躍動が始まった

明治~福岡大空襲までの70年1877(明治10)年~1945(昭和20)年

福岡大空襲~ゼロからの復興期1945(昭和20)~1965(昭和40)年

福岡大空襲により明治から営 と々築きあげた近代福岡は呉服町から大手門まで見渡す限りの廃墟となった。終戦後、進駐軍のブルドーザーで瓦礫の山を切り開いた復興道路が昭和通りである。1950(昭和25)年に勃発した朝鮮戦争により前線基地となった福岡は終戦後も空襲警報が鳴り止まない中、猛然と復興に取り組み続けた。戦後復興の節目となった東京オリンピックと相前後する1963(昭和38)年旧博多駅の完成が福岡復興の節目となった。

焦土と化した天神~博多港方面(撮影者不明 福岡市博物館所蔵)

天神の焼け跡を行くどんたく隊(撮影者不明 福岡市博物館所蔵)

昭和40年頃の博多駅(福岡市観光課撮影 福岡市博物館所蔵)

九州沖縄八縣聯合共進会(福岡県立図書館所蔵)

戦前の中洲の風景(福岡県立図書館所蔵)

岩田屋百貨店開店予告の絵はがき(岩田屋百貨店発行 福岡市博物館所蔵)

Story of FukuokaPioneer companies

福岡の先駆企業の物語

1877~2015エピソード

アジアのリーディング都市として注目を集める福岡は、古からアジアの玄関を担ってきた。その発展の背景を読み解く時、明治維新後に70年をかけ

て築いた近代都市福岡は福岡大空襲で灰燼に帰したが、その瓦礫の中から現在の福岡を創り上げた事業家たちの奮闘とそれをともに支えた官

学のリーダーたちの歩みが見えてくる。これら先人と先駆企業の軌跡を新世代のビジネスリーダーや次世代の学生たちに伝えていきたい。

26BIZ FUKUOKA

西南戦争で有栖川宮が福岡に本営設置

市政施行で福岡市が誕生

九州鉄道(初代)が初代博多駅を開業

博多電灯が東中洲に発電所建設・完成

九州沖縄八県連合共進会開催で天神誕生

福博電気軌道が路面電車を運行

福岡市天神に岩田屋百貨店が開店

真珠湾攻撃で太平洋戦争に突入

福岡大空襲で壊滅的打撃、終戦

どんたく隊が8年ぶりに復活

朝鮮戦争が勃発

福岡市総合計画でY字構想

博多駅が現在地に移転・開業

東京オリンピックが開催

GNPで資本主義国世界第2位

日本万国博覧会が開催

沖縄が日本に返還される

新幹線が博多駅に乗り入れ

都市高速道路香椎〜東浜が開業

地下鉄室見〜天神が開業

百道浜で埋め立てが始まる

福岡ダイエーホークスが始動

アジア太平洋博覧会が開催

シーサイドももち地区に

福岡ドーム開業

阪神・淡路大震災が発生

キャナルシティ博多が開業

この頃にIT企業が一斉に創業

福岡県西方沖地震が発生

東日本大震災が発生

福岡市の人口が150万人突破

2020年の東京五輪開催が決定

福岡市が国家戦略特区に選ばれる

2014年(平成26年)

2013年(平成25年)

2011年(平成23年)

2005年(平成17年)

1997年(平成9年)

1996年(平成8年)

1995年(平成7年)

1993年(平成5年)

1989年(平成元年)

1982年(昭和57年)

1981年(昭和56年)

1980年(昭和55年)

1975年(昭和50年)

1972年(昭和47年)

1970年(昭和45年)

1968年(昭和43年)

1966(昭和41)年、福岡市は第二次基本計画で商業・情報・サービス機能を強化し、九州の中枢都市を目指す方向性を示した。現在の福岡の産業構造を生かした企業の創業が相次ぎ、1974(昭和49)年には㈱やまやコミュニケーションズ(創業時・山本物産)が創業した。1975(昭和50)年には㈱やずやが創業、その後急成長を遂げ、1978(昭和53)年には医療経営をトータルサポートする総合メディカル㈱が創業。また同年には㈱ミスターマックスがディスカウント業界に進出し、モノづくり主体の時代から流通の時代となっていった。

1985(昭和60)年の通信自由化・情報化時代の幕開けに先駆ける1981(昭和56)年に福岡市博多区で孫正義氏のソフトバンクグループのルーツ企業が産声を上げる。その後世界を一変させたウインドウズ95の発売の翌々年のIT企業の一斉創業に駆け付けるかのように㈱ライブドアの堀江貴文氏は1991(平成3)年に福岡から東京へ向かった。その後のインターネットマーケティングの時代の到来を巧みにとらえて、通販王国九州の牽引役となった㈱エバーライフや㈱アサヒ緑健などの健康関連企業がその頭角を現した。

福岡PARCO、JR博多シティ、博多阪急などの商業施設の充実が更に増しアジアからの集客力を高める中、1998(平成10)年には家庭用ゲームソフト会社㈱レベルファイブが設立。㈱ガンバリオンなどとともに福岡発のアミューズメントが業界に旋風を巻き起こした。ゲーム業界以外にもネットセキュリティーや次世代システムなどの開発を手掛けるIT企業も相次いで登場。また、医療システム開発や集客支援などに取り組むベンチャー企業も登場するなど活況を呈している。行政による創業支援も強化されており、スタートアップ企業が今後福岡の新たな原動力になると期待されている。

九州の中枢都市へ。モノづくりに加えて流通の時代へ名実ともに九州の中枢都市に。 情報化社会への胎動グローバル創業特区、アジアと日本のリーダー都市へ

政令指定都市・福岡の開発期1965(昭和40)年~1981(昭和56)年

アジアへ ウォーターフロント開発期1982(昭和57)年~1997(平成9)年

アジアのリーダー都市への胎動期1998(平成10)年~2015(平成27)年

1972(昭和47)年、福岡市は政令指定都市に指定され、その3年後の人口は100万人を突破した。1975(昭和50)年には山陽新幹線が博多駅まで到達し全線開業、銘菓や辛子明太子など、福岡の名産物が全国から注目を集めた。その間政令指定都市としてのインフラの整備も猛スピードで進み天神地下街が完成、1980年代初頭には福岡市地下鉄と福岡都市高速道路の区間開業にまで至った。

2005(平成17)年に地下鉄七隈線が開業。2011(平成23)年には福岡外環状道路も全線開通した。福岡の基盤整備が最終段階となる九州新幹線の開業前日の3月11日に東日本大震災が発生、首都機能のバックアップ都市候補となりうる日本海唯一の都市として福岡は、国家機能や大手企業の副拠点の要地として取りざたされるようになった。その後2014(平成26)年に福岡市は国家戦略特区であるグローバル創業・雇用創出特区に指定された。

九州の中枢都市としての都市基盤が次 と々完成していく中、福岡は本来の姿であるアジア太平洋の交流拠点としての機能についても地政学に導かれたかのように1989(平成元)年のアジア太平洋博覧会を開催した。これをきっかけにウォーターフロント開発を進め開幕と同時に福岡タワーも完成する。1993(平成5)年には福岡ドームも竣工し海外のスーパースターが続 と々来福。その翌々年にはユニバーシアード福岡大会も開催された。

山陽新幹線岡山-博多間が開業(画像提供:PIXTA)823万人もの来場者を集めたアジア太平洋博覧会(アジア太平洋博覧会協会撮影)

昭和50年代の天神の風景(福岡市観光課撮影 福岡市博物館所蔵)

福岡都市高速道路、地下鉄の開通で都市機能がさらに充実(画像提供:福岡市)グローバル創業都市・福岡のビジョンを語る髙島市長(画像提供:福岡市)

キャナルシティ博多空撮(画像提供:福岡市 撮影者:Fumio Hashimoto)

九州新幹線・鹿児島ルートが全線開業

商業機能も兼ね備えた新博多駅ビル

シーサイドももち地区空撮(画像提供:福岡市 撮影者:Fumio Hashimoto)

27 BIZ FUKUOKA

28BIZ FUKUOKA

福岡大空襲によって焦土と化した福博の地で、宝飾品の専門店として更なる発展の基礎を築いた老舗ジュエラー「宝石・時計いのうえ」。戦後復興期の中で訪れた「いのうえ」の物語をたどった。

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STORY OF JEWELER INOUE SINCE 1828

 

そんな恵二を魅了したのがダイ

ヤモンド。「どの宝石よりも硬く透

明で神秘的な輝きを放つダイヤモ

ンドを使ったジュエリーを多くの

人に届けていきたい」そんな恵二の

熱い思いが、世界的にも高く評価さ

れる「いのうえのダイヤモンドジュ

エリー」の礎を創っていった。

信頼の歴史を受け継ぎなが

ら、地域とともに歩み続ける。

 

その情熱は六代目・健一へと引

き継がれ、現在「いのうえ」は世界

クラスの品質を誇る宝飾品の専門

店として発展を続けている。一方

で地元・福岡で築いてきた信頼の

絆は今なお強く結ばれ、「地域のか

かりつけの宝石店」として三世代

に渡って、同じ販売員が担当して

いる顧客もいると言う。

 

福岡で生まれ育ち、人々の暮らし

や人生に輝きあふれるドラマを育

んできた「いのうえ」は、福岡を代表

する宝石・時計の専門店としてこ

れからも愛され続けていくだろう。

(※敬称略)

文政11年(1828年)に創

業。福岡の地に根づき、厚い

信頼を得る。

 「宝石・時計いのうえ」は文政11

(1828)年に久留米(現福岡県

久留米市)にて創業、187年にわ

たる歴史の轍を刻み始めた。

 

創業当時はかんざし、キセルの

製造販売を行っていたが、精緻な

細工を施したい質の高いかんざ

し・キセルは、当時より久留米の

人々に大変喜ばれていたと言う。

 

その後、三代目・悦次郎が久留米

より出博、大正元(1912)年に本

拠地を福岡市の下川端町に移す。

華やかな博多の民俗文化の中で、

「いのうえ」の商品は多くの人々に

愛され、現在の基盤を築いていった

のである。

あるアメリカ兵との出会いが、

宝飾品の専門店としての本格

的な歩みへのきっかけに。

 

昭和20(1945)年6月19日の

福岡大空襲により、呉服町から大

手門にかけ、明治以降営々と築き

上げた福博の都心部は壊滅状態と

なった。その空襲に

より福博の人々は全

てを失ったが、逆境

の中助け合いながら

の復興が進められて

いた。

 「いのうえ」の五代

目・恵二が宝石や指

輪などの装飾品を本

格的に手がけるきっ

かけが訪れたのは、ま

さにそうした昭和20

年代であった。

 

当時、福岡の板村基地(現福岡空

港)にはアメリカの航空部隊が駐

留しており、数多くのアメリカ兵

が基地内で暮らしていた。

 「結婚指輪を創ってくれないか」

ある時、恵二は一人のアメリカ兵

から思いがけない依頼を受ける。

だが材料が無い。戦後間もない日

本では金や銀などの貴金属はとて

も稀少で、簡単に入手できるもの

ではなかった。しかしアメリカ兵

は諦めず、自分のベルトのバック

ルや愛用していた金のライターま

で差し出し「ぜひ作ってほしい」と

頼み込んで来たのである。

 「人を愛する思いは日本人もア

メリカ人も同じ。その思いに応え

たい」アメリカ兵の深い愛情が恵

二の胸を打った。そして「遠い異国

の地で結ばれる二人が幸せになれ

るように」という願いを込めて、精

緻な細工と美しい造形を施した結

婚指輪を創り上げたのである。 

 

恵二が創った指輪はたちまちア

メリカ兵の間で評判となった。そ

して恵二の元には次々と指輪の制

作依頼が舞い込み、ジュエリーの

制作・加工技術にさらに磨きをか

けていったのである。

宝石・時計いのうえ

Story of FukuokaPioneer companies

福岡の先駆企業の物語1945~戦後復興期エピソード

昭和20年代 GHQ統治下の復興が続く福岡。それはあるアメリカ兵の願いから始まった。今も輝く老舗ジュエラーの物語。

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宝石・時計 いのうえ福岡市博多区上川端町13-15安田第7ビル9階 tel. 092-283-1133[営業時間]10:00~18:00 (定休日:日・祝日)  http://www.inouedia.com

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