放射光軟X線分光法による炭素材料の精密状態分析 - …Total electron...
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第 2回炭素材料学会 10 月セミナー「炭素材料応用の現状と診断法の新展開」(東京八重洲ホール,Oct 19, 2007)
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放射光軟X線分光法による炭素材料の精密状態分析
兵庫県立大学大学院工学研究科物質系工学専攻
村松康司
1.はじめに
一般に,波長が約 0.1~数十 nm の軟X線は物質に対する透過能が低く,薄い空気層によっても容易に
吸収される。これは物質中の軌道電子と軟X線との相互作用が強いためであり,逆に軟X線をプローブと
してこの相互作用を観測すれば,電子状態や化学状態に関する分析情報を引き出すことができる。また,
1970年代以降のシンクロトロン放射光(以下,放射光と略す)の光源と分光計測に関する目覚しい技術革
新にともない,放射光軟X線を用いた分析技術も急速に発展し,従来の実験室系装置では困難であった
様々な材料解析・評価が可能となってきた[1]。このような状況の中,我々は 1990 年代初頭より高輝度放
射光を用いた軟X線分光法を軽元素材料の精密状態分析技術として確立することを目的として,軟X線
発光分光法と軟X線吸収分光法を相補的に用いる放射光軟X線発光•吸収分光法の計測技術開発と[2],
特に炭素材料に着目した分析応用研究を進めてきた[3]。
本報では,炭素材料研究における放射光軟X線分光法の有用性と今後の可能性を示すため,軟X線
吸収分光法と軟X線発光分光法の概要を説明し,加えて我々がこれまでに行ってきた炭素材料の軟X線
状態分析例を紹介する。
2.軟X線分光法の概要
2.1 軟X線と物質との相互作用
電磁波の種類と波長・エネルギーとの関係を図 1 に示す。一般に,放射光は赤外光から硬X線に至る
非常に幅広い領域をカバーする電磁波であるが,このうち軟X線は紫外線よりも短波長で,X線の中でも
長波長の領域に相当する。つまり軟X線の波長は約 0.1~数十 nm で,エネルギーに換算すると数十 eV
~数 keV の領域となる。
いま,物質を構成する原子を考える。原子核のまわりに存在する電子は量子数で規定されるいくつかの
電子殻(K殻, L殻, M殻…)に収容される。各殻の電子がもつ結合エネルギーを図 2に示す。この図から,
軟X線に相当する数十 eV~数 keV の領域は,軽元素の内殻電子と重元素の外殻電子の結合エネルギ
ーに重なることがわかる。したがって,軟X線を物質に照射すると,軽元素の内殻電子や重元素の外殻電
子としばしば相互作用を起こす。この相互作用にもとづく代表的な電子遷移過程の概略図を図 3 に示す。
軟X線の吸収により内殻電子が非占有軌道(伝導帯)または真空準位へ遷移する過程を観測するのがX
線吸収分光法(XAS: X-ray absorption spectroscopy)である。実際には,入射X線のエネルギーに対する
物質の質量吸収係数あるいは吸光度(に相当する信号強度)を計測し,図 4 に示すように着目する元素
のX線吸収端近傍のスペクトルを測定する。吸収端エネルギーは元素に固有であるため,このエネルギ
ー位置から元素を同定できる。また一般に,X線吸収スペクトルには吸収端付近に微細構造が現れ,これ
よりも高いエネルギー領域には緩やかな波打ち形状が現れる。前者をX線吸収端構造(XANES: X-ray
absorption near-edge structure),後者を広域X線吸収微細構造(EXAFS: Extended X-ray-absorption
fine structure)とよび,両者をあわせてX線吸収微細構造(XAFS: X-ray-absorption fine structure)と総
称する。EXAFS は後述する光電吸収で放出された光電子が周囲の原子によって散乱される電子と干渉
する現象であり,このスペクトルを詳細に解析すると原子間距離を決定することができる。一方,XANESは
内殻電子の非占有軌道への遷移に起因するので,これを解析すると非占有軌道の情報を引き出すこと
ができる。
入射X線のエネルギーが結合エネルギーよりも十分に大きい場合に,X線は吸収されて(光電吸収)電
子は真空準位まで到達し束縛状態から解放されて物質の外へ飛び出す。この電子を光電子とよび,これ
をとらえる分光法がX線光電子分光法(XPS: X-ray photoelectron spectroscopy)である。XPS からは,光
電子の放出元である占有軌道の情報を引き出すことができる。
光電吸収で内殻電子が光電子として飛び出したあとに空孔が残るが,これは不安定な励起状態である。
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この励起状態の緩和過程として,X線(特性X線または蛍光X線)を放射する過程と,電子を放出する過
程がある。前者のX線をとらえる分光法がX線発光分光法(XES: X-ray emission spectroscopy)であり,後
者の電子(オージェ電子)をとらえる分光法がオージェ電子分光法(AES: Auger electron spectroscopy)
である。これらの分光法から占有軌道の情報を引き出すことができる。
2.2 軟X線吸収分光法
一般に,ランベルト・ベールの法則に従う吸収分光法では,試料に入射する光の初強度 I0と試料を透過
した光の強度 Iを測定し,吸光度 A= ‒log(I/I0)を光のエネルギーまたは波長に対してプロットすることによ
り吸収スペクトルを描く。しかし,軟X線の物質に対する透過能が非常に小さいため,通常の固体試料で
は透過X線の強度を測定することはいささか困難である。そこで,軟X線吸収分光法では吸収にともなう
様々な物理現象をとらえ,その信号強度が吸光度に相当するとみなして吸収スペクトルを描く方法が多
用される。例として,1970年代に測られたプラセオジウム(Pr)の軟X線吸収スペクトルを図5に示す[4]。こ
こでは,透過法で測定した Pr 薄膜の吸収スペクトル(点線)と,試料表面から放出される電子の検出量で
プロットしたスペクトル(実線)が比較され,両者がほぼ同一のスペクトル形状を示すことがわかる。つまり,
試料から放出される電子の量を測定できれば,透過法が使えない試料でも軟X線吸収スペクトルを描くこ
とができる。このように電子をとらえる方法を電子収量(Electron yield)法とよぶ。試料から放出される電子
としては光電子の他にオージェ電子や二次電子があり,一般に特定のエネルギーをもつ電子を選別する
方法を部分電子収量(PEY: Partial electron yield)法,エネルギーを選別しない方法を全電子収量(TEY:
Total electron yield)法,オージェ電子をとらえる方法をオージェ電子収量(AEY: Auger electron yield)法
とよぶ。このうち,試料に流れる電流(試料電流またはドレインカレント)を測るだけで比較的簡単に全電
子収量が得られるので,全電子収量法は多くの軟X線吸収測定に利用される。また,試料から放出される
蛍光X線をとらえる蛍光収量(FY: Fluorescence yield)法もバルク敏感な手法として多用される。
CK 吸収端における典型的炭素化合物の全電子収量軟X線吸収スペクトルを図 6 に示す[5]。このスペ
クトルは米国の第三世代放射光施設 Advanced Light Source (ALS)のビームライン BL-6.3.2[6]において
3000 程度の分解能(E/ΔE)で測定されたものであり,吸収端近傍において化合物ごとに異なる微細構
造が観測される。この微細構造は各化合物における非占有軌道の電子状態を反映しており,量子論的
手法による解析からその電子状態や化学結合状態を分析できる。もちろん,化合物に特徴的なスペクト
ル形状を指紋分析として利用することもできる。
通常,シンクロトロンにおいて水平面内の軌道を周回する電子から放射される放射光は水平面内に直
線偏光している。この偏光性を利用すると物質の配向性に関する情報を引き出すことができる。炭素六角
網面が積層した高配向性熱分解黒鉛(HOPG: Highly oriented pyrolytic graphite)と炭素六角網面が乱
雑に並ぶカーボンブラック,およびダイヤモンドについて,試料面に対する放射光の入射角を変えながら
測定した CKX線吸収スペクトルを図 7 に示す[5, 7]。HOPG では 285.5 eV のピーク強度が入射角に対し
て大きく変化するのに対し,カーボンブラックとダイヤモンドではこのような入射角依存性がみられない。
HOPG で観測される 285.5 eV のピークは炭素六角網面に対して垂直方向にのびる 2pz(π*)軌道への
1s 軌道電子の遷移に起因し,このπ*ピーク強度は入射直線偏光に対するπ*軌道の射影成分に比例
する。つまり,配向性の高い HOPG のスペクトルでは,入射角に対して変化するπ*軌道の射影成分を反
映した角度依存性が観測される。一方,配向性のないカーボンブラックやダイヤモンドのスペクトルには
角度依存性が現れない。このように軟X線吸収スペクトルの入射角依存性測定から物質の配向性や化学
結合の方向について解析することができる。
2.3 軟X線発光分光法
前述したように,内殻励起状態の緩和過程では,(特性または蛍光)X線の放出とオージェ電子の放出
が競争的に起こる。このうち,図 8 に示すようにX線の放出割合(蛍光収率)は軽元素ほど低くなり,例え
ば原子番号 6 の炭素ではX線放出が 0.1%程度なのに対してオージェ電子放出が圧倒的となる。つまり,
軽元素の発光X線強度は非常に弱く,これを十分な強度で検出するには非常に強い励起線で多くの内
殻空孔を生成させることが必要となる。このため,X線管球を励起源とする実験室系X線分光装置では炭
素のような軽元素の軟X線発光を高分解能で測定することが困難であり,通常は電子線励起による測定
がなされている。しかし1980年代に開発が進んだ挿入光源(アンジュレータ)の高輝度放射光が励起線と
して利用できるようになって,放射光励起による軽元素からの軟X線発光を高分解能で分光・検出するこ
とが可能となった。ちなみに,1990 年代初頭に我々が独自開発した不等間隔刻線回折格子発光分光器
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を用いて行ったホウ素化合物の軟X線発光分光測定が国内における最初の高輝度放射光励起軟X線発
光分光測定(回折格子を用いた波長分散型高分解能測定,軽元素の軟X線発光分光)であった[2, 8]。
高輝度放射光を励起線として測定した典型的な炭素化合物(図 6 と同じもの)の CKX線発光スペクトル
を図 9 に示す[5]。これは選択則にしたがって 2p 軌道電子が 1s 空孔に遷移するときに放出される軟X線
のエネルギー分布であり,基本的に2p軌道の電子状態密度を反映する。このような軟X線発光スペクトル
から占有軌道の電子状態や化学状態に関する状態分析,さらには指紋分析を行うことができる。また,図
10 に示すように軟X線発光測定においてX線の出射角依存性を調べることにより,図 7 に示した軟X線吸
収スペクトルの入射角依存測定と同様に,物質の配向性に関する情報も引き出すことができる[5,7]。
一般に,電子線励起発光X線測定に比べて単色放射光励起による軟X線発光測定はS/B比が高く,か
つ入射線照射による試料分解も低いため,信頼性の高いX線スペクトルを得ることができる。また,通常の
放射光ビームラインでは入射放射光のエネルギーを任意に変えることができるため,吸収端近傍におけ
る励起準位を選択することができる。これを選択励起X線発光分光とよび,通常の蛍光X線のみならず,
共鳴非弾性X線散乱(RIXS: Resonant inelastic X-ray scattering)やX線ラマン散乱(X-ray Raman
scattering)などを観測することができる。CK 領域におけるグラファイトの選択励起 CKX線発光スペクトル
を図 11 に示す[9]。CK吸収端よりも 35 eV 以上高い 319.4 eV のエネルギーで励起したX線発光スペクト
ルは通常の蛍光X線スペクトルであるが,励起エネルギーを吸収端近傍の 284.4~293.0 eV の間で選択
すると,励起エネルギーに依存したスペクトル形状変化を示す。この変化は励起電子と 2p 軌道電子との
相互作用により生じ,バンド構造を反映する。励起エネルギーが 283.4 eV よりも低くなると,スペクトル形
状は一定となるが,励起エネルギーに比例したエネルギーシフトを伴う。これはX線ラマン散乱であり,価
電子帯-伝導帯間の電子遷移に関する情報を含む。このような選択励起軟X線発光分光測定は通常の
実験室系装置では困難であり,今後,放射光ならではの新しい分光分析技術に発展すると期待される。
3.炭素材料の軟X線状態分析研究例
3.1 軟X線吸収分光法の例;カーボンブラックの局所構造解析
ゴムの補強剤や黒色顔料などに利用されるカーボンブラック(以下 CB と略す)は,その用途に合わせ
た多様な物理•化学特性を持つ品種が多数製造されている。これまで,CB 粒子の構造はX線回折,電子
顕微鏡,STM などの構造解析手法で調べられており,現在では縮合芳香族環シート(グラフェンシート)
からなる結晶子がタマネギのように同心円状に重なった構造モデルが考えられている [10, 11]。しかしな
がら,このモデルではゴムの補強などの実使用における機能発現メカニズムを十分に説明しきれない。そ
こで,化学結合状態の観点からみた新しい CB 構造モデルの創出を目指して,粒子径を系統的に変化さ
せた CB の軟X線吸収スペクトルを測定した[12]。
CB(N110, N220, N326, N330, N347, N550, N660)と HOPG の CKX線吸収スペクトルを図 12 に示す。
CBのスペクトル形状はHOPGの形状に比べてブロードであるが,この形状の差異を定量的に示すため,
CB と HOPG の差分スペクトルを CB の吸収スペクトルに重ねて示した。差分スペクトルには CB における
π*ピークの広がりがピークとして描かれ,ここで 284 eV 付近のピークを pre-peak と名付けた。このピーク
高と窒素吸着表面積との関係を図 13 に示す。Pre-peak 高は窒素吸着表面積と逆比例の関係にあり,こ
れは CB 粒子径が大きくなるほどπ*ピークの広がりが大きくなることを示す。
このπ*ピークの広がりの成因を考察するため,適当なグラフェンクラスターモデルを仮定して,その電
子状態密度(DOS: Density of states)を Discrete Variational (DV) ‒Xα分子軌道法[13, 14]で計算した。
水素終端された炭素六画網面からなるグラフェンのクラスターモデル(C96H24)と,中心の環を五員環と七
員環に置き換えた非ベンゼノイドモデル(それぞれ C80H20,C112H28)における炭素原子の非占有軌道の
電子状態密度を図14に示す。これから,五員環と七員環を構成する炭素原子のπ*-DOSは六員環を構
成する炭素原子のπ*-DOS よりも広がることが確認できる。さらに,いずれのモデルにおいても水素と結
合した炭素原子にπ*-DOS の広がりが確認できる。これから,CB の CKX線吸収スペクトルに現れるπ*
ピークの広がりの成因として,非ベンゼノイド構造または水素終端構造が推定される。
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3.2 軟X線発光分光法の例;活性炭細孔に吸着したベンゼンの吸着構造解析
活性炭は吸着剤として様々な分野で利用されている。この活性炭を環境汚染物質である揮発性有機化
合物(VOC: Volatile organic compounds)の吸着剤として利用する場合,活性炭細孔内での VOC の吸着
挙動を把握することは基礎•応用研究の観点から重要である。そこで,代表的なVOCであるベンゼンに注
目し,活性炭細孔に吸着したベンゼンの吸着構造を軟X線発光分光法で解析した[15, 16]。
ベンゼンを吸着させた活性炭とブランクの活性炭の放射光励起 CKX線発光スペクトルと両者の差分ス
ペクトルを図15に示す。差分スペクトルは278 eVの主ピークと283 eVの高エネルギーサテライトを示す。
これをベンゼン分子の C2p-DOS と比較すると主ピークとサテライトピークの強度比が異なっていることが
わかる。そこでこの差分スペクトルの形状を解釈するため,活性炭細孔表面が炭素六画網面からなるもの
と仮定して,図 16 に示すようにグラフェンクラスターモデル(C24H12)上の様々な位置に配置したベンゼン
分子の C2p-DOS を計算した。その結果,グラフェンシート面に対して約 0.33 nm 離れた距離にベンゼン
分子がほぼ平行に配置する構造が差分スペクトルの形状を最もよく再現した。この 0.33 nm という距離は
グラファイトの層間距離に等しく,グラファイトと同様にベンゼンは活性炭細孔面に対してファンデルワー
ルス力で吸着されることが明らかとなった。
3.3 軟X線発光•吸収分光法の例; ホウ素注入ダイヤモンド半導体のバンドギャプ解析
近年,ホウ素注入ダイヤモンドはワイドギャップ半導体や電子放出材料として注目されており,この物性
研究が活発になっている。しかし,このバンドギャップ構造は十分に解明されているとは言えないのが現
状である。一方,占有軌道の情報を引き出す軟X線発光分光法と,非占有軌道の情報を引き出す軟X線
吸収分光法を組み合わせると,バンドギャップ構造を詳細に解析することができる。そこで,我々はホウ素
注入ダイヤモンドの物性理解と電子特性の制御を目的とし,放射光軟X線発光・吸収分光法を用いてこ
のバンドギャップ構造を解析した[17, 18]。
ホウ素注入濃度が77, 920, 71000 ppmのホウ素注入ダイヤモンドの軟X線発光•吸収スペクトル(BKおよ
びCK領域)を図 17 に示す。半導体としての抵抗率を示すホウ素注入濃度 77 および 920 ppm の試料で
は,BKX線発光スペクトルの高エネルギー端が急峻であり,その直上にアクセプター準位と解釈できるピ
ークが吸収スペクトルに観測される。一方,金属に相当する抵抗率を示すホウ素注入濃度 71000 ppm
の試料では,BKX線発光スペクトルと吸収スペクトルが重なり,バンドギャップが閉じていることがわかる。
CK領域の軟X線発光•吸収スペクトルにもBK領域と同様なバンドギャプ構造のホウ素注入濃度依存性が
観測される。しかし,注入濃度が77および920 ppmの試料において,CKX線吸収スペクトルにアクセプタ
ー準位と思われるピークが 2 個観測される。
このホウ素注入ダイヤモンド半導体のバンドギャップ構造を理解するため,DV-Xα分子軌道法によりホ
ウ素と炭素の電子状態密度を計算した。計算に用いたホウ素注入ダイヤモンドクラスターモデルを図 18
に示す。このクラスターモデルは中心の炭素原子から第 5 隣接原子まで等方的に拡大した構造をもち,
中心炭素に隣接する一つの炭素原子をホウ素原子置き換えた置換型モデルである。なお,クラスター端
の炭素原子はすべて水素終端してある。中心炭素(1C)とこれに隣接する炭素原子(2C)およびホウ素原
子(B)に注目すると,B2p と C2p の占有軌道の DOS 形状はそれぞれ BK および CKX線発光スペクトル
の形状を概ね再現することが確認できる。また,B2p 非占有軌道の DOS には明確にアクセプター準位が
現れ,これも BKX線吸収スペクトルの形状をほぼ再現する。一方,C2p非占有軌道のDOS には 1C と 2C
ともにアクセプター準位が同じ分子軌道エネルギー位置に出現する。しかし,C1s 占有軌道をみると 2C
のほうが 1C よりも約 0.8 eV 深い方にシフトすることから, CKX線吸収スペクトルには 1C と 2C とでアクセ
プター準位にシフトが生じる。すなわち,CKX線吸収スペクトルに観測された 2個のアクセプターピークは,
ホウ素原子と結合する炭素原子と,ホウ素原子とは結合しない炭素原子との内殻シフトの差に起因すると
解釈できる。
4 おわりに
放射光の理論的予測[19]と最初の観測[20]は 1940 年代に遡るが,放射光による物性•分光研究は実質
的に 1970 年代から始まった。そして,挿入光源が実用化された 1980 年代からX線自由電子レーザーの
開発が既に始まった今日にいたるまで,放射光の光源技術と分光計測技術は急激な技術革新をとげて
いる。これにともない,材料分析に関する放射光の応用研究範囲も爆発的に拡大している。このうち,本
報で紹介した放射光軟X線分光法は炭素材料を含む軽元素材料の精密状態分析に有効な手法であり,
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今後,炭素材料研究における新しい解析•評価手法としての活用が期待される。
なお,本報では主として我々の分析研究例を紹介したが,勿論,多くの放射光研究者によって様々な
炭素材料の分析研究がなされている。これらの研究例については,世界各地の放射光施設のウェブサイ
トにある研究成果データベースを検索すれば,容易に情報を引き出すことができる。世界各地の放射光
施設ウェブサイトへは,lightsources.org のサイト(http://www.lightsources.org/cms/,2007 年 10 月現在)
からアクセスできるので,ぜひ参照されたい。
参考文献
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放射光に関する参考図書
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『放射光科学入門』 渡辺誠,佐藤繁編(東北大学出版会,2004 年).
『実験化学講座 10,物質の構造 II,分光下,第 5 版』 日本化学会編(丸善,2005 年).
『軟X線吸収分光法~XAFS とその応用~』 太田俊明編(アイピーシー,2002 年).
『X線吸収微細構造~XAFS の測定と解析~』 宇田川康夫編(学会出版センター,1993 年).
『X線光電子分光法』 日本表面科学会編(丸善,1998 年).
『X線分光分析』 加藤誠軌編(内田老鶴圃,1998 年).
『NEXAFS Spectroscopy』 J. Stöhr, (Springer-Verlag, 1992).
『Vacuum Ultraviolet Spectroscopy』 J. A. Samson, D. L. Ederer (Academic Press, 2000).
『Soft X-Rays and Extreme Ultraviolet Radiation』 D. Attwood (Cambridge University Press, 1999).
『Chemical Applications of Synchrotron Radiation, Part I & II』 Ed. by T.-K. Sham (World Scientific,
2002).
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図 1 電磁波の種類と波長・エネルギーとの関係。 図 2 結合エネルギーと原子番号との関係。
図3 軟X線をプローブとする代表的な電子遷移過程の概略図。
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図4 X線吸収スペクトルの形状。 図5 透過法(破線)と電子収量法(実線)で測定
したプラセオジウムの軟X線吸収スペクトル[4]。
図6 CK 吸収端における典型的炭素化合物の全電子収量軟X線吸収スペクトル。
図7 入射角θを変化させて測定したグラフ
ァイト,カーボンブラック,ダイヤモンドの CKX線吸収スペクトル。
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図8 蛍光収率と原子番号との関係。
図9 典型的な炭素化合物の放射光励起
CKX線発光スペクトル。 図10 出射角θを変化させて測定したグラフ
ァイト,カーボンブラック,ダイヤモンドの放射
光励起 CKX線発光スペクトル。
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図11 CK領域におけるグラファイトの軟X線吸収スペクトル(上)と選択励起
X線発光スペクトル(下)。
図12 カーボンブラックと HOPG の CKX線発光スペクトル。
図13 カーボンブラックの CKX線発光スペクトル
における pre-peak のピーク高と窒素吸着表面積との関係。
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図14 グラフェンのクラスターモデル(C96H24)および五員環と七員環を中心にもつクラスターモ
デル(C80H20, C112H28)の電子状態密度。
図15 ベンゼンを吸着させた活性炭とブラン
クの活性炭の CKX線発光スペクトル(上),
および両者の差分スペクトルとベンゼンの
C2p-DOS(下)。
図16 グラフェンクラスターモデル(C24H12)上
の様々な位置に配置したベンゼン分子の
C2p-DOS。
第 2回炭素材料学会 10 月セミナー「炭素材料応用の現状と診断法の新展開」(東京八重洲ホール,Oct 19, 2007)
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図17 ホウ素注入濃度が 77, 920, 71000 ppm のホウ素注入ダイヤモンドにおける軟X線発光•
吸収スペクトル(左:BK領域,右:CK領域)
図18 ホウ素注入ダイヤモンドのクラスターモデル BC146H148(左),およびそのクラスター中心の炭素
原子(1C)とこれに隣接する炭素原子(2C)とホウ素原子(B)の DOS(右)。