新宿西口商店街振興組合 第7回通常総会...安心安全の街作り新聞...

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安心安全の街作り新聞 2011 年 (平成 23 年) 6 月 30 日 新宿西口商店街 振興組合 〒160-0023 新宿区 西新宿 7-13-12 コーポラス時屋 202 号 電話 03-3364-3235 FAX 03-3364-2945 宿宿西83 宿28 第 7 回通常総会 新宿西口商店街振興組合 開催日 平成 23 年 7 月 23 日(土) 開催場所 歌舞伎町 鍋茶屋 宿西宿宿宿西7 西16038) 宿3宿西宿西追分標識 昭和信用金庫さんの協力で 募金の集計作業

Transcript of 新宿西口商店街振興組合 第7回通常総会...安心安全の街作り新聞...

安心安全の街作り新聞   2011 年 (平成 23 年)  6 月 30 日

新宿西口商店街振興組合

〒160-0023 新宿区西新宿 7-13-12コーポラス時屋 202 号電話 03-3364-3235FAX 03-3364-2945

 

東日本大震災後壱百日を経過しましたが、原発事故に伴う放射

能汚染、風評被害、消費者心理の悪化の影響で、私達の街でも景

気回復が遅れています。一日も早く政治の混乱を収め復興対策のス

ピードを上げることが要請されます。

 

そして、この震災で明らかになったことは、「絆」。家族を核とした

地域の人と人のつながりが大切だと言うことです。正に、「温かな人

情のある街」を標語とする当商店街のスピリッツです。

 

「誰かがやってくれる」「好きな人に任せばよい」「そんな時間がない」

と受け身になっていないか、思い出横丁は私達の商店街なのです。一

人一人が今後の商店街をどうするのか、通常総会は年に一度の大切

な方針を決める総会です。自分たちでとことん話し合うことができ

れば、総会は成功です。皆様の積極的参加をお願いいたします。

私道排水設備工事

 

長年の懸案だった新宿会中通り

の排水設備助成工事に新宿区役

所の助成認可が下り、工事が始

まりました。工期は約1カ月、

作業は午前7時~午後3時。歩

行通路部が狭くなりますので、

十分にご注意ください。

東日本大震災 

救援募金

城西通りカラー舗装完成

つるかめ食堂創業者、6月9日、

逝去、83歳。葬儀は家族葬にて行

いました。

新宿会会長片山肇氏談

「思い出

横丁の有名店として商売に励む

かたわら、TV等に街のグルメ評

論家としても活躍され、当地域の

活性化に貢献されました」

斉藤昭隆氏

 

この度は

「東日本大震災 

救援

募金」にご協力いただきありがと

うございました。第1次の募金回

収は4月28日に行われました。

 

集まった義援金は、総額719,

046円となりました。ご寄附い

ただいた皆様のご厚情に深く感謝

いたします。

引き続き

にご

の程

お願いいた

します。

第 7回通常総会新宿西口商店街振興組合

開催日  平成 23 年 7 月 23 日(土)開催場所 歌舞伎町 鍋茶屋

新宿西口商店

街振興組合は

法人化されて、

今年度で7年

目を迎えます。

 

此の間、共同

トイレの改修工

事や防犯カメ

ラの設置、街路

灯の維持管理

など法人化に

より公的資金

援助がスムー

スに受けられ、

環境整備を行うことが出来ました。

 

また、新宿区主催の「新宿文化

ロード」に協賛した東京工芸大学

笹尾教授の

「思い出横丁街並みの

れん」の展示。街路の「「新宿西口

思い出横丁」への

統一化。ロゴ作

成。などによりテレビ・雑

のマスコミの取材が増えるととも

に、私達の街が持つ「「界わい性」が

多くの消費者に受け入れられたこ

とに他なりません。

 

震災後の消費不振に打ち勝つた

めにも、第7回の通常総会を成功

させましょう。

念願だった角筈トンネル

(小ガー

ド)と城西通りの道路整備が完

成しました。昔の青梅街道のモニュ

メントも建てられ、道路はカラー

舗装され、きれいになりました。

  

道路には、はみ出た商品陳列、

看板、のぼり等を出さないよう

取り締まりを強化します。東口

との回遊性向上のために、清潔

で安全な通路の維持管理に皆様

のご協力をお願いたします。

青梅街道物語

 

1603年

(慶長8年)江戸

城改修のために、青梅の成木村

で採れる石灰を運搬する道路と

して、大久保長安

(江戸幕府勘定奉

行、老中となっ

たが逸

が多い人物)

の指揮の下に整備された

脇街道である。当時の名称は成

木街道と言った。

青梅街道の起点は、今の新宿3

丁目交差点付近で、甲州街道と

の分岐点であったことから

「新宿

追分」と呼ばれていた。

 

そして、今の城西通りを通り、

田無、青梅、大菩薩峠を経由し、

甲府の東にある酒折村で再び甲

州街道と合流する。このため「甲

州裏街道」とも呼ばれた。道程

で甲州街道より二里短く関所が

無いため、庶民の旅客にも多く

利用された。

総会を成功させよう!

新宿西口商店街振興組合

   

理事長 

宮越 

貞臣

追分標識

昭和信用金庫さんの協力で

募金の集計作業

市街地再開発事業とは

 

市街地再開発事業は、都市に

おける土地の合理的かつ健全な

高度利用と都市機能の更新を図

ることを目的として、都市計画

法及び都市再開発法に基づいて

施工されます。

 

当地域のように土地が細分化

され、権利関係が複層化してい

る地区において、公正

・公平に

共同ビル建設を行う場合は、

「法」に基づく市街地再開発事

業で行うことが望まれます。

 

この事業の要諦は、「権利変換」

という仕組です。権利変換とは、

地権者が対象地に持っている権利

(土地・建物の所有権、借地権、

抵当権など)を再開発後の建物

などに対する権利に置き換える

ことです。

 

事業の実施にあたっては準備組

合を設立し、各種計画案が検討

作成されることになります。

但馬屋珈琲店 一富士

みのるが開店した昭和 36年はケネディ大統領暗殺の年でもあるが街は政治から経済に切り替わりオリンピック景気に沸いていた。多くの若者が地方の田舎から勉学に就職に東京に押し寄せた。彼等にとってBARは、デモクラシーを語り、芸術を語り、人生を語る場であった。時代はめぐり、今の「みのる」はあの CM「何も足さない、何も引かない」時代の重みを感じさせられる大人の酒場となった。

東京ドドンパ娘が流

行ってだなー

ふみおマスター

きくや

元祖ハイボールを  自慢の串焼きと一緒にチューハイ。その元になったのがきくやの元祖ハイボールだという。先ずは、その特製ハイボールを味わって頂きたい。 焼酎は麦焼酎から芋焼酎まで幅広い銘柄を用意している。串焼きは、創業以来の秘伝のタレで焼き上げている。そして、箸休めに出される特製辛子味噌と食べるキャベツが口の中を洗い流し、串焼きが何本でも食べられる。

元祖ハイボールをど

うぞ

若大将 官野さん

みのるBAR

歳月の重み 噛みしめるBARへ

岐阜屋

あなたの応接間にど

うぞ

マスター大久保さん

自家焙煎の薫り高い珈琲

大正浪漫を想い起こさせるノスタルジックな喫茶店。新宿西口の喧騒を忘れさせてくれる空間である。倉田オーナーのコーヒーに対するこだわりから、店内に焙煎室を設けている。一杯ごとにネルドリップされた珈琲は壁に飾られた沢山の名品の中から、お客様の雰囲気に合ったカップが選ばれ静かに注がれる。これぞもてなしの心といえよう。

第二宝来家

大黒屋安兵衛

新宿区西新宿

1‐2‐3

03‐3342‐2661

新宿区西新宿

1‐2‐3

03‐3342‐2003

新宿区西新宿

1‐2‐1

新宿区西新宿

1‐2‐7

新宿区西新宿

1‐2‐6

新宿区西新宿

1‐2‐6

新宿区西新宿

1‐2‐8

新宿区西新宿

1‐2‐5

03‐3342‐6856

03‐3342‐5928

03‐3344‐3117

03‐3342‐0389

03‐3342‐0881

03‐3342‐1634

14代などの人気銘柄と  酒好きにたまらない肴

鮮度が命!  極上モツの刺身と串焼き

思い出横丁の歴史と共に生きてきたのが宝来家である。先代のご主人金子正巳さんが中国から復員後開いたモツ焼きの店で、この横丁に数ある焼き鳥屋の元祖である。金子氏にはヤミ市の顛末を書いた「やきとり屋行進曲」の著書がある。現在は娘さんと3代目の次男がこの2号店を切り盛りしている看板のモツ焼きやモツ煮込み、ポテトサラダに、その味はしっかりと受け継がれている。

安心してのんでらっ

しゃい!

若大将 栄二郎さん

日本酒の豊富な品揃えと   旬を生かしたお料理見上げると壁いっぱいに、日本全国の代表的な地酒が書か出されている。さて、今日は鶴の〆張鶴か、亀の神亀、あるいは姫の菊姫かと迷っていると、女将さんに薦められたのが「獺祭」。何んと読むのだろう?。獺、音はダツ、意はカワウソ、もう絶滅したあの「かわうそ」が、その捕えた魚を川岸に並べて祭ることからきていると言う。この古風な名前から想像もできない華やかな花の香りがした。

郷土のお酒で心地よ

い酔いを!

女将 智子さん

横丁文化って何? 木耳炒めにビールで実感

お帰りなさい!と   迎える笑顔

安心安全の街作り新聞   2011 年 (平成 23 年)  6 月 25 日

横丁の名物店の一つに数えられる最も横丁らしい中華飲み屋。職人が手元の食材や調味料を次々と鍋に入れ豪快に振る様子がシズル感を刺激する。また飲み終えたビール瓶はそのままで、伝票がなくても見れば一発の明朗会計である。横丁文化のには手先が見えること、開放的であること、素の人になれることが必要である。だから岐阜屋は毀誉褒貶があっても何時もお客さんであふれている。

平成 20年にリニューアルして横丁の店に似つかわしくない(?)ほどきれいになった。しかし店内には開業以来使われていたテーブルやカウンターなどを残し、昔からの常連さん達に好評である。メニューを見ても、このわた、たたみ鰯、馬刺し、どぜうの丸煮など日本酒好きにはたまらない。これも若い 3代目のかげに、昭和 6年生まれの大女将が健在でどっしりと構えているからだろう。

ごゆっくり

   どうぞ!

お母さんと洋子さん

一富士二鷹三茄子。初夢の中でめでたい順序。しかし3番目のなすびは?。江戸時代にはナスの初物の値段が非常に高く、「成す」に通じて縁起が良い。初代のご主人も大願成就の願いからこの店名にしたのか?。今は、お母さんと呼ばれる女将さんと娘さんが、「お帰りなさい」と、疲れた企業戦士達を温かく迎えてくれる癒しの場となっている。

あの店、この顔

あまり飲みすぎない

ように!

店のぬし 伸ちゃん

楽しいいひとときを!

二代目丸山マスター