DISCUSSION OF CHARACTERISTIC FEATURES OF FIELD COIL …

6
1155 1は じ め に 感性工学に関する研究は,文部省科学研究費補助金重点領 域研究 04236107 「感性情報処理の情報学・心理的研究」(1992 年~ 1995 年)に端を発して[1],その後発足した日本感性 工学会(1998 年~現在)にて盛んに行われてきた.しかし ながら,これらの研究では,人間の知性と感性の重なる部分 である“浅い感性”を対象としたものが多く,人間の豊か・ 鋭い感受性といわれる“深い感性”[1]については,あま り扱われてこなかった.また,現在,経済産業界の流れを見 ると,経済産業省が感性価値創造イニシアティブを策定する など,感性的観点からモノの価値が見直され始めている 2].これは,工匠や芸術家などによる感性価値を創造した ものづくりにおいて,深い感性に訴えかける商品等が存在し ているからである.しかしながら,これらの商品はノウハウ や勘に頼るものが多く,技術の伝承や感性価値の維持にとっ て,商品における深い感性に関連する物理要因を明らかにす ることは大変重要である. 一方で,音響再生装置の開発に目を向けると,現在,信号 処理技術や回路技術等の向上により,音楽の三大要素であ る,リズム・メロディ・ハーモニーを歪無く再生するという 目的においては,その性能をほぼ満足している.しかしなが ら,本来,音楽演奏に含まれる,演奏の躍動感,細やかな表 現,演奏や会場の雰囲気・空気感などの人間の深い感性に働 きかけるような情報の再現については充分とは言い難い.す なわち,音響再生装置の開発において,感性的観点からの価 値評価と,それに関連する物理要因・特性を明らかにするこ とが重要である.我々はこれまで,人間の深い感性に注目し, その評価および評価手法の確立[3-5],関連する物理要因・ 特性の計測・解析を行い[6-13],それらに基づく音響再生 装置の開発を行ってきた[6-16].その中で,スピーカの時 間的特性が深い感性に関連する音質と関係が深いことが明ら かになり[1213],とりわけ,電磁石スピーカによる音楽 再生能力の良さが明らかになってきた. そこで,本論文では,音楽再生における質の観点から,音 楽愛好家の間でも評価の高い電磁石スピーカに注目し,深い 感性に関連する物理要因・特性を測定と分析により明らかに する.具体的には,同一形式,同一口径の(磁気回路のみ異 なる)電磁石スピーカとフェライト磁石スピーカを用意し, それぞれの音質を,深い感性と関連する音質評価語群[3-5を用いた主観評価する.更に,主観評価に深く関連している 物理特性を測定分析し,心理物理学的に考察・検討する. 2. 電磁石スピーカの技術推移 電磁石は 1920 年代から 1950 年代まで,永久磁石が高価で あったため,その代用品としてスピーカに使用されてきた. 電磁石をスピーカに用いる場合,電磁石の励磁用の電源が別 途必要となってしまう理由から,昨今では,あまり用いられ なくなった.その後,高性能な永久磁石の開発が進められ, 1960 年代には,開発に成功したアルニコ磁石を使用したス 深い感性に関連する電磁石スピーカの特性の考察 三井 実*,石川 智治**,野尻 一実***,宮原 誠**** * 北陸先端科学技術大学院大学 情報科学研究科‚ ** 宇都宮大学 大学院工学研究科‚ *** 株式会社デジタルドメイン‚ **** 中央大学 研究開発機構 DISCUSSION OF CHARACTERISTIC FEATURES OF FIELD COIL MAGNET LOUDSPEAKERS CONCERNED WITH DEEP KANSEI Minoru MITSUI*, Tomoharu ISHIKAWA**, Kazumi NOJIRI*** and Makoto MIYAHARA**** * School of Information Science, Japan Advanced Institute of Science and Technology, 1-1 Asahidai, Nomi-shi, Ishikawa 923-1292, Japan ** Faculty of Engineering, Utsunomiya University, 7-1-2 Yoto, Utsunomiya-city, Tochigi 321-8585, Japan *** Digital Do Main Inc., 2-14-3 Uchi-kanda, Chiyoda-ku, Tokyo 101-0047, Japan **** Department of science and engineering, Chuo University, 1-13-27 Kasuga, Bunkyo-ku, Tokyo 112-8551, Japan Abstract : We have clarified experimentally that the field coil magnet loud speakers have higher quality from the viewpoint of DEEP KANSEI. In this paper, we have clarified the important physical characteristics related with sound quality based on many psychophysical considerations and experimentations. We evaluated two type loud speakers under the condition that only magnet were different by very high dignity music source. We have obtained “+2” rank better in the seven grade scale on field coil magnet loud speakers than ferrite magnet loud speakers. After many considerations, we have measured some physical characteristics. As the result of the measurements, we clarified that field coil magnet loud speakers have high velocity, large amplitude and better damping. Keywords : DEEP KANSEI, Sound evaluation, Field coil magnet loudspeakers, Velocity and amplitude of voice coil, Damping force 日本感性工学会論文誌 Vol.8 No.4 pp.1155-11602009Received 2008.07.10 Accepted 2009.03.24 原著論文

Transcript of DISCUSSION OF CHARACTERISTIC FEATURES OF FIELD COIL …

1155

1. は じ め に

感性工学に関する研究は,文部省科学研究費補助金重点領域研究04236107「感性情報処理の情報学・心理的研究」(1992年~1995年)に端を発して[1],その後発足した日本感性工学会(1998年~現在)にて盛んに行われてきた.しかしながら,これらの研究では,人間の知性と感性の重なる部分である“浅い感性”を対象としたものが多く,人間の豊か・鋭い感受性といわれる“深い感性”[1]については,あまり扱われてこなかった.また,現在,経済産業界の流れを見ると,経済産業省が感性価値創造イニシアティブを策定するなど,感性的観点からモノの価値が見直され始めている[2].これは,工匠や芸術家などによる感性価値を創造したものづくりにおいて,深い感性に訴えかける商品等が存在しているからである.しかしながら,これらの商品はノウハウや勘に頼るものが多く,技術の伝承や感性価値の維持にとって,商品における深い感性に関連する物理要因を明らかにすることは大変重要である.一方で,音響再生装置の開発に目を向けると,現在,信号処理技術や回路技術等の向上により,音楽の三大要素である,リズム・メロディ・ハーモニーを歪無く再生するという目的においては,その性能をほぼ満足している.しかしながら,本来,音楽演奏に含まれる,演奏の躍動感,細やかな表現,演奏や会場の雰囲気・空気感などの人間の深い感性に働きかけるような情報の再現については充分とは言い難い.す

なわち,音響再生装置の開発において,感性的観点からの価値評価と,それに関連する物理要因・特性を明らかにすることが重要である.我々はこれまで,人間の深い感性に注目し,その評価および評価手法の確立[3-5],関連する物理要因・特性の計測・解析を行い[6-13],それらに基づく音響再生装置の開発を行ってきた[6-16].その中で,スピーカの時間的特性が深い感性に関連する音質と関係が深いことが明らかになり[12,13],とりわけ,電磁石スピーカによる音楽再生能力の良さが明らかになってきた.そこで,本論文では,音楽再生における質の観点から,音楽愛好家の間でも評価の高い電磁石スピーカに注目し,深い感性に関連する物理要因・特性を測定と分析により明らかにする.具体的には,同一形式,同一口径の(磁気回路のみ異なる)電磁石スピーカとフェライト磁石スピーカを用意し,それぞれの音質を,深い感性と関連する音質評価語群[3-5]を用いた主観評価する.更に,主観評価に深く関連している物理特性を測定分析し,心理物理学的に考察・検討する.

2. 電磁石スピーカの技術推移

電磁石は1920年代から1950年代まで,永久磁石が高価であったため,その代用品としてスピーカに使用されてきた.電磁石をスピーカに用いる場合,電磁石の励磁用の電源が別途必要となってしまう理由から,昨今では,あまり用いられなくなった.その後,高性能な永久磁石の開発が進められ,1960年代には,開発に成功したアルニコ磁石を使用したス

深い感性に関連する電磁石スピーカの特性の考察三井 実*,石川 智治**,野尻 一実***,宮原 誠****

* 北陸先端科学技術大学院大学 情報科学研究科‚ ** 宇都宮大学 大学院工学研究科‚*** 株式会社デジタルドメイン‚ **** 中央大学 研究開発機構

DISCUSSION OF CHARACTERISTIC FEATURES OF FIELD COIL MAGNET LOUDSPEAKERS CONCERNED WITH DEEP KANSEI

Minoru MITSUI*, Tomoharu ISHIKAWA**, Kazumi NOJIRI*** and Makoto MIYAHARA****

* School of Information Science, Japan Advanced Institute of Science and Technology, 1-1 Asahidai, Nomi-shi, Ishikawa 923-1292, Japan** Faculty of Engineering, Utsunomiya University, 7-1-2 Yoto, Utsunomiya-city, Tochigi 321-8585, Japan

*** Digital Do Main Inc., 2-14-3 Uchi-kanda, Chiyoda-ku, Tokyo 101-0047, Japan**** Department of science and engineering, Chuo University, 1-13-27 Kasuga, Bunkyo-ku, Tokyo 112-8551, Japan

Abstract : We have clarified experimentally that the field coil magnet loud speakers have higher quality from the viewpoint of DEEP KANSEI. In this paper, we have clarified the important physical characteristics related with sound quality based on many psychophysical considerations and experimentations. We evaluated two type loud speakers under the condition that only magnet were different by very high dignity music source. We have obtained “+2” rank better in the seven grade scale on field coil magnet loud speakers than ferrite magnet loud speakers. After many considerations, we have measured some physical characteristics. As the result of the measurements, we clarified that field coil magnet loud speakers have high velocity, large amplitude and better damping.Keywords : DEEP KANSEI, Sound evaluation, Field coil magnet loudspeakers, Velocity and amplitude of voice coil, Damping force

日本感性工学会論文誌 Vol.8 No.4 pp.1155-1160(2009)

Received 2008.07.10Accepted 2009.03.24

原著論文

1156

日本感性工学会論文誌 Vol.8 No.4

ピーカが主流となった.更に1970年代後半には,より安価なフェライト磁石が開発され,広くスピーカに使用されるようになった.その後,高性能な希土類磁石(ネオジム等)も実用化されているが,現在,ほとんどの一般的なスピーカ用磁石はフェライト磁石となっている.これまでのスピーカ用磁石の変遷[17]をみると利便性,コストの改善に着目され開発が進められてきたといえよう.しかし,少数ながら,音楽愛好家からは,音楽再生における“質”の観点から,電磁石スピーカは,これまで開発されてきた他のスピーカよりも優れているのではないかと言われてきた.そこで次章では,電磁石スピーカの音質の良さを,深い感性に関連する音質評価語を用いて主観評価により確認する.

3. 音質の主観評価実験

3.1 評価用スピーカの諸元表1に評価用の2種のスピーカの諸元を示す.なお,表1から,この2種類のスピーカは磁気回路のみが異なり,他の条件は全く同じである.

3.2 主観評価に関する条件音質評価は ITU-Rの7段階評価の方法[18](+3:非常に良い,+2:良い,+1:やや良い,0:変わらない,-1:やや悪い,-2:悪い,-3:非常に悪い)により,フェライト磁石スピーカの再生音を基準として,電磁石スピーカの再生音を評価した.評価項目は人間の深い感性に関連する25語の音質評価語(高度感性情報に関係する評価語とキー評価語[3-5])で行った.評価者は音質評価語の意味の説明を受け,これらの意味を充分に理解している音質評価経験者5名で行った.テストソースは名演奏,名録音,高品質などで名高い CDの中から以下の6曲を選定し使用した.用いたテストソースを表2に示す.再生に使用した機器は高忠実再生システム:Extra HI

System M[15,16]を用いた.実験は,北陸先端大 情報科学研究科 AV実験室で行った.次節,3.3節において,総合音質評価の結果,評価語毎の評価結果と考察を示す.

3.3 音質の主観評価結果と考察表3に音質の主観評価結果を示す.これは,テストソース,被験者をひとまとめにした平均値・分散の結果を,音質評価語ごとに示している.この実験結果より,総合評価をはじめ,25種類の評価語全てにおいて良好な結果を得た.具体的には,音質の総合評価の結果の平均は“+1.88”,

分散は“0.323”となった.すなわち,電磁石スピーカはフェライト磁石スピーカに比して,約“+2”ランクほど,音質が良いことが明らかになった.各評価語の評価結果においては,いずれの評価語の場合でも“+1.13”以上の評価となり,電磁石スピーカの再生音質の方が明らかに良いことが示された.以下にその詳細の結果を示し考察を行う.特に,評価が高かった評価語は,“力強さ”

1156

表1 評価用スピーカの諸元

諸元 電磁石 フェライト磁石

形式 サブコーン付,フルレンジ(パルプ) 同左

口径 16cm 同左

Fo 63.6Hz 64.1Hz

Qo 0.275 0.307

mo 7.70g 7.78g

磁束密度 約13,000Gauss 約13,000Gauss

励磁電力 12W 無

BOX形式 バスレフ 同左

表2 テストソース一覧

音源1 PIANOCONCERTO No5“EMPEROR”(Beethoven):

(conductor) Zubin Mehta,(piano) Vladimir Ashkenazy,LONDON,FOOL-23016,No2

ピアノ協奏曲

音源2 Les LarmesuJacqueline(Offenbach):(violoncello)Werner

Thomas,ORFEO,C131851A,No1チェロ演奏

音源3 Watermark:Enya,WEA MUSIC 25p2-2465,No8ボーカル・シンセサイザー

音源4 GOING HOME THE L.A.FOUR:L.Almeida(g),R Brown(b),S.Manne(d),B.Shank(s, f),“GOING HOME”,EASTWIND

EJD-3045,No1ジャズ

音源5 Croonin’:Anne Maurray,EMI TOCP-8167,No1ボーカル

音源6 HOOKED ON DIXIE:Joe Webster & His RiverCity Jazzmen,K-TEL 678-2,No1

ディキーランドジャズ

(評価+2.33),“音の締まり”(同+2.20),“のり”(同+2.20)であり,音楽再生の評価に重要なキー評価語[3-5]も,“胸にしみ込む”(評価+1.80),“緊張感”(同+1.73),“空気感”(同+1.68),“凄み”(同+1.60),“重心の低さ”(同+1.60)といずれも高い評価値となっている.しかしながら,“胸にしみ込む”,“躍動感・生命感”,“気品”,“細かい表情の再現”,“繊細感”では評価の分散が1.067~1.173と大きくなった.これは,評価に用いたスピーカの振動板材質,形状(サブコーン付)などが評価に影響を及ぼし,再生する音楽リソースに依存して,評価の変動要因となった可能性が考えられる.また,表3の結果を踏まえて,評価語ごとに t検定(両側検定,有意水準 α=0.05)を行ったところ,被験者5名,全テストソースの評価結果において,両側確率はいずれの評価語の場合も0.05以下となり,有意差が確認された.したがって,これらの音質評価実験の信頼性が実証され,深い感性に働きかける情報の再現における電磁石スピーカの音質の良さが明らかにされた.以上の結果より,単に高音・低音が出ている,歪み感が少ないと言った音質の評価ではなく,緊張感を伴うような厳しい演奏や,熱気のこもった音楽再生等の感性的価値に関し

1157

深い感性に関連する電磁石スピーカの特性の考察

て,電磁石スピーカはフェライト磁石スピーカより明らかに優れていることが示された.また,評価実験時に同時に行った自由記述では,フェライト磁石スピーカは「演奏の切なさが全く伝わらない」,「つまらない演奏」,「声にあたたかみがない」などがあり,一方,電磁石スピーカは「芯がしっかりあって演奏していると感じる」,「発声のニュアンスがちゃんときこえる」,「しみじみさが出た」などの記述を得た.次章,4章では,得られた音質の差に深く関連する物理要因・特性を測定などから考察する.

4. 関連する物理特性の測定と考察

本章では,得られた音質の差に関連する物理特性を明らかにする.まず,そのために従来理論の基本的な物理特性;振幅周波数特性・群遅延特性の測定を行ったが,3.3節で示した評価結果(“+2”ランク)程の大きい差として現れているとは言い難い結果となった(付録参照).一方,これまでの感性的観点から行ってきた種々の主観評価実験や測定などの結果から,人間の深い感性に働きかける情報の再現に関連する音の特徴は,非線形特性を含めた時間的性質に注目すべきことが得られた[6-9,12,13].そこで,本章では,時間的,動的な特性に注目して,音質

表3 各評価語の評価結果(評価値降順)

評価項目 平均値 分散

総合評価 +1.88 0.32

力強さ +2.33 0.66

音の締まり +2.20 0.74

のり +2.20 0.92

胸にしみ込む +1.80 1.07

厚み・こく +1.80 0.40

緊張感 +1.73 0.78

安定感 +1.72 0.29

躍動感・生命感 +1.72 1.13

響き +1.70 0.23

温かさ +1.70 0.68

空気感 +1.68 0.49

凄み +1.60 0.27

重心の低さ +1.60 0.39

抜け +1.60 0.67

透明度 +1.60 0.30

深々さ +1.56 0.90

気品 +1.53 1.12

自然さ +1.47 0.70

細かい表情の再現 +1.44 1.17

実在感 +1.30 0.49

Holographic音場感 +1.30 0.70

静寂感 +1.30 0.96

まとまり +1.24 0.26

繊細感 +1.20 1.17

柔らかい +1.13 0.55

電磁石スピーカ

信号発生器 アンプ

フェライト

磁石スピーカ

波形観測器

電流プローブ

図1 測定システム

差に関連する物理的要因・特性を推測し,実際の測定と結果(4.2節)を求め,考察(4.3節)を行う.

4.1 音質差の物理要因・特性の推測表3の評価語毎の評価結果より,評価が高かった“力強さ”,“音の締まり”に注目する.① “力強さ”は,『瞬時的に音を自由空間に整合よく放出すること』に関連していると考えられるため,“ダイヤフラム(ボイスコイル)の速度・振幅”との関係が深いのではないかと推測した.

② “音の締まり”は,『スピーカが入力信号に忠実に動き,振動板が余計な振る舞いをしないように制御できている』と考えられるため,“ダイヤフラム(ボイスコイル)の制動力” との関係が深いのではないかと推測した.そこで,ボイスコイルの速度・振幅,及び制動力を求めるため,ステップ電流応答を観測した.以下,実験方法について述べる.

4.2 ステップ電流応答の測定と結果及び解析4.2.1 ステップ電流応答の測定条件図1に測定システムを示す.信号発生器は,ソニーテクト

ロニクス社製 AFG-320を使用した.電流測定において,電流プローブには Tektronix社製 TM502A,波形観測器には横河電機社製の DL-750を用いた.アンプは音質評価に使用したMusical Fidelity社製A-1改造品を用いた.入力信号は,10Hz方形波(スピーカ出力端子でPeak to Peak 1V)とした.その理由は,過渡応答が収束するのに十分な時間を持たせることで,スピーカのステップ応答を充分に観測できるようにするためである.測定精度は,サンプリング周波数50kHz,量子化ビット数12ビットで行い,アベレージングは32回とした.

4.2.2 ステップ電流応答の測定結果図2に電磁石スピーカとフェライト磁石スピーカのステップ電流応答の測定の結果を示す.(1)A部(波形の立ち上がり部分)では,ボイスコイル電圧の瞬時上昇に従い電流は増加するが,ボイスコイルの動きに伴い発生する逆起電力により電流は減少に転じ,ボイスコイルが一定の振幅に達するにつれて,逆起電力が減少し電流が再び増加する.(2)B部(収束部分)ではボイスコイルの停止に伴い,電流が一定値に収

1158

日本感性工学会論文誌 Vol.8 No.4

束することを示している.図2より,A部では電磁石スピーカの方がフェライト磁石スピーカより逆起電力が大きく,反応時間が短い(速度が速い)ことが観測される.すなわち,逆起電力最大時のボイスコイル速度と振幅に違いがあるのではないかと考えられる.又 B部では,電磁石スピーカの方がフェライト磁石スピーカより,オーバーシュート後の収束時間が短いことが観測される.すなわち,ボイスコイルの制動力に違いがあるのではないかと考えられる.そこで,実測した電流応答波形の逆起電力から,ボイスコイル速度と振幅を近似計算により求めて比較する.また,逆起電力同量時の電流応答波形を再度計測し,その収束時間をボイスコイルの制動力として比較する.

4.2.3 ボイスコイル速度の解析実測された電流応答波形データを基にボイスコイル速度と振幅を以下のように計算した.ボイスコイル速度は,ボイスコイルの動きに伴う逆起電力に比例する.すなわち,逆起電力 [V]とボイスコイル速度[m/s]の関係は式1で表される.

e = vBℓ (1)ただし,:磁束密度[T],:ボイスコイル線長[m]である.ここで(式1)よりボイスコイル速度は(式2)で表される.

v = eBℓ (2)また,ボイスコイル電圧を,アンプ出力電圧 と逆起電力

の和とすると,ボイスコイルを流れる電流[A]は(式3)で表される.

I = (Vo + e) /Z (3)ここで,:ボイスコイルのインピーダンス[Ω]である.(式3)より逆起電力 は(式4)で表される.

e = IZ - Vo (4)したがって,(式2)と(式4)よりボイスコイル速度 は(式5)で表される.

v = (IZ - Vo) /Bℓ (5)ここで,本来,ボイスコイル速度は,実際に用いたボイスコイルのインピーダンス の関数を求めて計算すべきであるが,今回はその代替としてボイスコイルの直流抵抗値(8Ω)

を用いて(式5)に代入し,ボイスコイルの最大速度の近似計算を行った.その結果を表4に示す.ボイスコイルの最大速度は,電磁石スピーカが0.37

[m/s],フェライト磁石スピーカが0.29[m/s]となった.つまり,電磁石スピーカの方が約0.08[m/s]速いことが明らかになった.また,逆起電力最大(ボイスコイル速度最大)時の振幅を,ボイスコイル速度の積分により求めると,電磁石スピーカが0.712[mm],フェライト磁石スピーカが0.591[mm]であり,電磁石スピーカの方が0.121[mm]大きいことが明らかになった.すなわち,人間の深い感性に働きかける情報の再現における,電磁石スピーカの音質の良さ(“力強さ”)に関連する物理特性の一つとして,ボイスコイル速度の速さと振幅の大きさが重要であることが明らかになった.(なお,反応時間は,電磁石スピーカが2.42[ms],フェライト磁石スピーカが2.94[ms]であり,電磁石スピーカの方が0.52[ms]短かった.)

4.2.4 逆起電力同量時の電流応答波形計測と分析図2の B部より,電磁石スピーカは,オーバーシュート後

の収束時間が短いことが観測されたが,A部の立ち上り時の影響があることも考えられる.そこで,フェライト磁石スピーカの逆起電力最大値と同量になるように電磁石スピーカの励磁電流を減少させて,オーバーシュート後の収束時間を比較した.その結果を図3に示す.なお,この時の励磁電流は通常時の電流値(0.6[A])を45%も減少させた値(0.33[A])となった.図3の B部より,オーバーシュートの最大値から収束値に

対して70%落ち込むまでの時間を比較すると,電磁石スピーカは6.0[ms],フェライト磁石スピーカは9.6[ms]であり,

表4 ボイスコイル特性の近似計算結果

電磁石スピーカ フェライト磁石スピーカ

ボイスコイル最大速度 0.37[ms] 0.29[ms]

ボイスコイル振幅 0.712[mm] 0.591[mm]

B部

図3 逆起電力同量時の電流応答

B部

A部

図2 電流応答波形

1159

深い感性に関連する電磁石スピーカの特性の考察

励磁電流を45%も減じたにもかかわらず,電磁石スピーカの方が3.6[ms]も速いことが明らかになった.すなわち,人間の深い感性に働きかける情報の再現における電磁石スピーカの音質の良さ(“音の締まり”)に関連する物理特性はボイスコイルの制動力の強さであることが明らかになった.

4.3 考 察4.2節において,人間の深い感性に働きかける情報の再現

に直接関連していると考えられる,電磁石スピーカの時間的,動的な特性が,ボイスコイル(最大)速度・振幅,制動力であることが明らかになった.すなわち,“力強さ”と“ダイヤフラム(ボイスコイル)の速度・振幅”との関係,“音の締まり”と“ダイヤフラム(ボイスコイル)の制動力”との関係が深いことが心理物理学的に実証されたと考えられる.また電磁石スピーカは,励磁電流を45%も減少させたにも関わらず,オーバーシュートの収束時間が短いことから,ボイスコイルの制動力が強く,音質の良さに特に関連が深いと考えられるが,その理由の一つは,磁気回路の透磁率 µ の差ではないかと考えている.各スピーカ方式による透磁率 µ のおおよその比は,メーカの諸元から,電磁石スピーカ:1000~10000,アルニコ磁石:5,フェライト磁石:1である.今回はアルニコ磁石スピーカの評価は行ってはいないが,音楽愛好家がアルニコ磁石スピーカの方がフェライト磁石スピーカより音楽再生能力が高いと評していることからも,透磁率µ の大きさが関係していると考えられる.なお,これらの関係性等については今後実験を進めて明らかにしていきたい.

5. ま と め

本論文では,人間の深い感性に働きかける情報の忠実再現が可能な音響再生装置の実現に向けて,電磁石スピーカに注目して,再生音の感性的評価と,物理特性の測定・解析を行い,深い感性に関連する物理特性を考察した.具体的には,電磁石スピーカがフェライト磁石スピーカより音楽再生能力,すなわち感性的価値が高いこと(7段階評価のうち“+2”)を明らかにした.また,その音質差に関連する物理要因・特性は,高い評価結果を得た“力強さ”,“音の締まり”に注目することにより,ボイスコイル速度・振幅と制動力との関連が深いことを心理物理学的に実証した.今後は更に,電磁石スピーカのボイスコイル速度の速さ,振幅の大きさ,制動力の強さが,どのような物理的パラメータ(透磁率 µ など)に起因するかを,電磁石スピーカ,アルニコ磁石スピーカ,フェライト磁石スピーカ,それぞれの比較から,更に詳細に研究を進めていく.今後,これらの成果を踏まえて,人間の深い感性に働きかける情報の忠実再現が可能な音響再生装置を開発研究していきたい.

謝 辞本研究を進めるにあたり評価用スピーカの借用,及び多大

な技術的助言を頂きましたフォスター電機株式会社 小原林太郎様,利根川寛様,フォステクス株式会社 宮下清孝様に深く感謝致します.また,本研究は科学研究費補助金若手研究(B)『“深い癒し”に重要な体感等に注目した「場」の実現に関する研究開発』,『個人に適応した深い癒し「場」実現の基盤技術の研究開発』,総務省戦略的情報通信研究開発推進制度(SCOPE 071705001)『音声中の非言語情報の生成・知覚の特性解析と多言語間コミュニケーションへの応用』研究プロジェクト,および,中央大学研究開発機構・深い感性の工学に基づく新文化創生研究プロジェクトの援助を受けて行いました.ここに深謝いたします.

付 録音質の差に関連する物理特性を明らかにするために従来理論の基本的な物理特性:振幅周波数特性・群遅延特性を測定した.付録図1に B&K Type2012 Audio Analyzerで測定した電磁石スピーカとフェライト磁石スピーカの振幅周波数特性を示す.付録図1より,若干のピークディップの違いは観測されるが,3.3節,3.4節に示した評価結果(“+2”ランク)程の大きい差として現れているとは言い難い.また,これは付録図2の群遅延特性においても同様であった.以上より,従来理論の基本的な物理特性:振幅周波数特性と群遅延特性では,音質の大きな差を直接的には,記述できておらず,時間的,動的な特性に注目して導き出されたボイスコイル速度・振幅と制動力に注目する方が,直接的関係を導いているとえいよう.

付録図1 振幅周波数特性

付録図2 群遅延特性

1160

日本感性工学会論文誌 Vol.8 No.4

参 考 文 献

[1] 辻三郎,“感性の科学 感性情報処理へのアプローチ”,サイエンス社,1997.01.

[2] 原田昭,“感性価値とクリエイティビティ”,日本感性工学会研究論文集(巻頭言),Vol.7,No.3,pp.413-414,

2008.03.[3] 宮原誠,守田幸徳,“音質を表現する評価語の調査分析”,

日本音響学会会誌,52,No.7,pp.516-522,1996.07.[4] 石川智治,冬木真吾,宮原誠:“音質評価語の多次元空間

におけるグルーピングと総合音質に重要な評価語”,電子情報通信学会論文誌,Vol.J80-A,No.11,pp.1805-1811,

1997.11.[5] Tomoharu Ishikawa, Makoto Miyahara, “Hierarchical

Structure of Assessment Words for the Evaluation of Infor-

mation of High Order Sensations of Musical Sound”, KANSEI 2001, 2001.10.

[6] 冬木真吾,小林幸夫,石川智治,宮原誠,“ディジタル音楽信号の jitterに起因する高度感性情報の欠落 “雰囲気”,“空気感”(深々さ)の激減衰化”,信学技報,

EA97-104,pp.9-16,1998.03.[7] 宮原誠,“新世代オーディオ:音響・音楽の高度感性情報

知覚モデル 信号の時間伸び縮み歪と digital音”,信学技報,EA98-20,pp.23-30,1998.06.

[8] 三井実,石川智治,小林幸夫,宮原誠,“空気感再現とディジタルビットストリーム上の jitterとの関係 空気感再現のために必要な jitterの検知限”,信学技報,Vol.101,

No.381,pp.73-80,2001.10.[9] 三井実,石川智治,党建武,宮原誠,“ディジタルオーディ

オにおける深い感性に関連した音質劣化の原因究明 jitter

に起因する音質劣化の仕組みの解明と新改善方法の検討”,日本感性工学会研究論文集,Vol.7,No.4,

pp.759-764,2008.06.[10] 石川智治,小林幸夫,宮原誠,“空気感の再現に重要な物

理要因 サーボ型メインアンプの時定数と空気感”,

AES東京コンベンション’99予稿集,1999.[11] 宮原誠,石川智治,小林幸夫,“高度感性情報再現を目的

としたスピーカの新設計法と実例”,No.101,pp.9-15,

2001.07.[12] 平野光一,篠田亮,三井実,石川智治,宮原誠,“スピー

カの周波数特性に観測されない音質と関係する物理要因・特性 波面再生に注目した時間領域における検討”,信学技報,Vol.103,No.398,pp.49-54,2003.10.

[13] 石川智治,三井実,大谷社,宮原誠,“従来の代表的スピーカの音伝搬の特性と新・電気音響再生論に基づく音質改善”,信学技報,Vol.105,No.37,pp.19-24,2005.05.

[14] 宮原誠,“高品位 Audio-Visual System 先端インフラの研究”,オーディオビジュアル複合情報処理,13-6,

pp.39-46,1996.06.

[15] “未来映像・音響の創作と双方向臨場感通信を目的とした高品位 Audio-Visual Systemの研究 Project”,日本学術振興会 未来開拓学術研究推進事業,マルチメディア高度情報通信 シ ス テ ム 研 究 推 進 委 員 会 中 間 報 告,JPSP-

RFTF97P00601,1997-2001.[16] 石川智治,宮原誠:“「深い感動を再現」の評価を得た芸大

でのデモシステム Extra HI System M”,映像情報メディア学会第3回深い感性のテクノロジー時限研究会資料,

pp.1-8,2004.01.[17] 日本オーディオ協会:“スピーカー50年史”,1986.04.[18] Subjective assessment of sound quality, ITU-R BS.562-3,

1978.

三井 実(正会員)

1998年,職業能力開発大学校 電子工学科 卒業.2000年,北陸先端科学技術大学院大学

情報科学研究科 博士前期課程 修了.2007年,同大学 博士後期課程 単位取得退学.現在,同大学 産学官連携研究員.主に高品位

オーディオの研究に従事.博士(情報科学).

石川 智治(正会員)

1995年,神奈川工科大学工学部情報工学科卒業.1997年,北陸先端大情報科学研究科博士前期課程了.2001年,同大学博士後期課程了.同年,同大助手.現在,宇都宮大学大学院工学研究科助教.主に,高品位

Audio-Visual信号処理の研究を基盤とした深い癒しなどに関する研究,及び,心理生理学に基づく深い感性の客観評価に関する研究に従事.博士(情報科学).

野尻 一実(非会員)

1971年,航空工業高等専門学校卒業.同年,ソニー株式会社入社,生産技術部門勤務.

2005年,北陸先端科学技術大学院大学情報科学研究科宮原研究室研究生.2006年,中央大学研究開発機構宮原研究室勤務.2007

年,株式会社デジタルドメイン勤務.

宮原 誠(正会員)

1964年,東工大工学部電子工学科卒業.

1966年,同大大学院修士課程了.同年,

NHK入局,1968年,同研究所テレビ研究部.

1978年,長岡技科大 助教授,1987年,同大学教授.この間1983年,UC,Davis客員教授.

1992年,北陸先端大 教授.1997年,学振未来開拓事業・未来映像・音響創造研究代表.2006年,中央大 研究開発機構教授. 工学博士.