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234 日本医史学雑58 2 号(2012経穴密語集について 本 史灸研究会 岡本一抱子著『経穴密語集』は李時珍著『奇経八脈攷』(1577 年刊行.以下『八脈攷』)の解説を軸にした奇経八脈の研究書である.最初,『内経奇経八脈詳解』として元禄 9 年(1696)に刊行されたが正徳 5 1715)に『経穴密語集』(以下『密語集』)と改題され再刊された.上中下の全三巻で構成され上巻では先ず『八脈攷』から「奇経八脈総説」と「八脈」を引いて注し,次いで督脈,任脈を述べ中巻で脈, 衝脈を下巻で陽維脈陰維脈帯脈を論じ巻末に「李時珍奇経診脈之図」「経八脈之治法」「八脈用薬引経報使補瀉温涼之説」の診察治療に関する三論を置き最後に奇経八脈彩色方法を述べている.本書は『八脈攷』を中心に,『素問』『霊枢』『難経』とその註書,並びに『乙経』『脈経』『十四経発揮』『類経』など多数の文献を徴引し説を加えている本書の最大の特徴は『八脈攷』と滑寿著『十四経発揮』(以下『十四経』)との比較にある.「奇経脈総説」の一抱の注では両書について「伯仁氏十四経発揮ニ於テ始メテ奇経八脈ノ全篇ヲ記スト雖モ其言盡セリト云フニハ非ス.且ツ経義ノ未ダ明カナラザルコト間セリ.明ノ瀕湖李時珍八脈攷ヲ撰ス其言盡セリ.其義明カナリ.謂フ可シ,備レリト.」と評価している.ただし,『八脈攷』が陽の維脈脈,衝脈,任脈,督脈,帯脈の順番で論述しているのに対し, 密語』は十四経』の記順に従っていることから一抱が『十四経』を意識して論を展開している事がわかる.本論では各奇の流注と経穴の順番について両書の比較を行い『十四経』の矛盾と不備を指摘した上で『八脈攷』見解を基盤に私見を述べている.例え脈の説に「滑氏十四経発揮ニ謂フ所,経行ノ次混シテ明カナラザルニ似タリ. 中略瀕湖ハ居イテ明風池ノ両穴ヲ加フ.愚,其ノ両説用テ明風ニ加ヘテ闕クコトナシ. とある日本の医書における奇経八脈に関する詳しい記載は『十四経』が翻刻され研究が盛んになった江前期頃から現れ始め,著者未詳『十四経発揮抄』(1646 成立),谷村玄仙著『十四経絡発揮鈔』(1659 刊),饗庭東庵著『経脈発揮』(1658 60 刊),山本玄通著『鍼灸枢要』(1679 刊)などに奇経論じた目が見られる.中でも『経脈発揮』は『素問』『霊枢』『難経』『甲乙経』『千金翼方』『銅人』『灸資生経』などを引用して奇経を詳述している.しかし江戸中期前半に至るまで概ね奇経八脈は『十経』の内容からあまり逸脱することなく述べられてきた.この点から考えると一抱は『八脈攷』のを借りて,奇経研究を『十四経』の枠組みから前させたと言えるのではないだろうか.『八脈攷』近世日本灸への影響はこの頃から次第に顕著となり,『密語集』と同時期に成立した夏井透玄著『脈図説』(1703 年成立)にも『八脈攷』の引用があり李時珍の意見を少なからず反映した奇経解説論じている.その後も堀元厚著『隧輸通攷』(1744 年成立) 小坂元祐著『経穴籑要』(1810 年刊)なに『八攷』からの引用が見られる密語』においてもうひとつ特すべき点は,督脈任脈衝脈の各項目で展開される一源三岐(『素問』 骨空論王冰次注に端を発するについての論考である. 八脈攷』には帯脈為病」の項に見られるだけであるからこれは一抱子独自の着眼によるものと言える.ちなみに著者未詳『一三岐』(1735 相沢篤敬写)という和書と本書の「一源三岐」論の内容はよく似ており何らか関係性があると考えられる.また下巻の奇経八脈之治法」には各奇経の経脈流注に従った主治穴がとめられているが,それは現在の日本で使われている「八脈交会穴」(竇黙著『経指南』に発し,武著『鍼灸聚英』に「氏八穴」として記載)の治療穴とは異なるものである『密語集』は同著者の『鍼灸阿是要穴』とともに近世日本鍼灸における経絡経穴学の転換を象する一書ということができよう88 上発

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Page 1: 88 『経穴密語集』について 橋本 史代jsmh.umin.jp/journal/58-2/58-2_234.pdf · 陰陽の蹻脈,衝脈,任脈,督脈,帯脈の順番で論述しているのに対し,『密語集』は『十四経』の記載

234 日本医史学雑誌 第 58巻第 2号(2012)

『経穴密語集』について

橋本 史代日本鍼灸研究会

岡本一抱子著『経穴密語集』は,李時珍著『奇経八脈攷』(1577年刊行.以下『八脈攷』)の解説を主軸にした奇経八脈の研究書である.最初,『内経奇経八脈詳解』として元禄 9年(1696)に刊行されたが,正徳5年(1715)に『経穴密語集』(以下『密語集』)と改題され再刊された.上中下の全三巻で構成され,上巻では先ず『八脈攷』から「奇経八脈総説」と「八脈」を引いて注解し,次いで督脈,任脈を述べ,中巻で陽蹻脈,陰蹻脈,衝脈を,下巻で陽維脈,陰維脈,帯脈を論じ,巻末に「李時珍奇経診脈之図」「奇経八脈之治法」「八脈用薬引経報使補瀉温涼之説」の診察治療に関する三論を置き,最後に奇経八脈の彩色方法を述べている.本書は『八脈攷』を中心に,『素問』『霊枢』『難経』とその註解書,並びに『甲乙経』『脈経』『十四経発揮』『類経』など多数の文献を徴引し解説を加えている.本書の最大の特徴は,『八脈攷』と滑寿著『十四経発揮』(以下『十四経』)との比較にある.「奇経八脈総説」の一抱の注では両書について「伯仁氏十四経発揮ニ於テ,始メテ奇経八脈ノ全篇ヲ記スト雖モ,其言盡セリト云フニハ非ス.且ツ経義ノ未ダ明カナラザルコト間存セリ.明ノ瀕湖李時珍八脈攷ヲ撰ス.其言盡セリ.其義明カナリ.謂フ可シ,備レリト.」と評価している.ただし,『八脈攷』が陰陽の維脈,陰陽の蹻脈,衝脈,任脈,督脈,帯脈の順番で論述しているのに対し,『密語集』は『十四経』の記載順に従っていることから,一抱が『十四経』を意識して論を展開している事がわかる.本論では各奇経の流注と経穴の順番について両書の比較を行い,『十四経』の矛盾と不備を指摘した上で,『八脈攷』の見解を基盤に私見を述べている.例えば,陽蹻脈の解説に「滑氏十四経発揮ニ謂フ所,陽蹻脈経行ノ次,混シテ明カナラザルニ似タリ.〔~中略~〕瀕湖ハ居髎ヲ闕イテ睛明風池ノ両穴ヲ加フ.愚,其ノ両説ヲ用テ居髎睛明風池俱ニ加ヘテ闕クコトナシ.」とある.日本の医書における奇経八脈に関する詳しい記載は,『十四経』が翻刻され研究が盛んになった江戸前期頃から現れ始め,著者未詳『十四経発揮抄』(1646年成立),谷村玄仙著『十四経絡発揮鈔』(1659

年刊),饗庭東庵著『経脈発揮』(1658~60年刊),山本玄通著『鍼灸枢要』(1679年刊)などに奇経を論じた篇目が見られる.中でも『経脈発揮』は『素問』『霊枢』『難経』『甲乙経』『千金翼方』『銅人』『鍼灸資生経』などを引用して奇経を詳述している.しかし江戸中期前半に至るまで,概ね奇経八脈は『十四経』の内容からあまり逸脱することなく述べられてきた.この点から考えると,一抱は『八脈攷』の力を借りて,奇経研究を『十四経』の枠組みから前進させたと言えるのではないだろうか.『八脈攷』の近世日本鍼灸への影響はこの頃から次第に顕著となり,『密語集』と同時期に成立した夏井透玄著『経脈図説』(1703年成立)にも『八脈攷』の引用があり,李時珍の意見を少なからず反映した奇経解説を論じている.その後も堀元厚著『隧輸通攷』(1744年成立),小坂元祐著『経穴籑要』(1810年刊)などに『八脈攷』からの引用が見られる.『密語集』においてもうひとつ特筆すべき点は,督脈・任脈・衝脈の各項目で展開される「一源三岐」(『素問』〈骨空論〉王冰次注に端を発する)についての論考である.『八脈攷』には「帯脈為病」の項目に見られるだけであるから,これは一抱子独自の着眼によるものと言える.ちなみに,著者未詳『一原三岐』(1735年,相沢篤敬写)という和書と,本書の「一源三岐」論の内容はよく似ており,何らかの関係性があると考えられる.また下巻の「奇経八脈之治法」には各奇経の経脈流注に従った主治穴がまとめられているが,それは現在の日本で使われている「八脈交会穴」(竇黙著『鍼経指南』に発し,高武著『鍼灸聚英』に「竇氏八穴」として記載)の治療穴とは異なるものである.『密語集』は,同著者の『鍼灸阿是要穴』とともに,近世日本鍼灸における経絡経穴学の転換を象徴する一書ということができよう.

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