日本のイスラーム
浜中 彰
سإالم في اليابان الإ
2013年6月14日金曜 18:30~19:30
於:松山国際交流センター
イスラムのイメージ
怖い宗教、テロ、イスラム過激派
女性差別
.. و نؤمن به و نتوكل عليه ونستعينه نستغفره إن الحمد هلل نحمده
ونعوذ باهلل من شرور أنفسنا و سيئات أعمالنا ،
من يهده هللا فال مضل له ، ومن يضلل فال هادي له ،
وأشهد أن ال إله إال هللا وحده شريك له ،
وأشهد أن محمدا عبده ورسوله ، أما بعد ،،
アッラーにこそ、感謝
彼にお助けを請う
彼にお赦しを請う
彼を信仰し
彼に委ね行動する
彼に庇護をお願いする
私は証言します。アッラーのほかに神はなく、並び立つ者はないことを。
私は証言します。ムハンマドはそのしもべにして、御使いであることを。
信仰の態度をあらわす言葉の例
新居浜マスジド(モスク)
・クルアーンは神の言葉
・この書物が生活の指針・発想の源となる
神(アッラー)
天使
聖典(クルアーンなど)
審判の日、天命、・・・・
ハディース
人
預言者
礼拝
仲介する
聖職者は居ない
金曜礼拝の説教 イスラム知識が与えられる
イスラム知識を求める
家庭内での教育
・マスジドとは
・マスジドのでき方
・運営方法
・地域住民の利用方法
・住民とマスジドの関係 (子女の教育、集会所) (→世界最初の大学:アズハル大学)
・国との関係
・金曜日の集団礼拝
・導師は出席者の中の長老的存在の人。一旦選べば
後続の礼拝者は従う。
・早く参加した人から順に前に詰める。社会的地位の上下、
貧富の差は、配列に関係ない。人の平等を形に表わす。
・必要以上の個人崇拝はなくなる。高慢さ払拭。同胞愛。
・隙間を空けないことの意味
・集団礼拝が教えるもの
父
男児 男児
女児 母
・導師は父が行う。
父は妻と子供を指導する立場であるという自覚を持たせる。
母は家族全員を見渡せる位置、、
父を立て、子供たちを見守る
男児は父が無き時、家長代理ができる自覚を強さを見につける。
・男児は男らしく、女児は女らしく。
・礼拝後、父が家長として一家にアドバイス。
・義務を行うことにより→一家団欒、教育の場。
・家庭での集団礼拝が教えるもの
Masjid Al-Haram
http://jacksonbbrown.com/ Medieval World History
●マディーナ ●マラッカ
日本には届かなかった
1410年
1511年
ポルトガルが占領
イスラームとの出会い
1887.10 欧米軍事視察の帰路、明治天皇の勅命を受けた小松宮彰仁親王・頼子妃イスタンブール訪問。
1889 アブデュルハミト2世に礼状と大勲位菊花大綬章を奉呈
1889 アブデュルハミト2世、天皇に返礼のため、訪日使節をエルトゥールル号で派遣。
1889.7.14 エルトゥールル号イスタンブール出航
1890.6.7 横浜に到着、6.13オスマン・パシャ、明治天皇に拝謁。
1890.9.15 エルトゥールル号出航
1890.9.16 エルトゥールル号和歌山県串本沖大島の樫野崎で沈没
エルトゥールル号沈没 1890年9月16日
樫野崎灯台 600名以上の船員のうち生存者は69名。
写真:あぶ
イスラムとの出会い
次のような後日物語がある。
イラン・イラク戦争の最中、1985年3月17日の出来事である。イラクのサダム・フセインが、「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」と、無茶苦茶なことを世界に向けて発信した。日本からは企業の人たちやその家族が、イランに住んでいた。その日本人たちは、あわててテヘラン空港に向かった。しかし、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。世界各国は自国の救援機を出して、救出していた。日本政府は素早い決定ができなかった。空港にいた日本人はパニック状態になっていた。
そこに、二機の飛行機が到着した。トルコ航空の飛行機であった。日本人215名全員を乗せて、成田に向けて飛び立った。タイムリミットの1時間15分前であった。
なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかった。
前・駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。トルコでは、子供たちでさえ、エルトゥールル号のことを知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです。」
絵物語『エルトールル号の遭難』文・のぷひろとしもり
最初の日本人ムスリム: アブドルハリーム野田正太郎(1868-1904)
・1891年1月軍艦『比叡』 『金剛』が69名の生存者を乗せイスタンブール到着
・『時事新報』記者の野田正太郎が、義援金4,248円97銭6厘を持参し乗船する。
・トルコに留まり、士官学校で日本語を教え、トルコ語、オスマン史、イスラーム史、イスラーム教などを学習。
・1891年5月 入信。 (イスタンブール総理府文書館保管の文書に記載) →日本人最初のイスラム教徒
・1892年12月 トルコ出国、ヨーロッパを旅行したのち1893年帰国
・1904年4月27日 若くして死去
1909年12月 山岡光太郎 ←最初にメッカ巡礼をした日本人
タタール人 アブドッラシード・イブラヒームとメッカ巡礼
「世界の神秘境アラビア縦断記」(1912年発行)
「回々教と神秘的威力」(1921年)と題する著書を出版
1924年7月 田中逸平
中国人の馬氏と共にメッカ巡礼
「白雲遊記」(1925年)という著書
○アブドルラシード・イブラヒームのジャポンヤより
最初に入信した日本人女性:早稲田大学の講師アハマド・ファドゥリ(エジプト人将校)が日本の村娘と婚約し、エジプト帰国時入信させた(1905年)。その後日本に戻りその婦人と共に日
暮里に住んだ。この婦人が最初に入信した日本人女性であり、二人の間にできた男児が、最初の日本人ボーンムスリムである。・・・アブドルラシード・イブラヒームのジャポンヤより。
当時すでにイスラム圏出身者が日本にも結構いたらしい。
早稲田大学講師 アフマド・ファズリーはカイロ出身。
インド出身のマウラヴィー・バラカトッラー・・・モスクを建てる計画について相談。
アデン出身のアラブ人水夫たち。
1920年出版 最初のクルアーン日本語訳
『コーラン経』上下2巻 坂本健一訳/世界聖典全集刊行會編
クルアーン英語訳からの 開端章(
アル・ファーティハ)
マッカ啓示
7節
1.慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。
2.万有の主、アッラーにこそ凡ての称讃あれ、
3.慈悲あまねく慈愛深き御方、
4.最後の審きの日の主宰者に。
5.わたしたちはあなたにのみ崇め仕え、あなたにのみ御助けを請い願う。
6.わたしたちを正しい道に導きたまえ、
7.あなたが御恵みを下された人々の道に、あなたの怒りを受けし者、また踏
み迷える人々の道ではなく。
日本ムスリム協会版の現代語訳
13,タタリスタン: カザン・タタール人たちの祖国
2, バシコルトスタン: クルバンガリー師の祖国
1917 ロシア革命
タタール人約700名
1950年朝鮮戦争時
トルコ兵介護の返礼として
トルコ国籍を認可。
国籍を得てトルコ、アメリカへ移住。
1909 アブドゥルラシード・イブラヒーム
1920年~1925年
クルバンガリー
アヤス・イスハーキ
渋谷区富ヶ谷の東京回教学校にて 1933年
旧東京回教礼拝堂
1938年建立~1986年解体
神戸回教寺院(神戸マスジド) 1935年建立
戦中期のイスラム研究ブーム(1930後半~1945)
大日本回教協会
イスラム文化協会
回教圏研究所
満鉄東亜経済調査局回教班
外務省調査部回教班
イスラームに関する調査研究や啓蒙活動
『回教世界』『回教圏』『新亜細亜』『回教事情』など刊行
○大日本回教協会 ←軍部の支援をうえ1938年9月設立
会則「本会は我国及国民と世界における回教国及回教徒との親善融和
及相互の福祉増進を図るを以て目的とす」(第3条) 「回教と関係所門泰の調査及研究、文化の相互紹介、所要人材の養成、
彼我通商傍系の促進其の他必要と認むる各般の事業を行ふ」(第4条)
1939年4月 『回教世界』第1巻1号を発刊。 「戦中期日本におけるイスラーム研究」店田廣文より
○研究者・活動家
大川周明(1886-1957)「回教概論」「古蘭」・・・満鉄調査部
内藤智秀(1886-1979)
三田了一オマル(1892-1983)「日亜対訳クルアーン」 ・・・満鉄調査部
小村不二男ムスタファ(1912-1998)「日本イスラーム史」 笠間呆雄 「回教徒」・・・元イラン公使
井筒俊彦 「アラビア思想史」「コーラン」
○留学生
アズハル大学へ1930~ 日本人留学生が学ぶ 「日本イスラム史 7世紀から20世紀前半まで」 鈴木紘司
戦後のイスラム
戦禍を免れた東京ジャーミイに集う日本人ムスリムたち「イスラーム友の会」
日本ムスリム協会結成
イスラム問題に携わって
きた人たち
戦後、中国や東南アジアから帰国した
日本人ムスリム
会長 今泉義男サーディク
会員65名
外国人のダアワ活動により入信した
日本人ムスリム
1960年代
1953年4月28日
イスラム諸国からの留学生 日本ムスリム学生協会結成
1966年 イスラミックセンタージャパン結成
神戸回教寺院(神戸マスジド) 1935年
Source: Islamic Website Japan
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/islam/
伊勢崎マスジド Isezaki Masjid 1995
(元はプレハブの町工場)
『プレハブ・マスジド』と呼ばれていた。
2005年リニューアル
伊勢崎市境町マスジド Sakaimachi Masjid 1997
(元、駅前のパチンコ店)
富山マスジド Toyama Masjid 1998年
(元コンビニ)
神奈川県海老名マスジド 1998 名古屋マスジド 1998
八潮マスジド 2000年
古い町工場
浅草マスジド Asakusa Masjid 2000
東京ジャーミイ 2000年
ファーティハ岐阜マスジド 2002年
(元 カラオケボックス)
八王子マスジド Hachioji Masjid 2002
新居浜マスジド 2003年
仙台マスジド Sendai Masjid 2007
バーブル・イスラーム岐阜マスジド 2008年
小樽マスジド Otaru An-Noor Masjid 2009
福岡マスジド 2009年
2012
Masjid 65 ①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
Tokyo Area Nagoya Area
Sapporo(Hokkaido)
Sendai
Kobe
100Km
Alien statistics 2000 by Immigration Bureau
PakistanBangladeshIran Indonesia total
① Hokkaido 61 109 22 207 399② Tohoku 72 166 64 741 1043③ Kantoh 5847 5266 4914 7225 23252④ Chuubu 1055 672 689 5225 7641⑤ Kinki 291 344 346 2814 3795⑥ Chugoku 44 208 16 841 1109⑦ Shikoku 16 105 26 735 882⑧ kyushu 112 306 78 1558 2054
total 7498 7176 6155 19346 40175
松山MICCムサッラー
今後の展望
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