shishiNo.21
Siteby Suzuki Yuta
【site】platform
platform
あるソフトウェアやハードウェアを動作させる為に必要な、基盤となるハードウェアや OS、ミドルウェアなどのこと。
また、それらの組み合わせや設定、環境などの総体を指す事もある。
写真の扱い方。
写真の振る舞い方。
写真の扱われ方。
主観。
客観。
現在の写真の振る舞いについて考えてみよう。
数多ある用途と、それに付随するタグ。
現在ではそのタグをひもとく事が、その写真の意味を理解する上で確実な手段である。
しかしそれは撮影者の主観に乗っ取った一元的な回答しか得られ無い。
写真は常に多元的な意味性を持っている。
それがいつ、どこで、誰によって、どのように撮影されたか。
それがいつ、どこで、誰によって、どのように発表されたか。
写真は常にその現前の仕方によって意味性が変わる。
むしろ変わらざるを得ないメディアである。
写真の本来的な性質としてあげられるのは、その記録性。
むしろ、現実に即したその記録性のみが写真の唯一の特性とも言える。
またそれは先行し、写真=現実へと妄信させる。
現実に即しない写真とは。
そもそも写真にとっての現実とは、撮影者にとっての現実であり、撮影した段階では撮影者にとって確実に現実である。
つまりそれは一人称としての写真である。現実と撮影者が対になって結実した状態である。
写真として記録した段階で、写真は撮影者にとっての現実の記録となる。
写真を共有すると言う事。
写真を共有すると言う事は、現実を共有する事になるだろうか。
もしくはあるレベルでの現実を共有する事になるだろうか。
しかしそれは不可能である。
現実は常に単数である。一対一の関係にしか結びつかない。
たとえ同一の災害に見舞われたとしても個々におこる現実は単数である。
映画の様に共通の時間を強要はできない。一人の視覚は共有される事無く処理され記憶される。
視覚は単数で処理され、記憶される。視覚は単数で記録される。写真は常に単数である。
Open Platform
誰もがアクセス出来るかの様な現実。アクセスした者にのみ開かれる現実。
それは常に改変され、アップデートされる。撮影者の姿は見えず、むしろそのイメージとタグが先行する。
『いつどこで何が起こったか』では無く『いつもここで何もかも起こっている』状態。
現実を共有する事は不可能だが、その類似品を共有する事は出来る。ほぼオリジナルに近い形でそれは存在し、
タグを操作する事で現実の持続時間を延長させる。そしてそれは常にアクセスでき共有しうる現実として振る舞う。
そのフィールドで生成され改変された現実は、既に現実を超える強度を持つ。
共有化されたイメージは個人の記録を超えて異質な情報へとトランスフォームを繰り返す。
現在の写真は現実性を突破し続けている。
記録は当初から現実を突破した状態であまりにも広く共有化される。
現在の写真の振る舞い方。
site ≠ platform
鈴木悠太(officekk)
1984 年福島生まれ。写真家。四谷アート・ステュディウム在籍中。
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