Umene Satoru and Teaching on History of Education...

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兵庫教育大学 研究紀要 第442014 2 pp. 1 8 梅根悟 と 教育史教育 一今 『西洋教育史』 をどう用いるか一 Umene Satoru and Teaching on History of Education - How to use History of Education in Europe now - * WATANABE Takanobu 梅根悟は日本の戦後教育界において、 卓越し た教育史研究者、 教育実践指導者、 大学経営者等と し て、 他に類を見ない 多面的な活動をおこ なった。 本稿では、 教育史教育と いう 視点から梅根の思想と活動について考察する。 具体的には、 彼 が著 し た教育史教育のテキス ト であ る 『西洋教育史』 ( 初版1952 (昭和27) 、 改訂版1963 (昭和38) ) を取り上げ、 その執 筆経緯や内容 を検討 し たう え で、 彼が大学で実践 し た教育史教育の様子 を紹介す る と と も に、 教育史教育の意義について の考え を明ら かにす る。 その作業 を通 て最後に、 『西洋教育史』 を今日大学での教育 ・ 研究で用いると し た場合の可能 性と し て次のこ と を提言する。 すなわち、 『西洋教育史』 の成立と改訂を、 梅根の思想展開や戦後の教育制度と社会状況 と の関わり において読み解く 作業を通して、 教育の理論と実践の関係、 政治と教育の関係等について考察するための題材 ・ 資料にするこ とである。 キーワード : 梅根悟、 教育史教育、 『西洋教育史』 Key words : Umene Satoru, teaching on history of education, History of Education in Europe 1. はじめに 「梅根の前に梅根な く 、 梅根の後にも梅根な し。」 れは彼の恩師、 篠原助市のこ と ばと さ れるが*' 、 そのこ とば通り、 梅根は戦後教育において、 他に例を見ない多 面的な活動 をおこ な っ た。 梅根は学問研究者と し て、 東 京文理大学及び東京教育大学教授、 和光大学学長の在職 期間中、 西洋教育史の卓越 し た著書論文 を多数著す と と も に、 日本教育学会及び教育史学会会長、 日本学術会議 会員 と し て教育学研究の指導的役割 を果た し た。 こ う し た研究活動と同時に、 梅根は教育改革者と し て、 戦後、 川口市助役と して地域カリ キュラムの編成に携わったの を皮切り に、 コア ・ カ リ キ ュ ラ ム連盟 ( 後の日本生活教 育連盟) 共同設立者 ( 石山 脩平、 海後勝雄 ら と ) 、 日教 組 「教育制度検討委員会」 等の委員長と して、 戦後の教 育制度 と 実践に対 し て積極的な提言 をお こ な っ た。 ま た、 大学経営においても、 和光大学の初代学長と して、 大学 の教育 ・ 研究の改善 に手腕 を発揮 したことでも知られる。 こ う し た活動の多面性のゆえ に梅根の活動の体系的把 握は容易ではない。 そのこ とが 彼の薫陶を受けた研究 者が数多 く 存在するなかで梅根と いう 人物を研究対象に するこ とへの抵抗感を別にすれば 、 こ れまで梅根研究 の進展してこなかった理由の一つであると考えられる。 2000 年代以降、 日本の戦後教育学を振り 返り 、 再検討す る動きがようやく本格化しているが 2 、 梅根に関 し ては、 中野光 と古沢常雄の研究を除けば学術論文は皆無に等 し '30 本稿では、 教育史教育という 視点から梅根の思想と活 動について考察す る。 具体的には、 彼が著 し た最初の教 育史教育のテキス ト である 『西洋教育史』 ( 初版1952 ( 昭和27) 、 改訂版1963 ( 昭和38) ) を取り 上げ、 その執 筆経緯や内容を検討 し たう えで、 彼が大学で実践し た教 育史教育 を紹介す る と と も に、 教育史教育の意義につい ての考えを明らかにしたい。 その作業を通して最後に、 『西洋教育史』 を今日大学での教育 ・ 研究で用い るとし た場合に、 どう いった可能性があるか、 若干の提言をお こ ないたい。 11. 『西洋教育史』 執筆の経緯 第二次世界大戦後の大学改革によ り 、 1949 ( 昭和24) 5 月に 新制大学が発足 し た。 同年、 教育職員免許法 が制定 さ れ、 免許状主義の徹底が求めら れた。 免許状が なけ れば教育職員 にな る こ と がで き ず、 免許状授与の条 件も厳格に規定 さ れた。 原則 と し て、 一定の教職教養に 関する科日を修めなければ何人も教育職員になれないこ と にな っ た。 同年11 月、 教育職員免法施行規則が制定 さ れ、 履修基準の細目が提示 さ れた。 「教育史」 も教職専 門科目の一つと し て位置づけ ら れた。 こ う し た教育法上の履修基準の設定 を背景に し て、 い * 兵庫教育大学大学院人間発達教育専攻教育 コ ミ ユニケ ー シ ヨ ン コ ース 平成25 11 1 日受理

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兵庫教育大学 研究紀要 第44巻 2014年 2 月 pp. 1 8

梅根悟 と教育史教育一今 『西洋教育史』 を どう 用いるか一

Umene Satoru and Teaching on History of Education -How to use “History of Education in Europe” now- 渡 邊 隆 信*

WATANABE Takanobu

梅根悟は日本の戦後教育界において、 卓越し た教育史研究者、 教育実践指導者、 大学経営者等と し て、 他に類を見ない

多面的な活動 をおこ なった。 本稿では、 教育史教育と いう 視点から梅根の思想と活動について考察す る。 具体的には、 彼

が著した教育史教育のテキス ト である 『西洋教育史』 (初版1952 (昭和27) 、 改訂版1963 (昭和38) ) を取り上げ、 その執

筆経緯や内容を検討 したう えで、 彼が大学で実践した教育史教育の様子を紹介すると と もに、 教育史教育の意義について

の考え を明らかにす る。 その作業 を通 し て最後に、 『西洋教育史』 を今日大学での教育 ・ 研究で用いると し た場合の可能

性と し て次のこ と を提言す る。 すなわち、 『西洋教育史』 の成立 と改訂を、 梅根の思想展開や戦後の教育制度 と社会状況

と の関わり において読み解 く 作業 を通 し て、 教育の理論と実践の関係、 政治 と教育の関係等について考察す るための題材 ・

資料にす るこ と である。

キーワー ド : 梅根悟、 教育史教育、 『西洋教育史』

Key words : Umene Satoru, teaching on history of education, “History of Education in Europe”

1 . はじ めに

「梅根の前に梅根な く 、 梅根の後にも梅根な し。」 こ

れは彼の恩師、 篠原助市のこ と ばと さ れるが*' 、 そのこ

と ば通り 、 梅根は戦後教育において、 他に例を見ない多

面的な活動をおこ なっ た。 梅根は学問研究者と し て、 東

京文理大学及び東京教育大学教授、 和光大学学長の在職

期間中、 西洋教育史の卓越した著書論文を多数著すと と

もに、 日本教育学会及び教育史学会会長、 日本学術会議

会員と して教育学研究の指導的役割を果たした。 こ う し

た研究活動と同時に、 梅根は教育改革者と し て、 戦後、

川口市助役と し て地域カ リ キュ ラ ムの編成に携わっ たの

を皮切り に、 コ ア ・ カ リ キュ ラ ム連盟 (後の日本生活教

育連盟) 共同設立者 (石山脩平、 海後勝雄ら と ) 、 日教

組 「教育制度検討委員会」 等の委員長と して、 戦後の教

育制度と実践に対 し て積極的な提言をおこ なった。 また、

大学経営においても、 和光大学の初代学長と して、 大学

の教育 ・ 研究の改善に手腕を発揮 したこ と でも知ら れる。

こ う した活動の多面性のゆえに梅根の活動の体系的把

握は容易ではない。 そのこ と が 彼の薫陶を受けた研究

者が数多 く 存在するなかで梅根と いう 人物を研究対象に

するこ と への抵抗感を別にすれば 、 こ れまで梅根研究

の進展 し てこ なかっ た理由の一つである と考え ら れる。

2000年代以降、 日本の戦後教育学を振り 返り 、 再検討す

る動きがよ う やく 本格化 し ているが 2、 梅根に関し ては、

中野光と古沢常雄の研究を除けば学術論文は皆無に等 し

い ' 3 0

本稿では、 教育史教育と いう 視点から梅根の思想と活

動について考察す る。 具体的には、 彼が著 し た最初の教

育史教育のテキス ト であ る 『西洋教育史』 (初版1952 (昭和27) 、 改訂版1963 (昭和38) ) を取り 上げ、 その執

筆経緯や内容を検討 したう えで、 彼が大学で実践した教

育史教育を紹介する と と もに、 教育史教育の意義につい

ての考え を明 ら かに し たい。 その作業 を通 し て最後に、

『西洋教育史』 を今日大学での教育 ・ 研究で用い る と し

た場合に、 どう い っ た可能性があ るか、 若干の提言 をお

こ ないたい。

11. 『西洋教育史』 執筆の経緯

第二次世界大戦後の大学改革により 、 1949 (昭和24) 年 5 月に 新制大学が発足 し た。 同年、 教育職員免許法

が制定さ れ、 免許状主義の徹底が求めら れた。 免許状が

なけ れば教育職員になるこ と ができず、 免許状授与の条

件も厳格に規定 さ れた。 原則 と し て、 一定の教職教養に

関す る科日 を修めなけ れば何人も教育職員 にな れないこ

と になった。 同年11月、 教育職員免法施行規則が制定さ

れ、 履修基準の細目が提示 さ れた。 「教育史」 も教職専

門科目の一つと し て位置づけ ら れた。

こ う し た教育法上の履修基準の設定を背景に し て、 い

* 兵庫教育大学大学院人間発達教育専攻教育 コ ミ ユニケー シ ヨ ンコ ー ス 平成25年11 月 1 日受理

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く つもの出版社が教職教養の大学講義用テキス ト を企画 ・

出版 し てい つた。 主なも のを挙げると、 誠文堂新光社の

「教職教養シリ ーズ」 (1950 (昭和25) 年~ ) 、 金子書房

の 「教育大学講座」 (1950 (昭和25) 年~ ) 、 岩崎書店の

「教育全書シリ ーズ」 (1953 (昭和28) 年~ ) 、 金子書房

の 「大学教職課程シリ ーズ」 (1953 (昭和28) 年~ ) な

どがあ る。

梅根の 『西洋教育史』 は、 誠文堂新光社の 「教職教養

シリ ーズ」 に収めら れてい る。 本 シリ ーズは全16巻から

なり 、 『西洋教育史』 はその第 8 巻と し て刊行 さ れた。

梅根は本書以外に、 同 シリ ーズにおい て 『教育方法』、

『中等教育原理』 も単著と し て執筆 し ている。 梅根以外

の同 シリ ーズの編著者の顔ぶれを見てみる と 、 石山修平

編 『教育原理』、 中野佐三編 『教育心理』、 廣岡亮蔵 『教

育課程』、 海後勝雄 『初等教育原理』 な ど、 東京教育大

学の教員が中心であ る。

と こ ろで、 誠文堂新光社は1912 (明治45) 年に創業 さ

れ、 農業書 ・ 科学書を専門にする出版社であっ た。 1947 (昭和22) 年に梅根の出世作 『新教育への道』 を教育書

と し て初めて出版 し たが、 そ れは梅根の茨城師範学校附

属小学校主事時代 (1933 (昭和8) ~ 1936 (昭和11)) の

同僚であ っ た小松崎英雄の仲介 によ る も のであ っ た ' 4。

同社はその後、 「教職教養 シリ ーズ」 のみな ら ず、 梅根

の関わった雑誌 『カリ キュラ ム』 (1949 (昭和24) ~ 1959 (昭和34) ) や著書 『中世 ドイ ツ都市におけ る公教育制度

の成立過程』 (1957 (昭和32) ) 、 『西洋教育思想史 1 ~ 3 』(1968 (昭和43) ~ 1969 (昭和44)) 等を手がけた。

m. 研究歴における 『西洋教育史』 の位置

( 1 ) 『西洋教育史』 刊行前後の略歴

梅根は第二次世界大戦の終結 を埼玉県川口中学校長

(1941 (昭和16) 年~ ) と して迎えた。 その後、 1946 (昭和21) 年 7 月に埼玉県川口市助役と なり 、 翌年、 助

役 を退職 し、 『新教育への道』 を刊行 し た。 それ以降の

『西洋教育史』 刊行前後の梅根の略歴をま と める と 以下

のよ う にな る ' 5。

1948 (昭和23)

1949 (昭和24)

1951 (昭和26)

束京文理科大学助教授

コ ア ・ カ リ キュ ラ ム連盟の結成に尽力、

副委員長 と な る

東京教育大学教授と なり束京文理科大

学教授を兼ねる

こ の頃から、 コ ア ・ カ リ キュ ラ ム運動

の力 をセーブ し つつ、 年来心にかけ て

きた西洋教育史、 と り わけ政策 ・ 制度

史の研究に労力を向ける

日教組教研集会講師

以降、 日教組の教育研究運動に協力

1952 (昭和27) 『西洋教育史』 (教職教養シリ ーズ) 刊行

1954 (昭和29) 論文 「中世 ドイ ツ都市における公教育

制度の成立過程」 によ っ て、 東京文理

科大学より文学博士の学位授与

1955 (昭和30) 『世界教育史』 刊行

1956 (昭和31) 教育史学会創立、 事務局長と なる

1959 (昭和34) 日本学術会議会員に立候補し当選

1960 (昭和35) ソ ビエ ト 、 チェ コスロバキアを視察

1962 (昭和37) 束京教育大学学部長

『世界教育史大系』 の構想を実現する

目的で、 世界教育史研究会を組織し、

活動に入る

1963 (昭和38) 『西洋教育史』 (新 ・ 教職教養シリ ー

ズ) 刊行

1966 (昭和41) 和光大学創設、 初代学長と なる

1968 (昭和43) 『西洋教育思想史 1 ~ 3 』 刊行

~ 1969 (昭和44)1974 (昭和49) 『世界教育史大系』 (全40巻) 刊行

~ 1978 (昭和53)

( 2 ) 教育史研究の時期区分

梅根の教育史研究の変遷は大き く 4 期に区分するこ と

ができ る。 梅根は1966 (昭和44) 年に自身の研究歴を次

のよ う に振り 返 っ てい る ' 6。

第 1 期は、 学生時代から東京文理科大学就職 (1948 (昭和23) ) までの 「新教育思想史研究の時代」 である。

小倉師範学校学生の時に (1919 (大正 8 ) ~ 1923 (大正

12) ) 、 新教育運動の洗礼を受けた梅根は、 東京高等師範

学校の学生 (1923 (大正12) ~ 1927 (昭和2)) としてル

ソ一研究を行う 。 岡山師範学校の教師時代 (1927 (昭和

2 ) ~ 1930 (昭和 5 ) ) に新教育運動に積極的な関心を示

し、 東京文理科大学の学生時代 (1930 (昭和 5 ) ~ 1933 (昭和 8 ) ) にルソ一研究の深化と新教育思想の発展史の

研究を進める。 その後の学校遍歴 (茨城師範学校附属小

学校、 埼玉師範学校附属小学校、 埼玉県立本庄中学校長、

埼玉県川口中学校長 (1933 (昭和8 ) ~ 1946 (昭和21) ) を経て、 大戦後、 新教育運動の推進と その思想史的研究

を行う 。 この時期の代表的著作と して、 『新教育への道』

(1947 (昭和22))、 『カリキュラム改造』 (1949 (昭和24))、『ヒ ューマニズムの教育思想』 (1949 (昭和24) ) がある。

第 2 期は東京文理科大学就職以降、 「欧米の近代的教

育制度の発展史を日本の教育制度の近代化の示唆とす る

ためにと いう 問題意識に促 さ れて研究」 する時期である。

戦後の教育制度改革 (六三制の誕生、 教育委員会の発足、

教育基本法の制定) を守り育てるために、 こ う した近代

教育制度の欧米におけ る発達の歴史を明らかにする こ と

を日指 し た。 この時期の代表的著作は、 『西洋教育概説』

渡 邊 隆 信

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(1950 (昭和25) ) 、 学位論文 「中世 ドイ ツ都市における

公教育制度の成立過程」 (1954 (昭和29) ) を挙げるこ と

ができ る。

第 3 期は、 1951 (昭和26) 頃からのいわゆる 「逆コー

ス」 以降の 「日本の教育政策を批判する立場で書かれた

比較教育史」 の時期である。 梅根はこの時期、 保守的反

動的な教育政策と、 それに対する反体制的教育運動のレ

ジス タ ンスの歴史 を近代国家 に共通な も のと し て、 と ら

えよう とする。 第 1 期、 第 2 期の発達史的な比較教育史

から、 政策批判的な比較教育史へと転換 し ていつた時期

である。 代表的著作と し て 『世界教育史』 (1963 (昭和

38) ) がある。

そ し て第 4 期は、 『世界教育史』 刊行以降の時期であ

る。 梅根は第 3 期の思想を推 し進め、 米 ・ 英 ・ 仏 ・ 独な

どゲルマ ン系の強国群 (客体) を、 歴史の主体が立ち向

かう 統一体と し てと ら え、 それを批判の対象 とす る。 歴

史の主体を世界の革新勢力 (いまだ統一的主体を形成 し

ていないが) に求め、 従来の 「欧米中心の世界」 観を批

判 し、 「 ア ジア、 ア フ リ カ」 と の連帯 を志向 し、 し かも

それがア ジア、 ア フ リ カや 「欧米」 諸国の平和 を求める

人々と の新 しい連帯につながるよ う な教育史と し て日本

人と し ての 「世界教育史」 を構想する '7。 代表的著作は、

梅根が企画 ・ 編集の責任者を務めた 『世界教育史大系』

(全40巻) (1974 (昭和49) ~ 1978 (昭和53)) である。

以上のよう に梅根の教育史研究を 4 期に区分するとす

れば、 『西洋教育史』 の初版 (1952 (昭和27) ) は、 第 1 期と第 2 期の特徴を併せ持 つた著作である。 そ し て改訂

版 (1963 (昭和38) ) は、 『世界教育史』 と同年に出版さ

れた ものであり 、 第 3 期の問題関心から初版を大幅に加

筆 ・ 修正 した著作と言え る。 次節では初版と改訂版の内

容を比較 し てみたい。

IV. 『西洋教育史』 初版と改訂版の比較

( 1 ) 課題

一般的な教職教養のテキス ト にあり がちな基礎知識の

紹介にと どま らず、 『西洋教育史』 では初版も改訂版も、

日本の教育現実と結び付いた明確な課題意識に貫かれて

い る。 しかし、 その課題意識は大き く 異な る。

初版では、 執筆の意図が次のよ う に説明 さ れてい る。

「西洋の教育史を、 今日わが国で、 推進 さ れつつあ

る 六 三制と呼ばれる新 しい公教育制度や、

その内実 を なすい わゆる 「新教育」 な る も のが、 そ

の母体と考え ら れてい る西洋社会で、 どのよ う な経

過をた どっ て、 発達 し てき た も のであ ろ う か、 と い

う こ と を主な着眼点に し て簡明にのべてみよ う と す

るのがこ の書の意図である。」 8 (下線筆者)

つまり 、 近代西洋におけ る誕生から 戦後の日本にいたる

教育の展開を、 「発達」 と いう 視点から把握 し よ う と す

るも のであ る。 いわば、 発達史と し ての教育史であ る。

一方、 改訂版では、 本書の課題が次のよ う に書かれて

い る。

「 ・ ・ ・ 一六世紀以来四百年にわたっ て世界中を支

配 し、 あ るいはリ ー ド し て き た西 ヨ ーロ ッパのゲル

マ ン系国家の指導権は、 今やそれらの国 ぐにの出店

であ っ たア メ リ カ合衆国 を先頭にお し立てて、 依然

と し て世界の、 少な く と も半分 をリ ー ド し てい る と

い つていい。 こ のゲルマ ン系諸国家によ る四百年に

わたる世界支配の歴史の一側面 と し ての教育史を し

らべてみるのが、 本書の主要な課題である。」 9

こ こ では、 教育史の展開を楽観的に 「発達」 と し て見る

のではな く 、 ヨ ーロ ッパの 「 ゲルマ ン系諸国家」 によ る

教育上の 「支配」 が どのよ う な性格のも のであり 、 どの

よ う な問題をはら んで今日 にいた っ てい る も のであ るか

を明らかにする。 いわば、 問題史と し ての教育史である。

( 2 ) 対象国と時期

本書で取り 上げら れる国は、 初版では、 「今日世界の

文化や教育の上で支配的な影響力 を持 っ て」 おり 、 「今

日のよう な教育制度や教育実践を築き上げ」 てき たゲル

マ ン諸民族 (英 ・ 米 ・ 仏 ・ 独) の教育が中心である '°。

改訂版では、 「世界の国 ぐにが、 よ かれ、 あ し かれ、 影

響を受けてき た」 ゲルマ ン系諸国家 (英 ・ 仏 ・ 独 ・ 米) の教育が中心に取り 上げら れる ' '。 主な対象国はどち ら

も英 ・ 仏 ・ 独 ・ 米の 4 カ国であ るが、 それらの修飾語に、

上記の課題意識の違い を読み取 るこ と ができ る。

本書が対象 とす る時期は、 初版では、 カ ール大帝の時

代から新教育運動期まで (1940年代まで) である。 改訂

版では、 ゲルマ ン諸王の文教政策から米 ソ二大陣営の対

立期まで (1950年代末) という よう に幾分拡大さ れてい

る。

( 3 ) 内容構成

本書の内容は、 初版、 改訂版と も に、 第一に 「教育の

制度や実際の歴史」 であり 、 そ れと の関連において 「思

想」 にふれる と いう かたち にな っ てい る。 つま り 、 制度

史と実践史が中心で、 思想史が補足的に論 じ ら れる。

ただ し、 課題意識の変化 を反映 し て、 改訂版では大幅

な加筆修正がな さ れてい る。 そ れによ り 、 「 と にか く 改

版は、 ほと んど全面的な書き直 し と なり 、 旧版の文章が

ほぼそのまま温存 さ れてい る頁はほと んどない と いう 結

果にな っ た。」 '2

そのこ と は実際に章構成を比較 し てみる と よ く わかる。

梅根悟と教育史教育

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表 1 『西洋教育史』 初版 (1952年) の章構成

はしがき

第 1 章 カール大帝

第 2 章 中世都市第 3 章 ルネ ッ サ ンス

第 4 章 宗教改革

第 1 節 ルーデル派の改革

第 2 節 カ ルヴ アン派の改革

第 3 節 カ ト リ ッ ク諸国の教育

第 5 章 絶対主義と市民革命

第 1 節 貴族教育と庶民教育

第 2 節 民主的国民教育制度の構想

第 3 節 近代教育学の礎石

第 6 章 産業革命

第 1 節 産業革命と教育問題

第 2 節 義務教育制度

第 3 節 教育学の発達

第 7 章 現代社会

第 1 節 統一学校問題

第 2 節 中等教育の拡大

第 3 節 新教育運動

年表

索引

渡 邊 隆 信

表 2 『西洋教育史』 改訂版 (1963年) の章構成

は しがき

第 1 章 ゲルマ ン諸王の文教政策

第 2 章 中世都市の発達と教育

第 3 章 絶対主義国家の教育

第 1 節 絶対君主と ヒ ュ ーマ ニズム

第 2 節 宗教改革と義務教育制度

第 3 節 「教授学者」 の活動

第 4 節 プロイ セ ン王国の教育政策

第 5 節 慈善学校運動

第 4 章 市民革命と民衆教育

第 1 節 紳士教育論から民衆教育論へ

第 2 節 アメ リ カ合衆国の独立と民衆教育

第 3 節 フ ラ ンス革命議会におけ る教育改革論と

ナ ポレ オ ン学制

第 4 節 プロイ セ ン改革と教育

第 5 節 「教育学」 の時代

第 5 章 産業革命と公教育制度

第 1 節 産業革命期の教育問題

第 2 節 イ ギリ スにおけ る年少労働問題と義務教

育制度

第 3 節 アメ リ カにおけ る産業革命と公教育制度

第 4 節 フ ラ ンスにおけ る公教育政策の推移

第 5 節 プロ イ セ ンにおけ る公教育政策の推移

第 6 章 帝国主義諸国の教育政策と教育運動

第 1 節 帝国主義と科学 ・ 技術教育政策

第 2 節 社会政策と教育

第 3 節 中等教育の拡大

第 4 節 新教育運動

第 7 章 社会主義政権の成立と教育改革

第 1 節 社会主義政権と 統一学校

第 2 節 社会主義と統一 学校

第 8 章 フ ァ シズムと教育

第 1 節 ナチスの教育政策

第 2 節 イ タ リ ーその他のフ ァ シズム教育

第 9 章 二大陣営の対立と教育

第 1 節 社会主義諸国の教育改革

第 2 節 資本主義諸国の教育改革

付 参考書について

索引

両書の章構成を見て分かる通り 、 まず章の数が全 6 章(初版) から全 8 章 (改訂版) に増え てい る。 各章の内

容を見てみる と 、 初版の第 3 章 「ルネ ッサンス」 と第 4 章 「宗教改革」 の 2 つの章が改訂版では第 3 章 「絶対主

義国家の教育」 にま と めら れてい る。 また、 初版の第 7 章 「現代社会」 が改訂版では第 6 章 「帝国主義諸国の教

育政策と 教育運動」、 第 7 章 「社会主義政権の成立と 教

育改革」、 第 8 章 「 フ ァ シズムと教育」、 第 9 章 「二大陣

営の対立と教育」 に大幅に拡張 さ れている。

その他の内容に関 し ては、 参考書、 図版、 年表の扱い

方に違いが見ら れる。 参考書については、 初版では各章

末に参考書 (47点) が紹介 さ れたう えで、 巻末にも全編

を通 じ ての通史的な参考書 ( 7 点) が掲載 さ れてい る。

改訂版では巻末に参考書一覧が設け ら れ、 そのなかで通

史 ( 9 点) と各章ごとの参考書 (147点) が掲載さ れて

いる。 参考書の合計は、 初版54点に対 し て改訂版147点

と 約 3 倍 と な っ ており 、 その充実ぶり が際立つ。

他方で、 図版と年表に関 し て言えば、 初版では図版が

18点で、 37頁にわたる 「西洋近世教育史略年表」 が附録

と し て掲載 さ れている。 改訂版では図版、 年表と も にす

べて削除 さ れてい る。

索引については、 初版、 改訂版と も に事項索引 と人名

索引が設け ら れてい る。 項目数が初版 (事項341、 人名

199、 計540) から改訂版 (事項404、 人名166、 計570) に増え てい るこ とは、 改訂版では第 7 ~ 9 章 を中心に内

容がより 充実 し たこ と を示 し ていると言えよ う 。

V . (西洋) 教育史教育の実際

梅根自身が 『西洋教育史』 を大学の講義等で実際にど

う 用いたかは、 今のと こ ろ不明であ る。 しか し、 彼が大

学で どのよ う な教育史教育 をおこ な っ ていたのか、 い く

つかの資料から推察可能である。 こ こ では東京教育大学

での最初の講義と、 和光大学での教育の様子を確認し て

おき たい。

( 1 ) 初期の講義

1949 (昭和24) 年に束京教育大学の教授と なった梅根

が最初に担当 し た授業の一つは、 学部 1 年次生対象の専

門科目 「西洋教育史」 であっ た。 テーマは 「西洋近世教

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梅根悟と教育史教育

育史概説 (普通教育の発達を主題と し て」。 梅根は講義

ノ ー ト一学期分程度はあら か じめ作成 し たう えで講義に

臨んだ ''3。 学生には、 お茶の水女子大学前の田畑孔版屋

で作成 し て も ら っ た 4 分冊から成 る カ リ 版刷り の資料が

配付 さ れた ''4。 受講生は1950 (昭和25) 年は18名であっ

た。

講義スタイ ルについては、 1950 (昭和25) 年春に東京

教育大学に入学 し た志村鏡一郎によ れば、 一期生から二

期生に以下のよ う な伝達事項が申 し送ら れたと いう 。

「教育学 を専攻す るつ も り の も のは、 たぶん、 『西

洋教育史』 を聴 く のだけ れど、 梅根 さ んの講義のと

きには、 教室の窓側の机の、 前から一列目、 二列目、

三列目 ぐ らいのと こ ろにだけは、 まず座ら ないほう

がいいぞ。 梅根 さ んは、 教室全体を見わた し ながら

講義 を し ない し、 と言っ て、 テキス ト と かノ ー ト と

かだけ を見 て講義す るので も な く 、 お よ そ、 窓側の

机の、 前列のあたり を見つめながら、 話 し て ゆく の

だから。 も し、 その辺に座り で も し たら、 たと え う

つむい て、 ノ ー ト を と っ てばかり い る と し て も、 あ

の大きな目が、 こ ちらに据えらているのかと思って ・ ・

. . . . 0」 '15

当時、 こ の講義を受けていた岩崎次男は次のよ う に述

懐 し てい る。

「そのプリ ン ト が現在手 も と に残 っ ていますが、 そ

れから想像 し てみます と 、 そ れまでほと んど (ある

いはま る っ き り ) 教育史の知識も ない と こ ろに、 ラ

テ ン語や フ ラ ンス語や ドイ ツ語な どの史料の引用が

豊富 な テキス ト での先生の講義には、 どれだけ の理

解を も っ ただ ろ う か。 先生の講義は、 私たちが一応

教育史に関す る ご く 一般的な認識を も っ てい る、 あ

るいはも っ てい るべき だと の前提の下に進めら れた

フ シがあり ます。 高等師範で一応の教育史の知識を

得、 さ ら に文理大で研究的に深める とい っ た手順が

教育大にも適用 さ れたのではなかろ う か、 あ るいは

専門に関するご く 一般的な知識は自力で得てお く べ

き だと 先生は考え ら れたのではなかろ う か。 先生の

講義が、 こ れまで私たちの受け てき たそ れよ り も一

段と 難解であり 、 質的に全 く 異な っ ていたこ と は、

た しかです。 それでもかなり 沢山の友人が聴講し て

いま し たので、 私は衆をたのんで安閑と聴講す るこ

と ができ たよ う です。」 '6

同 じ く 受講生であっ た志村鏡一郎も、 岩崎と同様に梅

根の難解な授業について、 こ う 述べてい る。

「 しかし、 それ ( カリ 版刷り : 筆者) を手に し て思

い だ さ れてき ますのは、 ま っ た く 残念と いう よ り ほ

かないのですが、 梅根先生がしばしば紹介 し て く だ

さ っ た、 ま だ中世の名残り を と どめた英文な ど (独文 ・ ラ テ ン語は も ち ろ んです ) 、 わた し ども の語学

力ではと う てい歯のたつものでな く 、 率直のと こ ろ、

な にも かも チ ン プ ン カ ン プ ンだ っ た、 と い う こ と で

す 0」 '17

こ う した回想を読む限り では、 学部 1 年次生には相当

難解な内容の授業 をおこ な っ ていたよ う である。 本講義

の内容は、 その後の教育大学講座の 『西洋教育史』

(1950 (昭和25) 所収論文 「西洋教育史概説一西洋近代

学校の成立史一」 や、 教職教養シリ ーズの 『西洋教育史』

に流れ込んでい っ た。

( 2 ) 晩年の講義

梅根は1966 (昭和41) 年に和光大学学長に就任して以

降も、 「兼任教授と し て授業をする権利 と義務がある」

と し て、 3 つの授業を担当 し続けた ''8。一つめは 「教育学」 という 学部 1 ・ 2 年次生用の講義

で、 教育史的な内容であっ たという 。 テーマは、 中教審

答申や日教組教育制度検討委員会報告を読んだう えで、

レ ポート作成のための予備知識と し て、 明治以来の日本

の教育制度、 教育内容の歴史について講述 し た。 レ ポー

g 課題は、 「次の三つのテ ーマの どれか一つ を選び、 そ

の選んだ テーマについて、 各自の居住地域の学校で、 ど

んなこ と が行なわれたか、 調査 し て報告す る。 も ち ろ ん

調査結果につい ての所見 をそえ る。」 と い う も ので、 選

択テーマは、 ①明治19年の森文相による学制改革はそれ

ぞれの地方、 学校で どのよ う にう け と めら れ、 実施 さ れ

たか、 ②大正 デモ ク ラ シー期の教育改革運動の、 そ れぞ

れの地域、 先進的な学校での実施、 ③戦後改革は、 地域、

学校で どのよ う に行なわれたか、 であ っ た。

レ ポー ト 課題のねら いは、 「郷里の学校 を訪問 し て資

料 を さ が し、 リ ポータ ーと し て活動 し た人たち を さ が し

出 し て、 聞き と り をす るな ど、 足 をつかい自分の眼と耳

で データ を と り 、 今まで出版 さ れた本な どには書いてい

ない、 なまの事実 をほり 出すこ と」 ''9 であ っ た。 受講生

は150名内外いたが、 梅根はレ ポー ト を一つ一つ読んで

批評をつけて返却 し た。

梅根が担当 した 2 つめの授業は、 学部 2 年次生対象の

「教育史」 であ っ た。 テーマは古代 ギリ シ ャから現代ま

での教育思想で、 テキス ト には自分の著書ではな く 、 村

山貞雄他編 『原典教育学』 を用いた。 講義ス タイ ルは、

テキス ト にある教育思想家の著書から 「い く つかを と り

上げて、 その人物についての解説、 テキス ト の講読、 若

干の質疑 ・ 討論と い っ た風の、 原典講読的なやや平凡な

授業」 であ っ たと 梅根自身は述べている。 レポー ト 課題

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は、 「 テキス ト に出て く る人物のう ち一人 を選んで、 そ

の伝記、 思想、 著作、 日本で刊行 さ れた訳書、 研究書な

どをま と め、 かつテキス ト に出てい る著作の全文 (邦訳

でよい) を熟読 し、 それについて読後感を書 く こ と」 で

あっ た。 受講生数は多い年で12、 3 名、 少ない年で 7 、8 名であ っ たと いう '2°。

三つめは、 学部 3 ・ 4 年次生対象の 「後期ゼミ」 であっ

た。 テーマはぺス タロ ツチ研究で、 1972 (昭和47) 年は

『隠者の夕暮』、 1973 (昭和48) は 『わが祖国の自由につ

い て』 を取 り 上げ た。 ゼ ミ のス タ イ ルは毎年ぺス タ ロ ツ

チの作品のう ち どれか一つを選んで、 学生と 輪読 し なが

ら、 解説およ び議論をする と いう 「いわば平凡な、 旧式

のゼミ」 であ っ た。 訳本中心で必要に応 じ て原典にあた

るという 方法であったという 。 受講生は毎年 3 ~ 4 名で、

教員や束京教育大学院生のゲス ト 参加もあっ た 2'。梅根はこ れら 3 つの授業 を構造的に捉え、 「私のつも

り では一貫 し たもので、 いわばピラ ミ ッ ド型、 富士山型

のつも り であ る」 '22 と考え てい た。

. ( 西洋) 教育史教育の意義 ・ 目的についての考え

( 1 ) 教師が教育史を学ぶと い う こ と

教師 を目指す者のために教育史のテキス ト を執筆 し、

大学の授業で教育史を講 じていた梅根は、 教育史教育の

意義や目的 を どのよ う に考え ていたのだ ろ う か。

研究史研究の時期区分では第 3 期にあたる1954 (昭和

29) 年に、 「教師と教育史 (第一回)」 という 文章を書い

てい る。 そのなかで教師が 「問題史的立場 (態度)」 か

ら教育史を学ぶこ と の重要性を力説し ている。

梅根によ れば、 「過去の珍 しい事実 を、 し かも忘 れら

れ、 埋 も れてい る事実 を、 い ろい ろの史料によ っ て科学

的方法にも と ずいてあら わに し てゆく 仕事」 が歴史学だ

と す れば、 そ れは 「単に物ずき の道楽にす ぎず、 人々の

好奇心を満足 させるだけの役割 を果すにすぎない。」 '23。現実の教育に向き合う 研究の一つには、 「発展史」 や

「発達史」 と呼ばれる も のがあ る。 そ れは、 「あ る問題、

あ る事柄につい て、 それが今日ではかな り 理想に近い と

こ ろまで来てい る、 しかも ま だま だこ れから も そ れを一

層理想に近づけなけ ればな ら ない、 という よ う な態度に

立 っ て、 そ れが今日のよ う な と こ ろまで来たいき さ つ、

その間におけ る人々の苦心 と努力 な どを明 ら かに し て、

先人の努力 に感謝 し、 そこ から将来更にそれをう けつい

で発達 させて ゆこ う と す る意欲や情熱をふるい起こ させ

よ う と 意図す る も のが多 い。」 24 しかし、 発達史的研究

には、 「 その掲げ る理想そのも のが根本的に問題で あ る

ばかり でな く 、 しばしば 『問題』 を逸し去っ て、 抽象的

な 『発達』 にのみ着目する危険がある。」 25

それに対 し て梅根が求めるのは、 問題史的研究である。

「現在の一 従 っ て未来への眼をつけ ての一 問題意識に導

かれて、 過去の社会的事象の変化のあ と を追求す るよ う

な歴史研究を、 われわれは広 く 問題史的研究を呼ぶこ と

がで き るであ ろ う 。 そ し てすべて歴史 と いう も のは、 こ

の意味での問題史であるべき だと いう こ と 、 従っ て教育

史も また当然そう だ、 と いう 主張に対 し ては、 大ていの

人が異論 を さ しは さ ま ない で あ ろ う 。」 '26 問題史的研究

とは、 例えば、 日本の大学受験競争の激化によ る教育の

ゆがみと いう 問題があ っ た と す る。 その時に、 古 く 入学

試験の歴史的変化 をた どり 、 入学競争がはげ し く な っ て

き た原因 と事情を究明す るこ と を通 し て、 今日の問題を

解決す るためになすべき こ と の見通 し を得 るよ う な研究

で あ る。 梅根は、 「教育史と い う も のはお よ そ こ のよ う

な問題史的態度にみち びかれて研究も し、 また読むべき

も のである と 思 う のである。」 '27 と 述べ る。 「教育者が教

育の歴史を学ぶと いう こ とは、 こ のよ う な問題史的立場

においてで なけ ればな ら ない。」 '28 と い う のであ る。

第 4 期にな る と、 教師が教育史を学ぶこ と の意義につ

いても、 問題史的立場がよ り 鮮明に意識さ れる。 そのこ

と を1959 (昭和34) 年の 『西洋教育史一民衆教育のあゆ

み一』 の 「はしがき」 に見て取るこ と ができ る。 梅根は、

教育史の学習が 「歴史上の偉大な教育思想家や教育者の

思想や行動に学び、 その教え を受け る と いう 程の意味で

大切」 '29 (P.1) と さ れてい た時代 ではも はやな く な っ て

い る と い う 危機感 を も っ て、 次のよ う に述べてい る。

「日本だけについて言えば、 今日わが国の教育界は

一つの大き な転機と いう か、 或は危機に立た さ れて

い る。 どんな教育 を し た ら いいかと いう こ と につい

て教師は重大な決断を迫ら れてい る と い っ てもいい。

そう し た時に教師の決断の重要な手がかり と なるの

は、 世界の教育は歴史的に どう 動いてき たか、 どう

動 こ う と し てい るのか、 教育 を動か し てき た も のは

何であ っ たか、 を見定める歴史認識であ る。 こ のよ

う な歴史認識に立 っ て教師はは じめて、 自分の決断

と それにも とづ く 教育実践を、 歴史の流れの中に正

し く 位置づけ、 確信あ る意志決定と実践にふみ出す

こ と ができ るであろ う 。」 '3°

こ のよう に教育史を学ぶこ と で、 教師が世界の教育の

動き を見定める歴史認識を獲得 し、 その上で教師が確信

を持 っ て意思決定と実践をおこ なえ るこ と が重要である

と梅根は考え る。 そのう えで、 教育史のなかでも なぜ西

洋教育史かと いう 問いに対 し ては、 「西洋教育史はわれ

われに と っ て外国の歴史で あ るけ れど も、 そ れは単 な る

外国の歴史と し てではな く 、 人類の教育史をいわば典型

的に示す ものと し て、 世界教育史の主要教材と し ての意

味 を も っ てい る。 その意味で西洋教育史を学ぶこ と には、

大き な価値がみと めら れなけ ればな ら ない」 3' と 述べ る

渡 邊 隆 信

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のであ る。

梅根悟と教育史教育

Ⅶ. おわり に一今 『西洋教育史』 をど う用いるか一

『西洋教育史』 の成立と改訂を概観して言えるこ とは、

本書がす ぐれて時代の産物だと いう こ と である。 本書の

初版が出版 さ れてから70年以上の歳月がながれた現在、

西洋教育史研究の水準は格段に高まり 、 新 しい資料や視

点に基づ く 膨大な研究成果が国内外で発表さ れている。

そう し たこ と を考え るな ら ば、 今日われわれが本書 を西

洋教育史のス タ ン ダー ドな入門書と し て学生に示す と い

う のは困難である。

では本書を どう 用い るこ と ができ るだろう か。 筆者は

次の点、 すなわち、 本書が著者の個性を押 し殺し て教育

史の基礎知識を羅列 したよう な教科書風の概説ではな く 、

梅根と いう 強烈な人格が当時の教育状況や社会状況と対

峙す るなかで自己の感情や主張 を込めて書き上げた著作

であ ると いう 点にこ そ、 本書を今日読み直す意義があ る

と 考え る。 つまり 、 そう し た本書の性格 を踏まえ、 『西

洋教育史』 の成立と改訂を、 梅根の思想展開や戦後の教

育制度と 社会状況と の関わり において読み解 く 作業 を と

お し て、 教育の理論と実践の関係、 政治 と教育の関係等

について考察す るための題材 ・ 資料にす る と いう こ と で

あ る o

本書に見るこ と のでき る 「問題史と し ての教育史」 と

い う 梅根の考えは、 その後、 教育史学会の シ ン ポ ジウム

で も繰り 返 し その重要性が指摘 さ れてき たよ う に 32、 今

日多 く の教育史研究者に受け継がれ広ま っ ていると言え

よ う 。 梅根の生き た時代に比べ、 教育や社会の対立軸が

複雑化 ・ 多元化 し ている現代、 問題史の基点と なる 「問

題」 を どのよ う に見いだ し てい く かも多様化 し てい るこ

と を自覚 しつつ、 現実の教育政策や教育実践に建設的に

関与 し てい く ための教育 ・ 研究の基本姿勢と し て、 この

「問題史と し ての教育史」 と いう 考え方は、 今日ますま

す求めら れてい るよ う に思われる。

言主

* 1 中野光 「梅根悟」、 「桐花爛漫一筑波大学131年人物

列伝 」 編集委員会編 『桐花爛漫 筑波大学131 年人

物列伝』 2003年、 p ie9。

* 2 教育哲学会では、 学会の研究 プロ ジェ ク ト と し て

「戦後教育哲学の出発」 (2007~ 2009年) が設定され、

村井実と 上田薫の回顧録がま と めら れた。

* 3 中野光 「『物語そ しての教育史』 研究一戦後日本の

教育学におけ る ひと つの軌跡一」、 中野光 『戦間期教

育への史的接近』 E X P 、 2000年。 中野光 「梅根悟と

ぺス タ ロ ツチ ー」 、 中野光 『日本のぺス タ ロ ツチ ーた

ち』 つなん出版、 2005年。 古沢常雄 「梅根悟の教育史

学」、 教育史学会編 『教育史研究の最前線』 日本図書

セ ンタ ー、 2007年。

* 4 梅根悟 / 教育史研究会編 『教育研究五十年の歩み』

講談社、 1973年、 p.170。

* 5 以下の文献より筆者作成。 浜田陽太郎編 『ながれ一

梅根悟先生還暦記念一』 束京法令出版、 1963年。 「梅

根悟博士 略年譜」、 教育史学会編 『日本の教育史学』

第23集、 1980年。

* 6 梅根悟 「学問と私の遍歴」、 梅根悟 『小 さな実験大

学』 講談社、 1975年、 p 222-229。

* 7 中野光 「「物語そ しての教育史」 研究 戦後日本の

教育学におけ る ひと つの軌跡一」、 中野光 『戦間期教

育への史的接近』 E X P 、 2000年、 p 333。

* 8 梅根悟 『西洋教育史』 (教職教養シリ ーズ) 誠文堂

新光社、 1952年、 p.1。 下線筆者、 以下同 じ。

* 9 梅根悟 『西洋教育史』 (新 ・ 教職教養シリ ーズ) 誠

文堂新光社、 1963年、 p 2。

*10 梅根悟 『西洋教育史』 (教職教養シリ ーズ) 、 前掲

書、 p 2。

*11 梅根悟 『西洋教育史』 (新 ・ 教職教養シリ ーズ) 前

掲書、 p 2。

*12 同上書、 はしがき、 p 2。

*13 ノ ート は和光大学附属梅根悟記念図書館に所蔵さ

れてい る。 ノ ート の右頁には講義内容が几帳面な文字

でほぼ完成原稿かたちで文章化 さ れており 、 左頁に補

足 メ モが書かれてい る。

*14 志村鏡一郎 「梅根先生と私」、 浜名陽太郎編 『なが

れ』 前掲書、 p i l l -112。

*15 同上書、 p i l l。*16 岩崎次男 「梅根先生と私」、 浜田陽太郎編 『ながれ』

前掲書、 p 72-73。

*17 志村鏡一郎 「梅根先生と私」、 浜名陽太郎編 『なが

れ』 前掲書、 p i l l。*18 梅根悟 「私の授業」、 梅根悟 『小 さな実験大学』 講

談社、 1975年、 p 217。

*19 同上書、 p219。

*20 同上書、 p291-220。*21 同上書、 p 221。

*22 同上。

*23 梅根悟 「教師と教育史 (第一回)」、 『学校時報』 4巻12号、 1954年、 p 4。

*24 同上書、 p 5。

*25 同上書、 p 6。

*26 同上書、 p 4-5。

*27 同上書、 p 5。

*28 同上書、 p 7。

*29 梅根悟 『西洋教育史一 民衆教育のあゆみ一 』 黎明

書房、 1959年、 p.1。

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渡 邊 隆 信

30 同上。

*31 同上。

*32 教育史学会大会 シンポジウム 「教員養成のための

教育史教育の問題点」 (第18回) 、 「私の教育史教育一

教育内容の構成について一」 (第20回) 、 「教育史的認

識をいかに形成するか」 (第21 回) 、 「教育史教育と研

究のあり 方をめぐって」 (第37回) 等。

主要参考文献

・ 教育史学会第18回大会記録 「 シンポジウム : 教員養成

のための教育史教育の問題点」、 教育史学会編 『日本

の教育史学』 第18集、 1975年。

・ 教育史学会第20回大会記録 「 シンポジウム : 私の教育

史教育一 教育内容の構成について一 」、 教育史学会編

『日本の教育史学』 第20集、 1977年。

・ 教育史学会第21回大会記録 「 シンポジウム : 教育史的

認識をいかに形成す るか」、 教育史学会編 『日本の教

育史学』 第21集、 1978年。

・ 教育史学会第37回大会記録 「 シンポジウム : 教育史教

育 と研究のあり 方をめぐ っ て」、 教育史学会編 『日本

の教育史学』 第37集、 1994年。

・ 梅根悟 「西洋教育史概説 1 一西洋近代学校の成立史一」、

束京教育大学教育学研究室編 『教育大学講座 4 西洋

教育史』 金子書房、 1950年。

・ 梅根悟 『西洋教育史』 (教職教養シリ ーズ) 誠文堂新

光社、 1952年。

・ 梅根悟 「教師と教育史 (第一回、 第二回、 最終回)」、

『学校時報』、 4 巻12号、 5 巻 1 - 2号、 1954~ 55年。

・ 梅根悟 『世界教育史一 人間は人間を幸福にでき るその

考え方の歴史一』 光文社、 1955年。

・ 梅根悟編 『西洋教育史一 民衆教育のあゆみ一 』 黎明書

房、 1959年。

・ 梅根悟 『西洋教育史』 (新 ・ 教職教養シリ ーズ) 誠文

堂新光社、 1963年。

・ 梅根先生の退官を記念 し新出発を祝う 会編 『ある教育

者の遍歴』 誠文堂新光社、 1966年。

・ 梅根悟 『西洋教育思想史 ( 1 ~ 3 )』 誠文堂新光社、

1968~ 1969年。

・ 梅根悟 / 教育史研究会編 『教育研究五十年の歩み』 講

談社、 1973年。

・ 梅根悟 「私の教育学研究」、 日本教育学会編 『教育学

研究』 第40巻、 第 4 号、 1973年。

・ 梅根悟 『小 さな実験大学』 講談社、 1975年。

・ 梅根悟 『教育断層 歴史に生き る』 あゆみ出版、 1982年。

・ 「梅根悟博士 略年譜」、 教育史学会編 『日本の教育

史学』 第23集、 1980年。

・ 中野光 『日本の教師と子ども』 ExP、 2000年 a。

中野光 『戦間期教育への史的接近』 ExP、 2000年 b。

中野光 「梅根悟」、 「桐花爛漫一 筑波大学131 年人物列

伝一 」 編集委員会編 『桐花爛漫一 筑波大学131 年人物

列伝』 2003年。

中野光 『日本のぺス タ ロ ツチ ー た ち』 つな ん出版、

2005年浜田陽太郎編 『ながれ一 梅根悟先生還暦記念一 』 束京

法令出版、 1963年。

古沢常雄 「梅根悟の教育史学」、 教育史学会編 『教育

史研究の最前線』 日本図書センター、 2007年。

和光大学附属梅根記念図書館編 『梅根悟著作日録』 和

光大学、 1984年。

和光大学附属梅根記念図書館編 『梅根悟寄贈図書目録』

和光大学、 1985年。

謝辞 : 梅根悟関係の文献 ・ 資料の閲覧に際し ては、 和光

大学附属梅根記念図書館職員の皆 さまに大変お世話になっ

た。 記し て御礼申し上げたい。

付記 : 本研究は、 2003 (平成15) 年12月13 日に筑波大学

学校教育学部で開催さ れた 「梅根悟博士生誕100年記念

シンポジウム」 におけ る報告 「梅根悟と教育史教育一

『西洋教育史』 (教職教養シリ ーズ) を どう 用いるか一」

を も と に加筆修正 し たも のであ る。 ま た本研究は、 平成

24 ~ 26 年度科学研究費補助金萌芽的研究 「梅根悟におけ

る新教育観の形成と転換 戦後新教育の思想史的研究 」

(研究課題番号24653228) によ る研究成果の一部である。