類義語辞典:Trusler から Whately

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69 類義語辞典:Trusler から Whatelyまで WNDSの序を読む―       (菅原光穂) 類義語辞典:Trusler から Whatelyまで WNDSの序を読む 菅 原 光 穂 英文学科 2000年9月14日受理) Synonymous Dictionaries : From Trusler to Whately Based on the Introductory Matter of WNDS Department of English Literature SUGAWARA Mitsuho (Received September 14, 2000) This is a brief survey of synonymous dictionaries published by the middle of the 19th century. It begins with Rev. John Trusler's The Difference between Words Esteemed Synonymous (1776), which is said to be the first English synonymous dictionary. After Trusler the survey covers Hester Lynch Piozzi, William Perry, William Taylor, George Crabb and Elizabeth Jane Whately. The paper also mentions a little about George F. Graham, whose book was published about 10 years before Whately. The paper is mainly based on the data given in the "Introductory Matter" of Webster's New Dictionary of Synonyms (Springfield Mass.:Merriam-Webster Inc., 1984). The data concerning the publication of dictionaries are based on R. C. Alston, BMGC, Arther G. Kennedy, Paul S. Koda, Robert Keating O'Neill and Mitsuho Sugawara (Research paper on the hundred significant dictionaries in the 19th century, in print, 1999). Each dictionary of synonyms is surveyed from the viewpoints of (1) its characteristic features, (2) author's basic principle for synonymizing , and (3) the history of editions after the first book. [はしがき] 類義語辞典(Synonymous dictionary をここではこう呼ぶこととする。)を取りまとめて解説し た文献は数多くないが、ウェブスターの類義語辞典(Webster's New Dictionary of Synonyms , Merriam-Webster, 1984)の「序」に詳述されているのはその一つで、それは、むしろ類義語辞典 の出版経緯を明らかにした最釈 る。小論では、そのウェ1 での資料をベースとして19世紀半ばまでの類義語辞典、特に Trusler から Whately までを中心に して、総括し、それに様々1 資料参照)を加えて、類観 しようとするものである。 類義語辞典は19世紀には synonymicons とか synonymies とか synonymizing するとか様々な 言われ方があったが、英語では18世紀の半ばからスタートす1 (1) 。もっとも初期の類義語研観 ネッサンス期のギリシャ語、ラテン語のもの1 18世紀になると仏語、独語の 較研究がある。1857年に出版されたトレンチ司祭の「わが国の英語辞書の欠陥について」(On Some Deficiencies in Our English Dictionaries)の一つは「類義語の区別」に対する注意不足(第

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類義語辞典:Trusler から Whatelyまで― WNDSの序を読む―              (菅原光穂)

類義語辞典:Trusler から Whatelyまで― WNDSの序を読む ―

菅 原 光 穂英文学科

(2000年9月14日受理)

Synonymous Dictionaries : From Trusler to Whately- Based on the Introductory Matter of WNDS -

Department of English Literature

SUGAWARA Mitsuho(Received September 14, 2000)

This is a brief survey of synonymous dictionaries published by the middle of the 19th century. It begins with Rev.

John Trusler's The Difference between Words Esteemed Synonymous (1776), which is said to be the first English

synonymous dictionary. After Trusler the survey covers Hester Lynch Piozzi, William Perry, William Taylor, George

Crabb and Elizabeth Jane Whately. The paper also mentions a little about George F. Graham, whose book was

published about 10 years before Whately.

 The paper is mainly based on the data given in the "Introductory Matter" of Webster's New Dictionary of

Synonyms (Springfield Mass.:Merriam-Webster Inc., 1984). The data concerning the publication of dictionaries are

based on R. C. Alston, BMGC, Arther G. Kennedy, Paul S. Koda, Robert Keating O'Neill and Mitsuho Sugawara

(Research paper on the hundred significant dictionaries in the 19th century, in print, 1999).

 Each dictionary of synonyms is surveyed from the viewpoints of (1) its characteristic features, (2) author's basic

principle for synonymizing , and (3) the history of editions after the first book.

[はしがき]

 類義語辞典(Synonymous dictionary をここではこう呼ぶこととする。)を取りまとめて解説し

た文献は数多くないが、ウェブスターの類義語辞典(Webster's New Dictionary of Synonyms ,

Merriam-Webster, 1984)の「序」に詳述されているのはその一つで、それは、むしろ類義語辞典

の出版経緯を明らかにした最初の試みではないかと思われる。小論では、そのウェブスター辞典

での資料をベースとして19世紀半ばまでの類義語辞典、特に Trusler から Whately までを中心に

して、総括し、それに様々な資料からの出版情報(参考資料参照)を加えて、類義語辞典を概括

しようとするものである。

 類義語辞典は19世紀には synonymicons とか synonymies とか synonymizing するとか様々な

言われ方があったが、英語では18世紀の半ばからスタートする(1)。もっとも初期の類義語研究はル

ネッサンス期のギリシャ語、ラテン語のものであるが、18世紀になると仏語、独語の類義語の比

較研究がある。1857年に出版されたトレンチ司祭の「わが国の英語辞書の欠陥について」(On

Some Deficiencies in Our English Dictionaries)の一つは「類義語の区別」に対する注意不足(第

目 次

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岐阜女子大学紀要 第30号 (2001.3.)

5項に Synonym discriminations were neglected とある。)というものであった。おそらく、その

注意に応えたと思われるものが Joseph E. Worcester の大辞典(A Dictionary of the English

Language 1860)であろうと S. I. Landau (1984, p.104) にあるが、ここでは Worcester までは降

らない。取り扱う類義語辞典はここでは19世紀半ばまでの以下の7点とする。

1) John Trusler. The Difference between Words Esteemed Synonymous (1766)

2) Hester Lynch Piozzi. British Synonymy (1794)

3) William Perry. Synonymous, Etymological, and Pronouncing English Dictionary (1805)

4) William Taylor. English Synonymy Discriminated (1813)

5) George Crabb. English Synonymous Explained (1816)

6) Goerge F. Graham. English Synonymous Classified and Explained (1846)

7) Elizabeth Jane Whately. A Selection of English Synonymy (1851)

この後にRoget(1852)、 Whitney(1891)、Funk & Wagnall(1896)、 March & March(1902)、

C. O. Sylvester Mawson(1911)、 F. Sturges Allen(1927)、C. O. Sylvester Mawson(1931)、

Webster' New International(1934)、と続くが、それらは十分解説がなされているので、ここで

は対象外とする。

 概観する視点は、第1にそれぞれの辞書の顕著な特色、先人の業績との関係、著者および編集

者の「類義語」に対する視点または考え方(当時は、類義語そのものが今日のように共通した概

念のもとに取り扱われていなかったので、類義語そのものの定義、扱い方に大きな差異が見られ

た。)、読者への影響、それに再版以降の出版状況等である。ここで扱う全ての辞書について、そ

の全てを述べるわけではないが、できるだけ詳述することとした。

 各辞書の出版状況は主として以下のカタログ類に依拠した。<>内は略号。

(1) Alston R. C. A Bibliography of the English Language from the Invention of Printing to the

Year 1800 . Menston, Leeds: Scolar Press, 1965-73. <A>

(2) British Museum General Catalogue of Printed Books . 263 vols. London: Trustees of the

British Museum, 1959-66. <BMGC>

(3) Kennedy, Arthur G. A Bibliography of Writings on the English language from the Beginning

of Printing to the End of 1922 . New York : Hafner Publishing Co. 1961.<K>

(4) Koda, Paul S. A Descriptive Catalogue of the Warren N. Cordell Collection of Dictionaries .

Ph.D. dissertation, Indiana University, Bloomington, 1974. <Koda>

(5) The National Union Catalog Pre-1956 Imprints . 754 vols. London: Mansell Information /

Publishing Limited, 1968-81, <M>

(6) ___________. 1956 through 1967. 125 vols. <NUC 56-67>

(7) ___________. 1968 through 1972. 104 vols. <NUC68-72>

(8) ___________. 1973 through 1977. 135 vols. <NUC73-77>

(9) R. K. O'Neill. English-Language Dictionaries, 1604-1900 . The Catalog of the W. N. and S.

B. Cordell Collection. New York: Greenwood Press. 1988. <O>

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類義語辞典:Trusler から Whatelyまで― WNDSの序を読む―              (菅原光穂)

[ 1 ] Rev. John Trusler (1735 - 1850)

 タイトルページは、The difference, between words, esteemed synonymous, in the English

language ; and, the proper choice of them determined...London: Printed, for J. Dodsley, 1766.(A

3:515, BMGC 241:898, M 603:144, O T-37参照。) 大きさ18cmの2巻1セット。ページ数は小島に

よれば、494頁。第2版は1783年の出版。1970年に2巻1セットで Scolar Press からファクシミ

リ判が出される。English Linguistics, 1500-1800 というタイトルの復刻判シリーズの1巻として。

編者はR. C. Alston。(NUC [1968-72] 95:34, O T-38参照。)

 英語に関するいわゆる類義語本(Books on synonymy)といわれるものの最初がTrusler の

Difference (1766)である。しかし、本当の意味での最初かとなると疑問である。Webster's New

Dictionary of Synonyms (WNDS) によれば、当時すでに英、仏で著名であった Abbe Gabriel

Girard (1677-1748) の La Justesse de la langue Fran�oise ou les Diff�rentes significations des

mots qui passent pour �tre synonymes (1718) を種本としたことは明であるという。 Trusler の

それはタイトルが Girard に似ているというだけでなく、序までそっくりであるという。辞書の本

文もTrusler が序で述べているように、英語に取り入れてよいと思われるケースではどしどし

Girardを翻訳してとりいれている。英語類義語辞典の文字通りの鏑矢とは言いがたいものの、英

語における類義語を解説しようとした最初の試みであるという点で評価されよう。

 Trusler の第2版(1783)は、WNDS によれば、初版とはかなり相違して、次の6点ほどの特

色をもつという。

� 序文が簡潔にして要を得た内容となった。

� 内容についてはかなり Trusler 色をだした。ただ Girard からの引用部分もまだ相当ある。

� 英国の教会、英国人の日常生活に関する項目が多すぎる。

� 初版に比較して語彙数の増大を見たが、それによってTruslerの独創性が高まったとはいえな

い。まだ模倣が多い。

� 仏語から多く類義語を借用しているが、英語に当てはめるとかなり無理があると思われる例

が多い。

� 第2版は扱う語彙数の増大をみたが、類義語の扱い方に迷いが見られる。Trusler は、結局、

類義語間の意味上の差を記述するのが目的なのか、それとも類義語と思われる各語の意味特

性を明らかにするのが目的なのかがはっきりしていない。どちらも一つ事としているが、両

者が別ものであることに気が付いていない。

 いずれにせよ、英語における最初の類義語辞典という栄誉は与えられるであろう。

[2] Hester Lynch Piossi (1741-1821)

 British Synonymy の名で知られる18世紀最後の類義語辞典。初版のタイトルページは British

synonymy; or, an attempt at regulating the choice of words in familiar conversation...By Hester

Lynch Piozzi. In two volumes...London: Printed for G. G. and J. Robinson. 1794. (A 3:524, BMGC

238:683, M 459:330, O P-65参照。)2巻構成。大きさ23cm。 同じ年にダブリンの William Porter

から516ページの1巻構成(A 3:525, M 459:330, O P-67)で1794年に出版される(縮刷版か)。第

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2版、3版が出版されたとWNDS の序

にあるが、詳細は不明。1968年に

Scolar Press からファクシミリ版

(NUC <1968-72>75:717, O P-66 参

照。)が出版されている。1804版の編集

者たちが、第2版、3版と出版された

のだから、この辞書の成功は明らかだ

と述べているくだりがある。ただ同じ

編集者たちの証言によれば、この辞書

もまた Girard の影響を受けたようで

ある。事実、著者の Piozzi(2)自身序文に

次のように述べている。

" I should be too happy, could I

imitate his delicacy of discrimination,

and felicity of expression... (p. vii)"

ただ、1784年に没したジョンソンから

はいかなる影響を受けたかは定かでは

ない。

 Piozzi の辞典(3)は、著者の性格を反映

してか、独立独歩の精神で貫かれてい

る。誤りも多く、どうかと思う主張や、

馬鹿げているほどナイーブで、ときに

はジョンソンとことを構えて彼の意見にしばしば反論したり、それをわざと無視したりするくだ

りがよくある。たとえば、馬に食べさせるために鳥の骨を蓄えておく新米帽子屋の話を、ジョン

ソンは「阿呆(idiot)」といったのに対して Piozzi は「愚にもつかない(senseless)」ことと言い

張る。

 Piozzi は副題で示すとおり(An attempt at regulating the choice of words in familiar conversa-

tion)、彼女の辞典の目的は明白で、女性が日常会話において語を選択する際の基準(優雅さ)を

述べようとしたもの。外国人がばかげた誤りをしないための指針となるようなものを目指した。

したがって、Girard や Trusler と同様、類義語の意味の区別を指向しているのではなく、一見類

義語に見えるよく似た語の用法上の区分を目的とする。つまり、意味の差を明らかにするのでは

なく、使用上の適切さを示すことである。そのため彼女の辞書は図書館の書棚というよりは、居

間の飾り棚にでも置いておくべきものとしている。もし一般の人の助けになるとしたら、さらに

詳しい類義語辞典ができるまでのつなぎとしての役目であろうと控えめにその狙いを述べてい

る。この辞典においては、したがって、辞書編纂者や論理学者のように語を定義することではな

く、語の用法の適切さ(propriety)を示すことを目的とする。

 その「用法の適切さ」は彼女の勘(instinct)と当時の客間用法(the drawing-room usage)と

いう二つのテストによって決められたもの。当然のことながら、その結果は極めて主観的で恣意

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初版のタイトルページ(ゆまに書房復刻版)

岐阜女子大学紀要 第30号 (2001.3.)

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的なものであった。そうであっても良かったのにはわけがある。 彼女によれば、語の定義の重

要性はわかるが(何故なら、それなしには論理は1歩も進まないから)、しかし、定義を待って

足踏みしていてはならない。 類義性(synonymy)というものは真理(truth)というより優雅さ

(elegance)に関わるものだから、という。(We must not ... retard our own progress with studied definitions

of every quality coming under consideration ... And although the final cause of definition is to fix the true and

adequate meaning of words or terms, without knowledge of which we stir not a step in logic; yet here we must not

suffer ourselves to be so detained, as synonymy has more to do with elegance than truth... Preface pp. iv-v) 要する

に、類義語研究者にとって大切な語における意味の区分け(discrimination of meaning)という

ことを過小評価していたといえる。

 Piozzi は慣用英語の完成を目指していたとしても過言ではない。しかし、慣用に関する彼女の

判断は包括的というより限定的、部分的な判断によるものが多い。つまり、個人的感情や好みに

依存しているケースが目立つ。特種な用法のもとでの語の正確な意味を言い当てたり、それに生

きた色をつけたりすることには有能であったが、一般的に彼女が見逃しているのは、語にはそれ

以外の意味もあるということである。たとえば、つぎの例においては、honour に極めて限定的な

意味しかないという判断が見える。

HONOUR, DELICACY OF CONDUCT, REFINEMENT UPON VIRTUE, SCRUPULOSITY OF BEHAVIOUR,

NICENESS, REPUTATION

      ____________________________

THE first and the last of these terms are synonymous, when a woman's chastity, a soldier's bravery, or trader's

punctuality of payment are in question: let any of those be doubted for a moment, HONOUR is sullied and

REPUTATION torn.

 Piozzi に何か見るべきものがあるとすれば、それは彼女の独立独歩の精神である。時代の趨勢

に逆行して語の定義をあまり重要視しなかったこと、さらに良い用法とはこうだという一家言を

持っていたことである。 当時はまだ logic と lexicography の概念区分も十分にできていなかっ

た時代であったが、彼女はその後の類義語研究者より現代に近い感覚を有していたし、彼女自身

のもつ「正しさ」の感覚にも評価すべきものが多い。Piozzi の辞典が大変魅力的であるのは、そ

の辞典が伝統的に拘束された思想への意気軒昂な挑戦に満ちているからだと言えよう。

[3]William Perry (?)

The Synonymous, Etymological, and Pronouncing English Dictionary は Perry の著名な3つの

辞典(4)の一つ。1805年出版。タイトルページは The synonymous, etymological, and pronouncing

English dictionary. In which the words are deduced from their originals, their parts of speech

distinguished, their pronunciation pointed out, and their synonyms collected, which are

occasionally illustrated in their different significations, by examples from the best writers.

Extracted from the labours of the late Dr. Samuel Johnson; being an attempt to synonymise his

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類義語辞典:Trusler から Whatelyまで― WNDSの序を読む―              (菅原光穂)

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folio dictionary of the English language. To which is prefixed an English grammar. By William

Perry...London: Printed for John Walker, Cuthell and Martin, Longman, Hurst, Rees, and Orme,

[and others]. 本文727、タイトルページ1、序文等で47ページ。大きさ25cm (BMGC 187:311, M

451:573, O P-39)。 第2版以降は出版の記録がない。このタイトルページからも明らかなように、

Perry は収録語彙や語の定義をジョンソンから多く借用している。Ch. A. Goodrich が1847年版の

American Dictionary (Royal Octavo 版)の序で、Perry のこの辞典は絶版になったと述べてい

るように、Royal Standard English Dictionary (1775) ほどの名声は得られなかったようである。こ

の辞書の特色として著者が挙げているのは、ジョンソンの英語学的、批判的、興味深い観察に新

しくかつユニークな類義語の解説を加えたところである。

 この辞典の執筆開始は1797年で、Piozzi の British Synonymy の出版3年後である。しかし、

Perry は Piozzi も Girard も知らなかった様子である。事実 Perry はジョンソン以外の誰にも言及

していない。公言されていないが、ジョンソンからは収録語彙や定義ばかりでなく、類義語その

ものの説明も借用していると思われる。たとえば、 good の項では定義はジョンソンの定義1か

らの借用であるが、類義語の説明となるとジョンソンの残り29の全ての意味に基づいている。引

用については、Perry の場合ほんの僅かしかなく、それも巻末にまとめて列挙。

 Perry は、しかし、見出し語および類義語の扱いに工夫を凝らしている。たとえば、見出し語

に大文字と小文字があって、大文字の方を Perry は「基幹語」(radicals)と呼び、その類義語の

数を制限した。一方、小文字の見出し語は類義語の数は少ないが、その中のひとつを小さい大文

字にしてある。

 marches :    borders, limits, confines, BOUNDARIES

 BOUNDARY :   limit, bound, bourn, term, mere, bit, abuttal, border, barrier,

marches, confines, precinct, line of demarcation, utmost reach or

verge of territory; a landmark, a mere-stone

もし、人が小文字の見出し語に対する類義語を全て見たいと思えば、ここでは大文字で記された

基幹語 BOUNDARIES を見なければならない。

 Perry の問題点の一つは、「同じかまたは類似した意味を持つ2つまたはそれ以上の語」という

類義語に関する伝統的定義を拡大解釈して、類義語の中に語だけでなくフレーズまで持ち込んだ

ことにある。さらに、Perry はジョンソンの辞書の目的を誤解していると思われるほど、ジョン

ソンの語の定義に類義語を追加したり、ジョンソンが訂正のために追加した語句を無視したりし

ている。ジョンソンは語の定義の困難さを知っているだけに、それには細心の注意を払っていた

筈である(5)。ジョンソンは特に類義語を用いての定義の難しさについて、定義する語にも、定義

される語にも複数の意味があるときは類義語など役に立たない、という。

The rigour of interpretative lexicography requires that the explanation, and the word explained , should be always

reciprocal ; this I have always endeavoured but could not always attain. Words are seldom exactly synonymous

(sic .), a new term was not introduced, but because the former was thought inadequate: names, therefore, have often

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many ideas, but few ideas have many names. It was then necessary to use the proximate word, for the deficiency of

single terms can very seldom be supplied by circumlocution...

(語彙の解釈を厳密にするためには、説明する語とされる語は相互換用的でなければならない。私はこの事を真剣に

試みてきたが常にうまくいったわけではない。正確に同義という語はない:新しい語はまだないし、古い意味は不適

切だし、語にはたくさんの意味があるし、多くの語で表わされる意味だって少なくない。従って、近似の意味の語を

使用することが必要になる。[説明に]適切な語がないときに、持って回ったような遠まわしの表現ではなかなか的

をえられるものではない。)

ジョンソンがこういったのを Perry がその序で引用しているのだが、どうも理解しているとは思

えないふしがある。Perry が回りくどいパラフレーズを類義語に多く用いているために、読者に

ジョンソンがそうしたほうが良いと思っているのではないかという印象を与える。Perry はジョ

ンソンのやり方はそうではないという事を説明すべきであったと思われる。というのは彼には

ジョンソンの意味していた事が何であったかわかっていたようである。Perry は序で次のように

述べる。

… we by no means contend, that the whole of the explanations collected under such initial words as...we call

RADICALS, are all strictly synonymous; neither, on the other hand, can we agree with those who roundly assert,

that there are not two words in the whole English language of precisely the same signification; but this we take upon

us to say, that we have no less than Dr. Johnson's authority for their selection and disposition as explanatory of their

meaning...

(見出し語のもとに集められた語彙(「基幹語」とわれわれが呼ぶものだが...)のすべてが厳密にいって同義語であ

るとは思っていない。他方、まったく同じ意味を持った語は英語の中に二つとないという主張にも組しない。ただ、

責任をもって言えることは、意味の説明として単語を選択したり、配列したりするにあたって、ジョンソン博士の権

威にだけは十分従ったことである。)

ジョンソンの主張がまだ誤解されているとき、その支持者もあまり多くはなかった。Perry は、

おそらく、シノニムの概念がどんどん拡張されていく傾向をみて、ジョンソンへのサービスのつ

もりで、シノニムの用語の再定義が必要であるという問題提起をしたものと思われる。

[4] William Taylor (1765 - 1836)

 Taylor の English Synonymes (sic.) Discriminated は1813年、ロンドンの出版。辞書の本文は

294ページ、序文等で20ページ。18ページの巻末の付録がある。大きさ19cm。( BMGC 235 : 639,

M 585:132, O T-3) 著者の William Taylor は、 Burger の Lenore 、 Lessing の Nathan the Wise、

Goethe の Iphigenia in Tauris の翻訳家として知られた人。またロマン主義ドイツ文学の推奨者

としても名高い。1813年のこの辞典は彼の独、仏、伊等の諸言語の研究結果でもあるが、類義語

研究については英語にはまだ独、仏、伊と同じような研究成果はないという信念のもとに編まれ

たものである。全体としてはむらがあるが、いくつかの項目はこれまでのどの辞典より優れてい

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類義語辞典:Trusler から Whatelyまで― WNDSの序を読む―              (菅原光穂)

Page 8: 類義語辞典:Trusler から Whately

るだけでなく、その後90年ほどの間に出版される辞典に匹敵するほどであるといわれる。

 Taylor の基本原理は、語の原義を正確に理解しさえすれば、それが(隠喩等で)どのように用

いられようと意味不明ということはない、というにある。その原義を示す重要な手がかりは、彼

の場合、語源に求める。語源は語の特性を示すだけでなく他の語との区別を示すのに有用なもの

であるとする。

 彼の記述の一端を austere、severe、rigid でみると、

Austerity(says Blair) relates to the manner of living: severity, of thinking, rigour, of punishing. To austerity is

opposed effeminacy; to severity, relaxation; to rigour, clemency. A hermit is austere in his life; a casuist, sever in his

decision; a judge, rigourous in his sentence.

In this discrimination there is little exactness. Austerity is applied not only to habit, but to doctrine, and to

infliction. Solitary confinement is a severe form of life, and a severe punishment. Rigid observances, rigid opinions,

are oftener spoken of than rigid sentences.

 A hermit is austere, who lives harshly; is severe who lives solitarily; is rigid who lives unswervingly. A casuist is

austere who commands mortification, severe, who forbids conviviality, rigid, whose exactions are unqualified. A

judge is austere, who punished slight transgressions; severe, who punishes to the utmost; rigid, who punishes

without respect of persons and circumstances.

 (Austerityは(修辞学者のHugh Blairが言うには)生活の仕方に関係したのも、severityは考え方に関するもの、

rigour は罰に関して述べるもの。Austerity に対するは effeminacy、severityには relaxation、そして rigour には

clemency。

 しかし、この区分は正確さにかける。Austerity は習慣(habit)にのみ適用されるのではなく、教義(doctrine)

や 試練(infliction)にも適用可である。幽閉されて一人になる(solitary confinement)のは severe な生活であると

ともに、 severe な罰でもある。Rigid な遵守(observances)とか rigid な意見(opinions)というのは rigid sentences

より頻繁に用いられる。

 隠遁者(A hermit)は厳格に生活するときは austere で、孤独に生きるときは severe、確固たる精神で生きるとき

は rigid。決疑論者(a casuist)は苦行を命じるとき austere で、酒興などを禁止するとき severe で、彼の強要が絶

対的であるときは rigid であるといえる。裁判官( judge)は小さな違反を罰するときは austere、極刑に処するとき

は severe, 人や周囲を考慮せずに罰するとときは rigid となる.)

 以上の例では、severe(この語源が必ずしも明白ではない)を除いて、それぞれの語の説明と

用法は語源に合致する。Austere はもとは何か bitter-tasting なものを意味したし、 rigid は stiff

(硬くて曲がらない)を意味した。ただ、必ずしも寒くて体が硬直する(stiff with cold)ことを

意味するわけではないが。また、何か austere であるといえば、それは優しく、人当たりの良い

ことではない。何か rigid であるといえば、しなやかで、柔軟性に富んだものではない。

 Taylor はこのように、まず基本的な意味の差を語源に見出し、それを応用して行く手法を随所

に展開した。彼がこの方法を継続し続けたら、類義語研究も大きな変化を見せたであろう。しか

し、3年後に George Crabb が現れ、人気をさらってしまった。

Taylor の辞典はその後再版されることはなかった。

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[5] George Crabb (1778 - 1851)

初版のタイトルは English synonyms explained, in alphabetical order; with copious illustrations

and examples drawn from the best writers. By George Crabb... London: Printed for Baldwin,

Cradock, and Joy; and T. Boosey (BMGC 45:453, M 126:87, O C-145). 1816年、ロンドンから。本

文772ページ、大きさ24cm。第2版は1818年、アメリカ版第1版は1819年、第3版1824年、改定

新版1826年、第5版1829年、改定増補版1830年、ステロ版印刷は1831と1835年、第8版1846年、

第9版は1850年、第10版は1877年、そして1879年に新々版、さらに、増補ならびに改定版を1886、

1889、1897、1898年に出版している。1916年には出版100周年記念改定版が出された。100年にも

わたるロングセラーである。

 版を重ねた割には、評、不評は相半ばした。しかし、当時としては類義語辞書としては最良の

ものであったことは間違いない。ただ、改定に改定を重ねた結果、Crabb の特性が失われたのは

惜しまれる。初版の序の中で、Crabb は科学的手法による英語の類義語研究の不足を嘆いている。

語学、文学の面では劣っていないが、類義語の研究では独、仏に劣ると。しかし、先人の業績に

は真摯に対応し、価値ある資料については引用個所を明記して積極的にそれらを引用した。

 この Crabb の English Synonyms Explained (1816) は、この種の辞書ではもっとも意欲的で、苦

心の労作である。Piozzi の British Synonymy に対をなすほどの気力と確固たる目的をもつが、両

者はあまりにも時代がかけ離れていて直接的な比較にならない。しかし、Piozzi では活発、優雅、

気楽が支配する古い気質を表すが、Crabb になると大陸、特に独の思想家たちの影響もあって、

荘重、厳粛を志向する気質が支配的となった。

 Crabb は明らかに「優雅さ」と言うより「真理」にこだわった。「美」「詩」「真理」などの概念

の深化を基盤とした当時の新しい哲学的思考に強く影響される。Crabb 自身はどう見ても哲学者

の範疇には入らないが、少しく哲学の知識があり、哲学上の用語を心得ており、何よりも語学上

の哲学的視点での相違に興味を持った。当然類義語の研究においても自分の興味を満足させる方

向に進む。特に synonym を同じ意味を持つ複数の語と定義するのではなく、微妙な差のある連

関語である(closely allied words between which there are nice shades of distinction)と見るの

はその現れである。Crabb にとって、連関語の微妙な差(distinction)は限りない知的満足の源

であったようである。序に曰く

My first object certainly has been to assist the philological inquirer in ascertaining the force and comprehension of

the English language; yet I should have thought my work but half completed had I made it a mere register of verbal

distinctions. While others seize every opportunity unblushingly to avow and zealously to propagate opinions

destructive of good order, it would ill become any individual of contrary sentiments to shrink from stating his

convictions, when called upon as he seems to be by an occasion like that which has now offered itself.

(<この辞典作成の>最初の狙いは英語の力と広がりを知ろうとする言語学の研究者を援助するものであった。しか

し、その目的のために類義語のリストを仮に作成し得たとしても、それは私の仕事の半分にしかならない。他の者た

ちが臆面もなく良俗を汚すような意見をあらゆる機会をとらえて述べたてているのに、それとは反対の意見をもって

いる者が、自分の所信を述べるのに躊躇するのは良くないからである。)

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類義語辞典:Trusler から Whatelyまで― WNDSの序を読む―              (菅原光穂)

Page 10: 類義語辞典:Trusler から Whately

何か哲学的にか、思想的にか、あるいは学問上自分の考えを前面に押し出さねばならないと考え

てのことのように思われる。科学の仕事にも道徳を導入せよ、という彼の意見には聞くべきもの

がある。曰く、連関語 (closely allied words) の意味の差を記述しようとする者(それを仕事にし

ようとする者)は、社会のあらゆる局面に携わって、そして世界を騒がせている重要な問題につ

いて人間の常識とは何かを示すことをしなければ、己の仕事に忠実ではあり得ない、という。

 このことは解らないわけではないが、しかし、連関語の意味の差を記述しようとする際に、

Crabbは、しばしば自分の好みの古い概念に固執し、好きではない新しい考え方を排除する傾向

にあることは否めない。 以下は、初版の序には見られない主張であるが、SOULと MIND の区

別がその良い例であろう。

 There are minute philosophers, who ... deny that we possess any thing more than what this poor composition of

flesh and blood can give us; and yet, methinks, sound philosophy would teach us that we ought to prove the truth of

one position, before we assert the falsehood of its opposite; and consequently that if we deny that we have any thing

but what is material in us, we ought first to prove that the material is sufficient to produce the reasoning faculty of

man...(この調子で議論があと数行続く。)

But not to lose sight of the distinction drawn between the words soul and mind, I simply wish to show that the

vulgar and the philosophical use of these terms altogether accord, and are both founded on the true nature of things.

Poets and philosophers speak of the soul in the same strain, as the active and living principle.

(細かなことを言うつまらない哲学者たちがいて、血と肉以外にわれわれは何も所有していないという。しかし、思

うに正当なる哲学なら相手の非を鳴らす前に、もう一つの真理について語らねばならない。したがって、もし物質以

外に人が所有しているものは何もないという事を否定するのなら、物質が人の理知的力を生み出すものであることを

まず証明して見せなければならない。[そんな事ありえない。]<中略>

 しかし、soul と mind の区分を前提にしていうのだが、soul と mind の用法は、民衆も哲学者も同じで、両者共に

ことの理にかなっている。

 詩人も哲学者も同じ口調で、soulとは生命と行動の根源であると語る。)

 この種の議論は Crabb にあっては時折のものであるが、語の差異の説明は、語の意味する内容

というより、その用法について行われることが多い。たとえば、financial と foppish を区別する

ときには、その語の対比ではなく financial gentleman と foppish gentleman の違いを述べる。

Beautiful、fine、handsome についても同じで、三者の直接比較ではなく、 the beautiful、the fine、

the handsome を比べる。

 The beautiful is determined by fixed rules; it admits of no excess or defect; it comprehends regularity, proportion,

and a due distribution of colour, and every particular which can engage the attention: the fine must be coupled with

grandeur, majesty, and strength of figure; it is incompatible with that which is small; a little woman can never be

fine: the handsome is a general assemblage of what is agreeable; it is marked by no particular characteristic, but the

absence of all deformity...

(美しさ<the beautiful>にはきまりがある。過不足なし、規則正しく、バランスよし。色彩よく、人の目を集める

岐阜女子大学紀要 第30号 (2001.3.)

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Page 11: 類義語辞典:Trusler から Whately

もの(でなければならない)。立派<the fine>は荘大、荘厳、力ある形、大(小ならず、即ち、小なる婦人fineなら

ず)。魅力<the handsome>は、よし、癖なし、崩れなし(とすべきこと)。)

また gift や present などのように、単純な名詞の比較もある。

The gift is an act of generosity or condescension; it contributes to the benefit of the receiver: the present is an act

of kindness, courtesy, or respect; it contributes to the pleasure of the receiver.

( Gift は心の太さと寛大のしるし。受け取る側の利益。Present は親切、好意、尊敬のしるし。受け取る人の嬉しさ

につながる。)

 物の名、あるいは「物の真の概念」と彼が呼ぶいわゆる語に対する Crabb の態度が、あまりに

も日常的、慣習的であるために、せっかくの労作に正しい価値が与えられない。語彙研究が科学

的な段階に入った時点で、面白くはあるが、主観的で言語資料に正しく基礎を置かない分析や説

明には高い評価は得られない。The active and living principle(生命と行動の根源)である soul

の意味を例証するのに用いた Thomson の例を参考にされたし。

"In bashful coyness or in maiden pride,

The soft return conceal'd save when it stole

In side-long glances from her downcast eyes,

Or from her swelling soul in stifled sighs"

 しかし、類義語研究に対する Crabb の貢献は無視できない。もっとも、彼独自というよりTaylor

など先人の影響のもとにではあるが、ここでは3つ程列挙する。

(1) 語彙項目の説明に語源情報を入れたこと。しかし、彼の場合、ある語の語源が挿入される

前に、もっと定義されるべき語の意味をもっと正確に記述されるべきであった。また、そ

の歴史的説明も、語の意味的発達とは関わりのない“知的な聞きかじり”とも言うべきも

のである事が多い。

(2) ある2語が、たとえば、意味上どの程度同じであるのか、の情報を追加したこと。

これには Piozzi のやり方があるが、Crabb のそれは同じではない。Crabb の方が、より明

晰で主観的偏りが少ない。例を若干。

 INGENUITY,WIT...Both these terms, imply acuteness of understanding, and differ mostly in the mode of

displaying themselves...

 TO DISPARAGE, DETRACT, TRADUCE, DEPRECIATE, DEGRADE, DECRY...The ideal of lowering the

value of an object is common to all these words, which differ in the circumstances and object of the action...

 DISCERNMENT, PENETRATION, DISCRIMINATION, JUDGMENT... The first three of these terms do

not express different powers, but different modes of the same power; namely the power of seeing

intellectually, or exerting the intellectual sight...

類義語辞典:Trusler から Whatelyまで― WNDSの序を読む―              (菅原光穂)

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Page 12: 類義語辞典:Trusler から Whately

(Ingenuity, Wit 両者とも理解の鋭さを示すが、主に発現の仕方において異なる。

To disparage, detract, traduce, depreciate, degrade decry これらの語全ては価値を引き下げるということに

関わる。ただそうする行為の状況や目的が異なる。 

Discernment, penetration, discrimination, judgment 先の3つの語は行う力の差はないが、その同じ力の出し

方が異なる。つまり、知的に見る力なのか、それとも知的徹視力なのかの違い。)

説明の明晰さ、簡潔さ、つぼを得た説明という点では、物足りなさを感じるが、歴史的に

は見るべきものあり。Crabb は、暫定的ではあるが、類義語の区別という仕事において何

が重要であるのかを示し得たからである。

(3) 語の配列に Crabb は入念な配慮を加えた。語の意味の包括性に着目し、その大きいのか

ら小なるものへの順とした。<form, ceremony, rite, observance>とか、<short brief,

concise, succinct, summary>を見る限りでは納得できるが、<apparel, attire, array>や<

belief, credit, trust, faith>や<execute, fulfill, perform>の語群では、順番付けにも怪しい

ものが見られる。一般的なことを言うと、彼には計画があって、やれるところから実施し

たということかも知れない。

 Crabb にはこの他にも種々の工夫がなされていて、後世になって評価を受けるものもあったが、

取り上げていうなら上記の3点である。もし、Crabb の仕事が成功に程遠いという評があるとす

れば、それは彼の努力や能力の不足によるものではなく、英語という言語のもつ非類義語的な特

性の故であろう。英語は語彙研究者や類義語辞典編纂者の手できれいに片付けられる言語ではな

い。

 1816年の初版は1917年にアメリカで再販された。編集者は明らかでないが、その版に John H.

Finley (ニューヨーク州教育長) の名による雄弁な序が付されている。そしてその終わりに、

"Long life to Crabb and to that for which his name is as a synonym!"

[6] George F. Graham ( ? )

 Crabb (1816) から Whatley (1851) に至るまでに、教育上類義語辞典を必要とする何らかの事態

と興味が起こったようである。そのためにいくつかのテキストが作られた。その中で、ベストと

は言い難いが、よく考えられ、使って面白いものが English synonymes classified and explained;

with practical exercises designed for schools and private tuitions. .By G. F. Graham...Edited,

with an introduction and illustrative authorities, by Henry Reed...New York: D. Appleton and

Company.(M 209:446, O G-27)である。  

 O'Neill のO G-27によると、本文344ページ、序文等14ページ、大きさ20cmの小冊子。小島では、

総ページ360、序文、目次への前付けで16ページ、巻末索引が10ページとなっている。出版年は

1846とされるが、O'Neill には初版1845年の記録あり。アメリカ版が1874、1888年に出版されてい

る。小島によれば、その両者の「序」にアメリカ版の改定を行った Henry Reed のイニシアルつ

きの「序」があり、それに1846年10月とあるので、1846年版はアメリカ版の初版であると考えら

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Page 13: 類義語辞典:Trusler から Whately

れるという。

 この書の狙いは語の意味区分である。できるだけ多くの語を並べて、その区別を示すというの

ではなく、2語だけ並べてその説明を行う。教育的目的の書であるから、多くの語を並べたので

は、その目的が果たせなくなる。したがって、Graham の書を Synonymy と呼ぶのは世辞による

ものと考えられる。

 Grahamによれば、Synonymy の勉強は小学校から始められるべきものである、という。小学生

でもわかるように、全ての同義語をペアにして、それを5分類した。

 1 General and Specific

 2 Active and Passive

 3 Intensity

 4 Positive and Negative

 5 Miscellaneous

これらの区分は一見してわかるように、明晰な根拠をもつものでないし、互いに相容れない関係

ではない。Graham はそれぞれの例として、1では<answer - reply><bravery - courage>、2

では<burden - load><actual - real>、そして3では<agony - anguish><intention - purpose>

を挙げている。厳密な分類には意味区分のきちんとした方法が必要なことは言うまでもない。た

まには、こうしたやりかたも意味区分の妙味をもたらしてくれるかも知れないが、多くは2語を

一緒に取り扱う事で、区分どころか混乱を生じさせてしまう。この書は類義語研究には厳密な方

法が必要である事を示した好例と言えよう。

[7] Elizabeth Jane Whately ( ? )

 通常 "Whately's book on synonyms" と呼ばれるが、 A Selection of English Synonyms の名称

が正しい。 1851年ロンドン版。ページ数、大きさ等の詳細は不明。Crabb の後に出版されたもの

の中ではよく売れた書。しかし、正しく評価されなかった。実は、真の著者名でさえ誤って伝え

られた。有名な論理学者であり、ダブリンのアングリア教会の大司教でもある Richard Whately

(1787 - 1863) がその著者であるように一般に流布されている。事実、S. I. Landou の104ページに

さえ、Richard Whately の名が A Section of English Synonyms の著者として述べられている。

しかし、実際の著者はその娘 Elizabeth Jane Whately である。1828年以前の出版であるが、Boston

House of Lothrop, Lee & Shepard 社版の情報ではタイトルと著者の双方を取り違えて、"English

Synonyms Discrimated, by Richard Whately D. D." としている。Elizabeth の書には、実際、2つ

の「はしがき」があって、一つは編集者の署名入りで、その特徴的なサインで Richard Whately

とある。もう一方は著者による「はしがき」であるが、署名がない。

 Richard Whately の署名入りの「はしがき」は、大変短いが興味ある内容である。大司教曰く,

「この書はわたしが全部一人で注意深く改定したもの」で、「完璧には程遠いが、同系の書の中

では出色の出来栄えであろう」と。さらに続けて、読者のうちのある者は、辞書というものの値

を表現の正しさと適切さを助長させるためのものとして評価するであろう。しかし、ある者は

「観念の形而上学的理論」のとりこになって、「語」というものをそれ自身重要なものとせず、

類義語辞典:Trusler から Whatelyまで― WNDSの序を読む―              (菅原光穂)

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Page 14: 類義語辞典:Trusler から Whately

むしろ「語」によって指し示される観念こそ大切であると考える。ところが、Richard Whately

自身がそうであるように、また別の考えをもった者もいるという。その者たちは「語」を「思考

の必要欠くべからざる道具」とみなす。その場合、語は人が談話で用いる記号にすぎない。記号

は個々の事物を指すことはない。なぜなら、記号である beauty とか、tree などは、心の中にあ

る抽象や事物の集合体である概念を指し示すからであでる。ごくごく特別のケースで beauty が物

をさしたり、tree が「木」という集合体の一部を具体的に示したりするだけである。したがって、

もし語が談話の便利な道具として使用される場合は、その語はある事物そのものの記号ではなく、

ものの概念を表すものと考えられねばならない。

 さて第2の「はしがき」、つまり Elizabeth 自身の書いたものでは、上記のような哲学的(意味

論的)議論は見られないが、前提は同じとみてよい。Whately 親子にとって、語とは人のもつ観

念とか、ものの概念に対する名称である。語にはほぼ同じ物を指すものがあろうが、しかし、人

間のもつ視点の相違などから、意味上若干の違いが生じる。Synonyms(彼女は pseudo-synonyms

というのを好むが、)とは、したがって、「一纏めにできるほど類似した意味を持っていること。

言語の豊かさはその豊富さにあること。まったく同一の意味を持つ複数の語をもつことは、言語

の豊かさではなく、不便さを表すものであること。」という。 言語というものは、彼女の主張に

従えば、必要以上の語は持たないもの、それは丁度、居間に必要以上の家具類を置かないのと同

様であるらしい。

 同じ物、行為、過程、質、感情を指し示す語にも違いがあると彼女は指摘する。たとえば、 swine's

flesh(豚の肉)はモーセの律法では禁止されている。それは pork という語には表わされない下

品な観念がそこに見られるからである。ある二つの語は同じ物を指し示したとしても、両者の史

的連想、起源の相違で、それぞれが別の脈絡に合致するということがままある。"May I take the

liberty?" (「我儘をお許しください」―ぐらいの意味?)ではラテン語からの派生である liberty

の方が、サクソン系の freedom よりこの場合はるかに適切である。Just と righteous についても

そうで、異教徒や無神論者たちは just であるといわれることがあるかも知れないが、righteous

だとは言われない。Righteous という意味は聖書でその適用が制限されているから。Inference と

proof についてもそうである。両者の意味は類似しているが、文脈が異なる。前者は前提のもと

に結論を infer するのであり、後者は逆に結論から前提を prove するのである。

 Elizabeth の仕事には無計画で、証拠不十分な個所が散見されるが、これまでの類義語辞典には

見当たらなかった新しい考え方がある。彼女は語彙研究というものを哲学(意味論)から切り離

しただけでなく、理想的な類義語研究と類義語研究者のあり方を考えた。彼女は Crabb の崇拝者

たちの面前でそれをひけらかす勇気もあったようである。

 語の歴史的派生の過程の重要性は知りつつも、彼女は、類義語の基本部分として欠くことので

きないと思われてきた語源をはずした。何故なら語源はしばしば類義語の要素をぼかしてしまう

からである。今、ここでの、実際の意味を比較しようとするとき、もともとはこうであったとい

う戸籍調べは我々をまごつかせるだけである。

 と言いつつも、彼女は必要に応じては語源の知識を大いに利用する。

  'Contentment ' may be classed among those words in the English language which adhere strictly to their

岐阜女子大学紀要 第30号 (2001.3.)

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Page 15: 類義語辞典:Trusler から Whately

etymology. Its root was undoubtedly the verb 'to contain,' and the substantive and its adjective have not departed

from this meaning. A contented person does not indulge in fruitless wishes for what is beyond his reach; his desires

are limited by what he possesses.

  'Satisfaction ' implies more: this word has likewise retained the signification of its root, and means that we

have obtained all we want; not that our desires are limited , but that they have been gratified. A poor and needy

man may be 'contented,' but he cannot feel 'satisfaction' with his condition.

  (Contentmentは同じ語源を持ついくつかの語の中の一つ。そのルートは明らかに contain という動詞にある。

名詞形、形容詞形はそこから生まれていない。Contented person というのは自分の手の届かないところにある無理

な欲望にとりつかれることはない。彼の欲望は手の内に限られる。

  Satisfaction はもっと多くのことを意味する。この語もそのルートから明らか。つまり、望むもの全てを手にい

れた実感をいう。我々の欲望が制限されたからでない。欲望はただ満足させられたのである。貧乏人は contented す

るかもしれないが、かれは satisfaction を感じることはない。)

 Elizabeth Whately は類義語の意味区分を最初に例示した人ではないが、イギリスでは最初に類

義語辞書の目的と内容を明示し、また、その父とともに、語の意味と語が指示するもの(指示物)

とを区別した人といえよう。しかし、類義語研究の方法を確立させることはできなかった。それ

どころか、 Crabb のくびきから逃れたものの、実際には多くそれに従う。また、Crabb 以上に

Piozzi の影響を無視できなかった。

 彼女の業績として挙げ得ることは、

(1) 類義語研究者は、語の派生、意味の歴史的発達状況、同時代の作家、弁士等の用法、意味

の内包に与える諸影響等、すべてに精通していること。

(2) 類義語研究者は定義するものを越えて進むべきこと。定義をする者の目的は、その語の意

味だとして人々が同意する内容を書きとめること。類義語研究者は非常によく似た意味の

違いを説明すること。

(3) 類義語の異なる手がかりを知るべきこと。

  a) Implicationの差に注意する。

<例1> Obstinacy と stubbornness。両方とも他の者の判断にあがなって、自己の判断に

固執すること。特に前者は自分自身が選んだことに執心すること。後者は他の者の進めに

従わないという自己の意地を示す。

<例2> A trifling matter と a trivial matter。 前者は小さいが重要なものを含意するが、後

者は大事にされすぎる小事。たいしたことではないのに大事にされすぎている事。Trivial

は contempt を示唆するが、trifling はそういうことを意味しない。"He never neglects a

trifling matter."といえば、むしろ、誉めことば。しかし、人の軽薄さを非難して、よく"He

is always engrossed with trivial matters."という。 彼はいつもつまらない事に夢中になっ

ている、という意味。

  b) Application の差に注意する。

<例> Obstinacy と stubbornness。前者は一般に目上の人物に用いるもの、後者は逆に後

輩または目下の人に用いる。 Obstinacy は目に見える行動等に使うが、 stubbornness は

類義語辞典:Trusler から Whatelyまで― WNDSの序を読む―              (菅原光穂)

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Page 16: 類義語辞典:Trusler から Whately

内面的な、たとえば、性格、性向などの描写に用いる。

  c) 意味の広がり(外延)の差に注意する。

<例> To understand と to comprehend。前者は後者より意味の広がりが大きい。

Comprehend できるものは、何でも understand できるが、understand は comprehend で

きないときでも使える。"I did not comprehend his exposition."という。また、"I understand

the language ( the grammatical import of each sentence)." のように、understand の方がそ

の範囲が広い。

  d) 内包の差に注意。

<例> Righteous と just。先にも例として挙げたが、いずれも元の意味は同じ。しかし、

奇妙なことに、他にいくつもあるラテン語とサクソン系の対になった単語間に見られるよ

うな小さな相違ではなく、ここではその差が大きいものとなっている。両者のもつ内延の

意味の差である。前者はラテン系の語、後者はサクソン系の語。今は、ラテン系の方が教

義から来る公正さに関わるが、サクソン系の just は、道徳的に、倫理的に正しい場合をさ

す。したがって、異教徒も just であり得るが、 righteous とはいえない。

  e) 視点による差に注意。

<例>Anger と wrath。前者は心の内なる感情の表出であり、後者は外部に現れた感情。

Anger は言葉で表現することが困難であるが、wrath については可能。

 Whately 夫人の5点は驚くべきことに、S. I. Landau の挙げている Zugusta(6)の類義語の3条件

を全て網羅していることである。Zugusta は、類義語の条件として3点挙げている。The

designatum(内的表示)と connotation(内包)と range of application(適用の範囲)である。

これら3っの局面がすべて一致した2語はほぼ完全な同義語となる。もし、1ないし2の局面で

対応するなら、その2語ないし複数の語は意味の近接した類義語であるという。ここでの「内的

表示」は Whately の c)「意味の広がりの差」であり、「内包」は a)「Implication の差」とd) の

「内包の差」に相当する。「適用の範囲」はずばり b) の「用法による差」に合致する。Whately

の目の確かさに驚くばかりである。

[あとがき]

 類義語辞典はその後、有名な Peter Mark Roget の Thesaurus of English Words and Phases

(1852) を経て、Charles J. Smith の A Complete Collection of Synonyms and Antonyms (1867)、

同 じ 著 者 の Synonyms Discriminated (1871), さらに Richard Soule の A Dictionary of English

Synonymes (sic.) and Synonymous or Parallel Expressions (1871) 、そして James C. Fernald の

English Synonyms and Antonyms with Notes on the Correct Use of Prepositions (1896)を経て、

20世紀にはいるわけだが、小論ではとりあえず、WNDS に依拠して、19世紀半ばの Wately まで

を概観した。以後は時間の許すかぎり、Piozzi(岐阜女子大学に、復刻版であるが、初版を所蔵

している)を詳細に検討してみたいと考えている。

( 了 )

岐阜女子大学紀要 第30号 (2001.3.)

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Page 17: 類義語辞典:Trusler から Whately

<注>

(1)18世紀の半ばまで類義語辞典がなかったことは不思議ではない。16世紀と17世紀における英語の語彙数は今日

想像するよりはるかに少ないものであった。そのため、Taylor が自分の辞書である English Synonyms

Discriminated の序で述べているように、同じ語が文脈によって異なった意味で使われたものである。語彙数が増大

するにつれ、今まで存在していた語に近似の意味の語が現れた。そうした語が数千という数になってはじめて類義語

辞書が出版されるようになった。(S. I. Landau, p. 105)

(2)Piozzi は Mrs. Thrale の名で有名。Dr. Johnson と親しい仲であったといわれる。

(3)原則として、単品を示すときには「辞典」、類書をまとめて示すときは「辞書」とする。しかし、慣用上そう

でない場合もある。「類義語辞典」はある単品を指すのではなく、類義語の「辞書」全般を指す。

(4)他の2点は、The Royal Standard English Dictionary (1775)と The General Dictionary of the English Language

(1795).

(5)ジョンソンの定義の難しさを述べたこのくだりなど、Perryの目には入っていないようである。

To interpret a language by itself is very difficult; many words cannot be explained by synonimes (sic.), because the

idea signified by them has not more than one appellation; nor by paraphrase, because simple ideas cannot be

described.

(6)Landislav Zgusta. Manual of Lexicography. The Hague: Mouton, 1971.

Zgusta specifies three aspects of lexical meaning; the designatum, connotation, and range of application.

Designatum refers to the essential properties of the thing or concept that define it; connotation refers to associated

features; and range of application refers to the variety of contexts in which the word may be used. Zgusta defines

absolute synonymy as occurring when two term correspond in all three aspects of designatum, connotation, and

range. ... If the correspondence is exact in one or two of the three aspects but not in all, the two words are near

synonyms. ... (S. I. Landau, p.105)

<参考文献>

小島義郎. 英語辞書の変遷 . 東京:研究社. 1999.

林 哲郎. 英語辞書発達史 . 東京:開文社. 1968.

Landau, Sidney I. Dictionaries: The Art and Craft of Lexicography . Cambridge:

Cambridge Univ. Press. 1984, 1989. [翻訳:辞書学のすべて . 小島他訳. 

東京:研究社出版.1984.]

寺澤芳雄、川崎潔(編). 英語史総合年表 . 東京:研究社. 1993.

Webster's New Dictionary of Synonyms . (Introductory Matter). (WNDS ). Springfield,

      Mass.: Merriam-Webster. 1984.

類義語辞典:Trusler から Whatelyまで― WNDSの序を読む―              (菅原光穂)

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