Title 認識の変容にかかわる学習論の考察 : J.メジ...

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Title 認識の変容にかかわる学習論の考察 : J.メジローの変容的 学習論からG.ベイトソンを読む Author(s) 安川, 由貴子 Citation 京都大学生涯教育学・図書館情報学研究 (2009), 8: 11-28 Issue Date 2009-03 URL http://hdl.handle.net/2433/71627 Right Type Departmental Bulletin Paper Textversion publisher Kyoto University

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Title 認識の変容にかかわる学習論の考察 : J.メジローの変容的学習論からG.ベイトソンを読む

Author(s) 安川, 由貴子

Citation 京都大学生涯教育学・図書館情報学研究 (2009), 8: 11-28

Issue Date 2009-03

URL http://hdl.handle.net/2433/71627

Right

Type Departmental Bulletin Paper

Textversion publisher

Kyoto University

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安川:認識の変容にかかわる学習論の考察

認識の変容にかかわる学習論の考察-I.メジロ-の変容的学習論からG.ベイトソンを読む-

安川 由貴子

ConsiderationonTransformativeLearningTheory:

ReadingG.Batesonfrom TransformativeTheoryby∫.Mezirow

YukikoYASUKAWA

はじめに

私たちは、冒々の生活の中で、物事に対する考え方や認識を無意識的にあるいは時には意識

的に身につけ、また変化 したり変化させたりしている。 これは、知識や技術の理解や習得と同

時並行的に無意識のうちに行われることもあれば、認識そのものを振り返ることが意識しなが

ら行われることもある。 人が 「生きる」ということや 「学ぶ」ということを考えるとき、単に

知識や技術の理解や習得の次元のみならず、物の見方や認識の仕方の次元もまた同時に考える

ことは重要である。 本稿では、学習を認識の形成や変容に関わるものとして捉えていく。

ベイトソン (G.Bateson)という思想家は、西欧近代主義的な二元論や単純化のパラダイム

に批判的で、複雑性を包含した、精神と身体を トータルに捉えるような一元論的なパラダイム

を提唱したことでよく知られている。 私たちの生きた世界に広がる複雑な相互作用のネットワー

ク、「結び合わせるパターン(thepatternthatconnects)」を探求 しながら、生物学、文化人

類学、精神医学、心理学など、超領域的に閥歩 した思想家である。 ベイトソンは、「学習とコ

ミュニケーションの階型論」で、コンテクストのもつ論理階型に従ってゼロ学習から学習Ⅳま

での階型を提示 している。 彼は、習慣などが形成されていくプロセス (「学習することを学習

する」階型)を学習Ⅱとし、この学習Ⅱで習得された前提やシステムそのものが修正されるよ

うな変化を学習Ⅲと呼ぶ。そして、この学習の矛盾を 「ダブル 。バインド」として捉える。 ダ

ブル ・バインドと矛盾は同義語として捉えることはできないが、私たちは日々、様々な矛盾を

抱えて生きており、実際そこからなかなか抜け出せない存在でもある。 しかし、それらの矛盾

に正面から向き合うことによって、そこに関わる自己の関係が組み替えられ認識が変容 し、新

たに生きていける可能性もまた生まれてくる。 ベイトソンの学習論は、認識の変容に関わって

くるものであり、筆者はこれまで、ベイ トソンのコミュニケーション論を中心に、私たちの生

の変容を生涯学習の中で捉えていこうと試みてきた。

他方、学習論をめぐる議論は様々であるが、特に、認識の変容に焦点を当てた学習論として

は、生涯学習の分野では、1980年代のアメリカを中心としたアンドラゴジー論の流れの中に位

置づくJ.メジロ-(J.Mezirow)の変容的学習論やP.クラントン (P.Cranton)の理論、D.ショー

ン (D.Schdn)の省察的学習論、P.フレイレ (P.Freire)の意識化の理論が主として挙げられ

る。 これらは、それぞれに影響しつつ、人間の解放や自己決定学習、意識変容の学習論を構築

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しようとしてきた理論家である。 その中でも、メジロ-は、「変容的学習(transformative

learning)」理論を提起 し、学習のダイナミックスとして、意味を作っていく(MakingMeani

ng)側面に注目し、私たちはどのように経験を理解するか、意味パースペクティブを形成 し、

変容させていくかに焦点を当てて、成人の学習を捉えていこうとした理論家である。 メジロ-

は、 ハ ーバ ーマス (J.Habermas) をは じめと して ショー ンや ブル ックフィール ド

(S.Brookfield)など、様々な理論家の影響を受けているが、ベイ トソンの理論からも影響客

受けている。 また、メジロ-についての先行研究については、様々な角度から行われているが、

ベイトソンとの関連で言及した研究は、管見の限り見当たらない 。

そこで、本稿では、アメリカの成人教育学者で、成人の学習における認識変容のプロセスに

注目した理論家であるメジロ-の理論の中で、ベイトソンの理論に言及 している部分への考察

を中心に、メジロ一によるベイ トソンの読み方を明らかにし、両者の理論的共通性や相違点を

明らかにしていくことを目的としている。そして、生涯学習にとって、両者がどのような意味

をもっのかを明らかにしていきたい。

1.J,メジE3-の理論の成人学習論における位置

まず、メジロ-の理論が、成人学習論の中で、どのような位置に位置づくのかを確認してお

きたい 。

生涯学習論、特に日本における成人学習論の理論的潮流は、1970年代~成人の発達や学習関

心の研究にはじまり、1980年代にはノールズをはじめとしたアンドラゴジー論をめぐる理論展

開、1980年代後半には欧米のポストアンドラゴジー論が取り入れられ、フレイレの課題提起型

学習論、 ショーンの省察的実践者の理論、メジロ-やクラントンの変容的な学習理論、Y.エ

ンゲストロームの拡張的学習の理論に着冒されるようになっている。 このような省察的で解放

的な学習論の特徴として、三輪建こは、成人学習者のニーズに対応するだけで良しとするので

はなく、参加者自身が批判的なふり返り (省察)をとおして参加者自身のニーズや価値観の背

後にある、社会的な歪みを反映している意識の存在に気づき、それを変容していく過程を大事

にしており、さらには意識変容の学習から社会変革-という流れをもとうとする点において、

これまでの学習課題論や学習内容編成論とは異なっていると指摘 している1)。

1970年代に成人の学習に関わる 「アンドラゴジー」(おとなが学習するのを援助する技術と

科学)概念を提唱したのが、ノ-ルズである。 そして、成人の学習の基本として挙げるのが、

入間は成熟するにつれて、① 自己概念 は、依存的なものか ら自己決定的なもの (self-

directedness)になっていく、②学習者の経験が、学習への豊かな資源になっていく、③学習

へのレディネスは、より社会的役割の発達課題に向けられていく、④学習への方向づけは、よ

り即時的で課題達成 (performance)申心的なものへと変化していく、ということである。 そ

して、①の視点、すなわち学習者の自己決定性の獲得に応じた学習形態として、ノールズの成

人学習論の柱となるSelf-DirectedLearning(以下、SDLとする)論が導き出されることにな

るのである。 ノールズは、 もともとYMCAで成人教育のディレクターを務めており、想定 し

ている学習場面は、「教室」の空間である。 そこで、アンドラゴジーを踏まえた学習プロセス

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安川:認識の変容にかかわる学習論の考察

として、「(1)成人学習につながる雰囲気の創出、(2)参加的学習計画のための組織構造の

確立、(3)学習のためのニーズ診断、(4)学習 (目標)の方向性の設定、(5)学習活動計

画の開発、(6)学習活動の実施、(7)学習ニーズの再診断 (評価)」という段階を示 して具

体化 していく。(7)のニーズの再診断の後は、再び新 しい学習のサイクルがはじまると考え

ており、フィー ドバック機能が入っているが、基本的には順序よく段階を踏んで進んでいく学

習モデルである。 また、「学習契約(learningcontract)」という概念を用いて、学習者が自身

の学習について積極的に責任をもち取り決めを行う方法を提起 した。ノールズの功績は、「実

践者や研究者がおとなに対 し、子どもの教育学をそのまま適用することに無理があると感じて

いても、共通の理論的基盤をもっには至っていなかった。その実感を 「学」の領域にまで引き

上げる契機となった2)」という点で、ノールズによるアンドラゴジー概念体系化の意義が大き

い。とはいうものの、ノールズが重きを置いたのは、学習場面において、学習者白身がいかに

自己主導的な学習者になれるかということであり、どのようにすれば、それを援助することが

できるかということであったといえる。 したがって、認識の変容との関わりで考えると、その

側面はそれほど重視されてはいないといえる。

次に、メジロ-やブルックフィール ドは、ノ-ルズのSDL理論に対するオールタナティブ理

論を展開しようとした理論家である。 ブルックフイ-ル ドは、自己決定性は成人が 「意識の内

的変革 (internalchangeinconsciousness)」を志向する学習を通 してautonomous、self-

directedになる、すなわち成人性になるのだと考えた。そして、学習のプログラミングやクラ

ス運営といった方法 (テクニック)としてではなく、学習者の 「意識の内的変革」にかかわる

ものとしてSDLを捉え、様々なコンテクス トで行われる社会的なものと考えた3)0SDLを 「現

実のコンテクスチェアルかっ偶発的な側面についての批判的省察、オールタナティブなパース

ペクティブや意味体系の探究、個人的 。社会的環境の変化がすべて存在する学習4)」であると

した。一方、メジロ-は、個人の学びによる 「認識の変容(perspectivetransformation)」に

着冒して、徹底 した 「自己省察」を通 した過程の中に自己決定学習を位置付けている。つまり、

ブルックフィール ドの 「意識の内的変革」の構造を明らかにしているのが、メジロ-の 「認識

の変容」の理論と考えることができる。 また、メジロ-は、他者が意味するものを相互に理解

しようとする 「対話的学習」を主張 した点で、対人的要因を重視 していたといえる5)。このよ

うに、メジロ-やブルックフィール ドの理論は、成人の学習を考えるうえで、認識の変容の側

面に着目したといえる。 そして、クラントンは、メジロ-の理論をさらに発展させようとした

理論家である。 また、メジロ-やクラントンの意識変容の学習の思考のベースとなっているの

は、性別役割分担や社会にとっての女性の位置に関わる女性の意識変容に関わる学習が多いと

いうこともひとつの特徴である。

また、さらに、人々の意識を変えることによって、社会変革にまでつなげようとした成人教

育の実践家であり理論家として挙げられるのが、フレイレである。 フレイレは、ブラジル出身

のカトリック神父であり、ブラジルを中心に成人の識字教育実践に携わった実践家であり、理

論家である。 そこでは、人々の 「対話」を重視 し、自らが置かれている状況や社会状況を自覚

していくことを 「意識化」(conscientization)として、そのプロセスを重視 した。そして、抑

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圧された社会構造を 「意識化」することによって、自己変革と社会変革へとつなげていこうと

した。プレイレの理論もまた、民衆が置かれている社会状況や社会構造のへの問い直しをラディ

カルに行っており、認識の変容に関わる理論であるといえる。 また、メジロ-とフレイレの関

係で言えば、メジロ-もまた最初はアメリカや第三世界の国々でコミュニティ開発や成人の識

字プログラムに関わることを通じて民主的な社会活動を促進する成人教育者として活躍してい

た実践家であるが、1970年代の初頭に、フレイレやイリッチ (Hlich)による、学習プロセス

における批判的な理論に出会ったことが、メジロ一にとっての、「混乱を引き起こすジレンマ」

となり、メジロ-の変容的学習論の発展に影響を与えることになったとメジロ-自身が述べて

いる6)。

また、アメリカの成人教育学者S.ミリアムとR.カファレラが 『成人期の学習』の中で整理 し

ているように、「Self-directedlearning(自己主導型学習 。自己決定型学習)」「Transformat

ivelearning(変容的学習)」「批判理論 ・ポストモダン・フェミニストの視点」といったよう

に、成人学習についての理論を大きく分類することができる。 これらは、成人の学習に関わる

理論の中で、それぞれが独立 しているわけではなく、互いに影響をしあっているものの、変容

的学習に関わる理論は、成人学習の分野におけるひとっの大きな位置を占めていることが分か

る。 また、おとなの自己決定性については、ノールズの場合は、おとなの特性 ・前提として、

おとなは自己決定的 ・自律的であると捉えていたが、メジロ-やブルックフィールドは、自己

決定性はおとなの所与の特性ではなく、次第に自己決定性が増 していくものであり、また自己

決定的な学習者になれることが、成人教育の目標であるという捉え方になってきている。 他者

決定型から自己決定型学習への流れが、全体として繋がっているテーマになっているといえる。

尚、認識の変容に関わる学習の先行研究については、理論面では、メジロ-やクラントンの

理論そのものについての研究も多いが、実践面の研究として、学習場面 (学習活動、講座など)

によってもたらされる、意識変容の実態を明らかにしていこうとするような研究や、その際の

成人教育者としての学習支援のあり方について考察する研究が多い 7)。また、女性の性別役割

分担や仕事と家庭の状況に関わる意識変容のプロセスが、その考察の対象とされることが多い。

メジロ-の変容的学習の理論構築の原型となったのも、成人の変容というよりは、女性の変容

プロセスであり、1970年代に全米各地のコミュニティカレッジで行われていた、女性のための

再入学 (re-entry)プログラムを調査し、女性参加者の経験をもとに初期のパ-スペクティブ

変容概念を構築したものである。メジロ-やクラントン自身もまた、意識変容に関わる理論的

な側面の研究のみならず、意識変容の学習をいかに成人に促すか、学習場面においてどのよう

にそれを促進することができるか、そのための学習者支援のあり方はなにかといったような、

実践面での方法論の研究へと発展させていく。 このように、変容的学習論は、成人学習論の中

で一つの柱をなすものであり、メジロ-の理論は、その変容的学習論の基礎を築いた理論家と

して位置づいているといえる。

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安川:認識の変容にかかわる学習論の考察

2.」.メジローの変容的学習論

2.1.形成的学習と変容的学習

ここで、メジロ-の変容的学習論についての研究は、永井や常葉一布施などの研究に詳 しい

が、簡単にその全体像を捉えておきたい。メジロ-は、子ども期の学習は子ども期には、社会

化 (社会に適応させるような両親や友人、メンターから規範をインフォーマルにあるいは暗黙

のうちに学ぶ)や学校教育を通 じた 「形成的学習(7-formativelearning'')」が生 じており、お

とな期の学習は 「変容的学習(7-transformativelearninglT)」へと移行していくと述べ、個人は、

他の人によって定義された社会的現実を受動的に受け入れる代わりに、批判的に、省察的に、

そして合理的に、意味や目的や価値を交渉させることを学ぶことが重要になってくると述べ

る8)。また、変容の理論("Transformationtheory'')は、前提(assumptions)に対 してより批判

的にかっ反省的になる成人の力を重視 し、社会化の理論に必要とされている解放的な次元をも

たらすことに貢献すると述べている9)。そして、省察的学習(reflectivelearning)は、前提や仮

定が歪められたり、本物でなかったり、あるいは根拠のないことが分かればいっでも、変容的

になり、変容的学習は、省察が諸前提に焦点が当たった時には、新しいあるいは変容した意味

スキ-ムや意味パースペクティブが生じることになるという10)。また、成人の変容的な学習の

重要性やそのダイナミクスを学習の理論家や実践家がもっと認識するべきであると主張する。

2.2.意味スキームと意味パースペクティブ

ここで、何が変容するのかということであるが、それは 「意味スキーム(meaningschemes)」

「意味パースペクティブ(meaningperspective)」である。 前提を省察することによって、そ

れらが変容 していく。 意味パースペクティブとは、「その中で私たちの過去の経験を新 しい経

験と融合させたり、変容させたりしているような、認識的で、文化的で、心理的前提を構成 し

ているもの11)」である。「意味スキーム (特定の知、信念、価値、判断、解釈を構成すること

に関わる感情)」が強められたり否定されたりしながら、知覚や認知を統御する意味パースペ

クティブが再構成されてい(12)。そして、前提を省察(reflection)することによって、意味スキー

ムや意味パースペクティブが変容 していくのである。「学習」というのは、意味を作っていく

(makingmeaning)ことに関わるものであり13)、「学習における最も重要な変容は、意味パース

ペクティブの変容である14)」とされている。 また、意味パースペクティブに関わるその他の説

明としては、「知覚や認知から出てくる予期の一連の習慣である15)」、「意味パ-スペクティブ

あるいは一般化された習慣的な予想(habitualexpectation)は、私たちがどのようにして考え

るかを形作り、限定し、歪めるような知覚的で概念的なコードとして作用する。これらは、認

識的で感情的で動能的(conative)である。 このような予期的な習慣は、知覚と理解の両方を通

過する16)」、「人の過去の経験を新しい経験と融合させたり、変容させたりするような前提の構

造のことをいう17)」、「意味パ-スペクティブは、習慣的な予想のルールシステム (順応であり、

個人的なパラダイム)であり、意味のスキーム (知、信念、価値判断、特定の解釈を構成する

感覚)は、予想の特定の習慣である。 共に、私たちが定義し、理解し、経験に従って行動する

方法に影響を与える。 意味パ-スペクティブは、意味スキ-ムを生み出す18)」、「意味パースペ

…15-

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クティブは、私たちの過去の経験が新 しい経験に融合 したり変容 したりするような、認識的で

文化的で心理的な構造である」などとされている。 このように、意味パースペクティブは、意

味スキームよりもメタ 。レベルの認識枠組みや前提を意味 していることが分かる。 また、より

メタ 。レベルの意味パースペクティブが変容することによって、意味スキームにも変化が生 じ

るという関係 もみられるのである。

2.3.変容的学習のプロセス

変容的学習のプロセスは、私たちの前提が、どのようにそして何故、世界に対 して自分たち

が知覚 し、理解 し、感 じてきた方法を抑制するようになるのかということに批判的になってい

くプロセスである。 そして、より包括的で、際立 った、統合的な見方を可能にするために、習

慣的な予想の構造を変えていく。 そして、最後には選択肢を作 り、あるいはさもなければ、新

しい理解に基づいて行動するようになるとメジロ-はいう 。 また、パ-スペクティブの変容は、

一連のジレンマから生 じている変容 した意味スキームの増大を通 じて、あるいは、死、病気、

別離、離婚、子どもの巣立ち、昇進の見送 りや獲得、重要な試験の失敗、退職、といったよう

な外的に生 じてくる転機 となるジレンマに対応 していくことを通 じて生 じうる。 このような、

変容のプロセスが始まるきっかけとなる出来事をメジロ-は 「混乱を引き起 こす ジレンマ

(adisorientingdilemma)」と呼び、 このジレンマは、目をみはるような議論、本、詩、絵画

からも生 じうるし、私たちが既に受け入れてきた前提に矛盾するような慣習をもつ異なった文

化を理解する努力からも生 じうるという。 そして、すでに確立されたパースペクティブに対す

る主な挑戦は、変容 という結果になりうる。 これらの挑戦は、痛みを伴 うものであり、深 く保

持されてきた個人的な価値観にしば しば深い疑問を呼んだり、自己という感覚そのものをおび

やか したりすることもある19)0

このように、「パースペクティブ変容 とは、従来の自分の考え方 。感 じ方 。行動の仕方がう

まく機能 しないと感 じる段階を出発点とし、自己の批判的吟味や、新たな自分の役割や自分の

生き方の計画立案、その計画 。役割を実行するための準備などを経て、新たな役割 ◎関係性を

自分のものとして生 き始めることによって完結する過程20)」といえる。 また、女性のカレッジ

への再入学プログラムにおける研究をもとに提示 した、パースペクティブ変容のプロセスの中

に現れる一連の局面は、以下のように記述されている。

(1) 混乱を引き起 こすジレンマ

(2) おそれ、怒 り、罪悪感あるいは恥辱感の感情を伴 った自己吟味

(3) 想定 (assumption)の批判的側面

(4) 自分の不満感と変容のプロセスが他者と共有されていることの認識

(5) 新 しい役割、関係性、行為のための選択肢の探求

(6) 行動計画の作成

(7) 自分の計画を実行するための知識や技術の獲得

(8) 新 しい役割を暫定的に試す

(9) 新たな役割や関係性における能力や自信を構築する

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安川:認識の変容にかかわる学習論の考察

(10) 新たなパースペクティブの決定する条件の下で、自分の生活へ再び統合される

上記のプロセスはひとっのモデルにすぎないが、またひとりひとりにとって、このプロセス

の進む速さや順番なども実際には複雑に異なっているであろうが、この変容のプロセスを提示

したことは、成人教育の立場から学習支援を考えていく際にはより一層有効になってくると考

える。加えて、変容的学習と省察的学習との関係であるが、省察的学習は、想定や前提がゆが

んでいたり、本物でなかったり、あるいは妥当でないと分かったときにはいっでも変容的にな

る. 変容的学習は、新しい意味スキームや変容的な意味スキームをもたらし、あるいは、その

省察的行為が前提に焦点が当てられるときには、意味パースペクティブが変容するといえる。

2.4.J.メジローの変容的学習論の意義や特徴

メジロ-の理論の課題も先行研究によって指摘されているものの、ここでは、いくつか注目

しておきたいメジロ-の学習論の意義や特徴を先行研究をもとに指摘しておきたい。まず、永

井による 「Mezirowの学習論の最大の意義は、経験に対する学習者自身による意味付与の重要

性を強調する点である。 我々は歴史的 ・社会的な文脈に規定される面がある点で、マクロな観

点から課題提起する学習論は主張されて当然である。 しかし、そこで提起される課題が当為の

ものとして強制されるならば、それは学習者の主体性に資するものではない。我々はそれぞれ、

独自の生活史を形成しーっの人格として存在する個人であり、他者の生を身代わりに生きるこ

とは出来ないということも事実である。 経験に対する意味付与が外在的なものに委ねられてし

まっては、学習の過程が学習者本人においてどのように展開するか、という観点は損なわれて

しまう。 学習経験を、学習者の内在的な意味付与の構造に即 して分析 。説明することが、学習

論としては必要であり、-'学習の過程における意味構築の持っ中心的役割"に焦点を合わせよう

とするMezirowの学習論はこの点で優れて示唆的である。 彼が説明概念として、単に 『パース

ペクティブ』ではなく 『意味パースペクティブ』という表現を用いているものも学習者自身に

よる内側からの意味付与の次元に重きをおくからにはかならない21)」という指摘である。 メジ

ロ-は、「学習」とは、学習者にとっての 「意味」や 「意味パースペクティブ」とは切り離し

えないということを重視したという点でとても意義深いといえる。 また、たとえ客観的に同じ

状況であったとしても、その人個々人にとっての意味は異なるという視点は、学習の実態に則

した重要な見方であるといえる。また、小池 o志々田は、メジロ-が学習を 「経験を解釈した

り、その経験に意味づけをおこなう」行為と定義したことに関わって、学習を特別な活動とし

て捉えず、日常的な行為としたところに彼の学習観の特徴があるとしている。 このように、学

習をある特定の場や状況において生じるものではなく、日常生活に関わるものとして捉えた点

も押さえておくべき重要な点であると考える。

他方、常葉一布施は、メジロ-の理論的背景にある成人に対する認識について指摘している。

「メジロ-は、成人教育の目標を、成人の自律性の発達や自律的な意思決定能力の発達の促進

である22)」と考えており、「メジロ-の理論の底流には、自律的思考や理性的な意思決定を成

人にふさわしい性質と見なす成人観や、成人は他者に依存したり他者からコントロールされた

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りすることなく、自らの人生を自己決定 していくべきとする思想、また、人間は本来理性的な

存在であって、必要な理解を発展させれば自分にとっての最良の選択を行 うことができるとい

う信念が見出せる23)」ということを指摘 している。 また、「想定の問い直 しや吟味といった活

動は、個人が孤立 した状態では十分に行うことができない 。 自分とは違 う様々な見方 。考え方

を知ったり、ある事柄 (他者の意見や自分の判断など)が本当に妥当であるのかどうかを確か

めたりするのには、他者とのやりとりや知識 。経験の共有が不可欠である24)」という指摘 もな

されている。すなわち、他者や環境からのきっかけは、自分の認識を変えるための道具にすぎ

ず、認識変容の構成ユニットは、あくまで個人であり、自律 した個人像が想定されているとい

うことがいえるであろう。 そして、「学習者がなるべく多 くの選択肢を持ち、自由にかつ理性

的に自己決定することが望ましいとされている。パースペクティブ変容を通 じ推進される成人

の発達とは、より多 くの選択肢と行為の可能性を与えるようなフレキシブルな解釈 。思考のパ

ターンを獲得することによって、個人が自己決定の質を高めてゆくこと25)」というところから

も分かるように、メジロ-は、自己の物事に対する選択肢がより広がることが最善の状況とし

ており、その選択肢を以下に自己決定的に選択できる環境とその人自身を形成 していくかといっ

たところに、理論の方向性を定めていたといえる。

3.J.メジロ-の変容的学習論におけるG.ベイ トソンのコミュニケーション論への着目点

3.1,「意味パースペクティブ」と 「心理的フレーム」という概念

メジロ-は、「意味パースペクティブ」の概念を、他の理論家がパラダイムや個人的なフレー

ムとして言及 しているものと類似 していると述べている。 それは、クーン (T.Kuhn)による

「パ ラダイム」の概念26)、ゴフマン (E.Goffman)による 「フレーム」の概念27)、ベイ トソン

による 「心理的フレーム」の概念、そして、「イデオロギー」の概念28) である。 あるいは、ポ

パー(Popper)による 「予測の地平」、ロス(Roth)による 「知覚フィルター」、ケリーによる 「個

人的構築」、ウィトゲンシュタインの 「言語ゲ-ム」であるという29)0

ベイ トソンは、"心理的フレーム"の機能を描いており、メジロ-は、それを意味パースペク

ティブのひとっの形として見なしている30)。 メジロ-が引用 している、ベイ トソンの心理的フ

レームの説明は以下の通 りである31)。これは、ベイ トソンが 「心理的フレームを物理的 ・心理

的な類比によって語ることの限界を認識 したところで、実際にそれらの類比によって、そのは

たらきと使われ方」をまとめた部分の一部である32)。

1.除外のはたらきがある。一部のメッセージ (ないしは有意の行動)が内に囲われることに

よって、他のメッセージが外に追いやられる。

2.包含のはたらさがある。 一部のメッセージが外に追いやられることによって、他のメッセ-

ジが内に囲われる。

3.これまで 「前提("premises'')」と呼んできたものと関わっている。 額縁は、絵を見る人に、

「この内側の模様を見るときと、外側の壁紙を見るときとは違 った思考法を用いよ」とい

う暗黙のメッセージを伝えているわけだ。-フレーム自体が、知覚と思考の前提 システム

の一部になっていることに注意 したい。

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安川 :認識の変容にかかわる学習論の考察

4.メタ。コミュニケーション的である。 フレームを設定する役を果たすすべての (直示的ま

たは暗示的な)メッセージは、その事実によって、内側に来るメッセージの解釈のしかた

を規定 し、あるいはその理解を助けるものである。

5.4.の逆も成り立っ 。 メタ。コミュニケーション的、メタ言語的メッセージはすべて、そ

れに包まれて伝えられるメッセージの集合を、直示的 ・暗示的に規定する。 すなわち、メ

タ。コミュニケーション・レベルのメッセージはすべて心理的フレームを規定する。

6.心的過程は、<図>を浮き立たせて知覚させる上で<地>自体も枠づけられなくてはなら

ない論理と似ている。 -すなわち、フレームは論理階型を限定 している。

また、「スキーマ」という、予想されたことに対するプロトタイプや名詞として役に立っ出

来事の組織化された表現として、認知心理学の用語として広 く知られている用語を引きあいに

出しながら、見ることと理解することの方法が、''統覚習慣日として理解されるだろうというベ

イ トソンの洞察と、学習における予測の役割についてのカール ・ポパーの強調を基にすれば、

変容的学習は、時間、場所、方向、側面、流れ、そして実在に関わる分類のスキーマの機能を、

言語の習得に依存 しているスキーマから区別することになるとメジロ-は述べる33)0 「スキー

マ」という用語は、 しばしば、抽象の異なったレベルを有する異なった次元やプロセスの多様

性を含み、それらとの関係性やメタ・スキーマの役割が明確に記述されないと指摘する。 変容

的学習は、スキーマが外的な現実のイメ-ジ、知識の"構造''、あるいは記憶の収納庫であると

提起するような共通の想定に挑戦するとメジロ-は言うのである。 すなわち、ベイトソンの洞

察によって、論理階型が異なるメタ・レベルの構造をもつものを区別する視座を得られるとい

う点を、メジロ-は評価 していたといえる。

ここで、ベイ トソン自身が用いていた 「心理的フレ-ム」概念の文脈について触れておきた

い。ベイ トソンは、「遊びと空想の理論(ATheoryofPlayandFantasy)」(1955)の中で、

「遊び」を成 り立たせているメタ。メッセージのレベルをフレームとして位置づけている。つ

まり、遊びをコミュニケーションの行為として捉えたとき、 じゃれあっていることが、「けん

か」になるのか 「遊び」になるのかを決めているのは、メッセージについてのレベルのもので

はなく、そのメッセージをまとめあげているメタ・メッセージのレベルであり、そのフレーム

は、「メッセージ (ないし意味ある行為)のクラスとして、あるいはメッセージ集合の外枠を

画すものとして理解するということだ34)」とベイ トソンは述べている。 つまり、「これは遊び

だ」というメッセージを交換できない動物には起こりえない現象であり、「今やっているこれ

らの行為は、それが表わす行為が表わすところのものを表わしはしない」、「『喫みつきっこ』

は、『噛みつき』を表わすが、『噛みつき』が表わすところのものは表さない」というメタ・コ

ミュニケーションが成立 しているということである35)。ベイ トソンにおいて、「フレーム」 と●●

いう概念は、心理の世界に帰属するという意味から 「心理的フレーム」と呼んでいるのであり、

心理の世界では 「前提」とは、「論理学における 『命題 Pは命題Qの前提である』という言が●●

指 し示す二つの命題間の依存関係に類似 した、二っの観念問、またはメッセージ問の依存関係

を表す語36)」として捉えられている。 また、このメタ。コミュニケーション的なフレームは、

-19-

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京都大学 生涯教育学 ・図書館情報学研究 vol.8.2009年

その広大な部分が暗黙のうちに差 し出されているとされる。 ベイ トソンにとって 「フレ-ム」

という概念は、「関係 (コミュニケーション)」の世界を表すものとして用いられているといえ

る。 また 「フレーム」は 「コンテクスト」と類縁概念として捉えられており、コミュニケーショ

ンにおける論理階型の構造を示すひとっとして用いられている。 コンテクス トとは、「有機体

に対 し、次に行 うべき選択の選択肢 。群がどれであるかを告げる出来事すべてに対する集合的

絶称37)」であり、ある相互作用全体の括 られ方、区切 り方である。 また、ベイ トソンは、これ

らをラッセルの 「論理階型理論」(1988)の問題として捉えていた。これは 「パラドックス」を

集合論的に処理する基礎理論であり、「クラスはそれ自体のメンバーには決 してなりえないこ

と。 クラスのクラスはそれがメンバーとするクラスのメンバーには決 してなりえないこと38)」

を主張する。コンテクス ト (メタ。メッセ-ジ)はメッセージとは異なった論理階型に分類さ

れ、単独で扱 うことはできず、「論理階型づけの作用によってはじめて成り立っもの」である。

そして、コンテクス トもまた、メタ・コンテクス ト・・・といったように、メタ・リレーションを

なしていく。 このように、ベイ トソンにとって、「フレーム」や 「コンテクス ト」とは、メタ・

コミュニケーション的な抽象の領域を示すものであると同時に、単独ではなく関係性の中で成

立するものであるといえる。

このようにしてみると、メジロ-の 「意味パ-スペクティブ」の概念 もまた、私たちの学習

の経験の意味を括りとる一連の習慣や行為のパターンを意味するという点で、個々の事柄や事

象を成立させているより大きな枠組みを捉えており、ベイ トソンのいう 「フレ-ム」や 「コン

テクス ト」と同じ抽象的な次元を捉えようとしていたといえる。 メジロ-のいう 「意味スキー

ム」と 「意味パースペクティブ」の関係は、ベイ トソンのいう 「コンテクス ト」と 「メタ。コ

ンテクス ト」との関係と対応 しうる関係であると考えられるだろう。 とはいえ、メジロ-が、

これらを関係性によって成立する産物としての認識がどこまで存在 したか、あるいは重視 して

いこうとしていたかということについては、もう少 し検討が必要であるように思われる。

3.2.変容のプロセス理論のパイオニアとしてのG.ベイ トソンの学習の階型論の位置づけ

次に、メジロ-の理論の中でベイ トソンに注目するのは、変容的な学習のプロセスについて

の箇所である。 メジロ-は、「意図的な学習 :問題解決のプロセス」の章において、--バー

マスの 3つの学習、環境をコントロールし操作する学習である 「道具的学習」、 コミュニケー

トされたことの意味を理解する学習である 「コミュニケーション的学習」、自分自身や自身の

パースペクティブを理解する学習である 「解放的あるいは省察的学習」の概念を用いながら、

変容的学習のための社会理論的な文脈を提供 している。 そして、それに続 く 「成人の学習の性

質(TheNatureofAdultLearning)Jという節において、ベイ トソンの学習の理論に言及 し

ている。メジロ-は、「ベイ トソンの学習についてのアイデアは、特に、どのように意味のパー

スペクティブが変容 していくかを理解するのと密接な関係がある」として、ベイ トソンの学習

理論は、確立された意味スキームや意味パ-スペクテイブを変容 していくリフレクションの機

能をもつ学習理論として捉えられている39)。「ベイ トソンの学習理論は、単なるデーターの獲

得よりもむしろ、コンテクストの変化にその中心が置かれている。 彼の認識論は、私たち自身

…20-

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安川:認識の変容にかかわる学習論の考察

の前提、仮定、予想を通 じて私たちの現実を見ていく中で、私たちは私たち自身の世界を創っ

ているのだという信念に基づいている。 これらは、私たちが学ぶコンテクストを形作っている。

私たちは、私たち自身を何 らかの解釈に開いているが、私たちを不快にし、 しばしば私たちの

認識が単に部分的であるということを理解するのに失敗するような他のものについては閉じて

いる。ベイ トソンは、私たちの避けられないバイアス、私たち自身の偏狭さの決定的な重要さ

を主張する40)」とメジロ-は述べている。 また、「私たちが他者のパースペクティブや現実か

ら私たち自身を分離 しているところの偏狭さや独断のために、私たちは合意的な正当性の形態

に参加する必要がある. コミュニケーションに関するベイトソンの研究において、--バーマ

スが予期されるが、ベイ トソンは、倫理や美学の原理への言及といったような信念に基づく正

当性(validity)におけるコミュニケーションに特に焦点を当てていた。家族、仕事、コミュニ

ティの関係を生 じさせることを通 じたコミュニケーションとその関係は、人間を理解するため

のコンテクストを構成しているO 形態、パターン、秩序が、これらの関係の中に備わっている。

ベイ トソンは、感覚器官が新 しい差異だけを受け取る、それゆえ、現象はそれらが何かと異なっ

たときにのみ知覚されると信 じていた41)」と説明している。

ベイ トソンによると、「学習とコミュニケーションの階型論」の構造上の簡潔的な説明は以

下の通りである42)。コンテクストの論理階型によって、ゼロ学習から学習Ⅳまでの学習の階型

に分けられている。

●■●●●●●●●●●●●<ゼロ学習>とは、「反応がひとつに定まっている」学習であり、「その特定された反応は、

正 しかろうと間違っていようと、動かすことのできないもの」である。

●●●●●●●●●■●●●●●●<学習 Ⅰ>とは、「反応が一つに定まる定まり方の変化、すなわちはじめの反応に代わる反

応が、所定の選択肢群のなかから選び取 られる変化」である。

●●● ●●●●●●●●●●●<学習Ⅲ>とは、「<学習 Ⅰ>の進行プロセス上の変化である。 選択肢群そのものが修正さ

れる変化や、経験の連続体が区切られる、その区切り方punctuationの変化がこれにあたる」。●●● ●●●●●●●●●●●

<学習Ⅲ>とは、「<学習Ⅱ>の進行プロセス上の変化である。 代替可能な選択肢群がなす

システムそのものが修正されるたぐいに変化である。(このレベルの変化を強いられる人間

とある種の噛乳動物は、時として病的な症状をきたす。)」●●■ ●●●●●●

<学習Ⅳ>とは、「<学習Ⅲ>に生 じる変化、ということになろうが、地球上に生きる (成

体の)有機体が、このレベルに行きつくことはないと思われる」。

これにメジロ-の解釈を加えると、<ゼロ学習>では、「既に前から存在する習慣的な反応

(意味スキーム)を追加的な事実をカバーすることに拡張することに関わる。 エラ-も思考錯

誤も不可能である」。<学習 Ⅰ>では、「私たち自身の習慣的な反応についての学習を含む。こ

の段階では、私たちの意味スキームや意味パースペクティブは変化 しない。私たちは尚、既定

の意味スキームの内部で学んでいる。学習 Ⅰは、 リフレクション無 しの思慮深い行動(though

tfulactionwithoutreflection)を含んでいる」。<学習Ⅱ>では、「コンテクスト (意味スキー

ム)についての学習に関わる。 文化的な融合や投入(introjection)を通 じた学習は、学習Ⅱの-

-野il-

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部であり、私たちの性格の学習もまた含まれる。私たちが学ぶ土台となっている前提は、この

段階の中で変化する-私たちはこのような変化には気づかないけれども-、そして結果的に私

たちは異なった方法で、いかに学ぶかを学ぶのである。 知覚された意味のコンテクス トが変化

すると、私たちが学んだ"事実''はまた新 しい意味を想定する。 学習Ⅱは、内容やプロセスのリ

フレクション-私たちが私たちの意味スキームの中で変化を生 じさせるプロセス一に関わると

解釈されるだろう」.<学習Ⅲ>は、「宗教的な回心や禅の経験、サイコセラピーにおいて生 じ

るような変容に関わる。 これらは、パ-スペクティブの変容である。 それを通 じて、私たちは.、

世界を認識する全体的な方法は不確かな前提(questionablepremises)に基づいているというこ

とに気づ くようになりうるのである43)」。また、「このような-'コンテクス トのコンテクス ト■一に

ついての学習は、私たちの予測の習慣が形成されているリファレンスの全体的な仮定のフレー

ムの変化に関わる学習を含んでいる44)」と述べ、ベイ トソンが提示 した学習ⅢについてのⅢの

レベルに収めても論理上問題がないと考えた6つの変化の説明を引用 している45)0

1.学習 Ⅱのカテゴリーに入る習慣形成を、よりスムーズに進行させる"能力"や"構え"の獲

2.起 こるべき学習Ⅲをやりすごす抜け穴を、自分白身でふさぐ能力の獲得。

3.学習Ⅱで獲得 した習慣を自分で変える術の習得。

4.自分が無意識的に学習Ⅱをなしえる、そして実際行っているという理解の獲得。

5.学習Ⅱの発生を抑えたり、その方向を自分で操ったりする術の習得。

6.Ⅲのレベルで学習される学習 Ⅰのコンテクス トの、そのまたコンテクス トについての学

そして、引き続き、エ ドワー ド。セル (E.Cell,1984)の 「応答的学習」「状況的学習」「状況

を超えた学習」「超学習」と呼ぶ4つのレベルの学習の解釈をとりあげる。「応答的学習」とは、

試行錯誤を含みながら進む学習であり、「状況的学習」は、状況を解釈する方法の変化を伴い、

選択することのオルタナティブを生みだす。「状況を超えた学習」は、状況についての私たち

の解釈をどのように変えるかを学ぶ。そして、個人の状況の解釈に対 してコンセプ トを修正 し

たり、新 しい解釈を生みだしたりする方法の発展に関わる学習を 「超学習」と呼ぶ。

こうして、メジロ-は、「学習における変容のベイ トソンの先駆的な分析と状況を超えた学

習と超学習への省察的学習のセルの区別は、成人の学習の変容的学習の発展に価値ある貢献を

する」と評価するのである。 そして、それを受けて、成人の学習の4つの形態の学習を提示す

るのである46)。まず、「意味スキームを通 じた学習」、すなわち、私たちが当然としているこれ

までに得た意味スキームをさらに異なったものにしたり精巧にするような学習であり、あるい

は、すでに得てきた参照の枠組みの構造の範囲内での学習である. 次に、「新 しい意味スキ-

ムを学ぶ学習」、すなわち、新 しい意味を創 っていく学習である。十分に一貫性があり、存在

している意味パースペクティブと両立 し、また意味パースペクティブの範囲を拡大することに

よってそれらを補完する。 とはいえ、この形態の学習は、たとえ意味パースペクティブが拡大

したとしても、根本的な変化は起こらない。新 しい意味スキームは、社会化の過程の中で意識

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安川:認識の変容にかかわる学習論の考察

的にあるいは無意識的に同化されていく。 そして三つ目の形態の学習は、「意味スキームの変

容を通 じた学習」である。 ここでは前提に対する省察が含まれる。私たちは、自分たちの特定

の見方や信念が機能不全を起こし、かっての見方や意味の理解の仕方が不十分であるという感

覚が増 していく経験をする。 変容 した意味スキームが増大 していくと、意味パースペクティブ

の変容にもっながる。 そして、 4つ目の形態が 「パースペクティブ変容を通 じた学習」である。

省察や批判を通 じて、ゆがめられたあるいは不完全な意味パ-スペクティブが基礎となった特

定の前提に自覚的になり、意味の再組織化を通 じてそのパースペクティブが変容する。 これは

もっとも重要な種類の解放的な学習である。 そして、問題の解決ということが、変容的理論に

おいて描かれる4つの形態の学習すべての柱となっているというのである。 つまり、私たちの

認識に変容が生 じるのは、やはり何かそこに問題や課題があるからこそであるということであ

り、問題解決(problem solving)のプロセスや問題提起 (problem posing)を自分自身が意識

することが変容のスタ-トとなるということを意味しているともいえる。 また、ベイトソンが、

「三つ児」のときに学習された習慣は 「百までも」続 くとも言われるように、一度自分が身に

つけた習慣は一般に自己妥当性をもっものであり、それを変えることはなかなか困難であると

述べるように、意味パースペクティブの変容の困難性を意識することもまた、変容的学習を考

えるうえで重要であると考える。

4.考察

4.1,意味やコンテクス トの重視と変容に対する構造的把湊の類似性

2.でも述べたように、メジロ-は、学習における個人にとっての意味や経験の意味づけ方を

重視 している。これは、ベイ トソンが、学習におけるコンテクス トの存在を重視 していること

と類似 しているといえる。 このようなことは、内的、主観的な意味を重視 しているという点で、

学習が客観的な基準のみでははかれないということが改めて示されているといえる。学習や認

識の変容というものが、その人個人にとっての意味や周りとの関係性や状況と無関係ではない

ということを再認識することができる。 このことは、メジロ一によるベイ トソンの読み方とい

うよりはむしろ、メジロ-とベイ トソンの両者がそれぞれにその重要性を認識 していたという

ことがいえるだろう。

また、メジロ-のいう意味スキームと意味パースペクティブ、また、ベイ トソンのいうコン

テクス ト (メタ・メッセージ)、メタ。コンテクス ト (メタ。メタ。メッセージ)-という関

係は、物事の理解や習得に関わる枠組みやある種メタ。レベルの事象を捉えていこうという視

点である。 論理階型を意識 しているということである。 これは、メジロ-が意味パースペクティ

ブの概念を捉えていく上で、ベイ トソンの 「フレーム」の概念も参照枠組みのひとっとして含

んでいることからもいえる。 また、それに基づいて、メジロ一による 「変容的学習論」とベイ

トソンの 「学習とコミュニケーションの階型論」が組み立てられていることが分かる。 両者と

もに、学習の直線的な段階論としてというよりはむしろ、学習の重層的な形態論として、人間

にとっての学習の深さやダイナミクスを捉えていこうとしていたといえる。 また、意味パース

ペクティブが変容することや、コンテクス トをなしている枠組み自体が変容するという学習の

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事象を捉えていこうとしている点で、その構造は類似しているといえる。 また、言いかえれば、

メジロ-は変容的学習論を構築していく際に、ベイトソンの理論の中から、この論理階型の構

造の違いや変容の質の違いの構造を捉えていく上で、大きく影響を受けていたことが分かる。

このように、論理階型を意識して私たちの学習を捉えていくことは、今、何を問題としてい

るかを把握する上で、またそれにどのように関わっていくかを考えていく上でも重要であると

考える。また、学習における変容の次元を、私たちが形成 してきた習慣や認識枠組み自体の変

容というところまで捉えて学習論の中に含み込んでいこうとすることは、それが私たちの学習

にとって必須であるということを主張しようとしているということではない。頑では認識でき

ているもののその行動への反映は実際には頻繁に生じるものではなく、また長い時間やプロセ

スを必要とする周難なことではあるものの、しかしなおその可能性が存在するということをき

ちんと学習論の中にも含み込んでいくことは、学習という事象を、人が生きるということと繋

げて考えていく上でも必要なことであると考える。 そのことによって、学習という事象をより

トータルな広い視野から捉えていくことが可能になるであろうし、また、私たちは、日常的に

様々な矛盾や課題を多少とも抱えて生きており、メジロ-のいうような意味スキームや意味パー

スペクティブとの次元の違いは人それぞれにあるものの、それらを変容させていきたいという

思いをもって試行錯誤 しながら生きているということもまた、私たち人間の生きている実態で

あるように思われるからである。 あるいは、このような変容の可能性を楽しんでいこうとする

ような柔軟性をもっこともまた、学習の多様性を考えていくうえでも大切であると考える。 そ

のような意味でも、メジロ-やベイトソンが示そうとした、認識の変容に関わる学習論は、意

義深いものであると考える。

4.2.「自己」への期待や択え方の相違点

ここでは、理論に対する両者の重点の置き方が少 しずれているのではないかということを指

摘してみたい。というのは、メジロ-をはじめとした変容的な学習は、成人の学習の特徴的な

一形態とみなされ、いかに認識 (意味パースペクティブ)の変容が生じるか、あるいは何か困

難に直面 したときにいかに意味パースペクティブを変容させていけるかといったような方法論

的側面が重視されているように思われる。他方、ベイトソンは、学習の方法論というよりはむ

しろ、西欧近代的な 「個」を中心とした思考から 「関係」論的な思考へと移行させていくこと

に思想の重点が置かれており、それを結果的に学習という変化の形態として考えた場合、コン

テクストの枠組み自体の変化や、自己という枠組み自体が周りとの関係世界の中に溶け込んで

いくような学習Ⅲの次元が想定されていったといえるのではないだろうか。言い換えると、メ

ジロ-とベイトソンの理論は、変容的学習の理論としては確かにその構造は類似しているもの

の、認識の変容のプロセスや方法を重視するか、あるいは、認識の変容の方向性を重視するか

といった点で両者は異なっており、あくまで学習の方法論的な思考に重点があるメジロ-に対

して、ベイトソンはあくまで認識論それ自体を問題としているといえるのではないだろうか。

次に、両者の理論の背景にある自己や個人に対する認識の違いである。 2.でいくらか示さ

れていたように、メジロ-の理論は、--バ-マスのコミュニケーション論の影響を大きく受

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安川:認識の変容にかかわる学習論の考察

けている。 --バーマスは、討議 (discourse)など相互主体的なコミュニケーションを想定

していたとしても、それはあくまで自立的な個人同士による関係性として想定されており、西

欧近代的な 「個」が確立 した自己像が目指されているといえる。メジロ-もまた対話的学習の

重要性を指摘 している。また、常葉一布施の指摘にもあるように、メジロ-の理論的背景には、

他者に依存せずに自己決定 していけるような自己像が想定されていることが分かる。 それに対

して、ベイ トソンのコミュニケーション論的思考においては、「個」として物事を捉える思考

から、自己をも含めたひとっのコミュニケーション・システムとして物事を捉え、何かと何か

の関係項 (関係の末端)であり 「個別のもの」に過当な重点を置 くという思考から、「あいだ

の関係」をみていく思考への移行が追求されている。 また、ベイ トソンは、アルコール依存症

者の回復のプロセスに対する分析からも読み取れるように、自分の弱さを認めること、等身大

のありのままの自分を認めることからスター トする新 しい関係性のあり方を提起 していこうと

している。そして、それは、自己を超えた、他者であったり自然であったりといった存在を含

み込んだ形で物事を捉えていこうとしているということであり、「自己」を思考の中心に据え

ていくことに対する問題提起をしていたといえる。メジロ-ら--バーマスもコミュニケーショ

ンや対話を重視 しているが、何かと何かの 「対」のコミュニケーションである。他方、ベイ ト

ソンは、何かと何かではなく、その境界線を明確にできないコミュニケーション的な関係性か

ら思考を出発させようとするものである。 このような意味で、メジロ-とベイトソンの両者は

共に対話や関係性を重視 してはいるものの、そのメタのレベルともいうべきか、その背後で想

定されている自己への期待や自己の捉え方に差異が表れているといえるのではないだろうか。

おわりに

本稿を通 じて、メジロ-が、ベイ トソンの理論のどのような点に着冒し、自らの理論展開に

応用 したのかを整理 し、そのことの意味を探ろうとした。

まず、メジロ-が、ベイトソンの理論に着目したのは、「フレーム」の概念と、「学習とコミュ

ニケーションの階型論」であった。ともに、学習における質的変化の側面を捉えていくための

ヒントにしていたといえる。 これらは、メジロ-の理論でベイ トソンに言及 している部分は少

ないものの、意味パースペクティブの概念のヒントになったということと、変容的学習の質的

変化のプロセス構造のヒントになっているということで、メジロ-がベイ トソンに注目した部

分は、メジロ-の理論構築にとって、非常に核となる部分を形成 しているといえる。

メジロ-とベイ トソンの理論の共通点として、以下の点があげられる。 まず、学習における

質的変化の側面を捉えようとしたという点である。次に、学習者における意味の問題、知るこ

とと同時に起こっている意味パースペクティブの形成や習慣の形成といった学習の意味をきわ

めて重視 している点である。意味スキ-ムや意味パースペクティブについての問題と、コンテ

クストの問題は、また、メジロ-が変容的学習の中で2種類の変容として提示した 「意味スキー

ムの変容を通 じた学習」と 「意味パースペクティブの変容を通 じた学習」の質の違いは、理論

上は、ベイ トソンの学習論における学習Ⅱと学習Ⅲとの違いと類似 しているということができ

るだろう。 したがって、生涯学習を捉えていく際、「私」を形成 している諸前提そのものが別

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京都大学 生涯教育学 ・図書館情報学研究 vol.8.2009年

の前提に移行 したり、前提の前提そのものが大きく組み変わったりという変化を、学習論の中

に捉えていくことの重要性を指摘することができる。

しか しながら、メジロ-の変容的学習論は、思考や意思決定の内容や結果への関心は薄く、

むしろ、変容のプロセスや様式 。スキルへの関心が大きかったことからも指摘できるように、

メジロ-とベイ トソンの変容的学習論を展開 しようとした意図についてはずれが存在するとい

える。 つまり、メジロ-は、変容的学習の内容や結果としてどうなったかというよりむしろ、

成人がいかに自己決定のプロセスによって自らの生き方を自由に選択 していけるかという点を

成人教育の目標としていたのに対 して、ベイ トソンは、むしろ、変容の中身や結果をラディカ

ルに主張 していたと指摘することができるだろう。 メジロ-の関心、が、変容的学習のプロセス

や構造の分析にあったことから、ベイ トソンの理論からヒントを得た点 も構造の部分にある種

限定的であったということが指摘できる。 言い換えれば、メジロ-の変容的学習論とベイ トソ

ンの学習とコミュニケーションの階型論の構造は類似 しているものの、それらをなしているも

うひとつ大きなシステム (前提)の認識は、異なっていたといえる。 それは、「自己」に対す

るとらえ方の違いである。 メジロ-は、「自己」が自分の人生をコントロールしていけること

へめ期待が大きかった。それは自己が孤立 して行えるものではなく、む しろ自己が他者に開き

ながら、対話や討議 していくことが大切であるのだが、あくまで、自己決定、自律に対する信

頼や期待が存在 している。西欧近代的な 「個」の確立が目指されているといえる。 他方、ベイ

トソンは、「自己」への西欧近代的な認識には批判的であった。メジロ-が、--バーマスと

ベイ トソンが同じ文脈の中で用いているところにも表れているだろう. --バーマスとの関わ

りについての更なる検討は今後の課題である。

加えて、メジロ-もベイ トソンも、「解放的」な学習の側面をもっているといえる。 しかし、

メジロ-の方は、成人の学習は変容 していくものであり、子どもの時代の形成的な学習から、

変容的学習へということで、より成人は自らの主導性と決定性において意味パースペクティブ

を変容させていけるかということに重きが置かれている意味での 「解放的」な学習として読む

ことができるのではないか。他方、ベイ トソンの方は、私たちの社会を構成 している関係のあ

り方そのものを問い直そうとしており、自然と人間との関係、人間と人間との関係、人間と物

との関係を、エコロジカルなものとして認識 しなおした方がよいのではないかという意味での

「解放的」な学習論として読むことができるのではないか。また、そこには、どうしようもな

くなった状況に陥ってしまった人たちも変容の可能性、新たに生き直していく可能性 も存在す

る学習Ⅲとしての意味も存在するといえるだろう。 ベイ トソンは、理論の中では子どもとおと

なの区別を行っているわけではないが、生涯学習論として考察 していく際には、子どもとおと

なの捉え方もまた更に意識的に行っていく必要があると考える。 今後、本稿での考察や課題を

ふまえて、さらに詳細に認識の変容に関わる学習論の考察を深めていきたい。

1)三輪建二 「成人の学習一本年報のねらい-」日本社会教育学会年報編集委員全編 『成人の学習』東洋館

出版社、2004年、pp.9-15.

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安川:認識の変容にかかわる学習論の考察

また、成人学習論としての省察的学習論の意義について、永井健夫は、「成人性」として、省察的な学

習能力は成人性を構成する事実的な要素である」ということ、「成熟」として、パースペクティブ変容

は、学習者が批判的省察に取り組み、自らの認識世界を捉え直すなかで生じるもので、成人期における

人間的成熟の成否を決定づける学習としての意味があるということ、「現代性」として、B.ペックによ

る危険社会(risksociety)、P.ジャービスによる 「再帰的社会(reflexivesociety)」といった現代社会の

特徴を挙げ、省察的に学ばざるをえない必然性があるという3つの要因を指摘 して説明している。(永

井健夫 「成人学習論としての省察的学習論の意義について」日本社会教育学会年報編集委員会編 『成人

の学習』東洋館出版社、2004年、pp.32-44.)

2)渡適洋子 『生涯学習時代の成人教育学-学習者支援へのアドヴォカシー-』明石書店、2002年、p.121.

3)豊田千代子 「自己決定学習と成人性の発達-J.メズィローの批判的成人学習論を中心として-」(社会

教育基礎理論研究会 『学習 ・教育の認識論』(叢書生涯学習Ⅷ)、雄松堂、1991年、p.150.

4)同上書、p.151.

5)岡田正彦 「生涯学習行動における対人的要因の成人教育学における位置づけ (1)-M.S./-ルズの

アンドラゴジー論を中心に-」中国四国教育学会 『教育学研究紀要』第42巻第1部、1996年、p,296.

6)J.Mezirow, Transformatl'veDl'mensl'onsofAdultLeaml'ng,1991,Sam Francisco,California,

pp.xvi-Ⅹvll,

7)理論面での代表的な研究として、小池源吾 ・志々田まなみ 「成人の学習と意識変容」『広島大学大学院

教育学研究科紀要』第三部、第53号、2004年、pp.ll-19.渋江かさね 「成人教育者の力量形成としての

意識変容の学習-P,クラントンによる検討から-」『成人の学習 (日本の社会教育第48集)』2004年、

pp.186-198.常葉一布施美穂 「メジロ-の 『パースペクティブ変容』概念に関する考察一自己決定性の

中心性をめぐって-」『人間の発達と社会教育学の課題』お茶の水女子大学社会教育研究会編、1999年、

「『成人』の学習論再考-メジロ-理論の中の 「女性の学習」に注目して-」『成人の学習 (日本の社会

教育第48集)』2004年、pp.85-97.などがある。

8)J.Mezirow,op.cit.,p.3.

9)ibid.,p.3.

10)ibid.,p.6.

ll)ibid.,p.62.

12)ibid"p.5.

13)ibid.,p.ll.

14)ibid.,p.38.

15)ibid.,p.33.

16)ibid.,p.34.

17)ibid"p.42.

18)ibid.,pp.61-62.

19)ibid.,pp.167-168.

20)常葉-布施美穂 「『成人』の学習論再考-メジロ-理論の中の 「女性の学習」に注目して-」『成人の

学習 (日本の社会教育第48集)』2004年、pp.85-97.

21)永井健夫 「認識変容としての成人の学習 (Ⅱ)一学習経験の社会的広がりの可能性-」『東京大学教

育学部紀要』第31巻、1991年、p.337.

22)常葉-布施美穂 「変容的学習-J.メジロ-の理論をめぐって」赤尾勝己編 『生涯学習理論を学ぶ人の

ために』世界思想社、2004年、p.102.

23)同上書、p.105.

24)同上書、p.100.

25)布施美穂 「メジロ-の 「パースペクティブ変容」概念に関する一考察-自己決定の中心性をめぐって-」

『人間の発達と社会教育学の課題』1999年、p.94.

26)クーンがいう科学的な知におけるパラダイム変化を、メジローは、パースペクティブ変容と呼ぶプロ

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Page 19: Title 認識の変容にかかわる学習論の考察 : J.メジ …...ものとしてSDLを捉え、様々なコンテクストで行われる社会的なものと考えた3)0SDL

京都大学 生涯教育学 ・図書館情報学研究 vol.8.2009年

セスと対応 していると述べている。クーンは、科学的調査の行為に影響を与えるようなものの見方や調

査方法、信念、アイディア、価値、態度に言及するために 「パラダイム」 という語を用いている。

(I.Mezirow,op.cit.,pA6.)

27)ゴッフマンは、社会的相互作用を組織化し、支配する状況の共有された定義に言及するために 「フレー

ム」という用語を用いている。「フレーム」は、社会的相互作用のコンテクス トやその中での理解や振

る舞いの仕方を我々に伝えてくれる。メジロ-は、諸フレームは、パラダイムと違って暗黙である意味

パースペクティブを集合的に維持していると述べる。(J.Mezirow,op.cit.,pp.46-47.)

28)無意識に組み入れられていく意味パースペクティブに言及するために 「イデオロギー」という言葉を

使う著者もいるが、メジロ-は、「イデオロギー」という言葉を、ゆがめらて、集合的に用いられた社

会言語学的な意味パースペクティブを意味する際に特別に用いている.(J.MezirLOW,Op.Cit.,p.47.)

29)I.Mezirow,op.cit"p.61.

30)ibid.,p.47.

31)ibid.,p.47.(ベイ トソンの文献では、G.Bateson,StepstoanEcologyofMl'nd,Chicagoand

London,2000,(OriginallyPress1972),pp.187-189,(佐野良明訳 『精神の生態学 (改訂第 2版)』薪思

索社、2000年、pp.270-272.)にあたる。)

32)G.Bateson,op.cit=p.187.(邦訳p.270.)

33)J.Mezirow,op.°it.,pp.48-49.

34)G.Bateson,op.cit.,p.186.(邦訳p.269.)

35)ibid.,p.180.(邦訳p.262.)

36)ibid.,p.186(邦訳p.268.)

37)ibid.,p.289.(邦訳p.394.)

38)ibid.,p.280.(朔訳p.383.)

39)J.Mezir・ow,op.cit"p.89.

40)ibid.,p.90.

41)ibid.,p.90.

42)G.Bateson,op.°it.,p,293(朔訳p.398.)

43)I.Mezirow,op.cit.,pp.90-91.

44)ibid.,p.91.

45)G.Bateson,op.citリpp.303-304.(邦訳pA12.)

46)J.Mezirow,op.cit.,p.94.

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