The Jew of MaZta...The Jew of MaZta における聖書への言及と諺...

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The Jew of MaZta における聖書への言及と諺 一一第一幕を中心として一一 I 19 The Jew 01 Malta を,“farceoftheoldEnglishhumour:thet rriblyse- rious evensavagecomichumour"としたのは T.S.Eliot であった 彼の 指摘するように,作品の持つ不合理とも思える笑劇的性質と共に,その合間 に見え隠れする鋭い現実意識は この作品の大きな特徴をなしているといえ る.作者 Marloweは,旧約聖書ヨブ記を背景に据えながら p 当時の社会の 現実を,巧みに織り込むことによって,作品に立体感を持たせようとしてい るのである.時代は,中世との連続性を断ち切れずにいた Christian Humanism への反動から,個人主義・現実主義の台頭著しい頃であった.中 世から受け継がれたキリスト教のモラルは, 16 世紀という時代の変化の中で, 押し寄せる現世主義の波の前に,変貌を余儀なくされていた 2 作品の作り だす笑いとは,こうした価値観の対立の中に生ずるアイロカニカルな笑いで あると言えよう. 作品が,最初の 2 幕の後,その雰囲気に変化が生じ,後半,メロドラマへ と転向してしまうことは,多くの批評家の指摘するところである 3 劇の前 半において繰り広げられる韻文の豊潤さや人物の心理描写の妙は,後半のめ まぐるしい筋の展開の中で,失われてしまう.従来の批評に,こうした後半 における作品の展開をとおして,キリスト教徒の偽善を指摘したものは数多 4 しかし, Marloweは,前半における登場人物の科自の裏にも,様々 な工夫を凝らしている.そのひとつに,諺の使用が挙げられよう.作品の中

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The Jew of MaZtaにおける聖書への言及と諺

一一第一幕を中心として一一

勝 山 貴 之

I

19

The Jew 01 Maltaを,“farceof the old English humour: the t巴rriblyse-

rious, even savage comic humour"としたのは T.S.Eliotであった 彼の

指摘するように,作品の持つ不合理とも思える笑劇的性質と共に,その合間

に見え隠れする鋭い現実意識は この作品の大きな特徴をなしているといえ

る.作者 Marloweは,旧約聖書ヨブ記を背景に据えながらp 当時の社会の

現実を,巧みに織り込むことによって,作品に立体感を持たせようとしてい

るのである.時代は,中世との連続性を断ち切れずにいた Christian

Humanismへの反動から,個人主義・現実主義の台頭著しい頃であった.中

世から受け継がれたキリスト教のモラルは, 16世紀という時代の変化の中で,

押し寄せる現世主義の波の前に,変貌を余儀なくされていた 2 作品の作り

だす笑いとは,こうした価値観の対立の中に生ずるアイロカニカルな笑いで

あると言えよう.

作品が,最初の 2幕の後,その雰囲気に変化が生じ,後半,メロドラマへ

と転向してしまうことは,多くの批評家の指摘するところである 3 劇の前

半において繰り広げられる韻文の豊潤さや人物の心理描写の妙は,後半のめ

まぐるしい筋の展開の中で,失われてしまう.従来の批評に,こうした後半

における作品の展開をとおして,キリスト教徒の偽善を指摘したものは数多

い 4 しかし, Marloweは,前半における登場人物の科自の裏にも,様々

な工夫を凝らしている.そのひとつに,諺の使用が挙げられよう.作品の中

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20 The Jew 0/ Maltaにおける聖書への言及と諺

でf吏用される諺の数は実に多く,主人公 Barabasの科白だけを取り上げて

も, 30近くの諺があてられている. しかもその 3分の 2が,前半に集中して

いるのである.そしてこの劇の前半において駆寵される諺は,聖書への言及

とあいまって 9 その裏に Marloweの巧みなアイロニーを伝えている.

この小論では,従来の批評においては,あまり取り上げられることのなかっ

た,諺の使用に焦点を絞り,諺と聖書への言及を登場人物の科白の中に辿り

ながら,そこに潜む作者のアイロニカルな視点を探ってゆきたい.この点で,

l幕 l場及ぴ2場における諺と聖書への言及は,作者の鋭いアイロニーを秘

めているという点で重要で、あるため,あえてここで,そのふたつの場面のみ

を取り上げるものである.

E

諺の分析に入る前に,作品の背景をなす旧約聖書ヨブ記との関連を,いま

一度確認しておくことが必要で、あろう.作品の中では繰り返しヨプ記への言

及がなされ,ヨブとは逆の運命を辿る Barabasの姿カ〈対照的に描かれて

ゆく.

1幕 1場,舞台上に姿を現した B丘rabas¥土,観客を前に己の商いの様子

を得得と語り始める.彼の商いは,地中海世界のみならず¥遠くはインドに

まで及ぶ大規模なものであり,その取りヲlき相手も,スペイン人,ギリシア

人,アラビア人,ムーア人など多種多様な人種を包含している.そうした彼

の数多い取引き相手の中に,ウヅ(“Uz")の人々の名が挙げられる この

ウヅこそ,旧約聖書において,ヨブ記の舞台とされる地であり,ヨブ記は

“There was a ma in the 1互dof V z called Io b(I.l)"なる一節から始まる

Barabasの口にするこのウヅの地名は,観客の心をヨフ、記への連想、へと結び

つけてゆく.

ヨブ記では,神の与えし試練に苦しむヨブのもとを 3人のユダヤ人が訪

れているが, Mar¥owをの作品にも 3人のユダヤ人が登場する.彼らは,為

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The Jeω0/ Maltaにおける聖書への言及と諺 21

i&者 F記rnezeから全財産の没収を言い渡された Ba日 basに向かつて,ヨブ

を思い出し,苦難に耐え忍ぶようにと,慰めの言葉をかけるのである

(I.2.180)。しかし9 そうした友の言葉に, Barabおは激しく反発する.彼は,

聖書に記されたヨブの財産項目を数え挙げながら,ヨブよりも自分の方が金

持ちであると,高言してはばからない(1.2 .182-91) .自分の財産が,ヨブ

をはるかに上回るものである以上 自分こそヨブの嘆きにふさわしい者であ

るという.

So th乱tnot h巴‘ but1 m丘ycurse the day,

Thy fatall birth.d昌y,forlorn巴 Barabas;

And henceforth ¥¥アishfor品工1eternall night‘

Thιt clouds of darkeness may inclose my flesh‘

And hid色 theseextreme sorrow己sfrom min巴町出。(1.2.191-95)

この B旦rぬおの嘆きは,旧約聖書の中におけるヨブの苦悩の叫ぴと対応す

るe ヨブ記 (m. 1-10) には,次のように記されている.

Afterward 10b opened his mouthe、旦ndcursをdhis day.

And 10b cryed out,品ndsaid‘

Let thεdaye perish, wher巴in1 was borne.

Let y day be dark巴n巴s,let not God regarde it from aboue, nether let

the light shine vpon it,

But let darkenes. & the shadowe of death stむneit: let the cloude re-

mallle vpon lt

B巴causeit shut not vp th巳 doresof my mothers wombe: nor hid

sorowe from mine ey白

この科白をはじめ, Marloweは,次々とヨブの言葉を取り入れながら

(1.2.196-8及ぴ207),舞台上に荷者の姿を重ね合わせてゆく.

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22 The Jew of Maltaにおける聖書への言及と諺

しかしヨブと Barabasの決定的な相違は,前者が試練に耐え,信仰を貫

くのに対して,後者は決然と運命に反逆してゆく点にある. Barabasは,神

に怒りをぶつけて言う,“You partial1 heavens, have 1 deserv' d this plague?

(1.2.259)"彼は己に与えられし災いを,神の御心として受け入れようとはし

ない.むしろ神を呪い,復讐を胸に誓うのである.

No, 1 will1ive; nor loath 1 this my life:

And since you leave me in the Ocean thus

T 0 sinke or swim, and put me to my shifts

I'le rouse my senses, and awake my self‘(1.2.266-69)

己の不幸を,神の与えし試練として,受けとめるのではなく,逆に,神への

憎悪をあからさまにする Barabasは,ヨブとは対極をなす人物といえる a

このような民ヨブ的人物 Barabasを通して描かれる作品の逆展開が,劇全

体の大きな流れを形作ってゆくのである.

劇の結末は,こうした Barabasの運命にふさわしい.罪を重ねた彼は,

自らの策略にはまり,大釜の中へと落ちる.この結末を物語るかのように,

ヨブ記には悪しき者の最後が,次のように記されている.

The steppes of his stregth shalbe restrained, and his owne counsel

shal cast him downe.

F or he is taken in the net by his feteラ&he walketh vpon the snares. .

A snare is laid for him in the grounde, & a trappe for him in th巴 way.

(X珊.7-10)

まさに, Barabasの最後を思わせる一節である.図像学的な立場から考える

と, Barabasの釜落ちは,彼の地獄落ちを意味するものであろう.中世以来,

多くの木版本,ステンドグラス,壁画などが地獄の釜で、焼かれる罪人の姿を

今に伝えている.エリザベス朝演劇の舞台も,この伝統的な地獄の描写を受

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The Je~り 0/Maltaにおける聖書への言及と諺

け継いでいたと考えられるブ

大釜の中で Bar旦basは,勺yεlife,flye soule, tongue curse thy fill and

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dye. (5.5.89)"と断末魔の叫び、をあげる.まさに, ヨブの妻の言葉“Blas-

pher町 God,and dy巴 (II.9)η のとおりヲ Bar丘basは9 反ヨブ的人物にふさわ

しい最後を迎えるのである.作品はヨブ記を土台とする,ある撞のパロデイ

であるといえよう.

しかし, 1恥 Je7J..'01 Maltaを9 単なる反ヨブ的人物を主人公トこした, ヨブ

記の裏がえしの物語としてのみ捉えることは誤りであろう_ Bar旦bぉは,

神に背いたが故に,罰を受ける人間とし寸解釈だけでは 9 説明できない部分

を持つ人物である. 1幕 1場において,諺を駆便して語られる Barabasの

科白には,作者の鋭いアイロニーが潜んでいる@

劇の冒頭9 市長場で金勘定を Lながら Barabasは言う,、stheir wealth in-

cr合aseth,so (men of judgement) inclose Infinite riches in 昌 little

room邑 (11.36-7)" T illeyァは, これを“Gr巳atworth is ofte立 foundin things

of small勾 pear四回(iniittle boxes) (i;V'921)勺なる諺として掲げている 8

まさに,この諺に象慢されるかのように, B灯油出は自分の部屋にいながら

にして9 世界の財宝を手中に収めるのである. しかし,同時にこの一節は,

キリスト教的な意味あいをも含んでいる_ G.K.Hunt巴rによれば, Donneの

詩をはじめ,多くの説教の中でこの一節が取り上げられる時,それは聖母の

子宮に宿るキリストを意味するという Bar丘basのいろ物賞的意味は,こ

のキリスト教の精神的意味と激しく対立する

Bar呂bas(土,こうしたユダヤ人である自分の経済的成功を,神に約された

ものだとしている.“Th巳se呂rethe Blessings promis'd to the Jewes, And

herein was old Abrams happinesse: (11105~6)'' 彼にとって,創世紀に記

されている,アブラハムの子孫の繁栄とは 9 物質と結ぴついた現世的至福の

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24 The Jew of Maltaにおける聖書への言及と諺

意味でしかない.更に,彼は己の生き方を正当化して言う,

Who hateth me but for my happinesse?

Or who is honour'd now but for his wealth?

Rather had 1 a J ew be hated thus,

Then pittied in a Christian poverty: (1.1.112-5)

引用部分の,最初の 2行に見られる対匂表現からも,明らかなように,

Barabasにと・つての幸福(“happinesseつとは,富(“wealth") と同意語と

考えられている.彼はこの世で金銭のみを頼みとし,それを有することが,

人間を幸福にすると信じて疑わない.

しかし,一見すると, Barabas自身の考えを述べたに過ぎないように思わ

れるこの科白には,諺的表現が含まれている. Tilleyには,“Whois hon-

our'd now but for his wealth?"と,全く同じ形は挙げられていないものの,

似た内容を示す諺は数多い.例えば, "He that nothing has nothing shall be

set by. (N270)"や“Thepoor have few friends. (P468)"などは,同じような

内容を言い当てたものであろう.こうした多くの類似の表現が存在すること

から,この一節もまた諺的表現と考えられる.更に,引用後半の 2行は,

Prologueにおける Machevilの科白“Letme be envy'd and not pittied!

(Pro.27)"を連想させる.これらはいずれも“Betterbe envied than pitied.

(Tilley, E177)"との諺を踏まえたものであって, Barabas はこの諺を使っ

たMachevilの科白を,キリスト教徒とユダヤ教徒の関係に置き換えながら,

巧みに言い換えたのである.

続けて, Barabasはキリスト教徒の偽善を非難する,

F or 1 can see no fruits in all their faith,

But malice, falshood, and excessive pride,

Which me thinkes fits not their profession

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The Jew 01 MaZtaにおける聖書への言及と諺 25

Happily some haplesse man hath conscience,

And for his conscience lives in beggery. (1.1.116-20)

最後の 2行もまた諺的表現であり, RW.Dentは,“Conscienceis for beg-

gars.(varied). (C601.l)"の形を掲げている 10 用例の中には, Marloweか

らの引用と共に, ]onsonの Volpone官 youhave conscience-ー, 'Tis the

beggers vertue.(3.7.211)"や Shakespeareの RichardlU “It (= conscience)

beggars any man that keeps it.(1.4.141)"などが引かれていることから,か

なり広く使われていた表現であることがわかる.

もちろん Barabasが,諺を多用するのは,自己を正当化してゆこうとす

る術策に過ぎないのかもしれない.しかし,諺によって支えられている彼の

主張の中には,否定し難い世の中の真実がある.諺というものが,生きた思

想として庶民の中に深く溶け込んだ、教訓である以上,劇を観る者は, Bara-

basの科白の中に,現実社会の声を聞かされるはずである.

こうして自分の富を誇り,己の生き方こそ正しいのだと豪語する Barabas

のもとに,総督 Fernezeからの召喚の知らせが届く.彼は, 一抹の不安を

感じながらも,自分の取るべき道について語って言う.

How ere the world goe, I'le make sure for one,

And seeke in time to intercept the worst,

Warily garding that which 1 ha got

Ego mihimet sum semperρroxz.mzι5. (l.1.186-9)

Tilleyは,“Everyman for himself.(M112)"を,諺として収録しているが,

用例として 2Henry l1から“Forme, 1'11 make shift for onε(4.8.33)."をヲ!

いている.この例を見ても,上記引用の 1行自“I'11make sur巳 forone"は,

諺的表現であることが類推される.引用最終行のラテン語の起源は古く,

H.S.Bennettによれば, Terenceの Andriaからの誤った引用であるとい

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26 The Jew 0/ MaZtaにおける聖書への言及と諺

う 11 Tilleyは,これが Erasmusの Adagiaにも記されていることを指摘

しているがp 様々に言い換えられながら使われたものらしく,これと対応す

る英文の諺として“1am nearest to myself.(N57)"を載せ, Marloweのこの

部分を挙げている a いずれにしても,時代を経て変わることのない人間性に

言及したものであろう.

Morloweは,こうした諺を巧みに Barabasの科自の中に挿むことにより,

B旦r出品Sの存在乞観客により近づけているといえる.世の中の真実や,人

間の本質を言いあてた諺を通して,誰もの心の奥にある Barabas的要素が

言及されるのである Barabasはもはや単なる反ヨブ的人物としてではな

くヲ当時の風潮を体現する時代の落とし子として,舞台の上に存在する.こ

こに,この作品がヨブ記の逆畏聞を示す物語という枠経だけでは,おさまり

きれない理由がある.作品は背景に旧約聖書の世界を据えながら,当時の社

会に対するアイロニーを前面に押しだしてくるのである.

N

作品が,単なるヨブ記の逆畏開に終始するものでないことは,そこに描か

れているキリスト教徒の姿からも伺い知れる.劇世界において, Barabasを

取り巻くキリスト教徒たちもまた,欲にかられた偽善者にすぎず, Barabas

同様,神に背く者なのである. 1幕 2場における,キリスト教徒 Fernez巴

らによるユダヤ人糾弾の場には,そこで使われる聖書への言及や諺をとおし

て,その背後に Marlow巴特有のアイロニーが隠されている.

トルコは, 10年という歳月の間に,滞っていた貢ぎ金の支払いを,マjレタ

に要求してきた.対応に窮した Fernez巳は,それを異教徒であるユダヤ人に,

肩代わりさせることを企む.そんなキリスト教徒の卑劣なやり方に,激しく

反発する Barabasであるが,逆に F日r孔ezeの令官策にはまり,全財産の没収

を言い渡されてしまう い15theft the ground of your Religion?(1.2.95)"と

の非難を浴びせる Bar油 asに対して, Ferneze I土次のように返答する.

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The Jew 0/ Maltaにおける聖書への言及と諺

No, Jew, we take particularly thine

To save the ruine of a multitude:

And better one want fora common good,

Then many perish for a private man: (l.2.96-9)

27

引用最後の 2行は, “Better one die (p巴rish,suffer) than all. (Ti1ley,042)"

なる諺である. Ferneze は,この諺を51いて,公益の為には Barabasひと

りが犠牲になるのが望ましいと公言する.世のならわしとも言える諺の力を

借りて,自分の行為を正当化しようとする Fernezeである.

しかし,同時にこの Fernezeの言葉は,新約聖書の中の記述を連想させる.

マタイ伝 (X咽.12) において,イエスは迷わないでいる99匹の羊より,迷

いでた 1匹の羊を捜しに出かける人について語っている.イエスは言う“So

is it not the wil of your Father which is in heauen, that one of these lit.

leones shuld perish.(X VlU .14)"諺によって,自己の主張の正当性を説いた

Fernezeの科白は,この聖書の記述と対立する.

更に, Til1eyによれば,この諺は,ヨハネ伝(XI.50)における大司祭カヤ

パの科白に由来するという.そこでカヤパは,イエスの死を指して言う,

“it is expedient for vs, that one man dye for the people, and that the whole

nacion perish not."キリスト教徒 F叩 lezeの科白は,その原典において,

反キリスト教徒の科白だ、ったのである.世の常たる諺を使って,自己を正当

化して見せる Fernezeへのアイロニ}を Marloweは彼の科白の裏に潜ま

せている.

Fernezeに続いて騎士の口からも Barabasに対する侮蔑の言葉が語

られる.彼は Barabasの災難を,自分たちキリスト教徒の過ちではなく 9

"thy inherent sinne (1.2.109)"だと言う.マタイ伝 (XX唖.25) に見られる

ように,ユダヤ人がイエスを十字架にかけたことへの言及で,新約聖書にのっ

とったユダヤ人批判である.

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28 The Jew of Maltaにおける聖書への言及と諺

これに激怒した Barabasは,すかさず反駁する. “What? bring you

Scriptur巴 toconfirm your wrongs? (1.2.110-11)"この科白は, Tilleyにも

収められている 'Thedevil can cite Scripture for his purpose. (D230)"なる

諺に基づいている. Till句も指摘するとおり,マタイ伝(町 5-6) には,

悪魔がイエスを宮の頂上に連れてゆき,聖書の言葉を31いて,神の子なら飛

び下りることができるはずだと挑発する場面が記されている Barabas

の使った諺は,聖書の中のこの挿話に由来しているのである.騎士の非難を,

悪魔の所業に警えようとするあてこすりがここにはある.騎士が新約聖書を

ひきあいに,ユダヤ人を非難したのに対し Barabasもまた新約の記述に

言及して,アイロニカルに反論したのである. Barabasの反論は続く.

Th日 m在nth丘tdealeth righteously shalllive‘

And which of you c旦ncharge me otherwise? (1.2.116-17)

1行自は,旧約聖書の中に繰り返し現れる思想、で,ヨブ記 (N.7)“who

evεr p巴rishedbeing an innocさげ orwhere were the vpright destroied?"をは

じめとし寵言 (X.2又は XII. 28) などに見い出せる.更に続く 1行は,

新約聖書にあるイエスの言葉との連想、を生む a ヨハネ伝(珊.46) には,次

のようなイエスの言葉が記されている. “Which of you can rebuke me of

sinne ?"カヤパを思わせる Fernez巳の科白との関連から, Barabasのイエス

を真似たこのひと言は効果的である. Barabasは このように聖書の中の

言葉を最大限に利用して キリスト教徒をやりこめてゆく,

こうした Barabasの反撃に対して Fernezeも黙ってはいない.またし

ても彼は諺への言及によって, Barabasの食欲を非難して言う, “Exc巳ssof

w巴althis c丘useof covetousnesse: And covetousnesse, oh 'tis a monstrous

sinne.(1.2.123-4)" Fernezeの科白は,諺“Covetousnessis (Riches且re)

the root of all evil. (T illey‘C746)"を踏まえて Bar品basの金銭に対する

倉欲を諌めたものである.テモテへの第ーの手紙(Vlι10) には, “For the

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Tlre Jew of Maltaにおける聖書への言及と諺 29

d巴sireof money is the roote of all euil."と,食欲の罪深さが説かれている.

しかし,そう言う Fernezeもまた,すべては己が財産を守るための口実で

しかない.騎士同様,聖書によって,自分の行為を正当化しようとしている

のである Barabasの言及した“Thedevil can cite Scripture for his pur-

pose."なる諺は,ここにもあてはまる.

いよいよ窮地に立たされた Barabasは,財産を奪ったうえは命まで奪う

気かとキリスト教徒たちに詰めよる. しかし,これに答えて Fernezeは言

う,“No,Barabas, to staine our hands with blood is farre from us and our

profession. (1.2.144-45)"この科白は,イエスを裁くピラトの姿を訪併とさ

せる.マタイ伝 (XXVII. 24) には,イエスを十字架につけるよう要求する

群衆を前にしたピラトの様子が,次のように記されている.“WhenPilate

sawe that he且uailednothing, but that more tumulte was made, he tok巴 W且-

ter and wasshed his hands before the multitude, saying, 1 am innocent of

the blood of this iust man: loke you to it."科白をとおして,舞台上の Fer-

nezeの姿に,ピラトの姿がだぶってくる.

このように,聖書への言及や諺を使って戦わされる両者のやりとりの中で,

キリスト教徒たちの科白は,その背後に反キリスト教的響きを備えている.

異教徒を弾圧するキリスト教徒たちの姿に,イエスを滅ぼそうとする者たち

の姿が重なるのである.登場人物たちの科白はすべて,ある種の緊張感をもっ

てMarloweの意図的と思われるアイロニーを盛りあげてゆく Fernezeと

Barabasの聞で交わされる,こうしたやりとりの後で,次の Barabasの言

葉は一層アイロニカルである.

Governor. Content thee, Barabω, thou hast nought but right.

Barabaコ,. Y our extreme right does me exc巴edingwrong: (1.2.152-3)

Fernezeの言う「正義(“right")Jの言葉をうけた Barabasの返答は“Ex-

treme right (justice) is extreme wrong (injustice, injury). (Tilley, R122)"な

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30 TheJe切 ofMaltaにおける聖書への言及と諺

る諺である.まさにこの諺からも明らかなように,キリスト教徒たちの言う

「正義」の裏に隠された偽善が浮かび上がる.彼らもまた, Barabasと同様,

真の正義とはほど遠い人間たちなのである.

V

作品は,状況の設定をはじめ,科白の 1語 1句に至るまで,旧約聖書ヨブ

記をその背景としている.そして Barabasは,聖書の中の人物とは全く違っ

た生の選択をして,罪を重ね,地獄に落ちてゆく人間なのである.食欲とい

う罪悪に染まり,神に背を向けて破滅する異教徒の姿は,当時のキリスト教

モラルの世界において,当然の定めと言えるであろう.

しかし,劇の前半における Bar且basは,単に罪深き異端者という類型だ

けでは,捉えきれない人物として,舞台上に存在する.彼の科白の中に埋め

込まれた,数多くの諺は,社会への,更には人間の本質へのアイロニーをは

らみながら,そこにひとつの時代の風潮を体現する人物を,造りだしている

のである. Barabas は,旧約聖書の世界を描く聖書劇の中の人物で、はなく,

現実の時間を生きるひとりの人間として,観客の前に現れる.

こうした作者の意図を,一層,確かなものにするのは, Barabasを取り巻

くキリスト教徒たちの科自に隠された,反キリスト教的響きであろう.まさ

にl幕2場に展開される異端告発の場は,観る者にイエス糾弾の場を連想さ

せんばかりの,ある種の緊張感を持って Marlowe特有のアイロニーを盛り

上げてゆく.作品の中に挿入された聖書への言及や諺は,互いに響き合い,

影響し合いながら,登場人物の科白ひとつひとつに,重みをもたせているの

である.

しかし,これらの諺や聖書への言及の裏に隠された作者の巧みなアイロ

ニーも 2幕の半ばあたりから,徐々にその威力を失い,劇はアクションの

展開を中心に回り始める 12 作品の後半, Barabasの人物像からは,その

アイロニーに富んだ人間的魅力が脱落し,彼はまさに,道穂劇に登場する

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7百eJew 0/ Maltaにおける裏書への言及と諺 31

Viceを思わせるような怪物へと,変貌するのである.こうした変化は,ひ

とつには Marloweが,観客に定評ある昔ながらのドラマツルギーへと,戻っ

ていったために生じたとも考えられなくはない 13 しかし,別の捉え方を

するなら,作品の筋の展開の中で,キリスト教徒,なかでも修道僧たちの偽

善を,益々露骨に描くことにより Marloweは,もはや Barabasの科白に

託して,秘められたアイロニーを伝える必要を,感じなくなったのかもしれ

ない.

いずれにしても,劇世界ではキリスト教徒も異教徒も,共に現世主義の亡

者であり,この世の欲望の沼に露く,愚かな人間たちであることに変わりは

ない. Marloweの意図したのは,単にキリスト教倫理の外側に生きた異教

徒の破滅の物語ではない.むしろ,そうした倫理観の中に生きながら,常に

現世欲に駆られ,己のためのみに生きてゆこうとする人間たちに対する,更

には,そうした世の中に対するアイロニカルな笑いであろう.旧約聖書のパ

ロディとして,ヨブ記の逆展開を描いた物語は Marloweの鋭い人間観を

とおして一層複雑なパロディ的様相を呈しているといえる.

劇の中において, Calymathの命を受け Fernezeのもとを訪れた使者の

言葉は,こうした劇全体を包み込んでいる風潮を象徴するかに思える.諺

(Tilley,W441) によって“Whatwind drives you thus into Malta rhode?

(3.5.2)"と,儀礼的な挨拶をする Fernezeに,使者は,機知をきかせて返答

する,“Thewind that bloweth all the world besides, Desire of gold."まさ

にこの風こそ,登場人物たちの心の中を吹き抜けてゆく風なのである.作品

は,ヨブ記のパロディをとおしてキリスト教的モラルを措くように見えなが

ら,そこにはより深いアイロニーが秘められている.

i主

1 T.S.Eliot, SeZected Essqys (London: Faber and Faber, 1932), p. 123.

2 Hiram Haydn; The Counter-Renaissanα(N ew Y ork: Charles Scribner's Sons,

1950)

3 M.C.Bradbrook, Themes and Conventions 0/ EZizabethan Tragedy (London: Cam

Page 14: The Jew of MaZta...The Jew of MaZta における聖書への言及と諺 一一第一幕を中心として一一 勝 山 貴 之 I 19 The Jew 01 Malta を,“farce of the old English

32 The Jew of Maltaにおける聖書への言及と諺

bridgUniversity Press, 1935), p. 156.

Bernard Spivack, Shakespeare and t.ルAllegoηIof Evil: The History of a Metaphor

in Relation to His Major Villains (New York: Columbi.a University Press, 1958), p.

348

4 M

Inc., 1950), p. 74

5 Christopher Mar1owe, The Jew of Malta, 1ム4,in The Complete Works of Chris

topher Marlowe, ed. Fredson Bowers (London: Cambridge University Press,

1973), p. 264.以下 TheJew of Maltaからの引用はすべてこの版によるものとし,

未尾の括弧内にその行数を示す.

6 The Geneva Bible : A Facsimile of the 1560 Edition (Madison: The University of

Wisconsin Press, 1969), p. 222.以下聖書からの引用はすべてこの版によるものと

し,未尾の括弧内にその行数を示す.

7 G.K.Hunter,“The Theology of Mar1owe's The Jew of Malta," J,四 T叩 1of t.ル

Warburg and Courtauld Institu加, xxvii(1964), p. 235

8 M.P.Tilley, A Dictionary of the Proverbs in England in the Sixteenth and Seven-

teenth Centuries (Ann Arbor, Mich.: Univ. of Michigan Press, 1950)

9 G.K.Hunter, p. 221

10 R.W.Dent, Shake.再;peare'sProverbialLanguage (Berkeley: Univ. of California

Press, 1981)

11 H.S.Bennett, The Jew of Malta and the Massacre at Paris (New York: Gordian

Press, 1966),p. 48

12 M.C.Bradbrook, p. 156

13 Bernard Spivack, p. 348