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RYU SEKI 永昌院寺報 第7号 (平成 21 年8月)

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永昌院寺報 第7号 (平成21年8月)

法 灯 連 綿

渓声山色(けいせいさんしょく)

平成21年の盆の季節となりました。檀信徒の皆様益々ご清祥のことと存じます。

昨年の500回忌法要の余韻がまだ残る永昌院の境内も、少しずつ平静を取り戻してまいり

ました。

500回忌を迎えたご開山第一世様は「龍の化身」と言い伝えられているお方であり、晩年

に朝廷から「神嶽通龍禅師」の称号を賜りました。この寺を取り巻く、龍の胴体になぞら

えられる巨大な一枚岩の上に、武田信玄公曾祖父、信昌公のお名前である「永昌院」を頂

き、「山を龍石といい、寺を永昌と号す」(菊隠録)として永昌院の歴史が開かれました。

境内の西側に見え隠れしていたこの岩を、開山堂、本堂、書院、庫裡の全ての建物から

目の当たりに出来るよう、法要の直前までをかけて庭の大改修をいたしました。

新しく成った本堂の外廊下からその様子がよく見て取れるようになり、さらに庫裡に六

連のふすま絵として描かれた禅宗の祖師、達磨大師の長くたなびく衣の袖は、静かに歴史

を刻み続ける江戸時代からの石積みを伝って龍の岩肌に目を誘い、500年の時の流れに身を

委ねさせてくれるようです。

今しばらく時間はかかることでしょうが、皆様方から頂いた浄財を基に少しずつ境内の

整備を続けて参りたいと思っております。

道元禅師は「みねのいろ たにのひびきもみなながら わがしゃかむにのこえとすがた

と」(傘松道詠)と詠まれました。

檀信徒の皆様にはどうか折に触れてご来山いただき、ご開山、信昌公、ご先祖様へ感謝

の誠を捧げながら、自分に向き合う一時を過ごされますようお勧め致します。

合掌

永昌院住職 堀内正樹

お盆・棚経の予定

8月13日(木) 午後・矢坪

14日(金) 午前・小田屋、落合、上岩下、春日居

午後・石和、甲府、正徳寺、万力

15日(土) 午前・加納岩、山根

午後・日下部、後屋敷

曹洞宗の名前の由来

由来は、8世紀の初め頃の中国の禅僧洞山良价(とうざんりょうかい)の「洞」とその

弟子である曹山本寂の「曹」をとって「曹洞」としたと言われております。

曹洞宗 大本山 永平寺のこと

山号は、吉祥山、寛元2年(1244年)、高祖 承陽大師 道元禅師により開山、開基は鎌

倉幕府六波羅探題波多野義重公。ご本尊は、釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来。寺号の由来

は中国に仏法が伝来した後漢明帝の時の元号「永平」からで、「永久の和平」を意味する。

曹洞宗 大本山 總持寺のこと

山号は、諸嶽山、奈良時代、行基により能登国櫛比(現在の輪島市)に諸嶽寺として創

建。平亨元年(1321年)總持寺と改名。明治44年(1911年)横浜鶴見に移転。ご本尊は、釈

迦如来。

道元禅師遺偈(ゆいげ)

五十四年 照第一天 五十四年、第一天を照らし、

打箇� 跳 触波大千 このぼつちょうを打して、大千を触波(そくは)す。

� いい

渾身無覓 活陥黄泉 渾身もとむることなく、活きながら黄泉に陥落つ。

<五十四年の間、ひたすら第一天を照らし(ひとすじに仏法を求め)、

飛び跳ねて宇宙の果てまで駆けめぐった(正伝の仏法とめぐりあった)。

ああ、

いきながら黄泉に陥ろうとも、もう何も求めることはない>

遺偈…最後の心境を語った漢文詩

経蔵(きょうぞう)

(山梨市指定有形文化財)

江戸時代、寛政3年(1791)に建立された土蔵

造りの建物。内部は「輪蔵」という八角形の回転

式書架になっており、8個の書庫には1344冊の「黄

檗版一切経」が収容されている。

シリーズ永昌院の文化財(その四)

経蔵の外観

経蔵内部(輪蔵)

〒405-0036山梨県山梨市矢坪1088

TEL0553-22-2179 FAX0553-22-2107

http : //www.fruits.ne.jp/^eisho/

発行 平成21年8月1日

発行人 堀内正樹 編集人 永昌院檀信徒総代会広報部会 発行部数500

銅鐘保存堂(旧観音堂)

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