r枕; =...

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『 枕草子』 章段を物語論 一「枕草子」中の成信 威信の 中将は、入道兵部卿の宮の御子にて 心ばへ もをかしうおはすo r 枕草子」「 威信の 中将は( 二七七段) 」の 癌初の1 にある通り、入道兵部卿の 宮-村上天皇の 皇子四品兵部卿で あ 致平親王の 次男で ある 成倍は、長保三 年二〇〇二二 月四日 、二 十 三歳の 若さで出家した。このことは、藤原行 成の 日記r椎記」に、 椎中将先少将相共夜行'干今未帰参'有出家之疑云々 、 等とあり、詳しい 。 r 枕草子」 中、 威信は四車段に登場する。「 今の内森の東をば( 九段) 」 「 威信の中将こそ( 二五九段) 」「 大蔵卿ばか-( 二六〇段) 」「 成信の 中将は( 二七七段) 」であるo定子サロンの 周関を取 巻-L i Z 公子と して'藤原斉信や藤原行成等と同じ様に措かれていると捉えられがち r 枕; = i 子j「 威信の中将は」群段を物 品として読む- 同免水 同免木 であるが'威信には他の君達の殆ど 賛評の ための 踏み 台にされる 姿」「 滑 る姿」が描かれていないのである.r 枕草 うに描かれているのか、まず見てい く。ただし、 清少納言の過去の夫である橘則光とは除外する。 藤原斉借は、r 枕草子」自賛評のうちで特に有名なもの 中将の、すずろなるそら言を聞きで( 七八段) 」において' 錦帳下」「 草の庵を誰か尋ねむ」という応酬によって清少納言に した出来事が沓かれている。また、「 故殿の御ために( 二二 〇段) は'「 などか'まろを、まことに近-かたらひたまはぬ」等 、清少 納言ともっ と親し-な-たい とい うことを語らう描写がある。 藤原行成は、 清少納言に「 負けた」というわけではないのだが' 「 二 月' 官の司に(一二八段) 」 、 「 頭弁の、 職にまゐ-たまひて(一 三l 段) 」 「 五月ばか-、月もなう二三二段) 」で'それぞれ清少納言と構知溢 れる応答を交わし、彼女への 賛辞を他の人にまで広める役割を担っ て いるoまた「 職の御曹司の西面の立蔀のもとにて( 四六段) 」では、 「 伸 よしなども人に言はる。かくかたらふとならば、なにか恥ずる。見え

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『枕草子』「成信の中将は」章段を物語論として読む

「枕草子」中の成信

威信の中将は、入道兵部卿の宮の御子にて'容貌いとをかしげに、

心ばへもをかしうおはすo

r枕草子」「威信の中将は

(二七七段)」の癌初の1文である。ここ

にある通り、入道兵部卿の宮

-

村上天皇の皇子四品兵部卿であった

致平親王の次男である成倍は、長保三年

〇〇

二月四日、二十

三歳の若さで出家した。このことは、藤原行成の日記

r椎記」に、

椎中将先少将相共夜行'干今未帰参'有出家之疑云々、

等とあり、詳しい。

r枕草子」中、威信は四車段に登場する。「今の内森の東をば

(九段)」

「威信の中将こそ

(二五九段)」「大蔵卿ばか-

(二六〇段)」「成信の

中将は

(二七七段)」であるo定子サロンの周関を取り巻-LiZ公子と

して'藤原斉信や藤原行成等と同じ様に措かれていると捉えられがち

r枕;=i子j「威信の中将は」群段を物

語品として読む-

同免水

同免木

であるが'威信には他の君達の殆どに見られるような、「清少納言自

賛評のための踏み台にされる姿」「滑少納言に特別な好窓を寄せてい

る姿」が描かれていないのである.r枕草子jにおいで彼らがどのよ

うに描かれているのか、まず見ていく。ただし、中開自家の人々と'

清少納言の過去の夫である橘則光とは除外する。

藤原斉借は、r枕草子」自賛評のうちで特に有名なものの1つ

「頚

中将の、すずろなるそら言を聞きで

(七八段)」において'「蘭省花時

錦帳下」「草の庵を誰か尋ねむ」という応酬によって清少納言に完敗

した出来事が沓かれている。また、「故殿の御ために

(二二〇段)」で

は'「などか'まろを、まことに近-かたらひたまはぬ」等と、清少

納言ともっと親し-な-たいということを語らう描写がある。

藤原行成は、清少納言に

「負けた」というわけではないのだが'「二

月'官の司に

(一二八段)」、「頭弁の、職にまゐ-たまひて

(一三

l段)」

「五月ばか-、月もなう

三二段)」で'それぞれ清少納言と構知溢

れる応答を交わし、彼女への賛辞を他の人にまで広める役割を担って

いるoまた

「職の御曹司の西面の立蔀のもとにて

(四六段)」では、「伸

よしなども人に言はる。かくかたらふとならば、なにか恥ずる。見え

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岡山大学大学院社会文化a:学研兜科紀要硫二十九号

(〓0

1〇三)

などもせよかし」と'

清少納言の頻が見たいと言い

'清少納言に断ら

れるとその場では諦めるものの、数年後に目的を果たすという描写が

あり'特別な好悪が描かれていると言える。

源経房は'「頭弁の'職にまゐりたまひて

(二二1投)」で、清少納

言と行成との応酬を褒め、また

「思ふ人の、人にはめらるるは、いみ

じううれしき」と'清少納言を

「思ふ人」と呼んでいることから、好

意を抱いていると言えるだろう。

源宣方は

「所中将のーすずろなるそら音を聞きて

(七八段)」にお

いて、清少納言に串の次第を伝え、彼女を褒め称える役割を担ってい

る。また、「改段の御服のころ

(t五六段)」では、斉信と清少納言が、

男女の仲を碁に替えて暗号のように語らっている仲間に入りたがった

り、滑少納言が斉倍の朗詠する

「いまだ三十の期にをよばず」という

1節を称やすれば、それに負けない朗詠が出来ると言い張ったりと'

斉信よりも清少納言と親しくなりたいという気持ちが明確に描かれて

いる。

他に'二つ以上の車段に名が登場する君達は'源道方と源頼定が居

るが'道方は

「御仏名のまたの日

(七七段)」「故澱の御服のころ

(1

五六段)」に'頼定は

「にげなきもの

(四二段)」「五月ばかり、月も

なう

(二二二段)」に、それぞれ名前のみの登場であるので、ここで

は措-。また'例外として藤原実方が挙げられるが、別名に譲る。

成信が登場する

一つ日の単段は

「今の内裏の東をば

(九段)」であるo

威信が昔言ったことを括少納言が党えており'成億に

「もの忘れせぬ」

と言われたという話で、自賛霧に含まれる。

「成信の中将こそ

(二五九段)」は、成億がどんな小声でも人の声を

聞き分けられる人間であることを清少納言が称詐している。

「大蔵卿ばかり

(二六〇段)」は、二五九段と対になった牽段である。

大蔵卿ばかり耳とき人はなし。まことに、蚊のまつげの落つる

をも聞きつけたまひっべうこそありしか。

磯の御曹司の西面に住みしころ、大殿の新中将、宿直にて'も

のなど言ひしに'そばにある人の'「この中将に扇の絵のこと言へ」

と、ささめけば、「今、かの君の立ちたまひなむにを」と、いと

みそかに言ひ入るるを'その人だにえ聞きつけで、「なにとか

'

なにとか」と耳を傾け来るに、速く居て、「にくし。さのたまはば、

今日は立たじ」と'のたまひしこそ、いかで聞きつけたまふらむ

と、あさましかりしか。

「人の声を聞き分ける」威信と、「耳が良い」大蔵卿藤原正光では似

ているようで少し違う。二五九段では声を聞き分ける事の出来る威信

が称賛されていたのに、二六〇段では清少納言の内緒蕗を聞きつけた

正光は

「あさましか-しか」という評価を下されてしまっている。ま

た、「この中将に扇の絵のこと言へ」は、r全諦枕草子」に代表される

「成倍に扇の絵のことを言え」とそのまま

「l亨っ」ととる説と、角川

ソフィア文庫に代表される

「威信に扇の絵を頼んで」ととる説とがあ

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る。成僧が絵を描く技術に捷れていたということを記す文献は無いよ

うである。

「成倍の中将は

(二七七段)」は、r枕草子」中でも難解な車段とし

て有名である。

成億の中将は、入道兵部卿の宮の御子にで、容貌いとをかしげ

に、心ばへもをかしうおはす。伊予の守兼缶が女忘れて'親の伊

予へ辛て下-しほど'いかにあはれなりけむとこそ'おぼえしか。

暁に行-とで'今宵おはして'有明の月に帰りたまひけむ直衣姿

などよ。

まずは右のように、威信と兼資の娘の別れを描-

(ここまでの冒頭部

を仮に

「A」とする)。その後、

その君'常に居て、もの言ひ、人の上など'わるさはわるLなど

のたまひしに、

と、ここまでは成信についての描写なのだが、そこから

「平」という

名の'笑いものにされている女房の話に移ってしまう(ここまでを「B」

とする).

一旦は威信と

「平」が

l晩中話しこんでいたという件につ

いて語り'成億に告が戻ったと思いきや'威信の出番はここまでであ

(「C」とする)、

r枕草子J「成伯の中将は」中段を物語昔として淀む-

伺免木

利加

D

雨の日に尋ねて-る男は借用ならないという話

E

雨の日自体が気に入らないという話

F

それにひきかえ月の夜は趣深-'つまらない

rこま野の物語Jも

月によって昔を思い出し

「もとみしこまにLとやってきた描写は

良かったという話

G

やはり雨の降る臼にわざわざやってくる男はつまらない、「交野

の少将もどきたる落窪の少将」は面白いが、足を洗ったのは憎い

という話

H

筈の夜に殿方が訪れるのが素晴らしく'「忘れめや」と咳きなが

ら忍んでやってくるのなどは音うまでもないという話

1

月の明るい夜に

「あらずとも」とのみ沓かれた文を月明かりで荒

んでいた人のいたのは面白かったが、雨の日にはそんなことはで

きまいという話

と、ここまでを

一章投とする。「威信の中将は」と始まりながら、威

信に関係するのは

「平」と話していた件までなのである。

本箱では、「威信の中将は」から、「直衣姿などよ。」までの'二七

九段冒頭部

(「A」)を中心に'本章段における威信の物語的描写につ

いて述べてゆく。

「忘れて」と

「忘れで」

安藤婚治「「威信の中将は」の段冒頭部の物語的叙述をめぐって-r枕

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岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第二十九号

(二〇

1〇三)

草子」の1側面-

」(註

では本段について'

この章段の本文、原形は垣-て序章部分の

「威信の中将は」に始

まって、「有明の月に帰り給ひけむ直衣姿などよ」で終わってい

たかも知れない。

としている。また、この序章部分について'

成信回想は'有明の月のイメージを中心に暁の美や後朝の別れを

描いて、いかにも物語の習作めいた趣を呈しているのが看て取れ

る。

とも述べているO物語めいている理由の一つに、「r枕草子」上で語ら

れる清少納言」-

r枕草子]登場人物としての清少納言が描かれてい

ないことも挙げられよう。滑少納言自身がその有明の別れに同伴する

はずもないから'「暁に行-とて、今宵おはして、有明の月に帰-た

まひけむ直衣姿」も当然清少納言は見ていないのである。自身の固有

一回的体験としてでな-'読み手も共有できる架空に近いものとし

て威信を描こうとする姿勢が見える。

「伊予の守兼資が女忘れて」の部分は、注釈啓によって

「忘れて」

と括音でとるものと、「忘れで」と

「て」を濁音化してとるものとが

ある。後者は

「忘れないで」という意味であるから、解釈は前者とは

全-逆になる。「忘れで」を採る萩谷朴

r枕草子解現」(註二)では、

本段の序章が、当初から成僧を動作主主語として構成されてい

る上に、清少納言はその成信を

「容貌いとをかしげに、心ばへも

をかしうおはす」と絶賛することから始めているのであるから、

その威信が兼資女を見捨てたという挿話をまず紹介していると見

ることには、甚だしい違和を感ぜざるを得ない。むしろ成信は兼

資女に愛宕を抱き続けていたのに、生木を割くように二人の仲が

引き裂かれたので'兼資女との別れを惜しんで帰る威信の直衣姿

が殊に印象的だったと、酒少納言は言いたいのではあるまいかと

いう、人情の自然に立脚した反省が求められるわけである。(五・

1四八頁)

とし、また岩波新大系では、

「忘れて」だと「心ばへもをかしう」と調和しない、というので「忘

れで」と読む解がある。いずれにしても落ち着かぬ表現で'「む

すめ忘れて」と

「親の伊予へゐて-だりし」との並列と見てお-O

成信が女を

「忘れ

(別れ)し」時がー親が

「ゐて-だりし」時で

ある、という読み方。(三

一二頁)

として

「忘れて」を採るO角川文庫等、他の注釈番でも

「忘れて」が

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多いようだが、小学館新編全集は

「忘れで」を探っている。前掲安藤

論文では、r枕草子解現Jと岩波新大系とを挙げた上で'

さらに、増田繁夫氏のそれは、

捨てた妻のもとに'最後の別れをLにいったもの。成信のや

さしさをいうO(和泉古典叢啓Ⅰ)

と'三者三様それぞれに示唆的な言説を披渡しておられる。この

中では、とりわけ増EB繁夫氏の

(捨てた妻のもとに'叔後の別れ

をLにいったもの。威信のやさしさをいう)(傍点、準者)とさ

れた'言説は敬妙である。解釈上'それはないように思われもす

るがtLかしそれも物語のある場面を念頭に置いてなされた言説

と見れば、話は別である。六条の御息所の伊勢下向に際して、源

氏が食後の別れをLに出かけた物語場面など、おのずと想起され

よう

(源語

・野木の巷)。

というようにtr源氏物語Jを例に挙げ'増田説を

「物語のある場面

を念頭に置いてなされた言説」としている。清少納言自身にも物語へ

の意接があるとするならば、例えば

r伊勢物語」六三段が思い起こさ

れよう。「心なさけあらむ男」にめぐり逢いたいと願う母の為に、息

子が業平を連れてきたという話である。息子の話に心を動かされて1

度は女と契った業平だが'それ以降は女のもとに姿を見せない。女が

業平の家に来て垣間見している姿をみつけ、薬平は女の家へと出かけ

r枕草子】「庇信

の中将は」中段を物語岳として謹む-

同免水

利加

るそぶりを見せる。女は慌てて自分の家へ戻り藻でいたが'素平が

向に訪ねて来ないため、「さむしろに衣かたしき今宵もや恋しき人に

あほでのみ寝む」と詠む。物陰からその梯子を覗いていた業平は女を

あわれに思い、その夜は女と共に過した。

この段の虫後に、

世の中の例として、思ふをば思ひ'恩はぬをば恩はぬものを'こ

の人は思ふをも'恩はぬをも'けぢめ見せぬ心なむありける。

とされてお-、「恩はぬ」女にも区別することな-情をそそぐ業平の

姿と、「忘れ」てしまった女である兼資の娘の伊予下向に際して、別

れを青いに出向-成倍の姿が重なる。

しかし油少納言は'このように1度別れておきながら、都を稚れる

際には別れを告げに来るような、気まぐれな愛情を嫌っている素振り

r枕草子」中で見せている。しかもこの

「威信の中将は」段の中で

である

(D部分)。

つとめて、例の廟に人のもの言ふを開けば、「雨いみじう降る

をりに来たる人なむ、あはれなる。日ごろおぼつかなく、つらき

こともありとも、さて濡れて来たらむは、薫きことも曹忘れぬべ

し」とは、などて言ふにかあらむ。さあらむを、昨夜も'昨日の

夜も、そがあなたの夜も、すべてこのころうちしきり見ゆる人の、

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岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第二十九号

(二

〇1〇三)

今宵いみじからむ雨にさはらで来たらむは、

なは1夜も隔てじと

思ふなめりと'あはれなりなむ。さらで、日ごろも見えず、おほ

つかなくて過ぐさむ人の、かかるをりにLも来むは'さらに心ぎ

しのあるにはせじ、とこそおはゆ九。人の心々なるものなればに

や。

或る人が'「普段は音沙汰が無-て不安にさせる人でも'雨の激し-

降る日に訪れてくれたなら、辛いことも全て忘れてしまう」と言って

いるのを

「何故そんなことを言うのだろう」と不審に思っている。毎

夜毎夜訪ねてきて-れる人が、雨の激しいEIにも来て-れるならば、

「1夜も軽れまいと思っているのだ」と情趣を感じるであろうが、雨

の日にだけ来るのは愛惜があるからとは言えまいという主張である。

その後で、

しげくも見えぬを'「なはさるいみじかりLをりに来たりし」など、

人にも語り継がせ、ほめられむと思ふ人のしわざにやO

と、頼紫に違いに来るわけでもないのに、「さるいみじかりLをり」

-

特別な串情の時だけ訪れるのは'自身の行為を誰かに林野された

いと思うからするのだろうと述べている。兼資の姐の伊予下向の前夜

など、典型的な

「さるいみじかりLをり」とl亨える。

一皮

「忘れて」

しまった女なのに'都を敗れる時だけ別れの挨拶を述べに行-。この

ような態度を清少納言が好まないということを述べているからこそ'

「忘れで」と採る注釈が存在するのであろう。

rこま野の物語」と

「落窪物語」

しかし、ここで述べられている

「さるいみじかりLをり」にしか訪

れない男に対する嫌悪感は'実際の恋愛においてのことであろう。物

語と現実では'見方も変わってくるのが普通であり、分けて考察する

必要が有る。三度tr威信の中将は」段から引-

(F部分)。

こま野の物語は、なにばかりをかしきこともな-、言葉も古めき、

見所多からぬも、月に昔を思ひいでて'虫ばみたる煽煽取り出で

て'「もとみしこまに」と首ひて尋ねたるが、あはれなるなり。

月の夜を称えている箇所中の一文である。rこま野の物語Jは'惹か

れるところもなく、文章も今風でな-'見所はそう無いのだが'月に

より昔を思い出して'虫食んだ扇を取り出し、「もとみしこまに」と

口ずさみながら訪ねて-るところが情趣深いと述べている。これとよ

-似たことは'「物語は

(二〇

一段)」でも述べられている。

こまのの物語は'古煽噴きがし出でて、持て行きしが、をかしき

なり。

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「こま野の物語」は散逸物語であり、概要を知ることは出来ないが'「威

信の中将は」段と

「物語は」段で述べている箇所は同じと考えてよい

であろう。「成信の中将は」段で述べている内容から察するに'括少

納言は

「こま野の物語」自体はあま-評価していなかったようである

が'それにも拘らず

r枕草子」中に二回もこの場面を挙げ、「あはれ

なるな-」「をかしきなり」と称賛しているのであるから'よほどこ

の場面を愛していたことがうかがわれる。

「威信の中将は」段で引かれる

「もとみしこまに」は、「古今和歌六

帖」「後撰和歌集」には読み人知らず、「大和物語」では平兼盛詠とし

て載る歌、「夕やみは道も見えねど古里はもと来し駒にまかせてぞ来

る」を踏まえたものとされる。詞番も、r後撰集Jでは

「思ひ忘れに

ける人のもとにまか-て」、r大和物語Jでは

「越前権守兼盛、兵衛の

君といふ人に住みけるを、年ごろ離れて、また行きけり。さてよみけ

る、」というように、忘れていた女のもとへ行って詠むという詠歌事

情もよ-似ている。また、元の歌が

「もと来し駒に」であるのを

「も

とみしこまに」と変えてある理由については、宇島正雄

「煽塙と駒と

昼寝の物語

-散逸

rlJまのの物語」をめくる断章-」(証三)に'

「もと見し駒に」の本文は、能田本では

「もと来し駒に」とあり、

そのほうが引取としてはよく

一致する。しかしながら'「こまの

の物語」では

「月に昔を思ひ出でて」女を訪うことになるのであ

r枕草子」「威信の中将は」群段を物語論として読む-

同免水

るから'引歌の

「夕陶は

(夕されば)道も見えねど」とは異な-、

道中、月明かりのもと駒をすすめるはずである。その点からはー

能EEZ本のかたちの引用では、かえって物語本文と引歌との間に配

筋が生ずることとなり、「もと見し駒に」と言い換えた三巻本の

かたちのほうが、引歌全体とつきすぎないということでは、無難

であるように思われる。

とされている。従いたい。

「虫ばみたる煽嬉」がどのような役割を物語中で果たすかは定かで

ないが、「さがし出でて、持て行」--らいであるから、男君の通う

女君との思い出の品であろう。堀部正二r中古日本文学の研究j(註四)

ではこの場面について、

煽蛎又は扇は、当時にあって度々長の別牡や旅立の際の形見とし

て取交はされる風習があった。或は'又連ふ日までのか-そめの

別れに手渡されることも多-t

と述べtr源氏物語]「花宴」巷での光源氏と既月夜を具体例として挙

げている。「又連ふ日までのかりそめの別れ

(傍点、引用者)」に手渡

されたはずのその扇が「虫ば」むほど長い間'男君は女君のもとへ通っ

ていなかったのである。それが、月を見て

「昔を思ひ」出したからとI

「もとみしこまに」任せてやってくる。これは'清少納言がつい先は

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岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第二十九号

(1101〇

三)

と糾弾した'

気まぐれな愛情を見せる男ではあるまいかDしかし清少

納言は

「あはれなるなり」と称賛しているのである。晴少納言は、物

語の中ならば'このように気まぐれな'しかし

「あはれ」で

「をかし」

い男君を好んでいるのである。

rlJま野の物語Jについて触れた後には、今度は

r落窪物語」の男

君が登場する

(G部分)。

交野の少将もどきたる諮窪の少将などは、をかし。昨夜、

l昨日

の夜もあ-しかばこそ、それもをかしけれ。足洗ひたるぞ、に-

きOきたなかりけむ0

両の降る中を、三夜連続で落窪の姫君の元へ通った男君は

「をかし」

と褒められるO清少納言が前の箇所で褒めた、「毎夜通って-る男」

なのだから褒められて当然であるoLかし、せっか-褒められた男君

も'すぐ後で

「足洗ひたるぞ、に-きoきたなか-けむ。」と皮され

てしまう。「きたな」いという物語の登場人物に有るまじき状態が、

晒少納言の頑に障ったのだろう。三日夜の男君は、衛門骨の行列に行

きあい、道端の尿の上に座る羽目に陥っているのである。男君の従者

である帯刀は

「かかる雨に'か-ておはしましたならば、御志を思さ

む人は、勝香の香にも嘆ぎなしてまつ-たまひけむご

と言い、事実

落窪姫君も男君の訪れを喜ぶのだが、清少納言にはその理論は通じな

かったようだ。

清少納言にとって物語の登場人物とは'美しくあらねばならぬ存在

である。r枕草子」中に何度もそれは強調されているO

桜の綾の直衣の、いみじう花々と、裏のつやなど'えも言はずき

ょらなるに'葡萄染のいとこき指耳、藤の折枝おどろおどろし-

織り乱-て、紅の色'うちめなど、輝-ばかりぞ見ゆるo白き、

薄色など'下にあまた重な-た-。狭き緑に、片っ方は下ながら、

すこし旅のもと近う寄り居たまへるぞ、まことに絵に沓き'物語

のめでたきことに言ひたる、これにこそは、とぞ見えたる。(返

る年の11月廿よ8

・七九段)

大納言殿のまゐ-たまへるなりけ-o御直衣'指貫の紫の色、雪

に映えていみじうをかLo(中略)「道もなしと思ひつるに、い

で」とぞ御答へあるoうち笑ひたまひて、「あはれともや御覧

るとて」などのたまふ御有様ども、これよ-何ごとかはまさらむ'

物語にいみじう口にまかせて吉ひたるに違はぎめ-と、おはゆ.

(宮にはじめてまゐ-たるころ

七九段)

現実ならば称賛されることをしていても、物語の男君であるからには、

物語らし-あってもらわねば許されない。それが清少納言の物語観な

のだ。

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色好みと物語の男君

BC部分、特にBは、「成信の中将は」炭をキ解にしている大きな

原因と言えよう。

Bの盤後に

「御前わたりも'「見苦し」などおはせらるれど」とい

一節があるが'「御前」が清少納言の仕えている貴人'即ち中宮定

子であることは間違いない。故にこの箇所は

「中宮も

「見苦しい」と

仰られているが」と解釈している注釈啓が虫も多い。しかし前掲

r枕

草子解環」では、「御前わたり」を

「中宮のいらっしゃる場所へ参上

する」と解釈Lt「おはせらる」の動作主を成倍としている。そうす

ることで'この長いl文の始まりであった

「その君、常に居て'もの

書ひ'人の上など、わるさはわるLなどのたまひしに」が活きて-る

という解釈である。「「平」が中宮の元へ参上するのは見苦しいと成信

が仰られた」という訳になる。しかし'「おはす」+尊敬の助動詞

「ら

る」を用いた最高敬語が、権中将であった威信に用いられるのは不自

然ではないだろうか。r枕草子」中の

「おはす+らる」の用例を調べ

たところー

清少納言1定子

四八例

(地の文)

清少納言1

一条天皇

(地の文)

暗少納言

-・藤原道隆

(定子の父)

二例

(地の文)

女房-定子

二例

(会話文)

定子

1円融院

二例

(全篇文)

r枕JJ・子j「成ほの中将はJti投を物語岳として設む

-

同免水

侍の者ども1藤原道隆

1例

(会話文)

将少納言1村上天皇

l例

(地の文)

伊周

(定子の兄)1定子

一例

(会話文)

定子1

一条天皇

一例(会話文)

藤三位1

1粂天皇

一例

(会話文)

清少納言1昔おはしましける帝

一例

(地の文)

平生昌1清少納言

一例

(会話文)

主殿寮1藤原斉信

1例

(会話文)

藤原億軽1油少納言

t例

(会話文)

般後の三例が

「皇族以外に用いられている例」であるが'全て会話文

であること、また平生昌と藤原僧経は清少納言の横転によって逝り込

められた後であるため'大袈裟な表現を用いたという可能性が高いこ

とから'「「見苦し」とおはせられ」たのは定子であると結論づけたい。

では、「その君'骨に居て、もの言ひ'人の上など、わるさはわる

Lなどのたまひしに」は、どの部分に係るのであろうか。それは、「「平」

という兵部と、成信が二人で夜を明かした」という

「C」の部分であ

ろう。常に清少納言の元へ通い、人の悪い部分は悪いと断罪していた

成倍はー「平」のことも

「わるきはわるLなどのたましっていたのだ

ろう。その

「平」と

「暁まで言ひ明しで、輯」った威信は'清少納言

「この君、いとゆゆしかりけり。さらに'寄りおはせむに、もの音

ほじ。何ごとを'さは言ひ明すぞ」と笑われる。

この箇所については、「平素から悪口を言っている兵部と夜明かし

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岡山大学大学院社会文化科苧研究科紀要軒二十九号

(二〇l

)

話し込むなど盲動不

1敦な態度を'

清少納言は不快に感じたのである。

(前掲萩谷朴

r枕草子解環」五

・1七El頁)」、「「人の上など'わるき

はわるLなどのたまひし」威信であるのに~その悪口を言っていた相

手の女性と'結構如才な-語らい明かしてみせる社交人であることに、

清少納言は苛立っているのである。(三田村雅子「枕草子

表現の論理」

l五頁

(証五))」、「ここでは互いに特別視しあっていたはずの成信

と兵部との1夜における会見に作者の

「炎切られた」という動揺は隠

しきれない。(佐々木美栄子

「枕草子

「成倍の中将は」の段の一考察」)

(註六)」等と言われているが'清少納言は本気で威信を

「いとゆゆし

かりけ」る君だと思い、「さらに'寄りおはせむに、もの言はじ。」と

考えているのだろうか。だとしたら

r枕草子」中で威信が

l許して好

ましく描かれていることと矛盾が生じてしまうO

清少納言が

「いとゆゆしかりけ」る君云々と

「舌ひ芙」ったことに

注目したい。会話文の内容だけを見れば本当に不愉快に思っていると

読みたくなるが、清少納言はこの言糞を

「笑」いながら言ったのであ

る。不快な気分もな-はなかっただろうが、「威信だから仕方ない」

と言ったような余裕がそこから読み取れるのではないだろうか。

ここでもやは-tr伊勢物語」第六三段の

「思ふをも'恩はぬをも、

けぢめ見せぬ心なむあ」ると書かれた業平が重ねられる。また'r枕

草子」中にも、色好みな男を理想像の1つとして持っていたらしい節

が見受けられる。

男は、女親亡くな-て、男親のひとりある'いみじう巴へど'

心わづらはしき北の方いできて後は'内にも入れたてず、装束な

どは'乳母'また故上の御人どもなどして'せさすo西、東の汁

のほどに客人居などtをかしう、界風、障子の絵もー見所ありて

住まひたり。殿上のまじらひのほど'-ちをしからず人々も思ひ、

上も、御けしきよくてー常に召して'御遊びのかたきにおはしめ

たるに'なは、常にもの嘆かし-世の中、心にあはぬここちして、

好き好きしき心ぞ、かたはなるまであべき。

上達部の、またなきさまにもてかしづかれたる妹

一人あるばか

りにぞ'思ふことうちかたらひ、慰めどころなりける。

二九九段である。誰か特定の人物について語るというよ-は、物語

の登場人物を紹介するような沓きぶりであり、r源氏物語」の男君と

の相似性についても触れられている牽段だ。「好き好きしき心ぞ、か

たはなるまであ」る男君は、恋物語の主人公に相応しい。

故に、「平」と威信の過した

一夜については'威信の色好みな面を

描写するためにあると考えたい。

引取

この章段には'三か所に引歌表現が登場する。

1つ目は本箱第三節

「こま野の物語」と

r落窪物語亡

で引用した

「もとみしこまに」、

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二つ目が本文

Hの

「忘れめや」、最後が本文

-部分の

「あらずとも」

である。男が女のもとへ向かう時、あるいは男から女

への文に使われ

ており、物語的な雰同気を酸し出している。

「「忘れめや」など、ひとりごちて

(H部分)」は、雪の日に訪れる

男の描写である。この

「忘れめや」がどの和歌の一部を引いたもので

あるか'説が定まっていない。境も有力なのが、r万葉集」および

r古

今和歌六帖]巷四に載る笠女郎の'

わが命

生けらむ限-

忘れめや

いや日毎には

思ひますとも

(古今六帖

一〇〇〇)

のようだが、「雪」と直接関係しないことが錐とされる.他に挙げら

れているのは'

秋山の

霜ふりおはひ

木の葉散る

年は経ゆれど

我廿叫州山村

(古今六帖

一八七七)

年ふとも

我封

叫叫刊

逢坂の

しののをすすき

老ひはてぬ

とも

(古今六帖

・三七

一二)

紅の

初花巣の

色ふかく

思ひし心

我材すれ叫刊

(古今

・恋

・七二三)

等であるが、いずれも

「雪」という吉葉は用いられていない。

それらを跨まえて、西排生「「忘れめや」など独りごちて-枕草子「威

信の中将は」の段における引歌」(註七)では、r家持典」に取る'

いもかいゑち

われまとはしっ

ひさかたの

あまきるゆきの

なへてふれ・は

四七)

r枕草子J「威信の中将は」単段を物語笛として読む-

伺免木

利加

への返歌、

いもかいゑち

われわすれめや

あしひさの

山かきくもり

きはふるとも

四八)

を引取として挙げている。さらに西氏は'

御所本で

「冬歌」という詞杏のもとに収められる

一連の升五首の

中に位置するこの歌は、現存する平安時代の勅撰集や私撰集に見

えず、清少納言がどのようにして自らの知識としたのか、不分明

なところである。

と述べられているが、はたして清少納言はこの

r家持集」

一四八番敬

を見ることが可能だったのであろうか。

島田良二

r平安前期私家集の研究し(証人)「大伴家持集」によるとt

r家持集Jの原型は源順の時代に編集された。ただし'家持個人の寡

集として編まれたのではな-'後宮歌人の要請に基づいて

r万葉集J

の訓読が始められ、その結果として主に後宮歌人のために簡便な万葉

集抄が編まれたのだというOr家持集」の原型は春

・夏

・秋

・冬

・雑

の部立から成り立

っており'それに出典不明の古歌集が後代に混じっ

たのだと考えられている。その中で'

1四七

・1四八の贈答歌は原型

の中に含まれており'順の時代に成った部分ならば清少納言も当然見

ることが可能であったと考えられる。可能性の最も高い歌と判断した

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岡山大学大学院社会文化科学研究件だ要都二十九号

(二〇

1〇三)

ただ

「あらずとも」と啓きたるを

(Ⅰ部分)の部分に関しては諸注

1致してtr拾遺和歌集」巻

二二に載る源信明

(証九)の

月の明か-ける夜'女のもとにつかはしける

恋しさは

同じ心に

あらずとも

今宵の月を

君見ざらめや

を引歌として挙げている。「あらずとも」という言葉の一致'また-

部分が

「月のいみじう明き夜」だという場面の一致から'妥当である

と考える。

六物語と威信と

なでしこ。菖蒲。桜。物語にめでたしといひたる男、女の容貌。

二段、「絵に描き劣りするもの」で挙げられている事柄であるO

括少納言にとって物語の登場人物とは、実際に形にすることが不可能

であるほビー美しい存在であった。それは外見だけに留まるものでは

なく、第三節の終わりで引用した

一七九段における中宮定子と伊周の

和歌を引用したや-とりのように'洗練された振る舞いもまた美質の

一つとして

「物語にいみじう口にまかせて言ひたるに迎はぎめり」と

称賛されている。「ふと心劣りとかするものは

(1八八段)」において

「物語などこそ、あしう杏きなしつれば'いふかひなく'作り人さへ

いとはしけれ。」としているのも'彼女の物語への期待の高さをうか

がわせる。物語の登場人物は洗練された言葉遭いをしていなければな

らないと考えるからこそ、その考えに違う例が現れると作者さえも

劣って見えるというのであろう。そのような物語観は'「威信の中将は」

段の随所に見ることができる。

「威信の中将は」段の冒頭に戻ろう。威信は

「容貌いとをかしげに'

心ばへもをかしうおはす。」と称賛される。物語の主人公として必要な、

契観を備えていることが分かる。次に、「伊予の守兼資が女忘れて、

親の伊予へ率で下りしほど、いかにあはれなりけむとこそ'おぼえし

か。」と、兼資のむすめに別れを述べに行ったことを

「いかにあはれ

なりけむ」と述べている。これは、rこま野の物語Jの

「もとみしこ

まに」の場面についての感想

「あはれなるなり」と同じ

「あはれ」ち

のである。そして、「暁に行くとて、今宵おはして'有明の月に帰り

たまひけむ直衣姿などよ。」と、有明の頃の男君という'物語にいか

にも登場しそうな場面を描いて'冒頭部分は終わる。威信が'物語の

男君として読まれるよう、注意を払って描写されていることが分かる0

「威信の中将は」段は、物語の主人公としての成億を描きながら、だ

んだんと

「物語の登場人物の在り方」へと蟹の移っていった章段だっ

たのだろう。

「輝中将」と呼ばれながら突然出家した威信は、清少納言の中で物

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語の主人公として描くに相応しい人物だったのであろう。

r枕草子】本文引用及び単段番号は'石田穣二訳注

r枕草子」(角川

ソフィア文庫

1九七九年八月-

1九八〇年El月)に拠った。

註二

)「渡沢大学紀要」七

1号

二〇〇〇年

l二月

(二)同朋社出版

一九八

一年-

一九八三年

(≡)紫式部学会編

r源氏物語とその前後

研究と資料](武蔵野昏

1九九五年七月)所収

(四)教育図番株式会社

一九四三年

(五)有稀堂

一九九五年二月

(六)「国語国文論集

(学習院女子短期大学)」二七号

一九九八年三

(七)「文学史研究」三七号

一九九六年

一二月

(八)桜楓社

一九六・八年四月

(九)信明は

r三十六人歌仙伝」によると天禄元年に六十

一故で没し

ており、時代的に清少納言より先行しているため、彼女が知っ

ていたと考えて不蔀合は無い。

r枕!=i・i・」「紋日の中将は」FT投を初tdm丘として荒む-

同免水

利加