後期版『どちりなきりしたん』の改訂目的と表記の...

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後期版『どちりなきりしたん』の改訂目的と表記の工夫 鄭妓赫 1.はじめに 1600年に改訂された後期版『どちりなきりしたん』(以下後期本)は、前 期版『どちりいなきりしたん』(以下前期本)が大幅に改訂されたものである。そ の改定は小島幸枝(1983)により詳しく調査されているが、特にその表記面につ いて、「第一に、前期版に漢字で表記してある語が、後期版ではかな書きに、ある いはふりがな付き漢字にあらたまり、全体にいっそうひろい読者層のその理解の 容易に資するものとなっていることを指摘しうる。」(129頁)とされている。 漢字の知識があまりない読み手にとって、漢字表記された語が平仮名表記され ると読みやすくはなるが、必ずしも内容理解が容易になるわけではない。漢字仮 名交じり文では、漢字が語の識別や文節の区切りに役立つという基本的な機能を 担っているため、漢字が極端に少なかったりすれば、それらの利点が失われ結果 的に内容理解は難しくなる。その影響は和語より漢語が受けやすいが、それは日 本漢字音のバラエティのとぼしさによって同音語が生じやすいからである。 ところが後期本は前期本からの改訂にあたって、漢語の漢字表記まで多く平仮 名表記にしている。「どちりな」’)が当時のイエズス会において基本的な教義書 でひろい読者層を想定していたことを踏まえると、このような改訂には何らかの 理由があったと考えなければならない。 本稿では、後期本における平仮名表記の増加を手がかりにして、改訂の目的を 探るとともにそれに伴う後期本編者の表記の工夫を述べたい。 2.後期本における文字使用改訂の状況 2-1.文字連続の状況 前期本と後期本に共通するのは、漢字、平仮名、一部の符号を使用しているこ とや、おもに漢語、和語、本語(本稿でも大塚光信(1954)でいう「キリシタン 版国語書中に用いられた外国語」を本語とする。)の語種で構成されていることで ')ここでの「どちりな」は、本稿で扱う前期本、後期本、そしてローマ字本2種(東洋 文庫蔵「トチリイナキリシタン」(1592年刊)、水戸・徳川聞斉氏蔵「ドチリナキリシ タン」(1600年刊))を含めたものの意味である。以下、前期本、後期本を具体的にさ す場合をのぞいて、「どちりな」は四つの「どちりな」を含めた意味で使う。 -133-

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後期版『どちりなきりしたん』の改訂目的と表記の工夫

鄭妓赫

1.はじめに

1600年に改訂された後期版『どちりなきりしたん』(以下後期本)は、前

期版『どちりいなきりしたん』(以下前期本)が大幅に改訂されたものである。そ

の改定は小島幸枝(1983)により詳しく調査されているが、特にその表記面につ

いて、「第一に、前期版に漢字で表記してある語が、後期版ではかな書きに、ある

いはふりがな付き漢字にあらたまり、全体にいっそうひろい読者層のその理解の

容易に資するものとなっていることを指摘しうる。」(129頁)とされている。

漢字の知識があまりない読み手にとって、漢字表記された語が平仮名表記され

ると読みやすくはなるが、必ずしも内容理解が容易になるわけではない。漢字仮

名交じり文では、漢字が語の識別や文節の区切りに役立つという基本的な機能を

担っているため、漢字が極端に少なかったりすれば、それらの利点が失われ結果

的に内容理解は難しくなる。その影響は和語より漢語が受けやすいが、それは日

本漢字音のバラエティのとぼしさによって同音語が生じやすいからである。

ところが後期本は前期本からの改訂にあたって、漢語の漢字表記まで多く平仮

名表記にしている。「どちりな」’)が当時のイエズス会において基本的な教義書

でひろい読者層を想定していたことを踏まえると、このような改訂には何らかの

理由があったと考えなければならない。

本稿では、後期本における平仮名表記の増加を手がかりにして、改訂の目的を

探るとともにそれに伴う後期本編者の表記の工夫を述べたい。

2.後期本における文字使用改訂の状況

2-1.文字連続の状況

前期本と後期本に共通するのは、漢字、平仮名、一部の符号を使用しているこ

とや、おもに漢語、和語、本語(本稿でも大塚光信(1954)でいう「キリシタン

版国語書中に用いられた外国語」を本語とする。)の語種で構成されていることで

')ここでの「どちりな」は、本稿で扱う前期本、後期本、そしてローマ字本2種(東洋

文庫蔵「トチリイナキリシタン」(1592年刊)、水戸・徳川聞斉氏蔵「ドチリナキリシ

タン」(1600年刊))を含めたものの意味である。以下、前期本、後期本を具体的にさ

す場合をのぞいて、「どちりな」は四つの「どちりな」を含めた意味で使う。

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ある。一方、後期本の前期本と異なる点は、漢字表記に対する平仮名表記の増加、

振り仮名の使用、半濁音符の使用、一部本語の記号化である。

両文献の異なる特徴については小島(1983)で指摘されているので、それにゆ

ずり、本稿では後期本の漢字表記がどれほど減ったかをみるために、両文献の漢

字の含有率、漢字で始まる文節の出現率をみる。まず、両文献の漢字含有率をみ

ると以下のとおりである。

前期本:23.6%(8016/33928)後期本:10.3%(5015/48578)

これによると後期本の漢字含有率は前期本の1/2にも満たない。次に両文献の

漢字で始まる文節の出現率をみる。両文献の巻一から野村雅昭(1972)の方法に

従って得た文節数は、前期本402例、後期本470例である。これらの文節を「漢

字ではじまる文節」、「平仮名ではじまる文節」別に分けて示すと以下のとおりである。

前期本後期本

①漢字ではじまる文節:57.7%(232/402)37.0%(174/470)

②平仮名ではじまる文節:42.3%(170/402)63.0%(296/470)

上記で後期本の漢字で始まる文節37.0%は、前期本に比べ20.7%も低い。これ

は、中田祝夫・林史典(1982)で調査した延慶本『平家物語』から『蒼い時』『朝

日新聞』社説までの8種の文献の漢字で始まる文節の平均値60%~80%2)より

はるかに低い。

2-2.平仮名表記の漢語の大量使用

後期本における平仮名表記の割合の増加は漢語に多い。一般的に漢語が平仮名

表記されにくいのは、日本漢字音にバラエティがとぼしく同音語が生じやすいこ

とが考えられよう。しかし、後期本では多くの漢語を平仮名表記している。

後期本の平仮名表記のみの漢語は335語であり、漢字表記の漢語122語3)の

2.8倍である。なお、漢語の延べ語数をみると、平仮名表記のみの漢語が975例、

漢字表記の漢語が309例4)で、前者は後者の約3.2倍である。

漢語の多くの部分を平仮名表記に改訂した理由が出版事情にあった可能I性も

2)8種の文献は、延慶本『平家物語』(応永27移写、巻一・祇王の部分)、称光天皇哀

翰『論語抄』(南北朝原本応永27,巻一・頭初)、『四河入海』(応仁原本天文3,巻一・

頭初)、『学問のすすめ』(明治5年、頭初一頁)、『坊ちやん』(明治39年、頭初一頁)、

「日本国憲法」(昭和21年、前文)、『蒼い時』(昭和55年、頭初二頁)、『朝日新聞』

社説(昭和56、全体)である。

3)漢字表記の漢語122語(異なり)は漢字仮名混ぜ書きの漢語23語は除いて計算した。

4)漢字表記の漢語309例(延べ)は漢字仮名混ぜ書きの漢語67例を除いて計算した。

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ある。しかし、後期本出版の2年前(1598年)にはキリシタンの漢字辞書『落葉

集』が出版されており、出版元であるイエズス会は多くの漢字活字を保有してい

た。このような面から考えて、後期本における漢語の平仮名表記の増加は活字の

不足というよりは、後期本編者の方針に関わるものと推測される。

3.後期本『どちりなきりしたん』の改訂目的

2章をとおして、後期本において平仮名ではじまる文節が前期本に比べて20%

も増えていることや漢語の平仮名表記の増加を確認した。漢字表記を平仮名表記

にすることは、漢字が読めない人に読めるようにするためであったと推測される。

しかし、そうすることによって生じる内容理解のデメリットもある。本章ではそ

のデメリットまで甘受しながら平仮名表記を増やした理由を考えてみたい。この

問いは後期本編者の改訂の目的がどこにあったかを明らかにすることになる。

結論を先取りしていえば、それは漢字を平仮名表記にすることによって得られ

るメリット、すなわち、音読をしやすくするためであったと考える。

実際、フロイスの『日本史』(1596年頃成立、ポルトガルアジユダ図書館蔵・

ポルトガル海外史文書館蔵・リスボン国立図書館の「マカオ司教区史資料集」の

写本、本稿は中公文庫2000による。以下同様である。)には、音読と関連する「ど

ちりな」の使用についての記述が見られる。それは以下のとおりである。

平戸のドン・アントニオのかの島々に獅子というところがあり、そこの頭は

ディオゴというキリシタンであった。彼はレアノールという教名の二十三歳

くらいの婦人と結婚していた。(中略)すなわち彼女は、正直で慎み深く聡明

かつ敬虐だったからで、その地の頭の夫人であったにもかかわらず、毎日、

子供達に教理を教え、男子の悪習を非難し、女子にはデウスの教えに従って

夫とともに生活すべきことを教え、日曜日には教会で、守るべき祝日や斎日

を知らせ、キリシタンたちに、自分が持っている教理(ドチリナ)の声明文

を読み、病人達を慰め、争議を調停した。(133-134頁)

これは後期本を使ったということではないが、「どちりな」が一人で黙読され

たのではなく人の前で音読されたことを表す注目すべき内容である5)。

なお、人の前で音読された「どちりな」は、内容理解の次元をこえて暗唱する

ものとしても使われたことが、同じくフロイスの『日本史』の以下の記述をとお

して見ることができる。

5)「どちりな」のような教理書を用いた教理教育の方法について、川村信三(2003)

は、親鴛や蓮如によって行われた「談義本」の形式を、「真宗教義の民衆化を促進する

ために、問答体をとり、文字を読めない民衆に対しても平易な言葉で読んできかせる

ものである」(247頁)と述べている。

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子供たちの間では収穫は大きかった。というのは彼らは何事も巧みで行儀がよ

く、教わることには万事につけ受容能力があった。たとえば司祭(フロイス)

と修道士ジョアン・フェルナンデスが約一年滞在した、かの度島では、子供た

ちは毎日朝方ミサに与かりに来て、正午にもう一度やって来て、教会では修道

士を思わせるような謙虚な態度で教理(ドチリナ)を暗謂した。少年たちはミ

サ答えを心得ており、「パーテレ・ノステル」、「アヴェ・マリア」、「クレド」、

「サルヴェ・レジーナ」、デウスの十誠と教会の徒、諸聖人の連祷、聖母マリ

アの連祷、詩篇、聖霊と聖体の秘蹟の讃美歌、ミサの玄義の要約、御受難の出

来事を暗記していた。(157-158頁)

上記の記述をみると、子供たちは教理を覚えて唱えていたことが分かる。覚え

て唱えるためには、ある程度は内容理解も必要であろうが、なくとも可能である。

もし、教理を覚えて唱えることが第一の目的ならば、目で見てただちに声に出し

て読めることがまず必要とされるだろう。そのためには用意されたテキストが、

黙読や内容の深い理解にかかわるような漢字表記であるよりも、平仮名表記であ

った方が都合がよいわけである。つまり改訂にあたって平仮名表記が増加した理

由は、後期本がテキストの音読を目的としていたためということになる。

4°読みやすさのための後期本編者の表記の工夫

平仮名表記の増加によって、後期本は、平仮名表記の連続が増え、語の同定や

文節の区切りの点で前期本よりも読み難くなっていた。このような問題点を解消

するために後期本編者は表記上の工夫を行った。鄭舷赫(1998,1999,2004)

では、後期本編者の表記上の工夫について報告した。鄭(1998)では、ハ音やワ

音をあらわす仮名文字がかなり統一されていることを、鄭(2004)では濁音表記

がかなり忠実に行われていることを述べた。また、鄭(1999)では、後期本が前

期本に比べて仮名の使い分けに気を使っていたことを述べた。

本稿では、読みやすさのための後期本編者による表記の工夫だと思われる点を、

これまで報告しなかった観点からいくつか取り上げ、考察を加えたい。具体的に

は自立語における語頭の重点使用の減少や連続活字の使用、一文節が複数行にわ

たることを避ける積極的な行末の処理、振り仮名の使用である。以下、順に取り

上げる。

4-1.自立語における語頭の重点使用を減らす工夫

自立語・付属語の語頭の重点(本調査では「皇」)使用について今野真二(2001)

は次のように述べている。

語頭位置での重点使用と関連して「鎌倉期に書写された『源氏物語』古写本

群九○帖においては語頭位置での重点使用は当然幅はあるとしてほぼ重点使

用全体の十一%程度、室町期に写された連歌書六十一文献における同位置で

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の重点使用はほぼ三・八%程度であり、その推移は明らかである。後者では

同位置での重点使用をまったくみない文献数が十六に及ぶ。」(232頁)これは鎌倉期から室町期になるにつれて、語頭の重点使用が減ったことを意味

する。この現象は後期本において自立語語頭の重点使用にも見られる。以下に、

二文節に跨る同字連続の場合、前期本と後期本の自立語語頭の表記の例を示す。

実例を示す時、〈〉内の漢字は字母を意味する。〈幾1〉〈幾2〉は、字母は同じであるが、字形が異なることを意味する。

・前期本:全32例

①重点使用:11例例:科を蚤かし(67表12行)

②異字形使用:5例例:あしく幾1〉〈幾2〉りしたん(39裏9行)

③同一字形使用:8例例:くるすぐ遠〉〈遠〉そる畠(9表13行)

④異字母使用:8例例:奉るく累〉〈流〉人と(22裏10行)・後期本:全98例

①重点使用:3例例:がくしやたちの皇べをける(1裏4行)

②異字形使用:29例例:あしく幾1〉〈幾2〉りしたん(26表16行)

③同一字形使用:11例例:すなはく知〉〈知〉の(44表16行)

④異字母使用:55例例:さばとく仁〉〈爾〉くじき(32表6行)

上記の例を用いて両文献の自立語語頭の重点使用率をみると、前期本が34.4%

(11/32)であるのに対し、後期本は3.1%(3/98)で、前期本に比べてかなり低

い。なお、両文献の自立語語頭の異字母の使用率を調べると前期本は25.0%

(8/32)であるのに対し、後期本は56.1%(55/98)で、前期本に比べて高い。

要するに、自立語の語頭において後期本は前期本にくらべて重点より異字母をお

もに使っているということである。

一方、両文献の自立語・付属語の語中や語尾の重点使用をみると、前期本は全

150例、後期本は全313例中311例(異字母使用:2例)が、重点を使用してお

り、両文献ともにほぼ同一の傾向を見せる。

両文献の自立語語頭の重点使用にはかなり差が見られるが、自立語・付属語の

語中や語尾の重点使用にはあまり差が見られない。言い換えれば、前期本は自立

語の語頭、語中、、語尾のいずれにも偏りなく重点を使っているが、後期本は自立

語の語中、語尾と異なって、自立語の語頭に限って極端に重点の使用を減らして

いる。

読み手が文献を読んでいく時、重点の箇所では重点の'性格上、その直前の字と

同一字と判断しておもに一語扱いをする。しかし、重点と前の字との間に意味の

切れ目がある場合、一語扱いをして読んで行って誤読をまぬかれなくなる。この

ような時、後期本のように重点使用を語中、語尾に限定させ、語頭は重点使用を

減らして主に異字母を使うと、意味の切れ目があるところを一語扱いして誤読す

る可能性を減らすことができる。しかし、前期本は、重点を語頭にも語中、語尾

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のどちらにも使っているので、後期本のような効果は現れ難かったと判断される。

4-2.特定の語を限定させる連続活字の使用

連続活字は、キリシタン版国字本に小型活字が使用されるようになってから多

く登場する。こうした連続活字使用の理由について新井トシ(1959.3)は次のよ

うに述べている。

それは片仮名及び平仮名大型活字本印刷の経験によって、草書体の雅致ある

趣をよりよく表現するために多数の連続活字を用意したものでもあろうか。

勿論版下書きにも影響されること多大であり、一字づつ植字するより二字或

は三字連続のものをすることがより能率的であり、更に紙面の節約にもなる

ということなどが、連続活字発生をうながした一原因であろう。(51頁)

なお、連続活字の機能について、JamesⅧlliamBreen・豊島正之(2001)

は、『ぎやどぺかどる』上巻を用いて調査を行っている。それは以下のようにまと

めることができる。

①「合字の途中で自立語(文節)が開始する事は無い」事が保証されるので、

可読'性が向上する。

②合字活字では、連結がパターン化され、語としての認定がし易くなる。

(3-5頁要約)

上記の。aを後期本で確認してみると同一の傾向が見られる。そのため、本稿

ではさらに深く調査は行わないが、JamesⅧⅡiamBreen・豊島正之(2001)で

いう「連続活字のパターン化」による語の認定のしやすさを確認するため、以下

にいくつかの二字、三字の文字連続を取り上げ、連続活字の現れ方をみる。以下

の実例で、「・」は活字の切れ目、「・」のない部分は連続活字である。なお、括

弧内の数字は延べ語数、/は行変えを意味する。

①二字の文字連続

.あり-「あり[有]」(91)、「あり・く」(1)、「あり・あひ」(3)、「あり・がた

き」(1)

・いふ-「いふ[言]」(120)、「を・し・へ.と・い・ふ・ぎ・也」(1)

・ける-「ける」(7)、「を・ける」(1)

・さへ-「さへ」(4)

・する-「する」(84)、「も・つ・を/も・たす・る・事」(1)

・ぞや-「ぞや」(47)、「ぞ.や」(9)

・には-「には」(190)

「と.もに・は・から・ひ」(1)、「てん・た・さん・に・は・なし」(2)、

「御・しき・しん・に・は.なれ」(1)、「だ.う・り・に・は・づ・れ」

(1)、「や・は・ら・か.に・は・か・ら・ひ」(1)、「と.もに・は.つる」

(1)、「御・ち・に・は・な.れ」(1)、「と.もに・は・な.れ」(1)、「た.

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め・に・は・な・は・だ」(1)、「た・が・ひ・に・は・な・れ」(1)、「た.

に・は・だ.へ.を」(1)、「み・ち・に・は・づ・れ・たる」(1)

.にて-「にて」(113)

「み・ぎ・の.かた・に・て・を」(1)、「と.もに・て・き・た・い」(1)、

「や・う・に・てん・た・さん」(2)、「と.もに・てん・に」(1)、「か・

で・う・に・てん.に」(1)、「ぺ・に・てん・し・や」(7)

②三字の文字連続

・あにま-「あにま」(14)、「あ・に.ま」(28)

.ごとく-「ごとく」(197)、「こ・と.ごとく」(3)、「こと.ごとく」(1)

・ばかり-「ばかり」(5)、「ば・かり」(2)

上記から、連続活字をなるべく特定の語に用いようとする傾向が見られる。た

とえば、「には」「にて」の連続活字は、助詞専用として使われ、一定の語を表記

している。しかし、「には」「にて」と同一の文字連続でありながら、連続活字で

はない「には」「にて」は助詞として使われていない。つまり、「には」や「にて」

のような文字連続において、「には」「にて」の連続活字は、連続活字ではない「に

は」や「にて」と区別され、必ず助詞の「には」「にて」として使われるというこ

とである。

連続活字が一定の語をあらわすようになると、読み手は文献を読んでいくなか

で連続活字を一つの意味をあらわす語としてとらえることができ、内容理解に大

いに役立つようになったと考えられる。

4-3.-文節が複数行にわたることを避ける積極的な行末処理

後期本は、前期本に比べ行末と行頭の間に一文節が複数行にわたることを積極

的に避ける傾向がある。その実態をみるために、両文献ともに行変えをするとこ

ろまで文が続く行だけを選び、一文節が行をまたぐ率を調べてみると、前期本が

48.6%(797/1641)であるのに対し後期本は9.9%(120/1214)で前期本のわず

か約1/5である。

なお、江戸初期の古活字本国会図書館蔵『伊曾保物語』の巻上を同じ方法で調

べると、40.9%(237/579)で、後期本より約4倍も高い。ほぼ同時期の写本で

ある慶応義塾図書館蔵慶長二年写『狭衣の中将』を同一の方法で計算すると

34.9%(288/826)で後期本より約3.5倍も高い。

以上のことからも分かるように、後期本は、一文節が複数行にわたることを積

極的に避けることによって文献をより読みやすくしている。

4-4.振り仮名の使用

キリシタン版国字本の中で振り仮名がつけられている文献には、後期本、『おら

しよの翻訳』、『こんてむつすむん地』、『太平記抜書』がある。この中で『こんて

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むつすむん地』は振り仮名が全部で12例6)、『太平記抜書』は5ケ所7)にのみ振

り仮名が見られる。しかし、後期本や、『おらしよの翻訳』は、漢字になるべく振

り仮名をつけようとする様子がうかがえる。

後期本の漢字表記語8)に対する振り仮名付記語率をみると10.7%(271/2541)

である。これらの漢字に対する振り仮名の実例は、後掲の資料のとおりである。

振り仮名の付記語率が約1割にとどまったことについて林重雄(1981)は、「余

白」がないと振り仮名が付けられない出版技術上の問題だとしており、本稿もそ

の解釈に従う。しかし、余白の制約の中でも初出の漢字表記語にできるかぎり振

り仮名をつけようとする工夫9)が見られる。たとえば、後掲の資料の中で振り仮

名付き漢字表記語と振り仮名なしの漢字表記語がある例を取り出して検討すると、

漢語は11語中9語が、和語は31語中27語初出の漢字表記語に振り仮名をつけ

ている。以下にその例を示す。

〈漢語〉:「後生」「大切」「死たる」「主人」「善人」「大事」「天」「人間」「万

事」

〈和語〉:「上る」「与へ」「如何なる」「今」「思ひ」「故に」「ひとり子」「心」

「此」「是」「此等」「度々 」「為」「父」「科」「所」「名」「中」「何」

「宣ふ」「人」「真」「右」「尤」「物」「者也」「我等」

逆に、初出の漢字表記語に振り仮名がつけられていない例は「善」「第一」「其」

「貴き」「時」「何事」のみで、初出の漢字表記語に振り仮名をつけた例に比べ、

少ないことが分かる。

なお、振り仮名がつけられた例の中には、当時の仮名文献でも漢字表記のまま

で使うほどやさしい漢字表記語も見受けられる。例えば、仮名文献である慶長二

年写『狭衣の中将』に見られる漢字表記語に、後期本では以下のように振り仮名

6)『こんてむつすむん地』の振り仮名は以下のとおりである。しんじつせかいぜん

漢語(3語):真実1、世界2、善1いづれいのちならびのぞみ のりまこと みみな

和語(8語):何れ1、命1、並にl望み1、法1、真1、実1、皆1

7)『太平記抜書』の振り仮名の例は以下のとおりである。フノレ カン スタ ナケキ

武威下に振は翼、朝憲上に/廃れん事を歎き思食て義時を亡ほさんとし給しシハラク

に承久の乱出/来て天下暫も静ならす(『太平記抜書』1裏3-5)

8)ここでいう漢字表記語は、ごく普通に一字語をも含めた枠組みを念頭におき、田島優

(1989)よりゆるやかな術語として用いる。すなわち、語の表記要素として漢字を含

むものをさす。

9)林重雄(1981)によると、『おらしよの翻訳』も初出の漢字表記語にできるかぎり振

り仮名をつけようとしていたという。

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が付けられている。いだしいだすいろおもひこころたま ときひとみ みづよものものなり

出し.出す、色、思ひ、心、給はん、時、人、身もち、水、世、物、者也

漢字の知識があまりない読み手にとって振り仮名は漢字の読みを確定させ、文

献を読みやすくすることができる。そのため、振り仮名が漢字の読みを確定させ

る機能を十分発揮するためには、多くの漢字表記語に振り仮名がついているのが

のぞましい。しかし、後期本は出版技術上余白の制約をうけていたので自由に振

り仮名をつけることができなかった。そこで、後期本編者は余白が許す限り初出

の漢字表記語に振り仮名をつける工夫をしたのである。そうなると、後期本の読

み手は後期本で最初に登場する漢字表記語の読みが分かるようになり、その後に

出てくる同一の漢字表記語も簡単に読むことができる。また、仮名文献でも漢字

表記するほどの基本的な漢字表記語にまで振り仮名をつけることによって、漢字

知識のあまりない読み手まで、これを音読できるようにしたのである。

5.まとめ

本稿では後期本の改訂における平仮名表記の増加に注目して後期本の改訂目

的とその表記の工夫を探ってきた。それをまとめると以下のとおりである。

「どちりな」は、一人の人間がただ黙読して理解するためのものではなく、人

の前で音読していくための文献であった。そのため、後期本編者は、平仮名表記

を大幅に増やし、内容理解より音読を優先させた。その結果現れた平仮名表記の

連続による読みにくさを防ぐために、後期本編者は、自立語における語頭の重点

使用を減らしたり、語を限定させる連続活字を使用したり、一文節が複数行にわ

たることを積極的に避けたり、振り仮名を使用したりしたのである。

本稿では後期本が音読をしやすくするために改訂されたことを述べた。しかし、

音読という面をキリシタン版宗教書全体に広げて考える必要がある。それは今後

の課題としたい。

参考文献

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海老沢有道.Hチースリク他2名(1970)『日本思想大系25キリシタン書排

耶書』岩波書店

大塚光信(1954)「本語小考一キリシタン版翻字への一基礎として-」『国語国

文』23-6京大国文学会

亀井孝.Hチースリク・小島幸枝(1983)『日本イエズス会版キリシタン要理』

岩波書店

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川村信三(2003)『キリシタン信徒組織の誕生と変容』教文館

今野真二(1996)「分節機能からみた重点一『土左日記』根幹諸本を中心資料として-」『人文科学研究』第四号高知大学人文学部人文学科(『仮名表記論孜』清文堂2001所収)

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る」の活字字体についての計量的報告」2001年5月18日近代語研究会発表原稿

田島優(1998)『近代漢字表記語の研究』和泉書院

鄭舷赫(1998)「キリシタン文献の仮名文字の用法一《は》《わ》の場合一」『国語学研究と資料』第22号国語学研究と資料の会

〃 (1999)「キリシタン文献の平仮名の用字法一国字本『どちりなきりし

たん』を中心に-」『早稲田大学大学院文学研究科紀要』第44輯・第3分冊

〃(2001)「『どちりいなきりしたん』(バチカン本)の使用漢字」『日本語論叢』第2号日本語論叢の会

(2004)「キリシタン版国字本の濁音表記について」『日語日文学研究』〃

第48輯韓国日語日文学会

中田祝夫・林史典(1982)『日本語の世界4日本の漢字』中央公論社

野村雅昭(1972)「漢字かなまじり文の文字連続」『国立国語研究所報告46電子計算機による国語研究Ⅳ』国立国語研究所

林重雄(1981)「キリシタン版国字本におけるルビについて」『石川工業高等専門学校紀要』13号石川工業高等専門学校

ルイス・フロイス著松田毅一・川崎桃太訳(2000)『完訳フロイス日本史9大

村純忠・有馬晴信篇I島原・五島・天草・長崎布教の苦難』中央公論新社

使用テキスト(影印本)

小島幸枝他解説(1979)『どちりいなきりしたん(バチカン本)』勉誠社

(1979)『どちりなきりしたん(カサナテンセ本)』勉誠社〃

中川芳雄解説(1994)国立国会図書館蔵『古活字本伊曾保物語』勉誠社松本隆信(1971)『影印室町物語集成第四輯』汲古書院

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Page 11: 後期版『どちりなきりしたん』の改訂目的と表記の …後期版『どちりなきりしたん』の改訂目的と表記の工夫 鄭妓赫 1.はじめに 1600年に改訂された後期版『どちりなきりしたん』(以下後期本)は、前

◆資料.後期本『どちりなきりしたん』の振り仮名付きの漢字表記語*以下の例の数字は延べ語数を意味する。なお、振り仮名付き漢字表記語の例の数字は、

振り仮名付き漢字表記語の延べ語数/振り仮名なしの漢字表記語の延べ語数/仮名表記語の延べ語数を意味する。

(1)漢語(異なり79語)あいれんあくじいごいこんいつしやういちだい じいちめい哀憐1/0/1,悪事1/0/2,以後2/0/6,遺恨1/0/3,一生1/0/0,一大事1/0/0,一命1/0/0,

きいちもついちさいいっしょゑんくハほうかん よ う こ う < ハ い一物1/0/0,一切1/0/1,一所1/0/0,縁1/0/3,果報1/0/7,肝要3/0/28,気1/0/1,後悔

をんきうめいくりきざいせさくごしやうしきしん2/0/6,恩1/0/11,糾明1/0/5,功力1/0/4,在世1/0/0,作1/0/8,後生2/4/20,色身4/0/11,

やうししやうたいたいせつほうこうかでうし塗しする正体1/0/13,大切2/12/12,奉公1/0/3,養子1/0/1,三か条1/0/0,死たる1/1/33,死する

しさいじせつしそんじゆうしゆじんでう鎚泌しよさ

1/0/0,子細6/0/26,時節1/0/3,子孫1/0/2,自由1/0/5,主人1/2/12,条々1/0/12,所作しよ堅もくしよだんぎしんじんしんじしんじつせかい

1/0/31,諸職1/0/2,初談議1/0/0,信心1/0/7,信じ2/0/32,真実2/0/14,世界2/0/9,せっか んぜ んぜ んじぜんぎやうぜんにんぜんにんたちそん

折濫1/0/5,善1/12/15,善事1/0/6,善行1/0/1,善人1/1/3,善人達1/0/3,損1/0/9,そんた いぞんめいだいいちちちやちうようちやうもん

尊体1/0/1,存命1/0/1,第-1/17/0,美挙2/3/2,地1/0/4,茶1/0/1,中庸1/O/0,聴聞つうじていわうでしてんてんぐてんちまんざうだうり

1/0/2,通じ1/0/1,帝王1/0/2,弟子1/2/2,天1/3/29,天狗1/0/16,天地万像1/0/3,道理かでうにんげんばんじはんぶんぺんふしん

1/0/10,二か条1/0/0,人間2/1/16,万事1/1/23,半分1/0/0,百五十反1/0/0,不審1/0/4,ふだいぶだうふんべっくちくつほったんもぐるくもん

譜代1/0/0,葡萄1/0/9,分別4/0/27,別3/0/11,別1/0/11,発端1/0/0,目録1/0/0,文り

1/0/13,理1/0/4

(2)和語(異なり102語)あぐる あたへ あ ひだあるじあるひはいかん

上る1/1/7,与へ2/1/25,間1/0/8,主3/10/107,或は2/0/24,油なる2/"10,如何いだしいだすいづれの いのち いま いましめ いやしむる

1/0/24,出し1/0/8.出す1/0/6,何の2/0/16,命1/0/10,今1/1/28,戒1/0/14,賎むるいろうくるうやまひ おさめおほ おもひ おや

1/0/0,色1/0/6,受る1/0/6,敬ひ1/0/11,治め1/0/8,大ゆび1/α0,思ひ1/26/2,親1/0/33,

警誉1/0/5,群は1ノ0/50.叶は1/0ノ0,悲む1ノ0/4,故に2ノ3/6,悔ひ2/0/4,位1/0/6,かなはかなしむかるがゆへくひくらゐ

ごこころ ことば

ひとり子1/5/0,心2ノ47/30,辞2/0/19,理1/0/13,此2/136/2,是3/肌11,i鋒1/1/23,ことはり この これ

さけ さだめ さはり すLむ すなはち すみやか そこ

酒2/0/10,定3/0/33,障1/0/4,勧む1/0/4,即1/0/20,速に1/0/1,底1/0/7,その そむき たが ひたがひ たざ たつとき たのみ

其4/1/255,背き1/0/9,違ひ1/0/0,互に1/0/15,只2/0/28,貴き7/2/36,頼み2/0/28,たび弘甚 たま ため たやすく たより たれびとちいさき

度々 1/1/8,給はん1/0/25,為に3/9/94,鞭く1/0/1,便2/0/17,誰人1/0/0,小き

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Page 12: 後期版『どちりなきりしたん』の改訂目的と表記の …後期版『どちりなきりしたん』の改訂目的と表記の工夫 鄭妓赫 1.はじめに 1600年に改訂された後期版『どちりなきりしたん』(以下後期本)は、前

ちかひちかみちちからち畠つくりとがとき1/0/2,誓1/0/5,近道1/0/0,力3/0/11,父1/1/1,作り1/0/29,科5/8/146,時2/45/58,

なか なに なにごと

所2/37/41,年比1/0/3,唱る1/Oノ20,篇1/O/0,釜3/16ノ2,中3ノ14ノ9,何3/12/66,何事ところ としころとなふる

のぞみ のたまふ のち はじめ はなれ ひだりひと

3/9/0,望み1/0/13,宣ふ2/4/10,後1/0/10,初め1/0/15,離れ1/0/11,左1/0/3,人1/148/0,ふかき ふかく ふせぎほか まこと まへ まもり まもる

深き1/0/31.深く1/0/13,防ぎ1/0/0,外2/0/35,真3/1/43,前1/0/14,守り1/0/4.守る

1/0/11,身もち1/5/0,右4/3/44,道4/0/41,導き1/0/0,水1ノ0/9,代1/0/1,薄1ノ0/7,み みぎみちみちびきみづよ

ものなり もり ゆゆづりゆるがせゆるし

尤1/1/16,粉1/0/103,者也1/43/31,森1/0/0,湯1/0/2,譲1/0/1,緩せ1/0/5,赦しもつとも

よみがへるよろこびわれらをくりをしへ

2/0/36,活る1/0/4,悦び1/0/4,我等4/20/71,送り1/0/6,教へ2/0/37

(3)混種語(異なり1語)したち

下地1/0/7

-共立女子大学国際文化学部(非常勤)・

早稲田大学大学院文学研究科(研究生)一

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