「パピルス・アボット」における 完了sDm=f形の接尾表記に...

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実験音声学・言語学研究(Research in Experimental Phonetics and Linguistics9:75-90 (2017) 75 「パピルス・アボット」における 完了sDm=f 形の接尾表記について ―ボトムアップ型の言語記述を目指して― 永井 正勝 【要旨】 新エジプト語の神官文字写本「パピルス・アボット」( BM10221 )を対象 に、完了 sDm=f 形の動詞に付加される表記形式の分析を行った。その結果、強動 詞には接尾表記. wが現れる動詞( Dd, pH, sXA )と現れない動詞( rx, iTA, sDm, sip, wHm)があること、弱動詞には接尾表記. y が現れる動詞( Awi, thi )と現れない動詞 ( gmi, ini )があること、不規則動詞には接尾表記. wが現れる強動詞タイプの動詞 (rdi) と、接尾表記. y/.wy/.wy が現れる弱動詞タイプの動詞 (iri) があることが判明し た。従来、強動詞、弱動詞、不規則動詞はそれぞれ1つの動詞クラスとして認定 されていたが、それぞれのクラス内での細区分が可能であることが示唆された。 キーワード ボトムアップ、新エジプト語、動詞クラス、表記形 1. はじめに 日本実験言語学会は、城生佰太郎博士を会長として、 2008 8 29 日に産声をあげた。会 長に就任した城生は『実験音声学・言語学研究』創刊号にて、本学会の学術的なスタンスにつ いて次のように記している ( 城生 2009:1-2) 「実験」という語にはいろいろな意味があり、多義性を帯びている。比較的多くの領域 で は 、験 者 が 対 象 に 意 図 的 な 操 作 を 加 え ず 、虚 心 坦 懐 に 現 象 と 対 峙 す る 場 合 を「 観 察 研 究 」 と呼び、逆に験者が対象に意図的な操作を加え、その結果の違いから背後にある一般性の 高い原理を模索する場合を「実験研究」と呼ぶ。しかしながら、「実験音声学」と近年はや りの「音声科学」との間に明瞭な一線を画す立場に立てば、そこにおける「実験」の意味 するところはこの限りではない。 すなわち、まずは手の届く範囲で、具体的な現象そのものと対峙するところから実験音 声学は出発する。つまり、いわゆるボトムアップ型の帰納的方法によって事象を探査する ところから研究に着手するのが、とりあえずはこの学問における実験研究のスタートライ ンなのである。ちなみに、他の学問分野から似たような方法論を用いるものを挙げれば、 臨床医学における症例研究をはじめとして、 解剖学、岩石学、 ... などがある。 東京大学附属図書館アジア研究図書館上廣倫理財団寄付研究部門

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実験音声学・言語学研究(Research in Experimental Phonetics and Linguistics)9:75-90 (2017)

75

「パピルス・アボット」における

完了sDm=f形の接尾表記について

―ボトムアップ型の言語記述を目指して―

永井 正勝†

【要旨】新エジプト語の神官文字写本「パピルス・アボット」(BM10221)を対象

に、完了sDm=f形の動詞に付加される表記形式の分析を行った。その結果、強動

詞には接尾表記.wが現れる動詞(Dd, pH, sXA)と現れない動詞(rx, iTA, sDm, sip,

wHm)があること、弱動詞には接尾表記.yが現れる動詞(Awi, thi)と現れない動詞

(gmi, ini)があること、不規則動詞には接尾表記.wが現れる強動詞タイプの動詞

(rdi)と、接尾表記.y/.wy/.wyが現れる弱動詞タイプの動詞 (iri)があることが判明し

た。従来、強動詞、弱動詞、不規則動詞はそれぞれ1つの動詞クラスとして認定

されていたが、それぞれのクラス内での細区分が可能であることが示唆された。

キーワード: ボトムアップ、新エジプト語、動詞クラス、表記形

1. はじめに 日本実験言語学会は、城生佰太郎博士を会長として、2008 年 8 月 29 日に産声をあげた。会

長に就任した城生は『実験音声学・言語学研究』創刊号にて、本学会の学術的なスタンスにつ

いて次のように記している (城生 2009:1-2)。

「実験」という語にはいろいろな意味があり、多義性を帯びている。比較的多くの領域

では、験者が対象に意図的な操作を加えず、虚心坦懐に現象と対峙する場合を「観察研究」

と呼び、逆に験者が対象に意図的な操作を加え、その結果の違いから背後にある一般性の

高い原理を模索する場合を「実験研究」と呼ぶ。しかしながら、「実験音声学」と近年はや

りの「音声科学」との間に明瞭な一線を画す立場に立てば、そこにおける「実験」の意味

するところはこの限りではない。

すなわち、まずは手の届く範囲で、具体的な現象そのものと対峙するところから実験音

声学は出発する。つまり、いわゆるボトムアップ型の帰納的方法によって事象を探査する

ところから研究に着手するのが、とりあえずはこの学問における実験研究のスタートライ

ンなのである。ちなみに、他の学問分野から似たような方法論を用いるものを挙げれば、

臨床医学における症例研究をはじめとして、 解剖学、岩石学、 ...などがある。

†東京大学附属図書館アジア研究図書館上廣倫理財団寄付研究部門

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城生の示した本学会の学術的なスタンスは、実験そのものが重要なのではなく、ボトムアッ

プ型の帰納的方法ないしは実証的研究方法にこそあると言える。それゆえ、たとえ機材を利用

した実験を行っていたとしても、その背後にボトムアップ型の帰納的方法が見られないのであ

れば、それは実験言語学とは言えないことになる。

本稿の筆者は、初代会長の提示したボトムアップ型の帰納的方法ないしは実証的研究方法に

賛同するものである。だが、筆者は実験を手法とする研究を行っているわけではない。そこで、

実験ではなく、資料の「実見」に基づいた文献言語の分析を行うことにより、ボトムアップ型

の研究を実践し、初代会長の古希をお祝いしようと思う。

2. 研究の背景 本稿で分析の対象とする言語はエジプト語である。エジプト語はエジプト土着の言語であり、

前古エジプト語、初期エジプト語 (古エジプト語、中エジプト語 )、後期エジプト語 (新エジプト

語、民衆エジプト語、コプト・エジプト語 )に大きく区分される (Kammerzell 2000: 97)。

時制・相・法の表示において、初期エジプト語では動詞の内部屈折が重要な役割を果たして

いた。ところが、コプト・エジプト語を除くエジプト語の諸段階では子音文字による表記体系

が採用されていたため、特に接尾活用動詞においては、母音を含めた内部屈折の実態 (語形全体 )

が見え難くなっている。その結果、接尾活用動詞を中心とする初期エジプト語の動詞体系は解

明が進んでいない。

それに対して、後期エジプト語では、初期エジプト語と同様に子音表記が採用されていたも

のの、接語や語の統語的な結合による分析的・迂言的な形式によって時制・相・法の違いが示

されることが多くなったため、時制・相・法の体系に関する解明は、初期エジプト語よりも進

んでいる。とはいうものの、後期エジプト語において、時制・相・法の表示がすべて分析的・

迂言的な形式に帰せられるわけではなく、とりわけ後期エジプト語の最初の段階である新エジ

プト語においては、動詞の内部屈折によって時制・相・法を示す活用範疇が存在している。そ

れにもかかわらず、新エジプト語を対象とした文法書では、動詞形態の例が十分に示されてい

るとは言えず、新エジプト語の文法書として定評のある Černý & Groll(1984)、Neuve(1996)、

Junge(2008)においても、内部屈折が重要なはずの完了 (perfect)sDm=f 形 (完了相能動態の接尾活

用動詞 )について動詞の活用形がまったく示されていない。このような学史上の未解決部分を埋

めるべく提示された研究に Winand(1992)があるが、Winand(1992)は第 18 王朝時代から第 25 王

朝時代までのテキストを対象に動詞形態の通時的・総括的な提示を目指したものであるため、

すべての形式を網羅した研究にはなっていない。

このような状況を受け、本稿では「パピルス・アボット」に見られる完了 sDm=f 形の形態を

整理することにより、Winand(1992)の見解の再検討を行いたいと思う。

3. 対象資料 分析の対象とする資料は大英博物館所蔵の神官文字パピルス写本「BM10221」である。本写

本は旧所有者の名前にちなんで「パピルス・アボット (Papyrus Abbott)」と称されており、学術

的な引用においても、通称である「パピルス・アボット」が利用されることが多い。そのため

本稿でも通称を用いている。

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「パピルス・アボット」における完了 sDm=f形の接尾表記について

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本資料は全9ページからなるパピルスであり、1〜7ページに墓泥棒に対する裁判記録が、8〜9

ページには墓泥棒の名前のリストが記されている。本稿では墓泥棒裁判に関する1〜7ページを

分析の対象とする (以下、本資料という場合、1〜7ページを指す )。「パピルス・アボット」の墓

泥棒裁判の記録には時代が記されており、それは、ラメセス9世(第20王朝第8番目の王)の治

世16年(紀元前1100年頃)、アケト季3月18日〜21日である。

分析のための底本には、2011年5月18日〜20日に筆者が大英博物館にて撮影を行って得たデジ

タル写真を用いる。機材には、中判カメラMamiya AFDIII、デジタルバックPhase One P40、Mamiya

Sekor Macro MF 120mm f/4を用い、それらをMac Book Pro 2011に連結させて撮影を行った。

4. 「パピルス・アボット」における動詞の事例と完了sDm=f形 4.1 動詞の種類と延べ数

本資料で確認された動詞の種類は57種、例数は延べ318例であった。本節では、これら318例

の動詞を対象に、動詞クラス、活用範疇について述べたのち、完了sDm=f形の事例を提示する。

4.2 動詞クラス

本資料で確認された動詞クラスは、 (A)強動詞、 (B)弱動詞、 (C)不規則動詞の3種類である。

強動詞とは、いかなる活用範疇においても語根が消滅することのない動詞クラスを指す。弱動

詞とは、最終語根が弱子音 i/wとなるものを指す。語根を構成する弱子音 i/wは表記されることが

なく、それゆえ弱動詞は語根の一部が消滅する動詞に位置づけられる。不規則動詞は、活用の

仕方が不規則であるものを言うが、いずれも弱子音を持つため、弱動詞の下位区分に位置づけ

ることも可能である。

更に、それぞれの動詞は、動詞を構成する語根子音の数に応じて、2語根、3語根、4語根に区

分される。

本資料で見られた57種類の動詞を、動詞クラスと語根数に応じて分類すると次のようになる。

(A )強動詞[39種類]

2語根[11種類]

Dd「言う」,Dr「取り去る」,mH「捕まえる」,mn「残る」,pH「到着する」, rx「知っ

ている・できる」,Sw「ない」,wn「開く」,xr「言う」,s:mn「立てる」,s:wD「渡す」

3語根[24種類]

afn「目隠しをする」, aHa「立つ」, anx「生きる」,wDA「繁栄する・無事だ」, snb「健

康だ」,DdH「投獄する」,hAb「派遣する」,HAp「隠す」,Htp「眠る」, iTA「奪う」,nhm

「喜ぶ」,pXr「歩き回る」,qrs「埋葬する」,sAw「守る」,sDm「聞く」,sip「調査する」,

sXA「書く」,wAH「置く」,wHm「繰り返す」,wtn「トンネルを掘る」,xAa「放る」,xpr

「生じる」,xSb「切る」,s:mtr「試す」

4語根[4種類]

nDnD「健康だ」,qnqn「叩く」, TtTt「口論する」,xrxr「戻る」

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(B )弱動詞[14種類]

3語根[13種類]

Awi「付ける」,gmi「見つける」,Hsi「称える」, ini「持ってくる」,mki「守る」,mri

「愛する」,Smi「行く」,smi「知らせる」,wDi「派遣する」,xwi「守る」,xdi「下る」,

wAi「離れた」

4語根[1種類], thi「荒らす」 1

Hmsi「座る」

(C )不規則変化動詞[4種類]

2語根[1種類]

ii「来る」

3語根[3種類]

iwi「来る」, iri「行う」,rdi「与える・させる」

4.3 活用範疇

新エジプト語の動詞は、実際の使用において、不定詞や分詞などの範疇として機能する。そ

のようなものを本稿では活用範疇と呼ぶ。本資料で確認された動詞の活用範疇とその例数は以

下の通りである。

1:完了sDm=f形 (完了相能動態接尾活用動詞 ) [45例 ]

2:受動sDm=f形 (完了相受動態接尾活用動詞 ) [11例 ]

3:習習慣sDm=f形 (習慣相能動態接尾活用動詞 ) [3例 ]

3:sDm.in=f形 (過去時制能動態接尾活用動詞 ) [1例 ]

4:願望sDm=f形 (願望法能動態接尾活用動詞 ) [4例 ]

5:sDm.tw=f形 (願望法受動態接尾活用動詞 ) [6例 ]

6: i.sDm=f形 (副詞類焦点化接尾活用動詞 ) [1例 ]

7:命令形 [2例 ]

8:不定詞 [66例 ]

9:状態形 [130例 ]

10:分詞 [26例 ]

11:関係節形 [23例 ]

合計 [318例 ]

活用範疇の中で、状態形 2、不定詞、完了sDm=f形の3種類が多いが、これは新エジプト語の歴

史的な位置付けを物語っている。

1thi「荒らす」の動詞クラスの扱いは難しい。中エジプト語までは通常の 3 子音弱動詞と同じ振る舞いを見

せるが、新エジプト語になると h の後に A (聖刻文字 G1)が表記されるようになる。Winand(1992: §320)は、第20 王朝時代までに 3 子音弱動詞 thi から 3 子音強動詞 thA に変化したとの見解を示している。また新エジプト語の辞書 Lesko & Lesko (2004 : 216)でも基本形が thA とされている。このような見解があるものの、本稿ではJunge (2008)に従い、3 子音弱動詞の thi として判断した。

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新エジプト語の歴史的な位置付けの1つは、コプト・エジプト語に向かうベクトルである。

コプト・エジプト語の動詞は一般動詞と接尾活用動詞に区分されるが、そのほとんどが一般動

詞となり、一般動詞は不定詞、状態形、命令形の活用範疇を持つ。そして不定詞と状態形は、

分析的・迂言的な構文に配置されて機能する。本資料で不定詞と状態形の例数が多い理由の1

つは、コプト・エジプト語に連なる分析的・迂言的な構文が新エジプト語でも採用されている

ことにある。

一方、コプト・エジプト語に連なる分析的・迂言的な構文とは逆に、中エジプト語の特徴を

引き継ぐ内部屈折型が、1-5までの接尾活用動詞である 3。接尾活用動詞のうち頻度の上で中心

となるものが、1の完了sDm=f形であり、本稿ではこれを分析の対象としている。

4.4 完了sDm=f形一覧

本資料で確認された完了sDm=f形は、14種類の動詞、延べ45例であった。その実例を示した

ものが資料1である 4。なお、完了sDm=f形は主節と従属節 (iw sDm=f, m-xt sDm=f)で確認されたた

め、資料1では主節と従属節の別も表示している。

資料1:強動詞の付加表記

1-1 Dd「言う」13例

接尾表記

.ø 200B (Type A) 200B(Type B) 200B(Type C)

主節

4,10(Dd)

6,16(Dd)

6,10(Dd.w)

6,18(Dd.w)

7,8(Dd.w)

6,8(Dd.w)

4,5(Dd.w)

5,14(Dd.w)

5,16(Dd.w)

6,20(Dd.w)

2状態形の用例が飛び抜けて多いが、130 例のうち 77 例が王名などの修飾語として使用される anx wDA snb

「生きよ、繁栄せよ、健康であれ」とその変種である。したがって、本来の動詞としての状態形の用例は残

りの 53 例である。 3副詞類焦点化接尾活用動詞 (i.sDm=f 形 )は新エジプト語から見られる革新形である。 4資料 1 において、それぞれの資料内にある 4,10 などの表記は「パピルス・アボット」のページ数と行を示

し、4,10 は 4 ページの 10 行目を指す。また、4,5 の後に記した Dd.w などの表記が語全体の子音転写である。

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従属節

(m-xt)

4,13(Dd)

6,5(Dd.w)

6,11(Dd.w)

1-2 pH「到達する」2例

接尾表記

.ø 200B (Type A) 200B(Type B) 200B(Type C)

主節

7,11(pH)

従属節

(m-xt)

5,1(pH.w)

1-3 rx「知っている・できる」1例

接尾表記

.ø 200B (Type A) 200B(Type B) 200B(Type C)

従属節

(iw)

5,6

1-4 iTA「到達する」1例

接尾表記

.ø 200B (Type A) 200B(Type B) 200B(Type C)

従属節

(iw)

4,3(iTA)

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1-5 sDm「聞く」1例

接尾表記

.ø 200B (Type A) 200B(Type B) 200B(Type C)

主節

6,15(sDm)

1-6 sip「調査する」2例

接尾表記

.ø 200B (Type A) 200B(Type B) 200B(Type C)

主節

5,8(sip)

7,11(sip)

1-7 sXA「書く」2例

接尾表記

.ø 200B (Type A) 200B(Type B) 200B(Type C)

主節

6,11(sXA.w)

6,12(sXA.w)

1-8 wHm「繰り返す」1例

接尾表記

.ø 200B (Type A) 200B(Type B) 200B(Type C)

主節

6,9(wHm)

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1-9 gmi「会う」2例

接尾表記

.ø .ø+331 283

主節

5,21(gm)

5,13(gm)5

1-10 ini「取ってくる」2例

接尾表記

.ø 283

主節

4,16(gm) 5,2(gm)

1-11 Awi「付ける」1例

接尾表記

.ø 283

主節

3,5(Aw.y)

1-12 thi「荒らす」4例

接尾表記

.ø 283

主節

2,6-7(thA.y)

5gmi「会う」5,13 に見られる接尾表記「 .ø+331」[5,13]はイレギュラーな表記である。神官文字 331(Möller 1909:

30)は n と子音転写される子音文字であるため、gm.n(sDm.n=f 形 )と転写することが可能である。だが、Černý & Groll(1984: §14.11.6)によれば、331(子音 n)の付加は sDm.n=f 形を示したものではなく、動詞 gmi の語幹がすでに n であったことを示しているという。Černý & Groll によるこの説明はコプト・エジプト語での形式を踏まえたものであり、動詞 gmi「会う」はコプト・エジプト語で qine /tʃine/(サヒード方言、アクーミック方言、サブ・アクーミック方言、ファイユーム方言の不定詞絶対形 )となる (Crum 1939: 820)。

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「パピルス・アボット」における完了 sDm=f形の接尾表記について

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従属節

(iw)

3,2(thA.y) 3,18(thA.y) 4,2(thA.y)

1-13 iri「行う」8例

接尾表記

.ø 283 283+200B(Type A) 200B(Type A)+283

主節

5,16(ir.y)

6,4(ir.y)

6,14(ir.y)

3,5(ir.y)

4,17(ir.y)

5,6(ir.y)

6,23(ir.y)

従属節

(iw)

4,2(ir.y)

1-14 rdi「与える・させる」5例

接尾表記

.ø 200B (Type A) 200B(Type B) 200B(Type C)

主節

5,10(di.w)

7,6(di.w)

4,9(di.w)

5,5(di.w)

7,15(di.w)

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5. 完了sDm=f形に見られる接尾表記の検討 5.1 接尾表記とは

新エジプトの接尾活用形動詞の活用は、①内部屈折と②接尾表記の付加 (外部屈折 )、の2点

から確認することができる。このうち、内部屈折については弱動詞と不規則動詞でのみ観察さ

れる 6。

接尾表記とは、語根子音の後に付加された表記部分を指す。限定符を伴わない動詞の場合に

は接尾表記が語末に付加され、限定符を伴う動詞の場合には接尾表記が限定符の前に書かれる

場合と後に書かれる場合とがある。接尾表記には、wあるいはyと転写される文字が付加される。

これらを接尾辞として扱うことも可能かもしれないが、これらの文字が音声言語において接辞

として判断される要素であるのか否かは不明である。そこで、本稿では接尾辞という表現を避

け、接尾表記と呼ぶことにした。

5.2 接尾表記の文字種と200Bの異形態について

本資料で確認された接尾表記を構成する文字種は、神官文字の200Bと283の2種類である。エ

ジプト学で利用される聖刻文字転写において、283は聖刻文字のM17*2で示され 7、子音転写は

一律にyとされる。

ところが、神官文字の200Bが聖刻文字に転写される際には、2種類の聖刻文字が学者によっ

て使い分けられ、しかも、改められた聖刻文字に応じて、子音転写に違いが見られる。つまり、

神官文字の200Bに対して、異なる聖刻文字と異なる子音転写が学者の判断であてがわれること

になる。そこで次に、「パピルス・アボット」の聖刻文字転写として有名なPeet(1930)を用いて、

200Bがどのように扱われているのかを確認しておく。

本資料で用いられている200Bは、字形の違いからType A、Type B、Type Cの3種類に分類され

る (表1)。

表1に示したように、本稿で200Bとして認定した文字について、Peet(1930)による聖刻文字転

写では、 と の2種類が充てられている。後者の文字 は聖刻文字のZ7であり、子音転写

ではwあるいは無音となる。一方、前者の文字 は、一律に無音として扱われる (以下、 を

無音の200Bと呼ぶ )。実は、前者の に対応する聖刻文字は存在しておらず、この文字は、神

官文字の字形を模倣して学者が作成したものである 8。

Peet(1930)における聖刻文字転写では、Dd「言う」 (資料1-1)のType Cにおいて、4,5のみが無

音の200Bとされ、5,14、5,16、6,20、6,11はZ7とされている (表1: Type C)。同様に、rdi「与える・

させる」 (資料1-14)のType Cについても、4,9のみが無音の200Bとされ、5,5と7,15はZ7とされて

いる (表1: Type C)。更に、1-13 iri「行う」(資料1-13)のType Aについては、4,17と6,23が 無音の

200Bとされ、3,5と5,6がZ7とされている (表1: Type A)。ところが、実際の神官文字を確認する限

り、それぞれのタイプを無音の200BとZ7とに区分するだけの明確な根拠を字形の上から得るこ

とはできない。そのため本稿では、これらの文字を文字素200Bとして認定し、字形の上で下位

6資料 1 に見られる内部屈折の例は、弱動詞と不規則動詞における最終子音の脱落 (1-9, 1-10, 1-11, 1-13)、

thi>thA(1-12)、 rdi>di(1-14)である。 7神官文字の 283 は 282 を 2 つ合わせた合字であるが、283 を示す聖刻文字番号は存在していない。そこで

本稿では 282 に該当する聖刻文字番号 M17 を利用し、M17*2 と示すことにする。 8無音の 200B の字形は聖刻文字の Z5 と類似しているが、聖刻文字の Z5 は神官文字の 559 に対応する文字

であり、200B の下位区分ではない (Möller 1909: 50)。

Page 11: 「パピルス・アボット」における 完了sDm=f形の接尾表記に …「パピルス・アボット」における完了sDm=f形の接尾表記について 77 本資料は全9ページからなるパピルスであり、1〜7ページに墓泥棒に対する裁判記録が、8〜9

「パピルス・アボット」における完了 sDm=f形の接尾表記について

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区分を行うに留め、あえて聖刻文字に転写することはしていない。子音転写は、いずれもwと

した 9。

表1:200Bの字形分類とPeet(1930)による聖刻文字転写

神官文字

の代表例

Peet (1930)による

聖刻文字転写 子音転写

200B

(Type A)

1-2 pH(5,1)

1-7 sXA(6,11; 6, 12),

1-13 iri(4,17; 6,23)

無音

1-1 Dd(6,10; 6,18,7,8; 6,5)

1-13 iri(3,5; 5,6)

1-14 rdi(5,10;7,6)

w/無音

200B

(Type B)

1-1 Dd(6,8) w

200B

(Type C)

1-1 Dd(4,5)

1-14 rdi(4,9) 無音

1-1 Dd(5,14; 5,16; 6;20; 6,11)

1-14 rdi(5,5;7,15) w/無音

Peet(1930)の例にあるように、神官文字の200Bについては、異なる聖刻文字に転写されるこ

とがあるばかりか、それによって示される子音転写に違いが見られる。それゆえ、他の学者が

作成した聖刻文字転写に頼ることなく、神官文字の字形を確認することが必要だと言える。そ

もそも、本資料は神官文字で書かれているわけであるから、あえてこれを聖刻文字に転写する

必要はなく、聖刻文字への転写に由来する子音転写の区別は、根拠のない恣意的な操作だと言

わざるを得ない。

5.2 接尾表記の種類

本資料の完了sDm=f形において、接尾表記として使用された文字は200Bと283の2種類である。

しかし、200Bと283が連続して用いられている例もあり、実際の例は、①200B(.w)、②283(.y)、

③283+200B(.yw)、④200B+283(.wy)の4種類となる。これら4種類に加え、接尾表記が見られな

いもの (ø)も含め、接尾表記の総数をまとめたものが表2である。表2から、次の点を指摘するこ

とができる。

接尾表記 .wは強動詞と不規則動詞に現れる。

接尾表記 .yは弱動詞と不規則動詞に現れる。

接尾表記 .wy/.wyは不規則動詞に現れる。

接尾表記 .øは不規則動詞には現れない。

9接尾表記に見られる 200B の子音転写を一律に w としたが、これは音声言語で /w/が実現されていたことを

示すものではない。あくまでも、200B の存在を示す工夫として子音転写 w を利用したものである。

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これを動詞クラスから見れば、次のようになる。

強動詞の接尾表記は .ø/.wとなる

弱動詞の接尾表記は .ø/.yとなる

不規則動詞の接尾表記は .w/.y/.wy/.ywとなる

表2:完了sDm=f形に見られる接尾表記

動詞クラスと

語根数

接尾表記

合計 ø

(.ø) 200B

(.w)

283

(.y)

283+200B

(.yw)

283+200B

(.wy)

強動詞 2語根 5 11 0 0 0 16

3語根 5 2 0 0 0 7

弱動詞 3語根 4 0 1 0 0 5

4語根 0 0 4 0 0 4

不規則 3語根 0 5 4 3 1 13

合計 14 18 9 3 1 45

ここで、新エジプト語の動詞形態について調査を行ったWinand(1992: §320)の見解を確認する

と、Winandは「完了相は時に語末に二重のヨッドを持つ。この語尾は、3語根と4語根の弱動詞

ばかりか、動詞 iriでも確認される」と述べている。Winandのいう二重のヨッドとは本稿でいう

表記形式 .yのことであり、彼の指摘する接尾辞の種類とその出現傾向は、本資料のデータ (資料

1, 表1)と合致する。

しかしながら、Winandは接尾表記 .wについては言及しておらず、また、「完了相は時に語末

に二重のヨッドを持つ」と指摘するものの、「時に」の条件を限定しているわけではない。そこ

で本稿ではこの点について考察する。

5.3 接尾表記 .wの出現環境

接尾表記 .wは強動詞Dd「言う」(1-1)、pH「到着する」(1-2)、sXA「書く」(1-7)、不規則動詞rdi

「与える・させる」(1-14)の4例のみに付加されている。弱動詞に付加されていないことを考え

ると、接尾表記 .wはおもに強動詞と相性のよい付加要素だと言える。しかしながら、強動詞で

あっても接尾表記 .wが見られない動詞があるため、個別の動詞ごとに .wとの相性があることが

示唆される。

Dd「言う」 (資料1-1)とpH「到着する」 (1-2)では、接尾表記 .wのないものとあるものとが確認

される。これを踏まえると、接尾表記 .wは必須の要素ではないものと判断される。

完了sDm=f形以外の活用範疇にも着目すると、接尾表記 .wの出現環境に偏りが見られる。例え

ばDd「言う」では、完了 sDm=f形、関係節形 10に .wが表記されているが、願望法 sDm=f形 [7,13]、

10関係節形のうち、1,7; 2,4; 5,2; 5,20; 6,8; 6,8; 6,15; 6,17; 6,19; 7,11, 7,14 には .w が付加されている。唯一の

例外が 5,21 の Dd.t である。

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不定詞 [5,2; 5,16; 5,22; 6,9; 6,21; 6,21; 6,19]、sDm.in=f形 [7,13]、 i.sDm=f形 [6,22]には .wが表記され

ていない。また不規則動詞rdi「与える・させる」については、完了sDm=fと関係節形 [5,19]に .w

が付加されているが、不定詞 11、状態形 [5,7]、完了受動分詞 [1,2]には .wが付加されていない。

このような出現環境を踏まえると、接尾表記 .wは何らかの言語実態と対応した要素であったの

かもしれない。

最後にsXA「書く」 (1-7)について触れておく。接尾表記として扱った200Bの文字のうち、sXA

「書く」の場合のみ限定符の前に書かれている。また、この動詞の受動sDm=f形 [7,16]にも200B

が表記されている。この点を踏まえると、sXA「書く」に表記されている200Bは、接尾表記では

なく動詞に内在する表記形式である可能性がある。とはいうものの、200Bが語根部分の文字の

後に書かれているため、本稿では接尾表記に含めておくことにした。

5.2.3 接尾表記 .y/.yw/.wyの出現環境の検討

接尾表記 .yは弱動詞の Awi「付ける」(1-11)、thi「荒らす」(1-12)、不規則動詞の iri「行う」(1-13)

に見られる。弱動詞であってもgmi「会う」(1-9)と ini「取る」(1-10)には付加されていない。ま

た、強動詞に付加された例は皆無であった 12。

接尾表記 .yについて、Winand(1992: §320)は「完了相は時に語末に二重のヨッドを持つ。この

語尾は、3語根と4語根の弱動詞ばかりか、動詞 iriでも確認される」と述べていたが、弱動詞の

gmi「会う」と ini「取る」に .yが付加されていないことを踏まえると、「時に」というのは、頻

度ではなく、動詞との相性を考慮すべきものだと思われる。もう少し踏み込んで言えば、弱動

詞の完了sDm=f形においては、接尾表記 .yが付加されるものとされないものとが存在する。

ここで、接尾表記 .yが付加されないgmi「会う」に着目すると、この動詞の完了sDm=f形には

確かに接尾表記 .yが見られないのであるが、受動sDm=f形 [2,12; 3,4; 3,6; 7,12; 7,13]、状態形受動

態 [2,7; 2,11; 2,16; 2,18; 3,2; 3,9; 3,11; 3,13; 4,2; 5,10]、完了受動分詞 [3,16; 3,16; 3,17; 3,18; 4,14]

では、すべての例において、接尾表記 .yが付加されている。このことを踏まえると、断定はで

きないものの、完了sDm=f形に接尾表記 .yが付加されないタイプの弱動詞では、受動態を示す活

用範疇に接尾表記 .yがされることが想定される。このことは、1つの動詞クラスとして分類さ

れていた弱動詞に細区分を設ける必要があることを示唆している。

最後に接尾表記 .yw/.wyについて確認する。すでにWinand(1992: §321)が指摘しているように、

これらは不規則動詞 iri「行う」(1-9)に付加される要素である。したがって、接尾表記 .yw/.wyは、

不規則動詞 iri「行う」に付加される .yの異形態として捉えることが可能であろう。

5.2.4 小結

本資料で確認された完了sDm=f形の接尾表記の種類に基づき、該当する動詞の例をまとめた

ものが表3である。

表3は、あくまでも本資料で確認された事例をまとめたものである。それゆえ、これが動詞ク

ラスの新たな細区分を示すものではない。とはいうものの、5.2.3で指摘したように、弱動詞に

11不定詞には di [4,4; 4,17; 5,1; 6,13; 6,24]と rdi.t[5,18; 6,14; 6,24]の異形態があり、 rdi.t は前置詞 r の後で使

用される。 12完了 sDm=f 形以外の活用範疇も確認したが、本資料の強動詞には接尾要素 .y が付加された例が見られなか

った。

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ついては接尾表記 .yの有無によって弱動詞のクラスが二分される可能性も考えられる。ただし、

現在のところ断定することはできない。

表3:完了sDm=f形の接尾表記に対応する動詞の例

動詞クラスと

語根数

付加表記要素

.ø .w .y .yw/.wy

強動詞

2子音 rx「知る」 Dd「言う」

pH「付く」

3子音

iTA「奪う」

sDm「聞く」

sip「選ぶ」

wHm「繰り返す」

(sxA「書く」 )

弱動詞 3子音 gmi「会う」

ini「取る」

Awi「付く」thi

「荒らす」

不規則 3子音 rdi「与える・させる」 iri「行う」

6. 終わりに 本稿では、新エジプト語の神官文字写本「パピルス・アボット」を対象に、完了sDm=f形の

動詞に付加される表記形式の分析を行った。その結果、次のことを指摘するに至った。

①強動詞には接尾表記.wが現れる動詞と現れない動詞があること、弱動詞には接尾表記.yが

現れる動詞と現れない動詞があること、不規則動詞には接尾表記.wが現れる強動詞タイプの動

詞 (rdi)と、接尾表記.y/.yw/.wyが現れる弱動詞タイプの動詞 (iri)があることが判明した。

②従来の研究では、強動詞、弱動詞、不規則動詞はそれぞれ1つの動詞クラスとして認定さ

れていた。それに対して、本稿では、特に弱動詞における細区分の可能性が示唆された。

③神官文字の200Bについては、研究者ごとに異なる聖刻文字に転写されることがあるばかり

か、それによって示される子音転写にも違いが見られる。それゆえ、他の学者が作成した聖刻

文字転写に頼ることなく、神官文字の字形を確認する必要がある。

本稿は、神官文字の原資料を用いて「パピルス・アボット」に見られる接尾表記の事例を分

析したものである。対象資料が1点のみであったため、今後は他の資料の接尾表記の事例を広く

収集し、より体系的な結果を示す必要があるが、本稿の分析が従来の研究と異なる大きな点は、

神官文字の原資料を参照していることにある。今後も原資料の文字と対峙しつつ、資料の分析

を行いたいと思う。

【参考文献】

Černý, Jaroslav and Sarah Israelit Groll (1984) A late Egyptian grammar. 3rd edition. Rome: Biblical In-

stitute Press.

Crum, Walter Ewing (1939) Coptic Dictionary. Oxford: Oxford University Press.

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「パピルス・アボット」における完了 sDm=f形の接尾表記について

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城生佰太郎 (2008)「日本実験言語学会 (JELS) 設立と学会誌創刊のご挨拶」『実験音声学・言語学

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Junge, Friedrich (2008) Einführung in die Grammatik des Neuägyptischen. 3rd edition. Wiesba-

den: Harrassowitz Verlag.

Kammerzell, F. (2000) “Egyptian possessive Constructions: A diachronic typological perspective,” STUF:

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Fünften Dynastie bis zur römischen Kaiserzeit. Vol. 2. Leipzig: J. C. Hinrichs’schen Buchhand-

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Peet, Eric (1930) The great tomb robberies of the twentieth Egyptian dynasty. Oxford: Clarendon Press.

Winand, Jean (1992) Études de néo-égyptien, I: La morphologie verbale. ÆgyptiacaLeodiensia 2. Liège:

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永井正勝

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On the suffix writing of perfect sDm=f

in the Papyrus Abbott:

Toward a language description based upon

a bottom-up approach

Masakatsu NAGAI†

In this article the author analyzed the forms of the suffix writing of the perfect sDm=f attested in the

Late Egyptian Hieratic Manuscript Papyrus Abbott (BM10221) and pointed out the following results:

Some strong verbs (Dd, pH, sXA) have suffix .w, but others (rx, iTA, sDm, sip, wHm) do not. Some weak

verbs (Awi, thi) have suffix .y, but others (gmi, ini) do not. The irregular verb rdi employs the strong

verb type suffix .w, whereas iri uses the weak verb type of suffix .y and its allomorph .yw/.wy. This

tendency suggests that each verbal category could be divided into several sub-categories.

†Project Research Fellow, Uehiro Project for the Asian Research Library

The University of Tokyo Library System

7-3-1 Hongo, Bunkyo-ku, Tokyo 113-0033, Japan

E-mail: [email protected]