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国指定・道指定文化財概要一覧(函館市) ·...
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国指定・道指定文化財概要一覧(函館市)番号 管内 市町村 指定 種別 名称 指定年月日 所在地 説明 主な交通機関 連絡先 公開 参考文献 HP 備考
NK1 渡島 函館市 国 国宝 土偶 平成19年6月8日市立函館博物館 函館市青柳町17番1号
・この土偶は、昭和50年(1975)8月24日、函館市尾札部町(旧南茅部町)にある著保内野遺跡から出土したものです。農作業中にクワで深さ30センチメートルほど穴を掘ったところ、偶然発見されました。教育委員会で復元したところ、高さ41.5センチメートルと中が空洞の中空土偶のなかでは国内最大の大きさであることがわかりました。・この土偶は、昭和50年(1975)8月24日、函館市尾札部町(旧南茅部町)にある著保内野遺跡の縄文時代後期(約3、500年前)の集団墓の一角から、土坑に埋納された状態で発見された土偶です。・薄手中空で、頭部の突起・両腕は欠損していますが、その他はほぼ残存し、頭部から脚先まで全身が精緻につくられています。・顎の部分には黒色の、胴部には赤色の顔料が塗られていた痕跡もあります。・この土偶は中空土偶として現存しているもののうち最大、かつ遺存状態が良好で、その出土状態を把握することもでき、当時の信仰や祭祀の実態を明らかにする上で欠かせない資料です。・また、縄文時代後期を代表する優品として、また土偶造形の到達点を示すものとして、極めて貴重です。
市電青柳町駅から徒歩5分函館駅から約3㎞
市立函館博物館 0138-23-5480函館市教育委員会生涯学習部文化財課0138-21-3472
特別展などで公開しています。日程等については市立函館博物館まで。
http://www.museum.hakodate.hokkaido.jp/
NB8 渡島 函館市 国 重要文化財木造大日如来坐像
昭和42年6月15日函館市住吉町12番23号高野寺
・この大日如来坐像を本尊としている高野山真言宗高野寺は、明治17年(1884)に東川町に仮堂を設け、北南山教王院高野寺として創建されました。7年後の明治24年、青柳町に移り堂宇の新築落成をみました。この時本山の高野山金剛峯寺に請願し、高野山谷上の大日堂本尊であったこの仏像を本尊として下付されました。大正3年(1914)の火災で現在地に移り、昭和9年(1934)3月の函館大火にも遭いましたが、その都度持ち出され難を免れています。・高さ約160㎝の大きな寄木箔押の坐像で両手を胸に智拳印を結び、宝冠を頭上に、胸には瓔珞や条帛をかけて結跏趺坐(けっかふざ)し、光背は舟型で蓮華座に座り、半眼豊頬で慈悲の眼差しをもち、仏師定朝の流れをくんだ優美な作風で、平安時代後期の日本化した品の良い仏像の特徴を伝えている金剛界の大日如来像です。・台座、光背などはいずれも消失のため後補のものです。また、大日如来坐像自体の一部が老朽化していたことや裳先の欠損や金箔の剥落が顕著であったため、昭和45年に国費と道費を得て、財団法人美術院国宝修理所の手により解体修理が行われ、宝冠もこの時に復旧しました。
市電谷地頭駅から徒歩3分函館駅から約2.5㎞
函館市教育委員会文化財課0138-21-3456高野山真言宗高野寺0138-26-4337
「ガイドブック函館の文化財」
NB17 渡島 函館市 国 重要文化財太刀川家住宅
昭和46年12月28日函館市弁天町15番15号
・明治34年(1901)、米穀商として活躍する一方、漁業や回漕業なども経営した初代太刀川善吉により建築された2階建土蔵造りの店舗です。外観は煉瓦造りの壁体を漆喰で塗り込めた不燃質和風建築物となっています。・間口5間半(約9.9m)、奥行6間(約10.8m)で隣接桁行面には開口部がなく、正面戸袋の両側に防火用の袖壁を構えるなど、度重なる大火に備えた防火対策に腐心した造りである。また、底、軒天井、持送り、腕木はモルタル漆喰の塗込め仕上げがされているほか、2本の鋳鉄柱を配置し、その上に三連のアーチを設けるなど洋風建築の意匠も加味されています。・内部の建築用材としてケヤキとカツラが用いられ、1階は5間半、3間半の土間と帳場の店舗、その裏は12畳の仏間と10畳のじょうやと呼ばれる板の間があります。2階へ通じる階段は唐草文様の浮彫がある洋風造り、2階は2間続きの客室で、床の間の壁は石炭を粉砕したものを使用するなどの特徴があります。・函館市内の土蔵造り店舗の中でも優れたものであり、内外の意匠などに和洋の手法を用いるなど、明治末期の開港場商家の典型として昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されました。
市電大町駅から徒歩5分函館駅から約2.5㎞
函館市教育委員会文化財課0138-21-3456
「ガイドブック函館の文化財」
NB19 渡島 函館市 国 重要文化財旧函館区公会堂
昭和49年5月21日函館市元町11番13号
・函館港を見おろす基坂の坂上に建つこの建物は、明治40年(1907)の大火で消失した町会所に代わる施設として建設され、明治43年に完成しました。建設資金として、豪商相馬哲平が総工費5万8千円のうち5万円を寄付しました。はじめは町会所・商業会議所事務所・ホテルの3つの機能を持つものとして予定されていましたが、ホテルとして営業することはありませんでした。・明治44年、当時皇太子であった大正天皇が来函された際には、2階の貴賓室が宿泊所として使用されました。・正面にバルコニーを見せる木造2階建の擬洋風建築で左右対称、屋根は桟瓦葺で屋根窓が設置されています。青灰色と黄色で個性的な彩色が施され、両袖妻の唐草模様の装飾や正面玄関等にあるコリント式円柱の柱頭飾りの彫刻も美しいものです。内部も、随所にみられる華やかな意匠の装飾や家具がよく保存されています。・建築意匠や技法が高く評価され、昭和49年(1974)に本館が、昭和55年には附属棟が重要文化財に指定されました。昭和55年から3年間、部分解体を含む根本修理が行われ、明治43年創建当時の姿に復元されました。・修理前の外壁はピンク色と白色になっていたが、調査によって当時彩色が判明し、復元されたのが現在の塗装色です。
市電末広町駅から徒歩7分函館駅から約2.5㎞
旧函館区公会堂0138-22-1001
夏9:00~19:00 冬9:00~17:00入館料 一般300円、学生~児童150円
「ガイドブック函館の文化財」
NB21 渡島 函館市 国 重要文化財函館ハリストス正教会復活聖堂
昭和58年6月2日函館市元町3番13号
・函館山の山麓に建つ函館ハリストス正教会復活聖堂の前身は、安政5年(1858)に来函した初代ロシア領事ゴシケヴィッチが建てた領事館附属聖堂です。・明治40年(1907)の大火のため焼失し、大正5年(1916)、煉瓦造りの耐火建築物として再建されたのが現在の聖堂であり、日本初のロシア正教の教会となりました。設計は、信者の河村伊蔵が担当しました。・外観は、漆喰塗仕上げの白壁と緑色銅板屋根の美しい聖堂です。平屋建て、鐘楼を持ち、屋根には6つの葱型のクーポラ、そのうえに十字架を戴き、ロシアビザンチン様式を基本としています。基礎には石を、壁体には煉瓦を用いています。・建物内部は黄色と赤の唐草文様絨毯が敷き詰められ、正面壁面にはロシアから運んできた極彩色の聖障画が飾られています。・この聖堂は、日本ハリストス正教会の発祥の地であり、意匠的にも優れた価値の高いものであるとして昭和58年(1983)に重要文化財として指定されました。これを受けて、昭和61年(1986)から63年の3カ年にわたり総工費2億円をかけて創建当時の姿への復元修理が行われました。
市電十字街駅から徒歩10分函館駅から約2㎞
函館市教育委員会文化財課0138-21-3456
9:00~17:00「ガイドブック函館の文化財」
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番号 管内 市町村 指定 種別 名称 指定年月日 所在地 説明 主な交通機関 連絡先 公開 参考文献 HP 備考
NB36 渡島 函館市 国 重要文化財遺愛学院 旧宣教師館 本館
平成13年6月15日函館市杉並町23番11号
・遺愛女子高等学校は当初、明治15年(1882)に函館市元町にミッションスクール「カロライン・ライト・メモリアル・スクール」として開校され、明治18年に遺愛女学校と改称、その後、建物の拡張に伴い明治41年に現在地に移転、同時に本館・宣教師館も建築されました。・宣教師館は木造2階建で、外壁が白のオイルペイント塗装に屋根は黒色の便利瓦(昭和4年(1929)頃、鉄板に葺き替え)とコントラストがよく、洗練されたアメリカンスタイルの造りであり、通称「ホワイトハウス」と呼ばれています。純白の屋根窓と東南部の八角形の尖塔が特色としてあげられ、印象的な外観を形成しています。・竣工以来、女学校の外国人宣教師等の宿舎として使用され、内装も質素ながら接客を重視した格式あるホールを持つ広間型平面形式の米国の住居風に統一されており、明治期の洋館として貴重な建造物です(付属棟は日本人使用人の住居であったため和風造りです)。・現在は学校内での研修棟に活用されているほか、期間を限定して一般公開を行っています。
・本館は、木造2階建て、基礎煉瓦積みで、外壁がオイルペイント塗のサーモンピンク、窓枠等がホワイトに統一され、正面中央の大きなペディメントを持つ装飾的な玄関ポーチを中心に左右対称型となる瀟洒なアメリカンスタイルの学校建築であり、函館における明治期の洋風建築の中でも優秀なものといえます。・また、北海道の学校の中で最も早く蒸気暖房設備を取り入れたのが、この校舎といわれています。かつてはアメリカ人宣教師で建築家としても活躍したウィリアム・ヴォーリズの設計と考えられていましたが、平成13年(2001)に建設当時の仕様書などが偶然発見され、立教大学の初代校長でアメリカ人建築家J.M.ガーディナーの設計であることが判明しました。・設関係文書計4点も附指定となっています。
市電杉並町駅から徒歩1分函館駅から約3.5㎞
学校法人遺愛学院 0138-51-0418
「ガイドブック函館の文化財」
NB38 渡島 函館市 国 重要文化財北海道志海苔中世遺構出土品
平成15年5月29日
市立函館博物館 函館市青柳町17番1号0138-23-5480
・この出土銭は、昭和43年(1968)7月、函館市志海苔町の漁港付近で行われた国道拡幅工事の際に発見された、大甕3個に詰められた大量の埋蔵古銭です。・出土した3個の大甕と古銭を合わせた総重量は約1.6トン、出土銭の総数は37万枚を超えるもので、年代の上限の銭は前漢代の四銖半両(紀元前175年初鋳)、下限の銭は明代初期の洪武通宝(1368年初鋳)であることから、約1、500年にわたる古銭で構成されていることになります。・この大半は渡来銭であり、そのうち北宋銭が最多で全体の約9割近くを占めます。また、和同開珎などの日本製の皇朝銭も8種類15枚含まれています。・古銭が入れられた3個の大甕のうち、2個は福井県の越前古窯の甕、1個は石川県能登半島の珠洲窯産の甕で、14世紀後半から末頃に埋設されたと推定されています。・この大量の古銭は、日本海を交易ルートとした特産物取引による収益としての備蓄銭説や神仏に捧げたり、祭祀を行う目的の埋納銭説がありますが、いずれも定説とはなっていません。・このような10万枚を超える埋蔵古銭の出土例は全国で7例ほどありますが、その中でも志海苔古銭は最大のものです。中世社会において貨幣流通経済が定着しつつあるという時代背景の中で、日本海海運文化の様子を物語る数少ない貴重な歴史資料であり、平成15年(2003)5月、国の重要文化財に指定されました。
市電青柳町駅から徒歩5分函館駅から約3㎞
市立函館博物館 0138-23-5480
夏9:00~16:30 冬9:00~16:00入館料 大人100円、学生~児童50円
「ガイドブック函館の文化財」
http://www.museum.hakodate.hokkaido.jp/
NB49 渡島 函館市 国 重要文化財大谷派本願寺函館別院
平成19年12月4日函館市元町16-5 大谷派本願寺函館別院
・大谷派本願寺函館別院は、明治40年(1907)の函館大火で堂宇を焼失した後に、当時帝室技芸員であった伊藤平左衛門9世の設計により鉄筋コンクリート造で再建された寺院建築です。・本堂は大正4年11月に竣工し、正面が33mと大規模で、平面は典型的な真宗本堂形式となっています。・鉄筋コンクリート造建築の初期の遺構であり、鉄筋コンクリート造で伝統様式を再現した我が国で最初の寺院建築として高い歴史的価値があります。・また、耐火建築として、その後の函館市街地への不燃建築普及の契機となったもので、深い意義が認められます。
市電十字街駅から徒歩10分函館駅から約2.6㎞
函館市教育委員会文化財課0138-21-3456
NY2 渡島 函館市 国重要有形民俗文化財
アイヌ生活用具コレクション
昭和34年5月6日北方民族資料館 函館市末広町21番7号
・函館出身で北方民族学研究の世界的な権威者である馬場脩(1892~1979)は、次第に周りから姿を消していく北方民族資料や考古資料の行方を憂い、昭和10年(1935)前後に樺太、干島、北海道の各地において精力的に学術調査を行い、数多くの貴重な民族資料や考古資料を収集しました。これらの貴重な資料は、国内はもとより英国人類学会など広く内外に「馬場コレクション」の名で紹介されるようになり、今日では、民族学および考古学研究上不可欠な資料となっています。・特に、北海道、樺太、干島地域で使用されたアイヌ民族資料は、儀礼用具の捧酒箆や嗜好品として愛用された喫煙具、テンキ草で編んだ物入れ、三弦琴など世界でも比類のない資料として研究機関や学界で注目され、昭和34年には、日本を代表する世界的に学術価値の高いアイヌ民族資料として750点が「アイヌの生活用具コレクション」として国の重要民俗文化財(昭和50年、重要有形民俗文化財に改称)に指定されました。・昭和46年、函館市は、このコレクションを馬場脩から函館ゆかりの貴重な文化財として購入し、平成元年(1989)より函館市北方民族資料館において展示公開しています。
市電末広町駅から徒歩1分函館駅から約2.5㎞
北方民族資料館0138-22-4128
夏9:00~19:00 冬9:00~17:00入館料 一般300円、学生~児童150円
「ガイドブック函館の文化財」
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番号 管内 市町村 指定 種別 名称 指定年月日 所在地 説明 主な交通機関 連絡先 公開 参考文献 HP 備考
NTS1 渡島 函館市 国 特別史跡 五稜郭 昭和27年3月29日函館市五稜郭町・本町1丁目
・特別史跡五稜郭跡は、幕末期の函館開港に伴い、徳川幕府の最重要課題であった対外政策、北辺防備および蝦夷地統治を目的に築造された箱館奉行所とその防御施設であり、稜堡と呼ばれる5つの突角がある星形五角形の「西洋式土塁」です。・安政元年(1854)、日米和親条約を締結した徳川幕府は、下田・函館の開港を決定するとともに箱館奉行を設置しました。当時の函館は港湾防備等不十分な状況にあったことから、港湾入口に台場を設置し、港から離れた内陸亀田の地へ役所の移転が計画されました。新たな台場と役所の設計は,箱館奉行支配諸術調所教授役の武田斐三郎が担当し、16世紀から17世紀のヨーロッパで広まった城塞都市をモデルとした「西洋式土塁」が考案されました。・築造工事は安政4年、堀割から開始され、石垣・上下水道の設置および役宅・役所の建築に7年の歳月を費やし、元治元年(1864)に竣工、函館山山麓から奉行所が移転し新役所の業務が開始されました。郭内には御殿建築の奉行所庁舎をはじめ25棟ほどの付属建物が配置され,蝦夷地統治の中心的役割を担っていました。しかし,慶応3年(1867)大政奉還により幕府が崩壊し、五稜郭は翌慶応4年、明治新政府へ引き継がれましたが、明治元年(1868)10月には旧幕府脱走軍により占拠され、箱館戦争の舞台となりました。明治2年、箱館戦争が終結し、五稜郭は再び明治政府兵部省所管となり、明治4年に奉行所庁舎をはじめ郭内建物の大半が解体されました。解体材は開拓使札幌本庁庁舎建設のため札幌に送られる計画でしたが、取りやめられ、その一部は札幌本道工事の作業小屋や函館税関、あるいは蓬莱遊郭の建築に用いられました。現在、当時の建物として兵糧庫と呼ばれる土蔵と奉行所庁舎の内玄関の式台のみが現存しています。・五稜郭は明治6年から陸軍省の所管となり、大正2年(1913)函館区へ無償貸与され、翌3年、公園として一般に開放されました。・五稜郭跡全体の規模は、半月堡を含む郭内が約125,500㎡、堀が約56,400㎡、郭外の長斜堤を含む史跡指定範囲は約250,800㎡、堀幅最大30m、深さ4~5m、水堀の外周路は約1.8㎞です。・大正11年国の史跡となり、昭和4年(1929)郭外が追加指定され、昭和27年国の特別史跡に指定されました。
市電五稜郭前駅から徒歩5分函館駅から約3.5㎞
函館市教育委員会文化財課0138-21-3456
「ガイドブック函館の文化財」
NS2 渡島 函館市 国 史跡 四稜郭 昭和9年1月22日 函館市陣川町
・四稜郭は、明治2年(1869)の箱館戦争時に,五稜郭の北東側約3㎞の丘陵上に急造された洋式築城法に基づく堡塁です。・明治元年、鷲ノ木(現森町)に上陸後、五稜郭を占拠した旧幕府脱走軍は、松前方面を攻略し蝦夷地を領有しましたが、翌明治2年の新政府軍攻撃により次第に函館方面に後退することとなりました。このため,主戦場となる函館近郊を一望でき、また同時に五稜郭および鎮守府である東照宮を防御するため築造されたものです。同年4月下旬から脱走軍兵士200名と付近の住民約100名を動員して、昼夜兼行の工事により短期間で完成しましたが、5月11日早朝からの新政府軍総攻撃により、わずか数時間で陥落したといわれています。・四稜郭の名は、蝶が羽を広げたような四稜の突角を有する形からその名がつけられたもので、史跡指定地は約21,500㎡の規模があります。地上遺構として、東西約100m、南北約70mの範囲に幅5.4m、高さ約3mの土塁が巡り、その周辺には幅2.7m、深さ0.9mの空壕が掘られています。四隅には砲座が配置され、南西側には門口が設けられています。・土塁などの保存が良好なことなどから昭和9年(1934)国の史跡に指定され、昭和45年度から47年度にかけて、亀田町(昭和46年に亀田市となり、昭和48年には函館市と合併)が土塁修復と周辺の整備を行い、その後、平成2年(1990)度に函館市が再整備を実施しました。
函館バス神山通から徒歩20分函館駅から約7.5㎞
函館市教育委員会文化財課0138-21-3456
「ガイドブック函館の文化財」
NS4 渡島 函館市 国 史跡 志苔館跡 昭和9年8月9日函館市志海苔町・赤坂町
・志苔館跡は、函館市東部地区海岸地帯の津軽海峡や下北半島などを望む海岸段丘上に位置する、中世の和人豪族が築いた館跡です。・志苔館の記録は、松前藩の史書「新羅之記録」中に、康生2年(1456)からのコシャマインの蜂起、さらに、永正9年(1512)のアイヌの蜂起により館が陥落した記述があります。またこの後、館主小林氏が松前藩に従属し、廃館となったといわれます。・この館跡は、四方に土塁が巡らされた矩形で、沢地形を利用した空壕が掘られています。土塁で囲まれた郭内は、東西70~80m、南北50~65m、約4,100㎡の規模の平坦地です。北側の土塁は4~4.5m、南側は1~1.5mの高さで、西側と東側は土塁が途切れ、それぞれ出入口となっています。また、北側と西側の空壕は幅5~10m、深さ最大3.5mの薬研や箱薬研の形状で、特に西側は土橋を挟んで二重壕が掘られています。・郭内からは、柱間寸法が異なる建物跡、塀・柵跡、井戸跡などの遺構、中国製の舶載陶磁器や国産陶器などの遺物が発見されたことなどから、館の創建年代は14世紀末から15世紀初頭頃と推定されますが、創建主は不明です。土塁等の保存が良好なことから、昭和9年(1934)国の史跡に指定され、昭和62年までに史跡公園として整備が行われました。
函館バス志海苔から徒歩5分函館駅から約8㎞
函館市教育委員会文化財課0138-21-3456
「ガイドブック函館の文化財」
NS47 渡島 函館市 国 史跡 大船遺跡 平成13年8月13日函館市大船町60、547~549ほか
・北海道の渡島半島東岸、内浦湾沿いの海岸段丘上にある縄文時代中期の大規模な集落遺跡です。・遺跡の南東側には百棟以上の竪穴住居跡からなる住居域と「盛り土遺構」、その南西の山側には土坑群、北西側には落とし穴などが分布します。・楕円形の平面形と深く掘り込んだ床をもつ大型竪穴住居が特徴的です。・日常用具のほか、動植物遺体なども出土し、当時の生活や生業を知る上で重要です。
函館バス大船小学校前バス停から徒歩10分
函館市教育委員会文化財課0138-21-3456
いつでも見学できます。大船遺跡展示館9:00~17:00無料4月~11月開館(期間中は無休)
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/minamikayabe/i_tenji_1.html
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番号 管内 市町村 指定 種別 名称 指定年月日 所在地 説明 主な交通機関 連絡先 公開 参考文献 HP 備考
NMS2 渡島 函館市 国 名勝旧岩船氏庭園(香雪円)
平成13年8月13日函館市見晴町8、10、56~58、
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・香雪園は、行商から身を興して道内有数の呉服商となった岩船家により造成された和風洋風織り交ぜた大規模で本格的な庭園です。・明治31年(1898)(一説に明治28年ともいう)頃、温泉保養地として豪商の別荘が建ち並ぶようになった湯川地区に造成されました。・当時の文献には、「白然の渓や山の地形に人工の妙を加味し、実に理想的な庭園」また「庭園よりもむしろ公園と呼ぶ方が妥当か。公開して人々の観覧に供している」と紹介されています。昭和34年(1959)には都市公園である見晴公園の一部として公有化され、現在も市民の憩いの場となっています。・13haを超える広大な園内は、書院風の園亭や池などからなる純和風の園亭庭園区、渓流の滝組など見事な景観を呈している渓流庭園区、さらに煉瓦造の温室と沈床式花壇などからなる西洋風の温室庭園区により構成されています。香雪園の見どころは、こうしたいくつもの庭園区が空間を共有しあって景観を構成しているところ、すなわち稀有な風景式庭園が形成されているところにあります。
函館バス「香雪園前」下車徒歩1分
函館市教育委員会文化財課0138-21-3456(財)函館市住宅都市施設公社 花と緑の課0138-40-3605
いつでも見学できます。 園亭は9:00~17:00 緑のセンターは8:45~17:30
「ガイドブック函館の文化財」
ND1 渡島 函館市 国重要伝統的建造物群保
存地区
函館市元町末広町伝統的建造物群保存地区
平成1年4月21日
函館市弥生町・大町・元町・末広町・豊川町の各一部
・函館市の伝統的建造物群保存地区は「函館発祥の地」にあたり、函館が最も繁栄していた明治、大正、昭和初期の特徴ある建物が数多く残り、異国情緒豊かな町並み景観が形成されています。・明治期の函館のまちは、しばしば大火に見舞われて、明治11、12年(1878、79)に襲った大火により、函館復興のための大きな街区改正が行われるようになりました。この時、幅員20間の防火線街路として、基坂と二十間坂が拡幅整備され、幅員が6間や12間の直通する街路も誕生することになりました。現在の伝建地区の原形は、この時につくられ、それ以降はほとんど変化していません。この後においても、明治40年(1907)、大正10年(1921)の大火に遭遇しますが、その後の復興はめざましく、日本の伝統文化を表す和風の民家などのほか、開港以来の諸外国文化の影響を受けた、洋風や和洋折衷様式の民家等が数多く建てられるようになり、現在に至っています。・函館市元町末広町伝統的建造物群保存地区は、昭和63年12月に文化財保護法に基づき、函館市西部地区歴史的景観条例により伝統的建造物群保存地区として決定されました。・その範囲は、元町、末広町および大町、弥生町、豊川町の各一部で、面積は14.5ヘクタールとなっています。平成元年(1989)に北海道では唯一、国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けました。・伝建地区内は、大きく二つの区域に分類することができます。・その一つは、「旧函館区公会堂周辺および函館ハリストス正教会復活聖堂周辺の区域」で、かつての政治、文化の中心地であった歴史性を表す洋風の公共建築物や、開港による諸外国文化の流入を表す宗教建築物などが建ち並び、函館を代表する町並み景観を形成しています。また、一般民家でも、洋風の住宅や和洋折衷の住宅さらには和風の住宅などが混在する良好な住宅地が形成されています。・もう一つは、「金森倉庫群周辺の区域」で、かつての港町としての繁栄を偲ばせる煉瓦造りの倉庫が建ち並び、周囲には、旧函館郵便局の建物などの業務施設のほか、函館の歴史と文化を伝える元海産商の和洋折衷様式の住宅などが数多く存在しています。・このような町並みを形造る伝統的な建造物を、宿泊施設や商業施設などにいかした積極的な使いかえを行う事例が数多く見られるようになってきていて、地区の賑ぎわいとともに函館に活性化をもたらす一つの要因となっています。
市電末広町駅から徒歩10分函館駅から約2㎞
函館市教育委員会文化財課0138-21-3456
DY1 渡島 函館市 道 有形文化財樽岸出土の石器
昭和32年12月20日市立函館博物館 函館市青柳町17番1号
・昭和29年(1954)に市立函館博物館を中心とする調査団が寿都郡黒松内町に所在する樽岸遺跡を発掘調査しました。調査団には市立函館博物館職員の他、北海道学芸大学(現北海道教育大学)河野広道教授や北海道大学大場利夫講師、明治大学杉原荘介教授などが参加しました。・出土遺物は、すべて頁岩製の石器で、石刃技法による大形の石刃やエンド・スクレイパー、石核など、縄文時代の石器とは明らかに異なる石器類が出土し、土器は出土しませんでした。・調査報告では後期旧石器時代の古い段階に編年されると考えられていましたが、その後の研究の進展により、現在では後期旧石器時代後半の細石刃文化に属する石器群として認識されています。・樽岸遺跡の発掘調査は、北海道の旧石器時代研究の黎明期における記念すべきものであり、出土した石刃・剥片石器・船底形石器・石核・剥片など総数72点が、昭和32年に道有形文化財に指定されました。
市電青柳町駅から徒歩5分函館駅から約3㎞
市立函館博物館 0138-23-5480
夏9:00~16:30 冬9:00~16:00入館料 大人100円、学生~児童50円
「ガイドブック函館の文化財」
http://www.museum.hakodate.hokkaido.jp/
DY5 渡島 函館市 道 有形文化財夷酋列像粉本
昭和34年2月24日
函館市中央図書館函館市五稜郭町26番1号
・寛政2年(1790)、蠣崎波響が松前藩の命により描いた「夷酋列像」(別名御昧方蝦夷之図)の下書きです。・「夷酋列像」は、寛政元年のクナシリ・メナシの戦いに際して、松前藩に協力し、その鎮定に功績のあった12名のアイヌの長を描いたもので、南蘋派の影響を受け、その精密な描写と鮮烈な色彩によって広く注目され、完成の翌年光格天皇の天覧に供されるところとなりました。波響の代表作の一つとされる「夷酋列像」は、複数の組で描かれたと推定されているように市立函館図書館に2点、フランス・ブザンソン市立美術館に11点が収蔵されています。「夷酋列像」の粉本は、松前広長著「夷酋列像附録」との同定により、13枚のうち、チキリアシカイ(其一)、ションコ(其二)、イコトイ(其三)、ボロヤ(其六)、イニンカリ(其七)、ニシコマケ(其八)、マウタラケ(其九)、ノチクサ(其十)、ツキノエ(其十一)の9枚が波響自らが描いたものとされ、「夷酋列像粉本」に描かれた人物名は、天保14年(1843)制作の小島貞喜による模写図の発見によって確認されたといわれます。・また、現存する波響自筆の逸品となっている「夷酋列像粉本」とともに完成された「夷酋列像」は、蝦夷錦にみられる細密な描写など、当時のアイヌ民族と周辺諸民族との関わりを示す貴重な研究資料となっています。
市電五稜郭公園前駅から徒歩15分
函館市中央図書館0138-35-6800
9:30~20:00「ガイドブック函館の文化財」
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番号 管内 市町村 指定 種別 名称 指定年月日 所在地 説明 主な交通機関 連絡先 公開 参考文献 HP 備考
DY8 渡島 函館市 道 有形文化財旧函館博物館1号
昭和38年7月26日函館市青柳町17番5号
・明治4年(1871)、開拓使の御雇教師頭取兼開拓顧問ホーレス・ケプロンは、大学、博物館、図書館の必要性を建言し、これを受けて開拓使は、明治12年5月25日・函館公園内に開拓使函館仮博物場を開場しました。これは、明治8年の東京博物館、開拓使北海道物産縦覧所の開設、明治10年の札幌の偕楽園博物場開場とともに日本における地方博物館誕生の先駆けです。・開拓使函館仮博物場は、函館裁判所などを手がけた新潟出身田中善蔵の工事請負により、明治11年5月に着工、同年7月に完成をみました。建物は、博物場本体と管理人室、研究室が廊下で結ばれ中庭が設けられていましたが、現在は博物場本体のみが残り・日本で現存する最古の洋風木造建築の博物館として知られています。建物は、平屋建寄棟造の瓦葺で、外壁は白色のペンキが塗られています。正面入口上部に開拓使印である「北辰」(北極星)が刻まれ、縦長に配列している窓は上下スライドの開閉式となっています。・開拓使函館仮博物場は、明治15年に函館県博物場(第一館)、明治25年に庁立函館商業学校附属商品陳列場、明治28年に函館水産陳列場(第一館)と改称を重ね、昭和7年(1932)8月には水産館の看板が掲げられ、昭和41年の市立函館博物館本館開館まで使用されました。
市電青柳町駅から徒歩5分函館駅から約3㎞
市立函館博物館 0138-23-5480
「ガイドブック函館の文化財」
DY9 渡島 函館市 道 有形文化財旧函館博物館2号
昭和38年7月26日函館市青柳町17番4号
・明治15年(1882)、開拓使の廃止に伴い、北海道が札幌、函館、根室の3県に分かれると開拓使函館仮博物場は函館県博物場となりました。明治14年の開拓使東京仮博物場の廃止により、多くの資料が東京から移管され展示室が狭くなったことから、明治16年7月に新たな博物場建設が開始され翌月に完成し、展示等の準備を経て明治17年8月11日に函館県博物場第二博物場が開場されました。・建物は、洋風の平屋建で当初屋根は杉の柾葺だったが後に亜鉛葺となりました。玄関は、コリント様式風の装飾柱と半円形のアーチが設けられ、上部半円形縦長の窓は分銅による上下スライドの開閉式となっていました。当時は外壁全体は白色、正面玄関の柱、アーチは青色、窓枠は黄色、屋根棟飾りは白色のペンキが塗られ色彩豊かな建物でした。・函館県博物場第二博物場は、明治24・25年にかけて庁立函館商業学校附属商品陳列場、明治28年に函館水産陳列場(第二館)と相次いで改称されましたが、昭和7年(1932)8月より先住民族館の看板が掲げられ、昭和41年の市立函館博物館本館開館まで使用されました。
市電青柳町駅から徒歩5分函館駅から約3㎞
市立函館博物館 0138-23-5480
「ガイドブック函館の文化財」
DY10 渡島 函館市 道 有形文化財旧金森洋物店
昭和38年7月26日函館市末広町19番15号
・明治11年(1878)の函館大火は、中心街が焼野原と化し、翌明治12年にも、市中の3分の1(2,326戸)が焼け、ほとんどの市街を失いました。2年続きの函館大火により開拓使は、市街の区画整理と不燃質家屋の奨励に乗り出し、一部の有力商人がその施策に応じました。・明治12年の大火でその経営する洋物店の本・支店が被災した初代渡辺熊四郎もその1人で、明治13年11月、西欧と日本の建築技術を駆使した開拓使の茂辺地煉瓦製造所製の煉瓦を使用した洋風不燃質店舗「金森洋物店」を竣工、開店させました。設計は池田直二が担当しました。・当時の金森洋物店は、西欧文化を謳歌する函館人気質と相まって衣食住に関わる舶来製の小間物、雑貨品を販売し賑わいました。市内の半分を焼失した明治40年の大火では、周囲の不燃質店舗がことごとく焼失する中で、幸いにも金森洋物店のみが類焼を免れました。・その後、大正14年(1925)まで金森洋物店として使用されたこの建物は、昭和43年に十勝沖地震で被害を受けましたが、道の補助により復旧されました。その後、渡辺家から市に寄付され、昭和44年から市立函館博物館郷土資料館として活用されてきましたが、建物の老朽化のため、平成10年(1998)、11年の2か年にわたり全面的な復元改修工事が行われました。
市電末広町駅から徒歩2分函館駅から約2㎞
郷土資料館0138-23-3095
夏9:00~16:30 冬9:00~16:00入館料 大人100円,学生~児童50円
「ガイドブック函館の文化財」
DY20 渡島 函館市 道 有形文化財石崎八幡神社の鰐口
昭和43年3月29日市立函館博物館 函館市青柳町17番1号
・文化10年(1813)頃に、石崎村脇ノ沢(現在の函館市石崎町)旧山神社地から掘り出され、石崎神社前に懸けられていた、直径17.7㎝、厚さ6.3㎝の青銅製の鰐口です。・鰐口の表面は、周縁を二重の陽鋳線で縁取り、その内側は三重線の圏界線により、外区(銘帯)、内区、撞座区とに区画されています。このうち外区には「奉寄進夷嶋脇澤山神御寶前施主平氏盛阿弥敬白 永享十一年三月日」の銘があり、永享11年(1439)に平氏盛阿弥という人物により、脇ノ沢山神社に寄進されたものであることを物語っています。和人が北海道へ渡った記録としては、嘉吉3年(1443)の安東盛季の渡道が最古のものとされ、それ以前のものは未確認となっています。・この鰐口は本州地方で製作されたものと推定され、交易によるものかどうかは不明であるが、すでに永享年間当時の北海道において、和人が活動していた様子を知る上で貴重な金石文の資料です。
市電青柳町駅から徒歩5分函館駅から約3㎞
市立函館博物館 0138-23-5480
夏9:00~16:30 冬9:00~16:00入館料 大人100円、学生~児童50円
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DY21 渡島 函館市 道 有形文化財釈迦涅槃図蠣崎波響筆
昭和43年3月29日高龍寺 函館市船見町21番11号
・蠣崎波響(1764~1826)は第12世松前藩主資広の5男として福山城に生まれ、翌年、家老蠣崎将監広当の跡継ぎとなりました。幼少から江戸に出て、建部凌岱や宋紫石に師事し、南蘋派の画風を学びました。寛政元年(1789)のクナシリ・メナシの戦いに際して、松前藩に協力したアイヌの肖像「夷酋列像」は光格天皇の叡覧に供されました。波響はこの上洛で、当時京都画壇の主流であった円山四条派の画家や文人たちと交流を持つようになり、大きく影響を受けました。松前藩が陸奥国伊達郡梁川村(福島県伊達郡梁川町)に移封された期間(1807~1821)は家老として復藩のために奔走する一方、画人としての活動もまた最も充実した時期といわれます。復領し松前に戻った波響は家老職を退き、家督を息子波鶩に譲りました。諸侯のもとを復領のあいさつにまわり、江戸で病床に伏し、故郷松前で没しました。・この作品は、涅槃図では珍しく、双幅の形式をとっています。中心となる釈迦を囲む会衆や寝台の東西南北に2本1組で配される沙羅樹などは左(右幅)に集中しており、右幅だけで成立するようにも、3幅で1幅を欠くようにも受け取れる構図です。・箱の裏に文化11年(1814)、表装裏には文化9年と記されているが、為書から、文化8年に函館の高龍寺11世禅海上人のために波響楼で制作されたといわれます。ふつう波響楼は松前にある波響の屋敷を指しますが、この時松前藩は梁川移封中でした。松前や函館に滞在したか、梁川で制作したか、また波響白身の款記かにも疑問が残ります。しかし、これだけの大画面に得意とする唐人物風の菩薩や多種多様の鳥、動物が写実的に描き込まれ、波響が全身全霊をもって取り組んだ様子が感じられます。波響作品における最高傑作の1つに挙げられます。
市電函館どっく駅から徒歩10分函館駅から約4㎞
函館市教育委員会文化財課0138-21-3456
「ガイドブック函館の文化財」
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番号 管内 市町村 指定 種別 名称 指定年月日 所在地 説明 主な交通機関 連絡先 公開 参考文献 HP 備考
DY22 渡島 函館市 道 有形文化財椴法華出土の尖底土器
昭和43年3月29日市立函館博物館 函館市青柳町17番1号
・本資料は、函館に在住した郷土史家の能登川隆が大正から昭和30年代にかけて収集した「能登川コレクション」の一つで、亀田郡椴法華村から出土した完形土器です。昭和34年(1959)に市立函館博物館に寄贈されました。・器高16.8㎝、口径16㎝で、□縁波頂部の一部と尖底部がわずかに欠損している他は、ほぼ完全な形を保っています。器形は砲弾状で口縁部は緩やかな波状を呈しており、器体全面には連続した刺突状の押し引き文が施文されています。・押し引き文は器体上半では口縁と平行して巡っています。器体中ほどでは4~5条一単位の押し引き文が波頂部を合わせるように上下に波打って巡っており、上下の押引き文で区画された菱形の内部を口縁と平行な押し引き文で埋めています。底部近くには4条の平行な押引き文が巡り、底部端は縦位の押引き文が施文されています。器体内部は無文で、炭化物が付着しています。北海道南部の縄文時代前期前半に属する「椴法華式土器」の標式土器として広く知られています。
市電青柳町駅から徒歩5分函館駅から約3㎞
市立函館博物館 0138-23-5480
夏9:00~16:30 冬9:00~16:00入館料 大人100円、学生~児童50円
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DY24 渡島 函館市 道 有形文化財日ノ浜遺跡出土の動物土偶
昭和45年2月12日市立函館博物館 函館市青柳町17番1号
・この動物土偶は、日ノ浜遺跡(函館市、旧恵山町)から出土した縄文時代晩期に属すると考えられるイノシシの幼獣(うり坊)を象ったものです。・体長5.6㎝、体高4.2㎝で、鼻端部・両前脚・左後脚・胴部後上部が欠損しています。正面形は三角形状で胴部は太く、脚部は短くデフォルメされ、眼や耳などは省略されています。胴部には縦に5から6条の沈線により、うり坊の特徴である体部のしま模様が表現されており、この沈線を区画するように横に1本の沈線が上下に施されています。鼻端部の横には1条の沈線により牙が表現されています。・北海道にはイノシシは生息していなかったとされていますが、北海道各地の縄文時代遺跡からイノシシの骨格や骨牙製の加工品などが出土しており、当時のイノシシの生息分布や縄文人の交易活動を考える上で貴重な出土品です。
市電青柳町駅から徒歩5分函館駅から約3㎞
市立函館博物館 0138-23-5480
夏9:00~16:30 冬9:00~16:00入館料 大人100円、学生~児童50円
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DY25 渡島 函館市 道 有形文化財 刀銘源正雄 昭和45年2月12日市立函館博物館 函館市青柳町17番1号
・函館開港に伴い設置された箱館奉行は、外国船の取締まりや北辺防備を行う一方で、蝦夷地経営のための産業振興にも力を注ぐことになり、銭座、瀬戸座、織座などの運営を試みました。・この中で、函館周辺から産出される砂鉄を使用した製鉄も試みられ、その一つとして、箱館奉行堀織部正が江戸の刀工である源正雄を招へいし、刀作りが行われたと伝えられます。・源正雄は、幕末期最高の刀匠源清麿の高弟で、安政5年(1858)来道し、万延元年(1860)までの3年間で函館周辺の砂鉄を使用して作刀したといわれます。刀の中子の片面に「源正雄」、もう一方の片面には「安政六年八月日於箱館以沙鉄造之」の刻銘があり、安政6年の作であることがわかります。・なお、源正雄の作刀は数が少ないうえ、函館打ちのものは安政5年作銘が多く、安政6年銘は少ないといわれます。このため、函館周辺の砂鉄を用いた安政6年銘の函館打ちの刀として、数少ない貴重な資料であり、昭和45年(1970)、道有形文化財に指定されました。
市電青柳町駅から徒歩5分函館駅から約3㎞
市立函館博物館 0138-23-5480
夏9:00~16:30 冬9:00~16:00入館料 大人100円、学生~児童50円
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DY29 渡島 函館市 道 有形文化財住吉町遺跡出土の遺物
昭和46年3月5日市立函館博物館 函館市青柳町17番1号
・昭和25年(1950)に市立函館博物館が発掘調査を実施した住吉町遺跡から出土した土器4点、石器12点です。・函館山の麓に所在する住吉町遺跡は、昭和4年に東北帝国大学の山内清男や伊東信雄が発掘調査を実施した際、出土した土器が従来にない新型式であったことから「住吉町式土器」と命名され、北海道南部における縄文時代早期の標式土器とされています。・住吉町式土器は、貝殻文尖底土器と呼ばれる円錐形の器形で、尖底部の乳頭状突起が特徴です。器体には貝殻による圧痕文や沈線文・刺突文などが施文されています。・また、石鏃・石槍・つまみ付きナイフ・磨製石斧・石のみ・石錘などの石器類も共伴しており、石器の特徴などから漁労を主とした生業が営まれていたものと考えられています。
市電青柳町駅から徒歩5分函館駅から約3㎞
市立函館博物館 0138-23-5480
夏9:00~16:30 冬9:00~16:00入館料 大人100円、学生~児童50円
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DY30 渡島 函館市 道 有形文化財板碑(貞治の碑)
昭和46年3月5日称名寺 函館市船見町18番14号
・宝暦2年(1752)函館大町の榊伝四郎が井戸掘りの際に発見した安山岩製の板碑(板石塔婆)です。この時、同時に出土した頭蓋骨を収めた丹塗の小箱や鐙の金具、九曜紋入りの刀の鍔などを合わせて、称名寺に納め供養されていたものです。・碑面には、一般的にみられる梵字の種子の代わりに、右に「阿弥陀如来礼拝図」左に「阿弥陀如来来迎図」の画像が刻まれ、碑文として「貞治六年丁未二月日且那道阿慈父悲母同尼公」と記されています。・また、この碑文にある「貞治」の年号は、南北朝時代の北朝のもので、「貞治六年」は南朝の後村上天皇の正平22年(1367)にあたります。・板碑は、鎌倉時代から室町時代にかけて多く製作された死者の追善供養のための塔婆であり、本州では主に寺院や街道に建てられていますが、北朝年号のある板碑が何故、蝦夷地へ運ばれ埋められていたのかは不明です。・なお、この板碑については、享和3年(1803)、秦穏丸(村上島之丞)の「蝦夷嶋奇観」など著書により取り上げられ、広く世に紹介されてきています。北海道最古の金石文として貴重な歴史資料であり、昭和46年(1971)、道有形文化財に指定されました。
市電函館どっく駅から徒歩8分函館駅から約3.5㎞
函館市教育委員会文化財課0138-21-3456
「ガイドブック函館の文化財」
DY31 渡島 函館市 道 有形文化財サイベ沢遺跡出土の遺物
昭和46年3月5日市立函館博物館 函館市青柳町17番1号
・サイベ沢遺跡は函館市桔梗町・西桔梗町に所在する縄文時代前期から中期にかけての円筒土器文化の代表的な遺跡です。昭和24年(1949)に北海道大学教授児玉作左衛門・同大助手大場利夫の指導の下、市立函館博物館により発掘調査が実施されました。発掘調査には函館市内をはじめとする中学・高校生など多くの市民が参加し、45日間にわたって実施されました。・調査された場所は、サイベ沢と呼ばれる常盤川左岸の斜面に露出していた2か所の貝塚で、遺物の包含層は5mにも達し、7つの文化層から円筒土器が層位的に出土しました。出土した土器は第1から第4文化層の円筒土器下層式(縄文時代前期)と、第5から第7文化層の円筒上層式(縄文時代中期)に区分され、各文化層から出土した土器にはサイベ沢I式からサイベ沢Ⅶ式までの7つの土器型式が設定されました。・出土した円筒土器や各種の石器類・骨角器類などは、北海道南部と東北地方北部との関連性をうかがわせるものが多く、その一部(土器20点、土偶2点、人面土器片1点、土版1点・石冠2点、骨器3点;計29点)が昭和45年に道有形文化財に指定されています。
市電青柳町駅から徒歩5分函館駅から約3㎞
市立函館博物館 0138-23-5480
夏9:00~16:30 冬9:00~16:00入館料 大人100円、学生~児童50円
「ガイドブック函館の文化財」
http://www.museum.hakodate.hokkaido.jp/
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番号 管内 市町村 指定 種別 名称 指定年月日 所在地 説明 主な交通機関 連絡先 公開 参考文献 HP 備考
DY51 渡島 函館市 道 有形文化財旧北海道庁函館支庁庁舎
昭和60年3月30日函館市元町12番18号
・この建物のある場所は、河野の館跡で、享和2年(1802)以来幕府はここに箱館奉行所を置き、明治に入って開拓使函館支庁・函館県庁・北海道庁函館支庁となり、その庁舎は明治40年(1907)の大火で焼失しました。・明治42年に北海道庁技師家田於菟之助の設計により建設され、明治43年に完成しました。函館区が函館市となった大正11年(1922)から昭和25年(1950)まで渡島支庁庁舎として、その後は北海道関係施設として昭和32年まで使用されました。以後は、函館市の所有となり、准看護婦養成所や失業対策事業の作業所を経て、現在は函館市写真歴史館・函館市元町観光案内所として活用されています。・平成3年(1991)12月の火災後、函館市では2か年にわたって北海道の補助と市の援助を得て、復元工事を実施し、往時の美しい姿を再現することができ、平成6年度から再び使用されるようになりました。・玄関ポーチのペディメントを支えるクラシックな玄関回りは、明治の木造建築の中でもひときわ美しいもので、公会堂や教会群の点在する元町界隈に一つの彩りを添えています。
市電末広町駅から徒歩5分函館駅から約2.5㎞
元町観光案内所 0138-27-3333
夏9:00~19:00 冬9:00~17:00
「ガイドブック函館の文化財」
DY52 渡島 函館市 道 有形文化財旧開拓使函館支庁書籍庫
昭和60年3月30日函館市元町12番18号
・明治40年(1907)の大火で類焼を免れたもので、鉄の防火扉と小さな窓をそなえた一見土蔵風の建物です。煉瓦の一部に「明治七年函館製造」などの刻印があって、開拓使が明治5年に創設た茂辺地煉瓦石製造所の製品を使用していることがわかります。書籍庫の建築は明治13年と推定されていますが、同じ茂辺地煉瓦を用いた建築としては、函館常備倉(現存しない)や金森洋物店などが著名です。・設計・施工共に不明であるが、技術・意匠などにより、金森洋物店の設計者として知られている池田直二であるという見方もなされています。・各窓に防火の鉄扉と鉄柵を設け、煉瓦の積み方にフランス積みを取り入れるなど意匠や技法に特徴があります。外部四隅には隅石が組まれ、石造りの鉢巻が廻っています。小屋組は、杵束式木造トラスです。・わが国の煉瓦造りの歴史を伝える、貴重な建築物です。
市電末広町駅から徒歩5分函館駅から約2.5㎞
函館市教育委員会文化財課0138-21-3456
「ガイドブック函館の文化財」
DY32 渡島 函館市 道 有形文化財板碑(戸井町の板碑)
昭和46年3月5日函館市浜町(旧戸井町)
・室町時代の終わり頃から、和人が蝦夷地に移り住みはじめます。戸井地区は、志海苔館などとならび、和人が早くからその足跡を残した地でもあります。・昭和43年の戸井町役場建設に伴い行われた発掘調査で「戸井館」の存在が広く知られるようになりました。館は、14世紀後半頃のものと考えられており、コシャマインの戦い以前に落ちたと言われています。・この「板碑」は、同時期のものと考えられており、2基ともに14世紀中頃から末頃のものと推定されています。板碑は、石の塔婆とでも言うべきもので、供養のために建てられます。「戸井町の板碑」は日本海海岸のものに似ていると言われ、その内容は風化が激しくはっきりしませんが、阿弥陀三尊と金剛界の五仏が刻まれているようです。
函館バス戸井バス停から徒歩3分
戸井教育事務所 0138-82-3150戸井町郷土館0138-82-2273
戸井町郷土館0138-82-2273公開9:00~17:00無料
DS15 渡島 函館市 道 史跡古武井熔鉱炉跡
昭和42年3月17日函館市高岱町(旧恵山町)
・古武井川とその支流であるムサノ沢にはさまれた低位段丘上に位置し、高炉主体を含むマウンドと安山岩の切石で組まれた基段および水車水路が現存しています。マウンド及び水路を除き附近一帯は私有耕作地です。・この高炉は箱舘奉行が附近海岸に豊富に産する砂鉄を用いて大砲を鋳造するため幕府の許可を得て箱舘奉行支配蘭学者武田斐三郎に命じて築造させ安政年間完成をみましたが1回の試作に失敗し、そのまま放置されてしまったものです。・昭和39年の発掘調査により、高炉の全体実測が行なわれ台座、通風溝など石組の1部残されており一度火を入れたことが明らかとなりましたが主要部分が破壊されています。また引続き昭和40年に附近6ヶ所に散在する木炭散布地を調査しました。・この熔鉱炉跡は我が国最初の高炉の試みの一つとして重要なものです。
函館バス古武井小学校前バス停から徒歩10分
恵山教育事務所 0138-85-2222
模型を郷土博物館に展示
DS16 渡島 函館市 道 史跡女那川煉製造所跡
昭和42年3月17日函館市女那川町(旧恵山町)
・尻岸内川口より約1.5キロメートルの右岸段丘南端に位置し、耐火粘土の散布がみられ、窯跡は4基あり、そのうち1基は造田工業のため原形をとどめないまで破壊されましたが他は芝生地下に埋没した状態で保存されています。・昭和39年発掘調査を行ない実測した結果、窯跡の大きさは、約5メートル×2.5メートルで耐火粘土と耐火レンガにより船形をした下部構造がのこされ、ここから発掘されたレンガは材質、形態あるいは記号などから古武井熔鉱炉建設に供給するため作られたものと考えられます。・製造年代は文献史上明らかではありませんが、上記の内容から古武井熔鉱炉との関係上貴重なものです。
函館バス国保病院前バス停から徒歩20分
恵山教育事務所 0138-85-2222
煉瓦を郷土博物館に展示
DS17 渡島 函館市 道 史跡 恵山貝塚 昭和42年3月17日函館市柏野町(旧恵山町)
・恵山市街地の西側で南面する海岸段丘上に所在し、現在耕作地になっています。地表には土器、石器の破片が散乱しています。・昭和15年名取武光の発掘調査により、本遺跡出土の土器を恵山式と命名し、続縄文文化の前期を代表する恵山式文化といわれるようになっています。・昭和37年函館博物館によって一部発掘調査が行われましたが、その結果、続縄文文化期の多くの土器、石器が出土し墳墓の様相も明らかになりました。・しかし、大部分は未調査のまま残っています。貝塚は、地表下25~70センチメートルにみとめられ、豊富な遺物が存在し住居跡墳墓等の遺構はかなり残されているものと思われます。
函館バス東光中学校前バス停から徒歩5分
恵山教育事務所 0138-85-2222
出土遺物を郷土博物館に展示
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