「障害があることによる生きづらさについて」 ヒア...

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資料 5 神戸市障害者施策推進協議会 第2次制度分科会報告書 「障害があることによる生きづらさについて」 ヒアリング集 平成27年8月

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資料 5

神戸市障害者施策推進協議会

第2次制度分科会報告書

「障害があることによる生きづらさについて」

ヒアリング集

平成27年8月

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神戸市障害者施策推進協議会第2次制度分科会における

「障害があることによる生きづらさ」についてのヒアリング

1.概要

第2次制度分科会では、さまざまな障害についての理解を深めることを目的とし

て、障害があることによる生きづらさについてのヒアリングを行ってきた。

2.ヒアリングの実施状況

・第3回(平成 24年8月 21日)

身体障害(肢体不自由)のある方

身体障害(聴覚障害)のある方

精神障害のある方

・第4回(平成 24年 12月 12日)

身体障害(視覚障害)のある方

知的障害のある方

精神障害のある方

・第 8回(平成 26年 10月3日)

身体障害(肢体不自由・言語障害)のある方

重度の身体障害(肢体不自由)・知的障害のある方のご家族

・第 10回(平成 27年 7月 28日)

難病患者の方(2名)

難病患者のご家族

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[第3回(平成24年8月21日)]

◆ 泥 可久 氏(70代男性)

<泥氏のお話>

今日は、人間の心のバリアフリーの問題

と、障害者の自立の問題、障害者の教育問

題についての差別、生きづらさということ

について、お話ししたいと思います。

先日、私のところへ、車いすの青年から

電話がかかってきました。車いすでまちへ

出かけて、狭い通路を通っていると、車が

乗り上げた状態でとめてあって、その横を

通り抜けようとしたら、中から人が出てき

て、「こら!こら!車に傷つけるなよ」と

怒鳴られたそうです。ばかにされた、非常

に悔しい思いをしたと泣いていました。

私が育った年代から50年、60年がたち、

福祉制度は確かに発達しております。しか

し、その制度を運用していく人間の心はま

だまだ閉ざされたままで、やはり差別意識

があると感じました。

現在もそういうことがありますが、私が

育ってきた環境についてもここで言ってお

きたいと思います。昭和13年に生まれて、

16年に、今のポリオ、小児麻痺にかかりま

した。当時、神戸でもはやっていて、一緒

に遊んでいた友達もたくさん、そういう流

行で何らかの障害を受けました。僕の年代

では、ポリオや脊髄カリエスなどで障害を

受けた人がたくさんいます。その人たちが、

今で言う人権問題なんかそっちのけで、差

別の中で力強く生き抜いてきた証がたくさ

んあります。

僕は、昭和20年の終戦のときに小学校へ

入学する歳でしたが、僕はまだ這いまわっ

ていたので学校に行けないということでし

た。障害者は義務教育を免除されるという

制度がまだ生きていまして、親が入学説明

の場に行くと、免除制度があるので、別に

小学校に通わなくてもいいと言われたとい

うのです。親がそこをどう乗り越えていっ

たのかわかりませんが、小学校入学にこぎ

着けました。ただ、それには松葉杖の稽古

をするということが条件でした。

松葉杖の稽古は、小さい子にとって非常

に酷なことです。今のような松葉杖じゃな

くて、竹を割ったような、木を割ってつく

った簡単なもので、脇の下が痛くて歩けま

せん。覚えているのは、学校に行ってから、

みんなが一緒に稽古をさせてくれたことで

す。しばらくは親におんぶしてもらって学

校に行きましたが、そのうちに、みんなが

一緒に稽古をさせてくれて、小学校も1年

終えるころには立派に歩けるようになり、

皆さんの心の温かさを強く感じました。

でも、初めて障害者に対する差別を受け

たのが高校入学時です。当時昭和29年でし

たけども、高校に入るとき、体育が必修に

なっていたのです。つまり、体育ができな

かったら高校に入学できないという問題に

引っかかりました。そのとき、自分は普通

の人間じゃないんだということに初めて気

づきました。中学の先生は、君は勉強して

おかなかったら社会に出て絶対差別を受け

る、だから勉強しておけと言い、とにかく

高校に入りたいと思ったので、学科と面接

3歳の時に、小児まひにより肢体不自由となる。

兵庫区福祉団体連合会等の会長を務め、福祉活動をしている。現在は、要援護者の

防災に力を入れている。

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[第3回(平成24年8月21日)]

の試験を受けましたが、不合格でした。学

科試験は十分にできていたのですが、不合

格でした。その高校は、ある有名な進学校

ですけど、僕の姿を見て、体育のできるよ

うな体じゃない、松葉杖をついていて、片

一方の手はぶらんとしているし、体育はで

きない、これは合格しても卒業できなけれ

ば哀れだから落としたのだと、中学の担任

の先生が理由を聞いたらそう答えられたそ

うです。僕に直接は言わず、後からわかっ

た事ですが、やはりそういう差別がありま

した。それでも何とか高校に行きたかった

ので、あまり有名ではない学校に、何とか

入れていただきました。やはりそのときの

差別というのは、人生の中で大きな衝撃で

した。

昭和32年に高校を卒業しましたが、就職

するときも、いろんなところを受けました

が、この姿を見ただけで、どこもとってく

れませんでした。仕方なく神戸へ出てきて、

職業訓練所というところで職業訓練を受け

て、自立に向かって歩み出しましたが、並

大抵な人生ではありませんでした。

それ以後、障害を持っている人に対して

人々がどういう考えを持っているのかとい

うことを、いろいろと本を読みながら勉強

しました。養護学校ができたのが昭和54年

ですが、それまでは就学免除という制度が

あり、重度の障害でなかなか学校へ行けな

かった人がたくさんいます。

1970年代には、不幸な子どもを産まない

というような政策が進められていたという

記録が残っていました。「障害を持ってい

る人が不幸である」という考え方、これは

日本の考え方なのか、世界の考え方なのか。

「障害を持ったゆえにその人の人生は不幸

である」、そういう考え方のもとでこの日

本の社会は成り立っているんじゃないかと

僕は思いました。ある研究によりますと、

障害者はなくてはならぬ人間、だそうです。

遺伝子の問題ですが、最高の人間の遺伝子

を増やし続けていくためには、負の苦しみ

を持った人間が必要で、それがなければ人

間は滅びてしまうというのです。一方で、

障害を持った人は非常に尊いという学者も

おります。どっちが本当なのか、自分で実

験しなければいけないと思い、僕は社会に

出て女房をもらい、仕事もし、一人前の社

会人としてやってきました。

障害を持っていても、重度の障害を持っ

ていても、社会で立派に成功するにはどう

すればいいかということを実践しなければ、

障害者は、いつまでたっても差別意識の中

で生きていて、不幸だと思われがちです。

不幸ではありません。この障害を持ってい

るがゆえに幸せを得ることができるのです。

昭和61年、まだ勤めに出ていましたが、

民生委員の推薦を受けました。なぜ民生委

員に推薦されたのかわかりませんが、地域

の自治会で活動していましたので、民生委

員に就任し、27年間ほどやりました。

僕は、地域の福祉の一端を担う民生委員

の中で差別を受けました。最初は無視です。

お前の来るようなところじゃないと。そう

いう地域の中で3年ぐらい頑張りました。

懐かしい話ですが、ある事務所の所長が民

生委員を統括しておられたので、私は所長

のところへ泣きながら相談に行きました。

すると、君がここでやめてしまえば、「や

はり障害者はだめなんだ」ということを地

域に教えてしまうから、障害者が一般の社

会でやっていけるということを実証してい

くために、どんなことがあっても続けなさ

いと言われました。

しかし、みんなと一緒に飲みに行くとき

も、無視されてなかなか呼んでもらえませ

んし、研修会に参加するときも、一緒に行

くということがなかったです。学校に通っ

ていたころは、私を中心として、みんなが

同じ歩数で一緒に遠足に行ってくれたのに、

50年たって、立派な人達と言われる民生委

員の集まりの中で、こういう差別意識があ

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[第3回(平成24年8月21日)]

るのは悲しいという思いで生きてきました。

しかし、頑張りは、自分の実践や実証で

示す以外にありません。一番闘ったのは、

福祉に関していうなら、困って相談にいら

した人に対し親身になって相談に乗るとい

うことをだんだんと積み上げていくことで

す。今では一般地域の民生委員の地区会長

にもなっています。老人会の会長や、自治

会の会長もしました。差別を受けながらも、

一般社会で障害者が打ち勝っていくことに

よって、障害者に対する差別意識がだんだ

んなくなっていくのではないか。今でもそ

ういう闘いの中で生きております。

もう一つ言いたい事は、教育の問題です。

私は、小学校区の民生委員なので、いろ

いろと学校から相談を受けることがありま

す。その学校には重度障害の生徒や、僕と

同じように松葉杖をついた生徒が在籍して

います。学校の制度の中では、なかなか専

門の職員が少ない。その生徒のお母さんは

どちらも働いておられるのですが、学校に

いる間も、重度の障害者ですから全介助が

必要です。だれかこの子を学校で助けてく

れるボランティアがいないでしょうかとい

う相談を、学校の先生から受けましたので、

僕はボランティアをひとり紹介しました。

ひきつけを起こしたり、てんかんを起こ

したりする重度の障害児なので、その子を

学校の中でみていくということは非常に危

険です。これは到底ボランティアでできる

仕事ではありません。国は、平等に教育を

受ける権利があるときちんと定めているの

に、市町村に返ってくれば、平等どころか、

一般の学校に入れるというように頑張るお

母さんがいても、それを受けとめる学校が

ありません。こういうことをそのときに初

めて知りました。ボランティアさんが、重

度の生徒を学校の中で着替えをさせたり、

トイレに連れて行ったり、そういうことを

しなければいけない社会、これは一体どう

いう社会なのか。この日本は心通う社会で

はない、悲しい社会だということです。学

校にそういう生徒が入学すれば、やはり専

門職員を配置しなければいけない。でも、

知的障害児やいろいろな生徒がいて、なか

よし学級もあれば通常学級の生徒もみなけ

ればいけない中で、1人で何人の障害のあ

る生徒をみれるでしょうか。それを助ける

のがボランティアさんです。

もう一つは、ヘルパーが入ることが禁じ

られていることです。僕は知りませんでし

たが、ヘルパーさんがかかわる範囲が制度

で決められているのですが、ヘルパーさん

が学校で介助することはできません。学校

には入れない、そういう制度です。痰など

をとらないといけなくても、それができま

せん。ヘルパーさんが学校には入れないこ

とは初めて知ったのですが、教育を受けて

資格を持った専門職の人が障害者の教育に

あたるのは当然だと思います。そういうと

ころをこれからやはり変えていかなければ

いけないと強く考えております。

要するに、心のバリアフリーはまだまだ

遠いと日々感じながら、障害者からいろい

ろ聞き、また激励しながら活動していると

いうのが現状です。

<委員からの質問とお答え>

委員: 泥さんのお話は、特に私より歳上の

ポリオの人からよく話を聞きます。就

職先もなく困っていたら、小学校時代

の障害のない友人が自転車屋をやって

いて、そこで働かないかと言ってくれ

たので働く場所ができたという話も聞

いていましたので、それとリンクして

話を聞かせてもらいました。

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[第3回(平成24年8月21日)]

いまでも障害者に対し、特に住宅問

題で、家主が部屋を貸してくれないと

いう問題等があります。学校でも、専

門の人がいないから入学できないとい

うことがあります。

だから、専門性のある人が、ボラン

ティアやその他の人に教えていくとい

うことも含めて、地域の普通学級に行

きたいといわれる方のお手伝いを、泥

さんがやっていらっしゃると思います

ので、その辺のことをお聞かせ願えれ

ばと思います。そのときに教育委員会

から拒否されたとかいう実例があれば

お話をお願いしたいと思います。

泥 : 教育委員会には行っていませんが、

神戸市の車いすの市会議員に相談しま

した。こういう制度を、教育委員会が

どこかの施設から派遣するということ

をしていただくようになっています。

僕の担当している学校で、他区から来

ている生徒がいます。住んでいる区の

小学校では受け入れられないから、こ

ちらの学校へ来ているのです。

このように受け入れていけば、生徒

が集中してきます。そうすると、その

子が入学するなら確かに必要だという

ことで、エレベーターが設置されまし

た。でも、そのエレベーターをつける

件数は決まっていて、学校でも神戸市

に1、2カ所というふうに決まってい

るので、申請してもなかなか難しい。

担当の区には小学校が10校ありますが、

エレベーターは3校しかついていませ

ん。まだまだエレベーターをつけなけ

れば通えないということがありますの

で、まず校舎のバリアフリー化を進め

た上で、専門職員を派遣する制度をも

っと充実していくという条例を作って

もらおうという運動をしています。

僕がもう一つ言いたかったのは、障

害者はなぜ低所得のままずっと置かれ

るのかという問題です。親からずっと

受け継いだ財産に恵まれている人はい

ますが、それ以外の人はずっと低所得

です。私たちは、一生懸命職について、

時計屋をしたり、はんこ屋をしたり、

洋服屋をしたり、そういう技術を身に

つけることで食べては来ましたが、厚

生年金という高い保険制度はついてい

ません。国民年金で生活しています。

70歳ぐらいで死ぬならそれでいいです

けど、今は90歳ぐらいまで生きる。80

歳以上の人は、貯めたお金も底をつい

てきて、どうしたらいいんだという。

90歳ぐらいまで生きたら絶対足りませ

ん。こういう長生きをする社会は、国

民基礎年金ではいつまでも障害者は生

きていけない社会です。これは絶対間

違っている。だから、生活保護を受け

る以上の年金制度を充実させていく必

要があります。それが自立支援法だっ

たのですが、だんだんおかしくなって

しまって、自立どころか、差別の支援

保護になってしまった。障害者が低所

得から脱皮するような制度、障害者を

尊ぶような社会をつくっていく、そう

いうことも必要なので、今後の活動の

糧にしていきたいと思っています。

委員: 学校が拒否するということはほとん

どなくなって、親の希望どおり、進路

先は決まります。

それから、学校にヘルパーが入れな

い件。学校は教育の場所であるから、

介助員を入れて過ごすことができない

ということになっています。これは病

院も一緒です。私どもの団体は、いつ

も病院にもヘルパーさんが入れるよう

にしてほしいという要望は出していま

す。この前聞いた話で、視覚障害の方

が、普段はある程度自分でトイレに行

ったり、買い物に行ったりできるけど、

病院という特別な場所で、看護師さん

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[第3回(平成24年8月21日)]

がずっとついてくれるわけでもないし、

トイレに行きたくても、どこにあるか

わからず困ったそうです。

そんな状態で、学校にももっと融通

をきかせるものが欲しいと思います。

今、通常学校は、ずっと40人のままで

すが、35人学級も随分増えてきており

まして、兵庫県の場合には、4年生ま

でが35人学級だと思います。しかし、

5、6年生って、すごく自己主張も激

しくなり、中学校に向けて気持ちの上

でもいろいろ動揺する大事な時期だけ

れど、それでまた40人学級に戻ってい

くのです。一人ひとりの子どもたちに

相談に乗ってあげなければならない時

期にそういうふうになっていく。

その中で、障害のある子どもたちが

通常学級に入っている場合は、周りの

子どもたちも自分のことで精いっぱい

というような状況になっていて、スト

レスのたまった子は、ADHDの子が

立ち歩いたりおしゃべりしたりするよ

うになると、やかましいと怒り散らす

という実態があります。だから、教育

制度そのものもやはり改善していかな

ければならないというふうに思います。

委員: 学校や病院にヘルパーが入れないと

いうお話が出ていますが、神戸市は、

重度の方に介助者を入れるという事業

がありますよね。

重度の方が、入院が必要になったと

き、入院中だけ慣れた介助者の方が、

コミュニケーションのサポートをする

ためご家族のかわりという名目だと思

いますが、一応ヘルパーさんをつける

ことができます。そのお金は神戸市か

ら出るという独自の事業があるような

ので、そういった制度を柔軟に使って

いただけるといいかもしれません。

委員: 泥さんが提唱されたと思いますが、

健常児に対する理解を深めるための学

校訪問がありましたね。

泥 : 福祉講座です。

委員: 私も参加して、本当に教育が大事だ

と感じました。専門的な教育を障害者

が受けるのは当然ですが、障害のない

子どもたちをどう教育していくかとい

うことが、将来にわたって障害者差別

をなくすための原点だと思うんです。

小学校低学年の子どもたちが本当にい

いと思います。そのときから丁寧にそ

ういったことを押さえていくと、偏見

の問題等は将来的には改善されていく

のではないかと思います。

委員: おっしゃるとおり、障害のあるご兄

弟をお持ちの方や、子どものころご近

所に障害のあるお友達がいたという方

は、障害のある方に対する理解や偏見

など、そういう何か特別な思いもなく、

同じお友達という感じでお付き合いの

できる方が本当に多いと思いますので、

おっしゃるとおり、健常の子どもたち

の教育をどうするかということが大事

ですね。どうもありがとうございまし

た。

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[第3回(平成24年8月21日)]

◆ 廣瀬 信也 氏(60代男性)

<廣瀬氏のお話>

今日ここにいらっしゃる皆さんを見て、

少し疑問があります。障害者代表はどなた

もいらっしゃいません。聴覚障害者は私一

人だけですね。身体障害者はおられますが、

視覚・身体・肢体、その中に聴覚障害者も

もっとたくさんいていただければ嬉しく思

います。

聴覚障害者は、コミュニケーションとい

う面で随分ほかの障害者とは違います。聴

覚障害者は、自分一人で意見を言うことは

なかなか難しいと思います。聴覚障害者は、

言語障害者、難聴者、聾唖者といろいろあ

り、盲聾者の方もいます。盲聾者の方たち

はいろいろな面で大変です。見えなくて、

言えないのです。

一番困ることはコミュニケーションです。

一人だけコミュニケーションがとれないと

いう場があり、それはその場に参加できな

いということでもあります。皆さんは、意

見を述べたり、聞いたり、いろんな場に参

加できますよね。聴覚障害者の場合は、通

訳者がいなければ、意見を言うことも聞く

こともできません。ですから、きょうは通

訳者に2人来ていただいております。いろ

んなところに通訳者がいればと思いますけ

ども、そんな場はありません。

今、通訳者は、例えば、区役所にいます。

阪神大震災がきっかけで通訳者が置かれる

ようになりました。それまで、通訳者は区

役所にいませんでした。行事やいろんな場、

さまざまな施設にも通訳者はいません。公

的な場にもいません。老人ホームとか、障

害者施設とか、精神障害者施設とか、いろ

んなところに聴覚障害者、重複障害者がい

ます。ですから、そんな場に行ったとき、

通訳者がいなければコミュニケーションは

とれません。このような差別はなくしてほ

しいと思います。

生活で一番大切なのは、やはり手話通訳

者です。いなければ困ります。

今、私は神戸市の手話通訳派遣を担って

おります。派遣件数については、平成7年

頃は200件ぐらいでしたが、いま現在は随

分増えて、約4,000件になっております。

内容は様々ですが、条件が付いているため

通訳が派遣できる範囲は非常に狭いです。

神戸市には通訳者の派遣に関する要綱があ

り、その中で派遣可能な場所がいろいろ制

限されています。病院、学校、買い物、市

役所というような範囲があり、それ以上は

無理です。例えば、自動車学校、リフトの

資格をとるための講習会、パソコンの講習

というのは認められません。ですが、それ

は将来仕事につくために必要です。

小学校で障害のある子に実際にふれあっ

ていないと、障害のある子がいてコミュニ

ケーションができないとき、その子の援助

ができません。中学校も同じです。できた

ら、教育現場で手話の学科を一つつけてい

ただきたい。そうすれば、自然に友達と手

話の交流ができると思います。そういう場

が増えていってほしいと思っております。

将来、地域で手話が当たり前になってほし

いですが、今は全くそういうことができて

おりません。みんなと離れて、コミュニケ

ーションがとれない場合ひとりぼっちです。

生まれつき、聴覚・言語障害がある。

現在、聴覚障害者用の特別養護老人ホームで介護職員として勤めている。

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[第3回(平成24年8月21日)]

教育の場で手話についてもう一度考えてい

ただけたらと思います。

手話講習会もそうです。学校から依頼を

受ける講習がありますが、それもほんの短

い時間で、1回だけです。そんな短い時間

では、すぐに忘れます。社会や理科など普

通の学科と同じように時間をつくっていた

だけたら嬉しく思います。今、小学校で英

語の教科があると伺っておりますけれども、

手話もそれと同じように時間をつくってい

ただけたらと思います。

自分自身のことじゃなくて、社会的なこ

とも少し言います。バリアフリーについて、

12年前に調べに行ったことがありますが、

今も、聴覚障害に関しては全くバリアフリ

ーが進んでいません。車いすや視覚障害は

いろいろ備えができておりますけれども、

聴覚障害については、なかなか改善が見ら

れないので、それも差別かなという苦しみ

があります。視覚の場合は、点字ブロック

がほぼ設置されております。肢体の車いす

の方も、スロープがついております。聴覚

障害の場合も、字幕をいろんな場でつけて

ほしいと思いますし、受付などに手話ので

きる人がいたらと思います。バリアフリー

の課題というのは、聴覚障害者にとっては、

まだまだそのまま残っております。

また、お願いがあります。手話通訳者の

数は本当に少ないです。兵庫県の委託事業

として手話通訳者養成講座がありますけれ

ども、神戸市にはありません。神戸市は人

口が多いですよね。その中で、聴覚障害者

が7,000人います。手話を必要としている

人は2,000人から3,000人ぐらいだと思いま

すが、登録している手話通訳者は110人ぐ

らいで、そのうち活動できるのは3分の1

にも満たず、30、40人ぐらいです。なかな

かそのやりくりができておりません。神戸

市に養成をお願いしていますが、なかなか

認められなくて、それが一番苦しい。10年

後、手話通訳者がどんどん減っていくので

はないかと思っています。それは聴覚障害

者の社会参加が減っていくというおそれを

抱いております。まず手話通訳者の養成を

してほしいです。各小中学校へ一人ずつ手

話の指導に行くことができるなら、聴覚障

害者は将来幸せになるかなと思っておりま

す。もう少しそれを考えていただけたらと

思います。

私の生い立ちを少しお話したいと思いま

す。私は、先天性聴覚障害で、両親も聴覚

障害者です。私には子どもが2人います。

上は男の子で健常です。下は娘で聞こえま

せん。今、長男は東京に行っていますので、

娘と私と妻の3人のデフファミリーです。

私自身もデフファミリーの中で育ち、両親

とは手話でコミュニケーションをしていま

したが、社会に入ったときに、大変なショ

ックと苦しみを味わいました。といいます

のは、両親も聴覚障害者ですから、目で見

ただけの情報のみで、耳からの情報は全く

なかったのです。

卒業するまでは、学校で楽しいことがた

くさんありました。学校の中で、手話で会

話ができるからです。でも、卒業後に社会

に入ったら、本当にいろんな苦しみやバリ

アがありました。本を読んでも、なかなか

その文章を理解できない。ことわざなど、

全く今まで聞いたこともない。教えてくれ

る人もいませんでした。それがきっかけと

なり自分で勉強していますが、まだまだい

ろんな情報は入ってきません。

両親が聾なので、いろんな常識というの

がなかなか入ってきません。結婚式のとき、

ちょっと常識がないと親戚から叱られまし

た。謝ったのですが、両親はその謝った理

由が何だかよくわかっておらず、私自身も

わかりませんでした。後でその意味がやっ

とわかって、少し恥ずかしい思いをしまし

た。なかなか一般常識というのが情報とし

て耳から入ってきませんので、理解するこ

とが難しいのです。社会に出て、いろんな

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[第3回(平成24年8月21日)]

ことを教えていただき、目を見開く思いで

した。

今は、逆に、聴覚障害の方が私のところ

にいろんな相談を持ちかけてきます。私は、

その人たちの援助をしております。学校で、

いろんな将来につながる教育をしてほしい

ということをお願いしたいと思います。あ

りがとうございました。

<委員からの質問とお答え>

委員: 障害者権利条約でも、障害者基本法

の中でも、手話は言語であるというこ

とになりましたが、やはり廣瀬さんの

言われるように、手話通訳がなければ

取り残されていく聴覚障害者が多くい

ると思います。職場でのコミュニケー

ションを含めて考えれば、やはり小・

中学校での、健常児に対する手話教育

の必要性もあると思いますし、一口に

「聴覚障害者」といっても、いろいろ

な方がいると思います。先天性の聴覚

障害者と中途からの聴覚障害者の違い

なども多くあると思いますが、その辺

の話も含めてお聞かせいただけますか。

あと、よく言われるのは、緊急時の

情報保障で、鉄道などでのアナウンス

のかわりに、テロップで情報を表示す

るというのが現実的には進んでいない

ことを含めて、それ自体が聴覚障害者

に対する差別だと私は思います。私の

友人の中には「手話は文化である」と

いう人もいます。その手話の文化の聾

学校の中でも、聴覚障害者の教師と健

常者の教師がいますが、教室では手話

でしゃべっている教師が、職員室では

口話でしゃべっているので、聴覚障害

者は教師から置き去りにされているよ

うに感じるという話をよく聞きます。

その辺の具体的な差別的事例をお聞か

せ願えればと思います。

廣瀬: 聴覚障害者にもいろいろあります。

私は先天性聴覚障害者ですので、両

親から自然に手話というものを教えて

もらっています。だから、コミュニケ

ーションは手話です。

一方で、高熱のため聞こえなくなっ

て、手話を初めて知った人もいます。

昔は口話が多かったのですが、先輩を

見習って、手話を覚えたという人もい

ます。交通事故の衝撃で突然聞こえな

くなり、世界がひっくり返った思いだ

という人もいます。そして、音のない

世界になかなかついていけず、引きこ

もってしまう人もいます。また、高齢

になって聴覚が低下してくる人もいま

すから、同じ聞こえない障害といって

も本当にまちまちです。

中途失聴者、難聴者、高齢の聞こえ

ない人たちについては筆談という方法

もあります。私は高齢の方とコミュニ

ケーションをとったことがないからわ

かりませんが、何が一番必要かといえ

ば、やっぱりテロップ、文字です。コ

ミュニケーションは、筆談だという人

もいますし、やっぱり手話だという人

もいます。

それから、補聴器をつけられた方は

必ず聞こえると思っていただいては困

ります。私自身、補聴器をつけても全

く聞こえません。補聴器をつけた方で、

音としては入っても言葉としては入ら

ない人もいます。ですから、そのあた

りを誤解しないようにしていただきた

いと思います。

もう一つ、災害について、17年前の

阪神・淡路大震災のとき、聴覚障害者

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[第3回(平成24年8月21日)]

は、本当に苦しい思いをしました。今

でこそきっちりできておりますけれど、

当時は避難所がどこかわかりませんで

した。避難所にやっと着いたら、人が

ずらっと並んでいるけれど、それが何

の列かわからない。「弁当を配りま

す」というアナウンスも全くわからな

い。でもみんな並んでいる。何かなと

思って気づき、やっと並んだときには

何もなく、3日間何も食べずに我慢し

たという話を聞いて、びっくりしたこ

とがあります。

緊急の場合、「避難所に逃げてくだ

さい」と車が地域をパトロールします

けれども、全く聞こえません。「水の

配給があります」というのも聞こえま

せん。

去年の3月11日、東日本大震災があ

りました。その頃、災害についていろ

いろ考えなければならないという話が

あがっていましたが、聴覚障害者は情

報が入ってこないという状態は阪神・

淡路大震災のときと一緒でした。やは

りまず、聞こえない者にとっては情報

が欲しい。津波が来ても何も聞こえな

い。水が来ても何も聞こえない。本当

に困りました。避難所が決まったら、

すぐ手話通訳者を派遣してほしいので

すが、手話通訳者も同じ被災者です。

そういう配置はなかなか難しいと思い

ます。そのような困った例をいっぱい

聞いております。

今、いろんな情報を伝える方法を考

えていますが、しかしやはり遅いです

し、いろんな大変な面があります。情

報確保が私たちのまず一番の希望です。

職場の話のお話でしたね。私が会社

に勤めていたときのことですが、後ろ

から名前を呼ばれるんです。私は、機

械に向かって一生懸命頑張って仕事を

しています。後ろから呼ばれても聞こ

えないから、物をバッと頭に投げてく

るんです。もうびっくりして、本当に

怒りたいのを我慢しました。へたくそ

に物を投げて、もし目にあたったらど

うするのかと思うんですけれども、や

っぱりそれも我慢しました。いつまで

も技術を磨きたい、いろんな仕事がし

たいと思うのですが、職場においてな

かなか昇進は難しい、そういう思いが

残っています。

聴覚障害者から、いろんな場で虐げ

られたという相談を受けております。

職場でも、ゴミが散らかっていれば聴

覚障害者の仕事で、ゴミを掃除しろと

いう、そういう虐げられた状態がずっ

と続いております。

委員: どうもありがとうございました。ご

質問のお答えと、より詳しいご経験談

をいただきました。

Page 12: 「障害があることによる生きづらさについて」 ヒア …神戸市障害者施策推進協議会第2次制度分科会における 「障害があることによる生きづらさ」についてのヒアリング

[第3回(平成24年8月21日)]

◆ 吉本 広志 氏(50代男性)

<吉本氏のお話>

私は、現在51歳で、障害2級の手帳を持

っています。統合失調症です。両親が健在

で一緒に生活しているので、今は何とかや

っています。一戸建ての家に住んでいるの

ですが、特別障害給付金の月4万円弱では

将来の生活に不安があります。

家に引きこもっている精神障害者は、全

体の8割にもなると言われています。家に

引きこもる理由は、障害を理解されないい

じめや、社会環境の厳しさ、両親の理解の

なさなどがあると思いますが、家から一歩

出ることにためらいや怖さを感じることが

多々あります。社会に出るとリスクを負う

ものですが、そのリスクが年々大きくなっ

ていると感じます。空気が読めない、社会

から孤立してしまう、そういうところが精

神障害者にはあります。

私は、福祉乗車証や就労支援B型に通う

など、福祉サービスの恩恵にあずかってい

るのですが、将来一般就労しようとすると、

現実的に大きな壁にぶつかります。

会社で、精神障害者で入院したことがあ

ると正直に言うと、相手にされなくなり、

周りがぎくしゃくして、仕事をあきらめざ

るを得なくなった経験があります。職を

転々とし、中には理解を示してくれた上司

もいました。しかし、長時間労働は無理で

あったり、人間関係を築く上での付き合い

が苦手だったり、服薬しているため、しん

どさや、アルコールがだめとか、今のまま

の生活、すなわち福祉のお世話になってい

るしかないのかという絶望感があります。

友人もいろいろといるのですが、私の場

合、次のステップに大きな段差があります。

段差というのは、デイケアから作業所へ、

作業所から一般就労へという段差です。

若くして亡くなった仲間も多くいます。

家族から孤立無援になって、自ら命を絶っ

た人、精神障害以外の疾患で一人で亡くな

った人。精神障害は常に服薬をしいられて

いるので、肝臓を悪くする人も多くいます。

また、1人で生活している人は栄養バラン

スが崩れ、体調をこわす人も多いです。

精神障害者の場合は、目に見えないから、

差別が余計厳しくなる、つまり、見えない

差別です。今、精神障害者が増えているの

で、放ってはおけない問題だと思います。

10代で発病する人もいれば、40代で発病す

る人もいるし、統合失調症の場合は 100人

に1人と言われていますが、躁鬱、鬱の場

合はもっと多いですよね。 300万人以上い

ます。今日、この場に呼んでいただいて本

当にありがたいと思っていますが、精神障

害の場合は、本当に複雑な症状を持ってい

る人が多くて、十人十色です。障害でも病

気でも十人十色と言われますから、なかな

か十把一からげに話すことはできませんが、

私の経験からいうと、やっぱり教育だと思

います。私は、大学生だった21歳のときに

発病しましたが、今考えると、あのときは

精神障害。大学生だった21歳のころ、統合失調症と診断される。

大学卒業後は、短期間の仕事やアルバイトをやってきた。

現在、母の介護や家事をして日々過ごしている。

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[第3回(平成24年8月21日)]

自分の未熟さが高じて発病したのだと思い

ます。だれを責めるわけでもなく、例えば、

他の人の立場を想像し、相手の立場に立つ

ことに欠けていたという思いが強くあって、

非言語的な会話というか、言葉にならない

会話というのがあることに全く気付かず、

心の中で自分の勝手なことばっかり思って

いたんです。大学まで行って、本当に情け

ない話です。それで周りとの軋轢が激しく

なって、僕が壊れてしまったという感じで

す。でも、他の人の立場を想像するとか、

相手の立場に立つということに気付くこと

ができた私は幸福だと思います。

また文化の違いで発病する事もあると聞

きます。呉秀三さんという大正の精神科医

が、精神障害者は二重の苦しみを背負って

いると言ったそうですが、二重の苦しみと

いうのは日本の文化と病を二重に背負って

しまった苦しみじゃないかと私は思います。

幸福と申しましたが、人生で、気づきに

至らず自殺してしまったり、人生の喜びを

知らずに亡くなってしまう人がたくさんい

ます。自殺する人は多く、年3万人以上い

るし、高齢になって認知症になってしまう

方もおられるし、その原因はいろいろある

と思いますが、僕の感覚でいえば、一時期

「自己責任」とか、そういうことがはやり

ましたけど、人生の濃度、どれだけ自分が

やってきたかとか、仕事でも何でもいいん

ですけれども、他の人を助けるという基本

がないと、やっぱり人生は失敗だと思いま

す。失敗でないのかもしれないですけれど

も、自己中心的な考え方から、利他の考え

方に変わらないといけない。

そこで、私は、若いころから受験一辺倒

ではなく、相手の気持ちを汲む教育をして

いただきたいと強く思います。人生はペー

パーテストを解くだけでは渡っていけませ

ん。相手を思いやって勉強している学生も

いることはわかっています。しかし、相手

を思うこと、相手の立場に立つことに欠け

てしまっている生徒に勉学を押しつけるの

はいかがなものかと思います。苦しみしか

人間を磨かないともいいますが、他人を思

って生活する態度があれば、どんな道をた

どっても、人生の意味や、年を経ることの

意味がわかっていくと思います。そういう

意味で、教育は大切だと思います。

<同伴者・高瀬氏のお話>

高瀬と申します。今日は吉本さんと一緒

に来ました。吉本さんからは、精神障害者

としての自分の体験談や社会に訴えたいこ

とについて話が出たと思いますが、それに

補足する形で、精神障害者として受ける差

別事例を説明させてもらいたいと思います。

まず、精神科医療を受ける場合、ゆっく

り休養するために入った病院で暴言暴行を

受け、通信・面会の自由も守られないこと。

2つ目に、薬漬けにされて、室内温度が

調整されていないとか、晩ご飯が4時にな

るなど食事時間が早すぎるということです。

3つ目が、ケースワーカーも主治医も、

よく話を聞いてくれないということがあり

ます。これは忙しいだけじゃなくて、言っ

てもわからないだろうというような先入観

から、説明がものすごく不足していたり、

話を聞いてくれないということがあります。

4つ目は、入りたい病院に入れないこと

です。精神科は特別扱いで、救急の場合に

は輪番制というのがあり、思わぬ悪質病院

に入れられることがあります。

5つ目は、入院後、退院届を出してもう

やむやにされ、外出もままならないという

ことがあります。

次に、地域における話です。

1つ目は、薬の副作用でやむなく出る症

状について、「変な人」「キモい」という

ことを言われたりします。例えば、「アカ

シジア」と言う症状で、アカシジアは「静

座不能」といい、電車の中などで手足を忙

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[第3回(平成24年8月21日)]

しく動かしているような症状で、抑えよう

がないんです。アカシジアや、ひとり笑い

やひとり言。実はひとり言といっても、ひ

とりではなく、幻聴で聞こえてくる相手が

いるので、カギ括弧つきの「ひとり言」

「ひとり笑い」であったりするのです。

2つ目は、公営住宅の入居優先枠はあっ

ても、それ以前の面談で落とされることも

あるのではないかということです。入居で

きても、会長や副会長、会計、書記、それ

から掃除、これは週1回であったり、年2

回の大掃除であったり、その他細々とした

ゴミステーションや階段の掃除などを強制

される。これは吉本さんからも話がありま

したけれども、外見は普通だというところ

からきていることが多いです。これはぜひ

とも理解してほしいと思います。

3つ目は、つくりの悪い住宅にしか住め

ないことです。妄想や幻聴からくるカギ括

弧つきの「音」「声」から逃れることがで

きないといったことがあります。

4つ目に、年末年始やお盆の時期、子ど

もさんが休みだから、「気をつけようね、

危ない人には近づかないように」というよ

うな大警戒があったりします。何より人が

大移動しますから、孤立してひとりぼっち

になってしまうといったことがあります。

5つ目は、障老介護、これは障害者が高

齢者を介護するということで、老老介護、

これは障害を持った高齢者が、両親の介護、

老人、高齢者を介護します。老老介護。気

分が晴れない。心中も考える。

その他、チャンスが平等にないことです。

就労や異性との出会いがない。精神障害者

の場合、結婚している人は非常に少ない。

また、人より動きが鈍いため「のろま」

と言われたり、子ども扱いされたりします。

これは非常に失礼だから腹が立ちます。

3つ目に、年をとり体が弱っても、副作

用の強い薬を飲まなければならないという

ことがあります。幻聴や妄想、睡眠障害を

抑えるために薬を飲まざるを得ないのです。

また、収入が少なくて、人並みに旅行や

コンサートなどを楽しむ余裕がないという

ことや、精神症状に加え、物忘れがひどく

なって、金銭管理も大変だという話があり

ます。私からは以上です。

<委員からの質問とお答え>

委員: ありがとうございました。人を思い

やるという教育が何よりも大事で、そ

ういう教育を社会全体でしてもらいた

いということですね。

吉本: はい。ただ、社会モデルと医学モデ

ルと言われていますよね。高瀬さんは

医学モデルばかり言うのは反対みたい

です。僕は、精神障害は回復すると思

いますが、回復しないのも病気の個性

じゃないかという意見もあって、変わ

れない人もやっぱりいるわけで、そう

いう人を放っておくわけにはいかない。

僕が言ったのは、回復すればいいなと

いうことなんで、そういう障害を個性

だと認めてほしいというのがあります。

委員: 医学モデルは、何らかの治療で治し

ていく、あるいは障害を軽くしていく

という考えで、実際できる部分もある

し、していかないといけない部分です

が、それでもやはり障害や生きづらさ

が残ることはあるので、それを個性だ

というふうに受けとめていけばいいん

じゃないかということですね。

委員: 精神障害者の方との接し方について、

精神障害者の方もいろいろ異なると思

いますが、どんなことに注意して接し

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[第3回(平成24年8月21日)]

たらいいか教えていただけますか。

吉本: いろんな方がおられますが、敏感な

人が多いから、精神障害だと知ってい

るなら、同じ目線で接してほしいです

ね。医者でも、最初は目線を一緒にす

るということを勉強するそうですが、

同じ目線で、年齢の違いはあっても、

別に怖いものにさわるわけじゃない、

普通でいいと思います。ただ、病院に

入院したことが僕もありますが、入院

されている方で、ずっと黙って座って

いるご老人もおられたし、保護室とい

って、四畳半ぐらいの部屋に押し込め

られて大声を上げている人がいました

が、普通は、そういう人と接触する機

会はあまりないと思うので、社会に出

て、作業所や一般就労されている方に

対しては、普通でいいと思います。

高瀬: 精神障害といっても、統合失調症や

躁鬱病、神経症などいろいろあり、そ

れぞれ頑張って生きています。だから、

その上に「頑張って」ということは余

り言わないでほしい。本人をしんどく

させるだけで、全然意味がない。今回

の東日本大震災でも、家族や仕事を失

ってしんどい中、「頑張って」と言わ

れたくないということを聞きますよね。

精神障害者に対しても、そういう言葉

はかけないでほしい。言うならば、

「大変だろうなあ。私もそうだったら、

僕も一緒にしんどくなってしまう、落

ち込んでしまう。だけど、何か目標を

持って生きていきたいなあ」という言

葉がけでいいかなと思います。

廣瀬: 「頑張って」と言うのはよくないと

言われましたが、そのかわりに、どう

いうふうな声かけをしたらいいですか。

高瀬: 先ほども申しましたが、「ああ、そ

うか。そういう症状が出ていたらしん

どいだろうな」と。例えば、幻聴は全

然知らないとこからいろんな人の声が

聞こえてきます。この前電車で、多分

ろうあ者の方だと思いますが、ろうあ

の障害を持っている上に幻聴もあった

と思います。電車の中でそういうそぶ

りをされていました。大変だなと思っ

ていましたが、そういうときにどうい

う声かけをしたらいいだろうか。もし

僕が手話を使えて声をかけるとしたら、

「大変だな。私がもしそうだったらと

ても生きてはいけないな。一緒に目

的・目標を持ってやっていこう」と、

同じ目線に立つような言葉がけ・声か

けが一番いいのではと、抽象的ではあ

りますが思います。

廣瀬: ありがとうございます。実は、事務

所にも、聞こえない上に同じような精

神障害を持っている人がいて、うつ病

の方もおられます。その方にどうやっ

て接したらいいのか、とても気を使っ

てしまいます。今の同じ目線でという

ことを参考にしていきたいと思います。

泥 : 私の一番上の兄が統合失調症なので

すが、学生のときに、本当に静かな田

舎から、それこそ60年の安保の怒濤の

中で、自分で十分理解できないままこ

れが正しいと思って突っ込んで挫折し

ていきました。その落差の中で、理解

しきれなかったのだろうと僕は思って

います。青春の血気盛んな時に、心が

なぜそういう状態になったのか本当に

納得できなかったということも、すご

く大きな理由だったと思います。

それと同時に、私の兄もとても神経

質で、幻聴と被害妄想があります。私

が田舎に帰り、兄がひとり言で、「今

こうこう、こういうふうにだれだれが

言っている」と問いかけてきたります。

「どう言っているの」とずっと聞く側

に回ります。「そうかもしれないな」

って。それに反論すると、もっと状態

が悪くなったりしていきます。しかし

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[第3回(平成24年8月21日)]

周りの人たちは、「そんなことはな

い」と説得する側に回るので、何か自

分が追い詰められているような感じを

受けてしまうので、本当にしっかり聞

くということは、とても大事なことだ

ろうと思います。説得したり何かする

というような感じではなく、同じ視線

で、相手の立場に立って接するという

ことが基本かなと思います。本当に辛

いと思いますが、家族にとっては一緒

にずっと生活していると疲れてくるこ

ともあります。でも私自身もそういう

ふうになる可能性はあったと思うので、

その辺は受けとめているつもりです。

委員: 私の施設は、重症心身障害者、重度

の障害者、重複障害者のグループです

が、今、精神障害で介護のパートで就

職される方が多いです。パートで入っ

ていただいた彼の指導の仕方などが違

った場合、施設長から注意することも

あります。私たちは重度の障害をもつ

子ども達の命を預かっており、一つ間

違ったら命にかかわる問題になってく

るからです。その時、彼と施設長の意

見が違った場合に、いつも彼のほうが

押し通してきて、施設長が違う、こう

だというとパニック状態になります。

ギャーという声を出して狭い施設の中

を走り回るんです。寝たきりの子ども

もいますし、重度障害の子どもたちば

っかりの中でそういう状態が起きると、

こちらはとにかく静かに気持ちを落ち

着かせてやる。衝突したことは仕方が

ないにして、気持ちを落ち着かせてあ

げるのが先決ということで、施設長が

そういう対応をします。しかし、彼は

「施設長が悪い、施設長が悪い」と思

い込み、うまくいかなくなります。う

ちのような重度の子どもの場合はいろ

んな人がおりますので、その彼も受け

入れてあげられたらと思って、受け入

れさせていただいたのが、うまくいか

ない場合があります。今後の我々の姿

勢として何かプラスになることを教え

いただけませんか。

委員: 確認ですが、その施設で働いていら

っしゃる方は、精神障害の方というこ

とで雇用されたんですか。

委員: 証明書などはいただいていないです。

紹介された方から、ちょっと不安定な

ところがあると聞いています。

委員: 精神障害のために不安定だけれどと

いうことで紹介されて、雇われたと。

それで、施設長との間で意見が食い違

ったときに、ご自分の思いを通されて

衝突してパニックになり、大きな声を

出したりして、不安定になってしまう

ということですね。

吉本: 私も精神障害者ですが、ヘルパー2

級の資格がありガイドヘルプの仕事を

していたことがあります。私も、知的

障害の方と一緒に行動して調子が悪く

なった時があって、その時はご自宅に

送り返すことだけを考え、必死になっ

て、はうような感じでお送りしました。

精神障害の場合は服薬が大事です。

医者から、この薬は症状が悪くなった

ときに飲みなさいと処方され、その薬

を飲むというのが基本的な対処の仕方

だと思います。ヘルパーというのは、

もっと高度なテクニックというか見え

ない手というか、知的障害の方を誘導

するというような、水を向けるとか、

そういう高度なテクニックがあります

よね。誘導してくれるというのか、そ

ういうところがあるから、精神障害者

にそれを要求するのは酷です。

高瀬: 例えば、犯罪者は精神障害者がすご

く多いという誤解している人が非常に

多い。でも本当は、精神障害者の中で

罪を犯す人は、いわゆる健常者に比べ

てはるかに低いそうです。また、残念

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[第3回(平成24年8月21日)]

ながら、精神障害者でヘルパーさんに

向かない人がいます。だけど、それは

健常者にもいます。ですから、ある出

来事で失敗したのはすべて精神障害だ

からだと思わないでください。

委員: そういうことは一切思ってないです。

何とか一緒に仕事をしていこうと。

高瀬: 残念ながら、ヘルパーに合わない人

もいます。そういう話は違うとおっし

ゃるかもしれないけども、確率の問題

だと思います。一つ失敗をしたからと

いって、すべて失敗するとは限りませ

んよね。ですから、もっと温かい目で

見てほしいと思います。

委員: いえ、私がお聞きしたいのは、対処

の仕方です。パニックを起こしてギャ

ーと言われたときに、こちらがどう対

応してあげられたらいいのかなと。

高瀬: ギャーとはどういう感じですか。精

神障害の症状で騒がれるんですか。

委員: そうだと思います。

委員: 高瀬さんとしては、そこで切り捨て

るのではなく、ヘルパーに向いている

精神障害の方もいれば、そうでない方

もおられるわけで、一回失敗したから

だめということではないということを

おっしゃりたいわけですよね。でも、

そういう時に具体的にどうしたらいい

でしょうというご質問だと思います。

高瀬: 僕は6カ条という話をよくしていま

す。まず「励まさないでほしい」。

「頑張って」と言わないでほしい。

それから「なれてしまわないでほし

い」。なれ親しんでしまって逆効果に

なることがあります。

次に「症状を否定しないでほしい」。

あなたはこういう症状はよくないから

もっと普通になれと否定しないでほし

いということです。

それから「専門家になってしまわな

いでほしい」。自分があたかも医者や

保健師や精神保健福祉士になったかの

ごとく接しないで、普通の一般人とし

て精神障害者とつき合ってほしい、親

しんでほしいということがあります。

それから「人と比べないでほしい」。

比べるのは非常に失礼で、その人はそ

の人ですから、人と比べて劣っている

というふうにみないでほしいです。

また「子ども扱いしないでほしい」。

「励まさない」「なれてしまわな

い」「症状を否定しない」「専門家に

なってしまわない」「人と比べない」

「子ども扱いしない」、そういったこ

とを心がけてほしいです。

最後に、「疲れたら休みなさい」と

いうことをうちの団体では合い言葉に

しています。疲れてまで走りきらない

でほしいと思います。でも、現実はそ

んなに優しくなく、疲れても走らなけ

ればいけない場合もありますが、疲れ

たらとりあえず休みなさいと、それが

非常に大事なことじゃないかと思いま

す。障害者が疲れたら休むと、健常者

も非常に楽になると思います。

委員: ありがたいことに、職員全員が理解

してくれていますので、障害者であっ

ても、どなたであっても受け入れてい

こうという姿勢は職員全員にあると思

います。しかし、初めて精神障害の方

が入ってこられたことで、施設長から

相談を受けました。決してこちらが差

別をしたり、偏見を持って受け入れて

いるわけではないです。何とか一緒に

頑張って働いていけたらというのが基

本にあるんですが、今後、そういうと

きに、どんな対処をしたらいいかとい

うことだけお聞きしようと思いました。

委員: どうもありがとうございました。

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[第4回(平成24年12月12日)]

◆ 今泉 勝次 氏(60代男性)

<今泉氏のお話>

私は1950年に生まれ、先天性の角膜混濁

症で、幼いころは0.1近くまで視力があり

ましたが、今から25年ほど前に完全に失明

し、見えない生活がもう25年になりました。

それでも一応何とか暮らしていけています。

生まれつき目が悪いということで、子ど

ものころは、石が飛んできたり仲間外れに

されたり、よくいじめられていました。そ

れで、3年ほど遅れて盲学校に入学しまし

た。本当はもう2年早く入っていたんです

けど、登校拒否を起こして丸々2年間登校

せず、結局、3年遅れで入りました。

一番つらかったのが、盲学校といったら、

あん摩・鍼・灸・マッサージの治療師にな

るという線路が一応決められていて、それ

が、中学部のころは嫌で嫌で、何かほかの

仕事ができないかということでいろいろ考

えましたが、それもできなかった。

それと、僕の場合は、事情から親が戸籍

に入れてなくて、それに気がついたのが15

歳のときだったので、そこからいろいろ勉

強しても、早く戸籍に入れてもらわないと

大学には行けないし、そんなことであきら

めることも増えてきました。

僕は演劇が好きで、学校を出てから何か

芝居をしたいなあと思ってある劇団の門を

たたいたのですが、そこでも視覚障害とい

うことで断られて、やはりあん摩・鍼・灸

しか仕事はできないのかと、最初のうちは

仕方なくやっていましたが、今ではそれが

天職なのかなという気はしています。それ

がまず第1回目の壁に当たったことでした。

次は、多くの障害の人たちが味わうであ

ろう結婚問題で、なかなかうまくいかず、

今は、同じく視覚障害者の全盲の家内と2

人でおりますが、借家を借りるのにかなり

悪戦苦闘しました。なかなか民間は貸して

くれません。火事で逃げられない場合はど

うするのかとか、いろいろ言われました。

それで思い出したのが、借りようとしてい

たところの家主さんが、たまたま盲学校の

近所だったんで、一度盲学校に足を運んで、

視覚障害者がどういう生活をしているか聞

いてきてくださいと言ったら、学校まで聞

きにいってくれたことです。大丈夫だとわ

かったのか、それで一応家も借りられるこ

とになりました。その後震災に遭って、仮

設住宅に入り、今は復興住宅に入りました

けど、障害者が家を借りるというのは、や

はり大変なことです。

結婚に対してはかなり反対もあって、今

も、ずっと独身の知り合いもいて、結婚も

せずに、60歳、70歳になって一人で暮らし

ている人も多いです。

それと、昔は、社会から隠されて過ごし

ているので、僕が盲学校に入ったころは、

学校の教員が入学しなさいと家まで勧めに

来たことをよく覚えています。今はそうい

うことはないでしょうけど、視覚に障害が

あることを家族ぐるみで隠すとか、そうい

うようなことがつい50年ぐらい前まではあ

ったんです。だから、これから独身の人を

一人でも少なくするような活動がないかな

あというようなことも考えてます。

あと、今後ですが、皆高齢になってきた

ので、デイサービスに行く人がだんだん周

先天性角膜混濁症で弱視だったが、25年前に完全に失明した。

自宅でマッサージ業を営んでいる。

Page 19: 「障害があることによる生きづらさについて」 ヒア …神戸市障害者施策推進協議会第2次制度分科会における 「障害があることによる生きづらさ」についてのヒアリング

[第4回(平成24年12月12日)]

りにも増えてきましたが、退屈で仕方がな

いといいます。視覚から得る情報がないか

らです。デイサービスでは、トランプとか、

花札で坊主めくりとか、そういうことをよ

くするらしく、風船バレーとかされたら全

くできなくて仲間に入られないということ

がある。メニューが、もうちょっと手を使

うこととかならまた違うだろうけど、これ

からは視覚障害者が行けるようなデイサー

ビスを作ってほしいという気はしています。

今、うちの家内もパーキンソン病で、リ

ハビリのあるデイサービスは行けるけど、

リハビリでない一般のデイサービスは、行

っても退屈で仕方がないと言います。特別

扱いしてくれというのではなく、ある程度

は視覚障害の人も参加できるような方法を

とっていただけないかなと思います。

それと、最近はパソコンもしゃべれるよ

うになって、健常者の人とメールで交換が

でき、知り合いも増えて、僕自身助けられ

ているなと思っています。最近は支援もあ

って、パソコンを買うのも楽になりました。

僕が使い始めたころ支援は全くなく、視覚

障害者のソフトが高かった。50、60万円し

ていたころからやっています。本体もソフ

トも高かった。バージョンアップにまたお

金がかかるので、これからはその辺もまた

運動していきたいなというようなことをい

っぱい考えています。

あと困っていることといえば、病院とか、

入院のときにサインを求められることです。

僕らが盲学校に入ったころは、字も習っ

てないし、サインはできません。これは僕

だけじゃなくて、手の悪い人もサインはで

きないと思いますが、このサインを求めら

れるのが一番困る。代筆もなかなか難しい。

「家族に代筆してもらってください」と言

われますが、ヘルパーさんでも認めてもら

えるように活動しないといけないと思って

います。一昨年だったか、爪水虫にかかっ

て、抗生物質を投与してもらうだけでもサ

インを求められました。「僕はできませ

ん」と言うと、「それでは治療はできませ

ん」と言われて、なんだそれはと思って、

今から家族に電話しますと言いました。結

局、家族もいなかったので、近所の人に来

て書いてもらって、処置してもらったんで

す。救急車で運ばれない以上はずっとつき

まとう問題かなと思います。救急車で運ば

れるときは命がかかっているので、病院も

サインは求めずに治療してくれましたが、

後でやっぱり家の者が来てサインをしたみ

たいです。とにかく、できないことがわか

っていてサインを求めるというのはどうか

と思います。銀行の場合は、今はかなり運

動の成果が出て、一応代筆は認めてくれて

います。いわゆる大手の銀行は、比較的代

筆は可能になってきました。

今後、一番問題になるのは、やはり地域

でどういうふうに生きていくかということ

でしょうか。僕は、ゴミ捨ても自分で行く

ようにしています。近所の人たちとしゃべ

れる機会はそのときしかないので。ゴミを

捨てにいったとき、おはようとか、そうい

うふうなところでとにかく会話して、こち

らのことをよくわかってもらえるように

日々努力はしています。今の住宅に入って

14年ほどですが、かなりの人が声をかけて

くれるようになり助かっています。それで

も、災害が起きたときに一緒に逃げてくれ

るかといったら、これもちょっとわかりま

せんが、阪神・淡路大震災を経験した神戸

ですから、そういう点でも地域の住民たち

とうまくいくようにするとか、これも民生

委員の方たちにも訴えていく必要があるな

とか、いろいろと障害者は大変なことがあ

るので、それを理解していただけるような

アピール活動なんかも必要になってくると

思っています。

Page 20: 「障害があることによる生きづらさについて」 ヒア …神戸市障害者施策推進協議会第2次制度分科会における 「障害があることによる生きづらさ」についてのヒアリング

[第4回(平成24年12月12日)]

<委員からの質問とお答え>

委員: 奥様がパーキンソン病で大変ですね。

今泉: そうですね。全盲でパーキンソンに

なってしまって。それでも要支援2で、

これもおかしな話です。

委員: 年金だけでやっておられるのですか。

今泉: あと仕事がありましたし、デイサー

ビスの仕事にも行っていますが、この

ごろは家内の容体が安定せず、休まな

いといけないことが多くなってきまし

た。トイレも1人で入れないときがあ

るから、ついて入ることもあるので、

家内がリハビリのときや、調子のいい

ときだけ仕事に行っています。

委員: お話を聞いて、こんなことがあるん

だと初めてわかったことがあり、恥ず

かしい次第ですが、入院したり治療を

受けるときのサインは法的に決められ

ていることなんでしょうか。

それから、民間の貸家で障害のある

人がもっと住みやすい、借りやすいと

いうような措置はなかったか、その辺

をお聞きしたいと思います。探し回る

にしても、視覚障害だから、なかなか

できないような状況ですよね。

委員: それに関連しますが、大家さんに盲

学校に行ってもらったら、そこで理解

してもらえて家が借りられるようにな

ったというのは、一つのヒントだと思

います。やはり理解してもらう、知っ

てもらうということが、世界を広げる

というか、生きやすさに少しでもつな

がっていくということで、本当に大事

だと改めて感じさせてもらいました。

委員: 住宅問題は、視覚障害者だけでなく、

知的も、肢体も、聴覚の人もあります。

聴覚の人は、手話通訳と一緒に不動産

へ行くと、夫婦と間違われて入居が許

可されたけれど、単身とわかったら出

て行ってくれということがあったそう

で、不動産屋は理解があっても家主が

拒否するとか、不動産屋自身が家主と

もめたくないからその場で断ってしま

うというケースが大いにあるので、大

家に対してもそうですが、不動産屋さ

んにも会って話をするなどしていかな

いとと思います。

委員: 震災のとき、家内は保育所の職員で

したが、あの時は保育所の仕事を置い

て、取り残された人たちを捜し回る仕

事をしておりました。そうすると、や

はり中央区などで、文化住宅の狭いと

ころに障害を持った人たちが住んでい

て、声をかけられてない方たちがいた

ということです。聴覚障害者の人も視

覚障害の人も出かけていくことができ

ない状態になって、孤立していたとい

う実態があったと話してくれました。

住宅問題は、本当に私たちが考えてい

かなければならない課題です。

委員: 今、精神障害や知的の障害の方は、

地域移行の中でアパートを探すときに

支援がありますが、例えば地域で生活

されている方が、結婚するのでアパー

トを新たに借りようというときは該当

しないとか、あと、視覚障害や聴覚障

害の方は、多分今の制度ではカバーさ

れていないと思いますので、そのあた

りは、今まで私たちが気がつかなかっ

た課題だと思います。

今泉: サインについて、法律でどうなって

いるか僕はわかりませんが、銀行でお

金を借りるときは仕方がないという気

はしますけど、それ以外、例えば病院

で、命がかかってくるから難しい部分

もあるでしょうが、サインを求められ、

代筆も家族でないとだめというのは厳

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[第4回(平成24年12月12日)]

しいですね。家族が近くにいたらいい

ですけど、神戸で入院するのに、北海

道や九州にしかいないとどうなるのか。

印鑑でも認めてもらうとか、方法はい

っぱいあるような気がします。神戸市

の病院は、聴覚の人はコミュニケーシ

ョンが難しいということで、一応いろ

いろ制度があるようです。最近は、ヘ

ルパーがつくことも認められています

が、視力障害はだめです。また入院中

については、病院内のヘルパーも認め

てもらって、外出もそのヘルパーさん

を認めてもらえるなど、要望書は毎年

出していますが、徐々に言ってわかっ

てもらえるようにしないとと僕自身も

思っています。

委員: サインは奥さんなら大丈夫ですよ。

今泉: うちは全盲でサインができません。

銀行員や病院の人が、僕の手を持っ

て書くことがありますが、これが本当

のサインでしょうか。こんなの、だれ

でも真似できますと言いました。

委員: 手を持ってもらったらダメですね。

委員: 選挙の投票でも視覚障害の人の代筆

対応が少しずつ改善してきていますが、

入院や治療にまつわるサインなど、自

筆でないと認められないのかどうかと

いうことも今後の課題ですね。

事務局: サインは、神戸市はなかなか進んで

いないと言われる問題です。確かに、

金融機関については少しずつ進歩し

てきたという気はします。もう一つ

は、医療現場が非常に硬直していて、

本人の意思確認というのを健常者の

システムに無理やり乗せていますか

ら、見える人を対象にして、字の書

ける人とされています。我々もよく

聞くのですが、先天性の障害だと特

にイメージが湧かず、書いてもどう

いうふうになっているかわからず、

はっきり言ってサインは無理とおっ

しゃっています。そのような方の緊

急時の本人の意思確認については、

特に医療の場合、危険性を言われて

おります。医療面についていつもご

要望をいただいていて申し訳ないで

すが、なかなか進んでいないという

のは確かにあります。

もう一点のコミュニケーション支援

ですが、重度で言葉がわかりにくい方

については、神戸市が先駆けて医療現

場で介護者をつける制度がありますが、

すごく限定的です。なぜかといったら、

医療関係者以外は介助してはいけない

と法律でなっているので、ガイドヘル

パーなどがつけられません。これも、

差別禁止法の関係した住みづらさ・生

きづらさの事例として、どこの都市で

も大体出てきます。先ほどの不動産の

件も、直接差別の事例としていまだに

出てくる話の一つです。直接的な差別

は減ってきましたが、間接的に実は差

別されているという例が結構多いです。

高齢単身者・障害者には貸せないと

堂々というところがありますので、も

っと話をしていかないといけないと思

います。

県の高齢単身者等障害者のあっせん

制度の年間利用件数は少ないですし、

それだけ使い勝手の悪い制度になって

いて、住みたい地域の不動産屋、ある

いは大家さんが決められるというシス

テムにもなっておらず、信用して貸す

という方法にも限界があります。ただ、

制度の本来の趣旨は、住宅困窮者とい

うよりも、貸してもらえない住宅希望

者に広げていこうということなので、

逆にあの制度をもう少し頑張っていっ

たら、もっといいだろうと思いますが、

不動産は不動産の業界内でやはりなか

なか難しい状況もあるようです。

委員: ありがとうございました。

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[第4回(平成24年12月12日)]

◆ 長岡 忠司 氏(40代男性)

<長岡氏のお話>

僕は、小学校のとき、いじめに遭いまし

た。鉛筆や消しゴムをとられたり、学校に

行くと、僕の机といすが教室の隅っこにあ

ったり、手をつねられたりもしましたが、

だれも助けてくれませんでした。自分でも

とに戻していましたが、何回でもされるの

で、あるとき、自分で、大きな声で「何回

しても自分で戻す」と言いました。そした

ら、次の日からだれもしなくなりました。

中学校では、余りいじめはなかったです。

中学校を卒業して会社に勤めてからは、

先輩のいじめがありました。

「することが遅い」とか、「汚い」とか、

いろんなことがありました。我慢していま

したが、何年かたつうちにだんだんとなく

なってきました。仕事も少しなれてきて、

できるようになってきたからだと思います。

どこに行ってもいじめはあると思います

が、自分が強くなっていくしかないと思い

ます。相談に乗ってくれる人、話を聞いて

くれる人が、いつもどこかにいると思いま

す。

<委員からの質問とお答え>

委員: ありがとうございました。相談に乗

ってくれる人が必ずいますよというこ

とですが、例えば、どんな方に相談に

乗ってもらったか、もしあったらお聞

かせ願えますか。

長岡: 学校の先生とか。僕は、小学校のと

きに相当ひどいいじめを受けました。

小学5年生のとき、本当に自殺しよ

うと思いました。一度は、廊下の窓を

開けて、実際に片足を半分出したこと

があるんです。そしたら、みんなとめ

てくれたんですけど、本当にもう大変

な思いをしました。

委員: それだけ思い詰めるほど苦しかった

んですね。そのときに、周りの人がと

めてくれたり、先生が助けてくれたり

したんですね。

ほかに、今まで学校や職場でいじめ

られたということと、それ以外に、何

かこういうことがつらかったとかいう

ことがありますか。

長岡: 僕が小学校に入ったとき、「なかよ

し学級」がなかったんです。小学校の

とき、学校の先生から、隣の学校に養

護学校があって、そこへ行きなさいと

言われたんです。ひどいときは、手を

つかまれて学校の先生に門の前まで連

れて行かれたことがあります。僕は座

り込んで「嫌だ」と言ったのですけど、

隣の養護学校の門の前まで連れて行か

れて、自分が行くとこはここだと言わ

れたんです。

8歳の頃、知的障害と診断される。

現在、株式会社いくせいで働いており、会社のサッカーチームに所属している。

休日は、福祉センターのスポーツジムに通っている。

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[第4回(平成24年12月12日)]

委員: その先生は、「ここは君のいるとこ

ろじゃない」みたいな感じだったので

すね。それはひどい。先生の中に、助

けてくれない先生、ひどい先生もいた

ということですね。今、何か困ってい

らっしゃることはありますか。

長岡: 今、僕、障害年金をもらってないん

です。

委員: なぜ受けられないのか、どなたかか

ら説明はありましたか。

長岡: はい。多分病院のほうからだと思う

んですけど。

委員: では、今はお仕事をされていて、そ

のお給料だけで生活をされているんで

すね。

あとそれ以外で、生活の中でやりに

くいなとか、こういうところは助けて

もらったらとかいうことがありますか。

長岡: 今、親亡き後どうしたらいいのか考

えています。知的障害者の中でとても

問題となっていることです。

委員: 今はご家族と一緒に生活されている

けれど、親御さんがお亡くなりになっ

た後のことがとても心配だということ

ですね。そういうことのために、ご自

分で、あるいはご家族で準備されてい

ることはありますか。

長岡: 垂水の支援センターにワーカーさん

と行って、いろいろ相談にのってもら

っています。

委員: 長岡さん、何歳になられますか。養

護学校の義務制が1979年で、兵庫県も

養護学校をたくさんつくりました。そ

れと同時に、障害児学級も、その時期

はあちこちでたくさんつくられていき

ました。神戸市の場合は、障害児学級

は、割合早くにできていったのですが、

長岡さんは、小学生時代どこにお住ま

いでしたか。

長岡: 垂水のほうです。今は44歳です。

委員: その当時は「なかよし学級」はなか

ったんですね。

委員: 1968年のお生まれなので、ちらほら

でき始めたころでしょうか。

委員: 青陽東はありました。けど、垂水に

連れて行かれたというのはどういうこ

とでしょう。それこそ、垂水は肢体不

自由の養護学校ですよね。

委員: そうですね。先生に「君はここの学

校へ行け」と言われたのは、その近く

にある養護学校ですか。

長岡: そうです。

委員: 仕事場でいじめを受けられたときに、

自分が強くなるしかないと思われたと

おっしゃっていましたね。それに対し

て、ご自身あるいはお家の方とともに、

どのような努力をなさったのですか。

委員: 人よりも早く仕事を覚えるしかない

と思いました。それしか自分にできる

努力はないと。人が10するところを自

分は20、30という形で早く覚えていこ

うと、相当努力しました。

委員: 学校時代、いじめられた反面、助け

てくれた仲の良い友達はおられますか。

長岡: 友達といったら1人ぐらいしかいな

かったです。ほとんどの子は、僕をい

じめるばっかりでした。親にも、もう

学校へ行くのが嫌だ、毎日嫌だと泣い

ていた自分があったんです。

委員: よほどお家でやさしさを身につけた

子どもならかばったかもしれませんが、

先生がそういう先生だったら、みんな

もいじめが当然みたいに感じたでしょ

う。家族もきっと、自分の子が長岡さ

んをいじめているということを知らな

いまま過ぎてきたんでしょうね。

委員: 今は職場でみんないじめなくなった

と言ってましたが、その中で、心から

一緒に話のできる人ができましたか。

長岡: はい。僕は今、本人活動委員会に入

っています。全国大会とか近畿大会に

行って、同じ知的障害者の人の話を聞

Page 24: 「障害があることによる生きづらさについて」 ヒア …神戸市障害者施策推進協議会第2次制度分科会における 「障害があることによる生きづらさ」についてのヒアリング

[第4回(平成24年12月12日)]

いたり、僕らも発表したりとかいうよ

うな活動をやっています。

委員: 株式会社いくせいで、長岡さんは今、

外国人墓地のほうで働いていらっしゃ

います。入社してもう10年になります。

私も、今日、小学校のときにすごくい

じめられたという話を聞いて本当にび

っくりしたんですけども、本当に今は

すごく前向きで、朗らかで、外国人墓

地の社員の中でもリーダー格で、新社

員の補佐ができるぐらいの役割を果た

してくれています。会社で、余暇活動

とか、いろんな行事とかをするといっ

たら、一番に長岡さんが必ず参加する

と言ってくれるし、本当に朗らかな方

です。

それと、あと、今言っていました、

本人活動委員会のほうでは、副会長を

務めておられ、全国、近畿大会など、

いろいろと活躍されています。

親亡き後のことについては、勉強会

で、役所に行く、買い物に行くとかい

ろんなカードがあり、お父さん、お母

さん、おじいさん、おばあさん、兄弟

が一人ずつ亡くなっていきます。その

亡くなった人がやっていた仕事を次は

だれがするのか、それでまた亡くなっ

たら、その仕事を次にだれがするのか

といって、みんなが亡くなって全部自

分がしないといけないようになったら

どうするかということを徐々に考えて

いくなど、いろいろ活動してくれてい

ます。

委員: 長岡さんのお話を伺って、小学校の

とき、あるいは職場でもいろいろとい

じめられて、本当につらい思いをされ

て、それを支えてくれる人が何人かい

たりとか、自分で人一倍頑張って乗り

越えてこられたのですよね。今は、お

仕事でも本人活動でも、ものすごく頑

張って活躍されていてすばらしいなと

思うんですけども、長岡さんみたいに

強い人ばっかりじゃないですよね。い

じめられて、本当にどこにも出られな

くなる人も多分おられるのではないか

と思うんですが、例えば、長岡さんの

お友達とかで、いじめられてつらい思

いをしたために、元気をなくしてしま

ったような方はおられますか。

長岡: いません。

委員: 私は息子が発達障害で、療育手帳を

とって就労しています。長岡さんは、

障害年金をもらっていないとおっしゃ

ったんですけども、それは自分で働い

ているからもらわないということなの

か、もしくは申請しても却下されても

らえていない状態なのか、お聞きした

いです。

あと、自分で働いているお給料で、

今はご自宅だからやりくりできている

のかと思いますが、お給料の範囲で一

人で暮らしていくことを考えたとき賄

えるのか、その辺はいかがでしょうか。

長岡: 障害年金は申請しましたが、だめと

いう返事でした。お金のほうは、今、

両親がみてくれているんですけど、将

来は自分でいろいろやっていかないと

困るなあと思っています。

委員: 今、ご自分が働いているお金の中で、

生活費がこれからかかってくると思い

ますし、うちも障害年金をもらえてい

ないという状況で、働き方も正社員で

はなく契約社員なので、手取りになる

と10万円ほどしかないです。その中で

どうやっていくのか。やっぱり休みの

日は、外に出て行って遊びにも行きた

いし、そうなると、交通費ももちろん

発生してくるし、何をするにもお金が

かかり、医療を受けるにも医療費がも

ちろんかかってくるという状態で、自

分で遊ぶことも制限しながら生きてい

る状態なんですね。そういうことが、

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[第4回(平成24年12月12日)]

長岡さんにはありますか。

委員: どのぐらい自分の楽しみにお金が使

えるかということですね。親御さんが

お給料のことは管理してくださってい

て、その中から月々自分のお小遣いと

いうのを使っていらっしゃるのですか。

長岡: はい。

委員: そのお小遣いは自分の楽しみに使う

だけ十分ありますか。

長岡: あります。

委員: ただ、親御さんが管理してくださっ

ているお金を本当にそのまま自分の生

活費に充てたときに、本当にそれでや

っていけるかなというのがご心配な部

分ですよね。親御さんがちょっと助け

てくださっているのかもしれないけれ

ども、それがなくなったときどうする

かという。

長岡: 貯金、蓄えはあるんですが、親が死

んだあとは自分で管理しないといけな

いと思っています。

委員: 障害年金は申請したけどだめだった

とおっしゃっていたんですが、何歳ぐ

らいのときに申請されたのですか。

長岡: 5、6年前だと思いますが、はっき

り覚えてないです。

委員: 障害年金や、お医者さんの診断書も、

本当に親の答え方というか、どう答え

たらいいかということを悩まれると思

います。自分で買い物に行って調理し

て食べることはできないから、「食べ

られない」でしょうと。身体の人でも

「歩ける」といっても、放っておいた

ら一人でどこへでも行ってしまったら、

それは「歩ける」ではないでしょうと。

そういう概念がないお母さんたちがい

らっしゃると、何でもかんでもできる、

できる、できるとおっしゃるところが

あります。私の子どもも、療育手帳の

判定がBからAになった時、勝手に私

は障害年金も1級をもらえると思って

いました。半年たっても何にも言って

こないのでおかしいなと思っていたら、

申請が必要だと言われて、申請したら

ダメだったのです。そこで、年金のも

らい方の講座をして、司法書士の方に

来ていただいていろいろお話をいただ

きました。そうしたら、もらえるよう

になったんです。だから、一回だめだ

ったからってあきらめないでください。

委員: 知的障害も、よくなることはそんな

になくて、加齢とともに落ちていきま

すから、答え方についてもしっかりと

周りの情報とかいろいろ聞いていただ

きたいなと思います。本当に、長岡さ

んのような方には、一人暮らしや仲間

と地域で住んでいただきたいと思いま

す。そのときに、やはり自分の収入で

きちんと生活できるような形を整える

というのは大切なことです。周りもそ

れを支えていく、支援していくといっ

たことが必要かなと思います。

委員: 精神や知的の軽度の障害者は、手帳

交付は一生じゃなくて、数年ごとに更

新があるみたいですね。

委員: 2年、3年、5年とかありますね。

委員: その人によって違うのでしょうが、

僕の知っている人は、毎年のようにや

っているようです。それで、2級が3

級になって年金をもらえなくなり、も

う一度やり直して2級の診断を書いて

もらったと聞きました。

事務局: ややこしいのは、手帳の判定の診断

書、年金の診断書、介護保険の申請

書など、判定項目が非常に機械的な

ことです。障害程度区分の話がよく

出ますけど、年金と手帳と判断が違

いますし、手帳に基づくサービスで

いうとまた微妙に違い、その辺が非

常にややこしくて、行政から見ても、

基準をもう少しわかりやすいものに

してもらったらと思います。

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[第4回(平成24年12月12日)]

また、発達障害の方は手帳の制度自

体がなく療育や精神に分けられていて、

その辺を考えていかないといけません。

また、難病の方で難病のカードをどう

するかという議論が出ていますが、三

障害という形で広くするなら、もう少

し手帳それ自身を議論してほしいとい

う思いはあります。

委員: 手帳の制度ってすごくガチガチとい

うか、融通がきかないです。だから、

診断書を書いてくださるお医者さんも、

もう少し障害特性を勉強していただい

て、それこそ機械的に「できる」「で

きない」じゃなく、本当にこの方がど

うなのかというのをわかった上で診断

書を書いていただけるよう、ちょっと

考えていただきたいですね。

委員: 例えば、健常者の場合でも、できる、

できないでいえば、体調によってでき

るときとできないときの差が激しい人

もいます。介護派遣事業は、その辺も

組み込んだ形になっていました。知的

の人でも、やはり一人で暮らす場合と

親御さんのいるときとで差があるだろ

うと、その辺も考える必要があります。

委員: 長岡さんは、兄弟はおられますか。

長岡: 下に弟がいます。

委員: 順番でいけば親は先に死んでしまう

から、親がいるうちに自立の練習をし

て、失敗しても、またそこで考えて。

自立ということは非常に大事です。い

つまでも親はいないので、何とか一人

でやっていかなくてはいけない。会社

では、あなたはおとなしい性格だから、

いじめに遭ったと思います。親御さん

にしたら、暴れることもしないし、悪

い暴走族にもならないし、助かってい

たと思います。今からでもおそくない

と思います。弟さんもおられるから。

委員: ご本人もそれを目指して頑張ってい

らっしゃるので、むしろ周りが理解し

て、支えていけるようにしたらいいん

じゃないかなと思います。

委員: 周りの支えについてですが、精神的

な部分の支えは、本当に周りの方々で

もできると思いますが、やはり経済的

な支援は、なかなか親であっても難し

いところがあります。発達障害は、発

達する障害と言われるように、とても

微妙なはざまにいます。学校も普通学

級でずっと頑張ってこられたというの

があるので、本当に私から見ても障害

があると思えないぐらい、自分のこと

もすごくしっかりおっしゃっておられ

ます。うちの子どもは今28歳ですけど

も、自分のことをこれだけ言えるのか

と思う部分と、とても言えないと思う

部分もあります。そう思うと、親とし

ては、申請のときにできるかできない

か書くのは難しいんですけど、親の気

持ちとなると、できる限り自分ででき

るようにさせたいという気持ちと、で

きると思いたいという気持ちもありま

す。私たちの子どもも普通のクラスで

ずっとやってきて、できないことを少

しでもできるようにしようと思って育

ててきたので、療育手帳をとれるかと

れないか私もすごく心配でした。もし

とれないとなったときは、今までやっ

てきた努力が、子どもの足を引っ張っ

てきたのではないかと思うと、親とし

ては、何をやってきたのかなあと。そ

れは、私は制度として違うんじゃない

かと思います。何とか手帳をとれて働

いていますけれど、障害者を雇用する

というのは、ある程度障害者年金をも

らえているという前提での雇用といっ

たら変ですが、障害者年金がもらえて

いて、障害者雇用でもらう給与を合わ

せたら生活していけるという設定がさ

れていると。でも、実際は障害者年金

をもらえていない人もたくさんいるの

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[第4回(平成24年12月12日)]

で、障害者年金がもらえるもらえない

の0か100でなく、足りないところを

補てんしてもらう制度であってほしい

とすごく思います。

一生懸命毎日働いていても、時給が

低いので全体の給与も少ないですし、

休みの規定があってそれ以上働けない

中で、ではどうやって生活していった

らいいのか。あとは親が補てんするし

かないというのは、ちょっと違うんじ

ゃないかと思うところもあって、そう

いう制度の見直しをやってほしい。そ

れは私だけではなく、いろんな障害で、

枠にはまらないところをいかに支援し

ていくかがこれからの課題ではないか

なと思います。

委員: 箕面や滋賀の社会的事業所では、事

業所で働いて足りない分は補てんして

いる。今、内閣府の障害者推進会議の

中でも、骨格提言の中に入っています

し、そういう考え方は必要だと思いま

す。また、長岡さんにも、親が生きて

いる間に、親の近くでひとり暮らしが

できればなと。しんどいときには両親

のところへ帰ることもできる。それか

ら、やはりほかの人の手を借りて自分

で生活していくとか、ひとり暮らしで

自分の望む生活をやってみたらどうで

しょう。ご両親も、初めは心配しても、

だんだんなれたら安心してくると思う

ので、一回チャレンジしてほしいなと

思います。

委員: ひとり暮らしをしていた人か、ある

いは目指している方の要望ですけども、

支援者として支えてくださるんですけ

ども、その支援というのが、自分たち

の周りの人というか、自分たちに友達

ができるような環境とか、地域のお店

屋さんと知り合いになれるような関係

とか、そういったものをつくるサポー

トをしてほしい。直接的な支援者とい

うのは、専門家として支援する人です

が、地域のつながりや友達をつくって

くれる、というと他力本願みたいです

けれども、そういった支援をすごくし

てほしいと。お勤めに行っていても、

しんどくなったから帰ろうかなと思っ

たら、その友達が、「ちょっと休んだ

ら、もとに戻るよ」と言われ、それで

少し休めば「もう仕事に戻ろう」と言

ってくれる、そういうのがすごく助か

る。そんなことが言えるって、本当に

知的障害者かなと思って聞いていまし

た。

委員: そのとおりですね。自立支援協議会

でも、そういう友達づくりをサポート

って言っていますが、いわゆるプロの

支援者がガチガチに入ると、かえって

近隣の普通のお友達ができなくなって

しまう。なので、プロの支援者は、本

人さんとその周りの家族、友達、親族、

近所の人たちが普通に助け合えるよう

な関係をちょっとお手伝いしてくれれ

ばいいかもしれないですね。それは、

支援のあり方というような部分にかか

ってくると思います。

長岡: 福祉乗車証が廃止になるって、一部

負担があると聞きました。なくされた

ら困ります。

事務局: 神戸市の福祉パスは、いろんな方を

対象に交付していて、障害者だけで

なく、母子世帯とか、生活保護世帯

とか、戦争で被爆された方とか、い

ろんな方に渡していました。「福祉

パス」という名前でお渡ししていま

すが、障害は障害の施策、母子は母

子の施策と、それぞれ移動の支援を

やっている中で、本当にそれでいい

のか、手帳所持者もどんどん増え、

福祉パスの枚数も増えているので、

それをきちんと検証しないとだめだ

という話になり、行政と学識経験者

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[第4回(平成24年12月12日)]

の方々で検討されています。

その中で、障害者の支援をどうする

かという話は、これは国の流れもそう

ですが、やはり当事者、障害の関係の

ある人たちの話をちゃんと聞いて決め

ていかないと、その人らの立場や求め

ることが届かないじゃないですか。結

論だけ言うと、障害の施策は、今、福

祉パスが使える人と使えない人がおら

れますし、一方で、もっとタクシー券

の助成をしてほしいという方もおられ

るし、日ごろから車で移動する方もお

られるわけで、そしたら、福祉パスが

本当に障害者が移動する制度としてで

きているのかということを引き続き検

討していきましょうと、福祉パスの検

討会で一つ提言をもらっています。

障害者の移動支援で今まで福祉パス

でやっていて、確かにいい面がいっぱ

いあると思います。ただ、悪い面とし

て、磁気カードで出してますから、渡

した数はわかるんですよ。でも、今そ

の福祉パスの制度っていうのは、交通

事業者、だから、電車とかバスの会社

に一定のお金をお渡しして、乗ってい

る人の分を渡してますから、そこはそ

れで成り立っているんだけど、本当こ

れってちゃんともらっているのってバ

スの会社から当然ずっと言われてます

ので、それはきっちり実績を見てみま

しょうと、一遍。今、話になっている

のは、今度の4月から、新しい交付証

はICカードで、ピッとしたら、どこ

で乗ったかがカウントできますから、

それでどれだけ乗られたかというのも

わかるし、そういう数も見た上で引き

続き検討していきましょうという話な

ので、ちゃんと見直しとか、検討しな

さいというのは、かなり前から神戸市

の事業は震災後、固まってきてますの

で、ちゃんと検証しなさい、検証しな

さいというのはずっと受けています。

この事業もずっと受けているんです

けど、急にパッと廃止とかいう話をす

るのであれば、当然、こういう理由で

廃止しますと必ず出ますから、今言っ

ているのは、検討会の報告が出ました

と。確かに一部施策によったら、生活

保護を受けておられる方の保護費の中

で見るべきものがありますよねという

話とか、それは個々出てますけど、障

害者に限っていえば、今度の4月でな

くなるということはないです。

委員: ちょっと弁解させてください。この

間の福祉パスの分科会で、どんなふう

に福祉パスを使っておられるのか、社

会参加といっても、どんなものだとい

うことを広く有識者の方にしていただ

くということで、それで、育成会の保

護者全員に、どういうふうに使われて

いますかということと、福祉パスの制

度についての要望をお書きくださいと

いうことでお願しています。

今、聞いていて、当事者を抜きに決

めないでということを本当に思いまし

た。お母さん方には言っていても、彼

自身には何も言ってないので、きっち

りとご本人の方にも、本人活動を通じ

てきちっとお知らせする必要があるな

と思いました。

委員: 福祉パスは、障害のある方だけじゃ

なくいろんな方に配られていて、本当

に必要な方に使ってもらえているのか

を見直しましょうと。そのために親御

さんにアンケートをしたら、ひょっと

してなくなるのではないかと心配され

たみたいですが、来年度は今までどお

りということです。だから、本当に、

僕たちはなくなったら困るということ

をはっきり言っていただいて、神戸市

さんにもその声が届けばということで

すね。

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[第4回(平成24年12月12日)]

◆ 白石 浩之 氏(40代男性)

<白石氏のお話>

今私は、作業所で、喫茶店と販売店と、

スイーツの生地をこねたりする仕事をしつ

つ、今年の6月1日から就労移行支援が始

まりました。2年以内に就職するという制

度で、そこでいろいろ学んでいます。電話

応対の仕方とか、面接の仕方とか、社会に

出たときに役立つための資料であったり、

マナー、ビジネスマナーであったり、いろ

いろあります。ハローワークの障害者のパ

ートをたまに見に行っているのですが、僕

にとってはしんどいことしかないんです。

清掃業務とか事務に限られてくるんです。

事務といったら、ワード・エクセルとかが

できる方という感じで、僕はそこまででき

ない。勉強中は勉強中なんですけど、そこ

までできないので、消去法でいくと×にな

ってしまいます。清掃は、僕は精神障害だ

からということではないのかもしれないで

すが、薬を飲んでいて、運動もしなくて体

力もない。一度清掃にうちから行ってやめ

た人がいたので、清掃ってどんな感じか聞

いてみたら、やっぱり体力が要ると言われ

た。その子はすごくできる子ですけど、そ

の人が言うんだったら、僕はだめだと思っ

て、そこで今、壁にぶち当たっています。

一応あと1年半あるわけですけども、就

労体験とかいろいろあって、夏ごろに事務

の研修をさせていただいて、その関連で、

冬に役所で研修を受けさせてもらえること

になっています。別に事務を目指している

わけではないんですけども、僕はいろいろ

ありすぎるから、2年間じっくりかけてい

ろいろやってみて決めましょうといわれて

いる段階です。なかなか最初からそんない

い話はないですが、これから就労体験で、

スーパーとかいろんなところがあるので、

いろいろ受けさせていただいて、自分の利

点とか欠点について考え、どういう仕事が

僕に合っているかを見出していくのが課題

です。今やっている途中でわからないです

が。最初はB型支援の作業所で、今も僕は

主に喫茶店でウェイターをしているんです

けど、大体午前中はウェイターをして、午

後は就労移行の事業を受けさせてもらって、

うまくはいっています。

病気になったきっかけは、中学2年生の

ときに、言葉の暴力でいじめられて、本読

みとかができなくなったことです。当てら

れて読む国語の時間とか、手も声も震えて

できない。それこそ本当の恐怖。それが高

校へ行ってもあるじゃないですか。古典だ

ったり、国語だったり。それで、中2のこ

ろからうつに入って、いじめられて、消し

ゴムをとられたとか、問題を配るときわざ

と飛ばされたとか、いろいろされました。

こづかれたりもしたんですけど、そういう

こともありまして、高校へ行っても、うつ

という感じです。みんなは気づかないんで

すね、そういうのは。いじめられたことは、

親にもだれにも言ってなくて、部活もバス

ケをやっていたんですけど、嫌で嫌で、国

語の授業がある時間割を見ると熱が出ない

かなと思って、自分の部屋の柱に頭をぶつ

けてみたり、そういうのがあって、高校を

卒業するまで苦しんだんです。

大学に行ったら、本読みとかがないので、

10代の頃のいじめが原因で鬱的になり、30代で統合失調症の診断を受ける。

2年間ほど、障害者雇用でホームセンターのアルバイトをしていた。

現在は、就労移行支援で次の仕事を探す準備をしている。

Page 30: 「障害があることによる生きづらさについて」 ヒア …神戸市障害者施策推進協議会第2次制度分科会における 「障害があることによる生きづらさ」についてのヒアリング

[第4回(平成24年12月12日)]

何とか親のおかげで大学は行けたんですけ

ど、病気のまま、当時はバブルでいっぱい

あったので、安易に就職先を決めちゃいま

した。車のセールスなんですけど、僕の状

態で、6カ月の研修ができなかったんです。

途中から、みんなが「こいつはおかしい

ぞ」みたいな感じになってきて、そこから

いじめられたんです。いきなり親に黙って

会社をやめて、そこから、親はすごく哀し

んで、そしてちょっとおかしいなあとなっ

て、親がクリニックに僕を連れて行ってく

れました。すると自律神経失調症というこ

とで、父親が主に動いてくれて、診断書を

会社の常務の人とかに渡して、こういう状

態なので、ちょっと休ませていただきます

ということを言ったんですが、11月ごろに

なって、治る見込みかないのでやめてもら

いますという文書通告もあり、そのまま入

院しました。当時、小さい病院に最初入っ

たときはめちゃくちゃで、調子が悪くわけ

がわからなかったので、保護室ばかり入れ

られて、暴れたりしていました。でも、親

は毎日見舞に来てくれて、そこから闘病生

活が始まったのです。今40歳ですけど、そ

れが24歳、25歳のころで、自殺未遂もしま

した。バイクでどこかに行って飛び降りよ

うと本当に思って、行こうと思ったら、笑

い話になるかもしれないですけど、ロック

を外すのを忘れていて、バイクがガシャッ

と鳴って動かなくなって、父親が異変に気

づいて家から出てきて、どうしたんだとな

って、「いや、ちょっと」となって。その

ロックをしてなければ確実に自殺して、今

ここにはいない。

病院に入ると、10錠以上とか、ものすご

い量の薬を飲まされます。もう先生を信じ

て飲むしかない。1人に対して2人の先生

がついてくれるんですけど、一人が上の人

と下の人、簡単にいえば。上の人の薬をず

っと飲んでいたら、喉が副作用で閉鎖して

しまって、物が食べられなくなったのです。

最初、ガムを噛んでいるとき、唾液が飲め

なくなって、ちょっとおかしいとなって、

結局何も入れられなくなって。仕方がない

から、食事のときは、エプロンとか、下に

新聞紙を敷いたり、2リットルの水で流し

込んだりして、そういうのもあって、食事

の時間から逆に恐怖になってしまいました。

点滴も受けていて、治らないまま、恩師の

先生が転勤されたのでその人を追いかける

感じで行って、そういう状態で、食べられ

ないときでもインフルエンザにかかって、

栄養もとれず、点滴で、それが肺炎になっ

て、ほかの内科の病院に2週間入り、点滴

生活で治ったんですけど、先生の薬の配合

のおかげで、何とか普通食がだんだん食べ

られるようになってきました。普通の人は、

食べられて当たり前だと思いますが、普通

食が食べられるというのがすごい楽しみに

なって、それは先生のおかげで、すごい調

子がよくなってきて、外泊も長期になった

りして、開放病棟に4~5年いました。病

状は、両親はやさしくて、暴力とかは全然

振るわないんですけど、一緒に住んでいた

ら発病するという不思議な病気なんですね。

暴力も何もなく、やさしいんですけど、挟

まれる感じになって、そのため、退院でき

る状態なのに、退院できなかったんです。

外泊を長いことして、帰ってきて、友達か

ら、そんなに長く外泊できるのに、なんで

退院できないのかと聞かれました。それか

ら3年ぐらいたって、先生が、退院するに

は両親の全面援助で、ひとり暮らしをさせ

るしかないなあとなったんです。

それで、ひとり暮らししながら作業所に

通い始めて、それで、今の作業所に2000年

ごろに入りました。しかしそのころに、変

な女と彼氏と彼女の関係になって、最初は

嬉しかったんですけど、途中からいじめら

れて、同棲というのは名ばかりで、もうほ

ぼ監禁されていたみたいな、いじめられて、

何も言えなくて、軟禁状態というか。親と

Page 31: 「障害があることによる生きづらさについて」 ヒア …神戸市障害者施策推進協議会第2次制度分科会における 「障害があることによる生きづらさ」についてのヒアリング

[第4回(平成24年12月12日)]

も縁を切ったみたいな感じになって、そう

いうのが4、5年続いたんですけど、さす

がに嫌になって、一切関係を絶って、親の

もとに帰って、全部断ち切ったのです。そ

の人とはデイケアで知り合ったので、その

人はいろんな人とメールとかしているんで

す。だから、デイケアの人全部と関係を切

らなきゃいけなくなった。そしたら、友達

が一人もいない状態になった。

2005年ごろに引っ越したんですけど、親

が、一生ひとり暮らしをしないといけない

からと、ちょっと安いマンションを買って

くれたんです。月1万500円ぐらいの管理

費を納めたらいいところです。そこからま

た作業所に行き出しましたが、たばこをま

た吸ってしまって、人間関係もおかしくな

ってきて、もう全部マイナスのスパイラル

になって、入院しかなくなった。電車が乗

れなくなったんです。電車が乗れなくて、

ひとり暮らしだから、スーパーに絶対に行

かないといけない、総菜とか買いに行くん

ですけど、でも並んでいる間にすごい恐怖

になって震え出したんです。ひとり暮らし

でそれができなければだめだとということ

になって、親のもとに帰りました。そして、

電車に一駅だけ乗ってみたんです。一駅乗

ってまた帰るという設定だったんですけど、

乗った時点でもう震えがとまらなくて、帰

りの電車も乗る気力がなくて歩いて帰った

んです。それで2回目の入院になってしま

って、10カ月で退院して、たばこもやめて、

退院してから3年たちました。

勤めていましたから、厚生年金を払って

いたので、2級ですけど額がちょっと大き

いんです。それをもらいながら、ひとり暮

らしをやっていました。銀行に年金が入っ

て、そこから光熱費とか全部引かれたり、

携帯代とかも引かれたりして、もう一つの

口座をつくって、そっちは管理費に回すみ

たいな感じで、もう電車も乗れるようにな

って、まだちょっと怖いんですけど、買い

物もできるようになったんです。今、一番

目指しているのが就職で、それがなかなか

うまいこといかなくて、苦しんでいる状態

です。何とか年金が上がったというのは、

嫌な女も家族みたいになってしまって、勝

手に僕の年金を上げようとしたり、勝手に

僕の家賃を下げようとしていたんです。非

人道的な感じで、彼女の母と彼女と僕が行

って、年金をくださいと言ったら、怒られ

て、会社をやめたやつがいきなり金をくれ

というのと同じですよと言われて、その母

親が、年金をもらったら主治医を変えれば

いいと非人道的なことを言い出して、結局、

上がったんです。親のもとに戻ってみて、

彼女とつき合ってよかったのは年金が上が

ったことだけだとなって、何とか2級を続

けながら就職を目指して頑張っていくとい

うところです。

<委員からの質問とお答え>

委員: 大学時代の人間関係はどうでしたか。

白石: 最悪でしたね。一人だけおかしなこ

とをやっていました。みんなは仲よく

してたんですけど、僕は、自分でも何

をやっているかわからなくて、多分

「こいつはおかしいぞ」とは思ってい

たみたいで、全然友達じゃなかったで

す。ただ一緒にいるだけ。文化系の大

学なのに、工業のことを調べ出したり、

めちゃくちゃでした。下宿もさせても

らったんですけど、どうせ親が先に死

ぬんだから、お前一人で生きていかな

いといけないんだから、しっかりしろ

よみたいなことは言われました。正月

Page 32: 「障害があることによる生きづらさについて」 ヒア …神戸市障害者施策推進協議会第2次制度分科会における 「障害があることによる生きづらさ」についてのヒアリング

[第4回(平成24年12月12日)]

とか、そういうとき以外は実家には帰

らないんですけど、親父、そう言った

けど、親父は今は生きとるからいいじ

ゃないかとなったり。場所としては同

じ駅なんです。バイクで行ったら5分

ぐらいで、歩いて行ったら20分ぐらい

で行けるんですけど、自分は甘えたら

いけない、もう行かないと。

委員: お住まいから、電車は神戸電鉄に乗

るのが怖かったということですね。

白石: そうです。神戸電鉄が特にです。ほ

かの阪急とかに乗ったら、全然知らな

い人が乗っているような感じで、気分

が楽なんですが、神戸電鉄に乗ったら、

「あいつ病気じゃないか」と、近所の

人に見られていて、地元の人から、ち

ょっと病気やと思われたら嫌やなあと

思ったり。

委員: わかります。今、白石さんは、作業

所に行きながら就労支援のセンターに

通っておられるという。

白石: センターというか、教室みたいなの

をやっていて、多目的ですが。

委員: 今の状態がいいということは、白石

さんのお話をいろいろ聞いてくれる人

がそばにいてくれているんだろうと思

うんですけども。

白石: 親や、福祉関係の方に守られていま

すから、逆に甘えちゃっている部分も

あるんですけど。

委員: でも、もうそんな甘えちゃっている

と思わないでいいじゃないでしょうか。

僕はそう思います。僕らだって、聞い

てくれる人がそばにいてくれないと、

精神的にとっても不安定になってきま

すから、何でも聞いてくれる人がそば

にいてくれるとありがたいと思うし、

そういう友達を見つけておくことが大

事だと思います。

白石: 補足でちょっと戻りますが、福祉乗

車証で巡回バスがあるんですけど、違

うことをするときって、すごく不安に

なります。例えば、乗車証が落ちたか、

なくなったかで、乗ってしまった、お

金を払わないといけない。釣銭を受け

取ったり、やったことがほとんどない

です。ああいうときに結構震えたりし

て、回りの人が見ている。そうなった

らどうしようかなあと今、考えていま

す。そうなったらそうなったで仕方な

いと思いますが、そういう恐怖感があ

ります。

委員: 人からどう思われるかというのがす

ごく気になるんですね。

白石: そうですね。格好をつけちゃうんで

すね。

委員: 今のお話を伺っていると、調子が悪

くなったりとか、しんどくなった。そ

れは周りの人がいじめたりとか、そう

いうものがすごく調子を悪くさせてき

たのかなあって。逆に、理解して支え

てくれる人がいれば、少し気持ちも落

ち着いていくという。

白石: 逆に、親が亡くなったら、また変な

感じになるかなあと思っています。

委員: 不安かもしれないですね。

白石: ひょっとしたら入院するかもしれな

いという。

委員: 精神障害の人でも、やはりしんどく

なったら、ちょっと一服して、また復

帰するとか、そういうことも大事かな

あとは思います。

白石: 実際友達ゼロになってから、いろん

な人に電話をかけまくったりしたんで

すけど、10件かけても1件見つかるぐ

らいで、デイケアにも行けないし。だ

から、同級生の友達もいなくて、もう

自然消滅みたいになって、今ごろ、こ

の40代やったら子どももいるだろうし、

連絡するのも多分迷惑だろうし、絶対

しない。今お世話になっている方々の

人柄に本当に助かっています。皆さん

Page 33: 「障害があることによる生きづらさについて」 ヒア …神戸市障害者施策推進協議会第2次制度分科会における 「障害があることによる生きづらさ」についてのヒアリング

[第4回(平成24年12月12日)]

がいるだけで。

委員: 白石さんも、今、いろいろ話を聞い

てくれる人たちに、自分から頼るとい

う立場だけじゃなくて、話を聞いても

らって気がちょっと楽になったよとか

いうような、積極的に自分から働きか

けていくということがとっても大事じ

ゃないかと僕は思います。

委員: 白石さんが今、作業所の仲間に支え

られているとおっしゃってたんですけ

ど、多分そのほかの仲間の方も支えを

必要としててそこに来られているので。

白石: 病気同士ということで気が合ったり

するんです。

委員: そうですよね。白石さんも仲間に支

えてもらっているけれども、白石さん

もほかの作業所の仲間を支えていらっ

しゃる、きっとそうですよね。

委員: 僕もそう思いますよ。

白石: そういう意識はないんですけど。

委員: きっとそうだと思いますよ。

委員: 白石さんが、そういうふうに自分の

思いを、「みんながいて、僕は気持ち

がすごく楽になっている」と感じたこ

とをそのまま言っていくと、きっとそ

の人も返してくれると思います。そう

いう関係をつくっていくことが、本当

に弱い立場にある者にとっては、とっ

ても大事なことだと思うので。もうプ

ライドは捨てる。プライドというよう

な、格好をつけるということは捨てて、

本当に裸のままで僕らはつき合ってい

くということが、とっても大事だろう

なあと思っています。

委員: でも、なかなか難しいことでもあり

ますよね。

白石: みんなの前では、何でもできるみた

いな感じにしてるんですけど、実はで

きない。

委員: 精神障害者は、病気の障害になって

いるわけですね。生まれつきの障害じ

ゃない。いじめが原因でなっている。

それで、結局、社会的に出ても、今の

白石さんは、外から見たら五体満足で

障害が解らない。結局できる人なのに、

何だかサボっているみたいに思われる

ところがある。自分は一生懸命やって

いるけど、端からはそういうふうに見

られるんですね。よくわかります。

でも、親は先に死んでいくから、自

立して、でも失敗すると不安になって。

できなかったら、一人では無理ですわ

ね、何かあったときに。でも、ちょっ

と突き放すといったら悪いんですけど、

一人自立させるように持っていくとい

ったって、親は、なかなかそこまでい

きません。自分がやる気でないと、絶

対できません。

委員: 親御さんが子どもさんをボンと突き

放すということは、なかなか難しいこ

とですね。

委員: だから、普通の子に物を言うような

わけにいきません。私らが一番困るこ

とですね。

白石: 親に任せてある書類とか、もう全部

親のところに届くんです、住民票があ

るので。でも、1年ぐらい前に住民票

は一人暮らしのところにしました。自

分で全部やれるように。

委員: それはいいことですね。

委員: 先ほど、知的障害の子でも、理解を

していただくということを言いました

けれども、知的障害の場合は、しっか

りとしゃべられる方と、本当に意思表

示というのができない、言葉の出ない

人がいらっしゃるんです。そんな人の

ために、親は、こうですということを

理解していただくために、いろいろす

るわけですけれども、白石さんは本当

にしっかりしておられる。自分を理解

してもらうために、自分が今どんなん

だと。自分はこういうことをするのに

Page 34: 「障害があることによる生きづらさについて」 ヒア …神戸市障害者施策推進協議会第2次制度分科会における 「障害があることによる生きづらさ」についてのヒアリング

[第4回(平成24年12月12日)]

こんな緊張をするから、こういう症状

が出るんだけれどもということをお話

しになればね。

白石: 話してないですね。

委員: 話していくと周りも理解してきます。

白石: 話せると楽になるんですか。

委員: そうですね。ですから、さっきも言

われたように、鎧を脱ぐというか。

白石: 隠してしまう。格好悪いとかから。

委員: 一人の人間として、いくら隠そうと

しても、私以上でもないし、私より下

でもないんですよ。人が私のことを過

大評価しても、私はここにしかいない

し、人が過小評価しても、私はここに

しかいないんです。そういうことを考

えると、そこにいる私を言えばいいわ

けですね。そうすると、周りは、嫌な

人もいますけども、私も知的障害者の

親になって、この子がいるおかげで、

こんなすてきな人に出会えたよと言え

ても、この子がいるために、こんな嫌

なやつとも会ったということもありま

すから、だから、本当に自分を知って

もらうという。何かができるとか、で

きないとかいうのじゃなくて、ありの

ままをみんなに知っていただくという

ことが、ほかの精神障害の方々の社会

理解にもつながっていくと思うんです

ね。

自分の鎧を脱いで、自分が自分の、

そのバスの車掌さんに、初めてだから

緊張するんですって。そう言っただけ

で、周りの人が、この人はそういうこ

とを初めてするから緊張するんだなあ

ということをみんなが理解すれば、そ

んな奇異な目で見たりとか、そういう

ことはないと思うんですね。やっぱり、

自分の今の状態を話すことによって、

周りは理解する。その理解は、白石さ

んだけにとどまらない。ほかの精神障

害者の人のためにもなっていく。目に

見えませんよ。自分では感じることは

できなくても、理解というのは広まっ

ていくんです。そう思います。

だから、千里の道も一歩からで、私

も料理をするとき、もやしのひげを取

ったりするんですけど、いっぱいある

ときなんか、うわっと思います。これ

はちょっと例えは変ですけど、けど、

一つ一つひげを取っていくことによっ

て、全部なくなるって、そのことをい

つも思うんです。それが、白石さんの

社会貢献だと思います。社会的に自分

が役立っていくことだと思います。

委員: 現にこうやって来てくださって、こ

んなにたくさん話をしてくださって、

すごい私たちは勉強させていただけた

ので、全然知らない人に自分の気持ち

を伝えるということが大事ですね。

委員: それだけ力があるのにもったいない

です。自分の状態をしゃべれない人だ

っているんですから。

委員: 白石さんの場合も、今委員が言われ

たことを一遍にやろうとしたら、しん

どいと思いますので、そういう意味で

は、こういう小さい場で話す機会を増

やすということから徐々に始めていっ

てもらいたいなあと思っています。反

対に、今言われたことを一遍にしない

といけないと思って抱え込んだらまた

しんどくなると思うので。

委員: 余り頑張りすぎたらまたしんどくな

ることもあるから、1個ずつしていっ

ていただいたらと思います。

委員: ここまで安定してお話ができるよう

になるまで、随分ご苦労されたと思い

ます。私たちも学ばせていただきたい

と思います。どうもありがとうござい

ました。

Page 35: 「障害があることによる生きづらさについて」 ヒア …神戸市障害者施策推進協議会第2次制度分科会における 「障害があることによる生きづらさ」についてのヒアリング

[第8回(平成26年10月3日)]

◆ 吉田 収 氏(50代男性)

<吉田氏のお話>

(ヘルパー代読)

私は、吉田 収といいます。どうぞよろ

しくお願いします。

私は、障がいというのは、考え方で体の

状態がよくもなるし、悪くもなるものだと

思うのです。そのことは親の育て方にもか

かわってきます。障がいを持って生まれて

きた我が子をちゃんと親が受けとめられる

か、そして、その子どもを抱え込まずに普

通に育てられるかどうかで、子どもの将来

が左右されます。子ども自身が、自分の障

がいを受けとめられるようになってくるの

です。

私の親は、商売をしてきたので、私が15

歳ぐらいのころから母は商売を手伝いに行

き、私にかまってくれなくなりました。私

は学校から帰ると、1人でした。そこに兄

貴が帰ってきて、「収、お腹がすいたから

何かつくってくれ」と言いました。仕方な

いから、私は料理を覚えたのです。それで、

今はカフェの仕事をしています。私の兄の

言った一言で、私は料理を覚え、コーヒー

もおいしく淹れることができたのです。

私は脳性小児麻痺で、手足と言語に障が

いがあります。養護学校で小中高を送りま

した。私は、写真が好きで、卒業後、大阪

ビジュアルアーツ学園に進みました。私は、

働くことなんかできないだろうと思ってい

ました。だから、好きな写真の道に進みま

した。どうしてかというと、私の場合、言

語障がいがあり、言葉にかわるもので自分

の気持ちを表現する手段を求めたからです。

私は、写真にのめり込みました。写真学

校に行き、写真を学びながら健常者と交わ

り、健常者とどこが違うのか、どうしたら

健常者とうまくやっていけるのか戸惑いま

した。戸惑いながらも話をしていくと、だ

んだん気楽に話ができるようになり、自分

が障がい者であることを忘れ、写真が好き

な仲間同士でいろんなことをさせてもらい

ました。何でも積極的になり、自分がやり

たいことは障がいを持っていても関係ない

と思い、どうしたらできるようになるか必

死で考えました。好きな写真がとりたいか

ら歩き、お金儲けがしたいからバイトでカ

メラマンをしました。人は何かの目標を持

つことが生きる力になるのです。目標をか

なえるために、いろいろな経験やいろいろ

の人に出会うのです。働く場を得ることは、

出会いの一つではないかと思います。働く

場を得ることは、チャンスをつかむことだ

と思います。雇用のチャンスを与えられる

人、雇用のチャンスに出会えない人、チャ

ンスを見つけられない人、親御さんが「こ

の子にはこんな仕事できるわけない」と言

われる人、いろいろおられると思います。

私が何を伝えたいのかといいますと、自

己表現が足りてない人が多いということで

す。自分は何をしたいのか、自分はどうい

うことに向いているのか、自分を表現する

生まれつき、脳性小児まひによる肢体不自由と言語障害がある。

写真の専門学校を卒業後、レストランで3年間務める。

その後コーヒーハウスの経営や、コーヒー豆の販売を行い、現在は、大学の非常勤職

員として、学内のカフェの運営責任者となっている。

Page 36: 「障害があることによる生きづらさについて」 ヒア …神戸市障害者施策推進協議会第2次制度分科会における 「障害があることによる生きづらさ」についてのヒアリング

[第8回(平成26年10月3日)]

こと、とても難しいのですが、それを乗り

越えなければチャンスが来ないのです。い

ろんなことにアタックしていくのが、チャ

ンスをつかむ道かもしれません。きっと神

様がチャンスを与えてくれるはずです。今、

私のヘルパーさんは、ある介護ステーショ

ンに所属していますが、そこの利用者の一

人で、中学生のたくましい障がい者がいま

す。学校から帰ると、ヘルパーさんといろ

んなことをします。勉強をしたり、ショッ

ピングをしたりして、重度な障がいを持っ

ているにもかかわらず、決して親に頼らな

いのです。自分の道は自分で切り開こうと

頑張っています。iPadでとった写真は、彼

の感性の豊かさを反映して、いい作品にな

っています。

彼もですが、障がい者はいろんな形で表

現しています。絵や音楽、写真、どれも一

生懸命で独特な感性を持っており、色彩感

覚も大胆さもあり、言葉で表わすことので

きないすばらしい作品が多いのです。作品

を見ていると、一人ひとりが輝いています。

障がい者一人ひとりが輝いていける世の中

に少しずつでもしていきたいのです。

私は、いろいろなことをしました。カメ

ラマンを志し、またコーヒーハウスの経営

や小規模作業所の運営もしました。でも、

しょっちゅう人生につまずき、転んで痛い

思いをしました。そうすると、どういうわ

けか、神様がチャンスを与えてくれました。

幸運にも、大学が経営する、学生さんや教

職員の福利厚生のために設けられたカフェ

でマスターをやらせてもらっています。私

は、人と人が出会う空間が大好きです。

私は、仕事を得ることができ、現在、ひ

とり暮らしをしています。快適なひとり暮

らしです。週に一度、家事援助に来てもら

い、家を掃除してくれています。また、週

に一度、私は、ガイドヘルパーと一緒にト

レーニングに行きます。行き帰りは電動車

いすで電車やバスを使います。公共機関が

充実してきて、障がい者が出やすい世の中

になってきました。障がい者がまちに出て

いくと、いろいろな出会いがあります。時

には嫌な思いをすることもあります。でも、

嫌な思いをすることは、生きている以上、

だれでもあります。ハンディを持つという

ことは不便なことが多いかもしれませんが、

それをどう克服するか、またその不便をど

う支援してもらうかを考えていくことが大

事なのです。苦労しているから幸せが来る

のかもしれません。障がい者が自分を追い

詰めてしまうのは一番苦しいことだと思い

ます。もっと気楽に障がいとつき合い、よ

り人間としてたくましく生きていくことが、

障がいに打ち勝つことだと思います。

転んでもいい、転ばされてもいい、生き

る力があるならば そう思います。

<委員からの質問とお答え>

委員: 喫茶店のお客さんとのコミュニケー

ションで、なれるまでしんどかった部

分とか、写真学校に行きがけのころに、

しんどかったこと、嫌な思いをしたこ

ととか、その辺をぜひお話してもらい

たいと思います。

吉田(代): 私は、養護学校に通っていると

きは甘えたで、学校まで送り迎えをし

てもらっていました。勉強もできなく、

自信もなかったです。今でも覚えてい

るのは、小学部の修学旅行、夜、寝れ

るかな、寝れなかったらどうしよう、

そんなことばかり考えていました。親

と離れて暮らすことを何とでもないと

Page 37: 「障害があることによる生きづらさについて」 ヒア …神戸市障害者施策推進協議会第2次制度分科会における 「障害があることによる生きづらさ」についてのヒアリング

[第8回(平成26年10月3日)]

思っていました。そういう考え方を持

っていたと思うと今ではぞっとします。

親が亡くなり、私が生きていられる

のはいろいろな経験を与えてくれた人

たちがいたからで、運よく生きてこら

れました。言葉で表わすなら、「出会

い」「経験」「切り替え時」「チャレ

ンジ」「心身」「感謝」だと思います。

吉田: 僕が写真学校に行ったのは、健常者

と同じ現場でやりたいという気持ちが

あって、障がい者でもこういうところ

は表現力が大事で、自分にどれだけで

きるのか。技術的には健常者には追い

つかないけど、感覚的には負けないと

思っています。だから頑張って、まだ

まだ写真を撮ってないから、これから

頑張って写真を撮っていければと。

吉田(代): 喫茶店でどうコミュニケーショ

ンしていったかみたいなのがまとめら

れているので読みます。

僕の話を聞きに来てくれる常連客に

なってくれる人がいて、僕が頑張って

いる姿を見て、勇気づけられる人がい

て、それで仕事に行ってくるといって、

一回吉田さんの顔を見ないと仕事に行

けないといって来てくれる人が多くい

ます。

委員: 吉田さんご自身は、そんな頑張って

ないけど、頑張っている姿を見て励ま

されるから、自分も頑張らないといけ

ないと思う、そんな感じですか。

吉田: そんなに頑張ってないのに、頑張っ

ているように言われます。

委員: 喫茶店のマスターをされたり、写真

を撮られたりされているので、やっぱ

り活躍されているなあと皆さんは思わ

れるんじゃないですか。

吉田: 大学の先生は、障がい者と大学生が

コミュニケーションできれば、これか

ら大学を卒業していく人たちが福祉を

志していく、こういう経験をしていく

ことが世の中に出ていく上で一番大事

なことだという考えです。

委員: 喫茶店が大学の校舎の中にあるので、

学生さんがよく行かれて交流されてい

るみたいですけれども、大学で障がい

のある人と日常的に関わることで、将

来的にそういう気持ちを持ってもらい

たいという先生の考えですね。喫茶店

が大学の中にあるということが、すご

く意味があるんですね。

吉田: ほかの大学でもやってもらいたいと

いう思いもあるんですけど、どうして

やらないのでしょうか。

委員: ほかの大学でも同じようにそういっ

た障がいのある方がやっていらっしゃ

るカフェとか、そういうものがもっと

あればと思います。うちの大学でも言

いましたが、いろいろあるようでだめ

でした。いろんなところにそういうお

店ができるといいですね。

吉田: いろんな場に障がい者が出るという

ことが大事になっていきます。外に出

ることで、何かのきっかけになる。こ

ういう場に出てくれば、交流ができ、

その中でいろんな人との出会いがある。

そういうふうに広げていけば、就職に

もつながっていく。家の中にいるばか

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[第8回(平成26年10月3日)]

りだと、コミュニケーションも人との

つながりもできないから、一回外に出

て行くことが一番大事だと思います。

委員: とにかく外に出て交流を持って、い

ろんな人と出会えば、働くことも考え

るようになったり、それが実現できた

りするようになりますよね。

ただ、思い切って外に出ようと思う

と嫌な思いをすることが今まであった

ので、ご本人さんには思い切って出て

いただき、その地域の人達は出やすい

ようその人達との関わりを大事にする。

委員: 吉田さんは、一人で出ることはでき

ないのですか。だれかに必ずついても

らわないと外へは出られないんですか。

吉田: どこへでも出ます。

吉田(代):吉田さんは、今日も、ここまでは

1人で来られてます。

委員: 6年前まではご自分で運転していら

っしゃいました。

吉田(代): 仕事に行かれるとき、最後の坂

道もすごい狭いのですが、吉田さんは、

1人で行かれようとします。バスが通

るので、歩道が狭く、吉田さんはやっ

ぱり怖いとおっしゃっています。

吉田: 車いすで大学から帰る時は怖かった。

吉田(代): バスの停留所にスロープを降ろ

せるスペースがなくて、スッとは乗れ

ないんです。場所を、バスを前にとめ

てもらうとかしないと出ないような狭

い場所で、吉田さんは、気を使って自

分でおりようとされたこともあったん

ですけど、やっぱり危ない。

委員: そういうバスやステップとか、ハー

ド面もきちんと整えば、外に出たいな

あと思ったときに本当に出られますね。

委員: 一人暮らしで無理な事もあるでしょ

う。

吉田: 困ることはないです。

委員: 車いすは、バスは2台まで乗れるけ

ど、3台目で乗れなかったということ

はありますか。

吉田: バスが次から次へと来ますから、大

丈夫です。でも、混んでいて乗せてく

れないこともあることはあります。ノ

ンステップバスも、車いすの人が利用

しなかったら、ただのバスです。

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[第8回(平成26年10月3日)]

◆ 若野 俊子 氏(母)、若野 萌 氏(娘・20代女性)

<若野氏(母)のお話>

こんなふうに私たちのお話を聞いていた

だけるチャンスというのは、本当にまたと

ないことです。日々自転車操業で、24時間、

気のぬけない介護の毎日です。

娘は27歳になります。ざっくりお話しし

ますと、一卵性双生児の双子だったんです

けれど、一人は、お腹の中で亡くなってし

まって、その結果として、重症の仮死で生

まれてきました。生命力があったんだと思

いますが、救急車で運ばれて、何とか一命

を取りとめましたが、酸素が行かなかった

時間がとっても長かったので、脳のダメー

ジが非常に大きくて、ほとんど働いていな

い感じで、重症の心身障害児(者)として

生活しています。

障害があることによる生きづらさという

ことで、ちゃんとまとめられていないので

すが、養護学校の幼小中高を経て、今は言

い方が変わりましたが、重症心身障害者の

通園事業で、一番重い身体も知的も併せ持

った障がいの人たちが行くところに週3日、

生活介護で少しお元気な知的な障がいを持

った方も通われているところに週2日通っ

ています。

学校のときは、自分のリズムをつくると

いうのは難しいのですが、社会生活を送る

ことで何とかきちっとリズムのある生活を

してほしいと思って、皆さんと同じように

長い時間散歩に行くとそこで寝てしまった

り、なかなかサクサクッと日常生活は送れ

ませんが、何とか体調のいいときには週5

日間通っているというような感じです。

生きづらさということがすごく身にしみ

て、そういうことがあるのだとわかってい

ただいて聞いていただけるというのは嬉し

いなと思って来ました。

重心父母の会で、新年会などで本人と保

護者が集まる機会がありますが、「この方

たちも重症心身障害児(者)に入られるの

か」といつも思います。言葉が難しいです

が、うちの娘は、その中でもおそらく一番

生きることに精いっぱいの、正真正銘最重

度の超重症心身障害者だと思います。

養護学校のお友達で、肢体不自由がとて

も重くて呼吸器で生活されているけれど、

「私は、これをしたい」と自分をあらわせ

るお友達がいて、そのお友達は、パソコン

とかで、イエス、ノーや、もう少し具体的

にこう生きていきたいということがわかる

ように親御さんに表現なさって、親御さん

は、それが大変だし、時としては、そのこ

とを支え切れず実現できないこともあって、

それもつらいとは思いますが、でもその子

が「こうしたい」と言うことを親として一

生懸命支えたらいいという感じで、いつも

親しくしている友達の親御さんの姿を見て、

うらやましいなと思っています。というの

は、娘には実際問題そんなにたくさん選択

肢はないけれども、言葉もないし、そんな

に気持ちの表出もありませんので、この生

き方でいいのか、今これをしたいのか、こ

うやって楽しいのかというのを、結局、親

娘の萌さんは、生まれつきの脳性まひ、精神遅滞、てんかん、胃食道逆流症、慢性呼

吸不全がある重度の重複障害。養護学校を卒業後、重症心身障害児(者)通園事業

(現:生活介護)に週3回、他の生活介護に週2回通っている。

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[第8回(平成26年10月3日)]

である私の価値観で選んでいくしかない。

それで本当にこの子はいいのかな、幸せな

のかなということを自問自答しているので

す。

常に、体調もなかなか厳しくて、寝たき

りで24時間介護して、首も座っていなくて、

姿勢の変換も何もかもを全部親がします。

年齢とともにいろんなことが起こってきて、

唾の飲み込みも悪くなり、今までは必要な

かったのですが、24時間吸引で痰を吸って

あげないと非常に苦しくなって、体の中の

酸素濃度が下がり、それを放っておくと、

肺炎になってしまって入院になるなど、健

康上のことも非常に年齢とともに厳しくな

っていくので、やはり負担はちょっとずつ

多くなってきます。でも、この子は楽しい

かなともちろん考えるので、社会的なこと

で少しお楽しみのハイキングや、福祉的な

ところの音楽会などにちょこっとだけ参加

するというように、親としたら一生懸命ア

レンジをして、この子に楽しんでほしいと

よかれと思ってしたことが、その後オーバ

ーワークで体調を崩して、結果的に熱を出

してしまったり、熱を出したらすぐ入院に

なったりして、親はへこみます。こちらの

勝手な思い込みで、楽しいに違いないと思

ってしたことが、この子には非常にしんど

い思いをさせてしまったのではないかなと。

娘は27歳になりますが、体調がどんどん変

化していきます。切ないけれど、ますます

重度化が進み、体調管理も難しくなってい

く中、医療をどう進めるかも含めてどうす

るのがこの子にとっていいのかなというこ

とを、いつも悶々と思いながら生活してい

る感じが、今は一番親としてしんどいなと

思うところです。自分以外の人生を選び、

ひきうけることは大変重いことです。

でも、社会は少しずつ変化していていま

す。これは愚痴になりますが、生まれてす

ぐのときは、お医者さんたちは、月日がた

ってこの子の成長が随分難しいとわかるよ

うなこと、一生歩けませんとか将来こうな

りますという障がいの告知のようなことは

断定的におっしゃらないで、頑張っていっ

たらいい成長が望めますよとお医者さん特

有の言い方をされます。なので、生まれて

すぐにリハビリさえしたら、私の力でこの

子を歩けるようにしてみせるのだと、遠く

ても専門病院に抱っこやおんぶで通いまし

た。少し大きくなってバギーや車いすで通

うようになると、混んでいる電車に乗った

り、バリアフリーが進んでなかったので、

駅の階段で車椅子を1人でもって昇り降り

するのは難しいので、駅員さんに連絡して

お手伝いしていただきます。私は、常識的

に「すみません。お願いします」というこ

とを言っているつもりですが、駅員さんも

忙しいからか、今はこんなことを言ったら

きっと社会問題になると思うのですが、

「何もこんな混んだ時間帯に乗らずに、も

っとすいている時間に乗ってくれません

か」とびっくりするようなことを言われま

した。何か趣味のために電車に乗っている

と思われたのか、くたびれていたのでそこ

まで尋ねませんでしたけど、もちろん通院

でその時間帯に乗る必要があって、社会生

活をする一市民として乗っています。でも

バリアフリーが進んでないから、申しわけ

ないけど駅員さんの手を煩わすということ

があり、10年、15年以前は、私たちがそう

いうことをするというのは、手を煩わす以

外の何物でもないという感じの言われ方を

したことがありました。でも、世の中は進

んでいって、いろんなことが、ちょっとず

つ住みやすくなったなと思っています。

今思うことは、この子が一生懸命生きて

生活するためには、福祉的な支えだけでは

足りないということです。吸引があったり、

口から食べられないので、胃瘻といって、

胃に穴を開けてそこから栄養ミルクで食事

をしています。親としては、親もしている

し、福祉的なところの人にしていただけた

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[第8回(平成26年10月3日)]

ら嬉しいのですが、それは本当に難しくて、

看護師さんのおられるところの医療的なケ

アがなかったら社会生活が営めません。今

は、何とか努力して看護師さんのいるとこ

ろに行けるようになりましたが、養護学校

を卒業したときは、週一回とか、そういう

ところから始めて、粘り強く努力して行け

るようになったというふうなことがありま

す。医療と福祉の連携がもう少し柔軟にな

ってほしいです。

重症で障がいが重ければ重いほど、医療

やいろんな支えがなければ、普通の人がサ

クサクと生きているあたりまえの日常生活

は送れません。それには非常にお金が要る

し、とても大層なことになるんだけれども、

でもこの子が生きるための支えとして必要

なのです。ここにいらっしゃる方々は、い

ろんなことをご存じだからわかっていただ

けるのですが、同じ時代を一緒に生きてい

る仲間だよね、あなたも一生懸命頑張って

いる人だよねという感じでみんなに受けと

めてもらって、仲よくしてほしいなと思い

ます。

せっかくチャンスをもらったので、重症

心身障害の人のことで、疑問に思われたこ

ととか、聞きにくかったり、こんなことを

聞いたら失礼かなと思われたりすると思う

んですけれども、ぜひそれは聞いていただ

いて、知っていただけることがとても嬉し

いと思っています。もし何か、こんなこと

はどうですかと聞いていただけたら、何で

も答えられることはお答えしたいと思って

います。

<委員からの質問とお答え>

委員: 重心の方でよくある、特に胃瘻とか、

吸引の場合のこと、あと、日常的な介

護を自宅ではどうされているか、ガイ

ドヘルプを利用できないこととの絡み

とか、その辺のことをお聞きしたいな

と思います。

若野: 時代が進み、胃瘻支援や居宅介護で、

親御さんのかわりに、ヘルパーさんに

支援していただいて、障がいを持った

人も生活がしやすい世の中になってい

ると思いますが、ご質問があったよう

に、医療がかかわる子どもの場合は、

やはり少し大層になってきていて、例

えば、移動支援といって、お散歩に一

緒に行きましょうということでも、そ

の間にもしも痰がゴロゴロいって苦し

くなったりしたら、痰の吸引をするよ

うな行為が必要で、病気でなくても日

常生活の中でそういうことをすること

が必要なので、簡単に「ヘルパーさん

お願いします、金曜日の何時から何

時」ということはお願いできないんで

す。ですから、どんなことをするとき

にも看護免許を持った方にお願いしな

ければならず、基本的には今の福祉サ

ービスというのは受けられないんです。

でも、それも少しずつ変わってきて

いて、看護師さんでなくても、福祉医

療所の中で研修を受けて、看護師さん

から痰の吸引や胃瘻のやり方を習い、

お互いの信頼関係のもとに、看護師さ

んではない福祉職のヘルパーさんにも

来ていただけるということが、今は可

能にはなってきています。ただ、それ

は本当に始まったばかりのようで、と

っても大層なんです。すぐにお願いし

ますといっても、なかなか見つかりま

せん。

また、高齢の親の介護問題が挙がっ

てきていて、親が要介護とかいう状況

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[第8回(平成26年10月3日)]

になってきたりして、ヘルパーさんに

もお願いしているけれども、足しげく

実家に支援に行かないといけない状況

になりました。娘が元気なときには、

昼間施設に行っている時間にサッと実

家に帰れるんですけれども、先ほど言

いましたように、ちょっとしたことで

体調が崩れるので、発作や熱があって

いつも通っているところに行けないと

いうとき、娘を残して実家には行けま

せん。お願いしますと手を挙げても、

そういう医療のできる人が簡単に見つ

からなくて、ごめんといって、娘が寝

たすきにダーッと実家のほうに行くこ

ともあります。それも、親は老い先が

短くて、生んで育ててもらった恩返し

として、その時間は娘にはちょっと我

慢してもらうというのが正しいのか、

両親は、そんなことはない、孫を放っ

ておいてまで娘に世話なんかしてもら

いたくないだろうとかしょうもないこ

とを考えたりします。でも、そんなこ

とも言っていられない時があり、ヘル

パーさんに呼ばれたらすぐ両親のもと

へ行かないといけないこともあります。

社会が変化しているということはわ

かりつつも、でも今すぐにといったら、

なかなかうまいこといかないのは苦し

いところです。医療職じゃなくても認

めていただいて、親と事業所との信頼

関係があったら来ていただけるなど、

絶対にダメではなくて、可能性として

だんだん広げていただけると嬉しいで

す。

変なことを言うようですけど、プロ

の方でなくても、慣れなんです。この

子とどれぐらいの時間を一緒にいてく

れて、この子のために何とかしてあげ

ようという気持ちと、一生懸命親のし

ていることを見ていて、ああしたらい

いんだなという気持ちがあったら、医

療職でなくてヘルパーさんであっても、

若くても、もちろんキャリアのある方

もですけれども、家族がしていること

なので、できることがあったらという

思いはいつもあります。

委員: 通っておられる園は、家まで迎えに

来てくれるのですか。

若野: はい。

委員: そうすると、10時から3時までお母

さんはついていくの。

若野: いえ。ついていかなくていいです。

園にお任せしています。時間はざっく

りで、10時半のときもあれば、9時50

分のときもあれば、日によって送迎が

1便、2便と違います。

委員: その間は、お母さんがつき合わなく

てもいいから、家におられて、心配は

するけど、ちょっとホッとしますね。

もう一つ別のところにも通われてい

るんですね。

若野: はい。そこは少しお元気な方で、歩

いたり、お話されたり出来る方が行か

れているところです。でも、看護師さ

んがいてくださいますので、胃瘻や吸

引をしていただけます。

委員: 向こうでは、車いすで外出はします

か。外の空気は吸えますか。

若野: 余り吸えないです。なので、朝の送

迎車が来るまでの間、マンションのス

ロープをちょっと行くぐらいです。

委員: そうですか。娘さんは、余り外へ行

っていろいろな景色を見たり、公園と

かは行っていないのですね。

若野: なので、先ほど言ったように、よか

れと思って、紅葉の季節は紅葉を見せ

てやりたいとか、桜を見せてやりたい

とか思って、親としたら心を砕いてす

るのですが、やはり体調との兼ね合い

で、行ったけどやはりしんどかった、

行かなければよかったとへこむことが

しばしばあります。

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[第8回(平成26年10月3日)]

委員: お母さんが車いすで連れて行ってあ

げるということはないのですか。

若野: 平日は、10時に行って3時に帰って

きたらへろへろです。そして、訪問入

浴といって、家のお風呂が狭いので、

ノアの箱舟みたいなものを持ってきて

もらって、そこにお風呂からお湯を引

いて、3人がかりで抱っこしてお風呂

に入れてあげます。平日はそういった

こととか、体を動かしたりするのも大

事なので、リハビリに行ったり、お薬

をいただきに病院へ行ったりと、平日

は忙しくしています。なので、土日の

休みのときに、家の車を、福祉車輌と

いうスロープがついて車いすのまま乗

れる車にしてあるので、天気がいいか

らとお出かけすることがあります。し

かし、また繰り返しになりますけど、

連れて行ったと思ったら、自己満足で、

その後、しんどかったね、行かなけれ

ばよかったということがあります。

委員: 土日は家にいらっしゃるのですか。

若野: そうです。土日は家にいるので、

父・母の介護があるときには、夫にみ

ておいてもらってという感じです。

委員: 上のご兄弟さんは?

若野: 兄が二人です。でも、兄たちは、親

が娘にかかりっきりで何もしてやらず

に育てたので、こんな家にいつまでで

もいたら、僕らのことはしてくれない

と、早々と結婚していますので、今は

夫と娘と3人で住んでいます。

委員: お母さん1人大変ですね。体が一番

大事なので、気を付けてください。

若野: おっしゃるとおりです。腰や膝が悪

いのですが、娘は32キログラムあって、

それを毎日10回もベッドからいす、い

すからベッドと移動していたら、腰や

膝ががたがたになってしまうので、移

動支援として、朝晩はヘルパーさんに

来ていただいて、ベッドから車いすに

乗せてもらい、車いすを動かしていた

だいています。全部は助けていただけ

ないでうが、10回のうちの3回、4回

を社会支援に頼っています。親が一緒

にいるときは、元気なヘルパーさんに、

特に医療職でなくても、痰がゴロゴロ

いったりしんどかったりしたら、親が

そばで吸ってやれますので、私の体の

かわりに抱っこだけしてもらうという

ことをしていただいています。

委員: ヘルパーさんに来てもらっても、親

がほとんどやっているみたいな状態で

すよね。

若野: そうでもないです。そのときは口だ

け出しています。でも、おっしゃると

おり、「こう抱いてください」と伝え

てわかっていただけるまで大分辛抱し

ないといけないことも多いです。さっ

きも言いましたが、慣れなんです。ど

れぐらいその子と時間を費やしていた

だけるかです。

委員: リハビリはどのようにされているん

ですか。

若野: 生後2カ月ぐらいから、大阪の方へ

抱っこして通いましたが、数年前はリ

ハビリの環境が悪くなって、18歳以上

の人は、病状固定で保険点数がだめだ

から通ってはいけないと厳しいときも

ありました。今は少しましになってき

て、重症心身障害の人の入所の施設が

でき、そこは、娘と同じような方が入

所されているし、ドクターはそういう

ノウハウをたくさん持っていらっしゃ

います。もちろん今からリハビリをし

て手が動くようになるとか、そういう

リハビリではないですが、じっとして

いては体がどんどん固くなって、腕の

筋肉も固くなって、息をするのも唾を

飲み込むのもへたくそになる、どんど

んしんどくするばっかりなので、それ

をちょっとでも和らげるために体を動

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[第8回(平成26年10月3日)]

かしています。

委員: 娘さんのような方を、入所で預かっ

てくれる施設はあるんですか。

若野: その今言ったところがありますけれ

ど、そこは入所の方がいっぱいで、今、

空き待ちです。ショートステイといっ

て、私に何かあっても、家以外で1、

2日は何とかそこでやっていけるとい

うことの練習はしています。

委員: それは国とか、県とか、市の施設で

なく、民間のNPOとか社会福祉法人

の施設ですか。

若野: そうです。社会福祉法人で、もちろ

ん親の援助を受けて建っていると思い

ます。ただ、医療が入らないといけな

いということで、ものすごくお金がか

かりますので、神戸市に1箇所で、東

部にそういうところがあったらいいな

あとすごく思いますけど、なかなか一

朝一夕にはできない。

委員: お嬢さんが日々どういうふうにお家

や施設で過ごしておられるか、それか

ら、お母さまが、ご両親の介護も担い

ながらいろいろ大変な思いをされて、

少しでもお嬢様のためにいい生活をと

いうことを、試行錯誤で、ちょっとで

も外の風にと思って連れて行ってたら、

翌日、熱を出しちゃってという、それ

は本当にジレンマですよね。

少しずつはよくなっているというふ

うにおっしゃっていただいたんですけ

ども、まだまだ本当にお困りのことが

たくさんおありのようですね。

委員: うちの団体の中でも、居宅介護の事

業をしてますが、その中で、ヘルパー

さんからのお話を聞き、やはり痰吸引

の要求が増えているそうです。なので、

うちの協会でも、将来は訪問看護ステ

ーションなどを設けて、痰吸引する機

械をちょっと買いまして、それで研修

を受けて増やしていこうかとしていま

すが、今は痰吸引をしてくれる人が足

りないという感じなのですか。

委員: そうですね。研修のシステムはある

けれども、その研修の順番がなかなか

来ない。それと、結局のところは、私

も含めてですが、みんな余裕なく生活

しているので、社会が変化していても

知らないことが多くて、日々娘のこと

にかかりっきりになっていて、「そん

なふうになっていたのか」ということ

もあります。一度聞いて、「だめ」と

言われたら、「だめなのか」と思って

引いてしまうんですね。また少しして

聞いたら、ちょっとよくなったという

ことがあるかもしれません。

委員: 今言っていただいたのはすごく大事

なことなんじゃないかなと思います。

痰吸引ができるヘルパーさんの養成と

いうことで、研修を受ければ、医療職

でなくてもご家族がやっていらっしゃ

るようなことを在宅のヘルパーさんが

できるように、少しずつ人も育ててい

るみたいですし、うちの大学は介護福

祉士養成をやっていますので、これか

ら医療的ケアの科目が増えるそうで、

そうやって人材を育てていっているこ

とはいいことだと思います。しかし、

おっしゃったように、一度どうですか

と聞いて、だめと言われて帰ってきた

ら、しばらくは日々のことで精いっぱ

いで、しばらくたって行くとよくなっ

ていたという。

若野: いつ変わったのか知らなくて。

委員: それはすごく大事なことじゃないか

と思います。本人もご家族も、そんな

毎日毎日「どうですか」なんて言って

いる暇がないですよね。一度尋ねて行

ってだめだったら、窓口の人はその人

のことを覚えておいてほしい。新しく

人が増えましたとか、こんなことがで

きるようになりましたとなったとき、

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[第8回(平成26年10月3日)]

「この間お尋ねになったけども、こん

なふうに利用できるようになりまし

た」と向こうから言ってほしいですね。

若野: でも、視野が狭かったかなと私も反

省しています。「改善されたら連絡く

ださい」と一言言っていたら、もしか

したら連絡があったかもしれない。で

も「もういいです」と言って帰ってく

る。大抵の場合プッチンとなってくた

びれ果てるから、「じゃ、いいです」

と言って帰ってきてしまいます。

委員: 窓口の担当者の違いもあるかもしれ

ません。気をきかせてくださる方と、

一度断ったらそれで終わりという人と。

委員: 神戸市も、医療ケアが必要な人数は

かなり多いと思うのですが、とりあえ

ず一度実態調査をしてくださいと、5

~6年前に調査をしていただきました。

そのときに、ある程度の数値は神戸市

のほうで把握していただいていますが、

その後、どういう施策に通じるかとい

うところでプツンと切れてしまってい

ます。それで、今、重心父母の会とし

ては、地域医師会と看護師協会、それ

から医師関係の中の地域医療推進協議

会に、地域の重心として医療にかかわ

る要望を挙げてくださいということで、

10項目ぐらい挙げたんですけど、その

中で、毎年、在宅の人の生きづらさと

いうよりも、医療との連携をあげてお

話をしましたが、本当にご存じない。

お医者さん自身が、地域のお医者さん

もそうですし、医療ケアの実態を本当

にご存じないというのがわかったとこ

ろで、私はびっくりして、これはやっ

ぱり福祉と医療と、そこに本来は教育

ですけど、教育はちょっと置いておい

て、18歳以降の福祉から医療のところ

が、全くプッツンになっています。今、

訪問看護のステーションがあって、お

ばあちゃんの訪問看護はできるけども、

重症児(者)の訪問看護というのは、

ある程度慣れがないとできないという

のが実態です。

「慣れ」というと変な言い方ですが、

その方の特質を知ってもらう、お母さ

んに指導を受けながら、安心して1時

間でもお願いできるという、その「慣

れ」を選ぶ人すら今はいない。それは、

やっぱり看護協会や医師会に声をあげ

ていく必要があります。少数なので、

みんなで医療ケアをもっと受けていれ

ば声に出せます。お母さんの休息する

場もないという実態をもっときちっと

把握をして、少数だからこそ、介護す

るご家族の方の生活も回っていくよう

な施策にしていただきたいと言い続け

て20年です。確かに神戸市の中でも少

数かもしれませんけど、医療なしでは

生活ができないという実態は、やっぱ

りきちっと医療と連携をさせるような

施策に結びついてほしいと思います。

委員: 少数ですけども、お一人のお困りと

いうのはすごく大変なことなので、そ

こを、少数だからこそ、逆にちょっと

注目をしていただきたいということが

ありますね。

委員: 今必要なときに、看護師や介護士を

派遣してもらえればどんなにいいだろ

うかと、それがすごく今、福祉の分野

で求められていると思います。今、福

祉の現場で働く人たちが、本当に使い

捨てみたいで給料も安い。福祉の現場

に生きがいを持って、仕事についてき

たんだけれども、しかし自分の今後の

生活を考えれば、ずっとここで仕事を

し続けるわけにはいかない。結婚がで

きない、あるいは子どもが育てられな

いというような若い人たちがいるじゃ

ないですか。その辺の、働く条件や、

必要なときにサッと提供できるシステ

ムを今後考えていく必要があると思い

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[第8回(平成26年10月3日)]

ます。

養護学校に、70年のころから80年に

かけて、吸引しなければならない生徒

さんがたくさんおられて、看護師を置

いてくれという運動がありました。そ

のときに、看護師の人件費が大変だか

らと、なかなか置けなかったんです。

そして、先生がかわりに研修を受けて、

吸引などができるようなシステムにな

りました。でも、看護学校を卒業して、

仕事を求めておられる若い人たちに、

きちんと仕事を行政として与えてもら

って、緊急な場合にはパッとクリアで

きるというようなことを考えなければ

と思います。本当に親としてはよいと

いう思いでやったけど、子どもは、負

担に感じていて、それが発熱という形

にあらわれたりする、親としてはそう

いう悩み、迷っている状態が続いてい

るんじゃないかなあというふうに思い

ます。人件費どうすると、そんなこと

を、人の命にかかわるほど価値あるも

のはないと思うので、思い切って進め

ていただきたいと思いました。

委員: 駅から電車に乗るときに、何でこん

な時間に乗るのかと言われたというこ

とと、吉田さんは今、神戸大学の発達

科学部まで通ってはるということと、

若いときに、大阪まで写真の学校に行

っとったというときの交通手段とか、

その辺での嫌な思い、しんどかった思

いも含めてお聞かせ願えればなあと。

若野: 交流といって、養護学校の娘も、元

気だったら校区の小学校に、そんなに

頻度は高くなくて、月に1度とか、そ

の人の体調とか、状況によって一緒に

登下校などしたりというのがあります。

やはり小さく、頭が柔らかいときに、

すごく深くは知り合うことはなくても、

こういう人たちもみんなの仲間で一緒

に生きているんだということを感覚的

に経験を持つというか、そういうこと

はとっても大事なことだと思っていま

す。

娘は養護学校に通いましたが、本当

にたまたまご縁があって徒歩圏に住ん

でいたので、非常に重度だったんだけ

れども、小学校も、中学校も、中学校

になったらうんと頻度が少なくなりま

したけれど、交流して、いい出会いが

あったりもしました。

これは聞いたお話ですが、筋肉の病

気で呼吸器をつけて、身体は医療の支

えが非常に必要だし、重症の方なんだ

けれども、自分はこうしたいというこ

とをきちんと意思主張できるお友達が、

小学校の運動会で、元気な男の子が徒

競走で一緒に走ってくれて、先生方が、

あんなに速く走って車輪がつぶれたら

どうするんだと思うぐらい早かったら

しいんです。どういう経緯があったか

わからないんだけれども、その男の子

は、重症の呼吸器をつけて、ストレッ

チャーの方との出会いがあって、すご

く大きく影響を受けて、今、重症心身

障害者の施設の支援員としてお仕事を

されています。その出会いだけじゃな

くて、そのほかいろいろお考えになっ

たりすることがあったと思いますが、

でも、そういう小さいときの柔らかい

ころのいい出会いが、人生を決めるき

っかけになったという。

なので、娘も社会の一員だよ、神戸

市民だよ、東灘区民だよといって、私

なんかはみんなに顔を知ってもらいた

いんだけれども、体力的に難しいし、

日々彼女の基本的な生活をするだけで

非常にしんどく、なかなかそういう触

れる機会がないので、こういうフォー

ラムとかで知っていただきたい、そう

いうことはあるべき姿だろうなあと思

います。いろいろ社会の意識も多様な

Page 47: 「障害があることによる生きづらさについて」 ヒア …神戸市障害者施策推進協議会第2次制度分科会における 「障害があることによる生きづらさ」についてのヒアリング

[第8回(平成26年10月3日)]

ので、どこにターゲットを絞って、ど

んなふうにフォーラムで発信したらい

いかというのはすごく難しいだろうな

あとも思います。

委員: 小さな子どもさんの時から、自然と

そういうお友達がクラスの中にいたり

とか、近所にいたりすると、それが何

か普通というふうに思うようになりま

すね。

委員: それもやはり外出を重ねていって、

社会の目も変わってきたということも

あるので、どんどん出ていってほしい

なあと思いますが、よかれと思ってお

嬢さんを連れて行ったのに、熱を出し

て、すごく後悔したとおっしゃってい

ましたが、きっと、私がこんなことを

言うのも変ですけど、お嬢さんは、き

っと多分喜んでいらしたと思います。

お話を聞いていて私がすごく恥ずか

しいなあと思ったのは、同じ知的なん

ですけれど、「こんなんなんだ!」と

思うことがすごくあって、同じ障がい

を抱えて、同じ知的の部分はかぶって

いるところなのに、やっぱり一般の

人々にどんどんそういうことを発信し

ていっていただきたいなあと強く思い

ました。

委員: そうですね。医療ケアの難しさとか、

直接お伺いしてないと、なかなかわか

らないですよね。

Page 48: 「障害があることによる生きづらさについて」 ヒア …神戸市障害者施策推進協議会第2次制度分科会における 「障害があることによる生きづらさ」についてのヒアリング

[第10回(平成27年7月28日)]

◆ 島谷 彰一 氏 (70代男性)

<島谷氏のお話>

私の難病は、OPLLと言われています

「後縦靱帯骨化症」です。

私は、現在、手術はしたのですが、その

後に残った症状と術後に出てきたあちこち

の痛みに苦しんでいるところです。痛みと

いうのは、なかなか外からは見えないし、

痛みがあってもなかなか計れず、伝えにく

いですし、困るところがあります。その私

の現状と現在に至った経緯をお話させてい

ただきます。

OPLLといいますのは、脊椎の縦につ

ながっている靱帯が骨になって肥大して脊

髄を圧迫して、手足の運動障害、しびれや

感覚障害を発生する病気です。要するに、

脊柱の中の脊髄が圧迫されて、脊髄の機能

が傷害されるということです。脊椎という

のは、頸椎、胸椎、腰椎に分かれており、

OPLLというのは頸椎に多く出ると言わ

れています。頸椎というのは一番上ですか

ら、脳からの神経が傷害を負うと、体のあ

ちこちに障害が出てくるのです。

このOPLLに対しては、脊柱管を広げ

て症状が軽減する手術を受ける方が多くお

ります。靱帯が骨になる原因はわかってお

りません。原因がわからないということが

難病の特徴です。

私は現在、週1回トリガーポイント注射

の通院と毎日の痛みを抑える薬の服用が欠

かせません。トリガーポイント注射という

のは、痛みのポイントに局所麻酔を注入し、

痛みを一時的に抑えて、血流をよくしよう

とする療法です。このトリガーポイント注

射をする病院・医院はそんなに多くなくて、

自宅から片道約1時間の診療所に通って受

けています。待ち時間をあわせますと、1

回3時間から4時間かかります。それに通

行料と駐車料やガソリン代等が1回1,300

円ぐらい、薬代が月 2,500円ほどかかりま

す。いつもいつもこれだけの時間と金銭を

使って、何とか普段の生活ができる程度の

痛みになります。今でも痛みは少しありま

すが、何とかここに出てこられています。

こういうことをずっと続けなければならな

い、エンドレスであるということにいつも

大変不安を感じているところです。

もしこのような通院と服薬をしないとど

うなるかといいますと、痛みのため、ベッ

ドに寝転んで何もできない、頭は何も働か

ないというような大変な状態になります。

ただ痛みに耐えるだけでじっとしていると

いうような状態です。私の場合、痛みは、

腰とか、太ももの裏とか、お腹の上の腹斜

筋というところの辺に出てきます。痛みに

襲われたときはどんなものか、何か近くで

例があるかなあと考えてみましたけれども、

けがをしたときはもちろんですけども、む

し歯の強い痛みですとか、何かの原因でお

腹を痛めたときなんか困った状態になりま

すけれども、そんなような強い痛みのこと

を考えてもらえれば、わかっていただける

難病患者。59歳の時、後縦靭帯骨化症を発病。

現在、年金生活をおくっている。通院や服薬で痛みを抑えながら、木彫や軽い庭仕事

など、趣味をしてすごすことが多い。

希少難病患者・家族の会「あじさいの会」会員。

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[第10回(平成27年7月28日)]

のではないかなあと思います。今は、この

慢性化した痛みがなくならないかというこ

とを願っているところであります。

OPLLの発症は、大分前、平成13年の

暮れで、初めは小指にわずかなしびれが出

てきたことで始まりました。2~3カ月、

整形外科に通院しても何もよくならず、M

RIというのがありますが、それによって

OPLLが判明しました。この病気は、現

在は画像診断ですぐにわかるということで

す。判定技術はいろいろとこのように進歩

していますけども、治療はなかなか難しい

というのがいつも感じているところです。

その後、大きな病院でみても同じ診断です。

脊柱・脊髄に強い病院を探すことになり、

苦労したんですけども、最終的には、患者

会の情報から、ある国立病院にめぐりあう

ことができました。

そこでは、できるだけ早い時期に手術を

ということになりまして、しびれが発症し

た翌年の7月に手術を行うことになりまし

た。ところが、手術はしたものの、手指の

しびれや、足の感覚の違和感とか、少し歩

きにくいという症状があるのですが、それ

はなかなかよくならずに、手術部の痛みと

かこわばりとかいうのがかなり出て、それ

が続き、仕事に戻れるまでに4カ月ほどか

かりました。

そのような状況が続き、さらに翌年の夏

過ぎに、今度は腰に何か違和感のようなも

のが出てきました。それが、だんだんと熱

いコテで押さえつけられているような灼熱

感というか、すごく熱い感じになってきま

した。医者に行ってみてもらっても、わか

らない。じっと耐えて、時間はたつばかり

で過ごしていたのですが、それがだんだん

と痛みに変わってきまして、程度も強くな

ってきました。だんだんとひどくなって、

起きておれないという状態にもなって、1

日じゅう寝ているというわけでもないんで

すけど、しんどいときは何時間も寝転んで

過ごしているという状況が続きました。

何とかしたいということで、さらに病院

めぐりが続くわけですが、そんなときに、

一時は「自立支援医療」というのがあり、

それで一部公費でいただいたこともありま

した。しかし、これは神経的な症状から来

るものに対する助成ということで、神経内

科の先生に通ってたんですけど、そのとき、

原因が痛みから来るから、痛みを抑える薬

の処方ができておったんですけども、いろ

いろ規制が強くなって、神経的な症状に対

する薬しか処方してはいけないということ

になって、神経内科で痛みの薬は処方でき

なくなり、自立支援医療が受けられなくな

りました。

いろいろ病院めぐりをしましたが、患者

の友人から、酸素カプセルがいいよと聞い

てそれに行ったり、テレビで見た何々がい

いと聞けば、2時間ほどかけてそこに行っ

たり、心因性だということで心療内科に行

ったり、相談会で聞いた先生のところに行

ったり、いろんなところへあちこち行った

りしておりました。平成22年12月からと平

成24年2月からの2回、ある整形の医者が

いいということで入院治療に行きました。

2回、各4カ月ほどそこに泊まって治療を

受けました。2回目の治療が終わったのは

平成24年7月ごろですけれども、そのころ

になると、あちこちに回ってもどうしよう

もないとあきらめの心境になって、医者め

ぐりも終わったということです。それまで

にかかったのは、今まででいきますと、O

PLLは、全部で17施設になります。あと

薬の投与は数え切れないほどです。こうい

う経緯ですが、OPLLと今の痛みの関連

は定かではありません。難病の障がい者が、

こういう病院めぐりをしなくてもいいよう

な障がい者施策をやっていただければあり

がたいと思っています。以上です。ありが

とうございました。

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[第10回(平成27年7月28日)]

◆ M 氏(30代女性)

<M氏のお話>

脊髄小脳変性症について、最初に説明さ

せていただきます。脊髄小脳変性症とは、

運動機能が徐々に衰えて、最終的には身体

を動かすことがまったくできなくなる病気

です。

現在のところ治療方法はなく、病気の進

行を遅らせるために、リハビリが有効だと

言われています。

今の私は、常に軽いめまいと倦怠感があ

る状態です。歩くときは杖を使い、家の中

は壁や手すりを伝って移動しています。お

箸がうまく持てないので、スプーンを使っ

て食べています。文字を書いたり、しゃべ

ったりすることにも不自由があります。

ただ、見た目には障がい者だとわからな

いために、誤解を受けることがあります。

昨年、まだ杖を使っていない頃、道を歩い

ていたら、若者がフラフラ考えごとをして

いるように見えたのだと思いますが、後ろ

から来た人に、「まっすぐ歩けないのか」

と注意されました。

進行を遅らせるためにも、動けるうちは

なるべく外に出かけたいのですが、周囲の

目が怖くなってしまうことがあります。

「見た目でわからない障がいもある」とい

う意識が、社会にもっと広がってほしいと

思います。

重くなっていく障がいと向き合いながら、

前向きな気持ちを保つことは正直とても難

しいです。介護などで家族に多大な負担を

かけてしまうこともとても心配です。今日

のテーマは「生きづらさについて」という

ことで考えましたが、その生きづらさの一

番の理由は、先行きが見えないことではな

いかなと思います。

ありがとうございました。

難病患者。33歳の頃、脊髄小脳変性症と診断される。

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[第10回(平成27年7月28日)]

◆ 熊谷 博臣 氏(60代男性)

<熊谷氏のお話>

私は患者本人ではございません。私の家

内が、ALS(筋萎縮性側索硬化症)とい

う病気でございました。妻は56歳で亡くな

っておりますが、27歳のときに筋萎縮性側

索硬化症(ALS)を発症し、告知を受け

ました。当時、余命は2~3年、長くて5

年と言われていました。上の子が3歳で、

下の子が1歳だったと思います。亡くなる

まで29年間、自宅で看ていました。その29

年間のうち、最初は足が動かなくなる5年

間、次の5年間は手が動かなくなる5年間

で、完全に手足が動かない寝たきりになり

ました。しかも呼吸が苦しくなって呼吸器

をつけていました。私自身は、中小企業の

製造業の会社勤めです。

29年間の妻の思い、妻というより、患者

本人の思いがどうであったかということを

思い出しながら話すことになると思います。

私は介護者で、Mさんと島谷さんは患者さ

んですけど、難病を考えるときは、患者さ

んと介護者についても考えないといけない

と思っております。やっぱり介護者に余裕

が無いと、いい介護はできませんし、そう

いう意味で、介護者である私の話も何かの

参考になるのじゃなかろうかと思います。

仕事と介護と、二人の子どもの養育、教育

と両立させなければならないといけないと

いうお話も、限られた時間ですけど、して

いきたいと思っております。

こういう機会があるということで、今日、

島谷さんとMさんには無理を言いましたけ

ど、ほかの会員さんも、この場に来て言い

たいことがたくさんあると思うんです。そ

れで、皆さんに連絡をしてご意見をいただ

いてきております。私が偉そうに発表する

よりも、現実に今、難病と闘っている方が

いらっしゃいますので、生きづらさとか、

どういうことを感じているかというのをま

ずご紹介します。

まず、脊髄小脳変性症の女性の方です。

例えば、公共の施設で、多目的トイレと表

示されています。でも、若い健康な人たち

の利用がよく見られる。しかも利用のマナ

ーが悪いということで、本当に多目的トイ

レが必要な障がい者はそこでないと用が足

せないため、切羽詰まっているのでノック

したら、出てきて、「チェッ」と舌打ちさ

れたというようなことがあって、こちらの

ほうが利用者のプライバシーを侵害したの

かなと、気を悪くされたのかなということ

をおっしゃっています。

あと、病気によりますが、感情が高まる

と、どうしても声高になり、何か変な声で

しゃべっているのじゃないかという目があ

る。

それと、トイレの入口で車いすの方が入

ろうとしたら、別の車いすの方が来て、お

互いに譲り合うんですね。譲り合っている

うちに健常者がサッと入っていったそうで

す。そういう健常者の割り込みに絶句して

しまったということもおっしゃっています。

次は、脊髄小脳変性症の男性の方です。

亡き妻が、27歳の時に萎縮性側索硬化症(ALS)を発症。亡くなるまでの29年

間、在宅で介護を行う。現在は、難病に苦しむ患者と家族の役に立とうと、希少難

病患者・家族の会「あじさいの会」会長を務めている。

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[第10回(平成27年7月28日)]

この方も自宅で、お一人で生活しています。

この方は、昨今多くの制度が厳しくなって

きて、将来の不安が大きくなってきている。

制度が変わって良くなれば嬉しいけど、何

となく、変わるたびに使いづらくなるとい

うことを感じます。そういうことで、将来

の不安が大きいと書いておられます。

それから、介護保険制度における介護報

酬の減額。障がい者に対する減額がないと

言っていても、例えば施設に対する報酬が

減ると経営が成り立たず、結局、閉鎖せざ

るを得なくなって、介護難民とかリハビリ

難民がうまれ、介護とかリハビリも受けに

くくなる、そういうことが有るとおっしゃ

っていますが、今後まますます厳しくなる

のではという不安が有る、とのことです。

たくさん書いていただいていますが、雇

用についていえば、障がい者の雇用は、私

どもの会員でも、一生懸命面接に行ったけ

ど、だめだったということで非常に困って

いらっしゃる方がいた。その方は、採用は

確実かと思ったころに、「病気なんです

か」と言われて、「難病です」と言ったそ

うです。誤解が有ってはいけないからと、

身体障がい者じゃなくて、難病だと言った

とたんに、驚いて顔つきが変わって雇用は

できないという態度になったとそうです。

難病についてはまだまだ理解が低いと、そ

の方はおっしゃっています。みんな健常者

と同じように扱ってほしいと言うけれど、

無理な作業を求められたりすることがある

ということです。健常者と同じ扱いをする

ということが障がい者差別をしていないこ

とだと思っている人がいる。けども、配慮

をしないことが差別であることも知ってほ

しいと。難病患者は、ついつい無理してし

まう、気が張っているんですね。見た目は

健康に見えるから、怠けていると見られる。

それがあるから、ついつい頑張ってしまう

ということです。

あとは、先ほどのバリアフリーの話で、

いろんなところで迷惑だと言いたげな嫌な

顔をされることが有ると。乗り物の改札、

幅広い改札が有りますけども、そこは障が

い者優先を示す車いすのマークがついて欲

しい、もちろん健常者が使ってもかまわな

いのだけど、やっぱり車いすのマークを大

きくつけてほしいということをおっしゃっ

ていました。

それから、電車からおりるたびに駅員さ

んにスロープを敷いてもらいますが、おり

ているときに、広いホームだったらいいけ

ど、狭いホームだと、おりてからバックし

て向きを変えないといけないのに、後ろを

どんどんと健常者が通っていくと、そうい

うことで、非常にマナーが悪い。歩きスマ

ホもそうですね。

それから、まさにそうだと思ったのです

が、「駅などはバリアフリーになってきた

と言われているが、健常者の人たちがバリ

アになっている」とおっしゃっています。

それと、介護保険が優先になってきて、

日常生活の質が下がってきているというこ

と。

また、最近、制度が非常に複雑になって

きました。語弊があるかもしれませんが、

医療、市役所も含めて、福祉、医療の窓口

が混乱しているのかもしれず、結構医療機

関の窓口で自己負担額の計算間違いが頻繁

に発生しているそうです。そうことが起き

ているので、患者も帰って計算書をしっか

り見ないと。よくスーパーに行って、レジ

で奥さんが、お会計後に「これ違うじゃな

い」と言いますよね。私は男だから、黙っ

て帰るけど、結構ミスもあるのではないか

と思います。医療費の件は、過渡期で混乱

しているのかなあということをおっしゃっ

ています。訂正するために、またヘルパー

さんを頼んで行くと。向こうのミスでまた

こちらが行くためにヘルパーさんに頼んで、

時間を段取りしなければならない。

それから、呼吸器をつけている方、吸引

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[第10回(平成27年7月28日)]

に問題がございまして、うちの家内もそう

だったけど、ヘルパーに吸引を認めてほし

いということを厚労省に陳情したことがあ

ります。やっと制度ができたけど、吸引研

修をヘルパーに受けてもらいたいと思った

ら、施設側としては費用がかかるから行か

せられなかったということで、規制された

方もいるということです。制度がいくらで

きても、そういう費用の問題とか、施設の

理解がなければ、絵にかいた餅になってし

まいます。

それから、これも語弊があったらすみま

せん。「ヘルパーさんの新たな問題、ゆと

り世代のヘルパー」とのことで、細かくは

書いてないけれど、「掃除機をかけて」と

言ったら、掃除機で掃除はするが、拾って

と言わなかったものは拾わないとか、指示

されるまで動かないとか、考えて動くこと

はできず、何かあっても笑って終わりにさ

れるということで、ゆとり世代独自の問題

に悩んでいますということをおっしゃって

います。

あとは、車椅子に乗る人は、なれない間

は回りの視線が気になりますよと。

それから、障がい者優先は、何か特別な

優先と勘違いしている人がいるんじゃない

ですかと。特別な優先ではなく、障がい者

に対する配慮ということで考えてほしいと

いうこと。

それと、これは私がよくうちの患者会で

言うことですが、患者さんはみんなそれぞ

れ違い、同じ病気でも障がいがみんな違い

ます。例えばよくある話で、ある病気のA

さんがこういうことをやっていると、新聞

やテレビで見たら、「Aさんがあんなこと

やっている。あなたもあれぐらいのことを

やりなさい」と言われる。比較するのはや

めてください。そういうのも結構生きづら

いとおっしゃっています。というようなご

意見をいただきました。

<委員からの質問とお答え>

委員: 私は肢体障がい者として障がい者の

認定を受けています。障がい者によっ

て、1種何級とか2種何級という級が

ありますが、難病の方は、そういった

等級や、何かランクといったことはど

のようになっているのですか。

M: 私は、肢体不自由の2種5級です。肢

体でいくのか、平衡機能障がいかどっ

ちか、同じような障がいなので、どっ

ちかでとれるということで、2種5級

の判定です。ただ、これは、歩くのに

どれぐらい不自由するかというだけの

規定なので、実際には、目がふらふら

するとか、そういう病気の症状と障が

い制度が関連してないというところが

あります。足が不自由であるだけで5

級ですけど、本当は、ちょっと書いた

り食べたりするのも不自由で障がいな

んだけれども、そのあたりは制度には

なかなかないということです。

島谷: 特にもらっているものはありません。

先ほど入院生活をしていたというふう

に話しましたが、そのときに知り合っ

た同じような人は、愛媛県ではもらっ

ていたそうです。それは痛みからじゃ

なくて、やっぱり手が不自由だからも

らっていたそうです。

熊谷: ちょっと補足させてもらいます。難

病ということでは手帳はもらえません。

手帳というのは、例えば、私の家内は、

呼吸器をつけているから手帳をもらえ

たとは思わないんです。足が動かない、

歩けない、手が使えないから、1種は

もらっていました。だから、島谷さん

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[第10回(平成27年7月28日)]

が、じっとしていられないほど痛くて

も手帳はもらえません。制度によって、

手帳を見せることで受けられるものは

ありますが、難病は手帳がないから受

けられないという、難病側の持ってい

る別な意味で、生きづらさがあると思

います。

委員: 体が動かないと肢体不自由で手帳が

出るけれど、痛みというのは手帳の対

象にならない、ふらつくだけでは手帳

は出ず、ご本人さんの痛みだとか、苦

しみというのは、そのまま手帳には反

映されないのですね。

熊谷: そうです。だから、難病に関して、

これは不治の病であと2~3年とか、

5年と言われても、それだけでは手帳

はもらえません。

委員: 介護、就職、薬、通院、タクシーや

電車に乗るとき等に嫌な思いをされる

こともあると思うのですが、その辺、

差別的、合理的な配慮がなされていな

いと思われたことをお聞かせください。

熊谷: 嫌な思いは、当然29年間に嫌という

ほど有りました。ただ、人間って良く

できていまして、嫌なことはだんだん

忘れて、良いことしか覚えてないので、

大分忘れていますけど、例えば家内の

立場で考えると、だんだん歩くのが大

変になってきた時、それは見ただけで

はわからない、杖をしたらわかっても

らえるのだけど、何もしてなかったら、

ボンとぶつかってくる。家内は、歩け

なくなったとき、最初は僕の腕をつか

まえながら歩いていましたが、そのう

ちお医者さんが杖をくれました。でも、

やっぱり家内は杖をして歩くのを嫌が

りました。そのうち車いすに乗るよう

になりましたが、車いすに乗って近所

に買い物に行くのを特に嫌がったんで

す。僕と家内は社内結婚で、会社が家

の近くなので、会社の人はみんな知っ

ています。そうすると、買い物に行く

時に、お父さん、この道を通らないで

と言います。と言うのは、この道を行

くと会社の人とすれ違うから、「違う

道を通って」というようなことを言わ

れたことが有るし、娘が車いすを押し

ているときに、通りすがりの人がじっ

と見ていたと。娘が小学生のときでし

たが、娘は、お父さん、私はずっとそ

の人をにらんでやったと言っていまし

たが、そういう配慮の無い人の目とか、

遠くでしゃべっているしゃべり声とか、

そういうことが有りました。随分いろ

んな意味でいえば、皆さんもあると思

いますけど、知人も急に寄ってこなく

なります。今だから言えることですが、

例えば、知人がなかなか来ない。ごめ

んね、ごめんねと電話では言うんです。

その来ない理由が、「犬がいるので、

犬を家に一匹で置いておけないから行

けない」と。「犬と人間である妻とど

っちが大切なんだ!?」と、そういう

怒りを感じたこともあるし、子どもが

学校のクラブで忙しいので、なかなか

行けなくてとか。そんな事も嫌な事で

すけど。しょうもない、嫌な話ですみ

ません。

委員: 難病について全然知識がなく、今初

めて聞いて驚いたのですが、うちは息

子が知的障がいで、生まれついてのも

のです。私の感覚として、障害は何で

も生まれついてのことだというような

理解でしたが、難病は本当に突然です

よね。13年前といったらつい最近です

し、中途で病気になられたということ

で、すごく怖いと思いました。多分原

因もわからないですよね。ということ

は、誰でも、もしかしたらそういう可

能性があるのではないかと、すごく怖

いと思うんです。それは社会に訴えて

いかないといけないことじゃないかな

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[第10回(平成27年7月28日)]

と思います。

私たちの会は知的障がいですが、誰

でも障がい者になる可能性があるんで

すよとよく言います。それは、例えば、

交通事故で身体障がい者になるとか、

そういうようなイメージしか持ってな

かったので、一般の人は、そういう知

識も本当にないでしょうし、それで、

歩いていて嫌な思いをされたとおっし

ゃっていましたが、そういうことは社

会の人にすごく訴えていかないといけ

ないと思いました。

熊谷: 言っていただいているように、私た

ちも、知的障がいの方のことをわかっ

ていないことが随分あります。それは、

同じように障がいを持っている者同士

でも、障がいによっては随分わかって

ないと思うことが各種あります。私も

本当に知的障がいの方については全然

わかりません。

言葉は悪いですけど、本当に皆さん、

難病には公平に誰でもなる可能性があ

るのです。もちろんならない方が良い

ですけど、ALSでいうと、クイズダ

ービーの篠沢教授がALSになってま

すし、医療法人徳州会の会長の方もA

LSですし、ホーキンスという著名な

宇宙物理学者もそうです。ルー・ゲー

リックという有名な野球選手もALS

ですし、逆に、難病の方でも、難病以

外のがんで死ぬ方もいます。Mさんは

まだ発症して1年ですものね。

難病の場合、程度の差はあれ、難病

の症状が進行してくるという不安と絶

えず闘っています。それは恐怖感です

よね。自分の家内を見ていて、だんだ

ん足が動けなくなる、手が動けなくな

る恐怖感、病気が進んでいく恐怖感と

いうのは、そばに居て見ていることは

辛いけど、本人にしかわからない事が

多いと思います。

委員: 私のすぐ上の兄も、ALSという診

断名はつきませんでしたが、本当に筋

肉が再生しない病気に63歳ごろかかり

ました。3、4年で切開するのかどう

かということになり、する前は痛がっ

ていました。杖をついて、その後に車

いすになって、ここを開けば、もう言

葉が発せなくなるんですよね。そした

ら、兄は、もういいと言って、手術は

受けず、短い期間に亡くなってしまい

ました。診断名がつかないものですか

ら、イライラして、あちこちの医院で

も調べていましたが、やはり遺伝子の

中で、ある時点で何か条件がそろった

ときにその遺伝子の果たす役割が消失

していくんだろうと自分なりに考えて、

私には説明してくれました。その上の

兄が、大学のときに精神の失調症にな

り、ちょうど60年安保のときでしたが、

今も入退院を繰り返しています。とい

うことは、本当に委員さんが言われた

ように、障がいというのは、いつどこ

でどんな形であらわれるかわかりませ

ん。だから、本当に健常者同士でも相

手をいたわるやさしい社会にしていか

なければと思い続けています。

あと、外からわからない難病で、ほ

かの人から、わかっていたらそんなこ

とはしないだろうということもあるか

もしれないですよね。視覚障がいの人

が白い杖をついて歩いていれば、みん

なよけるとか、あるいは、プラットホ

ーム、駅などの自転車置き場について

も考える、点字ブロックのところは避

けてというようなことなんか、私たち

の常識はまだそれぐらいの段階ですけ

ど、内部障害については、それぞれの

障がいごとに何らかそういう皆さんに

知らせるマークをつけるとか、そうい

うような論議はまだないでしょうか。

聴覚障がいの人も、それとまた、自閉

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[第10回(平成27年7月28日)]

症の方でも、落ち着いておられるとき

にはわからない。だから、そのときに

いじめにあったり、福岡のように悲し

い事件になったり、本当は社会全体が、

相手を思いやるようなやさしい社会に

なっていくといいんですけども、今の

ような社会、大変生きにくい世の中に

なっており、私たちはそういう社会を

変えていくということが大事で、同時

に、自分たちが訴えていくということ

を続けていくべきだと思います。

熊谷: 難病でいろんな患者会がございます

が、その悩みの一つが、患者会が、な

かなか活動ができないということです。

私は遺族ですから、まだ普通に年相応

の健康・パワーを持っていますけど、

患者の方々は、ほとんど活動できない。

じゃあ、家族はというと、家族は、介

護の方で日々大変です。

だから、外部の方々に訴えていきた

いとか、そういう思いは有るけれど、

なかなか活動するマンパワーというか、

本人はなかなか動けない、家族も動け

ない、あと、マンパワーのほかにマネ

ーパワーのほうもなかなかということ

で、社会に対してもっと訴えていかな

いといけないなあと思うことは、ご指

摘のとおり、難病の場合もあるように

思います。ですから、うちのあじさい

の会は、もしも私が病気になったりし

たら、この会は誰がお世話をしてくれ

るのだろうと心配です。そういう状況

も有るのかなあ、と思っております。

委員: 発達障害の親の会の者ですが、発達

障害も、パッと見ではわかりません。

それに対し、自分の障がいを皆さんに

知らせていくということに関して、自

分として知ってほしい部分と、やっぱ

り知られたくないという部分ってある

と思うんですよね。発達障害の親なん

かは、周りに知らせてもいいと思うけ

れども、本人が嫌というところはやっ

ぱり難しいところがあります。見えな

い障がいを持っているということは、

同じような悩みがあるんじゃないかな

と思います。難病の方たちも、軽さ、

重さによって、訴えたり、あるいは本

当は閉じていたい、クローズしていた

いということがあると思うんです。

M: 私もクローズしていることで嫌な思い

をすることもあります。学生なんか、

例えば、この時間にバスに乗らなくて

もいいのにとか、悪気なく言っている

んですけど、足元が不安定なくせに外

に出かけるなとか、そういうことを思

っている人はいるんです。あと、私が

杖を持っていたら、男性とか結構つき

まとってくる人もいるんです。本当に

親切心からなのかもしれないけど、ず

っと横についてこられて、逃げられな

いので結構怖いです。そういう嫌な部

分もあるので、私は難病です、障がい

者ですというマークがあったら、それ

をつけていることで怖い思いをするこ

ともあるのじゃないかなとは思います。

ただ、マークがないことで、例えば、

私が電車の優先席に座っていたら、難

病だと全然わからないと思うんです。

だから、どうしてあの子は座っている

んだろうとか、どうして席を譲らない

んだろうというふうに思う人もいると

思います。

これは私の考えですけれど、そうい

うマークなどが特になくても、何とな

く席を譲りあえる社会になればいいの

にと思います。

熊谷: 今のお話に補足というか、僕の思い

ですけど、私の家内が車いすで乗った

とき、どうしても東京に行かないとい

けないということで、朝早いラッシュ

の時間帯に通勤電車や新幹線に乗るこ

とがあり、本当に嫌な思いをしました。

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[第10回(平成27年7月28日)]

似たような話で、最近、バギーカーを

広げたまま電車に乗って良いのか?と

議論になったことがあるでしょう。乗

っている人は、その時間帯に乗らない

といけない用事があるから乗っている

のであって、ラッシュの時間帯はサラ

リーマンが優先では決してないし、事

情があるから乗っているのです。わざ

わざ混んでいるときに車いすで、と平

気で言う人がいます。特に私の家内の

ように、呼吸器を乗せた車いすは大き

くて、立っている人の6人分ぐらいの

スペースをとるんです。そういうのが

理解されて、自然に認められる社会に

ならないといけないと思います。

そういうことと、やはり難病の人は

頑張ってしまう。難病患者だと見られ

たくないという気持ち、女性は女性特

有の気持ち、年寄りは年寄り扱いされ

たくないという気持ち、人間の尊厳と

かプライドを、障がい者もやはり尊厳

はあるわけです。

委員: 私が前に勤めていた施設には、脊髄

小脳変性症の方とASLの方がおられ、

私たちもいろいろ経験させていただい

たんですが、残念ながら、私が働いて

いたころと今とを比べても、それほど

社会が生きやすくなったわけではない

と、今胸が痛んでいます。

いろいろお話を伺った中で、私たち

が今まで勉強してきた障がいと、難病

の方々で違うところは、強烈な痛みと

か、いろんな症状をお持ちというふう

なお話がありましたが、単に見えにく

いとか聞こえにくいだけじゃなくて、

痛いとかいろんな症状があって、それ

が薬を飲んでも治らない、それとずっ

とつき合っていかなくてはいけないと

いうことだと思います。病気の原因が

わからない、治療方法が確立していな

い、治療のためのお金、時間などの負

担が大きい、家族の負担が大きい。

それから、外から見えにくいという

ことで、いろんな嫌な思いをされると

いうことですね。また、知ってほしい

気持ちと知られたくない気持ちという

話があったんですが、本来であれば、

「知られたくない気持ち」というのは、

それは周りの偏見とか差別があるから

知られたくないんですね。それがなく

なれば、「わかってほしい」ってシン

プルにいけると思うのですけど、知ら

れたことですごく嫌な思いをするんじ

ゃないかという心配があるから、知ら

れたくない気持ちも出てくるのだと思

います。これは、ほかの障がいの方も

そうかもわからないですけれども。つ

まり、皆さんがおっしゃっていたよう

に、心のバリアがあるから、「知られ

たくない」というよう気持ちが生まれ

るのかなと思いました。

それと、一般の方のマナーとか、配

慮のなさですよね。ちょっと余談です

が、この間、電車に乗っていて、お一

人の電動車いすの方が、乗客がうわっ

とおりていくのを待っておられたんで

すね。私は、「済みません。お先で

す」と言ったんですが、おかしいなあ

と思って。その方も入口に近かったん

だから、その方がスッと出ていかれた

らいいのに、すごく遠慮されていまし

た。立っている人たちをどうぞと通し

てくださったんです。みんなそれが当

たり前みたいに、スッと出ていったの

です。車いすの方のほうが入口に近い

ところにおられたのに、その方が遠慮

してくださったという。それってどう

なのかなあとそのとき思ったんですけ

ど、やっぱり私たちが、障がい者優先

というのは普通の配慮であって、特別

に何かしてやっているのではないとい

うことを改めて認識しないといけない

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[第10回(平成27年7月28日)]

なあというふうに思いました。

あと、いろんな制度の問題ですよね。

ヘルパーさんがついていきますよと言

っても、実際は基本的にヘルパーさん

がいないとか、そういうことがたくさ

ん出てきたかなというふうに思います。

今日来ていただいてお話を伺って本

当によかったと思います。これから私

たちが差別の条例をつくったりとか、

合理的配慮とかいうことを考えていく

上で、今まで難病の方々のことを余り

視野に入れてなかったこともあったん

ですが、ぜひともこれは入れていかな

いといけないなとすごく思いました。

せっかくですから、最後に一言ずつ

ありましたら、お願いします。

M: 聞こえにくい喋り方ですが、話を聞い

ていただいてありがとうございました。

島谷: いろいろ知っていただいて、これか

らの施策に生かしていただければと思

います。よろしくお願いします。

委員: ちょっとお尋ねしますが、難病の方

は、自分が障がい者やという認識を持

っていらっしゃるのですか。難病は、

病気の名前ですね。というのは、就職

して、「難病」やというと大変嫌がら

れます。それなら、まだ「ALS」と

病名を言って、難病の人に対する支援

というたらおかしいですが、難病の方

には、我々みたいに障害年金とか、何

もないでしょう。それを患者の会や家

族の会が、要望していく。これから、

家族としても、本人が就職できず生活

費を稼げないのは不安です。

これはひとつの差別だと思います。

同じ障がい者という認識。障がい者と

は違う、病気のためにこうなっている

のだから、隠してでも仕事をしている

人もいます。しかし、仕事できなかっ

たら、年金など収入にかわるべきもの

をもらう、これは当然の生きる権利で

すよ。それを主張しないといけない。

いつまでも引っ込んでいたらいけない。

精神障がいは、障がいがあるという

と嫌な顔をされますが、私は、後でば

れるのなら、堂々としていたらいいと

思います。絶対薬をたくさん飲むのが

わかるし、後でわかっていじめを受け

るなら、堂々と初めに言うべきです。

誰でもなる病気だから、心配するなと

勇気づけてあげないと、仕事も2、3

日でやめて帰ってきます。精神障がい

の場合、自分のことを笑っているとい

う被害妄想があります。全然話してい

ないのに。そういうことで、なかなか

難しいです。だから、難病の当事者の

方々が、そういう活動を積極的にされ

たらどうかと思います。仕事ができな

いというのは、生きる権利の侵害です。

当然の権利を訴えていくべきです。

委員: 市内の難病患者の数が 9,000人とい

うと多いみたいですが、いわゆる障が

いがある方に比べればすごく少数派な

ので、ご本人さん、ご家族さんの力だ

けではなかなか難しい。だからこそ、

私たちが支援者としてバックアップし

ていくべきなのかなと思います。

委員: 難病患者は、雇用の障害者枠に入っ

ていないと思います。そういうところ

を認めさせていかなければならない。

熊谷: 企業は障害者を何パーセントと雇わ

なくてはいけないという法律ですが、

難病患者はその要件にならないので、

そういう意味で企業にとってのメリッ

トがない状態です。

委員: だから、いわゆる障害者福祉という

のは、手帳があることによって、年金

など、何らかのものが得られる部分が

随分あるんですが、難病の方は、今の

制度では同じようなレベルのサービス

が受けられていないということですね。

どうもありがとうございました。