「細菌時計」が一斉に鳴り響く · 2019-11-11 ·...

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また Fussenegger は、生物学的リズム の解明にも役立つだろうと話す。人体 のさまざまな活動にも、細胞間の天然 の同調現象によるものがあり、例えば、 ニューロンが協調的に発火(電気的興 奮)して思考や動作につながるシグナ ルを発することなどがあると、彼は指 摘する。「将来的には、脳のペースメー カーの設計、細胞が近隣細胞を同調さ せる仕組みや同調しなくなることで何 らかの病的状態に陥る仕組みの解明な どが可能になるかもしれません。発振 の同調は、生物学において実際に非常 に重要なものなのです」。 Hasty によれば、今回、そうした天然 の回路に関して非常に興味深いことが明 らかになったという。それは、複雑な活 動パターンを作り出すのに複雑な回路は 必要ない、ということだ。「2 種類の遺 伝子から、これだけの複雑さを作り出せ るのです。今回の成果は、複雑な挙動に 多数の遺伝子は必要ないことを物語って います」と Hasty は話している。 (翻訳:船田晶子) 1. Danino, T., Mondragón-Palomino, O., Tsimring, L. & Hasty, J. Nature 463, 326-330 (2010). 参考動画 http://www.youtube.com/watch?v=pnjdAr4EjI0 多数の細菌が同調して時を刻む「細菌時 計」が、カリフォルニア大学サンディエ ゴ校(米国)の Jeff Hasty らにより作 製された。この成果は合成生物学を一歩 前進させるものであり、医薬を定期的に 一定量投与する体内埋め込み型の薬剤 ディスペンサーの開発にいずれ結びつく ことだろう。 これまで作られていたのは、細胞 1 個のみで発振する単一細胞振動子だっ た。振動子とは、ある特定の活動を周期 的なスケジュールで実行し、時間を計測 できるデバイスである。 「同一集団内の各個体の振動子を同調 させることができたのは、今回が初めて です」と、チューリッヒ工科大学(スイス・ バーゼル)の Martin Fussenegger はい う。「これがもし哺乳類の細胞で実現で きたら、将来の研究や技術に多大な影響 を与えることでしょう」と話す。 Nature 2010 年 1 月 21 日 号 に 発 表 されたこの研究 1 では、2 種類の細菌由 来のクオラムセンシング(菌体密度感 知)とよばれる天然の細菌コミュニケー ション機構の一部を担う遺伝子を、大腸 菌のゲノムへ導入した。これらの遺伝子 は 1 個の回路として「配線され」、遺伝 子の 1 つがアシル - ホモセリンラクトン (AHL)というシグナル分子を産生する ように設計された。産生された AHL は 細胞外に拡散し、ほかの細胞に AHL を さらに産生させる。ただしこの回路は、 AHL が同時に、それ自身の分解を招く 別の遺伝子を活性化させるような設計 にもなっている。 これらの相反する正と負のフィード バックループが、時計の振り子のよう な役目をして、細菌コロニーでの AHL 生産量が規則正しい周期で増減を繰り 返すように調整するのだと、研究チー ムは述べている。今回の回路には、蛍 光リポータータンパク質をコードする 遺伝子が組み込まれており、AHL 産生 量が増えるほど蛍光の明るさが増すの で、大腸菌集団が同調して AHL 産生量 を増減させるようすを観察することが できる。 生活リズム Hasty らの系では、マイクロ流体デバイ ス上に細菌が置かれ、デバイスには微小 チャネルがあって、細菌へ栄養素を送り、 老廃物を洗い流せるようになっている。 研究チームは、同調した時計の発振のタ イミングや強さは、栄養素や老廃物がデ バイスのチャネルを通じて出入りする速 度に依存していると報告している。 研究チームは、このデバイスを開発す るまでに何度も失敗を重ねた。実験を夜 通し行って初めて、構築したクオラムセ ンシング回路の活性化に必要な細菌密 度になるまでには、一定の時間がかかる ことがわかった。さらに Hasty は、「発 振機構を支えることができ、なおかつ流 体を使って AHL 分子を運び去れる程度 の細胞総数を受容できるデバイスを作 り上げる必要がありました。AHL 分子 は自然に分解することはないからです」 と説明する。 Hasty によれば、同調する細菌時計の 開発によって、細菌を生物学的センサー として使えるようになるだろうという。 TAL DANINO/OCTAVIO MONDRAGON-PALAMINO/LEV TSIMRING 同調した遺伝子時計をもつ細菌のコロニーが 発する強い蛍光。 人工の遺伝子回路を用いて細菌コロニー全体の時計を合わせる。 Erika Check Hayden 2010 1 20 オンライン掲載 www.nature.com/news/2010/100120/full/news.2010.21.html Bacterial clocks chime in unison 「細菌時計」が一斉に鳴り響く 39 www.nature.com/naturedigest ©2010 NPG Nature Asia-Pacific. All rights reserved

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Page 1: 「細菌時計」が一斉に鳴り響く · 2019-11-11 · またFusseneggerは、生物学的リズム の解明にも役立つだろうと話す。人体 のさまざまな活動にも、細胞間の天然

また Fussenegger は、生物学的リズムの解明にも役立つだろうと話す。人体のさまざまな活動にも、細胞間の天然の同調現象によるものがあり、例えば、ニューロンが協調的に発火(電気的興奮)して思考や動作につながるシグナルを発することなどがあると、彼は指摘する。「将来的には、脳のペースメーカーの設計、細胞が近隣細胞を同調させる仕組みや同調しなくなることで何らかの病的状態に陥る仕組みの解明などが可能になるかもしれません。発振の同調は、生物学において実際に非常に重要なものなのです」。

Hasty によれば、今回、そうした天然の回路に関して非常に興味深いことが明らかになったという。それは、複雑な活動パターンを作り出すのに複雑な回路は必要ない、ということだ。「2 種類の遺伝子から、これだけの複雑さを作り出せるのです。今回の成果は、複雑な挙動に多数の遺伝子は必要ないことを物語っています」と Hasty は話している。 ■� (翻訳:船田晶子)

1. Danino, T., Mondragón-Palomino, O., Tsimring, L. & Hasty, J. Nature 463, 326-330 (2010).

参考動画http://www.youtube.com/watch?v=pnjdAr4EjI0

多数の細菌が同調して時を刻む「細菌時計」が、カリフォルニア大学サンディエゴ校(米国)の Jeff Hasty らにより作製された。この成果は合成生物学を一歩前進させるものであり、医薬を定期的に一定量投与する体内埋め込み型の薬剤ディスペンサーの開発にいずれ結びつくことだろう。

これまで作られていたのは、細胞 1個のみで発振する単一細胞振動子だった。振動子とは、ある特定の活動を周期的なスケジュールで実行し、時間を計測できるデバイスである。「同一集団内の各個体の振動子を同調

させることができたのは、今回が初めてです」と、チューリッヒ工科大学(スイス・バーゼル)の Martin Fussenegger はいう。「これがもし哺乳類の細胞で実現できたら、将来の研究や技術に多大な影響を与えることでしょう」と話す。

Nature 2010 年 1 月 21 日 号 に 発 表されたこの研究 1 では、2 種類の細菌由来のクオラムセンシング(菌体密度感知)とよばれる天然の細菌コミュニケーション機構の一部を担う遺伝子を、大腸菌のゲノムへ導入した。これらの遺伝子は 1 個の回路として「配線され」、遺伝子の 1 つがアシル - ホモセリンラクトン

(AHL)というシグナル分子を産生するように設計された。産生された AHL は細胞外に拡散し、ほかの細胞に AHL をさらに産生させる。ただしこの回路は、AHL が同時に、それ自身の分解を招く別の遺伝子を活性化させるような設計にもなっている。

これらの相反する正と負のフィード

バックループが、時計の振り子のような役目をして、細菌コロニーでの AHL生産量が規則正しい周期で増減を繰り返すように調整するのだと、研究チームは述べている。今回の回路には、蛍光リポータータンパク質をコードする遺伝子が組み込まれており、AHL 産生量が増えるほど蛍光の明るさが増すので、大腸菌集団が同調して AHL 産生量を増減させるようすを観察することができる。

生活リズムHasty らの系では、マイクロ流体デバイス上に細菌が置かれ、デバイスには微小チャネルがあって、細菌へ栄養素を送り、老廃物を洗い流せるようになっている。研究チームは、同調した時計の発振のタイミングや強さは、栄養素や老廃物がデバイスのチャネルを通じて出入りする速度に依存していると報告している。

研究チームは、このデバイスを開発するまでに何度も失敗を重ねた。実験を夜通し行って初めて、構築したクオラムセンシング回路の活性化に必要な細菌密度になるまでには、一定の時間がかかることがわかった。さらに Hasty は、「発振機構を支えることができ、なおかつ流体を使って AHL 分子を運び去れる程度の細胞総数を受容できるデバイスを作り上げる必要がありました。AHL 分子は自然に分解することはないからです」と説明する。

Hasty によれば、同調する細菌時計の開発によって、細菌を生物学的センサーとして使えるようになるだろうという。

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同調した遺伝子時計をもつ細菌のコロニーが発する強い蛍光。

人工の遺伝子回路を用いて細菌コロニー全体の時計を合わせる。

Erika Check Hayden 2010 年 1 月 20 日�オンライン掲載www.nature.com/news/2010/100120/full/news.2010.21.html

Bacterial clocks chime in unison

「細菌時計」が一斉に鳴り響く

39www.nature.com/naturedigest ©2010 NPG Nature Asia-Pacific. All rights reserved