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「パウロの宣教旅行」写真パネルリスト
No.写真タイトル タイトル英文 サイズ解説文 聖書箇所 聖句
「異邦人への使徒」
パウロ
Apostle tothe Gentiles
Paul
写真なし
パネルサイズA4
1 パウロ回心の丘The Hill ofPaul’sConversion
全紙
サウロ(パウロ)がキリストと出合ったのは、キリスト教徒を迫害するためダマスコに向う途上であった。天からの光に打たれた彼は、その場で失明する。3日の後、目からうろこのようなものが落ちて目が見えるようになると、彼は洗礼(バプテスマ)を受けキリスト者として福音を伝え始める。
使徒言行録9章3~6節
サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」
第一回パウロの宣教旅行
Paul’s FirstMission Trip
B5
パウロの突然の回心に当初多くの人が不信を抱いたが、バルナバのとりなしにより彼は使徒たちから認められた。その後パウロはより大胆にイエスの名で宣教を始める。第一回宣教旅行はバルナバとともに出発した。シリア州アンティオキアから船出し、キプロス島を経由して、ピシディア州アンティオキア、デルベに至り、またシリア州アンティオキアに戻る、主に船の旅である。
写真なしパネルのみ(パネルサイズ:B5)
(B2、A2 地図パネル有り)
2 アンティオキア Antioch 全紙
アンティオキアはオロンテス川の南岸に位置する商業都市。ステファノの殉教に始まる迫害によりエルサレムを追われたキリスト教徒らによって、初代教会が建設された。バルナバとパウロの活動により異邦人伝道の拠点となり、2人はこの地から最初の宣教旅行に出発する。
使徒言行録13章1~3節
アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。
パウロはユダヤ名をサウロといい、小アジアのタルソス出身。当初、律法を厳格に守る熱心なユダヤ教徒としてパリサイ派に属し、キリスト教徒の迫害にも加わっていた。最初の殉教者ステファノが石打たれる場面にも登場する。しかしダマスコ途上におけるキリストとの邂逅により、その生き方は一変。キリスト教徒を迫害するものから、キリストの福音の熱烈な宣教者へと転身する。
3回の宣教旅行と新約聖書に収められている14通にも及ぶ書簡、「異邦人への使徒」と称されるパウロの倦むことのない宣教活動は、後にキリスト教が世界宗教へと発展するいしずえとなった。「律法によらず信仰によって義とされる」という彼の教えは、次第にユダヤ人以外の人々に受け入れられていく。使徒言行録はパウロの3回にわたる宣教旅行とローマへの旅を詳細に記録している。
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3キプロス島のサラミス遺跡
Salamis Ruins inCyprus 全紙
サラミスはキプロス島東岸の港町。前58年にローマ帝国の支配下に入り、商業都市として栄えた。キプロス島にはバルナバが殉教したという伝説も残る。
使徒言行録13章4~5節
聖霊によって送り出されたバルナバとサウロは、セレウキアに下り、そこからキプロス島に向け船出し、サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げ知らせた。
4 ペルゲ城門The Gate ofPerge 全紙
ペルゲはローマ時代パンフィリアの首都として栄えた町。巨大な城門の遺跡は、当時の繁栄をしのばせる。パウロとバルナバは最初の宣教旅行の行き帰りに訪れた。
使徒言行録13章13節
パウロとその一行は、パフォスから船出してパンフィリア州のペルゲに来たが、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった。
5 デルベの遺跡The Ruins ofDerbe 全紙
デルベは小アジアのリカオニア東南部、リストラから約100kmの距離に位置した町。リストラでバルナバとパウロは足の不自由な人を癒したことにより、「ゼウス」「ヘルメス」と称えられ、いけにえを捧げられそうになる。それを阻止することはできたが、2人はユダヤ人に扇動された群衆によって石で打たれ、町の外に引きずり出された。翌日2人はデルベに向かい、この町を最後に、訪れた町々を通ってアンティオキアへの帰途につく。
使徒言行録14章19‐20節
ところが、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、群衆を抱きこみ、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外へ引きずりだした。しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入って行った。そして翌日、バルナバと一緒にデルベへ向かった。
第二回パウロの宣教旅行
Paul’s SecondMission Trip
第二回宣教旅行に出る直前、パウロはバルナバと同行者の人選を巡って衝突する。マルコをつれてキプロス島に向って船出したバルナバに対し、パウロは陸路を選びシラスと共に出発した。第二回の宣教旅行ではシリア州、キリキア州を通って陸路小アジアのトロアスに至る。そこでパウロは幻を見て、マケドニアに渡った。その後南下してコリントに暫く滞在したのち、帰路は海路を選び、エフェソ、カイサリア、エルサレムを通ってアンティオキアへ戻った。
写真なしパネルのみ(パネルサイズ:B5)
(B2、A2 地図パネル有り)
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6 キリキアの峡門The CilicianGates 全紙
キリキアは小アジア東南部の地方。東と北は山脈、南は地中海に囲まれている。キリキア平原からトルコ内陸のルカオニア地方に抜けるためには、3000メートル級の山々がそびえるタウロス山脈を越えなければならない。キリキア峡門は古くからこの山越えルートの要衝。ここにはローマによる検問所が設けられていた。
使徒言行録15章39~41節)
バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出したが、一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。そして、シリア州やキリキア州を回って教会を力づけた
7 アナトリア高原The AnatolianPlateau 全紙
キリキアの峡門からアナトリア高原に抜け、来た方角を振り返るとタウロス山脈が輝いている。デルベ、リストラはアナトリア高原に位置する町。
使徒言行録16章1~5節
パウロは、デルベにもリストラにも行った。そこに、信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父親に持つ、テモテという弟子がいた。彼は、リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人であった。パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。彼らは方々の町を巡回して、エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るようにと、人々に伝えた。こうして、教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていった。
8 リディア川 River of Lydia 全紙
トロアスで助けを求めるマケドニア人の幻を見たパウロは、マケドニア州のフィリピに向う。フィリピではリディアという信仰の篤い婦人が家族と共に洗礼(バプテスマ)を受けた。リディア川はこの婦人にちなんで名付けられた。現在河岸にはリディアを記念する洗礼堂が建てられている。
使徒言行録16章13~14節
安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。そして、わたしたちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした。ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。
9 アレオパゴスの丘The Areopagus(Hill of Ares) 全紙
アテネは古代ギリシア世界の主要都市。町の守護神である戦いの女神アテナにちなんで名付けられた。今もギリシア神話の神々にちなむ遺跡が数多く残る。パウロはこの町に偶像があふれているのを見て憤慨し、イエスの福音を宣べ伝えた。アレオパゴスの丘には世界最古の評議所が建てられ、裁判だけでなく哲学、宗教の統制も司っていた。そこで人々はその教えを聞こうとしてパウロをアレオパゴスに連れて行った。
使徒言行録17章22~24節
パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。」
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10 コリント Corinth 全紙
コリントはペロポネソス半島の入口に位置し、当時世界有数の大都市として発展していた。パウロはまずここでユダヤ人に宣教をしたが受け入れられず、迫害され、法廷に連れ出されたことすらあった。しかし彼は1年と6か月の間ここにとどまり、異邦人に対して伝道しつづけた。
使徒言行録18章8~10節
コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼(バプテスマ)を受けた。ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。…」
第三回パウロの宣教旅行
Paul’s ThirdMission Trip
パウロは第二回宣教旅行から戻ったのち、しばらくアンティオキアに留まったが、再び陸路、ガラテヤ、フリギア地方に向けて出発した。エフェソに2年の間とどまり、最終的にはマケドニア、ギリシアに至る。帰路は主にアジア州の沿岸に沿って航行したが、この旅がパウロにとって最後の宣教旅行となった。
写真なしパネルのみ(パネルサイズ:B5)
(B2、A2 地図パネル有り)
11エフェソのアルテミス神殿
The Temple ofArtemis atEphesus
全紙
エフェソは当時、アジア州の州都として栄えていた。狩猟と豊穣を司る月の女神アルテミスを祀った壮麗な神殿は、古代七不思議の1つに数えられたほどである。パウロはエフェソでも熱心に宣教し、次第に主の言葉を信ずる人々が増えていった。しかし、アルテミス神殿の模型を作っていた銀細工師はパウロの教えが自分たちの利益を脅かすと感じ、民衆を扇動し暴動を起こした。
使徒言行録19章28~29節
これを聞いた人々はひどく腹を立て、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫びだした。そして、町中が混乱してしまった。彼らは、パウロの同行者であるマケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって野外劇場になだれ込んだ。
12トロアスにある古代建造物跡
AncientConstructionSite in Troy
全紙
トロアスは小アジアの北西ミシア地方に位置する港町。パウロは第二、第三宣教旅行の間、計3度この地を訪れている。第三宣教旅行の帰途も1週間滞在したが、その間にパウロの話を聞いて居眠りした青年が建物の3階から転落するという事故がおきた。
使徒言行録20章9~11節
エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。「騒ぐな。まだ生きている。」そして、また上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。
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13 ロドス島パウロの港Paul’s Haven inRhodes 全紙
ロドス島は小アジアの南西、カリア沖の島。学問、通商ともに繁栄した。ミレトスでエフェソ教会の人々に別れを告げたパウロは、ロドス島、パタラを経てエルサレムへ向った。
使徒言行録20章1~2節
わたしたちは人々に別れを告げて船出し、コス島に直航した。翌日ロドス島に着き、そこからパタラに渡り、フェニキアに行く船を見つけたので、それに乗って出発した。
ローマへの旅Paul’s Trip toRome
エルサレムで、パウロは律法を無視する者としてユダヤ人に殺されそうになる。ローマ軍の千人隊長はパウロがローマの市民権を有していることを知り、彼を保護してカイサリアのフェリクス総督のもとへと送った。総督とアグリッパ王の前で弁明したパウロは、ローマ皇帝へと上訴する。パウロ最後の旅はカイサリアから出帆し、小アジア沿岸からクレタ島、シチリア島を経てローマに至る。ローマでは軟禁状態のなか、人々を招いて宣教した。
写真なしパネルのみ(パネルサイズ:B5)
(B2、A2 地図パネル有り)
14 クレタ島の良い港Fair Havens inCrete 全紙
クレタ島は地中海最大の島。カイサリアから出航したパウロたち一行は風の影響で航海がはかどらず、ようやくクレタ島の「良い港」に着いた。ここで冬を越そうというパウロの提案にもかかわらず、すぐに出航したため、船は暴風雨に巻き込まれる。14日間の漂流の後、一行はマルタ島にたどり着いた。
使徒言行録27章7~8節
幾日もの間、船足ははかどらず、ようやくクニドス港に近づいた。ところが、風に行く手を阻まれたので、サルモネ岬を回ってクレタ島の陰を航行し、ようやく島の岸に沿って進み、ラサヤの町に近い「良い港」と呼ばれる所に着いた。
15 アッピア街道 Via Appia 全紙
「全ての道はローマに通ずる」このことわざが示すとおり、古代ローマ帝国では街道が発達していた。「道の女王」の異名をもつアッピア街道は、ローマとイタリア南東部を結ぶ最も重要な街道の1つ。パウロもローマに入るとき、この道を通ったと考えられる。パウロは軟禁状態にありながら、ローマでも熱心に福音を語った。伝承ではネロ帝の大迫害の時に殉教したと言われている。
使徒言行録28章14~15節
こうして、わたしたちはローマに着いた。ローマからは、兄弟たちがわたしたちのことを聞き伝えて、アピイフォルムとトレス・タベルネまで迎えに来てくれた。パウロは彼らを見て、神に感謝し、勇気づけられた。