NC - Yaskawa

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昭和 45 年の文化勲章受勲を記念して、画伯が所有する全作品・ 版木を保存する記念館を設立することになった。昭和 49 9 5 日、 鎌倉にある棟方画伯のアトリエ「雑華山房」の看板をはずし、美術館 として公開、「棟方板画館」が誕生する。本格的な美術館は追って 建設することとなった。 画伯の 71 歳の誕生日でもあるこの日、「棟方板画館」の開館を祝い 集まる人々を前に、画伯はいたって機嫌が良かった。ところがこの 目出度い日に、画伯は近しい知人へ、墨で書いた自らの「墓碑銘」を 披露し、ブロンズに仕立てるよう依頼していた。そして、「私が死んでも 多くの人を集めるようなことはしてもらいたくない。家族と、ほかに 親しい 45 人で葬式をするように。」と、近まりつつある“期限”を 予知したかのような、遺言めいた話をした。 この会話は、やがて知人の記憶の奥に忘れ去られた。「いつもの 戯れ言であろう」元気そうに見える画伯を見れば、知人でなくとも そう思うのは当然であった。 10 18 日、画伯はアメリカへ旅立つ。ダラスで開催された個展 「棟方志功展」にあわせた渡米だった。開会式に出席した後、休養の ためカナダのカルガリ、バンフへ。その後、大学での講演のために 再びアメリカへ。 10 27 日、デトロイトへ向かう飛行機の中で、画伯は倒れた。 突然の発作だった。 最後の旅(前編) 第十三話 ■安川カレンダーご紹介サイトは・・・ http://www.yaskawa.co.jp/company/munakata 「不尽の柵」 産業用ロボット「モートマン」登場 アンマンドファクトリ構想 当社創立 90 周年を記念し、 「安川電機歴史物語」を連載しています。 YASKAWA NEWS No. 276 9 8 YASKAWA NEWS No. 276 インテリジェントロボットの第 1 号機サイクロプス II 出荷 1 号機 MOTOMAN L-10 文責:人事総務部・広報グループ 村田 晋 YASNAC 3000 (左)と内蔵の基板 モートフィンガーとモートアーム 昭和 45 5 月、当社は東京の科学技術館で 「無人化省力展」と銘打ち個展を開催した。 それまでの「モートルの安川」から「オートメー ションの安川」へのイメージチェンジを世に 強くアピールするためであった。 昭和 30 年代から、エレクトロニクスの出現 による制御技術の進歩により、従来の動力の 単純な駆動や可変速であったものが、きめ細か なモーションのコントロールまでできるように なった。当社では、メカニカルオートメーション を志向し、手足の役目をする電気アクチュエータ にとどまらず、検出器(五感)やコントロール(頭脳) を組み合わせた三位一体のオートメーションに よってアンマンドファクトリの実現に努力して きた。アンマンドファクトリとは、人間の介入 を疎外するノーマンの無人化と区別し、人手 依存を脱する人間中心の自動化工場をイメージ する当社の造語である。 この個展ではアンマンドファクトリの考え方 を中心に据え、ものをつかみ、はなす動作を 行うモートフィンガ、前後の動作を行うモート アーム、これらの動作を組み合わせたモート ハンド、そしてモートハンド自体が移動する機構 をもつオートローダの自動化機器シリーズ製品 群とその応用システムを体系的に出品した。 また、会場には開発したばかりの、目の機能や 頭脳を持ち、高度なサーボコントローラを備えた 産業用インテリジェントロボットの 1 号機サイ クロプス IIも展示されて注目を集めた。 この個展に先立ち、当社の経営層は、モータ を使って、指先のような細やかな動作によって、 新しい市場が開拓できると考え、フィンガー コントロールの発想とアクチュエータの構想 を打ち出した。そして、昭和 44 6 月に小倉 工場敷地内にアクチュエータ専門の工場を 完成した。ここに当社のロボット事業の種が まかれたのである。 昭和 40 年代後半から 50 年代にかけて、ドル ショック、オイルショックによる不況の中、当社 の技術者は粘り強く研究や製品開発を行って きた。その成果の一つとしてティーチングプレイ バック制御のロボット試作 1 号機を昭和 47 10 月に完成させた。ティーチングプレイバック 制御とは、はじめにロボットの手をとって動作 を教示すると、コントローラがその動作を記憶 して繰り返す制御のことである。これによって 難解な軌道の式を立ててプログラムする必要 がなくなり、ロボットが実用的なものになった。 1 号機は、ハンドリングを用途としたもので、 なお改良の余地があった。このロボットの用途 について当社は技術的伝統とノウハウを活かし てアーク溶接への適用に着目した。試作 2 号機 は昭和 49 年の国際産業用ロボット展に出品し、 アーク溶接の実演を行ったところ大きな反響 を呼び、多くの引き合いが寄せられた。この 試作 2 号機は、より高度 な人間的動作をイメージ してモートマンと命名 された。しかし、この 2 機は高価で当時主流 であった油圧式ロボ ットに比べスピード感 に劣っていたため実際 の受注には結びつか なかった。その後も更 なる研究開発による 改良を加え、昭和 52 2 月に可搬重量 10kg のモートマン- L10 を完成 した 。製 品 1 号機は 中津市の萬自動車工業株式会社に納入された。 引き続き自動車・建設用等の受注も相次ぎ、 いずれも高い評価を得た。 現在、各種の工作機械を制御している NC といえばほとんどマイクロコンピュータを組み 込んだ CNC (コンピュータライズド NC )を指し ており、 NC CNC はほぼ同義語となっている。 昭和 30 年代以降、工作機械の NC 化が進め られてきたが、トランジスタなどの素子を一つ 一つ組み合わせて論理回路を組んでいたため、 制御装置が大きいうえ工作機械本体の数倍 の価格であった。このような状況の中で、当社 技術者は工作機械制御に必須となる輪郭 制御に新しい補間曲線を与える「齊田関数」 を発明し、株式会社大隈鐵工所、西部電気 工業株式会社や三井精機工業株式会社と共同 開発して当社のサーボモータとの組み合わ せで、高精度 NC 装置を作り上げた。 昭和 47 年に米国でマイクロコンピュータ 発明の報が伝わると同時に、当社の研究所は その重大さに着目し研究を開始した。そして、 昭和 49 年の工作機械見本市に西部電機工業殿 製ワイヤカット放電加工機に、初の CNC を搭 載して出品した。当時、業界では CNC 時期 尚早論が支配的であったためマイクロコンピュー 搭載 N Cは当社が先陣を切ることになった。 当社の CNC は、昭 和 51 年に YASNAC (Yaskawa Numerical Automation Control) と命名され株式会社森精機製作所の輸出用 工作機械に搭載されて売上を大きく伸ばした。 また、昭 和 51 年からは モートマンのコントローラ YASNAC シリーズ を適用することになった。 マイクロコンピュータ内蔵 NC アンマンドファクトリーの構想図

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  昭和45年の文化勲章受勲を記念して、画伯が所有する全作品・版木を保存する記念館を設立することになった。昭和49年9月5日、鎌倉にある棟方画伯のアトリエ「雑華山房」の看板をはずし、美術館

として公開、「棟方板画館」が誕生する。本格的な美術館は追って

建設することとなった。

 画伯の71歳の誕生日でもあるこの日、「棟方板画館」の開館を祝い集まる人々を前に、画伯はいたって機嫌が良かった。ところがこの

目出度い日に、画伯は近しい知人へ、墨で書いた自らの「墓碑銘」を

披露し、ブロンズに仕立てるよう依頼していた。そして、「私が死んでも

多くの人を集めるようなことはしてもらいたくない。家族と、ほかに

親しい4、5人で葬式をするように。」と、近まりつつある“期限”を予知したかのような、遺言めいた話をした。

 この会話は、やがて知人の記憶の奥に忘れ去られた。「いつもの

戯れ言であろう」元気そうに見える画伯を見れば、知人でなくとも

そう思うのは当然であった。

 10月18日、画伯はアメリカへ旅立つ。ダラスで開催された個展「棟方志功展」にあわせた渡米だった。開会式に出席した後、休養の

ためカナダのカルガリ、バンフへ。その後、大学での講演のために

再びアメリカへ。

 10月27日、デトロイトへ向かう飛行機の中で、画伯は倒れた。突然の発作だった。

最後の旅(前編)

第十三話

■安川カレンダーご紹介サイトは・・・ http://www.yaskawa.co.jp/company/munakata

「不尽の柵」

産業用ロボット「モートマン」登場

アンマンドファクトリ構想

当社創立90周年を記念し、 「安川電機歴史物語」を連載しています。

YASKAWA NEWS No. 276  98 YASKAWA NEWS No. 276

インテリジェントロボットの第1号機サイクロプス II

出荷1号機 MOTOMAN L-10

文責 : 人事総務部・広報グループ 村田 晋

YASNAC 3000(左)と内蔵の基板

モートフィンガーとモートアーム

 昭和45年5月、当社は東京の科学技術館で

「無人化省力展」と銘打ち個展を開催した。

それまでの「モートルの安川」から「オートメー

ションの安川」へのイメージチェンジを世に

強くアピールするためであった。

 昭和30年代から、エレクトロニクスの出現

による制御技術の進歩により、従来の動力の

単純な駆動や可変速であったものが、きめ細か

なモーションのコントロールまでできるように

なった。当社では、メカニカルオートメーション

を志向し、手足の役目をする電気アクチュエータ

にとどまらず、検出器(五感)やコントロール(頭脳)

を組み合わせた三位一体のオートメーションに

よってアンマンドファクトリの実現に努力して

きた。アンマンドファクトリとは、人間の介入

を疎外するノーマンの無人化と区別し、人手

依存を脱する人間中心の自動化工場をイメージ

する当社の造語である。

 この個展ではアンマンドファクトリの考え方

を中心に据え、ものをつかみ、はなす動作を

行うモートフィンガ、前後の動作を行うモート

アーム、これらの動作を組み合わせたモート

ハンド、そしてモートハンド自体が移動する機構

をもつオートローダの自動化機器シリーズ製品

群とその応用システムを体系的に出品した。

また、会場には開発したばかりの、目の機能や

頭脳を持ち、高度なサーボコントローラを備えた

産業用インテリジェントロボットの1号機サイ

クロプス IIも展示されて注目を集めた。

 この個展に先立ち、当社の経営層は、モータ

を使って、指先のような細やかな動作によって、

新しい市場が開拓できると考え、フィンガー

コントロールの発想とアクチュエータの構想

を打ち出した。そして、昭和44年6月に小倉

工場敷地内にアクチュエータ専門の工場を

完成した。ここに当社のロボット事業の種が

まかれたのである。

 昭和40年代後半から50年代にかけて、ドル

ショック、オイルショックによる不況の中、当社

の技術者は粘り強く研究や製品開発を行って

きた。その成果の一つとしてティーチングプレイ

バック制御のロボット試作1号機を昭和47年

10月に完成させた。ティーチングプレイバック

制御とは、はじめにロボットの手をとって動作

を教示すると、コントローラがその動作を記憶

して繰り返す制御のことである。これによって

難解な軌道の式を立ててプログラムする必要

がなくなり、ロボットが実用的なものになった。

1号機は、ハンドリングを用途としたもので、

なお改良の余地があった。このロボットの用途

について当社は技術的伝統とノウハウを活かし

てアーク溶接への適用に着目した。試作2号機

は昭和49年の国際産業用ロボット展に出品し、

アーク溶接の実演を行ったところ大きな反響

を呼び、多くの引き合いが寄せられた。この

試作2号機は、より高度

な人間的動作をイメージ

してモートマンと命名

された。しかし、この2号

機は高価で当時主流

であった油圧式ロボ

ットに比べスピード感

に劣っていたため実際

の受注には結びつか

なかった。その後も更

なる研究開発による

改良を加え、昭和52年

2月に可搬重量10kgのモートマン-L10を完成した。製品1号機は

中津市の萬自動車工業株式会社に納入された。

引き続き自動車・建設用等の受注も相次ぎ、

いずれも高い評価を得た。

 現在、各種の工作機械を制御しているNCといえばほとんどマイクロコンピュータを組み

込んだCNC(コンピュータライズドNC)を指し

ており、NCとCNCはほぼ同義語となっている。

昭和30年代以降、工作機械のNC化が進め

られてきたが、トランジスタなどの素子を一つ

一つ組み合わせて論理回路を組んでいたため、

制御装置が大きいうえ工作機械本体の数倍

の価格であった。このような状況の中で、当社

技術者は工作機械制御に必須となる輪郭

制御に新しい補間曲線を与える「齊田関数」

を発明し、株式会社大隈鐵工所、西部電気

工業株式会社や三井精機工業株式会社と共同

開発して当社のサーボモータとの組み合わ

せで、高精度NC装置を作り上げた。

 昭和47年に米国でマイクロコンピュータ

発明の報が伝わると同時に、当社の研究所は

その重大さに着目し研究を開始した。そして、

昭和49年の工作機械見本市に西部電機工業殿

製ワイヤカット放電加工機に、初のCNCを搭

載して出品した。当時、業界ではCNC時期

尚早論が支配的であったためマイクロコンピュー

タ搭載NCは当社が先陣を切ることになった。

当社のCNCは、昭和51年にYASNAC (Yaskawa Numerical Automation Control)と命名され株式会社森精機製作所の輸出用

工作機械に搭載されて売上を大きく伸ばした。

また、昭和51年からは

モートマンのコントローラ

もYASNACシリーズを適用することになった。

マイクロコンピュータ内蔵NC

アンマンドファクトリーの構想図