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広報いわぬま2017.1月号 4 トピックス 原遺跡の発掘 3 2 10 9 調調調2 調3 1 7 9 使使調 3

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5 広報いわぬま2017.1月号 広報いわぬま2017.1月号 4

トピックス 原遺跡の発掘

 原遺跡は、JR岩沼駅より南へ約

3・2キロメートルに位置し、地形

的には阿武隈川左岸で形成されて

いる自然堤防上に立地する遺跡で

す。遺跡内では一四〇〇年前頃の

古墳時代後期から一二〇〇年前頃

の平安時代の土器などを発見しま

した。

 遺跡が所在する玉崎地区では、10

世紀に編さんされた『延え

喜ぎ

式しき

』に記

載がある「玉た

まさきのうまや

前駅家」や、多賀城跡

から発見された9世紀代の木も

簡かん

記されていた「玉た

まさきのせき

前剗(関)」が存

在すると考えられてきましたが、具

体的な存在箇所については不明と

されてきました。

 今回実施している調査は、ほ場整

備に伴って新しく作られる水路部分

の調査であるため、調査区の幅は2

メートルほどですが、これまでの市

内の発掘調査では例がないほどの多

数の遺構・遺物を発見しました。

 

発見した遺構で注目されるのは、

南北方向に少なくとも3基が並ん

で発見された柱穴列です。この柱

穴は一辺が約1メートルの方形で

すが、同様の柱穴跡はこれまで奈良

時代以降に律り

令りょう

国家が各地を支配

する際に拠点とした施設(国府や郡ぐ

衙が

など)でも、特に中心的な施設を

建築する際に掘られたと考えられ

ています。このような柱穴跡を発

見したことから、大和政権あるいは

律令国家にかかわる施設がこの地

に眠っている可能性が極めて高く

なりました。

 遺物は、7世紀代~9世紀前半頃

に作られたと考えられる土は

師じ

器き

呼ばれる土器や須す

恵え

器き

という焼き

物が、市内ではかつてないほど大

量に出土しました。この中でも特

に注目されるのが静岡県などの東

海地方で作られたと考えられる須

恵器の円え

面めん

硯けん

が出土したことです。

円面硯は、当時文字を使うことがで

きた役人や僧そ

侶りょ

が使用していたと

考えられており、発見した方形の柱

穴列が役所的な機能を持った建物

跡であることを強く裏付ける資料

となります。

 なお、東海地方で作られたと考え

られる円面硯は、現時点では全国

的にも非常に少なく、特に東北地

方では初めての出土事例であると

考えられています。このほか、東海

地方で作られた遺物としては、市内

にも数多く存在している横よ

穴あな

墓ぼ

副ふく

葬そう

品ひん

として用いられているフラ

原遺跡の発掘調査で

重要な遺構・遺物を発見

▶�

発見した柱穴列。方形の柱穴跡が手前と

中央、そして奥に3つが並んでいます

▲�

東海地方で作られたと考えられる陶器製

の硯。上の平らな部分で墨をすります。ま

た脚部には長方形の「透かし」があると考

えられます

原遺跡の位置

見つかった遺構

見つかった遺物

岩沼1月号P4-5_五[4-5].indd 4 2016/12/20 19:50

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5 広報いわぬま2017.1月号 広報いわぬま2017.1月号 4

スコ形瓶も含まれています。また

福島県会津地方で生産された須恵

器も出土したことから、この遺跡地

は陸上交通の拠点としてだけでは

なく、海や河川を介した物流の拠点

であった可能性も考えられるよう

になりました。このほか特徴的な

遺物としては、1点のみの出土です

が、古代平瓦が市内の調査では初め

て出土したことが挙げられます。

 

今回の原遺跡の調査によって発

見した遺構・遺物の特徴から、この

地に律令国家が地域掌握を進める

上で設置した、何らかの公的な施設

が存在していたことが明らかとな

りました。この施設に最も近い存

在であるのは「玉前駅家」、あるい

は「玉前剗(関)」と考えられます

が、残念ながら現時点までの調査成

果からは墨ぼ

書しょ

土ど

器き

や木簡などの文

字資料がともなっておらず、確証は

得られていません。

 

ところで『延喜式』には、全国

の駅家所在地名が記され、その数

は400カ所ほどにのぼりますが、

これまで発掘調査によって駅家遺

跡であることが明らかとなったの

は山陽道備中国(現在の兵庫県)

に設置された「布ふ

勢せ

駅うま

家や

」と「野や

磨ま

駅うま

家や

」のみです。宮城県を含め

た陸奥国内では、可能性が指摘さ

れる遺構の発見事例はありますが、

駅家研究は国府・郡衙・城柵など

の研究に比べると未解明な課題が

多く、確実視されるまでには至っ

ておりません。同様に「関」につ

いても地方に設置されていた事例

は極めて少なく、具体的な様相は

明らかではありません。

 このように今回の調査成果は、古

代の岩沼の姿を明らかにするだけ

にとどまらず、宮城県や東北地方、

そして国内で整備された交通網や

古代道路の近くに作られた施設の

景観復元、河川を介した物資の集

積・集散拠点のあり方、そして国家

による地域掌握の様相などを考え

ていく上でも、大きな足掛かりとな

ることが期待されるものです。非

常に価値ある遺跡であることから、

今後も計画的・継続的に調査を実

施したいと考えています。

 なお、今回実施している原遺跡の

調査は、現在一時中断しています

が、他のほ場整備事業関連の調査

が終了した後に再開する予定です。

出土遺物の整理についても現在進

めており、今後の調査内容によって

は、さらに大きな発見があることも

期待されます。

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4

原遺跡阿武隈川阿武隈川

東北本線東北本線

市役所

N 岩沼駅

常磐線

◀�

発掘場所周辺地図

▲�一部の溝跡からは、7世紀代と考えられる須恵器と呼ばれる焼き物の甕の破片が、まとまって出土しました

▲�原遺跡の調査では、横穴墓の副葬品として用いられる東海地方で作られたフラスコ形瓶の破片も出土しています

▲�古代の東北地方に作られた道路と駅家です。玉前(玉崎)の地は、2つの交通路が交わる、非常に重要な地でした

問/生涯学習課(☎内線571〜573)

「玉前駅家」について

今後の調査予定

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