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Hello Lenin! ─レーニン Seibun Satow Sep, 22. 2007 「私は、いかにも身ぎれいで、どこから見ても事務員のようなレーニンの指導力の源 泉はどこになったのかと聞きました。彼はこう答えました。『レーニンが号令したので、 われわれは前進したのです』」。 ジョン・K・ガルブレイス『不確実性の時代』 1 なにをなすべきか? 同志諸君!なにをなすべきか ?なにをなすべきなのか ?いったい 、なされるべきことはなに ? 同志レーニン(Тварищ Ленин: Comrade Lenin)は、「なにをなすべきか」と党の責務を 問うている。しかし、われわれは、今こそ、それを受けとめなければならない。 今年はロシア革命から九〇周年である。そのこともあるのだろう。今、西側の敵として ではなく、自由の収奪者としてではなく、階級独裁を一党独裁、派閥独裁、個人独裁へと 堕落させた張本人としてではなく、同志レーニンは世界的に論じられている。 一九〇二年に公表した『なにをなすべきか?─われわれの運動の焦眉の諸問題』において、 同志レーニンは党と労働者階級の関係ならびに党の組織構成を中心に論じている。それは、 後に「レーニン主義」と呼ばれる独自の思想の核心である。もちろん、われわれは何回も、 何十回も、何百回も読んできている。 このタイトルは、彼の愛読書、すなわちニコライ・ガヴリーロヴィチ・チェルヌイシェ フスキーの小説『何をなすべきか』(一八六三)を踏まえている。チェルヌイシェフスキー はナロードニキ運動の創始者である。彼は革命家には厳しい自己陶冶が必要であると説き、 協同社会の建設や女性解放を取り上げ、当時、急進的な知識人や学生に強い刺激を与える。 ウラジーミル・イリイチ・ウリャーノフもその一人である。 同志レーニンはナロードニキ運動の革命戦術を継承し、自然発生的な労働運動に立脚し た党、いわゆる下からの組織を「ブルジョア的」なものにとどまると厳しく批判している。 党組織を労働者組織と同一視するのは過ちである。党は外部に開かれた労働者の組織では ない。革命事業に献身的に奉仕し、中央集権的な規律に従う「職業革命家」の組織でなけ ればならない。革命は極めて困難な事業であり、専門的な知識や技術、経験が要る。戦う には戦い方を知らねばならない。革命特有のリテラシーを学ばねばないと、質的に言って、 使いものにならない。党は馴れ合いの談合組織でも、仲よしクラブでもない。志願すれば、 誰もが入れるわけではない。任務遂行のための特殊部隊である。グリーン・ベレーであり、 デルタであり、シールズであり、レンジャーである。「最も確かな、経験に富み、鍛練され

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Hello Lenin! ─レーニン

Seibun Satow Sep, 22. 2007

「私は、いかにも身ぎれいで、どこから見ても事務員のようなレーニンの指導力の源

泉はどこになったのかと聞きました。彼はこう答えました。『レーニンが号令したので、

われわれは前進したのです』」。 ジョン・K・ガルブレイス『不確実性の時代』

1 なにをなすべきか? 同志諸君!なにをなすべきか?なにをなすべきなのか?いったい、なされるべきことはなに

か? 同志レーニン(Тварищ Ленин: Comrade Lenin)は、「なにをなすべきか」と党の責務を

問うている。しかし、われわれは、今こそ、それを受けとめなければならない。 今年はロシア革命から九〇周年である。そのこともあるのだろう。今、西側の敵として

ではなく、自由の収奪者としてではなく、階級独裁を一党独裁、派閥独裁、個人独裁へと

堕落させた張本人としてではなく、同志レーニンは世界的に論じられている。 一九〇二年に公表した『なにをなすべきか?─われわれの運動の焦眉の諸問題』において、

同志レーニンは党と労働者階級の関係ならびに党の組織構成を中心に論じている。それは、

後に「レーニン主義」と呼ばれる独自の思想の核心である。もちろん、われわれは何回も、

何十回も、何百回も読んできている。 このタイトルは、彼の愛読書、すなわちニコライ・ガヴリーロヴィチ・チェルヌイシェ

フスキーの小説『何をなすべきか』(一八六三)を踏まえている。チェルヌイシェフスキー

はナロードニキ運動の創始者である。彼は革命家には厳しい自己陶冶が必要であると説き、

協同社会の建設や女性解放を取り上げ、当時、急進的な知識人や学生に強い刺激を与える。

ウラジーミル・イリイチ・ウリャーノフもその一人である。 同志レーニンはナロードニキ運動の革命戦術を継承し、自然発生的な労働運動に立脚し

た党、いわゆる下からの組織を「ブルジョア的」なものにとどまると厳しく批判している。

党組織を労働者組織と同一視するのは過ちである。党は外部に開かれた労働者の組織では

ない。革命事業に献身的に奉仕し、中央集権的な規律に従う「職業革命家」の組織でなけ

ればならない。革命は極めて困難な事業であり、専門的な知識や技術、経験が要る。戦う

には戦い方を知らねばならない。革命特有のリテラシーを学ばねばないと、質的に言って、

使いものにならない。党は馴れ合いの談合組織でも、仲よしクラブでもない。志願すれば、

誰もが入れるわけではない。任務遂行のための特殊部隊である。グリーン・ベレーであり、

デルタであり、シールズであり、レンジャーである。「 も確かな、経験に富み、鍛練され

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た労働者たちからなる緊密に結束した小さい中核があって、主要な諸地区に委任代表をも

ち、 も厳格な秘密活動のあらゆる規則にしたがって革命家の組織と結びついているなら、

これは民衆の も広範な協力を受けて、どんなきまった形もなしに、職業的組織に課せら

れるいっさいの機能を果たし、その上まさに社会民主主義者にとって望ましいやり方で果

たすことができるであろう」。 労働者階級の解放は労働者自身による事業ではありえない。労働者は、往々にして、目

先のことばかり見ている。怒りは瞬間的な破壊力にはなっても、持続せず、倒したはずの

既得権者がその隙を突いて復活してしまう。その発端は自然発生的であっても、実のある

革命を成功させるには、働く仲間を組織化し、育てていかなければならない。プロフェッ

ショナルな革命家集団である党からの「指導」があってこそ(この「指導」は、英語で言

うと、”direct”である)、革命は実現する。真の利益を手にするため、場合によっては、キャ

リア革命家は労働者階級の要求に服従しない賢明な態度も必要である。階級意識は自然発

生的に成長するものではない。目的意識によって成熟するものだ。今以上に成長していこ

うという向上心のない労働者は階級意識を持ち得ない。こうしたプロレタリアートの党は

階級組織として 高形態であり、プロレタリアート独裁もこの前衛党を通じて完全に達成

される。「われわれは、労働者が社会民主主義的意識を持ちえなかったと言った。この意識

はただ外部から持ち込まれることができたのである。すべての国の歴史は、労働者は彼ら

自身の力だけでは、単に労働組合意識、つまり資本家と闘争し、政府からあれやこれやの

労働者に有利な法規を要求する等々のために組合に団結する必要を確信するだけにすぎぬ

ということを示している」。 一八九八年三月、ミンスクで開催された労働者階級解放闘争同盟全ロシア大会において、

ゲオルギー・ヴァレンチノヴィチ・プレハーノフ、そう同志プレハーノフなどと同志レー

ニンはロシア社会民主労働党の基礎をつくる。ところが、一九〇三年、第二回党大会の際

に、党員の資格をめぐって対立し、非妥協的なボリシェヴィキと妥協的な(穏健なとブル

ジョア的歴史書には書かれるだろうが)メンシェヴィキに分裂する。同志レーニンの率い

るボリシェヴィキは、もちろん、彼の党組織論を採用している。 昨今、このいわゆる外部注入論の評判は一般的に芳しくない。ブルジョアの手先だけで

なく(これはいつものことであるけれども)、マルクス主義者を自称する者たちも(あくま

でも自称にすぎないが)、労働者階級の階級意識を見下し、独善的かつ排他的、独裁的であ

ると糾弾している。恐怖の監視社会の元凶であるとか、(正)教会制度の亜流ではないのかな

ど切り捨てられ、省みられることも少ない。 同志レーニンの目の前にはロシアの社会民主主義者がいる。彼らは経済主義の立場をと

っている。その信念によると(その信心深さには神父も涙を流さずにいられないだろう)、

自然発生的に労働運動が盛り上がり、その経済闘争が政治闘争へと発展し、革命を向かえ

るということだ。党の果たすべき役割は、その過程において、下からの労働者運動の「援

助」である。革命への闘争の後方支援をするというのが彼らの考えである。

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同志諸君、何しろ、経済主義者が思い描く社会民主主義者像は「労働組合の書記」であ

る。労働者の日常的・経済的要求をとりまとめ、それを資本家に示し、不当な工場制度や

労働者への待遇を社会に暴露し、労働者の経済闘争を助けるのが自身の任務ということら

しい。彼らは革命的な美辞麗句を並べ立てたり、お役所風の手続きを言い訳にしたりする。

つかり、ブルジョアの慈悲深さは期待できるとでも言いたいのだろう。ずいぶんとお人よ

しなものだ。 しかし、同志レーニンはそう考えてなどいない。真の社会民主主義者(後の共産主義者

と同じ意味である)とは「護民官」であると強調している。「護民官(Tribunus Plebis)」は、

古代ローマにおいて、平民会で選ばれ、元老院や貴族の専横から平民を守る役割を果たす

ための役職である。簡単に言い換えると、社会民主主義者は革命の大儀のために、断固と

して敵と戦いぬく。労働者階級の助手やヘルパーなどではない。 だからと言って、同志レーニンは人民の意志派のようなテロリズムにも与しない。なぜ

なら(これは同志レーニンの好む文語的な接続詞であり、口語的表現によってその文章が

閉じられる傾向がある)、テロリズムは経済主義と同じ前提に基づいているからだ。「経済

主義者とテロリストとは自然発生的潮流の相異なる対極の前に拝脆するのである。すなわ

ち、経済主義者は、『純労働運動』の自然発生性のまえに拝放するし、テロリストは、革命

的活動を労働運動に結びつけて渾然一体化する能力を持たないか、または可能性をもたな

いインテリたちの も熱烈な憤激の自然発生性の前に拝脆するのである」。「一方は人為的

な『興奮剤』を探して飛び出し、他方は『具体的な要求』を論じたてるのだ。両方とも政

治的煽動をおこない、政治的暴露を組織する仕事における自分自身の積極性を発展させる

ことには、十分の注意を払っていない。だが、この仕事は、今日でも、またほかのどうい

うときでも、他の何ものかによって代用させることはできないのである」。 結局、同志レーニンの認識の方が正しかったことは第二インターナショナルの瓦解が示

している。カール・マルクスの時代と比べて、西欧諸国の労働者階級が革命に熱心ではな

くなっている。労働者は牙を抜かれ、ブルジョアジーに対して戦闘的ではない。同志レー

ニンはマルクス主義者である。われわれはそれをよく、十分に、大いに知っている。彼は

本を丸暗記したり、それを神聖なお題目として唱えるような人物を毛嫌いしている。マル

クスの著作をただ読んでいたわけではない。歴史的・社会的変化と照らし合わせ、その思

想を吟味し、意味を読みとる。植民地はマルクスが考えていた市場から投資及び開発の対

象へと変容し、これによって欧米の資本主義はより強大になっている。つまり、資本主義

は新たな段階に入り、「帝国主義」を迎えたのである。同志レーニンは、こうした時代の変

化を考慮して、マルクスの思想の意味づけを行っている。 2 帝国主義とジンゴイズム 同志レーニンのいわゆる外部注入論は、労働者階級が体制を打破するどころか、帝国主

義政策の支持に回ったという一九世紀後半の歴史を踏まえている。

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イギリスでは、保守党のベンジャミン・ディズレーリ内閣(ヴィクトリア女王のお気に

入り!)が拡張政策を推し進めていくが、その際、労働者階級が強大な植民地帝国の形成

を後押ししている。産業革命を先駆けて経験していたイギリスも、一九世紀後半になると、

フランスやドイツ、アメリカが急激に工業化を達成した結果、輸出入の収支は大幅な赤字

が続いてしまう。しかし、イギリスの経済力は他国に抜きん出ており、シティは世界金融

の中心地の地位を維持する。その主な原因はイギリスの対外資本輸出の巨大さである。一

八七〇年から二〇世紀初頭にかけて、イギリス一国だけで、世界各国の国外投資額総計の

ほぼ半分を占めている。こうしたイギリスの帝国主義は抜け目のない政治家や強欲な資本

家、野望にとりつかれた軍人だけによって遂行されていたわけではない。世論が味方した

のだ。 同志レーニンは、『なにをなすべきか?』の中で、「新聞は、集団的宣伝者および集団的煽

動者であるだけでなくまた集団的組織者でもある。この 後の点については、新聞は建築

中の建物のまわりに組まれる足場にたとえることができる」のであり、全国的政治新聞こ

そ「集団的組織者となることができる」と主張している。彼はまさに正しい。イギリスの

世論形成の重要な担い手が『デイリー・メール』紙である。この新聞はロザミア卿とノー

スクリフ卿によって一八九六年五月四日に創刊されている。同紙は英国史上初のタブロイ

ド紙(ジャーナリズムのジャンク・フードの別名もあるが)である。現在も発行され、二

〇〇万部を越え、それは英語の新聞としては世界第二位の発行部数である。 一九世紀末になると、義務教育制度の整備と共に、識字率(自分の名前の読み書きだけ

から印刷物を読める段階へとリテラシーの基準も変わる)が向上し、潜在的な新聞の購読

者が見込まれるようになる。この社会的変化に目をつけたノースクリフ卿は従来の知識層

ではなく、中小の事業主や労働者に絞った新聞を考案する。ブルジョアも労働者も、経済

的な貧富の差こそあれ、古典的教養には乏しい。そのため、短くてわかりやすい記事と写

真を採用し、スリルとサスペンスに満ち、善悪のはっきりとした連載小説を導入する。さ

らに、商品や企業の広告を大量に載せ、その宣伝費で製造・販売コストを補い、価格を安

くするのに成功する。半ペニーで、八ページの新聞は、創刊後、すぐに五〇万分を突破し、

イギリスで初めて一〇〇万部を超えた新聞となる。ブルジョアの宣伝紙であるにもかかわ

らず、労働者階級もこぞって愛読している。 従来の新聞は政治的主張を教養ある読者に向け、お上品に、遠まわしに語っている。し

かし、『デイリー・メール』は違う。簡単な単語を使い、大言壮語に言いたいことを書きた

てる。その記事の中心は好戦的愛国主義、すなわち「ジンゴイズム(Jingoism)」である。こ

れは、もともと、一八七八年に流行したアイルランドの歌手 G・H・マクダーモット(G. H. MacDermott)による次のような歌詞に由来している。

We don't want to fight 俺たちゃ戦いたかない) But, by Jingo, if we do,(でも、そうさ、やることになったら)

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We've got the ships,(俺たちにゃ艦隊がある) We've got the men,(俺たちにゃ兵隊がいる) We've got the money, too.(俺たちにゃ金もあるんだぜ)

“By Jingo!”は合いの手で、「そうだ!」や「まったく!」といった意味がある。今で言うと、

「ビンゴ(Bingo)」だ。この好戦的な歌はパブやミュージック・ホールでお馴染みとなる。 ディズレーリ(温情溢れると評判らしいが)は国内の対立を有権者の目からそらすため

に、「大イギリス主義(Large Englandism)」を唱え、各地で戦争を繰り返し、領土を拡大し

ていく。彼は保守派の政治家であるが、敵をつくり出し、それと対決している姿を有権者

に披露する。そのことで、鬱屈とした労働者にも高揚感を与え、盛り場で憂さ晴らしをす

る層からも支持される。 この歌詞はジンゴイズムが自己防衛を拠り所にしていることをよく表わしている。その

ため、他国に理不尽な暴力を行ったとしても、反省することはない。 『デイリー・メール』はまさにジンゴイズムの新聞である。記事の内容は、毎号毎号、

ほとんど似たようなものである。自国や自国民の優秀さ、進歩性、誇り、品格、利害など

を愛国主義の名の下に煽り立てる。他国がいかに劣等で、後進的、下劣、野蛮かをセンセ

ーショナルにこき下ろす。こういった身の程知らずとの自分たちは競争に勝ち抜かなけれ

ばならない。そのあまりに好戦的な記事のため、第一次世界大戦の勃発の後、『デイリー・

メール』は戦争を扇動したと知識人から糾弾されたほどだ。 同志諸君、一九世紀の欧米の歴史を省みる限り、民主主義が平和的であるとは言えない。

そもそも、一九世紀前半まで、民主主義は衆愚政治と同義語として扱われている。それが

よい意味を持ち始めたのはアメリカの第七代大統領アンドリュー・ジャクソンの搭乗であ

る。彼を領袖とする派閥が「民主共和党」を名乗り、それは民主主義が進歩的な思想に格

上げされた現われである。民主主義者ジャクソンのアメリカは、ディズレーリのイギリス

と同じく、好戦的である。それだけではない。普通選挙によって成立した政権で数多くの

帝国主義戦争が起こされている。なぜなら、交戦相手国の国民や収奪される人々には投票

権がないからである。 同志諸君、ジンゴイズムは感情的で、そこには自己批判がない。そのため、本質的な議

論につながらない。戦争が長引いたり、激化したりすれば、戦死者が増える。戦争好きに

も厭戦気分が生まれる。あんなへんぴなところで、イギリスの若者が死ぬ価値なんてある

のかというわけだ。しかし、それにしても、頭数が減れば、国力が低下するという別の愛

国主義に基づいている。愛国主義の問題自身はまったく、何も、全然問われない。 現在に至るまで、新聞だけでなく、ラジオやテレビなどのメディアが開戦をとめる機能

を果たすことは稀である。多くの場合、メディアは権力と一緒に、扇情的に、戦闘意欲を

高めてしまう。こうしたメディアの対応は権力に迎合するためでもなければ、権力が規制

しているためでもない。なぜならば、戦争が炎や爆音、壊れた戦車、転がる死体、泣き叫

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ぶ子供といった具体的なものを提供するからである。メディアは、本質的な問題が抽象的

になりがちであるため、使うことが苦手である。メディア・リテラシーを知った上で、接

しなければ、いつまでもペテンにひっかかってしまう。 第二インターナショナルは、第一次世界大戦において、まさにジンゴイズムに囚われた

労働者の動向によって失敗に終わる。数こそ多くても、彼らは日和見主義的で、頼りにな

らない。おしゃべりはもうたくさんだ! 3 帝国主義と革命 『なにをなすべきか?』に帝国主義の本質が記されているわけではない。それは『資本主

義の 高段階としての帝国主義論』(一九一六)を待たねばならない。同志レーニンはジョ

ン・ホブソンとルドルフ・ヒルファーディングの共著『帝国主義論』(一九〇二)に影響さ

れ、この作品を書いている。独占・金融資本・資本輸出・国際カルテル・世界の領土分割

といってキーワードは彼らからの借用である。 従来の正統マルクス主義の見解によれば、資本主義が進展するにつれ、その矛盾が抜き

差しならない事態を招き、覚醒したプロレタリアートが革命を通じて体制を打倒し、権力

を奪取する。プロレタリアートは資本主義の矛盾を一身に背負っている。彼らが蜂起せず

して、資本主語の矛盾が解決することはない。 も進んだ資本主義国において、 も革命

の起きる可能性が高い。 けれども、第二インターナショナルの体たらくを見た同志レーニンはそれを転倒する。

帝国主義段階に入った資本主義国において、自然発生的なプロレタリア革命など到来しな

い。資本主義が十分ではない遅れた国において も革命が勃発しやすい。それだけではな

い。そこでは革命を必要としている! プロレタリアート独裁はプロレタリアートの「指導」の下によるそれ以外の階級との同

盟である。しかし、ロシアを含め遅れた国々では、その肝心のプロレタリアートはいまだ

十分にいない。新たな体制を打ち立て、プロレタリアートを生み出し、彼らが将来的にそ

の体制を担う必要がある。プロレタリアートが不十分なのだから、護民官たる当が率先し

なければならない。プロレタリア革命はプロレタリアートによる革命ではなく、プロレタ

リアートを生産するための革命である。 福井憲彦は、『近代ヨーロッパ史』において、一八四八年に欧州各地で頻発した革命を総

括して次のように述べている。 この一八四八年のさまざまな運動も、いずれも 終的に目的を達成したものはなかっ

た。運動を推進した人びとの政治変革や社会変革の夢は実現しない。運動が革命として

成功し、政治権力を担ったとしても、それは一時的な状態にすぎなかった。 しかし、これらの運動によって、メッテルニヒが亡命を余儀なくされたことが象徴的

に示しているように、ウィーン体制はもはや維持できるものではないことがあきらかに

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なった。民衆階層を含めて、国民の政治的同意をいかに取りつけて、換言すれば世論を

いかに味方につけて、政治を運営できるかが大きな問題であることを、多くの支配者は

認識せざるをえなくなったのである。したがって世論を誘導しようとする姿勢もとられ

るようになる。 この一八四八年のさまざまな運動の展開を通じてはっきり浮上してきた問題は、貧困

や住環境などの民衆の生活権とかかわる社会問題であり、労働者としての自意議の形成

をともなう労働問題、であった。表現を変えれば、各種の社会主義的な主張が、政治の

部隊に明確に姿を現わすようになる。社会主義運動や労働運動が無視できない政治勢力

として、ヨーロッパの政治をめぐる状況の中に位置してくるのである。 また、国力を強化するためには、経済の近代化を追及することが不可欠であることも、

明確になる。すなわち工業化の推進であり、国内市場の整備であり、それらの核となる

べき都市の整備である。アーバニズムという考え方や表現が、じきに姿を現わしてくる。

保守反動にたいして政治体制の変革を求める自由主義、共和主義と,さらにそれに加え

て経済体制の革命をも求める社会主義とか、微妙な関係を取り結ぶようになるのである。 一八四八年、ヨーロッパ各地で反動的なウィーン体制を転覆する革命が頻発する。しか

し、それらは頓挫し、ブルジョア的体制が出現するだけに終わる。革命はそれに期待した

勢力の政権掌握にはつながらない。もっとも、権力者たちにとって、革命はトラウマとな

っている。人民の声をないがしろにすれば、また革命が起こると社会主義的な政策を少し、

いくつか、ほんのわずかとりこむ温情主義をとり始める。 このときから今まで、革命は権力の座にしがみつくことしか頭のない腐敗しきった為政

者を引きずりおろし、近代化を劇的に促進させるために起こされるのが常である。 同志諸君、プロレタリアートの増加は農村の事情と密接な関係がある。近代的労働者階

級が生まれるのは、人口が増加し、農村のあまった食い扶持を都市が吸収する流れができ

てからである。一九世紀初頭、ヨーロッパで、小麦の連作方法が発見される。それまで欧

州社会は慢性的な食糧不足だったため、人口は微増にとどまっている。しかし、新しい方

法により、穀物供給が大幅に改善され、人口が急速に増加する。農村から流入した人々が

工業化が始まった都市で、工場や港湾の労働に従事するようになる。このようにプロレタ

リアートの増加には農産物の供給量の増大が不可欠である。 サンクトペテルブルクも、一九世紀初頭、湿地の干拓によって土地が拡張されたため、

アレクサンドル一世治世の間に、人口が倍増している。一九世紀後半に港湾施設が整備さ

れると、産業も発達する。イギリスと比べると少数であるけれども、プロレタリアートが

ロシアにも現われ始める。 こうして生まれた資本主義は成長していき、その 終段階の帝国主義へ到達する。同志

レーニンは、独占及び帝国主義の段階にある資本主義の本質を解明し、その崩壊の不可避

性を明らかにしている。帝国主義において、世界は帝国主義国家と植民地・従属国に二分

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される。そこで、帝国主義国は、外部では民族自決による解放闘争、内部ではプロレタリ

アートによる階級闘争の二正面作戦に追いこまれる。帝国主義体制を打倒するためには両

者は共闘するほかない。民族・植民地問題は国際プロレタリア革命の重要な一環である。

第一次世界大戦は、資本家階級の利益のために、労働者が敵味方にわかれて戦わされてい

るのにすぎないの。帝国主義を打倒する革命だけが恒久平和をもたらす。従って、社会主

義者は「帝国主義戦争を内乱へ転化する」べきである。 帝国主義戦争を革命に至る内乱へと転換させるという提案は、同志レーニンのかねてか

らの持論である。日露戦争の際、一九〇四年に著わした『旅順の歓楽』において、日本の

勝利を歓迎し、敗戦によるツァーリズム体制ロシアの崩壊を支持している。さらに、一〇

年後の『戦争とロシア社会民主党』でも祖国防衛主義を批判している。 同志諸君、今日、ナショナリストと言えば、右翼のことである。しかし、本来はそうで

はない。ナショナリズムはフランス革命の理念に由来する自由主義的国民主義を指してい

る。ウィーン体制の時代には、政治的には、一八四八年革命に参加したような左翼に属し

ている。植民地での民族解放運動は正統的なナショナリズムである。今、ナショナリズム

と呼ばれているのは、正確には、ジンゴイズムである。 保守主義や右翼は受動的な思想(もっとも、思想と呼ぶにはあまりにも体系性に欠ける

が)にすぎない。もともと、保守主義は反フランス革命である。保守主義者たちは現状を

盾にして、一昔前の急進派の主張をとりこみ、自由・平等・友愛の理念の矛盾を批判する。

ただ、保守主義は理念に縛られないため、現状に対応しやすい。けれども、理念が欠落し

ているから、左翼への対抗としてのみその存在意義を示すことができない。この保守主義

をイデオロギー化したのが右翼である。右翼は近代主義の一種であり、自説を強化するた

め以外には、近代以前へと遡ることはしない。左翼が近代を先導したのであり、左翼の弱

体化は近代性への不信の現われである。保守主義や右翼はそんな左翼に依存している。 歴史を大事にしようと言う人がいるが、ぼくも歴史が好きだ。歴史は、フランス革命

とかロシア革命とかで、世の中が大きく変わったように描かれている。しかしながら、

革命政府はまずい社会を作っているようなところがあって、保守主義者がなかなかいい

ことを言ったりもするが、復古派に与する気にもなれぬ。世の中が変わるのには、時代

がそれを求めていることもあって、あとから考えると、革命派がそれなりに時代を代表

しているとも言える。たぶん、革命派が革命の理念にこだわって無理をしすぎるのがま

ずいのだろう新築を飾りたてて文化が身につかぬ家のようだ。 (森毅『改革の時代の時間感覚』)

同志レーニンによるこのマルクス主義理論の読み替えの意義は大きい。なぜなら、一部

の先進国ではなく、後進国や被支配地域においても革命が可能だという根拠を与えたから

である、革命運動は労働者階級の解放のみならず、民族解放も含むはるかに幅の広い政治

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闘争となる(現代の反グローバリゼーション運動なども踏襲している!)。これによりマル

クス主義は世界各地に浸透していく。帝国主義は未開の文明化というイデオロギーに支え

られている。進んだ列強が後れた地域を支配することは人道的介入だというわけだ(史上

大の人道的介入はクメール・ルージュからカンボジアを解放したベトナムだろう。そん

な意識はなかっただろうが)。レーニンはそれに民族自決と並ぶ対抗理念を提供する。レー

ニン主義は狭義の資本主義ではなく、広義の資本主義、すなわち帝国主義を 大の敵とす

る。あと欲しいのは成功例だけである。 同志諸君、同志レーニンは無原則な日和見主義者でなかったと同じくらいに、頑迷な教

条主義者でもない。「 も抽象的なものは も具体的なものである」(『哲学ノート』)。真理

は具体的なものの抽象から把握される。彼は、変化する状況に応じて、歴史上に自分自身

を位置づけ、理論を磨き上げていく。 ブルジョアジーは利害によって協力する。うまくいくのであれば、理念は二の次である。

彼らは敵に体制を明け渡さないためなら、妥協する。他方、革命組織は理念に基づいて共

闘する。この理念のためならば、利害は二の次である。権力も手にしていないのに、食い

違ってしまうと自説に固執するあまり、分派闘争が始まってしまう。しかし、それこそ、

敵の思う壺だ。 ロシア革命はウィーン会議以来続いていた一九世紀流の力の均衡論の終わりを告げるも

のである。力の均衡は政治的・経済的・軍事的のつりあいによってのみ保てはしない。共

通の利害、はっきり言えば、共通の敵がなくてはならない。当時の為政者たちにとって、

それは革命勢力の台頭である。しかし、革命派が権力を奪取したそのときに、その考えは

時代遅れとなったのである。 同志諸君、それを踏まえ、昨今の国際政治を言い表わす概念として「帝国」を使うのを

躊躇する。むしろ、「コモンウェルス」が適当である。「コモン(共通)+ウェルス(財産)」

はあまりにふさわしすぎて普及していない! 同志レーニンは理念を生かしつつ、現実を見極め、したたかに、権力を掌握することに

思案する。マルクス主義者として勝たなければならない。しかし、生きているうちに、革

命を見ることはないかもしれないと弱音ともとれる論文も発表している。 当時の帝政ロシアは、シロアリに食い尽くされて崩れ落ちる寸前の家ではない。第一次

世界大戦頃、穀物輸出で潤い、金の保有量は世界第二位という豊かな国である。また、報

道の自由も、英米ほどではないにしろ、認められている。瞬間的に体制がひっくり返るよ

うな決定的な要因はそろっていない。 けれども、そのときが、まさにそう見通した際に、諦めかけた際に、同志レーニンとそ

の仲間があずかり知らぬ際に、やってくる。 4 ロシア革命 ユリウス暦一九一七年二月二三日、サンクトペテルブルクで、食糧配給の改善を求める

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デモが起きる。 初は小規模だったが、次第に参加者が増え、警官隊と衝突し、市民に多

数の死傷者が出る。この事件をきっかけに、市民の怒りは爆発し、また、軍内部でも兵士

が反乱を起こす。こうした反体制運動は革命に発展していく。 二月革命によってロマノフ王朝は打倒される。一九〇五年に皇帝ニコライ二世がドゥー

マ、すなわち国会を開設していたが、そのブルジョア議員は臨時政府を樹立する。その一

方、労働者や農民、兵士などの代表によって構成されるソヴィエト、すなわち評議会も自

然発生的に発足している。この両者が連携して政権運営を図っていくことになる。 社会革命党、いわゆるエスエルのアレクサンドル・フョードロヴィチ・ケレンスキーを

首班とする臨時政府は報道の自由や集会の自由など自由主義的政策を着々と実施し、解放

感を社会にもたらす。しかし、その一方、英仏との同盟関係を維持し、対独戦争の続行を

決定する。いわゆる「封印列車」に乗って亡命先のスイスから帰国した同志レーニンは、『現

在の革命におけるプロレタリアートの任務』、いわゆる四月テーゼを公表する。そこで、戦

争の帝国主義的性格を確認し、祖国防衛主義を糾弾している。その上で、ロシアのブルジ

ョア革命は終了したのであり、「労働者・雇農・農民代表ソヴィエト共和国」の創設を提言

する。当初、同志レーニンは烏合の衆ではないのかとソヴィエトに懐疑的であったが、現

状を分析し、考えを改めている。当時、これを支持するものはボリシェヴィキにおいてさ

えいなかったけれども、公認路線となる。ボリシェヴィキは「すべての権力をソヴィエト

へ」と二重権力構造の解消をスローガンに掲げる。 同志レーニンは同志プレハーノフの二段階革命論を支持していたが、この四月テーゼで

は、レフ・ダヴィドヴィチ・トロツキー、おお優秀なる革命家である同志トロツキーの永

続革命論の立場をとっている。一国でプロレタリアートの政権が成立しても、帝国主義の

時代においては、十分ではない。革命の衝撃を各地に伝え、全世界で共産主義社会、すな

わち世界ソヴィエト共和国連邦を実現しなければならない。また、後進国の場合、革命政

権の維持のために、進んだ他国での連続した革命が必須である。さらに、既に権力の奪取

が成功した国では、改革の継続が不可欠である。 同志諸君、よく知られている通り、ボリシェヴィキはソヴィエトにおいて少数派である。

けれども、臨時政府内部の対立が激化し、ソヴィエト内でのボリシェヴィキの発言力が増

し、状況は二月体制打倒へと進む。 その際、同志レーニンは『国家と革命』(一九一七)により来るべき社会像を描き出してい

る。これは極めて楽観的であるだけでなく、はっきり言ってしまえば、アナーキスト的で

ある。ブルジョア国家が崩壊した後、階級的対立は消滅し、国家の強制的機能は衰退し、

社会や経済の管理は誰にでも行えるほど簡単になるとその作品は物語っている。国家は消

滅する。執行と立法を同時に行うソヴィエト制度、さらに、プロレタリアートに責任を負

い、解任することのできる「監督」と「記帳係」がそれに取って代わる。このような希望

に満ち満ちた内容となっている。 同志レーニンの著作は常に戦略的に書かれてある。『国家と革命』も例外ではない。革命

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は絶望から起きない。革命が希望と思えたときに生じる。同志レーニンの著作を読む際に

は、彼の戦略が何であるかを考えなくてはならない。 ユリウス暦一九一七年一〇月二五日、二月体制は崩壊する。慎重な計画を立案して、各

勢力活動の統合した上で、同月二四日にボリシェヴィキは蜂起し、ほぼ無血で権力を掌握

している。 ソ連崩壊後のロシアでは、これは「クーデター」と呼なれている。歴史を正当に評価し

ようという試みから生じているわけではない。旧共産党の流れをくむ勢力以外、一〇月体

制の意義を見出すものが少ないからである。 ウラジーミル・ウラジミロヴィチ・プーチンは、いかに一〇月革命がなぜ成功したので

はなく、なぜ帝政ロシアやケレンスキー内閣が崩壊したかを使って、自分の強権政治を正

当化している。彼は、一九八三年に書かれたアレクサンドル・イサーエヴィチ・ソルジェ

ニーツィンの『二月革命』の説をロシア中に流布している。つまり、それは、優柔不断で、

決断力に乏しい弱いリーダーだったから、政権が自戒したというものである。 新政権はドイツとオーストリアとの単独講和に向かうが、提示された条約内容はほぼ降

伏条件であり、党内分派の左翼共産主義者、すなわちプハーリン派は締結に反対し、革命

戦争の遂行を主張する。なるほど、同志レーニンも、政権を手にする前は、革命戦争の推

進を支持している。しかし、いざ 高権力者となると、『併合主義的単独講和の即時締結に

ついてのテーゼ』で、ソヴィエト・ロシアには戦争を続ける能力も条件もなく、またドイ

ツ革命が勃発する可能性が低いと反論する(実際に、一九二〇年から翌年にかけて、領土

拡大を目的として、攻めてきたポーランドと戦争になり、赤軍はドイツ革命の支援を期待

して進撃したものの、ワルシャワで大敗している!!)。激しい党内論争の後、同志レーニン

らの単独講和論が勝利し。一九一八年三月三日、ボリシェヴィキはブレスト=リトフスク

条約を締結している。 三月一九日、ソヴィエト政権は首都をサンクトペテルブルクからモスクワに移す。すで

にこ、暦もユリウス暦に代わり、西欧で使われているグレゴリ暦を採用している。これら

は帝政ロシアからの決別を内外に印象付けることになる。 これで平和がくるはずだったが、その直後、ロシアは内戦状態に突入する。各地で、白

軍や民族主義者、社会革命党、アナーキストなどが蜂起し、加えて、日本やアメリカ、イ

ギリス、フランス、イタリアなど列強各国がシベリアに出兵して軍事干渉を始める。ロシ

ア内戦は、勝ち抜いたボリシェヴィキ改めロシア共産党による一九二二年のソヴィエト社

会主義共和国連邦の成立まで続く。「レーニンの 大の功績は、権力を保持し、強化して、

その後の五年間で無政府的な内戦の状態を確固たる権威のもとに解消せしめたところにあ

ったのです」(ジョン・K・ガルブレイス『不確実性の時代』)。二〇世紀後半以降の内戦の

泥沼化を経験して現在から見れば、それは確かである。同志諸君、いったん内戦が始まれ

ば、ほとんどの場合、一〇年以上に続くのをわれわれは目の当たりにしている。それをわ

ずか四年で、あの広大なロシアで繰り広げた内戦を終結させ、一定の秩序を回復したとい

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うのは驚異的と言うほかない(ジョージ・W・ブッシュ大統領閣下、貴殿はそれをいかに

お考えか?)。 一九二二年、ウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国、白ロシア・ソヴィエト社会主義

共和国、ザカフカス・ソヴィエト連邦社会主義共和国、それにロシア・ソヴィエト連邦社

会主義共和国の四共和国の合意によってソ連が成立する。一九三六年に、ザカフカス・ソ

ヴィエト連邦社会主義共和国は廃止され、グルジア・ソヴィエト社会主義共和国、アルメ

ニア・ソヴィエト社会主義共和国およびアゼルバイジャン・ソヴィエト社会主義共和国へ

と分かれている。一九九一年、結成に携わった三つの共和国は、核兵器の帰属問題を交渉

している間に、二二年の約束を思い出し、連邦解体に合意して(核保有国はロシアだけに

するということで)、構成国はそれぞれ独立する。 同志諸君、内戦が始まった直後、ボリシェヴィキは戦時共産主義と呼ばれる諸政策を実

施する。工業と銀行を国有化し、穀物取引の規制ならびに余剰穀物の(強制)提供を命じる。

しかし、支持者から反発を浮け、暴動の頻発を招いてしまう。穀物の強制徴収は革命の拠

点の一つクロンシュタットでさえ反ボリシェヴィキ運動が起きているくらいだ。富の再配

分のシステムがなければ、信じる政策をただ実施すれば、不満は起こるものだ。そこで、

同志レーニンは新経済政策、いわゆるネップへと経済政策を転換させる。革命家集団の行

政手腕は明らかに経験不足で、統治すること何たるかさえわかっていない有様である。一

九一八年、『ソヴィエト権力の当面の任務』において、国内経済の早急な建て直しを目的に、

企業と経営に対する記帳と統制の組織化、ブルジョア専門家の登用、生産過程における単

独責任制の導入を提言する。市場経済を大胆に取り入れたのである。 しかし、コミューン国家を理想とするプハーリン派からは社会主義の放棄だと激しく非

難される(ネップにより、生産部門が一九二七年には戦前の水準にまで回復してたのだが)。

そのため、同志レーニンは、政治的には、締めつけを強化する。彼はこれまでも左翼共産

主義者や民主主義的中央集権派、労働者反対派から非難され続けてきたが、理論闘争、す

なわち「批判の自由」が運動を活性化させるとの考えをとっている。しかし、一九二一年、

ロシア共産党第一〇回大会において、党内分派の結成の禁止し、中央委員会にそれを目論

む分子の除名権限を採択させる。 同志諸君、経済的に緩めた代わりに、政治的に厳しくしてバランスをとろとしたと見る

べきだろう。これは簡単に予想されることだが、中央の統制が緩んで、途方の党が勝手に

企業活動に走れば、利権に群がる地元と癒着し、腐敗や不正の温床となる。それは、結局、

国の分裂につながる。 一時的措置と思われていたけれども、同志レーニンの永眠後、同志スターリンはこれを

おおいに利用していく。 5 ネップとレーニン主義 同志諸君、ネップは、現在から見れば、鄧小平の社会主義市場経済(開発独裁との類似

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点を指摘するものもいるが、それはマルクス主義の持つ歴史への位置づけを見ていない意

見である。スハルトが自分の政治を世界史の枠組みの中で語っていただろうか?)に非常に

よく似ている。毛沢東こそマルクス=レーニン主義者だと口にする者もいる。けれども、

そうではない。鄧小平は文化大革命期に資本主義に走ったと教条主義者から非難されたが、

この点で、レーニン主義の正統的な継承者であると言わねばならない。 森毅は、『男味と女味─集中と分散について』において、鄧小平の意義を次のように述べ

ている。 〈男味〉の代表例は、太平洋戦争中の帝国陸軍だろう。戦後は、旧帝国陸軍の精神的

な残党が、そのメンタリティで経済戦争に突入したのだと言われている。敵から見ると、

旧日本軍は進む道を決めたら、他の道の可能性を考えようとしなかったので、非常に扱

いやすかったらしい。一筋にやっていくことが 高の価値である、と考えたのが帝国陸

軍だった。みんながこうと決めたときに他のことを考える奴は放り出される。〈男味〉の

立場からすると足並みを乱すことはゆゆしきことなのだ。 しかし、〈男味〉ではゲームには勝てない。ゲームというのは、状況によって態度や決

定が変わるのが当然なのだ。あいつはグーを出し始めたらグーを出し続けるとわかって

しまったら、もう絶対に勝てるわけがない。グーもチョキもパー も出すかも知れないか

ら、ゲームが成立するのだ。 それに比べて、中国の元共産党副首相・部小平はすごいなと思う。 彼は、「わたしの 大の発明は、二者択一の決定を議論して決めないことだ」という。

議論で決めていたらとても間に合わない。さしあたり A が出たら A をやる。その代わ

り、いつでも B に変わる用意はしておくのだという。こういう選択は、 A 一筋で進む

よりずっと難儀なのであるが、実際にはとてもフレキシブルだと思う。この考え方は社

交主義に通じるものがあると思う。社交というものには、選択肢を相手によって変える

という柔軟性が要求される。従って社交の基本は〈女味〉なのである。 一方、社会主義のほうのソーシャリズムは〈男味〉が基本だ。組織の継続性が大切に

なるからだ。郡小平のすごいところは、〈男味〉の極致のようなギンギンの社会主義国で

ある中華人民共和国というシステムのトップに昇りつめながら、自分の基本原則が〈女

味〉であると公言してはばからなかった懐の深さにある。 鄧小平はレーニン主義を復活させている。レーニンの実践にも、集中と分散の弁証法が

見られる。一方的な集中でも、分散でも不十分である。ネップによる分散を承認しつつ、

他方で党倍部の集中を強化している。これは一つの弁証法である。二月革命の継承者にし

ろ、プーチン派にしろ、この弁証法の認識がない。彼らは極めて単調である。「〈男味〉が

強すぎると、一旦立てた計画に拘って融通が聞かなくなってしまう。一方、〈女味〉には危

ない部分があって、状況に流されてどっちへ行くかわぁらなくなって、おまけにその時に

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責任の所在がわからなくなったりする」。ネップの分散という政策の決定に権限が必要であ

る以上、責任の所在を明確にしなければならない。そこに党の存在理由がある。映画監督

(英語では、ディレクター、すなわち指導する者である!)が作品にそうするように、党

は政策に責任を負わねばならない。失敗したときには責任を誰かに押しつけ、うまくいっ

たら、手柄にするのは言語道断である。 同志レーニンの も偉大な点の一つは、彼が自説に拘泥しなかったことである。その都

度、歴史上にマルクス主義的に自分自身を位置づけながら(これが日和見主義者と区別さ

れる一因である!)、意見を覆す。「臨機応変」や「変幻自在」、「君子豹変す」は彼にふさ

わしい。ゲームにおいて、勝利は相対的である。自分の手に固執するのは賢明ではない。

多くの社会主義者や革命家は自説に拘泥する。学者はそれで構わないが、政治ではそうは

いかない。自分の手ばかり見ていては、連荘の対面でテンパってばかりで、いつまでたっ

てもドベが指定席だ。また、相手のミスを期待して、勝負に出るとしたら、ずいぶんとの

んきである。敵は失敗してこないという前提で、作戦を練るものだ(自然発生的な革命論

は、相手のミスを期待して、ゲームを進めようとしているにすぎない!)。 国際政治を例にしてみよう。そこは仁義なき戦いの世界である。つまり、利害で動く。

意外なほど目先の利害で動くものだ( 近、脱イデオロギーや左右を超える認識を新しい

視座として提唱するものがいる。しかし、国際政治の場では、イデオロギー対立も左右の

対立もはるか昔に終わっている。ポル・ポト派を誰が支持していただろうか?)。しかし、

相手が何を求めているかを探らずに、自分の利益を追い求めていては失敗する。同志スタ

ーリンはアドルフ・ヒトラーと独ソ不可侵条約を結び、蒋介石を支援している。これは間

違いなくイデオロギー的には誤っている。しかも、その後、ドイツ軍に攻めこまれるわ、

国民党軍は台湾へと追いやられるわとお粗末極まりない。これは現実的にも間違っている。

彼の見通しの甘さがソヴィエトを国家存亡の危機に陥れている。 同志レーニンの軌跡は極めてマルクス主義的である。これを発展と見るべきではない。

複雑に入り組んだ現実と権力闘争の末、彼の説がヘゲモニーを獲得している。同志レーニ

ンの理論が正しいから勝ったのではない。勝ったから彼の理論は正しくなる。マルクス主

義はボリシェヴィキのロシア革命を通じた権力掌握によってその正当性が浸透したのであ

って、その逆ではない。勝ったものが正しい。それが政治である。政治は権力闘争により、

ヘゲモニーを握った方が正統派となる。けれども、異端は組織にとって必要である。他の

選択肢は保険のためにとっておいた方がよい(独裁体制は人民もさることながら、政権に

とって逃げ道がなくなる!)。同志レーニンは、とりあえず選択した方針が間違いもしくは

時期尚早だと気づいたら、即座に異端の説も吸収し、それを示す。彼は自分自身を変える

ことができたために、体制も変えられたのだ! 6 レーニン主義的闘争 同志諸君、戦時共産主義からネップへと移行していく中、党組織や国家機構の官僚主義

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化が急速に進んでいく。党組織においては、党の「書記」(自然発生的革命論の支持者たち

が自分たちを「労働組合の書記」と見なしていたというのに!)が地方組織の人事を握り、

下部機関を圧迫し、党全体を支配する仕組みが出来つつある。党の書記長こそ同志スター

リンである。 国家を運営するには、総合的・計画的な政策立案のために、官僚機構は欠かせない。第

一次世界停戦という帝国主義戦争は国家総動員体制によって遂行されたが、官僚機構がこ

れまでにないほど機能している。遅れた農業国を先進的な工業を中心とした国家にするに

は、この官僚機構を活用しなくてはならない。官僚は、本来、エンジニアである。しかし、

党の代行者たるべき官僚機構は悪しき官僚主義に陥っている。 同志レーニンは党の統一を優先するあまり、その深刻さを認識していなかったし、また、

『なにをなすべきか?』では官僚機構を理想の組織形態と賞賛していたが、官僚主義こそ

大の問題であると戦いを挑み始める。 一九二三年、『協同組合について』、『われわれは農監査人民委員部をどのように改組する

か』、『より良いものをより数少なく、しかりより良いものを』の三論文で、行政改革の構

想を公表する。官僚主義はロシアの文化的・政治的後進性に原因があり、旧体制から引き

続いてきた国家機関と粘り強く改革していかなければならない。外面だけの忠誠心を蔓延

させ、前例主義の権威主義的な態度の官僚主義を打破すべきであると同志レーニンは促し

ている。官僚機構は画一的な量的拡大には向いていても、質に対してはお手上げである。

官僚主義が常識化してしまえば、量的な競争に走り、質はなおざりにされてしまう。目標

の量を達成するために、躍起になり、批判の自由を抑圧し、よりよいものではなく、中身

のないものがつくられる。高品質を求めるには、官僚主義と断固として戦い、党も身ぎれ

いにしなければならない。三度目の発作で倒れる五日前の三月四日に公表した『より良い

ものをより数少なく、しかりより良いものを』では、「われわれにとっては、初めのうちは、

真のブルジョア文化で十分であろう」と記しているほどである。同志レーニンはこれまで

数多くの敵と戦ってきたが、官僚主義が 強かもしれないと思い始めている。 一九二二年五月、同志レーニンに 初の発作が起き、右半身が麻痺してしまう。政権内

での彼の影響力は急速に衰え始める。一二月、二度目の発作で倒れると、政治局は彼に療

養を命じる。同志レーニンは政治の一線から退かざるを得なくなる。この発作の後、同志

レーニンは言葉を失い、政治活動は一切不可能になる。一九二四年一月二一日、四度目の

発作により同志レーニンは永眠する。自分を偶像崇拝の対象にしたり、記念館を建てたり

することを禁じたが、同志スターリンは彼を赤いツァーに祀り上げる。さらに、新しいソ

ヴィエト指導部は彼の遺体に保存処理をさせ、レーニン廟で永久保存することを決める。

彼は生きているとも死んでいるとも言えない状態で、今もそこに保存されている。 レーニンが復活し、周囲で生じていることを眺め、新聞や新著を読み、姿を消した。

人々は、トランクを下げた彼を駅で見かけた。

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「どこへ、お出かけになるというのです、ウラジーミル・イリイチ?」 「亡命するんです、みなさん。亡命してすべてを 初からやり直さなければなりません」。

(川崎浹『ロシアのユーモア』) 同志レーニンは一度発した意見に縛られるような振る舞いはしない。真の意味でのレー

ニン主義は定型を持たないマルクス主義である。彼は戦略家である。双方を兼ね備えてい

たために、革命家としても、政治家としても指導者としてありえる。戦略家としてマルク

ス主義的に自分自身を歴史的に位置づける。戦術家としては同志レーニンは、一見、攻撃

的であるかに見えて、その子供時代にそうであったように、思慮深い。彼は自分の力だけ

で敵を抑えこむことはしない。卓越した武道家やアスリートが相手や状況をよく読み、タ

イミングを見計らい、隙を突き、それらの力を利用するように、同志レーニンもしなやか

にかつしたたかに戦う。 近、聞かれなくなったフレーズを使うなら、彼のスタイルは「柔

よく剛を制す」である。言いたいことを口にして、周囲がそれに従うのを期待したり、頭

ごなしに指図したりはしない。同志レーニンは、実際の行動において、現実の状況と一体

化する。この瞬間にこそ、信じられない瞬間にこそ、自説を弁証法的に変える瞬間にこそ、

同志レーニンの 高の輝きがある。近代主義の病から回復している。この分散と集中の弁

証法は依然としてわれわれが学ばねばならない技である。伝統的なレーニン主義を改変す

べく、同志レーニンの特定の時期に注目する試みがある。しかし、彼の柳腰ぶりにその独

創性がある。彼は、革命家としても、政治家としても、自説に拘ることがない。政権をと

る前と後では、主張が変わって当然である(将来、法務大臣を狙っているからといっても、

その準備とばかりに、弁護士が公判中に検事に向かって「お前は無能だ。ここをこうすれ

ば、こいつを有罪にもっていけるんだ」と言うだろうか?)。野にいる場合、権力者に対し

て、問題点を指摘し、人民に警告を発する。政権の座に就いたら、導きの政策を示さなけ

ればならない。指導者は刻一刻変わりゆく現実を適確に読み、 善の選択が求められる。

戦いながら、考えるようにしなければならない。 どうも人聞は、いくつもの時間を生きるよりないような気がする。まず、政治の時間。

べつに政治家でなくても、どちらに踏みきるかを考えねばならぬが、それは案外に短く

て一年か三年、せいぜいが五年くらいのものだろう。新聞の納刷版企眺めてみると、大

騒ぎしていたことが、十年もするといまとずいぶん印象が違うように思う。五年前のこ

とだって、すっかり忘れて生きている。 つぎに経営の時間。これは五年か十年くらいのものだろう。会社だって大学だって、

その程度の見通しがないとやっていけぬ。政治の時間だと、一年とか三年とかの風の動

きを的確にとらえねばならぬが、それだけでは風にふりまわされる。ある種の持続性が

あって見極めねばなるまい。そのなかで現在を考えるよりない。 そして文化の時間は、十年から二十年は考えたほうがよい。人間だって家だって、そ

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して社会の制度だって、そのスタイルが文化として成熟するのに十年以上かかる。 そして、二十 年もすると、その村会をになう人が入れかわっている。これはもう歴史

でしかない。五十年前に評判になった本は、図書館に行かぬと読めぬのが普通。大学だ

って、五十年前にみんなが熱中していたことはよくて古典、たいていは忘れられている。

それが歴史だからしかたない。もっとも、その時代を過ごした人にはいろいろな思いが

あるから、百年たたぬと歴史にならぬという考えもある。 こうしたさまざまの時間を持ちながら人間は生きる。改革を考えるときは、政治の時

間、経営の時間、文化の時間、歴史の時間と、何種類もの時間を考えるよりなさそうだ。 (森毅『改革の時代の時間感覚』)

国際政治がイデオロギー以上に利害で動くのは、「政治の時間」の世界だからである。「歴

史の時間」から見れば、場当たりなのも当然であろう。 同志レーニンは、一九二二年、レフ・ボリソヴィチ・カーメネフに「ネップがテロルに

終止符を打つと考えるのは 大の過ちである。我々は必ずテロルに戻る。それも経済的テ

ロルにだ」と書簡を送っている。しかし、この手紙などによって、同志レーニンを批判す

ることは愚かである。ネップを進めれば、貧富の格差が大きくなる。社会の経済発展を底

辺で支えているにもかかわらず、その恩恵を受けられない人たちも出てくるだろう。当然、

それを修正するか、別の政策を立案するかしなくてはならない。もし同志レーニンがその

後も生きていたら、いかなる転身をしたか興味の尽きないところである。 7 党への忠誠 同志諸君、しかし、同志レーニンの姿勢は日和見主義的ではない。なぜならば、ある原

則だけは絶一貫して保持してきたからである。それは党の絶対性である。もちろん、歴史

への位置づけは二より実主義者と分かつ点である。けれども、それはマルクス主義者とし

て当然の態度である。この原則こそ同志レーニン特有の説である。「革命的理論なくして革

命的運動もありえない。流行の日和見主義の説教に、実践活動のもっとも狭い熱中が表裏

ともなっているような時代には、どれほど強くこの思想を主張してもたりないのである」

(『なにをなすべきか?』)。 ルイス・フィッシャーは、卓越した著作である『レーニン』の中で、同志レーニンにと

って「党への忠誠」が 高の美徳だったと次のように書いている。 レーニンは、政治に感情を持ち込むことはけっしてしなかった。彼は、人間としては

スターリンよりもはるかにトロツキーのほうに親近感を抱いていた。また彼は、スター

リンとよりもはるかにトロツキーとの間に、人間として共通するものを持っていたし、

政治的にもトロツキーとはるかに多くのものを共有していた。しかし、労働組合論争で

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トロツキーは、規律を破り、そしてほとんど党を破壊しかけようとした、とレーニンは

信じた。しかるに、スターリンは、彼の目的がどこにあるのかレーニンにはわからなか

った。けれども、とにかく党の結束という大儀に沿って彼に味方した。そして党の規律、

すなわち「党への忠誠」がレーニンにとって 高の美徳であった。レーニンの心の中で

は、個人や労働者階級や主義よりも党が優先していた。 ブルジョア民主主義国では、政党は議会を通じて政治活動を行うための組織であるが、

同志レーニンはそう考えていない。それはあまりに政党の力を見くびっている。共産党は

ヘゲモニー政党である。同志レーニンにとってすべて(個人や階級、組織、主義など)は

共産党に優先される。それはすべてに関係し、「指導」することである。 このレーニン主義を実践したのは。前衛党だけではない。中華民国の「党国体制」もそ

うである。国民党はロシア革命の成功と同志レーニンの党組織論に非常に強く影響されて

いる。何も驚くことはない。その頃の中国の状況を思い浮かべてみたまえ。帝国主義によ

って食い物にされている。反帝国主義に関する理論と実践の成功例を示したのが同志レー

ニンとロシア革命である。マルクスでさえない!中国人がレーニン主義に感銘を受けたとし

ても不思議ではない。蒋介石は、一九三一年六月、国民会議において「中華民国訓政時期

約法」を制定し、中華民国の 高権力を中国国民党中央執行委員会に帰属すると明文化す

る。中国国民党が中華民国を代表するとは、つまり党が国家の主賢者である「主権在党」

を意味する。一九五〇年代に台湾で成立した一党独裁体制は、まさにレーニン主義である。

あらゆる非党組織の中に党細胞を培養し、党の組織系統を利用して国家機関や社会団体を

管理・統制する。無論、両者の間の相違点も認められるだろう。しかし、それは同一の構

造が条件によって形態を若干変えているだけである。条件を無視してそのまま移植できる

と考えるのは非現実的である。 同志スターリンは、同志レーニンの永眠後、何度も粛清を行っている。何百万人も処刑

し、それ以上の人をラーゲリに送っている。それは敵対者や反対派、あるいはその地位を

脅かすと同志スターリンが判断した者たちである。しかし、同志スターリンが本当に殺し

たかったのは同志レーニンである。各種の研究によれば、同志スターリンは党と官僚機構

との調整役であり、粛清はそのバランスが官僚側に偏ったときに起きている。同志レーニ

ンが共産党主義者であったとすれば、同志スターリンは官僚主義である。それは同志レー

ニンに対する反逆にほかならない。同志スターリンが抹殺したかったのは同志トロツキー

ではない。同志スターリンによる粛清は父殺しである。 8 指導について 同志レーニンにとって、「党への忠誠」こそすべてである。すべては党を通じていなけれ

ばならない。党は分散していくものをつなぎとめられる。同志レーニンの言うように、党

を考えると、その仕事は複合的かつ複雑である。唯物論的としたところで、その基礎とな

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る思想や科学、テクノロジーは広大である。しかも、一元的ではすまない。 いわゆる外部注入論で も誤解されているのは「指導」である。「指導」が党の行いを美

辞麗句で飾り立てるための空文句と見なされているほどだ。挑発的なレトリックを用いて、

レーニン主義を復権させようという試みもある。しかし、そんな無理をすることはない。

この「指導」は同志レーニン自身が体現していたことである。同志レーニンはわれわれに、

プロレタリアートに、人民に「指導」する。彼は新たな路線を提案しても、すんなりと信

任されたことはほとんどない。なぜなら、たいてい、以前に彼が口にしていたことと矛盾

しているからだ。それらは、さまざまな議論や現実分析を通じて、彼が学んだことの表明

である。彼の「指導」は何かを教えるのではなく、共に学ぼうという呼びかけである。「指

導」により、 も学んでいるのは同志レーニン自身である。 「指導」は上から党が一方的に教えるということではない。下から湧き上がったものを

党が組織化し、育成する。「指導」ははコミュニケーションの一種である。それは管理や監

視、命令、強制、指示ではない。「指導」が諸問題に対する根本的解決を目指すのに対し、

それらは対処療法にすぎない。この場合のコミュニケーションは情報伝達ではない。社会

的了解行為である。 同志レーニンは、フリードリヒ・エンゲルスを引用しつつ、理論闘争を政治闘争、経済

闘争と並ぶ社会主義運動の大きな闘争形態の一つとして位置づけている。「エンゲルスは、

社会民主主義の大きな闘争の形態として、二つのもの(政治闘争と経済闘争)をみとめる

のでなしに――わが国ではこうするのが通例であるが――理論闘争をこの二つと同列にお

いて、三つの形態をみとめている」(『なにをなすべきか』)。自然発生的な革命の支持者は

政治闘争と経済闘争だけが革命運動だと信じている。理論闘争というコミュニケーション

を軽視するため、独善的な態度に陥ったり、「労働組合の書記」に甘んじたりしてしまう。

他方、同志レーニンは革命運動における理論闘争の重要さを訴える。理論闘争を経ること

で、新たな社会的了解が形成される。コミュニケーションは党を「指導」の役割を持つも

のへとする。「指導」により、同志レーニンはマルクス主義をコミュニケーションの哲学に

読み替えている。マルクス主義による革命の中にコミュニケーション理論を引き出したの

である。 このような同志レーニンの姿は「反省的実践家(Reflective Practitioner)」である。マサ

チューセッツ工科大学のドナルド・ショーン(Donald A. Schon)は、『専門家の知恵―反省的

実践家は行為しながら考える(The Reflective Practitioner: How Professionals Think in Action)』(一九八三)において、「行為の中の省察(reflection in action)」に基づく「反省的

実践家」について説いている。従来の専門家は、言わば、「術的熟達者(Technical Expert」」である。それは、高い教育を受け、身につけた専門的知識を「科学的技術の合理的適用」

を実践原理として実行できる人を指す。しかし、これでは、複雑で流動的な現実が生み出

す難解な諸問題に対処しきれない。狭い専門的な知識・技術を実践にあてはめようとする

ことはもはや慎まねばならない。実践の場は、内戦のように、泥沼である。むしろ、その

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不確実さだらけの悪夢の中で、依頼者と共に身を置き、「行為しながら反省する」という実

践的認識論に従って闘争できる専門家が望ましい。それが、幅広い知識、熟慮された経験、

行為しながら状況との相互作用を読みとるリテラシーの力、協同作業のできるコミュニケ

ーション能力などを兼ね備えた「眼精的実践家」にほかならない。ショーンの提起したこ

の新しい専門家象は同志レーニンそのものである。彼は、まさに、実践しながら、考える。 プロフェッショナルとはそうでなくてはならない。プロフェッショナルはエキスパート

やスペシャリストと混同されやすい。しかし、倫理観の点で明確に区別される。エキスパ

ートは職人を意味する。技術的熟練者の「熟練者」の原語でもある。個人的な天分と長年

にわたる経験や修練によって会得した技能はあるものの、理論的・体系的裏付けを欠いて

いる場合が多い。一方、スペシャリストは研究者や技術者、官僚によって代表される。学問

的裏付けのある専門技能を持っているものの、倫理がないため、技能を磨くこと自体が目

的となってしまうことさえある。官僚主義の官僚は、当然、「スペシャリスト」と呼ばなけれ

ばならない。スペシャリストは危機に際して組織防衛に走るが、プロフェッショナルはたと

え自分の所属している組織がつぶれることになろうとも、倫理を優先する。党はこうした

プロフェッショナルによって構成されなくてはならない。それによって真の強さ、つまり

しなやかさとしたたまさを持ち得る。 「技術的熟達者」は知能指数(IQ: Intelligence Quotient:)の高さはあるかもしれないが、

「反省的実践家」には心の知能指数もしくは多重知能指数と呼ばれる「EQ(Emotional Intelligence Quotient)」が重要視されるだろう。反省的実践家は同僚性の中で育まれる。

カリフォルニア大学バークレー校のジュディス・リトル(Judith Warren Little)は、『教師の

仕事(Teachers' Work: Individuals, Colleagues, and Contexts)』(一九九三)において、教師

が授業の創造と研修によって専門家として育ち合う「同僚性(collegiality)」の問題を提起し

ている。「成功した学校(School success)」には、教師が連帯する「同僚性」が 大の要因であ

る。この場合、連帯はあくまでも手段であって、目的ではない。それを取り違えてしまっ

たとき、同僚性は同質性へと変わってしまう。教師は一人でではなく、専門家の助成と自

立を促進する先輩の指導者によって共に成長する。教育学ではそういった同僚を「メンタ

ー()Mentor」と呼んでいるが、それはオデュッセウスが子の教育を託したメントルに由来

し、よき教師の意味である。つねに実践の中で反省し、同僚性に立脚して、専門家として

学び続けてこそ、よき教師七なり得る。 同志諸君、われわれはお互いを「同志」と呼んでいる。ウラジーミル・イリイチにさえ

「同志レーニン」と呼びかける。われわれは同志意識を共有している。われわれの同志性

はリトルの言う「同僚性」であると言える。この「同志意識(comradeship)」こそ「同僚

意識(mentorship)」である。同志レーニンは、『なにをなすべきか?』の中で、空文句でない

「同志」について「『民主主義』、つまり遊びごとふうでない真の民主主義は、部分が全体

にふくまれるようにこの同志的関係の中に含まれているのではないか?」 近は NGO や NPO といった党以外の組織も国内的にも国際的にも活動し、成果を挙げ

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ている。われわれはオタワ・プロセスを真の意味でのソヴィエト、レーテの実現と賞賛し

ている。それらは個別の課題に対処するには適している。個別的なコミュニケーションの

組織だと言ってよい。一方、党は総合的に諸問題に取り組む。総合的なコミュニケーショ

ンの組織である。と言うよりも、諸領域を横断し、コミュニケーションを総合的に組織化

するのが党の役割である。それにより、コミュニケーションが普遍性へとつながる。 同志諸君、コミュニケーションの闘争は経験知や暗黙知との闘争となる(ミュージカル

『マイ・フェア・レディ』を思い起こそう!)。一九六〇年代になっても、労働者階級の単純

な文章を使う傾向は変わっていない。英国の社会学者バジル・バーンスティン(Basil Bernstein)は、『“教育”の社会学理論―象徴統制、“教育”の言説、アイデンティティ』におい

て、労働者階級と中産階級の言語の違いを分析している。前者の使っている言語は特定の

文脈において意味が通じる「限定コード Restricted Code)」である。それに対し、後者は一

般化された抽象的な概念を論理的に展開する「精密コード(Elaborated Code)」を使用して

いる。「限定コード」では、全般的に、単語や具体的な事実だけの発話ないし命令文が多用

され、文章が長くなると、並列的に重文として構成されている。一方、「精密コード」にお

いては、抽象的な単語が多く用いられ、婉曲的な言い回しも使われて、長い文章には関係

代名詞による複文で表現される。「限定コード」は「工場英語(Factory English)」、「精密コ

ード」は「オフィス英語(Office English)」と言い換えられる。工場では現にそこに具体的

なものがあるため、限定コードですむ。工場長が新米にボタンを指さしながら、「それを押

せ(Push it!)」で十分に通じる。ところが、オフィスでは、そうはいかない。先物取引はま

だないものを扱う。精密コードが必要である。労働者階級は、子供の頃から、コミュニケ

ーション上の階級闘争を強いられている。 これは、発音の点も含めると、マイノリティや民族問題、グローバリゼーションなどに

も関係し、帝国主義・植民地主義的な矛盾となっている。コミュニケーションの革命運動

は現代の帝国主義に対する闘争である。 「指導」は難しい。経済的な問題において組織や個人への指導がうまくいかなくなると、

そこにモチベーションの低下やモラル・ハザード、フリーライダー問題などが起きてしま

うからだ。インセンティヴが必要である。 数々の証言は同志レーニンがその言葉によって人民を惹きつけたと伝えている。聞き手

は高い教育を受けているものだけでなく、労働者や農民も多い。彼らは限定コードを使っ

ている。それを念頭に、同志レーニンは文学的にではなく、芸術的にではなく、形而上学

的にではなく、戦略的に語る。うまく書こうなどという気はさらさらない。しかし、それ

はあの『デイリー・メール』の文体とはまったく、根本的に、本質的に違う。同志レーニ

ンは言語の上でも革命を実行していたのである。 同志諸君、ロシアのフォルマリストが分析している通り、同志レーニンの言語は簡潔に

して明瞭、しかも圧縮されている。語彙は少なく、美辞麗句・大言壮語・空文句・決まり

文句を斥け、伝統的・専門的な単語や新奇な外来語(聞きなれないカタカナ語による「言

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葉のペテン」は日本の保守派に属する政治家の常套手段であるが)を日常の言葉に置き換

える。なんとなく使われている単語の曖昧・惰性が覆い隠しているものを浮き上がらせ、

言葉の用法が本当にそれで正しいのかとお問い直す。同じ言葉であっても、その意味合い

が違うと喚起させたり、入り組んだ事柄を短絡的に言いくるめることを糾弾する。 総じて、同志レーニンの口調は論争的で、悪口雑言は彼の得意とするものである、「左翼

小児病」はその代表であろう。また、()を説明は言うに及ばず、皮肉や機知のためにも多

用する(テレビ番組のテロップやマンガのフキダシに入らないセリフのテクニック!)。 構文は単文の連続であり、流麗なレトリックもなく、躍動的・直線的である。雄弁さや

おしゃべりを拒み、自己陶酔に陥らないように配慮している。また、効果的に、繰り返し

を用い、何回も何十回も何百回もという具合に、数の修飾をたたみかける。扇動的であっ

ても、扇情的ではない。 実践しながら考える同志レーニンは過去の言動に縛られない。原則やスローガンはドグ

マではなく、行動の際の便宜的な指針にすぎない。今、とりあえず役に立つから使ってい

るだけである(スローガンは労働者の意欲を高めるためのものであって、それを守らせよう

と労働者に強いるのは本末転倒である!)。論文の題名は目にするだけですぐに内容がわか

り、時としてぶっきらぼうでさえある。話の枕も置かず、すぐに本題へと入る。また、引

用は極力抑えられている。 それはアドルフ・ヒトラーのまがまがしいカルトな文体とは異なっている(ナショナリ

ストたちや原理主義者たちはその物似をするが)。「言葉のペテン」は同志レーニンの も

嫌うところだ。詐欺師は閉鎖的・硬直的なレトリックを使うものである。彼の文体は、む

しろ、アーネスト・ヘミングウェイの文体に近い。ヘミングウェイは時系列に沿い、簡単

な名詞と動詞を組み合わせた単文の文体を用いている。抽象的な単語を使わなければ、内

面性や複雑さを表すことは難しい。この簡素さにより、登場人物の内面描写や作者の意見

叙述が省かれる反面、行動の記述が主体となり、場面も際立つという効果が生まれる。そ

れは行動派の作家にふさわしい。彼のタイトで直線的なスタイルは、ヴィクトリア朝風の

いささか回りくどく、こみいった文体を駆逐し、ハード・ボイルドの手本となる。同志レ

ーニンの文体も実践と状況に焦点が当てられている。 同志レーニンは、意識的に、人民の言語を使っている。彼らに何かを伝えるためだけに

それを用いているのではない。そうではなくて、ジャーナリズムを含めた政治文書がどの

ように書かれているのか、すなわち政治文書のリテラシーを明らかにするためである。そ

の上で、人民に政治のリテラシーを共に学ぼうと語りかける。 同志レーニンが 後に挑んだ官僚主義との戦いはまさにコミュニケーションにおいて顕

著である(映画『グッバイ、レーニン!』では、目覚めた母親クリスティアーネにまだベ

ルリンの壁があると信じこませるために、息子のアレックスはお決まりのルールに従って

コミュニケーションを繰り返している)。官僚主義の文体は同志レーニンの演説や論文の文

体と正反対である(同志スターリンは、その点でも、いや、この点ではよりいっそう、父

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殺しを行っている)。党はコミュニケーションの組織である。それを自覚し、コミュニケー

ションを利用して、再構築することで、官僚主義と闘争していかなければならない。それ

は同志レーニンの 後の訴えの真意である。 教条主義や日和見主義に陥らず、その都度、マルクス主義的に歴史に自らを位置づけ、

指導、すなわち反省的実践を通じて、総合的・普遍的にコミュニケーションを党により組

織化し、帝国主義に対する革命を挑む。これが現代のレーニン主義者の姿である。 9 ハロー、レーニン! 同志諸君、国を乗っとるよりも、統治し、運営する方が難しい。ほとんどの革命勢力が

政権についてしばらくすると、打ち倒した連中と同様、横暴になり、腐敗していく。革命

運動は対抗勢力とはなりえても、それ以上ではない。一般的にはそう思われている。革命

家は革命という乱痴気騒ぎに浮かれ、日常生活に適応できないは乱し者だというわけだ。

強引に自分たちの思いこみと思いつきを押し進め、おまけに政権を運営していくのには経

験不足で、たちまち経済的に行き詰ってしまう。それは革命運動が政治闘争とのみ理解し

ているからである。革命運動は、何よりにもまして、コミュニケーションの闘争である。

分派闘争が絶えなかったり、原理主義に走ったり、官僚主義に堕落したりするのは、革命

運動がコミュニケーションの闘争であることが見失われているからである。体制というも

のが腐るのはコミュニケーションのレベルでまず現われる。このコミュニケーションの観

点から、同志レーニンのいわゆる外部注入論は省みられなければならない。党による「指

導」とはコミュニケーションの総合的・普遍的な組織化である。 ソ連が崩壊してすでに一五年以上経つ。ロシア革命が「歴史の時間」なら、ソ連崩壊は

「文化の時間」の尺度になりつつある。確かに、共産主義が資本主義を超える体制という

考えは過ちである。しかし、カール・マルクスは原始共産制に言及していたことを思い出

さねばならない。共産主義は人間の共同生活の原点を想起させるものである。資本主義は

特殊な体制である。それは、前資本主義時代と比べて、あまりにも短い歴史しか持ってい

ない。これが唯一無二の絶対的な体制であると考えているとしたら、真に愚かであろう。

資本主義による所有権の一元化による矛盾や窮屈さは世界を疲れさせている。開発経済学

の研究によると、資本主義の前提である近代的所有権が途上国の環境破壊や貧困の原因と

なっている。私的所有を禁止して、国有化するのも一元的所有権の点ではまったく同じで

ある(諸民族の歴史や伝統を無視した国家による社会主義体制への一元化は市場による資

本主義の一元化とあまりにもよく似ている)。マルクス主義者にとってマルクスの思想は入

会的著作物である。近代的な著作権を適用するべきではない。敬意を表し、非商業的に共

有するものである。革命運動が応えなければならないのは労働問題だけではない。環境問

題も極めて重要である。帝国主義の弊害はそこにも及んでいる。前資本主義の知識や工夫

を見直す動きが活発になっている。共産主義は前資本主義の知恵や意義を資本主義の経験

の後に生かす体制である。共産主義が資本主義の後に登場するとカール・マルクスが主張

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したのは、そのためである。 革命とは一夜にして起こるような劇的な変化ではない。ある変容の過程を通過した後、

それ以前に社会が達成してきたり、蓄積したりしてきたものが、あっという間に追い抜か

れてしまうことである。革命の期間が三〇年、五〇年、八〇年、一〇〇年に及ぶことさえ

ある。近代化のための革命は瞬間的であり、目に見えやすかったが、現代の革命は長期に

わたり、目に見えにくい。同志レーニンの示した革命は始まり、今も続いている。それは

コミュニケーションの革命である。 同志諸君、だからこう言おうではないか。”Hello Lenin!”

You say yes, I say no You say stop and I say go go go, oh no You say goodbye and I say hello Hello hello I don't know why you say goodbye, I say hello Hello hello I don't know why you say goodbye, I say hello I say high, you say low You say why and I say I don't know, oh no You say goodbye and I say hello (Hello goodbye hello goodbye) Hello hello (Hello goodbye) I don't know why you say goodbye, I say hello (Hello goodbye hello goodbye) Hello hello (Hello goodbye) I don't know why you say goodbye (Hello goodbye) I say hello/goodbye Why why why why why why do you say goodbye goodbye, oh no? You say goodbye and I say hello Hello hello I don't know why you say goodbye, I say hello Hello hello I don't know why you say goodbye, I say hello You say yes (I say yes) I say no (But I may mean no) You say stop (I can stay) and I say go go go (Till it's time to go), oh

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Oh no You say goodbye and I say hello Hello hello I don't know why you say goodbye, I say hello Hello hello I don't know why you say goodbye, I say hello Hello hello I don't know why you say goodbye, I say hello hello Hela heba helloa Hela heba helloa, cha cha cha Hela heba helloa, wooo Hela heba helloa, hela Hela heba helloa, cha cha cha Hela heba helloa, wooo Hela heba helloa, cha cah cah

(The Beatles “Hello, Goodbye”) 〈了〉

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