ヴァイマルからヒトラーへchiharu/15homepage/小島ホーム...Ⅱ...
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Ⅱ ヴァイマルからヒトラーへ1, 右傾化するヴァイマル共和国
a) トラウマと不安
ア)ヴァイマル共和国の弱体化
i)第一次世界大戦における敗北、皇帝の退位
ii)共産主義革命の脅威、ヴェルサイユ条約の屈辱
iii)連合国への莫大な賠償金
イ)共産主義者は1919年に力ずくで鎮圧
ウ)1923年に極度のインフレ → 金融破綻
エ)社会民主党、カトリック中央党の右傾化
b) ドイツに住むユダヤ人
ア)ドイツに住むユダヤ人 約50万人
→人口の1%にも満たない程度
イ)ユダヤ人はドイツ政界の自由主義左派を支持
ウ)芸術、貿易、銀行などあらゆる分野でユダヤ人が成功
→嫉妬心や羨望からくる反ユダヤ主義の蔓延
エ)1918年以降「民族至上主義的」反ユダヤ主義を掲げる
組織によるプロパガンダの展開
c) ユダヤ人指導者と革命
ア)ユダヤ人には破壊活動革命に走る傾向
初期のドイツ共産主義指導者の多くはユダヤ人
i)スパルタクス団蜂起を率いていた国際主義者
ローザ・ルクセンブルクもまたユダヤ人
イ)1918年から1919年にかけてユダヤ人革命家や急進的な
ユダヤ人に対する暗殺の波
d) 国民社会主義ドイツ労働者党の綱領
ア)1920年代初頭ベルリンに流入したポーランド・ユダヤ人
「オストユーデン」 →ドイツ国内では異端者
イ)1919年ドイツ労働者党の結成「ナチ党」
i)過激な民族至上主義、反ユダヤ主義
ii)大ドイツ国家におけるすべてのドイツ人の団結
iii)ヴェルサイユ条約の破棄、ドイツ領土拡大の要求
2, ヒトラーの思想形式
a) ヒトラーによる一揆
ア)1930年までのナチ党・・・弱小「民族至上主義的」集団
イ)ナチ党の指導者ヒトラー、戦争の英雄エーリヒ・フォン
ルーデンドルフ将軍による政権奪取
→ミュンヘン警察隊の発砲を受け失敗
ウ)ヒトラーは反逆罪により禁固5年の刑
エ)刑に服したランツベルク刑務所で著書「わが闘争」を執筆
→ナチ運動のバイブル、反ユダヤ主義の中心なテキスト
b)シェーネラーの与えた影響
ア)妥協しない人種的な反ユダヤ主義
イ)ユダヤ人の率いる報道機関、社会民主党への憎悪
ウ)ゲルマン的な指導者崇拝→ドイツ式挨拶「ハイル」の導入
c)ウィーン市長カール・ルエーガー
ア)反ユダヤ主義を巧妙かつ煽動的に利用
i)経済危機に面した下層中産階級が資本主義に対する憤り
ii)東方ユダヤ人に対する外国人嫌悪の感情
エ)これらの感情を大衆動員する道具として利用
d)作曲家ワーグナーの与えた影響
ア)ドイツ民族主義の作曲家
i)ユダヤ人は近代文明のやましい心の象徴
ii)人類を衰退させる悪魔の象徴
→ 著書「我が闘争」でワーグナーに同調
e)ヒトラーがウィーンで見たもの
ア)カフタンを着た正統派ガリツィア・ユダヤ人
i)ユダヤ人は異質 → ドイツ人とは呼べない
ii)反ユダヤ主義のパンフレットからユダヤ人問題を意識
iii)冷酷なほど合理的な反ユダヤ主義者へと変貌
f)「我が闘争」に見るヒトラーのユダヤ観
ア)社会ダーウィン主義の原理
i)「人種的な純血」への執着
イ)ドイツ民族の場合
i)東方に更なる生存圏 → ソ連から領土の奪取
ウ)ユダヤ的マルクス主義の原理に対する総力戦
i)民族と人種の重要性の否定
ii)個人の価値の否定
iii)永久不変の自然の法則を否定
g)ユダヤ=ボリシェヴィキ思想
ア)戦争、革命、ユダヤ人
i)ユダヤ人は宗教的な集団ではなく人種
ii)ユダヤ人の活動は諸民族にもたらされる結核
→ 最終目標は徹底的なユダヤ人の排除
イ)ヒトラーの演説
i)ユダヤ人に対し冷酷で体系的な方法をとる必要性
ii)ユダヤ人を公務、出版などから追放する必要性
iii)ドイツの文化と経済からユダヤ人の精神を排除する必要性
iiii)ユダヤ人の政治的権力を阻む必要性
ウ)ユダヤ人とボリシェヴィキ・ロシア
i)知的上流階級の殲滅
→ 指導者不在となった支配者の地位にユダヤ人
ii)ボリシェヴィキ・ロシアにおいて3000万人に対する拷問
iii)ユダヤ人に対する恐怖の植え付け
→ ユダヤ人侵攻を阻止するための国民社会主義運動
h)血と人種についての病的な固執
ア)ユダヤ人は劣等人種、害虫 → 堕落した血の持ち主
イ)ドイツのアーリア人とは正反対の存在
エ)反ユダヤ的出版物の編集者ユリウス・シュトライヒャーの主張
i)性病を「ユダヤ禍」と命名
ii)ユダヤ人が儀式殺人のためドイツ人の子供を誘拐
iii)性交渉によって故意にドイツ人女性の血を汚染
3、ナチ党の台頭
a)ドイツ人が共有した反ユダヤの妄想
ア)第一次世界大戦敗戦による影響
i)多くの元兵士たちは共和国と民主的な政治家を軽蔑
ii)敗戦の原因はユダヤ人にあると主張
iii)状況を打破するのは反ユダヤ主義
b)ナチ党が人の心をつかんだ理由
ア)ドイツに大恐慌の影響が出始めた1929年以降
i)ナチが地方や都市の中産階級に浸透
→32年7月に230議席を獲得
イ)万人向けの民族共同体
i)地域、階級、宗教、党の障壁を超越
ウ)プロパガンダの調整
i)反ユダヤ主義の緩和
ii)失敗が明らかな議会制民主主義の排除
iii)経済生活の再建
c)ナショナリストとナチの連合
ア)1932年11月の選挙
i)ナチの得票数が減少
→国会の議席が230議席から196議席に縮小
イ)中央党の政治家パーペン
i)ヒトラーを利用し自らの野望の推進
→首相シュライヒャーの席の奪還
ii)ナショナリストとナチの連合
4、 ナチ支配の確立と反ユダヤ政策の強化
a)ヒトラーの首相就任
ア)ヒトラーの権力掌握
i)政敵やユダヤ人に暴力的な政策の実施
ii)職業官吏再建法→非アーリア人を公務員から追放
iii)34年末全ユダヤ人弁護士の70%と公証人60%が免職
iiii)35年半ば、ユダヤ人医師の半数が免職
→ 5年後には全ユダヤ人医師の追放が完了
b)文化人の追放と焚書
ア)ユダヤ人研究者、芸術家、ジャーナリストの追放
i)約4万人のユダヤ人が亡命
イ)全国文化院
i)1933年9月ゲッベルズが新設
→ユダヤ人を劇場、映画、音楽から追放
ウ)ベルリンでの焚書
i)非ドイツ的文学、ナチイデオロギーに反する書の処刑
ii)「ユダヤ人の仰々しい知性偏重の時代の終焉」
c)ユダヤ人の国外流出
ア)亡命先でのユダヤ人
i)亡命先のほとんどは経済的に不況な隣国
フランス、ベルギー等
ii)ドイツ当局による財産の没収
→亡命したユダヤ人は困窮
5、行き場を失ったユダヤ人
a)ヒトラー独裁政権の完成
ア)1936年ベルリンオリンピック
i)ドイツチームにユダヤ人の参加
→ 反ユダヤに対する国際的な批判を回避
イ)1938年2月、貴族的保守主義の代表者からの解放
→ 軍隊と外交を掌握
b)オーストリア併合の余波
ア)1938年3月オーストリア併合
i)ウィーンにおけるユダヤ人への威嚇
ii)ユダヤ人の事業の没収、ナチによる略奪
iii)オーストリアの反ユダヤ主義の再燃
c)ユダヤ人受け入れのためのエヴィアン会議
ア)ユダヤ人はナチ・ドイツから他国へ移住
イ)1938年エヴィアンでの国際会議
→ 追放されたユダヤ人に対処
ウ)アメリカ、イギリスがユダヤ人受け入れ拒否
→ エヴィアン会議の失敗
d)ナチがエヴィアン会議の失敗に見たもの
ア)茶番に終わったエヴィアン会議
i)「民主主義国(特にアメリカ、イギリス)はユダヤ人への同
情を漏らしながらいざ助けるとなると薄情で冷淡なのは恥
ずべき光景である。」
イ)ユダヤ人救援の姿勢を示さない西欧諸国
→ ナチの反ユダヤ主義を批判できない状態
ウ)ユダヤ人問題はドイツの内政問題