ヴォルテール小説の発展 : 『自然児』を頂点とする …...Hitotsubashi University...

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Hitotsubashi University Repository Title � : Author(s) �, Citation �, 38(6): 567-585 Issue Date 1957-12-01 Type Departmental Bulletin Paper Text Version publisher URL http://doi.org/10.15057/3878 Right

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Hitotsubashi University Repository

Title ヴォルテール小説の発展 : 『自然児』を頂点とする

Author(s) 高橋, 安光

Citation 一橋論叢, 38(6): 567-585

Issue Date 1957-12-01

Type Departmental Bulletin Paper

Text Version publisher

URL http://doi.org/10.15057/3878

Right

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、,

ヴオ

テール小説の護展

ノレ1ll『自然見』を頂黙とする||

グ才Jレテーノレ小説の雪量展

現代の作家にして自らの作品に「折口事的小説」という

レッテルが興えられることを最高の名春とみなす者が何

人あるだろうか。彼らのほとんどはそこにいさL

かの軽

蔑を感ずるはずである。なぜなら彼らは現代における哲

撃の樺威の著しい失墜を知っているからだ。しかし作家

が「哲皐的小説」と稽せられることをむしろ誇りとした

時代もあった。すなわち哲事が組大な樺威を獲得してい

た或いは少くとも組大な希望を約束していた時代もあっ

たのだ。グォルテールの生きた十八世紀フランスはそう

した時代に属する。したがってそれは「哲率的世紀」と

(21)

ー、司巴、司』、

/

.......... EヨI司

.........,色

も呼ばれている。こうした意味から、自らの作品に好ん

で「哲撃的小説」と副題したグォルテールはまさしく時

代の作家であったはずである。しかしそれは直ちに彼が

哲撃者でもあったということではない。『哲事辞典』(初

版一七六四年)の内容が示すように彼は哲率的簡系を棋如

していたばかりでなく哲率的思索においても浅薄であっ

たからだ。

「私は常日頃こう考えてきた、スピノ1ザはしばしば

彼自身ですら自らを理解しなかったし、それ故にこそ世

の人からも理解されなかった、と。」(『哲拳辞典』の「紳」

の項〉こ

うしたスピノ1ずにたいする見解一つを取りあげて

1567

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(22 )

も、グォルテール哲撃の通俗性は明瞭であろう。しかし

スピノlザが異端として狂信陣営から非難される時は敢

然として彼を擁護するグォルテールを見のがすことはで

きない。

「スピノ1ザよ、貴方はたしかに唆昧である。しかし

貴方は世間で言うほど危険であろうか。私は否と主張す

るOi--危険な著者とはいかなる人物か。それは宮廷の

閑人や貴婦人連に讃まれる著者である。」

グォルテールによって考えられた哲拳および哲事者と

は事問的であるよりは常識的であり、理論的であるより

は貫践的であったのだ。

第六競第三十八巻ー橋論叢

「ジャン・クャック(ルソ1〉は童日かんがために書い

たが、私は行動せんがために書くのですに(グェルヌ氏

宛書簡、一七六七年四月廿五日付)

ルソ

1にたいする曲解は許されないが、グォルテール

の貫践的性格は充分評債されよう。したがって一般に啓

蒙思想家と稽せられる彼の思想原理は行動の哲撃にあっ

たと言えよう。

J

だが彼の思想的情熱を重視して、それを彼本来の姿と

思いこむことは、大いに問題であろう。虚女作『エディ

J ~

t ..r

ープ』(一七一八年〉をたずさえ古典主義悲劇作家として

文壌に登場したグォルテールは晩年の『イレ

1ヌ』(一七

七八年)にいたるまで自らの才能は舞墓における詩作に

ありと信じっピけたのである。

「拳窓より巣立つ青年は騨護士、醤者、神撃者、詩人

のいずれになろうかと思案する、彼はわれわれの財産、

健康、霊魂、悦柴のいずれに取組もうかと思案するもの

である。」(『哲拳辞典』の「詩人」の項)

また『百科全書』の寄稿家たちもグォルテールの名を

引用する場合にはほとんど例外なく「ラ・アンリア1ド

の作者」(『ラ・アンリアlド』はグ才ルテール初期の傑作叙

事詩)と伎を呼んでいる事貫は、世評もまた彼を偉大な

詩人とみなしていた讃左である。韻文から散文への移行

は決して困難ではなかろう。しかしずォルテールが小説

らしきものを書きはじめたのは一七四六年の『浮世のす

がた』が最初であり、作者五十二歳の時であるのは、彼

の文率的情熱があくまで韻文に向けられていたことを物

語ってはいまいか。すなわち彼の「哲撃的小説」なるも

のが彼の文撃的執着においてはやはり第二義的地位に留

っていたことを示してはいないだろうか。さらに強くき

¥-

4・

568

区一

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グオノレテーノレ小説の殻展

めつけるならば、グォルテールは自らの小説家としての

才能に自信をもっていなかったのではなかろうか。有名

な『マノン・レスコォ』の作者アベ・プレグォにたいす

る次の彼の評言は以上の疑問にいささかの解答を興えて

くれそうである。

「私が今までアベ・プレグォについて述べてきたこと

は彼の不運を惜しむためでしかなかった。それは彼に悲

劇(グォルテールの揚合は古典主義的韻文悲劇)を作って欲

ミジョン

しかったという私の希望に他ならぬ。なぜなら情念の言

語こそ彼天性のそれであるからだ。」

この評言からは少くともこうの(或は矛盾した)結論が

引出される。第一はグォルテールが小説を第一級の文事

とみなしていなかったこと、第二は彼が自らの小説家的

才能において他に譲らざるをえなかったこと、である。

だが人間グォルテールの文率的情熱もしくは自負を知る

者にとっては第一の結論しか認めることはできない。そ

れが客観的にいかに誤っていようとも。しからばそうし

たグォルテールの文率的自惚と知りつ

L

も敢えて彼の

「哲率的小説」を論ずる所以を尋ねられるならば、私は

こう述べよう、作家が不得意とした領域において彼を論

(Z3 )

-、占

, ,議

ずることは彼が得意とする領域において彼を論ずること

に劣らず作家の本質を把握できそうに思えるからであ

"。、vζ

グォルテールの小説(各版によって多少兵るが、プレイア

1ド版では廿六篇が牧められている)の中より年代順に『ザ

ディ

1グ』(一七四八年)、『カンディ

1ド』(一七五九年〉、

『自然見』(一七六七年)、『パピロンの王女』(一七六八年)

の四傑作を取上げて彼の小説の特色および麗化をたどっ

てみよ注フ。

『ザディ

1グ』はパピロンの賢者ザディ

lグの敷奇の

運命の物語である。昔時やはりパピロンを舞蓋とする悲

劇『セミラミス』(一七四八年初演)を手がけていたグォ

ルテールが他方こうした東方物語を書いたのは偶然では

ない。『セミラミス』は論敵クレピヨンの同名の悲劇へ

の封抗作品とみられるが、それは皐なる競争心によるも

のではなかった。ヨ

1ロy

パ・キリスト教枇舎における

狂信に生涯挑戦しれJYけ、すでに『マホメ

yト』(一七四

一年初演)を殻表せるグォルテールは、ヨ

1ロyパを超

.569

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えた世界にたいし趣味以上の閥心と智識をいだいていた

のだ。彼における「東洋」は「西洋」を批判するための

手段であり理想でもあった。したがって『ザディ

1グ』

は近東的趣味に彩られた菰刺小説となった。

すぐれた資質と財産に恵れ、情念を抑える術を心得ワ

つも人間の弱さを角ぴ、自然撃および形而上拳に通じ、

ゾロアスターの教えに忠貫なパピロンの青年ザディ

1グ

は「人間のなりうるかぎりでの賢者」であった。ザヂィ

1グという名はアラピヤ語で「正しき人」を意味する。彼

の最初の轡人として登場するセミlルは『セミラミス』

の女主人公の名を連想させる。物語はまずこの二人の轡

人切聞に生じた不運な出来事から始められ、セミ1ルは

美貌と身分と財産に恵れているが、彼女に横轡慕する貴

族オルカンが轡人ザディ

1グを傷害して片輸にするや、

彼を捨ててオルカンに走る無節操な女性として描かれ

る。幸にも片輪にならずにすんだザディlグはやがて町

娘アゾラと結婚する。だが彼女もセミ1ルに劣らぬ浮気

女であった。失望したザディ

1グは「紳がわれわれの眼

前に置いたこの偉大な書物(世界)の中で謹書する我人

にまさる幸一耐はない」と信じて専ら勉皐に尉む。だが聴

(24 ) 第六銃第三十八巻一橋論叢

- ,1~ r

手与

J

明が彼に災を招き、善良が彼に悪を招き、幸掘が彼に妬

を招く。園王の寵を得て大臣となり、とりわけ王妃アス

タルテの愛を得たずディ1グは宮廷人たちの嫉妬と陰謀

によってパピロン退去をよぎなくされ、やはり宮廷を逃

れる王妃と同様に、幾多困難の待ち受ける雷なき援にの

ぼる。そして二人は最後に結ぼれるまで運命のいたずら

に翻弄されワピけるのだ。

もちろん『ザディ

lグ』の良債はこうした「すれ違い

小説」の筋書の興味にあるのではない。グォルテールが

そこで追究したものは、あくまで人間の幸繭であり、そ

れを阻む人間の悪徳にたいする調刺である。「グォルテ

ールは生きた人聞を描くことができなかった」とは特に

殺の小説にたいする最大の非難である。たしかにそれは

『ザディ

1グ』についても言える。神のごとき叡智を有

するザディ

1グは最初から穣愛などできる人物ではな

い。それは理性という名のマリオネットに他ならない。

だが反面ランソンも指摘したように「マリオネットの世

界ほど人間の心理を強く訴えてくるものはない」という

建設も信ぜられよう。「書物の大字は讃者によって作ら

れるものだ」と述べるグォルテールは敢えてマりオネy

570

島一一一一

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グオノレテール小説のき重展

ト世界に藷口して員貫を描こうとしたのだ。だがそれが

近代的心理小説からはるかに遠い作品であったことは否

定しえない。

パール大撃のワルトプルグ教授は奮著『フランス語の

進化と構造』の中で『ザディ

1グ』より一節を引用し、

それをルソ

1の『新エロイIズ』の一節と比較し、いか

にグォルテールの文瞳が不整であり律動に依けているか

を論詰しているがご九五

O年、第四版、二一一一

1|二二五

頁)、この比較はあまりにも濁断的である。『ザディ

l

グ』はマリオネット小説を殊更に意園した作品であるば

かりでなく、『新エロイ1ズ』と比較さるべきなんら共通

の文拳的思想的基盤をもたないからだ。もし時代を超え

ることが許されるならば、それはむしろアナトIル・フ

ランスの『パルタザ1ル』のごとき小説に比較さるべき

であろう。雨作品の間目頭をそれぞれ引用してみよう。

「モアプダlル王の頃、ザディ

16グといふ一青年がパ

ピロンに住んでいた。彼のすぐれた資質は教育によって

培われた。金持で年も若かったが、彼は自己の情念を抑

えることができた。彼は何事にも動じなかった。しかし

彼は常に冷静であろうと望んだわけでなく、人間の弱さ

(25)

込!ll';-~

を向ぶことも知っていた。」(『ザディ1グ』)

「その頃、ギリシャ人からサラシンと呼ばれたパルタ

ザ1ルがエチオピアを治めていた。彼は色こそ黒いが目

鼻立ちはすぐれていた。彼は素直な精紳と寛大な心情の

持主であった。」(『パルタザ1ル』)

この二つの作品は小説的偲構および文憧のみならず思

想内容においてもかなり類似している。だが雨作品を讃

み了った後には、グォルテールの生硬な観念性とフラン

スの典雅な審美性が微妙な封照として印象づけられるは

ずである。そこに受けとめられた抵抗感はたしかにグォ

ルテール文事の特質であり、長所とも短所ともみなされ

うるものだ。しかし比較において作品の本質は決定され

ない。もし比較によるとすれば同一作者の作品聞のそれ

によってのみ彼の本質をうかがうことはできよう。

『ザディ

1グ』より『カンディ

lv』への愛展とは、

従来のグォルテール研究家が例外なく取組んできたテー

マである。彼らはこの二小説の聞にグォルテール思想の

決定的措型化を認めようとつとめてきた。たしかに『カシ

571

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(26)

ディ

1ド』の作者は『ザディ

1グ』のそ札とかなり異っ

た環境に移っていた。個人的には、十年来の轡人シャト

レ公爵夫人の死亡(一七四九)が彼に興えた打撃は大き

かった。愛するエミリ

1

(彼は夫人をそう呼んでいた)を

失ったグォルテールは以前から文通していたプロシヤの

フリードリッヒ大王の招きに底じて一七五

O年ベルリン

に赴いた。この自ら「無憂点人」と稽する北方の啓蒙君

主がグォルテールに或る種の期待をいだかせていたであ

ろうことは容易に想像されうるが、ポツダム宮に生活を

共にした現貫のフリードリy

ヒはやはり彼にとって一介

の専制君主に他ならなかった。ペルリン・アカデミー院

長モ

1ペルチュイにたいするグォルテールの非難(『アカ

キア博士駁論』一七五三牛〉は雨雄の聞に決定的分裂をも

たらし、一七五三年グォルテールは石もて追われるごと

くベルリンを去ってライプチヒ、ゴ

1夕、ブランクフル

ト、シュグェチンゲン、

第六競第三十八巻一橋論叢

コルマ

1ルを経て一七五四年十

二月ジュネ1ずに到荒した。彼のジュネlグ滞在は『カ

ンディ

1ド』出版後フェルネ1に移り住むまでつピけら

れる。吐曾的には、一七五六年五月に勃費した七年戦争

ゃ、その前年に起ったリスボン大地震を挙げることがで

Lノ

.... ,

きる。この人災と天災は六十歳を超えたグォルテールの

みならず全ヨーロッパの知識人たちに少からぬ動揺を興

えているのだ。プランデスは名著『ゲーテ研究』の中で

こう述べている。

「ゲ1-ずが七歳の時、七年戦争が勃殻し、一七五六年

フリードリッヒ大帝はシュレエジエンに侵入した。今や

近隣諸園のみならずドイツ自身も二つの黛汲に分裂し、

一方は大一帝に興し、他方は反劃した。ゲ1テの祖父はフ

ランクフルトの陪審員として戴冠式の際アランツ一世の

天蓋を捧持し、皇后から宵像ワきの重い金鎖を拝領したー

ことがあるので、娘や婿の二・三の人と共にオ1ストリ

ヤに左担した。ところがアル七世によって帝室評議員に

任命されたゲ1テの父はプロシャに味方したのである。

そこで日曜日の家族の固撲はまもなく乱れ、討論が起

り、・争いが生じ、いたましい場面が展開された。また一

七五五年には大グォルテールに起ったことが、この少年

(ゲ

1

テ)にも起った。すなわちリスポンの地震は慈愛

の神にたいする彼の堅い信仰を動揺させたのである。」

ゲーテが生涯グォルテールに寄せていた等敬の念はこ

うしたヨーロッパ人共通の精神的苦悩を背景としてはじ

)--'

572

民L

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グオJレテール小説の殻展

めて納得される。

以上の個人的批舎的事件がグォルテールにかなり大き

な思想的襲革をよぎなくせしめたであろうことは、小説

『カンディ

1ド』によって明白である。こL

でグォルテ

ールの論敵ルソIの衣の言葉(『告白録』巻九)は『カン

ディ

1ド』の成立に有力な根操を示してくれる。

「すべてがカを合せて私をこの暢気な集狂い沙汰の夢

想から引張り出そうとしているように思えた。リスボン

の壊滅を詠じた一冊の詩篇(グォルテール作『リスポン震

災に闘する詩』〉を受取った時、私はこの病気から十分に

快復してはいなかった。この書物は著者(グ寸ルテーと

から私に逸られたものと想像した。それで著者に挨拶か

たがた、作品について一言する義務があると考えた。私

は手紙を書いてそれを貫行した。:::この著者がやはり

一切は悪であると考えているのを見て心打たれた私は、

気の毒なこの人を本来の彼に蹄らせ、一切は善であるこ

とを彼に誼明しようという無分別な計査をいだいた。グ

ォルテールは常に紳を信じているように見えながら、貫

際は悪魔しか信じたことはなかったのだ。:::その後グ

ォルテールは返事を護表したが、私には諮ってこなかっ

(Z7)

た。この返事とは、他ならぬ小説『カンディ

1ド』であ

るが、私は讃んでいないから、それについては語れな

ぃ。」グォルテールがリスボン大震災をいかなる意闇を以て

『カンディ

lド』の中に取材したかはルソ

1のかなり手

前勝手な告白と決して無関係ではあるまい。ライプニ

y

ツの強定調和論を信じこませられている主人公カンディ

lドはたしかにルソ

1に嘗てつけたとも言えよう。だが

それが皐なる個人をモデルにした作品であったとしたな

らば、個人攻撃に敏感なルソーをして「私は讃んでいな

いから、それについては語れない」などとシラをきらせ

てはおかなかったはずである。それが傑作であることは

ルソIの故意の沈黙の誼明するところである。

こうしたグォルテールの個人的批曾的鵠験から生れた

『カンディ

1ド』は『ザディ

lグ』といかなる面におい

て襲化後展を遂げていたのであろうか。「慮はウエスト

フォリア、領主ツンダ

1・テン・トロンク殿の館に、生

来気だての良い一人の青年が住んでいた。顔づきからも

そうした心根は察せられた。気性も至極さっぱりとして

いて、分別も中々であった。カンデイ

1ドという名前も

fi73

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(28)

けだしそのためであったろう。」

第六貌

この書き出しは『ザディ

1グ』のそれ&五十歩百歩で

ある。また主人公カンディ

1ドが舘の姫君キュネゴンド

と結ぼれるまでの所謂「すれ違い小説」的筋書も同一で

ある。だがザディ

1グの幸一踊を阻んだものは浮気、嫉

妬、食欲、野心等々の個人的悪徳であったのに、カンデ

1ドの幸踊を阻むものは血統、地位、戦争、狂信、宗

教裁判、汲閥封立、等々の一位曾的悪徳となる。作者が

『カンディ

1ド』において粉粋しようと欲した障害は

『ザディ

1グ』におけるよりはるかに強大であった。し

たがって彼はこの超人的障害を超魁させるために主人公

にいきおい超人的性格を興えなければならなかった。そ

れが『カンディ

1ド』の異常な迫力となって成功してい

るのだ。これは言いかえれば作者の調刺精神が個人より

駐舎へと強烈に韓化して行ったことに他ならない。

またカンディ

1ドが首尾よく最後に再曾した轡人キ耳

ネプンド姫はもぬや昔日の美貌をまったく失った九婦で

あった。しかもなおカンディ

lドに愛されていると思い

つピける彼女にカンディ

lドは始めて深い幻滅の悲哀を

感ずる。これは王妃アスタルテにたいするザディ

1グの

第三十八巻一橋論叢

五戸

P

絡始獲らぬ愛情と比べて興味深い結末であるばかりでな

く、懸人シャトレ夫人に裏切られた(彼女は詩人サン・ラ

ンペ1

ルと情交をもっにいたる)グォルテールと、彼女との

轡に酔い痴れていた十年前の『ザディ

1グ』時代の彼と

の間の、大きな掛型化を物語るものである。

おそらく讃者は『カンディ

1ド』のうちに『千一夜物

語』や『イソy

プ寓話』をはじめ『桶物語』や『ガリグ

1強行記』からの模倣を多数見出すであろう。こうし

た先人の模倣にみちた『カンディ

1ド』がなおも濁特の

魅力をもちえたのは、まさしくグォルテールの思想と文

腫に鴎せられうるであろう。とりわけグォルテール濁自

の表現形式に負うことに注目すべきである。第十八一軍

「エルドラvh1園」に到達したカンディ

lドは、僧侶の

存在を認めぬ老人に向ってこう述べている。

「おや、それでは(エルドラド1

図には)坊さんはいな

いのですか。教え、議論し、支配し、陰謀をたくらみ、

意見の遣う人を焼殺す坊さんは。」

「教える」と「陰謀をたくらむ」あるいは「焼殺す」

とは矛盾した概念内容である。しかもグォルテールはこ

うした反封や矛盾を好んで接績詞なしに並列する。「敬

1

4 、r

574

他一一一一一

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グォルテーノレ小訟の殻展

度な狂気」、「有徳な暴力」とはグォルテールがもっとも

得意とした用語である。これは決して語呂の遊戯ではな

く、封象そのもののうちに存在した矛盾の率直な表現で

あったのだ。エミ

1ル・ファゲはグォルテール思想の性

格を「明確な鶴念の混沌」と断じているが、おそらく彼

はグォルテールの表現形式の矛盾をグォルテール自身の

矛盾と解したのにちがいない。

「だが私たちの畠を耕さねばならない」とは『カンデ

ィ1ド』の最後の言葉であり、一世の名伺としてたえず

繰返されてきた。そして多くの批評家たちがそれを様々

に解揮した。或る者はそこに「隠遁への希望」を、或る

者は「勢働への讃美」を、或る者は「エデンの園」を、

見出しうると信じた。一般に作者は結語に苦しむもので

あるが、批評家や讃者をして作者自身以上に苦しませる

ことができうるならば、その結語は成功であったと言う

ことができよう。その意味においてグォルテールは『カ

ンディ

Iド』に見事な結末を興えたわけである。

私はこの見事な結語を詳細に検討する紙面をもたない

ので、こL

では私の立論の仕方に従って『ザディ

lグ』

の結末と『カンディ

1ド』のそれとめ各々の特色と両者

41

の相異を指摘するにとピめる。すなわち「パピロンに還

れ」と告げる白髪の隠者(賓は天使)の員意を信じかねて

「しかし」BPUを繰返すザディ

1グは希望と不安の葛

藤から股し切ることができなかった。しかしカンディー

ドはもはや狐疑逸巡しない。なぜならば、前に奉げたカ

ンディ

1ドの結語は最後には乙めて気まぐれに置かれた

ものではなく、その前頁でそのまL

そっくりの形で見出

される、すなわち「だが私たちの畠を耕さねばならない」

という結語は、これからの自分たちの生き方にたいする

不退韓の決意の再確認であるからだ。雨作品の結末はこ

の貼において作者の思想的成長過程のニつの重要な目盛

'を示しているようである。

一六八九年七月十五日の夕方、「お山の聖母」修道院長

アペ・ド・ケルカポンが妹のケルカボン嬢とサン・マロ

海岸を散歩していると、一般の小舟が入江にはいってき

た。食料品を賓りこみにきたイギリス人である。彼らは

上陸しても借院長や妹に目もくれなかったが、一人だけ

そうでない若者がいた。彼はケルカポン嬢に無雑作に頭

575

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( 3D)

を下げた。長髪をまきつけた頭は無帽、腔もむき出し、

足には小さなサンダルをはき、刺子の胴着をきっかりと

着こんだ勇壮優美な姿は、兄妹の注目を惹いた。彼は持

参した酒を二人にすL

め自分も飲んだ。そのいかにも気

取らぬ態度にすっかり魅せられた二人は、彼に、何者で

何慮へ行くかと尋ねた。すると彼は、自分は何も知らぬ

が、物好きだから、フランス海岸がどうなっているかを

見たかったが、もう見たからには障るつもりだ、と答え

る。

第六競

これが自然見登場のあらましである。主人公の描寓は

ずディ

lグやカンディ

1ドのそれと異り具盟的詳細にわ

たる。すなわち自然見はもはや観念ではなく人間であ

り、それも思いきり素撲な人間である。彼がいかにして

轡愛し、挙問し、反抗するか、ということが『自然見』

の大筋である。

自然見は自らヒュ

1ロン人(北アメリカの土差民)と信

巳且つ自稽していたが、貫はカナダに出征したまL

音信

を絶ったアペ・ド・ケルカポンの兄ケルカポン将軍夫妻

の忘れ形見であることが分る。いまや叔父叔母となった

ケルカボン兄妹のすL

めでキリスト教徒になることを承

,Y"

}戸

ぞー

諾した自然見はケルカポン嬢の友サン・ヂ1グ壌を代母

として洗躍を受ける。ところが自然見はこの代母にたい

する轡の洗櫨も受けてしまう。彼は或る日サン・チーグ

嬢の寝室に侵入して彼女に結婚を迫る。強の叫びでかけ

つけたサン・チ1ヴ僧正は事の重大さに驚き、代官と相

談して娘を尼僧院に送りこんでしまう。自然見の不幸は

こL

から始るのだ。代母との結婚は許されないと叔父叔

母より言われた自然見はパリの園王に直訴に赴くが、却

って宮廷人の好計でバスチーユに投獄される。他方、尼

僧院より還されたサン・チーヴ嬢はバスチーユに捕われ

ているという自然見を救い出すために自らグェルサ1ユ

に赴き、自らの操を犠牲にして彼を救い出す。自由の身

となった自然見から妻と呼びかけられた時、サン・チー

グ壌はすでに死の床にあった。

グォルテールは小説のみならず戯曲においても態愛を

主題とすることを好まなかったし、また穣愛宕描くこと

において無能を暴露した。だがあくまで皐なる背景にす

ぎなかった自然見とサン・チーヴ嬢との轡愛は『ザディ

1グ』や『カンディ

1ド』における轡愛とかなり趣きを

異にしていることに注目すべきである。ザディ

1グと王

\~

-‘ 〆

576

臨ι一一

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妃アスタルテ、ヵンディ

lドとキュネゴンド姫は愛し合

ってはいても、運命の障害に挑戦して彼らの態愛を成就

しようとはしなかった。だが自然見は突進する。また相

手のサン・チlグ嬢も彼に勝るとも劣らなかった。彼女

はアスタルテやキュネゴンドのように手を扶いて識人の

到来を待つ無能怠惰な女性ではなかった。こうした情熱

が弐のような烈しい官能的欲望によって支えられていた

ことも賞然である。

「自然児を寝室に案内してから、ケルカポン嬢と友サ

ン一・チlグ壊は、ヒュロン人がどんな寝方をするか、大

きな鍵穴から覗かずにはいられませんでした。二人は彼

が蒲画を床板の上に展ぺて世にも美しい恰好で休んでい

るのを見ました。」(第一章)

「ケルカポン嬢とサン・チーグ嬢は小さなランス河の

ほとりに生えた柳と藍の問をさまよいました。すると川

の真中にかなり色白の大きな姿(自然見の裸身)が雨手を

胸の上に組んで突立っているのを認めました。二人は大

きな叫ぴ墜を出し逃げました。だが結局、好奇心に負け

た二人はそヮと藍の聞に身を忍ばせました。そして誰に

も見られる心配がないと分ると、一題何事なのかと見た

くなりました。」(第三章)

こうした性の(特に女性の側からの)描寝はディドロの

『プlガンピル強行記補遺』(一七九六年)に登場する土

人の女たちが白人の強行者の内慣に寄せる関心と同様に

女性の快柴への正官率直な欲求を是認しているようであ

る。それは十八世紀の女性たちがいだきはじめていた性

の解放の反映でもあろうか。だがそれにもまして自然見

が轡人サン・チーグ嬢の寝室に躍りこんで結婚をせまる

場合一はおそらく本小説中の塵容ともいうべきものであろ

‘Aノ。

「自然見は到着するや否や召使の老婆に態人の居間を

尋ね、しまりの悪い扉を押しあけ、震基の方へ馳け寄り

ました。サン・チ1グ嬢は目を畳して悲鳴をあげまし

fこ。『まあl

貴方l

お止しな

貴方ですの!あらー

さい!何をなさるんです。』

彼は答えた。

『貴女と結婚するんです。』

そしてもし彼女が教育ある女性のたしなみを充分に費

揮して懸命にもがき抵抗しなかったならば、被は貫際に

577

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第六競

彼女を妻にしてしまったかも知れない所でした。

自然見は酒落や冗談を解しませんでした。彼はこの気

取った彼女の態度にひどく不満でした。

『私の最初の轡人アカパカちキんはこうではなかっ

た。貴方はすこしも率直な所がない。貴女は私に結婚の

約束をしたが、結婚の意志がないではありませんか。そ

れは貞女の第一の捉に背くものです。私が貴女に約束を

守ることを教えてあげましょう。貴女を婦徳という本道

にもどしてあげましょう。』

自然見は、洗轄の時に興えられた名前の主である彼の

守護紳ヘラクレスにふさわしく、男性的で大臆な徳力を

備えていました。そこで彼はこの力をひろく全面的に彼

女の上に行いかけたのですよ

もちろんグォルテールは自然見の態度を野蕃人の率直

な衝動として文明人のそれに封置しようとしたのではな

い。それは自然見の名に仮託された新しいヨーロッパ人

の理想像であったのだ。なぜなら自然見はヒュ

1ロン人

に育てられたが純粋のフランス人であり、あらゆる偏見

から解放されてはいるが「英需のラプレーとシェクスピ

ヤを少々讃み、シェクスピヤは暗諦している」(第八章)

第三十八巻

:r戸

F

F

からである。

こL

に何気なく而も営然のように引用されているラプ

レ1の名はグォルテールにとって重大な意味を有する。

従来、彼はラプレ

Iにたいしてかなりの偏見と軽蔑を示

してきた。彼は有名な『哲拳書簡』の中でスイフトとラ

プレーを比較して弐のように述べている。

「スイフトとラプレーは同じく司祭であり、しかも一

切を噺弄するという評剣が高い。だがラプレーはその世

紀を凌駕しえなかったが、スイフトははるかに凌駕して

いる。わがムードンの司祭(ラプレ1)

は、その途方もな

く需の分らぬ書物の中へ、底抜けの陽指摘さとこれ以上な

い魚たい放題言いたい放題をばらまいた。彼はこれでも

かこれでもかと博識、狼談、欠伸の出る話をひけらかし

た。:::この全作品を理解し評債しようと気負うような

人は飴程へんな趣味をもった一部の人だけであろう0

・:

・:あれだけエスプリのあった男がそれをこんな、あさまし

いことにしか使わなかったことを、人は忌々しく思う。

伎は酔いどれ哲事者であり、酔捕った時しか物を書かな

かった。スイフト氏は正集の時の、そして上品な附合い

仲間のラプレーである。彼にはもちろんこの先生の陽気

¥.-

578

比」

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さはないが、わがムードンの司祭に扶けている繊細さ、

ことわり、選捧眼、良き趣味を完全に具えている。」

このようにラプレーを考えていたヴォルテールが彼の

愛する自然見の数少い讃書のうちにシェクスピアと並べ

てラプレーを置いたことは重大な盤化である。しかもそ

れは偶然そこに置かれたのでない、なぜなら作者は『自

然見』第一章でアベ・ド・ケルカポンの人物をこう描い

ているからだ。

「彼は紳撃も相官に心得ていました。そして聖アウグ

スティヌスを讃みあきた時はラプレーを讃んで柴しみま

した。だから彼のことを良く言わない者はありませんで

グォルテール小説の殻展

した。」

ラプレーにたいするグォルテールの考え方に費化があ

ったことは疑う館地がない。しかも弐に引用する書簡か

らすれば、その麓化の時期はかなりはっきりと推測でき

るであろう。

(33 )

「私は『クヲリサ』(リチャードソン作)の後で、ラプレ

ーの何章かを讃みかえしてみました。私はラプレーをホ

ラティウスに比肩させるつもりはありませんが、もしホ

ラティウスがすぐれた書簡詩の先駆者であるとすれば、

ラプレーはすぐれた滑稽謹の先駆です。:::私はかつて

彼をあまりにも悪しざまに述べたことを後悔しておりま

すよ(デファン公健夫人宛、一七六O年四月十二日付)

これとほピ同じような内容をもった書簡がやはり前年

の一七五九年に同じデファン夫人に迭られているが、そ

れは右にかL

げたほど決定的な表現を用いていないので

謹操文献として引用できないが、以上によってグォルテ

ールのラプレ.1にたいする考え方の饗革期を一七五九年

より六十年頃に置くことが許されるであ・ろう。またさら

に降って『自然見』稜表の翌年には弐のような小品が出

版されている。

『×××公宛の書簡、キリスト教について悪口をのべ

たと非難されるラプレーその他の作家について。』(××

×公とはプランスウィァク・ルネペリ公団肘チヤールス・ウィリ

アム・フェディナンドである。〉

この小品によってもグォルテールが皐にすぐれたプァ

フォン(滑稽)の先駆者としてのみならず偉大な自由思

想家としてラプレーを高く評償するにいたったことは明

白である。ザディ

1グやカンディ

1ドとはお主そ似つか

ぬ自然見の男性的鞍闘的性格はこうしたラプレ

1的思恕

jj79

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(34 )

の支えによってはじめて可能なはずである。

だがまだ問題は結果を認めたに他ならない。なぜな

ら、ラプレーを讃み返し再評債することによってのみグ

ォルテールが『自然見』という傑作を作りえたとするな

らば、「傑作を讃めば傑作が生れる」という愚劣な結論に

到達するからである。したがって私は弐のように設問し

なければならない、グォルテールは何故にラプレーを讃

みかえす策になったか、また何故にラプレーをより良く

理解するに到ったか、ということである。これにたいす

る解答は『自然見』執筆の動機をかなり明らかにしてく

れるはずである。そしてその解答を求めるためには『カ

ンディ

1ド』以後『自然見』に到るまでのグォルテール

の周漫に起った諸々の事件が彼の作家精神にどのように

はたらきかけたかを知らなければならない。

すでに充分知られている事件としては一七六二年三月

九日

QカンディI

ド』出版後三年)ツールーズに起ったカ

ラス事件であろう。これは岡市に住む新教徒ジャン・カ

ラス(印度羅紗商人)が長男マルク・アントワ

1ヌの改宗

(奮教への)を揺り彼を殺害したと告賛され、車刑に慮

せられた事件である。出入りの商人オディペ

1ルなる者

第六銭第三十八巻一橋論議

止-

しlv

f

からこの事件を停え聞いたグォルテールは事件の詳細を

検討し、そこに狂信の犠牲を確信するや、幾多のパンフ

レアトを護表してカラスの無罪を主張し、彼の名護と交

友関係を動員して狂信と闘ったのである。『寛容論』(一

七六三年)はこうした闘争の中から生れたものである。

その結果、途にツールーズ高等法院は一七六五年三月九

日(カラス一家にたいする剣決より丸三年の同月同日にあた

る)カラスの無罪を認めざるをえなくなった。これはグ

ォルテールの生涯におけるもっとも輝かしい勝利である

と共に彼の封枇曾態度の戦闘的性格への時化を示す重大

事件である。しかも不幸に,してこの種の事件は稀ではな

かった。やはりグォルテールの千興したラ・パール事件

(一七六六年)シルグアン事件(一七六七年)等々はカラス

事件と同様に狂信の犠牲に他ならなかった。こうした一

連の迫害事件の延長において生れた『自然見』が闘志に

みちた正義の書となったことは偶然ではない。

やはり同じ頃(一七六六年》に起ったジュネ1ヴ市民擢

を要求するナチ

1フ国主片岡田(外図人移住者子弟)にたいす

るグォルテールの援助も営時の彼の思想的紅曾的立場を

より明確にする事件であった。昔時のジュネ1グは市民

¥..-

580

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グォルテール小読の袋展

azwg曲、町民ぎ

5mgu、移住者

EESE曲、移住者

子弟ロ伊丹片岡田の四階層に分れ、後者の二階層、とりわけ

ナチ1フはジュネ1ヴ市民としての特権を剥奪されてい

たのだ。彼らはルソ1の『枇舎契約論』や『エミ1ル』

によっで漸く自分たちの階層の利害に目畳め、前二者の

支配階層と封立するに到ったのである。そこで彼らが自

分たちの後援者として着目したのがカラスの擁護者グォ

ルテールであったことは偶然ではなかろう。グォルテー

ルとはいわば犬猿の仲であったルソ1自身すらも、それ

が遁切な庭置であることを、ナチIフの指導者たちに認

めているのである。このことはカラス事件の立役者グォ

ルテールの役割がどれほど大きなものであったことを物

語っているであろう。グォルテールはそうした期待に背

かずナチ1フたちにあらゆる援助を惜まなかった。彼が

ナチlフの指導者オジエールに宛てた弐の書簡は彼の絶

大な自信と意欲を雄静に語ってくれる。

「これは私が作成した請願書(ジュネ1グの政府にあて

た)です。これを持って出かけなさい。そしてできうる

かぎりすべてのナチ

1フを集合させなさい。:::だがお

そらく政府は諸君に塵カを加えてくるでしょう。それは

前以て心得ていなければなりません。しかし何事も恐れ

てはなりません。私の信用に頼りなさい。たとえ貴方々

がグェニスの宗教審問所の錨鎖につながれようとも、私

は救い出してあげるでしょう。」ち

252仏一区bBCHB担

E由件。巴宮22H55Hρ5目(口苫l口出

)E-。宮吋Z-5m)

私が敢えて「ナチ

Iフ事件」をこL

に紹介した所以は、

カラス事件がいわば個人の解放であったのに封して、こ

れは階級のそれであったこと、を強調したいからであ

る。もちろん雨事件をそれほどに国別することは私の主

要意圃ではない。要は『自然見』創作の動機が『ザディ

1グ』や『カンヂィIド』のそれよりもはるかに濃厚な

枇舎的思想的色彩を有することを誼明したいのである。

そしてそれはとりもなおさずラプレ

1にたいする再評債

に通ずるものと信じられるからである。

私は以上において『自然見』の革期的性格を幾分なり

とも紹介したつもりであるが、しかし最近のグォルテー

ル研究家グアロ

l氏のように『自然見』を以てグォルテ

ールの革命主義への韓換期の作品と見なすことはできな

‘い。たしかにフランス革命の萌芽は『自然見』にかぎら

ずディドロの『ラモ

1甥』やボl

マルシェの『フィガロ

581

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(36 )

の結婚』のうちに少からず見出されるが、それらは革命

主義と名づけられうるものではない。『自然見』につい

てのみ論ずるとしても、愚人を死に追いやった悪徳漢供

に復讐を思い立つ自然見が最後には人生の無情を歎いて

〈だり

復響を思い止る僚は作者の意圃が革命家のそれに到達し

えなかったことを示している。しかしグォルテール小説

のうちで『自然見』の占る位置はやはり劃期的である。

したがって私は『自然見』をグォルテール小説の最頂貼

に位置づけることを鴎陪す句者ではない。

第六競第三十八巻一橋論叢

『ザディ

1グ』より『カンディ

lド』を経て『自然見』

にいたるグォルテール小説の鑓化は進歩殺展と名づける

に遁しいが、『パピロンの王女』(一七六八年)も引きつピ

いてその進歩殻展の道を辿るであろうか。私がこの小説

を問題とする所以は、そこにグォルテール小説の進歩を

見出すからではなく、むしろその破滅を見出すからであ

る。もちろん成功と失敗、進歩と退歩を容易に直別しう

るとは考えないが、反面、作家の精神の特質や慶貌は成

功作においてのみ詮明されるとはかぎらない。『バピロ

)-

,l-

り'

ンの王女』が小説として失格する所において作家グォル

テールの精神は他のいかなる傑作におけるよりも多く吐

露されているのである。私はこの思わせぶりな結論を貫

詮してみたい。

パピロンの老王ベリュスの一人娘フォルモザントは組

世の美人であった。園王は彼女に遁しい婿を選ぼうと考

える。そこに名乗り出たのがエジプトのファラオン、イ

ンドのシャ

1、スキチヤの大汗であった。老王は三人の

王に封し、英雄ネムロプy

ドの残した弓を引くこと、パ

ピロンの闘技場に放たれる荒獅子を倒すこと、さらに最

高の智慧を有すること、の三傑件をみたした者に娘を興

えようと約した。だが三王とも落第する。そこに無名の

美丈夫が現れ、見事それらの傑件をみたすが、いずこの

誰とも分らぬこの青年に娘を興えかねる老王、この青年

に烈しい思慕を寄せるにいたった王女フォルモザント、

嫉妬に狂うエジプトおよびインド玉、父なる人の死の報

に姿を治した嘗の無名青年(貨はフォルモザント姫の従兄

に営ることが第四章で明らかになる)、紳の禍告げによって

巡植の強にのぼる王女フォルモザント。そして王女は胸

に秘めた青年への思いを世界の果までの躍において辿

l トJ

582

私ιー

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る。彼と彼女は御多聞に洩れぬ「すれ違い」を演巴つL

支那、印度、ロシャ、プロシャ、フランス、イギリス、

イスパニヤを廻って最後に目出たく再舎、結婚する。/

これは轡物語と云わんよりは世界風俗記に、近く、人物

も筋書も思いつきに走って統一を依き、張りめぐされた

伏線にも矛盾が目立っている。ーそれは前二一小説に比べて

6一向に小説らしからぬものだ。作者も小説を書こうと

真向から取組んでいる様子は見えない。したがってこれ

は小説としてみるならば明らかに失敗である。私は小説

としての失格をさらに追究するよりも、むしろその失敗

作を通じて晩年のグォルテールの到達した精神を検討し

てみよう。

「人間の本質は柴しむことであり、それ以外は一切愚

劣であることを人々(一一一玉の技を見物する観客たち)は認め

ました。このすぐれた道徳はいまだかつて事貫による以

外は裏切られたことがありませんよ(第一章)

齢七十四歳に達したグォルテールの人生観はこんな風

に要約されているのだ。たしかにグォルテールは楽天主

η義者であった。しかし彼は決してキリスト教的揖理観の

今い上にあぐらをかいた柴天主義者ではなかった。彼の強烈

グォルテール小説のき聖展

な人生肯定の背後には営時の科事思想にたいする結封の

信頼を見のがすことはできない。-彼は本小説中にしばし

ば登場する「不死鳥」(無名青年の従者)にこう述べさせ

ている。

「復活なぞというものはこの世の中でもっとも皐純な

事です。一度生れるのも二度生れるのも別に不思議では

ありません。この世の中はすべて復活ですひ毛畠は蝶と

なって復活し、地中に置かれた種子は木となって復活し

ます。地中に埋められたすべての動物は草となり植物と

なり、他の動物を養ってすぐその憧の一部となります。

物憧を形成するすべての分子が他のものに麗化するので

す。全能の一押オロスマデが、もとのまL

の性質で復活す

るという恩悪を授けてくれたのは、なるほど私だけです

がね。」(第四章〉

こうした見解はディドロやドルパック等の啓蒙哲撃者

に共通したものである。グォルテールが年齢に逆行する

かのように若々しい情熱を示してくるのは、彼がたえず

後輩たちの前進に注意を怠らなかったからである、たと

え誤解することはあっても。

ルネ・ポモ

1氏も指摘しているように(列

g小旬。

B四a

5白

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( 38)

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aE闘の司才色目的

Ars・

丘oロ23)グォルテールは自己について語ることをたえ

ず担否しつづけてきた作家である。この態度は彼のほと

んどすべての作品が匿名もしくは無名で殻表されている

という事貫にも示されている。おそらく彼がもっとも信

頼していたはずのダランベールに宛てた書簡においてす

ら自己の作品を認めようとしないことは、むしろ奇異な

感すら受けるのである。それは反封汲の攻撃から身を守

るための手段にはちがいないが、それにしてもグォルテ

ールのミスチフィカシオンは徹底的であり異常であった

と言えよう。しかるにこのヴォルテールが『パピロンの

王女』の一最後において従来の侵面をかなぐりすてて素顔

で登場してくるのは興味深いことである。

「詐かわ札たちょ、貴方がたは常に私の味方であって

ください。向う見ずな績篇作家供が彼らの作り話によっ

て、この忠貫な物語の中で私が人間たちに教えた異理を

害わないように防いでください。彼らは敢えて『カンデ

ィ1ド』や『自然見』を偶作し、或る元カプシン汲のご

ときは純潔なジャンヌ(ジャンヌ・ダルク〉の純潔な同日除

をパタピヤ版においてカプシン祇にふさわしい詩伺を以

第六貌第三十八巻一橋論叢

、 d、4

r-

~

て醜く獲形させてしまったのです。:::お!

たちょ、マザラン事院のお喋り教授、唾棄すべきコジェ

を歎らせてください。:::街事者ラルシェに轡をはめて

ください。彼は古代パピロン語を一言も知らぬくせに、

また私のようにエウフラテスやチグリスの河遣を放した

こともないのに、生意気にも、世界でもっとも偉大、な園

王の娘、美しきフォルモザントやアルデ姫やこの等敬す

ぺき宮廷のあらゆる女たちがパピロンの大寺院において

アジヤのあらゆる馬丁供と枕を交した、と主張したので

す。:::わが愛すべきアリポロン(フレロン)よ、私は君

にはあの『エコセ

1ズ』上演後一月もたえずあれほど抱

腹絶倒させられたが、私は君に私の『パピロンの王女』

を捧げよう。存分に悪口を言ってくれたまえ。そうすれ

ば世間の人もこの作品を讃んでくれるから。:::」

かつてグォルテールがこれほど自らの偲面を剥いで散

に挑戦した例は見出されない。これはグォルテールの到

達した並々ならぬ自信の結果であろうか、それとも抑え

がたき憤激の結果であろうか。いずれにしても、小説と

して失格せる本書においては、作家グォルテールよりは

人間グォルテールこそ問題とされるべきであろう。 詩

の女神

584

比一

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×

×

×

私は以上の四篇を通じてグォルテール小説の誕生殻展

,崩壊の過程を追究してきたが、それはあたかも襲化にう

ぐ麓化の漣績であったかのごとき印象を興えてしまった

かも知れない。しかし私は古典主義作家としてのグォル

テールの基本的態度までが大きく費草されたと主張する

者ではない。『パピロンの王女』(第十章〉においてグォ

ルテールは嘗代のフランスをこんな風に描いているの

だ。

グォルテール小説の君主展

「もはや員の事術はほとんど存在せず、もはや天才も

およそ存在しませんでした。過去の世紀の業蹟について

出鱈目に議論することが功績とされていました。キャパ

レの壁に下手な糟を塗りたくる連中が大家の槍を知った

かぶりして批評していました。紙を汚すだけの徒輩が大

(39)

作家の作品を醜く歪めていました。無智と悪趣味が他の

書きなぐり屋供を傭っていました。同じ事柄が遣った表

題で百冊の本の中で繰返されていました。」

この描寝から、居酒屋の壁黒々と自作の詩を書きつけ

る自由詩人たちを調刺したポワロ

lの『詩法』の一節を

連想することは、きわめて容易なはずである。たしかに

グォルテールはシェクスピヤから少からぬ衝撃を受け或

いはラプレーにたいする誤解を是正はしたが、所詮は、

古典主義文撃の立法者ボワロ

1の直系であったのだ(す

くなくとも文事的感覚において)。こうした確認は「したが

ってグォルテールは本質的には保守的な事大主義者にす

ぎなかった」という結論を許容することはできない。な

ぜならば動揺や矛盾は無節操と同義ではないはずである

から。

ハ一橋大事助教授)

585