アニメーション番組における笑いの物語構浩 · 2016-09-26 ·...

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研究論文子と’も社会研究7号ノイノ"r"α/"/C/II/(/Sr"(/1''Vol.7、June,2001:44-56 アニメーション番組における笑いの物語構浩 「ヤッターマン」を中心に 松山雅子 1はじめに 「平成12年度我が国の文教施策一文化立国に向けてj'''は、メディアの進展が芸術に大き な影響を与えているという認識のもと、映画、アニメーション、マンガが独自の分野を確立 し、新しいメディア芸術の基盤になりうること、ならびに「重要な現代の表現」としてマン ガが認知されはじめていることを掲げ、一部マスコミの関心事ともなったことは記憶に新し い。いいかえれば、マンガ表現、アニメーション表現が多少なりともメディアとして機能し 始めているという事実認識に立った「文化立国」への提言である。子どもの物語環境を培っ てきたメディア・ミックス型の物語創造と物語享受のありように、「文化」をみてとろうと する柔軟な姿勢を歓迎したい。 子どもの文化における笑いの物語構造も、「メディアの進展」と深く関わって成り立って いる。少し古い例だが、1994年7月何気なくみていたテレビニュース中で、「ブタもおだて りや木に登るといいますが、ヒヒもおだてりや木に登るという…」というナレーションとと もに珍しいマントヒヒが紹介されていた。あたか も自明のごとく語られた「ブタもおだてりや木に登る」は、1977年放映開始の「タイムボカ ン」シリーズ第2作「ヤッターマン」のギャグメカ、オダテブタのことである(2)。放送から 15年、ある世代にとっての浸透度を如実に物語る好例であった。まずは本歌取りのおもしろ さである。が、言語遊戯は反復視聴されるキャラクター像と一体化し、かつプロット中に定 番位置を占めることによって、(視聴者にも登場人物にも)期待して待たれる存在になり得た。 物語性が浸透させたおもしろさに他ならない。笑いの物語構造を取り上げることで、ノスタ ルジーを越えた、おとなも子どもも喜ぶ「ヤッターマン」の〈あそび>の精神を取り上げた いと思うに至った由縁である。 畠山兆子は、シリーズ第1作「タイムボカン」を取り上げ、今日に通じる笑いの物語の基 本構造を模索した作品と結論づけ、「ヤッターマン」はその発展形と位置づけた(3)。本稿で は、それを受け、「ヤッターマン」を中心にパターンが支える笑いの物語構造を明らかにし、 前作をいかに踏襲しながらシリーズを特徴づける型を構築していったか、ひいてはそれが 「タイムボカン2000」にどのように受け継がれていったのか、オープニングを軸に考え てみたい。 (まつやま・まさこ大阪教育大学) 44

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研究論文子と’も社会研究7号ノイノ"r"α/"/C/II/(/Sr"(/1''Vol.7、June,2001:44-56

アニメーション番組における笑いの物語構浩

「ヤッターマン」を中心に

松山雅子

1はじめに

「平成12年度我が国の文教施策一文化立国に向けてj'''は、メディアの進展が芸術に大き

な影響を与えているという認識のもと、映画、アニメーション、マンガが独自の分野を確立

し、新しいメディア芸術の基盤になりうること、ならびに「重要な現代の表現」としてマン

ガが認知されはじめていることを掲げ、一部マスコミの関心事ともなったことは記憶に新し

い。いいかえれば、マンガ表現、アニメーション表現が多少なりともメディアとして機能し

始めているという事実認識に立った「文化立国」への提言である。子どもの物語環境を培っ

てきたメディア・ミックス型の物語創造と物語享受のありように、「文化」をみてとろうと

する柔軟な姿勢を歓迎したい。

子どもの文化における笑いの物語構造も、「メディアの進展」と深く関わって成り立って

いる。少し古い例だが、1994年7月何気なくみていたテレビニュース中で、「ブタもおだて

りや木に登るといいますが、ヒヒもおだてりや木に登るという…」というナレーションとと

もに珍しいマントヒヒが紹介されていた。あたか

も自明のごとく語られた「ブタもおだてりや木に登る」は、1977年放映開始の「タイムボカ

ン」シリーズ第2作「ヤッターマン」のギャグメカ、オダテブタのことである(2)。放送から

15年、ある世代にとっての浸透度を如実に物語る好例であった。まずは本歌取りのおもしろ

さである。が、言語遊戯は反復視聴されるキャラクター像と一体化し、かつプロット中に定

番位置を占めることによって、(視聴者にも登場人物にも)期待して待たれる存在になり得た。

物語性が浸透させたおもしろさに他ならない。笑いの物語構造を取り上げることで、ノスタ

ルジーを越えた、おとなも子どもも喜ぶ「ヤッターマン」の〈あそび>の精神を取り上げた

いと思うに至った由縁である。

畠山兆子は、シリーズ第1作「タイムボカン」を取り上げ、今日に通じる笑いの物語の基

本構造を模索した作品と結論づけ、「ヤッターマン」はその発展形と位置づけた(3)。本稿で

は、それを受け、「ヤッターマン」を中心にパターンが支える笑いの物語構造を明らかにし、

前作をいかに踏襲しながらシリーズを特徴づける型を構築していったか、ひいてはそれが

「タイムボカン2000」にどのように受け継がれていったのか、オープニングを軸に考えてみたい。

(まつやま・まさこ大阪教育大学)

44

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アニメーション番組における笑いの物語構造:松山

1.第2作「ヤッターマン」のあそびの精神

(1)お子さま仕様とおとなの指向性の合体が生み出す物語性

「ヤツターマン」は、前作の人気を背景に1977年1月1日放送を開始し、79年1月27日ま

で2年1ケ月、108話の人気番組となった'4'。『子と.も白書・1978年版」の「子どもの好

きな人気番組ベスト15(4歳~11歳)」によれば、「ヤッターマン」は、60%を越す視聴率の

「サザエさん」を別格として、「スポーッケンちゃん」「8時だよ!全員集合」と僅差ながら

第4位にランクされ、およそ1年後の2月の視聴率が40%に達している'51.土曜日夕方6時

半開始、玩具会社をスポンサーとする「ヤッターマン」は、「タイムボカン」と同様、低年

令層視聴児をターゲットに、幼年雑誌「幼稚園」、「よいこ」に番組宣伝的なマンガが連載さ

れている。先の調査の12歳から17歳の項には、「サザエさん」(2位)、「8時だよ!全員集合」

(7位)はランク入りしても、「ヤッターマン」の名が上ってこないのも当然ではあろう。

当時、「スポンサーが玩具メーカーでしたから「ストーリーは判りました。で、どんなメ

カが活躍するんですか?」とくるわけです。スポンサーにしてみるとそれが全てですからね。

大河原さん(メカ・デザイン担当者一引用者注)はメカの図面だけではなく、木型を作ってそれ

を見せに行くんです。変形したりするやつで、これは実に説得力がありました。」(6)と、総

監督笹川ひろしは、モノとしての物語性が番組のそれに先行せざるを得ない提供企業との関

係をふり返る。事実、シリーズ中、主役メカの交代サイクルが最も短かったのは、「ヤッタ

ーマン」であった(7)。

同時期、11歳以下と12歳以上の視聴調査双方に30%の視聴率を上げた番組は、「ルパンニ

世」であった。70年代後半以降、新しいアニメ・ファンを生み出し、アニメーション番組の

ボーダレス視聴を定着させていく先触れとなった作品で、その後今日まで幅広いファン層を

勝ち得ている。メディア・ミックス戦略の渦中で「ヤッターマン」を楽しんだ中心的視聴者

であろう小学生は、おとなの嗜好に適った「ルパン三世」をも班理なく享受し得た時代では

なかったか。お子さま仕様の条件を満たしながら、制作者のおとなの指向性をも満たしうる

二重の物語性を(制作者も享受者も)確信犯的に遊び始めた時期といってもよい。

当時の制作スタッフも「えらく翔ぴましたからね。逆にあそこで翔んだからこのシリーズ

が六年続いてきたということろがあると思いますよ。第一作のままだったらこんなに続かな

かったでしょうね。遊びの精神みたいのがそこに出た、というか、ヤッターマンが楽しんで

いるということは脚本家や演出家も楽しんでいるわけですよ、アニメーターも面白がってい

る、当然見る方も面白くないはずがない。」{8)と、この作品をシリーズの転換点と捉えてい

る。

竜の子プロ企画文芸部長であった鳥海尽三は「ギャグとメカの合成ということで、比較的

高年令層の興味をひくのに苦労し」(9)たと語る。あくまでもアニメーション番組という商品

がになう外的条件を守りつつ、年令層の高い視聴者をも視野に入れようとした制作側の「翔

ぴ」と、成人向けコミック誌を原作とする「ルパン三世」をも楽しみ始めた享受側のニーズ

が相呼応するなかに、その後のシリーズの性格を決定づけた「ヤッターマン」が開花してい

く基盤があったと考えられる。遊びの精神は、その意味で時代の精神と呼応する。笑いは幅

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子ども社会研究7号

広い年令層に共有されながら、確実,にキャラクター玩具は売り上げを伸ばしていく。「ヤッ

ターマン」という作品は、こうして前作「タイムボカン」の延長線_上にあって、その最初か

ら、前作をはるかに越えた外枠と内実のズレをかかえもち、その不協和音がゆえに多層から

なる笑いの混在を生みだしていった。

(2)パターンが育む変化への期待

「ヤッターマン」は、「タイムボカン」で見られたような骨組みとしての大きな筋の展開

をもたない.物語の骨格は、四つの部分をすべて揃え、そのflの中を覗けば、大金塊のあり

かがわかるというドクロストンの探索とその発見である。探索を指令するのは、ドロボーの

神様、ドクロベェー。わけまえほしさに奔走するのは、女ボス、ドロンジョを頭とするボヤ

ッキー、トンズラーのドロンボー3人組。それを阻止し、平和のために活用せんとする正義

の使者、ヤッターマン1号と2号.「タイムボカン」からくもの探し〉の枠組を踏襲しなが

ら、丹平や淳子がもちえなかった正義という大義名分をもって、ヤッターマンは毎回ドロン

ボー一味の野望をうち砕き、かれらをドクロベェーのオシオキヘとおいやることとなる。言

い換えれば、ドクロベェーのもの探しという大きな物語の枠組みのうちに、執行側(ドロン

ボー一味)と阻止側(ヤッターマン)の攻防という小さな物語が内包され、探索の失敗とその

反復が大小二つの物語の基本構成を形作っている。

全108話のうち、実際にドクロストンを手に入れたのは、最終回を含む4回である。1456

でドクロベェーが、34話でヤッターマンが、84話でドクロベェーがそれを奪回、最終話で残

るひとつをドクロベェーが入手してドクロが完成する。「タイムボカン」の木江田博士の発

見とは異なり、発見するごとに物語の筋が大きく転換することはない。飽くことなきドクロ

ストン探しがくり返されるばかりである。だが、それゆえにおもしろい。失敗に学ぶことな

き悪役3人組に成長はないが、変化はある。ドクロストンのありかの数だけ物語が誕生する

仕組みである。のび太の願い事の数だけ「ドラえもん」が生み出されるように、物語の長期

化のイロハともいうべき機動力がパターン化に内包されている。使い古されたパターンの枠

組みに則って、その週の笑いが期待される。あそびの本質はここにこそある。

(3)まことらしきウソと翻弄される道化一原型としての第一話「ヤッターマン出動だコ

ロン」

小さな物語は、2年間を通じておおよそ、①メカ制作の費用稼ぎのインチキ商売、②ドク

ロベェーの不確実なドクロストン情報にもとづく探索指令《③ドロンボーの探索(とドクロス

トンらしきものの入手)、④ヤッターマンとの攻防、⑤ドロンボーの敗北(大爆発)、⑥ヤッター

マンの勝利宣言、⑦ドクロストンの正体明かし、③ドクロベェーのオシオキ、⑨ヤッターマ

ンの凱旋、という基本構成をもつ。胡散臭いインチキ商売に、胡散臭いドクロベェー情報。

ふたつのウソに翻弄されるのは、ドロンポーのカモになる客達と、ドクロベェーに踊らされ

るドロンボー自身である。広くは、ヤッターマンもウソの情報に踊らされたと考えれば、正

義もまたドクロベェーに翻弄されたということになる。このように考えれば、先程の大小ふ

たつの物語に、まことしやかなウソと翻弄される道化という三層構造が見え隠れしてくる。

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そこで、小さな物語の原型を傭臓すべ〈、第1話「ヤッターマン出動だコロン」の構成を

ドロンボーのアジトを中,し,にした空間設定にしぼって整理した。

第一話「ヤッターマン出動だコロン」は、

①メカ好きの少年ガンとアイの紹介(玩具店の店先と裏の工場)

②ドロンボーの紹介とドクロベェーの登場と指令(インチキ・レストラン)

③ヤッターマ ン誕 生の 経緯(玩具店の裏の工場)

④両者の出会いとドロンボーの企みの露顕(レストランとその地下工場)

⑤ヤッターマン{|働(新アジト)

⑥両者の 攻防(ニューヨーカー国際銀行)

⑦ドロンボーの敗北とドクロベェーのオシオキ(銀行周辺の路上→川)

⑧ヤッターマン勝利の凱旋(銀行前)

から成っている*人物紹介に始まり、ドクロベェーの指令に基づく小さな物語の基本構成

そのものが披露される。それは、これ以後反復継承されていく空間設定の基本構図にも気づ

くことである。上記の8事項を整理すると、つぎの4空間の移動が、各話の小さな物語を成

り立たせている基本であることがわかる。

物語は、日常空間(対立する三様の人物それぞれの基地)から非日常空間(各話の事件の舞台)

への移動と帰還を軸に展開する。ヤッターマンとドクロベェーの基地が秘密裏にあるのを原

則とするのに対し、ドロンボーのアジトはすべて二者に露顕している。ガンらが、故意に、

無作為に、彼らのインチキ商売の客として出入りし、地下工場のメカから指令の中身まで覗

きみることで、各話の対決

の場所と目的が決定される

仕組みである。表の顔も裏

の顔も赤裸々で、ドロンボ

ーの仮面に本来の意味はな

く、泥棒家業の記号にすぎ

ない。彼らが最後までヤッ

ターマンの正体を知らずに

終わるのと好対照である

(10)cドクロベェーもまた、

いつでも自在に出没し指令

を下す。ドロンボー一味が

監視下からはずれることは

ない。冒頭話に設定された

モニター画面をゆるゆると

眺めながら命令を下すドク

ロベェーの後ろ姿は、類似

ショットがドロンボーのテ

ーマソングであるエンデイ

八隠されたドクロベェーの秘箱服地

(指令堆地ならびに監視の場)

Bヤッターマンの秘密雄地

(メカの保管・制作ならびに変身の場)

情州提供・指令

(群として)

Cドロンボー三人組のアジト

店頭・・インチキ商売の場

地下工場・・メカ制作・

指令授受の場

伊一

偵察一示動準伽

↑オシオキ

皿帷レー」敗退

正義のメカ・武器

-丁

|’ 而叩皿一

変武乗身器j||

D二者攻防の鮮台

(含むドロンボーメカのコックピット)

(ドクロストン探索の場)

-列精報の興偽の判明

(ドクロストン入手)

勝利のポーズ

凱旋

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子と’も社会研究7号

表1「ヤツターマン」全108話の物語推移(メカの造形ならびに視聴者参加)一一《

-オープニング①エンディング①

112131415161718191101111121131141151161171181191201211221231241"12612712812i1301311321331341351←ドクロストンー1個目入手→I←ドクロストン2個目(ヤ)入手→'一

一ヤツターワー,

トヤツター ペリカン‘トヤツターアンコウ

38

|噌議 才ヤッターキ

メカ

メカ選択

(ド)ゾロメカ

ギヤグメカ

メカ選択,÷サイコロで選択モスロツト>÷一ルーレット一

等 )ゾロメカ’①②③④ギヤグメカA

(注)①初のドロンボー・ゾロメカ登場②ゾロメカ対決、ボヤツキー発実況③対決ゲーム化④ゾロメカ和合Aガイコツメカ(チン

ab c d e f g h i

(注)aメカのアイデア提供b危機の回避cインチキ商売d戦法,勝利の予測eとどめの差しかたfフアンにもらったメカの素Rフ’:ングに毎回反復され、基本的な二者の関係を定着浸透させる。ウソの三層構造にもとづく空

間設定が見てとれるところである。

こうして、ドロンボーのアジトは正邪双方の日常と非日常の交点となる。ただ、非日常の

意味あいが双方で微妙に異なる。ガンらは、自分のアジトに戻り、変身し、武器を装備し、

ヤッターワンを従えなければ、ドクロベェーの指令によって新しく意味づけられた非日常の

場、すなわち仮面の戦士の闘いの場に出ていくことはない。変身の儀式が必要なヤッターマ

ンと、あくまでも泥棒稼業の延長線上をいくドロンボーである。両者の仮面は、方やごっこ

あそびの基本要件であり、方や生業の象徴として機能する。各話の定番プロットにおいて、

彼らのアジトは、仕事の請負場所であると同時に、ごっこあそびの発端であった。

これは、両者のロボットの違いとも呼応する。ドロンボー側の乗用メカが人間操縦型ロボ

ットで、闘いの武具であり武器であるのに対し、ヤッターワンはその誕生のときから正義の

ために働く意志を持った自動操縦型ロボットである。その言葉に乗じてヤッターマンを宣言

したガンとアイは、ヤッターワン参上を告げる口上役を務め、前哨戦を戦い、メインイベン

トでは応援に徹し、ヤッターワンのエネルギー補給係となり、勝利を確認したのちは賛美者

に徹する。子ども視聴者は、ヤッターワンの従者という本来の姿に気づくことなく、ヤッタ

ーマンをヒーローに見立て、ヤッターワンが活躍の折には、ヤッターマン同様、観客に徹し、

事の成り行きがお決まり通りに結ばれていく様をじっくりと鑑賞することになる。

オープニングの冒頭は、メカのハンドルを回し、エンジンをかけるガンの姿に始まる。玩

具の主人であることを最大限楽しむ方法は、玩具が最高に活躍できる環境を整えてやること、

いったん動き出したら、その動きを止めぬよう配盧を怠らず、あとはただ見守り楽しむこと。

ヤッターマンとヤッターワンの関係は根本的に子どもと玩具の関係から外れることはない。

それが、ドロンボーの登場によって、あそびと仕事、相入れぬ二項対立が設定され、本気と

もウソともつかないドロンボーの仕事ぶりゆえ、あそび、あそばれる錯綜空間を生み出して

いくのである。全編をとおして、ドクロベェーがみずからヤッターマン側に手出しをするこ

とはない。あたかも視聴者に向かって、両者の狂騒曲を傍観することが、ドクロストン探し

という最大の課題とドロンボーのオシオキというお楽しみの双方を手にする最良の方法だと

語っているかのようである。

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アニメーション番組における笑いの物語構造:松山

←オ②←エ(2)

'53154155156157158159160161162163

クロストン2個目(ヤ)か

ング

←ヤッターバング・コパンダ

ーヤッタードジラー

ーヤッター プ ル

差 いすとりケーム

B

チラリンノドッチラケ)登場Bオダテプタ登場

30

→Ⅱ←

mnm1l92I931"|95196197198199110011q11102110311041iO51祠而1面ドクロストン最後の1個入手→

一 > ← ヤ ッ タ ー ゾ ウ ー 三一‐>

‐一参

一一‐一芸

←ヤツターヨコヅー->

、二一人生ケームラ、

CDE

CナケキプタDオホメプタEオダテプタの歌(以降定番に)

J k

アン推薦のゾロメカh電話・オシオキiikメカl写真(以降定番に)

(5)全1O8話の推移

表lに、登場メカの変化を軸にll)8話の推移を図示した。全体のながれを概観するために、

オープニング、エンディングの変化、ドクロストン入手経過、視聴者参加の演出を併記した。

放映中に2年目続投が決まったことは、2個目のドクロストン奪回に50話、約1年分の物語

が当てられていることでも明らかである。予定外の長丁場を支えるために、ヤッターワンは

大破し、より強力なヤツターキングに改造され(第46話)、攻撃メカも58話で一挙に3種登場

するなとミ、目先を変える工夫が随所にうかがえる。一方で、毎回奇抜な外観とネイミングの

しゃれで番組名物となったゾロメカ群が、繰り返し登場、奇抜なアイディアが視聴者の目を

引くと同時に、毎回両者攻防の代理戦争を繰り広げる。迷うことを知らないメカのメカたる

ところがさらに破壊を徹底したものとし、最後の定石、大爆発はエスカレートするばかりで

あった。

物語の本筋からはずれた視聴者サービスのお楽しみの好例としては、80話から登場のオダ

テブタの歌と視聴者の写真紹介をタイアップしたコーナーがある。

もともとは、ドロンジョの下心を見透かしたように登場し、「ブタもおだてりや木にのぼ

る。ブー。」と言い放つと、ボヤッキーは彼女に冷ややかな目を向けるという演出であった。

次第にインチキ商売のテーマ、ノングと化し、間奏中に「オーイ、○○もみてるぞぉ-.」と

視聴者の写真をイラスト中に組み込んでオダテブタともども登場する趣向となった。大半は

小学校高学年から中学生だが、高校生や若い女性も少なくなく、この番組の視聴者層の幅広

さをあらためて思わされる。

観客と戯れる傍白のコーナーに力点が移るようになると、ドクロストン探しという当初の

目的はほぼ有名無実と化す。メカによる目で楽しむ笑いの徹底という「タイムボカン」シリ

ーズの根幹を踏襲しつつ、さらに前作にはなかった権威を無化する笑いに焦点が移行してい

く。この作品のぱあい、正義の勝利=オシオキの執行という物語の定式であるかぎり、戯画

化された悪党側のボスが徹底してその任を担う。理不尽に扱われてもマージョの魅力から自

由になれなかった前作のグロッキーやワルサーの姿を、ボヤッキーやトンズラーに重ねるこ

とはむずかしい。画面を闇歩する女ボスの魅力そのものを笑うのである。2年目のオープニ

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|修一と’も社会研究7号

ングともなると、手下の二人に体よくあしらわれるドロンジョの姿ばかりが誇張されること

となる.疑われた美のモチーフは、吋ヤッターマン、対ドクロベェーの関係のそこここにも

息づき、誇張が下品な椰楡を生み出したことは否めない

一方、疑われた権威は、ドロンジョに止まらず、ドクロベェーーは情報の真偽ゆえにドロン

ボー一味から突きあげられ、ヤッターマン側はドロンジョを笑いながら自らの権威も笑うと

いう皮肉な展開を余儀なくされる.if義も神もボスも、権威のすべてが笑いの対象と化して

いく最後まで笑うのは、視聴者に他ならないが、制作音もまた作M1に戯れる最初の享受高

である特椛を次第に強めていった、

(5)ウ、ノの三層構造と内包される_二項対立

ウ、ノの三層構造からl()8話を貫く大きな物語全体を整理すると、つぎのようになる.,そこ

には、だます者VSだまされる者のみならず、変化しない肴VS'変化する荷、j乙と§もVS大人と

いうコントラストが内包されている。一貫して〈私〉の野望を追い求めたドクロベェーの大

きな物語は、これまた変化しない正義の味方ごっこを貫いたヤッターマンを内包し、ドロン

ボー三人組をしてただひたすら金塊を求めさせ続けた。ドロンボーは、ドクロベェーにだま

ざれ、お宝を求めて家業に精を出し、我知らずいつのまにやらIE義の〈ヤッターマンごっこ〉

の仇役をも忠実にこなしてきたのである、

最終回、復元したドクロストンを前に、ドクロベエは「のぞくな-。のぞいても何もない。

あれは欲深い地球人を利用するウ、ノだくエ。ははは…お前達は只、利用させてもらっただけ

のことだくエ。」('')と宣う。

地球誕生の爆発に巻き込ま

れ、宇宙を旅していたドク

ロベェーの体は地球上に散

逸してしまった。45億年た

ってやっともとの姿、ドク

ロストンに戻ったドクロベ

ェーはドクロ惑星XYZ星

人であったと正体を明か

し、さっさと宇宙へ帰って

いく。ドロンジョに言葉は

なく、「そうだったのか…

ドクロベェーすなわちドク

ロストンは宇宙人だったん

だな。」「そうね。」という

ヤッターマンらの淡々とし

た言葉で結ばれていく。物

語の大詰めは、解散してい

くドロンボー三人組のうし

ヤッターマン正義の大義名分というウソ(ごっこあそびの条件)

↑翻弄する

ドロンボー三人組インチキ商売のウソ(指令のための資金稼ぎであり生業)

↑翻弄する

金を巻き上げられる客

ドクロペェーの大きなウソ

(自分さがしのエゴ)

色色翻弄する

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アニメーション番組における笑いの構造:松山

ろ姿と、このどんでん返しを意にも介さず、不滅のIE義の勇者、ヤツターマンー-行凱旋が敬

いあげられて終わる、

そもそも物語の発端は、犬剛メカの「世のため、人のため『それがロボットの生きる道」

という突然の一言を契機に、ひとりのメカ好きな少年の「俺も今日からヤッターマンとなっ

て悪と戦うんだ《、」の思いつきが[E義の味方を誕生させたのであった。ドクロストンの実体

やドクロベェーの身勝手も、厳終話に至るまで繰り返しパターン化されたドロンボーとの攻

防と勝利を堪能してきた遊戯臂にとっては、本質的な揺らぎとなるはずもない.しかも、卜ゞ

クロストン奪還のノ<表?1分を決定づけたのは、第1誠、ドロンボーが初めて卜.クロストンら

しきものを手にしたとき、華々しく登場したヤッターマンが放った次の言葉であった

ヤ2号:(犬ノトから飛びトーり)ドクロストンの大金塊は平fIIのために使うのよ

ヤ1号:おまえ』垂には絶対渡さん。

作品中幾度も〈|)返される言葉ながら、偵察役のサイコロメカにもヤツターマンにも、大

金塊のことを知るチャンスが設定されているわけではないシこのように言い切ったときから、

ごっこあそびに新たなルールが設定され、すぐさま効力を発揮していったのである.

一方、ドロンボーー3人組にとっては、ドクロストン探しごっこではなく、金塊探しという

泥棒稼業であったゞそれゆえ最終話の予期せぬ展開に、自らの生業を見直したとしても不思

議はない。解散を宣言したドロンジョは未練がましいボヤッキーに「いい女はふl')向かない

もんなんだよ。」と言い、彼は「たっしやでな-。」と受け、トンズラーは「かぜひくなよ-《

と続け、後は涙涙である。最後までウソとも本気ともつかない会話のズレは、三者の変わる

ことない個性を印象づけて、ドロンジョの花道を演出する:〕価値の転換を図ることなく物語

を結んでいく役を担うがゆえに、つぎのシリーズへと繋がっていくのである。まさにエンデ

ィングの「やられてもやられてもなんともないない」である。

ドクロベェーの飽〈ことなき自分探しとくり返されたオシオキは、赤裸々な幼児性をも思

わせる。思いつくままに遊びのルールを実行に移していったヤッターマンと重ね合わせると、

二組の子どもに翻弄された大人三人というもう一つの構図も見えてくる。それゆえに、おと

な視聴者は、ドロンボー一味の飽<なき翻弄に、哀れみと共感を誘われるのである。

3オープニングの構成にみられる笑いの変容

最後に、笑いの物語構造をオープニングの比較検討から考察したい。表2に、「ヤッター

マン」の最初のオープニング(①)=(ヤ)①の構成を、表3から5に「タイムボカン」=

(夕)、「ヤッターマン」(第2オープニング。②)=(ヤ)②、「タイムボカン2000怪盗きら

めきマン」=(き)の構成を図表化した。横軸は、以下のように物語展開を概括する意味段

落を掲げ、縦軸には主要プロットの相関を層状に整理した。

タ)題名提示部・タイムトラベラ-3態(追う者‘追われる者)・ED

ヤ)①題名提示部.(ヤ)出動.強い正義.(ヤ)凱旋(含むED)

ヤ)②題名提示部・正義を遊ぶ/悪役を遊ぶ.ED

き)題名提示部.(き)出没.(き)対3警官の攻防.(き)凱旋・素顔・ED

51

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子・と:も社会研究7号

4つともに、タイトル提示部、展開部、エンディングに3別され、展開部の構造の違いが、

笑いの質の差異に通底している。前作「タイムボカン」では、メカの紹介とタイムトラベル

の視覚化に全体の半分をあて、メカとの関わりなしに描かれることのない丹平・淳子を加え

れば、ほほ6割を占める。そこに、時計の文字盤が大写しにされる題名部とエンディングが

加わると、悪役紹介場面(28/29)と祖父探索の鍵を握るベラ助(34)を除き、実に95%近く

を時空旅行に割いたことになる。悪役とベラ助には2秒強と同量の時間が当てられるが、ガ

イコッッメカ→機内という二段階構えで紹介される前者に対し、後者は、同一静止ショット

で同時間量提示し、その重要性を印象づける手法である.唯一、ベラ助はメカと関わりなく

単独で取レ)上げられ、他者との動機の違いを明示し、その存在感を演出する。秘密を抱える

ベラ助の「旅ガラス」願望が丹平らと3悪を翻弄していく物語展開を考えると、「タイムボ

カン」は、善悪の明確な対比構造を意図せず、タイムトラベルという大枠の中で、追われる

ベラ助と追う時空を越えた旅人たちという構図があきらかである。

丹平らと3悪の時間比は、およそ5:lである。「ヤッターマン」①のばあい、時間の短

さが必ずしも重要度と正比例しないのに対し、多彩な変化を施した丹平らと紋切り型の3悪

提示というように見事に正比例しており、悪役の存在感はエンディングに集約されることと

なる。また、「とにかくひとまずなによりすなわちタイムボカン」と、メロディも歌詞も新

しいフレーズが始まる冒頭に悪役が、結びにぺう助が配されており、間に丹平らの内蔵メカ

が挿入され、3者融合のタイムボカンであることが巧みに歌い上げられる。

これに比べ、「ヤッターマン」①は、正義と悪役の二項対立を力の勝利の形で視覚的に様

式化し、完結したミニドラマとして毎週反復提示して、記号化していく。表Zにみられるよ

うに、遊びの始まりと終わり、ヤッターマン出動と凱旋、攻撃する者とされる者という、3

層からなる入れ子型構造を指摘できる。主な反復ショットにはアルファベットを打ち、呼応

関係を示した。

悪役登場は全体のほぼ真ん中からである。そこまでで、縦横無尽に地球を駆けめぐる正義

のメカを全体の4割強を使って存分に披瀝する。出動場面は、多少省略されながら毎回本編

でくり返される定番でもある。画面中央から真正面に迫ってくる一連のショット→真横から

見た水平移動の連続→高みから捉えた傭雌図と、三様の視覚的効果を使い分け、それらをス

ムーズな連続線ではなく、ぶつ切れの三分線からなる断続線として出動を印象づける。これ

は、玩具の自動車を手にした子と÷もが思いつくに任せて自在に走らせる窓意的な爽快感をイ方

佛とさせる。動的、生理的な快感を目で確認する喜びである。ヤッターワン出動の順序性は、

この物語において遊びの通過儀礼となっている。

それだけに、反復ショットの多様からなる視覚的様式美に終始する正義の造型にならざる

をえない。他方、悪役は、正義の造型の約5分の1にすぎず、「おどろくほどにつよいんだ」

と歌われる中、執勧に攻撃の的になるばかりである。だが、視覚的にカッコいいだけの正義

に対し、悪役は視覚的にバラエティに富んでいる。正義がひとつ動けば、悪役は二つ動くと

いうような演出が、悪役のおもしろさを倍加する。追いかけるメカを比べても(32-36)、正

義lに対し悪役3であり、39ショット以降、悪役3人のやられ方は変化に富んで何度見ても

笑いを硬直させぬ破天荒さがある。絶対的な正義至上主義を類似ショットの量によって演出

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アニメーション番組における笑いの物語構造:松山

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表3タイムボガンオープニング(80秒)

エンティンクタイトル提示部’ タイムトラベラ-3態(追う者と追われる者ノ

36-41(13.76秒)

- Mタイトル

提示部・

エンディング

一椛一岬一

時計の文字

盤とメカブ

トン

盤とメカブ

トン

30-35

二胃票二「|

謡一一” (14.23秒)

-伝語13-27(33

剖 一ブ+磯

カンm

メト内

メ,刀一トラベラーュトラベラー且トラペラー①

タイムトラベル

テントウキ テ ン ト ウ キ

ヤゴマリン

タイムトラ

ベ ル

メカブトン

|癖涛一

36-37

一百万莎了

唾一岬一丹平

淳子 メカブトン

の上の2人時空を超え

る2人’

》唖一悪

役 ガイコッツ

メカ内の3マー

’一蟻’人

諄熱’ベラ助

表4ヤツターマンオープニング(その2.78秒)エンディング正義を遊ぶ。悪役を遊ぶタイトル提示部

1-16

(12.4秒) 茄鶚制タイトル

提示部・

エンディ

ング

ヤッターキンクの

勇姿c、u、ケンダマで遊ぶガ

ンちゃん

45-63(22.4秒)

45-51152-61L62-631(10.1秒)’(9.73秒)’(2.57秒)

|新,メカ縞介|攻撃力の挺卿|ゾロメカ

45-63(22.4秒)

’45-51152-611(10.1秒)’(9.73秒)

二吊需司

ヨ2矛

373

7ロ

81正義の

群団の

紹介と攻撃力

の誇示

肺§錫秒)

’2段構えのヤッ

ターキングの出動

と人物紹介

2段構えのヤッ

ターキングの出動

と人物紹介

ゾロメカ

|識ヨメカ紹介|攻震力の鐙露’新3メカ紹介 攻撃力の披弼

’3344(9.9秒)’

3344- -

戯れる

悪役

表5タイムボガン2000怪盗きらめきマンオープニング(83秒)

’………マン謹側の‘|サン諸ン||メカ対決の3■官の敗退ン凱崖|人

148-155

(9.5秒)

きらめきマン出没煙

》|識郵

1対1対決

タイトル揖示餌・エン

ディング

きらめ官マ.rの出没と奴嵯

28-48《13-0ヨ抄)

28.29銅B

ゴールドアゴールドァ

ィの卸9ィの四宮に映 さ れ た 未

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ソルエゥト

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された2人

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一正三

鋤恥49

4斗32(2‘51

蓋誠さ文意出没と

凱旋

27秒)’’79-90(4.87秒〉191-114(12.67秒)

謝 閣メカ

壼壼rなしの。■

宮 官 儒 淵勝識なしの。■

129-147(5.的7上氾ほ』711

蕊司心寄せあう

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54

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アニメーション番組における笑いの物語構造:松山

する一方で、ヤッターマン側の定番決めポーズ(38)とドロンボー側の勝利記念写真撮影

(39)を並置し、対等な存在感を顕然と演出する。言い換えれば、ポーズ-つをとっても、勝

者と敗者の二j由りのポーズが期待できる物語構造ゆえの笑いの造型なのである.

ところが「ヤッターマン」②となると、自明の正義は新登場のメカ紹介と武器の攻撃力の

誇示に終始し、オープニングのドラマ性は、全体の8分の1にすぎない悪役登場場面(33-

1;l)に委ねられる。そこには正義に攻撃される悪はすでになく、手下が女ボスを手玉にとる

下克上の悲哀と毒をやんだ悪役内の二項対・立が描かれるのみである。椰楡する手下二人はカ

メラ[|線で登場し、視聴者におもしろいことをするから見ててごらんとばかりに参加を11,Fび

かける.椰楡される卜.ロンジョを笑うというまなざしを確認させることで、本編への期待を

形作るシュミレーション効果を果たしている。物語は、すでに正邪の攻防から逸脱したとこ

ろに笑いが増鵬されているのが容易に予測される。この時期ともなれば、悪役3人は、屈折

感のある心のドラマを演じうる中心人物として揺るぎないc

この「ヤッターマン」によって完成された悲哀を共感しうる悪役像は、最近作ではと’のよ

うに変質したのであろう。表5に明らかなように、オープニングの構造がこれまでの3者と

微妙に異なっている.まず、タイトル提示部の12秒前後を目安とすると、全体が、その61iil

の反復とエンディング9秒からなる均等な場面転換のリズムを持っていることがわかる.ま

た、提示部は過去のシリーズの列挙編で、続く28ショットから結びまでがきらめきマン桐と、

二部構成でもある。

きらめきマン編は、探し求めるゴールドアイの輝きに始まり終わる枠組みの中に、出没と

凱旋のプロットが挟み込まれ、常に質の異なる二者の相関を用いて、出没と発見、メカと人

間の関係設定(きらめきマンとネコ型ロボット.3刑事と遮光器土偶型ロボット)、二者の攻防と展

開していく。「ヤッターマン」の正邪のほとんどが個別に造型されていったのとは対照的だ.

おおよその登場比率は、きらめきマン70%、3刑事18%、メカ15%であるが、交互に登場さ

せるカット転換の多用が特徴的で、演歌調のメロディに反し、視覚的なテンポの速さが目に

つく意図的な新旧混合の演出である。

最も特徴的な点は、凱旋に終わらぬ構成である。「抱きしめるぞIむねをつかむぞ!涙

うばうぞ!」と畳みかける歌詞の中、二人は正体を明かし、闇に紛れ踊り始める。お出かけ

キャットと対で紹介された場面でも、日差しを浴びて楽しげに目と目を見交わし踊る姿が

「ときめきノきらめき」の歌訶にのって印象づけられ(73)、全体の1割にも満たないが

(84%)、素顔を象徴する〈踊る二人>の反復モチーフは物語の根幹をなして重要である。

「この世にひとつ世界にひとつ微笑んで許される悪がある」と始まる歌訶に如実なよう

に、きらめきマンは泥棒側ではあるが大義名分のたつ、許されることを前提とした「怪盗」

である。かつて悪役を演じてきた3人は窓際刑事返上のお手柄を求めて迷走し、くり返し大

爆発の犠牲となる。ここにはごっこ遊びの正邪もなく、真の悪人がいない分、正義もない。

窓際刑事となった3人組の滑稽さを徹底しうる着地点が見えにくい構造である。未来から来

た美青年パフと彼を助ける美少女リップのロマンスが物語の根底にあるため、このシリーズ

の笑いを増幅してきた対比構造が成り立ちにくい。オープニングの結ばれ方に、笑いの質の

変化が集約されている。

55

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子ども社会研究7号

「タイムボカン」によって模索された笑いの物語構造の基本は、「ヤッターマン」によって

発展継承され、以降、前作の遺産のうえに新要素を加味し、シリーズとしての個性を培って

きた。笑いのパターン化を根底で支えてきたのは、状況設定、(メカ造型も含む)人物造剛、

プロットの物語の三基本構成要素に張り巡らされた対比構造であった。二項吋立を典剛にま

で集約させる物語構造に支えられた笑いの造型の基本は、「ヤッターマン」でさらに記号化

され、笑いを増幅していったのは、いま見たとおりである。定番のコントラストが安定した

物語展開を保証し、定石枠の中でこそ焦点化される変化の質=笑いの質を享受する“「きら

めきマン」は、その「偉大なるマンネリ」の周到な継承者ではなかったといえよう.人物像

やギャグにおいてジェンダーや差別用研の問題を孕んでいるが、「ヤッダーマン」の試みは、

アニメーション番組における笑いの物語構造として、揺るぎない安定と内包された変化が織

りなす必然的相関、ならびにそれによって可能となる物語の力を示したものと考えられる。

(1)『平成!2年度我が国の文教施策』文部省、2000年11月14日、84-86頁にもとづく.

(2)テレビ大阪ニュース内の「映像コレクションコーナー」の冒頭ナレーション、’994年7月28日(木)

ll:25am頃記録。

(3)畠山兆子「アニメーション番組における笑いの物語構造一「タイムボカン|を中心に」「子と§も社

会研究」6号、2001年

(4)制作吉田竜夫、企画鳥海尽三、酒井あきよし、原作タツノコプロ企画室、音楽山本正之、総監督笹

川ひろし、プロデューサー柴田勝ほかの各氏が制作責任者であった。なお、放送にあたっての時間配

分は、「タイムボカン」を踏襲している。第63話が再放送され、全体で109回の放送。

(5)江非伊予濡『子ども白書・1978年版』日本子どもを守る会、草土文化、1978年7月10日、375頁

(6)『タツノコ・ヒーローズ』朝日、ノノラマ、1994年6月25日、87頁

(7)「タイムボカンシリースヤッターマンパーフェクトコレクション(下巻)」竜の子プロダクショ

ン監修、1994年7月1日、12頁

(8)「タイムボカンシリーズスタッフ座談会l「OUT」1981年10月1日、pp."-45.小山とは小山高雄のこと。

(9)「アニメージュ」1978年8月号、33頁

(10)第9話、第74話に、ガンとアイに気づかぬボヤッキーの姿を描いている。

(11)「ヤッターマンーアワテルローの戦いだコロン録音台本」「ヤッターマン」レーザーディスク付録

(ポリドール、1993年7月)から引用。

(12)「ヤッターマンーアワテルローの戦いだコロン録音台本」「ヤツターマン」レーザーディスク付録

(前掲書)から3人組の最後のシーンを引用。ただし、手書き訂正台本で句読点が不統一なため、引用

に当たって句点を統一した。

『ー〆

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