ノーワイドjinkyukai.com/img040.pdf · 2014. 7. 25. · ノーワイド 東医歯大弓道部...

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ノーワイド 東医歯大弓道部 2008年医歯薬リーグ優勝 -50- はじめに 医歯大弓道部 昭和四十五年四月、東京医科歯 科大学弓道部の門をたたいたのが 我が弓道人生の始まりだった昏一 つの趣味を四十年続けている方は 少ないのではないかと思う母「鈍」 でもこれだけ続けていれば'それ なりにそこそこは出来るようにな るもんですね 私の弓と弓道部は切っても切れ ない関係にある。弓道部は戦前よ り活動していたそうだが、戦後G HQの意向で武道が禁止され中 断、その後1 3回生の熊揮(M)、千 葉・尾沢・藤旧(D)らの諸先輩が 再興された∵ 私の入学当時は市川 の野天の矢場と御茶ノ水の材研敷 地内にあった屋根付きの矢場 (昭 刺.Ti九十年閉鎖) で練習していた が、昭和四十六年教養グランドに 本格的道場が川来、以来合同練習 は教養で行う様になった戸…l 歴代師範は創部から昭和川十有 年まで弘 吉雄先生が、昭和四十

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  • ノーワイド

    東医歯大弓道部 2008年医歯薬リーグ優勝

    -50-

    はじめに

    医歯大弓道部

    昭和四十五年四月、東京医科歯

    科大学弓道部の門をたたいたのが

    我が弓道人生の始まりだった昏一

    つの趣味を四十年続けている方は

    少ないのではないかと思う母「鈍」

    でもこれだけ続けていれば'それ

    なりにそこそこは出来るようにな

    るもんですね

    私の弓と弓道部は切っても切れ

    ない関係にある。弓道部は戦前よ

    り活動していたそうだが、戦後G

    HQの意向で武道が禁止され中

    断、その後1 3回生の熊揮(M)、千

    葉・尾沢・藤旧(D)らの諸先輩が

    再興された∵ 私の入学当時は市川

    の野天の矢場と御茶ノ水の材研敷

    地内にあった屋根付きの矢場 (昭

    刺.Ti九十年閉鎖) で練習していた

    が、昭和四十六年教養グランドに

    本格的道場が川来、以来合同練習

    は教養で行う様になった戸…l

    歴代師範は創部から昭和川十有

    年まで弘 吉雄先生が、昭和四十

  • 三十三間堂通し矢の図。南側の軒下に射手が、北側の地面に通

    した矢が落ちている。(中ほどの梁には矢による傷が残っている)

    -51 -

    七年から五十三年迄飯島正大先生

    (現在日本弓道連盟範士) にお願

    いしていたが、その後は不肖私谷

    川が「指導」というより「一緒に

    遊んでもらう感じ」 で引き受け、

    以来三十年学生との付き合いが続

    いている(=)

    弓道とは

    現代弓道では道具として弓・

    ル・(・?T.

    失・環、まずはこの三つが必要

    である。

    「弓」 は長さ二メートル二十一

    ~二十七センチ。真ん中より少し

    下に握り (弓を持つところ) があ

    るいわゆる長弓である。世界でも

    これだけの長さの弓は稀であり、

    その為に引き方も独特になってい

    る。アーチェリー等短弓は片腕の

    長さを引き顎に右手を固定して狙

    いを定め'どれだけ的の中心に近

    いところ中てるかを競う競技であ

    るが'和弓の場合その長さを生か

    す為大きく引き、身長のおよそ半

    分'耳の後ろ迄引く。それは「弓

    を引-」と称するが実際には 「引

    き分ける」と言い、斜め上に上げ

    た両手を左右に開くイメージ (こ

    こで右手は弦に引かれて前腕が折

    れ曲がる) であ‥、弓力を体の中

    心で受け止める事になる〔W弓弦は

    基本的に弓幅の真ん中近くを通る

    造りで'矢は左拳栂指根 (弓の右

    側) に乗せており、もともと矢は

    りか

    右 (自分から見て) に向いて番え

    ている。それを左栂指根で弓の右

    角を押し回転力を与える事でまっ

    すぐ飛ぶようにさせる (為に耳の

    後ろに在る弦が耳を払わずに済

    む) というやや不合理な引き方を

    する。的中はアーチェリーほどの

    正確さは望めず、三十六センチ的

    (約二十九メートルの競技で) に

    あ中たったかどうかで決まり、的心

    に近いかどうかは基本的に競わな

    い。しかし腕でなく全身で引くた

    め、矢を放す際に体をばねのよう

    に使い弓力にプラスするため、同

    じ弓でも「離れ」 の善し悪しで矢

    の飛ぶ早さが全くと言って良いは

    ど変わるのであるo ここ

    に技術的な一つの優劣が

    有り、面白さがある¢

    「失」は二本一組で 「一

    手」と言い基本となる。

    競技では 「一手」を何回

    かあるいは四本 (四つ矢

    といいl手二組) を何回

    か引き、何本的申したか

    を競う。

    畑がけ

    「諜」は弦を引く右手

    を保護するための道具で

    あり、その昔戦陣では鹿

    革の手袋のようなものを

    使っていたが、江戸時代

    「三十三間堂通し失」 (本道西側

    軒下高さ五・五、長さ百二〇メー

    トルを南から北へ一昼夜で何本射

    通すかで天下惣一を競い'記録は

    紀州藩和佐大八郎の一万三千五十

    三本中八千百三十三本である) 頃

    から、強弓をたくさん引く時の指

    を保護する為、親指部分に木製の

    帽子を入れ、付け根に溝を切って

    弦を引っ掛けて使うようになっ

    た。これも道具としては使い方の

    難しいものではあるが数を引くに

    は必須である。

    道としての弓と昇段試験

    弓は 「立禅」と言われるよう

    に、技術の向上とともに己の心を

    いかに鍛えるかが修行の目標であ

    り、他のスポーツと違って相手は

    自分しかいない。一本の矢にいか

  • 【体配の流れ】

    vT肌脱ぎ②胴造(どうづくり)

    言合(かい)喜一終わりの礼

    -52-

  • -53-

    かる事もあるが、四段以上になる

    .

    と二本中たる (乗る) 事は当然と

    され'その引く過程でいかに基本

    にかなった引き方をしているかが

    重要。たとえ二本的中しても引き

    方が基本から大きくずれていれば

    不合格であるo 叉この時、射場へ

    の入場から退場するまでの身のこ

    なし (体配という) も重要な採点

    対象で、今は五段以上の審査は和

    服着用になり、入場後引-準備と

    して左袖のみを脱ぐが (肌脱ぎと

    言い'左手のみで処理) これも全

    員揃って行動するo 五人がばらば

    らであればもちろん不可-・これ

    ら的中・射型・体配を段位に応じ

    た完成度で採点される。称号及び

    七段以上の審査からは、一次審査

    合格者に二次審査が課せられる。

    一次合格者三名で一つの的を順番

    に場を入れ替わりながら一手引-

    二 つ的射礼) のであるが'その

    入場から退場迄五人の時と全-逮

    う様式で三名が一糸乱れず行動

    し'この時は脱いだ左袖を元通り

    着なおして (肌入れ、これも左手

    のみで処理) 退場する。的中は当

    然、射型・体配を厳し-審査さ

    れ、二次合格者には論文が課せら

    れるe》 合格率は二パーセンー位

    ヽ t=1

    私の受審歴は'始めてから半年

    毎に昇段し、三年の春には四段と

    早熟であった-が、元来不器用

    で、そこから苦労・苦労の連続-・

    受審の度に失敗・自己嫌悪を重ね

    (卒業以来唯一の試験-・やっぱ

    り試験というのは何時でも・何時

    までも嫌なもんですね)、技術の

    修行はもちろん精神 (根性-) を

    鍛える必要を痛切に実感してい

    る。皆さんにも「あがる」という

    経験はおありと思うが、い-つに

    なっても自己統制・管理が出来ず

    「真央ちゃん」「イチローさん」

    のような一流の人たちを見ている

    とただただ感心するばかりであ

    る。

    近年ようや-教士六段を頂戴し

    ているが'自分であれこれ苦労し

    た分、学生さんに教えることに関

    してはかなりの勉強になったと思

    う0教士に挑戟している頃から(辛

    成元年に錬士を拝受し教士は平成

    十五年と実にのろい) 自分の弓に

    対する感覚が大分進化して来た。

    「因果応報」、弓を引く姿はそこに

    至るまでに使った力の結果であ

    り、弓・矢を手にした時から事は

    全て始まっている¢一つの動作が

    次の動作を生み更に次へと、結局

    矢が離れ退場するまで全てが一連

    の流れとして決まるo うまくいか

    ない所が出るのは'それ以前のど

    こかに敵齢があり、それが積み重

    なって結果が出ないという事を実

    感出来るようになって来た。特に

    最終段階の 「会 (弓を引き絞り、

    一見静止して狙って屠る様に見え

    る段階。会者定離からきてい

    る)」 で先に述べたように、気と

    力を静に持続・充実させ (五秒-

    らい) 「離れ」・「残身・心 (引い

    た後の余韻)」 へつなげるか、こ

    こに全てが結実するのであるがこ

    れが難しい-・日々奮闘している

    のだが先が見えない爪叩 「立禅」と

    いわれるのも此のあたりに有るよ

    うに思うO 「弓道」という道のほ

    んの入り口に最近ようやく立った

    ようだo 極める所までは1生到達

    出来ないだろう。まあ私は弓一筋

    の生き方をしているわけではな

    く、ゴルフとの浮気もあり、おこ

    がましいと云われれば'ごもっと

    も- でもそれなりに向上を目指

    して今七段に挑戦中。自己嫌悪の

    連続-・体力・筋力の低下は目に

    余るものが有-、記憶力減退の頭

    と共に戦わねばならぬものが益々

    増えている昨今だが'足腰立つ間

    は続けてい-積りでいるo

    終わりに

    長々と弓道なるものについて述

    べてみたが、やはり難しさ・面白

    さは筆舌には尽くし難い。「一体

    何のことを言っているんか」と思

    われる方もいらっしゃると思いま

    すが、平にご容赦願います。