アシュラム1805月号 · 2018. 5. 14. ·...

28 16 16 14 24 13 20 19 20 26 24 43 姿28 20 16 15 24 48 20 21 12 使使使使使使使使9 2 使1 1 使使使使使使G使使使使使使使使使20 22 使振 替 0 1 0 5 0 - 6 - 5 3 7 7 2 アシュラムセンター 印 刷 明文舎印刷商事(株) アシュラムとはインドの言葉で「退修」という意味で、スタンレー・ジョーンズ博士によって日本に紹介されたもの であります。祈りの生活をもってみ前に自らを整え、今日に於ける主のご委託にこたえんというのがその願いです。 発行所 アシュラムセンター 523-0894 近江八幡市中村町 567-2 Tel 0748-33-4030 Fax 0748-33-8856 アシュラムセンターホームページ www.ashramcenter.jp 編 集 アシュラム誌編集委員会 2018. 5月第 594 号  20 21 (1) 2018 年5月 1 日  第 594 号

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Page 1: アシュラム1805月号 · 2018. 5. 14. · 使徒なのです。」(Ⅰコリントくともあなたがたにとっては使徒ではないにしても、少な 9: 2)、

 

イエスは、復活の出来事の

後に、様々な場所で、弟子た

ちに現れたと福音書記者は記

す。ガリラヤの山の上で(マ

タイ28:16)、食事の席で(マ

ルコ16:14)、エマオへの途

上で(ルカ24:13)、そして

しっかりと戸に鍵をかけた部

屋の中で(ヨハネ20:19)、

主は弟子たちの前に現れた。

ある時は、疑う弟子にその手、

足、脇腹の傷を見せ(ヨハネ

20:26)、またある時は、焼

いた魚を一切れ食べた(ルカ

24:43)と、記者は生き生き

とした主の姿を描写する。も

ちろん、その現れた場所は、

ガリラヤであったり、エルサ

レムであったりと違いはある

けれども、そこで、復活の主

が語られたことは、全ての福

音書に共通する。すなわち、

宣教への派遣の言葉だ。「だ

から、あなたがたは行って、

すべての民を私の弟子にしな

さい。」(マタイ28:20)、「全

世界に行って、全ての造られ

たものに福音を宣べ伝えなさ

い。」(マルコ16:15)、「エル

サレムから始めて、あなたが

たはこれらのことの証人とな

る。」(ルカ24:48)と。そし

て今月のみ言葉「あなたがた

に平和があるように。父がわ

たしをお遣わしになったよう

に、わたしもあなたがたを遣

わす」(ヨハネ20:21)という、

弟子たちへの派遣の言葉で

あった。

 

12使徒と呼ばれる最初の弟

子たち。彼らに与えられた「使

徒(アポストロス)」という

呼び名は、もともとはこの「遣

わされた者」という意味なの

だという。地上を歩かれた主

とともに生き、十字架の後、

再び復活の主に出会い、その

使命として、全世界への福音

宣教の号令を聞き、その力の

源となる聖霊を受けた彼らは

まさに、神によって遣わされ

た者として死をも恐れず福音

を宣べ伝え、働き始めた。と

ころが、もともとはこの「遣

わされた者」の意であった「使

徒」という言葉が、一つの権

威としての称号となった時、

それは新たな別の問題を引き

起こす。パウロは、常に、こ

の使徒の問題で苦しむ。彼の

後から来た宣教師たちによっ

て、パウロの使徒職に疑義が

投げかけられたのだ。

 「他の人にとってわたしは

使徒ではないにしても、少な

くともあなたがたにとっては

使徒なのです。」(Ⅰコリント

9:2)、「人々からでもなく、

人を通じてでもなく、イエ

ス・キリストと、キリストを

死者の中から復活させた父で

ある神とによって使徒とされ

たパウロ」(ガラテヤ1:1)

など。彼は、手紙の中でたび

たび自らの使徒職の正統性に

ついて語る。聖書学者のボル

ンカムは、それについてこの

ように書いている。「パウロ

の使信に攻撃が加えられると

同時に、彼に与えられた使徒

としての委託も、誰も彼を使

徒に任命した者はいないとし

て、問題視された。この両者、

つまり、使信を偽物としたこ

とと、勝手に自分で使徒たろ

うとした越権、これが反対者

たちの非難の中味であったに

ちがいない。」(G・ボルンカ

ム著『パウロその生涯と使信』

より)

 

今、このパウロの使徒職を

疑うものは誰もいないだろ

う。けれども、当時は彼の語

る律法を抜きにした救いの使

信と共に彼の使徒職は否定さ

れていたのだ。同じように、

ルターもまた「万民祭司」を

唱え、その「信仰による義」

の使信と共に、当時のカト

リック教会から破門の憂き目

にあう。しかし、そのカトリッ

ク教会の中で、今や「信徒使

徒職」という言葉が使われる

ようになってきている。聖職

者や修道者だけでなく全ての

信徒が、イエスキリスから任

命され、派遣された使徒とし

て、積極的に布教・奉仕など

の教会活動を行うこと。この

ことが1962年の「第2バ

チカン公会議」で定められた

のだ。

 「遣わされた者」使徒。そ

れは一体誰が決める事なの

か。もちろん自分勝手に福音

をねじ曲げ、人々を惑わす異

端の宣教者たちが今の時代に

もいることに、深い憂慮を覚

える。また私たちのアシュラ

ム運動が、時として疑いの眼

差しを向けられることに悲し

くなることもある。けれども、

遣わされた者、それは人から

でも組織からでもない。ただ

復活の主によってのみ遣わさ

れたのである。ヨハネはこの

派遣の言葉の後、主が「息を

吹きかけられた」(ヨハネ

20:22)と証言する。すなわ

ち復活の主と出会い、聖霊の

新しい息吹を受けなければ、

誰も「使徒」になることは出

来ないのだ。

 

友よ、このことを忘れない

で、私たちもまた遣わされた

者として、堂々と生きていこ

うよ。

振 替 0 1 0 5 0 - 6 - 5 3 7 7 2    アシュラムセンター印 刷 明文舎印刷商事(株)

解 題アシュラムとはインドの言葉で「退修」という意味で、スタンレー・ジョーンズ博士によって日本に紹介されたものであります。祈りの生活をもってみ前に自らを整え、今日に於ける主のご委託にこたえんというのがその願いです。

発行所 アシュラムセンター 523-0894 近江八幡市中村町 567-2      Tel 0748-33-4030      Fax 0748-33-8856アシュラムセンターホームページ www.ashramcenter.jp編 集 アシュラム誌編集委員会

2018. 5月第 594 号

瞑 想

あなたがたに平和があるように。父がわた

しをお遣わしになったように、わたしもあ

なたがたを遣わす。

 

ヨハネ20

21

          主幹牧師  榎本 恵

(1)2018年5月1日  第594 号

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小杉 邦子

 

ブラジル恒例カーニ

ヴァル中、今年は初め

ての試みでサンパウロ

州バウル市のアライア

ンス・バウル教会とマ

リリア市の自由メソジ

スト教会の方達ととも

に榎本恵先生をお迎え

して合同で行いまし

た。(バウル市はサン

パウロから西北西へ

三百三十三キロ、マリ

リア市はバウル市から

西へ百十四キロ離れた

市です)

 

バウル市近郊のアグ

ドスの農園ホテルを貸

し切って、参加者

九十一名内幼児十七

名、マリリアからは

三十三名の二世高齢者

参加でした。マタイ福

音書六、七、八章から神

からのみ言葉をいただ

きました。テーマは「神

の国を第一に求めなさ

い」マタイ六・三十三

でした。毎回、榎本師

から語られる神様のみ

言葉は心に強く響き、

伝わりました。人間は

つい人の評価を気にす

る者ですが、神の評価

だけに心を向けるよう

にとせまられました。

本当に頼らなければな

らないのは神様だけ、

神は何をしているか、

どうしているか、どう

いう心かを見られるこ

と。何を一番大事にし

ているか、何を中心に

生きているかを問われ

る。門のたとえも何も

広い、狭い二つの門が

あるのではない、門も

道も一つだけ、門とは

私の心、信仰状態を表

わすということ。今の

自分の信仰を示されま

した。毎回、寒い日本

から暑いブラジルまで

御用にいらして下さる

榎本先生、それを許し

て下さる神様、そのた

めに援助をしてくださ

る日本アシュラムの皆

様、心から感謝いたし

ます。

 (ルージ・ラモス

アライアンス教会)

教会との共同開催のこ

のアシュラム、今年の

参加者は九十一名でし

た。

 

今年はパライゾ教会

の奉仕で、全てのプロ

グラムは、企画進行さ

れました。

 

行き届いた配慮が随

所に見られ、すっかり

世代交代された観で

す。

 

青少年の成長には目

を見張るものがありま

す。講義前後の賛美に

も力が溢れ、会場を揺

るがせました。

 

ルカ五章五節「・・

でも、お言葉ばどお

福浦 利明

 

毎年カーニバル期間

中に行われる、この教

会アシュラムに、今年

も参加を許され感謝で

す。

⃝時

  2月11日から13日

⃝場所

  サクロ・コスタト院

テーマ

  「イエスの御足の

     

跡に従う」

聖書

  

ルカの福音書三章

     

から九章。

 

二〇〇〇年、ルー

ジ・ラモス教会から株

分け独立したパライゾ

り、網をおろしてみま

しょう」七章七節「・・

ただ、お言葉をいただ

かせてください・・・」

 

今年のアシュラムも

又気づかされることの

多いアシュラムでし

た。

 (ルージ・ラモス

アライアンス教会)

ご献金者 敬称略

2月分金山 良雄沖田 朝子鹿屋キリスト教会浮田 真理中谷 哲造引原 勝美橋本るつ子榎本 和子榎本てる子阪神ミニアシュラム武田 多美加藤 智恵無 名 氏吉川 禮子西田和可子植松喜美子越智 千歳上柿 京子香川 孝子佐賀 昭子山田喜久子吉田恵美子正岡リツコ雀部喜久子辻中 徹也ちいろば牧師記念 チャペル夕礼拝チャイムコンソート

(池田チャイムの会)橋本るつ子安仲 萌子

(誕生日感謝を含む)野口 周三持田 二郎持田 澄子森山 直子木村 良己脇 萬里子

バウル・アシュラム

第三十五回

ルージ・ラモス教会アシュラム

(2)2018年5月1日  第594 号

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Page 3: アシュラム1805月号 · 2018. 5. 14. · 使徒なのです。」(Ⅰコリントくともあなたがたにとっては使徒ではないにしても、少な 9: 2)、

松本 直美藤田 増枝横山 宜和米田 康子米田 歌子帰家 玲子山崎 惠子村瀬 俊夫吉田すみゑ井上  明井上讃美子沖田 和恵沖田 朝子榎本  恵榎本 康子榎本 光太菅原  博堺大浜キリスト教会前田 貴子

50 口¥551,026

ヨセフ基金吉田すみゑちいろばアッちゃん・ シュラム君年頭アシュラムマヘンドラ師   支援者

4口¥29,945

新修道場のために

たびんちゅ牧師1口

合 計55 口

¥582,971

尊いご献金、ご献品、お祈り、感謝いたします

      包む   1983

     雪がとけた

     窓ぎわの

     イヌフグリの花を

     春の光が

     優しく包む

     枯木のような

     私のからだを

     キリストの愛が

     キリストの愛が

     温かく包む

 長い根雪だった雪がとうとう溶けて、溶けたと思ったらすぐに、その目の前の窓ぎわの土の所。そこに、イヌフグリの花が咲き始めたのでしょう。源三さんの春を待つ目が、それを見つけた日のこころです。 外の世界を窓から見るしかない源三さんは、窓の外の雪がとけるのを、待ち続けていたのです。それは、長い長い時間だったでしょう。しかし遂に、窓ぎわの、ガラスのすぐ向こうに小さな小さな瑠璃色の花がある日咲いていました。 ガラスの向こうとこちらで、同じようにじっと、一心に春を待ち続けていた、いのちが二つ。源三さんとイヌフグリ。その出会い、あるいは再会。だからこそ、春の光が優しく包むのでしょう。神さまのところから溢れてこぼれてくる光が、優しく、優しく。待ち続けたものたちに。あきらめず、慌てず、信じて待ち続けたいのちたちに、春の光が。優しく包んでくれる春の光が、それは来た日でした。 「イヌフグリ」という花の名前は、人間がつけた名前です。「イヌフグリ」という名前は「イ

ヌ」の「フグリ」という意味です。それは蔑称に近いものかもしれません。人はそんな名前をつけて呼ぶかもしれない。でも温かい愛の光そのものである神さまの眼差しの中では、全く違う名前がある。小さな宝石のような、その花にふさわしい名前が、きっと。そして「枯木」の私にも、きっと。 源三さんのからだは麻痺して、運動できないために、まさに枯木のように細っていましたが、ここで「枯木のような私のからだ」と言うとき、イエス・キリストが、十字架を負ってゴルゴタへの道を歩みながら、生木でさえこのようであるなら、枯木はどうなることだろうと呟かれた、ルカの福音書の枯木の比喩も、源三さんの心には残っていたでしょう。だから、その枯木のような私にさしてくる春の光と、その光にもまして温かく包んでくださるキリストの愛なのでした。 キリストの愛が キリストの愛が このリフレインにこめられている実感と感謝と至福の響き。それがこの詩の中心です。他にはないキリストの愛こそが、そして、他ではないキリストの愛だけが、他のどんなものよりも温かい愛が、私を抱擁してくださっている。今、確かに、私をこうして、包み抱いてくださっているのがわかる。枯木の私には、このキリストの愛しかないという告白です。 待ち続けた果てに、春を迎えた小さな花が、春の光に抱かれて包まれて咲いているように。あるいは長い冬の時間、死んだかのように見えた枯木に花が咲くように。温められて別のいのちが始まってゆくのならば、枯木のような人にも、いのちの春のわざは始まるに違いない。こんなにも、こんなにも温かい愛に包まれ温められているのですから。 「包む」という言葉には隠す、守る、覆う、大事にする、慎むなどの意味もありますが、孕むという意味もあったようです。神さまの手品ででもあるかのように、包まれて、開かれる時、別のいのちになって生まれるという不思議があるに違いない。そんな希望もあるのでしょうか。源三さんの晩年のこころの詩です。

 瞬きの詩人    水野源三の世界 33    三浦綾子記念文学館特別研究員

            森下 辰衛

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 先生は語る説教を生き様を通して教えてくださいました。アブラハムは何処へ行っても祭壇を築いたごとく、吾々は何処へ行ってもまず早天祈祷会を怠るな、毎朝のレビの時を欠かすな。

「朝の15分があなたをかえる」、また、自分の状態がどうあろうとも神のことばを第一にせよ。

「まず神の国と神の義を求めよ」とおしゃいます。遺訓として受けとめて参りましょう。

唄野政一「榎本先生の歩みと遺訓」より

 アシュラムセンターの常任運営委員長として、センターを支えてきてくださった唄野政一長老は、「ちいろば牧師アシュラムを語る」の前書きの中でこう語っておられます。私たちが、この40年早天祈祷会を続けてこれたのは、まさにそれを遺訓として受けとめ、守って来たことなのであります。もちろん、それを続けることは簡単なことではありませんでした。今から11年前、私が主幹牧師として赴任した時、朝の早天は母と私の二人きりでした。この「早天祈祷会を怠るな」「毎朝のレビの時を欠かすな」という遺訓を守り続けることの困難さは、やったことのあるものなら誰もが経験することであろうと思います。今、幸いなことに、毎朝の早天祈祷会は、修道生たちが共に集い、常時5、6名で守られています。主は本当に不思議な導きを通して、このセンターの働きを続けさせてくださっています。しかし、そこで安心していて

はいけない。たとえたった一人になったとしても、それを遺訓として守り続ける覚悟こそが、私たちには必要なのです。どうか、このセンターの祈りの輪の中に、皆さん

も加わってください。今年度より月一度のリトリートアシュラムを始めようと準備しています。センター聖書教室、早天祈祷会をプログラムに入れ、ゲストハウス「アンナ祈りの家」を用い、少人数の2泊3日のアシュラムプログラムを行いたいと思っております。是非皆さんの参加をお待ちしています。

 さて、昨年のビジョンとして、アシュラムの友が高齢化し、なかなかアシュラム集会に参加できないという声に応え、アシュラムの方から皆さんのところへ行きますということを掲げさせていただきました。現在、兵庫県三木市のアシュラムの友、猪瀬和子姉がご自宅を解放し、

「広野祈りの家」の集会が10年に渡って続けられて来ました。そして今年11月より、東京町田の黒見妙子姉のご自宅で「ちいろば祈りの家」の集会が始まりました。黒見姉のたっての願いにより、プロテスタント、カトリックの友が一緒に集ってくださっています。このように、アシュラムの集会は場所も、人数も関係ありません。「アシュラム運動が広がっていくことではなく、キリスト信徒一人一人の生活の中に、日々新しく主の養いを受ける密室が守られていくこと」このことこそが、私たちの最も大事な仕事なのです。今年も新たに「祈りの家」のできることを祈っています。        (続く)

主幹牧師の2018年ビジョン ⑶主幹牧師の2018年ビジョン ⑶

広野祈りの家、猪瀬姉と

 

無事にロサンゼル

スでのアシュラムを

終え、帰って来た。

当地では、5回目に

なるアシュラム集会

は、参加者は以前よ

り少なかったが、確

実にその種が芽を出

し始めているのを感

じた。「聖霊の実ルー

テル教会」のキムホ

ンソン先生が、昨年

のアシュラムから一

年間毎月「マンス

リーアシュラムファ

ミリー」を続けてく

ださり、参加者も少

しづつではあるが増

えて来ている。41年

前、一粒のからしだ

ねとして蒔かれたア

シュラムの種は、途

中途絶えたかのよう

に見えたけれども、

息をふきかえした。

どうかこの生え始め

た芽を大事に育てて

いこうよ。  (恵)

新さん祈りの家

長年待ち望んでおられ

た事が、主によって成し

遂げられ始まりました!

(4)2018年5月1日  第594 号

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Page 5: アシュラム1805月号 · 2018. 5. 14. · 使徒なのです。」(Ⅰコリントくともあなたがたにとっては使徒ではないにしても、少な 9: 2)、

が、いままで目に見えるものを優先しすぎて、大事なものを失ったことが多すぎるので。 そして目に見えるものに囚われず、感謝や愛情を優先して生きるには、神様の力が必ず必要です。必要というのは「手段として」ではなく

「目的としてです」。 そしてこれは考えを変えたというより「もともと自分にあったものが掘り出された、気づいた」と言う方がしっくりくるんです。 以上のような理由から(実際はたくさんの出会いと祈りの中で)僕は神を信じて生きることを決めました。神は、今まで僕がたどってきた全てに意味を与え、これからも僕に用意された計画に導いてくれていると信じています。そのなかで少しづつ道も示されている気がします。 もちろんまた揺らいだり離れたりいろいろあるでしょうが、僕は信じることを決めました。なので、神様、どうか僕とずっと共にいてください。アーメン

 〜恩師 榎本てる子師の紹介で修道場生活 5ヶ月、4月より地元に戻り再出発! 温かく見守りお祈り下さったアシュラムの皆様、感謝です。引き続き他の修道生共々よろしくお願いいたします。〜

 僕がここで学んだことは信仰です。 ここに来る前からこの世界には「自分を超えた力」があるんだろうなとは思っていました。しかしそれは「困ったときの神頼み、苦しくなったら帰る場所」というイメージでした。しかしクリスチャンのみんなを見てると、ある意味当たり前に神様がいるので、ここでの生活の前半は「神様あなたはいるの?いないの?」と問い続ける毎日でした。 しかし後半からは「俺は神様を信じるの?信じないの?」と問いかけが変わったのです。 「いる、いない」という根拠に基づいた人間の物差しで図っていても何の意味もないなと気付いたんです。 神様を信じる、というのは、神を第一として生きるということだと思います。 神を第一というと崇高で遠く感じますが、それをもう少し言葉にすれば「目に見える見栄えや力より、目に見えない感謝や愛情を優先して生きる。」とするとまだわかりやすいです。 僕は毎日の祈りとここでの生活を通して、目に見えないものを優先して生きて行きたいなと思いました。目に見えるものは依然大好物です

アシュラム修道場生活記番外編

「 アシュラムの皆さんへ 」              今泉 晶久

引越しの朝も早天祈祷会。五ヶ月間、殆ど休まず通い続けました。

 “榎本てる子師のために多くの皆様からの熱いお祈りをいただき励まされてあります。息苦しさの中でも感謝を忘れず懸命に生きようと頑張っているてる子姉をこれからもよろしくお願いいたします。 皆様のお手元にこのアシュラム誌が届けられる頃には、またてる子師の笑顔が戻っていますように!” (ラザロを思い祈る和子母)

アシュラムの方々の祈りの中で。

(和子母・常任料理ご奉仕の皆様と。)

修道場での最後の早天。この日の朝食は晶久君シェフ。手作りケーキも!

(5)2018年5月1日  第594 号

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列王紀上3章 「ソロモンの知恵」(2)

 「わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません…。あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与え下さい」3:7以下 ソロモンは王位を継承したとき、この様に謙虚な思いで継承したのです。すると神様は正しく聞き分ける知恵を与えられました。 ある日、遊女が二人王のもとにきて正しい裁きを願い出ました。二人にはそれぞれ子供が与えられ、一人の女が赤ん坊によりかかり、子供が死にました。その子をそっともう一人の女の子供と取替えたのです。二人は生きているのは自分の子だと言い張ります。するとソロモンは「剣を持ってくるように」と命じ、「生きている子を二つに裂き、一人に半分を、もう一人に他の半分を与えよ」と言います。すると生きている子の母親は、その子を哀れに思うあまり

「王様、お願いです。この子を生かしたままこの人にあげてください。この子を絶対に殺さないでください」と言いました。ソロモンは「この子を生かしたまま、さきの女に与えよ。その女がこの子の母である」 王の下した裁きを聞いて、人々は王を畏れ敬うようになりました。神の知恵が王のうちにあって、正しい裁きを見たからであります。 神に祈るとき、神は正しく聞き分ける知恵を与えられます。 「わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです。」

(ルカ17:10) この様な謙虚さを身につけたいものです。

みことば下妻シャロームキリスト教会牧師

山本 悦子

5月の聖書教室など

8㈫ 札幌ミニアシュラム

10㈭ 常任運営委員会(アシュラムセンター)

12㈯ 新さん祈りの家(滋賀・湖南市 新千重子姉宅 AM10:00)

14 ㈪ 福岡聖書教室(博多クリオコートホテル PM1:30)

15 ㈫ 大阪聖書教室(大阪クリスチャンセンター AM10:30)

16 ㈬ カフェちいろば聖書入門講座(京都・深草 PM1:30)

20 ㈰ ちいろば牧師記念チャペル夕礼拝・愛餐会(PM5:00)

25 ㈮ センター聖書教室(アシュラムセンター AM11:00)

26 ㈯ 広野祈りの家(兵庫・三木氏 猪瀬姉宅 PM1:00)

28 ㈪ 静岡聖書教室(旧・英和女学院宣教師館 PM2:00)

29 ㈫ 東京聖書教室(御茶ノ水クリスチャンセンター4F AM10:30)

29 ㈫ 桜美林リトリートアシュラム(桜美林大学荊冠 PM2:30)

7月 16日 福岡一日アシュラム

7月 28日 天上の友を憶える日礼拝

9月 14〜 15 日 新潟一泊アシュラム

9月 26〜 28 日 第6回 日光オリーブの里アシュラム

10月1〜2日 第42回 山陰アシュラム

10月5〜6日 第23回 北陸・富山アシュラム

10月 26 〜 27 日 第19回 愛知一泊アシュラム

11月 14 〜 16 日 第42回 阪神アシュラム

11月 20 〜 22 日 第43回 京浜アシュラム

7月以降のアシュラム予定

5月のアシュラムなど

3㈭〜5㈯

第26回 盛岡・秋田アシュラム奉仕者 榎本恵師

019ー636ー0285角谷晋次師

3㈭〜5㈯

第38回 関東青年アシュラム奉仕者 溝口勝幸師

048ー768ー3001森戸敬子姉

14㈪〜15㈫

第12回 那須アシュラム奉仕者 大門義和師

0287ー69ー0310井戸淳子

18㈮〜19㈯

第5回 北陸・金沢アシュラム奉仕者 榎本恵師

076ー241ー4409石田哲夫兄

26㈯第18回 愛知一日アシュラム奉仕者 鷹取裕成師

0562ー47ー0528溝口勝幸師

6月のアシュラム予定

2㈯第17回 新潟一日アシュラム奉仕者 加々美要師

0250-23-2697吉澤昭男兄

5㈫第8回 札幌一日アシュラム奉仕者 榎本恵師

011-561-7951吉田すみゑ姉

6㈬〜8㈮

第43回 教職アシュラム奉仕者 加々美要師

048-789-1325加々美要師

12㈫第22回 埼玉一日アシュラム奉仕者 岩波久一師

048ー726ー2208秋山信夫師

14㈭〜16㈯

第44回 加太アシュラム奉仕者 黒田朔師

072ー445ー8235西川武兄

21㈭〜24㈰

たびんちゅ牧師と行く沖縄巡礼の旅奉仕者 榎本恵師

0748ー33ー4030アシュラムセンター

⃝日程、予定6/21 ㈭ 那覇空港集合 12:30     サマリア人病院訪問 22 ㈮ 慰霊祭(第2外科壕跡) 23 ㈯ 伊江島、わびあいの里、     ぬちどぅ宝、反戦資料館 24 ㈰ サマリア人伝道所 礼拝     解散

⃝費用 60,000円    (ホテル宿泊費、食事、    入館料、レンタカー、    フェリー代 含む) ※飛行機チケットは各自で  お早目にお取り下さい。⃝定員 8名 ご参加 お待ちしています。

たびんちゅ牧師と行く沖縄巡礼の旅

(6)2018年5月1日  第594 号

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