ロシアにおける海軍強化の方針と国防産業1985 年から1991...

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ロシアにおける海軍強化の方針と国防産業 35 ロシアにおける海軍強化の方針と国防産業 坂口 賀朗 はじめに 2008 10 月以来、ロシアでは大規模な軍改革が進められ、組織・機構改革はほぼ終了し、 老朽化した装備の近代化に改革の焦点が移っている。装備の更新・近代化は、2010 年末 に策定された「2020 年までの国家装備計画」(以下、現国家装備計画)に基づいて進め られ、高い機動力と高い専門性と最新装備を備えた軍隊への変革は徐々に成果を見せ始め ている。こうした中、海軍もソ連崩壊後の疲弊した状態を脱しつつあり、停滞していた新た な艦艇の建造と海軍への導入の動きが再び見られるようになっている。海軍の強化はロシア 指導部の方針として明確に示されている。2012 5 7 日、ウラジミール・プーチン大統領 は、3 期目のロシア大統領就任に当たり同日付で「軍の発展および国防産業の近代化計画 の実現」に関する大統領令を発し、その中で国防上の重要課題の一つとして北極と極東を 重視した海軍の強化に取り組む姿勢を示すとともに、その土台となるロシアの国防産業の強 化の重要性を強調した 1 。現国家装備計画では、海軍の強化のために 2020 年までに約 100 隻の様々な新たな艦艇を導入する方針が示されており、上記大統領令はその方針を強く追 認するものとなっている。 近年、わが国の安全保障上の関心は主に中国の海軍力の増強および海洋活動の活発化 に向けられているが、ロシア海軍の動向にも再び目を向ける必要が出てきているように思われ る。例えば、米国の海軍関係者の中にも、ロシア海軍が徐々に回復の兆しを見せ始めてい るとの認識が示されるようになっている 2 。本稿の目的は、ロシア海軍強化の方針が実現してい くのかどうか展望することである。まず、海軍強化方針の背景をなすロシアの海洋戦略とそ の安全保障における海軍の役割について整理する。次に、現国家装備計画における艦艇 の整備計画とその進展状況について明らかにする。そして最後に、艦載用の装備の現状、 軍事的観点からみた整備される艦艇の評価、艦艇調達の基盤となる造船部門を含むロシア の国防産業の現状と問題について検討する。 1 http://news.kremlin.ru/acts/15242. (2013 10 4 日アクセス ) 2 Captain Thomas R. Fedyszyn (U.S. [Navy Retired]), Renaissance of the Russian Navy? PROCEEDINGS, March 2012, pp.30-35 および Lieutenant Commander Tom Spahn (U.S. Navy Reserve), The Russian Submarine Fleet Reborn, PROCEEDINGS, June 2013, pp.36-41.

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ロシアにおける海軍強化の方針と国防産業

坂口 賀朗

はじめに

2008年 10月以来、ロシアでは大規模な軍改革が進められ、組織・機構改革はほぼ終了し、老朽化した装備の近代化に改革の焦点が移っている。装備の更新・近代化は、2010年末に策定された「2020年までの国家装備計画」(以下、現国家装備計画)に基づいて進められ、高い機動力と高い専門性と最新装備を備えた軍隊への変革は徐 に々成果を見せ始めている。こうした中、海軍もソ連崩壊後の疲弊した状態を脱しつつあり、停滞していた新たな艦艇の建造と海軍への導入の動きが再び見られるようになっている。海軍の強化はロシア指導部の方針として明確に示されている。2012年 5月7日、ウラジミール・プーチン大統領は、3期目のロシア大統領就任に当たり同日付で「軍の発展および国防産業の近代化計画の実現」に関する大統領令を発し、その中で国防上の重要課題の一つとして北極と極東を重視した海軍の強化に取り組む姿勢を示すとともに、その土台となるロシアの国防産業の強化の重要性を強調した 1。現国家装備計画では、海軍の強化のために 2020年までに約 100

隻の様々な新たな艦艇を導入する方針が示されており、上記大統領令はその方針を強く追認するものとなっている。近年、わが国の安全保障上の関心は主に中国の海軍力の増強および海洋活動の活発化

に向けられているが、ロシア海軍の動向にも再び目を向ける必要が出てきているように思われる。例えば、米国の海軍関係者の中にも、ロシア海軍が徐々に回復の兆しを見せ始めているとの認識が示されるようになっている 2。本稿の目的は、ロシア海軍強化の方針が実現していくのかどうか展望することである。まず、海軍強化方針の背景をなすロシアの海洋戦略とその安全保障における海軍の役割について整理する。次に、現国家装備計画における艦艇の整備計画とその進展状況について明らかにする。そして最後に、艦載用の装備の現状、軍事的観点からみた整備される艦艇の評価、艦艇調達の基盤となる造船部門を含むロシアの国防産業の現状と問題について検討する。

1  http://news.kremlin.ru/acts/15242. (2013年 10月 4日アクセス )2  Captain Thomas R. Fedyszyn (U.S. [Navy Retired]), “Renaissance of the Russian Navy?”

PROCEEDINGS, March 2012, pp.30-35 および Lieutenant Commander Tom Spahn (U.S. Navy Reserve), “The Russian Submarine Fleet Reborn,” PROCEEDINGS, June 2013, pp.36-41.

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1 ロシアの海洋戦略と海軍

ロシア海軍の将来を展望する前提として、ロシアの海洋戦略とその中で海軍にいかなる役割が期待されているかを見る必要があろう。ロシアはその海洋戦略を示す主要な文書として、2000年 3月4日に「2010年までの海軍活動の分野におけるロシア連邦の政策の基本」3を、また、2001年 7月27日に「2020年までのロシア連邦の海洋ドクトリン」4をそれぞれ策定した。これらの文書によると、海軍に期待される主要な役割は3つある。第1は、ロシアとその同盟国に対する海洋からの侵略あるいはその脅威を抑止し、侵略があった場合はそれを排除することである。第2は、海洋におけるロシアの国境を防衛することである。そして第3は、領海、排他的経済水域、大陸棚および大洋におけるロシアの経済活動やその他の権益を擁護することである。さらに、2010年 12月、ロシアは「2030年までのロシア連邦の海洋活動の発展戦略」5

(以下、海洋活動発展戦略)を策定した。海洋活動発展戦略は、先の二つの文書の内容を踏まえつつ、海洋活動発展のための軍事面での課題と海軍の将来像について言及している。軍事面での課題については、世界の大洋におけるロシアの主権及び主権的権利の実現、海洋での経済活動やその他の活動の安全の確保、さらには海洋におけるロシアの軍事的安全保障の確保があげられ、これらの課題を解決するための軍事力のレベルはいまだ不十分であるとの現状認識が示されている。海軍の将来像については、長期的に海軍力の変革と強化を進め、ロシアが海洋活動を行うあらゆる海域での海軍の作戦能力とそのプレゼンスを強化し、最終的には、他の軍種や部隊との相互連携の推進による統合作戦能力の強化と北方艦隊と太平洋艦隊に属する空母を中心とする打撃部隊を編成するとの構想が提示されている。プーチン大統領が上述の大統領令で海軍の強化において北極と極東に特に言及したことの背景が何かが注目される。北極については、2008年9月に公表された北極政策の基本文書となる、「2020年までのロシア連邦の北極政策の基本」が、北極地域をロシアの最重要の戦略的資源基地と位置づけるとともに、この地域で資源をめぐる緊張の高まりが軍事紛争に発展する可能性が指摘されていた。また、2009年 5月に公表された「2020年までの

3  この文書の概要については以下を参照。Mikhail Barabanov, Sovremennoe Sostoyanie i Perspektivy Razvitiya

Rossiiskogo Flota (The Current Situation and the Perspectives of Development of the Russian Fleet), (Moskva, Tsentr Oboronnoy Informatsii), 2006, pp.6-7.

4  http://www.scrf.gov.ru/documents/34.html (2010年 6月18日アクセス )5  この全文は以下のロシア連邦法令集を参照。Sobranie Zakonodatelstva Rossiiskoi Federatsii (Statute book

of laws and ordinances of the Russian Federation), No.51, St.6954, December 2010, pp.15919-15939.

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ロシア連邦の国家安全保障戦略」でも、資源をめぐる緊張が激化し、北極地域などの資源が豊富な地域で軍事紛争が生起する可能性があると言及されていた 6。そして、こうした紛争に備えることが海軍をはじめロシア軍にとって重要であることが暗に示されているといえよう。ロシア指導部が極東での海軍の強化を重視するのは、中国の海軍力の増強と海洋活動の活発化が重要な背景要因の一つであるとみられる 7。海洋からの侵略およびその脅威に対する抑止力は通常戦力だけでなく戦略核抑止力も含

み、海洋核戦力はロシアの戦略核戦力を構成する重要な要素と認識されている。2010年 2

月策定の現軍事ドクトリンでも国防における核戦力重視の方針が示されており8、現国家装備計画では、戦略原子力潜水艦(SSBN)を含む戦略核戦力の強化と近代化に高い優先度が与えられている 9。

2 現国家装備計画における艦艇の整備計画とその進展状況

現国家装備計画では、2020年までに海軍に約 100隻の様 な々新たな艦艇を導入する計画が示されており、その主要な調達計画の内訳は表1(次頁)の通りである。これらの整備計画のうち最も優先的に実行に移されているものが、ロシアの戦略核戦力を構成する海洋核戦力である戦略原子力潜水艦(SSBN)とそれらに搭載する弾道ミサイル(SLBM)の整備である。全部で 8隻調達予定のボレイ級 SSBN(プロジェクト955/955A)の建造は進展している。すでにボレイ級 SSBNの1番艦ユーリー・ドルゴルキーは 2013年1月に北方艦隊に就役し、続いて2番艦アレクサンドル・ネフスキーと現在試験航行中の 3番艦ウラジミール・モノマフは 2014年中に就役予定となっている 10。さらに 4番艦ウラジミール大公(4番艦から改良型の 955Aタイプ)は 2012年 7月に建造が開始され、5番艦および 6番艦の建造も2013年中に着手されたもようである 11。

1985年から1991年にかけて就役したデルタⅣ級 SSBN(プロジェクト667BDRM)はボ

6  防衛省防衛研究所編『東アジア戦略概観 2011』(平成 23年 3月)、64頁。7  この点については、坂口賀朗「ロシアの軍改革とロシア極東地域におけるロシア軍の変化」カロリナ・ベンディル・パリン、兵頭慎治編『FOI-NIDS 共同研究 隣国からの視点 日本とスウェーデンから見たロシアの安全保障』(防衛省防衛研究所、平成 24年 11月)、43-53頁参照。

8  現軍事ドクトリンのテキストは、http://www.scrf.gov.ru/documents/18/33.htmlによる。(2010年 6月18日アクセス)

9  Krasnaya zvezda, 25 February 2011, http://www.redstar.ru/2011/02/25_02/1_01.html.(2013年 10月18日 アクセス)

10  Voennyi parad, No.1, 2013, pp.5-7,および http://www.rg.ru/printable/2013/11/08/nevskiy-anons.html (2013年 12月 9日アクセス )

11  Voennyi parad, No.1, 2013, pp.5-7.

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レイ級 SSBNの配備が進むまで依然としてロシアの海洋核戦力の重要な柱と位置づけられ、それらの改修・換装も進展している。海軍には 6隻のデルタⅣ級 SSBNが就役しているが、すでに現国家装備計画策定前にヴェルホトゥーリエ、エカテリンブルク、トゥーラ、ブリャンスク、カレリアの 5隻の改修は終了し、計画に示されていた 6隻目のノヴォモスコフスクの改修も2012年 1月に完了した。これらデルタⅣ級 SSBN搭載の弾道ミサイルは、改修によってR29RMからその改良型のシネヴァ(R29RMU)への換装が進められている 12。次に通常戦力の潜水艦プロジェクトとして重要視されているのが、最大 10隻まで調達予定

の多目的原子力潜水艦ヤーセン級(プロジェクト885/885M)の建造である。ヤーセン級の1番艦セヴェロドゥヴィンスクは 2013年に就役し、2番艦カザンの就役は 2015年以降の予定となっている。さらに3番艦の建造が2013年 7月に着手された 13。通常潜水艦については、ラーダ級(プロジェクト677)と改良型キロ級(プロジェクト636.6)の調達が進められている 14。ラー

12  Barabanov, Sovremennoe Sostoyanie i Perspektivy Razvitiya Rossiiskogo Flota, pp.14-15, および Korotchenko (ed.), Vooruzhonnye Sily Rossiiskoi Federatsii, p.263.

13  Korotchenko (ed.), ibid., pp.263-264, Voennyi parad, No.3, 2013, p.6, および Dmitry Boltenkov, “Russian Naval Shipbuilding in 2012,” Moscow Defense Brief, No.3, 2013, p.12.

14  Boltenkov, ibid., pp.12-13.

表1 艦艇の整備計画(種類および隻数)の概要潜水艦戦略原子力潜水艦ボレイ級(プロジェクト 955/955A) 8隻多目的原子力潜水艦ヤーセン級(プロジェクト885/885M) 6~ 10隻通常潜水艦ラーダ級(プロジェクト 677) 5隻通常潜水艦改良型キロ級(プロジェクト 636.6) 10隻水上艦ミサイル巡洋艦(プロジェクト1164) 1隻フリゲート艦(プロジェクト22350、11356M、11661Kおよび開発中のものを含む) 15隻コルベット艦(プロジェクト20380、20385および開発中のものを含む) 35隻強襲揚陸艦ミストラル級(フランスから購入およびライセンス生産) 4隻既存艦艇の改修・換装戦略原子力潜水艦デルタⅣ級(プロジェクト 667BDRM) 1隻原子力潜水艦(プロジェクト 949A) 2隻航空母艦アドミラル・クズネツォフ(プロジェクト11435) 1隻原子力ミサイル巡洋艦(プロジェクト11442) 2隻

(出所)Igor Korotchenko (ed.), Vooruzhonnye Sily Rossiiskoi Federatsii: Modernizatsiya i Perspektivy Razvitiya (Armed Forces of the Russian Federation: Modernization and the Perspectives of development), (Moskva, Natsionalnaya Oborona), 2012, pp.259-264. Fredrik Westerlund, “The Defence Industry,” in Carolina Vendil Pallin (ed.), Russian Military Capability in a Ten-Year Perspective -2011, FOI-R--3474--SE, Swedish Defence Research Agency (FOI), 2012, pp.69-70、および http://function.mil.ru/news_page/person/more.htm?id=11807877 @egNews&_print=true (2013年 10月 25日アクセス )。

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ダ級は、1番艦サンクトペテルブルクが 2014中には就役予定であり、3番艦まで建造が進み、2016年には完成予定である。また、改良型キロ級は、1番艦ノヴォロシースクが 2013年に進水し、現在 3番艦までの建造が進められ、2013年に 4番艦の建造が着手された。水上艦の建造も現国家装備計画の策定とともに進展し始めている15。フリゲート艦について

は主なものとして、プロジェクト22350とプロジェクト11356Mの 2タイプをそれぞれ 6隻ずつ調達する計画である。北方艦隊と太平洋艦隊に配備が予定されるプロジェクト22350については、1番艦が 2013年に試験航行に入り、2番艦と3番艦は現在建造中であり、さらに 4番艦の建造も2013年に着手された。黒海艦隊に配備予定のプロジェクト11356Mについては、1番艦は 2013年に試験航行に入り、2014年中に就役予定であり、続く4番艦までの 3隻は建造中である。コルベット艦については主なものとして、プロジェクト20380を12隻と改良型のプロジェクト

20385を16隻調達する計画である。コルベット艦はサンクトペテルブルクにあるセヴェルナヤ・ヴェルフ造船所と極東のコムソモルスク・ナ・アムーレにあるアムールスキー造船所の 2か所で建造されている。セヴェルナヤ・ヴェルフ造船所ではプロジェクト20380の 4隻の建造が終了し、2013年に 4隻目が就役した。また同造船所ではプロジェクト20385の 2隻が建造中である。一方、アムールスキー造船所はプロジェクト20380の 2隻を建造中である。フランスとの共同プロジェクトとなっているミストラル級強襲揚陸艦の建造・導入計画も進展

しつつある 16。2013年 10月、1番艦のウラジオストクが進水し、セヴェルナヤ・ヴェルフ造船所に曳航され、装備等を取り付ける作業に入ることになった。さらに2013年中に2番艦セヴァストーポリの建造が開始された。そして 2014年から2015年にかけてこれら2隻の太平洋艦隊への配備が予定されている。これらの潜水艦および水上艦の建造あるいは改修・換装の動きを見ると、現国家装備計画の策定とその実現のための予算計画により、2011年以降ロシアの造船産業の活動が再び活発になりつつあるように見える。それをよりよく理解するためには、現国家装備計画の前の国家装備計画にあたる「2006年から2015年までの国家装備計画」(以下、前国家装備計画)における装備の整備状況と比較してみればよいであろう。前国家装備計画はほとんど実行されず、計画の5年ごとの見直しにより現国家装備計画が策定された経緯がある。海軍装備に関して前国家装備計画の実行状況がどうであったか整理してみると以下のようになる。プロジェクト955ボレイ級 SSBNは7隻の就役が計画されたが 1隻も就役に至らなかっ

15  Boltenkov, ibid., pp.13-14, および http://function.mil.ru/news_page/person/more.htm?id=11807877@egNews&_print=true (2013年 10月 25日アクセス )。

16  Boltenkov, ibid., p.13,および Krasnaya zvezda, 16 October 2013.

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た。1隻は進水準備中であったが、搭載すべき弾道ミサイル「ブラヴァ」の生産は遅れていた。次に、前国家装備計画では、6隻の多目的潜水艦を供給する予定であったが、1隻の供給もなされなかった。さらに前国家装備計画では、24隻の水上艦の供給を計画していたが、達成されたのは 10%未満であった。国防省の装備担当の幹部の発言によれば、こうした低調な装備計画の達成状況は、生産効率の悪さといった主要国防企業が抱える組織的問題を反映しているとみられる 17。こうした前国家装備計画の悪い実施状況は 2011年以降好転したといえる。2013年 5

月時点で、潜水艦と水上艦合わせて 48隻がロシア海軍のために建造中との指摘もある 18。2012年 7月、ボレイ級 SSBNやヤーセン級原子力潜水艦を建造しているセブマシュ造船所を訪問したプーチン大統領は、現国家装備計画における海軍への装備調達の方針を説明し、2020年までに現国家装備計画における装備調達計画全体の支出予定額 19兆ルーブルの 23.4%に当たる4兆 4,400億ルーブルを海軍強化のために支出することになると述べた。これによって、海軍の艦艇に占める新たな艦艇の比率は 2016年までに 30%に、さらに 2020年までに 70%に改善されるとの見通しを示したのである 19。この現国家装備計画の支出予定額については高額すぎるとして財務省から予算額の圧縮を求める声が出ているが、2013年 4月、ユーリー・ボリーソフ国防次官(国家防衛発注担当)は、国防産業の幹部たちが出席した会合で現国家装備計画の予算の削減はないとの見通しを示した 20。ロシア指導部が現国家装備計画のための十分な予算を確保しようとしていることは、こうした海軍関係の装備調達にも肯定的な影響をもたらしていることは間違いない。例えば、海洋戦略核戦力として整備が最優先されているボレイ級 SSBNの建造を例にとれば、1番艦ユーリー・ドルゴルキーの場合は起工から引き渡しまで 12年もかかったが、起工した 1996年から1999年まではボリス・エリツィン大統領政権下で国防予算が十分に確保されていなかった時期であったことが建造の遅れに影響したと思われる。これに対し2004年起工の 2番艦アレクサンドル・ネフスキーの場合はこの期間が 6年に短縮され、さらに 2006年起工の 3

番艦ウラジミール・モノマフの場合はさらに短縮されて 5年になった 21。

17  Nezavisimoe voennoe obozrenie, 11-17 March, 2011.18  Boltenkov, ibid., p.15.19  Krasnaya zvezda, 1 August 2012および http://news.kremlin.ru/transcripts/16086/print (2012年 8月 3日アクセス ).

20  Voennyi parad, No.3, 2013, pp.4-6.21  Barabanov, Sovremennoe Sostoyanie i Perspektivy Razvitiya Rossiiskogo Flota, pp.17-19およびAppendix

No.4のデータによる。

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表2が示す通り、現国家装備計画の最初の 3年間(2011年から2013年まで)の国家防衛発注予算は確実に増額されており、国防費に占める比率も高まっている。特に 2013年の国防費に占める国家防衛発注費の比率は 55.4%となり、軍の発展・近代化のための費用がはじめて軍の維持費を上回ったことを示している。さらに、国家防衛発注費の内訳を見れば、新たな装備の購入費も確実に比率を高めている22。こうした国家防衛発注費の動向は、海軍装備の建造や調達にも肯定的な影響をもたらしていることは指摘できるだろう。現国家装備計画の策定とそのための予算措置の結果、新たな海軍艦艇の建造は徐々に進み始めており、ロシア指導部が掲げる海軍強化の方針が実行に移されつつあるといえる。しかし、こうした傾向が今後も継続し海軍の強化につながっていくかどうかをみるにはいくつかの要因を考慮しなければならない。第一は、艦艇の建造は進展し始めているものの、艦艇に搭載するミサイルの生産の面では課題を残している点である。特にSLBMブラヴァ(R30)の生産に関し問題が生じている。第二は、整備されている艦艇が本当に海軍の要求に合致し、能力向上に資するものかどうか疑問が提示されていることである。特にフランスから導入されるミストラル級強襲揚陸艦に関する疑問が一部の専門家から提起されている。第三は、ロシアの国防産業が抱える様々な問題が依然として解決されておらず、現国家装備計画に示されている高い調達目標に国防産業が応えられるかという問題がある。それゆえプーチン大統領は、海軍強化のためには国防産業の強化が不可欠であると強調しているわけである。以下、これらの諸問題を検討してみることにしたい。

22  Korotchenko (ed.), Vooruzhonnye Sily Rossiiskoi Federatsii: Modernizatsiya i Perspektivy Razvitiya, pp.274-279.

表2 2010年から 2013年までの国防費と国家防衛発注費 (単位:10億ルーブル)2010年 2011年 2012年 2013年

国防費 1277 1521 1661 2102

国家防衛発注費(対国防費比率)

487(38.1%)

574(37.7%)

726(43.7%)

1165(55.4%)

装備購入費及び近代化費用(対国家防衛発注費比率)

380(78.0%)

460(80.0%)

596(82.1%)

980(84.1%)

新装備購入費(対国家防衛発注費比率)

316,5(65.0%)

374(65.0%)

487(67.0%)

816(70.0%)

装備近代化費用(対国家防衛発注費比率)

63,5(13.0%)

86(15.0%)

109(15.0%)

164(14.1%)

研究開発費(対国家防衛発注費比率)

107(22.0%)

114(20.0%)

130(18.0%)

185(15.9%)

(出所)Igor Korotchenko (ed.), Vooruzhonnye Sily Rossiiskoi Federatsii: Modernizatsiya i Perspektivy Razvitiya (Armed Forces of the Russian Federation: Modernization and the Perspectives of development), (Moskva, Natsionalnaya Oborona), 2012, p.279.

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3 ロシア海軍強化の観点から考慮すべき諸問題

( 1 )艦艇搭載用のミサイルの生産に関する問題現国家装備計画において最も優先されているプロジェクトの一つであるボレイ級 SSBN

(プロジェクト955/955A)に関してはその建造は進展しているものの、それらに搭載されるSLBMブラヴァに関わる問題が依然として解決されていない 23。2013年 9月6日、試験航行中のボレイ級 SSBNの 2番艦アレクサンドル・ネフスキーからブラヴァの発射試験が行われたが失敗した。この結果、これまで通算で 20回の発射試験のうち 8回失敗したことになり、この失敗を受けてセルゲイ・ショイグ国防相は、アレクサンドル・ネフスキーと試験航行中の 3

番艦ウラジミール・モノマフの試験航行を一時停止する措置を取った。これにより両艦の就役が予定より遅れるかもしれないとの見方が一部に出はじめている。現国家装備計画では、2020年までに SLBMブラヴァを128~ 148基(1隻のボレイ級

SSBNプロジェクト955当たり16基、改良型のプロジェクト955A1隻当たり20基配備予定)調達予定であるが、目標達成はかなり難しいと予測する専門家もいる 24。ブラヴァの発射試験においてかなりの確率で失敗が繰り返されていることは、ロシアの国防産業が抱える深刻な問題を反映しているとの指摘もある 25。プロジェクト955の開発当初、搭載するミサイルはR39UTTXバルクを予定していたが、1998年に 3回発射試験に失敗した後に同ミサイルの生産に関する作業は中止された。開発・生産を担当するモスクワ熱技術研究所(MIT)は、バルクに代わってブラヴァの開発に着手したが、同企業が抱える根本的な問題から開発に遅れが生じた。MITは地上発射の大陸間弾道ミサイル「トーポリM」の生産を担っている企業だが、SLBMの開発・生産に関して経験が不足しており、当初ブラヴァとトーポリMの両プロジェクトを統一して進めようとして混乱を招いた。また、プロジェクト開始当初の資金不足等の影響から、当初 2003年に予定されていた最初の発射試験は 2005年 9月になってようやく実現した。こうした経緯からブラヴァの開発・生産の過程が紆余曲折を経ていることがわかる 26。問題となっているブラヴァ以外にも現国家装備計画では艦艇用の装備としてかなりの量のミ

サイルの生産が必要になっている。すなわち、2020年までに SLBMシネヴァ40基、ヤーセ

23  Roger McDermott, “Bulava: Russia’s Most Spectacular Defense Industry Failure,” The Jamestown

Foundation Eurasia Daily Monitor, Vol.10, Issue 188, October 22, 2013.24  Susanne Oxenstierna and Fredrik Westerlund, “Arms Procurement and the Russian Defense Industry:

Challenges Up to 2020,” The Journal of Slavic Military Studies, Vol.26, January-March 2013, No.1, p.20.25  McDermott, “Bulava: Russia’s Most Spectacular Defense Industry Failure.” 26  Barabanov, Sovremennoe Sostoyanie i Perspektivy Razvitiya Rossiiskogo Flota, pp.16-18.

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ン級原子力潜水艦、プロジェクト22350フリゲート艦およびプロジェクト20380コルベット艦用の艦載ミサイルシステム「カリブル」(対艦巡航ミサイル 3M54や長距離巡航ミサイル 3M14

を含む、生産目標基数は不明)などの生産・調達も計画されており、国防企業には目標達成のためにかなり高いペースでの各種ミサイルの生産が求められる 27。

( 2 )軍事的にみた整備される艦艇の評価既述しているように現国家装備計画に基づいて進展し始めている艦艇の建造であるが、こ

れが質的な向上、すなわち実際の海軍の能力向上につながるものなのかどうか疑問が提示されている点も指摘できる。これはフランスからのミストラル級強襲揚陸艦の導入を巡って顕著である。ロシアは現在、自国が遅れている軍事技術については自主開発ではなく外国からの技術移転によって効率的に取得する方針を打ち出しており、こうした観点から進展している最大のプロジェクトがミストラル級強襲揚陸艦 4隻の導入である 28。この計画との関連で、2010年11月、ロシアの統一造船会社とフランスの海軍防衛グループ(DCNS)は、民間船舶および軍艦建造の分野におけるコンソーシアムを創設することで合意するなど 29、ロシアの造船部門、特に水上艦の建造分野での後れを克服しようとする動きもみられる。例えば、このプロジェクトを推進した一人であるセルゲイ・イワノフ国防産業担当副首相(当時、現大統領府長官)は、ミストラル級強襲揚陸艦導入の理由について、ロシアが水上艦建造分野で先進国から大きく後れをとっている現状を改善するための措置であると発言している30。具体的にイワノフ副首相は、ロシアの国防産業は自力で約 35%しか部品を賄えない厳しい現実を指摘してこのプロジェクトの必要性を説明したのである。造船部門強化の観点から肯定的な評価がみられる一方、軍事的な観点からミストラル級強襲揚陸艦の導入について肯定的に評価しにくいとの意見も散見される31。これらの否定的な評価は、以下の六点に整理することができる。第一は、ミストラル級強襲揚陸艦の配備予定先に疑問を投げかける見解である。すなわち、国防省の説明ではミストラル級強襲揚陸艦導入の目的は北方領土(ロシアでは南クリル諸島と表記されている)における部隊の強化のためであると言われている。しかし、これは空念仏とも言えるのではないか。なぜなら、ミスト

27  Oxenstierna and Westerlund, “Arms Procurement and the Russian Defense Industry,” p.20 and Korotchenko (ed.), Vooruzhonnye Sily Rossiiskoi Federatsii: Modernizatsiya i Perspektivy Razvitiya, p.262.

28  “European parliament criticizes France for selling Mistral ship to Russia,” Itar-tass, September 9, 2010. 29  Ibid.30  Aleksandr Chuikov, Reformy Rossiiskoi Armii: ot Petra do Serdiukova, (Reform of the Russian Military:

from Peter to Serdiukov) (Eksmo, 2012), pp.253-254.31  これらの意見については、Chuikov, ibid., pp.259-265にうまく整理されている。

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ラル級強襲揚陸艦が北方領土に兵員を上陸させる際に同艦が攻撃された場合にそれらを防衛する装備が太平洋艦隊には欠けているからである。第二は、ミストラル級強襲揚陸艦が有する能力・機能とロシアの国防上の課題が合致して

いないという問題である。ミストラル級強襲揚陸艦は海洋の遠隔地に約 500人の兵員を上陸させる機能を有し、そのために最大 16機のヘリコプターを搭載する。しかし、ロシア軍にこうした作戦が想定される場所はあるのか。海洋からの攻撃に対する国の防衛、海洋戦略核戦力の安定の確保、平時における船舶の航行の防御、平時におけるロシアの国益の擁護といった諸課題の解決のために必要なものは、打撃力や対艦戦闘能力である。海洋の近接地域で戦術海兵部隊を上陸させるための国産の揚陸艦はすでに保有している。第三は、ミストラル級強襲揚陸艦の弱点ともいえるもので、自衛の能力がきわめて限定的で

あるということである。結果として、ミストラル級強襲揚陸艦は他の部隊の援護がないと作戦の遂行が難しいという問題がある。第四は、上陸作戦の性格に関するものである。海兵部隊の上陸のためには上陸地域の

制空権と制海権の確保が不可欠である。現在のロシア海軍のどの艦隊も遠隔地でのこうした能力を有していない。すなわち、遠隔地域で作戦を遂行するために不可欠な数の艦艇も艦載航空部隊も欠いているのである。従ってミストラル級強襲揚陸艦を用いることが可能になるのは、他国による援護があり、他国の艦隊による制空権と制海権の確保された状況においてであるという制約がある。第五に、外国製の兵器はロシアの指揮システムに適合しない可能性があるという問題が指摘できる。ミストラル級強襲揚陸艦をロシアの指揮システムに適合させるのは、技術的にかなり複雑とみられている。第六に、ミストラル級強襲揚陸艦は、海兵隊の運用および上陸作戦の遂行に関する西側

の概念に基づき建造されているとロシアの軍事専門家はみている。この概念とは、大洋の最も重要な地域に前方展開し、もっぱらすでに敵が一掃された沿岸部に兵員や装備を上陸させることを想定している。この場合、ミストラル級強襲揚陸艦自体は、その吃水の深さのため、沿岸部からかなり離れた地点に留まることになる。ミストラル級強襲揚陸艦は、それ自体で兵員や装備を上陸させることはできず、2隻から4隻の揚陸艇の支援を得て兵員や装備を岸まで移動させることができるだけである。作戦の規模によっては、3隻から4隻の揚陸艇の支援が必要になるし、さらなる兵員や装備の移動のために前線の拠点を確保するための前線攻撃部隊の装備を移動させるためにさらに他の揚陸艦の支援が必要になるかもしれない。これらの軍事的観点からの興味深い否定的な見解の他に、ロシアが既に必要な揚陸艦のプロジェクトを進めているとの指摘がある。すなわち、カリーニングラードに所在するヤンターリ

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造船所で大型揚陸艦プロジェクト775/775Mやプロジェクト11711がすでに着手されており、これらは大隊規模の海兵部隊とその装備を輸送・上陸させる能力を持つが、これ以外に大型揚陸艦が必要なのかという疑問が提起されているわけである。しかも、ロシアは大規模な兵力や装備を移動させる必要がある海外拠点や海外の軍事基地は有しておらず、国産の揚陸艦以外のプロジェクトが必要なのかという指摘がなされているのである 32。さらに、ロシアの国防産業の幹部たちの中にもミストラル級強襲揚陸艦の導入に否定的な見解を表明する人々がいるとの興味深い指摘がある。これらの中には、様々な兵器やその関連のハイテク製品を生産する国営企業グループ「ロステクノロジー」のセルゲイ・チェメゾフ総裁も含まれているという。否定的な見方の理由は、ミストラル級強襲揚陸艦導入に掛かる高額の予算をもっとロシア国内の造船部門の発展・強化のために投資すべきであるというものである 33。

( 3 )国防産業が抱える問題とその強化のための課題プーチン大統領は国防上の重要課題の一つとして、国防力の近代化の土台となるロシアの国防産業の近代化と強化を掲げている。ロシアの国防産業は、ロシア軍の近代化に必要な最新装備を十分に生産する能力が欠如しているとロシア指導部は見ている。特にロシアが著しく後れているとされるハイテク装備の生産能力は、先進的な軍隊を持つ国家と比べ約 20

年遅れているとの指摘もある。ここではまずロシアの国防産業全体の問題と課題を整理し、次に造船部門のそれらについて検討する。

(ア)古い体質のままの国防産業とその改革が進まない理由プーチン大統領は、ロシアの国防産業が過去 30年間にわたり、研究開発、生産両面で近代化が著しく遅れ、旧型の装備を型どおりに生産するだけになっているとの厳しい見方を示し、取り組むべき課題として、①先端的な次世代の装備の供給の増加、②将来を見据えた科学技術力の形成、③競争力のある装備を生産するために不可欠な技術の開発と習熟、および④先端装備の生産に特化した産業の技術基盤の改善を挙げた34。こうした課題の克服のために、現国家装備計画で予定されている2020年までの総額約 23兆ルーブルの予算のうち、4兆ルーブルは国防産業の近代化に割り当てられることになっている。しかし、こうした課題の克服は容易でないといえるかもしれない。1990年代および 2000

32  Nezavisimoe voennoe obozrenie, 20-26 November, 2009.33  Chuikov, Reformy Rossiiskoi Armii, pp.254-255.34  http://premier.gov.ru/events/news/18185. (2012年 3月10日アクセス)

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年代の経済改革の遂行にもかかわらず、国防産業の大部分は依然として国家のコントロール下にあり、ソ連時代の遺産を色濃く引きずっているともいえる。1980年代半ばにピークに達したソ連の軍事力建設は、1996年から1998年にかけて最低レベルに低下した。GDPに占める国防予算の割合は 15~ 17%から3%にまで低下した。この間、国防産業の生産高は約 80%低下し、国防産業全体の雇用も約 3分の 2低下した。国防産業の従事者の能力の低下は深刻な問題となり、30歳以下の従事者の割合は約 20%に低下し、熟練技術者の深刻な不足が大きな問題となり、従事者の平均年齢も50歳以上となっている 35。なぜ、ロシアの国防産業の改革が進まないのか。依然として国有企業の比率が高く、政府が主要な顧客であるという特殊な状況の下で、市場経済に適合するような改革を進めようというインセンティブがこれらの企業にはほとんど働かないとみることができる。まさにこれらの企業は、非効率で市場経済に不適合なままの状態にあるともいえよう。また、生産設備の老朽化も深刻である。ほとんどの国防企業では、1980年代前半以降、技術基盤の更新がなされてこなかった。2009年末の段階で国防産業の既存の設備の 74%が老朽化しているとの報道もある 36。

2012年 5月、「ロステクノロジー」のチェメゾフ総裁が明らかにしたところでは、「ロステクノロジー」には 600以上の企業が属し、約 94万人が働いているが、その生産量はロシアの国防産業全体の生産量の約 4分の 1に過ぎないという37。こうした生産効率の低さの克服という課題を検討するため、2012年 8月、プーチン大統領は安全保障会議を招集し 38、この会議では、装備生産に関する官民パートナーシップの確立を含む国防産業の革新的発展のために採るべき諸措置が検討された。すでにプーチン大統領は、海軍の強化方針に言及した既述の大統領令の中で、高品質の装備の生産のために、先進的な世界の企業と技術提携を進めることによって、外国の先進技術の利用を可能とするような国防産業の経済活動のシステムの構築が必要であると指摘していた。こうした認識の背景には、外国の最新の技術に触れることによってロシアの国防産業の研究開発を刺激し、長期的に国防産業の能力を強化しようとするロシア指導部の意図があると考えられる。ミストラル級強襲揚陸艦導入の理由は、ロシアの造船部門に欠けている、フランスが有する最新の造船技術へのアクセスが可能になることであり、これが今後のロシアのこの分野での発展に不可欠であるとロシア指導部が考えていることがある 39。もちろん、こうした国

35  Oxenstierna and Westerlund, “Arms Procurement and the Russian Defense Industry,” pp.15-16. 36  Nezavisimoe voennoe obozrenie, 18-24 December, 2009.37  http://www.rg.ru/printable/2012/05/18/putin-site.html. (2012年 5月 20日アクセス )38  http://www.scrf.gov.ru/news/735.html. (2012年 9月10日アクセス )39  Oxenstierna and Westerlund, “Arms Procurement and the Russian Defense Industry,” p.19.

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際協力の推進には、慎重な意見もあることは先にも触れた通りであるし、ロシアが欧米と比較して遅れていると認識している分野での技術面のギャップを埋めるための短期的ないしは中期的な取り組みと位置づけられていると考えられる。なぜなら、こうした国際協力に関連して現軍事ドクトリンは、多様な装備の生産におけるロシアの技術面での自立性の確保も重要な課題として言及しているからである 40。国防産業の生産効率の悪さは、従来から国防企業に染み付いている経営体質の問題に

起因していることも指摘できるだろう。こうした問題が表面化したものとして、国防企業の製品の価格をめぐる政府と企業との対立の事例をあげることができる。2011年 7月、ドミトリー・メドヴェージェフ大統領(当時)は、ロシアの国防企業の提供する装備がロシア軍にとって不満な場合、外国からの兵器購入を増やす可能性があることを表明した。これは、ロシアの国防産業が生産する装備が必ずしも質が高くないにもかかわらず、価格は高くその決め方も不透明であるという不満を背景にしていた 41。同年 7月の時点で、国防省が明らかにしたところでは、2011年の国家防衛発注 5,815億ルーブルのうち約 18.5%に当たる1,080億ルーブル分の契約が結ばれておらず、その原因が大きな国防企業による製品の価格の急な値上げであった。その中に前述のトーポリMやブラヴァを生産しているMITが含まれており、トーポリM1基の価格を急に数十億ルーブル上げたことが厳しく批判されていたのである42。現国家装備計画達成のためには、国防産業の能力向上とその経営体質の改革という課題があり、国防産業の改革が進まなければ、現国家装備計画の達成に対する否定的な影響が懸念されることをこの事例は示していたともいえる。

(イ)研究開発能力の低さ研究開発能力の向上が長期的な国防産業の能力向上につながるとの認識はロシア指導

部も共有している。しかし、こうした認識にもかかわらず、現国家装備計画の問題の一つは、研究開発費の割合が低いことであり、計画全体では予算の約 10%しかこの分野に当てられていない。2011年から2013年までの最初の3年間の現国家装備計画の予算では、先にあげた表 2に示してある通り、2011年には研究開発費の比率は 20%あったにもかかわらず、2013年には 15.9%まで低下しているのである。これに対し装備の購入、近代化の予算の

40  Guy Anderson, “Briefing: Russia’s military doctrine and the challenges for the defence industry,” Jane’s

Defence Industry, 12 February 2010. 41  Reuben F Johnson, “Medvedev tells MoD to refuse to buy ‘junk’,” Janes Defense Weekly, 20 July 2011,

p.14. 42  Johnson, “Medvedev tells MoD to refuse to buy ‘junk’,”および Rossiiskaya gazeta, 8 July, 2011 http://

www.rg.ru/printable/2011/07/08/serdukov.html. (2011年 7月 25日アクセス )

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割合は、2011年の 80%から2013年には 84.1%に増加している。国家装備計画の予算におけるこれらの割合は、新たな兵器システムの開発を犠牲にしても既存の兵器の更新を優先しようとする国防省の意向を示しているとの見方もある 43。そして現国家装備計画における兵器の調達目標を達成するには、ロシアの国防産業がその生産をかなり増加させることが必要になるが、そのためには国防企業におけるかなり大規模な技術革新や設備更新が求められることは明らかであろう。しかし、こうした企業の改革のための支出される具体的な予算額は今のところはっきりしていない。さらに、国防産業に従事する能力の高い要員の不足、こうした要員の人件費の高さ、能力の高い労働力を獲得するための競争が宇宙産業や原子力産業との間で生起しているといった、人的な問題が深刻である 44。

(ウ)セヴマシュ造船所はなぜ成果を上げているかロシアの造船企業の中で最も成果を上げているのが、極北のフィンランドとの国境付近のセ

ヴェロドゥヴィンスクに所在するセヴマシュ造船所である。現在、同造船所はロシアで原子力艦艇(潜水艦および水上艦)を建造できる唯一の造船所となっている。1939年以来同造船所は、原子力潜水艦 129隻、通常型潜水艦 37隻および水上艦 45隻を建造してきた歴史を持つ。同造船所は、1998年から2003年にかけて受注が極端に減少し、厳しい経営状況に陥ったが、職員の大幅な解雇は行わず、能力の高い中核的な職員の維持に努めた。それが今日、ボレイ級 SSBNやヤーセン級原子力潜水艦など、海軍強化のために重要視される艦艇の建造を担う能力を維持できている理由であるといえよう。現在、セヴマシュ造船所は 27,000人を雇用し、ボレイ級 SSBNやヤーセン級原子力潜水艦の建造を受注したことによって、同造船所の契約リストにおける国内の軍事関連の受注のシェアは 70%まで増加した 45。セヴマシュ造船所が多くの受注を獲得している重要な理由の一つとして、国防省が進める装備調達価格の改革にうまく適応していることが指摘できる。アナトリー・セルジュコフ前国防相の下で進められてきた軍改革では、国防企業との契約における新たなアプローチが模索されてきた。すなわち、価格面で効果的な最新兵器の連続生産を優先する企業との契約を重視するアプローチが求められるようになった。当初、造船企業の側は、国防省側の調達政

43  Mikhail Barabanov, Konstantin Makienko, Ruslan Pukhov, Voennaya reforma: na puti k novomu obliku

Rossiiskoi armii (Military reform: On the way for the new look of the Russian armed forces), Valdai Discussion Club, July 2012, pp.32-34.

44  Ibid.45  Vladimir Karnazov, “Carrier Killers for the Russian Navy: The Strategic Environment,” RES Security

Watch, 1 August 2012, http://www.res.ethz.ch/news/sw/details.cfm?fecvnodeid=123329&v35=123329&fecvid=35&lng=en&id=150713. (2012年 8月1日アクセス )

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策のこうした変化に対応できる状況になかった。しかし、2011年半ばまでに国防省と国防産業側との間で合意が成立し、一連の海軍装備の契約価格に関する新たな計算方法が採られることになった。プロジェクト955/955Aボレイ級 SSBNは新たな価格計算方法の試験台と位置づけられ、セヴマシュ造船所側は、2011年 9月から10月にかけて新たな方法に基づく価格計算を行い国防省側に提出した。これによって 2011年 11月、セヴマシュ側は、4

番艦以降のプロジェクト955Aボレイ級 SSBN4隻と2番艦以降のヤーセン級原子力潜水艦5隻の建造契約を取り付けたのである。このシステムのポイントは、企業側に継続的な生産コストの削減と資源管理の改善を促すことであり、企業側の利益は、最新兵器の連続生産を通じて達成されるコストや資源の節減によって得られることになり、生産がより経済的に効率的になることであるとみられている 46。

(エ)将来の造船部門の発展計画の策定2012年 11月8日、ロシア政府は、「2013年から2030年までの造船業の発展」に関す

る国家計画を承認した 47。この計画は、ロシアの造船業の技術的発展水準の向上と国内および世界の船舶市場における競争力の向上に関する国家政策の実現を目指し、2030年までの造船業の発展について規定するものであり、国家防衛発注と国家装備計画の確実な実行と造船に関わる企業の人員の強化を優先課題の一つに挙げている。この国家計画の実現は段階的に進められる予定であり、2016年までに 1180の技術を開発し、科学・研究機関や設計機関の生産ストックを72%更新し、2020年までに造船に関わる企業の生産高を2011年比で 1.4倍に拡大し、最終的に 2030年までにロシアの造船業の生産額を2011年比で 3.2倍に、また労働生産性を2011年比で 4.5倍に高める計画である。この計画全体の予算額は 6050億ルーブルであり、そのうち約 3379億ルーブルが連邦予算から拠出されることになっている。この計画は様 な々サブプログラムからなり、それらの項目と予算額は表 3(次頁)に示す通りである。この計画の実行により最終的には、造船分野におけるロシアの技術的な遅れが改善し、造船関連企業の生産基盤の更新が進み、国家装備計画実現のための多くの課題が解決されることになるという。

46  Ibid.47  http://government.ru/docs/3349. (2013年 10月9日アクセス )

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表 3 造船発展に関する国家計画のサブプログラムの概要項 目 予算額(千ルーブル)

造船学の発展 122,999,000

海洋・河川技術の発展 90,270,000

造船の生産能力及び物質的・技術的基盤の発展 27,500,000

国家支援 43,400,500

国家計画実現の保証 5,575,000

民用海洋技術の発展の連邦個別計画 (2009-2016) 48,199,085

(出所)http://government.ru/docs/3349 (2013年 10月 9日アクセス)

まとめ

海洋戦略においてロシアは、海軍の役割について、世界の大洋におけるロシアの主権及び主権的権利の実現、海洋での経済活動やその他の活動の安全の確保、さらには海洋におけるロシアの軍事的安全保障の確保といった広範な課題を設定し、将来的には大洋海軍の創設も構想している。ロシア海軍の艦艇にとって新たな姿として求められる決定的に重要な能力は、①他の軍種の部隊や同盟国の部隊と相互連携して活動し、②精密誘導兵器を集中的に使用し、③最新の情報手段やシステムを使い、および④高い秘密性、航空攻撃手段からの高い防御性および戦闘における高い耐久性であるとの専門家の指摘もある 48。現国家装備計画が策定される前、海軍の展望についてはかなり厳しい見方があった。あ

る軍事専門家によれば、既存の艦艇の廃棄と新たな艦艇の建造のテンポを比べると、ロシア海軍は回復不能な崩壊状態にあり、10年後には 50隻に満たない艦艇が残るだけという状況になりかねず、バルト艦隊や黒海艦隊のような小規模な艦隊も維持できなくなる可能性があるとの見方さえ示された 49。こうした厳しい状況を克服し、上に示したような将来の海軍像の実現に向けての第一歩が、現国家装備計画に基づく海軍力の整備の動きということになろう。そしてこの計画による艦艇の整備の動きは徐々に進展し始めているが、艦艇に搭載するミサイルの開発・生産の遅れ、外国との艦艇に関わる軍事技術協力に対する国内の様 な々評価の存在、現国家装備計画実行の土台となる国防産業が抱える様 な々問題の存在など多くの課題が、現国家装備計画の推進の前に立ちはだかっている。ロシア海軍の動向に関しては以下の点を指摘しておく必要があるだろう。第一に、ロシア海軍は回復の兆しをみせている。既述のように艦艇は以前より速いペースで建造され、就役も始まっている。第二に、ロシアは核抑止力に関してますます海軍に依存しつつあり、これは、

48  Voennyi parad, No.3, 2011, p.11.49  Nezavisimoe voennoe obozrenie, 3-9 July, 2009.

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海軍が堅固な反撃手段であるミサイル搭載戦略原子力潜水艦を保有する限り変わらないだろう。しかし、プロジェクト955/955A搭載予定のブラヴァをめぐる問題のように不安材料もある。第三に、ある軍事専門家の指摘するところでは、ロシアの戦闘艦艇建造プロジェクトは、ヤーセン級潜水艦を除いて、他国の海軍への対抗を優先的な課題としておらず、自国の領海を越えて攻撃作戦を展開するために造られていないという。装備により独立してあるいは他の艦隊と相互に連携して行動することは可能だが、他の艦隊に挑戦することは難しいとみられている。ロシアの新たな艦艇の大部分は、同じクラスの先行艦艇と比較して排水量の点で小さくなっており、また多目的に造られ、特定の課題の解決を目的に造られていないとの指摘がある 50。しかし、こうした艦艇建造プロジェクトに関する考え方は一時的なものであり、ロシアは駆逐艦や、状況が可能となれば航空母艦の建造も決してあきらめたわけではないとの指摘もある 51。本稿でとりあげた戦略的文書の内容には長期的展望としてこうした構想が含まれていることはすでに指摘した通りであるし、統一造船会社総裁のロマン・トロツェンコは、2011

年 6月にサンクト・ペテルブルグで開催された海軍装備サロンMVMS2011において、ロシアは 2016年に新たな原子力空母建造プロジェクトを開始し、2018年に建造に着手、2023

年までには海軍に就役させることが可能との見通しを語ったことがある 52。いずれにしろ、ロシア海軍とその装備の調達を支えるロシアの国防産業の動向に引き続き注目していかなければならない。

(さかぐちよしあき 政策研究部長)

50  Nezavisimoe voennoe obozrenie, 15-21 February, 2013.51  Ibid.52  Nezavisimoe voennoe obozrenie, 30 September - 6 October, 2011.