心機能を見る:組織ドプラ法(Tissue Doppler Imaging)によ...

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日本小児循環器学会雑誌 /3巻1号 47~50頁(1997年) <Editorial Comment> 心機能を見る:組織ドプラ法(Tissue Doppler Imaging)による左心機能の評価 日本大学小児科 能登 信孝 心室は三次元構造を持ち短軸方向運動,長軸方向運動,回転運動やねじれ運動など複雑な収縮様式を呈して いる.これらの内,従来の断層心エコー法では短軸方向の収縮を僅かに評価しているに過ぎなかった.実際, 機能不全に至った心室の三次元的な収縮様式がいかに変化していくかはまだ知られていない. 最近開発された組織ドプラ法(以下TDI)は任意の心筋壁運動をreal timeにカラーもしくはパルスドプラ 法の速度表示で評価することを可能にした.森論文「心筋内パルスドプラ法による小児の左室壁運動の解析: 心尖部四腔断面での検討」は,心尖部四腔断面アプローチにより左室6分割の心筋内パルスドプラ波形を解析 し,健常小児例の心筋内パルスドプラ波形の基準値を作成しようとした検討である.本研究の斬新さは心尖部 アプローチにより今まで評価できなかった左室長軸方向の壁運動波形の解析を試みた点,さらにこれら波形が 体格,年齢や心拍数の違いによりどの様に変化するか検討した点に集約されよう.残念ながらTDIによる検討 はまだ端緒についたばかりで,その臨床的有用性の判断は本法の問題点や測定上の限界を考慮した上で慎重に 進められる必要がある.以下にTDIの現状での問題点および今後の課題について,最近の内外の報告例から検 証する. 1)パルスドプラ表示TDI波形の測定条件 パルスドプラ波形の解析において注意を要する点は,まず装置の測定条件である.至適なドプラシグナルを 得るためにフィルターは可能な限り低速に,またドプラゲインもノイズの混入を最大限に抑えるために低めに 設定する.本測定システムの最低測定速度は0.2cm/secであるが,フィルターを高めに設定すると低速波形が 全て消去されてしまう.逆に低く設定して問題となる点はmotion archifactの出現で,真の壁運動波形と 別が必要となる. 2)左室収縮様式とTDI波形 TDIで測定している心筋壁からのベクトル波形は,主として並進(translation),回転(rotation 心に向かう収縮(contraction)の合成ベクトルよりなっている.従って描出断面により左室の収縮様式が異な るため,心筋壁運動速度の解釈は複雑で一律には評価できない.(図1)は左室の面積重心(収縮中心)と心筋 壁の収縮方向を示したものである.左室長軸像に近いRAO positionでの面積重心は大動脈弁外側と心尖部を 結ぶ線上の心尖部寄り69%の部分に存在する1).従って傍胸骨長軸像で心室中隔や左室後壁運動速度の測定に はドプラ入射角の補正は不必要で,ドプラ波形が心筋壁運動速度を直接捕えている可能性が高い.一方,心尖 部からのアプローチでは左室全体のtranslat{onを評価しているに過ぎず,必ずしも各部分の心筋壁運動を捕 えていない可能性が予想される.さらに部位によりドプラ入射角の補正が当然必要となり,その測定はより煩 雑となる. 3)パルスドプラ表示TDI法のサンプルボリュウム パルスドプラ表示TDI法により心筋壁運動速度を計測する場合,サンプルボリュウムは原則的に左室心内 膜側に置く.しかし心房中隔欠損などの右室容量負荷例や心臓手術後例では左室のtranslationの程度が普通 より大きいこと,さらに過大なtranslationが深呼吸でも起こりえることなどから2),サンプルボリュウムを心 周期中常に同一の心内膜側に固定することは困難である.実際に心外膜側や心腔内にサンプルボリュウムが逸 脱することが有るが,不思議なことに波形は得られる.これらの事実からパルスドプラ表示TDI法による心筋 壁運動速度の計測が厳密に心筋壁のどの部分の速度を測定しているか明確でないことがわかる.正確な心内膜 側心筋壁運動速度の測定にパルスドプラ表示TDI法単独ではもはや対応できず,時間分解能に優れたMモー Presented by Medical*Online

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日本小児循環器学会雑誌 /3巻1号 47~50頁(1997年)

<Editorial Comment>

心機能を見る:組織ドプラ法(Tissue Doppler

    Imaging)による左心機能の評価

日本大学小児科 能登 信孝

 心室は三次元構造を持ち短軸方向運動,長軸方向運動,回転運動やねじれ運動など複雑な収縮様式を呈して

いる.これらの内,従来の断層心エコー法では短軸方向の収縮を僅かに評価しているに過ぎなかった.実際,

機能不全に至った心室の三次元的な収縮様式がいかに変化していくかはまだ知られていない.

 最近開発された組織ドプラ法(以下TDI)は任意の心筋壁運動をreal timeにカラーもしくはパルスドプラ

法の速度表示で評価することを可能にした.森論文「心筋内パルスドプラ法による小児の左室壁運動の解析:

心尖部四腔断面での検討」は,心尖部四腔断面アプローチにより左室6分割の心筋内パルスドプラ波形を解析

し,健常小児例の心筋内パルスドプラ波形の基準値を作成しようとした検討である.本研究の斬新さは心尖部

アプローチにより今まで評価できなかった左室長軸方向の壁運動波形の解析を試みた点,さらにこれら波形が

体格,年齢や心拍数の違いによりどの様に変化するか検討した点に集約されよう.残念ながらTDIによる検討

はまだ端緒についたばかりで,その臨床的有用性の判断は本法の問題点や測定上の限界を考慮した上で慎重に

進められる必要がある.以下にTDIの現状での問題点および今後の課題について,最近の内外の報告例から検

証する.

 1)パルスドプラ表示TDI波形の測定条件

 パルスドプラ波形の解析において注意を要する点は,まず装置の測定条件である.至適なドプラシグナルを

得るためにフィルターは可能な限り低速に,またドプラゲインもノイズの混入を最大限に抑えるために低めに

設定する.本測定システムの最低測定速度は0.2cm/secであるが,フィルターを高めに設定すると低速波形が

全て消去されてしまう.逆に低く設定して問題となる点はmotion archifactの出現で,真の壁運動波形との鑑

別が必要となる.

 2)左室収縮様式とTDI波形

 TDIで測定している心筋壁からのベクトル波形は,主として並進(translation),回転(rotation),収縮中

心に向かう収縮(contraction)の合成ベクトルよりなっている.従って描出断面により左室の収縮様式が異な

るため,心筋壁運動速度の解釈は複雑で一律には評価できない.(図1)は左室の面積重心(収縮中心)と心筋

壁の収縮方向を示したものである.左室長軸像に近いRAO positionでの面積重心は大動脈弁外側と心尖部を

結ぶ線上の心尖部寄り69%の部分に存在する1).従って傍胸骨長軸像で心室中隔や左室後壁運動速度の測定に

はドプラ入射角の補正は不必要で,ドプラ波形が心筋壁運動速度を直接捕えている可能性が高い.一方,心尖

部からのアプローチでは左室全体のtranslat{onを評価しているに過ぎず,必ずしも各部分の心筋壁運動を捕

えていない可能性が予想される.さらに部位によりドプラ入射角の補正が当然必要となり,その測定はより煩

雑となる.

 3)パルスドプラ表示TDI法のサンプルボリュウム

 パルスドプラ表示TDI法により心筋壁運動速度を計測する場合,サンプルボリュウムは原則的に左室心内

膜側に置く.しかし心房中隔欠損などの右室容量負荷例や心臓手術後例では左室のtranslationの程度が普通

より大きいこと,さらに過大なtranslationが深呼吸でも起こりえることなどから2),サンプルボリュウムを心

周期中常に同一の心内膜側に固定することは困難である.実際に心外膜側や心腔内にサンプルボリュウムが逸

脱することが有るが,不思議なことに波形は得られる.これらの事実からパルスドプラ表示TDI法による心筋

壁運動速度の計測が厳密に心筋壁のどの部分の速度を測定しているか明確でないことがわかる.正確な心内膜

側心筋壁運動速度の測定にパルスドプラ表示TDI法単独ではもはや対応できず,時間分解能に優れたMモー

Presented by Medical*Online

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48 (48) 日小循誌 13(1),1997

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        図1 描出断面における左室収縮様式の変化

左室長軸断面(上段)に近いRAO pOsitionで,左室面積重心は大動脈弁輪外側と心

尖部を結ぶ線上の心尖部寄り69%の部分に存在する.左室の面積重心(収縮中心)と

心筋壁の収縮方向は描出断面により変化し,左室長軸断面(上段)では左室後壁と中

隔の壁運動を評価することは容易である.しかし,四腔断面では心臓全体のtransla-

tionが心筋壁運動に加算され,また心尖部での収縮方向は逆転している.

LAX=左室長軸断面,4C=四腔断面

ドカラーTDI法を選択すべきで♪る.この方法は時間軸方向での心内膜側と心外膜側の壁運動速度を分離し

平均速度をカラー表示することができるため,視覚的かつ客観的に壁運動速度を評価することができる.

 4)パルスドプラTDI法と心機能

 左室長軸断面の左室後壁心筋にサンプルボリュウムを設定したパルスドプラ表示TDI法では,心筋壁から

の波形は主として3峰性で,収縮期波(Sw)と拡張早期波(Ew)および心房収縮期波(Aw)から構成されて

いる.他に等容収縮期(ICTw)および等容拡張期(IRTw)波形も観察される.これらの波形はカラードプラ

表示TDI法(Hue 1表示)で,プローブに向かうSwは赤色調に,プローブより遠ざかるEwおよびAwは青

色調に色付けされて表示され,色階調は平均速度を表示している(図2).臨床的に使用されている波形はSw,

Ew, Awが殆どで,その波形の臨床的意義は左心機能との関連で検討されている.

 ①Swに関する研究

 四腔断面の僧帽弁輪部後退速度(Sw)が心プールスキャンによる左室駆出率とよく相関したとする報告があ

るが3),心エコー法による左室駆出率との良好な相関関係は報告されていない.

 ②Ewに関する研究

 TDIによる左室長軸断面の左室後壁拡張早期(Ew)最大速度は,カテ先マノメターを用いて計測した左室

圧下降脚時定数(Tau)と有意な負の相関関係が存在し4),またEwとpeak(一)dp/dtとは良好に正相関した

とする報告が有る5).

 ③Ew/Aw比に関する研究

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平成9年1月1川 49 (49)

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図2 カラー表示およびバルスドゾラ表示TDIによ

 る左室壁運動速度の評価

 ヒ段は左室長軸断面よりの心室中隔および後壁のカ

 ラーMモード表示(Hue 1)を示している. ド段は

 左室後壁にサンゾルボリュウムを設定した際のバル

 スドプラ波形を示している.プローブに向かう収縮

 期波形(Sw)は赤色に,またプローブより遠ざかる

 拡張期早期波(Ew)および心房収縮期波(Aw)は

 青色に表示されている.色譜調の差は平均流速の違

 いを表している.また等容収縮期(ICTw)および等

 容拡張期(IRTw)の両力向性の波形を認める.

 TDIにおける急速流人期/心房収縮期最大速度比(Ew/Aw)と僧帽弁流入ドプラ波形のE/Aは有意な正の

相関関係が,またEwと等容拡張期ll寺問(IRT)とは良好な負の相関関係が存在したと報告されている6}7).

 これらTDIによる拡張性指標は加齢,肥大型心筋症例,高l/Ll圧肥人心や拡張型心筋症で変化し,重症度の判

定に有用との報告が多い.また評価断面は心尖部へのtranslati(mが少ない左室長軸断面が多く利用される.

 ④新たな指標を用いた研究

 左室内径増大速度(LVd-V:MモードTDI法による急速流入期の心室中隔と左室後壁心内膜運動速度σ)差

の最大値)は,拡張能の簡便な指標になるという報告が有るs).さらに心筋速度勾配(MVG:TDIのMモー

ド心エコー法による左室後壁の心内膜側(Vend)および心外膜側(Vepi)の壁運動速度の差を壁厚(L)で除

したもの)の経時的変化を計測し,この速度プロファイルから最小二乗法を用いた・次回帰を行い,平均傾き

としての代表値が収縮能の指標なるという報告9},また拡張期におけるpeak(一)MVGが局所拡張能の指標

となりうるという報告も有る川.

 これらのTDIによる指標の理論的根拠には, TDIカラーMモード法による左室後壁速度と従来のMモー

ド計測による左室後壁速度とが極めて良好に近似したという事実に基づくことは言うまでもない1’>1L).

 5)今後の課題

 TDIの特徴は,MモードカラーTDI法に代表される優れた時間分解能を有している点である.この時間分解

能を利用して,左室後壁の等容期壁運動速度と心機能指標,特に左室拡張性指標との関係が注目されている.

 一・方,TDIの空間分解能は優れているとは言い難い.最近カラー表示TDI法を併川して負荷心エコー法によ

る16分割断面の左室壁運動異常の検出を試みた報告が増加しつつあるが13)’4),心臓全体の動きを如何にキャン

セルし壁運動異常を検出するかが臨床応用の課題となっている.

 種々の問題を抱えるTDIであるがreal timeに壁運動速度を評価できる本法の有用性は計り知れない.心エ

コー法による心機能評価は計測する時代から見る時代へと進化し,常にその対象を広げている.

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50-(50) 日本小児循環器学会雑誌 第ユ3巻 第1号

                        文  献

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