比較文化論における比較軸(1): 比較文化へのディメンジ...
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03-Sep-2020Category
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比較文化論における比較軸(1):
比較文化へのディメンジョニスト・アプローチ
第 1章 イントロダクション
A.小論の目的、方法、構成
背景。現代は改めて、各国間での文明・文化の違いが鮮明に現れ、問題を引き起こし
ている時代にあると、言って良いのではないだろうか。具体的には先ず、2001 年の 9.11 同
時多発テロとそれに続くイラク出兵、更にそれに続く米英と一部回教国との対立に代表さ
れる紛争が発生・継続している。更に、その原因となっているものが、イスラエルと周辺
回教国との対立であり、これは 1948-49 年の第 1 次中東戦争から現代まで継続している。
その一方で、地球温暖化という大問題に対して米国・他の先進諸国・途上国の間で合意が
得られていない。翻って日本を見てみれば、価値観を失い・それを求める人々がオウム真
理教に代表される新興宗教に集まり、非人間的な事件を引き起こしている。そして、価値
観は文化と密接に結びついている。これらへの救いを求める気持ちの現れなのであろうか、
世界中で、文化多元主義論と異文化コミュニケーション論が花盛りである。
歴史的に見れば、野田(2006、p.17)は「歴史の大転換期には“文明”論が浮上する
ことが多い。明治初年の日本では、福沢諭吉によって『文明論お概略』が著された。第 1
次大戦が終わった年には、ドイツの O.シュペングラーが『西欧の没落』第 1 巻を発表し、
西欧文明の没落を予想した。さらに第 2 次大戦を挟んで、イギリスの A.トインビーが『歴
史の研究』10 巻を世に問い、文明単位での歴史観を展開した。これらの前例に倣うかのよ
うに、冷戦の終結後まもなく、アメリカの政治学者 S.ハンティントンが文明の問題を取り
上げ、米中の衝突に始まる文明戦争のシナリオまで描いて見せた」という。
目的。以上のように現在我々は、各国間での文明・文化の違いを理解し、それらの間
の望ましい関係を検討することが、再度重要なテーマとなってきている時代に居るように
おもわれる。文明の違いの研究もいずれ進める計画であるが、この小論では先ず、文明の
基底にある文化から出発する。この小論は、各国間の文化の違いを理解する枠組みを構築
することを目的としている。1 更に、その枠組みは極力数量的分析の結果に依拠して組み
立てることを目的としている。
方法。前記目的を達成する方法としては、文化の違いを扱った文献を検討する。即ち
方法は、文献分析である。更に、この小論は文化の違いを理解する枠組みをつくる方法と
して、極力、数量的アプローチを重視する。今までの文化論は、理念的・概念的アプロー
1 長期的には、各個人間の文化または価値観の違いを理解する枠組みの検討も考えたい。
2
チが中心であり、各著者による恣意性が懸念され、その実証性に弱点があったと思われる。
その欠点を補うために、筆者は客観的・数量的理解を中心に枠組みをつくりあげたいと考
える。作り上げる方法は、既存文献のなかで数量的に文化の違いを扱った文献の比較考察
である。今までも、文化にかんして、ある程度の数量的研究がなされてきたが、最近、総
合的で本格的な数量的研究とそれらの報告書が出版されてきた。この小論は、これら最近
の文献を比較検討し、統合した文化理解の思考枠組みを作る。
次に、その枠組みと経済・社会発展との関係を、文献から抽出する。この関係が、い
ずれ文明と文化とをつなぐ働きをしてくれることを期待している。しかし、それは先の話
しであり、本小論は枠組みと経済・社会発展との関係の検討までで終了する。
小論の構成。上記のように目的と方法を設定した。それに従い、この第 1 章の残りで
は、簡単に文明と文化の関係を検討する。この小論の主内容である 2 章以下では、対象を
文化だけに絞る。第 2 章では、文化の比較への数量的アプローチを一般的に検討する。第 3
章では、数量的アプローチIとして、ホフスティードの“仕事の文化軸”を検討する。第 4
章では、数量的アプローチ II として、イングルハートの価値軸を検討する。これらを受け
て、第 5 章では、現時点でのまとめとして文化比較のための当面の思考枠組みを提言する。
但し、この枠組みはあまり深い検討の結果ではなく、又、今後他の数量的研究の考察を計
画しており、それらの結果としてこの枠組みが変更される可能性が十分高い。これらの理
由により“当面の枠組み”と呼んでいる。
B.文化と文明の関係:文明は文化によって受け容れられる
文明と文化の関係を、佐伯(2003)が技術=文明という観点から明快に述べているの
で、以下に引用し、彼の主張を受け容れる。2
「近代技術という“文明”には、決して“意味”は含まれていない…技術には“機能”
はあるが、“意味”はない。汎用性はあるが、その汎用性に具体的な意義を与えるの
は、それぞれの“文化”がもつ“意味”なのである。…ある技術がある社会で使用さ
れるのは、その社会の“文化”によって、特定の仕方で意味付けがなされなければな
らないだろう。技術という“文明”は、あくまで“文化”による価値付与と一体とな
って初めて、ある社会に定着していく」(佐伯 2003、pp.224-225)
類似の考え方を、前川(1994)が、既存文化(文明)による外来文化(文明)の受容
という観点から論じている。彼は文化と文明は区別せず同じものとして扱っている。前川
は、内部の既存文化は「外部の文化システムを取り入れながらも、既存の内部の文化シス
テムの連続性を維持しながらそうしてきた…。ある(外部の)文化の事物は、異なる文化
システムにもたらされた場合には異なる意味を担う」と主張している(前川 1994、
2 この本の有用性を指摘してくれたのは、橋本日出男氏であり、深く感謝したい。
3
pp.109-110、括弧内は筆者による挿入)。ここでの彼の主題は、既存の内部文化(文明)は、
必要に応じて外部の文化(文明)を受け容れながらも、維持・持続される、という主張で
ある。
第2章 文化の比較軸への数量的アプローチ:イントロダクション
先ず、人間の共通特性に関して、いままで合意されてきていると思われるいくつかの
前提仮説を採用する。これらの仮定の上に行われる分析が、以下で述べる因子分析である。
第 1 仮説:人間と他の動物を大きく区別するものは、概念形成である。すなわち、
動物は基本的には本能(あるいは遺伝子)によって行動する。これに対
して、人間の特徴は、ものを考え、考えた結果を概念として蓄え、その
概念世界に依拠して、認識し・考え・判断し・行動するところにある。
第 2仮説:文化の違いは、この概念集合の違いとして把握できる。
第 3 仮説:しかし、これら一つ一つ異なった概念集合の基礎には人間共通のシステ
ム(因子システム)が存在する。この因子システムで出来上がる空間の
なかのどこに位置するかが、一つ一つの文化の違いを表す。
文化の国際間比較に関して、数量分析的研究がかなりなされるようになった。例えば、
日本においては、林(1993)、真鍋(1999)、真鍋(2006)、山岡=李(2006)、などがある。
又、日本だけの計量文化研究には NHK 放送文化研究所(2004)、野村総合研究所(2004)、
などがある。いずれそれらも検討して、小論の数量分析結果の耐久性を高めたいと思う。
しかし当面は、それらの中でも、最近出版され本格的で総合的と目されている以下の4著
を基礎文献として採用し、これらに依拠して、文化を理解する枠組みを構築する。4著と
は、ホフスティードa(