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2010 年 7 月 13 日発行 財務レバレッジと株式の市場価値 【 要 旨 】 資本構成と企業価値の関係を巡る議論の中心は、負債調達による 節税メリットの拡大と倒産コストの上昇のトレード・オフに関するも のである 理論的には、負債比率と WACC(加重平均資本コスト)の関係は、 株式コスト及び負債コストの決定構造をどう仮定するかに依存する 実証的にみて、規模の小さい企業では、負債比率の水準に関わら ず、PER や PBR で評価した株式の市場価値は負債比率と逆相関し ている。つまり、高い財務レバレッジは低い株式価値に結び付きや すい しかし、規模の大きな企業では、負債比率と株式の市場価値の関 係は希薄化する傾向があり、その中にあって、高いレバレッジが高 い株式価値に結び付きやすい これらの違いは、負債の節税メリットは企業規模に依存しない一 方、倒産コストは企業規模に依存することによると考えられる 調査本部 市場調査部 シニアエコノミスト 草場 洋方 (03-3591-1249) [email protected]

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2010 年 7 月 13 日発行

財務レバレッジと株式の市場価値

【 要 旨 】

資本構成と企業価値の関係を巡る議論の中心は、負債調達による

節税メリットの拡大と倒産コストの上昇のトレード・オフに関するも

のである

理論的には、負債比率と WACC(加重平均資本コスト)の関係は、

株式コスト及び負債コストの決定構造をどう仮定するかに依存する

実証的にみて、規模の小さい企業では、負債比率の水準に関わら

ず、PERやPBRで評価した株式の市場価値は負債比率と逆相関し

ている。つまり、高い財務レバレッジは低い株式価値に結び付きや

すい

しかし、規模の大きな企業では、負債比率と株式の市場価値の関

係は希薄化する傾向があり、その中にあって、高いレバレッジが高

い株式価値に結び付きやすい

これらの違いは、負債の節税メリットは企業規模に依存しない一

方、倒産コストは企業規模に依存することによると考えられる

調査本部 市場調査部

シニアエコノミスト 草場 洋方

(03-3591-1249)

[email protected]

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1. はじめに コーポレート・ファイナンスの分野において、資本構成に関する議論は中心的なトピッ

クであり続けている。企業の経営者や財務担当者は、(会社総価値という意味での)企業価

値や株式価値を 大化する 適な財務レバレッジの度合いはどの程度か、それは事業の中

身や規模などの内生的要因或いはマクロ経済や金融資本市場などの外生的要因に応じてど

う変化するのか、 適な資本構成に向けてどのようなファイナンス戦略を採るべきか、と

いった諸課題に日々頭を悩ませ、また、金融機関の法人営業担当者は、その実現に向けた

具体的な金融ソリューションの提供を常に求められる立場にある。 そのような実務的な関心や行動のバックボーンとなる資本構成に関する学術的な研究に

ついては、理論・実証の両面において多くの分析結果が呈示され、研究分野として着実な

進展を遂げてきている。とはいえ、財務レバレッジと資本コストの非線形関係の捉え方、

資本構成が事業からのキャッシュフローに及ぼす影響、など見方の収斂に至っていない論

点が依然として多数存在しており、その結果、「財務レバレッジは、企業価値や株主価値に

対して結局のところどう影響するのか」という命題については、定説のようなものが存在

しているわけではないと思われる。 本稿は、その古く新しい命題、特に財務レバレッジと株式の市場価値の関係について、

わが国の上場企業データを用いた実証分析により一つの解を得ようとするものである。以

下の構成について述べると、まず第 2 節にて資本構成に関する理論の発展過程についての

ごく簡単なレビューと本稿の分析に関わる論点について整理を行い、次に第 3 節で本稿に

おけるリサーチ・デザインを説明する。続く第 4 節で実証分析に用いるデータの説明を行

った後に、第 5 節で実証結果を示し、それを理論との関係でどう解釈すべきかを議論する。

後に第 6 節でまとめを行う。

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2. 資本構成に関する理論のレビューと論点 (1) MM 命題 資本構成を議論する上での出発点は、Modigliani and Miller(1958)の提唱した有名な

命題、いわゆるMM 命題であり、そのエッセンスは「企業価値は資本構成の影響を受けな

い」(第一命題)、「資本コストは資本構成の影響を受けない」(第二命題)というものであ

る。 重要な点は、その現実妥当性ではなく、これらの命題が成立するための仮定にある。MM

命題が成立するためには、①取引コストや税金が存在しない、②倒産コストが存在しない、

③投資家と企業は同じコストで資金調達が可能である、④投資家と企業経営者の間に情報

の非対称性が存在しない、⑤負債は事業からのキャッシュフローに影響しない、といった

多くの仮定が必要となる。 税金が存在しないならば、負債調達による節税メリットは存在しない。また、倒産のコ

ストがないならば、負債比率の高まりに伴ってその蓋然性が高まっても、金融機関はそれ

に対する対価を債務者に要求しない。このような世界では株式と負債は無裁定関係となり、

従って、負債比率が 10%であっても 90%であっても資本コストは変わらず、企業価値は

事業から得られるキャッシュフローにのみ依存する。 (2) 節税メリットと倒産コストのトレード・オフ

適資本構成を巡る議論は、MM 命題を出発点として、その厳しい仮定を次第に緩めて

いくことで、資本構成が企業価値や株主価値、そして資本コストにどう影響していくかを

考えることといってよい。そして、議論の中心を占めるのは、財務レバレッジを高めるこ

とによる節税メリットの拡大と倒産コストの上昇のトレード・オフ問題である。 はじめに負債の節税メリットについていえば、法人税は債権者に対して利払いを行った

後の利益が課税対象となるため、負債及び利払費が多ければ多いほど、政府への支払が減

少することになる。従って、事業からのキャッシュフローのうち株主と債権者に分配され

る額は、負債比率の上昇に伴って増加する1。 一方、倒産コストの問題についていえば、現実的には倒産にはコストが伴う。それは、

倒産手続きのために弁護士や会計士に支払う費用や、そのために経営者が費やす時間とい

った直接的なコストもあれば、実際の倒産以前から生じる間接的なコストもある2。債権者

1 より精緻な議論としては、受取利息に対する債権者への課税、配当金に対する株主への課税が資本構成

に与える影響も考える必要がある。Grinblatt and Titman(2002)などが詳しい。 2 間接的な倒産コストは、本来、デット・オーバーハング問題、資産代替問題、投資プロジェクト選択に

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にとって、債務不履行時には債権者に分配されるべき企業価値が低下することになるから、

そうした事態が発生するリスクが高まるにつれて債権者は高い利払いを要求するようにな

る。つまり、負債比率の上昇によって元利払いが滞る可能性が高まることで負債コストは

上昇していく。また、そのような場合には株主に還元されるべきキャッシュフローのボラ

ティリティが高まることで株式コストも上昇する。 つまるところ、負債比率の上昇は節税メリットによる価値の向上と、倒産コストの上昇

に伴う価値の低下を同時に齎す。このようなより現実的な仮定のもとでは、節税メリット

と倒産コストのトレード・オフがちょうど均衡するような資本構成が、企業価値を 大化

する 適な資本構成であると考えることが出来る。 (3) WACC を用いた企業価値評価

WACC (Weighted Average Cost of Capital、加重平均資本コスト)を用いた企業価値

評価は、そのようなトレード・オフを考慮に入れた上で、どのような負債比率のもとで企

業価値が 大となるかを考える、 も標準的な方法の一つである3。具体的には、WACC を

用いた企業価値評価においては、WACC を 小化する負債比率が企業価値を 大化する

負債比率であり、すなわち 適資本構成とは、WACC を 小化する資本構成となる。 資本構成の変化によって企業の資産価値や事業から生み出されるキャッシュフロー、つ

まり FCFF (Free Cash Flow to the Firm)に影響がないことを仮定すると、企業価値

( FV )は以下のように定式化される。

( )∑∞

= +=

1 1tt

tF WACC

FCFFV ①式

各期の FCFF は所与なので、将来のキャッシュフローの流列を現在価値に割り引く割引率

が低いほど企業価値は高まる。つまり、WACC が小さいほど企業価値は高まる。 そのWACC だが、普通株式( EV )と負債( DV )からなるプレーンな資本構成の場合、

普通株式のコストを ER 、負債のコストを DR 、法人税率を t とすると、通常、以下のよう

に示される。

おける短期志向問題、清算回避問題といった、株主の決定が事業からのキャッシュフローに影響を及ぼし、

それが債権者の利害と対立するという構造で考えるべきかも知れないが、ここではより直感的な理解のた

めに、そのような論点について述べることは割愛している。 3 企業価値評価法は、FCFF をWACC で割り引く手法だけではない。キャッシュフロー割引モデルの類

型としては、その他にも、負債の節税効果や期待倒産コストをより明示的に扱う Adjusted Present Value法、配当や FCFE (Free Cash Flow to the Equity)を株式コストで割り引いて直接株式価値を評価す

る方法等もある。また、キャッシュフローではなく会計情報を用いて株式価値を評価する残余利益モデル

や Ohlson-Juettoner モデル、 EBITDA や EBIT などを用いたマルチプル法、など手法は様々にある。

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( )tRVVR

VVWACC D

F

DE

F

E −+= 1 ②式

つまり、WACC は株式コストと負債コストを負債比率で加重平均した、資金調達全体の

コストを示しており、法人税率を一定と仮定すれば、WACC を変動させるのは、負債比

率、株式コスト ER 、負債コスト DR の 3 つの変数である。 (4) 資本コストの推定を巡る論点

(ア) 株式コスト・負債コストを推定する標準的アプローチ コーポレート・ファイナンスの分野において、株式コスト ER をどのように推定するか

という論点に対するアプローチは幾つかある。 も標準なアプローチは、株式コストをシ

ステマティック・リスクへの対価と捉える CAPM4、システマティック・リスクに低 PBR効果や小型株効果を加える Fama-French Model などのマルチ・リスクファクター・モデ

ル、などの市場均衡モデルによって株式コストを推定するアプローチである。CAPM を例

に採れば、無リスク利子率を fR 、マーケット・リターンを mR 、当該企業の株式のシステ

マティック・リスク 1 単位へのエクスポージャーを Eβ とすると、株式コスト ER は以下の

式で示される。

( )fmEfE RRRR −+= β ③式

また、より簡便的な手法として、株式コスト ER を当該企業の負債コスト DR (取り分け

長期性負債のコスト)と株式に投資することに対するリスク・プレミアム ERP の和として、

以下のように捉えるやり方もある。

EDE RPRR += ④式

4 CAPM では、十分に分散された投資ポートフォリオにおいては、投資対象それぞれの抱える個別的リ

スク(アンシステマティック・リスク)は分散の効果によって薄らいでいくので、投資家は、分散された

ポートフォリオにおいても残存するリスク(システマティック・リスク)に対する対価のみを要求すると

いうのが基本的な考え方である。

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負債コスト DR についても、CAPM 的なアプローチが理論的には適用可能である。つま

り、当該企業の負債のシステマティック・リスク 1 単位へのエクスポージャーを Dβ とし

て、負債コスト DR を以下のように示す方法である。

( )fmDfD RRRR −+= β ⑤式

もっとも、負債コスト DR については、このような市場均衡モデルではなく、無リスク

利子率 fR と当該企業の負債に投資することに対するリスク・プレミアム DRP の和として、

以下のように定義するアプローチがより一般的であろう5。

DfD RPRR += ⑥式

(イ) 資本コストの数値計算における教科書的な想定 さて、ここからが第 3 節以降で実施される実証分析との関係で重要なポイントとなる部

分である。 株主価値を 大化しようとする企業は、WACC を 小化する 適資本構成を②式に基

づき考えるために、③式から⑥式までの標準的なアプローチ(或いはより複雑なアプロー

チ)を用いつつ、実際に株式コスト ER 、負債コスト DR を数値的に計算する必要がある。

その際、企業の経営者や財務担当者、或いは金融機関の法人営業担当者が拠り所にするの

は、コーポレート・ファイナンスの基本的な教科書に記述されている数値計算上の概念で

あり、実際の計算事例であろう。 多くの教科書が教える財務レバレッジとWACC 、企業価値の関係とは、以下のような

ものである。

5 負債コストを市場均衡モデルで評価するのが一般的でない 大の理由は、理論的に投資可能な全ての資

産の加重平均として定義されるマーケット・ポートフォリオのリターンを(実物資産や人的資産の時価が

分からないので)実証的に計測することが困難であり、現実には代表的な株価指数のリターンをマーケッ

ト・リターンとする場合が殆どだからである。一般に、株式リターンと債券リターンの相関は薄かったり、

逆相関であったりすることが多い。逆相関となった場合、債券投資の期待リターンが負になる可能性が出

てくるので、それを理論的に解釈することが難しくなるのである。

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① 負債比率が低いときは、負債比率を上昇させることで、負債の節税効果

のメリットを享受することが出来るので、WACC が低下する ② しかし、負債比率が上昇するにつれて、デフォルトを恐れる債権者の要

求収益率が上昇するので、負債調達のメリットが低下していく ③ また、負債比率の上昇はEPSのボラティリティの高まりをもたらすので、

株主の要求収益率も上昇する ④ 以上、①のメリットと②・③のデメリットの相対的関係から、WACC を

小化し、企業価値を 大化する資本構成が決まる そして、Brigham and Houston(1998)、Brealey and Myers(2006)といったコーポ

レート・ファイナンスの基本的な教科書には、この関係を簡便に示す概念図がしばしば登

場する。それは図表 1 のようなものである。そこでは、負債比率が低いときは、節税メリ

ット分だけ負債コストが株式コストを下回ることから、負債比率の上昇に伴ってWACCが低下していく様子が、そして、やがてある負債比率を過ぎると、倒産リスクが意識され

はじめる中で負債コストと株主コストが共に上昇に転じることからWACC も上昇に転じ

ていく様子が描かれる。つまり、具体的にどの程度の負債比率かは明示されないものの、

教科書的な想定の下では、負債比率を横軸、WACC を縦軸に採ると、その関数形が下に

凸の二次関数のような姿になることが、暗黙的に示唆される。 その結果、企業の経営者や財務担当者、或いは金融機関の法人営業担当者は、下に凸の

二次関数形を思い浮かべながら、当該企業にとってWACC を 小化する負債比率がどの

辺りにあるのかを議論することになる。無論、WACC はスタティックではなく、事業リ

スクの変化などに伴ってダイナミックに移り変わると考えられるから、 適資本構成は一

点に決められるものではないだろう。しかし、目標とする負債比率が、極めて低い水準で

もなければ、極めて高い水準でもない、その中間的なところにあるというイメージは、多

くのコーポレート・ファイナンスの実務家に共有されているのではないかと考えられる。

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【 図表 1 財務レバレッジと、WACC 企業価値の関係に関する教科書的な概念図 】

(資本コスト、%)

(負債比率、%)

株式コスト

負債コスト

WACC

(資本コスト、%)

(負債比率、%)

企業価値

株式価値

(資料)みずほ総合研究所

(ウ) 資本コストの数値計算における理論的可能性 しかしながら、理論的に考えた場合、WACC 関数が下に凸の二次関数形にならなけれ

ばならない理由は存在しない。以下で、いくつかの仮定を置きながら簡単な数値計算を行

うことにより、それを示してみよう。

数値計算の共通の前提として、 fR =1%、 mR =4%、t =0.4 であるとする。また、負債の

ない企業のシステマティック・リスク 1 単位へのエクスポージャーを ULβ とし、 ULβ =0.8であるとする。 ULβ は一般にアンレバード・ベータといわれる概念である。ポートフォリ

オのベータは各資産のベータを加重平均したものであるという性質、つまりベータの線形

性より、アンレバード・ベータ ULβ と株式ベータ(レバード・ベータ) Eβ 、負債ベータ Dβの関係は、以下の式で示される。

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( )E

DD

E

DULE V

VVV

t βββ −⎥⎦

⎤⎢⎣

⎡−+= 11 ⑦式

では、実際に数値計算を始めよう。 ケース①として、 ER が③式に基づいて、 DR が⑤式に基づいて決まると考える。そして、

負債比率の水準に関わらず Dβ =0.1 であるとする。つまり、社債権者は債券投資への要求

収益率を CAPM に基づいて考えており、そのマーケット・リスクへのエクスポージャー

は当該企業の資本構成によって影響されないという仮定である。⑦式に基づき Eβ を、そ

の後、③式、⑤式に基づいて ER 、 DR を計算し、 後に②式によってWACC を導出する

と、それぞれの負債比率における ER 、 DR 、WACC は図表 2 のようになる。図表 1 に示

した教科書的な想定と異なり、このような仮定の下では、WACC は負債比率の上昇に伴

って右肩下がりとなる。つまり、負債を増やせば増やすほど資本コストは低下し、企業価

値が上昇する。違いをもたらす理由は、負債コストが資本構成に関わらず一定であること

だ。教科書的な想定では、負債比率の上昇に伴う倒産のリスクの高まりを背景に、負債コ

ストは上昇するとされていた。それは感覚的にも理解しやすい。しかし、例えば債券投資

家が CAPM に基づいて行動し、そして倒産のリスクを当該企業に固有のアンシステマテ

ィック・リスクと捉えているとするならば、要求収益率に倒産のリスクが反映されない可

能性も、理論的にはありうる。

【 図表 2 ケース①における資本コスト 】

0

2

4

6

8

10

12

14

16

10 20 30 40 50 60 70 80 90

(資料)みずほ総合研究所

(資本コスト、%)

(負債比率、%)

株式コスト

負債コスト

WACC

もっとも、社債投資家が倒産のリスクを完全にアンシステマティック・リスクと割り切

って、それへの対価を一切求めないというのは、やや現実味を欠く仮定かも知れない。そ

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こでケース②として、負債比率がある程度上昇すると Dβ が 0.1 から乖離していくと想定

しよう。具体的には、負債比率 40%以下: Dβ =0.1、50%: Dβ =0.125、60%: Dβ =0.175、70%: Dβ =0.25、80%: Dβ =0.35、90%: Dβ =0.5、であるとする。理論的には、負債比

率の上昇に伴って倒産リスクが高まるなどして債券投資の期待収益率のボラティリティが

高まり、システマティック・リスクが上昇するという仮定を置いていることになる。さて、

その他の条件はケース①と同様であるとして ER 、 DR 、WACC を計算すると、その結果

は図表 3 のようになる。ケース①と異なり、負債比率の上昇に伴って負債コストが上昇し

ていく。しかし、WACC は引き続き右肩下がりであり、負債を増やせば増やすほど企業

価値が向上するという構図はケース①から変化していない。それはなぜか。負債比率が一

定の水準まで高まると、株式コストが低下するからである。教科書的な想定では、負債比

率の上昇に伴って ER も上昇するとされるわけだが、 ULβ が一定という仮定の下では、⑦

式より、 Dβ の上昇は Eβ に低下圧力を加える。一つの解釈としては、株式投資家というの

は、倒産リスクが高まるような負債比率の下では、 終的に FCFF が社債権者に優先的に

支払われ、自らへの支払額が通常の場合に比べて目減りする可能性を予め受け入れている、

という見方が出来る。そして、そのような状況では、要求収益率も低下するのである。こ

のような仮定は、経営危機に瀕した企業においてしばしば株主責任が問われる現実に則し

てみても、相応の妥当性があるように思われる。

【 図表 3 ケース②における資本コスト 】

0

1

2

3

4

5

6

10 20 30 40 50 60 70 80 90

(資料)みずほ総合研究所

(資本コスト、%)

(負債比率、%)

株式コスト

負債コスト

WACC

さて、負債コスト DR が CAPM に基づき決まると考えるのは、理論的可能性としては有

り得ても、社債投資や銀行融資の実務において、そのような見地から負債への要求収益率

が決定されているケースは殆んどないだろう。むしろ、実務的には⑥式が利用されている

と考えられる。そこでケース③として、 ER が③式に基づいて、 DR が⑥式に基づいて決ま

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ると仮定する。負債比率に関わらず Dβ =0.0 とする。負債リスク・プレミアム DRP につい

ては、AAA 格であれば JGB+25bp、AA 格であれば JGB+50bp といったように信用力の

低下と共に緩やかに上昇していき、BB 格など投資不適格とみなされると、例えば

JGB+300bp というようにプレミアムが非線形に跳ね上がるのが一般的な感覚だろう。こ

れを踏まえ、負債比率 10%: DRP =0.25%、20%: DRP =0.5%、30%: DRP =0.75%、40%:

DRP =1.0%、50%: DRP =1.5%、60%: DRP =2.0%、70%: DRP =3.0%、80%: DRP =5.0%、

90%: DRP =8.0%、と仮定する。以上の諸前提を基に ER 、 DR 、WACC を計算した結果

が図表 4 である。WACC は、ケース①やケース②とは反対に右肩上がりの曲線を描いて

いる。また、ケース③は教科書的な想定と似ているが、大きく異なるのは、下に凸の二次

関数形ではなく、指数関数のような形状をしていることである。つまり、負債比率が低い

水準にあるときに負債比率を上昇させると、教科書的な想定ではWACC が低下するが、

ケース③では上昇するのである。この違いは、⑦式より負債比率が低い水準にあっても

Eβ = ULβ ではなく Eβ > ULβ であること、負債比率が低い水準にあっても DRP は徐々に上

昇すること、が仮定されているからである。

【 図表 4 ケース③における資本コスト 】

0

2

4

6

8

10

12

14

16

18

10 20 30 40 50 60 70 80 90

(資料)みずほ総合研究所

(資本コスト、%)

(負債比率、%)

株式コスト

負債コスト

WACC

以上、ここでは、ケース①からケース③まで、それぞれに異なる数値や導出方法に関す

る前提を置いて数値計算をすることで、資本構成と資本コストの関係は理論的にみて様々

なバリエーションが有り得ることを示した。WACC は、教科書的な想定のように、下に

凸の二次関数形を持つと考えることも出来るし、右肩下がりと考えることも出来る。また、

右肩上がりの指数関数形であると考えることも出来る。 要するに、資本構成と資本コストの関係に理論的な正解はない。株式や債券の要求収益

率が実際のところどう決定されているかが分からなければ、実務的に 適な資本構成を議

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論することも出来ないのである。では、実務家はどう対処すればよいのだろう。企業の経

営者や財務担当者、或いは金融機関の法人営業担当者は、企業価値を 大化するための正

しい財務的アプローチとして、財務レバレッジを高めるべきなのか、低下させるべきなの

か。答えはあるのだろうか。 以下では、それに対する一つの解を、実証分析によって探っていこう。

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3. リサーチ・デザイン (1) 基本的アプローチ これまでの議論で、企業価値を 大化する負債比率が前提の置き方によって大きく変わ

ることが確認できた。どのような前提を置くかで結果が変わるのならば、 適な資本構成

を発見するためには、正しい前提を論理的に演繹するか、或いは、現実世界の負債比率と

企業価値の関係を調べることで、帰納的に正しい前提を推定することが必要となるだろう。 本稿では、後者のアプローチ、つまり、実際の企業財務データ、市場価格データに基づ

いた実証分析によって、負債比率と企業価値の関係を調べ、その結果を基に、企業価値を

大化する負債比率に関する一つの解を得ることを考えたい。例えば、負債比率の高いあ

る企業の企業価値が負債比率の低いある企業の企業価値よりも大きいという実証的事実が

あるならば、それは、証券市場において負債比率を高めることは企業価値を増大させると

いう評価が現実になされていることを意味する。それはケース①やケース②のような理論

的可能性が も現実に即していることを示唆すると共に、実務的には、負債比率を高める

ほど企業価値が上がるというインプリケーションが得られることになろう。 ところで、実証分析の限界は、限られたデータから得られた結論を一般化する点にある。

従って、分析に際しては、そのような限界を出来るだけ薄めていくことが必要だ。まず、

データの数は多ければ多いほどよい。また、 終的に抽出して評価する対象は負債比率が

企業価値に与える影響であるが、企業価値は負債比率だけで決まるのではなく、同じ負債

比率であっても企業価値が異なることはある。規模や業種の違いなど企業価値に影響を与

えるファクターは負債比率だけではないからだ。従って、分析に際しては、負債比率以外

のそのような「ノイズ」を出来るだけ捨象する必要もあるだろう。このような点につき、

もう少し具体的に考えていこう。 (2) 企業価値をどう計るべきか 企業価値 FV は株式価値 EV と負債価値 DV の和である。資本構成の違いが企業価値にどう

影響するかを考える場合、実証的に企業価値をどう計るべきかは難しい問題である。 そもそも、 EV や FV は金額で示されるが、資本構成は負債比率であれD/Eレシオであれ、

比率で示される概念である。従って、両者を単純に比較することでその相互関係を評価す

ることは困難である。また、 EV を発行済株式数で割った株価 EP は、その高低が発行済株

式数の違いによって左右されるという意味において、より扱いにくい。 また、 EV は市場で日々取引される株価の情報からその時点の市場価値を評価することが

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出来るが、 DV は通常バランスシート上に簿価が計上されるのみであり、その市場価値を

実証的に知ることは難しい。従って FV の価値は、 EV の部分は市場価値、 DV の部分は簿価

でしか知ることが出来ないという問題がある。 このような制限を踏まえて、本稿では、収益や簿価純資産で標準化した株式の市場価値、

つまり PERや PBRと資本構成の関係を考えたい。このように考える理由は以下の 2 点で

ある。一つは、標準化することで、規模の違いを捨象することが出来るからである。例え

ば、企業 A は負債比率が 40%で株式時価総額が 100 億円、企業 B は負債比率が 60%で株

式時価総額が 1000 億円であるとする。このとき、企業 A に比べて企業 B の時価総額が 10倍だからといって、負債比率が高い企業ほど株式価値が大きくなりやすいといえないこと

は、言うまでもないだろう。ここで、企業 A の簿価純資産が 100 億円、企業 B の簿価純

資産が 500 億円という条件を追加するとどうだろう。PBRは企業 A が 1.0、企業 B が 2.0であり、今度は負債比率が高い企業ほど株式価値が大きくなると考えやすくなるだろう。

なお、ここで留意しなくてはならないのは、企業規模の違いは、時価総額のような「絶対

的な企業価値」のみならず、 PBRや PERで計測される「相対的な企業価値」にも影響を

与えうるという点である。例えば、純資産が 100万円で負債を 100万円抱えている企業と、

純資産が 1 兆円で負債を 1 兆円抱えている企業を比較する場合を考えてみよう。負債比率

はどちらも 50%で等しい。しかし、負債の要求収益率は両者で異なる可能性があるのでは

ないだろうか。前者は吹けば飛ぶような零細企業であり、後者は超巨大企業である。銀行

が貸付を行うとき、負債比率が等しいからといって要求する金利まで等しいとは考えにく

いだろう。従って、この場合は企業規模が「相対的な企業価値」にも影響を及ぼすことに

なる。これは企業規模で標準化した後でも残る論点であり、追加的な検討の余地がある。 PBRや PERを企業価値を計る尺度として用いるもう一つの理由は、それが EV だけでな

く、 FV の高低を計る上でも有用だからである。実証上は DD BV = という制約がある。従

って、例えば、簿価総資産を FB 、簿価純資産を EB 、簿価総負債を DB として、E

E

BV

、F

F

BV

D

D

BV

が EV の変動に伴ってどう変化するかを図示すると、図表 5 のようになる。まず、D

D

BV

は常に 1 である。一方、 EB に対して相対的に EV が大きくなるにつれてE

E

BV

は上昇する。

そしてF

F

BV

も、変化の程度は異なるものの、 EV が大きくなるにつれて上昇する。つまり、

EV の変化に対して、E

E

BV

とF

F

BV

は同じ方向に動く。感応度は負債比率に依存して変化する

が、変化の方向性は常に同じなのである。従って、 PBR(或いは PERも同じだが)を尺

度として用いることは、資本構成と株式価値の関係と共に、資本構成と企業価値の関係を

評価するに際しても有用性を持つのである。

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【 図表 5 EV の変動に伴うE

E

BV

、F

F

BV

、D

D

BV

の変化 】

0.2

0.4

0.6

0.8

1.0

1.2

1.4

1.6

Ve/Be

Vd/Bd

Vf/Bf

株式の市場価値大小

(資料)みずほ総合研究所

(3) 事業的要因や時間的要因と資本構成 企業価値を計る尺度として PBRや PERを用いることで、純資産や収益の規模の違いに

伴う企業価値の差が標準化され、より直接的に資本構成と企業価値との関係を評価できる

と述べた。しかし、それだけではまだノイズの捨象には不十分である。 例えば、事業の種類によって PBRや PERに差が生じることは株式市場で日常的に観察

される事象である。また、例えば、株価がシングルステージの配当割引モデルに基づき決

定されるとすると、その簡単な変形から、以下の⑧式、⑨式が導出できる6。

gRb

EP

E −−

=1

1

0 ⑧式

gRgROE

BP

E −−

=0

0 ⑨式

ここで、 0P は現時点の株価、 1E は翌期の EPS、b は内部留保率、g は配当の成長率、 0Bは現時点の一株当たり簿価純資産である。⑧式より、配当の成長率が高い企業ほど PERは

高くなり、また、⑨式より、ROE が高い企業ほど PBRは高くなる。キャッシュフローの

成長率や ROE の高低は、産業のライフサイクルや、それぞれの事業が持つリスク・プロ

6 なお、しばしば、⑧式は「規範的な PER 」、⑨式は「規範的な PBR 」と呼ばれる。

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ファイル等に規定される部分が大きいことに異を唱える向きは少ないだろう。従って、資

本構成と企業価値の関係を評価するためには、事業の種類の違いに由来する PBRや PERの差を調整する必要があるだろう。 また、同様のことが、時間の変化に伴う PBRや PERの変化についても言えるだろう。

景気の拡大局面では、 PBRや PERの水準が高くなりやすく、後退局面では低くなりやす

い。80 年代バブル期に PERが異常な水準まで上昇したことや、逆に、リーマン・ショッ

ク後に多くの企業の PBRが 1 倍を割り込んだことは、その たる例である。⑧式や⑨式

のフレーム・ワークを用いて説明するならば、 g に対する期待が高まったり、株価のボラ

ティリティ低下等を背景に ER が低下することで PERは上昇する。バブル期は、このよう

な状況に至りやすい時期といえる。逆に大不況の下では、ROE が低下し、 g に対する期

待も萎みがちとなる。このように、 PBRや PERは、景気循環のどの局面にあるのか、或

いは、マクロ経済の潜在成長力が高い時期か低い時期かといった、時間的な要因によって

も大きく異なると考えられる。従って、そのような要因に由来する PBRや PERの差につ

いても、調整する必要がある。 (4) モデル 以上の点を踏まえ、実証分析に用いる回帰モデルについて考える。 基本的に考えたいのは、負債比率の高低が企業価値にどう影響するかである。従って、

従属変数は企業価値であり、第一の独立変数として負債比率をピックアップする。企業価

値を計る尺度は PBR、 PERである。そして、上述した通り、事業的要因、時間的要因が

企業価値に与える影響を抽出し、それを捨象するために、第二の独立変数(群)として業

種ダミー、第三の独立変数(群)として決算期ダミーを加える。 さて、一本の線形回帰モデルでは、負債比率と企業価値の線形関係しか評価できない。

従って、例えばWACC 関数が下に凸の二次関数形(従って、企業価値は上に凸の二次関

数形)を持つ教科書的な想定が負債比率と企業価値の正しい関係を表していたとしても、

それを一本の線形回帰モデルでは描写できない。 この問題を解決するために、例えば非線形の回帰モデルを検討することも一法である。

但し、その為には予め回帰モデルの関数形を特定しなければならない。しかしながら、「ど

のような想定を置くかでWACC がどのような関数形を取るのかが変わるので、実証分析

を基に正しい想定を推定したい」というのが本稿のそもそもの問題意識であるから、予め

関数形を特定した形で回帰モデルの推定を行うことは、本末転倒になってしまう。上に凸

の二次関数形を前提に回帰分析を実施し、その結果が教科書的な想定の正しさを裏付けて

いたとしても、それは、無数にある他の関数形に比べて上に凸の二次関数形がもっとも適

当であることの証明にはならない。

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そこで本稿では、線形回帰を負債比率の水準毎に実施することとする。具体的には、負

債比率を「0%~20%」、「20%~40%」、「40%~60%」、「60%~80%」、「80%~100%」、

という 5 つのカテゴリーに分けて、各カテゴリー毎に線形回帰を行う。回帰分析の結果、

各カテゴリーにおける企業価値の負債比率への感応度にほとんど差がないなら、それは負

債比率と企業価値の真の関係が線形であることを示唆していると考えられよう。或いは、

負債比率が低いカテゴリーでの感応度が正、負債比率の高いカテゴリーでの感応度が負と

なったならば、それは負債比率と企業価値の真の関係が線形ではなく、上に凸の二次関数

形に近い形状をしていることを示唆していると推定出来よう。このようなアプローチは、

両者の関係をややぼんやりとした形でしか知ることが出来ないという側面はあるが、事前

に関数形を特定するよりも恣意性を排除することが出来るという大きな利点がある。また、

統計分析の基本的な手法しか用いないため、結果も理解しやすくなるだろう。 後に、企業規模の違いによる企業価値への影響について考える必要がある。先に零細

企業と巨大企業の例を用いて説明した論点である。企業規模の違いが PBRや PERといっ

た「相対的な企業価値」にどのような影響を及ぼすのかを考えるために、本稿では、時価

総額でみた企業規模別に線形回帰を実施する。具体的には、「~100 億円」、「100 億円~

1,000 億円」、「1,000 億円~」という 3 つのカテゴリー毎に、回帰を行う。そうすること

で、規模別に企業価値の負債比率に対する感応度に違いが生じるのかどうかを検討する。 さて、以上の事柄を定式化したものが以下の 2 つの式である。⑩式は PERを従属変数

とするもの、⑪式は PBRを従属変数とするものである。

εβββ ++++= ∑ ∑= =

29

2

53

301

i jzjyi

F

Dxw DUMYDUMI

VV

CPER ⑩式

εβββ ++++= ∑ ∑= =

29

2

53

301

i jzjyi

F

Dxw DUMYDUMI

VV

CPBR ⑪式

ここで、C は定数項、DUMI は業種ダミー、DUMY は決算期ダミーである。また、wは

規模の違い、 x は負債比率の違い、 y は業種の違い、 z は決算期の違いを示している。図

表 6 に夫々の記号に入る数字が何を意味するかを一覧している。

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【 図表 6 w、 x 、 y 、 z の説明 】

w x y z

企業規模(株式時価

総額)の違い負債比率の違い 業種の違い 決算期の違い

1 全て 全て 農林・水産業 1983年度

2 ~100億円 ~20% 鉱業 1984年度

3 100億円~1,000億円 20%~40% 建設業 1985年度

4 1,000億円~ 40%~60% 食料品 1986年度

5 60%~80% 繊維製品 1987年度

6 80%~ パルプ・紙 1988年度

7 化学 1989年度

8 医薬品 1990年度

9 石油・石炭製品 1991年度

10 ゴム製品 1992年度

11 ガラス・土石製品 1993年度

12 鉄鋼 1994年度

13 非鉄金属 1995年度

14 金属製品 1996年度

15 機械 1997年度

16 電気機器 1998年度

17 輸送用機器 1999年度

18 精密機器 2000年度

19 その他製品 2001年度

20 電気・ガス業 2002年度

21 陸運業 2003年度

22 海運業 2004年度

23 空運業 2005年度

24 倉庫・輸送関連業 2006年度

25 情報・通信業 (2007年度)

26 卸売業

27 小売業

28 不動産業

29 (サービス業)

(注1)(サービス業)、(2007年度)はダミーの基準となる業種及び決算期である。

(注2)業種分類は東証業種分類に基づいており、金融関連業種を除いている。

(資料)みずほ総合研究所 なお、ここで変数のダイナミズムに関して定式化しない理由、つまり、従属変数を

xwPERΔ や

xwPBRΔ 、独立変数を

F

D

VV

Δ にしない理由について説明しよう。ある企業が t 年

度から 1+t 年度にかけて主体的な財務行動を実施せず、簿価ベースでみた資産金額や資本

構成に何の変動も起こらなかったとする。 0=Δ=Δ ED BB 、 0=+

Δ=ΔED

D

F

D

BBB

BB

であ

る。しかし、その時に事業的要因や時間的要因以外の何らかの理由で株価が変動すること

が無いとはいえない。例えば t 年度から 1+t 年度にかけて株価が上昇したとする。

0>Δ EV である。ここで、 0=Δ EB だから、 0>Δ=ΔE

E

BV

PBR となる。一方、少なくと

も実証上は 0=Δ=Δ DD BV であるから、 0<+

Δ=ΔED

D

F

D

VVV

VV

となる。従って、このよ

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うなケースでは PBRΔ とF

D

VV

Δ は逆相関、つまり 1β はマイナスになる。企業が 1 年を通じ

て主体的な財務行動を起こさないということは考えにくいとしても、企業の財務活動のボ

ラティリティと株価のボラティリティを比較した場合、一般的に後者の方が高いだろう。

そう考えると、時価ベースでみた負債比率の変動が、企業の主体的判断ではなく、単に株

価の変動に伴う結果として発生していることは十分想定できるといえる。従って、このよ

うな回帰を行ったとしても、 1β から何かのインプリケーションを得ることは難しい。 一方、ここでの定式化のように、負債比率と企業価値の水準の関係をみる場合、両者の

関係はある特定の企業の時間を通じた財務行動に依存しない。業種ダミーや決算期ダミー

によって事業的要因や時間的要因が捨象されることを仮定するので、例えば、農林・水産

業に属するある企業の 1983 年度決算と、不動産業に属するある企業の 2006 年度決算を同

じ土俵で比較するというような作業を意味している。それは、長期平均的にみた負債比率

と企業価値のスタティックな関係を考えるアプローチである。

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4. データ 続いて、分析に用いるデータについて説明する。 全てのデータは、日経 NEEDS-FinancialQUEST に収録されている企業財務、金融市場

に関するデータ・ベースから取得している。調査対象としたのは、当該データ・ベースに

収録されている企業決算のうち、①金融関連業種に属する企業、②3 月決算でない企業(小

売業のみ 2 月決算でない企業)、③株価データが取得できない企業、を除き、その上で、

異常値を捨象するために、④ PERが 1 倍未満若しくは 100 倍超、⑤ PBRが 0 倍未満若し

くは 5 倍超、を除いた全ての企業決算である。1983 年度から 2007 年度までの各決算デー

タから、EPS、負債金額、発行済株式総数を取得し、加えて、金融市場データから各企業

の各年 3 月(小売業のみ 2 月)の株価の 高値、 安値を取得しそれを平均することで、

回帰モデルの推定に必要な変数を作成している。なお、業種分類は東証業種分類に拠って

おり、財務データについては、1999 年度までは単独決算の数値を、2000 年度以降は連結

決算の数値を優先して採用している。また、2008 年度以降の決算期については、世界的な

金融・経済危機の発生に伴って EPS が負となったり PBRが 1.0 を大幅に割り込むといっ

た事例が頻出したことから、サンプルとして適切な時期ではないと判断して採用していな

い。負債比率の計算に際しての純資産は時価ベースで計算している。 以上に基づいたサンプル数の統計を図表 7 に示している。縦軸に負債比率、横軸に時価

純資産を取ったマトリクスになっており、左上は実数、その他は比率に関する統計である。 総サンプル数は 30,579 個である。負債比率の分布は、40%~60%を中心にほぼ対称的

な形状をしているが、簿価純資産の小さい企業は負債比率が高く、規模が大きくなるほど

負債比率の低い企業の割合が増えるという傾向が認められる。

【 図表 7 サンプル数に関する統計 】

~100億円 ~1,000億円 1,000億円~ 全て ~100億円 ~1,000億円 1,000億円~ 全て

80%~ 1,416 755 219 2,390 80%~ 59.2 31.6 9.2 100.0

~80% 3,264 3,470 1,274 8,008 ~80% 40.8 43.3 15.9 100.0

~60% 2,587 5,167 1,942 9,696 ~60% 26.7 53.3 20.0 100.0

~40% 1,359 4,217 2,048 7,624 ~40% 17.8 55.3 26.9 100.0

~20% 352 1,519 990 2,861 ~20% 12.3 53.1 34.6 100.0

全て 8,978 15,128 6,473 30,579 全て 29.4 49.5 21.2 100.0

~100億円 ~1,000億円 1,000億円~ 全て ~100億円 ~1,000億円 1,000億円~ 全て

80%~ 4.6 2.5 0.7 7.8 80%~ 15.8 5.0 3.4 7.8

~80% 10.7 11.3 4.2 26.2 ~80% 36.4 22.9 19.7 26.2

~60% 8.5 16.9 6.4 31.7 ~60% 28.8 34.2 30.0 31.7

~40% 4.4 13.8 6.7 24.9 ~40% 15.1 27.9 31.6 24.9

~20% 1.2 5.0 3.2 9.4 ~20% 3.9 10.0 15.3 9.4

全て 29.4 49.5 21.2 100.0 全て 100.0 100.0 100.0 100.0

(資料)日経NEEDS FinancialQUESTに基づきみずほ総合研究所作成

時価純資産

時価純資産

時価純資産

(単位:%)

(単位:%)

時価純資産

(単位:個)

(単位:%)

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5. 実証結果とその解釈 (1) 事業的要因、時間的要因と PER、 PBR それでは、回帰モデルにデータを当てはめた実証分析の結果についてみていこう。 はじめに、事業的要因、時間的要因と株式の市場価値の関係についてである。本稿にお

いて、この点は主要な議論の対象というよりも、資本構成と企業価値との関係を考える上

での主要なノイズであり、それが上手く抽出されているかどうかという意味において関心

があるということは、既に述べた通りである。

図表 8 は、⑩式、⑪式のそれぞれにおける iβ 、 jβ の p-value が 0.1 を下回ったケース

が全体に占める割合を示している。業種の違い、決算期の違いが PERや PBRの違いに影

響しているならそれぞれの iβ 、 jβ は有意となるだろうし、あまり関係がないならば有意

とはならないだろう。

結果をみると、 PER、 PBRのいずれにおいても、 iβ は 7 割強、 jβ はほぼ全てが有意

となっている。図表 6 の(注 1)にあるとおり、ダミーの設定に際して、業種は「サービ

ス業」を、決算期は「2007 年度」を基準としている。従って「サービス業」と異なる業種

であっても事業的要因が近しいなら PERや PBRに有意な差が出ない場合もあるから、比

率が必ず 100%になる訳ではない。そう考えれば、 iβ の 7 割強、 jβ のほぼ全てが有意と

いう結果は、事業的要因、時間的要因が企業価値に対して確かに影響を与えていると評価

するのに十分な結果といえよう。そしてそれは、負債比率と企業価値の関係を示す 1β の値

が、事業的要因や時間的要因が企業価値にもたらすノイズの影響から開放された、より純

粋な関係を捉えていることも示唆している。

【 図表 8 iβ 、 jβ が 10%有意となっている比率 】

PER 20/28 71% 24/24 100%

PBR 22/28 79% 23/24 96%

(資料)日経NEEDSよりみずほ総合研究所作成

βi: 業種ダミー βj: 年度ダミー

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(2) 資本構成と株式の市場価値

(ア) 財務レバレッジと PER、 PBRの関係 では、本稿の主要な関心である資本構成と企業価値の関係を巡る実証結果をみていこう。 図表 9 は、 1=w 、つまり企業規模の違いが要求収益率に与える影響を考慮しない場合

において、 1β がそれぞれの x の水準でどのような値を採るかを図示したものである。はじ

めに、 x の値に関わらず、ほとんどの場合、 1β が負になっている。これはつまり、負債比

率が低くても高くても負債比率と PER、 PBRは逆相関しているということであり、その

時点の資本構成に関わらず、平均的にみて、財務レバレッジの高い企業ほど株式の市場価

値が低いことを意味している。例えば、負債比率が 10%の企業と 20%の企業では、平均

的にみて、前者の PERが約 4.5 ポイント高く、同様に PBRは約 0.6 ポイント高くなる。 続いて、x の値が大きくなるにつれて 1β の絶対値が小さくなっている。この意味すると

ころは、負債比率が低い水準にある場合は、負債比率の変動が企業価値に大きく影響する

が、そうでない場合は、負債比率の違いが企業価値に与える影響は限定されるということ

である。実際のところ、xPER1 において 3=x や 5=x の場合、或いは

xPBR1 において 6=xの場合、 1β はゼロと有意に乖離しているとは言えない結果となっている。

【 図表 9 1β の値(左:

xPER1 の場合、右:xPBR1 の場合) 】

▲ 0.50

▲ 0.40

▲ 0.30

▲ 0.20

▲ 0.10

0.00

0.10

x=2 x=3 x=4 x=5 x=6▲ 0.07

▲ 0.06

▲ 0.05

▲ 0.04

▲ 0.03

▲ 0.02

▲ 0.01

0.00

0.01

x=2 x=3 x=4 x=5 x=6

(注)有意水準が10%未満の場合は濃灰色、そうでない場合は薄灰色で棒グラフを表示

(資料)日経NEEDS FInancialQUESTよりみずほ総合研究所作成

(イ) 規模による相違 続いて、wを 2、3、4 と変化させた場合の負債比率と企業価値の関係をみてみよう。こ

れは、企業規模の違いが要求収益率に影響を与えるかどうかを確認するための作業である。 図表 10は、左から 2=w 、 3=w 、 4=w としたときの 1β の値を示している。上段が PER、

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下段が PBRを従属変数とした場合である。幾つかの点で、 1=w のときには読み取れなか

った特徴がある。はじめに、wが大きくなるにつれて、 1β の絶対値が小さくなる傾向がみ

てとれる。つまり、企業価値の大きな企業ほど、負債比率と企業価値の関係は希薄化して

いる。続いて、PERについて、 3=w 、 4=w の場合、 4=x あたりを境に 1β の符号がマ

イナスからプラスに転じている。或いは、 1β が負であるのは 2=x の場合に限られ、 3=x以上の場合は基本的に 1β は正の値を取るという方が、表現としては妥当かも知れない。

PBRについては、 3=w をみると PER と似たような傾向があるが、 4=w をみると、 5=x 、

6=x のときの 1β が有意でなく、その関係は PERほどはっきりしない。 いずれにせよ、負債比率と企業価値の関係は、企業規模の違いによって違いがあるよう

だ。つまり、時価総額が 100 億円を下回るような規模の企業においては、高い財務レバレ

ッジは低い企業価値と結び付きやすい。しかし、時価総額がそれ以上の規模の企業では、

財務レバレッジの高低が企業価値にさほど影響しなくなる中で、傾向としては、高い財務

レバレッジが高い企業価値と結び付きやすいのである。

【 図表 10 1β の値(上:xwPER の場合、下:

xwPBR の場合) 】

▲ 1.20

▲ 1.00

▲ 0.80

▲ 0.60

▲ 0.40

▲ 0.20

0.00

0.20

0.40

0.60

x=2 x=3 x=4 x=5 x=6

▲ 0.08

▲ 0.06

▲ 0.04

▲ 0.02

0.00

0.02

0.04

x=2 x=3 x=4 x=5 x=6

(注1)有意水準が10%未満の場合は濃灰色、そうでない場合は薄灰色で棒グラフを表示

(注2)線グラフは2次関数を仮定して近似させたもの

(資料)日経NEEDS FInancialQUESTよりみずほ総合研究所作成

▲ 1.20

▲ 1.00

▲ 0.80

▲ 0.60

▲ 0.40

▲ 0.20

0.00

0.20

0.40

0.60

x=2 x=3 x=4 x=5 x=6

▲ 1.20

▲ 1.00

▲ 0.80

▲ 0.60

▲ 0.40

▲ 0.20

0.00

0.20

0.40

0.60

x=2 x=3 x=4 x=5 x=6

▲ 0.08

▲ 0.06

▲ 0.04

▲ 0.02

0.00

0.02

0.04

x=2 x=3 x=4 x=5 x=6

▲ 0.08

▲ 0.06

▲ 0.04

▲ 0.02

0.00

0.02

0.04

x=2 x=3 x=4 x=5 x=6

P

ER

P

BR

w=2 w=3 w=4

(ウ) 財務レバレッジと企業価値の水準 ここまでは、主に 1β の値を x の水準毎に分けて議論してきたが、負債比率の水準と PER 、

PBR の水準の関係については特に触れなかった。そこで、この点について確認しておこう。 図表 11 は、w毎に、横軸を負債比率、縦軸を PER 、PBR にしたときの散布図である。

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PER 、 PBR は業種ダミー、決算期ダミーで調整する前のプレーンな数字を用いており、

従って、散布図のばらつきが大きいことから、便宜的に線形近似したときの回帰線も表示

している。PER についてみると、規模別に負債比率との関係が異なっている。つまり、企

業規模が小さい場合は逆相関している。回帰線の傾きは負であり、散布図をみても、右下

から左上に向かってサンプルが散らばっている様子が窺える。しかし、企業規模が大きく

なるにつれて、相関が薄れ、時価総額が 1,000 億円超の企業については、若干の順相関と

なっている。これは、上述の 1β の値に関する実証結果と概ね平仄の取れた結果である。な

お、PER の平均的水準が 30 倍前後と高いが、これは標本期間にバブル期が含まれるから

である。 一方、PBR については、企業規模に関わらず回帰線は右肩下がりとなっており、PER の

ときほど企業規模の差が結果に表れていない。より特徴的なのは、企業規模の違い自体が

PBR の水準の違いとなっている点であろう。つまり、グラフから、企業規模が大きくなる

につれて、PBR の水準が全体的に上方にシフトしていることが窺える。このことは、企業

規模そのものが企業価値と正の相関を持つことを示唆している。

【 図表 11 財務レバレッジと企業価値の関係(上: PER 、下: PBR ) 】

(3) 実証結果をどう理論的に解釈すべきか

(ア) 教科書的理解とのギャップ

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では 後に、実証分析の結果を理論的に捉えたとき、どのような仮定のもとで実証結果

と理論的可能性が整合的となるのかを考えよう。 まず、教科書的な想定、つまり負債比率と企業価値が上に凸の二次関数形を持つという

想定は、実証結果と整合的とはいえない。教科書的な想定では、負債比率の水準が低いと

きには負債比率の上昇が企業価値、株式価値の上昇をもたらす(前掲図表 1)。従って、 xが小さいときに 1β は正の値となるはずである。そして、 x の増加とともに 1β の正の値が

縮小し、やがて 1β が負に転じるような実証結果が得られて然るべきである。しかし、実際

には、図表 9、或いは図表 10 のいずれを取っても、教科書的な想定と整合的な結果にはな

っていないのである。 これを資本コストとの側面からみると、教科書的な想定では、負債比率が十分に低い水

準にあるとき、資本コストは ER 、 DR は共に横這いであり、結果として節税効果のある負

債調達の比率の高まりと共にWACC が逓減することになるわけだが、そのような資本コ

ストの想定は実証的には正当化されないということである。

(イ) 実証結果と整合的な資本コストの想定 では、実証結果と整合的になるような資本コストの想定とはどのようなものだろうか。 図表 9 においては、負債比率が十分に低い水準にあっても 1β は負であった。つまり、負

債比率が低い水準にある場合でも、 ER や DR はレバレッジの上昇に伴って上昇するという

ことを示唆する結果であった。これは、第 2 節で述べた三つの理論的可能性のうち、ケー

ス③のような想定が実証結果と整合的ということである。負債を持たない企業がレバレッ

ジを活用し始めると、それに応じて ER は直ぐに上昇を開始する。また、負債比率が低く

ても、信用リスクの変化に応じて DR は上昇する。それぞれがどの程度上昇するのかは実

証的には定かではないが、要するに、負債比率が十分に低い水準にあっても、負債調達の

増加に伴う直接的・間接的な倒産コストの上昇は、その節税効果に比べて大きいのである。 しかし、図表 9 は企業規模の違いが要求収益率に与える影響を考慮しない分析であり、

より重要なのは、図表 10 の理論的解釈ということになるだろう。図表 10 では、企業規模

が小さい場合は、図表 9 と大きく変わらない結果であった。しかし、企業規模が大きくな

るにつれて、財務レバレッジの高低が企業価値にさほど影響しなくなり、むしろ傾向とし

ては、高い財務レバレッジが高い企業価値と結び付きやすいという結果であった。そして、

このような実証結果と整合的な理論的可能性を考えると、それはケース①やケース②とい

うことになる。ケース①では、債券投資家が CAPM に基づいて行動し、さらに倒産コス

トをアンシステマティック・リスクと捉えてそれへの対価を要求しないことが仮定され、

ケース②では、倒産コストをシステマティック・リスクと捉えて負債比率の上昇とともに

負債コストが上昇する一方、負債比率が一定の水準を上回ると株式投資家が予め倒産の可

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能性を織り込んで期待収益率が低下し株式コストが低下することが仮定された。実証結果

はそのいずれ(或いはそれ以外の想定を含めて)が正しいかは明らかにしない。しかし、

いずれにせよ、負債の節税効果と倒産コストのトレード・オフを考える場合、企業規模が

大きくなるにつれて、倒産コストは節税効果を上回るほどのものではなくなっていくので

ある。

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6. おわりに 企業の経営者や財務担当者、或いは金融機関の法人営業担当者は、企業価値を 大化す

るための正しい財務的アプローチとして、財務レバレッジを高めるべきなのか、低下させ

るべきなのか。それに対する一つの解を、実証分析によって探ることが本稿の主眼であっ

た。 得られた結論を改めて示すと、規模の小さい企業においては、高い財務レバレッジは低

い企業価値に結び付きやすい。負債比率が十分に低い水準にある場合でも、負債比率と共

に PERや PBRで評価した企業価値は低下する。それを理論的に解釈すると、負債比率の

水準に関わらず、直接的・間接的な倒産コストに対して要求されるべき対価が、レバレッ

ジの利用に伴う節税効果を上回るという判断を、現に投資家が行っているということであ

る。 一方、規模の大きな企業においては、財務レバレッジと企業価値の関係が全体に希薄化

する中で、高い財務レバレッジは高い企業価値に結び付きやすい。理論的には、負債比率

が相応に高い水準にある場合でも、レバレッジの利用による節税効果と比べたとき、直接

的・間接的な倒産コストに対して要求される対価は同程度か、或いはそれより小さいとい

うことである。 このような違いは、つまるところ、法人税率や株主への配当課税、債権者への利息収入

への課税の度合いは企業規模の大小に関わらず概ね等しい一方で、倒産コストに関しての

投資家の判断は企業規模の大小によってかなり違うということによるのだろう。負債比率

が同じ 80%であっても、純資産が 100 万円しかない企業と 1 兆円ある企業では、自ずと

投資家の倒産への警戒感は異なるのであり、それが資本コストに与える差としてデータ上

に滲み出ているのである。 実務へのインプリケーションを述べよう。企業の経営者、財務担当者、金融機関の法人

営業担当者が 適資本構成について考えるとき、当該企業の規模によって向かうべき方向

性が大きく異なる可能性に留意する必要がありそうだ。「レバレッジ経営」は企業規模に関

わらず望ましい経営姿勢というわけではない。企業規模が小さければ小さいほど、財務レ

バレッジ向上に伴う限界倒産コストが大きくなる可能性を意識しなければならないだろう。

一方、企業規模が大きければ大きいほど、財務レバレッジ向上に伴う限界倒産コストは小

さくなるだろう。従って、財務健全性を重視することの限界的な意味は乏しく、より負債

の節税効果を享受できる可能性がないのか、その余地を常に検討すべきであろう。 後に、本稿の分析上の限界と課題を記しておく。はじめに、本稿では業種ダミーと決

算期ダミーを回帰モデルに組み込むことで、それらが PERや PBRに与える影響を中立化

することを試みた。従って、得られた結論には、常に「事業的要因や時間的要因を考慮し

なければ」という但し書きが付く。実務的観点では、それらの違いが 適資本構成に与え

る影響は、当然のことながら無視できるものではないし、むしろ、切り離して考えられる

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ものではなかろう。事業環境の目まぐるしい変化に伴って、 適資本構成もダイナミック

に変化することはいうまでもない。スタティック且つ平均概念に基づいて議論する本稿は、

その点で限界がある。第二に、モデルの定式化の妥当性については議論の余地があるだろ

う。例えば、本稿では、従属変数を PER や PBR としたが、より妥当に企業価値を評価で

きる変数があるかも知れない。また、 PER や PBR に影響を与える「ノイズ」として事業

的要因と時間的要因を考慮したが、例えば同一業種内における企業間の収益力格差(アブ

ノーマル・リターン)など、明示的に考慮すべき「ノイズ」が他にもあるかもしれない。

第三に、本稿では 1983 年度から 2007 年度を標本期間として、その期間における財務レバ

レッジと企業価値の長期平均的な関係に焦点を当てたが、その関係が時間を通じて変化し

ている可能性については議論していない。従って、例えば、1990 年代後半からの長期デフ

レが株式や債券の実質要求収益率に何らかの影響を与えている可能性、サブプライム・ロ

ーン問題以降の世界的な金融危機を経験した投資家がそれ以前に比べて財務レバレッジに

対する考え方を保守化させている可能性など、財務レバレッジと企業価値との関係に何ら

かの構造的変化が起こっていたとしても、それを十分に捉えられていない。これらの点に

ついては、今後の検討課題としたい。

以 上

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【 参考文献 】 Franco Modigliani and Merton H. Miller, “The Cost of Capital, Corporation Finance and Theory of Investment”, The American Economic Review, 1958 Eugene F. Brigham and Joel F. Houston, “Fundamentals of Financial Management, 8th edition”, Dryden, 1998 Mark Grinblatt and Sheridan Titman, “Financial Markets and Corporate Strategy, 2nd edition”, McGraw-Hill, 2002 Richard A. Brealey, Stewart C. Myers and Franklin Allen, “Principles of Corporate Finance, 8th edition”, McGraw-Hill, 2006 Stephen H. Penman, “Financial Statement Analysis and Security Valuation, 3rd edition”, McGraw-Hill, 2007

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