近代スペイン音楽の発展 - Osaka University of Arts...68 近代スペイン音楽の発展...

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68 近代スペイン音楽の発展 ― モンポウのピアノ作品を中心に ― 紺 谷 志 野 嘱託助手 大学院 平成 25 年度 1. 研究の背景と目的 本研究の目的は、スペイン音楽を特徴づける要 素をもとに、モンポウ(Mompou,Federico… 1893 - 1987)を中心とした近代スペイン音楽の作曲家の ピアノ作品の分析と考察を行い、その成果を明ら かにする事である。 平成 23 年度に発表した博士論文においては、 スペイン音楽を特徴付ける主要な要素として、ス ペ イ ン 舞 曲 の リ ズ ム、ミ の 旋 法、メ リ ス マ 的 音 型、フラメンコ、ギターの 5 つがある事を明らか にし、それらの諸要素が楽曲の中においてどの ように組み合わされ取り込まれているかを考察 し た。取 り 上 げ た 作 曲 家 は、ス ペ イ ン 人 作 曲 家 アルベニス(Albéniz , Isaac… 1860 - 1909)、グラナ ドス(Granados,Enrique…1867 - 1916)、ファリャ (Falla,Manuel… de… 1876 - 1946)と、スペイン人以外 の作曲家ドビュッシー(Debussy , Claude… Achille… 1862 - 1918)、スカルラッティ(Scarlatti,Domenico… 1685 - 1757)である。 平 成 24 年 度 塚 本 学 院 研 究 補 助 に お け る 成 果 論 文 で は、博 士 論 文 を も と に ソ レ ー ル(S o l e r , A n t o n i o… 1729 - 1783)や ロ ド リ ー ゴ (Rodrigo,Joaquín… Vidre… 1901 - 1999)のピアノ作 品を加えて分析と考察を行った。 今回は、上記の研究をもとにモンポウを中心と した近代スペインの作曲家のピアノ作品を取り上 げ、分析と考察を行う。 2. パリにおける音楽家達との親交 モンポウは、アルベニス、グラナドス、ファリャ 以後のスペインを代表する作曲家である。平成 25 年に生誕 120 年(平成 24 年度は没後 25 年)の記 念すべき年を迎えたこともあり、日本においても いくつかの記念演奏会が行われた。その代表的な 演奏会として、平成 25 年 9 月 1 日の東京オペラ シティコンサートホール開館 15 周年記念公演が 挙げられる。この演奏会においては、モンポウの バリトン、合唱、オーケストラによる宗教合唱曲 《インプロペリア(マルケヴィッチ版 日本初演)》 のほか、ピアノ曲《内なる印象》、ギター独奏曲《コ ンポステラ組曲》、ソプラノとオーケストラによ る《夢のたたかい》(原曲はピアノ伴奏曲)などが 演奏された。 モンポウは、1893年にスペインカタルーニャ地 方のバルセロナに生まれた。父はスペイン人、母 はフランス人であった。音楽好きの一家の中で才 能が育まれ、バルセロナのリセオ音楽院に入学 し、15 歳でピアノリサイタルを行った。16 歳の時 に、バルセロナで行われた「フォーレ ・ コンサー ト」で、フォーレ(Fauré , Gabriel… Urbain… 1845 - 1924)の《弦楽とピアノの為の五重奏曲》を作曲 家自身の演奏で聴いた事が、独学で作曲を始めた きっかけになったと言われている。その後、1911 年 18 歳の時に、グラナドスがフォーレ宛てに書 いてくれた推薦状を携え、パリに留学した。

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近代スペイン音楽の発展― モンポウのピアノ作品を中心に ―

紺 谷 志 野嘱託助手大学院平成25年度

1.研究の背景と目的

本研究の目的は、スペイン音楽を特徴づける要

素をもとに、モンポウ(Mompou,Federico… 1893-

1987)を中心とした近代スペイン音楽の作曲家の

ピアノ作品の分析と考察を行い、その成果を明ら

かにする事である。

平成 23 年度に発表した博士論文においては、

スペイン音楽を特徴付ける主要な要素として、ス

ペイン舞曲のリズム、ミの旋法、メリスマ的音

型、フラメンコ、ギターの 5 つがある事を明らか

にし、それらの諸要素が楽曲の中においてどの

ように組み合わされ取り込まれているかを考察

した。取り上げた作曲家は、スペイン人作曲家

アルベニス(Albéniz , Isaac… 1860-1909)、グラナ

ドス(Granados , Enrique… 1867-1916)、ファリャ

(Falla,Manuel…de…1876-1946)と、スペイン人以外

の作曲家ドビュッシー(Debussy,Claude…Achille…

1862-1918)、スカルラッティ(Scarlatti ,Domenico……

1685-1757)である。

平 成 24 年 度 塚 本 学 院 研 究 補 助 に お け る

成 果 論 文 で は、博 士 論 文 を も と に ソ レ ー

ル(Soler , Antonio… 1729-1783)や ロ ド リ ー ゴ

(Rodrigo , Joaquín…Vidre… 1901-1999)のピアノ作

品を加えて分析と考察を行った。

今回は、上記の研究をもとにモンポウを中心と

した近代スペインの作曲家のピアノ作品を取り上

げ、分析と考察を行う。

2.パリにおける音楽家達との親交

モンポウは、アルベニス、グラナドス、ファリャ

以後のスペインを代表する作曲家である。平成 25

年に生誕 120 年(平成 24 年度は没後 25 年)の記

念すべき年を迎えたこともあり、日本においても

いくつかの記念演奏会が行われた。その代表的な

演奏会として、平成 25 年 9 月 1 日の東京オペラ

シティコンサートホール開館 15 周年記念公演が

挙げられる。この演奏会においては、モンポウの

バリトン、合唱、オーケストラによる宗教合唱曲

《インプロペリア(マルケヴィッチ版 日本初演)》

のほか、ピアノ曲《内なる印象》、ギター独奏曲《コ

ンポステラ組曲》、ソプラノとオーケストラによ

る《夢のたたかい》(原曲はピアノ伴奏曲)などが

演奏された。

モンポウは、1893年にスペインカタルーニャ地

方のバルセロナに生まれた。父はスペイン人、母

はフランス人であった。音楽好きの一家の中で才

能が育まれ、バルセロナのリセオ音楽院に入学

し、15 歳でピアノリサイタルを行った。16 歳の時

に、バルセロナで行われた「フォーレ ・ コンサー

ト」で、フォーレ(Fauré , Gabriel… Urbain… 1845-

1924)の《弦楽とピアノの為の五重奏曲》を作曲

家自身の演奏で聴いた事が、独学で作曲を始めた

きっかけになったと言われている。その後、1911

年 18 歳の時に、グラナドスがフォーレ宛てに書

いてくれた推薦状を携え、パリに留学した。

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パリではフォーレに直接師事することは叶わな

かったが、ショパン(Chopin ,Frédéric… François…

1810-1840)門下のマティアス(Mathias ,Georges…

Amedee… Saint-Clair… 1826-1910)やサン = サーン

ス(Saint-Saëns,Charles… Camille… 1835-1921)に師

事した高名なピアニストのイシドール・フィリッ

プ(Philipp… Isidor… Edmond… 1863-1958)や、その

弟子のフェルナンド・モット = ラクロワ(Motte-

Lacroix,Ferdinand… 1882-1955)にピアノレッスン

を受ける事となった。

モンポウの良き指導者、理解者であった

モット = ラクロワは、パリ音楽院でラヴェル

(Ravel,Joseph-Maurice… 1875-1937)やヴィーニェ

ス(Viñes,Ricardo… 1876-1943)とともにシャルル

= ヴィルフリッド・ド・ベリオ(Bériot, Charles-

Wilfrid…de…1833-1914)のクラスで学んだピアニス

トであった。

スペイン出身のヴィーニェスは、アルベニ

ス、グラナドス、ファリャといったスペイン人作

曲家だけでなく、シャブリエ(Chabrier, Alexis-

Emmanuel… 1841-1894)、フォーレ、ショーソン

(Chausson,Ernest… 1855-1899)、ドビュッシー、ラ

ヴェルといった多くのフランス人作曲家達とも

親交を持ち、彼らの作品の初演に携わったピアニ

ストであり、プーランク(Poulenc, Francis, Jean…

Marcel…1899-1963)やロドリーゴ(Rodrigo,Joaquín…

Vidre… 1901-1999)のピアノの指導者でもあった。

音楽家以外にも、ピカソ(Picasso, Pablo… 1881-

1973)、コクトー(Cocteau,Jean…1889-1963)といっ

た、当時では時代の先端を行く画家や詩人とも親

交を持っており、当時のパリ音楽会の中心的な人

物の一人であった。

モンポウが留学した 1911年から第一次世界大

戦勃発までの 1914年のパリは、スペイン人音楽

家が最も活躍した時期であり、モット = ラクロ

ワやヴィーニェスを中心に、サティ(Satie, Erik…

Alfred… Leslie… 1866-1925)やフランス 6 人組らと

親交を持つ中で、独自の音楽性を確立していった。

3.モンポウの音楽

モンポウの音楽の特徴として、フランス音楽と

出身地であるカタルーニャ地方の音楽の影響が挙

げられる。

ドビュッシーやラヴェル、プーランクや 6 人組

といった、近代フランス音楽を代表する作曲家達

との交流が深い事から、作曲においてフランス音

楽から大きな影響を受けたといえる。また、モン

ポウの母親はフランス人であり、出身地の言語で

あるカタルーニャ語は、スペインの標準語である

カスティーリャ語と違い、フランス語に近いと言

われている。

当時のスペインの状況も、モンポウの音楽に大

きな影響を与えたといえる。第一次世界大戦後の

スペインでは政権が安定せず、カタルーニャ地方

やバスク地方では独立運動が活発になっていた。

1923年から 1930年まで続いたプリモ・デ・リベ

ラの独裁政治ではカタルーニャ語の使用を禁止

し、知識人達が次々と国外追放となった。リベラ

が失脚した翌年の 1931年から 1941年にかけてス

ペイン市民戦争が起こり、第二次世界大戦へと続

いていった。

モンポウは、「私は『ナショナリスタ』と呼ばれ

るのは好まない」と公言していたと言われている

が、1931年に創設されたカタルーニャ独立音楽協

会に加わっており、モンポウの代表曲である《歌

と踊り》(全 13 曲)の多くにはカタルーニャ民謡

が用いられている。

本研究においては、これらの事象をもとに、モン

ポウの音楽におけるフランスとカタルーニャ地方

の音楽の影響を考察し、スペイン音楽の発展に寄

与したアルベニス、グラナドス、ファリャらの音楽

とは違ったスペイン音楽の一面を明らかにする。