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12版 14 2005年 (平 17年 )8月 2 El 火曜日 鱚驀笏兆 0罫 誦散 碧吻哄 六ケ所村再処理工場 ¨ 使 77 使 調 使 90 1核と原 子 力 をめ ぐる主 な 1945米 、広 島、長崎に原爆投下 70日 本 、核不 拡 散条約 (NPT 74イ ンド、初 の核実 験 76日 本、 NPT批 震置場 量蠍 88新 日米原子力協定発効 94高 速 増 殖 原 型 炉「もん じに 1市)が 初臨界 03北 朝鮮がNPT脱 退表明。 |の ウラン濃 縮発覚 。エ ルプ 1事 務局長が多国間管理を 1雇 咆ご辮 79 76 68 03 40 88 30 10 70 調 力をめぐる主な動き 長崎に原爆投下 拡散条約 (NPT)に 調印 の核実験 Tlじ 海村の再処理工場、試験運転 ドと AEAの NPTこ 基 づく包 括 的 協定が発効 子力協定発効 原 型 炉「もん じゆ」 (福 丼県敦賀 霊界 NPT脱 退 表 明 。イランで未 申 告 農縮 発 覚 。エ ルバ ラダイ AEA ‐が多国間管理を提 唱 |ケ 所村の再処理工場でウランを 験開 始 (07年 操業予定) (AEA諮 問委資料などから フランス 、中 国 ンラン濃縮・ NPT上 の核保 インド、プ (キ スタン 北朝鮮 (?) I NPT上 の非核保有国 日本、ドイツ、オランダ、プラジル | アルゼンチン、イラン 罪究 174 警選 択 呈察受 け入れ なしヽ国 ヨ案 を 彗察 を受 け ンド、ノ (キ スタン、イスラエル|

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12版 △ 142005年 (平成17年 )8月 2 El 火曜 日日 新

鱚驀笏兆0罫誦散宦碧吻哄

六ケ所村再処理工場

日本は戦後、世界屈指の原子力大国になった。発

電などの平和利用に徹してきたが、核燃料サイクル

に伴う技術は軍事転用が可能なものでもある。海外

では、日本核武装

への疑念も消えない。二面性を持

つ技術を平和利用に限定していくことが今後とも可

能なのか。核拡散の危機が高まるなか、日本の針路

が改めて間われている。

(武井宏之)

日本、米の譲歩引き出す

馳年代以降濃縮・再処理可能に

核燃料サイクル 原発で燃やしたウラ

田剛り↑

″翻岬壁岬¨理讀ま〕口い」]

水炉の燃料として再利用すること。日本

は開発初期から、原子力政策の中心に据

えてきた。一高速増殖炉は実用化されてお

らず、現実にはプルトニウムとウランの

混合酸化物燃料を軽水炉で燃やすのが柱

にな

っている。

「平和目的」で取り出し

たプルトニウムが爆発に

使われた。兵器との線引

きが

一段とあいまいにな

った。核拡散を恐れる米

国が、プルトニウム平和

利用の国際的な規制に動

き出したのだ。

日本は米国が政策を急

転換させたことに猛反発

した。当時の福田赳夫首

相は77年3月、カーター

大統領に直談判した。

「核保有国が自由に原子

力を利用できるのに非核

国ができないのは、ゆゆ

使用済み核燃料を扱う

試運転を今年末にも控え

た青森県六ケ所村の再処

理工場。

一角には、国際

原子力機関

(IAEA)

の査察官が常駐する分析

所が設けられている。

工場では、核燃料棒が

細かく切断され、硝酸に

溶かされる。それを採取

し、同位体組成などを遠

隔操作で調べる。軍事転

用を監視するIAEA査

察の強化策の

一っとして

採り入れられた。

使用済み核燃料の再処

理量は年800

ント。東海

村の年90

ントに比べ、けた

違いの規模だ。ミスや不

備が国際社会の疑念を招

きかねない。事業主体の

日本原燃は

「透明性を高

年 1核と原子力をめぐる主な

1945米 、広島、長崎に原爆投下

70日 本、核不拡散条約 (NPT74イ ンド、初の核実験

76日 本、NPT批准

震置場 量蠍

88新日米原子力協定発効

94高速増殖原型炉「もんじに

1市 )が初臨界

03北朝鮮がNPT脱退表明。|のウラン濃縮発覚。エルプ1事務局長が多国間管理を

1雇閻 咆ご辮

「特権」に厳しい目

核不拡散体制の危機、影響

しき差別だ」

当時、日本原子力産業

会議事務局長だ

った森

久さん(79)は宇野宗佑科

学技術庁長官と渡米、

「被爆国の原爆製造を疑

うなんてとんでもない話

だ」と怒りをぶつけた。

外務省参与だった今井隆

吉さん(76)も米政府高

官を説得した。

「(軍

事転用をむずかしくす

るために)プ

ルト

ニウ

ムを純粋にではなくウラ

ンと混ぜて取り出せばい

い」日

本の関係省庁や経済

界が働きかけを強めた結

対米交渉で勝ち取った

日本の

「特権」は今、核

不拡散体制の危機に揺さ

ぶられている。濃縮

再処理技術を新たに持と

うとする、核開発疑惑国

があとを絶たないため

だ。

「六ケ所再処理工場の

運転開始は無期限延期せ

よ」――今年5月、核不

拡散条約

(NPT)再検

討会議が開かれていた米

ニューコークの国連本

部c米民間団体

「憂慮す

果、米国は同年9月、プ

ルトニウムの抽出を認め

た。ウランと混ぜて取り

出す

「混合抽出法」の研

究が条件だった。

当時、日本の交渉相手

一人だったシャインマ

・米モントレー国際問

題研究所教授は

「日本は

大平洋地域の重要な同盟

国。資源に乏しく、エネ

ルギー源を多様化したい

と考える立場を理解し

た」と振り返る。

米国は欧州諸国にも再

処理路線を認めた。他

方、韓国やパキスタンな

ど多くの国が、米国の圧

力で再処理工場建設を断

念した。外務省で原子力

外交を担当した金子熊夫

・元東海大教授(68)は、

人が署名していた。

日本は03年末現在、再

処理委託先の英仏に保管

された約5

ントを合む、約

40

ントのプルトニウムをす

でに持っている。

「日本

がこれ以上、余剰のプル

トニウムを増やさないこ

とを願う一と声明は求め

合意の翌朝のことをよく

党えている。韓国とイン

ドの外交官がや

ってき

て、異口同音にこう尋ね

た。 コ

体、どうやって

米国を説得したんだ?

教えてはしい」

だが、日本は自由にプ

ルトニウムを利用できる

ようになったわけではな

かつた。欧州

への再処理

委託などでいちいち米国

の事前同意が必要という

制約が残っていた。日本

はこの不自由さから逃れ

るため、日米原子力協定

の改定交渉にのぞんだ。

88年、青森県六ケ所村の

再処理工場の建設や欧州

への再処理委託など、ま

とめて30年分の事前同意

を得ることに成功した。

た。エ

ルバラダイーAEA

事務局長は、濃縮ウラン

やプルトニウムの生産を

多国間で管理する代わり

に、関係国への核燃料供

給を保証する構想を提唱

している。昨年10月、日

本の原子力業界関係者ら

との昼食会では、

「念頭

にあるのはイランや北朝

鮮だが、例外を作りたく

壊兵器の拡散問題につい

て」がある。

70年のNPT署名を控

えた時期に行われた内閣

調査室の研究では、技術

向こま

「プレト■シゝ訳

力をめぐる主な動き

長崎に原爆投下

く拡散条約 (NPT)に調印

の核実験

Tlじ笙

海村の再処理工場、試験運転

ドと AEAの NPTこ基づく包括的

協定が発効

子力協定発効

原型炉「もんじゆ」(福丼県敦賀

霊界

NPT脱退表明。イランで未申告

農縮発覚。エルバラダイ AEA‐が多国間管理を提唱

|ケ所村の再処理工場でウランを

験開始(07年操業予定 )

(AEA諮問委資料などから

フランス、中国

ンラン濃縮・

NPT上 の核保

インド、プ(キスタン

北朝鮮 (?)

I NPT上 の非核保有国日本、ドイツ、オランダ、プラジル| アルゼンチン、イラン

罪究174

警選択

呈察受け入れなしヽ国

ヨ案を

彗察を受け

ンド、ノ(キスタン、イスラエル|

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使用済み核燃料再処理工場の中央制御室。プルトニウム抽

出の工程を遠隔操作する=青森県六ケ所村で、武井写す

0「一コ一0コ().コo篭0・■‥『0■̈‐0一 ダ

 匡賜會に信菊ビオそ

プラントに」

(藤巻和範

・核物質管理部長)と気

を引き締める。

「それにはいつも神経 く言うと、

『原爆を作り

を払

ってきた。例えば高 やすいプルトニウムがで

速増殖炉では、

一部に純 きるのか」と、タカ派の

度の高いプルトニウムが 政治家を刺激しかねな

できる。だから、炉の性 い。逆に、

「そんな危険

能さえ実証できれば、そ なものなら高速増殖炉を

うしたプルトニウムを作 やめろ」と反対意見が強

るのは慎重にした方がい まっても困る」

い、と主張した。原子カ  ーー45年8月6日、広

委員会の長期計画策定に 島で被爆されたそうです

いた時はつぶれた家の下

敷きになっていた。爆心

から約1

ロキ。皮膚が焼け

ただれた裸の人たちがバ

タバタと逃げ

ていた。

『水をくれ』とうめく人

たちがいた。父母と兄夫

婦、めいの家族5人を失

った」「1

カ月後、高熱を出

政府内7

「非核」:

な声明を日本に突きつけ

た。ウイリアム

・ペリー

元米国防長官ら有識者27

爆の少数製造は比較的容

易」と分析しつつ、巨額

の財政負担や外交的孤立

化が必然などの理由か

ら、日本の核武装を否定

している。

報告書当時に比べ、技

術的な活在能力は格段に

向上しているが、執筆者

一人、蝋山道雄

・上智

大名誉教授

(安全保障

論)は

「外交

・戦略的に

核武装が無理な状況は今

も変わらない」と話す。

95年の防衛庁の研究は

冷戦後の国際情勢の変化

を踏まえて行われた。報

告書は

「核保有にかかわ

る疑惑は近隣諸国との信

頼醸成に不利益」

「米国

の核抑止力に依存するの

が最良の選択」罐だと指

摘。日米同盟の破綻や核

不拡散体制の崩壊など最

ている。

一方、外務省の外交政

策企画委員会は69年に秘

密文書

「わが国の外交政

策大綱」をまとめた。外

務省は

「内部の作業文

書」と94年に説明してい

るが、誤解を招きかねな

い記述がある。

「当面核

兵器は保有しない政策を

とる」としながらも、

「核兵器製造の経済的

技術的ポテンシャル

(潜

在的能力)は常に保持す

るとともにこれに対する

当離どうけないよう配慮

する」と核開発をめぐる

技術力の維持に言及し

た。当時の議論を知る外

務省関係者は

「核兵器保

有という選択肢も、理論

上はあるという話だ。

切、核を持たないと言う

必要はない」と話す。

第3桓重βi物 認・l

日本、核の悲惨さ知っている

一吉

本原子力産業

〓長

一久

譲らない。そうした手を  ――核燃料サイクル技 かかわった時のことだ」

縛るために、NPTに入 術の

一部は核兵器開発に 

 

「ただ、そうした主張

る意味もあった」    転用できます。     はむずかしい。ぁまり強

――日本は70年のNP

T署名から批准まで6年

もかかりました。

「NPTは5大国だけ

核兵器が許され

る不平

等条約

。核兵器廃絶条

約ならいいが、そんなに

簡単

に賛成できなか

た」―

―原子力産業界は当

初の慎重な立場から推進

一転しました。

「批准を延ばせば、日

本は国際的な孤立が避け

られない。原子力産業に

も影響が出ると訴えた」

「問題は政界、特に自

民党タカ派の面々だ

た。

『核のフリーハンド

を持ち続けるべきだ』と

ね。

「・9歳だ

つた。帰省先

の実家で寝ていた。気づ

して倒れた。医者は

『自

血球が10分の1しかな

い」と言う。4カ月間、

何も食べられず、足がす

りこぎのように細くなっ

た。それでも死ななかっ

た。僕は残しておけとい

うことだったんだろう」

――国内外で日本の核

武装に対する懸念がくす

ぶり続けています。

「原爆がもたらす光景

は映画で見るのとは次元

が違う。日本は核の悲惨

さを知っているから、半

世紀の間、核兵器の道に

はんの少しも進まなかっ

た。その思いが揺らぐな

ら、原子力の平和利用は

やめた方がいい」

核燃料サイクル路線を

進めてきた日本に対し、

周辺国からは核武装につ

ながらないか、との疑念

が消えない。だが、政府

内で過去、何度か行われ

た秘密研究では、核武装

は安全保障上の利益にな

らない、といずれも否定

的な結論が出ている。

主な秘密研究としては

67~70年に当時の内閣調

査室が国際政治学者や核

科学者らを集めて行った

「日本の核政策に関する

基礎的研究」、%年に防

衛庁の文民と制服組のチ

ームがまとめた

「大量破

も り・ かず ひ さ 広 島市

出身 。京都 大 で故湯 川秀樹

博士 に素粒 子論 を学 んだ 。

中央 公論 社 な どを経て 、56

年 の設立 時 か ら48年 間 、 日

本 原 子 力 産 業 会 議 に勤 め

た 。現在 は科 学 評論 家 。 79