上腹部消化器不定愁訴で悩んでいる患者さんのために -...

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2005 沖縄医報 Vol.41 No.2 -94(198)- 慢性の上腹部消化器不定愁訴で受診する患者 の最終診断として胃潰瘍、胆石などの器質的疾 患の頻度は必ずしも高くはなく、半数以上は機 能性の疾患である。本邦では従来から慢性の上 腹部不定愁訴に対しては、慢性胃炎、神経性胃 炎、あるいはそのまま上腹部不定愁訴症と診断 し、「慢性胃炎」という保険病名のもと粘膜保 護剤や健胃消化剤を投与するのが一般的であっ た。欧米では 1980 年代後半からこの目に見え ない病態を「慢性胃炎」ではなく「non-ulcer dyspepsiaNUD)」と呼称し、その重要性が 提唱されるようになった。本邦でも、NUD 概念が次第に取り入れられるようになり、欧米 で使用される「ディスペプシア(dyspepsia)」 の理解が必要となってきた。ディスペプシアと は「胃のあたりの痛み、不快感」などを含む 様々な上腹部不定愁訴に相当する概念であり、 プライマリケアの場で最もよく聞かれる愁訴の 一つである。 本邦の「慢性胃炎」の概念は混乱している。 すなわち、内視鏡検査などで粘膜の異常がみら れる「肉眼的(形態学的)胃炎」、ピロリ菌感 染による胃粘膜への炎症細胞浸潤がみられる 「組織学的胃炎」、さらに胃痛、胃もたれなどの 症状をさす「症候性胃炎」、すなわちNUD であ る。包括医療(DPC)の流れのなかでこのよう に異なった病態の集合体である「慢性胃炎」を 整理し直す動きが加速している。 最近、NUD は消化管の機能異常である点を 重視して機能性ディスペプシア(functional dyspepsia)、あるいは「機能性胃腸症」と呼ば れるようになってきた。機能性胃腸症の病態に は消化管運動異常と消化管知覚過敏という機能 異常が関与していることが明らかである。ま た、その機能異常を脳で不快な経験として知覚 (認知)し、その反応がさらに消化管機能異常 を悪化、慢性化するという脳-腸相関(悪循 環)の関与が注目されている。心配性とか社会 的なストレス、すなわち心理社会的な影響が症 状を修飾することになる。すなわち、胃という 臓器ではなく、訴えをもつ患者全体への理解、 援助、治療が必要な病態ともいえる。 一般的な治療方略としては「機能的な病気も あること」を十分説明することと消化管運動改 善薬(ガスモチン ® など)の投与が第一段階で ある。2 4 週間しても改善がみられない場合 は内視鏡を含む精密検査が勧められる。また、 H2 ブロッカーを試す価値もある。症例によって は、慢性膵炎(疑診群)に準じた薬剤、あるい は漢方薬を使用して改善する症例もみられる。 難治性の場合も少なからずみられ、その場合は 使い慣れた抗うつ薬等を4 週間程度使用して反 応をみることが実践的であろう。 元来、NUD の中には「むねやけ」を主体と する「逆流型」が存在したが、現在ではそれは 胃食道逆流症(GERD)として独立した疾患単 位として取り扱われている。しかし、本邦に多 Grade O(内視鏡陰性GERD)では、酸分泌 抑制剤(PPI など)が無効な例が少なからずみ られる。実際、内視鏡陰性GERD では胃排出能 が低下していること、PPI 抵抗性のGERD に消 化管運動改善薬が有効であるという報告も見ら れる。従って、「むねやけ」症状が PPI によっ て改善しない場合は、機能性胃腸症に準じた治 療をすることも合理的であると考える。 上腹部消化器不定愁訴で悩んでいる患者さんのために ―機能性胃腸症の考え方― 愛知医科大学看護学部病態治療学 金 子   宏 プライマリ・ケア コーナー

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慢性の上腹部消化器不定愁訴で受診する患者の最終診断として胃潰瘍、胆石などの器質的疾患の頻度は必ずしも高くはなく、半数以上は機能性の疾患である。本邦では従来から慢性の上腹部不定愁訴に対しては、慢性胃炎、神経性胃炎、あるいはそのまま上腹部不定愁訴症と診断し、「慢性胃炎」という保険病名のもと粘膜保護剤や健胃消化剤を投与するのが一般的であった。欧米では1980年代後半からこの目に見えない病態を「慢性胃炎」ではなく「non-ulcerdyspepsia(NUD)」と呼称し、その重要性が提唱されるようになった。本邦でも、NUDの概念が次第に取り入れられるようになり、欧米で使用される「ディスペプシア(dyspepsia)」の理解が必要となってきた。ディスペプシアとは「胃のあたりの痛み、不快感」などを含む様々な上腹部不定愁訴に相当する概念であり、プライマリケアの場で最もよく聞かれる愁訴の一つである。本邦の「慢性胃炎」の概念は混乱している。

すなわち、内視鏡検査などで粘膜の異常がみられる「肉眼的(形態学的)胃炎」、ピロリ菌感染による胃粘膜への炎症細胞浸潤がみられる「組織学的胃炎」、さらに胃痛、胃もたれなどの症状をさす「症候性胃炎」、すなわちNUDである。包括医療(DPC)の流れのなかでこのように異なった病態の集合体である「慢性胃炎」を整理し直す動きが加速している。最近、NUDは消化管の機能異常である点を

重視して機能性ディスペプシア(functionaldyspepsia)、あるいは「機能性胃腸症」と呼ばれるようになってきた。機能性胃腸症の病態には消化管運動異常と消化管知覚過敏という機能

異常が関与していることが明らかである。また、その機能異常を脳で不快な経験として知覚(認知)し、その反応がさらに消化管機能異常を悪化、慢性化するという脳-腸相関(悪循環)の関与が注目されている。心配性とか社会的なストレス、すなわち心理社会的な影響が症状を修飾することになる。すなわち、胃という臓器ではなく、訴えをもつ患者全体への理解、援助、治療が必要な病態ともいえる。一般的な治療方略としては「機能的な病気も

あること」を十分説明することと消化管運動改善薬(ガスモチン®など)の投与が第一段階である。2~4週間しても改善がみられない場合は内視鏡を含む精密検査が勧められる。また、H2ブロッカーを試す価値もある。症例によっては、慢性膵炎(疑診群)に準じた薬剤、あるいは漢方薬を使用して改善する症例もみられる。難治性の場合も少なからずみられ、その場合は使い慣れた抗うつ薬等を4週間程度使用して反応をみることが実践的であろう。元来、NUDの中には「むねやけ」を主体と

する「逆流型」が存在したが、現在ではそれは胃食道逆流症(GERD)として独立した疾患単位として取り扱われている。しかし、本邦に多いGrade O(内視鏡陰性GERD)では、酸分泌抑制剤(PPIなど)が無効な例が少なからずみられる。実際、内視鏡陰性GERDでは胃排出能が低下していること、PPI抵抗性のGERDに消化管運動改善薬が有効であるという報告も見られる。従って、「むねやけ」症状がPPIによって改善しない場合は、機能性胃腸症に準じた治療をすることも合理的であると考える。

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愛知医科大学看護学部病態治療学 金 子   宏

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日本医師会生涯教育講座「朝日医学医療セミナー」の座長を担当して

琉球大学医学部附属病院光学医療診療部助教授 金 城 福 則

この度、愛知医科大学看護学部病態治療学教授であられる金子宏先生のご講演「上腹部消化器不定愁訴で悩んでいる患者さんのために-機能性胃腸症の考え方」の座長を仰せつかった。本セミナーのテーマは「実地医家における適切な診断と合理的な治療法」となっていた。講師の金子先生は昭和58年に名古屋大学医学部をご卒業なされた大変お若い教授ですが、ご講演は一般臨床医にも理解し易い大変素晴らしい内容でした。一般に若い医師は器質的疾患に興味を持ちがちであるが、一般臨床の場においては機能性疾患に遭遇することが多く、その対応に苦慮する。わが国における保険病名の「慢性胃炎」の多くは「機能性胃腸症 functional dyspepsia」と

して取り扱うことが適切と思われる。金子先生は内視鏡診断学など器質的疾患を対象としたお仕事から始まり、現在では心身医学・心療内科をご専門とするユニークなご経歴の持ち主である。豊富な臨床経験と文献的考察より、「機能性胃腸症」について具体的に順序だて、①dyspepsiaとは、から始まり、②慢性胃炎について、③functional dyspepsiaについて、④消化管運動異常について、⑤心理的社会的影響について、⑥プライマリー・ケアでのコツについて、参加者にわかり易くご講演して下さった。その御講演の一部を今日、県医師会報へ御寄稿賜ったのであるが、一般会員が日常診療にご参

考になることは多いものと思いますので、是非、ご一読下さい。

プライマリ・ケアコーナー(2,500字程度)  「プライマリ・ケアコーナー」を新設致しました。病診連携、診診連携等に資していただき、発熱、下痢、嘔吐の症状に関するミニレクチャー的な内容で他科の先生方にも分かり易くご執筆いただきご投稿下さい。

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はじめに

扁桃には口蓋扁桃、咽頭扁桃(アデノイド)、舌扁桃、耳管扁桃があるが耳鼻科医以外で手術適応が問題となるのは口蓋扁桃(俗に言う扁桃腺)の場合と思われるので口蓋扁桃(以下、扁桃)の手術適応について述べる。悪性腫瘍については省く。扁桃の手術は摘出であり特別な場合を除いて

部分切除は行われない。その適応となるのは以下の場合である。

1.再発をくり返す急性扁桃炎(習慣性扁桃

炎)

急性扁桃炎は高熱・扁桃への白苔付着・のどの痛み・耳への放散痛がみられる疾患である。両側に起こる事が多く抗生剤の内服あるいは点滴で改善するが年に3、4回以上急性扁桃炎をくり返す場合は習慣性扁桃炎と言われ扁桃摘出(扁摘)の適応となる。ただ、ここで一つ注意して頂きたいのは急性咽頭炎の有無である。扁桃炎のみの発熱なのか咽頭炎による発熱も併発しているのか見極める必要がある。扁摘を行えば扁桃炎による発熱は起こらなくなるわけであるが咽頭炎による発熱は起こりうるわけである。患者さんは扁桃をとれば熱はでなくなると思っているのでその辺の事を術前にムンテラしておく必要がある。

2.扁桃周囲膿瘍

急性扁桃炎の炎症が周囲に波及し膿瘍を形成したものである。片側に起こる事が多く高熱・痛みのほかに開口障害・軟口蓋の著しい膨隆がみられ扁桃は観察できない事もしばしばである(図1)。患者は独特のふくみ声を発し、食事摂

取はできない。軟口蓋膨隆部の穿刺あるいは切開による排膿と抗生剤の点滴で改善するが、扁桃周囲膿瘍を同側に2度起こした場合は扁摘の適応である。

3.扁桃肥大

手術適応の前に以下の事を知っておいて頂きたい。口蓋扁桃には生理的肥大があり7、8歳頃最大となる。以後、若干小さくなるかほぼ同じ大きさであるが顔面骨は成長するため口腔内に占める扁桃の容積は相対的に小さくなる。扁桃を観察する場合、舌圧子で舌を押さえ「アー」と言わせるがその際、嘔吐反射をおこさせると扁桃が実際より大きく見えてしまうので注意が必要である(特に小児の場合)。また、扁桃の大きさは図2のごとくマッケンジーの分類によりⅠ゜からⅢ゜に分けられているが手術適応は大きさのみでは決めない。大きくても睡眠時無呼吸または習慣性扁桃炎を起こさなければ手術の必要はない。小児の場合、生理的肥大がある関係上多くはⅡ゜扁桃であり一見大きくみえる扁桃でも何ら症状のない子は多い。物が飲

扁桃の手術適応

真栄城耳鼻咽喉科 真栄城 徳 秀

図1.左扁桃周囲膿瘍

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み込みにくそうであるとか睡眠時最初は仰臥位で寝ていてもいつのまにか側臥位やうつ伏せで寝ている事が多くないか両親に聞く必要がある。扁桃の大きい子は仰臥位で寝ると扁桃が舌根部へ落ち込み無呼吸が起きやすくなるため自然と呼吸しやすい体位をとる。したがって扁桃の大きい子の手術適応を決める際には親からの問診が重要となる。成人の場合も小児と同様、特に症状がなければ扁摘の適応とならないが成人のⅡ゜扁桃は小児に比べ習慣性扁桃炎を起こしやすい。また睡眠時無呼吸に関しては肥満、鼻炎の有無なども関与するため一概にすぐ扁摘とは言えないが終夜睡眠ポリグラフィー検査で閉塞型睡眠時無呼吸症候群の診断が得られⅡ゜以上の扁桃であれば扁摘の適応と考えられる。

4.病巣扁桃

扁桃が他の疾患の原因あるいは他の疾患に悪影響を及ぼしていると考えられる場合、病巣扁桃と言い扁摘の適応となる。従来、病巣扁桃の診断には扁桃を刺激して体温・血沈・白血球の変化をみる扁桃誘発テストが行われてきたが陽

性率と扁摘効果とは必ずしも相関しない事がわかってきたため最近は行われなくなってきており、病巣扁桃の確実な診断法はないのが現状である。しかし、掌蹠膿疱症・IgA腎症・胸肋鎖骨過形成症に対しては扁摘が有効な事がわかっている。特に掌蹠膿疱症は各施設で扁摘の有効性が認められており坪田らは扁摘を施行した318例を検討し改善率90%と報告している。私は掌蹠膿疱症に対しては全例扁摘を勧めている。IgA腎症は軽症の場合、扁摘は有効だが腎障害が進むにつれ扁摘効果も落ちると言われている。しかし、堀田らは扁摘とステロイドパルスの組み合わせにより治療効果が一段とアップする事を報告しIgA腎症の根治的治療になりうるのではないかと述べている。胸肋鎖骨過形成症は掌蹠膿疱症ほどの高い有効率はないものの扁摘によって鎖骨胸骨端部の痛みが消える例があるのは事実であり保存的治療でコントロール不可の場合扁摘の適応と考える。最後に病巣扁桃の扁桃は二次疾患が何であれⅠ゜またはⅠ゜の中でも特に小さい埋没型扁桃が多い事を付け加えておく。

図2.マッケンジーの分類Ⅰ゜:前口蓋弓と後口蓋弓の間におさまるか後口蓋弓をわずかにこえるものⅡ゜:Ⅰ゜とⅢ゜の間Ⅲ゜:左右の口蓋扁桃が中央でほぼ接するもの