国際投資保護メカニズムをめぐる現状と課題含まれる問題点を明らかにすることとしたい....

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特集/企業活動と国際秩序 国際投資保護メカニズムをめぐる現状と課題 ──ルール形成における私人と国家の関与の構造── 伊藤 一頼(静岡県立大学 国際関係学部 講師) 近年,二国間投資保護協定と投資仲裁が普及したことで,投 資保護に関する国際的なルールや紛争処理手続が整備され,外 国投資リスクが大幅に低減した.しかも,仲裁では,国家の制 御を離れた自律的な法の発展が進行している.しかし,公益的 な規制権限の侵食への懸念から,国家の側は様々な手段で仲裁 の法解釈に対するコントロールの回復を試みており,投資保護 ルールにおける公私の利益のバランス確保が今後の重要な課題 となる. キーワード 外国投資,二国間投資保護協定,仲裁,自律的法形成,組織化 .はじめに 効率的な生産体制をグローバルな視野で編成し ようとする現代の企業にとって,海外投資を安全 かつ円滑に行うことは最も重要な関心事の一つで ある.ところが,外国政府はときに予期しがたい 行動をとることもあり,突然の政策変更や一方的 な契約破棄によって投資の価値が著しく損なわれ るリスクも存在する.従来,こうした損失の回復 は,もっぱら当該投資受入国における行政上・司 法上の救済制度を通じて試みるほかなく,かかる 手続自体が公平性や迅速さを欠くような場合には 満足な補償が得られない恐れがあった.しかし近 年,より実効的な損害回復を可能にする手段とし て,いわゆる「投資仲裁」の利用が急速に広まり つつある.これは,投資受入国の国内手続を回避 し,独立した国際仲裁法廷へと紛争を付託するも のであり,かかる仕組みを導入した二国間投資保 護 協 定(bilateral investment treaties:BIT)が 1990 年代以降きわめて多量に締結されてきてい 1) しかも,この投資仲裁では,投資家たる私人 (私企業)が,投資受入国の政府を相手取ってみ ずから訴えを提起することができ,通常は政府間 レベルで行われる国際的紛争処理の中で特異な位 置づけを占めている.そして,現代の国際投資保 護ルールの発展は,こうした投資仲裁の判例の集 積による面が大きい.つまり,企業は単なる規律 の客体というよりも,むしろ,投資仲裁の提起を 通じてみずからルール形成を促進しうる立場にあ り,法秩序の発達における私人のイニシアチブは 格段に強まっているのである.このような,国家 のコントロールを離れて法が自律的に進化すると いう現象は,国家間の合意に基礎を置く伝統的な 国際法の姿とは異なり,法システムがそれ自体の 論理で自己組成を始めたものと見ることもでき る.本稿では,こうした事態を「国際社会の組織 化」という概念を手掛かりに分析しながら,今日 の外国投資保護制度が持つ様々な特質や,そこに 組織科学 Vol.45 No. 24-1520114

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【査読付き論文】

特集/企業活動と国際秩序

国際投資保護メカニズムをめぐる現状と課題──ルール形成における私人と国家の関与の構造──

伊藤 一頼(静岡県立大学 国際関係学部 講師)

近年,二国間投資保護協定と投資仲裁が普及したことで,投

資保護に関する国際的なルールや紛争処理手続が整備され,外

国投資リスクが大幅に低減した.しかも,仲裁では,国家の制

御を離れた自律的な法の発展が進行している.しかし,公益的

な規制権限の侵食への懸念から,国家の側は様々な手段で仲裁

の法解釈に対するコントロールの回復を試みており,投資保護

ルールにおける公私の利益のバランス確保が今後の重要な課題

となる.

キーワード

外国投資,二国間投資保護協定,仲裁,自律的法形成,組織化

Ⅰ.はじめに

効率的な生産体制をグローバルな視野で編成し

ようとする現代の企業にとって,海外投資を安全

かつ円滑に行うことは最も重要な関心事の一つで

ある.ところが,外国政府はときに予期しがたい

行動をとることもあり,突然の政策変更や一方的

な契約破棄によって投資の価値が著しく損なわれ

るリスクも存在する.従来,こうした損失の回復

は,もっぱら当該投資受入国における行政上・司

法上の救済制度を通じて試みるほかなく,かかる

手続自体が公平性や迅速さを欠くような場合には

満足な補償が得られない恐れがあった.しかし近

年,より実効的な損害回復を可能にする手段とし

て,いわゆる「投資仲裁」の利用が急速に広まり

つつある.これは,投資受入国の国内手続を回避

し,独立した国際仲裁法廷へと紛争を付託するも

のであり,かかる仕組みを導入した二国間投資保

護協定(bilateral investment treaties:BIT)が

1990 年代以降きわめて多量に締結されてきてい

る1).

しかも,この投資仲裁では,投資家たる私人

(私企業)が,投資受入国の政府を相手取ってみ

ずから訴えを提起することができ,通常は政府間

レベルで行われる国際的紛争処理の中で特異な位

置づけを占めている.そして,現代の国際投資保

護ルールの発展は,こうした投資仲裁の判例の集

積による面が大きい.つまり,企業は単なる規律

の客体というよりも,むしろ,投資仲裁の提起を

通じてみずからルール形成を促進しうる立場にあ

り,法秩序の発達における私人のイニシアチブは

格段に強まっているのである.このような,国家

のコントロールを離れて法が自律的に進化すると

いう現象は,国家間の合意に基礎を置く伝統的な

国際法の姿とは異なり,法システムがそれ自体の

論理で自己組成を始めたものと見ることもでき

る.本稿では,こうした事態を「国際社会の組織

化」という概念を手掛かりに分析しながら,今日

の外国投資保護制度が持つ様々な特質や,そこに

組織科学 Vol.45 No. 2:4-15(2011)

4

含まれる問題点を明らかにすることとしたい.

Ⅱ.外国投資の保護に関する国際ルールの変

1.南北間の対立の時代

従来,外国投資の大半は先進国から発展途上国

へのものであり,それゆえ,外国投資の保護に関

する国際ルールのあり方をめぐっては,南北間で

見解が激しく対立してきた.特に,第二次大戦後

に独立を達成した国々は,経済発展の足掛かりを

国内の天然資源に求め,植民地時代に欧米資本が

開発した採掘施設などの収用(国有化)を大規模

に進めた.こうした措置の国際法上の合法性をめ

ぐって,第三世界諸国は,先進国側の主張する

「国際ルール」を全面的に否定する議論を展開し

たのである.

もともと,投資受入国が外国人資産を収用する

権利じたいは戦前から一般に認められており,欧

米諸国もこの点は否定しなかったが,対立が生じ

たのはその先の,収用を行う際の条件についてで

あった.先進国側の主張によれば,国際法上,外

国資産の収用が合法であるためには,⒤公目的性

(当該収用が公益的考慮に基づいて行われるこ

と),�無差別性(合理的理由なく特定国籍ない

し特定人の財産のみを標的としないこと),�収

用資産に見合う補償の支払い,といった条件を満

たすことが求められる.このうち,発展途上国と

の間で最も見解の相違が著しかったのは,補償額

の決定基準についてである.先進国側は,いわゆ

るハル三原則,すなわち十分(収用財産の公正市

場価値)・迅速(即時支払または利息を伴う割

賦)・実効的(国際通用力のある通貨)な補償の

支払いが,国際法上の義務であると唱えた.これ

に対して発展途上国は,補償基準は国内法の問題

であり,収用を行う国が自由に設定できるという

立場であった.

途上国側はこうした主張の理論的根拠を,領域

主権の原理に求めた.つまり,国家はその領域内

に存在する事物に対して排他的な管轄権を持ち,

たとえ外国人の保有する資産であっても国内法に

よる規律に完全に服するという考え方である.と

りわけ,領域内の天然資源については,仮に植民

地時代にその開発権益が欧米企業に付与されてい

ても,最終的には自国があらゆる権利を行使しう

るという「恒久主権」の概念が打ち出され,これ

は 1962 年の国連総会決議で支持されるに至っ

た2).もっとも,同決議も,国有化の際に支払わ

れるべき補償額に関しては,国内法基準説と国際

法基準説を両論併記せざるをえず3),南北間の見

解の溝は容易には埋まらなかった.

こうした状況で具体的な投資紛争が発生した場

合,それがいずれのルールに従って解決されるか

は,紛争処理手続の選択に依存する.投資受入国

の行政上・司法上の救済制度を用いれば,当該国

の国内法が審査の準則となり,収用の際の補償も

同国の基準に従った額しか得られないことにな

る.そのため海外の企業は,かかる国内手続を回

避し,独立した法律家で構成される仲裁法廷に紛

争を付託することを望み,投資受入国と結ぶ資源

開発契約などにおいてそうした条項を入れようと

試みた.しかし,投資受入国の同意を得るのは必

ずしも簡単ではなく,また,仮に仲裁に持ち込ん

だとしても,投資家側が求める「国際ルール」が

審査の準則に選ばれるとは限らなかった4).

このように,外国投資の保護にとって最大の難

問は,投資受入国が恣意的に設定する国内法秩序

から紛争をいかにして切り離すかという点にあ

り,かかる「脱国内化」を可能にする理論や仕組

みも様々に試みられてきたが,実際上はほとんど

奏功しなかったのが 1980 年代までの状況であっ

た.

2.新たな投資保護メカニズムの出現

上述の状況は,1990 年代以降,劇的に変化を

見せた.多くの発展途上国は,政府主導で国内産

業の育成をめざす従来の経済政策の下で対外債務

を累積させ,1980 年代に相次いで債務危機に見

舞われたことから,開発戦略の根本的な転換を余

儀なくされ,自由化改革を通じて外国資本を積極

的に誘致することで産業基盤の整備を図るように

なった.そして,投資リスクに関する海外企業の

国際投資保護メカニズムをめぐる現状と課題 5

不安を取り除く手段として,外国投資に一定の保

護を与えることを約束する条約(BIT)を先進国

との間で盛んに締結し始めたのである.

BITには,通常,次のような規定が含まれる.

まず,第三国の投資家に与える待遇よりも不利で

ない待遇を相手国の投資家に与えること(最恵国

待遇),および,自国の投資家に与える待遇より

も不利でない待遇を相手国の投資家に与えること

(内国民待遇)が約束される.これらは無差別原

則と呼ばれ,他の投資家との比較において不利益

を受けないことを保障する相対的な基準である.

これに対して,いわば絶対的基準としての性格を

持つのが,「公正かつ衡平な待遇(fair and equi-

table treatment)」の付与を約束する規定である.

極めて抽象的な概念ながら,外国投資に保障すべ

き待遇の下限が設定されたことは重要な意義を持

つ.さらに,収用の際に支払われるべき補償につ

いては,これまで先進国側が主張してきたハル三

原則(十分・迅速・実効的)を端的に採用してい

るケースが多い.

このように,BIT では,もっぱら先進国の立

場を条約に取り込む形で,投資保護ルールの「脱

国内化」が進展したが,同様の変化は紛争処理の

仕組みについても生じた.すなわち,外国投資の

扱いをめぐる紛争が発生した場合,ほとんどの

BIT は,投資受入国の国内的な救済制度ではな

く,独立の仲裁法廷を通じて解決することとして

いる.こうした仲裁の利用は,上述のように,

BIT が普及する以前にも可能であったが,それ

には投資家がみずから投資受入国と交渉し,仲裁

付託の同意を得る必要があった.これに対して,

BIT の紛争処理条項の特色は,将来的に発生し

うる全ての投資紛争に関して,投資家側が要求す

ればそれを仲裁に付託できるよう,各締約国が事

前に包括的な同意を与えている点にある.いわば

投資受入国は,仲裁法廷の「強制管轄権」を認め

たのであり,個々の紛争の相手方や事案を知って

から仲裁付託の諾否を裁量的に選択する余地はも

はやない.これにより投資家は,投資受入国の影

響下における紛争処理を回避することが可能にな

り,外国投資に伴う主要なリスクの一つが解消さ

れたのである.

3.投資仲裁の具体的な仕組み

ここで,BIT に基づく投資仲裁が,実際にど

のような方法で進められるかを確認しておきた

い.

まず,実際に仲裁を行うためには,様々な手続

規則が必要になる.現在,いくつかの国際機関や

民間組織が,国際的な仲裁のために利用できる手

続規則を作成・運用しており,BIT ではそれら

のうち一つないし複数が,当該 BIT に基づく仲

裁において利用可能な手続として指定される.こ

のうち,最も代表的で利用実績も多いのは,世界

銀行グループの一機関として設置されている投資

紛争解決国際センター(International Center for

Settlement of Investment Disputes:ICSID)の

仲裁規則である.この ICSIDは,1965年に「投

資紛争解決条約(ICSID条約)」により設立され,

同条約の締約国数は 2011 年 9月現在で 147を数

える.ICSIDで仲裁を行うには,当該紛争におけ

る投資家の国籍国(投資母国)と投資受入国の双

方が,ICSID 条約を批准していなければならな

い5).一方,こうした国家間の条約に基づかない

仲裁制度もある.例えば,国連国際商取引法委員

会(UNCITRAL)が作成した仲裁規則は,誰で

も自由に利用できる一種のモデル手続を提供する

ものであり,投資家対国家の投資仲裁も,これに

依拠して行われることがしばしばある.また,民

間団体が運営する仲裁制度の代表的な例として,

パリに本部を置く国際商業会議所(International

Chamber of Commerce:ICC)の仲裁規則があ

り,これも投資家対国家の仲裁で度々利用されて

いる.なお,ICSIDは,まさに投資家対国家の投

資紛争の処理に特化した制度であるのに対し,

UNCITRAL 仲裁や ICC 仲裁は,むしろ私人間

(企業間)の仲裁での利用が大半を占め,扱う案

件も投資紛争に限らず国際的な商事紛争一般が対

象となる.

仲裁法廷は,裁判所のような常設機関ではな

く,個別の紛争が付託された段階でアド・ホック

に編成される.1名の仲裁人のみで法廷を構成す

6 組織科学 Vol. 45 No. 2

ることもあるが,大半のケースでは,3 名の仲裁

人が選任される.多くの BITは,投資家側と投

資受入国側がそれぞれ 1名を指名し,3人目の仲

裁人は,当事者間の合意により選任できなけれ

ば,外部の第三者(例えば ICSID の事務局長)

が指名することとしている.仲裁人は,国際公法

や国際商取引法の専門知識を持つ独立した法律家

から選ばれ6),両当事者の弁論に基づいて客観的

な司法審査を遂行する.仲裁法廷が下した判断に

対する上訴の手続は存在しないが,ICSID条約で

は,仲裁法廷の明らかな権限逸脱など特定の事由

がある場合には,当該仲裁判断の取消しを請求す

ることが認められ,別途編成された特別委員会が

その審査を行う(52 条).

ところで,仲裁法廷はいかなる法を適用して判

断を下すのだろうか.せっかく「脱国内化」され

た仲裁へと紛争を付託しても,そこでの審査が,

依然として投資受入国の国内法に従って行われる

とすれば,投資家にとっては保護の強化につなが

らないことになる.この点につき,ICSID 条約

42 条は,ICSID 仲裁における適用法規は両当事

者の合意により決定し,合意がない場合には,投・

資・

受・

入・

国・

の・

法・

および該当する国・

際・

法・

を適用すると

定める.これも,条約採択時の南北間の意見対立

を反映した,妥協的な両論併記と言えよう.もっ

とも,その後の仲裁判断の蓄積を通じて,現在で

は,適用法規に関する ICSID 仲裁の態度は極め

て明確になっている.すなわち,投資家側が,投

資受入国の BIT違反を理由として仲裁を提起し

た場合には,当該 BIT を第一義的な適用法規と

して審査を行うのである7).よって,条約違反の

有無を争うかぎり,投資受入国はみずからの国内

法を援用して反論することはできなくなり,適用

法規の面でも「脱国内化」が貫徹することにな

る8).

最後に,投資仲裁の帰結について概観しよう.

仲裁審理の結果,投資家側の主張が認められた場

合,仲裁判断が指示する救済の方法は損害賠償に

ほぼ限られ,原状回復その他の具体的行為が投資

受入国に命じられるわけではない.その意味で,

投資仲裁には,紛争の原因となった措置や政策を

変更ないし撤回させる効力まではなく,阻害され

た投資事業が元通りに再開できると期待するのは

失当である.一方,損害賠償命令に関しては,投

資受入国に対する拘束力があり,自主的に履行さ

れるケースが多い.もし履行されない場合は,関

係国の国内裁判所において強制執行を申し立てた

り,投資母国と投資受入国との国家間協議へと問

題を委ねたりすることになる.

4.仲裁判断の蓄積とその意義

以上のように,外国投資の保護を強化した新た

な国際ルールが BIT により導入され,特に紛争

の仲裁付託が可能になったことで,投資受入国の

恣意的な操作から切り離された次元で投資保護を

行う「脱国内化」が急速に進展したと言える.と

ころが,このことは予期せぬもう一つの展開をも

生み出した.

投資仲裁において判断の基準として適用される

のは BIT の規定であり,当然,両締約国の政府

がその内容を決めることができる.しかし,これ

らの規定は,将来起こりうる様々な状況に対応で

きるよう,あるいは締約国間の利害対立を棚上げ

できるよう,極めて抽象的な表現を用いて作成さ

れる場合が多い(例えば前述の「公正かつ衡平な

待遇」など).これに対し,かかる規定を現実の

具体的な紛争に適用しなければならない仲裁で

は,法解釈という作業を通じて,そうした「原

則」レベルの文言から,より精緻な意味内容を引

き出すことが必要になる.つまり,投資保護ルー

ルの詳細は仲裁の場で形成されていると言っても

過言ではなく,しかもその過程では,国家が当初

想定もしていなかった法理がしばしば導き出され

る.それらが後の仲裁でも踏襲されれば,それは

判例法として,投資条約の作成者であるはずの国

家を逆に縛るようになるのである.

もちろん,こうした司法プロセスを通じた法発

展という現象は,国内法秩序でも一般に見られ

る.しかし,投資仲裁の特殊性は,こうした法発

展を担うのが,公的部門の一員たる裁判官ではな

く,個人の資格で一時的に裁定の任に当たるにす

ぎない仲裁人であるという点にある.ルール形成

国際投資保護メカニズムをめぐる現状と課題 7

の主要な部分が,公権力の手を離れ,私人の一団

に委ねられているのである.しかも,前述の通

り,投資仲裁は投資家の申立てにより一方的に開

始されるため,国家が仲裁付託のペースを制御す

ることもできない.つまり,投資保護の分野で

は,私企業の判断による仲裁開始と,仲裁人の専

門的技能に基づくルールの精緻化という形で,国

家の意思とは関係なく私的な領域で法発展のサイ

クルが成立しているのである.

このように,投資仲裁の活発化と仲裁判断の蓄

積は,単に投資紛争を「脱国内化」しただけでは

なく,国際ルールそのものが国家の管理を離れて

自己組成的に発達するという,法形成の「自律

化」をももたらしたと言える.こうした法発展の

実態を把握するために,次節では,仲裁によるル

ールの精緻化が顕著に進展した論点をいくつか取

り上げ,それが国家および企業の行動にいかなる

影響を与えるのかを考察してみたい.

Ⅲ.投資仲裁における法発展の概要

1.投資家の概念

条約上の保護を享受し,それが侵害された場合

に仲裁を提起する資格を持つ投資家の範囲は,

各々の BIT が定義する.法人投資家(企業)に

関して,従来の多くの BITは,いずれか一方の

締約国で「設立された」ことのみを条件としてい

る.この場合に問題となるのは,活動実態のほと

んどない会社(ペーパーカンパニー)を便宜的に

設立して条約上の保護に与ろうとする行為を,ど

のように扱うかである.例えば,A国の企業が B

国への投資を行う際,両国間に BITが締結され

ていなければ,本来この企業は条約上の保護を受

けることはできないが,もし,B国と BIT を締

結している C 国に便宜的な子会社を設立し,そ

こを経由して B国に投資することで同 BIT の適

用対象となるのであれば,投資家にとって保護を

受ける機会が大きく広がることになる.逆に国家

にとっては,本来意図した相手国以外の投資家に

も保護を与える必要が生じ,負担が一挙に増すこ

とを意味する.

この問題が最初に争われたのは,Tokios

Tokelés事件であった.本件の事案は,上記とは

やや異なり,BIT 締約国の投資家が,もう一方

の締約国に会社を設立し,そこを経由して自国に

投資していた.この会社から仲裁を提起された投

資受入国は,当該会社の株式の 99%,取締役会

の議決権の 3分の 2を自国民が所有しており,相

手国には経営の本拠も事業活動も存在しないた

め,経済的実質から見れば本件の原告は自国の投

資家であると指摘する.そして,自国民が自国政

府を提訴するのは投資仲裁の趣旨に反するから,

仲裁法廷は原告会社の形式上の国籍を無視して投

資家の実質的な本国に注目すべきだと主張し

た9).

しかし仲裁法廷は,本件 BITが形式的な「設

立」のみを基準として投資家を定義し,他の追加

的基準を含まない点を重視する10).そして,自国

民の仲裁提起を認めない規定を置くことは可能で

あったにもかかわらず,本件 BIT にそうした規

定を置かなかったことは締約国の意図的な選択で

あるから,仲裁法廷はそれを尊重せねばならない

として,原告の提訴資格を認めたのである.

その後,同様の判断は,第三国の投資家が

BIT締約国に子会社を設立した事案についても

なされている.例えば Saluka事件では,日本企

業が,オランダに設立した子会社(Saluka)を経

由してチェコに投資していたが,紛争が発生して

チェコを提訴するにあたり,チェコと日本の間に

投資協定がないため,Saluka がオランダ=チェ

コ BIT に基づいて提訴した.仲裁法廷は,同

BIT は「オランダ法の下で設立された法人」に

対して保護を与えると規定するのみであり,第三

国の国民により支配される会社を除外する意思は

見られないとして,Saluka の提訴資格を肯定し

た11).

したがって,企業の戦略としては,たとえ投資

先の国と自国との間に BITがなくても,投資家

を「設立」基準で定義する BIT をその国と締結

している他の国を探し,そこにペーパーカンパニ

ーを設置してから投資を行うことで,外国投資リ

スクの低減が可能となる.他方,国家の側は,こ

8 組織科学 Vol. 45 No. 2

うした緩い投資家の定義を持つ BIT を一つでも

他国と締結していれば,事実上,全ての国の投資

家に対して当該 BIT に基づく保護を与えること

が必要となり,義務を負う範囲をコントロールす

ることが難しくなる12).

2.投資財産の概念

各々の BITでいかなる種類の外国投資が保護

の対象となるかは,当該 BIT における「投資財

産(investment)」の定義による.多くの BIT

は,この投資財産の定義を極めて包括的なものと

することで,保護の範囲を最大限に確保しようと

している.すなわち,投資財産を「全ての種類の

資産(every kind of asset)」と定義したうえで,

かかる資産の例・

示・

として,動産・不動産やそれに

関連する財産権,企業への資本参加(株式・持分

証券・債務証券等),金銭債権やその他の契約上

の権利,知的財産権,法や契約により付与された

権利(コンセッション),などを掲げるのである.

ところが,こうした包括的な定義にもかかわら

ず,過去の仲裁判断は,特に ICSID の仲裁規則

を利用する場合,一定の種類の資産が保護対象か

ら除かれると判示してきた.その根拠は,ICSID

条約 25 条 1項が,仲裁の管轄権は「投資」から

生じる紛争に及ぶと規定する点にある.つまり,

仲裁によれば,「投資」の性格を持つとはいえな

い資産,例えば単純な売買契約等の国際商取引か

ら生じる代金請求権などは,保護を受ける資格を

持たない.ICSID 仲裁はあくまでも投資に関する

紛争の解決を提供する場であり,単発的な商取引

債権の回収に使うことは許されないという理解で

ある.

重要なのは,各国がいくら個別の BITで投資

財産を広く定義したとしても,この条件を無効に

することはできないという点である.実は,

ICSID 条約の起草過程では,25 条の「投資」に

該当する事業活動を明確に定義する試みもあった

が(10万米ドル以上,5年以上の事業など),結

局それらは採用されなかったため,投資財産の定

義は個別の BIT に委ねられたものと諸国は考え

ていた.ところが仲裁法廷は,投資と非投資を分

かつ独自の統一基準を発展させ,それよりも広く

投資財産を定義する BIT に関して,その超過部

分の有効性を否定するのである.こうした法発展

の嚆矢となったのが Salini 事件の仲裁判断であ

り,そこでは投資性の有無を審査するための指標

として,⒤出資,�当該事業が一定の持続期間を

有すること,�取引リスクへの参加,�投資受入

国の経済発展への寄与,という 4 要素が挙げられ

た13).この基準はその後の仲裁判断でも概ね踏襲

され,Saliniテストと呼ばれている14).

投資財産の概念に関するこうした法理の発展

は,上述の投資家概念の場合とは異なり,投資保

護の範囲を狭める方向に作用する.しかし,国家

の企図に必ずしもそぐわない形でルール形成が進

むという点では,同様の構図があると言えよう.

なお,Saliniテストはあくまでも ICSID条約の

文言を根拠に導かれるものであるため,ICSID 以

外の他の仲裁規則を利用する場合には,原則とし

て,「投資」をめぐる紛争であることは要求され

ない.したがって,原告としては,訴えを付託す

る仲裁フォーラムを戦略的に選択することで,投

資的性格が希薄な資産についても仲裁による保護

を受けられる可能性がある15).

3.公正かつ衡平な待遇

前述の通り,多くの BITは,相手国の投資家

に対して「公正かつ衡平な待遇」を与えることを

定めている.しかし,ほとんどの場合,「公正」

や「衡平」の意味は詳しく示されていないため,

一体いかなる種類の政府行為がこの条項の違反を

構成するのか,直ちには明らかでなかった.そう

したなか,2001 年に出された Pope & Talbot事

件の仲裁判断は,この条項が,「慣習国際法上の

最低基準」よりも高度な保護水準を約束するもの

であると説示し16),大きな論争を引き起こした.

慣習国際法上の最低基準とは,BIT の有無とは

無関係に,全ての国が国内での外国人の処遇に関

して一般に負う責任のことであり,その具体的内

容は必ずしも明確ではないものの,政府の行動に

対してさほど重大な制約を課すものとはみなされ

ていない17).それゆえ,もし公正衡平待遇がこの

国際投資保護メカニズムをめぐる現状と課題 9

最低基準を確認的に規定したものだとすれば,政

府は従来と同様に比較的広範な行動の自由を持つ

ことになる.しかし逆に,公正衡平待遇が最低基

準を超えて,より実質的な意味での「公正」さを

要求するものだとすれば,政府は政策決定の様々

な局面において投資家の処遇に敏感にならざるを

得ない.特に,これまで収用などで訴えられる心

配のほとんどなかった先進国も,公正衡平待遇が

かかる高度な内容を含むとすれば,環境保全等を

目的とする公益規制の実施において違反に問われ

る可能性があり,投資保護ルールの行き過ぎによ

る規制主権の侵食が懸念されるようになった.

それでは,公正衡平待遇の下で政府に課せられ

る義務とは,具体的にいかなるものか.仲裁判断

がこれまでの事件で重視してきた要素は,投資受

入国政府の行動に関して投資家が抱くに至った

「正当な期待(legitimate expectation)」の保護で

ある18).例えば,事業免許の更新に関して,法律

上の資格要件を完全に満たしていたり,政府当局

者が確約を与えたりしていたが,その後,何らか

の事情により恣意的に免許が剥奪され,それまで

の出資が無駄になったという場合,投資家の側に

免許継続を正当に期待しうる理由があるため,公

正衡平待遇義務の違反が認定されうるだろう.つ

まり,通常であれば投資家が想定してよい状態の

実現が政府の行為により阻害された場合(例え

ば,予見可能性のない突然の制度改正により投資

家の計画が頓挫したり,透明性や合理性を欠く行

政決定により事業が損害を被るなど)に,公正衡

平待遇義務の違反を問えるのである.

そうであるとすれば,実は,公正衡平待遇が,

慣習国際法上の最低基準を超える内容を含むかど

うかは,一義的に解答できるわけではない.なぜ

なら,投資受入国政府の行動に関して,投資家が

いかなる期待を抱くことが「正当」であると言え

るかは,個々の状況に応じて決まるからである.

その意味で,公正衡平待遇は文脈依存的な義務で

あり,投資受入国の法制度や社会状況,政府の行

動様式,投資家との交渉経緯などを総合的に考慮

して,それぞれの事案ごとに「公正」さの判断基

準が導かれるのである.

したがって,公正衡平待遇の義務は,国家の規

制主権を当然に侵食するわけではないが,規制を

導入する態様やタイミングによっては,投資家の

正当な期待を損なったとみなされ,義務違反を認

定されることもあろう.この点で,やはり投資仲

裁は,公正衡平待遇の意味につき,国家が当初想

定しなかった,自律した判断枠組みを発展させた

と評価しうるのである.

4.間接収用

間接収用とは,私人の財産権を国家に移転する

という明確な措置は取らないものの,実質的に収

用と同等の効果を持つ態様で私人の財産権を侵害

する行為をさす.BIT では,こうした間接収用

についてもハル三原則を適用し,十分な補償の支

払いを義務づけている場合が多い.しかし,いか

なる行為が収用と「同等」なのかについて,必ず

しも詳細な基準が規定されていないため,公正衡

平待遇の場合と同様に,政府の正当な規制権限ま

で制約を受けるのではないかとの懸念が広がっ

た.それゆえ,間接収用の有無が争われた事件で

は,単に私人が財産権侵害を被ったか否かだけで

なく,政府の行為の目的や性質をも考慮に入れて

判断すべきだとの主張が,投資受入国側からしば

しばなされた.

こうした主張を受け入れた仲裁判断も存在す

る.例えば,Tecmed事件の仲裁法廷は,政府の

規制が均衡を失する形で私人の財産権を制約する

場合のみ間接収用に当たると述べ,追求される公

益と用いられる手段(投資家の権利の侵害)との

間に,合理的な比例性の関係(reasonable rela-

tionship of proportionality)があれば間接収用を

構成しないと述べた19).また,Saluka 事件の仲

裁法廷は,政府の規制に正当かつ合理的な動機が

あり,手続的にも適正に決定がなされたとして,

投資家の財産権の著しい侵害にもかかわらず間接

収用を認めなかった20).

もっとも,これとは逆に,政府規制の目的や性

質を重要視しない仲裁判断もある.例えば,

Siemens事件の仲裁法廷は,投資家が受けた権利

侵害の程度が収用に相当するか否かをもっぱら審

10 組織科学 Vol. 45 No. 2

査し,規制の意図や目的の公益性はほとんど考慮

せずに,間接収用の成立を認定した21).このよう

に,間接収用に関する判断枠組みは,いまだ確定

しているとは言えず,国家の側は,ある規制が仲

裁で間接収用とされるか否かを予測しづらい状況

にある.しかし,これもまた,国家の制御の及ば

ないところで法発展が進行しつつあることの,一

つの証左であると言えよう.

Ⅳ.投資保護ルールと国家の規制権限の相克

1.国際社会の組織化の進展とその問題点

20世紀後半は,「国際社会の組織化」が進んだ

時代と言われる.第二次大戦前までは,個別国家

の利害こそが国際関係の指導原理であり,国家間

で締結される条約も,各締約国が自己利益に従っ

てその内容をコントロールしていた.しかし戦

後,特に人権・経済・環境といった分野で「国際

社会の共通利益」という観念が発達し,その促進

のために次々と多数国間条約が作られるようにな

った.そこでは,国際社会全体の利益が統一ルー

ルに反映され,個別国家が自己利益のためにルー

ルを操作する余地は否定される.さらに,条約の

履行をめぐる紛争の処理を第三者機関に委ねるこ

とで,共通利益の実現を一層推進するとともに,

条約規定の解釈や精緻化の役割を個別国家の手か

ら奪う例も見られる.こうしたプロセスを通じ

て,国際法は国家との関係において自律性を次第

に強めていき,とりわけ司法的手続の発展は,国

家のコントロールに基づかない新たなルール形成

の仕組みを生み出したのである.

このように,「国際社会の組織化」とは,国際

社会全体の利益や価値のために,個別国家の主観

的・主権的な行為の余地を制約し,諸国の行動や

思考を協調させることを意味する.それゆえ,こ

の意味での組織化は,必ずしも形式上の組織を必

要とせず,国際投資法のように単なるルールの集

積を以て組織化が進んだと評価できる場合もあ

る.なお,国際経済の分野に通底する共通利益の

概念とは,国家の恣意的な介入による市場の歪曲

を極力排除して,私人にとって予測可能で自由な

活動環境を保障することにあり,これを実現する

ために,個別国家の持つ規制権限に縛りをかける

共通ルールを導入し,組織化を進めるのである.

貿易分野では,こうした組織化は,戦後成立した

GATT(関税及び貿易に関する一般協定)の下

で徐々に進展し,現在では WTO(世界貿易機

関)において一層高度な段階に達している.他

方,投資分野では,組織化の機運が現れたのは

1990 年代以降に BITが普及し始めてからである

が,その後,投資仲裁において,国家の手を離れ

た自律的なルール形成が急速に進んだことで,組

織化の度合いは飛躍的に高まったと言える.

ただし,こうした組織化の進展は,必ずしも肯

定的な面ばかりではない.国際社会には統一的な

政府が存在しないため,組織化は各々の分野ごと

に進むことになるが,そうした部分的・専門的な

枠組みにおいては,みずからの分野の合理性のみ

が徹底して追求されやすく,社会全体としての妥

当性や望ましさといった要素はしばしば視野の外

に置かれてしまう.従来は,重要な意思決定やル

ール形成が,国民国家という,地理的な領域を単

位とする一元的なシステムで行われていたため,

異なる分野の価値や利害を政治プロセスで総合的

に調整することが可能であった.しかし今日で

は,グローバル化の進展や社会構造の複雑化・高

度化を背景として,様々な意思決定のレベルが,

国民国家から国際組織や民間専門団体へと移り,

多くの分野にまたがる課題に対して全体的な調整

原理を及ぼすことが困難になっている.例えば,

国際投資法の分野でも,環境保全や人権保護を目

的とする政府の公益規制が投資家の権利を侵害す

ることをどの程度許容すべきかについて,投資仲

裁の導く結論と,社会の他の部分が抱く意見と

は,全く異なりうるのである.

こうした問題への対処のあり方としては,世界

政府の創設が当面現実的でない以上,やはり個々

の部分システムがみずから対外的な敏感性を高

め,自己の行動を全体の視点から自省的に見直し

ていくことで,社会的な信認を調達するほかな

い22).しかし,こうした姿勢は,例えばWTOの

紛争処理では度々観察されるものの,投資仲裁で

国際投資保護メカニズムをめぐる現状と課題 11

はさほど顕著ではない.これは,投資仲裁がア

ド・ホックに設置される法廷であるため,WTO

に比べ,仲裁人が制度そのものの社会的正統性を

意識する必要に乏しいことが一つの原因であろ

う.

こうしたなか,最近では,国家の側が様々な手

段を用いて,投資保護ルールのあり方に対する主

観的・主権的コントロールを回復させようという

動きを見せている.もし国家の意思が,民主的プ

ロセスを通じて様々な価値を総合的に調整した結

果であり,それゆえ一定の正統性を持つものだと

考えるならば,こうした最近の動向は,組織化の

流れを押し戻すものであるとはいえ,直ちに非難

することはできない.そこで次節では,かかる試

みをより具体的に検討し,その意義と課題を明ら

かにしておきたい.

2.国家によるコントロール回復の試み⑴ 条文の精緻化を通じた締約国の意図の明示

WTO 協定のような多数国間条約と異なり,

BIT は二国間条約であるため,過去の仲裁判断

で示された法解釈を踏まえ,それに対する自国の

態度を今後締結する BIT に反映させていくこと

が可能である.

まず,公正衡平待遇につき,米国=ウルグアイ

BIT(2005年)5 条は,これは慣習国際法上の最

低基準と同一内容であり,そこにいかなる実質的

権利をも付け加えるものではないとする.また,

日本=コロンビア BIT(2011 年)4 条は,相手

国投資家に与えるべき待遇を「国際慣習法に基づ

く待遇(公正かつ衡平な待遇並びに十分な保護及

び保障を含む)」と表記し,さらにその注釈で,

この規定は「他方の締約国の投資家の投資財産に

与えられるべき待遇の最低限度の基準として,外

国人の待遇に関する国際慣習法上の最低基準を用

いることについて定めたものである」と付記して

いる.確かに,ここまで明記すれば,仲裁が慣習

国際法上の最低基準を上回るものとして公正衡平

待遇を解釈する余地はなくなり,政府の規制権限

の侵食も避けられるように見える.しかし,前述

のように,公正衡平待遇とは文脈依存的な義務で

あり,慣習国際法上の最低基準に比して高度かど

うかは一義的には決まらないため,BIT で両者

を同一視することは,実は政府にとって義務の加

重になるケースもありうる.また,公正衡平待遇

の内容が多くの仲裁判断を通じて明確になりつつ

あるのに対し,慣習国際法上の最低基準の内容

は,関連する先例も乏しく,いまだ曖昧なものに

とどまっているため,政府にとって,後者の方が

遵守が容易であるとは必ずしも言い切れない.

次に,間接収用につき,米国=ウルグアイ

BIT(2005 年)附属書 B は,政府行為が間接収

用を構成するか否かは,事案ごとの,事実に依拠

した審査を要するとし,特に考慮すべき要素とし

て,⒤政府行為の経済的影響(ただし投資の経済

的価値に悪影響があるという事実だけでは間接収

用を構成しないものとする),�政府行為が,投

資に基礎を置く明確かつ合理的な期待をどの程度

侵害したか,�政府行為の性質,を挙げる.そし

てさらに,「公衆衛生・安全・環境などの正当な

公共福祉の目的を保護するためにデザインされ実

施された無差別な規制行為は,稀な状況を除いて

は,間接収用を構成しない」と規定する23).前述

のように,間接収用の審査において政府規制の目

的や性質が考慮されるか否かは,仲裁によってば

らつきがあるため,こうした規定により規制目的

の確実な考慮を仲裁に求めることは意味があろ

う.もっとも,投資家の権利侵害と規制目的の重

要性との間にどれほどの比例性が求められるの

か,この規定では必ずしも明らかでなく,依然と

して仲裁の解釈の余地は大きいと言える.

なお,規制権限の侵食を防ぐ手段としては,別

途例外条項を設けることも考えられる.例えば,

日本=シンガポール経済連携協定(EPA)

(2002年)83条は,同協定第 8章(投資章)の義

務に関する例外として,「公衆の道徳の保護又は

公の秩序の維持のために必要な措置」「人,動物

又は植物の生命又は健康の保護のために必要な措

置」「有限天然資源の保存のために必要な措置」

などを実施することは妨げられないと規定する.

これは,通商分野の例外条項として著名な

GATT 20条の文言を借用したものであり,すで

12 組織科学 Vol. 45 No. 2

に GATTで蓄積された詳細な法解釈を投資仲裁

も参照することが予想されるため,結果の予見可

能性が高まる.ただ,GATT 20条の解釈は比較

的厳格に行われてきたため,投資分野で政府の規

制権限をより広範に確保したいのであれば,やは

り独自の条文を考案する必要があろう.

最後に,BIT の前文をめぐる最近の動向に注

目したい.条約の前文は,それ自体は法的義務を

設定しないが,当該条約の趣旨目的を表すもので

あるため,本文の各条項を解釈するうえで参照さ

れることがある.特に投資仲裁の場合,公正衡平

待遇などの抽象的な文言を解釈する手掛かりとし

て,頻繁に前文の参照を行ってきた.そして,従

来,前文では条約の目的として投資の保護促進の

みに言及する例が多く,それゆえ各条項も投資保

護に力点を置く形で解釈されることになった.し

かし,近年は,米国モデル BIT(2004 年)前文

のように,投資保護という目的が,保健・安全・

環境・労働基本権と両立するような方法で追求さ

れるべきだと記す例もある.また,カナダ=コロ

ンビア FTA(2008 年)(投資章含む)は,単に

非経済価値を害さないようにという消極的な表現

ではなく,むしろ環境・労働基本権・持続可能な

開発・企業の社会的責任(CSR)・貧困削減・文

化多様性・人権保障などが,それ自体として条約

の目的をなすと積極的に述べている.こうした前

文を置くことが,個々の規定の解釈において具体

的にいかなる影響を与えるかは定かではないが,

締約国は投資保護を社会全体の利益という文脈の

中で考えている,との態度を明確にしておくこと

の意味は小さくないだろう.

⑵ 解釈宣言の発出による仲裁の法解釈のコント

ロール

新規に締結する BITであれば,上記のように

条文そのものに締約国の意図を反映させることが

できるが,既存の BIT に関しては,条文の意味

に関する宣言を締約国間で作成するという形で仲

裁の法解釈をコントロールすることが考えられ

る.著名な例は,北米自由貿易協定(NAFTA)

の自由貿易委員会が 2001 年に公表した解釈ノー

トである24).これは,NAFTA1105 条の公正衡

平待遇の意味について,それが慣習国際法上の最

低基準と同一の内容であることを,締約国間の了

解として表明したものである.こうした解釈宣言

が発出できれば,抽象的な文言で規定されている

既存の大量の BIT について,その意味を事後的

に補完できるため,国家がルールの内容を制御す

る手段として非常に有用である25).もっとも,条

文の意味について締約国間で利害が一致しない場

合,解釈宣言に合意することは難しく,宣言が発

出された実例も多いとは言えない.

なお,もし具体的な事件が仲裁に付託された段

階で,被告たる投資受入国が初めて解釈上の問題

を認識し,他方の締約国と協議のうえ解釈宣言を

発出した場合,少なくとも当該紛争ではその宣言

は考慮されない可能性がある.紛争当事者の一方

が自己に有利にルールを変更するのは公平性を欠

くからであり,これは,上記の NAFTA 解釈ノ

ートに対して Pope & Talbot事件の仲裁法廷が実

際に示した考え方である26).したがって,解釈宣

言を出すタイミングによっては,最も肝心な案件

で仲裁に対するコントロールを及ぼせないという

事態も生じうる.また,解釈宣言は,あくまでも

条文の「解釈」と呼べる範囲にその内容が限定さ

れるのであり,およそ条文から導かれない内容を

締約国間で合意しても,それは仲裁では考慮され

ないことになる.

⑶ ICSID条約からの脱退,BITの廃棄

投資保護ルールの自律化・組織化に対抗して国

家のコントロールを回復しようとする究極の手段

は,かかる法発展の基礎となった BITや投資仲

裁のメカニズム自体から離脱することである.特

にラテンアメリカの国々は,仲裁制度への反発か

ら実際にこうした動きを活発化させており,2007

年にボリビア,2010 年にエクアドルが ICSID条

約から脱退した.また,ベネズエラがオランダと

の BIT を廃棄したほか,エクアドルも 9 つの

BIT の廃棄とそれ以外の BIT の再交渉の意図を

表明し,ボリビアも BIT の再交渉を宣言してい

る.ただ,こうした手法は,当然,自国投資家が

国際投資保護メカニズムをめぐる現状と課題 13

保護を受ける機会をも奪うことになり,また他国

からの投資の誘致にもマイナスに働くため,経済

的には多大なコストを伴うことになる.さらに,

前述のように,たとえ 1 つでも他国との間に

BIT が残っていれば,その国を経由して投資し

てくる全世界の投資家に保護を与える必要がある

ため,全ての BIT を廃棄するまでこの戦略は完

結したことにならない.このような,国家のコン

トロール確保と投資保護とのバランスを欠く極端

な政策は,ほとんどの国にとって,利用可能な選

択肢ではないだろう.

Ⅴ.おわりに

以上のように,1990 年代以降の BIT と投資仲

裁の普及は,投資保護ルールの「脱国内化」を可

能にし,企業の外国投資リスクの大幅な低減をも

たらした.また,そこでのルール形成が,企業や

仲裁人といった私人の手により,国家の制御を離

れて自律的に進行している点も,投資保護メカニ

ズムの独立性・安定性を高める要素となってい

る.他方で,社会全体の文脈から切り離され,投

資保護という部分的価値のみを追求するこの仕組

みは,公益保護を目的とする国家の規制主権との

間で厳しい緊張関係を生むことになった.国家の

側から,投資保護ルールのあり方に対するコント

ロールを回復しようとする試みもなされている

が,すでに見たように,その効果はいまだ不明確

であると言わざるを得ない.

こうした状況では,やはり投資仲裁の側にも,

対社会的な配慮の意識をみずから醸成し,それを

投資保護ルールの解釈に反映させる姿勢が求めら

れるだろう.専門論理の世界に閉じこもるのでは

なく,むしろ紛争の社会的文脈を幅広く視野に入

れながら,対立の実・

質・

的・

な・

解消につながる判断を

追求すべきである.結局のところ,投資紛争と

は,単なる商事紛争ではなく,広範な人々に影響

する国家の公共政策を扱う紛争なのであり,それ

ゆえ投資仲裁は,自己の決定が全体の中で持つ意

味について自省的に問い続けなければならないの

である.もし,そうした社会との対話の回路を失

えば,投資仲裁の正統性への疑念が強まり,政府

に対して現行の投資保護政策の見直しを求める圧

力がさらに増大することになろう.かつての国内

的な紛争処理への逆戻りを防ぎ,BIT と仲裁を

通じた投資保護のメカニズムを将来にわたり維持

しようとすれば,それが社会の他の公共価値と調

和的に機能しうるよう,制度設計や法の解釈に関

して一層の創意工夫を重ねることが不可欠なので

ある.

1) 世界の BIT の数は,1979年には 165 であったのが,1989

年には 385,1999年には 1,857,2007年には 2,608へと増

加した.協定署名数が上位の国は,世界の半分以上の国と

協定を結んでおり(2007 年までにドイツ 135,スイス

114,フランス 99,オランダ 95など),主要な投資先をほ

ぼカバーする状態になっている.UNCTAD (2008),

“Recent Developments in International Investment

Agreements (2007-Jun. 2008),” IIA Monitor No. 2,

UNCTAD/WEB/DIAE/IA/2008/1.

2)「天然資源に対する恒久主権に関する決議」(国連総会決議

1803(XVII)).同決議の前文は,全ての国が天然資源を

自国の国益にしたがって自由に処分する不可譲の権利(in-

alienable right)を持つと認め,決議本文第 2項は,天然

資源の探査・開発・処分に関する認可または制限は当該国

の人民が必要と考える規則および条件に合致してなされる

べきであるとする.

3) 決議第 4項は,天然資源の収用・国有化に際しては,「所

有者には,主権を行使して当該措置をとる国で実施されて

いる規則に従って,かつ,国際法に従って,適当な補償

(appropriate compensation)が支払われる」とする.

4) 過去の仲裁判断によれば,契約の準拠法は通常は国内法で

あり,現代的な商業契約の解釈にとって必要な法原則を当

該国内法が備えていない場合にのみ,補完的に国際法が適

用されうる.Cf. Petroleum Development Ltd. v. The

Sheikh of Abu Dhabi (1951), International Law Reports, Vol.

18, p. 149; Klöckner v. Cameroon, ICSID Case No.

ARB/81/2, Decision on Annulment, 3 May 1985, para. 69.

5) 主要国のうち ICSID条約を批准していない国として,ブ

ラジル・カナダ・インド・メキシコ・南ア・ベトナムなど

がある.もっとも,投資母国または投資受入国のいずれか

が ICSID条約の締約国でない場合にも,ICSID追加的制

度規則(additional facility rules)に従って,ICSIDの管理

下で仲裁を行うことはできる(ただし ICSID条約の仲裁

規則は適用されない).

6) 2009 年末時点で,ICSID では 305 の仲裁において延べ

1,004名の仲裁人の任命がなされた.その国籍は 72カ国に

またがってはいるが,43%は 5 つの国に集中する(米

120・仏 106・英 94・加 75・スイス 70).上位 10 カ国で約

60%がカバーされ,そのうち発展途上国はメキシコの 32

名のみである.Cf. Salacuse, Jeswald W. (2010) “The

14 組織科学 Vol. 45 No. 2

Emerging Global Regime for Investment,” Harvard

International Law Journal, Vol. 51, No. 2, p. 467.

7) こうした立場を最初に提示したのは,Wena Hotels事件の

取消委員会決定である.Cf. Wena Hotels Ltd. v. Arab

Republic of Egypt, ICSID Case No. ARB/98/4, Decision on

Annulment, 5 February 2002, para. 41.

8) ただし,投資家側が,投資受入国の契約違反を理由として

仲裁を提起する場合は,契約違反の有無などを判断するル

ールがもっぱら国内法に置かれていることから,仲裁法廷

も国内法を主たる適用法規として審理を行う.BITが普及

する以前の仲裁は,ほとんどがこうした契約違反を理由と

して提起されるものであった.

9) Tokios Tokelés v. Ukraine, ICSID Case No. ARB/ 02/18,

Decision on Jurisdiction, 29 April 2004, paras. 21-22.

10) Ibid., paras. 19, 27-29.

11) Saluka Investments BV v. The Czech Republic,

UNCITRAL, Partial Award, 17 March 2006, para. 229.

12) もちろん,BITにおける投資家の定義を工夫すれば(例え

ば相手方の締約国において当該会社が「実質的な事業活

動」を行っていることを求めるなど),ペーパーカンパニ

ーを介した BIT利用はある程度防ぐことができる.

13) Salini Costrutorri S. p. A. and Italstrade S. p. A. v. Morocco,

ICSID Case No. ARB/00/4, Decision on Jurisdiction, 23 July

2001, para. 52.

14) この基準に従って投資性が否定された最近の事例として,

Global Trading Resource事件がある.本件原告は米国企

業で,鶏肉の輸出販売業者であった.ウクライナの首相は

経済政策の一環として原告に鶏肉の輸出を依頼し,支払の

保証も与えたが,結局ウクライナは準備された鶏肉を引き

取らず支払いも拒否した.申立人は,輸出を実施するため

に製品の調達・輸送・流通のコストを要したことや,契約

の締結に至った状況(政府首脳による要請や支払保証)な

どから,本件契約は投資の性格を持つと主張した.これに

対して仲裁法廷は,輸出準備の段階で様々な支出が行われ

たことや,契約締結に至る特殊な状況は,本件契約が売買

契約であるという本質を変えるものではなく,ICSID条約

にいう投資性の基準を満たさないと判断した.Cf. Global

Trading Resource Corp. and Globex International, Inc. v.

Ukraine, ICSID Case No. ARB/09/11, Award, 1 December

2010, paras. 43, 56.

15) 例えば UNCITRAL仲裁に付託されたMytilineos Holdings

事件では,ICSID条約 25 条のような「投資」性の条件が

UNCITRAL仲裁規則に存在しない以上,関連する BITに

おける投資財産の定義が十分に包括的であれば,非投資的

な資産や事業活動をもカバーしうるとされた.Mytilineos

Holdings SA v. The State Union of Serbia & Montenegro

and Republic of Serbia, UNCITRAL, Partial Award on

Jurisdiction, 8 September 2006, paras. 117-118. ただし,同

様の事案で UNCITRAL仲裁が非投資的資産に対する管轄

権を否定した例もあり(Romak S. A. v. The Republic of

Uzbekistan, UNCITRAL, Award, 26 November 2009, para.

205),この点に関する判断はいまだ安定していない.

16) Pope & Talbot Inc. v. The Government of Canada,

UNCITRAL,Award on theMerits of Phase 2, 10April 2001,

paras. 110-111. また,前述の Saluka事件の仲裁判断も,

投資促進という BIT の趣旨目的を踏まえれば,公正衡平

待遇は,慣習国際法上の最低基準よりも高度な,自律した

基準として理解すべきだと述べた.Saluka Investments BV

v. The Czech Republic, op. cit., para. 294.

17) 慣習国際法上の最低基準を最初に定式化したとされている

ケースとして,米国=メキシコ請求権委員会における

1926年の Neer事件判断がある.そこでは,慣習国際法違

反となる場合として,待遇が「法外にひどい場合」「信義

誠実を欠く場合」「故意による義務の懈怠の場合」「当局の

保護が国際基準に遠く及ばず,合理的かつ公平な人間なら

ば明らかに保護が不十分であると判断するような場合」,

が挙げられていた.L. F. H. Neer and Pauline Neer (U.S.

A.) v. United Mexican States, 15 October 1926, Reports of

International Arbitral Awards, Vol. 4, pp. 61-62.

18) 投資家の正当かつ合理的な期待を公正衡平待遇の解釈基準

に据える仲裁判断として,例えば,Técnicas Medioam-

bientales Tecmed, S. A. v. United Mexican States, ICSID

Case No. ARB (AF)/00/2, Award, 29 May 2003, para. 154;

Saluka Investments BV v. The Czech Republic, op. cit.,

para. 309などを参照.

19) Técnicas Medioambientales Tecmed, S. A. v. United

Mexican States, op. cit., para. 122. この比例性に関して考慮

すべき要素としては,投資家が持ちえた正当な期待,規制

が追求している利益の重大性,規制の影響の大きさ,規制

が特定の投資家に不公平に強い影響を与えないかどうか,

などを挙げる.本件では結論として,投資受入国の規制は

公共目的のために急を要するものではなく,不均衡に投資

家の権利を侵害しているとして,間接収用を認めた.

20) Saluka Investments BV v. The Czech Republic, op. cit.,

para. 275.

21) Siemens v. Argentina, ICSID Case No. ARB/02/8, Award, 6

February 2007, para. 271.

22) 筆者はこうした取組みを「部分システムの立憲化」という

概念で分析したことがある.参照,伊藤一頼(2005)「市

場経済の世界化と法秩序の多元化─グローバル部分システ

ムの形成とその立憲化をめぐる議論の動向─」『社会科学

研究(東京大学)』第 57巻第 1号,pp.9-37.

23) 同様の規定は,カナダのモデル BIT(2004 年)附属書 B

や,東南部アフリカ共通市場(COMESA)共通投資地域

のための投資協定 20条 8項などにも見られる.

24) NAFTA Free Trade Commission, Notes of Interpretation

of Certain Chapter 11 Provisions, 31 July 2001, Part B.

25) 最近の BIT には,かかる解釈宣言が仲裁に対して拘束力

を持つことを明記するものもある(カナダ・モデル BIT40

条など).

26) Pope & Talbot Inc. v. The Government of Canada,

UNCITRAL, Award on Damages, 31 May 2002, para. 13.

国際投資保護メカニズムをめぐる現状と課題 15