中国の介護市場に進出した 「日本式介護」の特徴を探る ·...

18
要約:中国政府の奨励により,日本の介護事業者は「日本式介護」を中国に進出させた。 しかし,進出している事業者は多くの課題に直面している。その一つは日本式介護の「優 位性」を伝えることの困難さである。本研究はこの課題の克服に向けて,日本式介護の現 地化プロセスにおける変化およびその変化に対する事業者の工夫の実態を明らかにするこ とを通して,日本式介護の特徴をまとめた。日本の介護事業者は自立支援,尊厳のある支 援,エビデンス支援などの相手本位の介護理念や考え方を日本の介護の真髄と考え,中国 での事業展開においては維持しようとしている。しかし,職員の姿勢が整えられていない ため,維持したい日本の強みはなかなか浸透させられず,事業者を悩ませている課題であ る。 キーワード:中国,介護市場,日本式介護,自立支援,介護人材育成 目次 1.はじめに 2.問題の所在と研究の視点 2-1.中国の介護市場に関する研究動向 2-2.「日本式介護」の用語説明 3.事例分析 3-1.調査対象と調査概要 3-2.調査結果 4.考察 4-1.事例調査を通しての分析 4-2.「日本式介護」の特徴 5.おわりに 1.はじめに 中国は 2000 年に高齢化社会となり,他の先進国より急速な高齢化を迎えている。政 府は従来の伝統的な家族の枠組みで提供されてきた家族介護を見直し,社会全体で高齢 ──────────── 同志社大学社会学部助教 2017 12 4 日受付,2017 12 9 日掲載決定 論文 中国の介護市場に進出した 「日本式介護」の特徴を探る ──事例調査を通しての分析── 107

Transcript of 中国の介護市場に進出した 「日本式介護」の特徴を探る ·...

Page 1: 中国の介護市場に進出した 「日本式介護」の特徴を探る · つまり,日本の介護事業者は日本式介護の展開においてどの部分を 中国に合わせ,どの部分を維持して中国に浸透したかを明確にすることを通して,「日

要約:中国政府の奨励により,日本の介護事業者は「日本式介護」を中国に進出させた。しかし,進出している事業者は多くの課題に直面している。その一つは日本式介護の「優位性」を伝えることの困難さである。本研究はこの課題の克服に向けて,日本式介護の現地化プロセスにおける変化およびその変化に対する事業者の工夫の実態を明らかにすることを通して,日本式介護の特徴をまとめた。日本の介護事業者は自立支援,尊厳のある支援,エビデンス支援などの相手本位の介護理念や考え方を日本の介護の真髄と考え,中国での事業展開においては維持しようとしている。しかし,職員の姿勢が整えられていないため,維持したい日本の強みはなかなか浸透させられず,事業者を悩ませている課題である。

キーワード:中国,介護市場,日本式介護,自立支援,介護人材育成

目次1.はじめに2.問題の所在と研究の視点2-1.中国の介護市場に関する研究動向2-2.「日本式介護」の用語説明

3.事例分析3-1.調査対象と調査概要3-2.調査結果

4.考察4-1.事例調査を通しての分析4-2.「日本式介護」の特徴

5.おわりに

1.はじめに

中国は 2000年に高齢化社会となり,他の先進国より急速な高齢化を迎えている。政府は従来の伝統的な家族の枠組みで提供されてきた家族介護を見直し,社会全体で高齢────────────†同志社大学社会学部助教*2017年 12月 4日受付,2017年 12月 9日掲載決定

論文

中国の介護市場に進出した「日本式介護」の特徴を探る──事例調査を通しての分析──

郭 芳†

107

Page 2: 中国の介護市場に進出した 「日本式介護」の特徴を探る · つまり,日本の介護事業者は日本式介護の展開においてどの部分を 中国に合わせ,どの部分を維持して中国に浸透したかを明確にすることを通して,「日

者を支える仕組みへとシフトしようとしている。2000年以降高齢者向けの福祉政策が拡大され,福祉の市場化・産業化という発展目標に関連する一連の政策が発表された。このような政策方針に基づき,国内民間資本や外国民間資本によるシルバー産業への参入が急増した。日本の介護事業者も中国の介護市場を狙って「日本式介護」を進出させた。みずほ情報総研(2017)によると,現在,中国に進出した日本の介護事業者は 39

社存在する(1)。提供しているサービスとしては,介護サービス,コンサルティング,人材育成,福祉用具・機器などである。ここ数年,日本の介護事業者はアジアへの事業進出を活発化させている。しかし,中国においては,進出している事業者は多くの課題に直面している。例えば,現地でのビジネスパートナー探しの困難さ,規制のあるなかでの現地の行政サイドとのネットワーク不足,介護保険制度の存在しない中国で事業採算性を確保するためのノウハウの乏しさ,また,家族以外から介護サービスを受けるということへの理解に乏しい現状のもとで文化や生活習慣の異なる国に日本式介護の「優位性」を伝えることの困難さ,さらに事業資金や海外経験のある人材が十分でないなどが挙げられる。そこで,2016年 7月に日本の内閣官房は「アジア健康構想に向けた基本方針」を取りまとめ,介護事業者のアジア進出を全面的に後押ししようとしている。具体的な支援の一環として,海外進出を図る民間事業者等が共通の課題等について検討し具体的な対応を行うための官民連携のプラットフォーム「国際・アジア健康構想協議会」の立ち上げと運用を支援している。上記のように,中国の介護市場に進出している介護事業者は海外展開の萌芽期において,進出環境不備(現地政府・企業とのつながりが弱い,現地の制度に関する経験・知見が少ない,事業資金や人材の不足など)という課題に直面している。今後,アジアにおける高齢者介護ビジネスの国際展開が進むなかでこれらの課題を克服するため,政府の支援や「国際・アジア健康構想協議会」の果たす役割がますます期待されることとなるだろう。もう一つの課題として,文化や生活習慣の異なる国に日本式介護の「優位性」を伝えることの困難さが挙げられているが,この点は日本の介護事業者の工夫により改善できる課題であり,また,日本式介護の中国における展開可能性に直接かかわると考えられる。「日本式介護の優位性を伝えることの困難さ」という課題は,日本式介護の意義や価値の共有が困難であること,また日本式介護の質はどこがよいのか具体的な内容について日本の事業者も説明できず,中国の高齢者も理解できていないということである。その結果,進出事業者は利用者獲得に苦慮している。また,中国では高齢者施設が量的に増える一方,空きベッド問題が生じている。その理由は家族が高齢者の面倒を見るという文化的背景と,サービスの質の低さによる高齢者の施設入所への抵抗があるからである。それに加えて,中国現地の施設やサービスが,自立度の高い高齢者に居住の場や

中国の介護市場に進出した「日本式介護」の特徴を探る108

Page 3: 中国の介護市場に進出した 「日本式介護」の特徴を探る · つまり,日本の介護事業者は日本式介護の展開においてどの部分を 中国に合わせ,どの部分を維持して中国に浸透したかを明確にすることを通して,「日

娯楽をするスペースと家事支援を提供している。中国の高齢者はこれらのサービスを受け入れ,十分だと感じており,専門職による身体介助や介護の重要性と有効性等についてはまだ認知されていない。日本の介護事業者は日本式介護の技術を利用して中国で介護事業を展開しようと考えたものの,中国現地にある既存の類似サービスとの差別化が課題となっている。このような状況を踏まえて,日本式介護の差別化のための研究をすすめていく必要がある。日本式介護の差別化をするためには,まず日本式介護の特徴をまとめ,次いで,中国現地の類似サービスと比較する必要がある。本研究では,この課題に焦点を当て,日本式介護サービスそのものに重点を置き,3つの事例調査を通して,日本式介護の現地化プロセスの実態を明らかにしたい。具体的には,中国の介護市場に進出した介護事業の現地化プロセスにおける問題および事業者による工夫を明確にし,日本式介護の特徴をまとめていく。つまり,日本の介護事業者は日本式介護の展開においてどの部分を中国に合わせ,どの部分を維持して中国に浸透したかを明確にすることを通して,「日本式介護」というものを探索していく。

2.問題の所在と研究の視点

2-1.中国の介護市場に関する研究動向国立情報学研究所学術情報ナビゲータ CiNii を用いて,中国の介護市場に関する研究につき,「日式介護」,「日本式介護」,「中国 介護市場」,「中国 高齢者市場」,「中国シルバーサービス産業」,「中国 シルバー産業」のキーワードを用いて検索し,結果を表 1のように整理した(2)。検索した文献を雑誌論文と報告書の大きく二つに分けて整理することができる。文献の掲載時期からみると,2013年から雑誌論文と報告書の数が増えており,中国のシルバー産業が一つの新興ビジネスとして注目されはじめたことがわかる。中国政府は,第11次 5ヵ年計画期間(2006年~2010年)から,高齢化対策を打ち出しており,これが養老サービス産業を初めとする養老産業発展の始まりとなった。2013年には,「養老サービス産業の発展加速に関する若干の意見」が発表され,養老サービス市場の全面開放が 2015年に公表した養老事業発展の第 13次 5ヵ年計画期間中(2016年~2020年)の目標としてあげられ,外国資本を含む民間資本の参入が大いに求められるようになっている。日本においては,健康長寿社会の実現に向けて「健康・医療戦略推進法」が 2014年

5月に成立し,同年 6月に健康・医療戦略推進本部が設置されるとともに,同年 7月には「健康・医療戦略」が閣議決定された(内閣府官房健康・医療戦略室 2016)。「健

中国の介護市場に進出した「日本式介護」の特徴を探る 109

Page 4: 中国の介護市場に進出した 「日本式介護」の特徴を探る · つまり,日本の介護事業者は日本式介護の展開においてどの部分を 中国に合わせ,どの部分を維持して中国に浸透したかを明確にすることを通して,「日

表 1 中国の介護市場に関する研究レビュー

雑誌論文 報告書

2007年 ①江田真由美「シルバー産業が新たなビジネスに」『ジェトロセンサー』57(682),pp 58-59

2008年

②小林功児「注目マーケットはここだ:高齢者市場『シルバービジネス時代が目前』」『ジェトロセンサー』58(687),pp29-31③長岡美代「日本の介護ノウハウ 中国・巨大シルバー市場が注目」『ケアマネジャー』10(5),pp 70-73

2012年 ④杜蓉「中国の高齢化社会が抱える課題と日本企業の事業機会」『知的資産創造』20(9),pp 14-23

2013年

⑤特集介護事業「中国進出の夢と現実(動向編とケース編)」『日経ヘルスケア:医療・介護の経営情報』285, pp 50-64⑥江田真由美「中国:高齢者ビジネスに参入するには」『ジェトロセンサー』63(754),pp 58-59⑦西槙躍「中国の高齢化社会に生まれた商機-大連市高齢者福祉サービス業の現状と発展傾向」『日中経協ジャーナル』231, pp 23-25⑧邵永裕「シルバー産業振興の課題と展望」『日中経協ジャーナル』234号,pp 7-11⑨田中克幸「日本式介護サービスを中国でも:現場の視点から」『日中経協ジャーナル』234号,pp 12-15

①日本貿易振興機構「中国高齢者産業調査報告書」

2014年

⑩「高齢者が倍増,日式介護に注目-介護福祉には国策の追い風」『週刊東洋経済』第 6561号,pp 82-83⑪西槙躍「瀋陽市・高齢化社会に生まれる商機-中国シルバー産業に存在する大きな隙間」『日中経協ジャーナル』240,pp 26-29⑫葉健栄「拡大するシルバー産業:日本企業への期待」『日中経協ジャーナル』242号,pp 18-21⑬西槙躍「中国高齢化社会に生まれる商機-介護ビジネスの今」『日中経協ジャーナル』243, pp 26-28⑭西槙躍「中国高齢化社会に生まれる商機-人材育成市場への参入ノウハウ」『日中経協ジャーナル』247, pp 26-29⑮「80歳以上が年間 100万人ずつ増える中国 2億人市場に挑む日式介護」『Aera』27(43),pp 62-64⑯劉新穎「中国高齢者介護市場における日本企業のポジションニング」『商大ビジネスレビュー』3(2),pp 175-191

②みずほ情報総研株式会社「介護サービス事業者の海外進出に関する調査研究事業」平成 25年度老人保健健康増進等事業報告書③みずほ銀行産業調査部『アジアにおける介護関連サービス市場の状況および日系企業による進出可能性の考察』Mizuho Industry Focus 159

2015年 ⑰方越「中国:高齢者ビジネスの先を見据えて」『ジェトロセンサー』65(780),pp 70-71

④日揮株式会社「中国における高齢者サービス事業実証調査プロジェクト報告書」経済産業省平成 26年度医療機器・サービス国際化推進事業⑤みずほ銀行「認知症介護サービス(グループホーム,小規模多機能型施設,訪問介護)等の海外展開に関する実証調査事業」平成 26年度医療機器・サービス国際化推進事業報告書

2016年⑱郭芳「中国の介護市場への日本介護事業者の進出に関する研究課題-進出に伴う問題の克服を中心として-」『評論・社会科学』第 116号,pp 1-14

⑥みずほ情報総研株式会社「介護サービス等の国際展開に関する調査研究事業」平成 27年度老人保健事業推進費等補助金老人保健健康増進等事業報告書⑦株式会社大和総研「中国での福祉用具レンタル制度構築事業実施に関する調査報告書」平成 27年度アジア産業基盤強化等事業

2017年

⑲「国策となる介護の海外進出自慢の“日式”介護は苦戦中」『週刊ダイヤモンド』105(31),p 69⑳森詩織「日本式介護を中国でも」『ジェトロセンサー』67(800),pp 66-67㉑于瑛琪「中国のシルバーサービス産業がチャンスを迎える」BTMU(China)経済週報第 337期,pp 1-7

⑧みずほ情報総研株式会社「介護サービス等の国際展開に関する調査研究事業」平成 28年度老人保健事業推進費等補助金老人保健健康増進等事業報告書

出所:筆者作成

中国の介護市場に進出した「日本式介護」の特徴を探る110

Page 5: 中国の介護市場に進出した 「日本式介護」の特徴を探る · つまり,日本の介護事業者は日本式介護の展開においてどの部分を 中国に合わせ,どの部分を維持して中国に浸透したかを明確にすることを通して,「日

康・医療戦略」では,健康・医療に関する国際展開の促進が柱の一つとして掲げられており,医療・介護分野において諸外国と相互互恵的な関係を構築することとされた。また,急速に高齢化が進むアジア地域においては,日本における高齢化対策や日本の民間介護事業者等の進出に対する関心が高まっている。その背景を踏まえて,2016年に内閣官房が「アジア健康構想」を推進しはじめた。これら両国の高齢者政策の公表は中国の介護市場に関する研究に影響を与えたと考えられる。今後,中国政府の市場化線路の進行と日本政府の介護サービスの国際展開への促進により,このような雑誌論文や報告書は引き続き出版されるものと予想される。また,文献の内容からみると,雑誌論文には,2, 3ページに留まる記事が多数ある。杜(2012),日経ヘルスケア(2013)と于(2017)は比較的少し長めの雑誌論文になる。杜(2012)は主に ICT(情報通信技術)を活用した高齢者支援サービスに関わる分野の事業機会の説明であった。于(2017)は中国高齢者政策(国家政策と地方政策の 2

つのレベル)の展開からシルバーサービス産業の発展をみた上,シルバー産業を促進する政策の展開は民間企業によるシルバーサービス産業への参入を促進すると主張した。杜と于に対して,日経ヘルスケア(2013)は中国に進出した日本企業に焦点をあて,3ケースの進出当初の現状と課題を紹介した。しかし,各施設の概要や集客状況,今後の事業展開についての内容であり,提供しているサービスの詳細に関する紹介はなかった。学術論文である雑誌論文としては劉(2014)と郭(2016)の二つが存在する。今後,中国介護市場の分析や日本介護事業者の中国進出の支援などについての検討を進めるためには,政府や国際機関と連携した,社会福祉学や経営学などの視点からの学術研究を促進する必要があるだろう。学術論文の劉は経営学の視点から中国に進出した企業(4社)が提供しているサービスの種類と設定した価格を軸として,日本企業の市場ポジションニングを分析している。4社の日本企業は中国国内の事業者より提供しているサービスの種類が多く,介護付きであることが特徴である。また,価格設定については中国の中間層や富裕層をターゲットとしていることがわかった。郭は日本介護事業者の中国の介護市場への進出に関する研究課題を 2つ提示している。その 1つは中国の高齢者サービス供給システムの現状分析から,日本の介護事業者が中国で富裕層だけでなく中間層までをターゲットにサービス展開ができるか否かを明らかにする研究が必要であると指摘したものである。上記の劉の研究とは異なる視点からの分析であるが,同様な指摘である。もう 1つの研究課題は日本式介護の差別化のための研究であるが,本研究はこの研究課題に当たる。2013年から日本貿易振興機構やみずほ情報総研,みずほ銀行などの研究機構は厚生労働省や経済産業省の事業に応募し,調査研究を行い,毎年報告書を出している。これ

中国の介護市場に進出した「日本式介護」の特徴を探る 111

Page 6: 中国の介護市場に進出した 「日本式介護」の特徴を探る · つまり,日本の介護事業者は日本式介護の展開においてどの部分を 中国に合わせ,どの部分を維持して中国に浸透したかを明確にすることを通して,「日

日本の介護

日本式介護

日本 中国

現地化(localization)

中国の介護

進出

営利法人による介護

らの報告書の発行から日本政府が中国の介護市場に関心をもちはじめたことがわかる。報告書からは中国の介護市場の現状や日本介護事業者の進出状況など,多くの情報を得ることができたが,企業経営の視点からの分析が多く,介護そのものに関する議論は乏しい。報告書(みずほ情報総研 2014)では,介護サービスの海外進出に関する具体的な取組みや取組み上の課題について把握するために進出事業者を対象としたインタビュー調査を実施している。調査の主な質問項目は「海外進出の背景・プロセス」,「海外で展開しているサービス」,「現在の問題点(制度や規制,行政とのかかわりにおける課題,商習慣の違いに起因する課題)・今後の方向性」となっており,より多くの日本企業が,よりスムーズに中国の介護市場に進出できるような戦略の検討や事例分析が多く,介護サービス-「日本式介護」そのものがどのように展開していくかについての議論は不十分である。本研究は介護経営の視点を含め,介護サービスそのものに重点を置きたい。

2-2.「日本式介護」の用語説明「日本式介護」という用語は,日本の介護サービスが日本から海外に進出し,進出国の諸環境・制度,文化・習慣に影響を受け,現地化して形成した新たなサービスであると定義される。日本における介護サービスの提供主体は介護ニーズの多様化や介護保険制度の実施により多元化しており,大きく分けると,社会福祉法人等の非営利法人と営利法人があるが,現時点で中国に進出した日本式介護は営利法人による介護サービスであるため,本研究で用いる「日本式介護」は企業である日本の介護事業者が中国において展開している介護サービスのことを指すものとする(図 1)。中国進出した日本式介護が中国の諸環境・制度,文化・習慣に影響を受けることを,本研究では,日本式介護の中国における位置づけとして捉える。つまり,日本式介護の特徴について,日本国内における介護サービス固有の特徴と中国に進出した日本式介護サービスとの違いを通して研究してみたい。この違いは現地化プロセスにおいて中国進出による影響として表れてくるため,本研究では日本の介護サービスの現地化プロセスに注目する。日本における介護サービス固有の特徴をみる際,どのような面から測定するかについ

図 1 本研究で用いる「日本式介護」出所:筆者作成

中国の介護市場に進出した「日本式介護」の特徴を探る112

Page 7: 中国の介護市場に進出した 「日本式介護」の特徴を探る · つまり,日本の介護事業者は日本式介護の展開においてどの部分を 中国に合わせ,どの部分を維持して中国に浸透したかを明確にすることを通して,「日

て,「有料老人ホームサービス第三者評価プログラム」(Ver 6.4)と一般社団法人広島県シルバーサービス振興会の福祉サービス第三者評価(サービス編)に基づき検討した。プログラムのなか,評価スケールに経営関連のもの(事業主体の経営姿勢,ホームの運営方針)を除き,サービス関連のもの(建物・設備,生活サービス,食事サービス,ケアマネジメント,ケアサービス)を参考として,日本における介護サービスの特徴をみる際重要と考えられる項目を,①建物の設計,②環境設備,③サービスの内容,④ケアに対する考え方,⑤認知症ケア,⑥職員の姿勢の 6つにまとめた。事例調査では,この6つの項目に沿って「日本式介護」の内容の提示を試みた。

3.事例分析

3-1.調査対象と調査概要みずほ情報総研(2017)は,現在中国に進出した日本の介護事業者は 39社あると報告しているが,介護サービスを提供している(予定を含む)事業者に絞ると 11社(表2)になる。介護事業は主に在宅(訪問)介護,通所介護(デイサービス),介護施設の3つに分類されるが,本研究の目的は日本式介護サービスの特徴と中国での現地化プロセスにおける問題点を明確にすることであるため,調査の対象は中国において 2年以上介護施設やデイサービスセンターを運営し,介護サービスを提供している事業者に限定した。筆者はメールや電話などの確認調査を通して,2016年 7月現時点で中国において訪問介護サービスや介護施設,デイサービスセンターの運営に携わり,「日本式介護」を提供している介護事業者は 4社であるという結果を得た。株式会社ウイズネット(現:株式会社日中医療福祉支援機構),ロングライフホールディング株式会社,株式会社リエイとメディカル・ケア・サービス株式会社の 4社である。このなかで,ロングライフホールディング株式会社は中国の青島市に富裕層向けの「自立型」介護施設を運営しており,自立している高齢者を対象にしているという特殊性があるため,他の 3社を調査対象にした。調査方法としては,関与型フィールドワークを行い,上記の 3ヵ所の施設を訪問し,現場観察及び現場責任者に 1時間から 1時間半の半構造化インタビュー調査を行った。調査結果の分析では,各事業者が提供している「日本式介護」の【建物設計】,【設備環境】,【サービスの内容】,【ケアに対する考え方】,【認知症ケア】,【職員の姿勢】の 6

つの項目の内容について「現地化プロセスにおける変化」(どこで変化したか)と「変化に対する事業者による工夫」(どのような変化があったか)を結果として整理している。

中国の介護市場に進出した「日本式介護」の特徴を探る 113

Page 8: 中国の介護市場に進出した 「日本式介護」の特徴を探る · つまり,日本の介護事業者は日本式介護の展開においてどの部分を 中国に合わせ,どの部分を維持して中国に浸透したかを明確にすることを通して,「日

倫理的配慮として,調査協力事業者に研究の趣旨と,事業者が特定される情報は言及しないことを説明し,書面で同意をもらったうえインタビューを実施した。インタビューは同意のうえ録音し,その分析の結果は事業者に確認してもらった。研究結果に関しては調査協力事業者に開示し,公表に関しても口頭で同意をもらっている。

3-2.調査結果3-2-(a).公設民営形式でデイサービスセンターの経営-日本介護事業者 A の事例事業者 A は 2010年から大連市現地合弁法人を設立し,2012年に通所介護,有料老人ホーム,ショートステイ,訪問介護を組み合わせた複合施設を設立したが,訪問介護は始めたものの,有料老人ホームなどは本格稼働に至らないまま,2012年 12月に合弁関係が解消された(日経 BP 社 2013 : 61)。今回訪問したデイサービスセンターは2014年 12月に大連市に開設され,大連市では「社区養老施設」の認可を受けている。大連市は日本式介護の導入に積極的であり,区政府がデイサービスセンターを建設し,公設民営形式で日本介護事業者 A に委託した。このように事業者 A が経営する公設民営形式は,日系企業としては初の試みになる。

表 2 中国における日本介護事業者(介護サービス提供)の概要

企業名 概要

1株式会社ウイズネット(現:株式会社日中医療福祉支援機構)

2010年に大連市で合弁法人を設立,2012年に公設民営形式でデイサービスを行う

2 ロングライフホールディング株式会社 2010年に青島市で自立型介護施設を運営開始

3 株式会社リエイ2012年から北京市で小規模多機能施設,2013年に上海での介護施設運営を経て,2017年 6月成都市,12月南通市で介護施設を運営開始

4 株式会社ニチイ学館 2012年から中国で家事代行サービス,清掃サービス,訪問介護サービスなど在宅系サービスを提供

5 メディカル・ケア・サービス株式会社 2014年に南通市で介護施設を運営開始

6 株式会社ゲストハウス 2015年 5月~2016年 4月には介護施設の運営を受託

7 株式会社サンガホールディングス2015年 6月,遼寧省瀋陽市で高齢者コミュニティ「幸福長者」を合併にて設立2016年 10月,上海市で公設民営老人ホームを運営開始

8 エフビー介護サービス株式会社 2016年には中国大連市での介護施設開設に目途

9 株式会社ケアサービス 2016年 8月に上海ケアサービスを設立,訪問入浴サービスを提供

10 有限会社アコード 2017年,広東省に小規模の施設を開設予定

11 株式会社メディヴァ 2017年内に,日本の自立支援型介護を特徴とした通所型サービスを天津にて開始予定

出所:みずほ情報総研(2017 : 3-14)を参考にして筆者作成

中国の介護市場に進出した「日本式介護」の特徴を探る114

Page 9: 中国の介護市場に進出した 「日本式介護」の特徴を探る · つまり,日本の介護事業者は日本式介護の展開においてどの部分を 中国に合わせ,どの部分を維持して中国に浸透したかを明確にすることを通して,「日

施設は 135平方メートルで,12人が座れるデールームと厨房,宿泊用の 1人部屋と 2

人部屋が各 1室,トイレや入浴,シャワー,洗面所などがコンパクトに配置されている。4人の職員が地元のお年寄りを受け入れて,午前 9時から午後 4時まで介護サービスを提供している。責任者は日本留学経験や日本の介護施設で勤務経験がある中国人である。提供サービスは多様であり,訪問サービス(配食サービス(食事介助,口腔ケアを含む),入浴,家事代行サービス,清掃サービス,通院・外出の寄り添い)と通所サービス(入浴,昼食,リハビリ,各種レクプログラム)がある。インタビュー調査の分析の結果,表 3のように,日本の介護サービスの「現地化プロセスにおける変化」および日本の介護事業者による「変化に対する工夫」の内容を 6つの項目に沿って整理した。事業者 A はデイサービスセンターの経営において,建物は中国の地方政府が設置し

表 3 デイサービスセンターの現地化実態

項目 現地化プロセスにおける変化 変化に対する工夫

建物の設計

・建物は政府が設置したもの

・日本的なものとして,リビングに高齢者が休めるように畳ベッドを設置した

設備環境

・日本のように,できるだけ家庭的な雰囲気を作っている・壁に写真を飾ったり,作品を飾ったりしている・キッチンがすぐそこにあるので,リビングに座ったら,職員が料理する姿がみえ,食事の匂いがする

サービスの内容

・大連市の社区養老サービスセンターでは,主に健常者が麻雀やダンスなどを楽しむ機能しかなく,介護サービスの提供はほとんどない

・入浴サービス,食事介助,リハビリ,レクなどを行う・中国的な家事代行サービスや通院・外出の寄り添いサービスもやっている・各種サービスはそれぞれ料金が発生するので,希望するサービスのみを提供

・文化・習慣の違いによる悩み利用者は昼寝の習慣がある人がほとんどだが,全員昼寝をするにはベッドが足りない。昼寝

ができないという理由で利用しなくなる人が何人かいた入浴サービスについて,日本では入浴時間があまり長いと,体によくないため,時間制限を

している。中国でも同様にしたところ,不評だった。また,この年代の利用者は節約思想があるため,入浴が終わったら,その水で洗濯する人もいる

ケアに対する考え方

―――・ケアをするとき,利用者一人一人の特性をみて考える・利用者の認知症予防やリハビリに力を入れている。日本式に各種レクプログラムを導入している

認知症ケア・利用者のなかには多少認知症がある方がいると思われるが,診断書はない

・プログラムには指の体操や数字ゲームというものがあり,認知症に特化したケアよりは予防を大切にしている

職員の姿勢

・配食サービスのため職員の一人は昼頃に抜けてしまう。人が足りないので,まずは人手を確保したい・言われたことのみをやる

・職員を日本で研修させて介護サービスのレベルアップを計っている・プログラムの実施意義などは説明している・日々の仕事でも,職員に利用者への態度,マナーを指導している

中国の介護市場に進出した「日本式介護」の特徴を探る 115

Page 10: 中国の介護市場に進出した 「日本式介護」の特徴を探る · つまり,日本の介護事業者は日本式介護の展開においてどの部分を 中国に合わせ,どの部分を維持して中国に浸透したかを明確にすることを通して,「日

たものであるため,【建物設計】,【設備環境】については当初から自由にデザインすることができなかったが,日本的なものとして,「畳ベッドの設置」,「家庭的な雰囲気作り」を導入している。【サービスの内容】については,入浴サービスや食事介助,リハビリなどの介護サービスの提供による差別化に努力しているほか,中国的な家事代行サービスや通院・外出の寄り添いサービスも提供している。【ケアに対する考え方】では,「利用者の個別性」を重視し,「介護予防支援」に力を入れていることがわかる。現時点で認知症の診断書をもつ利用者はいないが,活動プログラムには体操や数字ゲームなどを取り入れ,認知症予防の【認知症ケア】を実施している。【職員の姿勢】について,日本式介護サービスを展開するため,職員を日本で研修させてレベルアップを計り,実施するケアの意義の説明や日々のマナー指導をしているものの,利用者の増加により職員の人手が不足する問題に直面している。さらに,文化・習慣の違いによる悩みとして,昼寝習慣によるベッド数の確保や入浴時間の制限に対する批判などがある。3-2-(b).「医養結合」型施設の運営-日本介護事業者 B の事例事業者 B は 2014年から中国南通市現地合弁法人を設立し,総合病院・医療サービスと高齢者介護施設を運営している。今回訪問した高齢者介護施設は南通市にある私立病院の敷地内にあり,中国の衛生部と民政部が合同で管轄している「医養結合」(3)(医療と養老)施設であるため,入居者は南通市内の医療保険を利用できる人が大部分を占める。病院内宿泊施設を改修した施設は 3階建てになっており,当初の 106床から 114床に増設している。月額利用料金は平均で 5000元であり,最初は富裕層をターゲットに設定したが,入居率が上がらないため,価格設定を修正し現在の金額になった。現在,事業者 B は南通市以外,北京・上海・広州エリアを中心に介護施設の開設を進めている。上記と同じように,インタビュー調査の分析の結果は表 4のようになる。事業者 B が経営しているこの高齢者介護施設の特徴は「医養結合」型施設であることである。そこで【サービスの内容】について日本と異なるところとして,医療的なサービスが多くなっているため,「ケア内容が医療的視点になりえる,看護師と介護職員の格差およびプライドの争いが出る,介護職員が医療的見解をなかなか理解できない」などのデメリットがあり,事業者を悩ませている。【建物の設計】【設備環境】については,既存のホテルを改造したものであるため,変えられないところがある。責任者は「内装に特にこだわっていない」と回答した。【ケアに対する考え方】では,日本の「自立支援」がなかなか職員に伝わらず,体操やレクをすることに対して抵抗がある。日々の指導では,「気づき」や「エビデンスケア」などを仕事のなかで一つ一つ説明する工夫をしている。中国では認知症に対する認識はまだ低いが,【認知症ケア】として日本と同じように実施している。職員に認知症ケアの研修も行っている。【職員の姿勢】に

中国の介護市場に進出した「日本式介護」の特徴を探る116

Page 11: 中国の介護市場に進出した 「日本式介護」の特徴を探る · つまり,日本の介護事業者は日本式介護の展開においてどの部分を 中国に合わせ,どの部分を維持して中国に浸透したかを明確にすることを通して,「日

ついては,中国の職員は個人行動を好むため,日本で強調される「チームワーク」は中国で遂行できていない。日本式介護の理念を伝えるために,職員研修では日本のケアの「考え方」について多く教えている。文化・習慣の違いによる変化として,中国はシャワーの文化であるため,施設では各部屋にシャワーが設置してある。また,家族の訪問が頻繁であり,そのため施設に対する要求が多くなる。そして,昼寝の習慣もあるが,施設であるため,ベッド数の確保の問題にはならないが,「利用者の昼寝の時間が長くなると,夜間が起きてしまう」可能性があるという悩みを抱えている。3-2-(c).「日本的介護」の浸透を目指して-日本介護事業者 C の事例事業者 C の中国展開の歩みとしては,2011年に中国北京において独資で現地法人を設立し,2012年 10月から 2017年 2月まで小規模多機能型施設を運営していた。小規模多機能施設はショートステイに通所や訪問介護を組み合わせた,日本の小規模多機能型居宅介護に近いイメージの事業所である。ベッド数 10床しかない事業所であるが,

表 4 「医養結合」型施設の現地化実態

項目 現地化プロセスにおける変化 変化に対する工夫

建物の設計 ・既存の病院内宿泊施設の改造なので,変えられないところがある ・内装は特にこだわっていない

設備環境

サービスの内容

・医療養老結合型なので,治療が施設内で行える,医学的視点からの病気への対応が行える,多職種の連携により,精度の高い健康状況アセスメントが行える,家族の方々がすぐに理解できるなどのメリットがある・ケア内容がどうしても医療的視点になる,看護師と介護職員の格差およびプライドの争いが出る,介護職員が医療的見解をなかなか理解できないといったデメリットもある

・文化的な習慣による違い昼寝の習慣,寝てもいいが,夜

起きてしまうシャワーの習慣家族の訪問が多い

・昼寝の時間

・各部屋にシャワーが設置してある・今のところ,家族の要求に一つ一つ対応している

ケアに対する考え方

・体操やレクをすることに対して,なぜ行うのかが理解できず最初は利用者にもスタッフにも抵抗があった。職員は仕事を増やしたくない

・本人が満足できるためのケアは自立支援,本人がやりたくてもできないことをさせるのは自立支援ではないので,職員が考える自立支援は大事・一つ一つのケアの意味はどこにあるのかスタッフに考えてほしい・体操やレクのやる意味を説明し,徐々に行われるようになった

認知症ケア

・中国の認知症に対する認識は10年前の日本のそれと似ている。エビデンスがない。診断書があっても適当な感じがする

・職員に認知症ケアなどの技術的な研修を行う

職員の姿勢・チームワークより個人行動が多い・職員育成の概念がうすい

・定期的に研修を行うが,技術的な研修以外に考え方の研修を重点的に行っている・チェックをしている

中国の介護市場に進出した「日本式介護」の特徴を探る 117

Page 12: 中国の介護市場に進出した 「日本式介護」の特徴を探る · つまり,日本の介護事業者は日本式介護の展開においてどの部分を 中国に合わせ,どの部分を維持して中国に浸透したかを明確にすることを通して,「日

老後になっても住み慣れた地域を離れなくてよいというメリットがあるため,中国人高齢者に受け入れられている。2012年上海において現地合弁法人を設立し,2013年 12

月に介護入居施設を運営しはじめた。2015年に成都で現地合弁法人を設立し,2016年11月にデンタルクリニック,2017年 6月に介護入居施設の運営を始めている。また,2016年 11月に南通市で現地合弁法人を設立し,2017年 12月に介護施設を開設した。現在,中国の他の地域においても介護施設,介護人材育成をテーマとした事業を準備しているところである。今回調査を行ったのは上海にある介護入居施設である。上海の施設の立地は市中心から地下鉄で 1時間離れている嘉定区にある。元リゾートホテルを改修したものであり,2万平方メートルを超える敷地に広がる約 1万平方メートルの広大なガーデンと,客室棟などをコンバージョンした 4棟の建物が配置されている。4棟ある別荘はグループホームとして認知症高齢者をケアしている。入居定員は298名,現在の入居者は 225名であり,現在介護職員は 40名である。入居者のなかには,自立度の高い人,介助が必要な人,介護が必要な人,認知症の高齢者がいて,介護度は人それぞれである。月額利用料は居室の種類によって異なるが,平均で 5000元弱となっている。中国に進出し,事業展開しやすい点として,日本で展開している介護付き有料老人ホームと同じように,入居者は元気な時に入所し,そのまま介護度が重くなっても,認知症になっても対応できているところであると責任者は言う。インタビュー調査の分析の結果,表 5のようになる。事業者 C は介護入居施設の経営において,【建物の設計】について上記の事業者 B

と同じであるが,建物が新築ではないため,形は変えられないところがある。また,パートナーの意見があり,自由にやっていけないところもある。ただし,日本的なよいものを導入してみる試みをしている。例えば,引き戸やスライドのドア,【設備環境】では床材の考慮,壁紙などがある。【設備環境】の面で工夫しているもう一つのことは,日本の「きれいの概念」の浸透である。両国の人は「きれい」に対する認識が異なるため,施設では OJT(On-the-Job Training)や日々のチェックを通して徹底している。【ケアに対する考え方】について,中国では体を動かすことに対する抵抗があり,生活のなかでの自立支援への理解がないため,職員や家族に行っているケアの説明に力を入れている。利用者のなかに認知症の人が多いため,グループホームの形式で【認知症ケア】を行っている。【職員の姿勢】については,多くの職員は無資格の農村出稼ぎ労働者であり,人手不足のため,面接で選別するよりまず働いてもらうことにしている。日本人の介護職員は現地の職員を継続的に指導し,座学などの研修も行っている。今後介護人材の確保のため,2017年 11月に「介護」の職種が追加された技能実習生制度の活用を検討している。【サービスの内容】は日本で行っている内容と特に違いはないが,文化・習慣の違いによる変化としては,昼寝の習慣,シャワーの習慣と相部屋が望ましい

中国の介護市場に進出した「日本式介護」の特徴を探る118

Page 13: 中国の介護市場に進出した 「日本式介護」の特徴を探る · つまり,日本の介護事業者は日本式介護の展開においてどの部分を 中国に合わせ,どの部分を維持して中国に浸透したかを明確にすることを通して,「日

点が挙げられる。それぞれの対応として,横になれるようなソファーの設置,シャワーの設置,2人部屋・3人部屋の設置などがある。

4.考 察

4-1.事例調査を通しての分析事例分析を通して,日本式介護の「現地化プロセスにおける変化」および「変化に対する事業者の工夫」について 3つの事業者はそれぞれの状況は異なるが,共通しているところも多い。

表 5 介護入居施設の現地化実態

項目 現地化プロセスにおける変化 変化に対する工夫

建物の設計

・新築ではないため,形は変えられないところがある・自由にやれないところがある。現地の法律や消防基準がある

・日本的なもので,現地に導入している良いものとして,引き戸,スライドのドア

設備環境

・食事の際,ガラが出るようなものをすぐ床に捨てる習慣がある

・食事をする場所の床材を考える・内装については,転倒防止のため,床材は滑りにくい材料に変えるなど・暖かい雰囲気を作るため日本のように壁紙を貼る

・きれいという概念について中国人と日本人の意識の違い・研修をして,ルールを決めても実行しない部分がある

・リーダーはやって見せる。OJT を通してしか理解させられない・日々のチェックが大事

サービスの内容

・特に違いはない

・文化・習慣による違い昼寝の習慣シャワーの習慣相部屋が望ましい

・ソファーは寝られるようなものにする・シャワーにしている・家族側は,一人部屋より相部屋を望んでいる場合がある。倒れたらナースコールを押せないのではないかという心配と,話し相手がいるということから,誰かがいると安心。交流できる

ケアに対する考え方

・(支援のなかで)体を動かすこと。中国ではそれ程重視されていない・中国では自立支援というと,リハビリを連想してしまう。そうではなくて,生活のなかでの自立支援を理解してほしい

・(自立支援を)行っているケアの説明。家族に説明し続けるしかない・心のケア,利用者の生きがい,役割を発揮する機会を提供することの大切さを説明

認知症ケア

・認知症の人はほとんど家で介護,あるいは精神病院・今は皆(認知症について)勉強しはじめたが,それほど認識がない

・入居者の四分の一は認知症の人。4棟の別荘はグループホームとして認知症高齢者をケアしている

職員の姿勢・平均年齢 55歳,無資格,農村出稼ぎ労働者が多い。応募してきた人なら雇用してみる

・座学と OJT。日本の介護職員が指導している。継続的に指導しないといけない・技能実習生の活用を検討中

中国の介護市場に進出した「日本式介護」の特徴を探る 119

Page 14: 中国の介護市場に進出した 「日本式介護」の特徴を探る · つまり,日本の介護事業者は日本式介護の展開においてどの部分を 中国に合わせ,どの部分を維持して中国に浸透したかを明確にすることを通して,「日

ハード面である【建物の設計】と【環境設備】について,既存の建物の改造が多いため,変えられないところがある。また,現地の法律や消防基準,現地パートナーの意見もあるため,「できればこう(日本的)したいが,あまりこだわらない」というのは事業者の声であった。ただし,衛生面で考えると,「日本的なきれいの概念」を OJT あるいは日々のチェックを通して中国人介護職員に伝達していくことが望ましい。【サービスの内容】に大きな変化はないものの,文化的・習慣的の違いによる変化として下記のものがあげられる。(1)昼寝の習慣がある。この習慣に合わせるために,横になれるようなソファーを設置する事業者がある一方,昼寝が長くなると,夜間に起きてしまう可能性があると心配している事業者もある。(2)風呂の習慣がない。中国人高齢者の習慣に合わせて無理に日本の風呂習慣をつけさせるのではなく,シャワーが使えるように部屋に設置してある。(3)相部屋のほうが望ましい。理由としては話し相手がいることと倒れた際に一人ぼっちであることへの心配があるからである。(4)家族の訪問が多い。親孝行の概念がまだ強い中国では,親への精神的扶養として毎日施設を訪れる家族もいる。家族の訪問が多いと,施設への要求も多くなっている。これは日本の事業者が中国に進出する際に理解する必要がある一つの文化である。【ケアに対する考え方】という項目は,日本の介護事業者が大切にしており,中国に一番浸透させたい部分であり,同時に一番苦労している部分でもある。日本における介護は,寝たきりにしないための「自立支援」,身体拘束がない等の「尊厳を守るケア」,相手のパーソナリティをみて考える「エビデンス支援」などの特徴がある。このような目に見えないものの,相手本位のサービスを提供することは 3つの事業者が展開したい日本式介護の重要な部分になっている。例えば,日本の介護では,なるべく健康で動ける状態を維持しようとする「自立支援」という考えが前提にある。このため,食事やトイレを含め,高齢者が自分でできれば,身体機能維持のために,なるべく自分でやってもらうという考えが根底にある(ダイヤモンド・オンライン編集部 2017)。中国では「高齢者に辛い思いをさせたくない」という考えが根強く(森 2017 : 67),「自立支援」という概念が十分に浸透していない可能性がある。このような認識のズレがあるため,家族の訪問が多い中国でのサービス提供において,実施している予防支援や自立支援を繰り返し家族に説明し続けている。【認知症ケア】について,現在の中国では,認知症の人を受け入れる介護施設はあまりなく,ほとんどの人は家あるいは精神病院で介護を受けている。日本のように,認知症高齢者が自宅や介護施設で介護を受けながらも,普段通りの生活を送るというのは,考えられないことである。社会の認知症に対する認識がまだ低いため,介護職員は認知症ケアのノウハウをもっていないのが現状である。調査した 2ヵ所の施設は日本で提供している認知症ケアと同じようにケアを実施している。今後,中国における認知症高齢

中国の介護市場に進出した「日本式介護」の特徴を探る120

Page 15: 中国の介護市場に進出した 「日本式介護」の特徴を探る · つまり,日本の介護事業者は日本式介護の展開においてどの部分を 中国に合わせ,どの部分を維持して中国に浸透したかを明確にすることを通して,「日

者の増加により認知症対策の課題が出てくることが予想される。そのため,認知症ケアは日本式介護の強みになることが考えられる。2ヵ所の施設では,指導者として日本人職員を派遣しているが,現場の職員はほとんど現地採用の中国人である。ケアに対する考え方の項目で説明したように,介護事業者は浸透させたい日本の介護の部分があり,そしてこれらのサービスは中国人介護職員を通して提供していくことになっている。そのため,日本の介護の理念やケアに対する考え方を中国人職員に伝えないとならない。しかし,日本と同じように,中国でも介護業界は,若い人に人気がなく,人手不足が深刻であるため,職員を選択する余裕があまりなく,採用している職員は 50代の農村出稼ぎ女性労働者が多い。また,介護職は職としての社会的地位が中国ではまだ確立されていないため,被雇用者である介護職員は「お金のために」働く,管理者の顔色を見ながら仕事を行うという現実があり,介護の理念や思いなどは二の次になってしまっている状態である。現在,目の前の仕事を熟せるためには,「育成」よりは日々「チェック」をしている状態になっている。さらに,日本の介護現場ではチームワークを強調されるが,中国人職員は利用者の情報共有やチームで働くことは非常に苦手であることがと調査からわかった。中国において日本の介護サービスを展開する際,サービスが適切に提供されるかどうかについては介護職員に関わっていると言っても過言ではない。中国人介護職員の雇用に対する価値観や介護に対する認識は日本人と異なるため,介護職員の育成は日本の介護事業者を悩ませている大きな課題である。

4-2.「日本式介護」の特徴以上の分析結果から,日本の介護事業者が中国に導入した「日本式介護」の特徴をまとめると,中国の環境・制度,文化・習慣に影響を受けて,ハード面である施設の【建物設計】や【設備環境】,【サービスの内容】は現地の状況に合わせて調整している。一方で,日本の介護事業者はソフト面の【ケアに対する考え方】である,自立支援,尊厳のある支援,エビデンス支援などの相手本位の介護理念や考え方を日本の介護の真髄と考え,中国での事業展開においては維持しようとしている。また,認知症高齢者がいるものの,それに対する認識がまだ低い中国で日本の事業者は【認知症ケア】を実施している。認知症高齢者が増加すると予測される中国では認知症ケアの提供は日本式介護の強みになると考えられる。しかし,日本の強みであるケアに対する考え方の浸透と認知症ケアの実施には【職員の姿勢】が問われる。現在,中国における「日本式介護」の実施は現地採用の中国人介護職員を通して提供していくことになっている。上記で挙げた中国での介護人材不足,介護職の社会地位の低さ,異なる中国人の雇用価値観などの問題により,日本式介護の

中国の介護市場に進出した「日本式介護」の特徴を探る 121

Page 16: 中国の介護市場に進出した 「日本式介護」の特徴を探る · つまり,日本の介護事業者は日本式介護の展開においてどの部分を 中国に合わせ,どの部分を維持して中国に浸透したかを明確にすることを通して,「日

浸透はうまく進んでいない状況にある。日本式介護の「優位性」を伝えていくためには,サービスの質というソフト面での差別化は重要であり,そこで肝心の職員育成が問われてくる。今後,日本で展開している介護に特化した教育訓練プログラムの活用が期待される。

5.おわりに

本研究では,中国の介護市場に進出した日本の介護サービスそのものに焦点を当て,日本式介護の現地化プロセスにおける変化とその変化に対する工夫の実態を明らかにし,日本式介護の特徴をまとめた。日本における介護サービスの特徴をみる際重要と考えられる 6つの項目は中国の介護市場において,【建物の設計】,【環境設備】と【サービスの内容】については,日本的なものを導入しようとするところがあるものの,中国に合わせている部分になっている。【ケアに対する考え方】と【認知症ケア】は日本の強みであり,日本特有なものとしてそのまま維持したい部分である。しかし,【職員の姿勢】が整えられていないため,維持したい日本の強みはなかなか浸透させられず,事業者を悩ませている課題である。日本式介護の特徴として,自立支援,尊厳のある支援,エビデンス支援などの目に見えない相手本位の介護理念や考え方が挙げられる。しかしこれはあくまで本調査による日本人現場責任者(経営層)が考えている自分たちのサービスの特徴であり,一つの仮説であると言ってもよい。サービス提供する側の中国人スタッフのほうはこのような「自立支援」をどう考えているか,実際,どのように実施しているか,また,中国国内の介護サービスと比較してこのような考え方は本当に日本式介護の特徴になるかなど,別の視点からの検証が必要であり,他の方法を通して確認することが必要であると考えられる。

付記本研究は,科学研究費助成事業若手研究(B)(課題番号 16 K 17283)による研究の成果の一部である。

注⑴ みずほ情報総研株式会社は新聞・雑誌,WEB 検索等により把握した情報のうち,報告書における公表について事業者の許可が得られたもののみの数である。

⑵ Google, Yahoo の 2つの検索エンジンを用いて上記のキーワードで検索してみると,中国の介護市場に関するデジタル版のニュースも多くあったが,本研究では分析対象にしていない。

⑶ 2017年 2月に国務院が公表した「『第 13次 5ヵ年計画』国家高齢者事業発展及び養老体系の構築計画」の第五章第一節「医療と介護の結合の推進」において,医療と介護の結合について以下のように説明している。「…医療衛生機関と養老施設の協力メカニズムを確立・整備する。養老施設内に医療機関を設置,協力医院との間に双方向の転院専用ルートを設け,高齢者に治療期間中の入院,リハビリ

中国の介護市場に進出した「日本式介護」の特徴を探る122

Page 17: 中国の介護市場に進出した 「日本式介護」の特徴を探る · つまり,日本の介護事業者は日本式介護の展開においてどの部分を 中国に合わせ,どの部分を維持して中国に浸透したかを明確にすることを通して,「日

テーション期間中の介護,安定期の生活ケアおよびターミナルケアが一体化したサービスを提供する。…養老施設による医療サービスの展開を支援する。養老施設が規則に基づいてリハビリテーション病院,介護院,ターミナルケア期間,医務室および介護ステーション等を開設することを支援する」。

参考文献中国国務院(2017)「『第 13次 5ヵ年計画』国家高齢者事業発展及び養老体系の構築計画」

https : //www.jica.go.jp/china/office/others/pr/ku57pq0000226d5k-tt/seisaku_13_01_ja.pdf, 2017年 10月 8日アクセス

ダイヤモンド・オンライン編集部(2017)「中国で日本の介護会社が苦戦,『日式』の強みを生かせない理由」http : //diamond.jp/articles/-/137493?page=4, 2017年 10月 9日アクセス

広島県シルバーサービス振興会(2008)「福祉サービス第三者評価」https : //www.hiroshima-silver.or.jp/service/third-party.html, 2016年 6月アクセス

郭芳(2016)「中国の介護市場への日本介護事業者の進出に関する研究課題-進出に伴う問題の克服を中心として-」『評論・社会科学』第 116号,pp 1-14.

みずほ情報総研株式会社(2014)「介護サービス事業者の海外進出に関する調査研究事業」平成 25年度老人保健健康増進等事業報告書

みずほ情報総研株式会社(2017)「介護サービス等の国際展開に関する調査研究事業」平成 28年度老人保健事業推進費等補助金老人保健健康増進等事業報告書

森詩織「日本式介護を中国でも」『ジェトロセンサー』67(800),pp 66-67.内閣官房健康・医療戦略室(2016)「構造改革徹底推進会合説明資料」未来投資会議構造改革徹底推進会合「医療・介護-生活者の暮らしを豊かに」会合資料 4http : //www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/miraitoshikaigi/suishinkaigo_iryokaigo_dai1/siryou4.pdf, 2017年9月 28日アクセス

日経 BP 社(2013)「特集介護事業 中国進出の夢と現実(動向編とケース編)」『日経ヘルスケア:医療・介護の経営情報』285, pp 50-64.

劉新穎(2014)「中国高齢者介護市場における日本企業のポジショニング」『商大ビジネスレビュー』3(2),pp 175-191.

全国有料老人ホーム協会(2015)「有料老人ホームサービス第三者評価プログラム」(Ver 6.4)」http : //www.yurokyo.or.jp/additional_information/pdf/bid_20150811_01.pdf, 2016年 6月アクセス

中国の介護市場に進出した「日本式介護」の特徴を探る 123

Page 18: 中国の介護市場に進出した 「日本式介護」の特徴を探る · つまり,日本の介護事業者は日本式介護の展開においてどの部分を 中国に合わせ,どの部分を維持して中国に浸透したかを明確にすることを通して,「日

Because of the Chinese government’s encouragement, Japan’s care providers are carrying“Japanese-style nursing care” to China’s market. But Japan’s care providers are facing manyproblems. One of the problems is that it is difficult to express the “superiority” of Japanese-stylenursing care. In order to overcome this problem, this research summarized the characteristics of“Japanese-style nursing care” through clarifying the changes in the localization process and theactual situation of the care provider to respond to these changes. Japanese nursing care providersconsider people-centered care philosophy and way of thinking such as support for independence,support with dignity, support based evidence as the essence of Japanese nursing care and areplanning to maintain it in business development in China. However, because the staff attitudesare not prepared in China, the strengths of Japanese nursing care can’t be widely penetrated, andit is an issue that is bothering the care providers.

Key words : China, Nursing market, Japanese-style nursing care, Independence support, Nursingstaff training

Exploring the Characteristics of “Japanese-style nursing care”Entering in China’s Nursing Market-Analysis through Case Studies

Hou Kaku

中国の介護市場に進出した「日本式介護」の特徴を探る124