豊かな稲作文化の残る日本は、文化/文明の安住の地 ·...
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ディレクトフォース_農業体験ツアー_08/10/21
豊かな稲作文化の残る日本は、文化/文明の安住の地
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稲作のルーツは1万2000年前まで遡る
中国・江西省/湖南省で1万年以上前に遡る稲籾が続々と発見され、
古いものは1万2,000年前と推定されている。
但し、これらはいずれも陸稲栽培と考えられている。
6,500年前の水田耕作遺物が発見され、
水稲栽培は揚子江(長江)の中・下流に起源する説が有力となった。
しかし、水田遺構は発見されていない。
従来は、稲作の起源は植物層の
豊富な雲南省ではないかと推測
されてきたが、最近の考古学的
な調査では、雲南省の稲作遺跡
は4,400年前以上には遡れない
ことが判明している。
なお、最古の水田遺構は最近、
約6000年前の揚子江下流の左
岸、江蘇省呉県の草鞋山遺跡で
見つかっている。
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4つのルートで日本へ伝来
①揚子江下流域の原産米が中国・山東半島を経て、朝鮮半島南部から九州北部へ。
②中国・遼東半島から朝鮮半島を南下して、九州南部へ。
③揚子江下流域から直接、九州北部(対馬暖流ルート)。
④中国・江南地域から南西諸島を経て、南九州へ(黒潮ルート)
高支持率
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今の赤飯は小豆で米に色をつけますが、そのルーツは、赤い色の古代米です。大陸から最初に日本に伝えられた
「赤米」という古代米。貴重な食材だったため、神事などの
時だけに食べられました。そこには古代のパワーを呼び込むという意味もあったようです。
赤飯のルーツは古代米
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6000年かけて育てられてきた日本の稲作技術
■縄文時代中期以前に遡る
朝寝鼻貝塚の6000年前の地層からも稲籾が発見されている。
■最古の水田跡は縄文晩期の2,500年前
弥生時代前期初頭の水田遺構が福岡平野の板付遺跡や最多目遺跡などで発見され、弥生時代の始まりが少なくとも紀元前10世紀まで遡る可能性が出てきている。
最古の水田跡である弥生時代初めの岡山県津島江道遺跡は小区画水田であるが、同じ頃の福岡市最多目遺跡は大区画水田である。ともに水口も付いており、水田システムはこの時、すでに確立していたと推認される。
生産量は、江戸時代までは天候に左右されて、不安定。東北地方は冷害による甚大な被害を受けた。江戸時代以降は北海道渡島半島でも栽培され始め、明治以降は石狩平野でも。寒冷地での稲作が品種改良をはじめ、栽培法など多くの技術革新を促進した。
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あの大事件も、背景にあったのは東北地方の大飢饉
1933-1935年にかけて発生した飢饉は、日本史上最後の飢饉といわれている。
この大飢饉の影響で、東北では身売りや欠食児童が続出、二・二六事件を起こす要因の一つともなり、東北地方出身の兵士が多く参加した。
安定した米づくりができるようになったのは、歴史的にはまだ浅い
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なぜ米づくりが日本人の主食に、また生産の主役になったのか
■縄文時代における農耕への経験と知見の蓄積
①約1万年前から始まっていた農耕の経験と知見の蓄積が伝来の米づくりを一気に受容、吸収させた。
②伝播、定着も早く、一気に普及した。
■天恵の気候、風土が温暖、湿潤で、米づくりに適していた
■稲の特性が他の穀物に比べて抜群に優れていた
①「1粒万倍、億倍」で、生産性が極めて高い。一粒の種籾から2,000粒も実る2年で400万粒3年で80億粒4年で16兆粒となるハイペース
②栄養価が高く、栄養バランスにも優れた完結食である。③癖がなく、味にも優れ、飽きが来ない。④長期の保存性にも優れ、腐らない。
■何よりも「余剰」を生み出す食糧であること。この点が他の食糧と決定的な違い。
文献によると、日本列島の人口は紀元前3,000~2,000年頃の縄文中期まではせいぜい25万人規模で
あったが、それ以降は気候変動のため、減少の一途を辿り、稲作が伝来する直前の縄文晩期には、およそ16万人まで減っていて、絶滅寸前であった。稲作文化の伝来と浸透で、人口が増え始め、弥生時代初期には一気に50万人とも100万人とも言われ、
急増した。
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2000年をかけ、国を挙げて水田づくりを完成
①水稲文化が、緑と土と水を養う。
山海の狭間を水田へ、穀倉地帯へ ⇒ 保水力のない土地柄に水を引く知恵
里山、棚田の開発で、保水力を保全 ⇒ 多目的なダムの役割と生態系の保全
水稲栽培による緑と土と水の融合 ⇒ 畔を築き、水を張り、引く(水を作る)
②弥生時代、とりわけ2世紀以来の列島改造論
古墳と溜池で築いた水耕土木技術 ⇒ 今に残る溜池約20万池/古墳約20万基
第2の列島改造ブーム ⇒ 室町から江戸へ、河川の治水/新田開発
海でも、陸でもない低湿地の穀倉地帯造成 ⇒ 農業用水路の総延長は、幹線だけで約20万㎞
③自然の恵みへの感謝と畏敬の念
八百万の神として崇う自然観/環境観の醸成 ⇒ 自然崇拝/多神教/神道/循環型
自然/環境中心の循環型社会の構築 ⇒ 神と自然と人間の相互依存関係とその循環
水稲文化の浸透と価値観/倫理観の形成 ⇒ 新嘗祭/隣り百姓と米づくりカレンダー
/生活様式の変化/一所懸命な生き方
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弥生時代米が食べられ始めたこの時代、玄米のまま火であぶったり、土器を使って蒸したりして食べていました。
大和時代食べ方は弥生時代と同じように玄米のまま食べられていましたが、米は貴族や豪族に納めなくてはならず、一般庶民は米以外の穀物を中心に食べていました。
奈良時代米は貴族の主食となり、農民は収穫した稲の約3%を税として納めていました。一般庶民の主食は、まだ雑穀でした。食べ方は、玄米を甑(こしき)で蒸した強飯、水を加えて炊く粥、ごはんを干した「ほしい」などが主流でした。
平安時代貴族の間では徐々に精米が行われるようになり、白米に近いものになっていきました。庶民はまだ玄米のまま。貴族たちは次第に固粥もしくは姫飯(ひめいい)と呼ばれる食べ方を好むようになってきます。これは粥よりも水分を少なめにした固めの粥のことで、今私たちが食べているのがこの姫飯にあたります。
鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代
武士は玄米を強飯にして食べ、一部の貴族は姫飯(白米)、庶民は玄米や麦、貧民や農民は雑穀を食べていました。末期になると武士の間でも白米が普及するようになります。室町以降は、武士の間でも姫飯が広まっていきました。
江戸時代武士の食事は黒米という玄米の一種が常用されていました。農民は雑穀に草木を混ぜた雑炊を食べていました。江戸中期になると、武士の間で白米が食べられるようになり、農民も徐々に米を食べるようになりました。享保の改革によって大量生産が可能になると、多くの人が白米を食べられるようになりました。
明治時代外国からの技術を取り入れ農業改革が進み、米の生産量は著しくアップ。国民の生活レベルがあがったことにより、米の消費量も飛躍的に伸びました。代用食として麦を使う以外は、日本人の主食は白米になりました。
弥生から明治まで、日本人の米の食べ方はこう変化した
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玄 米
白 米
●食物繊維白米の6倍の食物繊維が含まれています。便秘の解消に効果があります。また食物繊維は、腸からの吸収をゆっくりにするので、過剰なコレステロール、脂肪、糖分などの吸収を抑え、さらに体外への排出を促進します。
●ビタミンB1白米の5倍です。疲労回復に効果があります。また、糖質を効率的にエネルギーに変えるのでダイエットには必須です。
●ビタミンE白米の2倍のビタミンEが含まれています。血管や肌の老化を抑制し、血液の流れをさらさらにするそうです。女性にはうれしい成分です。
●カリウム白米の2倍です。ナトリウムを排出する働きがあります。血圧を下げ、利尿作用もあるのでむくみ防止にも効果的です。
●ギャバ(GABA)最近よく聞く成分ですが、白米のなんと20倍も含まれています。脳の血流を活発にし脳細胞の代謝機能を促進します。また血圧を降下させ、精神症状やイライラを抑えます。さらに腎臓・肝臓機能や肥満防止などにも効果があります。
玄米の優れた栄養成分を白米と比較
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玄米と白米、具体的な栄養成分の比較
玄米の成分を100とした場合
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農地1ヘクタールで何人を養えるか
オーストラリア 0.1人
アメリカ 0.8人
イギリス 2.6人
フランス 2.9人
ドイツ 4.5人
日本 10.5人
飢餓に苦しむ人が世界に8億5千万人その解決は環境問題と並ぶ人類的な課題です
日本の農業には競争力がない?いいえ、素晴らしい能力があります
それは農業生産力の高さです
日本は、水田という最も高い生産力をもつ農業が中心だからです
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・北海道きらら397 3773円 3648円 3595円・宮城ササニシキ 4523円 4407円 4432円・秋田あきたこまち 4595円 4414円 4226円・新潟コシヒカリ 5458円 5332円 5204円
(価格はすべて左から2004年/2005年/2006年産平均、精米10キロあたり)
1965年
2007年
112kg59kg
40年で48%減
お米の値段は下がっているのに
つまり、1カ月に5kgですね
日本人1人当たりが
年間に消費する米の量は
5 9 k g
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水稲は連作可能な作物ですから、 集約的な耕作によっても水田の地力減退を起こさず、潅漑水などとして流入する水の水質浄化機能なども持っています。
農業と環境との関連において、 水稲作はマイナスの側面が最も少ないものです。そのために、 水田を水稲栽培のみならず、各種畑作物の生産にも利用することが期待されています。
農業には、その生産活動を通じて、国土の保全、水資源の涵養、自然環境や美しい景観の形成、伝統文化や食文化の継承など、国民の暮らしや環境をまもるうえで欠かせない役割があります。
水田の持つ主な環境保全・浄化能力
土壌保全
土壌浸食・流亡防止
貯水・地下水培養
棚田など水田地帯特有の景観保全
多様な生物の生息環境
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2005年・農林業センサスから(2000年度と比べて)
■総農家戸数 284万戸 (9%減)・販売農家(50万円以上農産物を販売) 195万戸(16.4%減)・自給的農家(自分の家庭用にだけ栽培) 88万戸(13%増)
総農家戸数が減少し、自給的農家が増加 → 販売農家から自給的農家に移った農家が多い
■農業就業人口 334万人 (2000年の389万人から55万人、14.2%減少)・65歳以上の高齢者は194万人で58%の割合
■農地面積は470万ヘクタール・不耕作地が拡大1985年 13万ヘクタール1995年 24万ヘクタール2000年 34万ヘクタール2005年 38万ヘクタール
八代将軍吉宗の時、享保八年(1723)日本全国の人口が調査された。これによると総人口は約3500万人。その内、農民は3000万人、武士・僧侶その他農業に従事しないものは500万人。約85%が農民だった。
ちなみに
この他にも、農地が用途地域の変更という事で
「工業用地」や「住宅用地」として売却されることも多く、
戦後だけでも、失われた農地面積は200万ヘクタール
という膨大な面積になると指摘されています。
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農家の抱える諸問題
・農業人口の減少・農業による収入の減少
・高齢化
日本人の食生活の洋風化
農薬や化学肥料に頼る慣行農業から脱却できない
海外から安い農産物を輸入
食料自給率の低下
中国野菜に代表される安全性への不安
有機農家が育たない
■日本の農地面積 500万ヘクタール(476万)(日本の国土面積:3780万ヘクタール → 13%)
■農地面積の内訳田んぼ:280万ヘクタール畑 :220万ヘクタール
■日本人の年間コメ消費量:1000万トン1ヘクタール当たりコメ生産量:5トン5×280=1400万トン → 400万トンが余る
■1970年以降コメが過剰となる → 生産調整
消費者は、まだまだ安全性よりも価格で食品を選ぶ
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豊かな稲作文化の残る日本は、文化/文明の安住の地
①緑と土と水は、三位一体
緑は、土を作る。土は、水を作る。水は、緑を作る。
②緑と土と水は、循環する。
緑がなければ、土も水もない。土がなければ、水も緑もない。水がなければ、緑も土もない。
③文化/文明の成立要因
・緑と土と水に恵まれていること・豊かな緑/森林に恵まれていること。・肥沃な土/土壌の流失の恐れがないこと。・豊かな水/河川の利水が容易であること。・土壌の生産力/余剰生産物を長期に亘り、
安定して確保できること。・地域社会の中で、非農業の生産人口が増大していくこと。
④文化/文明の滅亡要因
緑を失い、土地を失い、水を失った時。天変地異/隕石/旱魃/洪水/地震外圧の襲来/征服/民族浄化/殲滅