左から河口湖、西湖、精進湖、本栖湖5 古代、麓に広がっていた巨大...

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日本一高く、日本一美しい山は、いかにして誕生したのでしょう。 富士山は、鼓動する地球の活動が生み出した 大自然のあるがままの姿です。 数十万年前の激しいマグマ活動で、 地上に姿を表わした小さな火山はその上に、 何度もの噴火を繰り返し 荒ぶる火の山として、また麓の地を豊かに潤す水の山として より高く、より優美に、今の類い稀な姿と とりまく雄大な自然の景観をつくりあげてきました。 そんな創世期の富士山を感じることのできる 西麓エリアの構成資産を中心に、まずは巡ってみます。 3 誕 生 荒ぶる山と美の源泉/こせのうみ《富士五湖西部》エリア 2 左から河口湖、西湖、精進湖、本栖湖

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日本一高く、日本一美しい山は、いかにして誕生したのでしょう。富士山は、鼓動する地球の活動が生み出した大自然のあるがままの姿です。数十万年前の激しいマグマ活動で、地上に姿を表わした小さな火山はその上に、何度もの噴火を繰り返し荒ぶる火の山として、また麓の地を豊かに潤す水の山としてより高く、より優美に、今の類い稀な姿ととりまく雄大な自然の景観をつくりあげてきました。そんな創世期の富士山を感じることのできる西麓エリアの構成資産を中心に、まずは巡ってみます。

誕 生

荒ぶる山と美の源泉/こせのうみ《富士五湖西部》エリア

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左から河口湖、西湖、精進湖、本栖湖

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誕 生

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 富士五湖のなかでも、青木ヶ原樹海に接する西湖の周辺は、富士山の噴火活動が湖と森を誕生させたころの太古の風景が今も息づいている。 西暦864年の貞観の噴火より以前、富士山北西麓には、「 の海(セノウミ)」という一つの大きな火山性湖が広がっていた。さらに5,000年以上前にはもっと巨大な「古 の海(コセノウミ)」が広がっていたとみられている。 まず、古 の海から本栖湖が分かれ、さらに1,200年前の大噴火による大量の溶岩流が「 の海」を二つに分断。西湖と精進湖を誕生させた。そして、埋めつくされた広大な溶岩流の上に、約1,200年かけて育った原生の森が青木ヶ原樹海。以来、噴火による地形の変化はほぼ無く、湖と森は十世紀の時の流れをそのままたたえている。 西湖の北西岸に「根場浜」という景勝地がある。浜辺に立つと、正面に望む富士山から樹海の森をつたい湖水があふれ流れてきているように見える。足もとに打ち寄せるさざ波は驚くほど清らかだ。鏡のような湖面に、“逆さ富士”を映すこともある。また西湖は、その透明な湖底で、ヒメマスやフジマリモなど、希少な生命を育み守ってもいる。その象徴が2010年、70年ぶりに発見された「クニマス」。一度は絶滅したとされていた田沢湖の固有種が、西湖の湖底でひっそりと生き続けてきた。 一方、湖畔から樹海の森に一歩足を踏み入れれば、そこは、火山たる富士山を内側からのぞいた世界。むきだ

しの溶岩に生き物のようにからみつく樹々の根、神秘的な森を覆う苔の絨毯。芽吹きの季節や紅葉のころ富士山の原生の森は美しさを極める。 西湖周辺に点在する「竜宮洞穴」「西湖コウモリ穴」「西湖野鳥の森公園」「富岳風穴•鳴沢氷穴」等、観光名所を結ぶ散策路を利用すれば、そんな樹海の森を手軽に探検できてしまう。 後に富士山信仰が繁栄する時代、西湖には「青木龍神」の別名が冠されていた。その誕生時からずっと、西湖と樹海の森は切っても切れない関係にある。

富士山の大噴火が生み出した太古の湖と原生の森

さい   こ

空からの西湖の眺め

西 湖構成資産

荒ぶる山と美の源泉/こせのうみ《富士五湖西部》エリア誕 生

遥 拝

富士講

巡 拝

登 拝

荒ぶる山と美の源泉

信仰のめばえ

信仰の大衆化

水の霊場巡り

山頂へ至る道

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誕 生 荒ぶる山と美の源泉/こせのうみ《富士五湖西部》エリア

東海自然歩道 紅葉台から富士山

竜宮洞穴(溶岩洞穴群)

青木ヶ原樹海

東海自然歩道

 富士山の噴火により誕生した溶岩洞穴群のうち約半数が青木ヶ原樹海にある。夏でも氷柱が消えない洞穴など、外からは見えない富士山の神秘が息づく場所であり、富士山噴火の凄まじいパワーが って見えてもくる。 その一つ「竜宮洞穴」は湖につながり深い洞穴で、苔むした洞穴入口には小さな祠があり、水神の「豊玉姫命」が祀られている。れっきとした神社庁登録の「 海(セノウミ)神社」である。古代の湖の名が付けられてることからも歴史の古さが偲ばれ、言い伝えでは、洞穴には竜神が棲み、近隣で干ばつになると雨乞いがされたという。また 富士講の時代には巡礼の霊場でもあった。国指定天然記念物。

 西暦864年の貞観大噴火で流れ出た膨大な溶岩流(青木ヶ原溶岩流)は、北西麓にあった広大な湖「 の海」に達し、大半を埋没させた。この時にできた約30平方kmにおよぶ溶岩地帯の上に形成された原始林が青木ヶ原樹海。ツガ、ヒノキなど針葉樹にミズナラなど広葉樹が混ざる混合林で、溶岩の 間のわずかな土壌や苔むした倒木の上に樹々が必死で根をはる姿など、若い火山の富士山ならでは、貴重な森の様相を観察できる。

 世界に誇れる富士山の森を安全に楽しめるのが東海自然歩道。東京・高尾山と大阪・箕面を結ぶ、全長1,700kmに及ぶ自然歩道のうち、青木ヶ原樹海を横断するコースでは、ガイドツアーも充実。溶岩洞穴群や野鳥観察、森林浴などを満喫しながら、富士山の噴火がいかに絶大であったか想像してみたい。

 富士山は大きく分けて4つの異なる火山が重なってできていると考えられている。年代順にまず「先小御岳火山」が、現在の富士山の北側に誕生。そこに「小御岳火山」が重なり、さらに約10万年前頃から「古富士火山」が活動をはじめ、山頂からの爆発的な噴火を繰り返しながら小御岳を覆う一方、大規模な山体崩壊が起きるなど、2万年前頃までは成長と崩壊が繰り返された。 約1万年前頃活動を開始した「新富士火山」は、まず粘度の少ない玄武岩質の溶岩流を大量に流出させて広いすそ野を形成。その後の度重なる噴火で優美な円錐形の成層火山体が完成させたとみられている。有史以降は小中規模の噴火が中心だが、延暦•貞観•宝永の時代それぞれ大規模な噴火があった。 このように富士山が独立峰として類い稀に高く美しい姿になれたのは、三つのプレートが重なりあう地球上でも珍しい地点にあることや、4階建て構造の火山であること、流れやすい玄武岩の溶岩でできているためなど、様々な要素が奇跡的に重なりあったためである。

富士山の誕生コラムコラムコラム111

富士山火口

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 古代、麓に広がっていた巨大な“うみ”から、後に分かれて誕生した精進湖は、周囲およそ5kmと五湖のうちで一番小さい。そして最もプランクトンが豊富で、そのぶん透明度は浅く湖水は緑色をしている。湖に流れこんだ溶岩流の様子を観察できる景観も独特の魅力になっている。 西湖•精進湖•本栖湖が、元は「古 の海(コセノウミ)」という一つの大きな湖だったことの裏付けとして、3つの湖は現在も常に水位が連動しているという。さらに、台風や大雨で精進湖の水位がある程度以上に上昇すると、近くの湿地帯に、富士五湖につぐ第六の湖が出現する。幻の湖といわれる「赤池」である。これらの現象は、湖同士が地下でつながっていることを推測させるものと注目されている。池の出没時、水に沈む湿原の幻想的な眺めは、富士山誕生のロマンもたたえている。 富士五湖が、富士山の噴火活動で誕生した火山性のせき止め湖という、似通った生い立ちでありながら、それぞれ異なる個性に富むことも、富士山という大自然のスケールを物語っている。 最も小さい精進湖が、五湖のなかで最も早くその名を国外に広めた富士山の湖といえるかもしれない。明治時代、イギリス人のハリー・スチュワート・ホイットウォーズは一年がかりで富士山麓を巡り、特に精進湖からの富士山の眺めを“東洋のスイス”と称え、“ジャパン・ショージ”の名で世界に紹介した。 また湖の北西岸の景勝地「他手合浜」からは、「子抱き富士」と親しまれる富士山が望める。手前にある大室山を富士山が抱っこしている。大室山は富士山にたくさんある側火山の一つ。噴火を繰り返してきた富士山を象徴する風景として眺めみても感慨深いものがある。 精進湖の名の由来は、富士山に登る前に湖で沐浴し精進潔斎がされたためという説や、富士山の「背地(せのち)」にあたるため、など諸説がある。

ジャパン•ショージと世界が讃えた霊峰富士に抱かれる水景色

精進湖構成資産

居村集落と

中道往還

 かつての巡礼路でもあった旧中道往還。北岸には、かつて宿場町として賑わった「精進集落」がある。しかし、昭和40年代に集落の多くが、自然災害対策のため青木ヶ原樹海の中の開拓地に移住。時を止めたかのような往時の面影を今に伝えている。

三方分山•パノラマ台

 精進集落のある旧中道往還から峠道に入り、御坂山塊の「三方分山」と「パノラマ台」を目指すことができる。昔の石仏群が残るつづら折りの「女坂峠」を登っていくと、やがて視界が開け、“ジャパン・ショージ”と賞賛された絶景を眼下に一望できる。

三方分山からの精進湖の眺め

しょう  じ  こ

誕 生

遥 拝

富士講

巡 拝

登 拝

荒ぶる山と美の源泉

信仰のめばえ

信仰の大衆化

水の霊場巡り

山頂へ至る道

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誕 生

竜ヶ岳と

ダイヤモンド富士

 本栖湖の南岸に接する標高1,485mの「竜ヶ岳」は、“千円札の富士山”の中にも登場している。本栖湖畔から登れる富士山眺望の山としても人気が高い。特に冬期には朝陽の「ダイヤモンド富士」を鑑賞できる。「ダイヤモンド富士」とは、太陽がちょうど富士山の頂きに重なってダイヤモンドのように輝く現象。夕陽の「ダイヤモンド富士」鑑賞スポットとして山中湖畔が有名だが、竜ヶ岳では鑑賞期間が12月下旬から1月上旬にあたるため、初日の出に、富士山と太陽が織りなす神々しい風景を拝めるので人気がある。 竜ヶ岳の名前の由来として、本栖湖の湖底に棲む竜の伝説が幾つかある。その一つに、竜ヶ岳は昔は「小富士」と呼ばれていたが、富士山の大爆発を予知した竜が、小富士の山頂に駆け昇って村人に告げて救ったことから、以来、竜ヶ岳と呼ばれ信仰されるようになったという。古来から日本人は富士山麓の湖に竜神の存在を見いだしていたのである。

 波の穏やかな湖面に富士山の姿がくっきりと映し出される“逆さ富士”は、古くから日本人に愛でられてきた。富士五湖すべてで見られる絶景で、江戸時代の浮世絵師•葛飾北斎の冨嶽三十六景など、絵画や文学作品にも描かれている。 なかでも、五湖のなかで最も深く、瑠璃色の湖水と称される本栖湖の逆さ富士は、主に春の凪ぎの日など、年に数回ほどしか見られない。また“千円札と旧五千円札の富士山”に採用されていることでも有名。デザインの元になったのが、大正から昭和に活躍し、富士山をこよ

なく愛した写真家として知られる故岡田紅陽氏の作品「湖畔の春」である。 有史以前の古代にはどうであったろうか。富士五湖の周辺では、古くは縄文時代から、古墳時代、奈良•平安時代の遺跡が数多く見つかっている。それは荒ぶる火の山を畏れながらも共生し、麓に豊かにもたらされる水を求めて人々が住み着いていた証である。 古代の巨大な湖「古 の海(コセノウミ)」から最初に分かれて誕生した本栖湖。その湖底から水中遺跡が見つかっている。富士山の噴火の影響で集落が水没したものと考えられ、主に古墳時代初頭の壺や高杯、縄文時代のものとみられる土器や石器も見つかっている。 いくたび湖や村が埋没しても、繰り返し富士山の麓で生きることを求めてきた古代の日本人も逆さ富士を愛でていたのかもしれない。 本栖湖北西岸の登山道を登ると「湖畔の春」の撮影ポイントとみられる中之倉峠がある。本栖湖の広がり、手前の竜ヶ岳、そびえる富士山の高さと稜線の美しさ、逆さ富士を映す湖の深みが、絶妙な調和をもって望める。岡田紅陽氏が人生をかけて見いだした至極の富士山を、今わたしたちも、ほぼ同じ構図で目にできるが、遥かな時間の中で刻々と姿を変えてきた富士山と湖からすれば、今この時代だけに見ることのできる絶景といえる。

湖底の水中遺跡が物語る霊峰富士と日本人とのつながり本栖湖

構成資産

竜ヶ岳からのダイヤモンド富士

荒ぶる山と美の源泉/こせのうみ《富士五湖西部》エリアもと  す  こ

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 アーチを描く幅200m、高さ20mの大岩壁を、滝が数百数千の筋状になって流れ落ちている。滝の上に川は無く、その水量のほとんどが、富士山に降った雨や雪が、水を透しやすい溶岩層に染み込んで、不透水性の溶岩層との間を縫って長い歳月をかけ湧き出している、いわゆる富士山の伏流水。一面に水しぶきをあげる滝の前に立つと、水をもたらす山としての富士山の一面を顕著に感じられる。富士山西麓で“富士の巻狩り”をした源頼朝も滝の美しさを和歌にして讃えている。 富士講の開祖といわれる行者「長谷川角行」が「人穴」での修行と並行して水行をした地として、富士講信者の巡礼の聖地にもなっていた。その様子が富士講関連の絵図などにも描かれている。

構成資産富士山の溶岩と伏流水が生み出す水の絶景白糸ノ滝

 「人穴」の名の由来は、溶岩洞穴の内部が、人の肋骨や乳房の形状に似ていることや、古代に人が住んでいたなどの説がある。16世紀に活躍した行者「長谷川角行」が、ここで千日の苦行を積んで悟りをひらき、後に入滅した地とも伝わる。そのため角行を開祖と崇める「富士講」の道者から聖地として重要視されて、修行や参拝が熱心に行われていた。今残る233基の石の碑塔群が、その信仰の厚さを物語っている。人穴と遺跡群は現在、人穴浅間神社の境内になり、あたり一帯が深淵な雰囲気に包まれている。

構成資産神秘に包まれた富士講の開祖ゆかりの洞穴人穴富士講遺跡

 黒松林の続く美しい洲浜が、まるで富士山への架け橋のように伸びる景観は、古来から人々を魅了し文学や絵画に多数描かれてきた。奈良時代には日本最古の和歌集「万葉集」で詠われ、また「羽衣伝説」の舞台として語り継がれた。さらに江戸時代の浮世絵師・歌川広重による「駿河 三保の松原」をはじめ、以後も富士山を描く日本画の代表的な構図に三保松原は選ばれてきている。 さらに中世の富士山への参詣の様子がわかる室町期頃の作品「絹本著色富士曼荼羅図」にも三保松原が描かれているのも象徴的。“信仰の対象”としての富士山においても、三保松原が参詣路として重要な位置にあったことがわかる。

構成資産“芸術の源泉”としての富士山の発祥の地といえる景勝地三保松原

 本栖湖•精進湖•西湖の3つの湖は、遥か昔に「古 の海(コセノウミ)」という一つの巨大な湖であり、忍野八海の周辺には忍野湖があったとみられている。これら太古の湖は、富士山の伏流水や周辺の山々からの雨水の流入を溶岩が堰き止めて形成されたと考えられる。縄文時代中~後期までに「河口湖」は新富士火山の噴火による溶岩の流入により現在の南岸の湖岸線が形成された。約4,500年前には「古 の海」に溶岩が流入し、「本栖湖」と「 の海」に分断。そして西暦864年、貞観の噴火で流出した青木ヶ原溶岩流によって の湖の大半を埋め、「西湖」と「精進湖」が誕生し、西暦800年の延歴の噴火もしくは13世紀に流出した鷹丸尾溶岩流は川を堰き止め「山中湖」が誕生したといわれる。現在の麓の湖の姿は、富士山の噴火活動の変遷を映しだしてもいる。

大噴火による湖の誕生コラムコラムコラム222

本栖湖空撮

誕 生

荒ぶる山と美の源泉/ちょっと足をのばして 静岡県富士宮市・静岡市

しら いと の たき

み  ほのまつ ばら

ひと あな  ふ じ こう い せき

誕 生

遥 拝

富士講

巡 拝

登 拝

荒ぶる山と美の源泉

信仰のめばえ

信仰の大衆化

水の霊場巡り

山頂へ至る道

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誕 生

こせのうみ《富士五湖西部》周辺エリアマップ

精進峠

割石峠

天神峠峠足端

精進湖トンネル精進湖トンネル

ルネント倉之中

ルネント倉之中

本栖トンネル本栖トンネル

鳥帽子岳

塒塚

大室山

長尾山

片蓋山弓射塚

犬涼み山

精進山 山湖五

大丸

北ノ平ノ頭

天神山

二ッ山

幸助山

永山

青木ヶ原衛生センター

乾徳道場日洞信玄築石

本栖湖観光協会

石塁

長崎

一合目

鹿ノ頭

展望台

三ッ池穴

大滝

樹海台

二合目

三合目

四合目

大沢休泊所

鳴沢蝙蝠穴

聖マリア像

諏訪神社

山神社(本栖公家行列)

なるさわ富士山博物館自然探索路JAなるさわ物産館鳴沢活き活き広場

大沢駐車場

三湖台

ズミの大木

鳴沢の溶岩樹型

大室地区原始林

青木ヶ原原始林

大室洞穴富士風穴

本栖第一風穴 本栖第二風穴

神座風穴

メガネ穴

弓射塚原始林

精進の大杉

和人風穴

朝 霧 高 原

富 士 裾 野

進 口登山道

富士スバルライン

富士スバルライン

南 巨 摩 郡

南 都 留 郡

身延町身延町

富士宮市富士宮市

鳴沢村鳴沢村富士河口湖町富士河口湖町

山 梨 県

静 岡 県

道の駅朝霧高原

精進湖観光案内所

本栖湖観光案内所

道の駅なるさわ

本栖歴史館

山梨百名山

山梨百名山

泉温部下

紅葉台紅葉台

西湖コウモリ穴西湖コウモリ穴他手合浜他手合浜

中之倉中之倉

坂難阿

)峠坂女(

坂難阿

)峠坂女(

鳴沢氷穴鳴沢氷穴

青木ヶ原樹海富岳風穴富岳風穴

西湖 野鳥の森公園西湖 野鳥の森公園

精進湖集落

構成資産本栖湖

構成資産精進湖

構成資産西湖

構成資産人穴富士講遺跡

竜ヶ岳

パノラマ台

三方分山

居村集落と中道往還

千円札の富士

東海自然歩道

青木ヶ原樹海

竜宮洞穴

西湖鉄道●《根場浜まで》富士急行線河口湖駅から西湖青木ケ原周遊レトロバス乗車。「根場民宿」バス停下車。所要時間約40分。車●中央自動車道河口湖IC/東富士五湖道富士吉田ICより約25分。

精進湖鉄道●《他手合浜まで》富士急行線河口湖駅から富士急バス乗車。「山田屋ホテル」バス停下車。所要時間約45分。車●中央自動車道河口湖IC/東富士五湖道富士吉田ICより約30分。

本栖湖鉄道●《遊覧船乗り場まで》富士急行線河口湖駅から富士急バス乗車。「本栖湖」バス停下車。所要時間約55分。車●中央自動車道河口湖IC/東富士五湖道富士吉田ICより約35分。

人穴富士講遺跡鉄道●JR身延線富士宮駅からタクシー約40分車●新東名高速道路新富士ICより西富士有料道路、国道139号線経由で約40分

各構成資産へのアクセス