E3 history
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E3とは?
• 主催:ESA(エンターテインメントソフトウェア協会)
• PS、サターンの発表を受けて、1995年より開催
• 流通向けの見本市(受注会)+メディア向けの新作発表会
• 新型ゲーム機や重点ソフトの発表などが行われるため、注目度が高い
• ストリーミング映像配信とデジタル流通の拡大で変化しつつある
1995 ロサンゼルス PlayStation、セガサターン、バーチャルボーイ出展 第5世代
不参加
1996 ロサンゼルス ニンテンドー64出展 不参
加
1997 アトランタ 64DDアナウンス 不参
加
1998 アトランタ
不参加
1999 ロサンゼルス ドリームキャスト出展 第6世代
不参加
2000 ロサンゼルス PS2、ゲームボーイアドバンス出展 不参
加
2001 ロサンゼルス ゲームキューブ、Xbox出展 参加
①E3発展&北米ゲーム市場拡大期
2002 ロサンゼルス 参加
2003 ロサンゼルス Half-life2(Source Engine) デモ出展 参加
2004 ロサンゼルス ニンテンドーDS、PSP出展 参加
2005 ロサンゼルス Xbox360出展 第7世代
Unity 1.0 参加
2006 ロサンゼルス
Wii、PS3出展、ゲイツE3登壇、Gears of War(=Unreal Engine3)出展 参加
2007 サンタモニカ E3 Media and Business Summitとして規模縮小開催 参加
2008 ロサンゼルス
The 2008 E3 Media and Business Summitとして規模縮小開催 App Store開始 参加
②コンソール黄金時代とE3の行き詰まり
2009 ロサンゼルス 音楽ゲーム大流行、Indie cade新設 参加
2010 ロサンゼルス Kinect、ニンテンドー3DS出展 Unity 3.0 参加
2011 ロサンゼルス Wii U出展 参加
2012 ロサンゼルス 参加
2013 ロサンゼルス
PS4、Xbox One出展、任天堂プレスカンファレンスをキャンセル 第8世代 参加
2014 ロサンゼルス Project Morpheus出展 参加
2015 ロサンゼルス ベセスダがプレスカンファレンスを初開催 Unity4.0
Unreal Engine無償化 参加
③E3のリブートとモバイル&インディ
2007年は会場をサンタモニカに移し、 市内ホテルと空港の格納庫跡で分散開催。 規模も2000人程度に縮小する(例年5~7万人) ブース設営費などの高騰に大手企業が根を上げた形。
2008年は会場がLAコンベンションセンターに 戻ったが、規模縮小は続く。会場は小一時間ですべて見て回れるほど。一方で7月にE for Allというユーザー向けイベントが開催されたが盛り上がらず。
③広告ヒストリー 2001-2015
ウエストホールとサウスホールの巨大広告を振り返ることで、 また違ったE3の歴史が見えてくる。
ウエストホールはSCEが毎年出稿、サウスホールはその時々で 勢いのあるサードパーティが出稿するのが基本スタイル。
サウス ウエスト
2001年
SCE ジャック×ダクスターSEGA ソニックアドベンチャー2
2001年3月でハードウェア事業を撤退したセガ ブースもクロースドでアポイントメントオンリーとしたがゲームソフトの広告で健在ぶりをアピール
2003年
SCE ブランド広告ATARI ブランド広告2001年に仏インフォグラムに買収され、経営再建をはたしたアタリ。2003年に北米法人を Atari Inc.に社名変更し、完全復活を周囲にアピール。以後アタリの広告出稿が続く。
2009年
SCE ブランド広告EA ブルータルレジェンドアタリに変わってEAが広告出稿。一方でSCEもコントローラを高々とアピールする広告で、 これまでのイメージを刷新した(E3の復活と当時ブレイクしていたWiiへの挑戦をかけた?)
2011年
EA バトルフィールド3 SCE Vita、アンチャーテッド打倒!CoDの悲願を込めてEAはバトルフィールド3で出稿、初の発売日入り広告はSNSでシェア前提の施策
一方E3にWargamingが初上陸、サウスホールにブース出展もはたす。
2013年
SCE ブランド広告EA バトルフィールド4PS4世代で大手パブリッシャーのタイトル数が激減(2006年のアタリは一社で30本以上を出展)
業績が低迷するEAの「バトルフィールド4」推しが良く伝わってくる
2014年
SCE ブランド広告ACTIVISION CoD アドバンスドウォーフェアリキテロの退任と共にサウスホールの広告枠はアクティビジョンの手に。 マイクロソフトもAAAタイトルの力を借りてXbox Oneの発売をアピール。
おまけ:ハードメーカーのプレスカンファレンス(2002年)
ハードメーカーのプレスカンファレンスは数字(販売台数やスペック)がズラズラと並ぶのが当たり前だった これは流通業者やサードパーティを対象としていたため。彼らを自社ハードにつなぎ止めるのが最大の目的だった
ブースの変化• PS2時代は各社のタイトル数が多く(2006年のアタリは30本以上を出展)、試遊台も潤沢ですぐにプレイできた
• PS3後半から出展数が絞り込まれ、多くの来場者が特定のタイトルに集中するようになったため、サウスホールでシアター形式や関係者のみのクロースドブースが増加した。アポがあっても1時間、なければ数時間並ぶのは当たり前になった(テーマパーク現象)
• 今年はMorpheusとOculusで専用の予約アプリまで登場し、行列の緩和策がとられた