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近世文学に 志子 都市庶民性 近世文学の生産点が、京都・大阪・江 K あったととは否定でき念い。しかし、 現されたものでは左〈、な K よりも町人層の生活と文化の成熟左しに 町人層を基盤とするととが、他の時代とわか しには不可能であった。江戸時代の文化は、鎖国 て、とれに改変を加え、庶民生活 K 媒介させながら生みだされたというととができる。 ζ の場合、庶民生活への媒介というととが重要念ポイント K も媒介させる主体を もたねば念ら左い。その主体は近世初期 K あっては、まだ町人自身のなか K は成熟するにいたらなかった。その 成熟までの橋渡し的役割を果したものが、浪人知識人であった ζ の浪人知識人の文学を、近世のジャンルの上 では仮名草子と呼ぶ。仮名草子はそれじたい自律した価値をもち、町 したのでは念かった。しかし、結果的 K は町人文学への橋渡し的在役割を果していったのである。 わたしは偶然、橋渡しという言葉を便宜上使ったが、文学がリレーすべき「 う言葉もなそらく安易に使われては念ら念いものであろう。つまり、との言葉 K ある種の象徴を托する方が正し いのだ。さきほどわたしは、江戸時代の文化が過去の精神的遺産を素材として、と K 改変を加えて成立したこ とを述べたが、との改変がつまりは橋渡し左のでるって、仮名草子は伝統のなかの書〈 は成りたたなかったのである。とのよう念媒介者として、武士階級から脱落した浪人知識人

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志子

近世文学の生産点が、京都・大阪・江戸という大都市

Kあったととは否定でき念い。しかし、それは一拠に実

現されたものでは左〈、な

Kよりも町人層の生活と文化の成熟左しには、成立しえないものであった。大都市の

町人層を基盤とするととが、他の時代とわかっ近世文学の特色であった@だが、それは前代文化の下向と蓄積念

しには不可能であった。江戸時代の文化は、鎖国という特殊な社会環境のもとで、過去の精神的遺産を素材とし

て、とれに改変を加え、庶民生活

K媒介させながら生みだされたというととができる。

ζ

の場合、庶民生活への媒介というととが重要念ポイントとなると思うが、媒介させる

Kも媒介させる主体を

もたねば念ら左い。その主体は近世初期

Kあっては、まだ町人自身のなか

Kは成熟するにいたらなかった。その

成熟までの橋渡し的役割を果したものが、浪人知識人であった。

ζ

の浪人知識人の文学を、近世のジャンルの上

では仮名草子と呼ぶ。仮名草子はそれじたい自律した価値をもち、町人文学としての浮世草子の前史として存在

したのでは念かった。しかし、結果的

Kは町人文学への橋渡し的在役割を果していったのである。

わたしは偶然、橋渡しという言葉を便宜上使ったが、文学がリレーすべき「物」でない以上、この橋渡しとい

う言葉もなそらく安易に使われては念ら念いものであろう。つまり、との言葉

Kある種の象徴を托する方が正し

いのだ。さきほどわたしは、江戸時代の文化が過去の精神的遺産を素材として、とれ

K改変を加えて成立したこ

とを述べたが、との改変がつまりは橋渡し左のでるって、仮名草子は伝統のなかの書〈意識の変更、訂正なしに

は成りたたなかったのである。とのよう念媒介者として、武士階級から脱落した浪人知識人は、その任務を一身

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Kせたうことに在ったのである。そして、そのζとが橋渡しの役目を象徴的

K語っているのである。

例えば、『可笑記』の作者、如偏子は、父が最上氏か上杉氏かに仕えた由緒ある武士であったらしいが、父と

とも

K浪人し、地方を流浪したあげく、江戸にでてきて、富裕念町人

K養われて、ようやく衣食

K事欠か沿生活

をするζ

とができた。

ζ

ういう背景を知った上で、『可笑記』の構造をみてい〈と、文化の橋渡し的な象徴がよ

〈理解される。す念わち如働子の教養の大部分は、彼が在地武士だった頃

K負うて会夕、とれをかり

K儒教的教

養と、それを補う雑多左咽的左教養

K集約するととができる。との儒教的教委と咽的念教養は、切れy離せない闘

Kあ

p、それが在地的知識人としての両面を示している。との場合、儒教的といってもオーソドックス念それで

はなく、在地化された儒教、在地生活の左かで土着化し生活化した倫理を意味する。それにくらべれば、拙的な

雑多左教養はかえって都市的念性絡をもっている・

ζ

れは在地的倫理が固定性をもっているの

Kたいして、拙的

念ものはよ

P流動的であ

p、未完結的あるζ

とから〈るのかもしれない。たY、近世初期Kあっては拙はまだ都

市化した開明的念もの

Kは成

Pきってbらず、開明へり端緒としての在地性を濃厚にもっていたのである。それが

町人階級への橋渡しの端緒

K左りえたのは、附が口前の技術であって、情況適応性をもって

bp、対象

Kよって

はいか様

Kも変容しうる自在さをもっていたからである。つまり、こういう口前の技術によって、在地的な生活

の倫理をも橋渡しえた。浪人知識人の町人階級への同化と融和は、

ζ

ういう形でなされた。

すなわち、在地武士的念倫理は、儒教的教養の意匠をまとっているζ

とにないて、封建制の正統的念規範を体

現し、咽はその規範を「もどく」ととろの仮想の方法だということができる。彼等は本来、在地武士的左倫理

に生きたいのだが、それでは現実適応性K欠けるし、彼等が階級から遊離してしまったことは、それを許さ念い。

そζ

で、口前の技術を生かすしか方法が左い。咽はその発生期

Kは、在地性をもった民話的発想を多分

Kうけつ

いでいるが、民話そのもののよう念土着性をもたず、村落や街道や都市を通じて、広い伝達性をもっている。そ

れK、さきに触れたよう

K、いか様

Kも変形しうるという可塑性と現実適応性

Kよって、早くから土着から遊離

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していた。また、それは正統的念規範を「もど〈」役割を

K念うが故

K、下肉的であり、啓豪的であり、庶民的

である。仮名草子の作者が、とのよう念性格をもっ拙を、町人の子弟の啓蒙の武器としたとル段、う左づけるととであ

る。つまり、浪人知識人はとのような仕方Kよって、武士層と町人膚の聞の媒介者と念り、知的運搬入と念

P、

都市文化の開明K役立ったのである。だから、仮名草子はいろん左意味で中間層の文学であった。その中間層的

性絡の故

κ、知的優位性をもっと同時

K、その表現手法の陳腐さをまねがれ‘なかったのである。

しかし、仮名草子の作者の階層を、一様K浪人知識人とのみ規定できない。宮廷や駿府や紀州の徳川氏

K仕え

た、れっきとした奉橡武士もあったし、念かKは重臣だった者もあって、必ずしも時代の敗者

Kかぎらない。わ

たしがζζ

で述べているのは、主として十七世紀中葉以降の作者をきしている。むろん、その場合でも浪人知識

人といタ用語は、その階層性を述べたものであって、実際には浪人あがりの僧侶・医師のよう左自由職業者が多

い。と〈に浅井了意

Kよって代表されるものが、後期仮名草子の特色をもっともよ〈体現している。

わたしは、儒教のよう念正統的規範を「もど〈」ととろ

K、仮名草子の都市庶民性の発生をみたのであるけれ

ど、それは言い換えれば、一方で倫理的観念的世界Kつ念がり、他方ではその倫理や観念を下向的K転換してし

まう現役感

Kつ念がっているというζ

とができる。つま

p、仮名草子はこの二つの聞に張られた緊張感

Kよって、

その文学的実質を維持しているのである。そ

ζK合成されてくるのが浮世的観念である。浮世的観念とは、儒教

的正統性を都市的現世感と開明性の方向Kむかつて解放したものであって、その主要エレメントは浮世憧慣と浮

世恐怖

Kあった。例えば、恋愛物語の形式をとった、無頼者・かぶき者の文学である『恨の介』の、「心を慰む

は浮世ばかり」「夢の浮世をぬめろやれ、遊べや狂へ皆人」「電光朝露、石の火の光の内を頼む身の、しばし慰

む方も無し。よしそれとても力無し。過去の因果を思へば、歴然の道理

K任せ、我と我身を慰むばかり」などとい

う言葉

Kあらわれているものは、かかる浮世的観念である。「遊び」は「狂う」と同居しなければならないので

p、「過去の因果」「歴然の道理」が、「我と我身を慰む」という享楽意識と不即不離のものとなる。

-3ー

つまり、

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中世的無常感を、都市的現世的

K意味転換したものである。との意味転換の中間

K件む者の孤立感と享楽意識が、

その徴表である。

本来、享楽意識

Kは孤立感はあ

pえ念いものである。群集や他者の左か

κ融合し、触合するとと

Kよって解放

感を味うのが享楽意識である念らば、彼等は孤独では念かったはずである。しかし、その享楽意識を抑えつける

正統的な倫理観や提の意識が強〈働くならば、それらは自然K流露はしない。その抵抗感と、しかも念沿強い享

楽への誘引、

ζ

れが浮世憧僚の浮世恐怖という二律背反を生んだ。『恨の介』左どはかかる中間的地帯

K位置し

bp、それらは『竹斎』『東海道名所記』『浮世物語』のよう念反ロマネスク在地の文学

K沿いて、受け継が

れてゆ〈。とれらの咽の文学は、・たん

K反ロアネスクな浮世的観念を助長したばかりでな〈、それは生の仮想を

享楽し、費消するという都市性を強めて〈る。

ζ

とで生の仮想というのは、「浮世」が中世的無常観としての「

憂き世」を反転したものである以上、そ

ζKはどうしても「仮の世」の意識が伴うととを否定でき左いのであっ

て、との「仮の世」を「浮き

K浮いて慰む」(『浮世物語』)とζ

K、生の享楽の姿をも仮想として観じる姿

勢が生まれてくるのである。そして、その仮想を享楽し賞消するとζ

K、近世都市人としての現世感をみいだ

すとと

Kなるのである。

との場合、附の形態は好都合とをる。剛山とは一つのモメントを一つのエピソード

Kまとめたものである。仮名

草子の主人公遥の行動

Kは元来、連続性が左〈、その瞬間瞬間の生の仮想の享楽が、ひとつのエピソードを形づ

〈る。それには唱という切断の方法が好都合念のである。もっとも、とれは前後転倒した見方であって、拙の方

法があったから咽的造型が生れたと考える方が常識的である。

ζ

ういう先験性もたしかにあるζ

とはあるのだが、

わたしは事更、仮名草子的行動の非連続性を個有のものとみたいのである。で左ければ、『恨の介』のよう左円

環的・自己完結的物語性から脱却でき左かった。もともと浮世的左生意識が仮想のものである以上、それらはパ

ノラマの様に風景によって変るものであ

p、一貫した生の状景は信じられてい左いのである。

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しかし、それ

κよって正統的規範は著し〈破機的作用をうけた。伝統的な価値秩序は破櫨概されるとと

Kよって、

よタ大衆的形式のものと念り、都市庶民への伝達性を獲得する。したがって、それは破援というよりは大衆化と

いった方が正しいかもしれ念い。との大衆化は、唱と狂歌の組合ぜで進行せしめられた。狂歌もまた酬明と同様、

正統ム接援という両義性をかねそ念えている。とれを一種の同伴精神と呼ぶ乙とができるかもしれ念い。乙の同

伴精神とは、仮名草子の唱の文学が、主人公と従者という同伴型の登場人物をもっζ

とのみを意味するのでは念

ぃ。正統と模擬の両義性、両義性をもっとと

Kよる大衆性や伝達性の獲得、

ζ

の本質からきているのである。文

化の移動期Kは必ず、とういう精神を産出する。異質の念かの共同体、共同体のなかの異質性がその徴表である。

共同体から異質性へずれてゆ〈、その「ずれ」が橋渡しを可能とする。

『竹斎』や『東海道名所記』が、都市と都市をつなぐ距離(宿場・街道・名所)を旅して歩くという回国物語

の形式をとるのも、との橋渡しと関係がある。回国形式は読者を旅に引き入れ、あだかもその場K居あわせたか

の感じを与える臨場感の強化という側面もあるけれど、その前K読者をこうすること

Kよって、在地性から引き

離すのである。風景はたえず変わり、目新しい状景を過去へと送hyζ

む。それは変革ではな〈移動である。たえ

ず新奇さが念ければ念らぬ。だが、その新奇さは実は古いものの再生左のである。名所とは古くから染みついて

いる伝統の居すわっている場所である。その古い場所を新奇左眼で見念hvすものが名所記である。そういタ形で

道行という古〈からの形式と内容を変えてゆ〈のである。菅は貴種のたどった旅を、今、滑稽人物がたどってゆ

〈。かくて、古い文化は過去へ過去へと送りこまれて、新奇念もののうちでも最も新奇なものである大都市が前

K現われる。在地的定住的念ものは蓮か過去へ送hyζ

まれて、都市での新奇念仮想の姿のみが婦やかし〈現わ

れる。

-5-

むろん、名所記Kは他の一一郎もある。名所記を読むζ

とは、伝統的・古典的念文化の遺産への参加をも意味し

ている。しかし、

ζ

の場合も読者は、滑稽人物を通して浮世者として参加する。す念わち、滑稽人物は哨や狂歌

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を通して、伝統文化Kかれら自身の評価を与えているのである。わたしはとれを伝統の平準化と呼びたいと忠ぅ。

つまb、名所

K接する浮世者の自己評価Kよって、伝統はわかりやすく大衆化されるのである。大衆の側から言

えば、浮世者の自己評価Kよって、名所の価値的意味を自己のものとして取入れるのである。

ζ

の回国物語の形式は、近世

khvける街道や宿駅の発達とつながりをもち、これらの繁栄を享楽し、誇示する

役目を

K左っている。

とれら街道は京大阪と江戸を結ぶ東海道を中心にして町街道の都市・宿駅の都市を肥大させつ』あり、かかる都

市の繁栄を喜ぶ心が、かかる道中記K反映している。石田一良はその著『町人文化』の左かで、竹斎の行動を支

えているものに、都市への雑踏の共感があると述べている。群集とともにあること、自己を群集の中

K埋没させ

るととによって、一種特別の自由の意識、生命解放の感情を味うととは当然考えられることである。かかる解放

感は、祭りへの参加と同じく、多少でも非日常的念場K沿いて可能と左る。都市じしんは日常的念生活の営みの

場であるけれど、旅する主体

Kとっては、それらは非日常的左ものとも仏る。つまり、雑踏は一種の都市的左饗宴

である。かかる饗宴や祭PK参加することは、日常的世界からの離脱である。引き離された「距離」を旅するとい

う真の意味は、との定住的・在地的左ものからの離脱にあったのかもしれない。

しかし、仮名草子の作者は、結局在地的左倫理からは脱却でき左い。彼らの生の享楽意識も、在地的左ものの

なかに都市的なものが、なだれとんだために生じたかげりをもっている。例えば『東海道名所記』の「一寸先は

間同命は露の問、明日をも知らぬうき世なる

K、たい〉をせをせとて友達をそそのかし、わざくれ橋を渡りて行く

もあ

D。いやいやとれはとて、思案橋より戻るもあり」という言葉にはあらわれているかげタは、生粋の都市人

のものではない。在地的定住者がもっ安定した生活倫理が、都市的念もの

Kかき乱され、浮かれて浮世を渡ろう

とするものの不安を表わしている。本来は農民と武士とで構成していた在地的生活に1

都市の商品経済が流入する

ζ

とKよって、在地から遊離して都市K出てきたものの流民としての不安定な享楽意識なのである。『浮世物語』

ーもー

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も本質的には変ってい念いのであって、「明日は閤浮の墜とも走れ、わざくれ浮世は夢ょ。白骨いつかは栄耀を

‘なしたる。とれこそ命走れ。その盃ζ

れへ差さんせよ」という一節Kは、「わざくれ(ままよ、どう

Kでも念れど

という言葉

Kあらわれているよラ

K、一種の自己放棄が強まってきているのである。

『浮世物語』の主人公浮世坊の父は、零落した武士であった。彼は武土としての能力よりも、むしろ商人的念

日舌

Kよって主君の気に入り、出来出頭人として権勢を振うが、圏中無備交の臆病者とて、戦場で腰をぬかして逃

げ帰り、かねての貯えを携えて町人の有徳人になりすましたという経歴をもっている。

ζ

れは在地的武士的左倫

理から逸脱した腰ぬけ武士たるζ

とを示すζとKよヲて、町人への転向の一事例を語っているのである。かかる

階級離脱を前提として、自由人の立場を獲得し、さら

Kそれが都市民化するとと

Kよって浮世坊が誕生する。

「浮きに浮いて慰み、手前の摺切も苦

K念らず、沈み入らぬ心立の水

K流れる瓢箪の如〈左る」という浮世坊の

生き方は、一種の流民化した都市人の自白人的性格を象徴しているのである。

す左わち、在地性から切

D離された都市流民は、日々の生活が仮の宿のそれであって、定住的左生活感をもた

念い。「浮きK浮いて瓢金なる法師」とは、口舌の徒と在ってとの世をぬらりくら

Dと渡る都市の唱の衆である。

浮世の善悪のすべてを相対化してA1

とれを離れて眺める無責任主体である。かかる自白人の見地から、大名も町

人も批判の対象となる。『浮世物語』は、乙の浮世坊一代記の形式の念か

K、世相見聞、政道批判、処世訓、笑

話等を盛りとんだ小説ということ

κなるが、これらの多〈が哨の形式をとっているζ

とは、本来在地的左生活の

倫理をもったものが、都市的庶民性を擬態しているζ

とに左る。例えば、一升の米の価をだ

K儲けかねている貧

民をそのま

LKしている当伐の大名を批判し、さらに商人の功利主義を批判すると、問屋の亭主

K痛い腹をさぐ

られ、米一升を恵まれるという落ちのついた浮世坊の唱が描かれている。このよう

K在地の恒常的左生活が破壊

され、権力と商人階級が有機的に結びつくととによって近世の封建社会は成立しているのだが、その矛盾を鋭〈

感受しているのは土着の農民では念〈、都市の流民と念っている痩せ浪人であるζ

とを、

ζ

の咽は示している。

-7-

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一一、

とζ

ろが、西鶴の『好色一代男』

K念ると、在地性の痕跡はあとを消し、都市富裕民の文学として成立する。

ζ

の主人公世之介の父夢介は、上京長者町あたりK本居を構えている上層町人であり、同時

K当時の「かぶき者」

とも交友している当代のダンディである。その好色性をうけついだ世之介もまた、父K劣らぬ一代男としての素質

を、すでに七オで示している。との早熟念少年の色道修業の一代記が、『好色一代男』念のである。かかる世之介

の好色の遍歴を支えてゆ〈長篇の思想は、在地生活からは生まれてζ

ない。すでに父祖が都市で震を念し、その産

K支えられている二代目が、その産からも自由に左って遍歴するという構想を必要としたのである。このよう

K、

彼が町人の子であり念がら現世離脱者として設定され、生涯の前半を旅をして回る回国者であるととは、都市町人

そのもの生活を直線的K反映しているのでは念〈、仮名草子以来の仮想人物としての資格を受けついでいるζ

とに

ま合後はその好色の故K家から勘当されるという形をとっているが、彼は家から離脱して世外の徒Kなるζ

とKよ

って、その自由念旅の無法さが保証されるのである。とうして彼の旅は、都市から地方へ出て行き、再び都市へ帰

ってくるという形をとる。

仮名草子と形式は似ている。しかし、仮名草子は本質的K階級離脱者の文学である。『竹斎』は

E?つがゐ.痩法

師」が主人公であり、『東海道名所記』は「世

Kなし者のはて」である楽阿弥が主人公であった。『浮世物語』が

「浮き

K浮いて瓢金念る法師」が主人公であることはすでにふれた。かれらは社会生活K密着した生活意識をもた

ない逸脱者・風狂人であった。その無頼性は『浮世物語』

kbいて頂点に達した。したがって、かれらは反土着的

ではあるが、都市人でもなく在地者でもない。かれらの都市や街道を見る限は、都市人の眼でも念〈在地者の限で

も念い。一種独特念遊離的な限念のである。『竹置の上巻の大部分が京都名所見聞Kあて、清水・豊国神社・一二

十三間堂一・北野神社念どを紹介しているけれど、その紹介の仕方は「掬てある方を見てあれば:!・」という形式

の繰返しであって、一種の絵巻物的様式をとっている。とれはいか

Kも京都遊覧案内的であって、そのため本書は

-8ー

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京都及び京都人の自己確認の書である(石田一良『町人文化』)という見解が幽されているくらいであるけれど、

わたしはそうは思え念い。たしかに盛hy場の賛美、名所や雑踏への参加は、都市的ではあるけれど、かれらの限

の本質は無用者のそれも仏のである。都市的左ものへの好奇はあるけれど、それを直線的

K反映したものでは念い。

『東海道名所記』

K念ると、名所案内的念役目を意識して、よ

D啓豪的であるけれど、とれもまだ都市人の阪で

書かれているとは言え念い。

『一代男』になると、彼は現世離脱者ではあるけれど、その本質は都市人である。世之介は定住者の住まぬ裏

街道や私娼窟念どや、地方の遊廓を遍歴する。しかし、それは世之介がまず位の低い遊女達を相手K、色道をた

めすととを意味し、それはやがて都市へ帰ってきた時

K、都市的念色道の完成者と念る前史であ

D伏線念のであ

る。念

Kよれジも彼が行為者として設定されているとと

K注意し左ければなら念い。仮名草子の主人公たちが歓楽

地をみる狼は傍観者の眼であって、彼ら自身好色を行為するというととは左い。都市の歓楽を横眼で見て、好色

憧慢の好色恐怖という個有の感想を吐露するばか

Dである。ととろが世之介は、都市から地方へ出ていって、み

ずから「婚者(私娼〉」を探求する。

ζ

の好色道の小手調べは、粋の浅瀬を渡るととによって、好色道の完成へ

の橋がかhyと念るのである、したがってとの齢(地方)の好色Kよって、京・大阪・江戸という三都の粋も、い

よいよ輝きわたるのである。こうして『一代塁は、世之介の好色地図を描〈という構図をとるζ

とK念る。と

の好色行脚の空間性とは、封建的念閉鎖性にかかわら左い自由の拡大という意味をもっている。それはあだかも

商いの功剰の貫徹力が、封建的閉鎖性を無視して全固に浸透してゆ〈ζ

ととアナロジーである。す-なわち、世之

介の好色地図は、港や船泊

Dの地をたどる商いの通路とイクオ

lルである。

ととろで世之介は三十四オの時、泉州吹飯の浦で難船し、あやう〈生死の境まできて、初めて父の他界を聞い

て、急ぎ故郷に帰ヲて、二万五千買の遺産を相続するととに在った。本来念らば、父の死

Kよって町人としての

自覚を新らたにし、いよいよ家業

K励むのが都市町人の心構いである。ところが世之介はとれとは全〈反対で、

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積極的

K好色に金を投げ打つとと

Kよって、遊民としての一生を賞ぬこうと決意している。

ζ

の使命感はいった

いどとからきているのか。ひとつは江戸時代

K好色が下品念意味では念かったというととがある。折口信夫は好

色とは町人にとって「鎮綾がよいととであった」と述べている。つまり線般がよいζ

とを誇示する意味がある。

練績は器量に通じ、オ能があり能力

K一んでいるとと

K走る。その面から好色が町人の一つの理想となり、宗教

とも念る。

にもかかわらず、廓と劇場は江戸時代に二大悪所とされていた。したがって、好色は致富を目的とする町人の

道にそむく行為と左る。この間の矛盾関係にはきわめて複雑念ものがある。

ζ

の複雑念矛盾関係を一挙に解くζ

とはできないが、ととに一つ考えられるζ

とは廓や劇場が町人

Kとって祭りの場であり、したがって非日常的念

場であったというととである。つまりそれは日常の論理では解け左いものがあるo

廓や劇場は生活の論理から言

えば、悪所であるけれど、乙の祭

Dの論理から言えばそとは聖地とも左る。その聖地

K参加することが町人

Kと

って一フの理想とも念P、宗教とも走るのである。こういう傾向はすで

K仮名草子時代

K、藤本箕山の『色道大

鑑』

Kあらわれていた。箕山は廓を遍歴し調査・記録するととによって、

ζ

れを百科全書的

K体系づけようとし

た。その志と使命感の念か

Kは、廓を謹地と考え色道を宗教と考える態度が一不されている。

西鶴は箕山の精神をうけついだが、箕山のようにとれを煩現在学問体系

Kしたり、物知り的

K組織づけようと

はしていない。

ζ

の色道を身をもって実践して悔い左い一代男をつくりだすのである。西拙輔が都市定住者として

の町人の生活倫理

K反してまでも、かかる人物をつくりだしたのは、町人の非日常的な理想がそと

Kあるζ

とを

直観して、

ζ

の町人のもつ好色憧僚を純粋

K表出しようと考えたからである。もちろん、世之介の生涯は一穫の

「転合」であり仮想である。

ζ

の仮想を成立させるために世之介を御殿仕立の生いたちにし、当代のダンディで

ある「かぶき者」を父

K持ち、身請けされた京都島原の太夫を母

Kもっとと

Kしたのである。世之介の異常友好

色も勘当も、また遺産相続

Kよる大金

K保証された大尽生活も、その仮想の完成である。だから、世之介の地方

-1 0ー

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から都市への逆流は、いよいよその好色道を完成させるため

K必要であったのだ。

「遊びとは自己の存在を統御し、制限する外的権力が存在せず、各個人が己が好む所

K従って個人的

K生を形

成すると共

K、それを個人的

K享楽する姿であろう」〈石田一良『町人文化』)。

ホイジンガもいうようK、遊びはそれじたいの中で始まり、かつ終る一つの完結体であり、その結果とか、ま

た日常的友生活過程とは念んらかかわりをもたない、絶対自立性をもった生の形式である。遊びはなん

Kもまし

て自由念行動であり、ぞれじたいのなかに道徳的機能は左〈、また美徳と罪悪とかの評価も含まれてい左い。遊

びは日常的左生の形式では左〈、日常生活から非日常的念領域へ一歩踏みだしてゆくととである。そと

Kは欲望

の直接的念満足さえ一時的

K中断する。遊びはこのように自律的生形式であるけれど、近世町人の遊び

Kは、と

の上

K相互的左協同が働いている。かれらは一種の遊び共同体といったものを作つてなり、一定以上の豊富念富

を持ち、同一傾向の趣味をもっている町人達が、

ζ

の共同組織に参加している。それは生活過程の組織とは別箇

たい〉との同位関係Kよって結びつけられた共同体が、社会的権力組織に対立するものかどうか

K

-1 1ー

のものである。

ついては、疑問があろう。

『一代男』の巻五以降に描かれている遊びも、との種のものである。世之介が相手どる遊女は、廓での最高の

位。太夫級の女達のみである。美貌とオ芸をかねそなえたとういう太夫達達を相手

K、町人の好色共同体は成立

する。それは現実の町人の姿というよりは、仮想の方法Kよって理想化されたものである。また廓の太夫逮も現

実のそれよりは、理想化されてhる。西鶴はなそらく歴史的

K所与的念、モデル的左太夫の諸特徴の左かから、も

っとも鮮明な像をひきだし、その可能性を伸長したのであろう。そのために巻五以下の太夫たちは、オ能の点で

も教養の点でも卓越した理想的遊女K‘なっている。なそら〈ζ

れは、粋という廓美学Kよって洗練された好色共

同体の産物であろう。さきにふれたように、廓遊びは町人にとって非日常的念饗宴であり、祭hyであった。それ

は莫大左浪費によって日常的左生活過程を払拭してい念ければ左ら左い。太夫ともをると左台さらである。だか

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ら、太夫はあらゆるオ芸、教養、粋の素質が要求されたのである。

がそれ

Kあたる。

『一代男』以後、西鶴の創作の方法は幾分変化を見せてくる。基本的

Kは都市町人との共同が始まったとみて

よい。『一代男』の制作当時、西鶴の頭の中

K内在的K意識していた読者が、『一代男』の発表

Kよって外部的

K定着した読者として、西鶴の前に現われてきた。そして、それは今度は逆

K出版屡志向通じて、作者K働きかけ

てくる。とと

K西鶴と都市町人の共同がはじまるのであ。しかし、

ζζ

で在地と都市との関係で見てゆ〈と、商

鶴は在地の伝承を汲みあげる方向K変ってくる。『一代男』から『諸畿大鑑』をへて、『諸国は左し』『好色五

人女』

Kいえる過程のなかに、

ζ

の傾向が顕著

K読みとれる。『諸国はなし』が諸国の巷談伝説や説話の伝承を

大き〈汲みあげているし、『五人女』も巷間

K流布していた民謡l

歌祭文を媒介としている。とれらは西鶴が都

市町人との共同のイメージを制作の構造の念かにとり〈んでいったζ

とを示すととも

K、それが地方都市や在地

農村

Kまで及んでい〈ζ

とを明示している。

ζ

れらはまず都市、在地を含んで、プリミティグ左イメージを喚起

され、次Kとれ

K再生的念生命感を賦与していったものである。時代的

K言えば、地方的念咽が都市へ逆流し、

一作家の手にかかって再生されるのを待っていたというととができる。

『五人女』の巻一、

b夏清十郎の物語は、室津から姫路

Kかけての物語であるが、著し〈都市化されてな

p、

都市的開化

Kよワて生じた男女の情事である。

ζζ

では「恋知hy」「わけ知り」ということが、男女の関係

Kむ

ける重要念人間的資格として設定されている。詳細は省くが、わたしはそれを「恋の感染術」という視点

K立っ

て考察したζ

とがある(講談社『西鶴の世界』)。感染的念恋とは、男女の関係が対他・対自の意識

Kよって自

立する以前の融和的状況から生ずる。それは性が「もの」の生産と分化する以前の民族心理を基底kbいてな

p、

在地性が都市性と交わる地点

K生ずる。『五人女』全体が近代的恋愛心理

Kよっては測

Dがたい心性と行動様式

をもって訟hy、巻二の樽屋なせん巻三のなさん茂右衛門の場合も例外ではない。浮橋康彦はこの感染の契機を西鶴

『一代男』

K登場する吉野・タ霧・高橋など

-1 2ー

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の作品全体K普遍化し、次の三点を基本としているととを指摘している。

ω人聞を変質・転換の姿でとらえる。

凶感染を、人間存在や行為の契機とする。削愚直念人聞の悲劇と喜劇とを繕〈(注一)。

わたしはζζ

では在地性が都市性と交わる地点で、感染的行動様式が生ずるとみたい。清十郎と遊女皆川の恋

が感染して、

hu夏が清十郎K思いつ〈。との場合は地の女が遊女を模倣するという心性が働いている。近世

Kあ

っては遊女の方が地の女

LP優絡性をもっているから、

ζ

の場合も恋Kついては未成の女が、成熟した優格的念

恋を模倣するのである。

ζ

れを都市と在地K翻訳すれば、廓の恋の方がより都市的であり、地の女のそれは在地

的である。同様Kして、な夏の恋が直ちK-P物師・中居・腰元・抱き姥・下女

Kまで感染してゆく。言い換えれ

ばシ夏の恋は、な夏が成年式を迎えて一人前の女

K走ったζ

とを意味して

bb、その恋が廓の恋

K誘発された限

りでは都市的念ものである。ととろが、それがな夏の雇人K感染してゆ〈のは、

b夏の成年式を家族共同体内で、

予祝するためであろう。丁度、性的行為をまねる「かまけわざ」が、豊作を祈る感染術であったよう

K。との後

者の模倣はより在地的念のである。同様Kして、

b夏が狂乱すると「つきづきの女」も一緒K狂いだして、皆乱

人(狂人)と左ってしまうのである。とういうζ

とは近代人Kは不可解であるう。

一般に感染的行動をとるものは、愚直左人間

K多い(浮橋康彦の上記の指摘

Kもある)ととは、都市人の念か

にまだ在地性が眠っているものと考えるしか左い。近世的人聞は我々のように著しく社会化された人間では念〈、

都市的開化をうけているとは言っても、まだ素朴念在地性を秘めているものである。

ζ

れが商業資本の人聞の情

念化傾向K刺戟されて、まどろんでいる在地性が呼び醒まされ、無意識的、反射的、盲動的念行為をとらせるの

である。

ζれを人聞の潜在意識性の顕在化、人聞の情念化のあらわれとみるとともできるけれど、とζ

では在地

性が都市性と交文する地点で現われる人間行為としてみたい。との感染的行為は瞬時

Kして人聞を日常的念それ

から非日常的念もの

K変えてしまう。とれは近世K左つてはじめて人聞が状況というもの

K直面したため生じた

現象とも考えられる。感染的行為は多くは新しい状況・環境K直面した時に起っているからである。異常性が正

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常性をひきだし、正常性が異常性を誘い込むのもかかる場合だ。人聞が他者を意識し、さら

K複数の関係

K直面

し、さら

K雑踏、祭りその他で群衆の念か

Kなかれる時、

ζ

の感染的行為が生ずるのだろうo

祭りへの参加や、

都市的歓楽への誘引や、賭け事への没頭左ど

K、すで

K感染的念動機が見出せる。

運命の転換は、主として日常的状況からこのよう念非日常的状況へ入っていった時K起きる。廓遊び・飲酒・

米相場・金銭の貸借・遺産相続・帰姻・喧嘩口論・果しあい左ども、との非日常的状況を用意する。むろん、

ζ

れらは同位関係Kなかれるものでは念〈、それぞれの状況K応じて、対応する行動も具念る。しかし、その感染

と情動が、予期し念い結果を生むととで共通している。この意表外性はやはり都市的なものの特徴である。在地

の生活は固定的であり、同一類型の反覆であって意表外性が念い。それにたいして都市は賭けや冒険K満ちてb

り\人聞をたえず意表外性に誘引する。これは一つは貨幣の力による。マルクスもその『経済学・哲学手稿』の

なかで、貨幣の「転倒的念力」を説いている。貨幣Kは娼婦的機能があり、人聞を投機的冒険

K誘引する物神性

をもっているのである。貨幣のとの慈魔的念力は、人聞を情熱的Kする。

近世人の行為が著しく野外的・群集的

K在ったととは、『五人女』

Kもみられる。犬とえば、巻三のなさんが

大経師の妻の座をえたのは、「さわぎ中聞の四天王」たちのフアヲシヨン・ショウ的左目きき

Kよって選びださ

れたのを機縁としている。都市の街頭が結婚の選択の場としてつかわれているのである。また巻一のな夏清十郎

がはじめて結ぼれた処は、戸外の桜見の幌幕の念かであ

D、巻二の得屋huせんの恋の成立は、伊勢の抜参

Pの帰

りであった。公然たる野外が恋のとりもちの場になっているのである。

ζ

のよう

K都市や街道の雑踏が、恋の成

立の背景

Kあるζ

とは、在地的左家の閉じられた世界から、公共的な聞かれた場K、人間関係が移されたζ

とを

意味している。

巻四の八百屋台七の恋は、火事騒ぎで避難した寺の雑踏の念かで成立してなり、彼女は恋人

K逢いたい一心か

ら、雑踏を再び欲して自宅の壁板K放火している。また、彼女の処刑も神田・四谷・芝・日本橋と引廻しの上、

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品川の鈴が森で火刑されている。刑罰も公共的見せしめの意味を

K左ってきているのである。巻一の沿夏清十郎

の物語が、「上方の狂言K念し、遠国村々皇々迄ふたりが名を流しける」とあるのも、地方都市と村落をつ左ぐ

伝聞性を重視しているのである。巻二の樽屋huせんの物語の「其名さまざまのっくり歌K、遠国迄もったへける。

あしき事はのがれず、あ左なそろしの世や」という結びKは、

ζ

の伝聞性と刑罰意識の結合がある。

ζ

れらの伝

聞性と刑罰意識

Kは、「浮名を流す」という言葉

K象徴的

Kあらわれているよう

K、浮世憧僚と浮世恐怖の二律

背反がみられるのである。この二律背反が群集の肉声のよう

K、はっきりあらわれているのは、巻三の訟さん茂

右衛門の物語の最後で、西鶴は二人の刑死を「九月廿二日の曙のゆめ、さらさら最後いやしからず、世語とは念

pぬ。今も浅黄の小袖の面影見るやうに名はのとりし」と結んでいる箇所である。

ζζ

へ〈ると、群集の浮世意

識Kは、憧僚と恐怖という二律背反では念〈、はっきりと浮世主張といった強さがあらわれている。その点では

巻四の八百屋シ七の場合も同じで、「今朝みれば塵も灰も念〈て、鈴の森松風ばかり残りて、旅人も聞きヲたえ

て只は通らず、廻向して其跡を弔ひける。きれば其の日の小袖、郡内嶋のきれぎれ迄も世の人拾ひもとめて、す

へずへの物語の種とぞ思いける」とある。す念わち、火刑K処されたな七の死跡の娼向が群集的・公共的に行わ

れていて、はっき

Pと浮世主張の強さがみられるのである。

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こうして西鶴の浮世意識は、仮名草子の浮世憧僚と浮世恐怖

K似た水準に、かえってくるようだが、それは仮

名草子の作者の主う念観念的念ものでは念〈、また階級離脱した疎外者のもつ無責任主体のものでも念〈、はっ

きりと都市群集の肉声

K根ざした浮世主張であった。つまり近世文学Kなける都市庶民性が、それだけ肉体的念

ものと一なり、都市の底流となっている群集の肉戸を吸いあげているのである。西鶴の説話物は、以下もつばら近

世的状況の念かになかれた地方や都市の群集を描〈ととになる。それは諸国刷、武家物、町人物を問わず、群集

のもつ原生的念生意識が、いか

K近世的状況K対応して情動したか

K、中心がシかれる。とれを在地位と都市性

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という視点のもとK分析するとともできるわけだが、今回は序説の部分にとどめてなきたい。最後Kととわって

なきたいととは、ととでつかっている在地性・都市性という言葉は、一種の象徴的キイ・ワ

lドであって、あま

り笑体的

K解してほしく左いというととである。

注一、「『懐硯』の作品構造l感染の契機l」

(「国文学孜」第五十二号)

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